震は口・食を為す
說卦兌為口,而頤無兌,象曰自求品食,於是後人以伏兌為口。至飲食象,說卦無明文,於是荀氏以坎為飲食,後儒多從之,乃以坎說需漸之飲食皆當,而於大畜之不家食、頤之口食、節飲食、明夷之不食,皆不合。豈知震亦為口為飲食也。
《説卦伝》は兌は口と言うが、《頤》卦には兌がなく、卦辞はまた自ら口中の食を求めると講じたので、後人はやむを得ず伏する兌をもって口とした。飲食の象に至っては《説卦伝》に明文がなく、ここにおいて荀爽は坎をもって飲食とし、後代の学者は多く彼に依った。坎を用いて《需》《漸》両卦の飲食を解するのは皆妥当だが、《大畜》の「家食せず」、《頤》の「口食」と「飲食を節す」、《明夷》の「食せず」を解するには皆合わない。あに知らん、震もまた口・飲食であることを。
《易林·需之解》云「一指食肉,口無所得」,以解震為口為食,坎為肉;《蒙之艮》云「攫飯把肉,以就口食」,亦以艮中爻震為口為食。自得此象,於是大畜頤明夷之口象食象皆得解。大畜曰不家食,艮為家,震為食,故曰家食,皆在外,故不家食。
《易林・需之解》の林辞に「一指、肉を食らい、口は得る所なし」と言うのは、《解》の上体の震をもって口・食とし、下体の坎をもって肉とする。《蒙之艮》に「飯を攫み肉を把り、以て口食に就く」と言うのも、《艮》卦の中間の各爻が互いに出る震をもって口・食とする。この象を取得して以来、《大畜》《頤》《明夷》の数卦の口象・食象は皆講じ通る。《大畜》の卦辞に「家食せず、吉」と言う。艮は家、震は食なので「家食」と言う。しかもこれらの象は皆外卦に落ちるので「家食せず」と言う。
頤曰自求口實,阮氏校謂閩本監本汲古本皆作食,非。然詩曰「以就口食」,管子曰「並口而食」,《易林》亦每以口食連文。洪頤煊雲山井鼎《周易考文》作口食,然則汲古等本必有據,未必非。坤為目,艮為求,震為口食。鄭作食,鄭注云「坤載養物,而人所食之物存焉,觀其求可食之物,而貪廉之情可別也」,是鄭原讀為食。食亦震象,故曰自求口食。若作實,則卦無其象。
《頤》の卦辞に「自ら口実を求む」と言い、阮元が校勘する時に閩本・監本・汲古閣本は皆「口食」と作るのは誤りと言った。しかし《詩》には「以て口食に就く」の言い方があり、《管子》には「口を並べて食う」の言い方があり、《焦氏易林》も常に「口食」を連用する。洪頤煊は日本の山井鼎の《周易考文》も同様に「口食」と作ると言う。されば汲古閣等の本は必ず拠る所があり、必ずしも誤りではない。《頤》卦は互坤、坤は目、上体の艮は求、下体の震は口・食である。鄭玄本はまさに「食」と作り、鄭注に「坤は万物を載せ養うことができ、人の食らう物は皆その中に存す。其のどのような食物を求めるかを観れば、貪と廉の心性は分別できる」と言う。鄭玄はもとより「食」と読んでいたことが見える。「食」もまた震象なので「自ら口食を求む」と言う。もし「実」と作れば、卦の中に相応する象を見出せない。
象曰節飲食,亦以震為食。須知頤者口旁肉,必正覆震口相合,然後為頤。虞氏以伏兌為口,取象似得矣,豈知必正覆震口上下相合,方為頤;若大過正覆兌,則不為頤,仍誤也。明夷初九曰三日不食,亦以互震為食,震在外,初離虛,故不食,離卦數三,故曰三日不食。
《頤》卦《象伝》に「君子は言語を慎み、飲食を節す」と言うのも、震をもって食とする。知るべきは、「頤」とは口の旁らの腮頬であり、必ず一つの正震の口と一つの覆震の口が上下合い閉じて、はじめて頤となる。虞翻は伏する兌をもって口とし、取象は正しいようであったが、あに知らん、必ず正覆二つの震口が上下相合してはじめて頤となることを。もし《大過》のように一正一覆の二つの兌であれば、頤とならない。虞翻は依然として誤っていることが見える。《明夷》初九に「三日食せず」と言うのも、互体の震をもって食とする。震は外に在り(三から五爻)、初九の在る下体の離は中が空虚なので「食せず」と言う。離は先天卦数で三なので「三日食せず」と言う。
艮の観象
說卦離為目,故為觀。乃頤曰觀頤,曰觀我,曰虎視,觀六爻皆言觀,而皆無離象。按《易林·蒙之謙》云「日月相望」,則以艮為望,謙正反艮,故曰相望;又《蒙之大壯》云「千里望城」,大壯通觀,觀艮為城為望;又《坤之渙》云「舉首望城」,《乾之隨》云「遊觀四海」,亦皆以艮為觀望。乃知頤卦觀卦之方觀言視,皆取象於艮。蓋艮陽在上,故為明為觀,能居高以視下也。《易林》如此等逸象,遇之多年,皆不知其所謂,今以《易林》注易耶,抑以易注《易林》耶,吾亦不知也。
《説卦伝》は離は目と言うので、離をもって観とする。しかし《頤》の卦辞に「頤を観る」と言い、初九に「我が朵頤を観る」と言い、六四に「虎視耽耽」と言い、《観》卦の六爻はさらに句句に「観」を言うが、この二卦にはいずれも離象がない。按ずるに《易林・蒙之謙》の林辞に「日月相望」と言うのは、艮をもって望とする。《謙》卦には一正一覆の二つの艮があるので「相望」と言う。《蒙之大壮》に「千里、城を望む」と言い、《大壮》は《観》と旁通し、《観》は三から五爻まで互艮、艮は城・望である。《坤之渙》に「首を挙げて城を望む」と言い、《干之随》に「四海を游観す」と言うのも、皆艮をもって観・望とする。これにより《頤》卦・《観》卦でおよそ「観」を講じ「視」を言う所は、皆艮象を取ることを知る。おおよそ艮は陽爻が最上に居るので、明・観となり、高く居て下を俯視することができる。《焦氏易林》のこの類の逸象は、私が多年遇っても何を言うのか分からなかった。今や果たして《易林》をもって《易》に注するのか、それとも《易》をもって《易林》に注するのか、私自身にも言い分けられない。
艮は光・明を為す
離為日為光明,乾為大明,故坤曰光大,謂伏乾也;需曰光亨,履曰光明,謂互離也。泰九二象曰光大,同人彖傳曰文明以健,夬彖傳曰其危乃光,皆謂乾也。大有九四象曰明辨,噬嗑象曰明罰,賁曰文明,晉彖傳曰大明,此為乾日之確解,故乾彖傳曰大明,與此以離為大明同。明夷曰明,井九三曰王明,皆謂離也。屯九五曰未光,困初六曰幽不明,謂離伏也。漢魏人皆知也。
