千里命稿 · 第1巻
作盤ガイド: 八字作盤
七殺(七殺の一名を偏官という)
八字命理典籍
初学はまず体例の整った通論の書で枠組みを立て、次に歌賦類、最後に評注と進むのがよい。断語集から入ると、結論は覚えても導出の過程を組み立てられないことが多い。
千里命稿
楊叔和序
觀夫世界之廣大,宇宙之奇妙,人事之渺茫,若可知,若不可知,雖聖人亦不敢以論斷定也。然一春一秋,物故者新;一晝一夜,花開者謝。廢興成毀,盈虛依伏;大而名利,細而飲啄。默察一切,冥冥中似有定之者,故聖人不敢以論斷定者。今可於中仄盈虧之象,五行生剋之理之中,求之而百不失一焉。
この世界はこんなに広大で、宇宙はこんなに奇妙であるのに、人の世のことは渺茫として測りがたく、知れるようで知れない。聖人とて軽々に断定はしない。しかし一春一秋のあいだに、古いものは死に新しいものが生まれる。一昼一夜のあいだに、朝咲いた花は夕べに散る。興隆と衰亡、成就と毀壊、盈満と虚欠は互いに依り伏して潜み合い、大きくは功名や利禄から小さくは一飲一啄に至るまで、みなそうである。これらを黙って観察すれば、冥冥のうちに何かが取り仕切っているように思える。だから聖人も容易に断言しなかったのである。いまこの理は、日が中天を過ぎれば傾き、月は満ちれば欠けるという天象のうちに求められる(底本の「中仄」は「中昃」の誤りで、日が正午を過ぎて西に傾く意)。また「五行」すなわち金木水火土の相生相克の理のうちに求められる。こうして求めれば、百事のうち一事も誤らない。
餘始對於命運,乃深信而不疑。曩歲因事至申,訪韋子千里於其寓,論往指來,不爽禾黍。且評語簡明透澈,以少勝多。非深於道,明於理,通於儒,洞明乎世事者,弗能也。然餘有感焉,江湖述士之流,恆籍此為生,理既不明,語亦鄙陋,大雅君子,為之不齒。
私はこれで運命というものを深く信じて疑わなくなった。先年、用事で上海(「申」は上海の別称)に行き、寓居に韋千里先生を訪ねて、私の過去を論じ将来を指し示してもらったところ、言うことが分毫も違わなかった。しかも彼の批語は簡明で透徹し、少ない言葉で多くのことを言い尽くす。命理の研鑽が極めて深く、事理の弁析が極めて明らかで、儒の学に通じ、世間の人情を見抜いた人でなければ、とてもこの域には達しない。ただ私には感じるところもあった。江湖で占卜を売る術士の流は、常にこれで糊口をしのいでいるが、道理は明らかでなく、言葉は鄙陋で、大雅の君子はこれを歯牙にもかけない。
命理之學,晦而不彰,安得如韋子者作中流之砥柱耶。今韋子學益進,出其餘緒,編印《命學講義》一書問世,蒙示全稿,吟誦之餘,覺奧邃詳明,裨補後學,余嘗有志於斯而未能,今又有鞭策之者矣。敢不勉旃,敢不勉旃。詩云:“高山仰止,景行行止”,雖不能至心響往之,爰書此以歸。韋子其樂而教之乎,是有命焉,非餘所敢望也。公元一九三四年七月楊叔和於蚌埠大淮報館
命理の学はこうして晦んで顕れず、どこに韋先生のように激流のなかの砥柱となれる人を求められようか。いま韋先生の学はさらに進み、その余力で《命学講義》一書を編んで世に刊行した。全稿を見せてもらい、吟誦するうちに、奥深く詳明で、後学を補益する書だと感じた。私もかつてこの道に志しながら果たせなかったが、いままた私を鞭策する者がある。どうして勉励しないでいられよう、どうして勉励しないでいられよう。《詩経・小雅・車舝》に「高山仰止、景行行止」とある。高山は仰ぎ見られ、大路は行かれる。その境地には至れなくとも、心は深く慕う。そこでこの序を書いて彼に返す。韋先生は喜んで私を教えてくださるだろうか。それもまた命のあるところで、私が望んで及ぶものではない。公元一九三四年七月、楊叔和、蚌埠の大淮報館にて。
駱経畬序
餘於公餘之暇,喜讀命學諸書。凡坊間古籍名著,均先後蒐羅,迭經殫心參研,苦無心得,如《星平會海》、《三命通會》、《滴天髓》等書,或博而寡約,或簡奧難明,往復思索,雖略曉其意,終未了然於胸。客歲識鴛湖韋君千里,一見如故,蓋知其秉承家學,精研有素者也。讀其所纂之《精選命理約言》一書,深佩其註釋精微、闡揚命學之功,不在素庵相國下也。
私は公事の余暇に、命学の書を読むのを好んだ。世間に流布する古籍の名著は、次から次へと蒐集し、何度も心を尽くして参研したが、得るところがないのに苦しんだ。《星平会海》《三命通会》《滴天髓》のような書は、あるものは浩瀚で綱領がなく、あるものは簡奥で読みにくかった。繰り返し思い巡らして、大意はおおよそ分かっても、胸のうちで明瞭にはならなかった。去年、鴛湖(嘉興の別称)の韋千里君と知り合い、一見旧知のごとくで、彼は家学を承け、この学に精研の素養があることが分かった。彼の纂した《精選命理約言》を読み、注釈の精微さと命学を闡揚した功が、原著者である明末の相国陳素庵に劣らないことを深く感佩した。
君復以命學之式微,胥由古籍說理未透,今歲月於百忙中,編《命學講義》,以授海內有志斯學者。餘因加入研究,先獲其稿,披覺竟日,恍然有悟。昔日之所疑難者,今皆迎刃而解矣,他書中支離瑣屑之點,亦均條分縷晰,舉例闡明,矛盾謬誤之處,則說理指正,充推子平正宗,不僅為初學者必讀之書,亦可供精究者參考之籍。書成,將奧邃詳明,裨補後學,殊非淺鮮。余嘗有志於斯而未能,今又有鞭付剞劂,餘乃樂為之序。甲戌仲秋嘉定駱經畲
韋君はまた、命学が衰微するのはすべて古書の説理が透徹しないからだと考え、今年、百忙のなか《命学講義》を編み、海内のこの学に志す者に教えることにした。私は研究に加わって先に稿を得、終日披覧して恍然と悟るところがあった。以前に疑難だったところは、いまは刃を迎えて解けるがごとく解けた。他書の支離瑣屑な点も、みな条分縷析して例を挙げて明らかにし、矛盾や謬誤のあるところは理を説いて是正している。まさに「子平」正宗を推し充てるもので(子平とは宋の徐子平が伝えた八字推命の法)、初学者の必読の書であるだけでなく、精究する者の参考にも資する。書が成れば、奥邃で詳明、後学への補益は浅くはない。私もかつてこの道に志しながら果たせず、いままた剞劂に付される(「剞劂」は本来、刻書の曲刀と鑿で、転じて上梓を指す)ので、喜んで序を書く。甲戌の仲秋、嘉定の駱経畬。
顧乃平序
韋子千里,少負奇才,幼承庭訓,家學淵源,挾君平術,為人權衡,談必微中。與之語世道,辯古今事當否;論人高下,事後常成敗。若河決下流而東注,若駟馬駕輕車就熟路,飽學老成,固非世俗所能望其肩背,且慷慨好義,憂世疾憤,輒嘗論世道崎嶇,人心險詐,魑魅諮肆,魍魎橫行,未嘗不嘆息痛恨於挽狂瀾之乏術也,
韋千里先生は少年の頃から奇才があり、幼くして父の教えを受け、家学に淵源がある。「君平」の術を懐に人の命運を衡量し(君平とは前漢の厳君平で、成都で卜を売って生計とし、後世では命相家の代称となった)、口を開けばしばしば要害に的中した。彼と世の道を語れば、古今のある事の可不可を弁明でき、人物の高下を論じれば、後にその成敗がしばしば的中した。その話ぶりは大河が決口して東に瀉くがごとく、また四頭立ての軽車が熟路を行くがごとく、学は充実し、見識は老練で、本来常人の及ぶところではない。その上、慷慨で義を好み、世事に憂憤し、世の道の険しさ、人心の険悪、鬼魅の恣睢、邪祟の横行を語るたび、狂澜を挽き回す術のなさを嘆息痛恨しないことはなかった。
