痘疹の章第一百
平時而問男女何時出花鬼,鬼爻為用,鬼爻靜者逢值逢沖,鬼爻動者逢值逢合,鬼衰逢生旺之年,鬼旺鬼多逢墓庫之歲。鬼空鬼破填實之時,鬼若伏藏出現之歲。出花而問吉凶,卦忌六沖兼忌子孫化鬼及鬼化子孫,父化子孫、子孫化父、子孫伏而空破,皆非吉兆。
平日に預かり家のうちの男女のいつ天花を出づるかを問うは、「官鬼」爻を以て「用神」と為す。鬼爻が安静なるは、それと同値しあるいはそれと相冲する年月に応じ、鬼爻が発動するは、それと同値しあるいはそれと相合する年月に応ず。鬼爻が衰弱なるは、それが生を得旺を得るあの年に応じ、鬼爻が旺相あるいは卦中に鬼爻の多く現わるるは、それが墓庫に入るあの年に応ず。鬼爻が旬空に落ち月破に逢うは、空を填め破を実する時に応じ、鬼爻が伏蔵して卦に上がらざるは、それが出現する年に応ず。すでに痘を出でてまた吉凶を問わば、卦は「六冲」を忌み、また「子孫」が「官鬼」を化し官鬼が子孫を化するを忌む。「父母」が子孫を化し子孫が父母を化し、子孫が伏蔵してまた空に逢い破に逢うは、皆吉兆にあらず。
問花之密者,鬼動而臨日月及動爻生扶,花必稠密,如值空破休囚墓絕,痘必來朗。鬼動乾宮,多生頭上。鬼搖坤卦,腹上多叢。艮宮多於手,兌宮多於口,坎離上身,震巽下身。火鬼其色紅紫,金鬼其色虛白,水鬼頌防痘,木鬼雜細,土鬼腫大。以上四條,分占四卦,不可一卦而斷之,大抵全在子孫爻也。子孫臨日月及日月動爻相生,動而化吉不受刑傷沖剋,爻不亂動,花中密以全生,痘雖暗仍收功。
痘瘡の出づるが稀なるか密なるかを問う。鬼爻が発動してまた日辰・月建に臨み、あるいは動爻の生扶を得るは、痘は必定に稠密に出ず。もし鬼爻が落空・逢破・休囚・入墓・逢絶すれば、痘は便ち稀朗に出づ。鬼爻が乾宮に動するは、痘は多く頭上に生じ、鬼爻が坤卦に動するは、多く腹上に叢生し、艮宮に動するは多く手上に、兌宮に動するは多く口上に、坎・離の両宮は上身を主り、震・巽の両宮は下身を主る。火鬼の出づる痘は色は紅紫、金鬼は色は虚白、水鬼の一路は最も提防を須い、木鬼は雑にして細碎、土鬼は腫にして粗大。以上の出痘の時日・吉凶・稀密・部位のこの四条は、四卦に分かちて各々占うを要し、一卦を以て兼ねて断ずる可ならず。而して総の関鍵は、全て「子孫」爻の上に在り。子孫爻が日辰・月建に臨み、あるいは日月・動爻の相生を得、発動して吉神を化出し、刑傷・冲剋を受けず、卦中の諸爻がまた乱動せざれば、それならば痘の出づるが密なるとも性命を保全し得、痘色は暗しとも終に功を収むるを得る。
病源の章第百一
火屬心經,發熱咽乾口燥。水歸腎部,惡寒盜汁遺精。金肺、木肝、土為病歸脾胃。衰輕旺重,動則牽連身軀,騰蛇心驚,青龍則酒色過度,勾陳腫脹,朱雀則言語顛狂,白虎有損傷,女子則血崩血暈。元武憂鬱,男人則陰症臨虛。
鬼爻の火に属するは、病は心経に在り、症は発熱・咽乾・口燥を見る。水に属するは、病は腎部に帰し、症は畏寒・盗汗・遺精を見る。金に属するは病は肺に在り、木に属するは病は肝に在り、土に属するは病は脾胃に帰す。鬼爻が衰なるは病は軽く、旺なるは病は重く、一たび発動すれば便ち全身に牽連す。更に「六神」を配して看る。鬼が「螣蛇」に臨むは心の惊を主り、「青竜」に臨むは酒色の過度の致す所なり、「勾陳」に臨むは腫脹を主り、「朱雀」に臨むは言語の顛狂を主り、「白虎」に臨むは跌打・損傷を主り、婦人に在りてはすなわち血崩・血暈なり、「玄武」に臨むは憂郁を主り、男子に在りてはすなわち陰虚の症なり。
野鶴曰:此乃黃金策占疾病之首論也,餘以為之撞門槌,對俗人而言,不得不以此而斷之。若知分占之法,另占一卦以定吉凶,庶有後驗,若即以此卦,兼斷其生死者,如若有靈,吾不信也。要知來人而問病,有何所犯?何以治癒?及問吉凶何如?我且以發寒發熱而妄猜,而病人不得趨避之旨,問卦何益?今見此章,單言病症,並不言及何法治之,如果心經發熱,來人豈不知也?請問治其熱者是何法也?無益之論,故書刪之。
野鶴老人は言った。「上面のこの一段は《黄金策》が疾病を占うの開篇の総論なり。私がそれを見るに、不過は一根の敲門に用うる撞門槌のみ——卦理を解せざる俗人に面して、已まず先ずそれを以て数句の応景の話を説かざるを得ざるなり。もし『分占』の法を解せば、便ち別に一卦を起してあげて吉凶を断ずべく、日后にこそ験の准なるを得ん。もしこの一卦を拿りてすでに病症を断じ、また兼ねて生死を断ずるは、それがなお応験し得ると言うは、私は信ぜず。知るべし、来人が病を問うは、問うところは究竟に何を冲犯したか、如何なれば医し好るか、および吉凶は到底如何なるかなり。我が却って彼の発寒・発熱を拿りて胡乱に猜測すれば、病家は一句の吉に趨り凶を避くる話を得ず。それならばこの一卦を問いて何の用あらん。今この一章を看るに、ただ是れ何の病症なるかを講じ出すのみで、何の法子を以て医治するかを講ぜず。もし真に心経の発熱ならば、来て卦を問う人は自己豈に知らざらんや。請う、退くべきこの熱はまた何の法子を用いるべきか。これは一段の用処なき議論なり。ゆえに本書はそれを刪去せり」。
余嘗以來人問病,先命占其吉凶,卦得吉者,許之調理即愈,不必服藥求神,卦得凶者,命之延醫,卦得鬼動克用神者,命之再占,或占家宅、或占墳墓、務必求其是何所犯?何法治之?庶不負來人之問也。
私は平日、人の来て病を問うに遇えば、総じて先ず彼に一卦の吉凶を占わしむ。卦が吉を得れば、便ち彼に徐徐に調理すれば自ら好くならんを許し、薬を喫するに及ばず、また神を求むるに及ばず。卦が凶を得れば、便ち彼に急いで医生を請わしむ。卦中にもし「官鬼」が発動して来て「用神」を剋せば、便ち彼に更に一卦を占わしめ、あるいは家宅を占い、あるいは墳墓を占い、務めて究竟に何を冲犯したか・何の法子を以て解すべきかを査出す。こうしてこそ人家の来て問うたこの一卦に辜かざるなり。
鬼神の章第百二
凡占鬼神,卦中鬼值休囚及空破墓絕,非鬼神之害也。官鬼屬金旺相者,武神及西方之神。休囚者,刀劍身之鬼。鬼臨木者,旺則文神及東方之神。衰則倚草附木之妖,或是刑杖懸樑之鬼。水為河海及北方之神,休囚者池井江湖水死之鬼。火鬼火神及雷公電母窯之神,休囚者湯火焚燒之鬼也。土鬼土神及中央之朝及掌管山川社稷之神,休囚者牆倒屋塌土死之鬼。
