地の形勢を占う章第百二十
世旺遇長生,來龍甚遠。世衰逢應克,對案山欺。兩間旺而明堂寬,龍虎衰而左右陷,左山旺頭角崢嶸,右山衰爪牙埋伏。朱雀遇刑沖前山雜亂,元武逢破散後脈空虛,龍虎世爻合局,虎踞龍蟠之地。
世爻が旺相にしてまた「長生」に逢うは、來龍は極めて遠し。世爻が衰弱にして應爻に剋せらるるは、是れ對面の案山が穴場を欺壓す。世應の中間のあの兩個の「間爻」が旺相なれば、明堂は便ち寬し。「青龍」「白虎」の兩爻が衰弱なれば、左右の兩邊は便ち低陷す。左邊の山が旺なれば、則ち頭角は峥嶸たり。右邊の山が衰なれば、則ち爪牙は埋伏す。「朱雀」が刑に遇い冲に遇うは、前面の山は雜亂す。「玄武」が破に逢い散に逢うは、後面の來脈は空虚なり。世爻と青龍・白虎とが合成して一局と為るは、便ち是れ虎踞・龍蟠の地なり。
世應相合,山環水繞。水口不固,上爻一定逢空。道路參差,騰蛇必然破散。世爻當令又長生帝旺於日辰,來龍遠大。倘若應爻沖剋世爻者,必因對山高聳,或因臨葬錯對向山,如應爻受克者無礙,改向可也。世爻應爻中間兩間爻以為明堂,旺相者明堂寬大,休囚者明堂下陷,近世之爻而為案山,亦不可克世。龍為左山,虎為右山,兩山旺者,有環抱之勢。俱衰者,不能環抱。
世應が相合するは、是れ山環・水繞の象なり。水口が守り住む能わざれば、必ず是れ上爻が空に落ちたるなり。道路が參差・不齊なるは、必ず是れ「螣蛇」のあの一爻が破散せるなり。世爻が月令に當たり、また日辰の上に「長生」「帝旺」を得るは、來龍は遠大なり。もし應爻が世爻を冲剋せば、必ず是れ對面の山の太高聳なるか、あるいは下葬の時に朝向を對錯せり。もし反對に應爻が剋を受くれば、則ち妨げず。朝向を改むれば便ち可なり。世爻と應爻との中間のあの兩個の「間爻」は明堂と當作す。旺相なれば則ち明堂は寬大、休囚なれば則ち明堂は低陷。世爻に靠近するあの一爻は是れ案山なり。亦た來て世爻を剋する可ならず。「青龍」は是れ左邊の山、「白虎」は是れ右邊の山。兩山が皆旺なるは、環抱の勢あり。兩山が皆衰なるは、便ち抱き攏む能わず。
大抵青龍宜旺扶頭角軒昂,虎山宜衰宜克爪牙埋伏,朱雀遇刑剋沖散及破墓絕空者,前山雜亂。元武逢破散後脈空虛。若得世應龍虎子孫共成三合者乃虎踞龍蟠之大地也。第六爻為上爻,若逢空破,水口不固,逢絕者水涸泉枯。看河道之水者,非論水口,須看卦中之水爻休囚被克,漲退不長。逢生化生長流源遠,再遇青龍源長。看騰蛇為路,如逢沖散小路必多,旺相者必有官道。勾陳為田坡,旺相則有,衰破則無。
大抵「青龍」は旺を宜とし生扶を得るを宜として、こそ頭角の軒昂を顯せしめん。白虎のあの一邊は反って衰を宜とし剋を受くるを宜として、こそ爪牙の埋伏を叫ばしめん。「朱雀」がもし刑・剋・冲・散および破・墓・絶・空に遇えば、前面の山は便ち雜亂す。「玄武」がもし破に逢い散に逢えば、後面の來脈は便ち空虚なり。もし世爻・應爻・青龍・白虎と子孫とが共に三合局を成すを得れば、あれは便ち虎踞・龍蟠の大地なり。第六爻は是れ上爻なり。もし空に逢い破に逢えば、水口は守り住む能わず。もし絶に逢えば、則ち水は涸れ泉は枯れん。河道の水を看るは、水口の上に在りて論ぜず。要に卦中の水爻を看るべし。水爻が休囚して剋を受くるは、水は漲りてまた退き、長じ起る能わず。水爻が生に逢い生を化するは、源遠く流長し。さらに青龍に遇えばさらに源頭は悠長なり。「螣蛇」は道路と看為す。冲散に逢うは、小路は必ず多し。旺相なるは、必ず官道あらん。「勾陳」は田坡と看為す。旺相なれば便ちあり。衰破なれば便ちなし。
丑月庚申日占地形勢得咸卦。父母未土″應,父母未土″應;兄弟酉金′,兄弟酉金′;子孫亥水′,子孫亥水′;兄弟申金′世,兄弟申金′世;官鬼午火″,官鬼午火″;父母辰土″,父母辰土″。
丑月庚申の日に一塊の地の形勢を占い、沢山咸の卦を得て、六爻は安靜、變卦は本卦と同じ。六爻を上から下に言えば、父母の未土(陰爻)が應に就き、兄弟の酉金(陽爻)、子孫の亥水(陽爻)、兄弟の申金(陽爻)が世に就き、官鬼の午火(陰爻)、父母の辰土(陰爻)である。形勢を占うは世爻を以て穴と為す。この一卦は世爻は正しく第三爻の申金兄弟にして、而して占日は庚申、日辰もまた申金なり。世爻は恰も日辰に臨めり。
青龍持世,日辰臨世,來龍由左而至,旺而有氣,左右皆無傷克,龍虎環抱,向山未土雖臨月破,朱雀亥水為前山,申日生之必有朝水,或是帶水,水有其源。騰蛇為路,上爻為水口,俱臨月破,道路參差,水口散亂,兩間爻旺相,明堂寬大,彼曰:果一一無錯,此地吉否?