予諷之日,徒言無補於事,空談不如實行,君抱稀世之才,挾君平神技,曷不將命學公開,廣為宣傳,使人人得知命理。預識趨避之道,槽權己衡人,兩相裨益,彼魅魁魍雖熾,或得稍斂其跡,未始非治標之一法也,我子曷不圖乎?君聞言奮然起曰:誠如子言,餘當知所勉矣。乃毅然決然,將所學供獻於世人,創辦命學函授於韋氏命苑,未及匝月,成績裴然,國中聞風響學者,日必數十起,
私は彼を勧めて言った。口で言うだけでは事に補いがなく、空談は実践に及ばない。稀世の才を懐き、君平のごとき神技を持ちながら、どうして命学を公にして広く伝え、人々に命理を知らせ、あらかじめ吉に趨り凶を避ける方途を悟らせないのか。自分を衡量でき、人をも衡量でき、双方が益を受ける。あの邪魅魍魎も気炎は盛んだが、あるいはこれで少し形跡を収めるかもしれず、標を治める一つの法ではないか。なぜなさらないのか。韋君はこれを聞いて奮然として起ち、「仰せのとおり、努力すべきことを知りました」と言った。そこで毅然として所学を世人に献じ、「韋氏命苑」に命学の函授を開いた。一月足らずで成績は輝かしく、全国から風を聞いて来学する者が毎日数十件に及んだ。
而筆政冗繁,案續勞形,雖日以繼夜,案頭常積卷盈尺,漸臻精力不繼,輒對之漢曰:餘不勝其勞矣。而欲罷湧者其奈何?竊相與憂而莫能相助。於是轉輾焦思,若有所得,即欣然謂韋子曰:君不將函授講義,收集成冊,發行單行本問世,如要則於君可一勞永逸,於學者不啻躬沐教誨,豈非一舉二得者耶,君以為可,乃夜發書,焚膏繼晷,將手編講義,重行邏輯,補遺拾漏,去腐存菁。
しかし函件に批答する事務が繁雑で、文案が身を労し、夜を日に継いでしても、案上には常に一尺ばかりの巻宗が積み上がり、しだいに精力が続かなくなった。彼は時おりこの巻宗に向かって嘆いて言った。私は実にこの労苦に堪えないが、止めようと思っても止められない。どうしよう。私は心のうちで彼のために案じたが、力になれなかった。そこで繰り返し苦思し、ようやく策を得たように思えて、喜んで韋君に言った。函授の講義を集めて冊にし、単行本として世に出してはどうか。そうすればあなたには一労永逸で、学者にとっても親炙に劣らず、一挙両得ではないか。韋君は可とし、そこで夜を徹して筆を執り、灯を点じ膏を搾って日夜休まず、手編の講義をあらためて条理立て、脱漏を補い、糟粕を去って精華を留めた。
其間皆根據先哲之立言,參以一己之實驗,提綱摘要,纂言扣玄,發人所不敢發,道人所未曾道,由淺顯而入於深奧,一氣貫通,不愧為學命梯範。夫韋君年少好學,口不絕吟於六藝之文,手不停披於百家之編,識廣學博,著作等身。其生平所述甚宏,具為精警碩論,獨於此命學講義尤多,焉見付梓在即,出版有期,其不紙貴洛陽,不脛而走者,我不信也。公元一九三四年甲戌仲秋季日顧乃平謹識於淞濱逸廬
書中の説くところは、みな前世の賢哲の成説を根拠とし、さらに彼自身の実測の経験を参照し、綱を挙げ領を提げ、要を撮んで言を立て、幽微を探究し、人の敢えて言わざるを言い、人のいまだ講じざる理を講じ、浅いところから深いところへ一気に通貫している。命を学ぶ者の登堂入室の階梯であり范本と呼ぶにふさわしい。韋君は年少にして学を好み、口には六藝の文を誦し絶えず(六藝はここでは儒家の経典を泛指する)、手には諸子百家の書を翻検し絶えない。見識は広く学は博く、著作は身の丈に等しく積めるほどだ。平生の著述は甚だ多く、みな精警の宏論だが、そのなかでもこの《命学講義》はとりわけ力を尽くしたものである。まもなく剞劂に付され、出版の期も近い。これが晋の左思《三都賦》のように洛陽の紙価を高からしめ、脛を待たずに行き届くだろうと言っても、私は信じないではいられない。この序は公元一九三四年甲戌仲秋の末日に、顧乃平が淞濱の逸廬にて謹んで記す。
韋千里自序
祿命之學,由來已久。如言數理者,言星辰者,言子平者,以常情測之,僉依據於了平一書。夫命不可信乎?唐呂才有言:長平坑卒,曷嘗共犯三刑;南陽貴人,未必盡逢六合。命不可信乎,南史沈攸之嘗言:早知窮達有命,恨不十年讀書。故孔子五十而知天命,孟子曰莫非命也,順受其正,是以知命者,不立乎嚴牆之下。然則命之可信與否,其精微奧妙,寂靜感通,誠不易言也。
禄命を推算する学の起こりは、すでに久しい。数理を講ずる一派、星辰を講ずる一派、子平を講ずる一派があり、常理で推せば、いずれも《子平》の書を依拠とする(底本の「了平」は「子平」の誤り)。では命は果たして信ずべきか否か。唐の呂才はかつて言った。長平の戦いで坑殺された数十万の降卒が、一人残らず「三刑」を犯していたはずがない。南陽に出たあの貴人たちも、皆が「六合」に逢っていたわけではない——こう言えば、命は信ずるに足りないようだ。しかし命はまた信ずべきでもある。《南史》に、沈攸之が「窮通顕達はおのずから命数ありと早く知っていれば、十年も多く書を読まなかったことを恨む」と言ったと記す。だから孔子は五十にして天命を知ると言い、孟子は命でないものはなく、正道に順ってそれを受けると言い、だから命を知る者は崩れかかった高い牆の下に立たない(《孟子・尽心上》に出る。原文は「巖牆」)。こう見ると、命が果たして信ずべきか否か、その精微奥妙、寂然として動かずして感ずれば遂に通ずる理は、実に言い尽くしがたい。
吾儕讀古人書,研摩命理,無非求際遇之順利,聲譽之暢達,素位而行,有從不背,要皆修身之一助耳。丁茲人心澆薄,世道衰微,講求命運,更應趨吉避凶,免非就是,為常務之急。餘不敢謂之命,只謂推命而已。
われわれが古人の書を読み命理を研鑽するのは、要するに際遇の順利と声名の通達を求め、おのが地位に安んじて為すべきことを為し、行いに遵るところあって本分に悖らぬためであり、突き詰めればすべて修身の一助にすぎない。この人心の軽薄で世の道が衰微する時にあって、命運を講ずるはいっそう吉に趨り凶を避け、誤りを避けて正しい道に入るという一点に落ち着くべきで、これこそ眼前の急務である。だから私は人の命を定めるとは敢えて言わず、人のために命を推するのみと言うにとどめる。
溯行道以還,所見富貴之命固多,貧賤之命,實亦不少。茲特先集百餘則,公諸同好,並加批註,籍為研究之資。至因革損益,論短評長,皆折衷於典籍。若云創作,則吾豈敢。如瑩巨碩宏文,進而教之,更幸甚矣。民國乙亥夏日浙江嘉興韋千里謹識於春申寓次。
この業に携わって以来、見てきた富貴の命は確かに多いが、貧賤の命も実に少なくない。いままず命例百数十則を選び集めて同好に公にし、逐条に批注を加え、研究の資料とする。そのなかで因襲する所、変革する所、増剛する所があり、長短得失を評論するにあたっては、いずれも典籍を折衷の準則とした。これを私の創作だと言うなら、私は敢えて当たらない。もし識見宏博の大手筆がさらに進んで教えてくださるなら、これに過ぎる幸いはない。民国乙亥年の夏、浙江嘉興の韋千里、春申(上海)の寓所にて謹記。
起例問答
問:何謂十天干,十二地支。答:甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸,此為十天干;子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥,此為十二地支。問:何謂六十花甲子?答:十天干,十二地支以次聯貫,即構成下列六十花甲子。甲子,乙丑,丙寅,丁卯,戊辰,己巳,庚午,辛未,壬申,癸酉,甲戌,乙亥,丙子,丁丑,戊寅,己卯,庚辰,辛己,壬午,癸未,甲申、己酉,丙戌,丁亥,戊子,己丑,庚寅,辛卯,壬辰,癸巳,甲午,己未,丙申,丁酉,戊戌,己亥,庚子,辛丑,壬寅,癸卯。甲辰,乙巳,丙午,丁未,戊申,己酉,庚戌,辛亥,壬子,癸丑,甲寅,乙卯,丙辰,丁巳,戊午,己未,庚申,辛酉,壬戌,癸亥。