およそ鬼神の作祟を占問するは、卦中の「官鬼」がもし正しく休囚に当たり、あるいは落空・逢破・入墓・逢絶すれば、それならば鬼神の害を作すにあらず。官鬼が金に属して旺相なるは、武神および西方の神なり。休囚なるは、刀剣の下に死せる鬼なり。官鬼が木に属するは、旺相なるは文神および東方の神なり、衰弱なるは則ち草に依り木に附する精怪、あるいは刑杖を受け自ら縊れて死せる鬼なり。水に属するは、旺相なるは江河・湖海の神と北方の神なり、休囚なるは則ち池・井・江・湖のうちに淹れ死せる水鬼なり。火に属するは、旺相なるは火神および雷公・電母・窯神なり、休囚なるは則ち滾湯・烈火に焼燙せられて死せる鬼なり。土に属するは、旺相なるは土神・中央の神および山川・社稷を掌管する神祇なり、休囚なるは則ち墻の倒れ屋の塌れに圧死せる土鬼なり。
古以金木水火土各有其神,即如金官者,謂之天將闢公金剛伍公嶽公等神,餘以為非武神者不可,書斷之神也有敕卦者有來卦者,各方土俗不同,書之未載者更多,何得各朝而祭之?須問病人或於某武神朝中許願信而未還?或於何朝城穢汙作踐?心有所疑者,指其神而占之,鬼爻或旺或動,是此神也。如不上卦,再占他處之神可也。鬼值木火水土者,皆用此法,得罪於正神者,香花紙馬祭之。勾惹邪祟之鬼者,用漿紙錢夜靜之時金鬼者向西送之,水鬼者向北送之,餘仿此。
古人は金・木・水・火・土を各々配定して一位の神と為せり。譬えば金爻を官鬼と為せば、すなわち天将・辟公・金剛・伍公・岳公の一類の神と説き成せり。私は以為す、ただそれが武神の一路に属するを断定すれば便ち可なり。必ずしも是れいずれの一位なるかを坐実するに及ばず。書上の列する所の神は、あるものは朝廷の敕封、あるものは民間の自来の奉祀す。各地の風俗同じからず、書のうちに載せざる所はさらに多し。どうして一廟一廟を皆遍く祭ることを得ん。須く病人自身に問うべし。是れ某座の武神廟のうちに願を許して而も還さざるか。還るはいずれの廟のうちに汚穢・作践したりしや。心のうちにいずれの一处を疑うか、便ち那一位の神を指定して占え。鬼爻が或は旺或は動なれば、すなわちこの一位なり。もしあの一爻が卦に上がらざれば、更に別处の神を占うが便なり。鬼爻の木に属し・火に属し・水に属し・土に属するは、皆この法子に照らして办せよ。正神に得罪したるは、香花・紙馬を用いて祭れ。邪祟・野鬼に招惹したるは、すなわち漿水・紙銭を用い、夜深・人静なるに趁りて送り出せ——金鬼は西へ向かって送り、水鬼は北へ向かって送り、其余はこれに照らして類推せよ。
野鶴曰:凡得時災瘟癖,照此法而祭送者,余屢驗之。倘係瘋癆氣蠱,既失調於前,酒色傷身,又失慎重於後,與鬼神何干?發之送之皆無益矣,惟節飽食、遠色慾、息氣養神,其病自減。余遊遍江湖,曾至黔蜀粵,見其病不服藥,專祭祀鬼神,先用三牲五牲,後至殺牛宰馬一次不愈,甚至二三十次,因病致窮者多矣,殊不知害他命而救命,其罪愈彰,所以屢見割性命之多者,終不能救其死,可不戒與?今下路讀書人亦信此邪神者,餘實不解。神農當百草遺救生靈,未聞有何聖賢,教人宰牲命以救命也。
野鶴老人は言った。「およそ時気・瘟疫の一類の災病に染上するは、上面のこの法子に照らして祭送せば、私は多回試みて皆応験せり。もし得たるところが瘋・癆・臌・膈のこの類の重症ならば——先前に調養を失当し、酒色が身子を傷め、後来また謹慎を知らず——これは鬼神と何の相関あらん。打發するも送るも、全く用処なし。ただ飲食を節制し、女色を遠ざけ、肝火を平息し、精神を静養せば、病はこそ一日一日と軽減せん。私は江湖を走遍して、貴州・四川・広東に到過せり。あの处の人が病を生じて服薬を肯んぜず、一味に鬼神を祭祀するを見る。起用は三牲・五牲を以てし、後来は竟に牛を殺し馬を宰るに至る。一度做しても好しを見ず、甚至りて二三十次を連做し、病を看るに因りて家を傾け産を尽くすに弄到する多し。彼らはどこで知らんや、別の性命を害して自己の性命を換うるは、罪過はただ越々彰顯するのみなるを。ゆえに屡屡見る、牲を殺すこと最多き人家は、頭到來してなお一条の命を救い回る能わず。これ豈に以て戒めと為すべからざるか。今は下江一帯の読書人さえもこの種の邪神を信ず。私は実に明白を想得ず。神農は百草を遍嘗して、薬方を留めて以て生霊を救活せり。いまだかつていずれの聖賢か人に牲命を殺して人命を救えと教えしを聞かざるなり」。
李我平日:易冒以鬼臨金者為關公,嶽王補遺,又以青龍神為寺亭候第,不知關公之前,金鬼與青龍,是何神也?又曰祭者降之以福,不祭者降災,豈非邪神與?正直之神豈能為此事?此書前後無一不合於理,獨此疾病章中,亦言鬼神之事,餘實不服,因今人問病,開口先問鬼神,不得不從俗耳,智者察之。
李我平は言った。「《易冒》は鬼爻の金に臨むを関公・岳王と説き、《卜筮全書補遺》はまた青竜神を漢寿亭侯と説けり。それならば請うて問わん。関公の未だ生まれざる之前、金爻の鬼と青竜とはまた是れいずれの神ぞや。書上はまた言う、彼を祭るには便ち福を降し、祭らざるには便ち災を降すと——これは豈に邪神と成らざらんや。正直の神明はどうしてこの種の事を為さんや。この部の書は前前后後、情理に合乎らざる一处なきなし。独りこの疾病の一章のうちにもまた鬼神を講起せり。私は実に服せず。ただ今人の病を問うに、口を開けば先ず是れ鬼神に撞りしや否やを問えば、作者は已まず姑く流俗に随順するのみ。事理を明白する人は自ら分辨せよ」。
医を延く章第百三
野鶴曰:有人而問余日,問卜以求神延醫而服藥,有是理乎?余曰:若無此理,伏羲書卦,神農嘗藥,作何事耶?彼曰:然則又有不能救者,何也?余曰:有根者可以救之,無根者則不能也。人之星辰過宮或是交運脫運,謂之移花接木之年,移其有根之花木者,上則遮蓋,下宜澆溉則活矣,不洗不溉,見日則枯,服藥求神者即此意也。若使無根之木無蒂之花,雖澆雖蓋,亦無用矣。
野鶴老人は言った。「ある人が私に問う。卦を占うに靠りて神を求め、医を請い、薬を服するは、真にこの道理あらんか。私は答えた。もしこの道理なくば、それならば伏羲が八卦を画して占筮の端を開き、神農が百草を遍嘗して医薬の端を開くは、究竟是れ何を為すぞや。あの人はまた問うた。すでに理あらば、なぜなお救い回る能わざる人あらんや。私は言った。根あれば救い活し得、根なければ便ち救い活す能わず。人の命宫の星辰が宮を過り、あるいは正しく運に交わり運を脱する際は、術家はこれを『移花接木』の年と呼ぶ。一棵の根ある花木を移すに、上頭はそれの為に陽を遮り、下頭はそれの為に水を澆れば、また活きる。淋さず澆らざれば、太陽が一たび晒せば便ち枯死す——服薬・求神は正しくこの意なり。もし本より一段の根なき木、一朶の蔕なき花ならば、たとえまた澆りまた盖うとも、終にまた用処なきなり」。