野鶴老人は斷じた。「『青龍』は正しく世爻の上に坐し、庚申日の日辰はまた世爻に臨む。見るべし、來龍は左邊より過り來たるにして、旺にして氣あり。左右の兩邊は皆傷剋を受けず。是れ龍虎の環抱の勢なり。向山は應爻の未土なり。ただ正しく月破に當たるのみ。『朱雀』の亥水は是れ前面の山なり。申日の相生を得て、前頭に必ず朝水あり。あるいは繞帶の水ならん。而且も水に來源あり。『螣蛇』は是れ道路、上爻は是れ水口なり。この兩處は皆月破に臨む。ゆえに道路は參差・不齊にして、水口もまた散亂す。兩個の間爻は旺相にして、明堂は寬大なり」。あの家の人は言った。「果たして一一として皆差らず。それならばこの地は究竟吉なるか否か」と。
余曰:此乃占地穴之形勢耳,非關吉凶禍福,餘笑前賢以一卦而斷父子弟兄妻財官祿,餘豈效顰耶。若問功名,再占一卦,禱於神曰:安葬此地,我名成否?以官祿章中斷之。發財否?以求財章內斷之。子孫旺否?傷克父母兄弟妻妾否?皆在身命章中父母兄弟章內斷之。
野鶴老人は言った。「この一卦はただ地穴の形勢を占うのみ。吉凶・禍福と相干まらず。我は素來、前人の一卦を拿りて往きて父子・兄弟・妻財・官祿を斷ずるを笑話す。我は豈にまた往きて彼のあの副の樣子を學ばんや。別のを問わんと欲せば、便ち一件一件と別に一卦を起せ。功名を問わんと欲せば、別に一卦を占い、神に向かって禱告して曰く、此の地に安葬せん。我が功名は成るか成らざるかと。《官祿章》のうちに照らして斷ぜよ。發財するか否かを問わんと欲せば、《求財章》のうちに照らして斷ぜよ。子孫が旺するか旺せざるか、會々父母・兄弟・妻妾を刑剋するや否やを問わんと欲せば、皆《身命章》と《父母兄弟章》のうちに在りて斷ぜよ」。
若以占形勢之卦兼斷六親及名利者,即如此卦,兄弟持世乃貧乏艱難無衣而短食矣,請試思之,既得如此吉地,若使家徒壁立,抱衾孤眠,亦可謂之吉地耶?所以餘得分占之法,實則可以醒世,作千古不易之法也。
もしこの形勢を占う一卦を拿りて兼ねて六親と名利を斷ぜば、あれは便ちこの一卦を看よ。「兄弟」が世に就く。豈に贫乏・艱難にして衣を缺き食を缺くの象と成らざらんや。請うて諸位に想い看よ。すでに得たるところかような一塊の吉地なれば、もしこの家をして徒に四壁のみにして、被を抱きて孤眠せしめば、還って吉地と稱するを得んや。ゆえに我の悟出せるこの套の「分占」の法は、實に以て世人を喚醒すべく、立てて千古不易の定法と為すに足る。
或曰:前說父不宜旺,不宜父動化父,是何說也?余曰:占地以世爻子孫爻為主,父動克子,如何不忌?或又問曰:前說化克化鬼兄弟妻子休逢,又何說也?余曰:凡占地者,世與子孫爻旺,即可用之,至於父母兄弟妻財功名,須宜另占一卦,不可兼斷,倘若得地之凶,不待另占,即此占地之卦而先現出六親化鬼、鬼化六親,即是刑傷之地耳。只看六親動而化克化鬼,不必看衰旺空破刑沖,神兆機於動,動而化凶,願益而告我也,我豈能不看又另占耶?
