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章太炎命造

民国 · 韦千里 · 第12巻 / 19

作盤ガイド: 八字作盤

戊辰 乙丑 癸卯 庚申 九歲 丙寅 十九 丁卯 廿九 戊辰 三九 己巳 四九 庚午 五九 辛未 六九 壬申 七九 癸酉

年柱戊辰、月柱乙丑、日柱癸卯、時柱庚申、日主癸水は丑月に生まる。大運は九歳に起こり、順に丙寅・丁卯・戊辰・己巳・庚午・辛未・壬申・癸酉。年干戊は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱乙丑より順推して丙寅・丁卯・戊辰……。前半生は東南の木火を走り、晚年に至って始めて西方の金地に轉入す。この造の年干戊土は癸水の正官、時干庚金は癸水の正印。官と印各々一頭を占む。日支卯は月干乙木食神の祿地、時支申は庚金正印の祿地。二つの用神ともに支上に根あり。これ下文議論の着眼處なり。

章太炎先生。名滿天下,立德立功立言。謂三不朽。視其命造,確非凡品。蓋官印兩透。印食又皆得祿,日坐文昌貴人,宜其博通今古。酋為國學之師。惟財星絕跡。所以貴而不富,已往運程,除己已運混官羈印。繫獄六年。餘皆平順。

章太炎先生は名天下に滿ち、立德・立功・立言の三者兼ね備う。古人いわゆる「三不朽」なり。彼の命造を見るに、確実に凡品に非ず:正官(戊)と正印(庚)ともに天干に透し、官は印を生じ印は身を生ず。一条の清路なり。正印は申に祿を得、食神(乙)は卯に祿を得。両者ともに根あり。日支卯はまたまさに癸日の「文昌」貴人(聰明・文采・著述を主る吉神。各日干各々定位あり。癸日は卯に在り)。怪しむべからず、彼は古今に博通し、一代の國學の宗師と為る(底本の「酋為」は「首為」とすべし)。ただ財星(火)は局中に絕跡す。ゆえに貴くして富まず。已往の運程、己巳運を除き——己土は七殺にして、干に出でて戊官と相混じ、巳火はまた庚金印綬を剋住す。ここにより獄に繫がること六年——その餘大抵平順なり。

未運沖提綱。土重太過。幸已早息家園。洵君子知命也。去年甲戍。會齊辰戍導未。安度無恙。尤屬大幸。應為其額手稱慶。未來壬申十年。金水邦峰。如文彥博之老不益壯,頤養安康,壽元雖不能媲美彭聃。然至酉運方危。已八十外人矣。

未運は「提綱」を沖動す(月支、一局の綱領。この造の月支は丑、丑未相冲なり)。土はまた重得すること太過にして、官殺身を壓す。幸いに彼は早くに家園に退歸し、命理を知る君子と謂うべし。去年甲戌、辰・戌・丑・未の四庫聚齊す(底本の「導未」は文字訛あり)。竟に能く安然として度過す。いよいよ大幸にして、彼のために額手して慶を稱すべし。將來の壬申の十年、金水は日主を幇扶し(底本の「邦峰」は「幇身」とすべし)、宋の文彦博のごとく老いていよいよ壯なり。頤養安康すべし。壽數は彭祖・老聃に比ぶる能わずといえども、酉運に至って始めて危險あらん。あの時はすでに八十を開外せる人なり。この造は前の呉經熊の一造と同じく文人之命に屬す。一つは専旺格を成し、一つは官印相生。各々その清貴あり。

夏應堂命造

辛未 庚子 丙戌 甲午 二歲 己亥 十二 戊戌 廿二 丁酉 三二 丙申 四二 乙未 五二 甲午 六二 癸巳

年柱辛未、月柱庚子、日柱丙戌、時柱甲午、日主丙火は子月に生まる。大運は二歳に起こり、順に己亥・戊戌・丁酉・丙申・乙未・甲午・癸巳。年干辛は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱庚子より倒退して己亥・戊戌・丁酉……。この表で最も留意すべきは四柱の分布なり:年月の二柱の辛・庚・子はすべて金水。日時の二柱の丙・戌・甲・午はすべて木火。金水は寒を主り、木火は暖を主る。半々各々一方に據る。下文いわゆる「各々門戶を守り、寒熱燥湿停匀」はまさにこの格局を指す。

夏應堂先生。上海名醫也。夫醫能活人。裨益社會不淺。然求學術之精。誠匪易事。或亦秉命有所維繫歟。夏先生之命。金水居於年月。木火居於日時。各守門戶。五行無悖。且標本平均。寒熱燥溼停勻。得天獨厚。自宜術追扁鵲。功同良弼。由來者漸非一朝一夕故也。

夏應堂先生は上海の名醫なり。醫を行い能く人命を救活す。社會への益淺からず。しかるに學術を精深に求めんとするは、實に容易の事に非ず。これおそらく禀受の命格とも關係あらん。夏先生の命:金水は年月の二柱を占據し、木火は日時の二柱を占據す。各々その門戶を守り、五行彼此相違逆せず。しかも「標」(年月、祖上と早年を代表す)と「本」(日時、自身と晚年を代表す)は分量均平、寒と熱・燥と湿ともに調停匀稱せり。得天獨厚と謂うべし。怪しむべからず、彼の醫術は扁鵲に直追し、功業は良相に等同し。この種の成就は日積月累にして來る。一朝一夕の事に非ず。この造は正好く前文「燥湿」の一章のいう所を印證す:一局のうち寒暖相濟うとき、人は中正平和なり。

