(四)詹姓乾命
作盤ガイド: 八字作盤
庚子 庚辰 甲子 戊辰 六歲 辛巳 十六 壬午 廿六 癸未 三六 甲申 四六 乙酉 五六 丙戌
男命の一造。年柱庚子・月柱庚辰・日柱甲子・時柱戊辰。日主甲木は辰月に生まる。大運は六歲に起こり、依次に辛巳・壬午・癸未・甲申・乙酉・丙戌。年干庚は陽に屬し、男命は陽年に生まれれば順排す。ゆえに月柱庚辰より順推して辛巳・壬午・癸未……と為る。この造の八字は純陽(庚・子・庚・辰・甲・子・戊・辰はみな陽干陽支)にして、地支は兩子兩辰、暗に一個の水局を蔵す。これ全局の轉機の在る所にして、下文を看れば便ち知る。
強弱 甲生暮春土令,又見三土二金,財殺太旺。幸子辰成產水之局,辰土之財,化印生身,故專弱為強矣。 格局 甲生辰月,干透戊土,是為偏財之格。
強弱を看る。甲木は暮春三月に生まれ、辰土は令に當り、局中また三個の土(兩辰一戊)兩個の金(兩庚)あり。土は甲木の克する所の財、金は甲木を克する七殺にして、財と殺とともに太旺。日主はもとより衰弱すべし。所幸は兩子兩辰は會して水局を成し(底本の「成產水之局」、「產」はまさに「會」とすべし)、辰のこの塊の財土は水局に一化せられて、轉じて印綬と成りて來て身を生ず。是に於て弱より強に轉ず(底本の「專弱為強」、「專」はまさに「轉」とすべし)。格局を定む。甲木は辰月に生まれ、辰中の蔵する戊土は時干に透す。戊土は甲木の克する所にして陰陽相同じきの神、すなわち「偏財」なり。ゆえに「偏財格」を立つ。
用神 干頭盡是財殺,自取年支子印為用,賴以化殺生身也。 喜忌 最喜水木而忌土,火亦不利,因能生土也。金卻不忌,因能生水也。
用神を取る。天干の上に排び開くは全く財と殺(庚・庚は殺、戊は財)にして、日主は孤立す。自然に年支子中の癸水印綬を取りて用神と作すを要し、それに靠りて庚金七殺の氣を把りて化して來て日主を生扶せしむ――これすなわち前文の説く所の「殺重く身輕ければ宜しく殺を化すべし」。喜忌を論ず。最も喜ぶは水と木。水は身を生じ木は身を助く。最も忌むは土。土は財にしてまた能く金殺を生ず。火もまた利あらず。火は能く土を生ずればなり。金に至っては、もと七殺なれども、この造はしかるに併せ忌まず。水ありて中間に在りて通關すれば、金はかえって去りて水を生じ、殺は便ち印の源頭と成ればなり。この一條は最も韋氏の取用の活法を見るべし。忌むか忌まざるかは十神の名目を看ず。ただそれのこの局の裡に走向する何處かを看るのみ。
歲運 六歲行辛己運,一金一火,乏善可陳。十六歲之壬運,大病三年。按壬水為偏印,莫非丁己戊午,己未,三載火土流年之故。二十歲午火運,得美缺於交通部,繫純逢金水流年之故。諺云:運好不發年好,洵然。
歲運を査す。六歲に辛巳運に行く(底本は「辛己」と作す。前列の大運に據ればまさに「辛巳」とすべし)。一個の金一個の火にして、甚だ稱道すべきなし。十六歲に壬運に進み、かえって大に病むこと三年――壬水はもと甲木の偏印・まさに用神の屬に合す。何を以てか病を致すや。大抵は丁巳・戊午・己未の三年の火土流年の祟り為す所ならん(底本の「丁己」はまさに「丁巳」とすべし)。運は好くして年は好からざればなり。二十歲に轉じて午火運に入り、しかるに交通部に好差事を謀り得。あれは恰好純粹の金水流年に碰上せればなり。諺語に説く「運好は年好に如かず」。この造はまさに明證なり。大運は十年の大勢を定め、流年は當年の成敗を定む。兩者は必ず合わせて看るべし。
廿六歲以來,癸未運,裘馬麗都。蓋一以運勝,一以年佳也。三十六歲甲運雖是幫身,惜被庚克,恐用武無地。四十一歲申運,三合全成水局,殺印相映。地位權譽,登峰造極矣。官至簡任特任,唯所望於此時也。往後乙酉運,無足可取,丙運更不宜戀棧。
二十六歲以來癸未運に行く。衣裘車馬みな極めて華美なり。あれは運好く年もまた好きの兩面凑合するの緣故なり。三十六歲に甲運に進む。甲木は比肩にして身を助くといえども、可惜天干の兩庚の克する所たる。恐らくは英雄は用武の地なからん。四十一歲に申運に轉ず。申は命中の子・辰と三合して完全に水局を會成し、七殺の氣は盡く化して印と為りて來て身を生ず。殺印相生し(底本の「相映」はまさに「相生」とすべし)、是に於て地位・權勢・聲譽はみな登峰造極す。官階は「簡任」に做り乃至「特任」に到る(民國の文官等級。特任は最も高く簡任はこれに次ぐ)。まさにこの十年に指望す。往後の乙酉運は取るべきなきあり。丙運はさらに宜しく戀棧して去らざるべからず――丙火は木を泄して土を生じ、用神は傷を受く。退くべきは則ち退くべし。
六親 以印為用,深獲父母庇陰,不見傷食,亦且為忌神,僅午運得一子,日支坐祿,中饋尚賢,劫比之稀,因鮮足弟矣。 性情 木得水養,五行清而不雜。八字純陽,磊落大方,可斷言也。 事業 忌財喜印,最宜行政機關。堪握大權,然亦廉吏耳。
