程柏堂
作盤ガイド: 八字作盤
乙丑 庚辰 己未 庚午 六歲 己卯 十六 戊寅 廿六 丁丑 三六 丙子 四六 乙亥 五六 甲戌 六六 癸酉
乾造(男命):年柱乙丑、月柱庚辰、日柱己未、時柱庚午、日主は己土なり。大運は六歳に己卯に起こり、その後十六歳戊寅、廿六歳丁丑、三六歳丙子、四六歳乙亥、五六歳甲戌、六六歳癸酉。月柱庚辰より往上倒數して排成せられ、「大運逆行」に属す。——年干乙は陰に属し、陰年男命は逆排なり。此表は兩處を看る。地支丑・辰・未三個の四季の土層層疊疊にして、時支午また己土の祿なり。月・時兩干雙透の庚金は、正に這一身の重土の秀を泄するの關鍵なり。
上為程柏堂先生庚造。程籍紹興。光緒丁酉年拔貢。截取京官乙已年。出任蘇省華亭縣知縣多年。光復後。歷充釐差。並在江浙財政廳任秘書科長等職。工於八法。頗負盛名。家資鉅萬。伉儷和諧。
上面は程柏堂先生の八字なり。程君籍貫紹興にして、光緒丁酉年(一八九七)に「拔貢」を考取せり。——清制毎十二年各省の生員中より一次を選拔して、國子監に貢入る。是科舉の一條の正途なり。乙巳年(一九〇五)また「截取」の資格を以て京官を做るに分發せられ。截取は資歷年分に按じて挨次銓選するの制度なり。後來彼は江蘇省華亭縣知縣を出任すること多年なり。辛亥光復以後、歷任釐金局の差事にして、並びに江蘇・浙江財政廳に祕書科長等の職を擔任せり。彼書法に精なり(「八法」即ち永字八法にして、借りて書法の一道を指す)。頗る盛名を負う。家資巨萬にして、夫婦和諧す。
查其庚造蓋己土。生於辰月。季土疊疊。午火居時。日元強旺無疑。或以日祿蹄時沒官星取格。或以月劫用煞定評。按之旺者宜洩。季土疊疊。宜重金以吐秀。本命幼歲選拔萃科。歷官京曹。壯年出膺花封。政聲卓著。非其傷官得氣而何。精文學。擅八法。猶餘事耳。查大運甲運稍差。聞彼時篤信佛學。靜心休養。得以化險為夷。戍運癸運重列仕版。一路順境。酉運食來混傷。難以言吉也。
查するに彼の這個八字は、己土辰月に生まれ、四季の土層層疊疊にして、時支また午火の土を生ずるあり。日主強旺疑なし。ある人は「日祿歸時官星沒き」を持ちて格を立つ。——己土の祿は午に在りて、恰好時支に歸し、而して四柱また甲木官星を見ず。正にこの格に合す。ある人また「月劫用煞」を以て評斷す。——辰中戊土是劫財にして、年干乙木是七殺なり。我が看を依れば、旺なる者は宜しく泄すべし。四季の土既然重疊せば、就中重金を用ゐてその秀氣を吐くべし。本命幼年に就中貢生に選拔せられ、京城に官を做り、壯年知縣を出任す(舊は縣令を稱して「花封」爲す)。政聲卓著せり。若し傷官氣を得るにあらざれば、何を以て此に致らんや。文學に精通し書法に擅長するに至りては、還だ不過餘事のみ。查するに彼の大運は、甲運稍や差あり。聞くに彼時彼篤く佛學を信して靜心休養し、始めて以て險を化して夷と爲すを得たり。戌運・癸運は重新に仕途に列身して一路順境なり。酉運是食神の來りて傷官と相混ずるにして、就中吉と言い難し。
端木彰(浙江餘姚・湯溪縣長)
庚辰 戊子 己卯 乙亥 八歲 己丑 十八 庚寅 廿八 辛卯 三八 壬辰 四八 癸巳 五八 甲午 六八 乙未
乾造(男命):年柱庚辰、月柱戊子、日柱己卯、時柱乙亥、日主は己土なり。大運は八歳に己丑に起こり、その後十八歳庚寅、廿八歳辛卯、三八歳壬辰、四八歳癸巳、五八歳甲午、六八歳乙未。月柱戊子より順數して排成せられ、「大運順行」に属す。——年干庚は陽に属し、陽年男命は順排なり。此表要點二あり。一は月支子中癸水は己土の偏財にして令に當る。二は時干乙木・日支卯木・時支亥中甲木、身を剋するの星層層疊出して、而して四柱偏に一點の印綬(火)もなし。下文の吉凶全く這「殺ありて印なし」の四字より生出す。
上為曾任浙江餘姚湯溪等縣縣長端木彰先生庚造。己土生於子月。偏財當令。柱中七煞重重。財來滋煞。故歷任軍界要職。(前浙省魯主席滌平是其門生。)柱中所缺者印綬。殺無印不威,故其人溫厚和平。藹然可親。內權獨擅。蓋殺居日支也。迨運入已地。煞印相生。而寒令之溼土。遇陽光普照,豈有不舒展之理。故於壬申年四月。委署餘姚縣長。至甲戍夏季。調篆湯溪。政譽卓著。近甫卸職。預科入甲午運。木能生火。而火生土。必較己運尤勝。且甲與己合。官不混殺交乙運合庚不利。