考其行運,惟早年稍遜。酉運以後。負順一帆。直至現行癸水正官運。仍是名通利達。已運堸己午未會成方南。似嫌火太偏重。除精神只樂之外。餘無所勝。早退珂鄉。頤養天年。是為上策。或從事著述。將畢生經驗學識,公諸同好。一貫真傳。亦足以壽萬世雲。

彼の行運を考察するに、早年のみ稍々差あり。酉運以後一帆風順(底本の「負順一帆」は文字倒訛)、一直に現在所行の癸水正官運に至るも、仍お名声通達・事業順利なり。巳運に至れば、巳は命中の午・未と會して南方一片の火を成す(底本この句訛字あり)。未免火の偏重すぎるを嫌む——丙火本ですでに權を當て、さらに南方の火地を添うれば、寒暖平衡を失う。あの時は精神上の愉悅を除き、別に勝任する所なし。早く故里に退歸し天年を頤養するを上策とするに如かず。あるいは著述に從事し、畢生の經驗學識を同好に公にし、一貫の真傳を留めば、また萬世に流傳するに足る。この一段は最も韋氏の命を批する分寸を見る:運佳ならざるときは人に勉强を勸めず、而して人に別の成就の仕方を勸む。

冼冠生命造

戊子 癸亥 庚寅 戊寅 九歲 甲子 十九 乙丑 廿九 丙寅 三九 丁卯 四九 戊辰 五九 己巳

年柱戊子、月柱癸亥、日柱庚寅、時柱戊寅、日主庚金は亥月に生まる。大運は九歳に起こり、順に甲子・乙丑・丙寅・丁卯・戊辰・己巳。年干戊は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱癸亥より順推して甲子・乙丑・丙寅……。中段一路東方の木火なり。この造は地支の子・亥は水、寅・寅は木。水は木を生じ木は財なり。財勢極めて旺にして日主庚金孤立す。ただ年時の二つの戊土倚靠すべきのみ。取用の路は一望知るべし。

此為洗冠生大實業家命造。冼先生赤手創辦冠生園。範圍由狹而廣。所制糧果餅干。現已媲美外貨。挽回漏厄。不可勝計。其精神既屬可敬。其宗旨更屬可欽。因由薛君介紹。來詢休咎於餘。餘簡為批曰。庚金生於初冬水令。地支水木林立。財重身輕。得力於時上戊土之偏印。制水幫身。功莫大焉。

これは大實業家冼冠生先生の命造である(底本は「洗」「冼」并見す。いま照録す)。冼先生は赤手空拳で冠生園を創辦し、規模は小より大に至り、製する糖果餅乾はいまや外國貨と媲美するに至り、挽回した利權(底本の「漏厄」は「漏卮」とすべし。財富外流の缺口を指す)は勝計すべからず。彼の精神は敬すべく、宗旨はいよいよ欽すべし。薛君の紹介を經て、彼は來りて我に休咎を問う。我は簡略に批していわく:庚金は初冬水の當令の時に生まれ、地支の水と木は林立し、「財重身軽」なり——財多きは本來好事なれども、日主が擔い得ざれば累となる。この造が得力する處は全く時干戊土の偏印に在り:戊土は一面氾濫の水を制し、一面庚金を生扶す。功勞これより大なるはなし。

自必殺力勝人。思想銳敏。已往之運。泰半屬火。生土而暖金。故如枯苗得雨。勃然興之。又如疾風勁草。再接再歷。四十九歲交進戊運。幫助用神。後來居上。更可翱翔雲天。卓立偉業。辰運亦有喜無尤。己運稍遜。夕陽雖好。紅不矣多時矣。

ゆえに彼は必ず毅力人に過ぎ(底本の「殺力」は「毅力」とすべし)、思想敏銳なり。過去に行じた運は大半火に属し、火は土を生じまた金を暖む。まさに用神の需むるところなり。ゆえに枯苗の雨に遇うがごとく、一下子に勃然として興起し、また疾風中の勁草のごとく、再接再厲せり(底本は「再接再歴」)。四十九歳に戊運に交進し、直ちに用神戊土を幇す。後來者上となり、いよいよ雲天に翱翔し、卓然として偉業を建立すべし。辰運もまた喜ありて憂なし。己運は稍々差あり——己は湿土にして、水を納れども水を鎮められず、力量は戊土に比ぶべからず。あの時は夕陽好しといえども、紅なること久しからず。この造は上文の呉佩孚の一造と同じく「財旺」なり。一つは身能く財に任えて終に隠れ、一つは身弱くして印を得て富を致す。分別は全く身を幇す一物の有無に在り。

杜月笙命造

戊子 庚申 乙丑 壬午 六歲 辛酉 十六 壬戌 廿六 癸亥 三六 甲子 四六 乙丑 五六 丙寅

年柱戊子、月柱庚申、日柱乙丑、時柱壬午、日主乙木は申月に生まる。大運は六歳に起こり、順に辛酉・壬戌・癸亥・甲子・乙丑・丙寅。年干戊は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱庚申より順推して辛酉・壬戌・癸亥……。この造の關鍵は月支申に在り:申中に庚金・壬水・戊土を蔵し、乙木に對してはそれぞれ正官・正印・正財なり。しかして戊・庚・壬の三字はまた一齊に天干に透す。支中の蔵と干上の透とが完全に對應す。この種の「蔵透相應」は命書が貴賤を評する重要な憑據なり。

此為杜月笙先生命造。有以乙庚化金論者。竊以時上見午火。格局僅成其半。且遠不符其聲價。乙生申月。干透戊庚壬。財官印既同藏於申宮。又並藏於干頭。斯乃貴徵。俠義豪爽。固是不凡。