六親を推す。印を以て用神と為せば、父母の蔭庇はこれに因りて深厚なり。局中は食神傷官を見ず、しかも食傷はこの造に於てなお忌神に屬す。ゆえに子息艱難にして、ただ午運の裡に一個の兒子を得。日支の子水は甲木の「沐浴」の位。この處に説く「坐祿」は乃ちその水の能く身を生じ妻宮力を得るの意を取るなり。ゆえに妻子賢惠を主る(「中饋」は家中の飲食を主持するを指し、妻室を代稱す)。比肩劫財稀少なれば、ゆえに兄弟單薄なり(底本の「鮮足弟」はまさに「鮮兄弟」とすべし)。性情を評す。木は水を得て來て滋養せられ、五行は清純にして駁雜せず。八字また純陽なれば、ゆえに人と為りて磊落大方なり。以て断言し得。事業を斷ず。財を忌みて印を喜ぶ。印は文書官職を主る。最も行政機關に在りて事に任ずるに宜しく、能く大權を掌握し得。不過またただ一個の清廉の吏なるのみ――財星は忌神なれば、權大なるも聚財せざればなり。
(五)陳姓乾命
壬子 丙午 癸亥 戊午 八歲 丁未 十八 戊申 廿八 己酉 三八 庚戌 四八 辛亥 五八 壬子
男命の一造。年柱壬子・月柱丙午・日柱癸亥・時柱戊午。日主癸水は午月に生まる。大運は八歲に起こり、依次に丁未・戊申・己酉・庚戌・辛亥・壬子。年干壬は陽に屬し、男命は順排す。ゆえに月柱丙午より順推して丁未・戊申・己酉……と為る。この造は水火對峙す。年柱壬子は一片の水、月時の兩午は一片の火、日支の亥また水なり。全局の成敗はすなわちこの兩股の力量のよく相持し得住るか否かを看る。「評斷篇」の五造の中に最も中和の妙を見るの一個なり。
強弱 癸水生於仲夏,又逢午時,三火一土,財官太旺。幸載亥支,為帝旺之鄉,更妙年干壬水劫財。載子而亦為旺地,弱而有助,得中和之妙也。 格局 癸生午月,為偏財之格。
強弱を看る。癸水は仲夏五月に生まれ、時辰また午時なり。局中は三個の火(丙・午・午)一個の土(戊)あり。火は癸水の克する所の財、土は癸水を克するの官にして、財と官とともに太旺。日主はもと應に偏弱なるべし。所幸は日主は自ら亥支に坐す。亥は癸水の「帝旺」の鄕にして、身の下に根あり。さらに妙なるは年干の壬水は劫財にして、また子上に坐す。子もまた水の旺地なり。日主は弱るといえども幇あり。一強一弱は恰好相持して、中和の妙を得。格局を定む。癸水は午月に生まれ、午中の丁火は癸水の克する所にして陰陽相同じきの神、すなわち「偏財」なり。ゆえに「偏財格」を立つ。
用神 日元稍弱,宜取壬水,劫財幫身為用。 喜忌 喜金水,忌火土,尤忌木之生火洩水。
用神を取る。日元すでに還って稍偏弱なれば、すなわち年干の壬水のこの劫財を取りて來て身を助け用神と作す――身弱にして財旺なれば、比劫の來て財を分かち財を擔うに非ざれば已まず。これまさに前の口訣の説く所の「財多く身弱ければ宜しく劫刃」なり。喜忌を論ず。喜ぶは金と水。金は水を生じ水は身を助く。忌むは火と土。火は財、土は官、みな日主を耗克するに在り。尤其に忌むは木。木は一面に火を生じて財を助け、一面に水の元氣を泄し掉して、兩頭ともに損を受ければなり。この造の用神の取るは極めて簡なり。全部の關竅はただ「幇身」の二字に在るのみ。
歲運 八歲初走丁未火土運,幼境未豐。十八歲戊運,賴流年多金水,所如尚順。廿一歲壬申年,茅廬初出,即入某銀行為練習生。廿三歲轉入申運,劫財得長生,當可不脛而馳。廿八歲後,己酉運,一以流年之勝,一以行運之善,青雲直上,前途正未有艾也。
歲運を査す。八歲に起きて丁未運に走る。火土並見して、幼年の家境は豐ならず。十八歲に戊運に行く。戊土は官星にしてもと喜ぶ所に非ざるも、全く流年の多く金水に走るに靠る。ゆえに處處還って順遂なり。二十一歲壬申年に初めて茅廬を出でて、某銀行に進みて練習生に當る――壬は劫財、申は能く水を生ず。まさに用神の地を得るの年なり。二十三歲に轉じて申運に入る。申は壬水の「長生」の地にして、劫財は源頭を有す。これに因りて聲名は脛なくして走る。二十八歲以後に己酉運に行く。一面は流年力を得、一面は行運もと善し(酉金は水を生ず)。是に於て青雲直上、前程は遠大にして窮りなし。
三十八歲庚金正印運,尤幫運達。四十三歲戌運,歲運皆木火土之鄉,縱不修文地下。亦必床第呻吟。越過此津,然後得辛亥壬子,運走西北,致富何難。 六親 財旺多妻,日支亥字,大有裨益於命局,自然內助之賢。亥中甲木傷官非喜神,子較艱難。年柱壬子為精華,出身高第,有劫元印。丁運父母雙亡,劫財為用,宜其長兄二兄,皆有名於時也。
