旬空章第二十六
甲子旬中戌亥空 甲戌旬中申酉空 甲申旬中午未空 甲午旬中辰巳空 甲辰旬中寅卯空 甲寅旬中子丑空 何謂旬空?如甲子至癸酉日為一旬,此十日之內,並無戌亥,以爻逢戌亥為空亡,又名旬空,餘仿此。旬空之法,諸書論太煩,有真空、假空、動空、沖空、填空、無故自空、有散而空、墓空、絕空、害空、安空、破空。野鶴曰:旺不為空,動不為空,有日建動爻生扶者不為空,動而化空、伏而旺相皆不為空。月破為空。有卦不動為空,爻反伏而被克為空,真空為空,真空即春土、夏金、秋木、三冬逢火是真空。
六十甲子は六旬に分たれ、每旬十天にして、天干十位は地支十二位に配す。總じて両個の地支ありて輪に上がらず。あの両支は即ち「旬空」と謂う。歌訣は曰く、甲子旬中戌亥空、甲戌旬中申酉空、甲申旬中午未空、甲午旬中辰巳空、甲辰旬中寅卯空、甲寅旬中子丑空。何を旬空と謂うか。譬如甲子日より癸酉日に至るを一旬と為す。この十天裡に戌と亥とに排し到らず。故に卦爻もし戌・亥に臨まば、即ち空亡と謂い、亦旬空と謂う。其余の各旬は此に照らして推す。旧日の各家の旬空を講ずるは太だ繁瑣なり。真空・假空・動空・沖空・填空・無故自空・散而空・墓空・絶空・害空・安空・破空のかくのごとき多くの名目を分出せり。野鶴老人それを歸併して幾句と為す。爻旺なれば空と算せず、爻動けば空と算せず、日建或いは動爻の生扶する有れば空と算せず、発動して変出の爻の空に落ち・伏蔵して本身旺相なるも、亦皆空と算せず。真正に空と算するはただ幾種あり。月破に逢うは空と算し、卦中安静にして動かざるは空と算し、爻反吟に遇いてまた剋せらるるは空と算し、また「真空」は空と算す。いわゆる真空とは、春天の土爻・夏天の金爻・秋天の木爻・冬三月の火爻を指す——本已に休囚到底して、再び旬空に落つ。それは才に徹底の空なり。
夫余初學卜,凡遇旬空,無法而斷,欲以之為到底全空,卻又應乎填實之日,而不空以之為不空,卻有到底全空。後得多占之法,凡遇旬空,命之再占,卦吉者許之出旬而不空,卦得凶者許之空矣。
野鶴老人自ら述べて曰く、我剛く占卜を學びしの時、一たび旬空に碰上すれば即ち断ずる辦法なかりき。それを当作りて徹底の空と為さんと想えば、偏偏また常に填実のあの一天に応じたり。それを当作りて空ならずと為さんと想えば、偏偏また真に到底全空のありき。後に我「多占」の辦法を摸索出だせり。およそ旬空に遇上して拿げ准ぜざるは、即ち彼をして再び一卦を占はしむ。後の一卦もし吉ならば、即ち彼にこの一旬を出でば便ち空と算せざるを許す。後の一卦もし凶ならば、則ちそれの真空到底を断定す。両卦を用いて合せ參ずれば、旬空のこの難題は才に解き開かる。
如辰月乙卯日占求財得家人之賁。 兄弟卯木′ 兄弟寅木′ 子孫巳火′應 動 父母子水″ 妻財未土″ 妻財戌土″應 父母亥水′ 父母亥水′ 妻財丑土″世 妻財丑土″ 兄弟卯木′ 兄弟卯木′世 斷曰:丑財持世遇旬空,雖有巳火之生,巳火又化回頭之克,不能生丑土之財,此財既無生扶當主難求。或又因三月之丑土財爻有氣,古法有氣不為空,不敢竟斷,命之再占。
これは一組の両卦合參の実占なり。辰月乙卯日に求財を占いて、先ず「風火家人」を揺出して「山火賁」に変ず。本卦は上より下へ、上爻兄弟卯木、五爻子孫巳火(応爻、発動)、四爻妻財未土、三爻父母亥水、二爻妻財丑土(世爻)、初爻兄弟卯木。動爻巳火は父母子水を変出す。野鶴老人断じて曰く、二爻丑土妻財は世を持せども、却って正に旬空に落つ。五爻巳火発動して以て土を生ず可しといえども、それの変出する子水は回頭して火を剋す。巳火は自身保ち難く、丑土の財を生ずる能わず。用神すでに生扶なからば、この筆の財は求め難かるべし。不過当時は三月辰月にして、土は正に当令なり。丑土財爻は有気と算す。しかも旧法に「有気不為空」と講ず。故に敢えて此に就きて死を断ぜず。便ち彼をして再び一卦を占はしむ。
又得暌之損: 父母巳火′ 官鬼寅木′應 兄弟未土″ 妻財子水″ 子孫酉金′世 動 兄弟戌土″ 兄弟丑土″ 兄弟丑土″世 官鬼卯木′ 官鬼卯木′ 父母巳火′應 父母巳火′ 因得此卦合前卦而決之,竟斷曰:財無氣矣,不必勞心。彼問:何故?余曰:前卦丑則雖則空而有氣,後卦子水財空伏於五爻未土之下,伏而又空,空而被克,知其無財而無疑也,後果全無。
第二卦は「火沢睽」を揺出して「山沢損」に変ず。本卦は上より下へ、上爻父母巳火、五爻兄弟未土、四爻子孫酉金(世爻、発動)、三爻兄弟丑土、二爻官鬼卯木、初爻父母巳火(応爻)。この一卦は六爻に妻財を見ず。是れ用神の卦に上がらざるなり。野鶴老人両卦を合げて断じて曰く、財すでに気なし。再び心思を費すを必とせず。占を求むる人縁故を問う。野鶴老人曰く、前の一卦の丑土妻財は落空すといえども、好歹なお月令の気あり。この一卦の妻財は子水にして、落空するのみならず、なお伏蔵して五爻未土の下に在り——伏してまた空、空してまた上頭の未土に剋せらる(土は水を剋す)。両卦対看すれば、財なきは疑問なきなり。後に果たして一文も得るなかりき。
又如子月辛亥日占遠行求財得大畜。 官鬼寅木′ 官鬼寅木′ 妻財子水″應 妻財子水″應 兄弟戌土″ 兄弟戌土″ 兄弟辰土′ 兄弟辰土′ 官鬼寅木′世 官鬼寅木′世 妻財子水′ 妻財子水′ 斷曰:世逢寅木,子月亥日俱作財神而生世,有喜。應爻為地頭,世應相生,乃全美之卦,獨因世值旬空,若依古法斷者,無故自空大凶之兆,故許之而遠去始能求財耶,命之再占。
再び一組の両卦合參の実占を看よ。子月辛亥日、ある人遠行求財を占いて、先ず「山天大畜」を揺出す。六爻俱に静にして、上より下へ、上爻官鬼寅木、五爻妻財子水(応爻)、四爻兄弟戌土、三爻兄弟辰土、二爻官鬼寅木(世爻)、初爻妻財子水。野鶴老人断じて曰く、世爻は寅木にして、しかも子月の月建・亥日の日辰は皆水なり。本卦裡に在りて皆財神を充當す。水また木を生ず。故に両重の財気は世爻を生扶す。是れ喜兆なり。応爻は往く所の地頭を代表す。世応相生して、人地相宜を説明す。本來一個十全の好卦なり。唯独世爻は正に旬空に落つ——旧法に照らせばこれを「無故自空」と謂い、是れ大凶の兆なり。到底彼に遠行求財を許すべきか、それとも許さざるべきか。拿げ准ぜず。便ち彼をして再び一卦を占はしむ。
又得明夷之豐: 父母酉金″ 官鬼戌土″ 兄弟亥水″ 父母申金″世 官鬼丑土″世 動 妻財午火′ 兄弟亥水′ 兄弟亥水′ 官鬼丑土″ 官鬼丑土″應 子孫卯木′應 子孫卯木′ 斷曰:此卦與前卦相同,此行大有財發。斷得世爻丑土化午火回頭相生,目下月破,行到此頭已出月矣,出月而不為破,開春寅卯月,以前卦決者乃世爻出空之月也,逢子亥財生,滿心如願。彼曰:去得成否?余曰:甲寅日世爻出空之日,準行無疑,果於乙卯日起程,後到彼地,寅卯月間,諸事順心,滿載而歸。
第二卦は「地火明夷」を揺出して「雷火豊」に変ず。本卦は上より下へ、上爻父母酉金、五爻兄弟亥水、四爻官鬼丑土(世爻、発動)、三爻兄弟亥水、二爻官鬼丑土、初爻子孫卯木(応爻)。動爻丑土は妻財午火を変出す。野鶴老人断じて曰く、この一卦は前の一卦と意思同じ。この行は大いに財発あらん。世爻丑土発動して午火を変出して回頭相生す(火は土を生ず)。是れ助を得るの象なり。目下丑土は子月に一沖せられて月破と成るといえども、彼の身を動かして走りてあの地方に到るを待てば、すでにこの月を出でたり。月を出でば即ち破と算せず。発財の時に至っては、即ち開春の寅月・卯月に在り——前の一卦に照らして推せば、それは正に世爻寅木の旬空を出づるの月份にして、また子水・亥水の両重の財の来たりて世を生ずるに逢う。必定意に称い願いのごとくならん。あの人問う、この趟は走り成さんや。答えて曰く、甲寅日は世爻の空を出づるの日なり。あの天に身を動かせば准じて錯なし。後に果たして乙卯日に程を起ち、あの地方に到りて、寅卯両月は諸事心に順い、満載して歸れり。
