此の婚に子嗣の有無章第八十三
子孫旺相或休囚而動及動而化吉,皆主有子。子化進神化回頭生,有子必多。如逢子孫墓絕動而變鬼鬼變子孫父化子子化父父動克子,皆因我命無兒,不成此婚亦無子也,惟多積陰德以培之。
「子孫」爻が旺相にして、あるいは休囚ながら発動し、および発動して吉爻を化出するは、皆子嗣あるを主る。子孫が進神を化し回頭生を化するは、児子は必ず多い。もし子孫の入墓・逢絶、発動して鬼爻を変出し、鬼爻が子孫を変出し、父母が子孫を化し、子孫が父母を化し、あるいは父爻が発動して子孫を剋するに遇えば、それは自己の命に児なきで、たとえこの親を結ばずとも、別に娶りて同じく児なし——ただ陰徳を多く積みて培植するのみである。
如申月丁丑日因有妾多占何命者有子 得革之夬卦。官鬼未土″,官鬼未土″;父母酉金′,父母酉金′世;兄弟亥水′世,兄弟亥水′;兄弟亥水′,官鬼辰土′;官鬼丑土″動,子孫寅木′應;子孫卯木′應,兄弟子水′。
申月丁丑の日、ある人が姫妾の众多なるに因り、いずれの房の命に児子を生み得るかを占い、沢火革の卦を得て沢天夬に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、官鬼の未土(陰爻)、父母の酉金(陽爻)、兄弟の亥水(陽爻)が世に就き、兄弟の亥水(陽爻)、官鬼の丑土(陰爻)が発動、子孫の卯木(陽爻)が応に就く。変じた夬の卦の六爻は順に、官鬼の未土、父母の酉金が世に就き、兄弟の亥水、官鬼の辰土、子孫の寅木が応に就き、兄弟の子水である。関鍵は卯木の子孫が申月のうちに絶に逢い、二爻の鬼爻が発動してまた子孫の寅木を変出すに在り。野鶴老人は断じた。「卯木の子孫は申月にまさに絶地、鬼爻は寅木の子孫を変出すも寅木はまた申月に冲破さる——これは您本人の命に児なきで、いずれの房の妾の命と何の相関あらん」と。彼は即ち八字を拿出して見せたれば、甲寅・甲戌・甲子・戊辰であった。私は言った。「この八字は純陽にして陰を包む象あるも、兵権を掌り顕赫を主るが、嫌は天干四柱が並頭重畳して地支また層層冲剋するに在り、同じく児なきを主る」と。あの公は問うた。「いかなる办法か」と。私は言った。「陰徳を多く積みて培植せよ」と。彼は言った。「不孝は三あり、後なきが最大」と。これより彼は貧寒を賑済し、人の夫婦団円を成全し、橋を修し路を鋪き、薬を施し棺を施して、後に相続いて二つの児子を生んだ。終に臨んで彼は児子に嘱して言った。「もし陰功を積まざりせば、汝らあらじ。汝らはすでに成人せり。さらに多く徳を積め」と。
斷曰:卯木子孫絕於申月,鬼變子孫又逢月破,公命無子,與女命何干?即出八字看之,甲寅甲戌甲子戊辰,余曰:八字雖有純陽包陰,兵權顯赫,但嫌並頭重重疊疊克罡,亦主無子。公曰:有何法耶?余曰:多積陰德以培之。公曰:不孝有三,無後為大。嗣後施濟貧寒,全人夫婦,修橋砌路,施藥施棺,連生二子,臨終囑其子曰:我非陰功,不能有爾,爾皆成人,多宜積德。
野鶴老人は斷じた。「卯木の子孫は申月に正しく絶地、鬼爻は雖も寅木の子孫を變出すも、寅木はまた申月に冲せられ破れたり——これは您本人の命に兒子なし。いずれの房の妾の命と何の相干あらん」。彼は隨即に八字を拿出して看れば、是れ甲寅・甲戌・甲子・戊辰なり。我は言った。「この八字は雖は純陽の陰を包む象あって兵權を主掌して顯赫を主るも、嫌うところ、天干は四柱に並頭して重疊し、地支はまた層層に冲剋す。同じく兒子なしを主る」。あの公は問う。「何か办法あるか」。我は言った。「多く陰徳を積みて以て培植せよ」。彼は言った。「不孝は三あり、後なきが最大なり」。これより彼は貧寒を賑濟し、別人の夫婦の團圓を成全し、橋を修め路を鋪き、藥を施し棺を施し、後來に接連して兩個の兒子を生めり。臨終の時、彼は兒子に囑咐して曰く、若し陰功を積まざらば、便ち汝らある可からず。汝らは皆已に成人せり。さらに多く徳を積むべし、と。
此の婚、父母に宜しきか否か章第八十四