三十八歲に庚運に行く。庚金は癸水の正印にして、身を生ずるに力あり、尤其に幇襯し得て通達す(底本の「幇運達」、語略なり)。四十三歲に戌運に轉ず。戌は火庫にしてまた燥土なり。あの幾年は大運流年みな木火土の鄕に在りて、縱うす亡故に至らざるといえども(「修文地下」は晉人蘇韶の典を用う。人死して陰間に到りて文墨を掌るを指す)、また必定して臥病呻吟せん。この一關を渡り、接いで辛亥・壬子に走り、運は西北金水の地に轉じ、富に致るは難しとせず。六親を推す。財旺なれば則ち妻多きを主る。日支の亥水は命局に對して大いに幇助あれば、ゆえに內助賢惠なり。亥中の蔵する甲木は傷官にして、喜神に非ず。ゆえに子息較為艱難なり。年柱壬子は全局の精華の在る所なれば、ゆえに出身の門第甚だ高し。また劫財と元神の印と相護るあり。丁運の裡に父母雙亡す(丁火は財と為り、財は印を破り、印は父母を主る)。劫財すでに用神なれば、長兄・二兄ともに當時に些の名望あるも怪しむ無し。
性情 火有水濟,能剛能柔。見解必清楚處事多得當。 事業 命本可富,自宜置身金融界。若趨北地,尤稱佳妙。
性情を評す。火は水の來て調濟するありて、水火旣濟す。ゆえに能く剛にして能く柔なり。見解清楚にして、處事は多半妥當なり――これは第一造の「火日に水多く、為す所當を欠く」と恰も反照を成す。同じく水火相見するに、一個は偏枯、一個は中和にして、性情は便ち兩人のごとく判たり。事業を斷ず。この造はもとより富に致る可し。自然に金融界に置身するに宜し。もしよく北方に往きて發展せば、すなわちさらに妙なり――北方は水に屬し、まさに用神の地を得るの處なり。以上の五造、作者は一律に「強弱・格局・用神・喜忌・歲運・六親・性情・事業」の八步に按じて一遍を演じ過ぎたり。讀者は樣に依りて推して去れば、便ち入手の規矩有らん。
應運篇
蔣介石命造
丁亥 庚戌 己巳 庚午 初九 己酉 十九 戊申 廿九 丁未 三九 丙午 四九 乙巳 五九 甲辰 六九 癸卯 光緒十三年九月十五日午時生
「應運篇」以下はみな韋千里の當時の人のために批せし實例なり。每造はまず四柱を直列し、さらに大運を列し、末後に斷語を附す。この造は年柱丁亥・月柱庚戌・日柱己巳・時柱庚午。日主は己土にして、戌月に生まる。生辰は光緒十三年九月十五日午時なり。大運は九歲より起こり、依次に己酉・戊申・丁未・丙午・乙巳・甲辰・癸卯、每十年に一柱を換ゆ。年干丁は陰に屬し、男命は陰年に生まれれば則ち大運は逆排す。ゆえに月柱庚戌より倒して退きて己酉・戊申・丁未……と為り、一路に西方金地より南方火地に轉入す。この張の表を看るに要緊は四柱と大運とを對して看るに在り。四柱は本にして一生の格局を定め、大運は運にして各段の年歲の順逆を定む。
此蔣介石之命也。庚金傷官,既得九秋餘氣,矧復雙透干頭,妙有火印制傷,天生康壯之體。三命通會所載:金神入火鄉,夫以傷官佩印為用。運喜逢印,不必再見傷食。早年申酉,有駿骨牽監之嘆。丁未運為火力不足。龍潛於淵。迨丙午運。火候功深。風去際會。乙已運木炎媲美,仍是從心所欲,甲辰運傷官見官。解組歸田,是為上策。
これは蔣介石の命造なり。己土は庚金を生じ、庚は「傷官」なり。九月はすでに秋令の正位を過ぐといえども、金氣はなお餘威あり。いわんや兩個の庚金は一齊に天干に透す。傷官の勢は甚だ旺なり。妙なるは日支巳・時支午ともに火にして、火は己土の印、印は能く傷官を制す。ゆえに天生するに一副の康健強壯の體格あり。《三命通會》の載する所の「金神入火鄕」はまさにこの類を指す――「金神」は乙丑・己巳・癸酉の三組の干支の舊名にして、性は極めて剛銳、必ず火の來て鍛鍊するを須いて初めて器と成る。この造の日柱は恰好これ己巳なり。取用の法は、「傷官佩印」なり。食傷を用いて去りて身を泄せずして、印綬を用いて傷官を制住して、回頭して身を生ぜしむ。ゆえに大運は印に遇うを喜ぶ(火土の地)、さらに傷官食神を見るに宜しからず(金水の地)。早年は申・酉の兩運に走り、金氣重疊して、千里馬の籠頭を套上げらるるがごとく、空しく駿骨有りて馳騁を得ず。丁未運は火力なお足らざるを嫌む。ただ潛龍の淵に在るのみ。等到丙午運に到れば、火候功深くして、初めて風雲際會す(底本の「風去」はまさに「風雲」とすべし)。乙巳運は木火相生して、丙午と同じく美滿にして、なお舊に事事心に從う。甲辰運に到れば、甲木は己土の正官にして、庚金傷官と相碰して、「傷官見官」の局と成る。すなわち印綬を解下して田園に歸隱するを上策と為す。
馬占山命造
乙酉 丁亥 己丑 甲子 九歲 丙戌 十九 乙酉 廿九 甲申 三九 癸未 四九 壬午 五九 辛巳 六九 庚辰
年柱乙酉・月柱丁亥・日柱己丑・時柱甲子。日主己土は亥月に生まる。大運は九歲に起こり、依次に丙戌・乙酉・甲申・癸未・壬午・辛巳・庚辰。年干乙は陰に屬し、男命は逆排す。ゆえに月柱丁亥より倒して退きて丙戌・乙酉・甲申……と為り、先に西方金地に行き、中年の後に南方火地に轉入す。この造を讀むに須く地支に留意すべし。亥・子・丑の三支は連なりて北方の一片の水と成り、己土日主に對して言えば財旺して勢を成すなり。全局の寒濕の病と救應の法とは、みなこの三個の字より生出す。