これは杜月笙先生の命造なり。或る人は「乙庚化金」の化氣格をもってこれを論ず——乙と庚は相合し、申酉月に逢えば本來化金の象あり。我は私かりに思うに、時柱に午火を見、火は金を剋し、化の格局は半ば成るのみ。しかもこのように論ずるも彼の聲望地位に遙かに配せざるがごとし。本相に就いて見るに如かず:乙木は申月に生まれ、天干に戊・庚・壬の三字が透し、財(戊)・官(庚)・印(壬)すでに同じく申の一宮の内に蔵し、また一幷に天干の上に透す。これぞ貴顯の徵象なり。人と為り俠義豪爽、本來凡響に同じからず。ここに韋氏の化氣格を論ずる態度を見るべし:合して真化せざれば、寧ろ本氣をもって格を取り、一つの美しき格名に遷就することを肯んぜず。

前運日新月盛。五十一之丑運。更進一步。造福社會。奚啻萬家生佛。亦原於財。故有利人而利己也。再後丙運雖克庚金。幸有壬水制之。不足為慮。寅運以沖申為豈可許子不憚煩勞。趨吉避凶。建策終莫妙於退隱。今年歲運皆乙。妒合庚金。能者多勞。其奈無功何。

從前の運は一日びに興盛なりき。五十一歳の丑運はさらに一歩を進む——丑は申中の金氣と相通じ、また乙木の財庫なり。社會に福を造ること、何ぞ萬家生佛のみならん。これもまた財星の得力に根原し、ゆえに能く人を利しまた己を利するなり。さらに後の丙運は庚金正官を剋するといえども、幸いに壬水旁に在りて丙火を制住す。慮るに足らず。寅運は則ち月支申と相冲し、官星の根は冲動せらる(底本この句文字訛脱あり、語意盡く通ずること難し)。凡事煩勞を憚らず、吉に趨き凶を避くるも、最良の辦法は畢竟退隱なり。今年歳運ともに乙木なり。乙と庚は爭合す(兩乙が一庚を爭合す。命書これを「妒合」と謂う)。官星は牽絆せられ、能者多勞といえども、また功あるを言うべからず。

梅蘭芳命造

甲午 甲戌 丁酉 癸卯 六歲 乙亥 十六 丙子 廿六 丁丑 三六 戊寅 四六 己卯 五六 庚辰

年柱甲午、月柱甲戌、日柱丁酉、時柱癸卯、日主丁火は戌月に生まる。大運は六歳に起こり、順に乙亥・丙子・丁丑・戊寅・己卯・庚辰。年干甲は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱甲戌より順推して乙亥・丙子・丁丑……。この造は兩甲・午・戌・卯、木火の氣ほとんど全局を占め滿たす。ただ日支酉金と時干癸水の兩點の收斂する物あるのみ。全局の精神はまさにこの兩字に凝る。下文の斷語もまた全くこれより立つ。

此梅蘭芳先生命也。全局木火太旺。喜日坐酉金。時得癸水。財殺清粹。兼帶貴人文昌。自宜藝術獨精。譽滿天下。革中國之劇才。作梨園這砥柱。令界大王。當之無愧。

これは梅蘭芳先生の命造なり。全局木火太旺なり。喜ぶべきは日主自ら酉金に坐し、時干また癸水を得るに在り:酉金は丁火の剋する偏財、癸水は丁火を剋する七殺。一財一殺ともに清純にして雜らず。しかも酉の字は丁日に於て「天乙貴人」(十干各々有る第一の吉神。凶に逢えば吉に化し、人の扶助を得るを主る。丁日の天乙は酉と亥に在り)たり、また「文昌」(聰明文采を主る)たり。兩吉曜同じく日支に踞る。怪しむべからず、彼の藝術獨り精し、譽れ天下に滿ち、中國戲劇を革新する人材、梨園の中流砥柱となり、「伶界大王」の四字は當に愧じず(底本の「令界」は「伶界」とすべし)。

惜行運未能媲美命局。所以僅享盛名。而無權爵。然晚來庚運資殺。空前絕後。恐不以令官終其身。變化飛騰。未可限量焉。今歲乙亥。印得長生。殺得旺地。現赴蘇俄演劇。必須一番轟烈。宣揚中國文化。灌輸東方藝術。所當厚望於君耳。

惜しいかな行運は命局と相配せず。ゆえに盛名を享くるのみにして權位爵祿なし。ただ晚年の庚運、庚金は癸水七殺を生助し、殺は財資を得ていよいよ力あり。あの時の成就は空前絕後ならん。おそらく一個の伶官をもってその一身を終えざらん(底本の「令官」は「伶官」とすべし)。變化飛騰、未だ限量すべからず。今年乙亥、乙木印綬は亥に於て「長生」を得、癸水七殺は亥に於て旺地を得る。印と殺兩旺なり。彼いま正に蘇俄に赴き演劇す。必ず一番轟轟烈烈の作為あらん。中國文化を宣揚し、東方藝術を灌輸す。これ彼に深く期望すべき所なり。この造もまた韋氏の藝術の命を看る路數を見るべし:木火太旺なれば則ち氣浮き、全く財殺の收束に賴る。人才これにより骨力を有す。

哈同命造

乙酉 庚午 庚子 丙子 六歲 己巳 十六 戊辰 廿六 丁卯 三六 丙寅 四六 乙丑 五六 甲子 六六 癸亥

年柱乙酉、月柱庚午、日柱庚子、時柱丙子、日主庚金は午月に生まる。大運は六歳に起こり、順に己巳・戊辰・丁卯・丙寅・乙丑・甲子・癸亥。年干乙は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱庚午より倒退して己巳・戊辰・丁卯……。三十歳以後一路東方の木地と北方の水地なり。この造は月支午火權を當て、時干丙火透き出る。これ庚金の七殺なり。兩個の子水また支に坐して金を泄し火を剋す。命は外國人の生辰を折算して來れり。作者自らも十分憑恃するを敢えてせずと言う。讀時一則の參考とすべし。