ある人が問う。「前面は『父母』爻は旺を宜しとせず、父母の發動して父母を化するを宜しとせずと説く。これは何の講究ぞ」と。野鶴老人は言った。「地を占うは世爻と『子孫』爻とを以て主と為す。父母は一たび動けば便ち子孫を剋す。どうして忌まざるを得ん」と。またある人が問う。「前面は化剋・化鬼、兄弟・妻子は逢い上ぐ可ならずと説く。これはまた怎么講ぞ」と。野鶴老人は言った。「およそ地を占うは、ただ世爻と子孫爻とが旺なれば、便ち以て用い得べし。父母・兄弟・妻財・功名に至っては、須く別に一卦を占うを得す。この一卦を拿りて兼ねて斷ずる可ならず。もしこの塊の地が當真に凶ならば、別に占うを用いず。便ちこの地を占う一卦のうちに先に六親の鬼を化し鬼の六親を化するを現出せん。あれは便ち家人を刑傷する地なり。ここにただ六親の發動して剋を化し鬼を化するを看るのみ。它の衰旺・空破・刑冲を看るに及ばず——いわゆる『神の兆は動に機す』。それは一たび動けば便ち凶を化出す。是れ神明の意を有して我に告ぐるなり。我は豈に能く見えざるに裝い、非ざれば再び別に一卦を占わざる可ならざるか」。
いつ地を得るかを卜る章第百二十一
世為用神,靜者逢沖逢值,動者逢值逢合,世空者沖實之秋,世破者填實之候,逢合入墓,須待沖開,獨靜獨發值之而遇,世若休囚須旺相,若逢旺相待休囚。世為墳地,靜者逢沖逢值之年月。即如世值子水,靜者應在於午年月,動者應在丑年月亦有應子年,餘仿此。
いつか地を得るを卜るは、世爻を以て「用神」と為す。世爻が安靜なるは、それを冲しあるいはそれと同値する年月に應じ、世爻が發動するは、それと同値しあるいはそれと相合する年月に應ず。世爻が旬空に落つるは、空を冲し實を填むる時に應じ、世爻が月破なるは、實を填め破を補う候に應ず。世爻が合に逢いあるいは墓に入るは、冲開の日を等つを要す。卦中にただ一爻の獨靜・一爻の獨發あるは、應期は便ちあの一爻と相値する時に在り。世爻がもし休囚なれば、須くそれが轉じて旺相の時を等つべし。世爻がもし已に旺相なれば、反ってそれが轉じて休囚に入るを等つを要す。世爻は便ち是れ墳地なり。安靜なるはそれを冲しあるいはそれに値する年月に應ず。譬えば世爻が子水なれば、安靜なれば便ち午年・午月に應じ、發動すれば便ち丑年・丑月に應ず。また子年に應ずるあり。其余はこれに照らして類推せよ。
世空者沖空實空之年,世破者實破之年,世逢三合六合,或世爻化合,或墓於日辰或化墓,皆應沖開之日。卦中一爻獨發,一爻獨靜,亦應逢值之動逢合靜逢沖,即如卦中子爻獨動,應在於丑年,如子爻獨靜,應在於午年,餘仿此。
世爻が落空するは、空を冲し・旬空を填實するあの一年に應ず。世爻が月破なるは、月破を填實するあの一年に應ず。世爻が「三合」「六合」に逢い、あるいは世爻が發動して化合し、あるいは日辰の上に墓に入り、あるいは發動して墓を化する——これらは皆冲開の日子に應ず。卦中にもしただ一爻の獨發・ただ一爻の獨靜あれば、またこの例に照らして推せ。動くはそれと相合する時に應じ、靜なるはそれを冲する時に應ず。譬えば卦中に子爻の獨動あれば、便ち丑年に應ず。子と丑と相合すればなり。子爻が獨靜なれば、便ち午年に應ず。子と午と相冲すればなり。其余はこれに照らして類推せよ。
又如辰月乙卯日占何時得地得復之屯卦。子孫酉金″,妻財子水″;妻財亥水″動,兄弟戌土′應;兄弟丑土″應,子孫申金″;兄弟辰土″,兄弟辰土″;官鬼寅木″,官鬼寅木″世;妻財子水′世,妻財子水′。斷曰:亥水財爻獨發,拱扶世爻,被戌土回頭剋制,今為月破,九月實破,戌土更旺,交冬水旺而得矣。彼曰:得在何方?余曰:占此應此,占彼應彼,如問何方再占一卦。
また辰月乙卯の日のごとく、いつ地を得るを得るかを占い、地雷復の卦を得て水雷屯の卦に變じた。本卦の六爻を上から下に言えば、子孫の酉金(陰爻)、妻財の亥水(陰爻)が發動、兄弟の丑土(陰爻)が應に就き、兄弟の辰土(陰爻)、官鬼の寅木(陰爻)、妻財の子水(陽爻)が世に就く。變じた屯卦の六爻は順に、妻財の子水、兄弟の戌土が應に就き、子孫の申金、兄弟の辰土、官鬼の寅木が世に就き、妻財の子水である。野鶴老人は斷じた。「亥水の財爻は一爻獨發す。本來は來て世爻の子水を拱扶せんとす。可惜しむべし、戌土を化出して回頭してそれを剋す。今戌土は正しく月破に當たる。九月戌月に到りてこの破を填實して、こそ戌土は轉旺せん。冬令に交わり水が旺氣を得るを等てば、地は便ち手に到らん」。あの人はまた問うた。「いずれの方位に得べきか」と。野鶴老人は言った。「占う所はこの一件なれば、便ちただこの一件に應ずるのみ。あの一件を占うは、便ちただあの一件に應ずるのみ。方位を問わんと欲せば、別に一卦を占うを得す」。
いずれの方に地を得るかの章第百二十二