離は日・光明であり、乾は大明である。ゆえに《坤》卦彖伝に「含弘光大」と言うのは、伏する乾を指す。《需》卦彖伝に「光亨」と言い、《履》卦彖伝に「光明」と言うのは、互体の離を指す。《泰》九二《象伝》に「以て光大なり」、《同人》彖伝に「文明にして健なり」、《夬》彖伝に「其の危くして乃ち光なり」と言うのは、皆乾を指す。《大有》九四《象伝》に「明辨するなり」、《噬嗑》《象伝》に「先王以て罰を明らかにし法を敕す」、《賁》彖伝に文明と言い、《晋》彖伝に「順いにして大明に麗く」と言うのは、これらは皆乾を日とする確かな解である。ゆえに《乾》卦彖伝も「大明終始」と言い、ここで離をもって大明とするのと同じ路数である。《明夷》に「明」と言い、《井》九三に「王明」と言うのは、皆離を指す。《屯》九五《象伝》に「施未だ光らざるなり」、《困》初六《象伝》に「幽にして明ならざるなり」と言うのは、離が潜伏して見えないことを指す。これらは漢魏の人は皆分かっていた。
乃《隨》九四曰「在道以明」,《大畜》彖傳曰「輝光」,《頤》九四象曰「上施光也」,《益》彖傳曰「其道大光」,《謙》《艮》彖傳皆曰「光明」,《觀》《渙》六四皆曰「光」。卦無干離,而亦曰光明。虞翻求其象不得,遂曰:謂某爻已變成離,故曰光明。凡清儒解易者皆宗之。此端一開,易尚有不解者哉?甚矣其自欺也。愚初解易,而知其為曲說,謂《隨》《益》《艮》《渙》之言光明之皆以大離也。
しかし《随》卦九四に「孚有りて道に在り、以て明なり」、《大畜》彖伝に「剛健篤実、輝光」、《頤》卦九四象辞に「上、施すこと光なり」、《益》卦彖伝に「其の道大いに光なり」、《謙》《艮》両卦の彖伝は皆「光明」と言い、《観》卦六四に「国の光を観る」、《渙》卦六四象辞に「光大なり」と言い、いずれも「光」に及ぶ。これらの卦には乾も離もないのに、同じく光明を講ずる。虞翻は対応する卦象を見出せず、便ちある爻が既に離に変じたので光明と言うのだと言った。清代に《易》を解する学者はおおよそこれを奉じて準則とした。この端が一たび開けば、《周易》に解釈できない所があろうか。このような自欺もはなはだしい。私が当初《易》を解した時、この曲説であることを知り、《随》《益》《艮》《渙》の数卦が光明を講ずるのは皆「大離」の象を取る――即ち六爻の全体の形を放大して見ると一つの離卦のようである――と考えた。
乃《謙》彖傳曰「天道下濟而光明」,《觀》六四曰「觀國之光」,二卦皆不互大離,而亦曰光明,愚心始疑之,乃返求之《易林》。《易林》《訟》之《觀》云「欽明之德」,以艮為明也;《訟》之《震》云「六位光明」,亦以互艮為位為光明;又《蒙》之《謙》云「光明盛昌」,亦以《謙》下艮為光明。蓋艮陽在上,故為火為光為明為觀,乃恍悟得艮為光明,凡《易林》之言光明者皆渙然永釋。此以《易》注《易林》也。易象失傳之難於摸索如此。
しかし《謙》卦彖伝に「天道下に済して光明なり」、《観》卦六四に「国の光を観る」と言い、この二卦は「大離」の象すら互い出せないのに、同じく光明を講ずる。私の心にここに始めて疑いが起き、ここにおいて《焦氏易林》の中に返り求めた。《易林》「訟之観」の条に「欽明の徳」と言う。之卦《観》は四陰が下・二陽が上に在り、全卦の大象はまさに一つの艮であり、艮をもって明としていることが見える。「訟之震」の条に「六位光明」と言う。之卦《震》の二から四爻まで互いに艮を出し、これも艮をもって「位」・「光明」とする。また「蒙之謙」の条に「光明盛昌」と言う。之卦《謙》の下体はまさに艮であり、依然として艮をもって光明とする。もとは艮は一陽が高く上に居り、二陰は其の下に伏し、陽爻は外に在るので、火・光・明・観となることができる。これに至り私ははじめて恍然大悟した:艮には「光明」の象がある。《易林》の中でおよそ光明を講ずる林辞は、これより皆涣然氷釈して永く疑滞なし。これは《周易》をもって《易林》に注するものである。易象が失伝した後、摸索するのがこのほど難しいとは。
震の瓮・震の缶
《易林》《未濟》之《恆》云「甕破缶缺」。《恆》上震,為甕為缶;互兌,為破缺,自得此象。《井》九二之甕,乃知其確指伏震;《坎》六四之缶,乃知其指互震。舊解以離為甕,離無口,為大腹則可,為甕似非。至缶象,舊解皆以坤為缶,豈知《比》初六可以坤為缶,《坎》六四則以互震為缶,與樽、簋皆象震形,為最切也。
《焦氏易林》「未済之恒」の条に「瓮破れ缶缺く」と言う。その之卦《恒》は巽下震上であり、上体の震はすなわち瓮・缶であり、三から五爻まで互いに兌を出し、兌は毁折を主るので、すなわち「破」・「缺」である。林辞の象は全てここから得る。この一条があって、《井》卦九二「瓮敝漏」の瓮は、確かに伏震を指すと知られ(《井》の下体は巽、巽の陰陽が全て変ずれば即ち震となる)、《坎》卦六四「樽酒簋貳、缶を用う」の缶は、互震を指すと知られた(《坎》は二から四爻まで互いに震を成す)。旧注は離をもって瓮とし、離は中虚なので、大腹と言うならまだよいが、瓮と言うのはおそらく誤り。缶象に至っては、旧注は一概に坤をもって缶とする。あに知らん、《比》卦初六「孚有りて缶に盈つ」は坤をもって缶とできても、《坎》卦六四は互震をもって缶としなければならないことを。震は一陽が下・二陰が上に在り、樽・簋と同じく皆器皿の形に象るので、これを用いて取象するのが最も親切である。
焦氏易詁 巻十一
行唐尚秉和節之撰。
本巻は直隷行唐(現在の河北省行唐県)の人・尚秉和(字は節之)の撰述である。
焦氏の象数
象者,易辭之所本;數者,易道所由成也。故自春秋以迄東漢,靡不重之。自王弼解縛去滯,避難就易,掃象不言,專演空理,是終日期菽粟豆麥之佳善,而不知其生於地也。象且不言,何有於數?
