Libo

「无妄」の確詁

清 · 尚秉和 · 第5巻 / 15

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

《史記·春申君傳》作無望,言無所期望也。京房則以為大旱之卦,萬物皆死,無所復望。《漢書·谷永傳》「處無妄之卦運」,《後漢書·崔駰傳》「值無妄之世」,亦皆義取無望,後馬、鄭皆從之。虞翻則訓妄為亡,無妄者,無所亡失也,自謂本《序卦》。何妥、崔憬、王弼,則又妄為虛妄,無妄者,言凡物見雷,盡失其虛妄也。

《史記・春申君列伝》はこの卦名を引くに「无望」と書き、意は指し望むべきものがないことである。京房は《无妄》を大旱の卦と見なし、万物が尽く死し、もはや指望がないとした。《漢書・谷永伝》に「无妄の卦運に処り」、《後漢書・崔駰伝》に「无妄の世に値う」とあり、取ったのも皆「无望」の義であり、後に馬融・鄭玄が皆この説を沿用した。虞翻は「妄」を「亡」と訓し、「无妄」は亡失するものがないことだと言い、自らこれが《序卦》の「復すれば則ち妄ならず」の一句に本づくと称した。何妥・崔憬・王弼はまた「妄」を虚妄と講じ、「无妄」は万物が一たび雷声を聞けば虚妄の心が尽く消失することを指すと言った。

清儒惠士奇、張惠言、姚配中、焦循用虞義,毛西河、俞樾等用王弼義,祗惠棟用西漢說,以妄為望,議論紛歧,莫衷一是。今案《易林·復之無妄》云:「年歲無有。」又《未濟之無妄》云:「秋飢無年。」皆作無望也。因思《彖傳》云:「無妄之往,何之矣。」亦作無望。

清代の学者恵士奇・張恵言・姚配中・焦循は虞翻の義を採用し、毛奇齢(西河)・俞樾らは王弼の義を採用し、ただ恵棟だけが西漢の旧説を採用し、「妄」を「望」と読んだ。衆説が紛紜して帰一する所がない。今按ずるに焦延寿《易林・復之无妄》に言う。「年歳有ることなし。」また《未済之无妄》に言う。「秋に飢えて年なし。」この二条の林辞の変じ至った之卦は皆《无妄》であり、辞意は全く年成が落空し指望が断絶することにあるので、焦氏が読んだのはまさに「无望」であることが分かる。これによって再び頭を回らして《彖伝》の言う「无妄の往、何くにか之く」を見れば、また「无望」と読むべきである――まさにすでに指望がないので、さらに前に進んでも往く所がない。

初九云:「無妄往吉。」言非所期望而吉也。六三云:「無妄之災。」言非所期望而有災也。九五云:「無妄之疾。」言疾已無望而竟愈也。上九云:「無妄,行有眚。」言事已無望,行必有眚也。若作無亡失、無虛妄解,義皆背戾,祗初九爻詞於二義尚可通,然亦不如無望義長。

初九爻辞に「无妄往吉」と言うのは、もともと指望の中にないのに吉を得ることを言う。六三に「无妄の災」と言うのは、もともと指望の中にないのに災に遭うことを言う。九五に「无妄の疾」と言うのは、病情がすでに指望がないのに竟に全癒することを言う。上九に「无妄、行けば眚あり」と言うのは、事がすでに指望がなく、さらに行動すれば必ず禍患があることを言う。もし虞翻に照らして「亡失なし」と解し、王弼に照らして「虚妄なし」と解すれば、この数条の爻辞の文義は皆互いに抵触する。ただ初九の一爻だけがその二種の解釈の下でまだ辛うじて講じ通るが、しかし「无望」の義の貫通するにはるかに及ばない。

虞翻謂《序卦》「復則不妄矣」,故以妄為亡,豈知《雜卦》云「無妄,災也」,亦謂無望,無望故災。韓康伯云:「《序卦》之所明,非《易》之縕,蓋因卦之次,託象以明義。」專以孩卦次之亂,故其上下卦綰合之義,非盡可據以解經。如「物不可以久居其所,故受之以《遯》」,「物不可以終壯,故受之以《晉》」,如「傷於外者必反其家」,如「困乎上者必反下,故受之以《井》」,顯為綰合之詞,其不能據以解經,亦明矣,此虞義之失也。

虞翻は《序卦》の「復すれば則ち妄ならず」に拠って、「妄」を「亡」と訓した。しかし《雑卦》は明らかに「无妄は災なり」と言う。それもまた「无望」の義である――まさに指望がないので、はじめて災がある。韓康伯はかつて言った。「《序卦》の闡明する所は、《周易》の深い蘊ではなく、ただ六十四卦の排列次第に就いて、卦象を仮託して義理を説明するにすぎない。」それは専ら卦序の参差を彌縫するものなので、上下の両卦を串合するあのような説法は、全て経を解するのに用いることはできない。譬えば「物は久しく其の所に居るべからず、故に《遯》を以て受く」、「物は終わりまで壮にすることあたわず、故に《晋》を以て受く」、また「外に傷れる者は必ず其の家に反る」、「上に困む者は必ず下に反る、故に《井》を以て受く」の如きは、明らかに皆前後の卦名を串合する連綴の辞であり、これを拠って経を解することができないこともまた明白である。これがまさに虞翻の立説の失誤の所在である。

若如崔、何等解作無虛妄,無虛妄者,信也,《中孚》也。《中孚》而信,天下豈有不利有攸往者哉?尤與《彖傳》不合。若作無望,則皆協也。西漢時無不如是詁也,非祗《易林》也。至東漢末,《易》失傳,始雜說紛歧矣,乃後儒從東漢者多,則不可解。