野鶴曰:卜得地於何時,還以世爻為用,卜得地於何方,當以父爻為用也。己葬之後,皆以父爻為用可也。父值亥子,北方自有吉穴。父臨巳午,東南必獲牛眼。父值土爻,得地於辰戌丑未之方。父爻臨木,東北寅卯堪壽。夫臨申酉地在西南。間有驗於墓方者即如父母爻屬木得地於未方,父母爻屬金得地於丑方,餘仿此。
野鶴老人は言った。「いつ地を得るかを卜るは、仍お世爻を以て用と為す。地のいずれの方位に在るかを卜るは、便ち『父母』爻を以て用と為すべし。已に下葬して後も、また一概に父母爻を以て用と為す。父母爻が亥・子に値するは、北方に自ら吉穴あり。父母爻が巳・午に臨むは、東南に必ず好き穴を得ん。父母爻が土に屬するは、地は辰・戌・丑・未の方位に在り。父母爻が木に屬するは、東方偏北の寅・卯の地は以て壽を安ず可し。父母爻が申・酉に臨むは、地は西南に在り。その間にもまた墓庫の方位に應ずるあり。譬えば父母爻が木に屬せば、木の墓は未に在り。便ち未の方に地を得ん。父母爻が金に屬せば、金の墓は丑に在り。便ち丑の方に地を得ん。其余はこれに照らして類推せよ」。
地を占う師の章第百二十三
應為用神,旺相生合世爻,雖愚亦用。休囚沖剋世爻,賢亦不宜。世應俱空莫用,應臨空破非奇。應爻旺相與世爻相生相合,或與世爻作三合,不論應臨才鬼兄父,人惡之而無才,我喜之而有緣。休囚沖剋世爻者,曾使應臨官父,他有博學,我被他愚。世應皆空,彼此無緣。應逢空破,無大無從。
地を看る先生を占うは、「應爻」を以て「用神」と為す。應爻が旺相にして來て世を生し世に合するは、この先生はたとえ愚拙なりとも用いるを得べし。應爻が休囚にして來て世を冲し世を剋するは、たとえ賢能なりとも請うを宜しとせず。世應の兩爻が皆落空するは用いるなかれ。應爻がまた空にしてまた破するもまた好き兆にあらず。應爻が旺相にして世爻と相生・相合し、あるいは世爻と合成して三合局と為るは、應爻の上に坐するが「妻財」「官鬼」「兄弟」か「父母」かを論ぜず、たとえ傍人が彼に本事なしと嫌うとも、我は用いて偏偏と緣あるなり。應爻が休囚にして世爻を冲剋するは、たとえ應爻の上に官鬼・父母が坐して、彼の學問の淵博を顯すとも、我もまた彼に誤られん。世應が皆落空するは、彼此緣なし。應爻が空に逢い破に逢うは、さらに依從する所なし。
穴を點ずる章第百二十四
世在初二爻穴宜下,在五六爻穴在上,三四爻穴宜於中。水持世爻穴近於水,或是坑高之地。世臨土者,即於高堆點穴。世臨寅木,從木盛草之方。申酉持世,有塊石堆。火乃枯焦,紅泥焦土及草木枯焦之處是也。
穴を點ずる法。世爻が初爻・二爻に在るは、穴は下段に點ずべし。世爻が五爻・六爻に在るは、穴は上段に在り。世爻が三爻・四爻に在るは、穴は中段に宜し。水爻が世に就くは、穴は水邊に靠近し、あるいは低窪と高處と相接する地なり。世爻が土に屬するは、便ち高高の土堆の上に穴を點ぜよ。世爻が寅木に臨むは、草木の茂盛なる一方に往きて尋ねよ。申・酉が世に就くは、あそこに一堆の塊石あり。火に屬するは枯焦を主り、便ち是れ紅泥・焦土および草木の枯死する地方なり。
如未月乙巳日占穴 得大壯卦。兄弟戌土″,兄弟戌土″;子孫申金″,子孫申金″;父母午火′世,父母午火′世;兄弟辰土′,兄弟辰土′;官鬼寅木′,官鬼寅木′;妻財子水′應,妻財子水′應。
未月乙巳の日のごとし、穴位を占い、雷天大壯の卦を得て、六爻は安靜、變卦は本卦と同じ。六爻を上から下に言えば、兄弟の戌土(陰爻)、子孫の申金(陰爻)、父母の午火(陽爻)が世に就き、兄弟の辰土(陽爻)、官鬼の寅木(陽爻)、妻財の子水(陽爻)が應に就く。世爻は是れ午火にして、正しく下より數え上ぐる第四爻に落つ。
此地經過法眼,皆言其吉,久占此地,亦許其吉,因屢掘逢石,無處導穴,央余到冢下,得此卦。余曰:世在四爻,穴在中段,因午火持世,即往中段觀看,有一處草木枯焦,有幾朵野花紅色,別處皆無。余曰:即此穴也,掘之必逢土穴。
この塊の地は行家の法眼の看過を經て、皆是れ吉と言う。先前にこの地を占うも、卦もまたそれを許して吉とせり。ただ屢々開掘するに皆石頭に碰上して、穴を下す地方を找著せざるが因るのみ。主家は便ち我を請いて墳山の下に至らしめ、占い得たりこの一卦。野鶴老人は言った。「世爻は第四爻の上に在り。穴は中段に點ずべし。また因る、世に就くは午火なり。火は枯焦を主る」。当下に便ち中段に往きて看れば、果たして一处の草木の枯焦するあり。還って幾朶かの紅色の野花を開けり。別處には皆なし。野鶴老人は言った。「便ち是れここなり。掘り下去せば必定に土穴ならん」。
東家尚疑。余曰:我有一法,將錢一丈點記紅原乳,入數百錢內,公可設下香案,禱告於天,得紅原錢者,即其穴也,令人遍地灑之,果得原錢於紅花之下,掘之周圍僅有丈餘,皆泥土也,餘皆石塊,此公次年開府,兩公郎五年之內俱登甲榜。