問:十天干・十二地支とは何か。答:甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の十文字を「十天干」といい、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二文字を「十二地支」という。八字の学全体に用いる符号はすべてこの二十二文字から成るので、まずよく記憶しなければならない。問:六十花甲子とは何か。答:十天干と十二地支を順に一ずつ配する。甲に子を配し、乙に丑を配し、丙に寅を配し、逐位並べて下へ推す。天干は十位、地支は十二位で、陽干は陽支にのみ配り、陰干は陰支にのみ配るので、百二十組にはならず、第六十組の癸亥で尽き、それより下は再び甲子に戻って循環し続ける。この六十組の干支を「六十花甲子」という(略して六十甲子とも)。年月日時の四柱に用いる干支は、すべてこの六十組から取る。以下に列挙するのがこの六十組で、甲子に始まり癸亥に終わる。ここで底本の排印に訛字がある。第十八位の「辛己」は辛巳の誤り、第二十二位の「己酉」は乙酉の誤り、第三十二位の「己未」は乙未の誤りである。いまは底本に依ってそのまま写すので、読者は甲子から癸亥までの順序によって自ら核正されたい。
問:四柱是否指年柱,月柱,日柱,時柱。答:然,每柱一干一支,四柱共四干四支,即俗所謂八字是也,例如:甲子(此年柱也)、丙寅(此月柱也)、乙丑(此日柱也)、己卯(此時柱也)。問:假如今年癸酉,其人三十七歲,何以知其所生一處為丁酉。答:此非用推年法不可矣,推年之法多端,干支分推,較為簡便,詳述如下:
問:いわゆる「四柱」とは、年柱・月柱・日柱・時柱を指すのか。答:そのとおりである。各柱は天干一つに地支一つを加えて成り、四柱を合わせれば天干四つ・地支四つ、都合八字なので、俗に「八字」という。排せば次のような形式になる。甲子は年柱、丙寅は月柱、乙丑は日柱、己卯は時柱。四柱は竪に排し、年が最上、時が最下。これが推命の底盤である。問:たとえば今年が癸酉年で、ある人が三十七歳のとき、どうして生年が丁酉年と分かるのか。答:これには推年の法を用いなければならない。推年の法はいくつかあるが、そのうち天干と地支を分けて各々推すのが最も簡便で、以下に詳しく述べる(民国の人は多く虚歳だけを報し干支を記憶しなかったので、韋氏はまず歳から生年を逆推する法を読者に教える)。
推所生之年干:必先將其人歲數之零數,從今年天干起,逆推至若干位,即以其干,為生年天干。(歲數若為整十無零,則作十數論)例如三十七歲,七為零數,今年癸酉,自癸至丁,逆數是得七位(癸一壬二辛三庚四己五戊六丁七),即知所生之年,天干值丁。
まず生年の天干を推す。その法は、その人の歳数の一の位を取り、今年の天干から起算して、それだけの位数を逆に遡って数える。数え至った天干が生年の天干である。歳数がちょうど十の倍数で一の位が零なら、十として数える。こう逆数できるのは、天干が十位で十年一巡するので、一の位がちょうど生年天干と今年天干との間の位差に等しいからである。例を挙げよう。三十七歳なら一の位は七、今年の天干は癸、癸から逆に七位を遡る——癸が第一、壬が第二、辛が第三、庚が第四、己が第五、戊が第六、丁が第七——数え至るのが丁と分かれば、生年の天干は丁である。
推所生之年支:必先將其人歲數除十二,視其餘數若干,從今年地支起,逆推至若干位。即以其支為生年地支。(若除盡無餘,即作十二數論)例如三十七歲,除三個十二,尚餘一數。今年癸酉,酉屬第一位,即知所生之年,地支值酉(合觀上例,可以知為丁酉年生,即以丁酉兩字,排入年柱可也)
次に生年の地支を推す。その法は、歳数を十二で除して余りを見、今年の地支から起算して、その位数だけ逆に遡って数え、数え至った地支が生年の地支である。ちょうど除し尽くして余りがなければ、十二として数える。理は前条と同じで、地支は十二位、十二年一巡するので、歳数を十二で除した余りが、生年地支と今年地支の隔たりの位数である。例を挙げよう。三十七歳には十二が三つ含まれ、余りは一。今年の地支は酉で、酉自身を第一位と数えるから、生年の地支は酉。前条で推した天干の丁と合わせれば、この人は丁酉年の生まれと分かり、「丁酉」の二字を年柱に排して成る。
又如四十八歲。除四個十二,並無餘數。故必須作十二數論,今年癸酉。自酉至戌,逆數適得十二位(酉一申二未三午四巳五辰六卯七寅八丑九子十亥十一戌十二),即知所生之年,地支值戌。又如四十歲。除三個十二,尚餘四數今年癸酉,自酉至午,逆數適得四位(酉一申二未三午四)。即知其所生之年,地支值午。
さらに二例を挙げよう。四十八歳の人:四十八のなかに十二が四つ含まれ、ちょうど除し尽くして余りがないから、上文の規則により十二として数える。今年の地支は酉で、酉から十二位を逆数する——酉が一、申が二、未が三、午が四、巳が五、辰が六、卯が七、寅が八、丑が九、子が十、亥が十一、戌が十二——数え至るのが戌と分かれば、生年の地支は戌である。また四十歳の人:四十のなかに十二が三つ含まれ、余りは四、今年の地支はやはり酉で、酉から四位を逆数する——酉一・申二・未三・午四——数え至るのが午と分かれば、生年の地支は午である。二例とも明らかなように、余りが零のときは十二に繰り上げて数えなければ、まるまる一巡少なく数えることになる。
問:如甲子年,自元旦至除夕,是否始終作甲子推算。答:未可固定。蓋推年以立春為標準,其區別有三也。(一)在本年立春後生者,即以本年之干支,排為年柱。(二)在本年立春前生者,即以上一年之干支,排為年柱。(三)在本年十二月立春後生者,即以下一年之干支,排為年柱。列例如左下:
問:たとえば甲子年、正月の朔日から臘月の晦日まで、終始ずっと甲子で推すのか。答:一概には言えない。年柱の推し方は旧暦の正月朔日を境とせず、「立春」という節気を境とする。一年の干支は立春を交えた瞬間に初めて入れ替わる。ゆえに三つの場合がある。第一、その年の立春の後に生まれた者は、その年の干支で年柱を排す。第二、その年の立春の前に生まれた者(すでに正月朔日を過ぎていても節気がまだ来ていない)は、やはり前年の干支で年柱を排す。第三、その年の十二月に生まれてすでに翌年の立春を交えた者(臘月に立春があり節気はすでに来年に属する)は、翌年の干支で年柱を排す。以下順に例を挙げて説明する。
例一:假定三十七歲,正月初二日亥時生人。照今年癸酉計算,三十七歲,當為丁酉。萬年曆載明是年正月初二日戌時立春,是亥時在戌時之後,已過立春,即以本年干支,丁酉兩字,排為年柱。例二:假定三十七歲正月初二日酉時生人,照今年癸酉計算,三十七歲,當為丁酉,萬年曆載明是年正月初二日戌時立春。是酉時在戌時之前,猶未立春。應以上一年之干支,丙申兩字,排為年柱(丁酉上一年為丙申)。
例一:ある人が三十七歳で、正月二日の亥時(夜九時から十一時)生まれと仮定する。今年の癸酉から逆推すれば三十七歳は丁酉年生まれのはず。万年暦を調べると、その年の正月二日戌時(夜七時から九時)に立春を交え、亥時は戌時より後で、出生時は立春がすでに過ぎているから、本年の干支「丁酉」の二字で年柱を排す。例二:別の人も同じく三十七歳だが、正月二日酉時(午後五時から七時)生まれと仮定する。同じく丁酉年に逆推されるが、万年暦にはその年の正月二日戌時に立春とある。酉時は戌時より前で、出生時はまだ立春を交えていないから、年柱には丁酉を用いず、前年の干支「丙申」の二字に退いて排す(丁酉の前年はちょうど丙申)。同じ日生まれでただ二時辰違うだけで、年柱はまるまる一年違う。節気の分界の厳しさがわかる。
