英皇喬治第五命造
作盤ガイド: 八字作盤
乙丑 辛巳 甲辰 甲子 十歲 庚辰 廿十 己卯 三十 戊寅 四十 丁丑 五十 丙子 六十 乙亥
年柱乙丑、月柱辛巳、日柱甲辰、時柱甲子、日主甲木は巳月に生まる。大運は十歳に起こり、順に庚辰・己卯・戊寅・丁丑・丙子・乙亥。年干乙は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱辛巳より倒退して庚辰・己卯・戊寅……となる。この造は地支子と辰會して水局を成し、巳と丑會して金局を成す。金は甲木の官にして水は甲木の印なり。金は水を生じ、水は木を生ず。一條の官印相生の順路なり。月干また辛金正官を透して、是極貴の格なり。これ是全書唯一の一則の外國人の命造なり。
近閱西報。盛載英皇喬治第五之傅略。餘之其生庚譯為夏厝,演成命局(排列如上)對照其事歷。頗有不爽者。夫甲木日元。子辰水局。已丑金局。為官印相生。干透辛金正民。自是大貴之格。冠冕堂皇。統馭萬民。固所宜也。
近來西文の報紙を看るに、大いに英皇喬治第五の傳略を登す(底本の「傅略」は「傳略」とすべし)。我彼の生辰を折算して夏曆と爲し(底本の「夏厝」は「夏歷」とすべし)、排して命局と成し(排列は上を見よ)、彼の事蹟を持ちて一一相對照すれば、頗る差なきの處あり。甲木日元にして、子と辰會して水局を成し、巳と丑會して金局を成す。金は水を生じ、水は木を生じて是「官印相生」なり。天干また辛金正官を透せば(底本の「正民」は「正官」とすべし)、自然大貴の格なり。冠冕堂皇として萬民を統馭す。本來理の當然なる所なり。
據傅十五歲至十八歲。環遊世界。念五歲管帶海軍魚雷艦。此時正交辰己財運。自應超拔出塵。竿頭日進。廿六歲患傷寒症甚劇。廿七歲乃兄逝世。卯運劫刃之故。四十六歲交丑運。財貴之途。已應發越。益以四十七歲辛亥年。又屬正官之鄉。果於是歲癸極,入承大統。足徵命之可信矣。
傳略の載する所に據れば、十五歲より十八歲に世界を環游し、二十五歲に海軍魚雷艦を統帶す。彼時正に辰・己の財運に交り、財は能く官を生ずれば、自然頭角を出人して歩歩高升せり。二十六歲に傷寒を重く患い、二十七歲に兄長逝世す。是卯運の緣故なり。——卯は甲木の羊刃にして、劫刃は爭奪を主り、兄弟の傷を主る。四十六歲に丑運に交る。丑は既に財地にしてまた巳と會して官局を成せば、正に發越の時に當る。加うるに四十七歲辛亥年にして辛金また正官の郷なれば、果たしてこの年に登極し(底本の「癸極」は「登極」とすべし)、大統を繼承せり。足りて命理の信なるを證明す。
現行甲運。身太重。官較輕。未許樂觀。餘本不欲批外人之命。惟於髫齡時。嘗讀西史。深悉歐美風化。亦頗信運會之說。緣以中國命學。推證英皇之造。蓋冀研究世界文學者。進而教之焉。
現今行く所の甲運は、比肩身を幇きて日主太だ重く、官星相形りて轉じて輕し。就中容觀を容さず。我本來外國人の命を批せざるを打算せり。ただ幼年時に西洋歷史を讀過せしがため、深く歐美の風俗教化を知り、また頗る運會の説を信ず。是に中國の命學を持ちて英皇の命造を推證し、世界學問を研究する人の能く進んで指教せんことを希う。作者肯んじて子平の術を域外に推し、また坦承して是求教にして炫技にあらずとす。この份の態度は民國の命書中に多からざるなり。
黃君命造(早子時・夜子時を辨ず)
癸巳 甲寅 壬辰 庚子 七歲 癸丑 十七 壬子 廿七 辛亥 三七 庚戌 四七 己酉 五七 戊申
年柱癸巳、月柱甲寅、日柱壬辰、時柱庚子、日主壬水は寅月に生まる。大運は七歳に起こり、順に癸丑・壬子・辛亥・庚戌・己酉・戊申。年干癸は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱甲寅より倒退して癸丑・壬子・辛亥……となる。この造の例と擧げらるる所以は、格局の奇特に在らずして、生時に在り。黃君は光緒十九年正月初七日の晚間十一時半に生まれ、正に子時の前半段に落つ。究竟本日の子時と算すべきか次日の子時と算すべきか、兩種の排法は兩個の完全不同なる八字を排す。下文則ちこの場の辨析なり。
俗有所謂早子時夜子時之分雖者。乃以晚間十二時前。為本日之夜時。十二時後。為下日之早子時。此論曆法則或可。論命則萬萬不可。
世俗に所謂「早子時」と「夜子時」の分別あり(底本の「之分雖者」は「雖」字衍あるいは訛なり)。晚間十二點以前を以て本日の夜子時と算し、十二點以後を以て次日の早子時と算す。このごとく分つは、以て曆法を講ずればあるいは還だ可ならんも、以て命を論ずれば萬々不可なり。子時は兩日の交界に橫跨りて、一個の時辰は兩天に分属す。是八字を排する時に最も錯誤し易きの處にして、故に作者特に意を用ゐて辨明せんとす。