野鶴曰:多占之法,能消許多疑惑,不然只以前卦決斷者,無故自空,如入深淵大凶。實則旺財生世,腰纏萬貫之徵。許之去耶?阻之勿去耶?李我平曰:空亡之說,鬼神不測之妙,似有又無,似無又有,實有到底全空,又有填實不空,此以多占兩卦合而決之。真為洩盡鬼神之機也,天地這理論,皆從空而生。謂之懸空以待用,凡占遇空,不可即以為空也,然又有中空之日,實空之時,事在一旬之外,許其出空之日而應之,若占遠之大事,尚無定期,非旬可以定者,大象不吉,乃可謂到底空也。大象若吉,太歲月建又可填之,然又不如多占兩卦,實為妙法。
野鶴老人自ら述べて曰く、多占の辦法は能く許多の疑惑を消す。もしただ前面のあの一卦を憑りて断ぜば、世爻無故自空して、即ち深淵に入るがごとき大凶と成らん。しかるに実際上それは旺財の世を生じ、腰に万貫を纏うの徴兆なり。あなたは彼に往くを許すべきと言うか、それとも彼を拦えて往かしめざるべきと言うか。校訂者李我平の按語に曰く、空亡のこの一説は、正に鬼神の測り難き微妙の処なり——似有りて又无く、似无にして又有り。確実に到底全空の有り、確実に填実の後に即ち空ならざる有り。野鶴老人多占を用いて両卦合參して決断するは、真に鬼神の機を泄し尽くせり。天地間の道理は皆「空」の上より生じ出づ。いわゆる一処の空位を懸けて以て将来の取用を待つなり。およそ卦を占いて空に遇えば、当下に就きてそれを空と断ずべからず。不過なお分け清むを要す。中途填空の日子有り、真正実空の時候有り。事情もし一旬の外に在れば、即ちそれの出空のあの一天に応ずるを許す。もし占う所の長遠大事なれば、本來定期なく、一旬を以て框み住める可きにあらず。則ち即ち大象を看るを要す——大象不吉なれば、才にそれの到底全空を説く可し。大象もし吉なれば、太歳と月建も亦能くこの空を填実す。話は此の如しといえども、終究多占の両卦合參に如かず。それは実に最も妙なる法門なり。
生旺墓絶章第又二十六
長生、沐浴、冠帶、臨官、帝旺、衰、病、死、墓、絕、胎、養。餘得驗者,只驗生旺墓絕,其餘不驗,不必用之。 金長生在巳 旺在酉 墓在丑 絕在寅 木長生在亥 旺在卯 墓在來 絕在申 土水長生在申 旺在子 墓在辰 絕在巳 且如主事爻屬木,若在亥日占卦即主事爻長生於亥日。若在卯日占卦,木旺於卯。若在未日占卦,木墓於未。若在申日占卦,木絕於申,其餘仿此。又如主事爻屬木,動而變出亥水者,謂之化長生,動而變出卯木者謂之化旺,動而變出未土者謂之化墓,動而變出申金者謂之化絕,餘仿此。
五行寄生十二宮の名目は、長生・沐浴・冠帯・臨官・帝旺・衰・病・死・墓・絶・胎・養なり。野鶴老人曰く、この十二位裡、彼の試験し下してただ長生・帝旺・墓・絶のこの四位のみ霊験して、其余の八位は皆験ならず。用うるを必とせず。四位の配法は、金は巳に長生し、酉に帝旺し、丑に墓に入り、寅に絶に逢う。木は亥に長生し、卯に帝旺し、未に墓に入り(底本の「墓在来」の「来」は「未」の訛なり)、申に絶に逢う。土と水とは宮を同じうして、皆申に長生し、子に帝旺し、辰に墓に入り、巳に絶に逢う。用法に両条あり。一は日辰を看る。譬如主事の爻は木に属し、亥日に卦を占えば、この爻は即ち亥日に長生す。卯日に占えば、木は卯に旺なり。未日に占えば、木は未に墓す。申日に占えば、木は申に絶す。二は変爻を看る。なお木に属する主事爻を以て例と為せば、それ発動して亥水を変出するを「化長生」と謂い、卯木を変出するを「化旺」と謂い、未土を変出するを「化墓」と謂い、申金を変出するを「化絶」と謂う。其余の五行は皆此に照らして推す。
覺子曰:金雖長生在巳,且宜金爻旺相,或日月動爻生扶,再遇巳日占卦,或是卦中動出巳爻,或是金爻動而化出巳火,皆謂長生。倘若金爻休囚無氣,再遇巳午火多者,烈火煎金,論克不論生也。金爻雖墓於丑土,若得未土沖動,或卦中土多生金,論生不論墓也。土爻雖絕於巳,必須休囚無氣,又逢巳爻謂之絕。若土爻旺相,或得日月動爻生扶,再遇巳爻,巳火反能生土,論生不論絕也。巳爻雖長生於寅,倘日月動爻及變出之爻又逢申金者,謂之三刑,論刑不論生也。古以土爻長生在申,又曰土長生在寅,無處考證,餘以天時考之,常見土臨父母。有申日雨者,亦有子日雨者;又見土臨子孫,有申日晴者,亦有子日晴者。故知土長生於申,旺於子,實知土寄生於申而無疑也。
增删者李文輝(号は覚子)補充して曰く、金は巳に長生すといえども、なお金爻本身旺相か、或いは日辰・月建および動爻の生扶あるを須う。この時再び巳日の卦を占うに遇い、或いは卦中巳爻を動出し、或いは金爻発動して巳火を化出せば、才に長生を算得す。倘若金爻休囚無気にして、卦中偏偏巳火午火また多からば、則ちそれは烈火の金を煎ずるにして、ただ剋を論じて生を論ずる能わず。金は丑土に墓すといえども、もし未土ありて丑土を沖動し、或いは卦中土多くして来たりて金を生ぜば、則ち生を論じて墓を論ぜず。土は巳に絶すといえども、亦必ず土爻の休囚無気、再び巳爻に遇いて才に絶と謂うべし。もし土爻旺相にして、或いは日月動爻の生扶を得、再び巳爻に遇えば、巳火は反って来たりて土を生ず。則ち生を論じて絶を論ぜず。火爻は寅に長生すといえども、もし日辰・月建・動爻或いは変爻裡にまた申金を出現せば、寅・巳・申は湊りて三刑と成す。則ち刑を論じて生を論ぜず。土の長生に至っては、古人に申に在りと説く有り、亦寅に在りと説く有り。考証する由なし。我天时の占験を拿げて以て考察す。常に土爻の父母を充當するを見る(父母は雨を主る)。申日に雨を下す有り、亦子日に雨を下す有り。又土爻の子孫を充當するを見る(子孫は晴を主る)。申日に晴れ放つ有り、亦子日に晴れ放つ有り。此に由りて土の申に長生し子に帝旺し、土と水と宮を同じうして申に寄生するは、疑問なきを知るべし。
曾於午月已卯日占妻病得震之豐: 妻財戌土″世 動 子孫巳火′ 官鬼申金″ 妻財未土″世 子孫午火′ 官鬼酉金′ 妻財辰土″應 妻財辰土″ 兄弟寅木″ 兄弟寅木″應 父母子水′ 父母子水′ 辰土財爻為用神,近病逢沖即愈,許之當愈於辰日,不然酉日必愈,後因連日昏沉,竟於子日起床,許辰日愈者,辰土逢值之日也。許酉日者,辰與酉合動而逢合之日也,今愈子日辰土財爻旺於子也。
これは一則の実占なり。午月己卯日に妻子の病を占いて、「震為雷」を揺出して「雷火豊」に変ず。本卦は上より下へ、上爻妻財戌土(世爻、発動)、五爻官鬼申金、四爻子孫午火、三爻妻財辰土(応爻)、二爻兄弟寅木、初爻父母子水。動爻戌土は子孫巳火を変出す。妻子を占うは妻財爻を以て用神と為す。卦中財爻両現す。三爻辰土を取る。震為雷は六沖卦にして、新病沖に逢えば即ち好くべし。故に野鶴老人先ず彼女に辰日に痊愈せんを許し、不然れば酉日に必ず愈えん。誰知彼女は一連幾天昏沈して醒めず、子日に至りて才に牀を起てり。頭を回りて看れば、辰日を許したるは、用神の日に値るを取るなり。酉日を許したるは、辰と酉と相合して動じて合に逢うの日を取るなり。しかるに実際子日に応じたるは、則ち土の申に長生し子に帝旺するに因る——辰土財爻は正に子に旺なり。この一卦は恰好土と水と宮を同じうして寄生するの説を印証せり。
