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地支を論ず

明 · 万民英 · 第4巻 / 25

作盤ガイド: 八字作盤

地支之用,不比天干,動靜不同,圓方迥異。然五行所屬則一,而所處之地不一。且如在年則有在年之論,在月則有在月之論,在日時則有日時之論,其陰陽、輕重、剛柔豈混於一體?今當以月提為主,所藏所用,要見何神,所耗所嫌,要繫何物。凡四柱之神,較量深淺而用。

地支の用法は天干に比ぶべからず。天干は動を主り、地支は静を主り、一つは円象を取り、一つは方象を取り、両者の相去ること甚だ遠し。それらの配属する所の五行は同一套なれど、処する所の位置は各々同じからず。たとえば同一個の字が年柱に落ちれば、年柱に落ちるの講法あり。月柱に落ちれば、月柱に落ちるの講法あり。日柱・時柱に落ちれば、また日時に落ちるの講法あり。それらの陰陽・分量軽重・性質剛柔は、どうして混じて一体と作して看るべきや。今の推命は「月提」すなわち月支月令を以て主と為すべし。まずそれの裡面の蔵する所・用いる所が哪一位の神なるを看、更にそれの耗泄する所・嫌忌する所が哪一樣の東西なるを看る。およそ四柱中の諸神は、皆このごとく力量の深浅を比較して、然る後に取用を決定す。

子十二支之魁,溪澗江洋之水,乃戊土旺地,然必過大雪之期,一陽來復之後,方能成旺。辛金所生,亦必於陽回水暖而後能生也。與午相沖,與卯相刑,與申辰三合。若申、子、辰全,會起水局,即成江海,發波濤之聲也。

子は十二地支の頭一位で、溪澗江河海洋の水を象徴し、本来また「戊土」の旺地である。ただ必ず大雪節気を過ぎ、一陽來復した後、水勢ははじめて真に旺に転じ得。子中の生ずる所の「辛金」も、また陽気回升し水温暖に転じた後を待ちてはじめて生じ出づるを得。子は午と相「冲」し、卯と相「刑」し、申・辰と結びて「三合」を成す。倘若申・子・辰の三字が斉全すれば、会して水局を合成し、あれは便ち江海の象で、能く波涛の声響を發出す。

丑雖隆冬,有冰霜之可怯,但天時已轉二陽,是以丑中己土之暖能生萬物,辛金養地,豈只深藏?見戌則刑,見未則沖,庫地最宜,刑沖不為無用。見巳、酉三合,會起金局。若人命生於丑月,而日時多見水木,必側行巽離之地,而土方不衰耳。

丑は隆冬に正當すといえども、冰霜の寒気畏るべきあり、ただ節候はすでに二陽生の時に転到す。だから丑中「己土」の暖意は能く万物を生養す。丑はまた「辛金」の養地で、金気は裡頭に蔵れ、どうして深蔵不露のみならん。丑は戌を見て「刑」、未を見て「冲」。ただ丑はもとより庫地で、最も刑冲ありて庫門を打開するに宜しく、刑冲は此に在りて并び用なきに非ず。丑は巳・酉を見れば便ち「三合」を成し、会して金局を成す。もし人命が丑月に生まれて、しかして日柱時柱にまた多く水と木とを見れば、必ず東南「巽」「離」方位の運に轉行して、丑土ははじめて衰敗せざるに至る。

寅建於春,氣聚之陽,有丙火生焉。寅刑巳,巳合申並旺而為貴客;旺於卯,庫於未,同類則為一家。至午則火光輝,而有超凡入聖之美。見申則寅受沖,而有破祿傷提之憂。若四柱火多,則又不可入南方火地。經云:木不南奔。卯木仲春,氣稟繁華,唱用金水,不可太過。若干頭庚辛迭見,地支不可見申酉,恐有破伐之害;地支亥子重逢,干頭不可見癸壬,主有漂流之傷。見酉則沖,木必落葉,見亥未則合,木必成林。若時日歸於金重,大運更向西行,患不禁也。

寅は春季に建てられ、陽気聚合の地で、「丙火」は此に長生す。寅は巳と相「刑」し、巳はまた申と相「合」し、両者幷び旺すれば座上の貴客を成す。木は卯に旺し、未に入庫し、同類相聚すれば一家と算す。午位に行至れば、火光は明亮にして、超凡入聖の美あり。申に遇えば、寅は冲を受け、便ち禄位を破り月提を傷るの憂患あり。倘若四柱の裡に火すでに多くなれば、すなわち南方火地に再走るべからず。旧籍のいわゆる「木は南に奔らず」、説く所はまさにこの一層である。卯木は仲春の令に当たり、気象繁華で、金と水とを配用して皆可可なれど、ただ太過すべからず。もし天干の上に庚・辛が一再出現すれば、地支は更に申・酉を見るべからず、斫伐の害あるを怕る。もし地支に亥・子が重複出現すれば、天干は更に壬・癸を見るべからず、漂泊流蕩の傷あるを主る。卯は酉を見れば則ち冲し、樹木は必然落葉す。亥・未を見れば則ち合し、樹木は必ず能く林を成す。もし日柱時柱にまた金重の處に落ち、大運更に一路西に向かわば、あの禍患は承受し得ず。

辰建季春,為水泥之溼,而萬物之根皆賴此培養。甲至此雖衰,而有乙之餘氣;壬至此雖墓,而有癸之還魂;見戌為鑰,能開庫中之物,若三戍重沖破門,非吉。日時多見水木,其運更向西北,則辰土不能存矣。

辰は春季の末に建てられ、水を帯びた湿泥で、万物の根須は全てそれに靠って培養す。「甲木」は此に走至れば已に衰に転ずといえども、なお「乙木」の余気ありて留存す。「壬水」は此に走至れば入墓すといえども、なお「癸水」ありて此に還魂す。辰は戌を見れば一把の鑰匙のごとく、能く庫中の蔵する所の物を打開す。ただもし三つの戌ありて重重に相冲し、庫門を皆冲破了せば、あれは吉利と算せざる。もし日柱時柱に多く水と木とを見、運また一路西北に走向せば、あの辰土は保ち得ず。

巳當初夏,其火增光,是六陽之極也。庚金寄生,困頓戊母。戊土歸祿,乃隨火娘。見申則刑,刑中有合,翻為無害;見亥則沖,沖而必破便為有傷。若運再行東南生發之地,便成燒天烈焰之勢矣。

巳は初夏に正當し、火勢漸く旺し、光焰増強して、六つの陽爻が極處に積到する時である。「庚金」は此に長生を寄托し、かえってそれを生ずる戊土の母親を困頓せしむ。「戊土」は此に本禄に帰り、これは丙火のこの母親に跟って一同に位を得ればなり。巳は申を見て「刑」なれど、刑中に巳申の相「合」を帯び、かえって害あると算せざる。巳は亥を見て「冲」で、一たび冲せば必ず破れ、あれは真に損傷あり。もし大運更に東南生發の地に走れば、火の上に火を加え、烈焰天を焼くの局面を成す。