「象」とは《周易》の卦爻辞が拠る所の根本であり、「数」とは《周易》の道が依って成立する憑藉である。ゆえに春秋から東漢に至るまで、《易》を説く者で象数を重んじない者はいなかった。王弼が束縛を解き滞碍を掃除しようとしてから、難所を避けて易きに就き、卦象を一概に掃き去って言わず、専ら空洞の義理を推演した。これは終日、菽・粟・豆・麦がいかに良いかを称説しながら、それらがもとより土地から生えたことを知らないようなものである。象すら言おうとしないのに、数にあって何があろうか。
凡數有十,而實盡於五,參天兩地也。五合一為六,合二為七,合三作八,合四為九,合五為十。十不能變,仍與一同,故易祗用六、七、八、九,以六、七、八、九包一、二、三、四、五於其中也。此《大玄》所由以第一首當水,第二首當火,第三首當木,四首當金,五首當土;至六、七、八、九,復為水火木金也。可見一、二、三、四與六、七、八、九同,祗以五為樞紐耳。故卽此六、七、八、九之數,參伍之,錯綜之,而策數之變化以見,而易道之根本以成。茲卽《易林》所用者分晰言之:一曰卦數,二曰爻數,三曰五行數,四曰十日數,五曰九宮數,六曰策數,七曰十二辰數。
数目は一共に十あるだけで、実は五に至って窮まる。これは《説卦伝》の言う「天を参じ地を両とす」の理である。五に一を加えて六、二を加えて七、三を加えて八、四を加えて九、五を加えて十。十はもはや変ずることができず、再び一と同じに帰る。ゆえに《周易》は六・七・八・九の四つの数のみを用いる。六・七・八・九の中に既に一・二・三・四・五を包含しているからである。揚雄《太玄》が第一首に水を配し、第二首に火、第三首に木、第四首に金、第五首に土を配し、第六・七・八・九首に至ってまた水・火・木・金に輪回するのは、まさにこの故である。一・二・三・四と六・七・八・九はもとより一事であり、ただ五をもって転換の枢紐とするだけであることが見える。ゆえにこの六・七・八・九の数を取り、或いは三或いは五に参合し、或いは錯或いは綜に推排すれば、蓍策の数の種々の変化が顕現し、《易》道の根本もここから建立する。以下に《焦氏易林》が用いた数を分かち講ずる:第一は卦数、第二は爻数、第三は五行数、第四は十日数、第五は九宮数、第六は策数、第七は十二辰数。
一に曰く卦数
先天八卦圖(略)。朱漢上以九宮為卦數者,非也。卦數者,八卦之次第,故數祗有八,不及九,然相對者皆九也,亦猶十日數卽以其次為數也。《周易》定位首乾,乾始坤終,乾作坤成。《繫傳》曰:「易有太極,是生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦。」八卦之次皆出於自然:乾一、兌二、離三、震四、巽五、坎六、艮七、坤八。凡《易林》所用之數,卦數幾居其半,乃至東漢卽失傳。及邵子揭出此數,後人拘於河洛之數,謂與法象不合。豈知爻尚有數,卦之次又何不可為數哉?其詳已見卷一。
ここにもと先天八卦図があるが、この本では略す。朱震(人は漢上先生と称す)は九宮の数をもって卦数としたが、誤りである。卦数とは八卦の排列の次第を指すので、数は八しかなく、九には及ばない。ただ両々相対する卦は、数字を加えれば皆九に等しい。これは十日の数がその序次によって数を定めるのと同じである。《周易》は方位を定めるに乾を首とし、乾から始まり坤で終わり、乾は創始を主り坤は成物を主る。《繋辞伝》に「易に太極あり、太極は両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず」と言う。八卦の次第は全く自然に出る:乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八。《焦氏易林》の用いた各種の数のうち、卦数はほとんど半分を占めるが、東漢に至り失伝した。後に邵雍がこの数を掲げ出すと、後人は河図洛書の数に拘泥し、法象と合わないと言った。あに知らん、爻ですらなお数があり、卦の次序がなぜ数とできないことがあろうか。詳細は既に本書巻一に見える。
二に曰く爻数
爻數圖(略)。右圖爻數,自初數之。或以一爻為一歲一年,《同人》九三「三歲不興」,《既濟》九三「三年克之」;或以一爻為一月,《臨》「至于八月有凶」;或以一爻為一日,《復》「七日來復」;或以一爻為一人,《損》六三「三人行則得其友」。皆爻數也。
ここにもと爻数図があるが、この本では略す。上図に列する爻数は、初爻から上に数える。或いは一爻をもって一歳・一年とし、例えば《同人》九三「三歳興らず」、《既済》九三「三年之に克つ」。或いは一爻をもって一月とし、例えば《臨》卦卦辞「八月に至りて凶有り」。或いは一爻をもって一日とし、例えば《復》卦卦辞「七日来復す」。或いは一爻をもって一人とし、例えば《損》卦六三「三人行けば則ち一人を損し、一人行けば則ち其の友を得」。これらは皆爻数である。
若《易林》所用,如《乾》之《晉》云「三痴俱走」,坤為痴,三則用爻數,故曰三痴。《恆》之《節》云「一華千葉」,《節》震一,兌為華,故曰一華,用爻數也。又《恆》之《小過》云「一息十子」,一仍震之爻數也。又《易林》或以巽為七,疑與《復》七日同例:自《姤》而《復》七日,自《復》而《姤》亦七日,所謂反覆也;《姤》則下巽,亦爻數也。
《焦氏易林》の用いた爻数に至っては、例えば「干之晋」の条に「三痴俱に走る」と言う。之卦《晋》の下体は坤、坤は痴愚であり、坤は下の三爻を占めるので「三」は即ち爻数を取り、ゆえに「三痴」と言う。「恒之節」の条に「一華千葉」と言う。之卦《節》は二から四爻まで互いに震を出し、震の一陽は最下に居り、爻数は一。《節》の下体は兌、兌は花なので「一華」と言う。これも爻数を用いる。また「恒之小過」の条に「一息十子」と言い、あの「一」は依然として震の爻数である(《小過》の上体は震)。また《易林》は或いは巽をもって七とする。おそらく《復》卦「七日来復す」と同例であろう。《姤》から一陰始まり生じるところから数えて、姤・遯・否・観・剥・坤を経て《復》に一陽来復するまで、ちょうど七位。逆に《復》から《姤》まで数えても七位。これがいわゆる「反復」である。《姤》の下体はまさに巽なので、巽は七の数を得る。これも爻数に属する。
三に曰く五行数
五行數圖(略)。上圖,朱漢上謂之洛書數,朱子則謂為河圖數。郭璞《洞林》云「坎數六,木數三」,是也。《易林》《晉》之《節》云「四壁無戶,三步一止」,《節》震木數三,坎水數一,皆用五行數也。又按:《易》《震》六二曰「九陵」,虞仲翔以初九當之,《易》無如此用數者;而《易林》遇震亦往往本《易》言九。震納庚,疑用金數也。