李我平曰:生旺墓絕之論,金生在巳,木生在亥,水生在申,火生在寅,四大長生,理之正也。惟土寄生,未得關入。法云:火土長生在寅。知子上是胞胎,此即土寄生於寅。今五行家戌土生寅己土生酉。易冒雖曰:唯土之長生不一,山中有坤土生於申,若分陰陽,則戌土生寅已土生寅,實未得其據。此專以天時考證者土長生於申,萬古之不易也。
校訂者李我平の按語に曰く、生旺墓絶を講ずるに、金は巳に長生し・木は亥に長生し・水は申に長生し・火は寅に長生す。この四大長生は正理にして異議なし。唯独土の寄生する所はどこぞ、一直に定論なし。ある法書は火と土と同じく寅に長生すと言い、土は子位上に在りて胞胎と為すと言う。これ即ち土を寅に寄生せしむるなり。いま五行を講ずる人また戊土生寅・己土生酉の分法あり。《易冒》も亦土の長生は一処に止まらず、山中の坤土は申に生ずと言う。もし陰陽を分かてば、則ち戊土生寅・己土生寅——これらの説法は実は皆拠る所を拿出す能わず。ただ本書のみ天时の占験を用いて以て考証し、土は申に長生すと断定す。これ才に万古不易の定論なり。
各門類題頭總注章第又二十六
後值分門各類當用字眼,恐其煩絮,不便全寫,只用題頭即如後有用神宜旺,不可指定旺於四時,但得用神臨日月、或遇日月動爻變爻生扶、或用爻遇長生逢帝旺,皆謂之旺。用神化吉:凡用神元神動化回頭生、化長生、化帝旺、化扶助、化日月皆為化吉。用神化凶:凡用神原神動化回頭克、化絕、化墓、化空、化鬼、化退神皆為化凶。
後面門を分け類を別する各章はいくらかの固定の説法を用いるを要す。每処皆書くこと囉嗦なるを免れんが為めに、ここに先ず幾個の題頭を一次に交代し清楚せん。譬如後文に「用神宜旺」と言うは、死に認めて四季当令のあの一種の旺と為す勿れ。ただ用神恰も日辰或いは月建に臨み、或いは日辰・月建・動爻・変爻の生扶を得、或いは用神長生に遇い・帝旺に逢うを、皆算して旺と為す。いわゆる「用神化吉」は、用神或いは元神発動したる後、変出の爻が回頭してそれを生じ、或いは長生を化出し・帝旺を化出し・扶助を化出し・日辰月建を化出するを指す。これら皆化吉と謂う。いわゆる「用神化凶」は、用神或いは元神発動したる後、変出の爻が回頭してそれを剋し、或いは絶を化し・墓を化し・空を化し・官鬼を化出し・退神を化出するを指す。これら皆化凶と謂う。
歲君:即當年太歲。歲五即卦中第五爻為太歲。五位:卦中第五位為君位。易經曰:九五之尊。身即世爻。古以身為卦身、身世,余試之不驗,後遇身者,即以之為世,非卦身,世身。三墓即用爻入日墓、入動墓、動而化墓,非古法之世墓、身墓、命墓。主象即定事吉凶之爻。古法以卦中世爻為主象,又名主事爻。即如占父母兄弟則卦中父母爻兄弟爻為主事爻,餘仿此。老陰而成少陽謂之變,老陽而成少陰謂之化。古以變如物消亡而後長出,退而又進。化如物之生成而後敗,進而又退。余試之不驗。化進神、化生旺,雖化亦為吉。變鬼、變克,雖變亦為凶。各章所言變即是化,化即是變。
再び幾個の名詞を交代せん。「歳君」は即ち当年の太歳なり。書中に「歳五」と言うは、卦中の第五爻正に太歳に当たるを指す。「五位」は卦中の第五爻を指し、是れ君位なり。《周易》乾卦に「九五之尊」と講ずるは即ちこの位置なり。書中の言う所の「身」は、一律に世爻を指す——旧法別に「卦身」「世身」の名目を立つ。野鶴老人試みて験なからず。故に後文およそ「身」字を見れば皆世爻と当作って看よ。卦身にあらず亦世身にあらず。「三墓」は用爻の日辰の墓に入り・動爻の墓に入り・発動して自ら化して墓に入るのこの三種を指す。旧法の言う所の世墓・身墓・本命墓にあらず。「主象」は即ちこの件事の吉凶を決定するのあの一爻なり。旧法は世爻を以て主象と謂い、又主事爻と謂う。本書は則ち占う所に按じて定む。譬如父母を占えば即ち父母爻を以て主事爻と為し、兄弟を占えば即ち兄弟爻を以て主事爻と為す。其余は類推す。「変」と「化」とに至っては、老陰変じて少陽と成るを「変」と謂い、老陽変じて少陰と成るを「化」と謂う。旧説に「変」は事物の消亡したる後重新して長出するに似て、退の中に進ありと講じ、「化」は事物の生成したる後随即敗壊するに似て、進の中に退ありと講ず。野鶴老人試みて併せて霊験ならず。彼の看法は、進神を化し生旺を化するは、称して「化」と曰うとも亦是れ吉なり。官鬼を変出し剋神を変出するは、称して「変」と曰うとも亦是れ凶なり。故に本書各章裡に「変」と言えば即ち「化」にして、「化」と言えば即ち「変」なり。両字は分別を加えず。
各門類応期總注章第又二十六
靜而逢值逢沖:如主事爻臨子水不動,後逢子日午日而應之,餘仿此。動而逢合逢值:如主事爻臨子水發動,後遇丑日子日而應之,餘仿此。太旺者逢墓逢沖:如主事爻臨午火,又遇巳火午月日占卦,或卦中巳午爻太多,後逢亥子日應之,又有戌日應之乃火入墓也,餘仿此。衰絕者,遇生遇旺:如主事爻屬金,占卦於巳午月日,即是休囚無氣,後逢土月日或至秋令當時,則旺矣!餘仿此。
この一章は「応期」を総注す。即ち事情のいずれの一天・いずれの一月に応ずるかなり。第一条、静爻は日に値り或いは沖日に応ず。譬如主事の爻は子水にして安静にして動かざれば、則ち子日(値)或いは午日(沖)に応ず。其余は類推す。第二条、動爻は合日或いは値日に応ず。譬如主事の爻は子水にして発動せば、則ち丑日(合)或いは子日(値)に応ず。其余は類推す。第三条、太旺の爻は墓に入り或いは沖せらるるの時に応ず。譬如主事の爻は午火にして、偏偏また巳月午月・巳日午日に卦を占い、或いは卦中巳午の爻太多にして、火旺極処に到れば、則ち亥日子日(水来たりて沖剋す)に応ず。亦戌日に応ずる有り。火は戌に墓するに因る。其余は類推す。第四条、衰絶の爻は生を得或いは轉旺の時に応ず。譬如主事の爻は金に属して、却って巳月午月・巳日午日に卦を占えば、火旺にして金衰す。正に休囚無気なり。則ち土月土日(土は金を生ず)或いは秋天に到りて金当令するを待ちて、它才に旺起し得べし。其余は類推す。
入三墓俱喜沖開:如主事爻臨午火,假使火墓於戌,後逢辰日則應之,餘仿此。遇六合亦宜相擊:如主事爻與月作合,或動而化合,吉凶必待沖開之月日應之。即如主象臨子,與丑作合,後逢午未日應之是也,餘仿此。月破喜填:如子月占,主事爻臨午火,乃為月破。後逢未日應之,謂之破而逢合。又有逢午月應之,填實之月,則不破矣!餘仿此。
第五条、およそ三墓に入るは皆一沖ありて墓庫を打開くを喜ぶ。譬如主事の爻は午火にして、火は戌に墓すれば、則ち辰日に応ず——辰戌相沖して、墓庫を沖開き、人事随いて動く。其余は類推す。第六条、六合に遇うも亦一沖を待つを要す。主事の爻と月建と相合し、或いは発動して合爻を化出して、合し絆せられたるは、吉凶皆沖開のあの一月あの一日を待ちて才に応ず。譬如主象は子水にして、丑土と相合せば、則ち午日或いは未日(午は子を沖し・未は丑を沖す)に応ず。其余は類推す。第七条、月破は填実を喜ぶ。譬如子月に卦を占いて、主事の爻は午火にして、子午相沖せば、即ち月破と成れり。後來未日に応じたり。午と未と合するに因りて、「破而逢合」と謂う。亦午月に応ずる有り。それは填実の月にして、一たび填実せば即ち破と算せず。其余は類推す。
旬空最愛填沖:詳空亡論章。大象吉而受克,須待克神受克:如用神臨辰土,得日月動爻生扶,乃為大象吉也。倘被寅卯克害,後逢申酉日沖剋克神則吉,餘仿此。大象凶而受克,須防克者逢生:即如前說,用神臨辰土,既無日月動爻生扶,乃為大象凶也。再逢寅卯剋制者,後逢寅卯亥日,則凶。餘仿此。元神來助來扶,貴看用神衰旺,忌神來沖剋,須觀元氣興衰。化進神、逢值逢合:如申動酉,乃為進神,為福為禍,有應申月日者,有應巳月日者,餘仿此。化退神、忌值忌沖:如酉化申,乃為退神,為凶為吉,有應申月日者,有應寅日月者,餘仿此。問有應於獨發獨靜:詳獨發章。問有應於變爻動爻:如爻臨戌土,變出酉金,其吉凶有戌日應者,有酉日應者,餘仿此。
