両現章第三十二
用神兩現,如占父母卦中兩爻父母者是也。舍其休囚,用其旺相,舍其靜爻,而用動爻,舍其月破,而用不破,舍其旬空,用其不空,舍其被傷,用其不傷。此古法也。得其驗者,應乎旬空月破,舍其不空,而用旬空,舍其不破,而用月破。
いわゆる「用神両現」は、卦中同一の位の六親の両爻出現するを指す。譬如父母を占うて卦裡に両個の父母爻有るがごとし。旧法の取舍は、休囚を舍てて旺相を取り、静爻を舍てて動爻を取り、月破を舍てて破せざるを取り、旬空を舍てて空ならざるを取り、傷剋せらるるを舍てて傷を受けざるを取る。これは古法なり。しかるに野鶴老人の親試して得たる所は、応験するは反って常に旬空・月破のあの一爻上に在り。空ならざるを舍てて旬空のを用い、破せざるを舍てて月破のを用う。
如未月庚子日占求財得風天小畜 兄弟卯木′ 兄弟卯木′ 子孫巳火′ 子孫巳火′ 妻財未土″應 妻財未土″應 妻財辰土′ 妻財辰土′ 兄弟寅木′ 兄弟寅木′ 父母子水′世 父母子水′世 應臨月建之財以克世,許之必得,彼問何時到手,餘以次日辛丑沖動未財日得,卻得於辰土出空之日,此乃舍其不空而用旬空。
如く未月庚子日に求財を占いて、「風天小畜」を揺出す。六爻安静にして、上爻兄弟卯木、五爻子孫巳火、四爻妻財未土(応爻)、三爻妻財辰土、二爻兄弟寅木、初爻父母子水(世爻)。卦中財爻両現す。応爻未土財は正に未月の月建に臨む。土来たりて世爻子水を剋す。財爻世を剋するは財必ず手に到るを主る。野鶴老人便ち彼に一定に財を得べしを許す。あの人何れの時に手に到るかを問う。野鶴老人本來以て第二天辛丑日は丑未相沖して、未土財爻を沖動せば便ち得べしと為せり。結果は却って三爻辰土の空を出づるのあの一日に得たり。これ即ち空ならざる未土を舍てて、反って旬空の辰土上に応じたるなり。
未月甲午日占升遷得師之渙卦 父母酉金″應 動 子孫卯木′ 兄弟亥水″ 動 妻財巳火′世 官鬼丑土″ 官鬼未土″ 妻財午火″世 妻財午火″ 官鬼辰土′ 官鬼辰土′應 子孫寅木″ 子孫寅木″ 斷曰:世爻極旺,既臨日建又得月令作官星而合世,但卦中官星兩現,一空一破,至辰年官而出空一定高升,然反吟於外卦,當得驗者,去而復來,果於辰年,調於河南,五月因他故,又調回楚,十月而升督府,十年兩調一升,皆應實空之年也。
未月甲午日に升遷を占いて、「地水師」を揺出して「風水渙」に変ず。上より下へ、上爻父母酉金(応爻、発動、子孫卯木を変)、五爻兄弟亥水(発動、妻財巳火を変、変卦の世と為る)、四爻官鬼丑土(官鬼未土を変)、三爻妻財午火(世爻)、二爻官鬼辰土(変卦中に応と為る)、初爻子孫寅木。野鶴老人断じて曰く、世爻午火極旺なり。すでに甲午日の日建にして、また未月月令の生扶を得、未土なお官星を作して来たりて世を合す。ただ是れ卦中官星両現し、一個は空に落ち一個は破に逢う。辰年に到りて官星空を出でて才に一定に高陞せん。又外卦「反吟」を成すに因る。反吟は去りて復た返るを主る。故になお會に調べ去りて再び調べ回る。後に果たして辰年に河南に調へられ、五月に別の縁故に因りてまた湖広に調べ回り、十月に升任して総督と為れり。十年の間に両調一升し、皆填実空亡の年份上に応じたり。
又如亥月丙午日母占子何日脫厄,得豫之歸妹 妻財戌土″ 妻財戌土″應 官鬼申金″ 官鬼申金″ 子孫午火′應 子孫午火′ 兄弟卯木″ 妻財丑土″世 子孫巳火″ 動 兄弟卯木′ 妻財未土″世 動 子孫巳火′ 餘見卦中三現子孫,俱生世爻,午逢日建而靜,兩爻巳火逢月破許巳年脫厄,乃實破之年也,果脫厄於巳年。此乃卦中用神三現,而用逢破之爻也。
又如く亥月丙午日、母親は兒子のいずれの天に難を脱するかを占いて、「雷地豫」を揺出して「雷沢帰妹」に変ず。上より下へ、上爻妻財戌土(変卦中に応と為る)、五爻官鬼申金、四爻子孫午火(応爻)、三爻兄弟卯木(妻財丑土を変、変卦の世と為る)、二爻子孫巳火(発動、兄弟卯木を変)、初爻妻財未土(世爻、発動、子孫巳火を変)。母の子を占うは子孫を以て用神と為す。野鶴老人卦中子孫三現し、皆来たりて世爻を生ずるを見る。四爻午火は正に丙午日の日建に当たるも安静にして動かず。二爻巳火と初爻の変ずる所の巳火と皆亥月に沖せられ、正に月破なり。彼便ち巳年の厄を脱するを許す。それは「実破」の年なり。後に果たして巳年に難を脱せり。これ即ち用神三現して偏偏あの破に逢うの爻を取るの例子なり。
野鶴曰:餘竟以月破而斷年者,非只此一卦也。因此位老夫人之長公棄封疆而歸,本人自身占過,申金子孫發動,動逢合乃應巳年;弟又占兄,申金兄動亦應巳年,此卦巳火子孫回頭生世,雖逢月破,合前二卦故敢許以巳年,以卜易者一則全其靈機達變,二則卦要留神記之,若不留心記得前卦,此卦午火日建生世,何不許其午年,況午歲又是合世之年,何敢許其巳年,許巳年者,因合前卦而斷也。
野鶴老人曰く、我月破の爻を拿げて年份を断ずるは、この一卦に止まらず。この位の老夫人の長子は封疆大吏の職を辞して郷に回れり。他自己先に一卦を占えり。申金子孫発動して、動じて合に逢う(巳申相合)。巳年に応ず。他弟弟また哥哥を占えば、申金兄爻発動して、亦巳年に応ず。この一卦に到りて、巳火子孫動じて回頭して世を生ず。月破に逢うといえども、前の両卦に合せて看れば、故に才に敢えて巳年を許す。卜易を學ぶの人は、一要に全て靈機応変を憑り、二要に占い過ぎたる卦を留心して記え住む。倘若曾て前の両卦を記得せざらば、単にこの一卦を看れば、午火はすでに日建にしてまた来たりて世を生ず。何を以てか彼に午年を許さざる。況んや午年はなお世爻未土と相合するの年なるを。敢えて巳年を定むる所以は、正に前の両卦に合せて一併せに断じ出だせるなり。
星煞章第三十三
太乙貴人 甲戊兼牛羊,乙巳鼠猴鄉,丙丁豬雞位; 壬癸兔蛇藏,庚辛逢馬虎,此是貴人方。 假令甲戊庚日占卦,又中見丑未者,即是貴人。 祿神 甲日到寅,乙初到卯,丙戌祿在巳,丁己祿居午,庚祿居申,辛祿在酉。 假令甲日占卦,爻中見寅為祿;乙日占卦,爻中卯為祿,餘仿此。
先ず「太乙貴人」を言わん。歌訣は曰く、甲日戊日は兼ねて牛羊を看る。即ち丑と未なり。乙日己日は鼠猴の郷に在り。即ち子と申なり(原文は「乙巳」と作る。当に「乙己」なるべし)。丙日丁日は猪雞の位に在り。即ち亥と酉なり。壬日癸日は兎蛇に蔵す。即ち卯と巳なり。庚日辛日は馬虎に逢う。即ち午と寅なり——これらは便ち貴人の所在なり。譬如甲日・戊日・庚日に卦を占いて、爻中に丑或いは未を見れば、即ち是れ貴人なり。再び「禄神」を言わん。甲日の禄は寅に在り、乙日の禄は卯に在り(原文の「乙初」は当に「乙禄」と作るべし)、丙日戊日の禄は巳に在り(原文は「丙戌」と作る)、丁日己日の禄は午に在り、庚日の禄は申に在り、辛日の禄は酉に在り。譬如甲日に卦を占いて、爻中に寅を見れば便ち是れ禄なり。乙日に卦を占いて、爻中に卯を見れば便ち是れ禄なり。其余は類推す。
驛馬 申子辰馬到寅,巳酉丑馬在亥,寅午戌馬居申,亥卯未馬在巳。 假令子日、申日、辰日占卦,爻中見寅即為馬,餘仿此。 天喜 春戌,夏丑,秋畏,冬未。 假令春天正月占卦爻中見戌即為天喜,三月雖以戌為天喜,又為月破,若發動於卦中扶助旺相之用神者,以之為喜,不以為破,餘仿此。
再び「駅馬」を言わん。申子辰日の馬は寅に在り、巳酉丑日の馬は亥に在り、寅午戌日の馬は申に在り、亥卯未日の馬は巳に在り。譬如子日・申日・辰日に卦を占いて、爻中に寅を見れば即ち是れ駅馬なり。其余は類推す。再び「天喜」を言わん。春天は戌を見、夏天は丑を見、秋天は辰を見(原文は「秋畏」と作る。当に「秋辰」の訛なるべし)、冬天は未を見。譬如春天正月に卦を占いて、爻中に戌を見れば便ち是れ天喜なり。三月に到るはなお戌を以て天喜と為すといえども、三月は辰を建て辰戌相沖して、戌また月破と成れり。この時それもし卦中に発動して旺相の用神を扶助せば、即ち依旧として天喜と当作って看て、月破と作して論ぜず。其余は類推す。
諸書星煞最多,餘留心四十餘載獨驗貴人祿神驛馬天喜,然不能獨操禍福之權,用神旺者見之愈吉,用神失陷雖有如無。李我平曰:伏羲觀奇偶以判陰陽,文王以爻辭而斷凶吉,周公之後,決禍福於五行,易道窮矣,今兼吉凶煞星,不知起自何人。喪門拓墓大殺飛鷹,加此驗語驚人,往往全無應驗,易冒疾病章云:卜卦不死星煞不死用神煞(此處缺),出爾反爾,後學何從,即如此書得驗貴人祿神驛馬亦必附和用神之旺相,即不能獨操禍福之權。
各家書裡の星煞の名目は最も多し。野鶴老人留心四十多年、独独「貴人」「禄神」「駅馬」「天喜」のこの四種を験したり。しかるにそれらも亦単独に禍福を主宰する能わず。用神旺相なるは、見ればいっそう吉。用神失陥なるは、有りと雖も無きに等し。李我平曰く、伏羲は奇偶の数を観て以て陰陽を判ち、文王は爻辞を係げて以て吉凶を断じ、周公以降は便ち五行を用いて禍福を決す。易道は此に到りてすでに説き尽くせり。いままた一堆の吉凶煞星を添上ぐ。いずれの人より起こるかを知らず。「喪門」「拓墓」「大殺」「飛鷹」、これらの名目を加えて、断語は聴くに駭人なりといえども、却って往々にして全然応験なし。《易冒》の「疾病章」に「卜卦不死星煞不死用神煞」と言う(此処底本に缺文あり)。前後自ら相矛盾す。後學をしていずれの一頭に依従せしめんや。即ち本書の験したる貴人・禄神・駅馬も亦必ず用神の旺相に附著して才に靈なり。終究単独に禍福を主宰する能わず。
增删《黄金策》千金賦 第三十四
予以為誠意先生千金賦曰:吉凶神煞之多端,何如生剋制化之理,一言以敝之矣。 增刪《黃金策千金賦》第三十四 動靜陰陽,反覆變遷。前動變章註解明白。太過者損之斯成。舊注主事爻重複太多,事不專一,故宜損之。且如土為主事爻多,卦中多逢丑戌辰未,謂之大過,須待寅卯月日剋制土爻,然彼成事,或占時得遇寅卯日月亦好。