考曆書之稱夜子時。蓋表明節氣之交。在於子時之初(即十二句鍾之前)也。故衹有夜子初幾刻幾分。從未言及夜子下面和刻幾分。子時既正。固無所謂夜矣。可見夜字者。僅包括子時之前段耳。後人訛以夜子時為本日之子時。早子時為下一日之子時。且又憑之論命。無怪有毫釐千里之差矣。
考察するに曆書裡の言う所の「夜子時」は、本意は節氣交接の時刻の子時の開頭に落つるを表明するにあり(則ち十二點鍾以前、底本の「十二句鍾」は「句」當に「點」とすべし)。故に曆書上にはただ「夜子初幾刻幾分」の寫法あるのみ、嘗て「夜子正幾刻幾分」と說いたることなし(底本の「夜子下面和刻幾分」は文字訛あり)。既然子正に到れば則ち「夜」を謂う所なし。——見るべし「夜」この字はただ子時の前半段を涵蓋するのみにして、一個の紀時の細目なり。並びに子時を以て兩個の日子に分つにあらず。後人誤って夜子時を以て本日の子時と當り、早子時を以て次日の子時と當り、また以て命を論ず。毫釐千里の差あるも怪しむに足らず。
今以黃君之命。舉為例證。黃君生於光緒十九年正月初七日。晚間十一時半。八字排列如上。壬日從庫。時落庚子。年上見癸。生扶者眾。不以弱論況在初春。壬水餘威未失。乃喜木之洩秀。火之欣發。逢土剋制。亦不為畏。
今黃君の命を持ちて例證と作す。黃君は光緒十九年正月初七日の晚間十一時半に生まれ、八字の排列は上を見よ。壬水日主は辰上に坐し、辰は水庫なり(底本の「從庫」は「坐庫」とすべし)。時柱は庚子に落ち、庚金は水を生じ、子は壬水の旺地なり。年干また癸水を見て、日主を生扶する力量多し。身弱に按じて論ずべからず。況んや正に初春に當りて壬水の餘威未だ消失せざるをや。故にこの命は木の來りてその秀氣を泄するを喜び、火の來りてそれを煥發せしむるを喜ぶ。土の來りて剋制するに遇うも、また怕るるを覺えず。——身既に弱からざれば、剋泄皆好事なり。
故四十二歲前。一派金水運。浮沈宦海。栗碌無善。位不過科員。祿不過百金。去歲交入戍運。流年亦為戍。戍是燥土。有鎮水及溫煦之功。宜其蒐集各項科長。明歲起。即逢丙丁戊己流年。雲程更上。當敢預卜。未來臆斷。固不可盡信。已過之事。卻已誚驗 。
故に四十二歳以前一路金水の運にして、身旺に更に幇扶を加えて反って累贅と成り、因りて宦海に浮沉して碌碌成就する所なし。職位は不過科員、俸祿不過一百來元なりき。去年戌運に交入して流年もまた甲戌なり。戌は燥土にして、既に能く水水勢を鎮住し、また溫煦の功あり。彼の科長に升任せしも怪しむに足らず(底本の「搜集各項科長」は文字訛あり)。明年より則ち接連丙・丁・戊・己の流年に碰上りて、火土并至せば、前程更に一層上らん。是は我の敢えて豫先に斷定する所なり。將來の事は臆斷に属して固より盡く信ずべからざるも、すでに過去せる事はすでに應驗せり(底本の「誚驗」は「應驗」とすべし)。
乃有人堅謂是年正月初七。為辛卯日。晚間十一時半。乃屬辛卯是之旍子時。八字應為癸已甲寅辛卯戊子。然命局財多峰弱,何以前行庚辛幫身運。一籌莫展。更何以去年甲戍。身弱逢財。忽得良遇。往事皆無可符者。豈可據以為信乎。
卻って人ありて堅持して說く、あの年正月初七は辛卯日にして、晚間十一時半は應に辛卯日の夜子時に属し、八字は當に癸巳・甲寅・辛卯・戊子と排すべしと。然るをこのごとく一來すれば、命局便ち財多身弱と成る(底本の「財多峰弱」は「峰」當に「身」とすべし。下同)。然らば何の故に先前に行きし庚・辛の身を幇くの運裡に、彼は一籌も展ずる能わざりしか。また何の故に去年甲戌にして、身弱にして再び財に逢えば、反って忽然として好き機遇を得しか。過去の事一件として號に對せず。何ぞ以て信と爲さんとすべきや。これは已驗の事實を持ちて排法の誤を反證するにして、前の許世英の一造に事實を以て從殺格を駁倒せしと、同一種の方法なり。
倘更質以誠如君言。則是日上千零時二十分,與晚間十一時半所生乾。皆為辛卯日戍子時,距離有十一個鐘點之差。而八字竟完全相同。寧有是理耶。不知彼將何以答我。
倘若更に一歩進みて質問せん。果たして您の説のごとくならば、則ちこの一天の凌晨零時二十分に出生する人と、晚間十一時半に出生する人(底本の「上千零時」は「上午零時」とすべし)と、皆辛卯日の子時と算作すべく、兩者相隔ること足足十一個の鐘頭にして、八字竟に完全に相同なるは、あにこのごとき道理あらんや。彼が將に怎樣に我に回答せんとするやを知らず。作者のこの一問最も鋒芒を見る。「夜子時別に一日を算す」の主張を底まで推せば、必ず同日の內相隔ること十一小時の兩個人の八字全く同じに致らん。其の說自ら破る。