もし崔憬・何妥のように「虚妄なし」と解すれば、虚妄がないのは即ち誠信であり、即ち《中孚》の義である。すでに中心に誠信があるなら、天下にどうしてまだ「往くところあるに利あらず」の道理があろうか。これは《彖伝》の明かに言う「不利有攸往」と特に合わない。ただ「无望」と読めば、卦辞・彖伝・六爻が処処に妥帖する。西漢時の人は皆このように訓釈し、《焦氏易林》一家だけではない。東漢末年に至って《易》学が失伝し、はじめて雑説が紛起した。しかし後代の儒者はかえって多く東漢の説に依从した。これは人をして索解し得ないに足らしめるものである。

无妄の大象「天下雷行、物与无妄」の解

物與無妄者,物咸失其所望。京房《易傳》以為大旱之卦,百穀草木咸就枯槁,萬物皆死,無所復望。京氏之解,無一字不從象生:艮為火,大離為火,震為百穀草木,而離為枯槁,無雲而雷,繼以巽風,故萬物咸死。

いわゆる「物与无妄」とは、万物が皆それらの指望を失ったことを言う。京房《易伝》は《无妄》を大旱の卦と定め、百谷草木が一斉に枯槁し、万物が尽く死し、もはや指望がないとした。京房の解釈は一字として卦象から生じないものがない。《无妄》の中爻は互体して艮を成し、艮は火であり、全卦の二から五は合して大離を成し、離もまた火である。下体の震は百谷草木であり、離火がそれを枯槁させる。上が乾・下が震で、雲なくして雷が鳴り、それに続いて巽風が相煽ぐので、万物は悉く枯死する。

是以《易林·復之無妄》云:「踦牛傷暑,不能成畝,草萊不闢,年歲無有。」坤為牛,離亦為牛,伏大坎,坎蹇,故曰踦牛。艮火離火,故傷暑,卽京氏所謂大旱也。年歲無有,卽京氏所謂萬物皆死也,皆以釋物與無望之義也。又《無妄之革》云:「枯旱三年,草萊不生。」《革》通《蒙》,《蒙》上艮為火,互離為火,故曰枯旱,二至上與《無妄》初至四同也。焦、京之言,前後如一,足見京義皆受之焦也。

だから《易林・復之无妄》に言う。「踦牛暑に傷れ、畝を成すこと能わず、草莱辟かず、年歳有ることなし。」坤は牛であり、離もまた牛である。伏卦の中に大坎があり、坎は蹇跛なので「踦牛」(跛脚の牛)と言う。艮は火・離は火なので「傷暑」と言う。これはまさに京房のいわゆる大旱である。「年歳无有」はまさに京房のいわゆる万物皆死である――二句とも「物与无望」の意を解釈している。また《无妄之革》に言う。「枯旱三年、草莱生えず。」《革》は《蒙》と旁通し、《蒙》の上体の艮は火であり、中爻は互体して離を成してこれもまた火なので「枯旱」と言う。《蒙》の二爻から上爻までの卦体は、《无妄》の初爻から四爻までの卦体とまさに同じである。焦延寿と京房の説は前後一轍の如くであり、京房の義は皆焦延寿から承受して来たことが足りて見える。

乃至東漢,《易》象失傳,虞翻等既不知艮火象,又不識大離象,詫大旱之說之無根,謂京氏及俗儒失之遠矣。獨不思孔子《彖傳》,乃章解句釋卦詞者也,傳明曰「不利有攸往」「無妄之往,何之矣」,若作無亡,尚何之而不利?舍《彖傳》不從,而從《序卦》,是所謂舍近取遠、棄明就暗者也。後李道平作《集解》卷疏,又疑京氏大旱之說本於「無妄災」,仍未得也。

東漢に至って《易》象が失伝し、虞翻らは艮が火象を取り得ることを知らず、また大離の象を認識せず、そこで京房の大旱の説が全く根拠がないことに驚き、京房と俗儒が誤ること甚だ遠いと斥責した。彼らはあえて考えようともしない。孔子の《彖伝》はすなわち章ごと句ごとに卦辞を解釈するもので、《彖伝》は明らかに「不利有攸往」「无妄の往、何くにか之く」と言う。もし「无妄」が「亡失なし」なら、どこへ往けば利でないのか。近く眼前にある《彖伝》を舍てて依从せず、かえって《序卦》に依从するのは、これがいわゆる近を舍て遠を求め、明を棄てて暗に投ずるである。後に李道平が《周易集解纂疏》を作って、また京房の大旱の説が《雑卦》の「无妄は災なり」の一句から推し出されたものと猜想したが、依然として的中しなかった。

无妄六二「耕かず獲らず、菑せず畬せず、則ち往くところあるに利し」の説

彖曰「不利有攸往」,傳曰「無妄之往,何之矣」,皆不利也。震為耕穫,為菑畬,艮止,故不耕穫、不菑畬,不利也。前臨三陰,陰遇陰則阻,亦不利。象曰「未富」,亦不利。乃曰「則利有攸往」,後解此者,無論若何斡旋,若何委曲,總不能協。

卦辞の《彖》は「不利有攸往」と言い、《彖伝》は「无妄の往、何くにか之く」と言い、いずれも不利である。下体の震は耕種收穫・開荒墾田であり、中爻は互体して艮を成し、艮は止なので、耕かず獲らず・菑せず畬せずと言う。これもまた不利である。六二は前に三つの陰爻に臨み、陰が陰に遇えば阻まれるので、同じく不利である。《小象》に「未だ富まざるなり」と言うのも、やはり不利である。しかし爻辞はひとえに「則ち往くところあるに利し」と言う。後人がこの一句を解釈するに、どのように斡旋し、どのように委曲遷就しても、ついに講じ順うことができない。

案《禮·坊記》引此云:「不耕穫,不菑畬,凶。」多一凶字。既曰凶,則不利也明矣。《坊記》為七十子所述《易》說之最古者,或據此疑則為凶之訛字,或又疑此五字全為衍文,愚則疑仍彖詞之「不利有攸往」也。