上面はかつて浙江餘姚・湯溪等の縣長を任じたる端木彰先生の八字なり。己土は子月に生まれ、子中癸水偏財令に當る。柱中乙木七殺重重にして(時干乙・日支卯・時支亥中甲木)、財能く七殺を滋養し、殺重ければ則ち威權を主る。故に彼歷任軍界の要職せり。(括弧內は作者自注なり。前浙江省主席魯滌平は彼の門生なり。)柱中の缺くる所は印綬なり。——命書に曰く「殺は印なければ威ならず」。七殺印の來りて轉化するなくんば、威勢便ち發し出づる能わず。故に彼人と為りて溫厚和平・和藹可親なり。而して家中內政の大權は妻室に由りて獨り攬めらる。日支是妻宮にして、七殺正にあそこに坐するが故なり。運の巳地に入るを待ちて、巳中丙火は印と為り、殺は印を生じ印は身を生じて殺印相生す。況んや寒冬時節の濕土、一旦陽光の普照に遇えば、あに舒展せざるの道理あらんや。故に彼壬申年四月に委派せられて餘姚縣長を署理し、甲戌年夏天に到りて湯溪に調任せられ、政聲卓著にして、最近始めて卸任せり。豫料するに甲午運に進入せば、木は能く火を生じ火また土を生じて、必定己運に比べて更に一籌を勝らん。しかも甲木は己土と相合して、正官合住せられて、來りて七殺と相混ぜず。格局更に清なり。乙運に交るに到れば、乙は年干庚と相合して則ち利ならず。
凌俾麟(寧波豐紗廠經理)
庚子 乙酉 癸巳 己未 八歲 丙戌 十八 丁亥 廿八 戊子 三八 己丑 四八 庚寅 五八 辛卯 六八 壬辰
乾造(男命):年柱庚子、月柱乙酉、日柱癸巳、時柱己未、日主は癸水なり。大運は八歳に丙戌に起こり、その後十八歳丁亥、廿八歳戊子、三八歳己丑、四八歳庚寅、五八歳辛卯、六八歳壬辰。月柱乙酉より順數して排成せられ、「大運順行」に属す。——年干庚は陽に属し、陽年男命は順排なり。この造日柱癸巳は命書「財官雙美」の日に列す。巳中に丙火を藏して癸水の正財、戊土を藏して癸水の正官にして、財官同宮にして美なり。下文韋千里正に這一條の成說を持ち來りて辨正を爲さんとす。
上繫寧波豐紗廠經理凌俾麟先生庚造。命書所載。癸日坐向已宮。財官雙美。則人生於癸已日元。無有不富而且貴者。其實要四柱合看。未可以一概論也。本命癸水生於白露之後。正值為金司令。偏印用事。年上透出庚金正印。而乙木助之。年支比肩。又是祿堂。總觀癸水日干。有如許擁護之神。則弱而不弱矣。
上面は寧波豐紗廠經理凌俾麟先生の八字なり。命書上に「癸日巳宮に坐し、財官雙美」の說法を載す。——舊說壬午・癸巳兩日を「祿馬同鄕・財官雙美」爲す。日支の中財と官同じく一宮に居るが故なり。このごとく講ずれば、凡そ癸巳日に生まるる人は不富且つ不貴なきなからん。其實一個の日柱はただ八個の字裡の兩個字にして、還た四柱通盤を合せて看るを要し、一槪に論ずべからず。本命癸水は白露以後に生まれ、正に辛金司令に當る。辛金と癸水同じく陰に属して、我を生じて同性なれば是を偏印爲す。偏印事を掌る。年干また庚金正印を透す(庚陽癸陰にして、我を生じて異性なり)。而して月干乙木は庚金と相合して、非但それを牽制せざるのみならず、反って庚金の聲勢を助長す。年支子既に癸水の比肩にしてまた癸水の祿堂なり。通盤看去れば、癸水日主身邊に這許多の擁護の神ありて、它を說くに秋天に生まれて氣を泄して弱しとは、其實弱にして弱ならず。
本命取格取用。有以歲祿有官。或取時上七殺。細按之。年祿固不足以言格。時殺亦難免偏激。以錢綬化殺。最為確當。柱中金水兩旺。可覘其性極喜動。但有己未兩土。堤防。故動而就範。宅心正大。姿質靈敏。殺印透干。宜乎幼年經營紗廠。振興實業。行運戊子稍差。己丑庚辛。大吉大利。莫嫌老圃秋容淡。霜葉紅於二月花。
這個命は格を取り用を取るに、ある人は年支の祿に兼ねて官星あるを以て「歲祿格」を立てんことを主張し、ある人は時干己土七殺を取りて格を立てんことを主張す。細かに按じ來れば、年支の祿單薄にして以て格を立つるに足らず。時干の七殺もまた偏極して身を傷るを免れず。還た印綬を以て七殺を轉化し來るを最も確當と爲す。——七殺は印を生じ、印再び身を生じて、凶星便ち助力と成る(底本の「錢綬」は「印綬」とすべし)。柱中金水兩旺にして、彼の性情極めて活動を喜ぶを看出すべし。但し己土と未土ありて堤防と作せば、故に動きて矩を逾えず。居心正大・資質靈敏なり。七殺と印綬雙雙干を透す。彼年輕輕にして紗廠を經營し實業を振興するも怪しむに足らず。行運戊子稍や差あり。己丑・庚・辛の幾步大吉大利なり。正に古人詩句の咏ずるがごとく、深秋園圃の景色清淡なるを嫌うなかれ、霜を經たる紅葉反って二月の春花より艷なり。——晚運正好なり。