第八条、旬空は最も填実或いは沖せらるるを喜ぶ。詳しくは前面の《旬空章》を見よ。第九条、大象本來吉にして用神剋を受くるは、それを剋するのあの神自己剋を挨くを待つを要す。譬如用神は辰土にして、また日辰・月建・動爻の生扶を得たれば、これは大象吉なり。倘若寅木卯木に剋害せられば、則ち申日酉日の金来たりて寅卯を沖剋するを待ちて、あの時才に轉じて吉と為る。其余は類推す。第十条、大象本來凶にして用神剋を受くるは、それを剋するのあの神反って生を得るを提防するを要す。なお辰土用神を以て例と為せば、すでに日月動爻の生扶なかれば、これは大象凶なり。再び寅卯に剋制せられば、則ち寅日・卯日或いは亥日(亥水は木を生じ、木はさらに力有り)に到りて、凶事即ち発作す。其余は類推す。第十一条、元神来たりて相助相扶するの時、要緊なるは用神本身の衰旺を看るなり。忌神来たりて沖剋するの時、要緊なるは元神の興衰を看るなり。第十二条、進神を化するは値日或いは合日に応ず。譬如申金発動して酉金を変出するは、是れ進神なり。それの帯来するは福か禍かを論ぜず、申月申日に応ずる有り、亦巳月巳日(巳申相合)に応ずる有り。其余は類推す。第十三条、退神を化するは値日を忌み沖日を忌む。譬如酉金変出して申金と成るは、是れ退神なり。吉凶を論ぜず、申月申日に応ずる有り、亦寅月寅日に応ずる有り。其余は類推す。第十四条、独発或いは独静の爻上に応ずる有り。詳しくは後面の《独発章》を見よ。第十五条、変爻或いは動爻上に応ずる有り。譬如某爻は戌土にして、酉金を変出せば、則ち吉凶は戌日に応ずる有り、亦酉日に応ずる有り。其余は類推す。
勿謂爻之不驗,遠近當分:遠事定之以年月,近事應之於日時。再問有占遠應近,占近應遠,占月應年,占日應時,亦所當知。倘遇卦之不明,再占是一法。卦有恍惚者,再占一卦,不可妄斷。世空元動,須待元神逢值。如甲辰旬,占求財,得困之坎,主亥日得財,餘仿此。世衰元靜,必然是元氣逢沖。如秋占圖謀,得困卦後逢巳日成事,餘仿此。
最後の幾条。動輒卦爻験なしと言う勿れ。応期の遠近は本來分け清むべし。長遠の事を占うは、年月を用いて定む。眼前の事を占うは、日時上に応ず。此の外また遠事を占いて却って近処に応じ、近事を占いて却って遠処に応じ、本來月に応ぜんと想うて却って年に応じ、本來日に応ぜんと想うて却って時に応ずるの情形あり。亦皆心裡に数あるを要す。倘若卦象明白ならざるに遇上せば、再び一卦を占うは即ち一個の辦法なり——卦に含糊恍惚あれば、即ち再び一卦を占いて合せ參ぜよ。空に憑りて乱れ断ずべからず。また両句あり。「世空元動、須待元神逢値」。譬如甲辰旬裡に求財を占いて、沢水困を得て坎為水に変ずれば、世爻空に落ちて元神発動す。則ち亥日に応じて財を得べし(亥は元神の値日なり)。其余は類推す。「世衰元静、必然元気逢沖」。譬如秋天に事を謀るを占いて、沢水困卦を得れば、世爻衰にして元神安静なり。則ち元神の沖動せらるるの日を待つを要す。後來巳日に応じて事を成せり。其余は類推す。
帰魂遊魂章第又二十六
游魂卦為各宮之第七卦,如乾宮中之火地晉,坤宮中之水天需。歸魂卦為各宮之第八卦,如乾宮中之火天大有,坤宮中之水地比。古以游魂行千里,我行此事而欲久者,游魂而不能久,心無定向,遷改不常。占身命無安家樂業之所,占行人遊遍他鄉。占出行,行無定止。占家宅,遷變不常,占墳塋,亡靈不能安妥。野鶴曰:須以用神為主,然後以此參之,若舍用神執此而斷者,謬也。古以歸魂不出疆,諸事拘泥不行,與游魂卦相反而斷之,可也。野鶴曰:亦須以用神為主。
「遊魂卦」は每宮の第七卦にして、乾宮の火地晋・坤宮の水天需のごとし。「帰魂卦」は每宮の第八卦にして、乾宮の火天大有・坤宮の水地比のごとし。旧説に遊魂は「行千里」を主ると講ず。我一件事を為して本來長久を想うに、遊魂を占い得れば即ち長久なる能わず。心は定向なく、改め来たりて改め去る。身命を占うは、家を安んじ業を樂しむの処なし。外出の人を占うは、漂游して他郷に在り。出行を占うは、行蹤定まらず。家宅を占うは、遷移常なし。墳塋を占うは、亡霊安妥を得ず。野鶴老人曰く、これらはただ参考を作す可きのみ。卦を断ずるはなお須らく用神を以て主と為し、先ず用神を看、再び遊魂の義を拿げて以て参照せよ。もし用神を撇開して単に遊魂を憑りて断断ぜば、則ち錯れり。旧説また帰魂は「不出疆」を主ると講ず。諸事拘泥して進行する能わず。正に遊魂と相反す。かくのごとく対照して断ずるも亦可なり。野鶴老人依旧として強調す。帰魂卦は同様に必ず用神を以て主と為すべし。
增删卜易卷之二
野鶴老人著,楚江李坦我平鑑定,湖南李文輝覺子增刪,男婿陳文吉茂生、茹芝山秀仝校。
本巻は「野鶴老人」撰著し、楚江人李坦(字は我平)鑑定し、湖南人李文輝(号は覚子)增删し、李文輝の両位の女婿陳文吉茂生・茹芝山秀と一同に校訂す。「鑑定」は全書の是非を審定するなり。「增删」は旧説中の謬誤を删去し、親身の占験して得たる所を補入するなり。これ亦正に本書の名を取りて《増删卜易》と為すの由来なり。
月破章第二十七
正申、二酉、三戌,四亥、五子、六丑、七寅、八卯、九辰,十巳、十一午、十二未,月建沖之為月破,逐月之破日是也。諸書皆以用神臨月破如悖時也,即是枯根木,逢生生之不起,逢傷更傷者重,雖現於卦,有跡如無,伏於卦中,終莫透露,雖有日辰之生,亦不能生,動而作忌神者不能為害,作變爻者不能傷克動爻。
正月の月破は申、二月は酉、三月は戌、四月は亥、五月は子、六月は丑、七月は寅、八月は卯、九月は辰、十月は巳、十一月は午、十二月は未なり。およそ当月の「月建」に沖せらるる地支を即ち「月破」と謂う——正月は寅を建て、寅申相沖すれば、故に正月は申を以て破と為す。其余の各月は皆此に照らして推す。每月中にこの地支に輪到するのあの一天は、即ち当該月の「破日」なり。各家の卜書皆曰く、用神月破上に落つるは、譬えば人の生まれて時に逢わざるがごとく、また一株の根すでに枯れたる樹のごとし。別の爻来たりてそれを生ずるも扶け起す能わず、別の爻来たりてそれを傷るは却って傷ること格外重し。かくのごとき爻は明らかに卦中に現ずといえども、形迹有りて亦無きに等し。もし卦裡に伏蔵せば、終究透露し出づる能わず。縱に日辰の来生有るとも、亦それを生起す能わず。それ発動して忌神を充當するも、人を害する能わず。それ変爻を為すも、亦動爻を傷剋する能わず。
野鶴曰:餘得其驗,動則能傷於爻,變則能傷於動,何也?神兆機於動。事之無吉無凶則不動矣,既動則有禍福之基,目下雖破,出月則不破,今日雖破,實破之日則不破,合之日則不破,近應日遠應年月。惟而不動又無日辰動爻生助者則到底而破矣。
野鶴老人自ら述べて曰く、我親試して得たる所は旧説と同じからず——月破の爻はただ発動せば、照様に能く別の爻を傷る。変爻を為すも、照様に能く変ずる所の動爻を傷る。何を以てか。「神兆機于動」を以てなり。神意は爻の発動を借りて以て機兆を顕出す。一件事もし吉無く凶無からば、卦爻は本來動く能わざるなり。すでに動けば、すでに禍福の根子を埋下せり。眼下は破なりといえども、この月を出でば便ち破せず。今日は破なりといえども、「実破」の日(本支当値して填実するの日)に到れば便ち破せず、それと相合するの日に到るも亦破せず。応期近きは日上に応じ、遠きは年月上に応ず。ただあの種のすでに月破に落ち・また安静にして動かず・さらに日辰動爻の来たりて生助する無きの爻のみ、是れ破到底して終歸無用なり。