專以父母為用神,父母爻或旺或衰,皆不忌也。所忌者財爻發動,必此婚之有妨。如財化父母,父母動化墓絕空破及回頭克,動而破散或日月克父母,乃桑榆暮景之秋,不成此婚亦難免耳。
この一門はあげて「父母」爻を以て「用神」とする。父母爻の或は旺或は衰は、皆忌ぶに足らず。忌ぶところは財爻の発動にして、それならば一定にこの親事に妨げあらん。財爻が父母を化出するか、あるいは父母爻が発動して入墓を化し逢絶を化し落空を化し遇破を化しおよび回頭剋を化するか、あるいは発動して破散し、またあるいは日辰・月建に剋されるに至っては、それは已に桑榆の晩景、寿数まさに尽きんとする象で、たとえこの親を結ばずとも、同じく免れがたい。
寵を納るる章第八十五
為子嗣故,以子孫為用神,與前段同斷,否則專看財爻,亦與占子同斷。占配僕,以財爻為用,財爻持世,或動而生合世爻,動而化進、化生、化財,皆得忠誠效力;散破空絕,非懶惰即疾病。財爻克世沖世,負義忘恩之徒也。財化鬼化絕化墓化克及鬼化財爻,貧窮壽夭。
妾を納るるがもし子嗣のためなれば、すなわち「子孫」爻を以て「用神」とし、判法は前の章と同じである。もし子嗣のためでなければ、あげて「妻財」爻を看て、判法は児女を占うと同じである。配婢・僕を買うを占うは、財爻を以て用神とする。財爻が世に就き、あるいは発動して来て世爻を生合し、あるいは発動して進神を化し生を化し財爻を化出するは、皆忠誠に効力する人を得られる。財爻が散気・遇破・落空・逢絶するは、此の人は懶惰ならぬは多病である。財爻が世を剋しあるいは世を冲するは、信を背き恩を忘るる徒である。財爻が鬼を化し絶を化し墓を化し剋を化し、および鬼爻が財爻を化出するは、その人は貧窮にしてしかも短寿である。
離婦を取り娼婦を贖う章第八十六
防患者,用子孫。子孫持世,子孫發動,皆無憂也。財爻持世,子動相生者,更吉。鬼兄克世隨助傷,鬼爻持世,婚姻雖就,病患隨之。財克世,兄持世,落人之局,必人財兩失。防攔阻者,鬼動有禍,兄爻持世,到底難成,財動相生,不謀而就,六沖變沖為凶。三合六合者吉。六合變沖,成而不久。六沖變合,終必有成。強奪婚、遂私約,非祥非義,勿告於神。出妾休妻,原非所欲,有不得己而出者,必去難留。
再嫁の婦を娶りあるいは娼妓の身を贖うは、もし日后に事出づるを防がんとするなら、すなわち「子孫」爻を用いる。子孫が世に就きあるいは子孫が発動するは、皆憂慮すべきなし。財爻が世に就きて子孫が発動して来てそれを生ずるは、さらに吉。鬼爻・兄爻が世を剋し、あるいは鬼に随って墓に入り、財が動いて鬼を助けて身を傷める——鬼爻が世に就くは、婚事は成るも病患もまた随って来る。財爻が世を剋し兄爻が世に就くは、別人の設けた圏套に落ち入り、必ず人財両空ならん。もし人の中より拦阻するを防がんとするは、鬼爻の発動すれば便ち禍事あり、兄爻が世に就けば到底成りがたく、財爻が発動して来て世を生ずれば、謀を費やさずして自然成就す。六冲が六冲に変ずるは凶を為し、三合・六合は吉を為す。六合が六冲に変ずるは、成るも長からず。六冲が六合に変ずるは、終に成り得る。強く婚配を搶い私に苟合を訂るるに至っては、祥ならざるかつ義ならざれば、以て神明に禀告するなかれ。妾を遣い妻を休するに至っては、もともと人の願う所にあらざれば、もし実に已むを得ざるあって出さんとするあれば、占い得て去るべきは留めがたい。
胎孕の章第八十七
卜胎之虛實,占孕之安危,問產婦之吉凶,測胎中之男女,各宜分占,親占代占,皆用子孫,惟子占母孕,以弟兄爻為用神也。福神旺相遇生扶,麟捶兆瑞。子孫休囚逢破衰,泡孕空虛。子孫臨日月、或遇日月動爻生扶、或動而化吉,皆許成孕。若臨空破衰絕、或被刑沖剋害、或動而變鬼化絕化破、或鬼變子、父變子、子化父,水泡空燈,惟動而空者不防。