考えるに《礼記・坊記》はこの句の爻辞を引くに「耕かず獲らず、菑せず畬せず、凶」と作し、今本より一つの「凶」の字が多い。すでに「凶」と言う以上、それが不利であることは極めて明白である。《坊記》は孔門七十弟子の伝述した《易》説の中で最も古い一種である。ある人はこれに拠って今本の「則」の字が「凶」の字の訛ではないかと疑い、ある人は「則利有攸往」のこの五字が全て後人の簒入した衍文ではないかと疑う。私はここは依然として卦辞《彖》の言う「不利有攸往」と同じくすべきではないかと疑う。

茲再證之。《易林·復之無妄》云:「踦牛傷暑,不能成畝,草萊不闢,年歲無有。」夫不能成畝、草萊不闢,卽不耕穫不菑畬也;年歲無有,卽無望也。又《未濟之無妄》云:「獨立山顛,求麋耕田,草木不闢,秋飢無年。」艮山,巽高,而乾為首,故曰獨立山顛。艮為求,震為麋為耕,麋非耕田之獸而使之耕,故曰草木不闢,釋不耕不菑也。秋飢無年,仍無妄也,凶也,與《坊記》之義如合符契,皆不利也。

今再び林辞をもって検証する。《易林・復之无妄》に言う。「踦牛暑に傷れ、畝を成すこと能わず、草莱辟かず、年歳有ることなし。」いわゆる「不能成畝」「草莱不辟」は、まさに爻辞の「不耕獲、不菑畬」であり、「年歳无有」はまさに「无望」である。また《未済之无妄》に言う。「独り山の顛に立ち、麋を求めて田を耕す、草木辟かず、秋に飢えて年なし。」《无妄》の中爻は互体して艮を成し、艮は山であり、伏巽は高であり、上体の乾は首なので「独立山顛」と言う。艮は求取であり、下体の震は麋・耕作であり、麋はもともと田を耕す牲畜ではないのに無理にそれに田を耕させるので、自然に田を墾出できず、「草木不辟」と言う。これはまさに「不耕、不菑」を解釈している。「秋飢無年」は依然として「无妄」であり、即ち「凶」である。これは《坊記》の引文と厳密に合致し、いずれも「不利」を指向する。

虞翻謂二應五,故利往,然二五皆當位,不能相升降,謂二孚五則可,謂二往五則不可。況《大畜》九三無應,而亦曰有攸往,則利往之不指應予明甚。又《遯》初六有應予,而爻詞曰「勿用有攸往」,陰遇陰則阻,則攸往之與應予無涉益明。此與《未濟》六三爻詞皆有訛誤,不能強說。

虞翻は六二が九五と相応するので、前往に利があると言う。しかし二・五の両爻は各々位に当たり、互いに昇降することができない。六二が九五に誠信すると言うのはまだよいが、六二が往って五位に居ることができると言うのはいけない。ましてや《大畜》九三には相応する爻がないのに、爻辞はやはり「往くところあるに利し」と言う。これで「利往」が応爻の有無に取决まらないことが分かり、これは極めて明白である。さらに《遯》卦初六には九四が応としてあるのに、爻辞はかえって「往くところあるを用いる勿れ」と言う。それは陰が陰に遇えば阻まれるからである――「有攸往」が応爻の有無と少しも相干らないことが足りて見える。ここの爻辞は《未済》六三の爻辞と同様に、いずれも文字の訛誤が存在し、無理に曲説することはできない。

大畜「利渉大川」の解

此與《蠱》之利涉大川同也。《蠱》彖曰「往有事也」,坤為事,言陽往得二陰為助也;《大畜》彖曰「應乎天也」,五為天位,亦言陽往得五陰為應也。《大畜》《蠱》自三以上體同也,皆以坤陰為大川也。又按《易林》與九家往往以乾為河,《大畜》乾水在下,中爻震為舟,舟在水上,利涉之象,說尤通也。

《大畜》の「利渉大川」は、《蠱》卦の「利渉大川」と同じ一つの道理である。《蠱》の《彖伝》に「往って事あり」と言い、坤は事であり、陽爻が前往して衆陰の助けを得ることを言う。《大畜》の《彖伝》に「天に応ず」と言い、第五爻は天位であり、同じく陽爻が前往して六五の陰とそれに相応することを得ることを言う。《大畜》と《蠱》は第三爻以上が卦体同じであり、両卦とも坤陰を取って「大川」とする。また《焦氏易林》と荀爽ら九家《易》は常に乾をもって河とする。《大畜》の下体の乾水は下にあり、中爻は互体して震を成して舟であり、舟が水上行けば、まさに「利渉」の象である。この講法はいっそう通暢する。

大畜九二「輿輹を説く」

旁通《萃》。《萃》二至四艮,艮為覆震,震為車為輹,震覆,故脫輹。震輹之象,由左氏、《子夏傳》尋得,義則《易林》用覆也。

《大畜》は《萃》と旁通する。《萃》卦は二から四爻まで互体して艮を成し、艮は即ち倒した震である。震は車・車下の伏兎(輹)であり、今震がすでに倒覆したので、車輹は自然に脱落する。だから爻辞に「輿輹を説く」と言う。震が車・輹であるこの象は、《左伝》と《子夏易伝》の中から考え出したものである。倒覆して義を取るというこの層の道理に至っては、《焦氏易林》が慣用する覆象の法である。

大畜九三「日に輿衛を閑す」の解

《晉語》:「震,車也。」《左傳》閔元年《屯》之《比》,卽震變坤,震變坤曰「車從馬」,是以震為車也。《大畜》九三之輿衛,亦以震為車明矣。曰閒輿衛者,乾為日,震利往,故曰日閒。乃自東漢以來,祗知坤為大輿,無以震象詁輿衛者,左氏雖明言,不信也。