自占求醫,應爻為醫人,代六親而求醫者,亦以應為醫人。鬼作憂神休妄動,福為喜悅而生扶。自占代占,鬼雖憂疑之神也,若持世及動於卦中,得子孫動而制之,此醫可請,手到成功。若得子孫臨應爻者乃明醫也,其故何也?子孫乃制鬼之神,非真正能制法魔之鬼也,乃先去憂神,我無優也。
自己が医を請うを占うは、「応爻」を以て医生と為す。六親に代わりて医を請うも、同じく応爻を以て医生と為す。「官鬼」は憂神なり。それを妄動せしむるなかれ。「子孫」この福神は喜悅を主り、最もそれが来て生扶するを喜ぶ。自占と代占とを論ぜず、官鬼はただ憂疑の神のみなれども、それがもし世に就き、あるいは卦中に発動すれば、この時「子孫」に発動してそれを制住せしむるを得れば、この医生は請ひ得べく、一請すれば便ち手到りて病除せん。もし子孫が正しく応爻の上に落ちあらば、あれは更に一位の高明の医生なり。これ是れ何の緣故ぞや。子孫は鬼を制する神なり。別に真に能く何の妖魔・厲鬼を降伏するにあらず。ただ先ず我が為に心頭の憂神を除き去るのみ、我が心のうち便ちまた憂えざるなり。
應作醫人,不宜空破墓絕。應爻空破墓絕休囚衰弱,或旺相而被日月動爻沖剋,或動而化鬼化絕化回頭克,藥不見效。子孫制鬼,最喜旺相生扶。子孫臨在應或發動於卦中亦要旺相,不受刑沖剋害破墓絕空,藥必見效。子動化鬼化克,其藥不精,子動化空實空之日有效。子動化生化旺化進神者,其藥更靈。古以子動化子孫,其藥必雜,非也,子動化子孫而旺相者另改藥品,即比仙丹。
応爻はすでに医生と看るを当たれば、便ち落空・逢破・入墓・逢絶を宜しとせず。応爻がもし落空・逢破・入墓・逢絶し、あるいは休囚・衰弱し、あるいは旺相なりとも日辰・月建・動爻に冲剋され、あるいは発動して「官鬼」を化出し・絶を化し・回頭剋を化すれば、それならば薬は喫し下去するも効を見ず。「子孫」は能く官鬼を制す。最もそれが旺相にして生扶あるを喜ぶ。子孫は応爻の上に坐するも卦中に発動するもを論ぜず、皆旺相を要し、刑・冲・剋・害を受けず、破・墓・絶・空に逢わざれば、薬はこそ必定に効を見ん。子孫が発動して官鬼を化出しあるいは回頭剋を化するは、この薬は精ならず。子孫が発動して空を化するは、旬空を填実するあの日に到ってこそ効あらん。子孫が発動して生を化し旺を化し「進神」を化するは、薬は便ちさらに霊なり。古人は子孫が発動してまた子孫を化出するは其の薬は必ず雑なりと言えり。この話は对ならず。子孫が子孫を化してまた旺相なるは、別に一味の薬品を換えたるなり。あれは简直に仙丹に比方するを得ん。
醫克用爻近病即愈。自占病,應爻克世者制我之病也,應爻克用神亦如此斷。惟不宜乎久病及體弱之人,非得克病身亦受其傷矣。應爻臨兄鬼而克用神及克世爻者不拘久病近病必遭其殃。
医生の一方が「用神」を剋住するは、新病は立刻に好し。自己が病を占うに、応爻の来て世爻を剋するは、あれは医生が我が病を制住したるなり。応爻が用神を剋するもかように断ず。ただ久病の人と体質の虚弱なる人とはこの如くあるを宜しとせず——彼らは剋に経えず、病は固然剋住するも、身子もまた随いて傷を受けん。もし応爻の上に坐するが「兄弟」あるいは「官鬼」にして、また来て用神を剋し世爻を剋せば、それならば久病・新病を論ぜず、病人は必定に殃に遭わん。
父爻持世妙藥難調。自占病,父持世藥不見功,宜於靜養,遠色慾息氣惱可也。兄弟持世有子孫動於卦中者,醫再延之,惟嫌鬼旺鬼興誤服藥餌。才爻持世切莫誤食肥甘,旺相遇生扶良醫有見,休囚逢沖剋無藥可醫。
「父母」爻が世に就くは、再び好き薬もまた調理しがたし。自己が病を占うに、父母が世に就くは、薬を喫しても功効を見ず。ただ静養を宜とし、女色を遠ざけ恼怒を平息するのみで是れ已む。「兄弟」が世に就きて卦中に別に「子孫」の発動あるは、この医生はなお再び請い得べし。ただ怕るは「官鬼」がまた旺にしてまた動けば、すなわち湯薬を誤服せん。「妻財」が世に就くは、切に肥甘・厚味を誤喫するなかれ。総じて応爻が旺相にしてまた生扶に逢うは、良医に遇うを得るなり。応爻が休囚にしてまた冲剋に逢うは、便ち医すべき薬なきなり。
子不代父以占藥,妻不代夫而卜醫。子占父宜父爻旺相,占藥占醫又以子孫為用神,父旺以傷子也,一爻不能兩用。妻占夫宜官鬼旺相占醫占藥亦以子孫為用神,子旺又能傷夫,所以不能代占醫也。
児子は父に代わりて薬を占わず、妻子は丈夫に代わりて医を卜らず。児子が父の病を占うは、「父母」爻の旺相を要してこそ好し。しかるに薬を占い医を占うはまた「子孫」を以て「用神」とすることを得す——父母が一たび旺なれば便ち子孫を剋傷す。一個の爻は同時に両樣の用場を派する能わず。妻子が丈夫の病を占うは、「官鬼」の旺相を要してこそ好し。医を占い薬を占うはまた子孫を以て用神とすることを得す——子孫が一たび旺なればまた反って丈夫を代表する官鬼を剋傷す。ゆえにこの両種の人は医を請うのこの一層を代占する能わざるなり。
延醫於子孫方,治病以應爻定。卦中子孫爻旺者,延醫於子孫之方。且如午火子孫或旺或動,請南方之醫,餘仿此。卦中子孫休囚空破者又看應爻旺否,若得應爻旺相生合用神即於應爻之方請之。且如應爻臨申金,延醫必在西南,餘仿此。如卦中有一爻獨發而生用神者又以此方而延醫。以五行而定名姓,水爻動黠水之姓,火爻動姓名像火,木爻草頭木,傍土爻姓氏有土。且如占妻病,妻爻屬水,得申金發動以相生,請錢姓之醫以治之,餘仿比。
「子孫」の在する所の方位に到りて医を請い、医治の成るか否かはすなわち「応爻」によりて判定す。卦中の子孫爻が旺なるは、便ち子孫の方位に往きて医を請え。譬えば子孫が午火なれば、或は旺或は動、便ち南方の医生を請え。其余はこれに照らして類推せよ。卦中の子孫が休囚・落空・逢破せば、更に応爻の旺なるか否かを看よ。もし応爻が旺相にしてまた「用神」を生合せば、便ち応爻の方位に到りて請え。譬えば応爻が申金なれば、医を請うは必ず西南に在り。其余はこれに照らして類推せよ。もし卦中に別に一爻あって独自発動して来て用神を生ぜば、またあの一爻の方位に按じて医を請う可し。また五行に按じて医生の姓氏を定むる可し。水爻が発動せば、水旁を帯びたる姓を取れ。火爻が発動せば、姓名は火に像えよ。木爻は草頭・木旁の姓を取れ。土爻はすなわち姓氏のうち土を帯びたるを取れ。譬えば妻子の病を占うに、妻財爻が水に属して、申金の発動して来て相生するを得れば、便ち銭と姓する医生を請い医治せしめよ。其余はこれに照らして類推せよ。