例三:假定三十六歲,十二月二十四日已時生人,照今年癸酉計算,三十六歲,當為戊戌,萬年曆載明是年十二月二四日辰時立春,是已時在辰時之後,已過立春,應以下一年之干支,已亥兩字,排為年柱。(戊戌下一年為己亥)。
例三:ある人が三十六歳で、十二月二十四日巳時(午前九時から十一時)生まれと仮定する。今年の癸酉から逆推すれば三十六歳は戊戌年生まれのはず。万年暦を調べると、戊戌年十二月二十四日辰時(午前七時から九時)に立春を交え、巳時は辰時より後で、出生時はすでに立春を交えている。すると旧暦上はまだ戊戌年の臘月にいるが、年柱は翌年の干支「己亥」の二字で排さなければならない。戊戌の翌年はちょうど己亥だからである。これが上文の第三の場合で、臘月生まれは特に立春の時刻を調べ明かす必要があり、さもないと年柱全体が誤る(底本のこの条の「已時」「已亥」の「已」はいずれも「巳」「己」の誤植である)。
問:每年十二月建,是否固定。答:此誠固定也。正月建寅,二月建卯,三月建辰,四月建巳,五月建午,六月建未,七月建申,八月建酉,九月建戌,十月建亥,十一月建子,十二月建丑。
問:毎年十二箇月に配される「月建」(すなわち月柱の地支)は固定して変わらないか。答:この項はたしかに固定している。正月は必ず建寅、二月は建卯、三月は建辰、四月は建巳、五月は建午、六月は建未、七月は建申、八月は建酉、九月は建戌、十月は建亥、十一月は建子、十二月は建丑。年々こうであって変わらない。寅から始まるのは、夏暦が建寅の月を歳首とするからで、正月は寅に属し、以下月ごとに順に排して十二月にちょうど丑まで達する。月柱の地支は固定しているので、月柱を排す残る問題はただ一つ、その月の天干が何かということだけである。
問:如甲子年,正月建寅,固知其為寅月,然何以知其丙寅月。答:此非用推月法不可矣,推月之法,先須熟讀歌訣,歌曰:甲己之丙作首,乙庚之歲戊為頭,丙辛必定尋庚起,丁壬壬位順行流,更有戊癸何方覓,甲寅之上好追求,
問:たとえば甲子年、正月は建寅、寅月であることは分かるが、それが丙寅月であって他の寅でないことはどうやって分かるのか。答:これには推月の法を用いる。推月の法はまず口訣を暗記すること。口訣曰く、甲己之年丙作首、乙庚之歳戊為頭、丙辛必定尋庚起、丁壬壬位順行流、更有戊癸何方覓、甲寅之上好追求。この口訣は後世「五虎遁」と通称される(遁じて得るのがいずれも寅月で、寅は虎に属するため)。その作用は年の天干から正月の天干を定めることにあり、正月の干が定まれば、残りの各月は六十甲子に順じて排していくだけで定まる。底本の首句は「甲己之丙作首」で「年」の字が脱けており、通行本に依って「甲己之年丙作首」とすべきである。
甲己之年丙作首,甲年己年之正月,皆為丙寅,二月皆為丁卯,三月皆為戊辰,餘類推。乙庚之歲戊為頭,己年庚年之正月,皆為戊寅,二月皆為己印,三月皆為庚辰,餘類推。丙辛必定尋庚起,丙年辛年之正月,皆為庚寅。二月皆為辛卯,三月皆為壬辰,餘類推。丁壬壬位順行流,丁年壬年之正月,皆為壬寅,二月皆為癸卯,三月皆為甲辰,餘類推。更有戊癸何方覓,甲寅之上好追求,戊年癸年之正月,皆為甲寅,二月皆為乙卯,三月皆為丙辰,餘類推。
この口訣を逐句解説する。「甲己之年丙作首」:年干が甲または己であるものはすべて、正月は必ず丙寅、二月は順に推して丁卯、三月は戊辰、以下各月は六十甲子に順じて次々に推す。「乙庚之歳戊為頭」:年干が乙または庚であるものはすべて、正月は必ず戊寅、二月は己卯、三月は庚辰、あとはこれに準ず(底本のここの「己年庚年」は乙年庚年の誤り、「己印」は己卯の誤りで、いずれも排印の誤り)。「丙辛必定尋庚起」:年干が丙または辛であるものはすべて、正月は必ず庚寅、二月は辛卯、三月は壬辰、あとはこれに準ず。「丁壬壬位順行流」:年干が丁または壬であるものはすべて、正月は必ず壬寅、二月は癸卯、三月は甲辰、あとはこれに準ず。「更有戊癸何方覓、甲寅之上好追求」:年干が戊または癸であるものはすべて、正月は必ず甲寅、二月は乙卯、三月は丙辰、あとはこれに準ず。五組を合わせれば十の年干をちょうど尽くすので、年干さえ分かれば月柱の天干は暦書を引かずとも済む。
問:甲年正月為丙寅月,是否由初一日至三十日,均作正月丙寅推算。答:未可固定,蓋推月以節令為標準,其區別有三也。(一)在本月節令後生者,即以本月所遁干支,排為月柱。(二)在本月節令前生者,即以上月所適干支,排為月柱。(三)在本月下一節令前生者,即以下月所遁干支,排為月柱。
問:甲年の正月は丙寅月だとすると、朔日から晦日まで、月全体を丙寅で推すのか。答:一概には言えない。月柱を排すのは年柱と同じで、旧暦の朔や望を見ず、「節令」すなわち月ごとの「節」を見る。ゆえにやはり三つの場合がある。第一、その月の節令を交えた後に生まれた者は、その月に遁じて得た干支で月柱を排す。第二、その月の節令を交える前に生まれた者(月はすでに替わっても節気はまだ来ていない)は、前月に遁じて得た干支で月柱を排す。第三、その月に生まれてすでに次の月の節令を交えた者は、次の月に遁じて得た干支で月柱を排す。底本の第三条は「在本月下一節令前生者」となっているが、「前」は「后」の誤りで、下文の例六を見れば明らか。「所适干支」の「适」も「遁」の誤りである。
問:十二月節令,異同如何,請詳言之。答:正月立春節,二月驚蟄節,三月清明節,四月立夏節,五月芒種節,六月小暑節,七月立秋節,八月白露節,九月寒露節,十月立冬節,十一月大雪節,十二月小寒節。
問:十二箇月はそれぞれどの節令を境とするか、詳しく説明してほしい。答:正月は立春を節とし、二月は驚蟄を節とし、三月は清明を節とし、四月は立夏を節とし、五月は芒種を節とし、六月は小暑を節とし、七月は立秋を節とし、八月は白露を節とし、九月は寒露を節とし、十月は立冬を節とし、十一月は大雪を節とし、十二月は小寒を節とする。二十四気は二つずつ間を置き、奇数のものを「節」、偶数のものを「気」という(たとえば立春は節、雨水は気)。月を分けるのは「節」だけを用い「気」は用いず、どの節に交えればその月に入ったとみなす。この十二の節が月柱の十二の境界線で、必ずよく記憶しなければならない。
例一:如癸卯年三月初九日卯時生,萬年曆載明是年三月初九日辰時清明,是卯時在辰時之前,猶未清明(即未進三月節),應以二月所遁干支,排為月柱,列式於下。癸卯(年),乙卯(月)。例二:如癸卯年三月初九日辰時生,萬年曆載明是年三月初九日辰時清明,是辰時已交清明(即已交三月節),應以三月所遁干支排為月柱,列式於下。癸卯(年),丙辰(月)。
例一:癸卯年三月九日卯時(午前五時から七時)生まれ。万年暦を調べると、その年三月九日辰時に清明を交える。卯時は辰時より前で、清明はまだ交えておらず、すなわち三月の節にまだ入っていないから、月柱には三月を用いず、二月に遁じて得た干支に退く。癸卯年の年干は癸で、「戊癸之年甲寅頭」により正月は甲寅、二月は乙卯だから、年柱は癸卯、月柱は乙卯。例二:同じく癸卯年三月九日だが、辰時(午前七時から九時)生まれに変える。辰時はすでに清明を交え、すなわち三月の節に入っているから、三月に遁じて得た干支を用いるべきである。正月甲寅、二月乙卯、三月丙辰だから、年柱は癸卯、月柱は丙辰。二例は同日生まれで一時辰隔たるだけだが、月柱は乙卯から丙辰に変わる。