午月炎火正,升入中氣則一陰生也。庚至此為無用,己至此為歸垣;見申子則必戰克,見寅戌則越光明。運行東南,正是身強之地,若入西北,則休囚喪形矣。未當季夏,則陰深而火漸衰。未中有乙木,有丁火,是藏官,藏印,不藏財也。無亥卯以會之,則形難變,只作火土論;無丑戌以刑沖之,則庫不開,難得金印。力柱中無火,怕行金水之運,日時多寒,偏愛丙丁之鄉。蓋用神之喜忌最當分曉,不可毫髮誤也。

午月は炎火の令に当たり、夏至中気に升りて、一陰はすなわち此時に暗生す。「庚金」は午位に走至れば便ち施用する所なし。「己土」は午位に走至ればしかし本宮に回到す。午は申・子を見れば必ず戦克を起し、寅・戌を見れば則ち火勢越發光明す。大運東南に走れば、まさに身強得地の處。もし西北に進入すれば、休囚失勢して形神倶に損なわんとす。未は夏季の末に当たり、陰気轉深にして火勢漸く衰す。未中に「乙木」「丁火」を蔵し、ある日主に対して言えば、官星を蔵し印綬を蔵すも、財星を蔵せず。もし亥・卯ありて來りて木局を會成せざれば、未の形質は轉變し難く、ただ火土と作して論ずるのみ。もし丑・戌ありて來りて刑冲せざれば、庫門は打開し得ず、また金と印とを取得し難し。四柱の中にもし火なければ、金水の運に走るを怕る。日柱時柱にもし寒気太重ければ、丙丁の所在する南方を偏愛す。見る可きは用神の喜と忌とは最も分辨清楚を要し、一絲一毫も錯ざるべからず。

申宮水土長生之地,入巳、午則逢火煉,遂成劍戟,見子、辰則逢水淬,益得光鋒;使木多無火,金終能勝,若土重堆埋,金卻有凶。蓋申乃頑鈍之金,與溫柔珠玉不同故也。酉建八月金色,白水流清。若遇日時火多,運更愁東去;若遇日時水旺,運亦怕南行。柱見水泥,應為有用,運行西北,豈是無情?然逢己丑三合,亦能堅銳,豈可以陰金為溫柔珠玉而泥論哉?

申宮は水と土との「長生」の地で、巳・午に走至れば便ち火の来て鍛煉するに遇い、ここにおいて剣戟を鋳成す。子・辰に遇えば便ち水の来て淬火するに遇い、刃口更に鋒利明亮す。仮令命中に木多くして火なければ、金は終に取勝し得。もし土太重くして金を堆埋せば、金はかえって凶に遭わんとす。これは申中の蔵する所はすなわち頑鈍未化の金で、温潤柔和の珠玉と一事に非ざるがゆえなり。酉は八月に建てられ、金は本色を顯し、水白にして流れ清し。もし日柱時柱に火多ければ、大運更に東に走るを怕る。もし日柱時柱に水旺すれば、大運もまた南に行くを怕る。四柱中に水と湿泥とを見れば、かえって用あり。大運西北に走れば、またどうして無情ならんや。況んや一旦己丑の字に遇いそれと会して三合金局を成せば、陰金も同じく堅硬鋒鋭たり得。どうして「陰金は温柔珠玉」の一句を死守して拘泥推斷すべきや。

戌乃洪爐之庫,鈍鐵頑金,賴以煉成。見辰龍則沖出壬水,而雨露生焉;見寅虎則會起丙火,而文章出焉。然火命逢之則為入墓,寧能免於不傷哉?亥地六陰,雨雪載途,土至此而不暖,金至此而生寒。其象若五湖之歸聚,其用在三合之有心。是故欲識乾坤和暖之處,即從艮、震、巽、離之地而尋之也。

戌は洪炉火庫で、鈍鉄頑金は全てそれに靠ってはじめて錬りて器を成し得。戌は辰竜に見れば相冲して、すなわち辰庫の裡の壬水を冲き出して、ここにおいて雨露滋生す。戌は寅虎に見れば相会して、すなわち寅中の丙火を引動して、ここにおいて文采學問顯發す。ただ火命の人が戌に遇えば、あれは自己の「入墓」で、またどうして損傷を免れんや。亥位は六爻純陰の地で、雨雪道路に塞満し、土は此に走至れば更に温暖ならず、金は此に走至れば寒を生じ始む。その気象は五湖の水が一處に歸聚するに比たり、その用處はすなわち亥・卯・未の三合の意ありて相會し得るや否やに在り。だから天地間の和暖の所在を尋ねんと欲せば、須るに「艮」「震」「巽」「離」のこの幾個の方位に往きて找るべし。

大抵五行用法,總無真實,生死衰旺,亦假名耳。直向源頭,明其出處,如五陽為剛,五陰為柔。若失令身衰,不遇資扶而頻洩氣,則剛者失其為剛;若得令身強,用事有助,則柔者不失之柔。中間又分木火為陽,金水為陰,皆喜生扶資助,要以中和為貴。

大体説來、五行の用法に一成不變の死格なし。いわゆる「生」「死」「衰」「旺」もまた不過借來の名目のみ。径直に源頭に追到して、それらの出處を弄明白とすべし。たとえば甲丙戊庚壬の五個の陽干は性剛、乙丁己辛癸の五個の陰干は性柔。しかるに陽干はもし時令を失い、本身衰弱にして、また生扶を得ずして一味に泄氣せば、あの剛のものもまた剛たり得ず。陰干はもし時令を得、本身強旺にして、当令用事してまた幫扶あれば、あの柔のものもまたその柔順の好處を失わず。この中間にまた更に分つべし。木と火とは陽に属し、金と水とは陰に属すも、それらは一樣に皆生助扶持を喜び、總じて気勢中和を以て貴と為す。

十干の天文への分配

甲木為雷。雷者,陽氣之噓也,甲木屬陽,故取象於雷焉。稽諸月令,仲春之月,雷乃發聲,甲木旺,即其驗也,況雷奮於地,木生於地,其理又無不同者。甲木至申而遂絕,以雷聲至申而漸收也。凡命屬甲日,主喜值春天,或類象,或趨干,或遙巳,或拱貴,俱大吉;運不喜西方。經云:木在春生,處世安然,必壽。

甲木は「雷」に配す。いわゆる雷とは、陽気の吐納鼓盪して成れるで、甲木は陽に属す、だから雷を拿って象を取る。《禮記・月令》を査考すれば、仲春二月「雷乃ち聲を發す」は、まさに甲木の旺に當る時、これがすなわち驗證である。況んや雷は地下より奮起し、木もまた地中より生出す、道理は更に一樣。甲木は申位に行至れば便ち「絶」す。雷聲が七月申月に到れば漸く収斂するがゆえなり。およそ甲日を以て主と為す命は、春に生まるるを喜び、あるいは「類象」格を成し、あるいは「趨干」格を成し、あるいは「遙巳」格を成し、あるいは「拱貴」格を成し、皆大吉。ただ行運は西方に走るを喜ばず。旧籍に一句の言あり、木は春に生發し、處世安然にして、必ず長寿を得と。

乙木為風。乙木長生在午,敗在巳。在午而生者,蓋乙為山林活木,至夏來而暢茂,詩所謂千章夏木青是也;其敗巳云何?巳乃巽地,巽為風,木盛風生也,風生於木而反摧木,猶之火生於木而反焚木,其取敗也固宜,所謂乙木為風者,木其所自生云爾。如人乙日建生者,在秋令大吉,秋令金旺,乙木能化能從而盤根錯節,非利器無所裁成;逢亥必死,其落葉歸根之時耶?