ここにもと五行数図があるが、この本では略す。上の図は、朱震はこれを洛書数と称し、朱熹はこれを河図数と称した。郭璞《洞林》に「坎数六、木数三」と言うのは、まさにこの図と相合する。《焦氏易林》「晋之節」の条に「四壁戸無し、三步一止」と言う。之卦《節》の中に互いに震を出し、震は木に属し木数は三なので「三步」と言い、《節》の上体は坎、坎は水に属し水数は一なので「一止」と言う。これらは皆五行の数を用いる。又按ずるに:《周易・震》卦六二に「九陵に躋く」と言い、虞翻は初九の一爻をもってあの「九」を解釈したが、《周易》にはこのように数を用いる例はない。しかし《易林》は震卦に遇えば、往々《周易》に依って「九」と言う。震は納甲において庚を納れ、庚は金に属し、金の成数は九である。この「九」はおそらく五行の金数を用いたのであろう。
四に曰く十日数
十日數圖(略)。上卽納甲數:乾納甲壬,配一九;坤納乙癸,配二十;震納庚,配七;巽納辛,配八;坎納戊,配五;離納己丁六;艮納丙,配三;兌納丁,配四。《易林》《解》之《謙》云「三火起明」,《謙》下艮納丙,數三,用日數也。又《易林》及虞翻等往往以兌為十,則以後天兌位當癸十之終,仍用日數,而非納甲也,祗兌如此用,他卦則未見。
ここにもと十日数図があるが、この本では略す。上図はすなわち納甲の数:乾は甲と壬を納れ、一と九に配す。坤は乙と癸を納れ、二と十に配す。震は庚を納れ、七に配す。巽は辛を納れ、八に配す。坎は戊を納れ、五に配す。離は己を納れ、六に配す。艮は丙を納れ、三に配す。兌は丁を納れ、四に配す(十干の順序は甲一・乙二・丙三・丁四・戊五・己六・庚七・辛八・壬九・癸十)。《焦氏易林》「解之謙」の条に「三火起き明らか」と言う。之卦《謙》の下体は艮、艮は丙を納れ、丙は十干の第三に居るので「三火」と言う。これは十日の数を用いる。また《易林》及び虞翻等は往々兌をもって十とする。それは後天八卦において兌は西方に居り、まさに癸水が十干の末に居る位に当たるので、依然として十日数を用いるのであり、納甲ではない(兌が丁を納るのはもとより四であるべき)。兌のみこのように用い、他の卦では見ない。
五に曰く九宮数
九宮數圖(略)。上圖,劉牧、朱震等謂之河圖,朱子謂之洛書,於古皆無確徵,故其名無定。考《大戴禮·明堂篇》曰「明堂凡九室」,「二九四七五三六一八」,與茲數正同。九室者,九宮也。是以《乾鑿度》、張衡、鄭康成等皆謂為九宮,故名曰九宮數。
ここにもと九宮数図があるが、この本では略す。上の図は、劉牧・朱震等はこれを河図と呼び、朱熹はこれを洛書と呼んだが、古書にいずれも確かな徴証を見出せないので、名称は終始定まらない。《大戴礼記・明堂篇》に「明堂はおよそ九室」と言い、また「二九四七五三六一八」の次序を列するのを考えると、この図の数と全く同じである。いわゆる九室とはすなわち九宮である。ゆえに《易緯・乾鑿度》及び張衡・鄭玄(字は康成)等は皆これを九宮と称した。ゆえにここで名づけて九宮数とする。
惟九宮之數皆以後天八卦配之。《易林》《蠱》之《師》云「二人共路」,後天坤位值二,《師》上坤,互震,震人,故曰二人。又《大壯》之《否》云「三痴六狂」,《否》下坤為痴,三用爻數;乾位值六,故曰六狂。二與六皆用九宮數也。其見於別書者,朱漢上云:郭璞謂巽別數四,兌數七。又曰:坎為一年,《易鑑》所謂震三、艮八也。惟朱漢上謂此為卦數,殊非。卦數須從定位起,此入用位,故以配九宮。
九宮の数は皆後天八卦をもってこれに配する(後天の方位:坎一・坤二・震三・巽四・中五・乾六・兌七・艮八・離九)。《焦氏易林》「蠱之師」の条に「二人、路を共にす」と言う。之卦《師》の上体は坤、後天の坤位は九宮の二に当たる。《師》は二から四爻までまた互いに震を出し、震は人である。合わせてゆえに「二人」と言う。また「大壮之否」の条に「三痴六狂」と言う。之卦《否》の下体は坤、坤は痴愚であり、「三」は爻数を取る(坤は下の三爻を拠る)。乾は九宮において六に当たるので「六狂」と言う。ここの二と六は、用いたのは皆九宮数である。他の書に見えるものでは、朱震は言う:郭璞は別に巽の数を四・兌の数を七とし、また坎は一年と言い、《易鑑》のいわゆる震三・艮八である。ただ朱震はこれらを卦数としたのは甚だ妥当でない。卦数は必ず先天定位から算し起こさなければならないが、この一組は入用の位なので、九宮に配するしかない。
六に曰く大衍数
大衍數,卽策數。《漢上易》云:「四因九,得三十六」,「四因六,得二十四」。太極不用,所用者四象,故以四因九六。九者陽數,六者陰數也。陽用極數,故九;陰用中數,故六。九而四之,得三十六,為乾一爻之策;六而四之,得二十四,為坤一爻之策。
大衍の数とは、すなわち蓍策の数である。朱震《漢上易伝》に「四は九を因して、三十六を得」、「四は六を因して、二十四を得」と言う。これは太極自体は揲算に参与しないので、用いるのはただ四象であり、ゆえに四をもって九と六を因す。九は陽数、六は陰数である。陽は極数を取るので九を用い、陰は中数を取るので六を用いる。九を四すると三十六を得、これを乾卦一爻の蓍策の数とする。六を四すると二十四を得、これを坤卦一爻の蓍策の数とする。
「六因三十六,得二百一十有六。」六者,一卦有六爻。乾一爻之策三十有六,以三十六而六之,則二百一十有六,為乾一卦之策。「六因二十四,得百四十有四。」六者,一卦有六爻。坤一爻之策二十有四,以二十四而六之,則百四十有四,為坤一卦之策也。
朱震はまた言う:「六は三十六を因して、二百一十六を得」。ここの「六」は一卦に六爻あるためである。乾卦の毎一爻の策数は三十六であり、三十六をもって六爻を乗すれば、便ち二百一十六を得る。これがすなわち乾一卦の策数であり、まさに《繋辞伝》の言う「乾の策二百一十有六」である。また言う:「六は二十四を因して、百四十四を得」。ここの「六」も同じく一卦に六爻あるためである。坤卦の毎一爻の策数は二十四であり、二十四をもって六爻を乗すれば、便ち百四十四を得る。これがすなわち坤一卦の策数であり、まさに《繋辞伝》の言う「坤の策百四十有四」である。
「乾坤之策凡三百有六十。」二百一十有六合百四十有四,則三百六十也。按九六策數六因之,共得三百六十,當期之日;若二十八、三十二,七八之數,各以六因之,亦共得三百六十,當期之日也。「三十二因二百一十有六,得六千九百一十二。」陽卦有三十二卦,以二百一十有六而三十二之,則六千九百一十二,為三十二陽卦之策數也。「三十二因百四十有四,得四千六百八。」陰卦有三十二卦,以百四十有四而三十二之,則四千六百八,三十二陰卦之策數也。
《繋辞伝》に言う:「乾坤両卦の策数は共に三百六十」。二百一十六に百四十四を加えれば、まさに三百六十。按ずるに:九と六のこの二つの策数は各々六爻を乗し、合わせて三百六十を得、ちょうど一年の日数に相当する。もし七・八の両数に改め用いれば(七を四すると二十八策、八を四すると三十二策)、一爻二十八策・一爻三十二策、各々六爻を乗じて百六十八と百九十二を得、合わせて同じく三百六十、やはりちょうど一年の日数に相当する。朱震はまた言う:「三十二は二百一十六を因して、六千九百十二を得」。六十四卦の中に陽卦は三十二卦あり、二百一十六をもって三十二を乗じれば、便ち六千九百十二を得る。これがすなわち三十二個の陽卦の策数である。「三十二は百四十四を因して、四千六百八を得」。陰卦も同じく三十二卦あり、百四十四をもって三十二を乗じれば、便ち四千六百八を得る。これがすなわち三十二個の陰卦の策数である。