前黑龍江代理主席郎官普先生。勻耳餘名。客春因公南下。道出海上,手馬占山將軍命造。叩餘休咎。緣為簡批曰。己見亥子丑。病於水盛。助成寒溼。妙有丁火煦融。更喜鄰於乙木。丁 獲資助,則驅寒有力。且水生木而木生火,財也殺也印也。生生不息。八字貴重。良有以也。
前の黑龍江代理主席郎官普先生は久しく我が名字を聞き、去年の春に公事に因りて南下し、上海に路過して、手に馬占山將軍の命造を持して來て吉凶を問う。我はこれに因りて簡略に批して曰く、己土日主は亥・子・丑の一片の北方水を見るに、病は水の太盛なるに在り、助けて一局の寒濕を成す。妙なるは月干に丁火ありて溫煦融和す。さらに喜ぶは丁火は時干の乙木に緊鄰して、丁火は乙木の資助を得、寒を驅くに初めて力量あらん。しかも水は木を生じ木は再び火を生ず――水はこの造に於ては「財」(己土の克する所)、木は「殺」(己土を克するの神)、火は「印」(己土を生ずるの神)。財・殺・印の三樣は連なりて一條の順生の鏈子と成り、生生して息まず。八字の貴重は、確實にそれの道理有り。この一段の關竅は「通關」の二字に在り。財旺はもと身を克するに、一たび木火の遞生を經れば、かえって日主の源頭と成る。
或謂此命天成格局。名化氣者,非篤論也。早年行運。碌碌無奇。行屆未運,中藏乙丁,並含用神喜神。再逢辛未之年,宜乎一鳴驚人。一飛沖天。行及壬運。則又以水之助溼。歸諸平淡,白圭之玷。莫非命也。午運丁火得祿。發揚蹈歷。趾參予望之。辛運與乙丁互沖,功成歸隱,頤養天年。斯其時矣。
人の説くにこの命は天然生成の格局にして、「化氣格」(日干と鄰干と相合して別の一行に化す)と叫作すと。あれは確當の論に非ず――この造は甲己は相合するといえども、局中は水旺木盛にして、日主は自ら依託あり。並びに真化せず。早年の行運は碌碌として奇なし。未運に行き到れば、未中は乙木と丁火とを蔵し、用神喜神ともにその裡頭に在り。さらに辛未のあの年に逢えば(一九三一年。すなわち江橋抗戰の歲)、一鳴驚人・一飛冲天するも怪しむ無し。壬運に行き到れば、壬水は濕氣を助長し、功業は便ち平淡に歸す。白玉は瑕點有り。これもまた命なり。午運は丁火は「祿」を得(丁の祿は午に在り。本氣自ら旺なるの地)、またまさに發揚有為すべく、まさに目以待して觀る可し。辛運に到れば、辛金は乙木と相冲し丁火と相戰して、用神喜神は兩傷す。あの時は功成りて身退き、天年を頤養するは、まさに時候なり。
呉佩孚命造
甲戌 戊辰 戊申 壬子 六歲 己巳 十六 庚午 廿六 辛未 三六 壬申 四六 癸酉 五六 甲戌 六六 乙亥
年柱甲戌、月柱戊辰、日柱戊申、時柱壬子、日主戊土は辰月に生まる。大運は六歳に起こり、順に己巳・庚午・辛未・壬申・癸酉・甲戌・乙亥。年干甲は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱戊辰より順推して己巳・庚午・辛未……となり、まず南方の火土、後に西北の金水を行く。この造は地支に申・子・辰の三字がそろい、まさに三合水局の完全な配置で、天干にまた壬水が透し、財勢きわめて旺なり。これが下文議論の着眼処である。
或曰,吳佩孚命造,為甲戍戊辰已酉丁卯。夫土重遠過於金水木。身太強。財官太弱。標本不均,身世似不類。心滋疑焉。雲夏蓬萊李潔盒君。從餘學命。書函往還。於請益中,以甲戍戊辰戊申壬子。
或る人は呉佩孚の命造を甲戌・戊辰・己酉・丁卯とする。しかしこのように排すれば、土の分量が金・水・木をはるかに超え、日主は強すぎて財官は弱すぎる。本と標が相い称えず、彼の一生の身世と符節が合わぬようで、私は心に疑いを存した(底本の「甲戍」は「甲戌」とすべし。以下同じ)。蓬莱人の李潔盦先生が私に命を学び、書信を往来させ(底本の「云夏」の二字は訛りあり。あるいは「兹有」「今夏」の類か)、請教の書の中で、別に甲戌・戊辰・戊申・壬子の一造を挙げて問うてきた。この一段に記すのは命学上よくある難処である。名人の生辰は伝聞が紛歧し、取捨はただ命理と事実を両相対勘するほかない。
一造見詢,據云繫子玉上將軍真命,視其戊土日元。比肩重疊。申子辰會不局。時干透壬。乃身財兩美。旺財生年頭甲木之殺。惟乏火印以化殺,及金星制殺之為病。故清高氣骨惜屢起屢仆。終隱平泉,無非制殺。或為化殺,因是益信殺重之命 ,最貴乎化與制矣。