(按此篇會發表於時代日報命學講座。旋接蘇州紫闌巷十三號朱傲骨先生來函,謂夜子時理應日用今日。時用明日。蓋基於星平大成所謂今日之夜。非明日之早也。並蒙將黃君八字。改為癸巳甲寅辛卯庚子。
以下は作者自注なり。この一篇かつて《時代日報》の「命學講座」の欄に發表せり(底本の「会發表」は「曾發表」とすべし)。隨いで蘇州紫蘭巷十三號朱傲骨先生の來信を接到し、說く、夜子時は理應「日は今日を用ゐ、時は明日を用ゐ」べし——日柱は仍ほ今天を算し、時柱は則ち明天の干支を用ゐる。依據は《星平大成》の所謂「今日の夜は、明日の早に非ず」なり。朱先生並びに黃君の八字を改排して癸巳・甲寅・辛卯・庚子と爲す(日柱は辛卯を用ゐ、時柱は庚子を用ゐ)。見るべし同一の時辰にして、前後共に三種の排法ありて、各おの本とする所有り。
又如評論曰。庚為幫峰。甲庚交戰。財已劫去。是以不作財多身弱論。庚運劫財。財逢劫村,栗碌固宜。雲年歲運俱戍。戍為陽土。為與印。土生金。財逢印以遷官。擢升科長。又何疑乎。窮通寶鑑雲。春月之金。餘寒未盡。性柔得生乃妙。廑此照錄如上。以待高明揣究。
朱先生また評論して曰く、若し辛卯日に按じて排せば、時干庚金則ち身を幇くの神なり(底本の「幇峰」は「幇身」とすべし)。甲木と庚金交戰して、財星すでに劫せられ去れり。故に財多身弱に按じて論ずる能わず。庚運は劫財の運にして、財劫奪に遇い(底本の「劫村」は「劫奪」とすべし)、碌碌成なきは本來應當なり。去年の歲運皆戌に在るに至りては、戌は陽土にして辛金の印綬なり。土は金を生じて身扶を得、財印綬に遇いて遷官を得たり。科長に擢升するもまた何の疑かあらん。《窮通寶鑑》に曰く、春月の金は餘寒未だ盡きず。性柔にして生扶を得て始めて妙なり。作者末に云う、謹んでここに照らして錄すこと上のごとく、以て高明の人の揣摩研究するを待つ。一場の爭論に斷語を下さずして兩說を并存す。この份の疑を存するの態度は、正に本書の取るべき所なり。
精神飽滿命造
甲戌 丁卯 甲申 庚午 八歲 戊辰 十八 己巳 廿八 庚午 三八 辛未 四八 壬申 五八 癸酉
年柱甲戌、月柱丁卯、日柱甲申、時柱庚午、日主甲木は卯月に生まる。大運は八歳に起こり、順に戊辰・己巳・庚午・辛未・壬申・癸酉。年干甲は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱丁卯より順推して戊辰・己巳・庚午……となる。この造は甲木は卯月に羊刃の地を得て極めて旺なり。時干庚金七殺は日支申に祿を得、月干丁火傷官は時支午に祿を得て、身・殺・傷の三樣皆根あり力あり。午と申の間また暗に一個の未土の財を夾む。作者はこれを以て何をか「精神飽滿」と謂うかを說明す。是全書唯一氣象上より立論するの一造なり。
或有詢余者曰。八字亦有所謂精神飽滿者乎。余曰有。或又請益曰。奚以知其然。余曰。此誠難言之矣。蓋祇可以意會。不可以言傅也。緣將上列一命剖之。此乃餘技人之子。甲生卯月。為至旺之鄉。時透庚金。提祿於申。斧鑿功深。樑棟成矣。月頭丁火。得祿於時,欣發木氣。
ある人我に問う。八字にもまた所謂「精神飽滿」のあるや。我曰く有り。彼また請教す。何を以てこのごとしと知るや。我曰く、これ實に言傳し難く、ただ意會すべく、話を以て說き盡くすべからず(底本の「言傅」は「言傳」とすべし)。就中上面のこの命を持ちて剖析せん。これは我が一位の親戚の家の孩子の命なり。甲木は卯月に生まれて是最も旺なる處なり。時干は庚金七殺を透し、而して庚金の祿は就中日支申上に在り。斧斤鋒利にして砍削力あり。旺木是に因りて棟梁の材に削成せらる。月干丁火傷官は祿は時支午上に在りて、能く木氣を煥發せしめ出す。旺木・利斧・明火の三者各おのその位を得たり。
璀璨成章。身既旺。殺又強。傷更健。兼以午申爽未財。點綴得宜。豈非如人之神清氣爽。精神飽滿者乎。月刃用殺。殺有傷制。舒配既美。行運亦無阻畏。
是を以て文采璀璨として章を成す。日主既に旺にして、七殺また強く、傷官更に健旺なり。加うるに午と申の間暗に一個の未字を夾み、未中の己土正に甲木の財にして、點綴恰も好處に到る(底本の「午申爽未財」は「爽」當に「夾」の訛と爲す。則ち所謂拱財なり)。これあに正に一個人の神清氣爽・精神飽滿なるに似たらざらんや。所謂精神飽滿とは、則ち全局每一樣皆力量あり、皆落着ありて、虛設の字なきをいう。この造は月支卯は甲木の羊刃にして、「月刃格」を立てて七殺を用ゐて刃を制し、七殺また傷官の來りて制約するありて、過頭に至らず。配搭既に美なれば、行運もまた畏るべき所なし。