或有以猶太富商哈同生庚。譯為陰曆,演成命局。浼余推測。雖未秘可恃。然察其八字。殺旺用印。固非凡庸之輩。但空拳致富。竟為滬上地產大王。實行運有以致之。蓋自三十歲後。歷行數十年水木財鄉。所當豪門珠履。

或る人は猶太富商哈同の生辰を農曆に折算し、命局を排して、我に推測せよと託す。このように得たる八字は未だ必ずしも十分に可靠ならず(底本の「未秘」は「未必」とすべし)。ただ八字本身に就いて見れば:七殺(丙・午火)當旺にして、須らく印綬(土)を取りて殺を化し身を生ずべし。格局本來凡庸の輩に非ず。彼の白手起家して富を致し、竟に上海の地產大王となりしは、實に行運の促成せしなり——三十歳以後、數十年一路水木の財郷を走る(木は庚金の財、水は能く火を制し身を護る)。ゆえに門庭富貴、賓客雲のごとし(「珠履」は春申君の門客三千、上客皆珠履を躡るの典を用う)。

貫按富貴人未必皆富貴命。或行運輔之以成也。反之貧賤人亦然。洵哉。孔孟所謂命也運也。運之朽粟陳。為地主領袖。稱海內鉅富。至於七殺少制。傷官無力,是以伯道無兒。子夏喪明。絕其後嗣。是亦畫龍雖好。占晴未成。牡丹吐豔。綠葉少助耳。視命。似屬更不可強矣。

以下は作者の按語なり(底本の「貫按」は「謹按」の類とすべし。かつこの段の文句次序に錯簡あり。「貫朽粟陳」の四字は本來上文に連なりてその富を形容すべきを、抄手誤りてここに置けり):富貴の人は未だ必ずしも皆富貴の命あるに非ず。あるは行運彼を幇けて成就するなり。反つて貧賤の人もまた同じ。孔子・孟子のいう所の「命」と「運」、確かに此のごとし。彼は錢串朽爛し、穀米陳積し、地主の領袖と為り、海内巨富と號す。七殺制伏を缺き、傷官また力量なきに至っては(傷官は子息を主る)、ゆえに晋の鄧攸のごとく兒なき(「伯道無兒」)、子夏の子を喪うて眼を哭して盲めたるがごとく、ついに後嗣を絕つ。これ竜を畫くは好しといえども點睛成らず、牡丹豔なれども綠葉の扶持を缺くに等し。看來命の一事、いよいよ強求すべからざるなり。

袁寒雲命造

庚寅 甲申 甲申 甲戌 三歲 乙酉 十三 丙戌 廿三 丁亥 三三 戊子 四三 己丑 五三 庚寅

年柱庚寅、月柱甲申、日柱甲申、時柱甲戌、日主甲木は申月に生まる。大運は三歳に起こり、順に乙酉・丙戌・丁亥・戊子・己丑・庚寅。年干庚は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱甲申より順推して乙酉・丙戌・丁亥……。この造は天干三つの甲木并立し、地支兩個の申金、年干また庚金を透す。三甲勢を成し、兩申令を當つ。これ「身殺兩強」の典型の配置なり。下文の斷語を讀むに對照して看るべし:兩強相持して一物の調停なし。まさに全篇立論の要害なり。

辛未之秋。袁子寒雲逝世。士林婉惜。鄭正秋君以其年庚詢余。余曾答諸新聞報新園林。言曰。初秋三甲。雖不得令。卻得其勢。庚金七殺。既旺且盛。堪謂身殺兩強。惟乏火之制殺。印之化殺。大為缺點。

辛未年の秋、袁寒雲(袁世凱の次子袁克文)去世す。士林中の人みな之がために惋惜す。鄭正秋君は彼の生辰を持ちて我に問う。我はかつて《新聞報》の「新園林」欄に答えて曰く:初秋の三つの甲木、時令に當らざるといえども、并列成群なるがゆえにその氣勢を得たり。庚金七殺すでに旺にしてまた盛なり。身と殺の兩邊ともに強しと謂うべし。惜しいかな局中に火を缺きて殺を制せず、また印を缺きて殺を化せず。これ極大の缺點なり。前の閻錫山の一造は癸印の化殺・丁火の制殺あり。ゆえに四平八穩なり。この造は兩樣ともに無し。力量再び大なりといえども、ただ硬碰硬なるのみ。轉圜する由なし。

是以豪放不羈。崛強寡合。雖燕許文章。機雲才藻。未獲顯貴。抑鬱以終。行運僅丙戍丁亥之二十年。較為優良。名山事業。以此最宜。再後即夢幻泡影矣。辛未流年。官之混殺。又甲木入墓。縱不至修文道山。亦有勃然他變。孟子曰。莫非命也。誠哉是言。先獲我心矣。

