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大過九五「枯楊華を生じ、老婦其の士夫を得」の解

清 · 尚秉和 · 第6巻 / 15

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

自虞翻不知華象,清惠棟以柔在上為華,焦循以震敷為華,皆於象不合。按《易林·大壯之夬》云:「桃李華實。」是以反巽為桃李,伏艮為果實,兌為華也,《夬》與《大過》二至上體同也。又《咸之噬嗑》云:「枯」(亦以離為枯)「樹不華」,言兌象伏也。又《巽之兌》云:「華葉將將。」重兌,故曰將將,亦以兌為華。蓋兌悅,華形又象兌也,故以兌為華。《易》象失傳,東漢人不知,後治漢《易》者亦不知矣。

虞翻が「華」(花)の取象を解さなかった以来、清代の恵棟は柔爻が上にあることをもって華とし、焦循は震の敷布をもって華としたが、いずれも卦象と合わない。按ずるに《易林・大壮之夬》に言う。「桃李華実なり。」これは反巽をもって桃李とし、伏艮をもって果実とし、兌をもって花としたものである。《夬》卦と《大過》は二爻から上爻まで卦体が同じである。また《咸之噬嗑》に「枯」と言い――ここも同じく離をもって枯とする――「樹華せず」と言うのは、兌象が潜伏して見えないので開花しないことを言う。また《巽之兌》に言う。「華葉将将たり。」重兌が相畳するので「将将」と言う。これも兌をもって花とする。大概兌は喜悦を主り、しかも花の形狀はまた兌卦の上に開く形に似るので、兌を取って花とする。《易》象が失伝し、後漢人はすでに知らず、後に漢《易》を治める者も同じく知らなかった。

至老婦,荀爽但以數多少為老少,固非;虞翻以巽初為老婦,尤謬。乃虞翻不自知其謬,反詈馬、荀為俗儒,南遷不返,禍有由矣。揆其故,皆由旁通之說失傳也。按《易林·旅之大壯》云:「獨夫老婦,不能生子。」《大壯》上震,故曰獨夫;互兌,故曰老婦。又《需之剝》云:「孤竹之墟,老婦亡夫。」《剝》通《夬》,《夬》上兌,亦以兌為老婦,此皆《大過》兌為老婦之確詁也。

「老婦」に至っては、荀爽はただ爻数の多少を取って老少を分けたが、もともと誤りである。虞翻は巽卦の初爻を取って老婦に当てたが、なおさら荒謬である。虞翻は自らその謬を覚えず、かえって馬融・荀爽を罵って俗儒とし、後に南方に貶されて一たび行って返らなかった。その禍端もまた由来がないわけではない。彼らの出錯の所以を推究すれば、皆旁通の説が失伝したためである。按ずるに《易林・旅之大壮》に言う。「独夫老婦、子を生むこと能わず。」《大壮》の上体は震なので「独夫」と言い、中爻は互体して兌を成すので「老婦」と言う。また《需之剥》に言う。「孤竹の墟、老婦夫を亡す。」《剥》は《夬》と旁通し、《夬》の上体は兌であり、これも兌をもって老婦とする。これらは皆《大過》が兌をもって老婦とする確証である。

兌雖為少女,而與干連,乾順行,自下而上,在下者少,在上者老,時不同也,非乾坤概稱老,初與上無別也。故曰「老婦得其士夫」,士夫者,對象艮也。凡男女六子,無不為夫婦,艮為小子為少男,故稱士夫。虞翻謂兌為少,《大壯》震為夫,故稱士夫,似不然也。《易林》每以兌為老婦,巽為少姬,皆本《大過》。

兌は少女ではあるが、しかしそれは乾と相連なっている。乾は順行であり、下から上へ推し数え、下にあるものを少とし、上にあるものを老とする。先後の時序が異なるので、九五が上にあれば即ち「老婦」と称する――旧説のように乾坤が一概に老と称され、初爻と上爻に分別がないのではない。だから爻辞に「老婦其の士夫を得」と言う。いわゆる「士夫」とは、取るのは対卦《頤》の中の艮である。およそ六子の卦は、男女相配って夫婦とならないものがない。艮は小子・少男なので「士夫」と称する。虞翻は兌が少であり《大壮》の震が夫であるので、よって士夫と称すると言ったが、見るに正しくない。《焦氏易林》は常に兌をもって老婦とし、巽をもって少姬とするが、皆《大過》のこの二爻に本づく。

此二爻義之所以晦茫至今者:一由於旁通之失傳,徒於本象求,而忘本象之有對象;次由於陽順陰逆之理失傳,陽順行,故下少上老,陰逆行,故上少下老,順逆之理不明,故說九二而合者,推之九五則齟齬矣,說九五而合者,施之九二則背戾矣。

この二爻の意義が今に至るまで晦暗である原因は三つある。第一は旁通の法が失伝し、学者はただ本卦の象の上に求め、本卦の外にさらに旁通の対卦があることを忘れたこと。第二は陽順陰逆の道理が失伝したこと。陽は順行するので、下から上へは下が少で上が老となる。陰は逆行するので、上から下へは上が少で下が老となる。順逆の理が明らかでないので、九二を講じて通る者は九五に推せば抵牾し、九五を講じて通る者は九二に用いればまた相背する。

次由於不知《易》象正覆之妙用。凡《易》象有迴環往復者,《易》詞亦必迴環往復。《蒙》二至上正覆兩艮相對,故《易》曰「非我求童蒙,童蒙求我」;《泰》「小往大來」,《否》「大往小來」;《隨》初至四正反皆艮震,故六二曰「係小子失丈夫」,六三則曰「係丈夫失小子」。《大過》正反皆巽,故皆曰楊,九二在下則生稊,九五在上則生華。對象《頤》體坤,坤逆,故下震為老夫,上艮為士夫;《大過》體乾,乾順,故在下為女妻,在上為老婦。二千年之疑獄,劃然而解,非《易林》,孰能闡明之?