不起之病,卦中不現其醫。立愈之災,爻中不見服藥。屢見占醫之卦,無藥可醫之病者,神不現其醫矣。若非用神化鬼、鬼化用神,即是忌神化六親、六親化忌神,及用神化絕、化克、化墓,久病逢沖、逢空、隨鬼入墓,此皆無藥而醫也。病之即愈,神亦不現其醫。近病者,若非卦得六沖,即觀用值旬空,或用神化回頭生。自占者,子孫持世,此皆不藥而癒也。
起ち来たる能わざる病は、卦のうちに便ち医生を現出さず。立刻に好くならんとする災は、爻の中にもまた服薬の象を見ざるなり。私は屡屡医を占う卦を見る。およそ医すべき薬なき病は、神明は便ち医生を卦の上に顕さざるなり。この種の卦は「用神」が「官鬼」を化し官鬼が用神を化するにあらざれば、すなわち「忌神」が六親を化し六親が忌神を化し、および用神が絶を化し剋を化し墓を化し、久病のまた冲に逢い空に逢い鬼に随って墓に入る——これらは皆医すべき薬なき象なり。反対に、病が馬上に便ち好くならんとするは、神明も同じく医生を顕さず。新病の卦は、「六冲」を得るにあらざれば、すなわち用神が正しく旬空に値し、あるいは用神が回頭生を化出す。自己が占うは、すなわち「子孫」が世に就く。これらは皆薬を喫せずとも好くならんとするなり。
医卜往治の章第百四
大抵與醫卜相仿。世為已,應爻為病人,若得世爻旺相,子孫財爻持世,世生應爻,世爻動化進神,化回頭生,日月動爻臨財星子孫而生,在此皆手到病除。近病者應值旬空,或動而化空、化回頭生、化旺、化退,日月動爻生應爻,及卦逢六沖、卦變六沖,此皆速宜往救,莫令他人先到以成功也。久病者應爻旺相,或逢日月動爻相生,或動而化生化旺,應臨子孫,應臨財動生世,雖然久病,我必除根,除此之外,皆不宜往,徒累盛名。
医家が自ら往きて医治すべきか否かを占うは、大抵病家の医を請うを占うに相仿れるも、ただ世応を互換するのみ。「世爻」は我がこの医生、「応爻」は病人なり。もし世爻が旺相にして、あるいは「子孫」「妻財」が世に就き、あるいは世爻が応爻を生じ、あるいは世爻が発動して「進神」を化し回頭生を化し、あるいは日辰・月建・動爻が財星・子孫を帯びて来て世を生ずる——これらの卦は往けば皆手到りて病除せん。病人が新病なれば、応爻が正しく旬空に値し、あるいは応爻が発動して空を化し回頭生を化し旺を化し退を化し、あるいは日月・動爻が来て応爻を生じ、および卦が「六冲」に逢い卦が「六冲」に変ずる——これらは皆急いで前に往きて救治すべし。別の医生に先を争われて手に到り功を立てられざるようにせよ。病人が久病なれば、すなわち応爻が旺相にして、あるいは日月・動爻の相生を得、あるいは発動して生を化し旺を化し、あるいは応爻の上に子孫が坐し、あるいは応爻が妻財に臨み発動して来て世を生ずるを要す——かようにすればたとえ久病なりとも、我もまた必ず彼の為に根を除くを得べし。これらの卦象を除くのほか、皆往くを宜しとせず。徒らに自己の名声を連累するのみ。
野鶴曰:諸書無不以官為鬼為病,應為醫人,子孫為藥,理固然也,但此宜鬼者非鬼非病,乃憂神耳。占子病者,父母愛子之心,未病憂疾,況已病乎?自占病者,性命在呼吸之間,且一人不起,舉室驚惶,誰不憂乎?此官鬼者,即一家之憂神也,惟除此憂者,乃賴子孫爻也。
野鶴老人は言った。「各家の書上は『官鬼』を以て鬼と作し病と作し、『応爻』を以て医生と作し、『子孫』を以て薬と作さざるは莫し。道理はもと来不錯なり。ただし私は言わん、ここに官鬼はすでに鬼にあらず、また病にあらず、ただ一個の『憂神』のみ。児子の病を占うは、父母と為る者の児子を疼くれば、病なき時さえ尚且つ彼が病を害せんことを擔心す。いわんやすでに病倒せるをや。自己が自己の病を占うは、性命はすなわち一呼一吸の間に在り。いわんや一人が床に臥して起たざれば、満屋子の人は皆惊慌す。誰か能く憂えざらんや。ゆえにこの官鬼は、すなわち一家人の憂神なり。而して能くこの一份の憂愁を除去するは、全て『子孫』爻に靠る」。
如午月甲寅日一人病在危篤,醫家不治,迎餘到宅,見有三十餘人至親,淚眼不乾,密友愁容可掬,此非一家之憂乎?及至弟占兄病得屯之中孚卦。兄弟子水″動,子孫卯木′;官鬼戌土′應,妻財巳火′;父母申金″,官鬼未土″世;官鬼辰土″,官鬼丑土″;子孫寅木″世動,子孫卯木′;兄弟子水′,妻財巳火′應。
午月甲寅の日、一人の病危急なるありて、医家は已に医治を肯んぜず、我を請いて彼の家に到らしむ。ただ見る三十余位の至親は泪眼未だ乾かず、密友は個個満面の愁容——これは正しく一家人の憂愁ならずや。隨いて病人の弟弟によりて哥哥の病を占わしめ、水雷屯の卦を得て風沢中孚の卦に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、兄弟の子水(陰爻)が発動、官鬼の戌土(陽爻)が応に就き、父母の申金(陰爻)、官鬼の辰土(陰爻)、子孫の寅木(陰爻)が世に就き併せて発動、兄弟の子水(陽爻)である。変じた中孚卦の六爻は順に、子孫の卯木、妻財の巳火、官鬼の未土が世に就き、官鬼の丑土、子孫の卯木、妻財の巳火が応に就く。
餘即笑而言曰:列位放心,今日半夜退災,明日卯日即起床。只見大小一門愁容變喜,此卦中之子孫爻者,是藥耶?是解之神耶?許即愈者何也?此人雖是險痘,其實近病,子水兄爻值旬空,近病逢空好,值半夜子時而不空也。
野鶴老人は当に笑いていいた。「諸位は放心せよ。今夜半夜里便ち災を退かん。明日卯日に便ち起床し得べし」。ただ見る一門大小の愁容は頓時に喜色と化作せり。請うてこの卦中の「子孫」爻を看よ。それは究竟是れ薬なるか、それとも解憂の神なるか。なにを以て彼が即刻痊愈するを敢えて許すや。この人は出づるところ険痘なりといえども、説底はなお新病なり。子水の兄弟爻は正しく旬空に値し、新病が空に逢うは反って好事なり。而して夜半の子時に到れば、この子水は便ち空ならざるなり。
或曰:近病逢空,何不許沖空之午日,實空之子日?余曰:因子水化卯木子孫,世爻又臨寅木子孫動化卯木子孫,次日即是卯日,正一家解憂疑之時,所以許半夜實空之時也,果於子時退災,次日起床,此何嘗用藥而制鬼耶?