例三:如癸卯年十一月二十日丑時生,萬年曆載明是年十一月二十日丑時小寒,是丑時已交小寒(即已進十二月節),應以十二月所遁干支,排為月柱,列式於下。癸卯(年),乙丑(月)。例四:如癸卯年正月初八日卯時生,萬年曆載明是年正月初八日辰時立春,是卯時在辰時之前,未過立春(即未進正月節),不獨癸卯年作壬寅推(癸卯上一年為壬寅),且須以壬寅年十二月所遁干支,排為月柱(癸卯年正月之上一月,即壬寅年十二月。)列式於下。癸卯作壬寅(年),癸丑(月)。
例三:癸卯年十一月二十日丑時(夜一時から三時)生まれ。万年暦を調べると、その年十一月二十日丑時に小寒を交える。小寒は十二月の節で、すでに交えた以上、旧暦ではまだ十一月でも、月柱は十二月に遁じて得た干支を用いる。癸卯年の正月は甲寅で、順に数えて十二月は乙丑だから、年柱は癸卯、月柱は乙丑。例四:癸卯年正月八日卯時生まれ。万年暦を調べると、その年正月八日辰時に立春を交える。卯時は辰時より前で立春はまだ過ぎず、正月の節に入っていない。このときは月柱だけでなく年柱も退く。年柱は前年の壬寅に依って推し(癸卯の前年は壬寅)、月柱は壬寅年十二月に遁じて得た干支を用いる(癸卯年正月の一つ上の月がすなわち壬寅年十二月)。壬寅年の年干は壬で、「丁壬壬位順行流」により正月は壬寅、順に数えて十二月は癸丑だから、年柱は壬寅、月柱は癸丑。これが年月の両柱が同時に一歩退く場合である。
例五:如癸卯年正月初八日辰時生,萬年曆載明是年正月初八日辰時立春,是辰時已交立春(即已進正月節),應以癸卯年正月所遁干支,排為月柱,列式於下。癸卯(年),甲寅(月)。例六:如癸卯年十二月二十日申時生,萬年曆載是年十二月二十日未時立春是申時在未時之後,已過立春(即已進下一年之正月節),不獨癸卯年作甲辰年推(癸卯年下一年為甲辰),且須以甲辰年正月所遁干支,排為月柱(癸卯年十二月之下一月,即甲辰年正月)。列式於下。癸卯作甲辰(年),丙寅(月)。
例五:やはり癸卯年正月八日だが、辰時生まれに変える。辰時はちょうど立春を交える時で、立春はすでに入り、正月の節はすでに至ったから、癸卯年自体の正月に遁じて得た干支で月柱を排す。癸卯年の正月は甲寅だから、年柱は癸卯、月柱は甲寅。例四に比べてただ一時辰違うだけで、年月の両柱は壬寅・癸丑から癸卯・甲寅に変わる。例六:癸卯年十二月二十日申時(午後三時から五時)生まれ。万年暦を調べると、その年十二月二十日未時(午後一時から三時)に立春を交える。申時は未時より後で立春はすでに過ぎ、すなわちすでに翌年の正月の節に入っている。このとき年柱はさらに進んで甲辰に依って推し(癸卯の翌年は甲辰)、月柱も甲辰年正月に遁じて得た干支を用いる(癸卯年十二月の一つ下の月がすなわち甲辰年正月)。甲辰年の干は甲で、「甲己之年丙作首」により正月は丙寅だから、年柱は甲辰、月柱は丙寅(底本のこの条は「万年暦載明」の「明」の字が脱け、また「未時立春是申時」の間は断句すべきであるが、いまは原字のまま写す)。
例七:如癸卯年十二月二十日午時生。萬年曆載明是年十二月二十日未是立春。是午時在未時之前,猶未立春(即未進下一上之正月節),仍以癸卯十二月所遁干支,排為月柱,列式於下。癸卯(年),乙丑(月)。
例七:同じく癸卯年十二月二十日だが、午時(午前十一時から午後一時)生まれに変える。万年暦にその日未時に立春を交えるとある。午時は未時より前で立春はまだ交えておらず、すなわち翌年の正月の節にまだ入っていないから、依然として癸卯年十二月に遁じて得た干支で月柱を排す。癸卯年の正月は甲寅で、順に数えて十二月は乙丑だから、年柱は癸卯、月柱は乙丑。この例は例六と同日でただ二時辰違うだけだが、年月の両柱は甲辰・丙寅から癸卯・乙丑に退く。交節の時刻が分毫も曖昧にできないことがわかる(底本の「未是立春」の「是」は「時」の誤り、「下一上」は「下一年」の誤りで、いずれも排印の誤り)。
問:推日之法如何?答:較推年推月,皆為簡易,只須查看萬年曆,即知所生之日,是何干支。例如癸亥年正月初八日生人,是年萬年曆所載:申(初一日為庚申),正月小庚,午(十一日為庚午),辰(廿一日為庚辰)。既知初一日為庚申,屈指順推,則知初八日應為丁卯矣(庚申初一辛酉初二壬戌初三癸亥初四甲子初五乙丑初六丙寅初七丁卯初八),即以丁卯兩字,排為日柱,列式於下。癸亥(年),甲寅(月),丁卯(日)。
問:日柱を推す法はどのようなものか。答:年や月を推すよりも易しい。ただ万年暦を繙けば、生まれた日が何の干支か調べられる。日の干支は古来一日ごとに替わって断絶したことがなく、口訣では推算できず、暦書に頼るしかないからである。例を挙げよう。癸亥年正月八日生まれの人:その年の万年暦は正月の欄に「正月小」と注記し、庚申(一日)・庚午(十一日)・庚辰(二十一日)という三つの十に当たる日の干支を列挙している。ここで底本は竪排の小表で字の順が乱れているので、読むときは「正月小、庚申をもって一日とし、庚午をもって十一日とし、庚辰をもって二十一日とす」と還元しなければならない。一日が庚申と分かれば、指を折って順に数えるだけでよい。庚申が一日、辛酉が二日、壬戌が三日、癸亥が四日、甲子が五日、乙丑が六日、丙寅が七日、丁卯が八日。八日は丁卯と分かるから、「丁卯」の二字を日柱として排す。三柱を合わせれば年柱は癸亥、月柱は甲寅、日柱は丁卯。日干は八字のなかで最も肝要で、命主本人を表し、後文ではこれを「日主」または「身」と称する。
問:假如甲子日寅時,何由知其為丙寅時。答:此非用推時法不可矣,推時之法,先須熟讀歌訣,歌曰:甲己還加甲,乙庚丙作初,丙辛從戊起,丁壬庚子居,戊癸何方發,壬子是真途。
問:たとえば甲子日の寅時なら、それが丙寅時であることはどうやって分かるのか。答:これには推時の法を用いる。時柱の地支は固定している。子時・丑時・寅時……一日十二時辰が順に対応するので推す必要はなく、推すのは時柱の天干だけである。推時の法はまず口訣を暗記する。甲己還加甲、乙庚丙作初、丙辛從戊起、丁壬庚子居、戊癸何方發、壬子是真途。この口訣は後世「五鼠遁」と通称される(遁じて得るのがいずれも子時で、子は鼠に属するため)。その作用は日の天干から子時の天干を定めることにあり、子時の干が定まれば残りの十一時辰は順に推して得られる。
甲己還加甲,甲日己日之子時,皆為甲子,丑時皆為乙丑,寅時皆為丙寅,餘類推。乙庚丙作初,乙日庚日之子時,皆為丙子。丑時皆為丁丑,寅時皆為戊寅,餘類推。丙辛從戊起,丙日辛日之子時,皆為戊子,丑時皆為己丑,寅時皆為庚寅,餘類推。丁壬庚子居,丁日壬之子時,皆為庚子,丑時皆為己丑,寅時皆為庚寅,餘類推。戊癸何方發,壬子是真途,戊日癸日之子時,皆為壬子,丑時皆為癸丑,寅時皆為甲寅,餘類推。