第三は《易》象の一正一覆の妙用を解さないことである。およそ卦象に回環往复するものがあれば、卦爻辞もまた必ず回環往复する。《蒙》卦の二爻から上爻までは一正一覆の両艮が相対するので、卦辞に「我の童蒙を求めるに非ず、童蒙我を求む」と言う。《泰》に「小往大来」と言い、《否》に「大往小来」と言う。《随》卦の初爻から四爻までは正反ともに艮震を含むので、六二に「小子に繫り丈夫を失う」と言い、六三に反対に「丈夫に繫り小子を失う」と言う。《大過》は正に見ても反に見ても巽であり、巽は木・楊なので、九二・九五ともに「楊」と言う。九二は下に居れば「稊を生ず」(根部に芽を生ず)と言い、九五は上に居れば「華を生ず」(梢頭に花を開く)と言う。対卦《頤》の卦体は坤に属し、坤は逆行するので、下の震は「老夫」、上の艮は「士夫」である。《大過》本卦の卦体は乾に属し、乾は順行するので、下にあるのは「女妻」、上にあるのは「老婦」である。一正一反・一順一逆で、両爻の文辞の参差はすべて落着する。二千年の疑案がここに至って涣然として氷釋する――《焦氏易林》がなかったなら、誰がそれを闡明できたであろうか。

大過が死卦であること及び大象の坎であることの証

東漢人因《繫辭》以《大過》象棺槨,故謂《大過》為死卦。茲《易林·明夷之大過》云:「言笑未畢,憂來暴卒。」是亦以《大過》為死卦也。坎為憂,並以《大過》為大坎也。他若遇《大過》言雨、言憂、言水者,尚不可勝數,皆指大坎。故吾謂漢儒不言大象者,祗東漢儒也。

後漢人は《繫辞》が上古の葬礼に「蓋し《大過》に取らん」と言い、《大過》が棺椁を象ったために、《大過》を死卦と称した。今按ずるに《易林・明夷之大過》に言う。「言笑未だ畢らざるに、憂来たり暴卒す。」これもまた《大過》を死卦としたものである。そして「憂」の取象は坎であるので、焦延寿が同時に《大過》の全卦を一つの大坎としたことが分かる(初・上の二陰が四陽を挟み、外は柔で内は剛で、坎と形同じ)。その他およそ《大過》に変じて林辞に雨を言い憂を言い水を言うものは、数えても数え切れず、皆この大坎を指す。だから私は言う。漢代の儒者で大象を講じないのは、ただ東漢のあの一輩だけである。

大過上六「渉り過ぎて頂を滅す」

此《易》明以《大過》為大坎也。六在上,故曰過涉;乾為首,故曰頂;乾為陰所包不見,故曰滅頂。《易林·夬之大過》云:「久陰霖雨。」坎為雨,卽以《大過》為大坎,仍本之《易》也。

この一爻は《周易》自体が明白に《大過》を大坎とした証拠である。上六は全卦の上に居り、水を渉ってすでにその頂を過ぎたので「過渉」と言う。二から四まで互体して乾を成し、乾は首なので「頂」と言う。この乾がまた初・上の二つの陰爻に包まれて顕露を得ないので「滅頂」と言う。《易林・夬之大過》に言う。「久陰霖雨。」坎は雨であり、まさに《大過》を大坎と見なしたものであり、この見方は依然として《周易》本経に本づく。

坎上六「徽纆を用いて繫き、叢棘に寘く」の解

虞云:「徽纆,黑索也。叢棘,獄外種九棘。坎為獄,言拘繫入獄也。」後來解者,大概皆從虞說。惟張惠言謂獄外種棘,於經無考,不知虞何據。按《易林·復之坎》云:「桎梏拘獲,身入牢獄,髡刑受法,終不得釋。」不啻特解此爻詞也。

虞翻が言う。「徽纆とは即ち黒色の繩索である。叢棘とは牢獄の外に九棵の棘樹を植えたものを指す。坎は牢獄であり、この句は拘繫されて獄に入ることを言う。」後にこの爻を解した者は大体皆虞説に依从した。ただ張恵言だけが、獄外に棘を植えた一事は経書に稽考の術がなく、虞翻が何に拠ったか知らないと指摘した。今按ずるに《易林・復之坎》に言う。「桎梏に拘獲され、身は牢獄に入り、髡刑して法を受け、終に釈を得ず。」この条の之卦はまさに《坎》であり、まったく専らこの句の爻辞のために作った解釈である。

桎梏拘獲,卽係用徽纆也;身入牢獄,卽寘于叢棘也;終不得釋,卽三年不得也。虞解與《易林》同也。寘于叢棘,言牢獄之危苦似之,不必定獄外有棘,坎象本為棘也。至徽纆之象,坎為矯揉,物之能矯揉者,莫過於繩索,不必若仲翔以卦變為穿鑿,用《觀》巽也。

「桎梏拘獲」とは即ち爻辞の「繫用徽纆」であり、「身入牢獄」とは即ち「寘于叢棘」であり、「終不得釋」とは即ち「三年不得」である。これで虞翻の解釈と《焦氏易林》が一致することが分かる。いわゆる「寘于叢棘」とは、ただ牢獄の危険困苦が叢棘のように人を刺すことを言うにすぎず、必ずしも獄外に真に棘樹を植えたという必要はない――坎卦はもともと棘叢の象を取る。「徽纆」の取象に至っては、《説卦》に坎は「矯揉を為す」と言い、よく弯曲し揉み直すことができるものは繩索ほど典型なものはない。虞翻のように卦変に牽合して、無理に《観》卦の巽繩に取ったと言う必要はない。

此爻自來皆以罪人入獄為解,然雲三年不得,不得者,事無功也,似非罪人入獄之象,張惠言亦疑其非入獄。按虞氏云「徽纆,黑索也」,黑索卽繩墨也。《書》「木從繩則正」,《離騷》「循繩墨而不頗」,又《抽思》「章畫志墨」,《戰國策》「匠人且以繩墨按規矩刻鏤我」,《齊書·孔稚珪傳》「匠萬物者以繩墨為正」。