樊劍剛(上海大衆書局經理)
戊戌 戊午 丁卯 丙午 二歲 己未 十二 庚申 廿二 辛酉 三二 壬戌 四二 癸亥 五二 甲子 六二 乙丑
乾造(男命):年柱戊戌、月柱戊午、日柱丁卯、時柱丙午、日主は丁火なり。大運は二歳に己未に起こり、その後十二歳庚申、廿二歳辛酉、三二歳壬戌、四二歳癸亥、五二歳甲子、六二歳乙丑。月柱戊午より順數して排成せられ、「大運順行」に属す。——年干戊は陽に属し、陽年男命は順排なり。表を看るに要く兩處を抓むべし。月支午と時支午皆丁火の「祿」にして、日支卯木また來りて火を生じ、時干丙火再び身を幇く。火勢極めて旺にして四柱滴水全く無し。年月兩干雙透の戊土は、唯一能く這團の旺火を泄出するの出路なり。
上繫上海大眾書局經理樊劍剛先生八字。丁火生於午月。正逢當令之時。日主甚為強健。如以兩祿幫身。丙火畏輔主。卯木年干。雖曰至剛莫廠。究嫌其太過。幸有兩戊透干。得以洩火之秀。本命和事機警幹練。才學高明。於此可覘。所惜四柱五行缺水。似此火炎土燥之際。能有甘泉滋潤。則坎離調變。前程莫可限量。今賴運來補救。未為晚也。
上面は上海大衆書局經理樊劍剛先生の八字なり。丁火は午月に生まれ、正に令に當り時を得に逢う。日主非常に强健なり。加うるに月・時兩支の祿來りて身を幇き、時干丙火また日主を輔助し、日支卯木再び來りて生扶す。雖も剛強匹敵する無きに到るも、究竟其の太だ過ぎたるを嫌う(底本此數句訛字あり。「畏」當に「復」とすべし。「年干」は當に日支卯木の身を生ずるを指すべし)。所幸年・月兩干戊土を透出して、能く過旺の火氣を泄し出して秀氣と成す。この造處事機警幹練・才學高明なるは、ここより就中看出すべし。可惜四柱五行獨り水を缺く。這樣の火炎土燥の局面は、若し能く一泓の甘泉の來りて滋潤するあれば、水火旣濟・陰陽調和して、前程限りを量るべからざらん。如今全く大運に靠りて補救するも、亦た還だ晚しと算せず。
本命以建祿用傷取格。洩其太過。亦得秀氣。雖不及春木秋金之貴。而火土傷官。適亦得時乘勢。經營就富。可斷言也。行運庚申辛酉財運。於格最利。但柱中比劫環伺左右。定有耗財之舉。壬戍舉亥廿年。火土傷官。見官本忌。乃調候為爭。故反吉也。經營獲利鉅萬。毋煩贅述。
本命は「建祿用傷」を以て格を取る。——月支是日主の祿なれば故に建祿と名づく。再び戊土傷官を取りて用と為し、過旺の火氣を泄掉して、同じく能く秀氣を顯出す。這雖も春木・秋金のあの種の時を得地を得るの貴格に比ぶるに及ばざるも、但し火土傷官恰好亦た令に當り勢に乘ず。經營を靠りて致富するは以て斷言すべし。行運庚申・辛酉是財運にして、格局に對し最も利あり。ただ柱中比肩劫財左右に環伺して、必定耗財の事あらん。壬戌・癸亥這二十年は、火土傷官の常例に按ずれば最も官星を見るを忌む(壬癸水是丁火の官殺)。然れどこの造卻って水を需みて調候するを急とするがため、反って凶を轉じて吉と爲り、經營獲利巨萬す。多く說くを須いず。
張之聲(營口天和報關行經理)
丙戌 丁酉 己卯 丁卯 九歲 戊戌 十九 己亥 廿九 庚子 三九 辛丑 四九 壬寅 五九 癸卯 六九 甲辰
乾造(男命):年柱丙戌、月柱丁酉、日柱己卯、時柱丁卯、日主は己土なり。大運は九歳に戊戌に起こり、その後十九歳己亥、廿九歳庚子、三九歳辛丑、四九歳壬寅、五九歳癸卯、六九歳甲辰。月柱丁酉より順數して排成せられ、「大運順行」に属す。——年干丙は陽に属し、陽年男命は順排なり。此表須く地支の刑冲害を看るべし。日支卯・時支卯皆月支酉と相冲し、月支酉また年支戌と相「害」す(六害是地支の間暗中相損するの關係)。一冲一害して、月令のあの點の秀氣ほとんど損し盡くす。這是全局の病根なり。
上繫營口天和報關行經理張之聲先生庚造。已土生於酉月。正值秋金司令。食神當權。洩身之秀。美不可言。無如四柱天干。陽火陰火。層見疊出。食神受印綬之掣肘。已無遁飾。所謂火炎土燥。金無所賴。且卯酉逢沖。酉戍相害。將極妙秀氣。完全剷除。本命弱點。即由於此。