蓋逢土為財。非身強所忌,逢火制殺益力。逢水則印以化殺。各盡其妙。誠無間言矣。是命雖格局平常。卻遠勝奇格異局之上。茫茫人海中,能有幾許耶。
土に遇えば是財にして、身強の人本來財を忌まず。火に遇えば則ち殺を制して更に力を加う。水に遇えば則ち化して印綬と爲りて殺氣を引き來りて身を生ず。金木水火土の任何の一路の來るも、皆能く各おのその妙を盡くす。實に挑剔すべきなし。この命の格局雖も平常なりといえども、卻って遠くあの奇格異局に勝る。——奇格は巧に賴り、この造は每一處皆實在なるに賴る。茫茫人海の中、このごとき八字能く幾個あらん。この條は全書屢々現るる偏枯の造と對看すれば、正に韋氏心目中の理想命局の樣子なり。
紗業鄭君命造
乙卯 丙子 乙丑 丁亥 一歲 乙亥 十一 甲戌 廿一 癸酉 三一 壬申 四一 辛未 五一 庚午
年柱乙卯、月柱丙子、日柱乙丑、時柱丁亥、日主乙木は子月に生まる。大運は一歳に起こり、順に乙亥・甲戌・癸酉・壬申・辛未・庚午。年干乙は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱丙子より倒退して乙亥・甲戌・癸酉……となる。この造は天干乙・丙・丁順次相連なり、地支亥・子・丑もまた順次相連なりて、干支各おの一串を成す。命書は之を「聯珠」と稱す。丙丁火と丑中の己土は財郷にして、亥子水と卯木は身を幇くの物なり。兩邊分量相當にして、是標本停匀の商人の命なり。
此鄭君命也。君為海上紗業界聞人。得失動輒萬金。其經營商業。範圍廣大。駭人聽聞。夫天干丙丁與己。一派火土財鄉。地支亥子丑卯。盡是水木幫身。標本停勻。更妙各立門戶。固不愧商場健將。且乙丙丁。亥子丑。干支聯珠。矯勇善戰。角逐果敢。習性生成。非偶然也。
これは鄭君の命造なり。彼は上海紗業界の聞人にして、一進一出動すれば輒ち上萬金にして、經營の商業範圍廣大にして駭人聽聞なり。天干丙・丁と丑中に藏する己土は、一片の火土財郷なり(底本は徑に「天干丙丁與己」と稱す。己土實に丑に藏して、天干の透するにあらず。姑く照らして錄す)。地支亥・子・丑・卯は全く水木身を幇くの物なり。財と身兩邊分量停匀にして、更に妙は各おの一邊を占め、各おの門戶を立てて、相糾纏せず。彼の商場上の健將たるも怪しむに足らず。しかも天干乙・丙・丁相連なり、地支亥・子・丑相連なりて、干支各おの聯珠の象を成す。故に矫健善戰にして角逐果敢なり。這種の習性は天生なりて、偶然にあらざるなり。
前運壬申十載。積資三百萬。尤得力於申運。蓋原局缺金。申金會齊五行。源遠流長。生生不息故也。至癸亥甲子兩年。傾家蕩產。反欠人百餘萬。水木太過。所以致此。庚運為金。又屬大利。清償宿負。遊刃有餘。再盈數十萬金。
從前の壬申運の十年は、三百萬の資産を積み起こし、尤其申運に得力せり。原局金を缺けば、申金一到すれば五行湊齊し、木は金の制あり、水は金の生ありて、源遠く流長くして生生不息す。癸亥・甲子兩年に到りては、卻って家を傾け產を蕩し、反って人に一百多萬を欠く。——あの兩年は水木太過にして、身を幇くの物泛濫して財冲散せらる。故に此のごとし。庚運また金にして、亦た大利に属す。清償舊債の後游刃餘裕ありて、再び數十萬を獲利せり。この造最も「原局の缺くる所、運に逢うて之を補う」の效驗を見る。前の劉鴻生の一造と并び看るべし。
去年甲戍。為劫財流年夏告室如懸磬。抑且高築債臺。今年乙亥。已無活動餘地。按乙亥之水木太重。本非所利。恐年內有咎無休。興味蕭然。明歲丙子志。純逢火土之年。直如冬盡春回。大地錦鄉。又是花木暢茂。一片蓬勃景象矣。
去年甲戌は劫財の流年にして、劫財は財を奪い、是を以て家中一貧如洗(「室如懸磬」は空無所有を謂う)にして、しかも債臺高築せり(底本この句訛字あり)。今年乙亥は、すでに活動の餘地なし。——乙亥の水木重きこと太甚にして、本來彼に利せず。恐らく一年の內災ありて喜なく、意興蕭然たらん。明年丙子(底本の「丙子志」は「志」字衍あるいは訛なり)は、純粹に火土の年に碰上りて、財星重新に力を得、簡直に冬盡き春回る・大地錦のごとくのごとく、また花木暢茂・一片蓬勃の景象ならん。
某軍人命造
癸卯 辛酉 乙卯 辛巳 六歲 庚申 十六 己未 廿六 戊午 三六 丁巳 四六 丙辰 五六 乙卯