真に胎を懐いたか否かを卜し、胎孕の安穏か否かを占い、産婦の吉凶を問い、腹中の男女を測る——この四件の事は各々分かちて占うを要す。自ら占うと人に代わりて占うとを問わず、皆「子孫」爻を以て「用神」となす。ただ独り児女が母に代わりて其の懐孕を占うは、「兄弟」爻を以て用神とす。子孫が旺相にしてまた生扶を得るは、麟児の瑞を呈する兆である。子孫が休囚にしてまた破に逢い衰に逢うは、胎孕は水泡のごとく落空せん。子孫爻が日辰・月建に臨み、あるいは日月と動爻の生扶を得、あるいは発動して吉爻を化出するは、皆それが確かに孕を成したを許す。もし子孫が落空・遇破・衰弱・逢絶し、あるいは刑冲剋害され、あるいは発動して鬼爻を変出し絶を化し破を化し、またあるいは鬼爻が子孫を変じ父母が子孫を変じ子孫が父母を化するなら、それは水泡・空灯の一場の虚幻のごとし。ただ発動して落空するのみは忌ぶに足らず。
子化子雙生有準。子動化子孫、或卦中子孫動、或已有旺相之子孫動者他爻又變出旺之子孫,皆主雙胎。卜筮元龜云:子孫兩旺,定是雙胎。覺子曰:兩動兩旺者,此斷是也。內有一衰,一死一生,一陰一陽者一女一男。兩現一不動者,非也。
子孫が子孫を化出するは、双生は准なり。子孫が発動して子孫を化出するか、卦中に別に子孫の発動あるか、またあるいはすでに一つの旺相の子孫が発動して別爻が更に一つの旺相の子孫を変出する——これらは皆懐くところ双胎を主る。《卜筮元亀》に言く、子孫の两处ともに旺なれば、一定に双胎なり、と。増刪者李文輝(覚子)が自ら述べる。「二つの子孫が皆動し皆旺なる時、かく断ずるをもって对とす。もし二つのうち一つの衰弱あれば、すなわち一死一生である。もし一陰一陽ならば、それは一女一男である。二つの子孫が皆卦中に現わるも、一つに発動せざるあるに至っては、すなわちこの条に照らして断ずること能わざる」。
陽變陰男女可辨。六爻靜,先看卦包陰包陽,生女陽包陰,生男陰包陽,坎卦、大過、小過、咸、恆卦是也。陽包陰,離卦、中孚、頤、損卦是也,其餘非也。六爻既靜若無包,須看子孫值陽為男,值陰為女。卦有動爻雖有子包而不用,神兆機於動,先看動爻。一爻動者,陽動為女,陰動為男;兩爻動者,看上爻;若有三爻發動,看中爻;卦中多動者,來心不誠,改日再占。即刻連占亦不驗也。
陽爻より変じて陰爻となるにより、男女は便ち分かち辨えられる。六爻が皆安静なる時は、まず整卦の「陰包陽」か「陽包陰」かを看る。陰包陽は男を生む——指すところは坎卦・大過・小過・咸・恒のこの数卦(外陰にして中陽)。陽包陰は女を生む——指すところは離卦・中孚・頤・損のこの数卦(外陽にして中陰)。その余の卦はこの例に属さず。六爻がすでに静にしてまた包象を成さざれば、すなわち子孫爻を看る。子孫が陽爻に居るは男、陰爻に居るは女である。卦中にもし動爻あらば、たとえ包象あるともそれを用いず。神明の兆は先ず動爻の上に顕るればなり、まず動爻を看る。ただ一爻の動なるは、陽爻の動は女を生み陰爻の動は男を生む。二爻の動なるは、上の那一爻を看る。三爻の発動あるは、当中の那一爻を看る。卦中の動き多すぎるは、来問する人の心誠ならざるなり。日を改めて更に占え——当下に接続して再占するも応験あらじ。
如辰月戊辰日占孕男女得小過之豫卦。父母戌土″,父母戌土″;兄弟申金″,兄弟申金″;官鬼午火′世,官鬼午火′應;兄弟申金′動,妻財卯木″;官鬼午火″,官鬼巳火″;父母辰土″應,父母未土″世。
辰月戊辰の日に胎孕の男女かを占い、雷山小過の卦を得て雷地豫に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、父母の戌土(陰爻)、兄弟の申金(陰爻)、官鬼の午火(陽爻)が世に就き、兄弟の申金(陽爻)が発動、官鬼の午火(陰爻)、父母の辰土(陰爻)が応に就く。変じた豫の卦の六爻は順に、父母の戌土、兄弟の申金、官鬼の午火が応に就き、妻財の卯木、官鬼の巳火、父母の未土が世に就く。全卦ただ三爻の申金兄弟が発動するのみで、しかも陽爻が動いて陰爻の卯木を変出する。
余曰:爾之來意,還是問妻孕平安?還是問孕之男女?彼曰:兩事俱問。余曰:日後須宜分占,不可同問。幸此卦兩事俱現,兄爻雖動,不克變出之財爻,草正坐草無虞,卦中陽動變陰,必然主女。彼曰:小過卦謂之陰包陽,如何生女?余曰:神兆機於動,先重動爻。果於壬申日生女,產母平安。覺子曰:占妻平安及占男女,原宜分占,彼若閒時而問兼問者,還可同斷,若在臨產危急時而問者,切不可以男女而斷。