この一爻は従来皆罪人の入獄として解釈してきた。しかし爻辞に「三年不得」と言う――「不得」とは事が成し遂げられず成效がないという意であり、罪人の入獄の象には似ないようである。張恵言もまたそれが入獄を講じていないのではないかと疑った。按ずるに虞翻は「徽纆とは黒索なり」と言うが、いわゆる黒索とは即ち木工の用いる繩墨である。《尚書》に「木は繩に従えば則ち正し」、《離騒》に「繩墨に循いて頗けず」、《九章・抽思》に「画を章して墨を志す」、《戦国策》に「匠人は且つ繩墨を以て規矩に按りて我を刻鏤す」、《南斉書・孔稚珪伝》に「万物を匠する者は繩墨を以て正とす」とある――いずれも木工の墨線を指す。

蓋匠人以繩正木,以墨為志,繩墨卽黑索也,宜施於大木之上,因以施刀鋸。乃不施於木而施於叢棘,故三年不得。象曰「失道」,言寘之失道,亦非罪徒入獄之詞。此雖非焦義,然心有所疑,故附記於此。

大概工匠は繩を用いて木材の直を取り、墨を用いて記号を作る。繩墨とは即ち黒索であり、それは大木の上に施すべきもので、それによって刀鋸を下す。今は良木に施さず、叢生する荆棘に施すので、三年たっても器を作ることができない。これが即ち「三年不得」である。《小象》に「道を失う」と言うのは、安置した場所が誤っていることを言うのであり、やはり罪徒の入獄を講じた話には似ない。この層は焦延寿の本義ではないが、私は心に疑いを存するので、ここに附記する。

離九四「突如として其の来ること如し」二句の解

此爻舊說皆近於穿鑿,則以不求中爻象也。四為巽體,亦為兌體,巽為風為躁,兌剛魯(《易林》作魯),故曰突如其來如。四居上下離之間,故曰焚如。《易林·大壯之離》云:「辰巳有咎。」兌巽先後天皆居辰巳,兌上巽下為《大過》,《大過》死,故曰死如棄如。凡所取象,皆用中爻,亦猶《豐》中爻互大坎,故象皆闇也。

この一爻の旧説は皆穿鑿に近い。その原因は中爻互体の上に象を求めようとしないことである。九四はすでに互巽の体に属し、また互兌の体にも属する。巽は風・躁動であり、兌は《説卦》に「剛鹵を為す」と称し(《易林》は「魯」と作る)、性情は粗猛である。だから爻辞に「突如として其の来ること如し」と言う。九四はまさに上下二つの離体の間に挟まるので「焚如」と言う。《易林・大壮之離》に言う。「辰巳咎あり。」兌と巽は先天・後天の方位の中でともに辰巳に居り、兌が上・巽が下であれば合して《大過》を成し、《大過》は死卦なので、爻辞に「死如・棄如」と言う。これでこの爻の取る象が全て中爻互体にあることが分かる。ちょうど《豊》卦の中爻が互いに大坎を成すので、全卦の取象が皆昏暗に帰するようなものである。

離六五「涕を出だして沱たるが若く、戚にして嗟くが若し」及び象曰「王公に離るるなり」の解

離為目,目出泣曰涕,旁通坎,故曰涕沱。沱者,江支流也。坎為憂,兌口,故曰戚嗟,皆本象與對象並用,《易林》所本也。至象曰「離王公也」,王卽指上,上九「王用出征」是其證;公謂四,四為諸侯,諸侯與三公不分,卽言六五附麗於乾中,承乘皆陽也。朱震謂四位通三是也。《益》六四、《鼎》九四皆言公,是四亦可為公之證。

離は目であり、眼が涙を流すのを「涕」と言う。《離》は《坎》と旁通し、坎は水にして滂沱なので「涕沱」と言う――「沱」はもともと長江の支流である。坎はまた憂であり、中爻は互体して兌を成して口なので「戚嗟」(悲戚し嘆息する)と言う。これらは皆本卦の象と旁通の対象を併用するものであり、まさに《焦氏易林》の依拠する方法である。《小象》の言う「王公に離るるなり」に至っては、「王」は上九を指し、上九爻辞の「王用て出征す」が即ち明証である。「公」は九四を指し、四は諸侯の位であり、しかも諸侯と三公は古より分別しなかった。全句は六五が乾体の中に附麗し、上に承け下に乗るのが皆陽爻であることを言う。朱震は四位が三公に通ずと言い、講じて正しい。《益》卦六四、《鼎》卦九四ともに「公」に言及しており、これは即ち第四爻もまた公と称し得る旁証である。

離上九「王用て出征し、嘉ありて首を折り、其の醜に匪ざるを獲」の解

此本乾卦,坤入之。乾為王,九居上,六五象曰「離王公」,王卽指此爻,出大坎,故曰王用出征。《易林》以坎為大頭,坎伏,故曰折首。兌為折為口,故曰有嘉。或曰:坤二五之幹,乾為首,陰麗陽中,故折首,與坎折坤同義,亦通。《詩·小雅》「執訊獲丑」,鄭箋:「丑,眾也。」獲匪其醜者,言罪只首惡,刑不及眾也。坎為眾,坎伏,故不獲。各家皆從虞,詁丑為類,非。

《離》卦はもともと乾卦であり、坤の陰爻がその中に入り居して成った。乾は王であり、上九は陽で上位に居り、六五の《小象》に「王公に離るるなり」と言う。その「王」が指すのは即ち上九のこの一爻である。上九は大坎の外に出たので「王用て出征す」と言う。《焦氏易林》は坎をもって大頭とし、ここでは坎象が潜伏して見えないので「折首」(首級を斬る)と言う。兌は毀折・口なので「有嘉」(嘉美の功あって称すべし)と言う。また一つの講法もある。坤の二・五の爻が乾中に入り、乾は首であり、陰爻が陽中に附麗するので「折首」と言い、坎が坤を折るのと同一の義例であり、これも講じ通る。《詩経・小雅》に「訊を執り醜を獲」と言い、鄭玄の箋注に「丑とは衆なり」とある。いわゆる「其の醜に匪ざるを獲」とは、罪を治するのは首悪に及ぶのみで、刑罰は衆人に牽連しないことを言う。坎は衆であり、ここでは坎が伏して見えないので「不獲」と言う。各家が皆虞翻に従って「丑」を「類」と訓したのは、誤りである。