この口訣を逐句解説する。「甲己還加甲」:日干が甲または己であるものはすべて、子時は必ず甲子、丑時は乙丑、寅時は丙寅、以下順に推す。上文で問うた甲子日寅時が丙寅時である根拠はここにある。「乙庚丙作初」:日干が乙または庚であるものはすべて、子時は丙子、丑時は丁丑、寅時は戊寅、あとはこれに準ず。「丙辛從戊起」:日干が丙または辛であるものはすべて、子時は戊子、丑時は己丑、寅時は庚寅、あとはこれに準ず。「丁壬庚子居」:日干が丁または壬であるものはすべて、子時は庚子、丑時は辛丑、寅時は壬寅(底本のここは前条の丙辛の「己丑」「庚寅」を誤って写しており、口訣に順じて改めるべきだが、いまは原字のまま写す。また「丁日壬之子時」は「日」の字が脱けている)。「戊癸何方發、壬子是真途」:日干が戊または癸であるものはすべて、子時は壬子、丑時は癸丑、寅時は甲寅、あとはこれに準ず。ここに年月日時四柱の排法がすべて整い、八字は排定できる。
問:請述十天干之陰陽。答:甲丙戊庚壬皆為陽,乙丁己辛癸皆為陰。問:大運部位從何起點,請詳述之。答:其起點皆根據所生之月建,如男命所生之年,天干屬陽,或女命所生之年,天干屬陽,運皆順行;男命所生之年,天干屬陰,或女命所生之年,運皆逆行。
問:十天干それぞれの陰陽の属性はどうなっているか。答:甲・丙・戊・庚・壬の五つは陽干、乙・丁・己・辛・癸の五つは陰干。十干の順序で奇数は陽、偶数は陰。この一層を記憶しておいてこそ、六神の陰陽の配合を推し出せる。問:「大運」(一生をいくつかの十年の運程に分け、十年ごとに一柱の干支を充てる)はどこから起こるのか、詳しく述べてほしい。答:起点はすべて生まれた月の月柱を準とし、すなわち月建から下へ順に排すか上へ逆に排すかである。排す方向は年干の陰陽と男女の性を合わせて決まる。陽年生まれの男命と陰年生まれの女命は大運が順行し、陰年生まれの男命と陽年生まれの女命は大運が逆行する。底本のこの句は排印に脱誤があり、「女命所生之年天干屬陽、運皆順行」と書いて、下文の四つの例(陽年の女命は逆行、陰年の女命は順行)とまさに矛盾する。「陽男陰女は順、陰男陽女は逆」の通例に依って訂正すべきである。
例如:男命甲子年,丙寅月生,甲屬陽,運皆順行,當從丙寅月建起點,順推而下。第一部運為丁卯,第二部運即為戊辰,以次遞進,列式於下。(第一部運)丁卯、(第二部運)戊辰、(第三部運)己已、(第四部運)庚午、(第五部運)辛未、(第六部運)壬申。
第一の例を挙げる。男命、甲子年丙寅月生まれ。年干の甲は陽に属し、陽年の男命で大運は順行する。順行なら、月柱丙寅の格を起点として六十甲子の順序に従い下へ排す。丙寅の次は丁卯だから第一步の大運は丁卯、その次は戊辰で第二步の大運、以下位ごとに递進する。排せば、第一步丁卯、第二步戊辰、第三步己巳、第四步庚午、第五步辛未、第六步壬申。起点は月柱そのものであって月柱の次の格ではないことに留意されたい。第一步の運は月柱を一位前へ推したものにすぎない(底本の「己已」は己巳の誤り)。
又如男命乙丑年戊寅月生,乙屬陰,運皆逆行,當從戊寅月建起點,逆推而上,第一部運為丁丑,第二部運即9為丙子,以次遞退,列式於下。(第一部運)丁丑、(第二部運)丙子、(第三部運)乙亥、(第四部運)甲戌、(第五部運)癸酉、(第六部運)壬申。
第二の例。男命、乙丑年戊寅月生まれ。年干の乙は陰に属し、陰年の男命で大運は逆行する。逆行でもやはり月柱戊寅を起点とするが、六十甲子の順序に従って逆に上へ退く。戊寅の前は丁丑だから第一步の大運は丁丑、その前は丙子で第二步、以下位ごとに递退する。排せば、第一步丁丑、第二步丙子、第三步乙亥、第四步甲戌、第五步癸酉、第六步壬申。前例と対照すれば、同じく月柱から起こしても、順と逆では排される干支がまったく異なり、方向を一度誤れば運程のすべてが誤ることが分かる(底本の「第二部運即9為丙子」の「9」は排印時に紛れ込んだ衍文である)。
又如女命乙丑年戊寅月生乙屬陰,運皆順行,當從戊寅月建起點,順推而下,第一部運為己卯,第二部運,即為庚辰,以次遞進,列式於下。(第一部運)己卯、(第二部運)庚辰、(第三部運)辛巳、(第四部運)壬午、(第五部運)癸未、(第六部運)甲申。
第三の例。女命、同じく乙丑年戊寅月生まれ。年干の乙は陰に属するが、これは女命で、陰年の女命は大運が順行する。そこで月柱戊寅を起点に下へ順に排す。戊寅の後は己卯で第一步の大運、その下は庚辰で第二步、以下递進する。排せば、第一步己卯、第二步庚辰、第三步辛巳、第四步壬午、第五步癸未、第六步甲申。この例は前例と八字がまったく同じだが、男女の別があるだけで運程が一順一逆となり、向かう先が正反対になる。これこそ「陽男陰女は順、陰男陽女は逆」という規則が最も分かれ目を見せるところである。
又如女命甲子年丙寅月生,甲屬陽,運皆逆行,當從丙寅月建起點,逆推而上,第一部運為乙丑,第二部運,即為甲子,以次遞退,列式於下。(第一部運)乙丑、(第二部運)甲子、(第三部運)癸亥、(第四部運)壬戌、(第五部運)辛酉、(第六部運)庚申。
第四の例。女命、甲子年丙寅月生まれ。年干の甲は陽に属し、陽年の女命は大運が逆行する。そこで月柱丙寅を起点に上へ逆に排す。丙寅の前は乙丑で第一步の大運、その前は甲子で第二步、以下递退する。排せば、第一步乙丑、第二步甲子、第三步癸亥、第四步壬戌、第五步辛酉、第六步庚申。この例は第一例と八字がまったく同じで男女だけが異なり、運程もちょうど逆転する。四例を合わせ見れば、順逆二つの場合と男女二つの身分がすべて網羅されているので、読者はなぞって行えばよい。
問:行運歲數,如何推算,亦請詳述。答:運若順行,從生日生時,數至最近未來節之日時;運若逆行,從生日生時,數至最近已往節之日時。每三日為一歲,每一日為百二十天,每一時為十天,如離節三日,則一歲行運,如離節一日,則落地百二十天行運,離節一時,則落地十天行運,每足三日,方算一歲,且須扣算清楚,某年某月某日時交運,不得混稱幾歲,列例如下。
問:運を起こす歳数はどう算えるのか、これも詳しく述べてほしい。答:大運が順行なら、生まれた日のその時辰から後へ向かって数え、最も近く来たるべき「節」の日時までを数える。大運が逆行なら、生まれた日時から前へ向かって数え、最も近くすでに過ぎた節の日時までを数える。数えた日数を次の比率で折算する。三日ごとに一歳、一日ごとに百二十日、一時辰ごとに十日。だから節まで三日なら一歳で運が起こり、節まで一日なら生まれてから百二十日で運が起こり、節まで一時辰なら生まれてから十日で運が起こる。必ず三日満ちて初めて一歳とし、満たない分は日と時辰に折って端数とする。しかも交運の年月日時を一つずつ明確に差し引き算し、「何歳で起運」とだけ曖昧に言って済ませてはならない。この折算法の理は、一つの節気がおよそ三十日を管し、一歩の大運が十年を管するので、三日がちょうど十年に当たり、一日が百二十日に当たり、一時辰が十日に当たるというものである。以下に例を挙げて説明する。
例一:男命甲子年正月十五日子時生。甲子(年)、丙寅(月)、戊辰(日)、壬子(時)。男命陽年干,運皆順行,從月建順推而下。(第一部運)丁卯、(第二部運)戊辰、(第三部運)己已、(第四部運)庚午、(第五部運)辛未、(第六部運)壬申。
例一:男命、甲子年正月十五日子時生まれ。四柱を排せば、年柱甲子、月柱丙寅、日柱戊辰、時柱壬子。年干の甲は陽に属し、陽年の男命で大運は順行する。そこで月柱丙寅を起点に下へ順に推して、第一步丁卯、第二步戊辰、第三步己巳、第四步庚午、第五步辛未、第六步壬申を得る。運の干支が排定したら、次に解決すべきはこの第一步の運が何歳から交わるかである(底本の「己已」は己巳の誤り)。