野鶴老人は彼に問うた。「汝の来る本意は、妻子の懐孕の平安か否かを問うか、胎児の男女かを問うか」と。彼は二件とも問うと言った。私は言った。「これより後は分かちて占うを要し、一卦に同問すべからず。幸いにこの一卦は両件ともに顕れた。兄爻は発動するも、それが変出する卯木財爻を剋するに及ばず——産婦の臨盆は虞なし。卦中は陽爻の発動して陰爻を変出す——あれは必ず女を生む」と。彼は言った。「小過卦は陰包陽と呼ばれるではないか、どうして女を生む」と。私は言った。「神明の兆は先ず動爻の上に顕る。ゆえにまず動爻を重んずる」と。後に果たして壬申日に女児を生み、産婦もまた平安であった。増刪者李文輝(覚子)が自ら述べる。「産婦の平安を占うと胎児の男女を占うは、もともと分かちて占うべし。来人がもし閒時に順帯して同問するは、なお併せて断じ可。もし臨産の危急の時に問い来たるは、切に男女を断ずるべからず」。
産婦の安否を問う章第八十八
坐草臨盆嫌鬼動,胎前產後忌兄搖。財臨絕破妻難保,鬼化妻財命不牢。問產婦夫占代占,皆以財為用神。雖則不宜鬼動,倘若兄動克財,又宜鬼動制服兄爻。不宜財變鬼、鬼變財、兄化財、財化兄,及妻逢月破休囚破絕化墓化絕,或日月沖剋,皆為凶兆。覺子曰:問胎產婦,雖宜分占,另有不待分占,而卦中先現者,須宜留心。
臨盆・坐草の際は最も「官鬼」の発動を嫌い、産前・産後は最も「兄弟」の揺動を忌む。財爻が逢絶・遇破すれば妻子は保ちがたく、鬼爻が妻財を化出すれば性命は牢ならず。産婦の安危を問うは、丈夫の自占と他人の代占とを問わず、皆「妻財」を以て「用神」とす。鬼爻の発動を宜しとせずと言えども、もし兄爻が発動して来て財を剋せば、それならばまた鬼爻の発動して兄爻を制服するを有すべきだ。財爻が鬼を変じ鬼爻が財を変じ、兄爻が財を化し財爻が兄を化し、および財爻が月破・休囚・遇破・逢絶・化墓・化絶に逢い、あるいは日辰・月建に冲剋されるを宜しとせず——これらは皆凶兆である。増刪者李文輝(覚子)が自ら述べる。「胎を問うと産婦を問うは分かちて占うべしといえども、また分占を待たずして卦中に先に顕れるあり。留心して体会するを要す」。
如子月乙亥日占妻孕平安否 得豐之小過卦。官鬼戌土″,官鬼戌土″;父母申金″世,父母申金″;妻財午火′,妻財午火′世;兄弟亥水′,父母申金′;官鬼丑土″應,妻財午火″;子孫卯木′動,官鬼辰土″應。
子月乙亥の日に妻子の懐孕の平安か否かを占い、雷火豊の卦を得て雷山小過に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、官鬼の戌土(陰爻)、父母の申金(陰爻)が世に就き、妻財の午火(陽爻)、兄弟の亥水(陽爻)、官鬼の丑土(陰爻)が応に就き、子孫の卯木(陽爻)が発動する。変じた小過の六爻は順に、官鬼の戌土、父母の申金、妻財の午火が世に就き、父母の申金、妻財の午火、官鬼の辰土が応に就く。用神は午火の妻財で、それは子月に正しく月破に当たり、また乙亥日の水に剋される。
斷曰:午火妻財臨月破,又被亥日克之,冬天之火囚被克,全無生扶,命之難保。彼曰:卯木子孫,動而生火,何謂全無生扶?余曰:卯木子孫動而變鬼,神曰:母子皆喪。非生火之卯木也。斷卦者須以知機,會神之意。彼又曰:財雖不旺,卯木子孫得子月亥日以生之,何謂子亦難保。余曰:變鬼之子孫,縱臨日月亦無益矣。卦得六沖,子旺財強終是喜。爻逢六合,財空子破亦為憂。