如亥月已丑日占將來有官否。得兌化訟卦 父母未土″世 動 父母戌土′ 兄弟酉金′ 兄弟申金′ 子孫亥水′ 官鬼午火′世 父母丑土″應 官鬼午火″ 妻財卯木′ 父母辰土′ 官鬼巳火′ 動 妻財寅木″應 此卦官動而生世,世動化進神,雖然有官之象,但官逢月破,世遇旬空,然空者猶月日辰相沖,沖空則實不為空矣,而破者又無日辰動爻之生,占以日建亦生不起,況無日建動爻以生乎?餘疑之即無所用,何故動而生世?命之再占,又得出水地比卦。
これは一則の実占なり。亥月己丑日(原文は「已丑」と作る)に将来官を得べきか否かを占いて、「兌為沢」を揺出して「天水訟」に変ず。本卦は上より下へ、上爻父母未土(世爻、発動、父母戌土を変出)、五爻兄弟酉金(兄弟申金を変)、四爻子孫亥水(官鬼午火を変、変卦の世と為る)、三爻父母丑土(応爻、官鬼午火を変)、二爻妻財卯木(父母辰土を変)、初爻官鬼巳火(発動、妻財寅木を変、変卦の応と為る)。此卦官鬼発動して来たりて世爻を生じ、世爻自身発動してまた「進神」を化出す。看去確かに官有るの象なり。しかるに初爻巳火官星は正に亥月に当たり、巳亥相沖して官は「月破」に落つ。世爻未土また旬空の内に在り。落空の爻は月建日辰の来沖に遇いて、「沖空則実」、反って空と算せず。しかるに落破の官星はすでに日辰・動爻の来生なく、縱に日建有るとも亦それを生起す能わず。況んや卦中根本に日建動爻のそれを生ずるなきを。野鶴老人此に因りて疑いを起す。すでに月破の爻は一も用うる所なからば、それ何を以てかなお発動して来たりて世を生ずる。於是にあの人をして再び一卦を占はしめて、水地比を得たり。
妻財子水″應 妻財子水″應 兄弟戌土′ 兄弟戌土′ 子孫申金″ 子孫申金″ 官鬼卯木″世 官鬼卯木″世 父母巳火″ 父母巳火″ 兄弟未土″ 兄弟未土″ 斷曰:命若無官,官不得生世持世,今即前卦動官相生,後得官臨世位,食祿王家終須有日。彼問:應在何年?余曰:前卦官臨月破,定於實破之年,果於巳年承襲長房世職,若以月破,百無所用,霄壤之隔也。
後の一卦水地比は六爻安静にして、上より下へ、上爻妻財子水(応爻)、五爻兄弟戌土、四爻子孫申金、三爻官鬼卯木(世爻)、二爻父母巳火、初爻兄弟未土。野鶴老人断じて曰く、一個人命裡にもし官なからば、官星は即ち来たりて世を生ぜず、亦世爻上に坐せざらん。いま前の一卦官星発動して相生し、後の一卦官星また正に世位に臨めば、見るべし朝廷の俸禄を領受するは終にその日あらん。あの人いずれの一年に応ずるかを問う。答えて曰く、前卦の官星は月破に臨めば、即ち「実破」の年に定む——破爻は本支当値の年份に到れば、破は反って填実す。後に果たして巳年に長房の世職を承襲せり。正に前卦のあの巳火官星に応ず。倘若旧説に照らして月破を一概に百の用うる所なしと看成せば、断じ出だしたる結果は事実と真に天壌の別あらん。
又如辰月戊子日占父何日歸得乾之夬 父母戌土′世 動 父母未土″ 兄弟申金′ 兄弟酉金′世 官鬼午火′ 子孫亥水′ 父母辰土′應 父母辰土′ 妻財寅木′ 妻財寅木′應 子孫子水′ 子孫子水′ 父母持世,破而化空,既無日生,又無動助,以古法斷者,作用神而無氣,其父不能歸也。餘不以此論之,竟斷朱雀臨父動而持世,卯日有信,午未日必歸,果於卯日得信,乙未日到家,應卯日得信者,破而逢合之日也。應未日歸者,父化未土旬空出空之日到也。古訣用神之論謂之動逢月破,我位既失,化月建,為退之不及。此卦父爻破而動而化空,競退以歸家。
又如く辰月戊子日に父親いずれの天に回り来るかを占いて、「乾為天」を揺出して「沢天夬」に変ず。本卦は上より下へ、上爻父母戌土(世爻、発動、父母未土を変出)、五爻兄弟申金(兄弟酉金を変、変卦の世と為る)、四爻官鬼午火(子孫亥水を変)、三爻父母辰土(応爻)、二爻妻財寅木(変卦中に応と為る)、初爻子孫子水。父親を占うは父母爻を以て用神と為す。用神恰好世を持す。戌土は辰月に辰に沖せられ、是れ「月破」なり。発動して変出する未土また旬空裡に落つ。すでに日辰のそれを生ずるなく、また動爻のそれを扶けるなく、もし旧法に照らさば、用神気なく、父親回り来る能わず。野鶴老人は却ってこのように断ぜず。戌爻上は「朱雀」を乘ず。朱雀は音信を主る。父爻朱雀を帯びて発動してまた世を持せば、便ち卯日に信あり・午未日に必ず歸らんと断ず。後に果たして卯日に家書を得、乙未日に家に到れり。卯日に信を得るに応じたるは、卯戌相合して、破爻合に逢うの日便ち作用を起すに因る。未日に家に歸るに応じたるは、父爻の化する所の未土正に旬空に落ち、空を出づるあの天人即ち到れりに因る。旧訣に用神を論ずるに一条あり。発動して月破に逢えば、本位すでに失守せり。戌化未は「退神」にして、又化月建はただ「退之不及」を算すと言う。しかるにこの一卦は父爻すでに破・また発動・また空を化す。偏偏一路退りて家に回れり。
又如午月癸卯日占後遇功名 官鬼寅木′世 官鬼卯木′ 妻財子水″ 動 父母巳火′ 兄弟戌土″ 兄弟未土″世 子孫申金′應 動 官鬼卯木″ 父母午火″ 父母巳火″ 兄弟辰土″ 兄弟未土″應 斷曰:寅木官星持世被申金動爻克,今年七月必有凶。彼曰:看因何事。余曰:應動而克世,必有仇家。又問:礙於功名否。余曰:若非子水動爻,去位必矣,幸有子孫接續相生,降級離任而不免耳。
又如く午月癸卯日に今后の功名を占う。卦象は上より下へ、上爻官鬼寅木(世爻、官鬼卯木を変)、五爻妻財子水(発動、父母巳火を変)、四爻兄弟戌土(兄弟未土を変、変卦の世と為る)、三爻子孫申金(応爻、発動、官鬼卯木を変)、二爻父母午火(父母巳火を変)、初爻兄弟辰土(兄弟未土を変、変卦の応と為る)。野鶴老人断じて曰く、寅木官星は世爻上に坐せども、却って三爻申金発動して来剋せらる。今年七月に必ず凶事あらん。あの人何の事に因るかを問う。答えて曰く、応爻発動して来たりて世爻を剋せば、必ず仇家を招きたるなり。又問う、功名を妨害するか。答えて曰く、もし五爻子水のこの動爻無からば、官位一定に丟掉せん。幸いに申金は子水を生じ・子水また寅木を生じ、一路接続相生して関を通ぜり。則ちただ級を降り任を離るるのみ。この一層は却って免るべからず。
次日,有幕客知易理而問曰:既知子水,接續相生,卜書有云,忌神與原神同動,官與世爻得兩生也,今冬高升之兆,如何反說離任。余曰:子水破而化空,卜書有曰:雖有如無,作原神而無用,餘因不依古法,而斷神兆機於動,動必有因,所以斷之降級而已。若在冬至月,始有此驗,倘在他月,子水而未實破,還不可知。果於七月,成大非,冬至月事結降級調用。餘彼時,已往他省,復來呼喚,至彼而又卜之。
第二天、易理を懂る幕僚有りて来たりて問う。すでに子水の中間に在りて接続相生するを知れば、卜書上に忌神と元神と同時に発動して、官星と世爻と両頭皆生を得ると講ず。今冬は正に高陞の兆なり。あなたどうして反って任を離るべしと言うや。野鶴老人答えて曰く、子水は午月に沖せられ、正に月破なり。変出の巳火また旬空に落つ。卜書にかくのごとき爻を「雖有如無」と講ず。元神を為すも亦作用を起す能わず。我の旧法に照らして断断ぜざる所以は、「神兆機于動」を以てなり——爻すでに動けば、必ずそれ動くの縁故あり。故にただ級を降るに至るまで断ず。しかもこの応験は冬至のあの月(子月)に到りて才に分暁を見ん。あの時子水は正にその破を填実す。もし別の月份に換えば、子水はなお未だ破を実せず。なお説准る能わず。後に果たして七月に大乱子を出だし、冬至の月に到りて案子了結して、級を降り另行調用せらる。あの時野鶴老人はすでに別の省に去れり。主人また人を派して来たりて請えば、あの処に到りてまた一卦を占えり。