我は以て劉基(世に誠意伯と称す)の《千金賦》裡に言う所のあの句「吉凶神煞之多端、何如生剋制化之理」は、すでに占卜の根本を一言にして道い尽くせりと為す。以下は《黄金策・千金賦》に対して為す所の增删にして、第三十四章と列す。賦文に「動静陰陽、反復変遷」と言う。この一層の道理は前面の《動変章》にすでに注解し甚だ清楚なり。賦文また「太過者損之斯成」と言う。旧注解釈して曰く、主事の爻は卦中に重復出現太多なれば、事情即ち専一ならず。故に剋制の辦法を用いて以てそれを減損し下るを要す。譬如「土」を以て主事爻と為し、しかも卦中の丑・戌・辰・未の四土層出して窮まらざれば、これ即ち「太過」と謂う。必ず寅・卯の木旺の月份日子に到りて来たりて土爻を剋制するを待ちて、あの件事才に弁じ成すを得べし。或いは卦を起す当时正に寅卯日・寅卯月に碰上するも亦是れ好し。
野鶴曰:不獨後逢寅卯月日,得逢辰月辰日者,或許成事,何也?辰乃土之墓庫,謂之用爻重疊,須墓庫以收藏是也,餘仿此。不及者益之則利。何為不及?若主事爻只有一位,又不旺,謂之不及,其事難成。且如金為主事爻,若在夏天占得休囚死煞,若得日辰動爻生之,或得後來逢生助之日月,皆有利益,其事亦成。餘以此論是理。但要主事爻原有根蒂,衰而逢生者,如旱苗得雨也,勃然而興,故謂之有扶有助,衰弱休囚亦吉。只恐衰弱無助,休囚失陷,雖逢生合,亦難生矣,豈不聞制中弱主,難以為持。
野鶴老人曰く、ただ後來寅卯月・寅卯日に遇上するのみ能く事を成すにあらず。辰月・辰日に遇上するも亦一様に能く事を成さん。何を以てか。辰は土の「墓庫」なり。用神の重畳太多の時、正に墓庫の来たりて収納蔵蓄するを須う。其余の各行は以て此に照らして推す可し。賦文に「不及者益之則利」と言う。何を「不及」と謂うか。主事の爻は卦中にただ一位出現し、また令に当たり地を得ざれば、これ即ち「不及」と謂う。事情甚だ弁成し難し。譬如「金」を以て主事爻と為し、もし夏天に卦を起せば、金正に「休囚」「死絶」の地に処る。この時もし日辰或いは動爻の来たりてそれを生ずるを得、或いは後來それを生扶するの月份日子に遇上せば、皆事情に対して益あり。事情照様に能く成さん。我は以てこの説法は理に在りと為す。ただ前提は主事爻本身根拠有るを要す。衰弱にして生扶に逢えば、乾旱の禾苗の雨水を得たるがごとく、勃然として興起せん。故に扶有り助有るの時は、即ち休囚衰弱なりとも亦吉と算す。最も怕るるは衰弱にして毫も幇扶なく、休囚にして徹底失陥せるなり。あのように即ち生合に遇上するも、亦生発し起ること難し——豈に古人の言う所を聞かざるや。壓制の中に在るの衰弱の用神は、撐持し起る能わざるなりと。
生扶拱合,時雨滋苗。克害刑沖,秋霜殺草。前五行生剋、三合六合章、月將日辰章,三刑六害章,註解極明。長生帝旺,爭如金谷之園。死墓絕空,乃是泥犁之地。前《生旺墓絕章》、《空亡章》詳之。日辰為六爻之主宰,月將是萬卜之提綱。前《日辰月將章》詳之。
賦文曰く、「生」「扶」「拱」「合」を得るは、及時雨の禾苗を滋潤するがごとし。「剋」「害」「刑」「沖」に遭うは、秋霜の野草を摧折するがごとし。この幾層の道理は、前面の《五行生剋章》《三合六合章》《月将日辰章》《三刑六害章》に皆注解して十分明白なり。賦文また曰く、用神の「長生」「帝旺」の地に処るは、身の石崇金谷園のごとき富貴の郷に在るがごとし。「死」「墓」「絶」「空」の地に落つるは、泥犁地獄に墮入するがごとし。この両句は前面の《生旺墓絶章》と《空亡章》裡に講じて甚だ詳細なり。賦文再び曰く、日辰は六爻の主宰にして、月建は万般占卜の総綱なり。この一層は前面の《日辰月将章》にすでに詳解有り。
最惡者歲君,宜靜不宜動。歲君乃當年之太歲是也。或旺動暗沖剋世爻,占年運者,必須是一年中的大事。占官事的,一定得是朝廷的大事,占卜升遷官運以及占卜面聖朝君,或者占卜向聖上請功的,皆宜太歲生合世爻,動而生世更吉。最忌刑沖剋世。除此數占之外,皆與他要等也。何也?太歲雖司一年之令,尊而不親,難仰吉凶,皆不及日月。古以太歲不理家庭瑣事,此理是也。所以太歲沖爻為歲破不以為凶,合爻為歲合不以為吉。爻之衰者,太歲不能生之,爻旺者太歲不能制之,遇月破者即破,逢旬空者旬空,此非月建日建力也?
賦文曰く、最も畏る可きは「歳君」にして、それは静に宜しく動に宜しからず。いわゆる歳君は、即ち当年の太歳なり。太歳もし旺相発動して暗中に世爻を沖剋せば、およそ一年運程を占うは、応ずる所は必ずこの一年裡の大事なり。およそ官府の事を占うは、応ずる所は必ず朝廷層面の大事なり。升遷官運を占い・天子に覲見を占い・朝廷に功を報じ賞を請うを占うのこの幾類の事は、皆太歳の世爻を生合するを以て宜しきと為し、太歳発動して世を生ずるはいっそう吉にして、最も太歳の世爻を刑沖剋害するを忌む。この幾種の占問を除くの外、其余の事は即ち太歳を看るにあのように重くするを必とせず。何を以てか。太歳は一年の令を主管すといえども、尊貴にして親近ならず。吉凶応験はそれに指望し難し。終究月建・日辰の来たるがごとき切実ならざるなり。古人は太歳は家庭瑣事を管せずと言う。この話は是れ対なり。故に太歳の某爻を沖するを「歳破」と謂うも、必ずしも凶と断ずるを必とせず。太歳の某爻を合するを「歳合」と謂うも、亦必ずしも吉と断ずるを必とせず。爻衰弱の時は太歳それを生起す能わず、爻旺相の時は太歳亦それを圧し住む能わず。月破に逢うべきは照様に破し、旬空に逢うべきは照様に空なり——見るべし、真正に作用を起すは、豈に月建と日辰にあらざらんや。
野鶴曰:作當年禍福,不以為重,作後世之吉凶,其實不輕。且如主事爻屬木爻,卦中申酉金動,謂之木被金傷,縱使木旺金衰,目下可保無事,後遇申酉歲難免其殃。如巳月壬子日占鄉試得水地比 妻財子水″應 妻財子水″應 兄弟戌土′ 兄弟戌土′ 子孫申金″ 子孫申金″ 官鬼卯木″世 官鬼卯木″世 父母巳火″ 父母巳火″ 兄弟未土″ 兄弟未土″ 巳月父爻當月建文星旺矣,獨嫌官星持世,卯木旬空,許之卯科方得遂意。子年占,果於卯年登科。卯年者,太歲填實不空也。
野鶴老人曰く、太歳を当年禍福の主宰と看作れば、分量は併せて重からず。それを日后応期の標誌と看作れば、分量は却って着実に軽からず。譬如主事の爻は木に属し、卦中申金・酉金発動せば、これを「木被金傷」と謂う。縱に木旺にして金衰すとも、眼下は事なきを保す可し。将来申年・酉年に碰上せば、あの場の災殃は終究躲げ掉る能わず。例如巳月壬子日に郷試の為めに卦を起して、《水地比》を得たり。六爻は上より下へ依次に妻財子水(応)・兄弟戌土・子孫申金・官鬼卯木(世)・父母巳火・兄弟未土。六爻皆静にして変卦なし。巳月は正に父母爻の月建にして、文章を主るの文星旺極なり。ただ官星卯木の世を持してまた「旬空」に落つるを嫌う。故に我彼に卯年のあの一科に到りて才に意に称わんを許す。此卦は子年に占えり。後に果たして卯年に科に登れり。卯年に応じたるは、卯年太歳の空亡の卯木を填実したるに因る。
不驗者身位,宜刪而不宜存。舊係最要者身位,喜扶而不喜傷。原注有云,古用身世而不驗,故用卦身。野鶴曰卦身亦不驗,亦用世爻。或曰間有驗者。餘用世爻,百發無不百中也。然間有之驗,乃偶然湊合耳,何足為法。世為己,應為人,大宜生合。世為自己,應為他人,凡兼彼此之事,兼而用之,欲他扶助我者,喜應爻生合世爻。我欲代他而謀事者,亦世爻而生應也,兼彼此而不應也。
賦文の原句は「最要者身位、喜扶而不喜傷」と作る。野鶴老人改めて「不験者身位、宜删而不宜存」と為す。旧注曰く、古人「世身」を用いて霊験ならず。故に改めて「卦身」を用う。野鶴老人曰く、卦身も同様に霊験ならず。なお是れ「世爻」を用うべし。ある人は卦身偶にも亦応験すと言う。我一律に世爻を用いて百発百中す。あの偶然の一兩次の応験は、不過碰巧湊合するのみ。どうして法則と立つる能わんや。賦文に「世為己、應為人、大宜生合」と言う。世爻は自己を代表し、応爻は他人を代表す。およそ双方に牽渉する事は、両爻要して合せ看るべし。対方の我を幇扶せんを希望せば、即ち応爻の来たりて世爻を生合するを喜ぶ。我対方に替りて事を謀らば、則ち世爻の去りて応爻を生ずるに当たるべし。ただ自己一方の事に関するのみなれば、便ち応爻を牽扯するを必とせず。
如卯月辛巳占自陳何如 得恆之升 妻財戌土″應 官鬼酉金″ 官鬼申金″ 父母亥水″ 子孫午火′ 動 妻財丑土″世 官鬼酉金′世 官鬼酉金′ 父母亥水′ 父母亥水′ 妻財丑土″ 妻財丑土″應 余曰:酉官持世破而且空,又動出午火,相剋,不獨削職,須防五六月還見凶災。或曰,幸得世應相生,又變升卦,必相救解,余曰,自占自陳,與應何干,此迂腐之論也,果於五月下獄。
例如卯月辛巳日、ある人自己の為めに朝廷に「自陳」考核の事の為めに卦を起して、《雷風恒》を得て《地風升》に変ず。本卦六爻は上より下へ、妻財戌土(応)・官鬼申金・子孫午火(発動)・官鬼酉金(世)・父母亥水・妻財丑土。変卦は依次に官鬼酉金・父母亥水・妻財丑土(世)・官鬼酉金・父母亥水・妻財丑土(応)。我曰く、官星酉金は世を持して、すでに月破に逢いまた旬空に落ち、卦中なお午火を動出して来たりてそれを剋す。不但職を削るのみ、なお五六月間に別に凶災あるを防ぐを得べし。旁人曰く、好きなるは世応相生して、本卦また《升》卦に変成す。必定人ありて搭救化解せん。我曰く、自己が自己の事の為めに卦を起すは、応爻と何の相干あるか。これは迂腐の論なり。後に此人果たして五月に獄に下れり。
動為始,變為終,最怕交爭。動爻為事之始,變爻為事之終,不宜互相沖克。應位遭傷,不利他人之事,世爻受制,豈宜自己之謀。自占者,宜世爻旺相,或臨日月,或日月動爻扶助,或動而化吉,諸占皆吉。占他人以應爻為用,喜他旺者,宜臨旺相之地,又宜日月動爻以生扶;喜他衰者,宜臨墓絕空之鄉,及被日月動爻沖剋。世應俱空,人無準實。世空自己不真,應空他人不實,世應俱空,彼此皆無準實。內外競發,事必翻騰。卦中動爻少者,吉凶自有條理,容易剖斷。若內卦外卦紛紛亂動,則吉凶不定,必人情不常,事體反覆,全無定論,須再占一卦,合而決之。