主家は還って些か疑惑あり。野鶴老人は言った。「我に一個の法子あり——一枚の銅錢を取り、紅點を用いて記號を做上げ、幾百枚の銅錢の裏に混進せよ。您は香案を設下し、上天に禱告せよ。いずれかにあの枚の記號を做したる錢を拾い到れば、いずれかが便ち是れ穴なり」。ここに人を叫びて錢を遍地に撒開せしめ、果たしてあの枚の記號錢は紅花の底下に落ちたり。掘り下去せば、四圍にただ一丈來りの寬きのみ全て是れ泥土、其余の地方は皆是れ石塊なり。この位の主人は第二年に府を開いて大官と作り、兩位の公子も五年の內に皆甲榜に登った。
地を謀りて竊み葬る章第百二十五
覺子曰:謀地偷葬,乃損人利己之事,以此喪心之為,而問於神,卦若有靈,是神教人而作喪心之事也,殊不知先有心地而後得遇陽地,昔有人恃財倚勢,期陷貧人,謀奪其地以葬親,後遇識者而曰:此地不發,必無地理,此地若發,必無天理,既有天理循環之報,能久遠昌盛者,未之有也。
覺子曰く。「人家の地を謀奪して竊みに下葬するは、是れ人を損い己を利する事なり。この種の良心を喪う舉動を拿りて神に問い往かば、卦がもし真に靈ならば、豈に神明が人を教えて喪心の事を做らしむると成らざらんや。彼らは全く明白せず。先ず一副の好心地あるを要して、後にこそ一塊の好地に遇うに配す。從前ある人が錢財・權勢を仗恃り、計を設けて窮人を坑害し、人家の地を謀奪して來て自己の親人を葬れり。後來に一位の識者に遇い言わく。この塊の地もし發せざれば、ただ世上に地理なしと言う可きのみ。この塊の地もし發せば、あれは便ち世上に天理なきなり。すでに天理に循環・報應あれば、この種の手段に靠りて還って長久・昌盛し得るは、從來不曾有なり」。
祖塋・舊家の章第百二十六
祖父之墓或葬多年或未久,如來卜者必有其因,須宜悉明,方可決斷。有因連年困苦疑,墳塋之不利。有因屢科不發,或有子入場,疑此風水可能發科否?為己者須宜自占,為子孫者命子孫來占,有因仕途蹭蹬連歲不升,疑其風水有礙。
祖輩の墳墓は、あるものは葬りて許多年、あるものは葬り下して久しからず。來て卜る人は必定に其の緣故あり。須く明白に問いてこそ決斷すべし。あるものは連年の困苦に因りて、墳塋の利ならざるを疑心す。あるものは屢試して第せず、あるいは家のうちに兒子の下場して應試せんとするあるに因りて、この處の風水の能く科を發するか否かを疑心す——自己の為に問うは須く自己來て占わしめ、子孫の為に問うは便村子孫に來て占わしめよ。あるものは仕途の蹭蹬にして、連年升遷を得ざるに因りて、風水に礙あるを疑心す。
有因子孫不存,疑其風水相關。有因六親中父母兄弟妻兒或自身多生疾病,疑因風水所致。有因連年官非火盜。有因風水被傷,卜其何法而修補。有因閒問祖塋有地脈否。有問祖塋有傷損否。皆以父母為用神。
あるものは子孫の養い住む能わざるに因りて、風水と相關するを疑心す。あるものは六親の中の父母・兄弟・妻子兒女あるいは自己の屢々病を生ずるに因りて、是れ風水の致す所と疑心す。あるものは連年の官司・火災・盗賊あり。あるものは風水の已に傷を受けたるに因りて、何の法子を以て修補すべきかを卜問す。あるものは不過に閒に一句、祖塋は究竟に地脈ありや否やを問うのみ。また祖塋に傷損あるか無きかを問うあり。ここの幾種の問法は、一概に皆「父母」爻を以て「用神」と為す。
卦遇六沖全無地脈,卦變化絕,勢若倒懸,爻遇伏吟,欲遷不遂,反吟卦現,不遷亦遷,卦變六沖龍巳去,於孫有陵替之危。沖中變合運將來,後代有興隆之象。
卦が「六冲」に遇うは、あの處は全く地脈なし。卦が變じて「絶」を化するは、情勢は倒掛するがごとく危急なり。爻が「伏吟」に遇うは、遷さんと想うとも遷し成さず。「反吟」の卦は一たび現ずれば、遷さんと想わずとも終に遷せん。卦が變じて六冲と成るは、龍脈は已に走去せり。子孫に陵替・衰敗の危あらん。六冲の中に「六合」を變出するは、地運は正要に到來せんとす。後代に興隆の象あらん。
正卦六沖,變卦六沖,全無脈氣,卦變化克,如倒懸之熱,危之急矣,凶災立至,伏吟卦地脈全無,雖有遷意而不能遷。卦得反吟,心不欲遷而終遷矣。卦變六沖有龍已去,子孫從此衰頹。六沖變合,先無地脈,目今地運將興,後代從此發矣。
本卦が是れ六冲にして變卦もまた是れ六冲なるは、全く脈氣なし。卦が變じて回頭剋を化出するは、倒掛して烤を受くるがごとく、危急已極にして、凶災は立刻に到らん。「伏吟」の卦を得るは、地脈は全く無く、遷葬の心あるも動く能わず。「反吟」の卦を得るは、心の裏は併せて遷さんと想わざるも、終究は還って遷せん。卦が變じて六冲と成るは、龍脈は已に離去せり。子孫は此より衰頹せん。六冲が六合に變ずるは、先前は地脈なかりしも、今は地運將に興らんとす。後代は此より便ち發達せんとす。