焦氏易詁 巻五

行唐尚秉和節之撰

直隷行唐の人・尚秉和、字は節之、撰述。

遯上九「肥遯」の解

凡漢人說之,皆作飛遯。《淮南九師》云:「飛而能遯,吉孰大焉。」張平子《思玄賦》:「欲飛遯以保名。」曹植《七啟》:「飛遯離俗。」毛西河、惠棟、朱芹、洪頤煊皆從之。卽王弼雖未明釋,然云「矰繳不能及」,似亦讀為飛。惟《子夏易傳》釋肥為饒裕,虞氏謂乾盈為肥,莫衷一是。

およそ漢代の人がこの一爻を講ずるに、皆「肥遯」を「飛遯」と読んだ。《淮南九師道訓》に言う。「飛んで能く遯るれば、吉は孰れよりか大ならん。」張衡(字は平子)の《思玄賦》に言う。「飛遯して名を保たんと欲す。」曹植の《七啓》に言う。「飛遯して俗を離る。」毛奇齢・恵棟・朱芹・洪頤煊は皆この読法に依从した。王弼でさえ明言はしなかったものの、彼の注の中に「矰繳も及ぶこと能わず」と講じているので、見るに彼もまた「飛」と読んだのであろう。ただ《子夏易伝》だけが「肥」を豊饒寛裕と解釈し、虞翻は乾体が盈満するのを即ち肥と言い、各々一詞を執って帰一する所がない。

茲《易林·需之遯》云:「去如飛鴻。」又《節之遯》云:「奮翅鼓巽。」又《革之遯》云:「退飛見祥。」是焦氏亦讀肥為飛,與《淮南九師》同也。又朱芹《易札記》引姚寬《西溪叢語》云:「肥,古作?[上非下巴],?[上非下巴]蜚同字。」是肥卽蜚,蜚卽飛也,虞翻誤也。蓋上九居極,上乾為行,飛亦乾象,不必以乾盈為象。

今按ずるに《易林・需之遯》に言う。「去ること飛鴻の如し。」また《節之遯》に言う。「翅を奮いて巽を鼓す。」また《革之遯》に言う。「退飛して祥を見る。」この三条の之卦は皆《遯》であり、辞意は全く翅を振いて高く飛び、退避して遠く挙がることにあるので、焦延寿もまた「肥」を「飛」と読み、《淮南九師》と一致したことが分かる。また朱芹《易札記》は姚寛《西溪叢語》を引いて言う。「肥は、古は『上非下巴』の字と書き、この字と『蜚』とは同じ一字である。」(この字は原書に缺刻し、ただ字形の描述のみ存す)これで「肥」は即ち「蜚」であり、「蜚」は即ち「飛」であり、虞翻は誤っていたことが分かる。上九は全卦の極に居り、上体の乾は健行を主り、「飛」もまたまさに乾象である。必ずしも乾体盈満を取って象を立てる必要はない。

遯九三「臣妾」の象

《遯》九三云「畜臣妾吉」,自來解者莫知艮之為臣,虞翻以三變坤為臣當之,後易家皆遵用之。豈知《易》《蹇》六二云「王臣蹇蹇」,《蹇》下艮,故亦曰臣;《小過》六二云「遇其臣」,亦以艮為臣。焦氏《易林》本之,凡遇艮卽言臣。後人不解《易》象,於是《易林》艮臣之象,初覩之亦不知其所謂矣。卽妾象,疑亦指艮,古於僮僕臣妾實不分,如以艮妾為不合,則坤臣亦不合矣。

《遯》九三に「臣妾を畜えば吉」と言うが、従来解釈する人は皆艮が臣象を取り得ることを知らず、虞翻は三爻を変じて坤を成して臣として数に充て、後の易学家は皆彼の講法を沿用した。彼らがどうして思い至ろうか。《周易》《蹇》卦六二に「王臣蹇蹇たり」と言い、《蹇》の下体はまさに艮なので、臣と称した。《小過》六二に「其の臣に遇う」と言い、同じく艮をもって臣とした。焦延寿の《易林》はこの例に本づき、およそ艮に遇えば即ち臣と言う。後人は《易》象を解さず、そこで《易林》の中の艮を臣とする象を、初めて見てもそれが何を言っているか分からなかった。「妾」の象に至っては、私は同じく艮を指すのではないかと疑う――古は僮僕・臣妾に分別を加えなかった。もし艮が妾となれないと言えば、坤が臣であることも同じく講じ通らない。

大壮初九「征めば凶、孚あり」及び象「其の孚は窮なり」の解

既曰征凶,則不孚也,乃曰有孚,義自違反,且與象語不協。象曰孚窮者,初陽四亦陽,二三又陽,故曰孚窮,《易林》陽遇陽則塞之旨,本此也。乃虞翻解有孚,謂四與五易位成陰,則初孚於四,豈知卦為《大壯》,不為《需》,虞說若當,象尚言孚窮乎?

爻辞がすでに「征めば凶」と言う以上、それは相孚応しないことである。それなのにまた「孚あり」と言うのは、文義が自ら相違反し、しかも《小象》の話とも協調しない。《小象》に「其の孚は窮なり」と言うのは、初爻が陽であり、それと相応する九四もまた陽であり、中間の九二・九三もまた皆陽なので、孚応が窮尽すると言う――《焦氏易林》の「陽が陽に遇えば窒塞する」という義旨は、まさにこれに本づく。しかし虞翻は「有孚」を解釈して、九四と六五が位置を交換して陰を成し、そこで初九は四と相孚すると言った。彼はどうしてこの卦が《大壮》であって《需》ではないことを思い至らなかったのか。もし虞説が成立するなら、《小象》はなお「其の孚は窮なり」と言うだろうか。

象言孚窮,確指四陽。王弼知其然,以窮凶可信為解,上下語不違反矣。然象曰孚窮,確指二三與四言,則爻詞之孚,似不得以閒文為解,亦未協也。案《說文》「有」字云:「不宜有也。《春秋傳》曰『有食之』是也。」然則初九之有孚,謂不宜於孚也,正與象之孚窮合也。