ある人が問う。「新病が空に逢うは、なぜ冲空の午日・旬空を填実する子日に応験するを許さざるか」と。野鶴老人は言った。「子水の兄爻が卯木の子孫を化出し、世爻の上はまた寅木の子孫が発動して卯木の子孫を化すれば、第二天は正しく卯日なり。あれはこそ一家人が憂疑を解開する時なり。ゆえにただ夜半に旬空を填実するあの一刻に許すのみ」と。後に果たして子時に災を退き、第二天に便ち床を起たり。ここに何嘗一味の薬を用いて何の鬼を制したるあらんや。
又如一日時值初更叩門入曰:家小主有病相迎占卜。餘問得病源自山東回後頃刻得病,餘即自占一卦。未月壬子日得節之比卦。兄弟子水″,兄弟子水″應;官鬼戌土′,官鬼戌土′;父母申金″應,父母申金″;官鬼丑土″,子孫卯木″世;子孫卯木′動,妻財巳火″;妻財巳火′世動,官鬼未土″。巳火財爻持世,子動生世,子孫乃喜悅之神,此行有益。及到達伊家,值醫檢藥。
またある日、時候は已に初更に到り、ある人が門を敲いて進入して言う。「我家の小主人が病せり。特に先生の卦を占うを請いに来たり」と。私は病源を問い明れば、山東より回来して頃刻の間に便ち病倒したりと言う。私は当下に先ず自己の為に一卦を占えり。未月壬子の日、水沢節の卦を得て水地比の卦に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、兄弟の子水(陰爻)、官鬼の戌土(陽爻)、父母の申金(陰爻)が応に就き、官鬼の丑土(陰爻)、子孫の卯木(陽爻)が発動、妻財の巳火(陽爻)が世に就き併せて発動す。変じた比卦の六爻は順に、兄弟の子水が応に就き、官鬼の戌土、父母の申金、子孫の卯木が世に就き、妻財の巳火、官鬼の未土である。巳火の財爻が世に就き、子孫が発動して来て世爻を生ず。子孫は喜悅の神なり。見るべし、この行きは益あるなり。彼の家に到るを等しうして、正しく医生が用薬を斟酌するに碰上したり。
壬子日占子病得解之坎卦。妻財戌土″,父母子水″世;官鬼申金″應動,妻財戌土′;子孫午火′動,官鬼申金″;子孫午火″,子孫午火″應;妻財辰土′世,妻財辰土′;兄弟寅木″,兄弟寅木″。餘見此卦生疑,近病得六沖不死之症耶?是子孫變鬼必死之病耶?不敢斷之,再請親人卜之。
同じく壬子のこの一日、またこの家に代わりて小主人の病を占い、雷水解の卦を得て坎為水の卦に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、妻財の戌土(陰爻)、官鬼の申金(陰爻)が応に就き併せて発動、子孫の午火(陽爻)が発動、子孫の午火(陰爻)、妻財の辰土(陽爻)が世に就き、兄弟の寅木(陰爻)である。変じた坎卦の六爻は順に、父母の子水が世に就き、妻財の戌土、官鬼の申金、子孫の午火が応に就き、妻財の辰土、兄弟の寅木である。野鶴老人はこの一卦を見て反って疑を起せり。「これは究竟、新病が『六冲』を得て必ず死に至らざる症なるか、それとも『子孫』が『官鬼』を変出して死せざる可ならざる病なるか」。一時に断定するを敢えてせず、便ち再び彼の家の親人に一卦を卜らしむ。
叔占侄病得坤卦。子孫酉金″世,子孫酉金″世;妻財亥水″,妻財亥水″;兄弟丑土″,兄弟丑土″;官鬼卯木″應,官鬼卯木″應;父母巳火″,父母巳火″;兄弟未土″,兄弟未土″。又見六沖,知不死矣。問有舊病否?彼曰:從無病根,便自山東一路而來,亦無病起,適間日落之時,忽而滿床亂滾,口不能言。余曰:既無舊病,餘敢保之即愈,再請醫者卜之。
ここにまた彼の叔父に侄児の病を占わしめ、坤為地の卦を得て、六爻は安静、変卦は本卦と同じ。六爻を上から下に言えば、子孫の酉金(陰爻)が世に就き、妻財の亥水(陰爻)、兄弟の丑土(陰爻)、官鬼の卯木(陰爻)が応に就き、父母の巳火(陰爻)、兄弟の未土(陰爻)である。坤は八純卦にして、本身就中「六冲」なり。ここにまた六冲を見れば、この病は死に至らざるを知るべし。野鶴老人は便ち問うた。「彼は従前に老病根あらしや」と。家里の人は言った。「従来病根なく、この一路山東より回来するもかつて病せず。剛才日落の時分、忽然として満床に乱滾し、話さえ説き出す能わざりき」と。野鶴老人は言った。「すでに旧病なからば、我は敢えて彼の即刻に好くならんを担保す。更に彼に病を看る医生にも一卦を卜らしめよ」と。
得井之明夷卦。父母子水″,官鬼酉金″;妻財戌土′世動,父母亥水″;官鬼申金″,妻財丑土″世;官鬼酉金′,父母亥水′;父母亥水′應動,妻財丑土″;妻財丑土″動,兄弟卯木′應。應為病人,世克應爻還不妨,乃是剋制病人之病也,但不宜應爻化回頭克,定用藥有誤。餘問東家:藥曾吃否?答曰:未熱。問醫者曰:所得何病?所下何藥?伊曰:三伏之天中受暑,不過解暑之涼藥耳。餘私對東家曰:令郎不死,卻得必死之卦,恐此藥來必對症者,再請復看。
医生は水風井の卦を占い得て地火明夷の卦に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、父母の子水(陰爻)、妻財の戌土(陽爻)が世に就き併せて発動、官鬼の申金(陰爻)、官鬼の酉金(陽爻)、父母の亥水(陽爻)が応に就き併せて発動、妻財の丑土(陰爻)が発動す。変じた明夷卦の六爻は順に、官鬼の酉金、父母の亥水、妻財の丑土が世に就き、父母の亥水、妻財の丑土、兄弟の卯木が応に就く。医家が自占するは、「応爻」は便ち病人なり。世爻が応爻を剋するはなお紧要去らず。あれは医生が病人の病を剋制するなり。ただ応爻が発動して回頭剋を化出するを宜しとせず。あれは准是れ薬を用るに誤あるなり。野鶴老人は便ち主人に問うた。「薬は喫したりしや」と。答えて言った。「未だ煎熱せず」と。また医生に問うた。「得たるは何の病ぞ。下したるは何の薬ぞ」と。医生は言った。「三伏天のうちに暑に中たり。不過は些か解暑の涼薬のみ」と。野鶴老人は私下に主人に対して言った。「令郎は本に死すべからざる。今は却って一個の必死の卦を占い出せり。ただ怕るはこの薬は未だ必ず对症せざらんか。還って医生に請うて更に一遍復看せしめよ」と。
醫者曰:床上亂滾,不能把脈,隨以家人問途中何如,家人言曰:到家熱極,移床於此有風之處,再用大冰二塊,安於涼床之下,命侄女掌扇,一覺睡熟,忽然醒來呼喚幾聲,即不言矣。餘想熱極之人,臥冰臨風,空曠之場,使人掌扇,其病可知,醫者亦曰:適看病已扶入喜矣,不知此節,看來寒藥實不可服。余曰:竟用附子肉桂,方可治之,更命伊父占之。
医生は言った。「病人は床上に乱滾して、根本に脈を把る法なし」と。ここに随行の家人に一路の情形如何なりしを問う。家人は言った。「家に到る時は熱の厉害なる。便ち床を挪してこの有風の地方に処せしめ、また両大塊の氷を拿りて涼床の底下に安め、侄女に旁らに扇を打たしめたり。彼は一覺に熟睡し、忽然として醒めて数声を喊せしが、便ち再び声を出さざりき」と。野鶴老人は心に想う。一個の熱の極处に到りたる人は、氷上に睡り風口に当たり空曠の处に躺り、また人に扇を打たしむ。この病の来路はまた明白せり。医生もまた言った。「方才病を看る時、人は已に屋のうちに扶入せられ、なおこの一节あるを知らざりき。かように看れば、寒凉の薬は実に服すべからざるなり」と。野鶴老人は言った。「附子・肉桂のこの等の大熱の薬を用うるに非ざれば、こそ治し得べけれ。便ち病人の父に再び一卦を占わしめよ」と。
壬子日占用附子可否得大有之大畜。官鬼巳火′應,妻財寅木′;父母未土″,子孫子水″應;兄弟酉金′動,父母戌土″;父母辰土′世,父母辰土′;妻財寅木′,妻財寅木′世;子孫子水′,子孫子水′。子孫臨日辰,酉金兄動以相生,服用一劑,保管立愈。醫家先用乾薑湯試之,少刻開言肚疼之甚。余曰:何如快服此藥。醫家加減調理一夜,次日曰愈,此人之不死也。因我出門子孫發動一卦而斷定矣。厥後連占數卦,皆合前象,方敢用大熱之劑,起死回生,不然一劑涼藥,寒上加寒,能於治耶?