寅月丙辰日占得地澤臨 子孫酉金″ 子孫酉金″ 妻財亥水″應 妻財亥水″應 兄弟丑土″ 兄弟丑土″ 兄弟丑土″ 兄弟丑土″ 官鬼卯木′世 官鬼卯木′世 父母巳火′ 父母巳火′ 余曰:聞得士民保留,鞏蒙不必,待子年仍以原品起用,知易理幕客在坐,問曰:九五亥水生官,如何不允。余曰:被日克,將來子年亥水旺也,又合前卦,五爻子水值太歲而不破,起用無疑。
寅月丙辰日に占えば、地沢臨を得たり。六爻安静にして、上爻子孫酉金、五爻妻財亥水(応爻)、四爻兄弟丑土、三爻兄弟丑土、二爻官鬼卯木(世爻)、初爻父母巳火。野鶴老人曰く、本地の士民正に上書して挽留を聞く。ただ未だ必ずしも准る能わざるを怕る(此句原文は「鞏蒙不必」と作る。字に訛脱あり)。子年に至るを待ちて才に原品級に照らして起用せん。座に在るあの易理を懂る幕僚問う、五爻亥水は官星卯木を生ず。何を以てか挽留准らざる。答えて曰く、亥水は丙辰日の辰土に剋せられ、眼下力なし。将来子年に到れば、水旺当令して、亥水才に勢を得ん。再び前面のあの一卦に合せて看れば、前卦五爻は正に子水にして、子年に到ればそれは太歳に値り、即ち再び破ならず。起用は疑問なきなり。
果於甲子年巳月仍以原品起用專補兩任,卯年而開督府。餘勸離榮,公曰:何也?余曰:仍以前卦決。因申金克世,子雖動臨破化空,不能生世生官,所以成非構怨。及子月雖則實破,其力尚輕,雖不至於削職,猶有降級之事。值子年乃實破之年也,值太歲是以當權起用。明年辰戌是子水入墓之年,太歲克去子水,申金仍復克世。有克無生,較昔年之禍更甚,不聽,果於辰年三月,條陳雖留萬世芳名,而得罪解往矣。士之辨日破者乃因破而動,勿以此斷。
後に果たして甲子年巳月に原品級に照らして起用せられ、接続して両任の実缺に補し、卯年に至りて府を開いて総督と為れり。野鶴老人は却って彼に急流勇退を勧む。あの位の公卿何を以てかを問う。答えて曰く、なお前の一卦に照らして決断す。前卦の申金は世爻を剋し、子水は発動すといえども、却又月破に臨み・また旬空を化して、世を生ずる能わず亦官を生ずる能わず。故に才に是非を招き出だし怨仇を結びたり。子月に到れば、子水は破を填実すといえども、力量なお軽し。此に因りて革職に至らず、ただ級を降るのみ。子年に到れば才に真の実破の年にして、また太歳当権に値す。故に能く起用せらる。明年辰年は子水の墓に入るの年にして(水は辰に墓す)、太歳の土は子水を剋去し、申金便ちまた回頭して来たりて世を剋す。剋有りて生なし。当年のあの場の禍よりも重し。彼は聴かず。後に果たして辰年三月に、上条陳は万世の美名を留めたりといえども、罪を獲て押解せられて去れり。以上の辨ずる所の月破は、言う所は皆破に因りて発動するの爻なり。安静にして動かざるの破爻はこのように照らして断ずべからず。
李我平曰:易冒之論,月破動作忌神而無害,動作元神而無用,動逢日辰生之而不起,曰百無所用之卦也。易林補遺亦曰:如臨月破之爻,不拘衰旺,更作凶推,逢生不受,遇克能招,亦謂雖有而如無也,觀此艮之觀卦,占時而值月破,不能接續相生,勾訟士庭,值月建以填宮,其力尚輕,猶有降罰之事,值太歲而當權仍以原品而起用,至辰而入墓禍匪輕,平生凶吉,關乎一爻月破,豈可謂之有亦如無,毫無所用耶?
李我平曰く、《易冒》の月破を論ずるは、それの発動して忌神を為すも亦人を害する能わず、発動して元神を為すも亦作用を起す能わず、発動して日辰の来生に遇うも亦それを生起す能わず、総じて歸る所は「百无所用」の一爻なりと言う。《易林補遺》も亦曰く、およそ月破に臨むの爻は、衰旺を管せず一概に凶を作して推し、生に遇うても受け起す能わず、剋に遇うては却って招き来たす。同様に「雖有如無」の意思なりと。しかるに上面のあの一卦(原文は「艮之観卦」と作る)を看れば、占うの時子水は正に月破に値り、因りて接続相生する能わず。以て訟事に牽連し公庭に對簿するを致せり。子月に到りて本宮を填実すれども、力量はなお尚輕く、ただ級を降るの處分を落とすのみ。子年に到りて太歳当権に値れば、便ち原品に照らして起用せらる。辰年に到りて子水墓に入れば、禍事は即ち軽からざるなり。一個人の半生の吉凶は、全てこの一爻の月破上に係る。どうしてそれを「有也如無」・毫も用うる処なしと言う能わんや。
飛伏神章第二十八
若用神不現,即以日月為用神,倘日月非用神者,則於宮首卦尋之,因本宮首卦,父子財官六親俱全之故耳,假令占得天風姤卦 父母戌土′ 兄弟申金′ 官鬼午火′應 兄弟酉金′ 子孫亥水′ 父母丑土″世
およそ卦中に用神を見ざれば、先ず日辰月建を看よ。日月は正に要する所のあの一位の六親なれば、即ち日月を用いて用神に当つ。倘若日月は併せて用神にあらざれば、即ち本宮の首卦(八純卦)裡に到りて尋ねよ。本宮首卦は父母・子孫・妻財・官鬼の六親斉全にして、一定に找し得るを以てなり。譬如天風姤を占い得ば、上より下へ、上爻父母戌土、五爻兄弟申金、四爻官鬼午火(応爻)、三爻兄弟酉金、二爻子孫亥水、初爻父母丑土(世爻)。
若占妻財,取財爻為神,用此姤卦以寅卯木爻為妻財,今六爻無寅卯,即是用神不上卦,如於寅卯月占者,則以日月為用神,倘非寅卯月,須在宮首卦,乾為天卦內尋之。乾宮首卦乾為天。 父母戌土′世 兄弟申金′ 官鬼午火′ 父母辰土′應 妻財寅木′ 子孫子水′
假如妻子を占い或いは銭財を占わば、即ち妻財爻を取りて用神を為す。姤卦は乾宮に属し、乾宮は木を以て妻財と為す。故に寅木卯木を看るを要す。いま六爻裡に併せて寅卯なければ、これ即ち「用神不上卦」と謂う。もし正に寅月卯月に占いしなれば、便ち月建を以て用神に当つ。もし寅卯月にあらざれば、即ち本宮首卦の乾為天裡に到りて尋ねるを得べし。乾宮首卦は乾為天にして、上より下へ、上爻父母戌土(世爻)、五爻兄弟申金、四爻官鬼午火、三爻父母辰土(応爻)、二爻妻財寅木、初爻子孫子水。
此卦寅木妻財在二爻,即以此寅木伏於姤卦亥水之下,姤卦二爻之亥水即為飛神,寅木妻財即為伏神,亥水而生寅木,謂之飛來生伏得長生,此用神不現,尋得伏神而遇生扶有用,亦為用神,便作吉斷,餘仿此。又如占得天山遁 父母戌土′ 父母戌土′ 兄弟申金′應 兄弟申金′應 官鬼午火′ 官鬼午火′ 兄弟申金′ 兄弟申金′ 官鬼午火″世 官鬼午火″世 父母辰土″ 父母辰土″
乾為天の妻財寅木は二爻に在れば、即ちこの寅木を姤卦の二爻亥水の底下に安ず。姤卦二爻の亥水を「飛神」と謂い、それの下面に蔵する寅木妻財を即ち「伏神」と謂う。亥水は寅木を生ず。これを「飛来生伏」と謂い、伏神は長生を得たり。このように用神は卦に上がらずといえども、却って伏神を尋ね得てしかも伏神は生を受け扶を受くれば、それは照様に能く用神を当てて使用す。便ち以て吉を断ず可し。其余は類推す。又如く天山遯を占い得ば、上より下へ、上爻父母戌土、五爻兄弟申金(応爻)、四爻官鬼午火、三爻兄弟申金、二爻官鬼午火(世爻)、初爻父母辰土。
如占子孫,取子孫為用神,此係乾宮卦,水為子孫,今六爻並無亥水,亦是子孫不現,倘在亥子月日占者,即以月日為用神,若非亥子月日亦在乾為天卦內尋之,乾為天初爻之子水子孫以伏於遁卦初爻辰土之下,辰土即是飛神,子水便是伏神,此乃飛來克伏,謂之飛克,伏神遭克害,名為伏神受制,有用亦無用矣,即作凶推,餘仿此。