父母旺相祖墳安然,墓絕休囚後裔零落。已葬之地,父母為用神,宜旺相,或日月動爻生扶,或動而化生日月化比助化進神乃吉地也,兒孫興發之象,亡者安而生者樂。旺而又遇帝旺長生者,來龍久遠,世代興隆,不宜墓絕空破,及動而破散化退神化絕墓化回頭克化旬空化破散,乃凶象也,亡者不安,生者寥落。
「父母」爻が旺相なれば、祖墳は安然たり。父母爻が入墓・逢絶・休囚なれば、後裔は便ち零落せん。已に下葬したる地は、父母爻を以て「用神」と為す。それは旺相を宜とし、あるいは日辰・月建・動爻の生扶を得、あるいは發動して生を化し日辰・月建を化出し比助を化し「進神」を化するは、こそ是れ吉地なり。兒孫の興發し、死者は安を得て生者は樂を得るを主る。父母爻が旺相にしてまた「帝旺」「長生」に遇うは、來龍は久遠にして、世代は興隆せん。父母爻の入墓・逢絶・落空・逢破を宜しとせず、また發動して破散に遇い、あるいは破散を化し「退神」を化し絶を化し墓を化し回頭剋を化し旬空を化するを宜しとせず——あれは皆凶象にして、死者は安んぜず生者は寥落せん。
世爻變鬼,占者不祥,鬼化六親,各屬不吉。世爻變鬼及隨墓助傷,所占之人不吉,兄弟妻子動而化鬼、鬼化兄弟父母妻子者,查其所犯而斷也。又有子命化鬼,鼠命者殃。午命變鬼,馬命不利,餘仿此。野鶴曰:古以父爻不宜旺相,父旺父動子孫不安,餘以為謬也。占舊冢以父為用神,父母旺及動而化吉祖父安,然又扯到傷克子孫者是宜旺耶?不宜旺耶?惟子孫動而化父及父動化子孫,不利於子孫者是也。
世爻が「官鬼」を變出するは、卦を占うこの人は吉ならず。官鬼が六親を化出するは、あの位の六親もまた各々不吉なり。世爻が鬼を變じ、および「鬼に隨って墓に入り」、墓氣に助けられて傷を受くるは、皆卦を占う人の吉ならざるを主る。兄弟・妻子などの爻が發動して鬼を化し、あるいは官鬼が兄弟・父母・妻子を化出するは、便ちそれが冲犯する是れいずれの位かを查明して斷ぜよ。還って一層あり。子のこの一支が鬼を化出せば、鼠に屬する人は殃あり。午のこの一支が鬼を變出せば、馬に屬する人は利ならず。其余はこれに照らして類推せよ。野鶴老人は言った。「古人は『父母』爻は旺相を宜しとせずと講じ、父旺・父動すれば子孫は便ち安からずと言う。我は以為す、この話は荒謬なり。舊墳を占うはすでに父母を以て用神と為せば、父母が旺に父母が發動して吉を化して、こそ祖先は安を得。しかるに彼はまた扯上して父旺は子孫を傷剋せんとす——あれは到底旺を宜とするか、還って旺を宜しとせざるか。真に子孫に利ならざるは、ただ子孫が發動して父母を化出し、父母が發動して子孫を化出するこの兩種のみなり」。
何事に因りて傷せられたるかの章第百二十七
野鶴曰:須宜另占,不可以前卦兼斷,專看沖剋父母之爻為忌神,如得六爻安靜,父母有氣,久後自安,不必補修。克神臨火或臨朱雀,禍必起於窯灶。倘臨土動或兼元武,定因偷葬相傷。金虎因受其驚。木龍有蟠根之礙。克神以帶騰蛇,蛇蟻為巢。土鬼勾陳挖掘動土。元武臨水水浸衾棺。
野鶴老人は言った。「祖墳の究竟何に傷せられたるかを問わんと欲せば、須く別に一卦を起すを要し、前面のあの一卦を拿りて兼ねて斷ずる可ならず。あげて卦中に「父母」爻を冲剋するあの一爻を看る。あれは便ち是れ「忌神」なり。もし六爻が安靜にして、父母爻にまた氣あれば、日子久しくなれば自然に安穩にして、修補するに及ばず。父母を剋するあの一爻がもし火に屬し、あるいは「朱雀」に臨めば、禍は必ず窯竈より起らん。もし土爻の發動にして、また「玄武」を兼ぬれば、あれは一定に人の竊葬するに傷せられたるなり。金爻が「白虎」に臨むは、是れ墳が震驚を受けたるなり。木爻が「青龍」に臨むは、是れ樹根の盤結して礙を為すあり。剋神が「螣蛇」を帶ぶるは、是れ蛇蟻が墳の中に窩を做せり。土爻が鬼と為りまた「勾陳」に臨むは、是れ人ありて近旁に挖掘・動土せり。「玄武」が水爻に臨むは、是れ水が棺衾に浸せり」。
克神臨火恐近處開窯作灶或因火燭之事。土克父母兼元武者必有偷葬。臨勾陳騰蛇者築牆蓋屋以致相傷。金虎地震山搖。木虎砍伐樹木。木逢龍動,穴下有竹木根傷。火與蛇興,冢內有蟻蛇為害。元武水爻克父母,穴中黑水相侵。父母被沖,地風水漫。金克父母,石塊山罔。水沖剋者,低窪水湧。木爻克父,樹木相傷。火克者,穴藏蛇蟻。土動者,蓋造牆垣。