乙木は「風」に配す。乙木は午に「長生」し、巳に「敗」す。それが午位に生を得るは、乙は山林中の活木で、夏に至ってはじめて枝葉暢茂するがゆえ。杜甫詩の裡に説く「千章夏木青」はまさにこの景象である。然ればそれはなんぞかえって巳位に敗落するや。巳は八卦に「巽」に属し、巽はすなわち風で、木一たび茂盛すれば風便ち生出す。風は木より生じて、かえって木を摧折す。まさに火が木より生じて、かえって木を焚焼するがごとし。それが此に敗落するはもとより理の當然である。いわゆる乙木を風と為すは、不過風はもとより木自身より生出すを説くのみ。人の乙日を以て主と為すがごときは、秋令に生まれれば大吉。秋は金旺にして、乙木は能く化し能く従う。あの盤根錯節の老木は、利器に遇わざればまた雕琢して材を成さず。ただ一たび亥に逢えば必ず死す。あれは大概落葉歸根の時であろう。

丙為日。《說卦傳》日:離為火為日,日與火皆文明之象,是以丙火為日之名不易焉。太陽朝出而夕入,陽火寅生而酉死,而又何異乎?凡六丙生冬夏,不如春秋,春日有暄萬物之功,秋陽有燥萬物之用,冬則陰晦,夏則炎蒸,宜細堆之。

丙は「日」に配す。《周易・説卦伝》に曰く、離は火、日。日と火とは皆文明の象徴で、だから丙火は「日」のこの名目を得て、換え去るべからず。太陽は早晨升起して傍晚落下し、陽火は寅に「長生」し酉に「死」す。両者はまた何の分別かあらん。およそ丙寅・丙辰・丙午・丙申・丙戌・丙子のこの六個の丙日に生まれた人は、冬夏に生まるるは春秋に生まるるに如かず。春日は万物を温暖するの功労あり、秋陽は万物を乾燥するの用處あり。冬は則ち陰沈晦暗、夏は則ち炎熱蒸騰す。此處は應當細細に推詳すべし。

丁火為星。丙火死而丁火遂從生焉,在天之日薄而星迴也。類如此星象唯入夜故燦爛,陰火唯近晦故輝煌,丁不謂之星而何?凡丁日生人喜遇夜,喜遇秋,如星光之得時也;又喜行身弱地,如石裡所藏屬丁火,石雖在水,實時取擊,亦自有火;其丁巳一日,多克父兄妻子,蓋財忌比劫,兄屈弟下,巳中有戊土,傷官也。

丁火は「星」に配す。丙火は一たび「死」すれば、丁火は便ち接きて彼處に長生す。まさに天上の太陽が西沈して星辰が回轉するがごとし。このごとき星象は、ただ夜に入りてはじめて燦爛す。陰火もまたただ晦暗に臨近してはじめて輝煌を顯す。丁を星と稱せずしてまた何と稱せん。およそ丁日に生まれた人は夜に生まるるを喜び、秋に生まるるを喜ぶ。あれはまさに星光が時令を得るがごとし。また身弱の地に行至るを喜ぶ。たとえば石頭の裡の蔵する所もまた丁火に属す。石頭は水に泡すといえども、随時取りて敲擊せば、照樣火星を迸出し得。丁巳のこの一日に至っては、多く父親兄長妻子を克す。財星は最も比肩劫財を忌むがゆえに、兄長と為るはかえって弟弟の下に屈居す。況んや巳中に戊土を蔵し、丁火に対してはまさに傷官なり。

戊土為霞。土無專氣,依火而生,霞無定體,借日以現,知丙火之為日,則知戊土之為霞矣。是霞者,日之餘也,日盡而霞將滅沒,火熄則土無生意,故謂之霞也。如戊土日主愛四柱帶水則為上格,霞水相輝而成文彩也;更喜年月干見癸,癸則為雨,雨後霞現而睹文明也。

戊土は「霞」に配す。土は自己専属の節気なく、火に依附してはじめて生じ出づるを得。霞もまた固定の形体なく、日光を借りてはじめて顯現す。すでに丙火の日に配するを知れば、すなわち戊土の霞に配するをも知る。霞は太陽の余光で、日頭落盡せば、霞光もまた將に熄滅せんとす。火一たび熄せば、土は便ち生機なし。だからそれを霞と稱す。戊土を以て日主と為すがごときは、最も四柱中に水を帯ぶるを愛す。あれは上等格局で、霞と水とが交々輝映して文采を成す。更に年干月干の上に癸を見るを喜ぶ。癸はすなわち雨で、雨後霞光は重ねて現われ、まさに文明の気象を見る。

己土為雲。己土生居酉,酉,兌方也,其象為澤。先正曰:“天降時雨,山川出雲。”然則云者,山澤之氣也,己雖屬土,以此論之,則其謂之雲也亦宜。故甲己合而化土,其氣上升而云施;雲雷交而作雨,其澤下究而土潤。此造化之至妙者與!凡身主屬己土,貴坐酉,貴春生,貴見印,坐亥者不可見乙木,雲昇天,遇風則狼籍而不禁也。

己土は「雲」に配す。己土は酉に「長生」し、酉は八卦に「兌」方に属し、その象は沢を為す。前代先儒説けるは、「天は時雨を降し、山川は雲を出す」。然れば雲はすなわち山沢の気。己は土に属すといえども、この層の道理に照らして講せば、それを雲と作すもまた甚だ合宜。だから甲と己とが相合して土を化せば、土気上升して化して雲の布施を作す。雲と雷とが相交して雨を降せば、雨沢下達して土地を滋潤せしむ。これ真に造化中の最も精妙の事である。およそ己土を以て日主と為すは、酉支に坐るを以て貴と為し、春に生まるるを以て貴と為し、命中に印綬を見るを以て貴と為す。もし亥支に坐れば、すなわち更に乙木を見るべからず。雲は一たび天上に升れば、風に遇えば便ち吹きて七零八落し、禁受し得ず。

庚金為月。庚乃酉方陽金,何以知其配月乎?曰:五行之有庚,猶四時之有月也;庚不待秋而長生,然必秋而始盛;月不待秋而後月,然必秋而益明。以色言,月固白也,其色同矣;以氣言,金生水也,潮應月也,其氣同矣。經云:金沈在子。見其與月沈波也,三日月見庚方見,月初生與庚為位也,故曰庚金為月。如人庚日生者,四柱有乙巳字出,謂之月白風清,秋為上,冬次之,春夏無取。