ゆえに彼は豪放不羈、倔强にして人と合すること少なし。唐の張說・蘇頲(世に燕・許大手筆と稱す)のごとき文章あり、晋の陸機・陸雲兄弟のごとき才華ありといえども、顯貴の地位を得ず、抑鬱として終れり。行運ただ丙戌・丁亥のこの二十年稍々優良なり——丙丁は火に属し、まさに制殺の需むところ。ゆえにその二十年最も著述立言の「名山事業」に宜し。さらに往後は皆夢幻泡影なり。辛未のこの年、辛金は甲木の正官にして、出でて七殺と相混ず。殺いよいよ亂る。未はまた甲木の墓庫にして、甲木墓に入る。縱い亡故に至らずとも(「修文」「道山」皆人の死を指す)、また突如其來の變故あらん。孟子曰く「莫非命也」。この話真に對なり。まさに我心中の思う所に合す。

商震命造

戊子 辛酉 乙未 己卯 七歲 壬戌 十七 癸亥 廿七 甲子 三七 乙丑 四七 丙寅 五七 丁卯

年柱戊子、月柱辛酉、日柱乙未、時柱己卯、日主乙木は酉月に生まる。大運は七歳に起こり、順に壬戌・癸亥・甲子・乙丑・丙寅・丁卯。年干戊は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱辛酉より順推して壬戌・癸亥・甲子……。この造は月干辛金七殺令を當て、年干戊・時干己の兩土并に透して財と為す。財また殺を生ず。日主乙木ただ日支未と時支卯のこの一組の木局に賴りて撑持す。これ「殺重身軽」の又一の實例にして、正好く閻錫山・袁寒雲の兩造と合看すべし。

河南省政府知命子先生。示余商震總指揮之命造。餘簡為批曰。乙生辛酉月,殺重身輕。財星之兩透。尤足為病,所貴者。卯未曾木局。幫身而制財。日主弱中有氣。行運最喜比劫。遇印則印被財壞。不能化殺。未必盡美。逢食則有財當信此等命局。獨喜乎比劫矣。

河南省政府の知命子先生が商震總指揮の命造を持ちて我に見す。我は簡略に批していわく:乙木は辛酉月に生まれ、殺重くして身軽し。戊・己の兩個の財星また皆天干に透す。財去りて殺を生ず。いよいよ病根と為れり。貴ぶべきは日支未と時支卯の木局を會成するにあり(底本の「曾木局」は「會木局」とすべし)。既に日主を幇扶し、また財土を剋制す。日主これにより弱中に氣あり。行運最も喜ぶは比劫(同類の木)——もし印綬に遇わば、印は旺財に壞され、殺を化すこと能わず、未だ必ずしも盡く美ならず。もし食傷に遇わば、局中に財あり、食傷反つて去りて財を生じ殺を助く(底本この句文字訛脱あり)。ゆえにこの一類の命局、ただ比劫の一路を喜ぶのみ。この一段最も運を取る分寸を見る:同じく身を幇くるも、印と比劫とは不同の局に於て效力大いに同じからず。

丑運乃酉丑會成金局。故幾瀕於危。去年交來丙運。合殺最美。權爵更顯。當不止為一方領袖。以後寅運繼長增高。丁運雖善。以視丙寅。直如小巫。耳(一說丙子時。想繫傳聞之誤)。

丑運のうち酉と丑は金局を會成し、七殺の勢陡然として加倍す。ゆえにほとんど危境に瀕す。去年丙運に交進し、丙と辛相合す(丙辛合)。七殺を合住し牽絆す。これ最も美しき一著なり。これにより權位爵祿いよいよ顯赫、ただ一方の領袖を為すに止まらざるべし。以後の寅運、寅は甲木の祿地にして、比劫得力、繼續して增高す。丁運好しといえども、丙運・寅運に比ぶれば、直ちに小巫の大巫を見るがごとし。末句括弧内は作者の自注:或る説彼は丙子時に生まるとす。想うに傳聞の誤りならん。「合殺」と前の閻造の「制殺」「化殺」と竝びて、七殺を處置する第三の辦法なり——これを殺さず、ただこれを絆住するのみ。

錢警庸命造

壬子 壬寅 乙亥 丙子 三歲 癸丑 十三 甲辰 廿三 乙巳 三三 丙午 四三 丁未 五三 戊申

年柱壬子、月柱壬寅、日柱乙亥、時柱丙子、日主乙木は寅月に生まる。大運は三歳に起こり、順に癸丑・甲辰・乙巳・丙午・丁未・戊申。年干壬は陽に属し、男命は順排ゆえ、本來月柱壬寅より順推して癸卯・甲辰・乙巳……とすべきを、底本の首步は「癸丑」と作り、下文の甲辰・乙巳の順行次第と合わず。當に「癸卯」の訛りとすべし。いま原文を照録す。この造は兩壬・兩子・一亥、水多きこと五に至り、乙木は春令に當るといえども、漂浮の患あり。全局の救應ただ寅中の蔵する戊土に在るのみ。下文の取用はすなわちここより入手す。

錢翁以其少君警庸先生之吉庚詢余。先生為海上籃球健將。在運動界中。頗負時譽。視其命造。新春乙木。甫得旺氣。然見五水。不免飄浮。應賴寅中戊土制水為用神。時上丙火生土為相神。偏枯之避。一若無可貴者。

錢老先生は彼の兒子警庸先生の生辰を持ちて我に問う。警庸先生は上海の籃球健將にして、運動界に頗る聲譽あり。彼の命造を見るに:初春の乙木剛ぎ旺氣を得たるも、局中水多きこと五處に及び、未免漂浮無根の患あり。當に月支寅中の蔵する戊土を賴りて水を制し、これを取りて用神と為すべし。時干丙火は能く戊土を生ず。これを取りて「相神」(用神を輔佐する神。語は《子平真詮》に出づ)と為す。全局偏枯の毛病は躲開すべからず(底本の「偏枯之避」は語略あり)。乍ち見れば貴ぶべき處なきがごとし。ここに注意すべし:水多くして木浮くとき、救法は再び木を添うるに非ず、而して堤を築きて水を止むるにあり。ゆえに土を用いて木を用いず。