剋神が火に屬するは、ただ怕る近處に窯を開き竈を砌り、あるいは火燭の事を出したるか。土爻が父母を剋しまた「玄武」を帶ぶるは、必ず是れ人の竊葬せるあり。「勾陳」「螣蛇」を帶ぶるは、是れ墻を築き屋を蓋いて墳を壓傷せり。金爻が「白虎」に臨むは、地震・山搖を主る。木爻が白虎に臨むは、是れ人ありて樹木を砍伐せり。木爻が「青龍」に逢い發動するは、穴の底下に竹根・木根の棺木を傷るあり。火爻と「螣蛇」とが同じく興るは、墳內に蟻蟲・蛇類の害を為すあり。「玄武」の水爻が來て父母を剋するは、穴中に黑水の浸入あり。父母爻の冲せらるるは、是れ地風の灌進・水氣の彌漫なり。金爻が父母を剋するは、是れ石塊・山岡の害を為すなり。水爻が冲剋するは、是れ地勢の低窪・積水の上涌なり。木爻が父母を剋するは、是れ樹木の相傷なり。火爻が剋するは、穴の裏に蛇蟻を藏す。土爻が動するは、是れ旁邊に墻垣を蓋いたるなり。
父母爻被日月動爻沖剋及卦動化沖,如在艮坤之宮,卦得亥卯未合成木局克父,必有地風沖歪棺槨。如在離宮,卦得申子辰水局克父者,穴中水湧,水泛棺歪。如在震巽之宮,金局沖剋者,山罔石塊。如在乾兌之宮逢火局沖剋父母者,定因窯火雷驚。爻中水動,地窪水浸。卦得木動,竹木根滕。火主蟲蛇,土因動土,果有犯之,速宜修補。
父母爻が日辰・月建・動爻に冲剋せられ、あるいは卦中に發動して冲を化出せば、便ち宮を分かちて看るを要す。墳がもし艮宮・坤宮に在りて、卦がまた亥卯未の合成する木局を得て來て父母を剋せば、あれは必ず地風の棺槨を吹歪せしめたるなり。もし離宮に在りて、卦が申子辰の合成する水局を得て來て父母を剋せば、あれは是れ穴中の水の涌き、水が棺木を泛歪せしめたるなり。もし震宮・巽宮に在りて、金局の冲剋を得るは、是れ山岡・石塊の害を為すなり。もし乾宮・兌宮に在りて、火局の冲剋して父母に逢うは、一定に是れ窯火あるいは雷驚なり。爻中の水の動するは、是れ地勢の低窪にして水に浸さるるなり。卦中の木の動するは、是れ竹根・木根の盤繞なり。火は蟲蛇を主り、土は動土を主る。查明して果たしていずれか一樣を犯せば、便ち急いで修補せよ。
爻無亂動,須觀五行之有無,卦若安逸,又看地支之缺陷。六爻安靜並無沖剋父母之爻者,又看五行之所少也,卦中無土,須築牆垣。卦無金星,石碑可立。六爻火星缺陷,可立煙灶,或安看守墳塋之宅舍。水爻不現,可作池塘及開河道。木爻不現,多栽樹木。此言五行之所少者,非獨不上卦也,有現於爻空破墓絕無氣者亦如無也。
六爻にもし亂動なければ、便ち五行の中にいずれか一樣を缺けたるを看るを要す。卦がもし十分安靜なれば、便ち再び地支の上に何の缺陷あるかを看よ。六爻が安靜にして、また父母を冲剋する爻なければ、あれは便ち五行に何を少くするかを看よ。卦中に土なければ、墳に一道の墻垣を築くべし。卦中に金星なければ、一塊の石碑を立つ可し。六爻に火星を缺けば、一個の烟竈を立て、あるいは一所の墳を看る人の住む屋舍を安ず可し。水爻の現れざれば、一個の池塘を開きあるいは一条の河道を挖る可し。木爻の現れざれば、多く樹木を栽う可し。ここに説く五行に缺ありは、單にそれが卦に上がらざるを指すにあらず。たとえ卦に上がるとも、而してあの一爻が落空・逢破・入墓・逢絶・全く生氣なければ、同じく算作して無しと為すなり。
修補の秘法の章第百二十八
因窯灶而傷者,命道祭火神設火醮而安之。偷葬及動土相傷,命道設蘸以安土神。因受驚恐而傷者,命道設醮而安墳。或因有竹木蟠根及石塊相傷者,須於墳旁挖坑三尺以探之,輕輕去其竹木石塊,仍命道安墳則吉。
上一章は墳が何に傷せられたるかを査出せり。この一章は症に對する修補の办法を講ず。窯竈に傷せられたるに因るは、道士を請いて火神を祭し火醮を設けて以てそれを安んぜよ。竊葬と動土に傷せられたるに因るは、道士を請いて醮を設けて以て土神を安んぜよ。驚恐を受けて傷せられたるに因るは、道士を請いて醮を設け墳を安んぜよ。もし是れ竹根・木根の盤結あり、あるいは石塊の相傷あらば、須く墳の旁に三尺深きの坑を挖開して探看し、輕輕にあの竹木・石塊を取去り、仍お道士を請いて墳を安んぜば便ち吉なり。
倘因蛇蟻為巢者,多栽苦楝樹其蛇蟻自散,勿信人以焚之其巢穴,傷損性命,余曾親見兩家見蛇為巢,用火焚之,後子孫衰敗不堪。倘穴中因水淹沒者,若有消水之法,設法以消之,倘因地窪終無消水之法,不得不選地而遷也。或因地風吹歪棺木者,前得挖坑二三尺,以探之,後果歪者仍歸於正向,命道安墳則吉。
もし是れ蛇蟻が墳の裏に窩を做したらば、幾棵かの苦楝樹を多栽せよ。蛇蟻は自ら散去せん。切に人の話を聽いて火を以て其の巢穴を燒くなかれ。あれは性命を傷損せん——我は曾て親眼看たり、兩家の蛇窩を發見して火を用いて焚燒せしが、後來に子孫は衰敗して樣子を成さざりしを。もし穴中が水に淹没せられたらば、水を消する法子あるは、便ち法を設けて消去せよ。もし地勢の低窪に因りて、終究に水を消する办法なければ、あれは已まず別に一塊の地を選びて遷葬せざるを得ず。もし是れ地風が棺木を吹歪せしめたらば、先ず二三尺の坑を挖開して探看せよ。果たして歪みたるは、仍お扶正して元來の朝向に回り、再び道士を請いて墳を安んぜば便ち吉なり。