庚金は「月」に配す。庚は酉方の陽金で、何を憑藉してそれの配する所が月なるを知る。答えて曰く、五行中に庚あるは、たとえば四時中に月あるがごとし。庚は必ずしも秋に至ってはじめて「長生」するを須せざるも、必ず秋に至ってはじめて旺盛ならんとす。月は必ずしも秋に至ってはじめて月あるを須せざるも、必ず秋に至ってはじめて格外明亮ならんとす。顔色に就いて説けば、月色はもとより白く、金と同色。気性に就いて説けば、金は能く水を生じ、海潮はまた月に随って盈虧し、金と同気。旧籍に「金は子に沈む」と説くは、まさにそれの月亮と一同に水波に沈入するを見る。每月初三に新月は庚の方位に出現し、月初生の時は恰も庚と同位。だから庚金を月と為すという。人の庚日に生まれ、四柱中に乙・巳の二字を透出するがごときは、月白風清といい、秋に生まるるは最上、冬はこれに次ぎ、春夏はすなわち取る可きなし。

辛金為霜。八月,辛金建祿之地,是月也天氣肅殺,白露為霜,草木黃落而衰,故五行陰木絕在此地,若木經斧斤之斬伐,未有所生焉者也。斧斤以時入山林,嚴霜以時殺草木,揆之天道,參之人事,信乎辛金之為霜矣。如辛人坐卯,未透乙,大富,坐亥透丙則貴。愛冬生。

辛金は「霜」に配す。八月は辛金の「建禄」の地で、この月は天気粛殺し、白露凝結して霜を成し、草木は枯黄凋落して衰敗す。だから五行中の陰木はまさにこの位置に「絶」す。まさに樹木が斧斤に砍伐せられた後、更に能く生發するものなきがごとし。斧斤は時節に按じて山林に進入し、嚴霜は時節に按じて草木を殺伐す。天道を以て揣度し、人事を以て參驗せば、辛金は確実にすなわち霜なるを見るべし。辛金の人が卯支に坐り、天干にまた乙木を透出せざるがごときは、大富を主る。亥支に坐って丙火を透出するは、則ち顯貴を主る。辛金は冬に生まるるを愛す。

壬水為秋露。春亦有露,何獨擬之以秋?蓋春露、雨露既濡之露,秋露、霜露既降之露也,露一也,春主生,秋主殺,功用不同有如此,然吾以壬為秋露也,蓋露屬水,而壬水生於申,水本能生木者,水既然在此而生,木何由於此而絕?故知壬之為露,秋露也。如壬日生秋,見丁火最顯,丁為星河,壬為秋露,一洗炎蒸,象緯昭然矣。

壬水は「秋露」に配す。春天にもまた露あり、なんぞ偏偏として秋天を拿って比するや。春露は雨露すでに濡れて万物を滋潤する露、秋露は霜露すでに降りて万物を粛殺する露なればなり。同じく露にして、春は生發を主り、秋は收殺を主る。功用の相差は竟にこのごとく遠し。しかるに我がなお壬を以て秋露に當つるは、露は水に属し、しかして壬水は申に「長生」するがゆえなり。水はもとより能く木を生ずる、水すでに申の此處に生を得れば、木はなんぞ偏偏として申の此處に「絶」を斷ぜんや。これより以て壬の配する所の露は、まさに秋露なるを知るべし。壬日が秋に生まれて、命裡に丁火を見れば最も顯達す。丁は天上の星河、壬は地上の秋露で、一挙に暑熱蒸騰を洗浄せば、日月星辰の文彩は便ち昭然として見るべし。

癸水為春霖。癸水生卯月,號曰春霖。蓋陰木得雨而發生也,然至申則死,七、八月多干旱也。且卯前一位是辰,辰,龍宮也,卯近龍宮而水生,龍一奮遂化為雨焉;卯為雷門,雷一震而龍必興焉,觀此則癸水其春霖矣。如癸卯日透出己字者,有云行雨施之象,其人必有經濟才也。春夏吉,秋冬不吉。

癸水は「春霖」に配す。癸水は卯月に「長生」す、だから春霖と稱す。陰木は雨水を得てはじめて能く發生するを要すればなり。しかるに癸水は申位に到れば「死」す、だから七・八月の間に多く乾旱あり。況んや卯の前の一位は辰で、辰は竜宮、卯は竜宮に緊挨して水が此に長生せば、竜一たび奮起すれば便ち化して雨を成す。卯はまた雷門で、雷一たび震動すれば、竜は必然興起す。これに看れば、癸水はまさに春天の連綿霖雨である。癸卯日にして天干に己字を透出するがごときは、雲行雨施の気象あり、この人は必ず経世済民の才幹あり。この種の命は春夏に生まるるを吉と為し、秋冬に生まるるは則ち不吉。

十二支の地理への分配

子為墨池。子在正北方,屬水,色象墨,故有墨池之象。凡命逢子年生者,時喜見癸亥,謂之水歸大海,又謂之雙魚游墨,必為文章士矣。午為烽堠。午正位於南,屬火、土,其色赤黃,名其曰烽堠者,此也;又午為馬,烽堠乃戎馬兵火之處所也。午生人時利見辰,真龍出則凡馬空矣,謂之馬化龍駒。

子は「墨池」に配す。子は正北方に在り、五行は水に属し、顔色は墨のごとし。だから墨池の象を取る。およそ子年に生まれた人に逢うは、時柱の上に癸亥を見るを喜び、「水は大海に歸す」といい、また「雙魚游墨」ともいう。このごとき人は必ず能く文章する士子。午は「烽堠」に配す。午は正位が南方に在り、五行は火と土とに属し、顔色は赤中に黄を帯び、名を烽堠と取るはまさにこの為。また午の生肖は馬で、烽堠はもとより戦馬兵火聚集の處所。午年に生まれた人は、時柱の上に辰を見るに利あり。真竜一たび出ずれば、凡馬は皆空落を顯す。これを「馬の竜駒に化す」という。

卯為瓊林。卯繫乙木,居位正東,於時為仲春,萬物生焉,色若琅之青,故曰瓊林。卯年遇巳未時者,是為兔入月宮之象,主大貴。酉為寺鍾。酉屬金,位近戍亥,戍亥者,天門也,鍾,金屬也,寺鍾敲則響徹天門;又酉居正西,寺則西方佛界也。酉見寅吉,謂之鍾鳴谷應。

卯は「瓊林」に配す。卯の係る所は乙木で、位は正東に居り、時令の上では仲春に属し、万物は此より發生す。顔色は琅玕美玉のごとく青翠、だから瓊林という。卯年にして巳時あるいは未時に遇うは、「兔の月宮に入る」の気象で、大貴を主る。酉は「寺鐘」に配す。酉の五行は金に属し、方位は戌・亥に挨近す。戌亥は天門、鐘はもとより金属の鋳成する所、寺の裡の鐘一たび敲けば、聲響は直ちに天門を透徹す。また酉は正西に居り、しかして寺廟はまさに西方仏家の境界。酉は寅を見て吉と為し、「鐘鳴りて谷應ず」という。