《小象》に「孚窮」と言うのは、明らかに四つの陽爻が一か所に聚まることを指す。王弼はこの点を見抜き、便ち爻辞を「困窮して凶を致すことは確信し得る」と解した。これで上下文は相違背しなくなる。しかし《小象》の言う「孚窮」は、確かに九二・九三と九四を指して言ったものである以上、爻辞の中の「孚」の字は関係のない閑字と見なすことができないようであり、王説もやはり妥でない。今考えるに《説文解字》は「有」の字を訓して言う。「宜しく有すべからざるなり。《春秋伝》に『日これを食するあり』とはこの用法である。」これに照らせば、初九の「有孚」はまさに相孚すべきでないことを言い、ちょうど《小象》の「其の孚は窮なり」と相合する。

大壮九四「大輿の輹に壮んなり」の説

解《易》之書,莫古於《左傳》。閔元年畢萬筮仕,遇《屯》之《比》,辛廖曰:「震為土,車從馬。」又《晉語》:「震,車也。」是左氏內外傳皆以震為車,《易林》本之,遇震卽言車。《大壯》下乾,乾為大,震車,故曰大輿。乃二千年學者,舍左氏不從,而以卦變為穿鑿,祗一王引之能覺察其非,以震為車,還周時之舊家,而詈虞氏之曲為穿鑿,真能獨立為說者也。

《周易》を解説する書で、《左伝》より古いものはない。閔公元年に畢万が出仕を卜問し、《屯》之《比》を筮し得て、辛廖の断辞に言う。「震は土であり、車は馬に従う。」《国語・晋語》にもまた言う。「震は車なり。」これで《左伝》《国語》の両書がともに震をもって車としたことが分かる。《焦氏易林》はこの例に本づき、震に遇えば即ち車と言う。《大壮》の下体は乾であり、乾は大であり、中爻の震は車なので、九四に「大輿」と言う。しかし二千年以来の学者は《左伝》を舍てて従わず、ひとえに卦変を用いて穿鑿附会した。ただ王引之の一人だけがその非を察知し、震をもって車とし、周代の旧説をもとの主に帰し、しかも虞翻の曲説穿鑿を斥責した。真に独立して説を立て得る人である。

惟輹為震象,王氏仍知之不真。按左氏僖十五年晉筮嫁伯姬,遇《歸妹》之《睽》,卽震變離也,震為車,變離形毀,故曰車脫其輹。孔疏引《子夏易傳》云:「輹,車下伏兔,今謂之車屐,以縛於軸。」據是,則輹為震象益明,因輹在車下而形若屐,屐者履屬,震象也。震形滅,故曰車脫輹。由是推大小畜之車脫輹,皆以旁通覆震故也。左氏所說,其真諦也。《大壯》九四「壯于大輿之輹」,卽以震為輿為輹,虞氏所說未當也。

ただ「輹」もまた震象であるというこの層は、王引之は依然として真切に知らなかった。按ずるに《左伝》僖公十五年に晋国が伯姫の出嫁のために占筮し、《帰妹》之《睽》に遇い、それは震が離に変じたものである。震は車であり、離に変じた後は震形が毀壊するので、繇辞に「車其の輹を脱す」と言う。孔穎達《正義》は《子夏易伝》を引いて言う。「輹は車廂の下の伏兎であり、今は車屐と呼び、用いて車廂を車軸に縛り付ける。」これに拠れば、「輹」が震象であることはなおさら明白である。輹は車底にあって形狀が木屐に似て、屐は鞋履の類に属し、《説卦》に震は足・動であり、まさに履属の象である。震形が一たび泯滅すれば、「車輹を脱す」と言う。これによって《大畜》九二、《小畜》九三の言う「輿輹を説く」を推し求めれば、いずれも旁通の卦の中の震が倒覆したためである。《左伝》の講法こそ真諦である。《大壮》九四に「大輿の輹に壮んなり」と言うのも、同じく震をもって輿・輹とするものであり、虞翻の解釈は適当でない。

大壮の羊象は中爻を用いる

自王弼及鍾會反古,謂《易》無互象,宋人承之,不敢言互。且無論左氏言互,卽本經考之,《大壯》三至五互兌,兌為羊,故九三卽言羊,是《易》已用互也。

王弼と鍾会が古法に一たび反し、《周易》に互体の象がないと宣言して以来、宋代の学者はその説を承襲し、敢えて互体を講じなくなった。《左伝》の筮例がもともと互体を講じていたことは姑く論じないとしても、ただ本経を考察するに:《大壮》は三から五爻まで互いに兌を成し、《説卦》に兌は羊なので、九三の爻辞はすなわち羊に言及する。これで《周易》自体がすでに早く互体を用いていたことが分かる。

晋卦は中爻を用いる

六二云「晉如愁如」,坎為憂,三至五互坎,故曰愁如;九四云「晉如鼫鼠」,艮為鼠,二至四艮,故曰鼫鼠,是用互也。此與《大壯》之羊,必謂為偶然,與中爻無關,豈可得哉?

《晋》卦六二に「晋として愁えるが如し」と言い、坎は憂であり、しかも三から五爻まで互いに坎を成すので「愁如」と言う。九四に「晋として鼫鼠の如し」と言い、艮は鼠であり、しかも二から四爻まで互いに艮を成すので「鼫鼠」と言う――これらは皆互体を用いている。この二条と《大壮》の羊象を併せて、もし必ず偶然の符合で中爻互体と関係ないと強いて言うなら、どうして言い得られようか。

晋六二「王母」の象

朱子謂六五為王母,六二受福,因與焦氏陰遇陰則阻之旨背,違《易》定例。虞翻謂五已正中,五陽應二,五王,坤母,故曰王母,不肯易旨矣,然《晉》尚未為《否》,豈能預言?