壬子日に附子の用い得べきか用い得べからざるかを占い、火天大有の卦を得て山天大畜の卦に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、官鬼の巳火(陽爻)が応に就き、父母の未土(陰爻)、兄弟の酉金(陽爻)が発動、父母の辰土(陽爻)が世に就き、妻財の寅木(陽爻)、子孫の子水(陽爻)である。変じた大畜卦の六爻は順に、妻財の寅木、子孫の子水が応に就き、父母の戌土、父母の辰土、妻財の寅木が世に就き、子孫の子水である。薬を占うは「子孫」を以て用神と為す。子水の子孫は正しく壬子日の日辰に臨み、また酉金の兄弟の発動して来てそれを生ずる有り。見るべし、この薬は一剤を服せば便ち立刻に愈せんを管保す。医家は先ず乾姜湯を用いて彼を試したれば、不多時に病人は口を開きて肚子の疼さ厉害なりと言えり。野鶴老人は言った。「還って何を等つや。速く附子のこの一剤を服せよ」と。医家は加減・調理して一夜、第二天に病は便ち好くなった。この人の死なざる所以は、実は早く我が出門せし前に自占のあの一卦に子孫の発動するを見し時に便ち断定せり。此の後に接続していずれかの卦を占うに、卦象は皆前と相合す。ここに敢えて大熱の方剤を用い、居然として死に回り生に起さしめたり。然らざれば一剤の涼薬を下去せば、寒の上に寒を加え、還って治し好るを得んや。
覺子曰:此卦酉金兄動以生子孫,服此熱藥而病癒者。使前賢見之,又以酉金兄爻而為藥也。凡卜藥亦有當卜之道,或醫家看臨危之症,欲投此藥,可以起死回生,惟恐一失,繫不少得子孫動者必喜悅也,即可用之,用而必效。
覚子曰く、「この一卦は酉金の兄弟が発動して来て子孫を生ず。ゆえにこの剤の熱薬を服して病は便ち好し。もし従前のあの先生の見たらば、また酉金の兄爻を便ち是れ薬と言わん。およそ薬を占うも、また自ら占うべき道理あり。譬えば医家が一個の垂危の症候を看て、一剤の猛薬を投ぜんと想うに、本より起死回生すべきも、ただ怕るは万一の失手あれば、牽係少なからざるなり。この時『子孫』の発動するを占い得れば、あれは便ち一片の喜悅の象なり。便ち儘に用いよ。用い下去れば必定に効を見ん」。
或泛詢行用,或長途穹旅,無處得寺醫,有人傳一奇方占得子孫動者其方必效,或半夜更深,延醫不及,檢黠古方,及家藏凡藥,實對此症,不敢擅用,不可不占,皆以子孫為用神,但得子孫持世,子孫發動,服之立可解憂,此諸占之子孫者,不拘金木水火土也,或旺或動,即為喜悅之神,(用此方而兄爻不動,何喜之有,)切不可又以金臨子孫而用針,火屬子孫而用炙,錯也誤也。
また譬えば泛泛と打听して来たる一個の方子を試みて用いんとし、あるいは長途の旅次・荒僻の地方に好き医生を尋り得ざれば、ある人が一個の奇方を伝う。『子孫』の発動するを占い得れば、あの方子は必定に効を見ん。再如半夜・更深にして、医を請うに及ばず、翻検して一張の古方を檢出し、あるいは家のうちに存する現成の薬あり。看るに確かに对症なるも、敢えて擅自に動用せざれば、それならば占わざる可ならず。これらは皆子孫を以て「用神」と為す。ただ子孫が世に就き、あるいは子孫が発動すれば、服し下去れば立刻に以て憂を解すべし。ここに説く所の子孫は、それが金に属し・木に属し・水に属し・火に属し・土に属するを論ぜず。ただ或は旺或は動なれば、便ち是れ喜悅の神なり。(もしこの方子を用いて兄爻が動かざれば、また何の喜ぶべきあらんや。)切にまた子孫が金に属せば便ち針を用うべし・子孫が火に属せば便ち灸を用うべしと説くなかれ。あれは大錯特錯なり。
一日到一府中,眾客告曰:老先生昨日在後園仆倒,扶起出狂言,至今不知人事,諸位醫者內有曰:不服人參不能提氣。有曰:幸無痰上,若吃人參,痰上則難治矣。余曰:就卜人參吃得否。寅月丁卯日子占父病吃人參好否。得萃之否卦。父母未土″動,父母戌土′應;兄弟酉金′應,兄弟申金′;子孫亥水′,官鬼午火′;妻財卯木″,妻財卯木″世;官鬼巳火″世,官鬼巳火″;父母未土″,父母未土″。
ある日、一位の官宦の人家に到り、満座の客人は我に告げて言った。「老先生は昨日後園のうちに跌倒し、扶起せば便ち胡話を説き、到今は人事不省なり」と。在場の医生は、あるものは言った。「人参を服さざれば気を提起し得べからず」と。あるものは言った。「幸いに未だ痰の涌上せざる。もし人参を喫せば、痰は一たび上がり来れば治しがたからん」と。野鶴老人は言った。「それならば一卦を占い、人参の喫し得べきか喫し得べからざるかを看ん」と。寅月丁卯の日、児子によりて父の病を占い、人参を喫するは好きか否かを占わしめ、沢地萃の卦を得て天地否の卦に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、父母の未土(陰爻)が発動、兄弟の酉金(陽爻)が応に就き、子孫の亥水(陽爻)、妻財の卯木(陰爻)、官鬼の巳火(陰爻)が世に就き、父母の未土(陰爻)である。変じた否卦の六爻は順に、父母の戌土が応に就き、兄弟の申金、官鬼の午火、妻財の卯木が世に就き、官鬼の巳火、父母の未土である。
占人參必以子孫為用神,若不通變,見卦中父動克子孫不過曰人參不可服也。餘非此斷,子占父病,父爻為用神,未動化戌,父戌旬空,人參莫用,藥亦莫服,明日辰日沖空即愈,果於雞鳴甦醒,次日不藥而癒。
常法に按ずれば、人参を占うは「子孫」を以て用神とすべし。もし通変を知らざれば、卦中の「父母」が発動して来て子孫を剋するを見、無非は一句、人参は服すべからずと言うのみ。野鶴老人は却ってかように断ぜず。「すでに児子が父の病を占うは、便ち父母爻を以て用神とすべし。この卦は未土の父母が発動して戌土を化出す。而してこの戌土は正しく旬空に値す。ゆえに人参は用うるに及ばず、別の薬もまた服するに及ばず。明天辰日に到りてこの旬空を冲開せば、病は自然に便ち好し」と。後に果たして鶏叫の時分に蘇醒し、第二天は薬を喫せずして痊愈したり。