寅為廣谷。寅乃艮方,艮為山,戊土長生於是而廣谷之義著矣。然寅宮有虎,寅生人而時戊辰者,謂之虎嘯而谷風生,威震萬里。申為名都。坤為地,其體無疆,非名都不足以喻之。申,坤也,都者;帝王所居;申宮壬水生,又與艮山對,是水繞山環也。凡命愛申年亥時,乃地天交泰。

寅は「廣谷」に配す。寅は八卦に「艮」方に属し、艮は山を象徴し、戊土はまた寅に「長生」す、廣谷の意思は便ち顯出す。ただ寅宮の裡に虎を蔵し、寅年に生まれて時柱が戊辰なるは、虎一たび長嘯して谷風頓生し、威名は以て萬里を震す可しと称す。申は「名都」に配す。「坤」は大地を象徴し、形体廣闊無邊、名都を用いざれば以てそれに比喻するに足らず。申はすなわち坤位、しかして都は帝王の居する處。申宮の裡に壬水長生し、また艮山と遙遙相對し、まさに水繞山環の形勢。およそ命中に申年が亥時に配するを愛するは、あれは便ち地天交泰の象。

巳為大驛。大驛者,人煙湊集,道路通達之地。巳中有丙火戊土,是其象也,又巳前有午馬,故曰大驛。巳生喜得辰時,蛇化輕龍,于格為千里龍駒。亥為懸河。天河之水,奔流不回,故曰懸河,亥即天門,又屬水,非懸河之象乎?亥年建生,日時見寅、辰二字,是乃水拱雷門。

巳は「大驛」に配す。いわゆる大驛とは、人煙聚集・道路四通八達の地方。巳中に丙火と戊土とを蔵し、まさにこのごとき気象。また巳の前の一位はすなわち午馬、だから大驛という。巳年に生まれたは辰時を得るを喜び、蛇は化して軽捷の竜と為り、格局の上で「千里竜駒」という。亥は「懸河」に配す。天河の水は奔流して回頭せず、だから懸河という。亥はまさに天門、五行また水に属す、どうして懸河の象に正合せざらんや。亥年に生まれ、日柱時柱にまた寅・辰の兩個字を見れば、これは便ち水の雷門を拱するなり。

辰為草澤。夫澤,水所鍾也,辰在東方之次,為水庫,故為草為澤;辰逢壬戍、癸亥即龍歸大海格。戌為燒原。戌月在九秋,草木盡萎,田家焚燒而耕,又戌屬土,是以稱名燒原,故戌與辰地皆貴人所不臨也。戌生逢卯,號曰春入燒痕。

辰は「草澤」に配す。いわゆる澤とは、水の匯聚する地方。辰は東方の末に位し、また水庫で、だから草を取り澤を取りて象と為す。辰はもし壬戌・癸亥に逢えば、「竜の大海に歸す」格を成す。戌は「燒原」に配す。戌月は深秋九月に正當し、草木盡く已に枯萎し、農家は火を放ちて荒草を燒過して再行耕種す。加うるに戌は五行土に属す、ここにおいて名を燒原と取る。もまた正にこの為にして、戌と辰とのこの兩個の地支は、皆「天乙貴人」の降臨を肯んぜざる地方。戌年に生まれて卯に逢到するは、「春の燒痕に入る」という。

丑為柳岸。丑中有水有金,岸者,土也,所以止水也,故謂柳岸。丑人時見己未,乃月照柳梢,極為上格。未為花園。花園屬之未,不屬之卯,何也?卯乃木旺,自成林麓;未乃木庫,如人築牆垣以護百花也,以百花言未中有雜氣耳;未年人雙飛格,最妙,如辛未見戊戍,兩干不雜是也。

丑は「柳岸」に配す。丑中にすでに水を蔵しまた金を蔵す。いわゆる岸とはすなわち土で、土は以て水を拦住するに用いる、だから柳岸という。丑年の人が時柱の上に己未を見れば、あれは月の柳梢を照らす景象で、極めて上等の格局。未は「花園」に配す。花園は未に歸して卯に歸せざるは、何を為むや。卯は木旺の地で、自然長成して山林を成す。未は木の庫地で、たとえば人の牆垣を築起して滿園の百花を護住するがごとし。百花と説くゆえんは、未中に好幾樣の雜気を蔵するがゆえなり。未年に生まれた人が「雙飛」格を成すは最も奇妙。たとえば辛未が戊戌を見れば、兩個の天干は各々駁雜せず、すなわちこの一種。

地支屬相を論ず

或問:地支有屬相,而天干則無者,何也?答曰:天干動而無相,地支靜而有相。蓋輕清者天也,重濁者地也,重濁之中,乃有物焉。故子屬鼠,丑屬牛,寅屬虎,卯屬兔,辰屬龍,巳屬蛇,午屬馬,未屬羊,申屬猴,酉屬雞,戍屬犬,亥屬豬。此十二屬相亦有奇偶之分,盛衰之用。奇者鼠、虎、龍、馬、猴、犬,一則屬陽,六獸之足皆單;偶者牛、兔、蛇、羊、雞、豬,二則屬陰,六獸之足皆雙。

ある人問うて曰く、地支は各々生肖屬相を配し、天干は卻ってなし、これは何の緣故や。答えて曰く、天干は動を主り、動すればすなわち固定の形相なし。地支は静を主り、静してはじめて形相尋ね可きあり。輕清にして上浮するは天と為り、重濁にして下凝するは地と為り、重濁の中にしてはじめて有形の物を生出し得。だから子は鼠に配し、丑は牛に配し、寅は虎に配し、卯は兔に配し、辰は竜に配し、巳は蛇に配し、午は馬に配し、未は羊に配し、申は猴に配し、酉は鷄に配し、戌は犬に配し、亥は猪に配す。この十二種の屬相もまた奇數偶數の分・盛與衰の用處あり。奇位の上に排するは鼠・虎・竜・馬・猴・犬で、陽に属し、この六種の走獸の足趾は皆單數。偶位の上に排するは牛・兔・蛇・羊・鷄・猪で、陰に属し、この六種の走獸の蹄爪は皆雙數。

唯蛇無足又何取義?蓋巳在月二乃純陽之月,在時乃春陽之時,數則偶而時則陽,故用蛇以象之,蛇乃陰物,不用其足而象巳著疑,亦諱言乎陰之意爾,況亦有雙頭者。可驗十二相即三十六禽中取其首者擬之,自有陰陽之別,單雙之分,此造化之所以為妙也。