野鶴老人は断じた。「午火の妻財は正しく子月の月破に当たり、また亥日の水に剋され、冬の火はもと已に囚死してまた剋を受け、全く生扶なし——性命は保ちがたい」と。彼は言った。「初爻の卯木子孫が発動して来て火を生ずるに、どうして全く生扶なしと言える」と。私は言った。「卯木の子孫は発動して辰土の鬼爻を変出せり。これは神明が我らに母子ともに喪亡せんと告ぐるなり。それは已にあの火を生じ得る卯木にあらず。卦を断ずる人は須く機を識り神明の用意を領会し得べし」と。彼はまた問うた。「財爻は旺ならずといえども、卯木の子孫は子月と亥日の水に生を得て来たるに、どうして孩子さえも保ちがたい」と。私は言った。「已に鬼と変じたる子孫は、たとえ日辰・月建に臨むとも用なし。六冲の卦を占い得ても、ただ子孫が旺にして財爻が強なれば、終に喜事なり。爻が六合に逢うも、もし財爻が落空し子孫が遇破せば、同じく憂患なり」。
産期の章第八十九
產期有遠近之分,遠則應月,近則應日。子孫動者逢合逢值,靜者逢值逢沖,空者沖空實空之日,破者實破逢合之期。白虎兄弟而動,值日而生。子孫臨絕,待生旺之日。又有子遇長生胎養之日。伏藏者出現之日而生也。
産期には遠近の分あり。日のなお遠きは月份に応じ、日の已に近きは具体の某日に応ずる。「子孫」爻が発動するは、逢合あるいは値日の時に応じ、子孫が安静なるは、値日あるいは冲せられる時に応じ、子孫が旬空に落つるは、冲空あるいは填実の日に応じ、子孫が月破に遇うは、填実あるいは逢合の期に応ずる。白虎の臨むところの兄弟爻が発動するは、それが値日する日に分娩す。子孫爻が絶地に臨むは、それが生を得旺を得る日を待つを要す。このほかにも子孫爻が長生・胎・養のあの数日に遇うに応ずるあり。子孫が伏蔵して現われざるは、すなわちそれが出現する日に生産す。
嬰児の否泰章第九十 身命・子孫の章と同断
出行の章第九十一
人為利名,奔馳道路,風波不測。占卜應以世爻為先,旺相宜行,空亡宜止。世為出行人,生旺有氣則吉,動而化吉,及化子孫者更吉。如若休囚空破,動而化凶者不宜行也。應為地頭,又為傍倚人,他若空破墓絕或動而化絕化回頭克者,去之無益。世傷應位,不拘遠近相宜。應克世爻,公私皆主不利。我去克他,所向通達。應來刑沖剋世,不可行之。
人は名利のために路上に奔波し、風波は測りがたし。出行を占うはまず世爻を看るべし。世爻が旺相なれば便ち行くべきで、世爻が落空すれば便ち停まるべきだ。世爻は出行の人を代表し、生を得旺を得て気あれば便ち吉。発動して吉を化し、とりわけ「子孫」を化出するはさらに吉。もし休囚・落空・遇破し、あるいは発動して凶に変ずれば、出門に宜しからず。応爻は目的地を代表し、また途中の投靠・依傍する人を代表す。応爻がもし落空・遇破・入墓・逢絶し、あるいは発動して絶を化し回頭剋を化すれば、それならば往くも好処なし。世爻が能く応の位を剋傷するは、路の遠近を論ぜずともに合適。応爻が反って世爻を剋するは、公事・私事ともに利あらず。我が往って彼を剋すれば、至るところ樣樣通達す。応爻が来て世を刑し冲し剋するは、身を動かすこと能わざるなり。
八純亂動,在處皆凶。兩間齊空,獨行則吉。六沖卦及動而變沖,世爻休囚被克者,終去不成,有始無終,去亦諸般不就。兩間爻者,乃同行附載之人,動而克世,必遭其害,動臨兄爻,破我之財,生合我者為吉,倘兩間齊空,若非中途梗阻,定然無伴孤行。靜遇日沖必動,動逢合住而留。世爻暗動者必去,世爻旺靜逢沖之日必去,世爻動而化合或被日月動爻合者,必有事故,阻滯不行。覺子曰:余常得驗,亦有應在沖開之日而行。
八純卦にして六爻が乱動するは、どこへ行っても凶。二つの間爻が同時に落空するは、独り上路すればかえって吉。六冲の卦を占い得、あるいは卦動して六冲と変じ、世爻がまた休囚して剋を受くるは、終に行き成らず。たとえ始めあるとも終わりなく、往くも事事遂わず。いわゆる「両間爻」は、世応の間のあの二爻で、同行・搭伴する人を代表す。それらが発動して来て世を剋せば、必ず其の害を遭う。それらの上に兄爻が臨めば、我が銭財を破せん。来て我を生合するこそ吉なれ。もし両間爻がともに落空すれば、半路に阻まるるにあらざれば、一定に同伴なく孤身独行である。世爻が安静にして日辰の来て冲するに遇うは、必ず身を動かす。世爻が発動して合い住せられれば、すなわち留まらん。世爻が暗動するは必ず往く。世爻が旺にして安静なるは、冲せられる日に応じて身を動かす。世爻が発動して化合し、あるいは日辰・月建・動爻に合い住せられるは、必ず事故あって耽搁して行き成らず。増刪者李文輝(覚子)が自ら述べる。「私は常に試して出すに、また冲開して合い住せる日に応じてこそ身を動かすあり」。