假如子女を占わば、即ち子孫爻を取りて用神を為す。天山遯は乾宮に属し、乾宮は水を以て子孫と為す。いま六爻裡に併せて亥水なし。此も亦是れ子孫の卦に上がらざるなり。倘若正に亥月子月・亥日子日に占いしなれば、即ち日月を以て用神に当つ。もし亥子月日にあらざれば、依旧として乾為天卦裡に到りて尋ねよ。乾為天の初爻の子水子孫は、便ち遯卦の初爻辰土の底下に伏す。辰土は飛神にして、子水は伏神なり。土は水を剋す。これを「飛来剋伏」と謂い、簡称して「飛剋」と曰う。伏神すでに剋害を遭えば、即ち「伏神受制」と謂う。縱に用有るとも亦無用と変成す。ただ凶断を作すのみ。其余は類推す。
伏神有用者有六:伏神得日月生者一也;伏神旺相者二也;伏神得飛神生者三也;伏神得動爻生者四;伏神得遇日月動爻沖剋飛神者五也;伏神得遇飛神空破休囚墓絕者六也。黃金策曰:空下伏神,易於引撥,此論近理,但有不獨飛神空亡而伏神得出,但得飛神臨破休囚入墓而伏神皆易出也,何也?飛神逢破墓衰空,雖有若無,所以伏神易於出現。此六皆有用之伏神也,雖曰不現亦如現矣。
伏神の能く作用を起すに六種の情形あり。一は伏神の日辰月建の来生を得るなり。二は伏神本身の旺相当令するなり。三は伏神のそれの上面に圧する飛神の来生を得るなり。四は伏神の卦中動爻の来生を得るなり。五は日月或いは動爻の去りて飛神を沖剋して、それを圧し住むの東西を打開くなり。六は飛神の自己空に落ち・破に逢い・休囚・墓に入り・絶に逢い、それを圧して住めざるなり。《黄金策》に「空下伏神、易於引拔」と言う。飛神の空に落つれば伏神は容易に出頭す。この話は理に近し。ただ飛神の空亡の一種に止まらず。飛神の月破に逢い・休囚・墓に入るも、伏神は皆容易に出づる能し。何を以てか。飛神は一旦破に逢い・墓に入り・衰弱・空に落てば、本身即ち有りと雖も無きがごとし。底下の伏神を圧し住む能わず。伏神は自然に顕現し易し。以上の六種は皆有用の伏神にして、卦に上がらずと説うとも、実は卦に上がりたると一様なり。
又伏神終不得出者有五。伏神休囚無氣者一也;伏神被日月沖剋者二也;伏神被旺相之飛神克者三也;伏神墓絕於日月飛爻者四也;伏神伏囚值空月破者五也。此五者乃無用之伏神也,雖有如無,終不能出。黃金策曰:伏居空地,事於心違。餘得驗者,非此論也。凡用神旺相而遇旬空,出空之日則出矣。
反って伏神の終究出で来る能わざるに五種あり。一は伏神の休囚無気なり。二は伏神の日辰月建に沖剋せらるるなり。三は伏神の旺相の飛神に剋せらるるなり。四は伏神の日月或いは飛爻上に墓に逢い・絶に逢うなり。五は伏神すでに伏して休囚にして、また旬空或いは月破に落つるなり。この五種は無用の伏神にして、有りと雖も無きに等しく、終究頭を出ずる能わず。《黄金策》また「伏居空地、事与心違」と言う。意思は伏神の空に落つれば則ち事情は如ごとく意ならざるなり。野鶴老人の親試して験したる所に照らせば、併せてこの道理にあらず——およそ用神本身旺相にして、ただ暫時旬空に遇うのみ。空を出づるのあの一日を待てば、それは自然に出で来たるなり。
如卯月壬辰日占候文書何日得領,得山火賁卦 官鬼寅木′ 妻財子水″ 兄弟戌土″應 妻財亥水′ 父母午火/兄弟丑土″ 官鬼卯木′世 午火父母為用神,空而伏於二爻丑土之下,壓住難出,許甲午日出空必得,果得於甲午日。
これは一則の実占なり。卯月壬辰日に等候の公文のいずれの天に領し得べきかを占いて、「山火賁」を揺出す。六爻安静にして、上爻官鬼寅木、五爻妻財子水、四爻兄弟戌土(応爻)、三爻妻財亥水、二爻兄弟丑土(その下に父母午火を伏す)、初爻官鬼卯木(世爻)。文書を占うは父母爻を以て用神と為す。卦中に見えず、正に二爻丑土の下に伏し、また旬空に値して、丑土に圧し住められ、一時出で来る能わず。野鶴老人便ちそれに甲午日の空を出づるの時必定領し得べしを許す。後に果たして甲午日に手に領し得たり。
又酉月丙辰日占子病。得地風升 官鬼酉金″ 父母亥水″ 子孫午火/妻財丑土″世 官鬼酉金′ 父母亥水′ 妻財丑土″應 黃金策曰:空下伏神,易於引撥,此卦午火子孫伏於丑土之下,丑土旬空伏易出,許午日子孫出現必愈,果於午日起床。
又如く酉月丙辰日に兒子の病を占いて、「地風升」を揺出す。六爻安静にして、上爻官鬼酉金、五爻父母亥水、四爻妻財丑土(世爻、その下に子孫午火を伏す)、三爻官鬼酉金、二爻父母亥水、初爻妻財丑土(応爻)。《黄金策》に「空下伏神、易於引拔」と言う。この一卦は兒子を占うに子孫爻を取りて用神と為す。午火子孫は正に四爻丑土の下に伏し、しかも丑土は恰も旬空の内に在り。飛神すでに空なれば、伏神は容易に出頭せん。野鶴老人午日の子孫出現の時に病必ず痊愈せんを許す。後に果たして午日に即ち牀を下れたり。
以上用神不現,皆在本宮首卦尋之,古法又有凡得八純首卦用神若值空破,又在他宮尋之,比如占得乾為天內有用神空破衰絕者,往坤宮尋之,謂之乾坤來往互換,易林補遺又以歸魂卦取離宮第四卦也。野鶴曰:何必如此?用神衰敗則禍福已知矣,為何不再占一卦合斷?餘於用神不現,即有伏神亦不用之,再占兩卦用神必現。
以上に講ずる所の用神の卦に上がらざるは、皆本宮首卦の裡に到りて伏神を尋ねるなり。旧法また一条あり。およそ八純首卦に揺り到れば、用神もし正に空破に落てば、即ち再び別宮に往きて尋ねよ——譬如乾為天を占い得て、卦裡の用神が空破衰絶なれば、便ち坤宮に往きて找す。「乾坤来往互換」と謂う。《易林補遺》また帰魂卦は離宮の第四卦を取るを要すと言う。野鶴老人曰く、何ぞ必ずしもこれらの弯子を繞らんや。用神すでに衰敗せば、禍福は実はすでに明白に擺れり。何を以てか干脆再び一卦を占いて合げて断ぜざる。我は用神の卦に上がらざるに遇上せば、伏神有るを算すとも亦それを用いることなし。只管再び両卦を占う。用神は一定に顕現せん。
一日到一宅上見醫者滿座。卯月丙辰日占父病得地雷復卦 子孫酉金″ 妻財亥水″ 兄弟丑土″應 兄弟辰土″ 官鬼寅木″ 妻財子水′世 父母用神不現,明知巳火父母伏於二爻寅木之下,旺木以生巳火,飛來生伏,必愈之症,不以此斷,令再卜之,占得山澤損。
ある天一戸の人家に到り、ただ請じ来たる医師の屋に満ちて坐するを見るのみ。卯月丙辰日に父親の病を占いて、「地雷復」を揺出す。六爻安静にして、上爻子孫酉金、五爻妻財亥水、四爻兄弟丑土(応爻)、三爻兄弟辰土、二爻官鬼寅木、初爻妻財子水(世爻)。父親を占うは父母爻を取りて用神と為す。卦中に見えず。野鶴老人明らかに巳火父母の正に二爻寅木の下に伏するを知る。卯月は木旺にして、旺木は巳火を生ず。是れ「飛来生伏」なり。この断法に照らせば必ず治し可きの症なり。彼は却って此に就きて定断するを肯んぜず。あの家人をして再び一卦を卜はしめて、山沢損を得たり。
官鬼寅木′應 官鬼寅木′應 妻財子水″ 妻財子水″ 兄弟戌土″ 兄弟戌土″ 兄弟丑土″世 兄弟丑土″世 官鬼卯木′ 官鬼卯木′ 父母巳火′ 父母巳火′ 巳火父母明現於初爻,春占木旺火相,斷之即愈,彼因病勢甚危,伊猶未決,次子又占,得漸之巽。
山沢損は上より下へ、上爻官鬼寅木(応爻)、五爻妻財子水、四爻兄弟戌土、三爻兄弟丑土(世爻)、二爻官鬼卯木、初爻父母巳火。この一卦は巳火父母明々白々に初爻上に現ず。春天に卦を占えば木旺にして火相なり。父母爻は気を得て力有り。即刻愈ゆ可しと断ず。ただ病勢太重なるに因りて、あの家人はなお放心せず。於是に次子また一卦を占いて、風山漸を得て巽為風に変ず。
官鬼卯木′應 官鬼卯木′世 父母巳火′ 父母巳火′ 兄弟未土″ 兄弟未土″ 子孫申金′世 子孫酉金′應 父母午火″ 動 妻財亥水′ 兄弟辰土″ 兄弟丑土″ 餘疑曰:兩卦俱當即愈,如何此卦亥水回頭克父母,忽而悟曰:是也,前兩卦巳火旺不受傷克,乃應目前之愈,此卦亥水克父,今冬難延,即到前令自占,此卦竟於前卦相同,再請夫人卜之,又得此卦。