又如一日在席間,見東翁口歪眼斜痰涎長流,餘亦在座,乃即問曰:家有牛黃,但不知可服否?餘命占之。亥日辛酉日子占父病吃牛黃丸可否,得夬卦。兄弟未土″,兄弟未土″;子孫酉金′世,子孫酉金′世;妻財亥水′,妻財亥水′;兄弟辰土′,兄弟辰土′;官鬼寅木′應,官鬼寅木′應;妻財子水′,妻財子水′。
またある日酒席の上に在り、主人の口は歪み眼は斜めにして痰涎は直流するを見たり。我もまた座に在り、主人の家は便ち問うた。「家のうちに牛黄あり。ただ服し得べきか服し得べからざるかを知らず」と。私は彼に一卦を占わしめたり。亥月辛酉の日、児子によりて父の病を占い、牛黄丸を喫するは行けるか否かを占わしめ、沢天夬の卦を得て、六爻は安静、変卦は本卦と同じ。六爻を上から下に言えば、兄弟の未土(陰爻)、子孫の酉金(陽爻)が世に就き、妻財の亥水(陽爻)、兄弟の辰土(陽爻)、官鬼の寅木(陽爻)が応に就き、妻財の子水(陽爻)である。薬を占うは「子孫」を以て用神と為す。この卦は酉金の子孫が恰好に世爻の上に坐し、而してこの一日はまた正しく辛酉日なり。
余曰:灌服此丸可保立愈,服之便醒,喜子孫持世也。或曰:同是子占父藥,一卦看父爻,一卦看子孫,其故何也?余曰:前卦父爻發動,神兆機於動,以父母斷之,後卦子孫持世值日,子孫乃喜悅之神,父病即安則喜悅矣,卦無不靈,在人通變。
野鶴老人は言った。「この丸薬を灌めば、立刻に好くなるを管保す」。灌せば果たして便ち醒めた。これは「子孫」の世に就くを喜ぶなり。ある人が問う。「同じく児子が父の薬を占うに、前の一卦は父母爻を看て、後の一卦は却って子孫爻を看る。是れ何の緣故ぞ」と。野鶴老人は言った。「前の一卦は父母爻が発動せり。いわゆる『神の兆は動に機す』、便ち父母爻を以て断ずべし。後の一卦は子孫が世に就き、また正しく辛酉日に当たりて子孫が日辰に臨む。子孫はもともと喜悅の神なり。父の病が一たび安ければ、一家は自然に喜悅す。卦は霊ならざるなく、全て人の通変し得るか得ざるかに在り」。
又如申月癸卯日因楊梅瘡占醫好否。得履之否卦。兄弟戌土′,兄弟戌土′應;子孫申金′世,子孫申金′;父母午火′,父母午火′;兄弟丑土″,官鬼卯木″世;官鬼卯木′應動,父母巳火″;父母巳火′動,兄弟未土″。
また申月癸卯の日のごとし。ある人が楊梅瘡を患うに因り、請いたるこの医生が医し好すか医し好さざるかを占い、天沢履の卦を得て天地否に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、兄弟の戌土(陽爻)、子孫の申金(陽爻)が世に就き、父母の午火(陽爻)、兄弟の丑土(陰爻)、官鬼の卯木(陽爻)が応に就き併せて発動、父母の巳火(陽爻)が発動す。変じた否卦の六爻は順に、兄弟の戌土が応に就き、子孫の申金、父母の午火、官鬼の卯木が世に就き、父母の巳火、兄弟の未土である。
斷曰:此醫不可用之,雖係子孫持世,應為醫人,不宜應爻與巳火克申金,又有卯木生火,世爻雖旺,巳日一定添災,不聽,竟延此醫治之,卯辰日服藥還保平常,巳日忽然變症,遍身疼痛難當,病人著急而問余曰:可傷命否?余曰:世值日建,何如傷命?快服解藥,過此巳午日則止疼矣,即服解藥至申日其病如常。
野鶴老人は断じた。「この医生は用い得べからず。卦中は『子孫』が世に就くといえども、『応爻』は医生を代表す。応爻の卯木が巳火と一斉に来て申金の世爻を剋するを宜しとせず。いわんや卯木はまた巳火を生じ、火勢はさらに盛んなり。世爻の申金は申月にあって令を得るも、巳日に到れば一定に災を添えん」と。病家は聴かず、竟にこの医生を請いて医治せしめたり。卯日・辰日に薬を服するはなお平平常常たりしが、巳日に到りて忽然として症を変じ、浑身の疼痛は忍びがたし。病人は着急して、野鶴老人に問うた。「命を送るや否や」と。野鶴老人は言った。「世爻は自ら日月の旺気に撑えられたる有り。どうして命を送らん。急いで解薬を服せよ。この巳日・午日を過ぎれば便ち疼かざらん」と。当下に解薬を服し、申日に到りて病は便ち復して常のごとくなった。
野鶴曰:前篇俱言子孫持世,其病即愈,必要子孫不受克可也,後賢不可不知。李我平曰:此論官鬼為憂神,子孫為喜悅解憂之神,雖係古法,用之得當,非合鬼神之機,不能幻想至此,然又有不以鬼作憂神者,全在來人念之所指,彼問病之吉凶,若得鬼爻持世,鬼動卦中,豈為憂神?子孫持世,子孫發動則為解憂喜悅之神是也。
野鶴老人は言った。「前面の几篇は皆『子孫』が世に就けば病は便ち好しと講じたり。しかし必ず子孫の剋を受けざるを須す。後来の学者はこの一層を知らざる可ならず」。李我平は言った。「ここに『官鬼』を以て憂神と当て、『子孫』を以て喜悅・解憂の神と当つるは、古法に属すといえども、而も用うること恰当なり。もし鬼神の機に暗合せざれば、またこの一層の上に想到る能わざりしならん。ただしまた官鬼を以て憂神と為さざる時あり。全て来て卦を問う人の心のうちに指すところいずれの一件かを看る。彼がもし問うところが病の吉凶なれば、それならば鬼爻が世に就き鬼が卦中に動するは、どうしてただ一個の憂神なることを得ん。この時、子孫が世に就き子孫が発動して、こそ解憂・喜悅の神と算え得べけれ」。
彼問犯何鬼神者,卦現金鬼,必沖犯於武神。水鬼者犯罪於河神也。彼問病原,火鬼必屬心經,水鬼必腎部,子孫旺而動者不藥而癒,非教人以此子孫爻為治病之藥,金為子孫而用針,火持子孫而用炙,殊不知子孫若旺,其病自痊,何用針炙?子孫者值空破,用針炙而何益?