然核其運途。早歲多比肩劫財之運。是以矯強果敢,體力加人一等。二十八歲後。一路火土。足補命中缺憾。正合乎五言獨步所云。有病方為貴。無傷不是奇。格中如去病。財祿喜相隨矣。顯達前程。豈可限量。雖非富貴命。行得富貴運。當亦富貴中人也。姑志如上。以待後驗。

しかるに彼の運途を覈對するに:早年多く比肩劫財の運を走り、木氣身を助く。ゆえに體格矯健強壯、性情果敢、體力人一等に勝る。二十八歳以後一路火土、正好く命中の缺憾を補う。これ恰も《五言獨步》のいう所の「有病方為貴、無傷不是奇。格中如去病、財祿喜相隨」に合す——命裏に病あるは妨げず、ただ行運能く病を去らば、反つて成就いよいよ大なり。かくのごとくならば則ち前程顯達、豈に限量すべけんや。富貴の命に非ざるといえども、行き得たるは富貴の運なり。また當に富貴中人と算すべし。姑くここに記して、日後の應驗を俟たん。この造は哈同の一造と同じく「命平らかにして運助く」に属す。幷看すべし。

王君命造

甲辰 丙子 壬寅 辛亥 二歲 丁丑 十二 戊寅 廿二 己卯 三二 庚辰 四二 辛巳 五二 壬午 六二 癸未

年柱甲辰、月柱丙子、日柱壬寅、時柱辛亥、日主壬水は子月に生まる。大運は二歳に起こり、順に丁丑・戊寅・己卯・庚辰・辛巳・壬午・癸未。年干甲は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱丙子より順推して丁丑・戊寅・己卯……。この造は月支子は壬水の「羊刃」、日支寅と時支亥は相合し、年支辰また子と相會す。地支三處ともに牽連あり。表面見れば年月の甲木丙火ともに令に當らざるがごとく、實則暗中自ら生機あり。下文の分析は全くこの幾處の合會の上に文章を作る。

此為摯友王君命造。十七歲來滬。就學金業。十九歲憤師友之敬束,自營標金。廿三廿四兩年。盈財五十餘萬。茲已息影家園。稱素封矣。視其八字。洵不偶然。蓋壬水生於仲冬。羊刃當權。年月木火失令。似屬凡庸。

これは我が摯友王君の命造なり。彼十七歳にして上海に來り、金業中に學徒す。十九歳に師友の拘束に甘んぜず(底本の「敬束」は「羈束」とすべし)、自ら標金の買賣を經營す。二十三・二十四の兩年獲利五十餘萬。如今已に家中に退居し、官爵なくして資財豐厚なる「素封」の家と稱すべし。彼の八字を見るに、確実に偶然に非ず。壬水は仲冬十一月に生まれ、子は壬水の「羊刃」——日干の帝旺の地、氣極めて剛銳、人を主れば魄力ありてまた風波を生じやすし——羊刃權を當つ。年柱月柱の甲木・丙火ともに令に當らず、乍ち見れば平常の命なるがごとし。

所妙日支為寅。時支為亥。乃木火之生地。且寅亥合。則木火之氣愈貴。子辰會。則食神反得生扶。滴天髓所謂。何以其人富財氣通門戶是也。己往寅運。包藏一甲一丙。發軔雲程。立志卓犖。固非常人所能望其項背。

妙處は日支は寅、時支は亥に在り:寅中に甲木と丙火を蔵し、亥は甲木の長生の地、兩者ともに木火の生地なり。しかも寅と亥相合す。木火の氣これによりいよいよ貴重なり。年支辰と月支子は水局を會成し、甲木食神反つて滋養を得(水生木)。これまさに《滴天髓》のいう所の「何以其人富、財氣通門戶」なり——木は壬水の食傷、火は壬水の財。食傷は財を生じて門戶暢通す。財路すなわち打開す。過去に行じた寅運、寅中に一個の甲・一個の丙を包蔵し、食神と財星俱に全し。ゆえに起步すなわち青雲に入り、立志卓越、本來常人の及ぶ所に非ず。

己運為正官。中逢廿三丙寅。廿四丁卯。兩大火年。以濟其美。自宜點金有術。一躍致富。卯運以來。流年平滯。不過保持仍舊而已。此後庚辰辛等運。每況愈下。還防波折。萬不可再圖徼倖。已運則敷演家聲。發場蹈歷。有更上層樓之可能。謂余不信。請觀其後。

己運は壬水の正官なり。その間また二十三歳丙寅・二十四歳丁卯の兩個の大火の年に逢う。火は財星にして、來りてその美處を成全す。ゆえに點石成金、一躍して富めり。卯運以来流年平淡呆滯、不過原狀を維持するのみ。此後庚辰・辛等の運、金來りて水を生じて水いよいよ旺なり。財氣反つて冲淡せられ、每に況愈しく下る。還りて波折を隄防するを須とし、萬萬再び僥倖を圖るべからず。巳運に至れば、巳中に丙火と戊土を蔵し、財と官ともに有り。門庭を光大し、奮發有為すべく、更に上の一層樓の可能あり。若し我が話信ずべからずと謂わば、請う日後を看よ。