曰く、この造こそ子玉上将軍(呉佩孚の字は子玉)の真命だという。それを見るに戊土日元、年月の二つの戊土比肩が重なり、日主は弱からず。地支の申・子・辰は水局を会成し(底本の「会不局」は「会水局」とすべし)、時干にまた壬水が透き出る。ここにおいて身と財の両辺ともに美なり。旺盛の財はさらに年干の甲木を生ず——甲木は戊土を剋して陰陽同じ、これ「七殺」なり。惜しいかな局中に火印を欠いて殺を化せず、また金星(食傷)なくして殺を制せざる。これが病根の所在である。ゆえにその人、清高の気骨あれども屢々起ち屢々仆れ、ついに林泉に隠居す(「平泉」は唐の李徳裕の平泉荘の典を用い、退居の別業を指す)。帰するところ、七殺は制するか化するかに非ざればならず。これによりいよいよ信ずべし、およそ殺重き命は、もっとも貴ぶは一物ありてこれを化しあるいは制することを。
酉運以流年不濟。備嘗挫扼。英雄氣短。莫非命也。甲運最危。幸在野養晦,可謂知命者矣,刻雖已進戍運。然比肩輔翼。不過蔗境安康。頤樂天年而已。
酉運のうちは流年佳ならず、挫折壓抑を飽嘗し、英雄気短し。これもまた命なり。甲運は最も危険——甲は七殺にして、運来たり殺を助くるも局中に制なく化なし。幸いに彼この時在野にして光を韜め晦を養う。命理を知れる人と謂うべきか。眼下すでに戌運に入るも、戌は燥土、年支の戌と并見すれば、比肩の類の輔助に過ぎず、晩境を安康にし天年を頤養せしむるのみ(「蔗境」は人生の後段が漸く佳境に入るを謂い、顧愷之が甘蔗を食して漸く佳き處に至るの意を取る)。この造は上の一造の馬占山と対看す。一つは殺重くして印の化あり、一つは殺重くして制化なし。成敗の別はまさにここに在り。
閻錫山命造
癸未 辛酉 乙酉 丁亥 十一 庚申 廿一 己未 三一 戊午 四一 丁巳 五一 丙辰 六一 乙卯 七一 甲寅 光緒九年九月初八日亥時生
年柱癸未、月柱辛酉、日柱乙酉、時柱丁亥、日主乙木は酉月に生まれ、生辰は光緒九年九月初八日亥時。大運は十一歳に起こり、順に庚申・己未・戊午・丁巳・丙辰・乙卯・甲寅。年干癸は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱辛酉より倒退して庚申・己未・戊午……となり、中年以降一路東南の木火を行く。この造は月干辛・月支酉・日支酉、金気三たび見えて当令し、乙木孤弱、これ標準の「殺重身軽」にして、下文の制と化はすべてここより立論す。
前論殺重之命。貴乎制化。視閻錫山命造。更可徵信矣。蓋秋木凋零。秋金既得其時,又得其祿。殺重身輕。身殺之力量懸殊。其輕重不可以道里計。幸有癸印生身,並化殺,又有丁火食神以制殺,制化之功。乃完備矣。
前文に殺重き命は制あり化あるを貴ぶと論じたが、閻錫山のこの造を見れば、いよいよ検証すべし。乙木は深秋に生まれてすでに凋零し、しかも秋の金はその時令を得、また酉支の上にその「祿」を得(辛金の本気自旺の地)、殺重くして身軽し。両辺の力量は懸殊なること里数をもって計るべからず。幸いなるかな年干に癸の正印あり、一面では乙木を生扶し、一面では金気を引化す。時干にまた丁火の食神あり、直ちに辛金七殺を剋制す。化と制の両様ともにあり、制化の功ここに備わる。これまさに前造呉佩孚の欠くところなり——同じく殺重なるも、一つは救あり一つは救なし。際遇は判然として同じからず。
宜其坐鎮晉省。廿四年來,無或失足。可方於唐之李郭。宋之朝範。啟澤覃敷。考其一生經歷。犖犖大者,如辛亥年應鄉革命,壬子年任山西都督。丁已年兼省長,午丁二運。春風和煦,水波不興,要非歲運屬水之化殺,或火之制殺,曷克臻此。已運適以沖亥。瑕瑜互見。丙運以丙子丁丑兩年,盛極一時,辰運妒合酉金。似乎難展驥才。乙運五年。蔗境優洲,未可限量焉。
怪しむべからず、彼は山西に坐鎮し、二十四年未だかつて失足せず。唐の李光弼・郭子儀、宋の趙鼎・范仲淹に比すべし(底本の「朝范」は「趙范」の類とすべし)。恩沢広く被らす。彼の一生の経歴を考察するに、大端は辛亥年の革命への響應、壬子年の山西都督への出任、丁巳年の省長兼任の如く、みな午運と丁運のあいだに在り——その数年は春風和煦、水波興らず。もし歳運が水に属して殺を化し、火に属して殺を制するに非ざれば、怎んぞこの地步に至らん。巳運はちょうど時支亥と相冲し、丁火の坐する地を冲去す。ゆえに瑕瑜互い見る。丙運のうち丙子・丁丑の二年は火旺じて殺を制し、盛んなること一時なり。辰運は酉金と相合し(辰酉は金を合す)、かえって殺星を合動す。才干を施展しがたきがごとし。乙運の五年は比肩身を幇し、晩境優裕なり(底本の「優洲」は「優游」とすべし)。前程いまだ限量すべからず。
宋子文命造
甲午 乙亥 庚申 己卯 九歲 丙子 十九 丁丑 廿九 戊寅 三九 己卯 四九 庚辰 五九 辛巳 六九 壬午
年柱甲午、月柱乙亥、日柱庚申、時柱己卯、日主庚金は亥月に生まる。大運は九歳に起こり、順に丙子・丁丑・戊寅・己卯・庚辰・辛巳・壬午。年干甲は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱乙亥より順推して丙子・丁丑・戊寅……。この造の妙処は格局の奇特に在らずして、四つの天干が各々地支の上に旺気を見出せるに在り。庚の祿は申に在り、己の祿は午に在り、乙の祿は卯に在り、甲の長生は亥に在り。八字の相配極めて匀し。下文いわゆる「干神皆得旺気」はまさにこれを指す。