上面は營口天和報關行經理張之聲先生の八字なり。己土は酉月に生まれ、正に秋金司令に値う。酉中辛金は己土と同じく陰に属し、己土の生ずる所にして同性なれば故に食神と為る。食神權に當りて、專ら日主の秀氣を泄す。本來美と言うべからざるの好局なり。無奈四柱天干年上に一個の丙火、月時兩個の丁火にして、陽火陰火層出窮ならず。火は土を生じて是己土の印綬にして、而して印綬正に食神の剋星なり(俗に梟印食を奪うと稱す)。食神它に壓せられて頭を擡ぐる能わず。這層の毛病すでに掩飾し住する能わず。——所謂火炎土燥にして、金燥土の中に在りて安身する處なく、就中依賴する所なし。加うるに日支・時支兩個の卯は月支酉と正面相冲し、酉また年支戌と六害を構成す。一冲一害して、月令のあの點の極妙の秀氣を完全に鏟除す。本命の弱點就中ここに在り。
卯宮偏官。結黨攻身。原冀食神來制。不圖食神本身。四面楚歌。自顧不遑。乃偏官不得不用印來引化。所謂制殺無如化殺高。以食神格而兼用殺印。行運自子字起歷行辛丑壬寅癸三拾年。步步順境。處處遂心。經商獲利。數可驚人。惟妻不克。主不睦。子艱難云。
日支・時支兩個の卯中に藏する乙木は、己土の「偏官」にして、也就是七殺なり。兩卯一黨を結びて來りて身を攻む。原本局中の食神の出でて之を制伏するを指望す。——食神制殺是命理上最も正當の辦法なり。不料這食神自身すでに三個の火印に壓せられて四面楚歌・自ら顧みる暇なし。再び餘力ありて七殺を管する能わず。是を以て這偏官は改めて印綬を用ゐて引化せざるを得ず。土の殺は木にして、木は火を生じ火再び土を生ず。凶星一つの彎を繞りて反って我を生ずるの物と成る。命書所謂「殺を制するは化殺のごとく高きなし」、硬壓は柔化に如かず、正に此の意なり。故にこの造名づけて食神格と爲して、實は兼ねて七殺と印綬を用ゐる。行運庚子運の子字より起こりて、辛丑・壬寅・癸這三十年を歷經して、步步順境・處處心に遂う。經商獲利の數目十分驚人なり。ただ妻宮冲されて、刑克を免れず、夫妻不睦・子息もまた艱難なり。
鄭正秋(本書梓に付す時篇に殿して哀を志す)
戊子 乙丑 辛丑 壬辰 五歲 丙寅 十五 丁卯 廿五 戊辰 三五 己巳 四五 庚午 五五 辛未 六五 壬申
乾造(男命):年柱戊子、月柱乙丑、日柱辛丑、時柱壬辰、日主は辛金なり。大運は五歳に丙寅に起こり、その後十五歳丁卯、廿五歳戊辰、三五歳己巳、四五歳庚午、五五歳辛未、六五歳壬申。月柱乙丑より順數して排成せられ、「大運順行」に属す。——年干戊は陽に属し、陽年男命は順排なり。此表須く「寒濕」の二字を體會すべし。辛金は嚴冬丑月に生まれ、年支子・月支丑・日支丑・時支辰全く水と濕土にして、時干また壬水を透す。通局陰寒潮濕にして一點の火氣なく、日主柔弱堪えず。故に運程の關鍵全く東南暖氣の有無に在り。
鄭正秋先生。經才緯抱。四海知名。其於戲劇及電影。不過寄情抒懷。效生公之說法。予世人以針砭而已。頃以噩耗傳來。大雅云亡。不勝人琴之慨。緣乘本書付梓之際。特殿是篇藉誌哀悼。餘與先生。由詩文之酬酢。交締忘年。先生最信餘課。遇重要機密。輒委占六壬。時蒙以有期許。挙注彌殷。每挹其芝光。聆其蘭語。恆令人一往情深。不能自己。
鄭正秋先生は經緯の才を懷抱して、名四海に滿つ。彼の戲劇と電影上の成就は、彼自己に於ては不過情懷を寄托し、竺道生の說法して頑石をして點頭せしめたるに效法して、借りて世人を鍼砭せしのみ。近日噩耗傳はり來りて、賢者長逝せり(《詩經・大雅・瞻卬》「人之云亡、邦國殄瘁」)。人にして王徽之の「人琴俱亡」の悲慨あらしむ。因りて本書の印に付する際に趁りて、特に這一篇を全書の末尾に放ち、藉りて哀を志す。我先生と詩文唱和往還に因りて忘年の交と結ぶ。先生最も我が占課を信し、重要機密の事に遇えば、常常我に委託して「六壬」課を起こさしむ。——六壬是八字と並行するの另一門の古法にして、時辰を以て課を起こし眼前の吉凶を占斷す。彼時時我に承許して、眷顧照拂日に殷厚なり。每に彼の豊采に親近し、彼の芝蘭のごとき清言を聆聽すれば、總じて人の情意深長・自已する能わざらしむ。
查先生之命造。辛誕寒冬。疊逢重土盛水。既患寒溼。又兼柔弱。所以質同蒲柳。未老先凋。早年丙寅丁卯等運。東南濟美。學冠群英。迨交戊辰重土。書劍飄零。風塵潦倒。已運亦未償宿負。已庚兩部。一火一金。方見飛騰。何期歲逢乙亥。月遇癸未。亥子丑會北方。癸水又助溼。丑未再沖動。哲人遽萎。社會上又失一急公好義。學養從深之俊彥。能不長歌一哭乎。