《国語・晋語》に言う。「震は車なり。」《左伝》閔公二年に畢万が仕を筮して、《屯》之《比》に遇い、それは震が坤に変じたもので、辛廖の断辞に「車は馬に従う」と言うので、震をもって車としたことが分かる。《大畜》九三の言う「輿衛」も同じく震をもって車とするのであり、これは極めて明白である。「閑輿衛」と言う所以は、上体の乾が日であり、中爻の震が前往に利あるからである。だから「日閑」と言い、即ち毎日車馬守衛の事を練習する。しかし後漢以来、学者は坤が大輿であることだけを知り、震象をもって「輿衛」を解釈する者が一人もいない。《左伝》《国語》は明らかに講じているのに、彼らは信じようとしない。

茲《易》《大畜之明夷》云:「車馳轊擊。」《明夷》上坤,三至五震,坤車震車,故曰轊擊。又《噬嗑之震》云:「車雖駕。」亦以震為車。可見《大畜》亦以互震為車,不必以坤為車,《易》例有明象卽不用伏也。

今按ずるに《焦氏易林・大畜之明夷》に言う。「車馳せ轊撃つ。」《明夷》の上体は坤であり、三から五爻まで互体して震を成す。坤は車であり震もまた車であり、両車が並び馳せるので、車軸頭が相撞撃すると言う。また《噬嗑之震》に「車駕すといえども」とあるのも、震をもって車とする。これで《大畜》も同じく互体の震を取って車とすることが分かる。必ずしも坤を取って車としなくてもよい。《周易》の通例は:本卦にすでに現成して明白な卦象があれば、再び伏卦の象を用いることはない。

大畜九三「上と志を合す」の解

《大畜》九三云「利有攸往」,陽遇陰則通也,利往卽利涉大川也,而知者鮮。至小象「上合志」之義,自東漢以來卽晦而不明:三陽,上亦陽,志如何合?虞翻知其然也,謂五已之正為陽,上覆之正為陰,成坎,坎為志,三應上為合志,一變不足而再變,其為曲解,不待辨矣。然後之治漢《易》者,窘無他說,不得不從也。

《大畜》九三に「往くところあるに利し」と言うのは、陽が陰に遇えば通暢するからである。ここの「利往」は即ち卦辞の「利渉大川」であるが、この層を解する人が少ないのが残念である。《小象》の「上と志を合するなり」の意に至っては、後漢以来晦暗不明である。九三は陽であり、上九もまた陽であり、両陽の志がどうして相合することができようか。虞翻もまた講じ通らないことを知り、便ち六五がまず陽に変じて正を得、上九が再び陰に変じて正を得、ここに三から五までが坎を成し、坎は志であり、九三が上爻と相応すれば即ち「合志」と言った――一度変じて足りなければさらにもう一度変じる。これは曲解であり、弁駁するまでもない。しかし後に漢《易》を治める人は別の説がなく窘められたので、やむを得ず彼に従って講じた。

茲以《易林》陰陽相遇則吉之義推之,三臨二陰,故利往。上謂四五,非上九也,《易》凡在前者皆曰上。《節》六四亨,象曰「承上道也」,上謂九五,陰遇陽故亨;《升》初六大吉,象曰「上合志也」,言初六與九二九三合志,陰遇陽故吉,在前故謂之上。若六四與上六皆陰,不相應,如何合志?

今《焦氏易林》の「陰陽相遇すれば則ち吉」という義例をもって推し求める。九三は上に六四・六五の二つの陰爻に緊臨するので、前往に利がある。《小象》の言う「上」が指すのは四・五の両爻であって、上九ではない――《周易》はおよそ位置が前にあるものは皆「上」と称し得る。《節》卦六四に「亨」と言い、《小象》に「上道を承くなり」と言う。この「上」は九五を指し、陰が陽を承えるので亨通する。《升》卦初六に「大吉」と言い、《小象》に「上と志を合するなり」と言うのは、初六が九二・九三と志を同じくし、陰が陽に遇うので吉であり、二・三がその前にあるので「上」と称する。もし「上」を無理に上爻と講じれば、《升》の六四と上六はともに陰爻で彼此相応せず、どうして合志を論ずることができようか。

知《升》上之指二三,則知《大畜》之上之確指四五也明矣。《升》互坎,故曰志;《大畜》互離,伏坎,故亦曰志。後人不知《易》能解《易》,必以上為上九,故永不能通。又《無妄》初九云「往吉得志」,往吉卽利有攸往,得志卽合志,亦以前臨二陰,非謂應四也。《無妄》初至四,與《大畜》三至上,體同也,仍以《易》解《易》也。

《升》卦の「上」が九二・九三を指すことを明らかにすれば、《大畜》の「上」が確かに六四・六五を指すこともまた明らかである。《升》卦の中爻は互体して坎を成し、坎は志なので「志」と言う。《大畜》の中爻は互体して離を成し、離は坎を伏せるので、また「志」と言うこともできる。後人は《周易》そのものをもって《周易》を解することを解さず、必ず「上」を上九と講じようとするので、永遠に講じ通らない。さらに《无妄》初九に「往けば吉、志を得たり」と言い、「往吉」は即ち「利有攸往」であり、「得志」は即ち「合志」であり、同じく前に六二・六三の二つの陰爻に緊臨するからであり、それが九四と相応すると言うのではない。《无妄》の初爻から四爻までの卦体は、《大畜》の三爻から上爻までの卦体とまさに同じである――これは依然として《易》をもって《易》を解する方法である。

頤卦の命名の解

先天震東北,後天艮東北,故取象上下相合,先動而後止,卽先震後艮也。《易林》說《坎》云:「丑寅不徙。」卽震艮合居,震艮合居卽頤也。

先天八卦では震が東北に居り、後天八卦では艮が東北に居り、両者は同位である。だから《頤》卦は上下相合の象を取る。まず動いて後に止まる。即ち下体が震・上体が艮の次第である。《焦氏易林》が《坎》の条を説いて云う。「丑寅徙らず。」丑寅はまさに艮位であり、震もまたそれと同宮である。これが即ち震艮の合居であり、震艮が合居すれば《頤》卦を構成する。これで焦延寿の命名取象は依然として先後天方位相合の理に本づくことが分かる。