官鬼交重災禍重。武鬼動憂盜賊,雀鬼發防訟非,虎鬼疾病纏綿,蛇鬼風波警驗,勾陳鬼動,事有勾連。鬼動逢龍,戒於嫖賭。鬼發震乾車馬患,鬼發兌坎慮風波。坤艮之鬼,山間道野逢殃。巽離之官,炎廠林窖罹難。餘在趨避章中詳之。福神發動患殃消。出行得子孫發動,子孫持世、世化子孫,程途萬里,百禍潛消,子孫克世者亦吉。
「官鬼」が重重に発動すれば、災禍は便ち重し。玄武の臨む所の鬼爻が発動するは、憂うるは盗賊。朱雀の臨む所の鬼爻が発動するは、訟事・是非を防ぐべし。白虎の鬼が動くは、疾病の纏綿を主る。螣蛇の鬼が動くは、路上の風波・惊険を主る。勾陳の鬼が動くは、事の牽連・糾纏せん。鬼が動いて青竜に遇うは、嫖賭を戒むべし。鬼爻の震宮・乾宮に発動するは、車馬の患を防げ。兌宮・坎宮に発動するは、水上の風波を慮れ。坤宮・艮宮の鬼は、山間・野道に殃を遭う。巽宮・離宮の官爻は、窯廠・林藪・地窖の類の地方に難を罹る。これらは私が《趨避章》に別に詳説す。「子孫」が発動すれば、禍患は便ち消ゆ。出行に子孫の発動を占い得、あるいは子孫が世に就き、あるいは世爻が子孫を化出すれば、たとえ路途万里なりとも、百般の禍患も悄然として消散す。子孫の来て世爻を剋するさえも、これ吉なり。
父克世爻,風雨舟車行李。父母持世而動或被父動沖剋世爻,餘得驗者,有應舟車行李之累,有應風雨淋漓。世爻旺者無妨,最怕休囚而為凶也。兄沖世位,花月散耗災非。財爻持世,兄爻沖剋,有應在花朝月夕,無端浪費,有應小輩明欺暗騙,致成災非,破耗百出。
「父母」爻が世を剋するは、風雨と舟車・行李の累を主る。父母爻が世に就きて発動し、あるいは世爻が発動の父爻に冲剋される——野鶴老人は自ら述べて我の試み出したるは、あるものは船車・行李の累を受くるに応じ、あるものは一路風雨に淋漓するに応じたと。世爻が旺相なるは妨げず、最も怕るは世爻の休囚、それならば凶を成す。「兄弟」爻が世の位を冲するは、花酒の耗散と災禍・是非を主る。財爻が世に就きて兄爻に冲剋されるは、あるものは花朝月夕の場合に端なく浪費するに応じ、あるものは小輩の明に欺き暗に騙すに応じ、災禍を惹出し破耗百出するに至る。
反吟化退中途返,六沖隨墓始終凶。卦得伏吟世動者,沖開之日月成行。卦得反吟可到中途亦返,世逢沖剋大凶,六沖卦世靜世空必不能行。隨鬼入墓,世若休囚,不返之兆。六合化沖不吉,六沖化合方亨。六合卦變六沖,及卦變克絕者,坐家亦恐凶危。
反吟を占い得あるいは世爻が退神を化するは、半路に走りて折り返すを要す。六冲を占い得あるいは鬼に随って墓に入るは、始より終に至るまで皆凶。伏吟の卦を占い得て世爻が発動するは、伏吟を冲開するあの日・月に応じて身を動かす。反吟の卦を占い得れば、半路まで走り得るも、なお返回を要す。世爻が更に冲剋されれば、すなわち大凶である。六冲の卦にして世爻が安静あるいは世爻が落空するは、必定に行き成らず。鬼に随って墓に入り、世爻がまた休囚するは、往きて回らざる兆である。六合が六冲に変ずるは不吉、六冲が六合に変ずるこそ亨通す。六合の卦が六冲と変じ、および卦が剋に変じ絶に変ずるは、たとえ家中に安坐するも凶危あらんを恐る。
舟行の章第九十二
登舟問何日至,世爻發動,合日值日而到。若得子孫持世及子孫他爻發動者,值日而到。世化退及反吟卦,中途而返。問舟行平安否?子孫持世克世生世合世,一路平安。官鬼持世憂鬱驚恐,官鬼沖剋世爻災非必見,兄動破財。風阻者勿以兄弟為風雲,乃以子孫為順風,動而逢合逢值,靜而逢沖之日,空逢沖實之日,與天時章陰晴同斷。