查するに先生の命造は、辛金寒冬に生まれ、また重重疊疊厚土と盛水に遇上して、既に寒濕に苦しみ、日主また柔弱なり。故に體質蒲柳のごとく秋を望みて落ち、未だ老いずして先ず凋す(《世說新語》は「蒲柳之姿」を以て早衰に喻う)。早年丙寅・丁卯等の運は、東南木火の氣來りて寒局を救濟す。故に學問群英に冠絕せり。戊辰運に交進するを待ちて、また重土身を壓す。是を以て書劍飄零・風塵潦倒せり。巳運もまた宿願を償淸する能わず。巳・庚這兩步は、一火一金にして——火は局を暖め金は身を助く——始めて飛黃騰達を見る。誰か料らん流年乙亥に逢い・月建また癸未に遇うとは。亥は原局の子・丑と會して北方水を成し、癸水また來りて濕を添え、未また原局の兩丑を冲動す。是を以て哲人遽然として凋謝せり(《禮記・檀弓》に孔子の歌「哲人其の萎れん乎」を載す)。社會上また一位の公に急ぎ義を好み・學養湛深の俊彥を失う。何ぞ能く聲を放ちて長歌して一哭せざらんや。
楊秀瓊
己未 戊辰 丁未 戊申 五歲 己巳 十五 庚午 廿五 辛未 三五 壬申 四五 甲戌
坤造(女命):年柱己未、月柱戊辰、日柱丁未、時柱戊申、日主は丁火なり。大運は五歳に己巳に起こり、その後十五歳庚午、廿五歳辛未、三五歳壬申。月柱戊辰より順數して排成せられ、「大運順行」に属す。——年干己は陰に属し、陰年女命は順排なり。底本此表は壬申の後に徑りに「四五 甲戌」を接して、中間に「四五 癸酉」の一步を脱漏せり。甲戌應に五五と作すべし。本書後文この造を重出する時の列する大運即ち四五癸酉・五五甲戌・六五乙亥と作る。以て互校すべく、ここに照らして錄して補わず。表を讀むの要害は、丁火日主孤零零たる一點にして、而して四柱戊・己・未・未・辰・申盡く土(丁火の生ずる傷官食神)なり。日主全く根氣なく、ただ這一片の土勢に順從する能くのみ。これ是下文の言う所の「從傷」「從兒」なり。
某名公以楊秀瓊之八字。囑余推評。夫丁火滿見戊己於干支。又在穀雨之後。黃土當權。應如命理約言所云。“日主無根。滿局皆傷。則當從傷。”不作身弱論。亦即滴天髓所謂“從兒格”是也。宜其巾幗英才。矯強特立。十五歲行來庚運。財星得祿。秀氣流動。自應一鳴驚人。聲譽震全國。芳蹤所至。公卿倒屣。惟明年丙火克庚。幸以高危滿損為戒。丁丑年或有關睢之兆。往後午運平淡。辛未十年。福祿綿密。壬運多險。四十歲繼以申金癸水酉金咸吉。五十五歲晉甲運。制傷破格。危如累卵矣。
某位の名公楊秀瓊の八字を持ちて我に嘱して推評せしむ。丁火日主干支の間滿眼皆戊・己の土にして、また穀雨以後・黃土權に當るの時に生まれ、正に《命理約言》の言う所に合す。日主毫も根氣なく滿局皆傷官なれば、就中傷官に順從すべし。——這種の情形は當に普通の身弱を以て論ずべからず。也就是《滴天髓》所謂「從兒格」(「兒」は我の生ずる物を指し、即ち食神傷官。日主既に力なければ、索性その子に從いて行く)なり。彼女の巾幗中の英才・矯健强健・卓然特立なるも怪しむに足らず。十五歳行き來りて庚運に、庚金財星時支申に祿を得て、滿局土氣出口ありて秀氣流動す。自然一鳴驚人して、聲譽全國を震動す。芳蹤到る所、公卿皆鞋を倒穿して出迎う(《三國志》王粲の「屣を倒して之を迎う」の典を用う)。ただ明年丙火は庚を剋す。彼女を望みて「高ければ則ち危うく、滿ちれば則ち損す」を以て戒めと爲さん。丁丑年あるいは嫁娶の兆あらん(《詩經・周南・關雎》婚姻を咏ず。故に「關雎之兆」と稱す)。此の後午運平淡にして、辛未這十年福祿綿密なり。壬運險多し。四十歳以後接連の申金・癸水・酉金皆吉なり。五十五歳に到りて甲運に進せば、甲木是印にして、印來りて傷官を制して從兒格を破る。就中危うきこと累卵のごとし。
周信芳(麒麟童)
甲午 丁丑 辛酉 甲午 八歲 戊寅 十八 己卯 廿八 庚辰 三八 辛巳 四八 壬午 五八 癸未
乾造(男命):年柱甲午、月柱丁丑、日柱辛酉、時柱甲午、日主は辛金なり。大運は八歳に戊寅に起こり、その後十八歳己卯、廿八歳庚辰、三八歳辛巳、四八歳壬午、五八歳癸未。月柱丁丑より順數して排成せられ、「大運順行」に属す。——年干甲は陽に属し、陽年男命は順排なり。這張の表を看るに要く兩組の力量を分淸すべし。年・時兩干の甲木是辛金の財星にして、月干丁火と年・時兩支の午火是辛金の七殺なり。財と殺皆甚だ強し。而して日主の倚靠し得るはただ日支酉(辛金の祿にして亦た比肩の地)と月支丑(丑中己土偏印と爲す)の這兩點の根氣のみ。