年柱癸卯、月柱辛酉、日柱乙卯、時柱辛巳、日主乙木は酉月に生まる。大運は六歳に起こり、順に庚申・己未・戊午・丁巳・丙辰・乙卯。年干癸は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱辛酉より倒退して庚申・己未・戊午……となり、中年以後一路南方の火地なり。この造は兩個の辛金七殺令に當りて乙を剋し、木剋を受くること極めて重し。幸いに年干癸水ありて金を泄し木を生ず。殺重く身輕くして制化全からず。この命本身平常なるも、貴ぶべきは作者の斷語後來一一應驗して、全書最も人情味に富む一則の記事と成れり。
此為某軍人之命。癸酉暮春。嘗訪余廬。自言混跡軍五。碌碌半生。邇來環境蕭然。假投捕自盡者。已經三次。終不識命運如何。究竟生機絕否。余曰。乙木死於秋。患辛金根深。受克太重。幸有癸水之洩金生木。危而有救。
これは某位の軍人の命造なり。癸酉年の暮春、彼かつて我が家に到り造訪し、自ら稱して軍伍に混迹すること半生にして碌碌成なく、近來境況蕭條にして、幾度か自盡せんと想い、すでに三回ありて、始終自己の命運如何を知らず、究竟生機斷絕せるや否やを。我曰く、乙木は秋天に「死」の地に属し、最も怕るるは辛金の根深きなり(月支酉・時支巳皆金の根なり)。剋を受くること太重し。所幸年干に癸水ありて、一面金氣を泄し去り、一面乙木を生扶して、雖も危險なるも救應あり。——これ則ち「殺重くして印を用ゐる」の常法なり。
椎丙丁不透干。七殺不獲其制。日主則不克如滴天髓所謂懷丁抱丙。跨鳳乘猴。而仍嫌柔弱。為美中不足也。君既才識壓眾,抱負不凡。若遽萌短見。無乃自棄乎。前運一派土金。助殺壞印。故豐才嗇遇。莫展經猷。
ただ惜しむべし丙・丁火の天干に透出せざるを(底本の「椎」は「惟」とすべし)。七殺制伏を得ず、日主亦た能く《滴天髓》の言う所の「丁を懷き丙を抱き、鳳に跨り猴に乘る」のごとくならず。——乙木若し丙丁の火を懷抱せば、縱令酉(鳳)申(猴)の金地に坐するも、剋伐を怕れず。この造火無し。故に仍ほ柔弱を嫌み、是美中不足なり。然れども您の才識群に超え、抱負凡ならず。若し驟然短見を萌生せば、あに自暴自棄にあらざらんや。從前の運は一路土金にして、土は金を生じて殺を助け、金は木を剋してまた癸水之印の功用を壞す。故に空しく才華ありて際遇困窘し、抱負を施展する由なかりき。
然本年即交午火運。制殺功深。定見轉機。如南方有故舊。前住求授。正可水魚膠漆。相得益彰。此人唯唯而去。闊別三載。忽於上月舊翩然復臨。神采煥發。大菲昔比。據謂別後亡命羊城。由舅舅氏之介。投效某軍長麾下。嗣得軍長之賞識提撥。竿頭日進。茲且攖重權於南和粵。
然れども今年就中午火運に交進す。火來りて殺を制して功效深切にして、一定轉機を見ん。若し南方に舊交あらば、前に往きて投奔求助するに妨げず。正に魚の水を得、膠の漆に似たるがごとく、彼此相得して益彰すべし。この人連聲應諾して去れり。一別三年、上月忽然翩然として再び來り、神采煥發にして往昔と大いに同じからず。彼の言うに據れば、分別の後廣州に逃げ、舅父の介紹に由りて某軍長の麾下に投效し、隨いで軍長の賞識提拔を得て歩歩高升し、如今すでに南方に重權を掌握せりと。作者當年彼に勸めて南方に往きて求助せしめしは、正に南方の火に属するがため、運と地合して力量倍増せるが故なり。——これは本書少なからざる「方位」をも取用に納るるの一例なり。
比者。道經春江。因感餘當年所斷之盡驗。指其求授南方。獲益尤非淺鮮。特來面謁。專伸謝悃。餘緣再視其命。此後丁已丙三運。更較昌盛勉以鵬程無限。善自為國效勞雲。
この次路を上海に過ぎ(「春江」は黃浦江の舊稱)、當年我の斷ずる所の一一應驗せるを感念するがため、尤其是彼を指點して南方に向かいて求助せしめて獲益淺からざるを、特地登门面謁し、專程致謝す。我是を以て再び彼の命を看る。此の後丁・巳・丙の三運皆火地にして、殺を制して更に力を得、現在に比べてなお昌盛せん。我便ち彼に勉励して鵬程無限と爲し、好く國のために效力せんことを。
楊杏佛命造
癸巳 丙辰 壬申 癸卯 一歲 乙卯 十一 甲寅 廿一 癸丑 三一 壬子 四一 辛亥 五一 庚戌
年柱癸巳、月柱丙辰、日柱壬申、時柱癸卯、日主壬水は辰月に生まる。大運は一歳に起こり、順に乙卯・甲寅・癸丑・壬子・辛亥・庚戌。年干癸は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱丙辰より倒退して乙卯・甲寅・癸丑……となる。この造は壬水は申に坐し(水の長生の地)また辰に逢う(水庫)。兩個の癸水再び來りて相助く。身強餘裕あり。用神は月干丙火の財に在り。丙火の祿は年支巳に在り、卯木また能く丙を生じて財源頭あり。用神と用神の母の安頓は、下文彼の遇害を斷ずるの關鍵なり。