賦文に「動為始、変為終、最怕交争」と言う。動爻は事情の開端を代表し、変爻は事情の結局を代表す。両者は互相沖剋するに宜しからず。賦文に「應位遭傷、不利他人之事。世爻受制、豈宜自己之謀」と言う。自己に替りて占うは、世爻旺相に宜しく、或いは世爻正に日建月建に当たり、或いは日月動爻の扶助有り、或いは発動して吉象を変出せば、かくのごとく諸占皆吉なり。別人に替りて占うは則ち応爻を以て用神と為す。対方の興旺を希望するは、応爻宜しく旺相の地に居り、併せて日月動爻の生扶を得べし。対方の衰敗を希望するは、応爻宜しく墓・絶・空の郷に落ち、併せて日月動爻に沖剋せられべし。賦文に「世應俱空、人无准実」と言う。世爻空なれば則ち自己の这边は真ならず、応爻空なれば則ち対方の那边は実ならず。両爻俱に空なれば、彼此皆靠り住む能わず。賦文に「内外競発、事必翻騰」と言う。卦中の動爻少なければ、吉凶自ら条理有りて、剖断し易し。もし内卦外卦紛紛として乱動せば、吉凶便ち従りて定むる無く、必定人情反復・事体翻騰して、全然定論なし。この時須らく再び一卦を起して、両卦を合せて決断すべし。
世或交重,兩目自顧瞻於馬首。應如發動,一心似托於猿攀。舊注世應皆不動,動則反覆不常,如馬首,似猿攀,意以無寧。野鶴曰:吾不敢以之為是,亦不敢以為非。此乃用不旺,象不成之說也。若用爻得地,大象當成,世動不受剋制,應動三合世爻,圖事成之更速。
賦文曰く、世爻もし発動せば、人は両眼に馬頭を盯着するがごとく心神定まらず。応爻もし発動せば、対方の心思は猿猴の枝に攀ずるがごとく安頓する処なし。旧注此に拠りて以て世応皆安静を以て好しと為し、一動せば即ち反復无常にして安寧を得ずと為す。野鶴老人曰く、この話は我敢えてそれの対を断定せず、亦敢えてそれの錯を断定せず。それの講ずる所は実は用神旺ならず卦象成らざる時の情形なり。もし用神地を得・卦の大象本來事を成すべきなれば、則ち世爻発動して剋制を受けず・応爻発動してまた世爻と三合を結成せば、反って事を弁ずることいっそう快し。
用爻有氣無他故,所作皆成。主象徒存更被傷,凡謀不遂。用爻及主象,即主事之爻也。或旺有生扶,或有氣並無他爻剋制,事之必成。倘衰弱無力又逢剋制,雖則出現亦無用矣。爻遇旬空,逢沖而有用。旬空得遇日辰沖者,謂之沖空,實不為空,反為有用。倘動爻空者,日辰沖之更實。
賦文に「用爻有気無他故、所作皆成。主象徒存更被傷、凡謀不遂」と言う。ここの「用爻」と「主象」は、指す所は皆主事の爻なり。それ或いは旺相にして生扶有り、或いは当令せずといえども気有りて且つ別爻の剋制なからば、事情即ち必定能く成さん。倘若それ衰弱無力にしてまた剋制を受けば、縱に卦上に現ずとも、亦無きに等し。賦文に「爻遇旬空、逢沖而有用」と言う。旬空に落つる爻もし日辰に沖動せられば、「沖空」と謂う。実はすでに空と算せず、反って変じて有用と為る。もし落空するは動爻なれば、日辰再び来たりてそれを沖せば、いっそう実処に落ち到る。
合遭破以無功。舊注爻相合,如兩人同心,事必克濟。若日月動爻沖剋者,則為合處逢沖。須防小人挑唆,合好之中,以生疑忌。只在自為之事者,亦被旁人挑阻,我事難成。餘得驗者,凡三合六合,雖不宜目下日月動爻沖剋,又宜後來之月沖開。正所謂如逢合住,沖破成功。且如爻中寅與亥合,事若在申巳之日月方成其事,餘仿此。古之不動,宜為之合,非也,兩爻皆動,始為合。
賦文に「合遭破以无功」と言う。旧注曰く、両爻相合するは、両人同心のごとく、事情必ず能く弁成せん。もし日月動爻に沖剋せられば、即ち「合処逢沖」にして、須らく小人の中より挑撥するを防ぐべし。本來和好の局面裡に猜忌を生出せん。即ち是自己一人の事なるも、亦旁人に阻撓せられて成り難からん。我験証し下るに是れこのよう。およそ「三合」「六合」は、眼下固然として日月動爻に沖剋せらるるに宜しからざるなりといえども、却又日后月份ありてこの合を沖開くを須う。正にいわゆる「如逢合住、沖破成功」なり。譬如卦中寅と亥と相合せば、あの件事は申月申日・巳月巳日に到りて才に弁じ成るを得べし。其余は以て此に照らして推す可し。旧説の以て両爻安静すれば即ち相合と算するに至っては、則ち是れ対ならず——必ず両爻皆発動して、才に真正に合を構成す。
動空化空,皆成凶吉。舊係必成凶。餘得驗者,動不為空,動而化空,亦不為空,吉凶皆應沖空實空之日,予故更之。刑合克合,終見乖淫。舊注合者,和合也。見之為吉,殊不知合中有刑有克,畢竟不合。用午字為財爻,寅為福神,因午字帶自刑,名為刑合,不以為合,而為刑也。野鶴曰:午既自刑,乃自有刑害之禍,得福神而作合,是救解其禍矣,反不為吉者,非也。余嘗得驗,世爻午火,化未相合,已定重刑,後競得釋放,免於災禍。動逢合而絆住。舊注忌神動逢日月相合,則不成凶。原神動逢日月合住則不濟事。此亦有理,餘得驗者,後逢沖開之日月,吉凶俱成。
賦文の原句は「動空化空、皆成凶」と作る。野鶴老人改めて「皆成凶吉」と為す。我験証の結果は、爻は一たび発動せば即ち再び空と算せず、発動して空爻を変出するも亦空と算せず。是れ吉か是れ凶か皆沖空或いは填実のあの一天に応ず。故に我この一句を改めたり。賦文に「刑合剋合、終見乖淫」と言う。旧注曰く、合は即ち和合にして、これを見れば吉を為す。しかるに知らず合の中に刑を夾み・剋を夾むは、終究竟真の合と算し得ざるを。譬如午を以て財爻と為し・寅を以て福神と為す。午は「自刑」を帯ぶるに因りて、これ即ち「刑合」と謂う。合と当作る能わず、ただ刑と当作るのみ能し。野鶴老人曰く、午すでに自刑せば、本來自ら刑害の禍を帯ぶ。いま福神を得て来たりてそれと合を作せば、正にこの場の禍を解き開くなり。反って不吉と断ずれば、これ即ち錯れり。我親験せり。某卦の世爻午火は、未土を変出してそれと相合す。当时すでに重刑を定めたり。後來竟に釈放を獲て、災禍を免れたり。賦文に「動逢合而絆住」と言う。旧注曰く、忌神発動して日月に合し住められれば、即ち凶起る能わず。原神発動して日月に合し住められれば、即ち幇助し上ぐる能わず。この話も亦道理有り。我験し到る所は、後來この合を沖開の月份日子を待てば、吉なるべき凶なるべきは即ち皆兌現せり。
如未月庚寅日占官運。 官鬼未土″ 兄弟子水″應 父母酉金′ 官鬼戌土′ 兄弟亥水′世 動 父母申金″ 兄弟亥水′ 兄弟亥水′世 官鬼丑土″ 官鬼丑土″ 子孫卯木′應 子孫卯木′ 斷曰:世臨亥水,今歲子年,太歲拱扶,九五酉金,雖不發動,亦有生意。世爻又化回頭生,又得日辰相合,六爻未土官星當權得令,仕途平坦,如順水行舟也。惟疑權操兩省,不為不當,如何兄爻持世,財伏被克,此美中不足也。公問,後日何如。余曰:防巳年太歲沖害,刑申,不無蹭蹬榮歸之日,只落得四海一空囊耳。果於巳年被論,宦囊消索。此乃世逢合而絆住,逢沖之年月則開。
例如未月庚寅日に官運を占う。本卦六爻は上より下へ、官鬼未土・父母酉金・兄弟亥水(世、発動)・兄弟亥水・官鬼丑土・子孫卯木(応)。変卦は依次に兄弟子水(応)・官鬼戌土・父母申金・兄弟亥水(世)・官鬼丑土・子孫卯木。我断じて曰く、世爻は亥水にして、当年は子年を為す。太歳子水は世爻を拱扶す。五爻酉金父母は未だ発動せずといえども、亦世を生ずるの意有り。世爻また申金を変出して、「化回頭生」を成し、なお日辰寅木と相合す。上爻未土官星は権を当たり令を得て、仕途平坦にして、水に順いて舟を行かすがごとし。ただ是れ彼は両省の権を手に握り、地位を論ずれば併せて当たらざるにあらずといえども、兄爻世を持し・財爻伏蔵して剋を受く。これは美中不足なり。彼日后いかんを問う。我曰く、巳年太歳の亥を沖し・また変出の申金を刑するを防ぐを要す。ただ蹉跌して官を罷め郷に歸るの一天有らんを怕る。頭到りて両袖空空ならん。後に果たして巳年に參劾せられ、宦囊耗尽せり。これ正に世爻の「逢合而絆住」にして、一たびこの合を沖開の年月に到れば、事情便ち発作せり。
靜逢沖而暗興。暗動章註解極明。入墓難克。舊注墓者,滯也。忌神入墓不克用神。且如木為用神,金為忌神,若在丑日占者,金入墓矣,焉能克木。卦中動出丑爻,亦向此推。金爻動而化丑亦是,餘仿此。
賦文に「静逢沖而暗興」と言う。この一層は前面の《暗動章》に注解して極めて清楚なり。賦文に「入墓難剋」と言う。旧注曰く、墓は即ち停滞にして、忌神一たび墓に入れば便ち用神を剋し動かす能わず。譬如木を以て用神と為し・金を以て忌神と為す。もし丑日に卦を起せば、金は丑墓に入る。なおどうして木を剋せんや。卦中丑爻を動出するも、亦この道理に照らして推す。金爻発動して丑土を変出するも、同様に此の如し。其余は以て類推す可し。
野鶴曰:是則是也,屢見後逢沖開墓庫日,依然木被金傷。帶旺非空。旺者乃旺之爻而遇旬空不作空論,倘遇本日之日辰沖者,謂之空逢沖而有用,遇後日之日辰沖,謂之沖起,過此一旬而出空者,謂之填實,但不為之空也,倘若發動更不為空。
野鶴老人曰く、この話は對固然として對なりといえども、我屢次見るに、後來墓庫を沖開のあの一天を待てば、木は照様に金に傷せらる。賦文に「帯旺非空」と言う。爻本身旺相にしてまた旬空に逢えば、即ち空と当作る能わず。もし卦を起す当日に即ち日辰に沖せられば、「空逢沖而有用」と謂う。もし此の後某日に日辰に沖せられば、「沖起」と謂う。この一旬を過ぎて空亡を走出すを「填実」と謂う——この幾種の情形は皆空と算せず。倘若この爻なお動を発せば、則ちさらに空と算せず。
有助有扶,衰弱休囚亦吉。此指主事爻而言,且如主事爻無氣本為不美,若得日辰與動爻生扶拱合,即為得助,與前不及者益之則利相同。貪生貪合,刑沖剋害皆忘。此亦指主事爻而言,且如主象臨卯木,遇申爻動而克之,卦中動出亥水,申金貪水之生,不來克木。又如主事爻臨子水欲卯木動而相刑,若得旁爻動出戌字,卯與戌合,不來刑子,此乃貪合忘刑。又如用爻臨巳字,卦中動出亥水,動克一火,若得卯木同動,亥卯未合成木局,反來生火,亦謂之貪合忘克忘沖,餘皆仿此。