周信芳君,藝名麒麟童。具雋才。為劇界全能。稱梨園宗匠。餘視其命造,財殺兩強。而以日坐比祿。月得印綬為根。第日主較弱。不堪任財任殺。所以富貴非願。絃歌寄情。仗義疏財。安貧潔己。然支中土金重重。可以幫身。是謂明病暗樂。宜其一曲風傳。萬人擊賞。殊非尋常優孟。可與同日而語也。再核運程。庚、辰、辛一派土金。盛名勿替。明年進已字。三合金局。樓臺更上。四十八歲後。壬午十年。側重財殺。恐多糾紛。而宜倦飛知不矣。
周信芳君藝名麒麟童にして、才華出衆、戲劇界の全才にして、梨園宗匠と稱すに堪う。我彼の命造を看れば、財星と七殺兩邊皆強くして、而して日主の倚靠する所は、日支その祿に坐し(比肩の地)、月支印綬を得て根と爲す。ただ日主終に偏に弱くして、這麼重き財・這麼重き殺を擔起し得ず。故に富貴原來彼の願う所にあらず。寧ろ情を歌吹に寄せ、義に仗りて財を疏き、清貧に安んじて潔白を自守す。然れど地支の中丑土は金を生じ、酉金は比肩にして、土金重重皆能く身を幇く。這を明處病あり・暗處藥ありと叫び、病藥相濟す。彼の一曲唱じ出せば便ち風行傳誦して、萬人好を叫ぶも怪しむに足らず。絕對尋常の戲子の以て相提並論すべきにあらず。再び彼の運程を核すれば、庚・辰・辛這一路土金皆身を幇くの喜神にして、盛名衰替せざらん。明年巳字に交進せば、巳は日支酉・月支丑と三合金局を成して、日主愈々力を得て、聲勢更に上層の樓に上らん。四十八歳以後壬午這十年を走れば、偏に財と殺を重くす(壬水は金を泄し、午火は金を剋す)。恐らく糾紛少なからざらん。彼時正に宜しく陶淵明《歸去來兮辭》の言う所の「鳥倦んで飛びて還るを知る」のごとく、及早退步身を抽くべし(底本「知不」當に「知還」とすべし)。
閻錫山封翁
辛酉 戊戌 丁未 壬寅 七歲 丁酉 十七 丙申 廿七 乙未 三七 甲午 四七 癸巳 五七 壬辰 六七 辛卯
乾造(男命):年柱辛酉、月柱戊戌、日柱丁未、時柱壬寅、日主は丁火なり。大運は七歳に丁酉に起こり、その後十七歳丙申、廿七歳乙未、三七歳甲午、四七歳癸巳、五七歳壬辰、六七歳辛卯。月柱戊戌より往上倒數して排成せられ、「大運逆行」に属す。——年干辛は陰に属し、陰年男命は逆排なり。この造妙は五行首尾相銜するに在り。日主丁火は月干戊土を生じ(傷官)、戊土は年干辛金を生じ(財)、辛金は時干壬水を生じ(正官)、壬水は時支寅中甲木を生じ(正印)、甲木回りて頭に返りてまた丁火を生ず。一圈周流して缺けず、是全書中難く得るの循環相生の局なり。下文の立論全くここに在り。「封翁」是舊時子に因りて貴くして封贈を受くる者に對するの稱呼にして、此は閻錫山の父を指す。
閻錫山封翁。富貴壽考。一身兼全。余嘗推評其命。丁誕戍月。干透戊土。為傷官格。戊生辛財。辛生壬官。壬生寅印。寅又生知。循環不息。生氣盎然。如是命局。固不論金木水火土之歲運。或太過。或不及。皆得生化補救。致險無由。所以鶴骨松身。克享遐齡。而福祿綿密。令子賢肖。尤為可貴。誠今世之郭汾陽也。
閻錫山の封翁は、富・貴・長壽三樣一身に集む。我かつて彼の命を推評せり。丁火戌月に生まれ、月干また戊土を透して、是「傷官格」なり。接着戊土は年干辛金財星を生じ、辛金は時干壬水正官を生じ、壬水は時支寅中甲木正印を生じ、寅木また回りて來りて日主の身を生ず(底本「寅又生知」の「知」當に「身」とすべし)。一環一環を生じて、循環息まず、滿盤生氣盎然たり。這樣の命局は、歲運走りて金木水火土哪一行に到るを論ぜず、亦た太過なるを論ぜず還だ不及なるを論ぜず、皆能く這一圈の生化裡に於て補救を得て、凶險手を下すに從なし。故に彼鶴骨松姿にして、高壽を享くるを得、而して福祿綿密・兒子賢能父に肖りて、尤其貴ぶべし。真に今世の郭汾陽なり(唐代郭子儀は汾陽王に封ぜられ、富貴壽考・子孫昌盛を以て著る)。
按餘講學於申商學會時。某君以辛酉戊戍丁未辛丑一造見詢。余斷為棄命從傷。以甲午兩運最危。據云。亦政海名流。早於甲運騎馬墮亡。噫。僅與閻封翁之命。相差一時。而壽夭之異。有如是者。亦可畏矣。