此為前中央研究院院長楊杏佛先生之命。考其辰月壬申日。並得生地庫地。夫又癸水雙透。身強有餘。應用丙火之幾。而已為祿。卯為丙母。財有淵源。胥賴乎經。一代文豪。且為文官。固其宜也。蓋命局租靜。病樂停勻。身分超拔。若合符節。
これは前中央研究院院長楊杏佛先生の命造なり。彼の辰月壬申日を考察すれば、申は壬水の長生の地にして、辰は水の庫地なり。生地と庫地兼得す。天干にまた兩個の癸水ありて身強餘裕あり。故に當に月干丙火を取りて用と爲すべし(底本の「丙火之几」は文字訛あり)。丙火の祿は年支巳上に在り、時支卯木また丙火を生ずるの母親なり。財星淵源ありて孤ならず。——用神根あり、また母の來りて生ずるありて、力量始めて靠るべし。彼の一代の文豪と爲りてまた文職を出任する所以は、本來理の當然なり。この命局清靜にして、病と藥停匀し、身分超拔す。彼の實際の際遇と處處相合す。
四十一歲交辛運。辛來合丙。流年復逢癸酉。酉更沖卯。一片汪洋。用神盡拔。故不免為人狙擊。亦猶博流沙終。良可婉惜。
四十一歲辛運に交進す。辛は丙と相合して用神丙火を合住す。流年また癸酉に逢いて、酉再び往きて時支卯木を冲す。——卯は丙火の母にして、母冲され去れば、火便ち依附する所なし。滿盤水勢一片の汪洋にして、用神根を連ねて拔かる。故に人の狙擊に遭い身を亡ぼすを免れず。また流沙に陷身して終るがごとし(底本この句文字訛あり)。實に可惜なり。用神合せられ、用神の母冲せらる。兩重の打擊同時に降臨す。これは本書裡横禍を推斷するの最も典型なる一副の格局なり。
以前壬運癸亥年。亦滿盤是水。乃得康莊平坦。誠使人百思而不解。然進而思之。已亥雖沖。究輕於卯酉之沖。則益信用神之祿。沖去猶可。用神之母。萬不可沖,是又增我一番經驗矣。
再び從前の壬運癸亥年を想うに、あの年もまた滿盤皆水にして、彼卻って平安無事なりき。實に人をして百思解せざらしむ。然れども進みて想えば、癸亥年は巳と亥相冲して、冲するは丙火の祿なり。癸酉年は卯と酉相冲して、冲するは丙火の母なり。巳亥の冲は究竟卯酉の冲より輕し。——これに由りて更に信ずべし。用神の祿地冲され去るは還だ要なく、用神の母親萬々冲すべからず。これまた我に一番の經驗を增添す。作者兩個の同じく水旺の年份裡より生と死の別を分辨し出づるは、正に全書反復示範するの讀命方法なり。看るに動くは哪一處なるかを。
本埠張君命造
辛丑 辛丑 丁酉 丙午 四歲 庚子 十四 己亥 廿四 戊戌 三四 丁酉 四四 丙申 五四 乙未
年柱辛丑、月柱辛丑、日柱丁酉、時柱丙午、日主丁火は丑月に生まる。大運は四歳に起こり、順に庚子・己亥・戊戌・丁酉・丙申・乙未。年干辛は陰に属し、男命は逆排ゆえ、月柱辛丑より倒退して庚子・己亥・戊戌……となる。この造は兩個の辛金、一個の酉、兩個の丑にして金土群を成して財と爲る。丁火日主ただ時柱丙午の一劫一比倚靠すべきのみ。日支酉は既に財星にして、又恰も丁日の「文昌」貴人なり。術士是に因りて彼を斷じて必ず賢妻を得せんと爲す。作者卻って「財多病と爲る」より立論す。是全書の妻を論ずる最も透徹なる一段なり。
此為本埠張君之命。財重身輕。所妙時上一劫一比。雖嫌柔弱。還幸有根。幼時聞術者言。財多而強。且日支文昌貴人。定得賢美之妻。沾沾自喜。唯盼早賦燕詩。及至二十四歲。識同學某女士。由戀愛而成婚。女士品學兼優。初固伉儷甚篤。以為者之言驗矣。
これは本埠張君の命造なり。財重くして身輕し。妙は時柱に一個の劫財(丙)と一個の比肩(午中の丁火)あるに在り。日主雖も柔弱を嫌うも、還だ幸いに根あり。彼幼時術士の說くを聞く。財多くして身また強く、加うるに日支は「文昌」貴人なり(聰明文采を主るの吉神にして、丁日の文昌は酉に在り)。一定能く賢美の妻子を娶るべしと。彼是に因りて沾沾自喜して、ただ早日に成婚せんを盼す(「燕詩」は燕爾新婚を咏するを謂う)。二十四歳に到り、一位の同學某女士を認識し、戀愛に由りて結婚す。女士品學兼優にして、起初伉儷情深く、彼以爲う術士の話應驗せりと。
諜於庚午年。女忽弱於博弈。寢食俱廢。每晚輒至一百八十一號(海上唯一大賭窟。)作輪盤之賭。未滿一年。私蓄蕩然,無以自慰。乃由高樓跳下而墜死於非命。厥狀殊慘。客歲。張君又思欒膠繼續。惟慮復蹈覆轍。就決定餘