朱熹は六五が即ち「王母」であり、六二がそれから福を受けると考えた。これは焦延寿の「陰が陰に遇えば阻まれる」という義旨と相背し、《周易》の定例に違反する。虞翻は六五がすでに中に居り正を得ており、陽に変じた後に六二と相応し、五は王・坤は母なので「王母」と言うとした――これはなおさら《易》旨に合わない。ましてや《晋》卦はこの時まだ《否》に変じていないのに、どうして予めあの卦象に照らして言を立てることができようか。

茲以《易林》本象與對象相通之理推之,王母之象,實合對象《需》乾言也。乾為王,坤為母,坤伏乾,故曰王母;乾為福為大,故曰介福;坤虛艮手,故曰受。而二又為坤本位,居正中,黃中通理,故能受茲介福。象所謂「以中正」者,謂二中正,非謂五中正也,五為陰,固不能福二也。

今《焦氏易林》の本卦の象と旁通の対象が相通ずるという道理をもって推し求める。「王母」の象は実は対卦《需》の乾と合わせて言ったものである。乾は王であり、坤は母であり、坤の下に乾が伏しているので「王母」と言う。乾は福・大なので「介福」(大福)と言う。坤は中が虚で中爻の艮は手なので「受」と言う。しかも六二はまたちょうど坤の本位に当たり、下卦の正中に居る。《坤》六五のいわゆる「黄中にして理に通ず」なので、この大福を承受することができる。《小象》に「中正を以てすなり」と言うのは、六二が中正であることを指すのであり、六五が中正であると言うのではない――六五は陰爻であり、もともと六二に福を降すことができない。

明夷の用象は易林の法則たり

《易林》凡用地名、人名、國名,無不與象密合。但以人名論,如《解之井》云:「荷蕢隱居。」《井》通《噬嗑》,《噬嗑》震為蕢,中爻艮為荷,故曰荷蕢。又《家人之旅》云:「管叔遇桓。」《旅》通《節》,《節》震為管,艮為叔,故曰管叔。《大有之震》云:「楚亭晨食,韓子低頭。」震為子為乾,故曰韓,韓子者,韓信也,中爻坎為信,故曰韓子。

《焦氏易林》はおよそ地名・人名・国名を用いるに、卦象と密合しないものがない。ただ人名について論ずれば:例えば《解之井》に「蒉を荷いで隠居す」と言い、《井》は《噬嗑》と旁通し、《噬嗑》の下体の震は草器の蒉であり、中爻の艮は手にして肩荷の象があるので「荷蒉」と言う。また《家人之旅》に「管叔桓に遇う」と言い、《旅》は《節》と旁通し、《節》の下体の震は管であり、艮は叔なので「管叔」と言う。《大有之震》に「楚亭晨食し、韓子頭を低す」と言い、震は子・干であり(「韓」の字は「倝」から声を得て「干」と通ず)、だから「韓」と言う。「韓子」は即ち韓信であり、中爻は互体して坎を成して信なので、合して「韓子」と称する。

《小畜之剝》云:「孔鯉伯魚。」坤為魚,反震為孔為伯,故曰孔鯉伯魚。又《泰之幹》云:「伯夷叔齊。」震為伯,艮為叔,震艮不見,故曰夷曰齊。又《泰之剝》云:「干叔殞命,箕子為奴。」《剝》艮為求為少男,故曰干叔;反震為箕為子,故曰箕子,無不密切。

《小畜之剥》に「孔鯉伯魚」と言い、坤は魚であり、反震は孔・伯なので「孔鯉伯魚」と言う(孔鯉は字が伯魚)。また《泰之乾》に「伯夷叔斉」と言い、震は伯、艮は叔である。しかしここでは震・艮がともに隠伏して見えないので、名字の中に「夷」(滅)・「斉」(尽)を用いる。また《泰之剥》に「干叔命を殞し、箕子奴を為す」と言い、《剥》の上体の艮は求・少男なので「干叔」(比干)と言う。反震は箕・子なので「箕子」と言う――一处として絲絲入扣でない所がない。

茲《明夷》彖傳云「文王以之」,《明夷》上坤為文,中爻震為王,故曰文王;又曰「箕子以之」,《明夷》中爻震為子為箕,故曰箕子。文王、箕子之用象,雖重象如東漢人,無有言者,非《易林》,孰能證明之?《易林》無象外字,用以推《易》,始知《易》亦無象外字也。乃東漢人皆不知,故余謂西漢《易》說至東漢失傳也。

今《明夷・彖伝》の言う「文王これを以てす」を見るに:《明夷》の上体の坤は文であり、中爻の震は王なので「文王」と言う。また「箕子これを以てす」と言うに:《明夷》の中爻の震は子・箕なので「箕子」と言う。文王・箕子のこの二人名の取象は、たとえ東漢人のように卦象を看重する者でも、講じ出した者が一人もいなかった――《焦氏易林》がなかったなら、誰がそれを証明できたであろうか。《易林》には一字として象の外にあるものがない。この法則を取って《周易》を推し求めれば、はじめて《周易》にもまた一字として象の外にあるものがないことを知る。しかし東漢人は竟に全く知らず、だから私は西漢の《易》説が東漢にはすでに失伝したと言うのである。

明夷上六「初め天に登り、後に地に入る」の解

此與《復》崩來無咎,皆用覆象也。《剝》覆卽為《復》,艮倒故曰崩來;《晉》離在上,故曰初登于天,《晉》覆成《明夷》,離在下,故曰後入于地。此其義東漢人皆知之,至用覆為《易》通例則不知。後惟朱震、來矣鮮真知之,他皆半信半疑也。

この一爻は前の《復》卦の「崩来无咎」と同じく、いずれも倒覆の象を使用したものである。《剥》卦が一たび倒れれば即ち《復》卦となり、艮体が既に倒れたので「崩来」と言う。《晋》卦は離日が上にあるので「初め天に登る」と言い、《晋》が一たび倒覆すれば即ち《明夷》を成し、離日は下に落ちるので「後に地に入る」と言う。この層の意は東漢人もまだ知っていたが、「用覆」を《周易》の通例とすることについては、彼らは知らなかった。後にただ宋代の朱震と明代の来知徳(字は矣鮮)だけが真に解り、その余の人は皆半信半疑であった。

明夷初九「往くところあり、主人言あり」の解

中爻震為人為主,三則為震之主,而與初相對成離。初至二形兌,三至二覆兌,正反兩兌相對卽相背,故有言。有言者,相爭相訟,非祗有無也。此以離為有言,亦由《易林》推出也。