賦文に「有助有扶、衰弱休囚亦吉」と言う。これは主事の爻に就きて講ずるなり。譬如主事爻本來気なく、好しと算し得ざるなりといえども、ただしもし日辰と動爻との生・扶・拱・合を得れば、即ち「得助」と謂う。前面の「不及者益之則利」と是れ同一の意思なり。賦文に「貪生貪合、刑沖剋害皆忘」と言う。此も亦是れ主事爻に就きて講ずるなり。譬如主象は卯木にして、申金発動して来たりてそれを剋するに遇上せり。しかも卦中又亥水を動出せば、申金は亥水を生じに往くを貪着して、即ち木を剋するを顧みるに及ばず。又如く主事爻は子水にして、本來卯木の発動して来たりてそれを刑する有り。もし旁爻戌土を動出せば、卯と戌と相合して、卯は即ち子を刑し来たらず。これを「貪合忘刑」と謂う。再如く用神は巳火にして、卦中亥水を動出して来たりてこの一点の火を剋す。もし同時に卯木も亦動けば、亥卯未合して木局と成り、木反って来たりて火を生ず。これを「貪合忘剋忘沖」と謂う。其余の情形は皆可なり此に照らして推す。
別衰旺以明克合,辨動靜以定刑沖。衰旺克合,前五行生剋章及四時旺相章中已註明白。動靜刑沖,前動變章已註明。併不併因多字眼,合非合因少支神。舊注卦爻既成,未免有刑沖併合,然多一字不成其名,少一字亦不成刑沖併合之名也。且如子日卜卦,卦中有一子字而謂之並,若有二字則分開而太過也,名雖為並,其實不能並之,二午則不沖,二卯則不刑,二巳則不克,此多一字,不成刑沖剋害之名。野鶴曰:若爻中二子不合二丑,名為合,不成者,亦有理也。若以日辰不能並爻出之二子不能沖爻中之二午者非也,日月如天,無處不沾雨露,不然何以為之巡查六爻之善惡。
賦文に「別衰旺以明剋合、辨動静以定刑沖」と言う。衰旺と剋合とは、前面の《五行生剋章》と《四時旺相章》にすでに講じ明白せり。動静と刑沖とは、前面の《動変章》に亦すでに注明せり。賦文に「并不并因多字眼、合非合因少支神」と言う。旧注曰く、卦爻すでに排定せば、刑・沖・并・合有るを免れ難し。ただし一個字多く出でば即ちその名を成さず、一個字少なければ亦その名を成さず。譬如子日に卦を起して、卦中ただ一個の子字有るのみ、才に「并」と謂う。もし両個の子字有れば、力量分散して反って太過す。名義上は并と謂うといえども、実は并して起らざるなり。同様に卦中両個の午は即ち沖と算せず、両個の卯は即ち刑と算せず、両個の巳は即ち剋と算せず——これは一個字多ければ便ち刑沖剋害の名を成さざるなり。野鶴老人曰く、もし卦中両個の子対して両個の丑・名を合と曰うて実は合成さざるを講ずれば、これはなお講じ通ず可し。ただしもし日辰は卦中の両個の子を「并」し能わず・卦中の両個の午を沖動し能わずと言わば、則ち錯れり。日月は上天に如同じく、沾らざる処なくその雨露に及ぶ。否らざればまた何を憑りてそれの六爻の善惡を巡查すと言わんや。
即如丑月壬子日占訟 父母戌土′ 父母戌土′ 兄弟申金′應 兄弟申金′應 官鬼午火′ 官鬼午火′ 兄弟申金′ 兄弟申金′ 官鬼午火″世 官鬼午火″世 父母辰土″ 父母辰土″ 斷:世臨午火,子日沖之,休囚為日破,不為暗動,今日若審,必有責罰,果於本日見官責杖二十,此即卦見二午,豈可謂之一子不沖二午耶,又曰寅巳申為三刑,若有寅巳二字,而無申字,或有寅申二字,而無巳字,但少一字,不成三刑,又曰亥卯未為三合,卦有二,內少一字者,不成三合。
即ち如く丑月壬子日に一樁の官司の為めに卦を起す。六爻は上より下へ、父母戌土・兄弟申金(応)・官鬼午火・兄弟申金・官鬼午火(世)・父母辰土。六爻皆静なり。断語は曰く、世爻午火は子日来たりてそれを沖す。午火は丑月に休囚無気なり。この一沖は便ち「日破」と成り、「暗動」と当作って看る能わず。今天もし堂に過ぎて審を受けば、必ず責罰を挨けん。当天果たして官に見えて、杖責二十せらる。この一卦裡には明々白々に両個の午有り。どうして一個の子は両個の午を沖動し能わずと言う能わんや。旧注また曰く、寅・巳・申は三刑を為す。もし卦中ただ寅・巳有りて申なく、或いはただ寅・申有りて巳なからば、一個字少なければ即ち三刑を成さず。又曰く、亥・卯・未は三合を為す。卦中ただその中の両位有りて一位を缺けば、即ち三合を成さず。
野鶴曰:此二者皆非其說,殊不知虛一待用,待後時之月日可以填之。如巳月未日占久病得困之兌卦 父母未土″ 父母未土″世 兄弟酉金′ 兄弟酉金′ 子孫亥水′應 子孫亥水′ 官鬼午火″ 父母丑土″應 父母辰土′ 妻財卯木′ 妻財寅木″世 動 官鬼巳火′ 斷曰:世爻寅木化出巳爻,寅能刑巳,三刑少申字,防申日之危,果卒於申日,此乃少一字,得後來之申日補之,豈可謂少一字不成三刑耶。
野鶴老人曰く、この両条の説法は皆対ならず。殊に知らず、卦中は以て「虚一待用」す可し。缺くるあの一位は自ら後來の月份日子有りて去りて填補せん。例如巳月未日に一場の久病の為めに卦を起して、《沢水困》を得て《兌為沢》に変ず。本卦六爻は上より下へ、父母未土・兄弟酉金・子孫亥水(応)・官鬼午火・父母辰土・妻財寅木(世、発動)。変卦は依次に父母未土(世)・兄弟酉金・子孫亥水・父母丑土(応)・妻財卯木・官鬼巳火。断語は曰く、世爻寅木は巳火を変出す。寅は能く巳を刑す。寅巳申三刑はただ一個の申字を缺く。須らく申日の危を防ぐべし。此人果たして申日に死せり。これ即ち卦中一字少なく、後來の申日に由りて補い上げたるなり。どうして一字少なければ便ち三刑を成さずと言う能わんや。
如酉月乙巳日占升遷得澤地萃之天地否 父母未土″ 動 父母戌土′應 兄弟酉金′應 兄弟申金′ 子孫亥水′ 官鬼午火′ 妻財卯木″ 妻財卯木″世 官鬼巳火″世 官鬼巳火″ 父母未土″ 父母未土″ 斷曰:巳火官星持世由臨日建,卜書曰官臨日月即升,且巳日沖動亥月與發動之未爻,欲成三合,因少卯字,明年卯月必升,此乃虛一待用,果升於卯月,豈可謂之少一字不成三合耶。
例如酉月乙巳日に升遷を占いて、《沢地萃》を得て《天地否》に変ず。本卦六爻は上より下へ、父母未土(発動)・兄弟酉金(応)・子孫亥水・妻財卯木・官鬼巳火(世)・父母未土。変卦は依次に父母戌土(応)・兄弟申金・官鬼午火・妻財卯木(世)・官鬼巳火・父母未土。断語は曰く、巳火官星は世を持し、また正に日建に当たる。卜書に「官臨日月即升」と言う。しかも巳日は四爻亥水を沖動し、加うるに発動の未土を以て、眼に看るに亥卯未三合を湊成せんと欲す。ただ一個の作用を起す卯字を差すのみ。故に明年卯月に必定升遷せん——これ正に「虚一待用」なり。後に果たして卯月に升れり。どうして一字少なければ便ち三合を成さずと言う能わんや。
爻遇令星物難我害。日辰月建章註解極明。伏居空地事與心違。伏,伏神也。伏也又空,諸事難成之象。舊存占驗丙申日占文書 子孫酉金″應 妻財亥水″ 兄弟丑土″ 兄弟辰土′世 官鬼寅木′ 伏父母巳火 妻財子水′ 斷曰:以父母爻為用神,此卦六爻無父母巳火,父母伏於妻財寅木之下,又遇旬空,所以文書不成。野鶴曰:伏而又空,事之不成者是也。但此卦文書之不成者,非因空也,乃因飛神在寅,伏神在巳與申日作三刑之故耳,何也。申日沖動,寅木以生巳火謂之飛來生伏得長生,伏神既得長生,則為有氣不空,不然何以謂之飛不沖開亦枉然,餘故曰:非因空也,三刑也。
賦文に「爻遇令星物難我害」と言う。この一層は《日辰月建章》に注解して極めて明白なり。賦文に「伏居空地事与心違」と言う。「伏」は伏神を指す。伏してまた旬空に逢うは、是れ諸事成り難きの象なり。旧書の存する所の占験は曰く、丙申日に一份の公文を占う。六爻は上より下へ、子孫酉金(応)・妻財亥水・兄弟丑土・兄弟辰土(世)・官鬼寅木(父母巳火はその下に伏す)・妻財子水。旧断曰く、文書を占うは「父母」を以て用神と為す。此卦六爻は父母巳火を見ず。父母は二爻寅木の下に伏し、また旬空に逢う。故に文書は弁じ成らず。野鶴老人曰く、伏してまた空・事情成らずは、この話本身は錯ならず。ただしこの一卦の文書の成らざるは、原因は併せて空に在らずして、而在りて飛神は寅・伏神は巳にして、卦を起すの申日と湊りて寅巳申三刑と成すに在り。何を以てかこのように言うや。申日は寅木を沖動し、寅木便ち去りて巳火を生ず。これを「飛来生伏」と謂う。巳火また寅に長生す。伏神すでに長生を得れば、即ち気有りて以て空と為さざるなり——否らざれば「飛不沖開亦枉然」のこの一句話また何より説き起さんや。故に我曰く、文書の成らざるは空に因るにあらず。是れ三刑に因るなり。
伏無提攜終徒耳,飛不沖開亦枉然。凡用神不現,伏於卦中,須宜月建日辰,沖開飛神,生合扶起飛神,即為有用。空下伏易於引拔。伏神不空而飛神空,易於出現,何也,飛神即空,乃上無壓住之爻也,而伏神再得月建日辰生扶拱合,脫然出矣。制中弱主難以維持。用爻休囚又被月建日辰制服,縱遇生扶,亦不濟事也。
賦文に「伏无提携終徒耳、飛不沖開亦枉然」と言う。およそ用神の卦上に現れずして卦中に伏蔵するは、必ず月建・日辰を頼りて以て飛神を沖開き、併せて伏神を生合扶起せば、伏神才に有用と算す。賦文に「空下伏易於引拔」と言う。伏神空ならずして飛神空なれば、伏神は容易に出頭す。何を以てか。飛神一たび空に落てば、上面即ちそれを圧し住むの爻なし。伏神再び月建日辰の生・扶・拱・合を得れば、自然に脱然として出づ。賦文に「制中弱主難以維持」と言う。用神本已に休囚にして、また月建日辰に圧服せられれば、縱に別に生扶有るとも、亦事に済なきなり。
如辰月丙辰日占地下忽然起五色之光疑有古窖。 父母巳火′ 官鬼寅木′應 兄弟未土″ 妻財子水″ 子孫酉金′世 動 兄弟戌土″ 兄弟丑土″ 動 子孫酉金′世 官鬼卯木′ 妻財亥水′ 父母巳火′應 動 兄弟丑土″ 余曰:財伏而空,全無影響,伊曰:既是無財,何故有五色之光,余曰,乃妖氣也。彼時人人望財,議論紛紛,有曰子動爻中,兄弟交重偏有望,此卦兄動生子,子動生財,又是內卦合成金局生水旺,何曰無財。余曰,爾知其一,不知其二,子孫雖旺,不生無蒂之財。子水伏而有空,又被日月飛神剋制,財從何來,後競掘之,掘破缸一口,盡是瓦屑泥土。