再び修補の吉凶を占う章第百二十九
子孫持世,子孫動搖,修之則吉。既問修補之吉凶,則認世爻為用,子孫持世,子孫發動,修之必獲清安。宜鬼世父爻空,遷則獲福。鬼克世,我必有害,父空破墓絕再被日月動爻傷克者,乃因傷者重,培補亦無益矣,當宜遷之。
「子孫」が世に就き、あるいは子孫が搖動すれば、修補すれば便ち吉。すでに問うところは修補の吉凶なれば、便ち世爻を認めて「用神」と為す。子孫が世に就き、あるいは子孫が發動するは、修せば必ず清静・平安を得ん。もし「官鬼」が世を剋して、而して世爻と「父母」爻とがまた落空せば、あれは便ち遷葬して反って福を得ん。鬼が來て世を剋せば、我は必ず害を受けん。父母爻が落空・逢破・入墓・逢絶し、再び日辰・月建・動爻に傷剋せられば、説明す、この墳は傷ること太重く、培補するもまた用なきなり。當に遷走すべし。
覺子曰:古以遷塋之說,謂父母之墓受傷,兒孫一體之感,致生災禍,理之有也。遷塋改葬不得不行,觀世人富者不貴,改祖墓以求榮,有子不富遷父冢以求富,將父母之遺體為市井之貸利,不意天理難容,身之未榮家產蕩盡,財之未發絕減兒孫。餘之見者不可勝數,附此戒之。
覺子曰く。「古人は墳を遷すを講じ、父母の墳墓が傷を受け、兒孫と先人とは本來一體にして相感ず。因りて災禍を生出す。この道理は是れあり。墳は遷すべき時はまた遷さざるを得ず。しかし世人を看よ。富にして貴ならざるは、便ち祖墳を改めて一個の功名を求む。兒子ありてなお富まざるは、便ち父の墳を遷して發財を求む——父母の遺骸を把りて市井の買賣の本錢と當成す。料らざりき天理は容れがたし。身分は未だ顯榮せざるに、家產は先に蕩盡せり。錢財は未だ發起せざるに、兒孫は倒れに先に斷絶せり。かような例子は我の見る所數え清むる能わず。附記してここに在りて以て鑒戒と為さん」。
新亡を祖塋に附葬する章第百三十
六沖變沖,卦變絕克,父母受傷,內外反吟,且宜他葬。世爻受克隨墓助傷,世動化克化鬼,附葬不宜。父母兄弟妻兒動而化鬼化克,俱有刑沖傷重,惟喜世及六親不逢變克,隨卦靜六合,必得存亡之安。
「六冲」がまた六冲に變じ、あるいは卦が變じて絶を化し剋を化し、「父母」爻が傷を受け、內外の卦が皆是れ「反吟」なる——ここの幾樣は皆別に別處を擇びて安葬すべし。世爻が剋を受け、あるいは「鬼に隨って墓に入り」墓氣に助剋せられ、あるいは世爻が發動して剋を化し「官鬼」を化するは、皆附葬を宜しとせず。父母・兄弟・妻子兒女のこれらの爻が發動して鬼を化し剋を化するも、皆是れ刑冲・傷重の象なり。喜ぶ所は世爻と各位の六親とが皆變剋に逢わず、卦がまた安靜にして「六合」を成せば、あれは便ち死者と生者とが皆安寧を得ん。
如子月丙申日占以父柩附葬祖苗得復之坤卦。子孫酉金″,子孫酉金″世;妻財亥水″,妻財亥水″;兄弟丑土″應,兄弟丑土″;兄弟辰土″,官鬼卯木″應;官鬼寅木″,父母巳火″;妻財子水′世動,兄弟未土″。
子月丙申の日のごとし、占う。父親の靈柩を祖塋の裏に附葬するは行けるか否か。地雷復の卦を得て坤為地の卦に變じた。本卦の六爻を上から下に言えば、子孫の酉金(陰爻)、妻財の亥水(陰爻)、兄弟の丑土(陰爻)が應に就き、兄弟の辰土(陰爻)、官鬼の寅木(陰爻)、妻財の子水(陽爻)が世に就き併せて發動す。變じた坤卦の六爻は順に、子孫の酉金が世に就き、妻財の亥水、兄弟の丑土、官鬼の卯木が應に就き、父母の巳火、兄弟の未土である。
斷曰:世爻被克,不宜附葬之。後仍附葬。數月後不斷曰:腰疼欲死,欲遷其墳。余曰:墳不必遷,卦中世爻被克,幸而旺相,土來克水,命道安土神則吉,果於安墳而愈。余曰:目下雖不遷改,終有遷改。彼曰:何也?余曰:化六沖不久之象。果於子年死母,起此冢合葬於他處也。增刪卜易卷之四終。
野鶴老人は斷じた。「世爻の子水は變出の未土に回頭して剋住せられたり。附葬を宜しとせず」。あの家の人は後來に仍お附葬せり。幾個月を過ぎてまた來て卜問して曰く、腰の疼くこと死せんと欲すほどなり。この座の墳を遷走せんと想う、と。野鶴老人は言った。「墳は遷するに及ばず。卦中の世爻は剋を受くるも、幸いにそれ自身旺相なり。それを剋するは土なり。あれは便ち道士を請いて土神を安んぜば便ち吉なり」。後來に果たして墳を安んじ、腰疼もまた便ち好くなった。野鶴老人はまた言った。「眼下は遷改せざるも、終究は還って遷改せんとす」。あの人は問うた。「為甚麼ぞ」と。野鶴老人は言った。「本卦の復卦は坤卦を變出せり。坤は八純にして、正しく是れ『六冲』と化成せり。六冲は長久ならざる象なり」。後來に果たして子年に母親は去世し、この座の墳を起して、母親と合葬して別處に到り去れり。《增刪卜易》卷の四はここにて完結す。