千里自造

辛亥 辛卯 庚子 庚辰 九歲 庚寅 十九 己丑 廿九 戊子 三九 丁亥 四九 丙戌 五九 乙酉

これは作者韋千里が己のために排したる命造なり。年柱辛亥、月柱辛卯、日柱庚子、時柱庚辰、日主庚金は卯月に生まる。大運は九歳に起こり、順に庚寅・己丑・戊子・丁亥・丙戌・乙酉。年干辛は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱辛卯より倒退して庚寅・己丑・戊子……。この造は天干兩辛兩庚、全く金なり。地支は亥・卯木を會し、子・辰水を會す。全く水木なり。金多しといえども土の生なく火の煉なく、水木旺なりといえども日主擔い得ず。作者下文自評の甘苦、句句皆この結構の裏より出づ。全書最も性情を見るの一篇なり。

此為千里自造。識者咸謂憾於無火。然春金固非當令。乏土之生。則且無根。縱天干庚辛林立。子平真詮雲。得三比肩。不如得一長生祿刃。可見徒多比劫。而日元無氣。非是真強。矧又亥卯會成木局。子辰會成水局。水與木皆有挫於金乎。

これは我韋千里自家の命造なり。命を識る人皆局中に火なきを可惜とす。其實春の金は本來令に當らず、また土の生ずるを缺き、根に至っては亦無し。縱い天干の庚・辛一列に排すとも、ただ虚旺のみ。《子平真詮》曰く「三比肩を得るは、一長生祿刃を得るに如かず」。見るべし、比劫再び多きも、日元本身地支に氣なければ、仍お真強と算せず——これ身強身弱の一條の要緊の分界なり。天干の同類はただ幇手と算し、地支の長生・祿・刃のみ根基と算す。何況地支亥卯は木局を會成し、子辰は水局を會成す。木は我の剋する所の財、水は我の氣を泄するなり。水と木の兩面夾攻す。金豈に挫折を受けざらんや。

火能熔金。有火固可顯達。無火則一寒儒而已。然寒弱之金。逢微火當可得志。逢巨火則不勝其克。或且因貴顯而惹禍殃。此孔子所謂過猶不及者是也。若云水木兩局。財星甚旺。亦滴大髓所謂何以其人富。財氣通門戶者歟。無如身人任財。難免富貴貧人之譏。正合我今日之筆耕終夕。硯田枯澀者也。

火は能く金を熔かして器を成す。火あれば自然顯達すべく、火なければ便ち一個の寒素の讀書人のみ。ただ寒弱の金、微火に遇えば還りて志を得、大火に遇えば則ちその剋伐を受くるに堪えず、甚だしきは顯貴なるがゆえに反つて禍殃を招くに至らん——これすなわち孔子のいう所の「過猶不及」なり。若し地支水木兩局、財星甚だ旺なりと謂わば、是れ亦《滴天髓》のいう所の「何以其人富、財氣通門戶」に合せざらんや。無奈日主この份の財を擔い得ず(底本の「身人任財」は「身不任財」とすべし)。難免「富屋貧人」の譏誚を落とさん(底本は「富貴貧人」と作る)——財屋の裏に住する窮人、正に我が如今終夜筆耕し硯田乾澀する光景に合す。

然則富貴皆無大望。我將永自韜養矣。嘗以身弱之命。與身強之命相較。同走好運。同處美境。而其速率與份量。大相懸殊。身強者每遠過於身弱者。此余屢試不爽。故益信拙造之身弱。恐終其身不過爾爾也。查行運。方今行至丑字。尚屬順利。將來戊宇或更進一步。子運恐厄於病。但蓋頭屬戊。當無生命之危。於運少濟。亥運伏櫪。丙運以下。老更無為矣。

かくのごとく見れば、富なりと貴なりと、皆大きな指望なし。我はただ長く自ら涵養するのみ。我はかつて身弱の命と身強の命とを比較せり:同じく好運を走り、同じく順境に處するも、發達の速度と分量は大いに相同じからず。身強は每每身弱に遙かに超過す。これ我が屢試して爽わざる經驗なり。ゆえにいよいよ自家のこの身弱の造を信ず。おそらく一輩子もただ此のごとくのみ。行運を查すに:眼下丑字に走り至る。丑は湿土にして能く金を生ず。還りて順利と算す。將來戊運或いは更に一歩を進めん(底本の「戊宇」は「戊字」とすべし)。戊は燥土にして、金を生ずるに力あり。子運おそらく疾病に困まん。但し運干「蓋頭」するは戊土なり(大運天干は地支の上に壓す。蓋頭と稱し、能く地支の力を減ず)。當に性命の危なかるべからず。己運幇助有限。亥運ただ伏櫪して時を俟つのみ。丙運以下年紀すでに老い、更に作為する所なし。作者自批ここに至りて、身弱の命の一生の分寸を説きて極めて透徹す。また彼の命を論じて己がために諱まざるを見るべし。

吾邑錢翁命造

壬子 戊申 戊辰 辛酉 二歲 十二 廿二 三二 四二 五二

年柱壬子、月柱戊申、日柱戊辰、時柱辛酉、日主戊土は申月に生まる。大運の一欄ここに底本脱文あり:ただ二歳・十二・廿二・三二・四二・五二の六個の起運歳數を餘すのみ。各步の干支全部漏刻せり。補うこと能わず。いま原樣に存録す。下文批語に「運皆西北金水」と「刻走丁運」「以後己運」と提うるにより推算せば、その大運當に月柱戊申より逆行して丁未・丙午・乙巳……とすべし。然れども確據なく、敢えて臆定せず。この造は地支申・子・辰の三合水局齊全し、時柱また辛酉なり。金水一氣にして戊土孤懸す。これ「身不任財」の典型なり。