例如辰月丙辰日、ある人地下に忽然として五色の光が昇るを見て、心裡に底下に古代の窖蔵が埋まるを疑い、この為めに卦を起す。本卦六爻は上より下へ、父母巳火・兄弟未土・子孫酉金(世、発動)・兄弟丑土(発動)・官鬼卯木・父母巳火(応、発動)。変卦は依次に官鬼寅木(応)・妻財子水・兄弟戌土・子孫酉金(世)・妻財亥水・兄弟丑土。我曰く、財爻は伏蔵してまた空に落つ。根本に何の財もなし。彼曰く、すでに財なければ、何を以てか五色の光有らんや。我曰く、それは妖気なり。当时人人財を得るを盼み、議論紛紛たり。ある人は卦書に「子動爻中、兄弟交重偏有望」と講ずと言う。この一卦は兄爻動じて来たりて子孫を生じ、子孫動じて来たりて財を生じ、内卦また合して金局と成りて水旺す。どうして財なしと言う能わんや。我曰く、あなたはただその一を知りてその二を知らず。子孫は旺といえども、却って根なきの財を生起す能わず。子水は伏蔵してまた空に逢い、なお日辰月建と飛神とに剋制せらる。財は何処より来たらん。後に果たして挖れり。ただ一口の破缸を挖出せるのみ。裡面は尽く瓦屑泥土なりき。
日傷爻真罹其禍,爻傷日徒受其名。日月如天如君,六爻如臣如萬物。日辰能刑沖剋害得卦爻,而卦爻不能刑沖剋害日月。墓中人不沖不發。舊注大抵用爻入墓,則被阻滯,諸事費力難成,須得日辰動爻沖破或克破其墓,方有力也。
賦文に「日傷爻真罹其禍、爻傷日徒受其名」と言う。日辰月建は天に譬え君に譬え、六爻は臣子に譬え万物に譬ゆ。日辰は能く卦爻を刑沖剋害す。卦爻は却って日月を刑沖剋害する能わず、ただ空しく一個の名目を担うのみ。賦文に「墓中人不沖不發」と言う。旧注曰く、大抵用神墓に入れば、即ち処処受阻して、諸事力を費し成り難し。必ず日辰或いは動爻を頼りてこの墓を沖破し剋破して、用神才に力を使い上ぐるを得べし。
如戊寅日占財得同人之乾卦 子孫戌土′應 子孫戌土′世 妻財申金′ 妻財申金′ 兄弟午火′ 兄弟午火′ 官鬼亥水′世 子孫辰土′應 子孫丑土″ 動 父母寅木′ 父母卯木′ 官鬼子水′ 用爻入墓,喜得日辰克破,後果得財。以用空入墓許以無財者,非也,殊不知雖空而遇沖,沖空則實,雖墓而克破,破墓則開。野鶴曰:此極有理,屢試屢驗,但要用神有力,方可許之,倘若用神休囚無氣,雖遇沖開之日,亦難發矣。
例如戊寅日に求財を占いて、《天火同人》を得て《乾為天》に変ず。本卦六爻は上より下へ、子孫戌土(応)・妻財申金・兄弟午火・官鬼亥水(世)・子孫丑土(発動)・父母卯木。変卦は依次に子孫戌土(世)・妻財申金・兄弟午火・子孫辰土(応)・父母寅木・官鬼子水。用神申金は丑墓に入る。好きなるは日辰寅木の丑土を剋破せる。後に果たして財を得たり。もしただ用神すでに空にしてまた墓に入れば便ち財なしと断ぜば、それは錯れり。殊に知らず、空と雖も沖に遇えば、沖空は反って填実し、墓に入ると雖も墓は剋破せられ、破墓は便ち開く。野鶴老人曰く、この話は極めて道理有り。我屢試屢験せり。ただ必ず用神本身力有りて才に以てこのように彼に許す可し。倘若用神休囚無気なれば、縱に墓庫を沖開の日子に遇上するも、亦発動し難し。
如未月戊辰日占年運。 子孫酉金″ 子孫酉金″ 妻財亥水″ 妻財亥水″世 兄弟丑土″應 兄弟丑土″ 兄弟辰土″ 動 子孫申金′ 官鬼寅木″ 父母午火″應 妻財子水′世 動 兄弟辰土″ 斷曰:世爻子水是申子辰三合水局,不宜日月克世,世爻化回頭克,動爻辰土又克,此乃世爻休囚無氣也,卯年占,卒於午年,應午年者,世臨歲破之年也,豈可謂之墓中人不沖不發耶。
例如未月戊辰日に一年運程を占う。本卦六爻は上より下へ、子孫酉金・妻財亥水・兄弟丑土(応)・兄弟辰土(発動)・官鬼寅木・妻財子水(世、発動)。変卦は依次に子孫酉金・妻財亥水(世)・兄弟丑土・子孫申金・父母午火(応)・兄弟辰土。断語は曰く、世爻子水は変出の申金・発動の辰土と湊りて申子辰三合水局と成す。惜しむべし日辰月建皆来たりて世を剋し、世爻自身また辰土を変出して「回頭剋」と成し、卦中動爻辰土再び来たりてそれを剋す。これは世爻休囚無気の象なり。此卦は卯年に占えり。此人は午年に死せり。午年に応じたるは、子水世爻の午年に到りて正に「歳破」に逢うに因る。見るべし、どうして一味に「墓中人不沖不發」と言う能わんや。
身上鬼不去不安。諸占最怕克世,獨官鬼持世者,若非職役之人,最宜日月動爻相沖克,反為吉矣,何也,非克世爻,乃克去身邊之鬼。如午月癸丑日占妻病 父母未土″ 子孫子水″應 兄弟酉金′應 父母戌土′ 子孫亥水′ 動 兄弟申金″ 妻財卯木″ 妻財卯木″世 官鬼巳火″世 官鬼巳火″ 父母未土″ 父母未土″ 問來人病得幾時,彼曰三月病起,余曰卯日財空,明日出空,必定退災,彼曰,醫空不藥矣。余曰,不妨,此卦亥水子孫獨發,克去世爻之鬼,應在明日寅日,寅與亥合,合起子孫之日,爾無憂也,果於次日退災,不藥而癒,亦不獨此,又因卯木財空,次日出空而退災。
賦文に「身上鬼不去不安」と言う。諸般の占問は最も世を剋するを怕る。独り官鬼世を持する時のみ、もし公門の飯を吃する当差の人にあらざれば、反って最も日月動爻の来たりて沖剋するに宜し。かくのごときは反って吉を為す。何を以てか。それの剋するは世爻本身にあらずして、而是れ身辺に纏うあの鬼を剋去するに因る。例如午月癸丑日に妻子の病を占う。本卦六爻は上より下へ、父母未土・兄弟酉金(応)・子孫亥水(発動)・妻財卯木・官鬼巳火(世)・父母未土。変卦は依次に子孫子水(応)・父母戌土・兄弟申金・妻財卯木(世)・官鬼巳火・父母未土。我来たる人に病幾久しきかを問う。彼曰く三月裡に病起こりしと。我曰く、卯木財爻は眼下空に落つ。明天空を出でて、一定に災を退かん。彼曰く、薬石皆用を管せず。我曰く、妨げなし。この一卦は亥水子孫独発して、世爻身上の鬼を剋去せり。明天寅日に応ずべし——寅と亥と合す。正に子孫を合し起さるるの日なり。あなた必ずしも憂慮するを要せず。第二天果たして災を退き、薬を吃せずして好きたり。これはなお一個の縁故に止まらず、亦卯木財爻の本來空に落ち、次日空を出でて災を退くに因る。
曾如辰月戊子日占小舟過關恐盤阻得水地比變澤山咸卦。 妻財子水″應 兄弟未土″應 兄弟戌土′ 子孫酉金′ 子孫申金″ 動 妻財亥水′ 官鬼卯木″世 動 子孫申金′世 父母巳火″ 父母午火″ 兄弟未土″ 兄弟辰土″ 世爻之鬼,乃滿腹憂疑之象,申金克去身邊之鬼則無憂也。果於卯日過關,並無阻滯。
又如く辰月戊子日、ある人小船を駕して関卡を過ぎ、盤査阻留せらるるを怕れて卦を起して、《水地比》を得て《沢山咸》に変ず。本卦六爻は上より下へ、妻財子水(応)・兄弟戌土・子孫申金(発動)・官鬼卯木(世、発動)・父母巳火・兄弟未土。変卦は依次に兄弟未土(応)・子孫酉金・妻財亥水・子孫申金(世)・父母午火・兄弟辰土。世爻は官鬼を帯び、是れ満腹憂疑の象なり。好きなるは申金子孫発動して、身辺のこの鬼を剋掉すれば、即ち憂慮す可き無し。後に果たして卯日に順利に関を過ぎ、毫も阻滞なかりき。
德入卦無謀不遂。舊注德者,得也,指與天地合其德。主事爻,天干地支上下相合是也,存有占驗。戌月己酉日占文書得小畜之蠱 兄弟卯木′ 兄弟寅木′應 子孫巳火′ 動 父母子水″ 妻財未土″應 妻財戌土″ 妻財辰土′ 官鬼酉金′世 兄弟寅木′ 父母亥水′ 父母子水′世 動 妻財丑土″ 謂五爻動出丙子,文書與世爻變出辛丑干支相合,應戊子日成其文書,餘以此論為多事之論。
賦文に「徳入卦无謀不遂」と言う。旧注曰く、「徳」は即ち得にして、「天地とその徳を合す」の義を取る。卦上に落ちては、主事の爻の天干地支の上下相合するを指す。旧書に一則の占験を存す。戌月己酉日に公文を占いて、《風天小畜》を得て《山風蠱》に変ず。本卦六爻は上より下へ、兄弟卯木・子孫巳火(発動)・妻財未土(応)・妻財辰土・兄弟寅木・父母子水(世、発動)。変卦は依次に兄弟寅木(応)・父母子水・妻財戌土・官鬼酉金(世)・父母亥水・妻財丑土。原断曰く、五爻の動出の変爻は干支を丙子と納し、正に文書の象にして、世爻の変出の辛丑と上下相合す(丙辛相合・子丑相合)。故に戊子日に文書を弁成するに応ず。我は以てこれは節外生枝の論と為す。
野鶴曰:鬼谷三才論含爻辭以五行以定禍福者乃用地支。既用地支,不得不以天干為配,未聞以天干而定吉凶。以天干配於地支者,欲全用周天甲子卦,又止於四十八爻。所以乾內卦甲坤之內用乙,乃十干之首,乾之外卦用壬,坤之外卦用癸,皆十干之尾。乾之內卦用子,與坤之外卦相合,坤之內卦用未,與乾之外卦相合。二老上下相映,陰陽相配,中包六子,甲乙之次者丙丁,用之於少男少女,艮與兌也。戊己用之於中男中女,坎與離也,庚辛用之於長男長女,震與巽矣,以全上下干支,此乃配偶之法也。故謂之渾天甲子。而禍福吉凶皆地支生剋制化克合刑沖以判之。今又以天干而判休囚者,每卦皆宜用也。何獨於此,況小畜變蠱五爻朱雀為文書,動臨巳火變出子水文書,而世爻臨子水父母,又為文書,酉日生之,化丑合之,疊疊文書旺動於卦中,便非干支相合,亦不能說無成,故曰多事之論。
野鶴老人曰く、《鬼谷三才》の一派は爻辞を論じ五行を以て禍福を定む。用うる所は皆是れ地支なり。すでに地支を用いれば、即ち天干を配上せざるを得ずといえども、却って曾て天干を憑りて来たりて吉凶を判ずるを聞かず。地支に天干を配するは、本意は周天六十甲子を全く用上せんと欲するに在り。然るに六十四卦の爻位はただ四十八爻を装し得るのみ。故に乾卦の内卦は甲を納し・坤卦の内卦は乙を納す。甲乙は十干の首なり。乾卦の外卦は壬を納し・坤卦の外卦は癸を納す。壬癸は十干の尾なり。乾の内卦は子より起こり、坤の外卦と相合す。坤の内卦は未より起こり、乾の外卦と相合す。乾坤の二老は上下相映じ陰陽相配し、中間に六個の子女卦を包む。甲乙の後は丙丁にして、少男少女に配す。即ち艮と兌なり。戊己は中男中女に配す。即ち坎と離なり。庚辛は長男長女に配す。即ち震と巽なり。かくのごとく上下の干支を配し斉えるは、本來是一套の配偶の法にして、故に「渾天甲子」と謂う。禍福吉凶に至っては、一概に地支の生剋制化・剋合刑沖に由りて判定す。いま忽然として天干を拿げて来たりて休囚を判ぜんと欲すれば、則ち毎一卦皆このように用いべし。何ぞ必ずしも単にこの一卦上に講ずるや。況んや《小畜》の《蠱》に変ずるの一卦は、五爻朱雀は本來文書を主り、動爻は巳火にして子水父母を変出す。亦是れ文書なり。世爻また子水父母を坐す。同様に是れ文書なり。酉日はそれを生じ、丑土を変出してそれを合す。重重文書は卦中に旺動す。即ち干支相合なきとも、亦弁成せずと説き上ぐる能わず。故に我旧注は節外生枝の論と曰う。