頤の大象「君子以て言語を慎み飲食を節す」の解

荀爽謂:「雷為號令,今在山中閉藏,故慎言語。雷動於下,以陽食陰,艮以止之,故節飲食。言出乎身,加乎民,慎言語,所以養人也。飲食不節,殘賊群生,故節飲食以養物。」其詁既膚淺不當,清儒多祖述荀氏者,更無他解。

荀爽の解釈はこうである。「雷は号令であり、今震雷が山の中に閉蔵するので、言語を慎むべきである。雷が下に動き、陽気をもって陰気を吞食し、上体の艮がまた止禁を加えるので、飲食を節制すべきである。言語は自身から出て百姓に加わるので、言語を慎むのはまさに人を養うためであり、飲食に節制がなければ衆生を残害するので、飲食を節制するのは物を養うためである。」このような訓釈は浅溥にして切当でないが、清代の学者は大半が荀爽を承襲し、さらに別の講法を持ち出すことができない。

茲以《易林》證之。宜慎宜節之故,則以正覆兩震相對也。震為言語,人知之;震為口舌,能飲食,或疑之。乃《易林·井之師》云:「長舌作凶。」是震亦為舌,與兌同,特形較長耳。言語飲食之象既定,則慎節可得言矣。

今《焦氏易林》をもって印证する。「慎」み「節」する所以は、《頤》卦が一正一覆の二つの震を含み相対峙するからである。震が言語であることは、誰でも知っている。震が口舌であり飲食を主ると言えば、疑う人が出てくる。しかし《易林・井之師》に言う。「長舌凶を作す。」《師》卦は二から四まで互体して震を成すので、震もまた舌象を取ることが分かり、兌と同じである。ただ形狀が兌より長いだけである。言語・飲食の二つの象がすでに坐実したので、「慎」と「節」の道理がはじめて論じられる。

按《易林·復之頤》云:「噂噂所言。」《詩》毛傳:「噂,對語也。」頤象也。《晉之艮》云:「學靈三年,聖且聰明。」學靈者,小兒學言語也,艮為小子,艮三至上兩震相對,亦頤也。下言一出,上卽如言而反,君子出言為天下法,安得不慎?

按ずるに《易林・復之頤》に言う。「噂噂たる所言。」《詩経》毛伝は「噂」を向かい合って交談することと解す。両口が相対して語るのは、まさに《頤》卦の象である。また《晋之艮》に言う。「霊を学ぶこと三年、聖にして且つ聡明なり。」いわゆる「学霊」とは、小児が話を学ぶことである。艮は小子であり、《艮》卦の三爻から上爻までは両震が相対し、即ち《頤》体である。下の一句の話を言い出せば、上が即座にそのまま返って来る。君子が言を出すは天下の取法となるべきものであり、どうして慎まないことができようか。これが即ち「慎言語」の象の出どころである。

又《履之蒙》云:「兩人相伴。」震為人,正覆震,故曰兩人。「相與悖戾,心乖不同,訟爭訩訩。」《蒙》二至上亦兩震相對,亦頤也,相對卽相背,故曰背戾、曰訟爭。悖戾訟爭,又安得不慎?故曰慎言語。

また《履之蒙》に言う。「両人相伴う。」震は人であり、一正一覆の二つの震なので「両人」と言う。林辞は続いて言う。「相与に悖戾し、心乖りて同じからず、訟争して讻讻たり。」《蒙》卦の二爻から上爻までもまた両震が相対し、同じく《頤》体である。相対するは即ち相背くことなので、乖戾と言い争訟と言う。すでに両口が相向すれば乖戾争訟が生ずるので、言語はどうして慎まないことができようか。だから大象に「慎言語」と言う。

至節飲食,按《易林·未濟之頤》云:「齗齗囓囓,貧鬼相責。」以上下兩震口相對,故曰齗囓。又《豐之坎》云:「兩狗同室,相囓爭食。」以《坎》二至五正反兩艮,卽兩震,亦頤也,故曰兩狗,故曰相齧。蓋飲食者,人之所爭,兩口相對,爭象尤著,爭則怒,怒則斗,能節則爭端息矣,故節飲食。

さらに「節飲食」を言う。《易林・未済之頤》に言う。「齗齗囓囓、貧鬼相責む。」これは上下二つの震口が彼此相対するので、齦牙が咬嚙すると言う。また《豊之坎》に言う。「両狗同室、相囓みて食を争う。」《坎》卦の二から五爻までは一正一反の二つの艮であり、即ち二つの震であり、同じく《頤》体を成すので「両狗」と言い「相嚙」と言う。飲食はもともと人の争奪するものであり、両口が面と向かえば争奪の象はなおさら顕著である。一たび争えば即ち怒り、一たび怒れば即ち相闘う。節制できれば争端は自ずから息むので、大象に「節飲食」と言う。

至慎與節之象,艮多節,見《說卦》;艮止為慎,學《易》者類能知之。然謂慎與節之象由艮而取則可,專以艮為義則膚末矣。《損》象云:「君子以懲忿窒欲。」懲忿卽慎言語,窒俗卽節飲食,《損》二至上亦頤也,可互為註腳也。焦循作《易通釋》,徒牽攣卦變,至於《易》旨真通者,反多不釋,豈不異哉!《頤》象曰「道大悖也」,卽謂正反兩艮震相背。