另に一事ありて對照と作すべし。我申商學會に在りて講學する時、某君辛酉・戊戌・丁未・辛丑這一造を持ちて來りて問う。這一造ただ時柱を辛丑に換えたれば、壬水正官と寅中甲木正印便ち皆なし。滿局盡く土金にして丁火全く根依なし。故に我それを斷じて「命を棄てて傷に從う」爲す。——日主力なくして自立する能わざれば、索性自身を捨棄して傷官の勢に順從す。並びに甲・午兩運最も危險と斷ず。甲木是印にして、印來りて傷官を剋制すれば、正に從格の大忌を犯すが故なり。據説あの位も亦た政界名流にして、早く甲運に於て馬に騎りて地に墜ちて身亡せり。噫、這一造は閻封翁の命と僅かに一個の時辰を差うるのみにして、而して長壽と短命の懸殊竟に這般の地步に到る。亦た真に畏るべし。
孫傳芳
乙酉 庚辰 壬寅 己酉 五歲 己卯 十五 戊寅 廿五 丁丑 三五 丙子 四五 乙亥 五五 甲戌
乾造(男命):年柱乙酉、月柱庚辰、日柱壬寅、時柱己酉、日主は壬水なり。大運は五歳に己卯に起こり、その後十五歳戊寅、廿五歳丁丑、三五歳丙子、四五歳乙亥、五五歳甲戌。月柱庚辰より往上倒數して排成せられ、「大運逆行」に属す。——年干乙は陰に属し、陰年男命は逆排なり。此表要點。月支辰是水的墓庫にして、壬水庫に歸して散ぜず。年支酉・月干庚・時支酉三處金を見て、金來りて水を生ず。年干乙木本來水を泄すべきも、卻って庚金に合し去られて水を泄する能わず。是を以て全局金水獨り盛んにして、日主身強を以て論ず。唯一用ゐ得べきは日支寅中に藏する丙火偏財なり。
孫傳芳死矣。世之論其功過者。嘖有煩言。無須再贅。惟既放下屠刀。扳依三寶。仍不善終。莫非命也。亦為吾人所急欲研究者也。夫壬水歸庫於辰。金凡三見。乙木合去。金水占優。以身強論。己土之官。助印有餘。拘身不足。應棄而用寅內丙財。賴其破印。並以為表張耳。
孫傳芳死せり。世人彼の功過を議論して、衆說紛紜として、我を須いて再び多く說かざる。ただ彼既に屠刀を放下し佛門三寶に皈依して、仍ほ善終を得ず。命に中たるに非ずや。這却って我らの急に研究せんと欲する一件事なり。彼の八字。壬水月支辰に庫に歸し、金三處あり(年支酉・月干庚・時支酉)。年干乙木また庚金に合し去られて能く水を泄せず。是を以て金水優勢を占め盡くして、ただ身強を以て論ずる能くのみ。時干己土雖も正官なるも、但し土は金を生じて、印星を幇助するは餘ありて、日主を約束するは卻って足らず。故に官星靠り住むべからず。當に它を捨棄して改めて日支寅中に藏する丙火偏財を用ゐるべし。——一來丙火を靠りて金印を剋破し、二來それを借りて滿局の金水の氣を張揚發越せしむ。
盛於丙運。用神得助也。敗於子運之未。用火忌見水也。乙運以還。寂然無聞。亥運合寅奪丙。每況愈下。本年乙亥。再逢十月亥建。三亥交攻。用神潰敗。殺人者終被人殺。夫復何疑。 (以上四則。乙亥十月二版增刊)
彼丙運に鼎盛せるは、用神丙火幇助を得たるがためなり。子運の末尾に敗るるは、既に火を以て用神と爲せば最も水を見るを忌むに、子水正に頭に當りて澆下すが故なり。乙運以後便ち寂然として聞こゆるなし。亥運に到りて、亥は日支寅と相合して、寅中丙火を奪い去る。是を以て每に況愈々下る。今年また乙亥に逢い、再び十月の亥月建に碰上る。——大運の亥・流年の亥・月建の亥、三亥一齊に來りて攻む。用神徹底に潰敗す。人を殺す者終に人に殺されん。還た何の疑うべきかあらん。(末行括弧內は作者自注なり。以上四則は乙亥年十月本書再版する時增補刊入せし所なり。)
楊秀瓊(二版重出)
己未 戊辰 丁未 戊申 五歲 己巳 十五 庚午 廿五 辛未 三五 壬申 四五 癸酉 五五 甲戌 六五 乙亥
底本自此以下楊秀瓊・周信芳の兩造を一次重出す。文字は前面の載する所と大同小異にして、當に再版增補の時排印重複の所致なるべし。今仍ほ照らして錄し、並びに文に隨いて異同を注明す。ここに大運は前面の載する所に比べて「四五 癸酉」の一步を多く出し、並びに續きて五五甲戌・六五乙亥を列して、始めて完整の排法なり。以て前文の脱漏を補正すべし。坤造(女命):年柱己未、月柱戊辰、日柱丁未、時柱戊申、日主は丁火、大運月柱戊辰より順數し、陰年女命順行す。全局辰・未・未の三土に戊・戊・己の三土を加えて、土多きこと一點の丁火を完全に埋沒するに至り、日主根に依る無し。