此吾邑錢翁之命也。出身豪富。重義輕財。晚年耗頓。卒彈鋏於猶子門下。殊為戚敞鄙夷。茲者壽愈杖朝。淒涼孤苦。士論惜之。夫戊土生於孟秋。支全水局。時落辛酉。金水並旺而秀氣流行。格局本非庸俗。

これは我が同郷錢老先生の命造なり。彼は豪富の家に出身し、義氣を重んじ錢財を輕んず。晚年家業耗盡し、最後に侄兒の門下に寄食す(「彈鋏」は馮諼が孟嘗君に客として劍を彈じて歌うの典を用い、人の籬下に寄りて求告するを指す)。甚だ親戚の輕慢を受く。如今年八十を過ぐ(「杖朝」は八十歳杖を拄りて朝に入るを謂う)。淒涼孤苦。士林中の人皆彼がために惋惜す。彼の命:戊土は孟秋七月に生まれ、地支申・子・辰は水局を會全し、時柱また辛酉に落つ。金水兩旺にして秀氣流通す。格局本來庸俗と算せず——所謂秀氣流行とは、日主の氣が金・水に順いて一路泄出し、清にして濁らずを指す。

奈日主太輕。身不任財。既有月上戊土比肩。從財則又不真。益以運皆西北金水。宜其豐裕春申。雖有三千珠履之名。卒流金空季子之類。亦足悲矣。刻走丁運。正印助身。本應否極泰來。然行諸太晚。不免美人犀暮之慨。以後已運更佳。或不致落寞以終。

無奈日主太輕にして、この一片の財を擔い得ず(水は戊土の財)。若し索性身を棄て財に從いて「從財格」を成すと謂わば、偏にまた月干戊土の比肩身を幇く。從うこと真ならず——從格は須らく日主毫も依傍なきを要す。一たび幇扶あれば便ち成立せず。これ外格を取るの鐵門檻なり。加うるに大運皆西北金水を走る。財いよいよ旺にして身いよいよ虚なり。ゆえに彼早年豪富なること春申君の門下のごとく(「三千珠履」は春申君の上客皆珠履を躡るの典を用う)、最終に却つて蘇秦落魄歸家し囊空金盡きるの下場に落つるがごとし。亦た悲しむに足る。眼下丁運を走る。丁火は戊土の正印にして、身を生じ主を助く。本應否極泰來すべし。ただ來ること太だ晚し。未免美人遲暮の歎あり(底本の「犀暮」は「遲暮」とすべし)。以後の己運更に好し。或いは落寞として終るに至らざらん。

某妓命造

戊戌 戊午 癸亥 戊午 九歲 丁巳 十九 丙辰 廿九 乙卯 三九 甲寅 四九 癸丑 五九 壬子

これは一個の女命なり。年柱戊戌、月柱戊午、日柱癸亥、時柱戊午、日主癸水は午月に生まる。大運は九歳に起こり、順に丁巳・丙辰・乙卯・甲寅・癸丑・壬子。年干戊は陽に属し、女命は陽年に生まれれば則ち大運逆排す(男命と恰好相反す)。ゆえに月柱戊午より倒退して丁巳・丙辰・乙卯……。この造最も目を觸るるは天干三個の戊土、一齊に日主癸水に對すること——戊癸本來一對の相合する干、三戊一癸を爭合す。命書これを「妒合」と作る。下文に彼女の心定主なきを斷ずる根據、まさにここに在り。

此乃某妓命造。幼孤為娼。廿五歲後。侍某顯宦造室。詎以不知自愛戀一伶人。終被顯宦所黜。茲則伶亦絕裾斷交。暝二養女。仍操故業,夫癸生午月。財官並旺。惟天干三透戊土。爭合癸水,日主用情,毫無定見。自是水性揚花。張三李四。坐下劫刃,足以幫身。苦無印綬,終如飛絮浮萍。飄流無定,

これは某位妓女の命造なり。彼女自幼孤苦にして娼門に入り、二十五歳後某顯宦の側室と為れり。不料自愛を知らざるがため、一個の伶人に戀し、終に顯宦に逐出せらる。如今あの伶人もまた往來を斷絕す。彼女兩個の養女を帶び、仍お舊業を重操す。命を看るに:癸水は午月に生まれ、午中丁火は財、己土は官にして、財と官ともに旺なり。ただ天干三個の戊土一齊に來りて癸水を合す。日主の感情幾方に牽扯せられ、毫も定見なし。自然水性楊花のごとく、張三李四皆能く牽動す。日支亥は癸水の旺地にして、「劫刃」に等し。足りて身を幇く。苦しむは局中に印綬なき——印は根柢と依歸を主る。印なければ便ち飛絮浮萍のごとく、飄流定まらず。

查早年多火遠。何善可陳,辰運沖開水庫。宛若雲開見日。惜乙卯運洩身生財,只如曇花一現。不免重作馮婦。以後甲寅運木土爭戰。不堪言狀。寅運之會成火局。且恐不祿矣。

彼女の早年を查するに多く火運を走る(底本の「火遠」は「火運」とすべし)。財旺身衰、説くべき好しき處なし。辰運水庫を沖開す(辰は水庫にして、運至れば庫門啓き、日主根を得)。雲開きて日を見るに比す。その數年境遇一新せり。可惜つづく乙卯運、木は日主の氣を泄し又去りて火を生じ財を助く。ただ曇花一現のごとく。未免舊業を重操す(「重作馮婦」は《孟子》の馮婦虎を搏つの典を用い、舊行を重蹈するを謂う)。以後甲寅運、木と土と交戰し、官星は木に剋せらる。處境言状すべからず。寅運に至れば、寅は午・戌と會して火局を成す。財旺極まりて身歸する所なし。恐らく性命もまた保ち難し。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

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