「二篇之策,萬有一千五百二十。」三十二陽卦之策六千九百一十二,三十二陰卦之策四千六百八,合而為萬有一千五百二十,所謂二篇之策也。按全易三百八十四爻,陰陽爻各一百九十二,以九六策數因之,仍合為萬有一千五百二十。
「上下二篇の策数は、万有一千五百二十」。三十二個の陽卦の策数六千九百十二に、三十二個の陰卦の策数四千六百八を加え、合わせてまさに一万一千五百二十。これがすなわち《繋辞伝》の言う「二篇の策」である。按ずるに:《周易》全部は共に三百八十四爻、陰爻・陽爻各々百九十二。九・六の策数を用いて分けて乗じれば(陽爻は毎爻三十六策、陰爻は毎爻二十四策)、得る所は依然として合わせて一万一千五百二十。
右大衍數,邵康節傳其子伯溫。按此必傳其用,若數則人共知。按《易林》《萃》之《夬》云「千歡萬悅」,用乾策也;《噬嗑》之《損》云「遠望千里」,用坤策也;《萃》之《大畜》云「大樹百根」,用震策也。惟祗遇乾坤震三卦言之,他卦則不見也。
以上は大衍の数である。邵雍(諡は康節)はこれを息子の邵伯温に伝えた。按ずるに:彼の伝えたのは必ずこの数の用法であり、数目自体に至っては人々が皆と知っている。また按ずるに《焦氏易林》「萃之夬」の条に「千歓万悦」と言うのは、乾の策数を用い、「噬嗑之損」の条に「千里を遠望す」と言うのは、坤の策数を用い、「萃之大畜」の条に「大樹百根」と言うのは、震の策数を用いた。おおよそ陽卦の策は千をもって計し、二篇の策は万をもって計するので、林辞は「千」を挙げ「万」を挙げる。震一卦の策は百餘に過ぎないので「百」を挙げる。ただ《易林》は乾・坤・震の三卦に遇う時のみこのように用い、他の卦では見られない。
七に曰く十二辰数
十二辰數圖(略)。朱震云:十二辰卽月數,月數卽消息數,或用之為日數,則京房之積算也。《易林》《大壯》之《離》云「丑寅不徙,辰巳有咎」,則以坎互艮震,先後天皆居丑寅;離互兌巽,先後天皆居辰巳。又《革》之《賁》云「亥午相錯」,則以艮居亥,丑居午,皆論十二辰也。
ここにもと十二辰数図があるが、この本では略す。朱震は言う:十二辰とはすなわち月数、月数とはすなわち消息卦の数である。或いはこれを日数として用いれば、それはすなわち京房の積算法である。《焦氏易林》「大壮之離」の条に「丑寅は徙らず、辰巳は咎有り」と言う。之卦は《離》であり、《離》の伏卦(陰陽が全て変ずる)は《坎》であり、《坎》は二から四爻まで互震・三から五爻まで互艮であり、震は先天において東北に居り、艮は後天において東北に居り、先天後天ともに丑寅の位を占めるので「丑寅」と言う。《離》自体は二から四爻まで互巽・三から五爻まで互兌であり、兌は先天において東南に居り、巽は後天において東南に居り、先天後天ともに辰巳の位を占めるので「辰巳」と言う。また「革之賁」の条に「亥午相錯す」と言う。之卦《賁》の上体は艮、艮は先天において西北に居り、まさに亥位に当たる。下体は離、後天において正南に居り、まさに午位に当たる。これらは皆十二辰に就いて立論するものである。
焦氏易林は象学の大成を集む
由《左氏》證之,象至東漢卽失傳;西漢失傳與否,無從證明。然由《易林》考之,凡《左氏》所謂者,《易林》皆有也;其它各逸象所有者,《易林》無不有。若各逸象所無、為《易林》所獨有者,則象之失傳者也。其實此象皆在易辭中,易象失傳,後人遂瞠目莫覩矣,如坤魚、兌月,其著者也。故《易林》實集象學之大成。由斯推西漢時,象似未失傳也。茲分別述之於下。
《左伝》をもって検証すれば、易象は東漢に至り既に失伝したことが分かる。西漢に失伝したか否かは、証明するに由なし。しかし《焦氏易林》をもって考察すれば、およそ《左伝》の中で用いた象は《易林》に全てあり、その他各家の輯した逸象の有する所も、《易林》に具わらないものはない。各家の逸象に無く《易林》に独り有するものに至っては、それこそが失伝した象である。実はこれらの象はもとより《周易》の卦爻辞の中に在ったのであり、ただ易象が失伝したために、後人は目を瞠っても見出せなくなった。坤を魚・兌を月とするようなのが、その最も顕著な例である。ゆえに《易林》は実に象学の大成を集めた作である。これにより推せば、西漢の時には易象はまだ失伝していなかったようである。今、門類を分けて叙述する。
甲・六十四卦に用いられた象
凡卦爻辭皆從象生,其見於《說卦》及各家逸象者,人能解;其不見者,則不能解,如干日、兌月、坤魚、乾南、坤北、離東、坎西等是也。而《易林》則無不知之。
およそ卦辞・爻辞は皆卦象から生ずる。その中で《説卦伝》及び各家の輯した逸象に見えるものは、人々はなお解釈できる。これらの書に見えないものは、解き開く人がいない。例えば乾は日・兌は月・坤は魚・乾は南に居り坤は北に居り離は東に居り坎は西に居るという類は、皆このようである。しかし《焦氏易林》はこれらの象に対し知らないものはない。
乙・説卦の百五十象
乾健坤順,言八卦性情者八象;乾馬坤牛,遠取諸物者八象;乾首坤腹,近取諸身者八象,共二十四象。及下所廣之百十有四家,後天八卦象、中男少男二象,共百五十象,《易林》無不用也。
《説卦伝》の中で「乾健・坤順」の類の八卦の性情を講ずるものは八象あり、「乾は馬・坤は牛」の類の遠く物に取るものは八象あり、「乾は首・坤は腹」の類の近く身に取るものは八象あり、合計二十四象。さらに後文の推し広めた一百十四象、および後天八卦の方位の象・中男少男の二象を加え、全部で一百五十象。これらの象は《焦氏易林》で用いないものは一つもない。
丙・荀九家の逸象
共三十有一象。此本非逸象,徒以傳流之本字多寡不同,後儒慎之,命為逸象。此亦唯《易林》知之,若東漢人則不盡知。
荀爽等九家の伝えた逸象は、一共に三十一個。これらはもとより「逸象」と算えるものではなく、ただ伝流して来た本の文字の多少が同じでないため、後の学者は敢えて決断せず、彼らに「逸象」の名を安じた。この一批の象もまた《焦氏易林》のみが全て知っており、東漢人ならば必ずしも皆は知らない。
丁・左伝に用いられた象
其普通皆知之象不録。除十翼外,詁易者莫先於《左傳》。其說易,無一字不從象生。惟其所用之象,為《說卦》及各逸象所有者,杜注孔疏能解;無者遂不能解。杜孔之時,賈逵服虔之注皆在,可見賈服卽不知,象至東漢而失傳,此最明確矣。茲將《左傳》失傳之象,分述如左。