船に上がりていずれの日か到るを問う。世爻が発動するは、それと相合する日あるいはそれが値日する時に応じ、もし「子孫」が世に就き、あるいは別爻の子孫が発動すれば、すなわち子孫の値日する日に応じて到る。世爻が退神を化しおよび反吟の卦を占い得るは、半路上に折り返すを要す。もし行船の平安か否かを問わば、子孫が世に就き、あるいは子孫が世を剋し世を生じ世に合するは、一路平安。「官鬼」が世に就くは一路の憂郁・惊恐、官鬼が世爻を冲剋するは必ず災禍を見、「兄弟」が発動するは財を破らん。風に阻まれて留まるに至っては、兄弟爻を以て風雲となすなかれ、而も子孫爻を以て順風とすべし。子孫が発動するは逢合あるいは値日の時に応じ、子孫が安静なるは冲せられる日に応じ、子孫が落空するは冲空・填実の日に応ずる。判法は《天時章》に陰晴を論ずると同じ。
同舟共行の章第九十三
同行共處應為尊,南路同舟一樣論。應傷世位遭他害,墓絕空破見吾恩,只宜生合相扶助,永賴維持如至親。三合同途皆遂意,六沖半路便灰心。起居為害搖兄鬼,水睦清平動子孫。占他人以應為用,占親戚必看用神,不宜兄鬼動而克世,最宜相合相生。
伴を結び同行し、共に一船に処するは、応爻を以て相手の主と為し、南路に走り船を同じくするもこれに照らして論ず。応爻の来て世の位を傷むるは、彼の害に遭わん。応爻が墓に落ち絶に逢い空に落ち破に遇うは、反って我が恩恵を受く。総じて世応の相生・相合して彼此扶助するを以て宜と為す。それならば便ち長く相倚りて至亲のごとくなり得る。世応が会して三合を成すは、一路同行して皆称心。六冲に遇うは、半路に走りて灰心して散夥す。起居の間に乱子を出づるは、「兄弟」「官鬼」の揺動するがゆえ。水路の和睦・太平は、すなわち「子孫」の発動に靠る。同行の外人を占うは応爻を以て用神と為し、同行の親戚を占うは必ず六親に按じて用神を取らねばならぬ。総じて兄爻・鬼爻の発動して来て世を剋するを宜しとせず、最も彼此の相生・相合するを宜とす。
行人の章第九十四
問行人之歸期,有遠有近,遠則應月,近則應日,亦有去久,若在日下當歸,又可以日斷也。問行人之否泰,另占一卦,不可一卦而兼斷也。世克用兮人未動,用爻克世必然歸。占親人在用神章中求之,疏者以應爻為用神,世克用神且無歸志,用神克世近日回家。余試果驗。墓絕空破,歸信杳然,明搖暗動,歸鞭發矣。伏藏才出現之日,動而逢合之日,動化進神不返,用神化退而歸,動逢合有事阻隔,動化鬼在外危災,最怕動而化克,還防卦變反吟。
門を出た人の帰期を問うは、遠近あり。遠きは月份に応じ、近きは日子に応ず。また出でて久しく、而も目下まさに回り来たるに当たるあり——それならばまた某一天に断じ得る。門を出た人の外に平安なるか否かを問うに至っては、別に一卦を占うを要し、一卦を以て兼ねて両事を断ずべからず。世爻が用神を剋するは、人はまだ身を動かさず。用神が世爻を剋するは、必定に回り来たる。自家の親人を占うは、《用神章》に按じて用神を取れ。関係の疏遠なる人は、すなわち応爻を以て用神と為す。世爻が用神を剋するは、相手はまだ家に回る心なし。用神が世爻を剋するは、近日便ち家に到る。野鶴老人が自ら述べる。「私は試みたり、果たして応験したり」。用神が入墓・逢絶・落空・遇破するは、帰期・音信ともに渺茫。用神が明動あるいは暗動するは、帰程は已に啓動せり。用神が伏蔵するはそれが出現する日に応じ、用神が発動するは逢合の日に応ず。発動して進神を化するは回らず、用神が退神を化するは反って回らんとす。発動して合に逢うは事あって阻隔され、発動して鬼を化するは外に危険・災禍あり。最も怕るは発動して剋神を化出し、また卦の変じて反吟となるを防ぐべし。
世爻空者行人即至,用神靜逢休囚空破者且不思歸,動空旺空者實空沖空之月日必歸,惟恐卦變克絕及反吟卦,用神被克被沖者,皆難望其歸也。用神三合,沖開之月日而來。卦逢六沖,行人無定而不返。用爻墓者開墓之日,用爻無病可斷歸期,用爻有病在外不安。野鶴曰:用神墓絕空破受傷,謂之有病。來人問行人在外平安否,須看有病無病。若問歸期,只可看卦象來與不來而斷也。