「慎」と「節」自体の取象に至っては、《説卦》に艮は多節の木と言い、艮はまた止を主りて謹慎の義があることは、《易》を学ぶ者は大抵知っている。ただし慎・節の象を艮の上から取り得ると言うのは、それは正しい。しかし専ら一つの艮を取って義を立てれば、あまりに浅溥である。《損》卦の大象に「君子以て忿を懲し欲を窒ぐ」と言う。忿を懲すはまさに言語を慎むに相当し、欲を窒ぐはまさに飲食を節するに相当し、《損》卦の二爻から上爻までもまた《頤》体であり、二条の大象は互いに注脚を為すことができる。焦循が《易通釈》を著して、ただ卦変に死にもの狂いで纏わることを知り、《易》旨の真に貫通する所に対してはかえって大半は解釈を加えない。なんと奇怪ではないか。《頤》六三の《小象》に「道大いに悖るなり」と言うのは、言うのはまさに一正一反の両組の艮震が彼此相背くことである。

頤初九「霊龜」の象

自《易》象失傳,於是虞翻等拘於《說卦》:以坎為水,不知坤亦為水;以乾為金,不知艮亦為金;以坎為月,不知兌亦為月;以坤為牛,不知離亦為牛,離牛雖見於卦辭、見於《左傳》,不信也;以坤為輿,不知震亦為輿,震車雖見於爻辭、見於左氏內外傳,不信也。

《易》象が失伝して以来、虞翻らは《説卦》の現成の項目を死守するようになった。ただ坎が水であることを知り、坤もまた水であることを知らず。ただ乾が金であることを知り、艮もまた金であることを知らず。ただ坎が月であることを知り、兌もまた月であることを知らず。ただ坤が牛であることを知り、離もまた牛であることを知らず――離牛の説はすでに《離》卦卦辞の「牝牛を畜すれば吉」に見え、また《左伝》の筮例にも見えるのに、彼らは依然として信じない。ただ坤が輿であることを知り、震もまた輿であることを知らず――震車の説はすでに爻辞に見え、また《左伝》《国語》にも見えるのに、彼らは同じく信じない。

以離為甲兵,因而以離為斧為矢,不知《易》凡言斧者皆指兌,言矢皆指坎;以離為雉,因而以離為鴻為鶴,不知《易》之言鴻指艮震,言鶴專指震;以離為火,不知艮亦為火;以離為日,不知乾亦為日;以離為龜,不知艮陽在上亦為龜。

彼らは離を甲胄兵戈とし、そこでまた離が斧であり離が箭矢であると推し出した。しかし《周易》はおよそ斧を言う所は皆兌を指し、矢を言う所は皆坎を指す。離を雉鳥とし、そこでまた離が鴻であり離が鶴であると推し出した。しかし《周易》が鴻を言うのは艮と震を指し、鶴を言うのはさらに専ら震を指す。ただ離が火であることを知り、艮もまた火であることを知らず。ただ離が日であることを知り、乾もまた日であることを知らず。ただ離が亀であることを知り、艮が一陽を以て二陰の上に覆うこと、外は剛で内は柔で、同じく亀象であることを知らない。

至於《易》用旁通,漢魏人察見者已少,然尚偶有之;若覆象,則無一人能知矣。自覆象失傳,於是《革》九四改命之改字、《巽》上九喪斧之喪字、《隨》初九官有渝之渝字、《頤》初九舍爾靈龜之舍字,其義遂無有通者。

《周易》が旁通の法を使用することに至っては、漢魏の際に察知できた人はすでに少なかったが、しかし畢竟偶にはいた。倒覆して象を取ると言えば、それは一人も解する者がいなかった。覆象が失伝して以来、そこで《革》九四「改命」の「改」の字、《巽》上九「其の資斧を喪う」の「喪」の字、《随》初九「官有渝」の「渝」の字、《頤》初九「爾の霊亀を舍する」の「舍」の字、これらの字の着落はもはや講じ通せる人がいない――それらは全て本象が倒覆して来たものだからである。

茲按《易林》靈龜之象,正以艮耳。《易林·歸妹之剝》云:「靈龜陸處。」以艮為龜也。又《需之觀》云:「魚鱉傾倒。」則以《觀》之互艮為鱉。又《復之咸》云:「買鱉失魚。」則以《咸》之下艮為鱉。又《乾之井》云:「黿鳴歧山,鱉應山淵。」《井》通《噬嗑》,《噬嗑》初至四正覆震,故曰鳴、曰應;正覆艮,故曰黿、曰鱉、曰山;坤為淵,陽居在下,故曰山淵。

今按ずるに《焦氏易林》の用いる霊亀の象は、まさに艮を取っている。《易林・帰妹之剥》に言う。「霊亀陸に処る。」《剥》の上体は艮であり、これは艮をもって亀としたものである。また《需之観》に言う。「魚鼈傾倒す。」これは《観》卦の互艮を取って鼈としたものである。また《復之咸》に言う。「鼈を買いて魚を失う。」これは《咸》卦の下体の艮を取って鼈としたものである。また《乾之井》に言う。「鼋岐山に鳴き、鼈山淵に応ず。」《井》は《噬嗑》と旁通し、《噬嗑》の初爻から四爻までは一正一覆の両震なので「鳴」と言い「応」と言う。また一正一覆の両艮なので「鼋」と言い「鼈」と言い「山」と言う。坤は深淵であり、陽爻が下に居るので「山淵」と言う。

言艮黿鳴用反震於山上,艮鱉用反艮應於坤淵之下也,與《中孚》之「鳴鶴在陰,其子和之」義同也,全用覆也。《頤》初九之舍爾靈龜,艮為龜,初九艮覆,故曰舍爾靈龜,與《巽》上九之喪斧、《革》九四之改命義同也,皆用覆也。至於《損》六五之龜、《益》六二之龜,亦皆以艮為龜,而六五六五皆有應,故曰益。