不料庚午年に到り、あの女子忽然賭博に沉溺し(底本の「弱於博弈」は「弱」當に「溺」とすべし)、寢を廢し食を忘れて、每晚皆一百八十一號に到りて——括弧內は作者自注、上海唯一の大賭窟——輪盤を賭す。一年に滿たずして私蓄蕩然として存せず。以て自ら解するなく、竟に高樓より跳下り墜死し、死狀極めて慘なり。去年張君また續弦せんと想い(「鸞膠」は續弦の典故にして底本は「栾膠」と作る)、ただ顧慮して重蹈覆轍せんことを恐れ、因りて來りて我に請決す。前面の所謂「文昌貴人は賢妻を得るを主る」の斷法は、ここに到りて事實に推翻せられ、下文則ち其の所以然を辨ず。
余曰。以財多為病財即妻星。烏足言內助賢美耶。惟戊戍土運。已成尾聲身運。即將蒞臨。此番續絃。當不致再如元配之結局。但欲介隨適意。亦斷定。
我曰く、この命は財多を以て病と爲り、而して財則ち妻星なり。妻星既に病神なれば、何ぞ內助賢美と談ずるに足らん。——術士ただ日支文昌に坐し財星旺なるを見て、然れど財のこの日主に對して喜か忌かを看ず。好く戊戌土運すでに尾聲に到り、身を幇くの運將に來臨せんとす。這一次の續弦は當に再び元配のごとき結局に至らざるべし。但し事事稱心如意と說かんと欲せば、また斷定し難し(底本この段文字訛脱あり)。
規普通談命者。以為財乃妻星。日支乃妻宮。財旺者。或日坐財星者和力。殊不知財多為病之命。妻宮美於何者。論妻之優劣。固以財為標準九須先觀財之得用與否。若命中以財為喜神。財雖薄弱。亦主得妻之力。正不必斤斤於多寡之間。以論其美惡也。
普通の命を談ずる人を看るに、以爲らく財則ち妻星、日支則ち妻宮なり。凡そ財旺なるか、あるいは日支財星に坐するは、皆妻の力を得るを主ると(底本の「和力」は「得力」とすべし)。殊不知財多を以て病と爲るの命は、妻宮また美は何に在らん。妻の優劣を論ずるに固より財を以て標準と爲すも、但し首先要くこの財の局中に於て用を得るや得ざるやを看る(底本の「九須」は「尤須」とすべし)。倘若命中財を以て喜神と爲せば、財雖も薄弱なるも、亦た妻の力を得るを主る。正に斤斤較較して財の多寡に於て、據りて妻子の好壞を論斷するを須いず。この一條は正に前の「妻財」の一章の「妻星と妻宮兩全其美し難し」の引申にして、亦た全書最も實用なる一句なり。一切十神の吉凶は、先ずそれが喜か忌かを問え。
天津李君命造
丙申 癸巳 癸亥 甲寅 九歲 甲午 十九 乙未 廿九 丙申 三九 丁酉 四九 戊戌 五九 己亥
年柱丙申、月柱癸巳、日柱癸亥、時柱甲寅、日主癸水は巳月に生まる。大運は九歳に起こり、順に甲午・乙未・丙申・丁酉・戊戌・己亥。年干丙は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱癸巳より順推して甲午・乙未・丙申……となる。この造は四個の地支恰も寅・申・巳・亥にして、本來兩兩相冲の「四生」の地なり。然るを位置安排當を得て、寅と亥相合し、巳と申相合して、冲反って化して合と成る。全局亂中に靜を見る。是下文議論の着眼處なり。
此天津人李君之命。君恆角逐於跑馬場中。嘗得香檳頭。獎平日博弈。亦勝多於負。其營業所得這薪酬。僅敷支出 。跑馬所盈者。用獲豐積。或羨其賭運享通。以餘視這。不過命局安頓。財星得用而已。
これは天津人李君の命造なり。彼常に跑馬場中に角逐し、かつて頭獎を中てり(「香檳頭」は跑馬彩票の頭彩)。平日賭博もまた勝多く負少なし。彼事を爲して得る所の薪酬僅かに開支に足る。跑馬の贏る所は卻って積んで豐厚なり。ある人は彼の賭運亨通を羨慕す。我に於て看れば、不過命局安頓當を得、財星恰好用を得たるのみ。所謂「得用」とは、財星のこの局裡に正に日主の需要する物にして、またそれを生ずるあり、それを擔ぐありて、白く擺する一個の字にあらざるを說く。
蓋癸日甲寅時。傷官得祿。丙年已月。偏財得祿。傷財相生而流通。美滿極矣。妙有亥月帝旺。癸水比肩。申金正印。協力扶身。乃致身主不弱。堪任其財。尤妙寅亥既相合。已申又相合。亂中見靜。若不流連於跑馬。而孜力實業。亦未始不要富似陶朱。財比猗頓。
癸水日干甲寅時に配す。甲木は癸水の傷官にして、寅正に甲木の祿地なり。傷官祿を得たり。丙火は年に在り巳火は月に在りて、丙は癸水の正財にして巳は丙火の祿地なり(底本は「偏財」と稱す。姑く照らして錄す)。財もまた祿を得たり。傷官は財を生じ、兩者相生して氣脈流通し、配置美滿極點に到れり。更に妙なるは日支亥は癸水の帝旺の地と爲り(底本の「亥月」は「亥日」とすべし)、月干癸水は比肩、年支申金は正印にして、幾樣合力身を扶く。日主是に因りて弱からず。この份の財を擔當し得たり。尤其妙は寅と亥相合し、巳と申相合して、本來四冲の地支反って亂中に靜を見るに在り。彼若し跑馬に流連せずして實業に致力せば、未だ嘗て陶朱公に比して富み、猗頓に比して財する能わざらず。