當見富貴人。其命了無所長。僅以干神皆得旺氣。而致貴者。如宋子文是也。財旺身弱,幸日主坐祿。然亦不足為奇。其干神皆得旺氣(庚祿在申。已祿在午乙祿在卯。甲長生在亥。亦有稱為交祿格者)斯乃可貴。
しばしば富貴の人を見るに、その八字に取り立てて特別の長処は見えず、ただ天干の各神が地支において旺気を得るがゆえに顕貴に致る。宋子文はすなわち一例なり。この造は木火勢を成して財となり、庚金日主は偏に弱し。幸いに日主は自ら申金の祿に坐し、なお立ちうる。ただこの一点を見るもまた奇とするに足らず。真に貴ぶべきは四つの天干みな根あること——括弧内は作者の自注:庚の祿は申に在り、己の祿は午に在り、乙の祿は卯に在り、甲の長生は亥に在り。この種の干支互いに祿を得る配置を、或る人は「交祿格」と称す。いわゆる「祿」とは天干が地支の中に本気自旺する位置なり。天干に根なければすなわち浮萍、根ありてこそ財に任え官に任うを論じうる。
廿九歲以來。利祿功名,與日俱進。蓋日主較弱,戊寅已三運。偏重於幫身之故。寅運中之辛未年,亥卯未會成木局。以財重印傷所致。未來之卯運。財愈重身愈輕。固宜韜光養晦。自求多福。以保其君子闇然而日章。(一說宋命為甲午乙亥庚辰已卯。未知孰是。)
二十九歳以来、利禄功名日とともに進む。それは日主偏弱にして、戊寅・己の三つの運(戊運・寅運・己運)がみな身を幇け身を生ずるに偏重せるがゆえなり——戊己は印綬にして金を生じ、寅は財地なれども、運干は身を補うに在り。寅運のうち辛未年、亥・卯・未の三支は木局を会成し、財星過重にして印綬傷を受く。ゆえにその年順ならず。将来の卯運、財いよいよ重くして身いよいよ軽し。まさに光を韜め晦を養い、自ら多福を求め、君子のあの表面暗淡にして内裏日に彰明なる境地を保つべし(語は《中庸》の「君子之道、闇然而日章」に出づ)。末句の括弧は作者の自注:もう一つの説に宋の命造は甲午・乙亥・庚辰・己卯、いずれが真なるかを知らず。
虞洽卿命造
丁卯 丙午 庚午 己卯 五歲 乙巳 十五 甲辰 廿五 癸卯 三五 壬寅 四五 辛丑 五五 庚子 六五 己亥
年柱丁卯、月柱丙午、日柱庚午、時柱己卯、日主庚金は午月に生まる。大運は五歳に起こり、順に乙巳・甲辰・癸卯・壬寅・辛丑・庚子・己亥。年干丁は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱丙午より倒退して乙巳・甲辰・癸卯……。前半段は東南の木火、後半段は西北の金水。この造は両午両卯、木火交煽して金その中に在り。天干の丙・丁・己の三字は官・殺・印俱に見ゆ。これ下文に「官殺混雑」を弁論する由来なり。
此虞洽卿先生命也。識者咸雲官殺混雜。財官過強為疑。竊以庚生午月。干透丁已,為純粹正官正印之格。殺之混官。是無傷害。木火雖盛。妙有已土之洩火生身。弱中有氣。全得力於時上正印。
これは虞洽卿先生の命造なり。命を識る人はみなこれを「官殺混雑」とし、また財と官の強すぎるを嫌い、ゆえに疑いを存す。私の私見はこうだ:庚金は午月に生まれ、天干に丁火と己土が透す。丁火は庚を剋して陰陽相異なり、これ正官。己土は庚を生ず、これ正印——これすなわち純粹の正官に正印を配する格となれり。月干丙火のあの七殺の官を混ずるに至っては、なんの傷害もなし(正官は当令して勢いを得、殺はかえって官に統せらる)。木火極めて盛んなれども、妙は時干己土の火気を泄して金を生ずるにあり。日主は弱中に気あり、もっぱら時柱のこの一位の正印に撑えられて頼る。見るべし、官殺混雑を判ずるに、ただ天干に我を剋する神が幾つかを数うるのみならず、誰が権を当て、化解あるなしを見るべきことを。
宜其溫良恭儉。建樹嵫基。昭然為江左聞人。況太君賢德。鄉里咸稱,濟苦恤貧。樂而不倦。祖德既裕。母教又足以踵鍾郝而紹陶歐。是更官印相生之故歟。惟火旺無水。似嫌亢炎。故名高利淡。積勞寡逸。
怪しむべからず、彼は温良恭儉にして、偌大の基業を建樹し、赫然として江東一帯の聞人となれり。しかもその母は賢徳にして、郷里交口に称賛し、貧苦を救済して倦まざりき。祖上の徳沢すでに厚く、母教また晋の鍾氏・郝氏の賢に上追し、陶侃の母・欧陽修の母の家法に接続するに足る——これまさに命中の「官印相生」の応験に非ずや(印は母を主り、官は印を生ず。ゆえに母徳昭著なり)。ただ全局火旺じて水の調剤なきをもって、亢燥に失するを免れず。ゆえに名声高くして利益淡く、操労多くして安逸少なし。ここはまさに前の「燥湿」の一章と相呼応す。亢燥の局は潤沢を喜ぶ。命中に水なければ、一生一分の従容を欠く。