《明夷》の中爻は互体して震を成し、震は人・主であり、第三爻はまさにこの震の主爻である。それは初九と相対して合して離体を成す。初爻から二爻までが兌の半象を構成し、三爻から二爻までが倒兌の半象を構成し、一正一反の二つの兌口が相対する。相対とは即ち相背くことなので、爻辞に「言あり」と言う。いわゆる「有言」とは、彼此争執訴訟する意であり、ただ「有」と「無」の有ではない。ここで離をもって「有言」とするのも、《焦氏易林》の中から推し出したものである。

《易林·蠱之明夷》云:「讒佞亂政。」讒佞卽有言也。又《困之同人》云:「言多反覆。」亦以《同人》下離,離上下兩兌口相背,故曰言多反覆。有言確解,且離為有言之確解,此不啻焦氏特解《明夷》之有言也。又《離之明夷》云:「使伯采桑,狠不肯行,與叔爭訟,更相毀傷。」爭訟卽有言也。

《易林・蠱之明夷》に言う。「讒佞政を乱す。」讒言佞語は即ち「有言」である。また《困之同人》に言う。「言多く反復す。」これもまた《同人》の下体が離であり、離体の上下二つの兌口が相背するので、話が反復するのである。これはすなわち「有言」の確解であり、また「離為有言」の確解でもあり、まったく焦延寿が専ら《明夷》の「有言」のために下した注脚である。また《離之明夷》に言う。「伯をして桑を采らしむるも、狠として肯んじて行かず、叔と争訟し、更に相毀傷す。」ここの「争訟」はまさに即ち「有言」である。

此其義亦二千年長夜矣。第一不知有言為爭訟,解為有無之有;第二不知有言之故,由兩震言或兩兌口相背。此等《易》說,至東漢卽失傳,故解《困》之有言、《震》之有言,無一有當。豈知焦氏《易林》會一一為講說之,至明白也,而東漢人不解,後之說《易》者無慮千百家,遂皆不解。

この句の意義もまた二千年の長夜の中にある。第一に、「有言」が即ち争訟であることを知らず、かえって「有無」の「有」と解した。第二に、「有言」の成因が二つの震(言)あるいは二つの兌(口)が彼此相背することから来ることを知らない。この類の《易》説は東漢に至って失伝したので、後人が《困》卦の「有言」、《震》卦の「有言」を解するに、妥当に講じた所が一か所もない。彼らがどうして思い至ろうか、焦延寿の《易林》はすでに早く一条一条のために講明し、しかも講じること再び明らかなことこの上ないのに、東漢人は領会できず、後世に《易》を説く者は千百家を下らず、そこでまた揃って領会できなかったのである。

明夷九三「明夷南に狩りて、其の大首を得」の解

九家以三可升上而獵於五,得據大陽首位為得其大首,後說《易》者皆不能出其範圍。獨俞樾謂九家以大陽首位為大首,甚為不詞,可謂善疑矣。特俞樾首當為道,古首道通用,獲其大首卽獲其大道,義亦不協。

荀爽ら九家《易》は、九三が上位に上昇して第五爻で畋猟し、陽剛の首の高位に占拠することができると考え、これが即ち「其の大首を得」だとし、後に《易》を説く者は皆この範囲を跳び出せない。ただ俞樾だけが、九家が「陽剛之首位」を取って「大首」としたのは、甚だ話にならないと指摘し、よく疑いを生ずる者と言える。ただし俞樾は「首」は「道」と読むべきと主張し、古は「首」「道」が通用し、「其の大首を獲」は即ち大道を獲ることだと言ったが、この講法は文義において同じく合わない。

茲以《易林》證之,大首者坎也。《易林·大有之既濟》云:「大頭明目。」《既濟》上坎下離,是以坎為大頭,大頭卽大首。又《小過之豫》云:「低頭竊視。」《豫》中爻坎,坎為頭,坎陷,故低頭。又《大有之震》云:「韓子低頭。」亦以震互坎為低頭。由是證《明夷》九三之大首,亦謂坎也。

今《焦氏易林》をもって検証する。いわゆる「大首」とは、坎を指す。《易林・大有之既済》に言う。「大頭明目。」《既済》の上体は坎・下体は離であるので、坎をもって大頭としたことが分かる。大頭は即ち大首である。また《小過之豫》に言う。「頭を低して窃かに視る。」《豫》卦の中爻は互体して坎を成し、坎は頭であり、しかも坎はまた陥落を主るので頭を低すると言う。また《大有之震》に言う。「韓子頭を低す。」これも《震》卦の互坎をもって頭を低すとしたものである。これに拠って《明夷》九三の言う「大首」も、同じく坎を指すことが証明できる。

三體震,震南坎黑,故明夷於南;坎為獲,亦見《易林》;《左傳》震為殺、為威武,故震為狩。南既闇昧不明,故獲其大首,言獲其主惡也,非謂五也。凡古來《易》說,初視之而是,細按之而非,如此者十蓋六七也,幸《易林》尚存,能正之也。離亦為南,然曰南狩,則似非用離南,而用震南,與《左傳》「南國蹙」義同。

九三の処する所は震体であり、震は方位において南を主り、坎の色は黒を主るので「明夷于南」(光明が南方において傷れて昏暗する)と言う。坎は擒獲であり、これも《易林》の用例に見える。《左伝》は震をもって誅殺・威武とするので、震はまた田狩と為り得る。南方がすでに昏昧不明なので、そこで「其の大首を獲」と言い、その意は首悪元兇を擒獲したことを謂い、六五を指すのではない。およそ自古以来の《易》説で、乍見すれば是に似て細究すれば非なるものは、十条の中に常に六七条ある。幸いに《焦氏易林》がなお存し、なおそれらを糾正することができる。離もまた南を主るが、しかしここでは「南狩」と言うので、見るに離の南を用いたのではなく、震の南を用いたのであり、《左伝》の「南国蹙し」(南方の国が日に局蹙する)と取義が同じである。

明夷は中爻象を用いること独り多し

《明夷》中爻坎,坎為患難、為志、為大首、為疾、為心意,《易》皆用之;中爻震為言、為主、為人、為行、為往、為左、為馬、為壯、為狩、為出,《易》皆用之。謂《易》無互象者,其謂之何?