ただ蛇のみ脚なし、あれはまた何の意思を取るや。原来巳は月份の上では四月に属し、純陽の月、時辰の上でもまた春陽未盡の時に當り、位次に論ずればそれは偶數に排し、時令に論ずればそれは卻って陽に属す。だから蛇を取りて象徴と為す。蛇はもとより陰物、それの足爪を拿って説を立てずして單に巳を以て象と為す。此處は疑难を存するに似たれど、其實は不過一個の陰字を避諱明説するのみ。況んや蛇にもまた生に雙頭あるを。これより以て驗證し得。十二屬相は三十六禽の裡より各々頭一種を取りて比擬する、本来より陰陽を分ち單雙を別つ。これまさに造化精妙の處。

寅,木也,其禽虎,戌,土也,其禽犬,丑、未亦土也,丑禽牛,未禽羊,木勝土,故犬與牛羊為虎所服;亥,水也,其禽豕,巳,火也,其禽蛇,子亦水也,其禽鼠,午亦火也,其禽馬,水勝火,故豕食蛇,火為水所害,故馬食鼠屎而腹脹。

寅は木に属し、それの配する所の禽獸は虎。戌は土に属し、配する所は犬。丑・未もまた土に属し、丑は牛に配し、未は羊に配す。木は能く土に勝つ、だから狗と牛羊とは皆老虎に制服せらる。亥は水に属し、配する所は猪。巳は火に属し、配する所は蛇。子もまた水に属し、配する所は鼠。午もまた火に属し、配する所は馬。水は能く火に勝つ、だから猪は能く蛇を呑む。火は水に傷害せられ、だから馬は老鼠の糞便を吃すればすなわち腹脹せんとす。

然亦有不相勝者。午,馬也,子,鼠也,酉,雞也,卯,兔也,水勝火,鼠何不逐馬?金勝木,雞何不啄兔?亥,豕也,未,羊也,丑,牛也,土勝水,牛羊何不殺豕?巳,蛇也,申,猴也,火勝金,蛇何不食獼猴?獼猴,畏鼠者也,齧獼猴者,犬也。鼠,水,獼猴,金也,水不勝金,獼猴何故畏鼠?戌,土也,申,猴也,土不勝金,猴何故畏犬?十二辰之禽以氣性相剋則尤不相應。大凡含血之蟲相服,至於相啖食者,以齒牙鈍利、筋力優劣自相勝服也。

ただもまた五行相勝して禽獸は幷び制せざるあり。午は馬、子は鼠、酉は鷄、卯は兔。水すでに火に勝てば、老鼠はなんぞ馬を追いに往かざるや。金すでに木に勝てば、鷄はなんぞ兔を啄みに往かざるや。亥は猪、未は羊、丑は牛。土すでに水に勝てば、牛羊はなんぞ猪を殺しに往かざるや。巳は蛇、申は猴。火すでに金に勝てば、蛇はなんぞ獼猴を吃せざるや。獼猴はかえって老鼠を怕る、しかして獼猴を咬むは卻って狗。鼠は水に属し、獼猴は金に属す。水はもとより金に勝ち得ず、獼猴はなんぞ鼠を怕るや。戌は土に属し、申は金に属す。土はもとより金に勝ち得ず、猴子はなんぞ狗を怕るや。見る可きは十二地支の配する所の禽獸は、もし一味に五行気性の相克に按じて推せば、更に對せざるに至らん。大凡血気ある動物は彼此制服し、乃至互相呑食する、其實は牙齒の鈍利・筋骨力気の強弱に憑り、自然勝負を分出するのみ。

人元司事を論ず

夫一氣渾淪,形質未離,熟為陰陽?太始既肇,裂一為三,倏息乃分,天得之而輕清為陽,地得之而重濁為陰,人位乎天地之中,稟陽陰沖和之氣。故此輕清者為十干,主祿,謂之天元,重濁者為十二支,主身,謂之地元,天地多正其位,成才於兩間者,乃所謂人也。故支呂所藏者主命,謂之人元,名為司事之神,以命術言之為月令。

當初一團の元気は浑然未分、形と質とはなお曾て離析せず、何の陰陽を説く可きや。等到「太始」開闢し、一気は裂して三と為り、轉眼の間に便ち判然と分開す。天はそれを得て、輕清上浮して陽と為る。地はそれを得て、重濁下沉して陰と為る。人は天地の當中に處し、稟受する所は陰陽冲和の気。だからあの輕清の一分は十天干を成して、禄位を主管し、「天元」と稱す。重濁の一分は十二地支を成して、身命を主管し、「地元」と稱す。天と地とは各自位置を擺正して、両者の間に成材成器する、すなわちいわゆる人。これよりして地支の裡の蔵する所の東西は人の命を主管し、「人元」と稱し、また名づけて「司事之神」と為し、命理術語の上ではすなわち「月令」という。

如正月建寅,寅中有艮土用事五日,丙火長生五日,甲木二十日;二月建卯,卯中有甲木用事七日,乙木二十三日;三月建辰,辰中有乙木用事七日,壬水墓庫五日,戊土一十八日;四月建已,已中有戊土七日,庚金長生五日,丙火一十八日;五月建午,午中丙火用事七日,丁火二十三日;六月建未,未中有丁火用事七日,甲木墓庫五日,已土一十八日。

たとえば正月は寅を建て、寅中に先ず艮土より権に當り事を用うる五日、接ぎて是れ丙火が此に長生して事を用うる五日、最後に甲木が事を用うる二十日。二月は卯を建て、卯中に甲木が事を用うる七日、乙木が事を用うる二十三日。三月は辰を建て、辰中に乙木が事を用うる七日、壬水の墓庫が事を用うる五日、戊土が事を用うる十八日。四月は巳を建て、巳中に戊土が事を用うる七日、庚金が此に長生して事を用うる五日、丙火が事を用うる十八日。五月は午を建て、午中に丙火が事を用うる七日、丁火が事を用うる二十三日。六月は未を建て、未中に丁火が事を用うる七日、甲木の墓庫が事を用うる五日、己土が事を用うる十八日。いわゆる「用事」とは、すなわちこの一段の日子裡にそれより権に當り事を主る。毎個月の三段の日數を相加すれば皆三十日。先に出場するは上月遺留の余気、中間の一段は本支の蔵する所の長生の気あるいは墓庫の気、最後の一段ははじめて本月當令の正気。

七月建申,申中有坤土用事五日,壬水長生五日,庚金二十日;八月建酉,酉中有庚金用事七日,辛金二十三日;九月建戌,戌中有辛金用事七日,丙火墓庫五日,戊土一十八日;十月建亥,亥中有戊土五日,甲木長生五日,壬水用事二十日;十一月建子,子中有壬水用事七日,癸水二十三日;十二月建丑,丑中有癸水用事七日,庚金墓庫五日,已土一十八日。此十二支按十二月各藏五行為人元,以配四時則春暖秋涼冬寒夏熱,如環無端,終而復始,歲功畢而成一年。