風山漸変じて巽為風と成るは、上より下へ、上爻官鬼卯木(応爻、変卦中に世と為る)、五爻父母巳火、四爻兄弟未土、三爻子孫申金(世爻、子孫酉金を変、変卦の応と為る)、二爻父母午火(発動、妻財亥水を変出)、初爻兄弟辰土(兄弟丑土を変)。野鶴老人疑いを起す。前の両卦は皆立刻痊愈すべし。どうしてこの一卦は父母午火発動して、反って変出の亥水に回頭して来剋せらるる。念を轉じて忽然として明白す。前の両卦は巳火旺相にして傷剋を受けず。応ずる所は眼前に即ち好きせん。この一卦は亥水の父爻を剋するは、応ずる所は今冬は支撐し難きなり。於是に病人の跟前に走り至り、彼をして自ら一卦を占はしむ。得る所は竟にこの一卦と同じかりき。再び彼の夫人を請じて来たりて卜せしむるも、又是れこの一卦なり。
餘連見此卦,毛骨松然,有神乎?無神乎?占父亥水回頭克父,自占病亥水克世,妻占夫亥水剋夫,三卦雷同,同如一手推出,今冬之危,扁鵲亦難為矣,餘且不言,只以前卦斷目前之愈,問請醫曰:卦中不得見,列位各見何如?曰:病勢甚險,遂公議一方,對症便好,不然只看陰功德行耳,內有一位冷笑不言,餘請問姓,答曰,姓壽,因私問曰:此公之祥,何如?彼曰:我可治之,不服我藥,奈何。
野鶴老人接続して同一の卦を見て、禁じて毛骨悚然とせず。この世の上は到底神有るか無神あるか。兒子は父親を占いて、是れ亥水の回頭して父爻を剋するなり。病人は自ら占いて、是れ亥水の世爻を剋するなり。妻子は丈夫を占いて、是れ亥水の夫爻を剋するなり——三卦は一手に出ずるがごとく、全然一様なり。今冬のこの一関は、即ち扁鵲の再世なりとも亦挽回し難し。彼は暫時説破せず、ただ前の一卦を拿げて眼前は好轉せんと断じ、轉じて座に在る医師に問う。卦上はなお明白ならず。諸位は各々何の見解あるか。衆医曰く、病勢甚だ険なり。於是に公議して一個の方子を出だす。対症なれば便ち好し。不然れば即ちただこの家人の平日の陰功徳行を看るのみ。内中に一位ありてただ冷笑して口を開かず。野鶴老人彼の貴姓を請問せば、答えて姓は寿と言う。便ち私下に彼に問う、この位の老先生の吉凶いかん。寿医師曰く、我は治し得べし。ただ彼は我の薬を服するを肯んぜず。何の辦法かあらん。
餘暗囑其子曰:太翁之病,須用姓壽者治之。次早壽姓來謝,餘問將來何如?壽曰:目下不妨,今冬難保。余曰:公言與數相合,真神醫也。果絕於亥月,餘之不取伏神,多占幾卦以決禍福而更穩。即知目前之生,又知將來之死,非多占之力耶?
野鶴老人便ち暗地に病人の兒子に嘱託す。老太爺のこの病は、須らくあの姓の寿の者を請じて来たりて治すべし。第二天一早に寿医師は前に来たりて謝を道う。野鶴老人彼の日后いかんを問えば、寿医師曰く、眼下は事を妨げず。今冬は保ち難し。野鶴老人曰く、あなたの話は卦数と正に合す。真に神醫なり。後に果たして亥月に過世せり。見るべし、我は伏神を取りに往かずして、多く幾卦を占いて以て禍福を定むれば、反っていっそう穏当なり。すでに眼前の能く好轉せんを知り、また将来の不治を為らんを知る。これは正に多く幾卦を占うの功効にあらずや。
李我平曰:古法用伏神雖有驗,然伏神之衰旺休囚刑沖剋害月破旬空亦有難於把握者,此謂多占兩卦又有用神,真秘法也,以此之秘,急欲傳世,真婆心也。或曰:多占兩卦,雖有詩言,不敢再三,然亦有再占者,何為秘訣?余曰:既知再占,何故用神不現而尋伏神,伏神無用又尋互卦,互之不得又尋於化,況易冒變互章中所存占驗,非惟牽強且錯誤頗多。
李我平曰く、旧法の伏神を用うるは亦有りて応験すといえども、伏神の衰旺休囚・刑沖剋害・月破旬空は、実在に把握し難きの時候有り。野鶴老人のこの「多占両卦、用神自然出現」の辦法は、真に秘法なり。彼は急ぎてこの秘法を世人に傳えんと欲す。真に一片の婆心なり。ある人問う、多く両卦を占うは、古詩裡に「不敢再三」の説法有りといえども、再占の人は本來より之れ有り。此れを何の秘訣と算すや。我答えて曰く、すでに再占し可きを知れば、則ち何を以てか用神の卦に上がらざるの時偏に伏神を尋ねに往き、伏神無用なればまた互卦を尋ねに往き、互卦尋ね着かざればまた変化の爻を尋ねに往かんや。況んや《易冒》の「変互章」裡の収する所の占験は、不但牽強にして、しかも錯処甚だ多し。
有子月戊寅日占官得困之兌卦 父母未土″ 父母未土″世 兄弟酉金′ 兄弟酉金′ 子孫亥水′應 子孫亥水′ 官鬼午火″ 父母丑土″應 父母辰土′ 妻財卯木′ 妻財寅木″世 動 官鬼巳火′ 彼斷曰:飛爻午之官已臨破矣,巳官伏神長生於寅,至孟春必得升遷。余斷之:黃金策曰,飛爻變爻俱無用神者,始尋伏神。此卦初爻寅木變出巳火官星,孟春官遇長生,且財爻獨發亦生官矣。不曰變出之官而曰伏神者,何也?幸次卦伏神變爻皆巳火也。倘後人遇他卦,亦執此為法,用變爻乎?用神乎?非傳世教人之法而不取也。
《易冒》裡にかくのごとき一例あり。子月戊寅日に官職を占いて、沢水困を得て兌為沢に変ず。上より下へ、上爻父母未土(変卦中に世と為る)、五爻兄弟酉金、四爻子孫亥水(応爻)、三爻官鬼午火(父母丑土を変、変卦の応と為る)、二爻父母辰土(妻財卯木を変)、初爻妻財寅木(世爻、発動、官鬼巳火を変出)。あの書断じて曰く、飛爻午火官星はすでに破に臨めり。巳火官星は伏神にして、寅に長生す。孟春に到りて必ず升遷を得べし。李我平評して曰く、《黄金策》の講ずるは明白なり。飛爻・変爻裡に皆用神を尋ね出づる能わざれば、才に伏神を找しに往け。この一卦は初爻寅木明々白々に巳火官星を変出せり。孟春は正に官星長生の地なり。況んや財爻独発して亦来たりて官を生ずるを。何を以てか変出の官星と言わざる、偏に伏神と言うを要せんや。不過碰巧この一卦の伏神と変爻と同じく巳火なるのみ。倘若後人別の卦に遇うて亦此に照らして法を為さば、到底変爻を用うべきかそれとも伏神を用うべきか。これは世を傳えて人を教うるの法子にあらず。故に取らず。
觀於化章中之占驗更為可笑,有辛卯年丙申子日占存亡 妻財卯木′ 動 父母未土″ 官鬼巳火′ 兄弟酉金′應 父母未土″世 動 子孫亥水′ 妻財卯木″ 妻財卯木″ 官鬼巳火″ 官鬼巳火″世 父母未土″應 父母未土″ 彼斷曰:水為子孫不現,卻得丙月辛年,丙辛化水,後至亥月甲辰日申子辰合成水局,亥月而歸。余斷曰:世爻未土發動化出亥水子孫,是亥月即見子也,世與子孫亥卯未三合成局,明明父子相逢,何故而取於化?即使卦中亥水不現,子水日建亦作用神,疊疊用神而不取,左支右吾,以取於化,是誤後人,非教後人也。
再び《易冒》の「変化章」裡に収する占験を看よ。いっそう可笑なり。一例あり。辛卯年丙申月子日に人の存亡を占う(原文は「辛卯年丙申子日」と作る)。卦象は上より下へ、上爻妻財卯木(発動、父母未土を変)、五爻官鬼巳火(兄弟酉金を変、変卦の応と為る)、四爻父母未土(世爻、発動、子孫亥水を変出)、三爻妻財卯木、二爻官鬼巳火(変卦中に世と為る)、初爻父母未土(応爻)。あの書断じて曰く、水は子孫にして、卦中に現れず。却って好しとは年干の辛・月干の丙にして、丙辛水を化す。後來亥月甲辰日に到りて、申子辰は三合成して水局と為す。人便ち亥月に回り来たり。李我平評して曰く、世爻未土発動して、明々白々に亥水子孫を化出せり。亥月は自然に兒子を見え得べし。世爻の未・化する所の亥・卦中の卯また湊りて亥卯未三合局と成す。父子の相逢は眼前に擺れり。何ぞ必ずしも天干化合を取りに往かんや。即ち卦中亥水現れずとも、日建の子水は亦以て用神に当つ可し。眼前層層皆用神なるに取らずして、左支右絀して干支化合を取りに往く。これは後人を誤るにして、後人を教うるにあらず。