その中の人々が皆分かる普通の象は再び収録しない。《十翼》以外で、《周易》を解説するのに最も早いのは《左伝》に過ぎない。《左伝》の《易》を講ずるに、一文字とて卦象から生じないものはない。ただその用いた象は、およそ《説卦伝》及び各家の逸象の中に有るものは、杜預の注・孔穎達の疏はなお解釈できる。無いものは遂に解釈できない。杜預・孔穎達の時、賈逵・服虔の旧注は皆なお在った。連中の賈逵・服虔すら既に分からなかったことが見える。易象は東漢に至り即ち失伝した。この一点は最も明確である。今、《左伝》の中のあの失伝した象を、分けて叙述する。
一、閔元年,畢萬筮仕於晉,遇《屯》之《比》,震變坤也,而曰「車從馬」,以震為車。又《晉語》:「震,車也。車有震武。」是以震為武。而漢魏人解《易》《履》《巽》之武人,無以震為武者。若《易林》則遇震卽言武。又震殺之象,孔疏能解,漢人解《易》亦無用者,而《易林》每用之。
第一条:《左伝》閔公元年、畢万は晋国に仕官を求めて占筮し、《屯》之《比》を得、即ち《屯》卦下体の震が坤に変じた。占辞に「車、馬に従う」と言うのは、まさに震をもって車とする。また《国語・晋語》に「震は車である。車には震の威武あり」と言う。これは震をもって武とする。しかし漢魏の人が《周易》《履》卦六三・《巽》卦初六の両所の「武人」を解するに、震をもって武とする者は一人もいない。《焦氏易林》は震に遇えば即ち武と言う。また震は殺伐を主る象は、孔穎達の疏はなお講じ出せるが、漢人の《易》を解する者には用いた者がなく、《易林》は則ち常に用いる。
二、閔二年筮季友生,遇《大有》之《乾》,卽離變乾,而曰「同復於父,敬如君所」,言離所在南與乾南同也,而杜注不能解。若《易林》則每以乾為南。三、莊二十二年筮敬仲生,遇《觀》之《否》,曰「若在異國,必姜姓也」,因遇卦之卦皆有巽,巽為齊,姜者齊姓,故巽為姜,而漢魏人皆不知此象。若《易林》遇巽卽言姜,初讀之不知其所指,後乃知其本於《左氏》。
第二条:閔公二年、季友の出生のために占筮し、《大有》之《乾》を得、即ち《大有》下体の離が乾に変じた。占辞に「父に同じく復り、君の所のごとく敬す」と言うのは、離の居る方位が南であって、乾の居る南方と同じであると言う(先天は乾は南に居り、後天は離は南に居る)。杜預の注は解釈できない。《焦氏易林》は則ち常に乾をもって南とする。第三条:荘公二十二年、陳敬仲の出生のために占筮し、《観》之《否》を得、占辞に「もし異国に在らば、必ず姜姓ならん」と言う。これは本卦《観》の上体は巽であり、之卦《否》は三から五爻までまた互いに巽を出し、本卦・之卦ともに巽があるためである。巽は斉国、姜はまさに斉国の国姓なので、巽は姜となる。漢魏の人は皆この象を知らない。《焦氏易林》は巽に遇えば即ち姜と言う。私は初め読んだ時それが何を指すか分からず、後になってはじめてそれが《左伝》に本づくことを知った。
四、僖十五年晉筮嫁伯姬於秦,遇《歸妹》之《睽》,卽震變離,曰「為嬴敗姬,車說其輹,火焚其旗」。姬、輹、旗皆震象,震形毀,故曰敗、曰脫、曰焚,詳見卷七。乃杜注不知,解之皆誤。若《易林》則以震為姬為旗,皆與《左氏》合。又曰「敗於宗丘」,震為主,故為宗;為反艮,故曰丘;震形毀,幫敗。兼用覆象,尤與《周易》《易林》合,而杜注不解。
第四条:僖公十五年、晋国は伯姫が秦国に嫁ぐのために占筮し、《帰妹》之《睽》を得、即ち《帰妹》下体の震が離に変じた。占辞に「嬴のために姫を敗り、車は其の輹を説(脱)げ、火は其の旗を焚く」と言う。ここの「姫」「輹」「旗」は皆震象である。震は一変すれば形体は便ち毀壊するので「敗」と言い「脱」と言い「焚」と言う。詳細は本書巻七に見る。杜預の注はこの一層を知らず、解釈は全て誤った。《焦氏易林》は則ち震をもって姫・旗とし、処処《左伝》と相合する。占辞はまた「宗丘に敗る」と言う。震は主なので宗となり、震は倒して見れば艮となるので丘と言い、震の形体が毀壊するので敗と言う。ここでは覆象まで兼ねて用い、《周易》と《易林》に殊に吻合するが、杜預の注は解釈できない。
五、襄二十五年筮娶棠姜,遇《困》之《大過》,卽坎變巽,曰「夫從風,風隕,不可娶也」,巽為隕。東漢人不知,故虞仲翔《鼎》初六「鼎顛趾」,不知其故在巽,而以《大過》顛為說。又秦筮伐晉,遇《蠱》,曰「歲云秋矣,我落其實」,以艮為果實,巽為落也,而杜注不詳。若《易林》,則遇巽言隕落者,不可勝數也。至坎夫象,亦失傳。
第五条:襄公二十五年、崔杼は棠姜を娶るために占筮し、《困》之《大過》を得、即ち《困》卦下体の坎が巽に変じた。占辞に「夫、風に従い、風陨る、娶るべからず」と言う。これは巽をもって陨落とする。東漢の人はこの象を知らないので、虞翻が《鼎》卦初六「鼎、趾を顛す」を解するに、「顛」の故がまさに巽に在ることを知らず(《鼎》の下体は便ち巽)、かえって《大過》の「顛」をもって附会した。また秦国は晋国を討伐するために占筮し、《蠱》卦を得、占辞に「歳は云々秋なり、我は其の実を落す」と言う。《蠱》の上体の艮は果実、下体の巽は陨落であるが、杜預の注ははっきり講じない。《焦氏易林》は則ち巽に遇えば陨を言い落を言い、数え切れないほど多い。坎が「夫」となる象に至っても、同じく失伝した。
六、昭五年筮穆子生,遇《明夷》之《謙》,卽離變艮,曰「日之謙當鳥」,艮為鳥,故曰當鳥。乃杜注不知艮鳥象,以離鳥當之,是離當離矣,於之《謙》何涉?是不通也。若《易林》,則以艮為鳥,故讀「黔喙」為「黔啄」。又曰「於人為言,敗言為讒」。「於人為言」者,謂三至五互震也,震為人為言;乃震覆為艮,則言敗矣;《謙》正覆雨震言相背,則讒言矣,全用覆也。乃杜注不知。若《易林》,則遇《謙》卽曰讒也。
第六条:昭公五年、叔孫穆子の出生のために占筮し、《明夷》之《謙》を得、即ち《明夷》下体の離が艮に変じた。占辞に「日の謙は、鳥に当たる」と言う。艮は鳥なので「当鳥」と言う。杜預の注は艮に鳥象あることを知らず、離の鳥をもって解釈した。されば離が離に当たることになり、変じ出た《謙》卦と何の相干があろうか。根本的に講じ通らない。《焦氏易林》は則ち艮をもって鳥とするので、《説卦伝》「艮は黔喙の属を為す」の「黔喙」を「黔啄」(黒い嘴の飛鳥)と読む。占辞はまた「人に於いて言を為し、言を敗るは讒を為す」と言う。いわゆる「人に於いて言を為す」とは、《謙》卦の三から五爻まで互いに震を出し、震は人・また言を指す。しかし震は一倒して見れば艮となるので「言」も敗壊する。《謙》卦は正しく見れば震、倒して見てもやはり震で、二つの「言」は互いに背き、讒言となる。この一段は全篇が皆覆象を用いる。杜預の注は分からないが、《焦氏易林》は則ち《謙》卦に遇えば即ち讒と言う。
七、成十六年晉筮與楚戰,遇《復》,曰「南國蹙,射其元王,中厥目」。《復》下震為南,坤為國,故曰南國;震為射,故射其元。震南震射之象,解易者皆不知。又乾為元、首也,為王,乾位南,故自北射中元王,而杜注不知。若《易林》則均知之。