艮の鼋が鳴くのは反震の象を用い、山上で鳴く。艮の鼈が応ずるのは反艮の象を用い、坤淵の下で応ずる。その取義は《中孚》九二の「鳴鶴陰に在り、其の子これに和す」と同じであり、全て倒覆の象に依拠する。《頤》初九の「爾の霊亀を舍す」もまたこのようである。艮は亀であり、初九は艮体が倒覆する位に処り、亀象が一たび覆れば即ち舍弃となる。だから「爾の霊亀を舍す」と言い、《巽》上九の「斧を喪う」、《革》九四の「命を改む」と同じ一つの道理であり、いずれも覆象を用いる。《損》六五の「十朋の亀」、《益》六二の「十朋の亀」に至っても、いずれも艮をもって亀とする。しかしこの両爻は各々応爻があり、亀象は覆らないので「或いはこれを益す」と言う。

自艮龜之象失傳,於是虞翻謂《頤》初從《晉》四來,《晉》離象毀,故曰舍;《益》則命三變成成離龜;《損》則先使二變五變,再使三變成離為龜。聖人制詞,不取原有象,而取一變再變三變後之象,非虞氏無此說矣,此亦王弼《易》風行之一因也。然虞氏必如此者,則以《易》無象外字也。《易》無象外字,東漢人尚知之,王弼以後則微茫矣。《鼎》九三當位,虞氏竟背其之正之說,令三變陰。

艮が亀である象が失伝して以来、虞翻は《頤》初九が《晋》卦九四から変じて来たものと言い、《晋》の離象が壊れたので「舍」と言うとした。《益》卦を講ずる時はまた第三爻を変じて離を成して亀とさせ、《損》卦を講ずる時はさらにまず二爻を変じ、五爻を変じ、さらに三爻を変じさせて、やっと離亀を凑えた。聖人が卦爻辞を制作するに、現成して已有する象を取らず、ひとえに一変・再変・三変の後にはじめて現れる象を取る――虞翻のほか、このように説を立てる人はいない。これもまた王弼《易》が後に一時風行した原因の一つである。ただし虞翻がどうしてもこのようでなければならなかったのは、彼が《周易》には一字として象の外にあるものがないと堅信したからである。「《易》に象外の字なし」というこの道理は、後漢人はまだ知っていたが、王弼以後は渺茫として尋ね難くなった。《鼎》卦九三はもともとすでに位に当たっていたのに、虞翻は竟に自分の「位に当たらざる者の正」の義例に背き、無理に三爻を変じて陰とさせた。

頤六五「大川を渉るべからず」、上九「大川を渉るに利し」の解

此與《大畜》三與上合志義通。《大畜》三臨二陰,故利往;上乘二陰,故道大行,陽遇陰則通也。《頤》六二前臨三陰,故征凶;六五下乘三陰,故不可涉,陰遇陰則阻也,故象只戒其順上,順上,陰遇陽也。至上九下乘四陰,故利涉,與《大畜》上九同,陽得陰則通也。

この条は前の《大畜》九三「上と志を合す」の道理と相通ずる。《大畜》九三は上に六四・六五の両陰に臨むので前往に利があり、上九は下に両陰に乗るので《小象》に「道大行するなり」と言う――いずれも陽が陰に遇えば通暢する。《頤》卦六二は前に三つの陰爻に臨むので「征めば凶」と言い、六五は下に三つの陰爻に乗るので「大川を渉るべからず」と言う――いずれも陰が陰に遇えば阻まれる。だから《小象》はただそれに「順にして上に従う」ことを告誡する。上九に順従すれば、それは即ち陰が陽に遇うことである。上九に至っては、下に四つの陰爻に乗るので「大川を渉るに利し」と言い、《大畜》上九と同じく、陽が陰を得て通暢するものである。

此以坤為大川,至為明白矣。乃二千年來坤水之象失傳,必以坎為大川:五變不能成坎,上變亦不能成坎,必五上全變乃成坎,坎象成而利涉不利,小不知屬何爻。後儒治漢《易》者雖多,不主虞翻不能解也。《易》義晦茫至此,非《易林》,孰能正之?

ここは明らかに坤陰を取って「大川」としたもので、これほど明白なことはない。しかし二千年の間、坤が水である象が失伝し、学者は必ず坎を取って大川としようとした。単に五爻を変じても坎を凑えることはできず、単に上爻を変じても坎を凑えることはできず、必ず五爻・上爻を全て変じてはじめて坎を成す。坎象は確かに凑えられたが、しかしいったい「利渉」がどの爻に属し、「不可渉」がどの爻に属するかは、かえって一点も説き明かせない。後代に漢《易》を治める人は多いが、虞翻に依傍しなければ措手する所がない。《易》義がこの地步まで晦暗したのに、《焦氏易林》がなかったなら、誰がまたそれを糾正できようか。

大過九二「枯楊稊を生じ、老夫其の女妻を得」の解

此其義亦二千年長夜矣。因《易》說失傳,旁通之義不明,不知雷風相薄,凝合為一,遇其雌必獲其雄,此立竿而彼必有影也。《大過》對象《頤》,《頤》為大離,離「科上槁」,故曰枯,非以乾老為枯也。

この两句の爻辞の意義もまた二千年の長夜の中にある。原因は《易》説が失伝し、旁通の義が明らかでなく、学者が雷と風が互いに逼薄し凝合して一となること、雌に遇えば必ず同時に雄を得ることを解さないからである――ちょうどこちらに竿を立てれば、かならずあちらに影があるようなものである。《大過》の対卦(旁通の卦)は《頤》であり、《頤》卦は二から五爻まで合して大離を成し、《説卦》に離は「其の木に於ては科上槁なり」と言い、中が空して上端が枯槁するので、爻辞に「枯」と言う。虞翻のように乾の老を取って枯とするのではない。

凡《易林》言枯者,無不屬離。《豫之履》云:「枯槁腐蠹。」《謙之漸》云:「萬物空枯。」皆指離象。然猶可曰此非大離也。乃《泰之節》云:「自令枯槁。」《泰之艮》云:「物病焦枯。」《節》二至五、《艮》三至上皆大離,亦皆曰枯。然猶可謂卦象與《頤》與《大過》不同也。