《明夷》卦の中爻は互体して坎を成し、坎は患難・心志・大首・疾病・心意であり、これらの象を《周易》は本卦の爻辞の中ですべて用いた。中爻は互体して震を成し、震は言・主・人・行・往・左・馬・壮・狩・出であり、これらの象を《周易》もまたすべて用いた。《周易》に互体の象がないと声言する者は、これに対してまたどのように解釈するのであろうか。

家人九三「家人嗃嗃たり、悔して厲しければ吉、婦子嘻嘻たれば終に吝」の解

侯果曰:「嗃嗃,嚴也;嘻嘻,笑也。」後儒解此,大概無出此義者。馬融謂嗃嗃為和樂者,非,和樂則與嘻嘻無別矣。後儒偶有異解,如王夫之以嗃、嘻為火聲,皆不協洽。獨同此一爻,忽嗃嗃而吉,忽嘻嘻而吝,忽曰失節,忽曰不失,此中必有故。不於象求其故,但曰嚴厲故吉,怠慢故吝,胡可哉?乃自東漢以來之說經者,鮮有及此,等於不說也。

侯果が言う。「嗃嗃とは厳厳の貌、嘻嘻とは嬉笑の貌である。」後代の儒者がこの一爻を解釈するに、大体この意を跳び出せない。馬融は「嗃嗃」を和楽と講じたが、誤りである――もし和楽なら、「嘻嘻」と分別がなくなる。後儒に偶に別解があり、王夫之が「嗃」「嘻」を火が燃焼する声とした如きは、いずれも貼切でない。問題は:同じ一爻の中で、忽ち嗃嗃として吉を得、忽ち嘻嘻として吝を致し、忽ち「家節を失う」と言い、忽ち「未だ失わざるなり」と言う。この中には必ず別の縁故がある。卦象の上に縁故を求めず、ただ厳厳なので吉、怠慢なので吝と言うだけでは、どうして講じ通せようか。しかし後漢以来の説経者でこの層に渉った者は少なく、解釈がないに等しい。

而張惠言理惠棟等,求其說而不得,乃本虞《漸》上九之說,謂三變受上成《既濟》,故吉。三變受者,謂三變陰,與上升降,上來居三,三往上,成《既濟》也。夫三當位,動則之不正,虞氏已自亂其之正之例,恐人嗤之,自謂行權宜無怪,是虞氏已自知其不當。然所以為此曲解者,以《家人》《漸》上九皆不當位而皆吉故也。乃惠氏等不知其謬,用其說以解吉義,以訛承訛,疑誤後學,莫此為甚。

張恵言・恵棟らは解を求めて得られず、便ち虞翻が《漸》上九を解した方法を搬用し、九三が変じて上爻と相受し、《既済》を成すので吉だと言った。いわゆる「三変上を受く」とは、三爻が変じて陰となり、上爻と互いに昇降し、上爻が下って三位に居り、三爻が上って上位に居り、そこで《既済》を成すことを言う。しかし九三はもともと位に当たっており、一たび動けばかえって正を失うので、虞翻はここに自ら「正ならざる者の正」という自分の義例を打ち乱した。彼は人に笑われることを恐れ、自らこれは権宜の計であって怪しむに足りないと称した――これで虞翻自身も説が通らないことを知っていたことが分かる。彼がどうしてもこのように曲解したのは、《家人》と《漸》の上九がいずれも位に当たらないのに爻辞がともに吉と言ったためである。恵棟らはその中の謬誤を明らかにせず、なおこの一套の説法を取って「吉」の義を解釈し、訛を以て訛を伝え、後学を貽誤した。これより甚だしいものはない。

茲《易林·未濟之家人》曰:「言與心詭,佞賊為禍。」夫曰心、曰賊,則以《家人》中爻互坎也;坎上下正反兩兌口相背,故曰言與心詭,曰佞賊,皆取象兌口也。九三之嗃嗃嘻嘻,亦以此也。

今按ずるに《易林・未済之家人》に言う。「言は心と詭れ、佞賊禍を為す。」すでに「心」を言い「賊」を言ったのは、《家人》の中爻が互体して坎を成すためである――《説卦》に坎は心・盗である。しかも坎体の上下はまさに一正一反の二つの兌口が彼此相背するので、「言は心と詭る」(言うことと思うことが相違する)と言い「佞賊」と言い、いずれも兌口から象を取った。九三の「嗃嗃」「嘻嘻」の二種の声口もまた、まさにこれより来る。

而三下據陰,形艮,艮為制為慎、為篤實、為尊貴,見林林,有尊嚴之象,故其聲嗃嗃;艮為家,故曰家人嗃嗃,由三視下取象也,故吉而不失。三上比陰形震,震為笑樂,有怠慢之聲,故其聲嘻嘻;震為子,四巽婦,故曰婦子嘻嘻,由三視上取象也,故吝而失節。

九三が下に向かって初・二の陰に拠れば、艮の形体を構成する。艮は節制・謹慎・篤実・尊貴であり(これらの象は《易林》の林辞に屡々見える)、一種の尊厳の気象があるので、その声口は「嗃嗃」である。艮はまた家なので「家人嗃嗃」と言う――これは九三から下を見て取った象であり、だから吉を得て「未失」である。九三が上に向かって六四の陰に比すれば、震の形体を構成する。震は笑楽であり、怠慢の声気を帯びるので、その声口は「嘻嘻」である。震は子であり、六四は巽に属して婦なので「婦子嘻嘻」と言う――これは九三から上を見て取った象であり、だから吝を致して「失家節」である。

其故全在九三上比下據之不同也。不然,以一爻忽吉忽吝,忽失忽不失,有是理哉?然非《易林》半象(《易林》於《既濟》每作三震,於《未濟》每作三艮)及正覆之例,孰能證明哉?

縁故は全く九三が上に向かって相に比するか、下に向かって相に拠するかで取る象が異なることにある。そうでなければ、同じ一爻でありながら、忽ち吉で忽ち吝、忽ち節を失い忽ち節を失わないという、このような道理があるだろうか。しかし《焦氏易林》の半象の法(《易林》は《既済》に遇えば毎々三つの震と見なし、《未済》に遇えば毎々三つの艮と見なす)および正覆して象を取る義例がなければ、誰がそれを証明できたであろうか。

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