運屬順行,數到最近未來節之日時,生立春後,最之未來節即是驚蟄,萬年曆載明是年二月初二日寅時驚蟄,由正月十五日子時,數至二月初二日寅時,共十六天又二時,(正月小)以三天為一歲折之,即知為五歲多一天二時,應在五歲百四十日後起運,每一運管十年運管十年,故第一部運,五歲起行,第二部運,為十五歲起行,列式如下。
この命の大運は順行だから、生日生時から後へ数えて最も近い未来の節に至る。彼は立春の後に生まれたので、次の節は驚蟄である。万年暦を調べると、その年二月二日寅時に驚蟄を交える。正月十五日子時から二月二日寅時まで数えると、正月は小の月で二十九日しかないので、都合十六日と二時辰を得る。三日で一歳に折って算すれば、十六日のなかに三日が五つあり五歳を折得し、なお一日と二時辰が余る。一日は百二十日に折り、二時辰は二十日に折り、合わせて百四十日。ゆえにこの人は五歳と百四十日の後に運を起こすべきである。一歩の大運は十年を管するので、第一步運は五歳で上に交わり、第二步運は十五歳で上に交わり、以下十年ごとに递进する。排列は次のとおり(底本の「最之未来節」は「近」の字が脱け、「每一運管十年運管十年」は四字が重出しており、いずれも排印の誤り)。
五歲丁卯、十五戊辰、二五己巳、三五庚午、四五辛未、五五壬申。自甲子年正月十五日子時計算,必至己巳年正月十五日子時,(乙丑一丙寅二丁卯三戊辰四己巳五)方算五歲足,再加百四十天,即知為己巳年六月初五日,始行第一部丁卯運,以次遞推,其為己卯年行第二部戊辰運,己丑年行第三部己巳運,顯而易知,蓋一運管十年,而十干亦周而復始也,若簡稱每逢己年六月初五日子時交換,亦可。
運程を列挙すれば、五歳に丁卯運、十五歳に戊辰運、二十五歳に己巳運、三十五歳に庚午運、四十五歳に辛未運、五十五歳に壬申運を行く。さらに交運の確かな日を差し引き算出する。甲子年正月十五日子時から算して、己巳年正月十五日子時に至って初めて五歳に満つ(乙丑が一年、丙寅が二年、丁卯が三年、戊辰が四年、己巳が五年)。この上に百四十日を加えれば己巳年六月五日を得、この日に初めて第一步の丁卯運を行く。以後これに準じて递推する。己卯年に第二步戊辰運を行き、己丑年に第三步己巳運を行く。一望して分かるのは、一歩の運が十年を管し、天干もちょうど十位一巡するので、交運の年の年干はつねに同じ「己」の字となるからである。手間を省くなら、簡単に「己年六月五日子時ごとに運を換える」と言ってもよい。
例二:女命甲子年正月十五日子時生。甲子(年)、丙寅(月)、戊辰(日)、壬子(時)。女命陽年干,運皆逆行,從月建逆推而上。(第一部運)乙丑、(第二部運)甲子、(第三部運)癸亥、(第四部運)壬戊、(第五部運)辛酉、(第六部運)庚申。
例二:女命、生辰は例一とまったく同じで、同じく甲子年正月十五日子時。四柱も同じく年柱甲子・月柱丙寅・日柱戊辰・時柱壬子。ただし年干の甲は陽に属するが、これは女命で、陽年の女命は大運が逆行する。そこで月柱丙寅を起点に上へ逆に推して、第一步乙丑、第二步甲子、第三步癸亥、第四步壬戌、第五步辛酉、第六步庚申を得る。八字は一字も違わないのに、男女が異なるだけで六歩の運がまったく別となり、運を起こす歳数もこれに随って変わる(底本の「壬戊」は壬戌の誤り)。
運屬逆行,數至最近已往節之日時,生立春後,最近之已往節,即是立春,萬年曆載明,是年正月初一日巳時交立春,由正月十五日子時,數至正月初一日巳時,共十三天又七時,以三天為一歲折之,即知為四歲多一天七時,應在四歲百九十日後起運,每一運管十年,故第一部四歲起行,第二部十四歲起行,列式如下。
この命の大運は逆行だから、生日生時から前へ数えて最も近いすでに過ぎた節に至る。彼女は立春の後に生まれたので、最も近い已過の節は立春そのものである。万年暦を調べると、その年正月一日巳時に立春を交える。正月十五日子時から逆に数えて正月一日巳時まで、都合十三日と七時辰を得る。やはり三日で一歳に折って算すれば、十三日のなかに三日が四つあり四歳を折得し、なお一日と七時辰が余る。一日は百二十日に折り、七時辰は七十日に折り、合わせて百九十日。ゆえに彼女は四歳と百九十日の後に運を起こすべきである。一歩の運は十年を管するので、第一步運は四歳で上に交わり、第二步運は十四歳で上に交わる。下文に列挙する。
四歲乙丑、十四甲子、二四癸亥、三四壬戌、四四辛酉、五四庚申。自甲子年正月十五日子時計算,必至戊辰年正月十五日子時,方算四歲足,(乙丑一丙寅二丁卯三戊辰四)再加百九十天。即知為戊辰年七月甘五日子時,始行第一部乙丑運,以次遞推。其為戊寅年行第二部甲子運,戊子年行第三部癸亥運,顯而易知,蓋一運管十年,而十干亦周而復始也,若簡稱每逢戊年七月廿五日子時交換,亦可。
運程を列挙すれば、四歳に乙丑運、十四歳に甲子運、二十四歳に癸亥運、三十四歳に壬戌運、四十四歳に辛酉運、五十四歳に庚申運を行く。交運の確かな日も同じく差し引き算出する。甲子年正月十五日子時から算して、戊辰年正月十五日子時に至って初めて四歳に満つ(乙丑が一年、丙寅が二年、丁卯が三年、戊辰が四年)。さらに百九十日を加えれば戊辰年七月二十五日子時となり、この刻から第一步の乙丑運を行く。以後递推して、戊寅年に第二步甲子運を行き、戊子年に第三步癸亥運を行く。同じく一歩の運が十年で天干が十位一巡するので、交運の年の年干はつねに「戊」の字となる。ゆえに略して「戊年七月二十五日子時ごとに運を換える」と言ってもよい(底本の「七月甘五日」の「甘」は廿の誤り)。
問:何為五行。答:金木水火土是也。問:五行之生克如何。答:金生水,水生木,木生火,火生土,土生金;金克木,木克土,土克水,水克火,火克金。問:請述十天干,十二地支之五行。答:甲乙寅卯皆為木,丙丁己午皆為火,戊己辰戌丑未皆為土,庚辛申酉皆為金,壬癸亥子皆為水。寅辰已申戌亥為陽,子丑卯午未酉為陰。
問:五行とは何か。答:金・木・水・火・土の五つである。問:五行の間の生と克はどう説くか。答:相生は一環が一環を生ずることで、金は水を生じ、水は木を生じ、木は火を生じ、火は土を生じ、土はまた金を生じて、循環してやまない。相克は一位隔てて制し合うことで、金は木を克し、木は土を克し、土は水を克し、水は火を克し、火は金を克す。命学全体の推演はすべてこの二つの連鎖の上に立つ。問:十天干・十二地支はそれぞれ何の五行に属するか。答:甲・乙・寅・卯はみな木に属し、丙・丁・巳・午はみな火に属し、戊・己・辰・戌・丑・未はみな土に属し、庚・辛・申・酉はみな金に属し、壬・癸・亥・子はみな水に属する。地支の陰陽は、寅・辰・巳・申・戌・亥を陽とし、子・丑・卯・午・未・酉を陰とする(底本の「丙丁己午」「寅辰已申」の二か所の「己」「已」はいずれも巳の誤り。また地支の陰陽は、通行の説では子・寅・辰・午・申・戌を陽とし、丑・卯・巳・未・酉・亥を陰とするが、ここの所列と異なる。韋氏のこの表は四柱の取用の際の実際の剛柔について言うものと思われるので、読者は両説を併せ存すべきである)。
問:十二地支,中藏何物。答:子中藏癸水;丑中藏己土、辛金、癸水;寅中藏甲木、丙火、戊土;卯中藏乙木;辰中藏乙木、癸水、戊土;巳中藏丙火、戊土、庚金;午中藏丁火、己土;未中藏乙木、己土、丁火;申中藏庚金、壬水、戊土;酉中藏辛金;戌中藏辛金、丁火、戊土;亥中藏壬水、甲木。