某名公以楊秀瓊之八字。囑余推評。夫丁火滿見戊己於干支。又在穀雨之後。黃土當權。應如命理約言所云。“日主無根。滿局皆傷。則當從傷。”不作身弱論。亦即滴天髓所謂“從兒格”是也。宜其巾幗英才。矯強特立。十五風行來庚運。財星得祿,秀氣流動。自應一鳴驚人。聲譽震全國。芳蹤所至。公卿倒屣。惟明年丙火克庚。幸以高危滿損為戒。丁丑年或有關睢之兆。往後午運平淡。辛未十年。福祿綿密。壬運多險。四十歲繼以申金癸水酉金咸吉。五十五歲晉甲運。制傷破格。危如累卵矣。
某位の名公楊秀瓊の八字を持ちて我に嘱して推評せしむ。丁火日主干支の間滿眼是戊・己の土にして、また穀雨以後・黃土權に當るの時に生まれ、正に《命理約言》の言う所に合す。日主毫も根氣なく滿局皆傷官なれば、就中傷官に順從すべし。這種の情形は普通身弱と當たり看るべからず。也就是《滴天髓》の言う所の「從兒格」。——「兒」は日主の生ずる所の食神傷官を指す。日主既に自立する能わざれば、便ち其の生ずる所に順從して行きて、反って食傷を以て喜と爲す。故に彼女是巾幗中の英才にして、矯健强健・卓然獨立す。十五歳行き來りて庚運(底本「十五風」の「風」字是「歲」の訛)。庚金財星時支申中に祿を得て、一局の重土宣泄の路ありて、秀氣因りて流動す。自然一鳴驚人して、聲譽全國を震動す。芳蹤到る所、公卿屣を倒して相迎う。ただ明年丙火は庚を剋す。彼女を望みて高ければ則ち危うき易く・滿ちれば則ち損を招くを以て自ら戒めしめん。丁丑年あるいは婚嫁の兆あらん。此の後午運平淡にして、辛未這十年福祿綿密なり。壬運險多し。四十歳以後接連の申金・癸水・酉金皆吉なり。五十五歳に到りて甲運に進せば、甲木是印にして、印來りて傷官を制伏して從兒の格を破れば、便ち危うきこと累卵のごとし。
周信芳(二版重出)
甲午 丁丑 辛酉 甲午 八歲 戊寅 十八 己卯 廿八 庚辰 三八 辛巳 四八 壬午 五八 癸未
這是周信芳一造の底本中の重出なり。四柱と大運皆前面の載する所と完全相同す。年柱甲午・月柱丁丑・日柱辛酉・時柱甲午、日主辛金。大運八歳に戊寅に起こり、順行して五八癸未に至る。異なる所はただ正文首句に在る。前面は「周信芳君、藝名麒麟童」と作り、ここは姓名を脱して徑りに「藝名麒麟童」と稱す。末句前面誤って「倦飛知不矣」と作り、ここは則ち「倦飛知還矣」と作る。以て前文を校正すべし。
藝名麒麟童。具雋才。為劇界全能。稱梨園宗匠。餘視其命造。財殺兩強。而以日坐比祿。月得印綬為根。第日主較弱。不堪任財任殺。所以富貴非願。絃歌寄情。仗義疏財。安貧潔己。然支中土金重重。可以幫身。是謂明病暗樂。宜其一曲風傳。萬人擊賞。殊非尋常優孟。可與同日而語也。再核運程。庚、辰、辛一派土金。盛名勿替。明年進已字。三合金局。樓臺更上。四十八歲後。壬午十年。側重財殺。恐多糾紛。而宜倦飛知還矣。
藝名麒麟童、天賦雋才にして、戲劇界に於て樣樣精通し、梨園宗匠と稱すに堪う。我彼の命造を看れば、年時兩干の甲木を財と爲し、月干丁火と兩午を殺と爲して、財殺兩邊皆強し。日主の恃む所は、日支酉金既に比肩にしてまた祿堂、月支丑中己土偏印根と爲す。ただ日主到底偏に弱くして、這樣重き財と殺を擔動せず。故に富貴原來彼の心願にあらず。ただ情懷を歌吹の間に寄托して、義に仗りて財を疏き、貧に安んじて潔を守る。然れど地支の中丑土能く金を生じ、酉金能く身を幇きて、土金重重皆暗暗裡に扶持す。這就明處病あり・暗處藥ありと叫ぶ。彼の一曲傳唱風行して、萬人好を叫ぶも怪しむに足らず。絕對尋常の演員の以て同日に語るべきにあらず。再び彼の運程を核すれば、庚・辰・辛一路の土金皆身を幇くの神にして、盛名衰替せざらん。明年巳字に交進せば、巳は酉・丑と三合金局を成して、日主轉じて強く、更に層樓に上らん。四十八歳以後壬午這十年は、財殺また重くして、恐らく糾紛少なからざらん。彼時正に當に倦飛の鳥兒のごとく歸返する所を知りて、及早收斂すべし。
卷末
千里命稿終
《千里命稿》全書ここに到りて終篇す。全書は天干・地支・人元・五行より說き起こして、歷論して強弱・六神・格局・外格・運限・流年・月建・六親・女命、および富貴吉壽と貧賤凶夭の諸篇を經て、最後に「應運篇」百餘則の時人實例を以て結と作す。這五個字是底本の終篇標記なり。