忌臨身而多阻無成。忌即忌神,占不宜持世。如占官子孫為忌神,子孫持世求名不成,占財兄爻為忌神,兄爻持世,求財不獲。野鶴曰:此論極是。然餘得有驗者,兄爻持世化出財爻而得財,世臨財爻化出父母而見父。如巳月丙申日占財得未濟變鼎卦 兄弟巳火′應 兄弟巳火′ 子孫未土″ 子孫未土″應 妻財酉金′ 妻財酉金′ 兄弟午火″世 動 妻財酉金′ 子孫辰土′ 官鬼亥水′世 父母寅木″ 子孫丑土″ 此乃忌臨世位化酉財,即於酉日得財。
賦文に「忌臨身而多阻无成」と言う。「忌」は即ち忌神にして、事を占うは最も忌神の世を持するに宜しからず。譬如功名を占うは子孫を以て忌神と為し、子孫世を持せば便ち名を求めて成らず。銭財を占うは兄弟を以て忌神と為し、兄爻世を持せば便ち財を求めて獲ず。野鶴老人曰く、この話は極めて対なり。ただ我も亦験し到りて例外有り。兄爻世を持して財爻を変出せば、照様に財を得。世爻財を坐して父母爻を変出せば、照様に父親を見る。例如巳月丙申日に求財を占いて、《火水未済》を得て《火風鼎》に変ず。本卦六爻は上より下へ、兄弟巳火(応)・子孫未土・妻財酉金・兄弟午火(世、発動)・子孫辰土・父母寅木。変卦は依次に兄弟巳火・子孫未土(応)・妻財酉金・妻財酉金・官鬼亥水(世)・子孫丑土。これ正に忌神の世位に坐して酉金財爻を変出するなり。於是に即ち酉日に財を得たり。
又如申月戊午年占領文書得風雷益卦之家人 兄弟卯木′應 兄弟卯木′ 子孫巳火′ 子孫巳火′應 妻財未土″ 妻財未土″ 妻財辰土″世 動 父母亥水′ 兄弟寅木″ 妻財丑土″世 父母子水′ 兄弟卯木′ 此亦忌臨世位,即於酉日而得文書,同日子占父亦得此卦,亥日見父,其故何也,疑是動爻不克變爻之故耳。然亦無多見者,餘既得驗,不得不以告之,然非教後人之法也。諸占必以忌神持世多阻無成者為是。
又如く申月戊午日に公文を領取する為めに卦を起して、《風雷益》を得て《風火家人》に変ず。本卦六爻は上より下へ、兄弟卯木(応)・子孫巳火・妻財未土・妻財辰土(世、発動)・兄弟寅木・父母子水。変卦は依次に兄弟卯木・子孫巳火(応)・妻財未土・父母亥水・妻財丑土(世)・兄弟卯木。文書を占うは父母を以て用神と為す。財爻は正にそれの忌神なり。ここは同様に是れ忌神の世に坐するにして、却って酉日に文書を領到せり。同一天ある人は父親を占うも亦この一卦を得たり。結果は亥日に父親を見たり。これは何の縁故か。我猜むるに是れ動爻の変爻を剋せざるの関係ならん。この類の例子は併せて多見せず。我すでに親自験し到れば、大家に告げざるを得ずといえども、それは以て後人の依循する法則と当作る能わず。およそ占は、なお「忌神持世多阻无成」を以て正解と為す。
卦遇凶星避之皆吉。舊注凡值用神空凶,遇日月動爻沖剋者,謂之避空,反不遭其沖剋之害,舊存有占驗:六月壬子日占子病得姤之大過 父母戌土′ 動 父母未土″ 兄弟申金′ 兄弟酉金′ 官鬼午火′應 子孫亥水′世 兄弟酉金′ 兄弟酉金′ 子孫亥水′ 子孫亥水′ 父母丑土″世 父母丑土″應 謂父母旺動,用爻亥水子孫而無氣,本為凶兆,喜得用爻值旬空而避之,至丙子日而愈,蓋丙子者,則前面已過,又是亥水子孫值子日而臨帝旺故耳。
賦文に「卦遇凶星避之皆吉」と言う。旧注曰く、およそ用神の空に落ちて卦象凶なり、また日月動爻の沖剋に遇上するを、これを「避空」と謂う。用神は反って沖剋の害を躲け去れり。旧書に一則の占験を存す。六月壬子日に兒子の病を占いて、《天風姤》を得て《沢風大過》に変ず。本卦六爻は上より下へ、父母戌土(発動)・兄弟申金・官鬼午火(応)・兄弟酉金・子孫亥水・父母丑土(世)。変卦は依次に父母未土・兄弟酉金・子孫亥水(世)・兄弟酉金・子孫亥水・父母丑土(応)。原断曰く、父母旺にして発動し、用神亥水子孫は気なし。本來是れ凶兆なり。喜ぶ所は用神正に旬空に逢いて躲け過ぎ去れり。丙子日に到りて病愈せん。丙子日に到れば、凶険の時段はすでに過去し、しかも亥水子孫は子日に正に帝旺に当たるに因る。
野鶴曰:此論非理,諸占最惡者忌神,既動於卦中,禍已兆矣。用神靜者逢沖之日遭害;用神動者,逢合之日遭傷;用神破者,實破之日而遇;用神空者,出空之日相逢。是乃未曾出一可以避之,出空必遇其害,豈曰出空則前面已過,反不受其禍,此說悖也,謬也,餘得其驗者,原神動於卦中,用神空者,出空之日而得。忌神動於卦中,而用神空者,出空之日逢殃,屢占屢驗,獨近病逢空不論。凡占近病,用神得遇旬空者,不拘日月動爻克害,用神出空之日即愈。即獨此一事,論空不論克也。他占皆忌。此姤之大過,定是占於近病,不悟近病逢空,繼而曰諸事皆可避之,此誤後人也。
野鶴老人曰く、この説法は合理ならず。諸般の占問の最も悪む可きは忌神なり。忌神すでに卦中に動けば、禍端はすでに形を現せり。用神安静なるは、沖せらるるのあの一天に応じて害を受く。用神発動なるは、合せらるるのあの一天に応じて傷を受く。用神月破に逢うは、月破を填実のあの一天に応じて碰上す。用神空に落つるは、空を出づるのあの一天に応じて撞見す。空亡の期間は不過未だ出頭せざるのみ。併せて以て躲避する能う可きにあらず。一たび空を出でれば必ず害に遇わん。どうして空を出でて以後凶険はすでに過去して、反ってその禍を受けずと説き出す能わんや。この説法は理に悖り荒謬なり。我験し到る所は、原神は卦中に動して用神空に落つれば、空を出づるの日即ち所願を得償す。忌神は卦中に動して用神空に落つれば、空を出づるの日即ち殃に遭う。屢占屢験なり。独り「近病逢空」は是れ例外なり。およそ新得の病を占うは、用神もし旬空に逢えば、日月動爻のどうやって剋害するを管せず、用神空を出づるの日即ち痊愈せん——ただこの一件事のみ是れ空を論じて剋を論ぜず。其他の占問は一概に空を以て忌と為す。この《姤》の《大過》に変ずるの例子は、必定近病を占えり。旧注は近病逢空の道理を懂せず、接ぎて即ち諸事皆「避」す可しと言う。これは後人を誤導するなり。
爻逢忌殺敵之無傷。舊注忌爻發動,心事不利,若得日月動爻幫助用爻,可以敵之,不傷於彼,事亦可成,餘以此論是理。申月乙未日占脫役得損之節 官鬼寅木′應 動 妻財子水″ 妻財子水″ 動 兄弟戌土′ 兄弟戌土″ 子孫申金″應 兄弟丑土″世 兄弟丑土″ 官鬼卯木′ 官鬼卯木′ 父母巳火′ 父母巳火′世
賦文に「爻逢忌殺敵之無傷」と言う。旧注曰く、忌神発動せば、心中謀る所は利ならず。もし日月動爻を得て来たりて用神を幇助せば、即ち能く忌神と相抗して、それに傷せられず、事情照様に能く成さん。我は以てこの説法は理に在りと為す。旧書の挙ぐる所の例子は曰く、申月乙未日に差役を脱免する為めに卦を起して、《山沢損》を得て《水沢節》に変ず。本卦六爻は上より下へ、官鬼寅木(応、発動)・妻財子水(発動)・兄弟戌土・兄弟丑土(世)・官鬼卯木・父母巳火。変卦は依次に妻財子水・兄弟戌土・子孫申金(応)・兄弟丑土・官鬼卯木・父母巳火(世)。
謂世臨丑土,而子水財動生助寅木之鬼,木之鬼動而克世,喜得日辰未土、五爻變出戌土扶助世爻,可以敵其寅木之鬼,不能傷身。野鶴曰:以此作後人之法者,亦誤人也。何也,一重未土扶世,豈可敵其寅鬼傷身之惡煞耶?殊不知寅木鬼動,月建破之,未日墓之,此寅木之鬼破,保無事者也!此誤作戌未二土幫扶者,錯也!況變爻戌土從無幫助正卦之爻,作有一例,可以比之。
原断曰く、世爻は丑土を坐す。子水財爻は発動して去りて寅木官鬼を生じ、木鬼発動して来たりて世を剋す。好きなるは日辰是れ未土・五爻また戌土を変出して、皆来たりて世爻を扶助す。以て寅木の鬼を抵当するに足りて、身を傷るに至らず。野鶴老人曰く、これを以て後人の法則と当作るは、同様に是れ人を誤るなり。何を以てか。単に一重の未土の世を扶くを憑りて、どうして寅鬼の身を傷るがごとき悪煞を抵当し住む能わんや。殊に知らず、寅木官鬼は動ずといえども、却って申月月建に沖破せられ・また未日に木墓に収め入れらる。この寅木の鬼は本身すでに破敗せり。故に才に事なきを保ち得たり。旧断は誤りて戌・未の両土の幇扶の力と認作す。是れ錯を弄せり。況んや変爻戌土は従来本卦の爻を幇助し去る會なきを。それを以て一個の可比照の例子と当成すは、いっそう不通なり。
辰月乙未日占月令得泰之豐 子孫酉金″應 兄弟戌土″ 妻財亥水″ 子孫申金″世 兄弟丑土″ 動 父母午火′ 兄弟辰土′世 妻財亥水′ 官鬼寅木′ 動 兄弟丑土″應 妻財子水′ 官鬼卯木′ 世爻辰土,月建助之,丑土動而化回頭之生,又來扶助。雖則寅木鬼動而世爻旺相有助有扶可以相敵,然此後至辛丑日尚亦見其凶非,因一言觸怒上司,幾乎危殆,幸得解救。應解救者,因得日月之土幫扶也。
辰月乙未日に本月運程を占いて、《地天泰》を得て《雷火豊》に変ず。本卦六爻は上より下へ、子孫酉金(応)・妻財亥水・兄弟丑土(発動)・兄弟辰土(世)・官鬼寅木(発動)・妻財子水。変卦は依次に兄弟戌土・子孫申金(世)・父母午火・妻財亥水・兄弟丑土(応)・官鬼卯木。世爻辰土は辰月月建の相助有り。丑土発動してまた午火を変出して「化回頭生」と成り、亦来たりて世爻を扶持す。寅木官鬼発動有ると雖も、但し世爻旺相にして助有り扶有り、以てそれと抗衡するに足る。饒もこのごとしと雖も、辛丑日に到りてなお凶事を出だせり。此人は一句話に因りて上司を触怒して、幾んど危殆ならんとせり。幸いにして人を得て解救せり。能く解救する所以は、正に日辰月建の土の来たりて世爻を幇扶するを頼れるに因る。