前運皆屬木火。宜其不勞多獲。後運丁酉。財印之鄉。亦能日進斗金。利源四溢。李君勉乎哉。按寅申已亥。本為四沖。因其地位處置適當。由沖而合。以餘經驗所得。此等四柱。不在少數。然再逢寅申已亥之一字。即為沖散全局。不以美論,聞李君在申運內。財雖無所盈虧。然家庭多故。殊苦精神之創痛焉。
從前行く所の運皆木火に属し、木は傷官にして火は財なり。彼の勞せずして多獲するも怪しむに足らず。往後の丁酉運は財と印の郷にして、亦た能く日進斗金・利源四溢せん。李君の好く自ら勉励せんを望む。以下は作者自注なり。寅・申・巳・亥は本來四冲の地にして、ただ位置安排當を得るがため、冲より轉じて合と成れり。我が經驗に據れば、這一類の四柱數少からず。但し大運流年再び一個の寅・申・巳・亥中の字を來せば、原有の合は冲散せられて、全局便ち以て美と論ずべからず。聞くに李君は申運の內に、錢財雖も盈虧なく、然れど家庭卻って變故多く、甚だ精神上也の創痛を受けたり。——正にまた一個の申來りて、巳申の合を冲散せし緣故なり。
張時甫命造
甲辰 丙子 辛丑 壬辰 三歲 丁丑 十三 戊寅 廿三 己卯 三三 庚辰 四三 辛巳 五三 壬午
年柱甲辰、月柱丙子、日柱辛丑、時柱壬辰、日主辛金は子月に生まる。大運は三歳に起こり、順に丁丑・戊寅・己卯・庚辰・辛巳・壬午。年干甲は陽に属し、男命は順排ゆえ、月柱丙子より順推して丁丑・戊寅・己卯……となる。この造は日干辛は月干丙と相合し、仲冬水旺の月に生まれて、丙辛合して水に化す。時干壬水元神また透し出でて坐實す。丑・辰兩塊の濕土はただ能く水を蓄えて水を剋する能わず。合して能く化し、化して破なし。是本書唯一認定する一個の真化氣格なり。
近世談命者。凡見日干與他干相合。動輒以化氣格論,不知假化則庸俗無奇。真化則談何容易。書云。化之真者。名公鉅卿。化之假者。異性孤兒。可見化之貴乎真也。
近來命を談ずる人、凡そ日干と旁邊の天干相合するを見れば、動もすれば「化氣格」に按じて論ず。彼らは知らず、假化の命は庸俗にして奇なく、真化の命は談何容易なるを。命書に曰く、「化の真なる者は名公巨卿。化の假なる者は異姓孤児」。見るべし化氣の格は一個の「真」字に貴ぶ。所謂真化は、必ず合化の成す所のあの一行恰好令に當り時を得、局中また元神透出して坐實し、還た一物の來りてそれを破るあらざるを須う。——三個の條件一つを缺けば、便ちただ假化のみ。前の杜月笙の一造は「乙庚化金」に以て立論せられて作者に駁回せられしは、則ち時上に午火を見て格を破せるがためなり。
上為宜陽縣政府張時甫先生命造。夫丙辛之事。時在嘉冬。可以化水。壬水元神透出。尤為純粹。丑辰皆溼土。不能克水。祇可蓄水。當不為病。是乃化格之真者。雖不必為名公鉅卿。要非池中物也。
上面は宜陽縣政府張時甫先生の命造なり。丙と辛相合し(底本の「丙辛之事」は「事」當に「合」とすべし)、時仲冬水旺の月に値う。故に能く化して水と成る。時干壬水この元神また透し出づ。尤其純粹なり。丑と辰皆濕土にして、ただ能く水を蓄えて水を剋する能わず。故に病と算せず。これ則ち化氣格中の真格なり。雖も未だ必ずしも名公巨卿と爲らずとも、總に池中の物にあらず。化氣格を判ずるの三步——化し得るや否や、元神有るや無しや、破壞有るや無しや——この造は一一具備す。以て標準の例子と作して讀むべし。
早年運都屬土鄉。一肩行李。兩視清風。三十三後,庚運之生不。辰運辛運之化水。飛騰上進,詎可限量。已運土金並藏。瑕瑜互見。壬運助格。尤見燦爛。午運被子水沖拔。夕陽在冊。為時不久矣。張君遙聞餘名。通函囑評其造,餘以其化格清純。殊不多見。前程當必大有可觀。故特志之。以視將來。
早年の運皆土郷に在り、土能く水を礙ぐ。故に行囊蕭然・兩袖清風なりき。三十三歲以後、庚運は水を生じ(底本の「生不」は「生水」とすべし)、辰運・辛運も皆水を助け水を化す。此れより飛騰上進して、前程限りを量るべからず。巳運裡は土と金同藏して、瑕瑜互見す。壬運は直接格局を幇助して、尤其燦爛たり。午運に到れば、午は月支子水に冲拔せられて格局損を受く。則ちこれ夕陽山に在りて、時を爲すこと久しからず。張君遠く我が名を聞き、書を寫して我に嘱して彼の命造を評せしむ。我彼の化格清純にして、實に少見なれば、前程必ず大いに觀るべき有るを以て、故に特地に記し下して、以て將來の驗證を待つ。