早年多木火運。備嘗困扼。壬運以來。一路金水。兼以所經營者。多金水商業。更宜如月之恆。刻在已運。仍其舊貫。七十歲這亥運。蔗境餘廿。再後戊運康強逢吉。豐厚境遇。不讓於前。戍運化火。明哲保身。享受考終而已。
早年多く木火の運を走り、火旺じ金熔け、困頓を飽嘗す。壬運以来一路金水、ちょうど命中の缺水の病を補う。加うるに彼の経営する所は多く航運・金融の類の金水に属する行業にして、いよいよ上弦の月のごとく歩々盈満すべし(語は《詩經》の「如月之恒」に出づ)。眼下は巳運に在り。一切旧のごとし。七十歳に亥運に転ず。亥水は局を潤し、晩境甘美なり(底本の「余廿」は「余甘」とすべし)。さらに後の戊運は身体康強、事に逢えば吉に逢う。境遇の丰厚、従前に譲らず。戌運に至れば、戌は午卯の火と相い一気を為して火を化し、燥気復た起こる。あの時はまさに明哲保身、天年を安享するのみなり。
顔恵慶命造
丁丑 癸卯 乙巳 丙子 十歲 壬寅 廿十 辛丑 三十 庚子 四十 己亥 五十 戊戌 六十 丁酉 七十 丙申
年柱丁丑、月柱癸卯、日柱乙巳、時柱丙子、日主乙木は卯月に生まる。大運は十歳に起こり、順に壬寅・辛丑・庚子・己亥・戊戌・丁酉・丙申。年干丁は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱癸卯より倒退して壬寅・辛丑・庚子……。この造の日主乙木は卯月に生まれ、卯は乙木の本気旺地にして、命書これを「建祿」と称す——生月すなわち日干の祿地、格局はすなわち建祿をもって名を立つ。下文の取用はまさにここより説き起こす。
有以顏大使惠慶之命詢余者,乃簡為批曰。乙生卯月為建祿。不見他木,但得時令之旺。未獲氣勢之盛。最貴水之灌溉。火之煊赫。妙在癸丙透干。已子居支。生洩之功。無忝美備。自宜富貴雙全。屢膺鉅任。丙見已祿。乙見卯祿。癸見子祿,日主用神喜神,交互得祿,尤為貴徽。
或る人顔恵慶大使の命を持ちて我に問う。我は簡略に批していわく:乙木は卯月に生まれて「建祿」の格なり。局中に別の木を見ず、ただ時令の旺気を得たのみ、未だ気勢壮盛と談ずるに足らず。このような木は最も貴ぶは水の灌漑あり、火の舒発あること。妙は天干に癸水と丙火が透し、地支にまた巳と子あり——癸は子を得て根と為し、丙は巳を得て根と為す。一つは我を生じ、一つは我の秀を泄す。生と泄の両面の功用ともに備わって欠なし。自然に富貴双全、屢々重任を担当すべし。さらに見よ:丙火は巳の上に祿を得、乙木は卯の上に祿を得、癸水は子の上に祿を得。日主・用神・喜神、彼此交互に祿を得る。いよいよ貴顕の徵験なり。いわゆる「用神」は全局にもっとも需うる神、「喜神」は用神を幇扶する神。三者ともに根ありてこそ、力量は実に落つ。
前行子運。爵位迭晉,蓋印得祿也。已運息影。財壞印也。亥運再起印。印會局也。戊運韜晦。印被合也。戍運癸酉年,授駐俄大使。癸印之功也。今年乙亥。明年丙子。折衡樽俎。壇玷增光。有厚望焉。丁丑年以下。歲支均屬庸常。宜清流賦詩。無官司一身輕矣。
從前行は子運、爵位屢々晋升す。子は癸水印綬の祿地にして、印祿を得れば名位来るがゆえなり。巳運のうち退隠す。巳火は財地にして、財は能く印を壞すがゆえなり。亥運に再起用す。亥は卯・未と一気にして、印星局を会すがゆえなり。戊運に再度韜晦す。戊土は干に出でて癸水と相合し、印は合せ住せらるるがゆえなり。戌運のうち癸酉年に駐俄大使に任命せらる。これ癸水印綬の功なり。今年乙亥・明年丙子、まさに樽俎のあいだに折衝すべし(外交談判の謂い)。國に光を增さんこと、いたく期待すべし。丁丑年以下、流年の地支はみな平常。すなわち清流の士と作りて詩を吟じ自ら遣るも妨げず、官なき一身の軽きなり。この造は「印」の一条の線索を貫徹して底に至る。祿を得、壞され、局を会し、合せられ、一々事実と相印證す。最も韋氏の運を読む方法を見る。
呉經熊命造
己亥 丁卯 乙未 己卯 八歲 丙寅 十八 乙丑 廿八 甲子 三八 癸亥 四八 壬戌 五八 辛酉 六八 庚申
年柱己亥、月柱丁卯、日柱乙未、時柱己卯、日主乙木は卯月に生まる。大運は八歳に起こり、順に丙寅・乙丑・甲子・癸亥・壬戌・辛酉・庚申。年干己は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱丁卯より倒退して丙寅・乙丑・甲子……。この造は地支の亥・卯・未の三字そろい、まさに三合木局の完全な配置。加うるに月支卯は乙木の本気にして、全局木気独り旺じ、四柱に一点の金を見ず。これ専旺外格を構成する条件にして、下文いわゆる「曲直仁寿の格」はすなわちこれより来る。
吳經熊先生,海上名律師也。積學多才。歷任學府法院領袖。公餘之暇。好研命理,時蒙以五行生剋相討論。視其命造。乙生卯月。亥卯未會局。五行絕金。乃曲直仁壽之格,尤貴干透丁火已土。英華發越 。秀氣畢呈。其命酷似遜清之李鴻章,畫錦前程。可操左券。