第七条:成公十六年、晋国は楚国と交戦するために占筮し、《復》卦を得、占辞に「南国蹙まり、其の元王を射、厥の目に中る」と言う。《復》卦の下体は震、震は南方。上体は坤、坤は国なので「南国」と言う。震はまた射なので「其の元を射」と言う。震は南・震は射のこの二つの象は、《易》を解する者は皆知らない。さらに乾は「元」(元とはすなわち首)・また「王」であり、乾の方位は南に在るので、北面から南方の元王を射中したのである。杜預の注はこれらを知らないが、《焦氏易林》は全て知っている。
戊・孟氏の逸象
孟氏逸象,傳者多寡不同,一三百餘象,一四百餘象。杬氏云:以兩漢經師各守師說,故多寡不同。惟先儒謂此象傳自焦氏,今以《易林》考之,焦氏所用極要之象,此皆無之,傳自焦氏似不然也。又此象採自本經,頗有誤者,推其解皆虞義。如焦以艮為虎,與九家合,此以坤為虎;焦以震為鶴,此以離為鶴;焦以震為孕,此以離為孕,顯皆虞氏詁經之誤解。故吾疑此象純為虞仲翔所輯,否則後儒採自虞注中,而未必為孟氏也。焦氏易傳自孟氏,如此象為孟氏所輯,豈有《左傳》之象焦氏皆知,孟氏反不知哉?此其證也。茲從其多者録之,至其義有可疑,或與《易林》異者,則隨文注出,以資參考。
孟喜の伝えた逸象は、各々伝えた多少が同じでない。或る本は三百餘象、或る本は四百餘象。杬氏は言う:これは両漢の経師が各々自家の師説を守った故で、ゆえに多少が同じでない。先輩の学者はこの批の象は焦延壽から伝わったと認めた。今《焦氏易林》をもって考察すれば、焦氏の最も要緊に用いたあの象はここには一つもなく、焦氏から伝わったと言うのはおそらく誤り。またこの批の象は《周易》本経の中から採り出したものだが、かなり採り誤った所があり、その解釈を推究すれば、用いたのは皆虞翻の説法である。譬えば焦延壽は艮をもって虎とし、荀爽九家の説と相合するのに、ここでは坤をもって虎とする。焦氏は震をもって鶴とするのに、ここでは離をもって鶴とする。焦氏は震をもって孕とするのに、ここでは離をもって孕とする。明らかに皆虞翻が経を詁する時の誤解である。ゆえに私はこの批の象は純粋に虞翻が輯録したものと疑う。さもなければ後の学者が虞翻の注の中から採り出したもので、必ずしも真に孟喜に出たものではない。焦延壽の《易》学は孟喜から伝わった。もしこの批の象が果たして孟喜の輯したものならば、《左伝》の中の象を焦氏は全て知り、孟喜はかえって知らないという理があろうか。これが証拠である。今、象数の多い本に依って照らして録し、其中で義が可疑なもの、或いは《易林》と異なるものは、文に随って注し出して参考に資する。
乾為王、先王、明君、人、大人、聖人、賢人、君子、武人、行人、物、易、立、直(九家)、敬、畏、威、嚴、剛堅、道、德、盛德、行、性(卽乾元)、精、言(九家)、信、揚善、善、積善、良、仁、愛、忿、生、祥、慶、天休、嘉、福、介福、祿、先、始、知、大、盈、蔑、肥(此與上武人皆虞氏誤象)、好施、利、清、治、大謀、高、揚、宗、族、高宗、甲、老、舊、古、大明(乾,日也,兼月言者非)、遠、郊、野、門、道門、百歲、頂、朱、衣(九家)、圭、蓍、瓜、龍(九家)。
今、象数の多い本に依って照らし録し、まず乾卦を列する。乾の逸象は計有り:王、先王、明君、人、大人、聖人、賢人、君子、武人、行人、物、易、立、直(この象は荀爽九家もまた有る)、敬、畏、威、厳、剛堅、道、徳、盛徳、行、性(すなわち《乾》卦の「元」)、精、言(九家もまた有る)、信、揚善、善、積善、良、仁、愛、忿、生、祥、慶、天休(上天の降す美善)、嘉、福、介福(大福)、禄、先、始、知、大、盈、蔑、肥(「肥」と上の「武人」は、皆虞翻の取り誤った象)、好施、利、清、治、大謀、高、揚、宗、族、高宗、甲、老、旧、古、大明(乾はすなわち日であり、月をも牽連させて解説するのは誤り)、遠、郊、野、門、道門、百歳、頂、朱、衣(九家もまた有る)、圭(玉圭)、蓍(占筮に用いる蓍草)、瓜、竜(九家もまた有る)。
坤為臣、順臣、民、萬民、姓、小人、邑人(誤)、鬼、形、身、牝、母、躬、我、自、至、安、康、富、財、積、聚、萃、重、致、用、包、寡、徐、營、下、容、裕、虛、書、邇、近、疆、無疆、思、惡、理、體、禮、義、事、業、大業、庶政、俗、度、類(誤象)、閒、藏、密、默、恥、欲、過、丑、積惡、迷(九家)、弒、亂、怨、害、遏惡、終、永終、敝、死、喪、冥、晦、夕、莫夜、暑、乙、年、十年、戶、義門、闔戶、閉關、盍、土、階、積、土田、邑、國、邦、大邦、萬國、異邦、方(九家)、鬼方、裳(九家)、紱、車、器、缶、輹(誤象)、囊、虎(虞氏誤象)、兕、黃牛、牝牛。九家帛、漿象,此無。
次は坤卦。坤の逸象は計有り:臣、順臣、民、万民、姓、小人、邑人(この象の採録は誤り)、鬼、形、身、牝(雌性)、母、躬(自身)、我、自、至、安、康、富、財、積、聚、萃(聚集)、重、致、用、包、寡、徐(遅緩)、営、下、容、裕、虚、書、邇(近)、近、疆、无疆、思、悪、理、体、礼、義、事、業、大業、庶政(各種の政事)、俗、度、類(誤象)、閑(防閑)、蔵、密、黙、恥、欲、過、醜、積悪、迷(九家もまた有る)、弑、乱、怨、害、遏悪(悪行を遏止する)、終、永終、敝(破敝)、死、喪、冥、晦、夕、莫夜(即ち「暮夜」、日が落ちて天黑まる時を指す)、暑、乙、年、十年、戸、義門、闔戸(門を閉じる)、閉関、盍(合)、土、階、積、土田、邑、国、邦、大邦、万国、異邦、方(九家もまた有る)、鬼方、裳(九家もまた有る)、紱(印を繋ぐ絲帯)、車、器、缶、輹(車軸の下の伏兎、これは誤象)、嚢(口袋)、虎(これは虞翻の取り誤った象)、兕(牛に似た独角の猛獣)、黄牛、牝牛。荀九家には別に帛・漿の二象があるが、ここにはない。
震為帝、主、諸侯、人、士、兄、夫、元夫、趾、出、行、徵、作、遂、驚走、警衛、定、百、言、講議、問、語、告、響、聲、音、鳴、夜、交(疑)、徵、反、後、後世、從、守、左、生、嘗、緩、寬仁、樂、笑、喜笑、笑言、道、際、祭、鬯、禾稼、草莽、鼓(九家)、筐、馬、麋鹿。九家有玉、鵠,此無。巽為命、命令、號令、教令、誥、號、號咷、處女、婦、妻、商旅、隨、入、處、伏、列、齊、同、交、進、退、舞、谷、長木、苞、楊、果木、芽、白芽、蘭、草木、草莽、杞、葛藟、薪、庸(卽墉)、床、繩、帛、腰帶、繘、蛇、魚、鮒。九家有鸛象,此無。
再次は震卦と巽卦。震の逸象は計有り:帝、主、諸侯、人、士、兄、夫、元夫(大丈夫)、趾(足)、出、行、征、作、遂、驚走、警衛、定、百、言、講議、問、語、告、響、声、音、鳴、夜、交(この象は可疑)、征、反、後、後世、従、守、左、生、嘗、緩、寛仁、楽、笑、喜笑、笑言、道、際(交接の処)、祭、鬯(祭祀に用いる香酒)、禾稼、草莽、鼓(九家もまた有る)、筐、馬、麋鹿。荀九家には別に玉・鵠の二象があるが、ここにはない。巽の逸象は計有り:命、命令、号令、教令、誥、号、号咷(声を放って大哭する)、処女、婦、妻、商旅、随、入、処、伏、列、斉、同、交、進、退、舞、穀、長木(高木)、苞(叢生の草木)、楊、果木、芽、白芽、蘭、草木、草莽、杞(杞柳)、葛藟(藤蔓)、薪、庸(すなわち城墉)、牀、縄、帛、腰帯、繘(水を汲む繩索)、蛇、魚、鮒(小魚)。荀九家には別に鸛象があるが、ここにはない。