七月は申を建て、申中に先ず坤土より権に當り事を用うる五日、壬水が此に長生して事を用うる五日、庚金が事を用うる二十日。八月は酉を建て、酉中に庚金が事を用うる七日、辛金が事を用うる二十三日。九月は戌を建て、戌中に辛金が事を用うる七日、丙火の墓庫が事を用うる五日、戊土が事を用うる十八日。十月は亥を建て、亥中に戊土が事を用うる五日、甲木が此に長生して事を用うる五日、壬水が事を用うる二十日。十一月は子を建て、子中に壬水が事を用うる七日、癸水が事を用うる二十三日。十二月は丑を建て、丑中に癸水が事を用うる七日、庚金の墓庫が事を用うる五日、己土が事を用うる十八日。この十二個の地支は十二個月に按じて各々一套の五行を蔵して「人元」と為し、それを拿って四時に配合せば、便ち春暖・秋涼・冬寒・夏熱あり、円環のごとく頭尾を尋ね得ず、盡頭に走至ればまた重ねて開始す。一年の節候功用は走完して、便ち整整一年を成就す。

四時節気を論ず

卦氣正月為泰,天氣下降,當為雨水;二月大壯,雷在天上,當為驚蟄,先雨水而後驚蟄,亦宜也,驚蟄者,萬物出乎震,震為雷也;清明者,萬物齊乎巽,巽為風也,巽潔齊而曰清明,清明乃潔齊之義;穀雨三月中,自雨水后土膏脈動,至此又雨,則土脈生物,所以滋五穀之種也;小滿四月中,先儒云:小雪後陽一日生一分,積三十日,生三十分而成一晝,為冬至,小滿後陰生亦然。

卦気の上より説けば、正月は「泰」卦に配し、天気下降して地気と相交す、だから「雨水」に配す可し。二月は「大壯」卦に配し、雷は天上に動く、だから「驚蟄」に配す可し。先ず雨水を排して後に驚蟄を排するも、また合宜。いわゆる驚蟄とは、《説卦伝》の「万物は震より出づ」の義を取り、震はすなわち雷。いわゆる清明とは、「万物は巽に齊う」の義を取り、巽はすなわち風、巽に潔浄整齊の意思あり、ここにおいて清明という、清明はすなわち潔浄整齊。谷雨は三月の中気に在り、雨水以後土脈膏潤は活動を開始し、此時に到りてまた雨を降せば、土脈は便ち能く万物を生養す。だから能く五穀の種子を滋潤す。小滿は四月の中気に在り、前代儒者説けるは、小雪以後陽気は一天に一分を生じ、積滿三十天にして三十分を生足して一晝を成し、あれはすなわち冬至。小滿以後陰気初生す、情形もまたこのごとし。

至若三月中谷雨,五月中芒種,此二氣獨指穀麥言,谷必原其生之始,谷種於春,得木之氣,殘於秋,金克木也;麥必要其成之終,麥種於秋,得金之氣,成於夏,火克金也;六月節小暑,六月中大暑,六月中暑之極,故謂大,然未至於大則猶為小也;七月中處暑,七月暑之終,寒之始,大火西流,暑氣於是乎處矣,處者,隱也,藏伏之義也。

三月中気の谷雨・五月中気の芒種に至っては、この兩個の節気は單に穀と麥とに就いて言う。穀はそれの生發の起頭を追溯すべし。穀種は春天に播下し、得る所は木気、秋天に到りて殘敗す、あれは金の木を克するゆえ。麥はそれの成熟の結尾を看るべし。麥種は秋天に播下し、得る所は金気、夏天に到りて成熟す、あれは火の金を克するゆえ。六月の節気は小暑、六月の中気は大暑。六月裡に暑熱は極處に到り、だから大暑と稱し、未だ極處に到らざる時は、就中仍舊小暑と算す。七月の中気は處暑、七月は暑気の收尾・寒気の開頭、大火星は西に流轉し、暑気は此時に到りて便ち「處」す。處はすなわち隱、藏伏し起來の意思。

白露八月節,寒露九月節,秋木屬金,金色白,金氣寒白者,露色,寒者,露之氣,先白而氣始寒,固有漸也,九月中霜降露寒,始結為霜也;立冬後曰小雪、大雪,寒氣始於露,中於霜,終於雪,霜之前為露,霜由白而始寒,霜之後為雪,雪由小而至大,皆有漸也;至小寒大寒,《幽風》云:“一之日徉發,二之日栗烈”,徉發風寒,故十一月之餘為小寒,栗烈氣寒,故十二月之終為大寒也。大抵合而言之,上半年主長生,曰雨曰雷曰風,皆生之氣,下半年主生成,曰露曰霜曰雪,皆成之氣。下半年言天時,不言農時,農時莫急於春夏也。

白露は八月の節気、寒露は九月の節気。秋天は五行の上では金に属し、金の顏色は白、金の気性は寒。白は露の顏色を説き、寒は露の気性を説く。先ずその色の白を見て後に気はじめて寒に轉ず、本来より一個の漸進の過程あり。九月中気の霜降は、露気寒さ極處に到りて、はじめて凝結して霜を成す。立冬以後を小雪・大雪という。寒気は露に起こり、霜に中し、雪に終る。霜の前は露、露は白より漸く寒し。霜の後は雪、雪は小より大に至る。皆循序漸進。小寒・大寒に到るや、《詩經・豳風・七月》に「一之日觱發、二之日栗烈」の句子あり。觱發は風の寒冽を形容す、だから十一月余りのこの段を小寒という。栗烈は気の嚴寒を形容す、だから十二月の末尾を大寒という。總括して説けば、上半年は生長を主り、雨を説き雷を説き風を説くは、皆生發の気。下半年は成就を主り、露を説き霜を説き雪を説くは、皆成熟の気。下半年の講る所は天時、農時を講せざるは、農時の最も緊要なるは春夏の兩季に過ぎざればなり。

五行旺相休囚死并び寄生十二宮を論ず

盛德乘時曰旺。如春木旺,旺則生火,火乃木之子,子乘父業,故火相;木用水生,生我者父母,今子嗣得時,登高明顯赫之地,而生我者當知退矣,故水休。休者,美之無極,休然無事之義。火能克金,金乃木之鬼,被火剋制,不能施設,故金囚;火能生土,土為木之財,財為隱藏之物,草木發生,土散氣塵,所以春木克土則死。

徳性隆盛にしてまた時令に乘じたるを、「旺」という。たとえば春天木旺すれば、木旺すれば便ち火を生じ、火は木の兒子、兒子は父親の家業を承接す、だから火を「相」という。木は水に靠って生ずるを須う、我を生ずるはすなわち父母。今子嗣はまさに時に當り、高明顯赫の地位に登上すれば、あの我を生ずるは自然に退讓を知るべし、だから水を「休」という。いわゆる休とは、美好極處に到りて安閑無事の意思。火は能く金を克し、金は木の鬼殺、今火に克制せられて、施展開くべからず、だから金を「囚」という。火は能く土を生じ、土は木の財、財はもとより隱藏の物。草木一旦發生すれば、土気は散じて塵埃と作す、だから春天木は土を克して、土は便ち「死」という。