呉經熊先生は上海の名律師にして、学問の積累深厚にして多才。學府と法院の領袖人物を歴任す。公余の暇に命理の研究を好み、つねに我と五行生克を討論す。彼の命造を見るに:乙木は卯月に生まれ、地支の亥・卯・未は木局を會成し、五行のうち完全に金なし。これすなわち「曲直仁寿格」——木の性は曲直、木日主にして全局木を成し、また金の剋破来るなきとき、すなわち専旺の格を成す。人を主れば仁厚にして寿多し。いよいよ貴ぶべきは天干に丁火と己土が透するにあり。丁火は木の秀を泄し、己土は木に制せられて財を成す。英華これにより發越し、秀気ことごとく呈露す。この命は清末の李鴻章の命と極めて相似たり。錦繍の前程は左券を操るに穩かなり。
子運以流年不濟。外圓內缺。未來癸運。滋木助格,氣象萬千。尤以丙子丁丑兩火年。騰達蜚黃,晉行亥運。繼長增商,壬運亦康頤安穩。蔗境春濃,戍運屬財。惟中芷辛金為病,秋山紅樹,退老珂鄉,徽諸過去未來,行運多吉。足與命局媲美。洵時代之傑出也。
子運のうちは流年佳ならざるにより、外は円満なるがごとく見えて内裏に缺あり。将来の癸運は水来たり木を滋し、格局を助成す。気象万千なり。いよいよ丙子・丁丑の二つの火年、木火通明、まさに飛黄騰達の時なり。つづいて亥運を行き、亥は卯未と局を成し、事業つづき増長す。壬運もまた康泰安穩、晩境は春意の正に濃きがごとし。戌運に至れば、戌土は財に属す。ただその中に蔵する辛金は病なり(金は能く木局を破る。専旺格は最も忌む)。あの時はすなわち秋山紅樹のごとく、まさに故里に退歸して老を養うべし。過去と将来を總核するに、行運多く吉にして、もって命局に相配するに足る——命好く運もまた好し。確実にこの時代の杰出人物なり。この造は前の閻錫山の一造と対看すべし。一つは制化を用いて殺を救い、一つは索性その一方独旺の勢に順う。取法は反すれども、道理は同じく「其の性に順う」の三字に在り。
榮宗敬命造
癸酉 庚申 戊午 甲寅 十歲 己未 廿十 戊午 三十 丁巳 四十 丙辰 五十 乙卯 六十 甲寅 七十 癸丑
年柱癸酉、月柱庚申、日柱戊午、時柱甲寅、日主戊土は申月に生まる。大運は十歳に起こり、順に己未・戊午・丁巳・丙辰・乙卯・甲寅・癸丑。年干癸は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱庚申より倒退して己未・戊午・丁巳……。一路みな南方の火地に在り。これまさに下文に彼を「已往行運泰半火郷」と謂う由来なり。この造の月干庚金は戊土の食神、時干甲木は戊土の七殺。両者各々申・寅に祿を得。一制一泄、配置極めて整斉なり。
前見報載。本埠申新第七紡織廠。被滙豐銀行強行拍賣。由某商極廉價格承購,凡有血氣者。莫不憤懣填胸。特為檢視該廠主辦人榮宗敬先生命造,戊生庚申月,甲寅時。食神七殺均得祿。寅午會成火局以生身。子平真詮所謂殺旺食強而身健。為極等之貴格,宜其致力實業。奮斗不懈。為我國紡織界這泰斗。
先頃新聞の登載を見るに、本埠の申新第七紡織廠が滙豐銀行に強く拍賣せられ、某商人に極低の價格をもって承購せしむ。およそ血性ある人、憤懣膺に填まらざるはなし。我は特に該廠の主辨人たる榮宗敬先生の命造を檢看す:戊土は庚申月・甲寅時に生まれ、食神(庚)は申に祿を得、七殺(甲)は寅に祿を得。両者の力量ともに足る。日支午と時支寅は火局を會成して戊土を生扶す。日主もまた弱からず。これまさに《子平真詮》のいう所の「殺旺食強而身健」にして、極高等の貴格に属す——殺に食の制あれば禍を為さず、身は能く殺に任えて事業を擔い得り。怪しむべからず、彼は實業に致力し奮鬥懈まず、我が國紡織界の泰斗となれり。
秋金更旺過於火。已往行運。泰半火鄉。自應竿頭日進,如順水行舟。長風破浪。萬里流行,得機得勢,現行甲運。似遜於前,明年丙子。後年丁丑。歲運木火相生。或能日升月恆,大振旗鼓。目前挫折。無足憂傷。不必以一時成敗。陰礙英雄銳氣耳。
申月の秋金は火よりもなお旺じ、日主はもっぱら火の生扶に頼る。ゆえに過去に行じた大運は泰半火郷に在り、自然に歩々登高、順水に舟を行き長風に浪を破るがごとく、万里暢行、處處機を得勢を得たり。現在甲運を行く。甲木は七殺にして、運来たり殺を助くるも食の制なし。從前に如かざるがごとし。明年丙子・後年丁丑、流年の丙丁の火は運中の甲木と相生し、木は火を生じ火は身を生ず。あるいは能く日の升るがごとく月の恒なるがごとく、重新たに旗鼓を大振せん。眼下の挫折は憂傷するに値せず、また一時の成敗をもって英雄の銳氣を挫傷するを要せず(底本の「陰碍」は「阻碍」とすべし)。この一造は韋氏の命を批するもう一面を見るべし:命理を講ずるとともに、また人心を寬解す。挫折に遇う處につねに一線の生機を留む。