主象休囚怕見刑沖剋害。主象旺相,尚難敵乎刑沖剋害之爻,況休囚耶?用爻變動忌遭死墓絕空。舊注死墓絕乃陷阱之地,若用爻動而化墓化絕化死化空者,不問公私大小之事,皆主不成。占病逢之,必死無疑。予得驗者,化墓化絕,若動爻旺相,或臨日月幫助,亦無大害,化墓者,沖開之日月而成,化絕者逢生旺之日月而就。至於化空之說,更得多驗,占謀事,實空之日必成。占近病,出空之日即愈。
賦文に「主象休囚怕見刑沖剋害」と言う。主象は即ち旺相なりとも、なお且つ刑沖剋害の爻を抵当し難し。何況や休囚無気なるを。賦文に「用爻変動忌遭死墓絶空」と言う。旧注曰く、死・墓・絶は皆是れ陥穽の地にして、用神発動して墓・絶・死・空を変出するは、公事私事・大事小事を論ぜず、一概に成らず。病を占いて遇上せば、必ず死して疑いなし。我験し到る所は却って是れ、墓を変し・絶を変するは、ただ動爻本身旺相なれば、或いは日辰月建の幇扶有れば、亦大害なし——墓を化するは、墓庫を沖開の月份日子に到れば即ち成さん。絶を化するは、生旺の月份日子に到れば即ち成さん。「化空」に至っては、我験し得るいっそう多し。事を謀るを占うは、空亡を填実のあの一天必ず成さん。新得の病を占うは、空を出づるのあの一天即ち好し。
用化用有用無用。舊主既有用爻,不可動而又化出來。謂之化去,或旁發出,皆不濟事。故雖有用,即如無用。一般占病尤忌。野鶴曰:此論非理。用爻若化進神,諸占皆吉。即使他爻動出者,再得此助幫扶,何謂無用。豈不知太過者損之斯成,有曰用爻重疊,得墓庫以收藏。如果用爻太多,待至傷損之日,墓庫之日,成之更穩,反曰無用。非也當刪。
賦文に「用化用有用无用」と言う。旧注曰く、卦中すでに用神有れば、即ち発動したる後また一個の用神を変出するを宜しからず。あれを「化去」と謂う。旁爻別に一個の用神を動出するも、亦一様に事に済ならず。故に用神有ると雖も無きに等し。病を占うは尤も忌諱す。野鶴老人曰く、この説法は合理ならず。用神もし「進神」を変出せば、諸占皆吉なり。即ち是れ別の爻の動出せる用神なるも、亦是れまた一重の幇扶を添う。どうして无用と謂う能わんや。豈に「太過者損之斯成」を知らざるや。また「用爻重叠、得墓庫以蔵」の説法有り。もし用神真に太多なれば、それを剋損するの日子・それを収蔵するの墓庫の日を待てば、事情反って成ることいっそう穩なり。どうして反って无用と説かんや。この一条は対ならず。当に刪去すべし。
空化空雖空不空。餘得驗者,不獨空化空則不為空,動亦不為空。動不為空,為禍為福,沖空實空之月日必應。養主狐疑,墓多曖昧。此亦長生沐浴之中之二位星是也。餘用生旺墓絕,其餘不驗。今之驗化出者亦驗生旺墓絕。墓者,滯也。用神動而化墓者,近病久病遇之,主昏迷之象。用神旺者,沖開墓庫之日則安。用神休囚,又被刑沖剋害者,難愈。逢空者,近病者愈,久病者凶。捕獲遇之,深藏難保。身命遇之,愚蒙不振。失脫遇之,暗藏不見。婚姻遇之,皆闇昧不明之象。若動爻化墓,墓神回頭克動爻,勿以闇昧論,乃凶兆也。忌回頭克我者是也。如若墓神為鬼,回頭克用,更凶。化養化病化胎又化沐浴俱不驗者刪之。
賦文に「空化空雖空不空」と言う。我験し到る所は、不但空爻の空爻を変出するは空と算せざるのみ、およそ発動の爻は皆空と算せず。すでに発動すれば即ち空と為らざれば、則ち是れ禍か是れ福か、必定沖空或いは填実のあの月・あの一天に応ずべし。賦文に「養主狐疑、墓多暧昧」と言う。ここの「養」と「墓」は是れ長生十二位中の両位なり。我ただ長生・帝旺・墓・絶の四位を用い、其余は皆霊験ならず。いま爻の変化を検験するも、亦ただ生・旺・墓・絶のみ管用す。墓の意思は停滞なり。用神発動して墓を変出せば、近病久病に遇上するを論ぜず、皆神志昏迷の象を主る。用神旺相なるは、墓庫を沖開のあの天に到れば即ち安好なり。用神休囚にしてまた刑沖剋害を受くるは、即ち痊愈し難し。用神空に逢えば、近病の者は愈え・久病の者は凶なり。人を緝捕拿獲するを占いて墓に入るに遇上せば、是れ深蔵して獲難し。身命を占いて遇上せば、是れ愚昧にして振わざるなり。失物を占いて遇上せば、是れ暗蔵して尋ね難し。婚姻を占いて遇上せば、皆是れ暧昧不明の象なり。もし動爻墓を変出し、しかもこの墓神反って来たりて動爻を剋せば、即ちただ暧昧と当作る能わず。あれは是れ凶兆にして、即ちいわゆる「忌回頭剋我」なり。倘若墓神又是れ官鬼にして、回頭して来たりて用神を剋せば、則ちいっそう凶なり。化養・化病・化胎・化沐浴のこの幾項に至っては、一概に霊験ならず。当に刪掉すべし。
化生旺兮禍福有三。生者動爻化長生也。如亥水動化出申金,即化長生又回頭之生,化酉金者不曰化沐浴而曰化回頭之生,此二者動爻有氣化爻旺相,諸占皆吉,旺者,長生之第五位者是也。金木水火而化旺即是化進神,且如申金化酉金,亥水化子水,寅木化卯木,巳火化午火,主占無不亨吉。惟土寄生於申,旺於子水為進神,辰未土動而化出子爻者,乃為化旺,丑土化出子爻者,即為化旺,又為化合,諸占皆吉。化官鬼兮吉凶有二。動爻變出官,吉凶有二,何也?占功名者,世爻旺相,或臨日月或日月生扶動而變出官星,又無破損,乃為得官之兆也。世若休囚,受克動而變出官星者乃為變鬼,不惟難於王家食祿,須憂夢沉黃梁。
賦文に「化生旺兮禍福有三」と言う。「生」は動爻の自己の長生を変出するを指す。譬如亥水発動して申金を変出せば、すでに是れ化長生にして、又是れ回頭相生なり。酉金を変出するは、化沐浴と謂はず、亦化回頭生と謂う。この両種の情形はただ動爻気有り・変爻旺相なれば、諸占皆吉なり。「旺」は長生十二位中の第五位の帝旺を指す。金木水火の旺を化するは即ち化進神に等し。譬如申金の酉金を変し・亥水の子水を変し・寅木の卯木を変し・巳火の午火を変するは、占う所は亨通せざる無し。独り土は申に長生し・子に帝旺す。故に土爻の子水を変出するのみ才に進神と算す。辰土・未土発動して子爻を変出するは、是れ化旺なり。丑土の子爻を変出するは、すでに是れ化旺にして、又是れ子丑相合なり。諸占皆吉なり。賦文に「化官鬼兮吉凶有二」と言う。動爻の官鬼を変出するは、吉凶は両種の情形を分かつを要す。功名を占うの人は、世爻旺相にして、或いは世爻正に日辰月建に当たり、或いは日月の生扶有れば、この時発動して官星を変出して破損なからば、是れ官を得るの兆なり。世爻もし休囚にして剋を受け、発動して官星を変出せば、則ちあれは「変鬼」にして、不但朝廷の禄を食み難きのみ、なお一場の黄粱夢の沈むを擔心するを得べし。
如戌月甲寅日占候選何時得缺,得益變騫 兄弟卯木′應 動 父母子水″ 子孫巳火′ 妻財戌土′ 妻財未土″ 官鬼申金″世 妻財辰土″世 動 官鬼申金′ 兄弟寅木″ 子孫午火″ 父母子水′ 動 妻財辰土″應 斷曰:世爻臨月破,又有寅日傷克,又有上爻中卯木克世爻,有克無生,世爻變出官星,其實是變鬼,果然在第二年寅月沒有中榜,正如神告曰:“命限危功名不必生矣”
例如戌月甲寅日に候補いずれの時に実缺を得るを占いて、《風雷益》を得て《水山蹇》に変ず。本卦六爻は上より下へ、兄弟卯木(応、発動)・子孫巳火・妻財未土・妻財辰土(世、発動)・兄弟寅木・父母子水(発動)。変卦は依次に父母子水・妻財戌土・官鬼申金(世)・官鬼申金・子孫午火・妻財辰土(応)。断語は曰く、世爻辰土は正に戌月月破に逢い、また寅日に剋傷せられ、上爻卯木も亦来たりて世を剋す。剋有りて生なし。世爻は官星を変出すと雖も、実是れ「変鬼」なり。果たして第二年寅月に到るもなお未だ中るを得ず。正に神明の告ぐるがごとく、命限すでに危く、功名は必ずしも再び指望するを要せず。
又如巳月壬申日占開店貿易 子孫酉金″世 動 官鬼寅木′ 妻財亥水″ 妻財子水″世 兄弟丑土″ 兄弟戌土″ 官鬼卯木″應 官鬼卯木″ 父母巳火″ 父母巳火″應 兄弟未土″ 兄弟未土″ 斷曰:占生意看財爻,此卦財臨月破,雖則子動生財,生之不起,況世與子孫,一同變鬼,不獨營運難圖,今秋必因子女以致官非。果於八月,因子賭博送官,子受杖刑而死。此應酉金子孫應變鬼。
又如く巳月壬申日に店を開きて買賣を為すを占う。本卦六爻は上より下へ、子孫酉金(世、発動)・妻財亥水・兄弟丑土・官鬼卯木(応)・父母巳火・兄弟未土。変卦は依次に官鬼寅木・妻財子水(世)・兄弟戌土・官鬼卯木・父母巳火(応)・兄弟未土。断語は曰く、生意を占うは財爻を看るを要す。この一卦は財爻亥水は正に月破に逢う。子孫発動して来たりて財を生ず有ると雖も、亦それを生起す能わず。何況や世爻は連なりて子孫と一起に官鬼と変成するを。不但生意は做し難きのみ、今年秋天はなお必定子女に因りて官司に惹き上がらん。果たして八月に到りて、兒子は賭博に因りて官に送られ、杖刑を受けて死せり。これ応ずる所は正に酉金子孫の鬼を変ずるなり。
忌回頭之克我。爻動化克者,如金爻動變火克金,木爻動變金克木,謂之回頭克也。覺子曰:餘存占驗,凡占回頭之克,占病、占壽、占年運,得之十有九死,亦有占名利、及占家庭得之亦見危亡,何也?其人大限至矣,自己無知猶有名利之求,如神戒曰:數之將盡,何用他求,警戒勿貪,庶幾不羅乎羅網,即使難以迴避,亦可保其正寢,疑神之告,乃此意耳。
賦文に「忌回頭之剋我」と言う。爻発動して自己を剋するの五行を変出するを謂う。譬如金爻発動して火を変出して金を剋し・木爻発動して金を変出して木を剋す。これ即ち「回頭剋」と謂う。李文輝(号は覚子)曰く、我の積存する所の占験裡、およそ回頭剋に遇うて病を占い・寿元を占い・一年運程を占うは、十に八九是れ死なり。亦名利を占い家事を占いてそれに遇上する有り、同様に危亡を見る。何を以てか。あの人は大限すでに到るに、自己は懵然として覚えず、なお名を求め利を求む。これは神明の告戒するに如同じく、気数將に尽きんとす、何ぞ必ずしも他に求めんや。それを警戒して貪求せざらしめば、或いはなお能く羅網に落ちずんばあらん。即ち躲げ掉る能わずとも、亦なお能く善終を保たん。我神明の告示を揣摩すれば、正にこの意思なり。