坎為聖(鄭玄《周禮》注:聖,通也。《洪範》「睿作聖」,睿,明也,水明而無不通,故為聖。張惠言謂得乾二,非)、雲、玄雲、川、大川(紀磊謂此象非)、河、心、志、思、慮、憂、謀、惕、疑、艱、蹇、恤、悔、逖(此以逖為憂,顯為虞義)、忘、勞、濡、涕、洟、眚、病、疾病、疑疾、災、破、罪、悖、欲、淫、寇盜、暴、毒、瀆(《說卦》)、孚、平、法、罰、獄、則、經、習、入、內、聚、脊、要、臀、膏、陰夜、歲、三歲、尸、酒、木、叢木、叢棘(九家)、棘匕、穿木、校、弧、弓彈、車、馬。九家有為宮、為律、為可、為棟、為狐、為桎梏,此無。
坎の逸象は計有り:聖(鄭玄《周礼》注に言う:聖とはすなわち通。《尚書・洪範》に「叡、聖を作す」と言い、叡とは明である。水は明澈にして通ぜざる所なし、ゆえに坎は聖となる。張恵言は坎が乾の第二爻を得たためと言うが、誤り)、云、玄云、川、大川(紀磊はこの象は確かでないと認める)、河、心、志、思、慮、憂、謀、惕、疑、艱、蹇、恤、悔、逖(これは「逖」を憂と講じたもので、明らかに虞翻の説に出る)、忘、労、濡(沾湿)、涕、洟(鼻涕)、眚(災眚)、病、疾病、疑疾、災、破、罪、悖、欲、淫、寇盗、暴、毒、瀆(《説卦伝》に見る)、孚、平、法、罰、獄、則、経、習、入、内、聚、脊、要(腰)、臀、膏、陰夜、歳、三歳、尸、酒、木、叢木、叢棘(九家もまた有る)、棘匕(酸棗木で作った匕匙)、穿木、校(枷械)、弧(木弓)、弓弾、車、馬。荀九家には別に為宮・為律・為可・為棟・為狐・為桎梏の六象があるが、ここにはない。
離為女子、為婦、孕(《易林》以震為孕,此似誤)、惡人、見、飛、爵、日、明、光、甲、黃、戎、折首、刀、斧(《易林》以兌為斧詁易,義長)、資斧、矢、飛矢、黃矢、綱、罟、甕(《易林》以震為甕)、鳥、飛鳥、鶴(此誤解《中孚》而取)、隼(此誤解《解》上六而取)、鴻(此誤解《漸》鴻而取)。九家有牝牛象,此無。虞翻注《離》彖,謂以離為牝牛為俗說,豈知《左氏》明曰純離為牛,《左氏》亦俗說乎?由此證虞翻未見《左傳》,又以證孟氏逸象純為虞氏逸象。
離の逸象は計有り:女子、婦、孕(《易林》は震をもって孕とするので、ここは誤ったようである)、悪人、見、飛、爵、日、明、光、甲、黄、戎、折首、刀、斧(《易林》は兌をもって斧として経を解くので、義理はより長い)、資斧、矢、飛矢、黄矢、綱、罟、瓮(《易林》は震をもって瓮とする)、鳥、飛鳥、鶴(これは《中孚》を誤解して取ったもの)、隼(これは《解》卦上六を誤解して取ったもの)、鴻(これは《漸》卦の鴻を誤解して取ったもの)。荀九家には別に牝牛の象があるが、ここにはない。虞翻が《離》卦彖辞に注して、離をもって牝牛とするのは俗説と言うが、あに知らん、《左伝》は明らかに純離(離下離上)は牛と講ずる。まさか《左伝》も俗説であろうか。これにより虞翻は《左伝》を見たことがないことを証明でき、またいわゆる孟氏逸象は実は純粋に虞氏一家の逸象であることをも証明できる。
艮為弟、小子、君子、賢人、童、童蒙、僮僕、官、友、閽、時、豐、星、沫、霆、果、慎、節、待、制、執、小、多、厚、取、舍、求、篤實、道、門庭、宗廟、社稷、鼻(九家)、肱、背、腓、皮、膚、小木、碩果、豹、狼、小狐、尾。九家有為虎、為狐二象,此無。虞氏以坤為虎,訖不知艮虎象,豈知《易林》及九家皆以艮為虎。後郭璞又以兌為虎,兌西方虎宿,又兌為剛魯、為毀折,義亦勝於坤。兌為妹、妙、妻、朋友(此虞氏不知朋友真詁誤取,與類同)、講習、小、少、刑人、密、通、見、右、下、少知、契。九家有為常、為輔頰二象,此無。
艮の逸象は計有り:弟、小子、君子、賢人、童、童蒙、僮僕、官、友、閽(門を守る人)、時、豊、星、沫、霆、果、慎、節、待、制、執、小、多、厚、取、捨、求、篤実、道、門庭、宗廟、社稷、鼻(九家もまた有る)、肱、背、腓、皮、膚、小木、碩果、豹、狼、小狐、尾。荀九家には別に為虎・為狐の二象があるが、ここにはない。虞翻は坤をもって虎とし、終始艮に虎象あることを知らなかった。あに知らん、《焦氏易林》と九家は皆艮をもって虎とすることを。後に郭璞はまた兌をもって虎とした。兌は西方の白虎星宿の位に当たり、しかも兌は剛魯(《説卦》は「剛鹵」と作る)・毀折なので、講じれば坤をもって虎とするより一層勝る。兌の逸象は計有り:妹、妙、妻、朋友(これは虞翻が「朋友」の真の訓解を知らずに誤取したもので、上文の坤の「類」象と同例)、講習、小、少、刑人、密、通、見、右、下、少知、契。荀九家には別に為常・為輔頬の二象があるが、ここにはない。
除《說卦》外,凡《左氏》所用之象、九家逸象,《易林》無不知之,無不用之。至孟氏逸象,則《易林》不與盡同。然較其義於經,則《易林》無滯義;而孟氏逸象,則用於此而合者,用於彼常不合,如以離為斧,《旅》斧可解,《巽》斧遂不合,於是虞翻命卦再三變,以就其象。夫一卦可變為六十四卦,尚何求而不得乎?經義之不明,此等曲說障之也。
《説卦伝》以外、およそ《左伝》の用いた象・荀爽九家の逸象は、《焦氏易林》に知らないもの・用いないものはない。孟喜逸象に至っては、《易林》とは全く同じではない。しかしそれらを経文の上に置いて比較すれば:《易林》の象は処処講じ通って毫も滞碍なし。孟氏逸象はここに用いて合い、そこに用いれば常に合わない。譬えば離をもって斧とすれば、《旅》卦九四「其の資斧を得」はなお講じ通るが、《巽》卦上九「其の資斧を喪う」(当該卦は上下とも巽で、離がない)に至っては合わない。ここにおいて虞翻はやむを得ず一卦を再三変化させ、彼の象に遷就させた。しかし一卦は六十四卦に変じ得るので、まだどんな象が求めて得られないことがあろうか。経義の晦く明らかでない所以は、まさにこの類の曲説に遮蔽されたのである。
焦氏易傳自孟氏,以西漢時之重師承,豈有焦氏故背其說而立異如此哉?故夫孟氏逸象,純為虞氏一家之說,可斷言也。乃先儒又有謂此逸象傳自焦氏者,今以《易林》考之,重要之象迥不相同,傳自焦氏之說,似尤無稽。茲將《易林》失傳之象,標出如左。
焦延壽の《易》学は孟喜から伝わった。西漢の時人の師承を重んじることのようであれば、焦氏が故に師説に背き、異を立ててこの地步に至る理があろうか。ゆえに孟氏逸象は純粋に虞翻一家の言であり、断言できる。しかし先輩の学者の中にまたこの批の逸象は焦氏から伝わったと言う者がある。今《焦氏易林》をもって考察すれば、最も要緊なあの象は彼此迥と同じでない。「焦氏から伝わった」の説は、さらに根拠がない。今《易林》の中に保存されたあの失伝の象を、標挙して下に示す。