問:十二地支のなかにはそれぞれ何が蔵されているか。答:地支は天干のように五行が一種だけではなく、その内部に一つから三つの天干を含んでおり、術語で「人元」といい、「蔵干」ともいう。子のなかに癸水を蔵し、丑のなかに己土・辛金・癸水を蔵し、寅のなかに甲木・丙火・戊土を蔵し、卯のなかには乙木のみを蔵し、辰のなかに乙木・癸水・戊土を蔵し、巳のなかに丙火・戊土・庚金を蔵し、午のなかに丁火・己土を蔵し、未のなかに乙木・己土・丁火を蔵し、申のなかに庚金・壬水・戊土を蔵し、酉のなかには辛金のみを蔵し、戌のなかに辛金・丁火・戊土を蔵し、亥のなかに壬水・甲木を蔵す。子・卯・酉の三支は各々一干だけを蔵し、最も純粋である。四生の地(寅申巳亥)と四墓の地(辰戌丑未)は各々三干を蔵し、情形が最も雑である。推命のときは天干に見える力のほかに、これらの蔵干も併せて計算に入れなければ、強弱軽重をすべて算し誤る。これが後文《人元篇》で専ら論ずるところである。
問:何為財,官,印,食,比,劫,傷,殺。答:皆五行生剋之代名詞也。問:請述財官印等之構成。答:生我者,陽見陽,或陰見陰,為梟神;陰見陽,或陽見陰,為正印。我生者,陽見陽,或陰見陰,為食神;陰見陽,或陽見陰,為傷官。克我者,陽見陽,或陰見陰,為七殺;陰見陽,或陽見陰,為正官。我克者,陽見陽,或陰見陰,為偏財;陰見陽,或陽見陰,為正財。仝我者,陽見陽,或陰見陰,為比肩;陰見陽,或陽見陰,為劫財。
問:財・官・印・食・比・劫・傷・殺という名目は何を意味するか。答:いずれも五行の生克関係の代名詞にすぎず、後世これを総称して「十神」という。問:それぞれどう構成されるのか説明してほしい。答:一律に日干という「我」を中心とし、まず生克の関係を見、次に陰陽の同異を見て、この二項を合わせて名を定める。我を生ずるもので、陰陽が同じ(陽が陽に見るか陰が陰に見る)を「梟神」といい、すなわち偏印。陰陽が異なる(陰が陽に見るか陽が陰に見る)を「正印」という。我が生ずるもので、陰陽が同じを「食神」、陰陽が異なるを「傷官」という。我を克するもので、陰陽が同じを「七殺」、陰陽が異なるを「正官」という。我が克するもので、陰陽が同じを「偏財」、陰陽が異なるを「正財」という。我と同類のもの(原文の「仝」は同の字)で、陰陽が同じを「比肩」、陰陽が異なるを「劫財」という。凡そ陰陽の同じ一路はその気が偏して急なので、名はみな偏・梟・殺・劫の意を帯び、陰陽の異なる一路はその気が正しく和なので、名はみな正の字を帯びる。この一層の区別が、全書で用神を取り格局を定める根本である。
問:再請舉例明之,我字指何物。答:我字即日干,例如甲木日干,遇丁火,甲為陽木,丁為陰火,甲木能生丁火,丁乃我生而陽見陰,即傷官也,又如辛金日干,遇乙木。辛為陰金,乙為陰木,辛金能克乙木,乙乃我克而陰見陰,即偏財也,特立表於後,以便檢查。
問:さらに例を挙げて説明してほしい。いわゆる「我」とは結局何を指すのか。答:「我」は日柱の天干、すなわち日干で、命学では「日主」とも称し、八字の残り七字はすべてこれを参照として用いる。例を挙げよう。甲木の日干が丁火に遇う。甲は陽木、丁は陰火で、木は火を生じるから、丁は我の生ずる一方であり、しかも陽が陰に見て陰陽が異なるので、前条の規則により「傷官」となる。また辛金の日干が乙木に遇う。辛は陰金、乙は陰木で、金は木を克するから、乙は我の克する一方であり、しかも陰が陰に見て陰陽が同じなので、規則により「偏財」となる。査検に便なように、十干を相配した結果をあらかじめ次の二つの表に列挙する。
天干財官印等檢查表:日干、比肩、劫財、梟神、正印、偏財、正財、七殺、正官、食神、傷官。甲:甲、乙、壬、癸、戊、己、庚、辛、丙、丁。乙:乙、甲、癸、壬、己、戊、辛、庚、丁、丙。丙:丙、丁、甲、乙、庚、辛、壬、癸、戊、己。丁:丁、丙、乙、甲、辛、庚、癸、壬、己、戊。戊:戊、己、丙、丁、壬、癸、甲、乙、庚、辛。己:己、戊、丁、丙、癸、壬、乙、甲、辛、庚。庚:庚、辛、戊、己、甲、乙、丙、丁、壬、癸。辛:辛、庚、己、戊、乙、甲、丁、丙、癸、壬。壬:壬、癸、庚、辛、丙、丁、戊、己、甲、乙。癸:癸、壬、辛、庚、丁、丙、己、戊、乙、甲。
これは天干の十神検査表である。表頭は左から右へ順に、日干・比肩・劫財・梟神・正印・偏財・正財・七殺・正官・食神・傷官で、各行の最初の字が日干、その後の十字が順にその日干に対応する十神である。読み方の例:甲日干の行では、比肩は甲、劫財は乙、梟神(偏印)は壬、正印は癸、偏財は戊、正財は己、七殺は庚、正官は辛、食神は丙、傷官は丁。乙日干の行では比肩が乙、劫財が甲、梟神が癸、正印が壬、偏財が己、正財が戊、七殺が辛、正官が庚、食神が丁、傷官が丙。以下丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸の八行は読み方が同じ。一つの規律が見える。陰干と陽干の同名の十神がちょうど入れ替わっていることで、たとえば甲の正印は癸で乙の正印は壬。陰陽が一変すれば正偏もまた倒れるからである。この表は暗記する必要はなく、前条の構成の法を明らかにすれば、いつでも自分で推し出せる。
地支財官印等檢查表:日干、比肩、劫財、梟神、正印、偏財、正財、七殺、正官、食神、傷官。甲:寅、卯、亥、子、辰戌、丑未、申、酉、巳、午。己:卯、寅、子、亥、丑未、辰戌、酉、申、午、己。丙:巳、午、寅、卯、申、酉、亥、子、辰戌、丑未。丁:午、巳、卯、寅、酉、申、子、亥、丑未、辰戌。戊:辰戌、丑未、巳、午、亥、子、寅、卯、申、酉。己:丑未、辰戌、午、巳、子、亥、卯、寅、酉、申。庚:申、酉、辰戌、丑未、寅、卯、巳、午、亥、子。辛:酉、申、丑未、辰戌、卯、寅、午、巳、子、亥。壬:亥、子、申、酉、巳、午、辰戌、丑未、寅、卯。癸:子、亥、酉、申、午、巳、丑未、辰戌、卯、寅。
これは地支の十神検査表で、表頭の次序は前表と同じ。異なるのは、地支は十二位あるのに五行は五種しかないので、土の四支を二つずつ並列すること。辰戌は同じく陽土に属し、丑未は同じく陰土に属する。読み方の例:甲日干の行では、比肩は寅、劫財は卯、梟神は亥、正印は子、偏財は辰戌、正財は丑未、七殺は申、正官は酉、食神は巳、傷官は午。丙日干の行は比肩が巳、劫財が午、梟神が寅、正印が卯、偏財が申、正財が酉、七殺が亥、正官が子、食神が辰戌、傷官が丑未。以下各行はこれに準じて推す。この表に取るのは地支の本気、すなわちその支に蔵する諸干のうち最も令に当たる一つで、支中に蔵する余気はまた別論である。底本の第二行の日干は誤って「己」と刻してあるが、乙であるはず。同行の末の一字「己」は巳の誤りで、読者は甲・乙・丙・丁……の次序に依れば自ずと見出せる。
問:地支內所苦藏之字,其財官印綬,推法如何?答:與推天干相同,詳參天干財官印等檢查表。按干、支、花甲子,排命,排運,五行,生克,財官印綬等,為推命之起端,學者不可不知,且不可不熟讀,否則如作文之不諳題目,文章何由而成。
問:地支のなかに蔵するあの干の財・官・印綬はどう推すのか。答:推す法は天干を推すのとまったく同じで、蔵干を天干と見なし、上の天干検査表に照らして査べればよい(底本の「所苦蔵」の「苦」は「暗」の誤り)。総括していえば、天干地支・六十花甲子・四柱を排す・大運を排す・五行・生克・財官印綬の一そろいは、みな推命の入手工夫で、学ぶ者は知らないでは済まされず、しかも熟読して誦するに足るまででなければならない。さもなければ文章を作る人が題目すら明らかにしないようなもので、文章はどこから作り始めよう。この一段は《起例問答》の結語で、以下の各篇で初めて義理の討論に入る。