彼がもし問うところがいずれの一路の鬼神を冲犯したかなれば、それならば卦に金鬼を現ずれば、必ず武神を冲犯したり。卦に水鬼を現ずれば、すなわち河神に罪を獲たり。彼がもし問うところが病根の出づるところいずれの处かなれば、それならば火鬼は必ず心経に属し、水鬼は必ず腎部に属す。「子孫」が旺にしてまた動するに至っては、ただ説くところ、薬を喫せずとも自ら好くならんとするのみ。併せて人にこの子孫爻を拿りて病を治する薬と当てよと教えるにあらず。さらに子孫が金に属せば便ち針を用うべし、子孫が火に属せば便ち灸を用うべしと説くにあらず。知るべし、子孫がもし旺なれば、病は自ら痊愈せん。何ぞ針を用い灸を用いんや。子孫がもし正しく旬空・月破に値せば、それならば針を用い灸を用うるもまた何の益かあらん。
諸書皆曰:土鬼忌熱,水鬼忌寒,水鬼若生旺之地,須用大熱之藥以治之。水鬼寒者,宜大寒之藥以功之,餘不知從何見此。假使用神屬土及子占父病,父爻臨土,若得火爻發動,乃生用爻之元神也,豈可以大寒之藥而治元神耶?又如妻占夫病,鬼為用神,假令夫臨水鬼,又可以大熱之藥以攻夫爻之用神耶?常見窮鄉僻壤,無處覓醫,只謂周易乃大聖大賢之書,遵之必靈,以此大寒大熱之藥,不知坑陷如許之命,言及髮指,此書一出,寒熱之藥不可輕用,從此泉下無冤鬼矣。
各家の書上は皆言う。土鬼は熱を忌み、水鬼は寒を忌む。水鬼がもし生旺の地に在れば、須く大熱の薬を用いて往きて治すべし。水鬼が寒に属するは、また大熱の薬を以て攻むべし——前の一句はこそ水鬼は寒を忌むと言い、後の一句はまた人に大寒の薬を拿りて水鬼を攻めよと叫ぶ。前后自ら相矛盾す。私はこの話のどこより看て来たりしかを知らず。もし「用神」が土に属し、而してまた児子が父の病を占い、父母爻が土に臨む。この時もし火爻の発動あらば、あれは正しく用神を生ずる「元神」なり。どうして大寒の薬を拿りて元神を治しに行かんや。また妻子が丈夫の病を占うに、「官鬼」を以て用神と為す。もし丈夫のこの一爻が水鬼ならば、豈に大熱の薬を拿りて自己の丈夫の用神を攻むる可けんや。常に見る、窮郷・僻壤には医を請うことを得ず。ただ《周易》を大聖・大賢の書と當て、照らして做せば必定に応験せらんとし、かようにして大寒・大熱の薬を用い起こし、いくらの性命を坑害したりしかを知らず。説き起こせば人をして髪を指さしむ。この部の書が一たび出れば、寒熱の薬は更に軽く用うる可ならず。これより九泉の下にもまた冤鬼なからん。
家宅の章第百五
野鶴曰:諸書皆曰,一卦之中,可決一家休咎,六爻之內,能分六事吉凶,以卦中之父母爻為屋,又以父母爻為雙親,既為二親,又以五爻為父,四爻為母,如此悖謬糊塗,尚有刊傳為法,餘實不解。
野鶴老人は言った。「各家の書上は皆講ず、一卦の中に便ち一家の休咎を決断し得、六爻の内に便ち六桩の事の吉凶を分つを得ると。すでに卦中の『父母』爻を以て房屋と当て、また父母爻を以て双親と当つ。すでに双親と當てて了えり、却って別に一説を立て、第五爻を以て父と為し第四爻を以て母と為す。かように自ら相牴牾して、糊裡糊塗として、居然としてまた刻印して流傳し、人に奉じられて定法と為さる。私は実に理解する能わざるなり」。
如戌月丙午日占得乾之小畜。父母戌土′世,妻財卯木′;兄弟申金′,官鬼巳火′;官鬼午火′動,父母未土″應;父母辰土′應,父母辰土′;妻財寅木′,妻財寅木′;子孫子水′,子孫子水′世。
譬えば戌月丙午の日に家宅を占い、乾為天の卦を得て風天小畜の卦に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、父母の戌土(陽爻)が世に就き、兄弟の申金(陽爻)、官鬼の午火(陽爻)が発動、父母の辰土(陽爻)が応に就き、妻財の寅木(陽爻)、子孫の子水(陽爻)である。変じた小畜卦の六爻は順に、妻財の卯木、官鬼の巳火、父母の未土が応に就き、父母の辰土、妻財の寅木、子孫の子水が世に就く。下面、野鶴老人は便ちこの一卦を拿りて、逐条に往きて古書上のあの家宅の断法を核対す。
古法有出卦無父母,不免堂上之憂。此卦不獨有父母戌土臨月建,午火官動以相生,即父母雙慶之祥也。若又以五爻為父四爻為母斷者,鬼臨四位,老母多災,執此問之,老母多災即堂上無憂耶?又曰:好爻受克即此逢傷,今五爻申金被午火鬼克,此又老父以生災耶?又曰:鬼動乾宮老父之咎,此卦鬼發乾宮又為老父之咎?
古法は言う。卦のうちにもし「父母」爻を出さざれば、堂上の二老は憂患を免れず。この一卦は但だ父母の戌土が世に就き、また戌月の月建に臨み、さらに午火の官鬼が発動して来てそれを生ず。正しく父母が雙雙に慶を得る吉象なり。しかるにもし別の説に照らし、第五爻を以て父と為し第四爻を以て母と為して断ぜば、鬼が第四爻に臨めば、便ち老母は多災と断ずべし。この両説を拿りて一対すれば、究竟是れ老母の多災なるか、それとも堂上の無憂なるか。書上はまた言う。いずれの一爻か剋を受くれば、あの一位は便ち傷を受く。今第五爻の申金は正しく午火の鬼に剋せらる。これ豈にまた老父は災を生ぜんと断ずべからざらんや。書上はまた言う。鬼の乾宮に動するは老父の災咎なり。この一卦は鬼は恰恰と乾宮に発せり。それならばまた老父の咎と成るか。
又云:火鬼動以防回祿,白虎鬼為喪服之憂。又云:世逢生旺,宅旺家安。此卦世已旺矣,奈因火鬼臨於虎動,可謂之回祿乎?喪服乎?家興宅旺乎?又以官鬼為廳堂,謂之官旺屋宇軒昂。又云:鬼旺鬼興,為災為咎。此卦鬼臨日辰旺動,屋宇軒昂乎?為災為咎乎?
書上はまた言う。火鬼が発動すれば火災を防ぐべし。鬼が「白虎」に臨むは喪服の憂あるを主る。また言う。世爻が生に逢い旺に逢えば、宅は旺に家は安し。この一卦は世爻は已に旺れり。无奈なれど火鬼はまた白虎に臨みて発動す——それならばそれを断じて火災とすべきか。喪服とすべきか。それとも家の興り宅の旺なりとすべきか。書上はまた「官鬼」を以て廳堂と當て、官鬼が旺なれば屋宇は軒昂なりと説く。しかし緊接してまた言う。鬼が旺に鬼が動するは、災を為し咎を為すと。この一卦は鬼爻は正しく丙午日の日辰に臨みて、而して旺にして而も動す——到底それを断じて屋宇の軒昂とすべきか、還ってそれを断じて災を為し咎を為すとすべきか。
又云:財官旺相,熱鬧門庭。又曰:財爻發動,父母遭傷,豈門庭熱鬧之家,皆無父母之家耶?又云:兄爻旺相,紫荊並茂於堂前。又云:兄弟持世,絲絃再理。豈雁行隊隊者皆失履遺之宅耶?種種悖謬,難以枚舉,餘不得已而正之。
書上はまた言う。財爻・官爻が旺相なれば、門庭は熱鬧なり。また言う。財爻が発動すれば、父母は傷に遭う。豈に門庭の熱鬧なる人家は、皆是れ父母なき人家ならんや。また言う。兄弟爻が旺相なるは、是れ紫荆が堂前に并茂し、弟兄が同居して和睦する象なり。また言う。兄弟が世に就くは、是れ配偶を喪いて、重ねて絲弦を理して再娶する象なり。豈に兄弟の行を成し雁陣のごとく斉整なる人家は、皆偶を喪い伴を失う宅子ならんや。この一類の荒謬の处は一桩桩として數え盡す能わず。私は已むを得ずこそ出でてそれを訂正す。