勿反德以扶人。古法相生須宜他生我,相剋還宜我克他。如占彼此兩家之事者,宜應爻生世。如占財者,宜財生世,如占官者,宜官生世。如世去生助他爻,洩盡自己之氣也。惡曜孤寒,怕日辰之並起。刑沖剋害之要即為惡曜,非諸星之凶煞。凡見此爻動而沖剋用神,若此星孤立無助,或休囚無力,雖則傷害用神,用神旺相可以敵之,必然無妨,得禍亦輕。惟怕日辰動爻助他為害,彼必狐假虎威,仗勢作惡,得禍不淺也。前月將日辰章內,最怕他爻增剋制,同此意耳。
賦文に「勿反徳以扶人」と言う。古法は相生を講ずるはそれの来たりて我を生ずるを要し、相剋を講ずるは我の去りてそれを剋するを要す。譬如双方の事を占うは、応爻の世爻を生ずるに宜し。求財を占うは、財爻の世爻を生ずるに宜し。功名を占うは、官爻の世爻を生ずるに宜し。もし反って是れ世爻の去りて別の爻を生助すれば、則ち自己の気力を全て泄光せり。賦文に「惡曜孤寒、怕日辰之並起」と言う。ここの「惡曜」は刑・沖・剋・害の爻を指し、併せて各種の神煞にあらず。およそこの種の爻の発動して来たりて用神を沖剋するを見れば、ただそれ孤立して援なく、或いは休囚無力なれば、用神を傷ると雖も、ただ用神旺相なれば即ち以て抵当するに足り、必定妨げなし。縱に禍有るも亦軽し。最も怕るるは日辰或いは動爻の反って来たりてそれを助けて虐を為すなり。則ちそれは即ち狐虎の威を假り・勢を仗りて悪を為して、禍を為すこと淺からざらん。前面の《月将日辰章》裡に「最怕他爻增剋制」と言う。講ずる所は正に同一の意思なり。
用爻重疊,喜墓庫以收藏。舊注用爻若無日辰動爻損之,必須得墓庫收藏,然後可得。舊存占驗。丁丑日占財 兄弟卯木′ 動 妻財未土″ 子孫巳火′ 官鬼酉金′ 妻財未土″應 動 父母亥水′世 妻財辰土′ 官鬼酉金′ 兄弟寅木′ 父母亥水′ 父母子水′世 動 妻財丑土″應 彼斷曰:卦有兩財,初爻上爻又化出兩財,日辰又是財,本為太過,喜得世爻上有辰字,乃為財庫,謂之財有庫以收藏,後主得財。餘以此論,極其得理,屢試屢驗,但不必卦中有庫,後來逢庫之日月亦成其事。
賦文に「用爻重叠、喜墓庫以収蔵」と言う。旧注曰く、用神もし日辰・動爻の来たりてそれを損減するなければ、即ち必ず墓庫の収蔵を頼り、然る後に才に手を得る能う。旧書に一則の占験を存す。丁丑日に求財を占う。本卦六爻は上より下へ、兄弟卯木(発動)・子孫巳火・妻財未土(応、発動)・妻財辰土・兄弟寅木・父母子水(世、発動)。変卦は依次に妻財未土・官鬼酉金・父母亥水(世)・官鬼酉金・父母亥水・妻財丑土(応)。原断曰く、卦中本來両重の財爻有り、初爻と上爻とまた各々一重の財を変出し、日辰丑土も亦是れ財なり。本來是れ太過に属す。喜ぶ所は卦中に辰土のこの財庫有りて、「財有庫以収蔵」と謂う。故に後來財を得たり。我は以てこの説法は極めて道理有りと為し、屢試屢験せり。ただ必ずしも卦中に現成の庫有るを要せず。後來庫神当値の月份日子に碰上せば、事情一様に弁成せん。
如午月戊午日占何日雨得地風升變恆卦。 官鬼酉金″ 妻財戌土″應 父母亥水″ 官鬼申金″ 妻財丑土″世 動 子孫午火′ 官鬼酉金′ 官鬼酉金′世 父母亥水′ 父母亥水′ 妻財丑土″應 妻財丑土″ 友人持此卦問余曰:今日占雨,父母不動,而丑土之財又化出午火回頭生,竟是大旱之年也。余曰:壬戌日必雨。友曰:父臨月建,陰雨連旬,今子孫臨月建,亦同此意,如何得雨?余曰:午火子孫臨日月旺之極矣,乃為用爻重疊,逢墓庫以收藏,故知戌必雨。果於戌日申時雨。
例如午月戊午日にいずれの天に雨を下すかを占いて、《地風升》を得て《雷風恒》に変ず。本卦六爻は上より下へ、官鬼酉金・父母亥水・妻財丑土(世、発動)・官鬼酉金・父母亥水・妻財丑土(応)。変卦は依次に妻財戌土(応)・官鬼申金・子孫午火・官鬼酉金(世)・父母亥水・妻財丑土。友人この卦を拿げて我に問うて曰く、今天雨を占うに、父母爻動かず、丑土財爻また午火を変出して回頭生と成す。看るに是れ一個の大旱の年ならん。我曰く、壬戌日に必定雨を下さん。友人曰く、父母は月建に臨みて、なお且つ陰雨連旬を主る。いま子孫は月建に臨む。道理相同じきに、どうして雨を下さんや。我曰く、午火子孫はすでに日辰に臨みまた月建に臨み、旺は極処に到る。これ正に「用爻重叠」にして、須らく墓庫を頼りて以て収蔵せん。午火は戌に墓す。故に戌日必ず雨なるを知る。後に果たして戌日申時に雨を下せり。
事阻隔兮間發。舊注世應中間兩爻謂之間爻,動則事事阻隔。謂之兩爻在世應之中,動阻兩家之事,使彼此不能相通。又曰世應中間兩爻發動所求多阻隔。覺子曰:以此爻作為間爻試之果驗,但看所占何事,須是彼此兩家之事始可用之。婚姻以之為媒妁,詞訟以之為證,買賣以之為牙行,借貸成文以之為中保,舟車以之為附載。交遊以之為幫開,胎產以之為收生保姆。
賦文に「事阻隔兮間発」と言う。旧注曰く、世爻と応爻との間の両爻を「間爻」と謂う。一動せば即ち事事阻隔す。この両爻は世応の中間に夾り、一動せば便ち双方の事を阻断して、彼此相通ずる能わざらしむ。また世応中間の両爻発動せば、求むる所の事は多く阻隔有りと曰う。李文輝曰く、この両爻を間爻と当作りて験せば、果たして応験せり。ただ占う所は何事なるかを看るを要し、必ず双方に牽渉する事にして才に用上ぐるを得べし。婚姻を占うは、間爻是れ媒人なり。官司を占うは、間爻是れ証人なり。買賣を占うは、間爻是れ牙行経紀なり。借貸立契を占うは、間爻是れ中人保人なり。船を乘り車を坐るを占うは、間爻是れ同行搭載の人なり。交游を占うは、間爻是れ中より撮合する人なり。胎産を占うは、間爻是れ接生の穩婆なり。
心退悔兮世空。舊注自占世為主象,若無明動爻傷克而世爻無故自空者,必主心惰意懶,自不向前。野鶴曰:此論為是。前曰無故之空,如入深淵大壑,諸占大凶者,非也!易林補遺有曰世應皆空,故不向前,退悔,主賓皆動二邊,日後更張。所以不獨世空不宜,應爻亦不宜也。謂之世應皆空,事無準實,凡動而空者,不以此論。
賦文に「心退悔兮世空」と言う。旧注曰く、自己事を占うは世爻を以て主象と為す。もし卦中併せて明動の爻の来たりて傷剋する無く、しかも世爻無縁無故に自ら空亡に落つれば、必ず此人心懶意惰にして、自己肯んじて前に向かわざるを主る。野鶴老人曰く、この話は是れ対なり。前人の「無故之空」を説くは深淵大壑に墜るがごとく諸占大凶と為すに至っては、則ち錯れり。《易林補遺》曰く、世応皆空なれば、故に肯んじて前に向かわずして退悔の心を生ず。主客両辺皆動けば、日后必ず別に爐竈を起すを要す。見るべし、ただ世爻の空に落つるのみ好からざるにあらず、応爻の空に落つるも同様に好からず。これ即ち「世応皆空、事无准実」と謂うなり。およそ発動して空に落つるの爻は、この例に在らず。
卦爻發動須看交重。舊注交動主未來之事,重動主過去之事。余試間有驗者。大凡爻象有一定不可移者,可以為法,間有驗者,乃偶然之合耳。動變比合當明進退。進神章已註明。殺生身莫將吉斷,用克世勿作凶看。蓋生中有刑害之兩妨,合處有克傷之二慮。殺生世者,是日月動爻動臨忌神而生世,非凶煞也,不以吉斷者,何也?謂忌神既旺,用衰矣,世雖逢生何益?
賦文に「卦爻発動須看交重」と言う。旧注曰く、「交」動は未来の事を主り、「重」動は過去の事を主る。我試し下るにただ偶々霊験するのみ。大凡爻象は一定にして移易す可からざるの規律有りて、才に以て法則と立つ可し。偶々霊験するは、不過碰巧湊合するのみ。賦文に「動変比合当明進退」と言う。この一層は《進神章》にすでに注明せり。賦文に「殺生身莫将吉断、用剋世勿作凶看、盖生中有刑害之両妨、合処有剋傷之二慮」と言う。いわゆる「殺生世」は、日辰月建或いは動爻本身の忌神を充当して来たりて世を生ずるを指し、併せて何の凶神悪煞にあらず。何を以てか世を生じて反って吉を断ずる能わざる。忌神すでに旺なれば、用神即ち衰う。世爻縱に生を得ると雖も、又何の益処有らんやに因る。
如戌月丙子日占父任雲南何時得信?得地澤臨卦 子孫酉金″ 子孫酉金″ 妻財亥水″應 妻財亥水″應 兄弟丑土″ 兄弟丑土″ 兄弟丑土″ 兄弟丑土″ 官鬼卯木′世 官鬼卯木′世 父母巳火′ 父母巳火′ 占信者,朱雀巳火父母為用神,日辰子水克巳火,忌神戌月乃巳火月墓,日克音信茫然之兆也。而世爻卯木雖遇日生月合,何益於事。殺生身勿將吉斷,此之謂也,後果無音訊,四年知父而遇害矣。
例如戌月丙子日、雲南に在りて官を為すの父親のいずれの時に信を来すかを占いて、《地沢臨》を得たり。六爻は上より下へ、子孫酉金・妻財亥水(応)・兄弟丑土・兄弟丑土・官鬼卯木(世)・父母巳火。六爻皆静なり。音信を占うは朱雀の臨む所の巳火父母を以て用神と為す。日辰子水は巳火を剋し、戌月又是れ巳火の墓庫なり。用神すでに日剋を被りまた月墓に入る。正に音信茫然の象なり。世爻卯木は日辰の相生を得・また戌月と相合すと雖も、事に於て何の補いか有らん。「殺生身莫将吉断」、説く所は正にこの種の情形なり。後に果たして音訊全く無く、四年の後に才に父親の早已に遇害せるを知れり。
用克世勿作凶看者,乃用為克世也,舊注主事爻動來克世,乃是事來趕我,事必速成,我雖見克,亦何傷哉,故云克世者不以為凶。覺子曰:此論未必全是,餘之得驗如占財財為用神,財爻克世者必得。占行人用神克世者即至,占醫藥子孫為用,子孫克世者即愈,此外數占皆不宜用神克世也,若占功名,官鬼克世,非災即禍,豈可曰勿作凶看。
賦文に「用剋世勿作凶看」と言う。指す所は用神の来たりて世爻を剋するなり。旧注曰く、主事の爻発動して来たりて世を剋するは、あれは事情の我を趕いて来たるにして、必定甚だ快く弁成せん。我剋せらるると雖も、又何の妨害有らんや。故に用神の世を剋するは凶と算せずと曰う。李文輝曰く、この説法は未だ必ずしも全対ならず。我験し到る所は、求財を占うは財を以て用神と為し、財爻世を剋すれば必定財を得。出門在外の人を占うは、用神世を剋すれば即ち人將に到らんとす。医薬を占うは子孫を以て用神と為し、子孫世を剋すれば病即ち痊愈せん——この幾種を除くの外、其余の各占は皆用神の世を剋するに宜しからず。譬如功名を占うは、官鬼是れ用神にして、官鬼世を剋するは災にあらざれば即ち禍なり。どうして凶と作して看ずと説く能わんや。