夏火旺火,生土則土相,木生火則木休,水克火則水囚,火克金則金死。六月土旺,土生金則金相,火生土則火休,木克土則木囚,土克水則水死。秋金旺,金生水則水相,土生金則土休,火克金則火囚,金克木則木死。冬水旺,水生木則木相,金生水則金休,土克水則土囚,水克火則火死。

夏天火旺すれば、火は土を生じ、土は便ち「相」と為る。木は火を生じ、木は便ち「休」と為る。水は火を克し、水は便ち「囚」と為る。火は金を克し、金は便ち「死」と為る。六月土旺すれば、土は金を生じ、金は相と為る。火は土を生じ、火は休と為る。木は土を克し、木は囚と為る。土は水を克し、水は死と為る。秋天金旺すれば、金は水を生じ、水は相と為る。土は金を生じ、土は休と為る。火は金を克し、火は囚と為る。金は木を克し、木は死と為る。冬天水旺すれば、水は木を生じ、木は相と為る。金は水を生じ、金は休と為る。土は水を克し、土は囚と為る。水は火を克し、火は死と為る。これがすなわち四時の中の旺・相・休・囚・死の五種態勢の推法。我の生ずるは相と為り、我を生ずるは休と為り、我を克するは囚と為り、我の克するは死と為る。四季の外に單に六月を提出するは、土は四季の末に旺を寄せ、しかして六月未月の土気最も厚ければなり。だから別に一條を立てて説く。

觀夏月大旱,金石流,水土焦。六月暑氣增,寒氣滅;秋月金勝,草木黃落;冬月大寒太冷,水結冰,火氣頓減,其旺其死,概可見矣。蓋四時之序,節滿即謝,五行之性,功成必復,故陽極而降,陰極而升,日中則昃,月盈則虧。此天之常道也。人生天地,勢積必損,財聚必散,年少反衰,樂極反悲。此人之常情也。故一盛一衰,或得或失,榮枯進退,難逃此理,經云:人雖靈於萬物,命莫逃乎五行。斯言盡矣。

試みに夏天大旱の時を看れば、金石は皆熔流せんとし、水沢土地は皆烤焦せらる。六月暑気增長し、寒気消滅す。秋天金気得勝し、草木黄落す。冬天嚴寒酷冷にして、水は凝結して冰と為り、火気は頓時减弱す。哪一行が旺に當り、哪一行が死に當るや、大略は就中看出し得。原来四時の次序は、節気一たび滿すればすなわち謝去せんとす。五行の性情は、功用一たび成れば必ず回復せんとす。だから陽は極處に到ればすなわち下降し、陰は極處に到ればすなわち上升し、太陽は正午を過ぎれば便ち西に偏し、月亮は盈滿を過ぎれば便ち虧缺す。これは上天の常道。人生天地の間にして、權、權勢は積みて太滿せば必ず折損し、錢財は聚めて太多ければ必ず耗散し、年紀軽軽にしてかえって衰敗に遭い、快樂は極處に到りてかえって悲を生ず。これは人間の常情。だから一盛一衰・或得或失・榮枯進退、誰もこの道理を逃出す能わず。旧籍に説く、人は万物より皆有靈なりというも、命は五行を逃出す能わずと。この一句は道理を説盡せり。

五行寄生十二宮:長生、沐浴、冠帶、臨官、帝旺、衰、病、死、墓、絕、胎、養,循環無端,周而復始,造物大體與人相似,循環十二宮亦若人世輪迴也。《三命提要》云:“五行寄生十二宮,一曰受氣,又曰絕,曰脆,以萬物在地中未有其象,如母腹空,未有物也;二曰受胎,天地氣交,氤氳造物,其物在地中萌芽,始有其氣,如人受父母之氣也;三曰成形,萬物在地中成形,如人在母腹成形也;四曰長生,萬物發生向榮,如人始生而向長也。”

五行は十二宮中に寄托して運行し、依次長生・沐浴・冠帶・臨官・帝旺・衰・病・死・墓・絶・胎・養と為り、循環し起來して起訖なし、一周走完してまた從頭再來す。造化が物を生ずる大体は人事と相似たり、五行の十二宮裡に往復するも、また人世の輪迴のごとし。《三命提要》に曰く、「五行の寄生する十二宮はこのごとし。第一を受気といい、また絶といい脆という、萬物はなお地下に埋在して、形象を連ねてなからず、母腹空空として、なお曾て何を懐上せざるがごとし。第二を受胎という、天地二気交感し、氤氳の中に造化は物を成し、あの物は地下に萌芽して、氣息を有するを開始す、人の父母の氣を承受するがごとし。第三を成形という、萬物は地下に形體を長成し、人の母腹の中に形を成すがごとし。第四を長生という、萬物は發生して繁榮に趨向し、人の初生以後一天天長大するがごとし」と。

“五曰沐浴,又曰敗,以萬物始生,形體柔脆,易為所損,如人生後三日以沐浴之,幾至困絕也;六曰冠帶,萬物漸榮秀,如人具衣冠也;七曰臨官,萬物既秀實,如人之臨官也;八曰帝旺,萬物成熟,如人之興旺也;九曰衰,萬物形衰,如人之氣衰也;十曰病,萬物病,如人之病也;十一曰死,萬物死,如人之死也;十二曰墓,又曰庫,以萬物成功而藏之庫,如人之終而歸墓也。歸墓則又受氣,胞胎而生。”

「第五を沐浴といい、また敗という、萬物は剛に生出して、形體柔弱脆嫩にして、受損し易く、嬰兒の出生三天にしてそれに洗澡を給うがごとく、幾乎困頓氣絶せんとす。第六を冠帶という、萬物は漸漸繁榮秀發し、人の衣冠を穿戴し起來るがごとし。第七を臨官という、萬物は已に秀にして結實し、人の出仕做官するがごとし。第八を帝旺という、萬物は長じて成熟し、人の正當興旺のごとし。第九を衰という、萬物は形體衰敗し、人の氣力衰退するがごとし。第十を病という、萬物は病に害し、人の生病するがごとし。第十一を死という、萬物は死去し、人の死亡のごとし。第十二を墓という、また庫という、萬物は功用已に成りて入庫に收藏す、人の身死して墳墓に歸入するがごとし。墓に歸すれば便ち重ねて受氣し、胞胎を結成して再生じ出來す」と。

凡推造化,見生旺者未必便作吉論,見休囚死絕未必便作凶言。如生旺太過,宜乎制伏,死絕不及,宜乎生扶,妙在識其通變。古以胎生旺庫為四貴,死絕病敗為四忌,餘為四平,亦大概言之。

およそ造化を推算するに、「生」「旺」を見れば未必しも則ち吉と斷作せず、「休」「囚」「死」「絶」を見るもまた未必しも則ち凶と斷作せず。たとえば生旺するも太過せば、就中應當制伏を加うべし。死絶するも不足ならば、就中應當生扶を加うべし。奧妙は全て能く其中の通通變を識るに在り。古人は胎・生・旺・庫を列して四種の可貴の地と為し、死・絶・病・敗を列して四種の可忌の地と為し、其余を四種の平常の地と算す。あれもまた不過大概に就いて言うのみ。

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