およそ《焦氏易林》が「枯」を言う所は、離に属さないものがない。《豫之履》に言う。「枯槁して腐蠹す。」《謙之漸》に言う。「万物空枯す。」いずれも離象を指す。ある人はあるいは言うかもしれない、これらはただ本体の離であって大離ではないと。ならばさらに《泰之節》を見れば言う。「自ら枯槁せしむ。」《泰之艮》に言う。「物病めて焦枯す。」《節》卦の二から五爻まで、《艮》卦の三から上爻までは皆大離であり、いずれも「枯」と言う。ある人はさらに言えるかもしれない、これらの卦象は《頤》や《大過》と畢竟異なると。

乃《泰之咸》云:「老楊日衰,條多枯枝。」《咸》與《損》對,《咸》二至上《大過》,《損》二至上《頤》也。前數卦皆以離為枯,此枯枝亦用《損》之大離也明矣,象同語同,此不啻焦氏之特解《大過》爻詞矣。虞翻等誤用象,以乾老為枯,豈知必以離為枯者,離中虛故枯,乾為實為金玉,雖老不枯也。虞又謂卦為《大過》,故五過二應初,二過五應上,尤為荒謬,失古《易》例。

ならばさらに《泰之咸》を見れば言う。「老楊日に衰え、条多く枯枝あり。」《咸》は《損》と旁通し、《咸》卦の二爻から上爻まではまさに《大過》であり、《損》卦の二爻から上爻まではまさに《頤》である。前の数条の林辞は皆離をもって枯とし、この条の「枯枝」も明らかに《損》の大離を用いたものである――卦象が同じ、用語が同じ、これはまさに焦延寿が専ら《大過》爻辞のために下した注脚である。虞翻らは卦象を誤用し、乾の老を取って枯とした。しかしどうしても離をもって枯としなければならないのは、離の中爻が虚で、虚なので枯槁するからである。乾は堅実・金玉なので、たとえ年久しくても枯れることはない。虞翻はまた卦名が《大過》なので、九五が九二を越えて初六に応じ、九二が九五を越えて上六に応じると言ったが、それはなおさら荒謬であり、古《易》の義例に全く違失している。

至於老夫,則用對象震也。《易林·夬之復》云:「姬姜歡悅,二姓為婚。」《復》震為周,故曰姬;姜者齊姓,巽齊,故曰姜,是《易林》見震卽言巽也。又《坎之革》云:「少女無夫。」《革》互巽,故曰少女;震伏,故曰無夫。又《坤之同人》云:「長男少女,相向共語。」《同人》中爻巽,伏震,故曰長男少女,是《易林》見巽卽言震也。

「老夫」に至っては、対卦《頤》の中の震を用いる。《易林・夬之復》に言う。「姫姜歓悦し、二姓婚を為す。」《復》卦の下体の震は周であり、周室は姫と姓するので「姫」と言う。姜は斉国の姓であり、巽は方位において斉を主るので「姜」と言う――これで《易林》は震を見れば連帯して巽を説き出すことが分かる。また《坎之革》に言う。「少女夫なし。」《革》卦の中爻は互体して巽を成し、巽は長女なのにここでは少女を取るので「少女」と言う。それと相配する震は潜伏して見えないので「无夫」と言う。また《坤之同人》に言う。「長男少女、相向かい共に語る。」《同人》の中爻は巽であり、伏卦は震なので「長男少女」と言う――これで《易林》は巽を見ても連帯して震を説き出すことが分かる。

震夫巽婦,合而不分,以是推《大過》之老夫女妻,《易》亦見巽卽言震也。震為夫,坤逆行,見前,自上而下,在上者少,在下者老,時有異也,故曰老夫。《易林》云「二姓為婚」,正釋此也。故曰「老夫得其女妻」,女妻者,少妻巽也。

震は夫であり、巽は婦であり、二者は合して分かつべからず。これに拠って《大過》九二の「老夫」「女妻」を推し求めれば、《周易》もまた巽を見れば連帯して震を取ることが分かる。震は夫であり、しかも坤は逆行するものである(説は前文に見える)。上から下へ推し数え、上位に居る者を少とし、下位に居る者を老とする。先後の時序が異なるので、九二が下にあれば即ち「老夫」と称する。《易林》が「二姓為婚」と言うのは、まさにこの一句を解釈している。だから爻辞に「老夫其の女妻を得」と言う。いわゆる「女妻」とは、即ち年少の妻であり、取るのは本卦の巽である。

《易林》《觀之屯》《革之復》皆云:「愧我少姬。」是皆以對象巽為少姬也。他若《同人之渙》云「少齊在門」,《無妄之大壯》亦云,《大壯》通《觀》,是皆以巽為少。少齊者,《左傳》昭二年晉人謂之少齊是也,是巽為女妻之確解也。《易》合本象對象言,《易林》每本之以為常例。二千年來解此者,惟一俞樾知用旁通,識過前儒甚遠,而於老少之故仍不能通,則以乾順坤逆之理不明也。

《易林》の《観之屯》《革之復》は皆言う。「我が少姬に愧ず。」これらは皆対卦の巽を取って少姬としたものである。その他《同人之渙》の「少斉門に在り」、《无妄之大壮》にも同じ説法がある――《大壮》は《観》と旁通し、《観》の上体は巽である――これでいずれも巽をもって少としたことが分かる。いわゆる「少斉」とは、即ち《左伝》昭公二年に晋人が称呼した「少斉」である。これが即ち巽が「女妻」であることの確解である。《周易》はもともと本卦の象と旁通の象を併せて言を立て、《易林》は毎々これを常例とする。二千年の間この两句を解釈した人の中で、ただ俞樾一人だけが旁通を用いることを解り、見識は前代の学者をはるかに超えた。惜しいのは、彼がどうして下にあれば老であり上にあれば少なのかというこの層について依然として講じ通せなかったことである。それは乾が順行し坤が逆行するという道理を明らかにしなかったためである。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

Hexagrams in this volume