世爻が落空するは、門出の人は馬上到る。用神が安静にしてまた休囚・落空・遇破するは、相手はまだ家に回る念なし。用神が発動して落空し、あるいは旺にして落空するは、填実あるいは冲空のあの月日に到れば必ず回る。最も怕るは卦が剋に変じ絶に変じおよび反吟の卦、用神がまた剋され冲される——それは皆彼の回り来たるを指望しがたし。用神が三合に合い住せられるは、合局を冲開する月日に応じて家に到る。卦が六冲に逢うは、行人の行踪は一定せずして回らず。用神が墓に入るは、墓庫を冲開するあの日に応ず。用神に「病」なければ便ち帰期を断じ得、用神に「病」あればすなわち彼が外にあって安寧ならざるなり。野鶴老人が自ら述べる。「用神が入墓・逢絶・落空・遇破して傷を受くるを、便ち病ありと言う。来人が行人の外に平安なるか否かを問わば、用神の病あるか病なきかを看るを要す。もしただ帰期を問わば、すなわちただ卦象の上に彼が来たるか来たらざるかを看て以て断ずるのみ」。
如酉月戊申日占母在外何時來得旅之艮卦。兄弟巳火′,父母寅木′世;子孫未土″,官鬼子水″;妻財酉金′應動,子孫戌土″;妻財申金′,妻財申金′應;兄弟午火″,兄弟午火″;子孫辰土″世,子孫辰土″。此卦若問父母平安否,父母卯木日月動爻沖剋,必不安矣。今問其來否,不以此斷,只可斷用神伏藏也,克而不來,六合沖亦不來,後果在外平安。
酉月戊申の日に母親の外にあっていつ回るかを占い、火山旅の卦を得て艮為山に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、兄弟の巳火(陽爻)、子孫の未土(陰爻)、妻財の酉金(陽爻)が応に就き併せて発動、妻財の申金(陽爻)、兄弟の午火(陰爻)、子孫の辰土(陰爻)が世に就く。変じた艮の卦の六爻は順に、父母の寅木が世に就き、官鬼の子水、子孫の戌土、妻財の申金が応に就き、兄弟の午火、子孫の辰土である。野鶴老人は言った。「この一卦、もし問うところが母親の平安か否かなれば、それならば用神の卯木父母は日辰・月建と動爻に一斉に冲剋され、必定に平安ならず。今問うところは回るか否かなれば、便ちかように断ずる能わず。ただ用神の伏蔵して現われず、また剋を受くるを断ずるのみ——ゆえに来たらず。六合が冲開せられ、やはり来たらず」と。後に母親は果たして外にあって平安であった。
又如亥月甲子日占僕人何日回得革之夬卦。官鬼未土″,官鬼未土″;父母酉金′,父母酉金′世;兄弟亥水′世,兄弟亥水′;兄弟亥水′,官鬼辰土′;官鬼丑土″動,子孫寅木′應;子孫卯木′應,兄弟子水′。此卦若問僕人在外之吉凶者,必不歸矣,何也?午火財爻伏而破日月之克,今問何日可到,不以此斷,世空者速至,此人來矣,巳日必到,應巳日者,沖空之日也,巳火又是財爻,果於巳日到。
また亥月甲子の日に僕人のいずれの日に回るかを占い、沢火革の卦を得て沢天夬に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、官鬼の未土(陰爻)、父母の酉金(陽爻)、兄弟の亥水(陽爻)が世に就き、兄弟の亥水(陽爻)、官鬼の丑土(陰爻)が発動、子孫の卯木(陽爻)が応に就く。変じた夬の卦の六爻は順に、官鬼の未土、父母の酉金が世に就き、兄弟の亥水、官鬼の辰土、子孫の寅木が応に就き、兄弟の子水である。野鶴老人は言った。「この一卦、もし僕人の外にある吉凶を問わば、それは必定に回り来たる能わず。なぜか。僕人を代表する午火財爻が伏蔵して現われず、また日辰・月建の水に冲剋されるがゆえ。今問うところはいずれの日に到り得るかなれば、かように断ぜず。世爻が旬空に落つるは、人は反って快到す——この人は来たるべきで、巳日に必ず到る。巳日に応ずるは、巳の来て世爻の亥水の空を冲し、而も巳火本身がまた正しくあの財爻なるがゆえ」と。後に果たして巳日に家に到った。
未月戊戌日占伯何日來 得屯之隨卦。兄弟子水″,官鬼未土″應;官鬼戌土′應,父母酉金′;父母申金″動,兄弟亥水′;官鬼辰土″,官鬼辰土″世;子孫寅木″世,子孫寅木″;兄弟子水′,兄弟子水′。父母為用神,克世者速至,七月必到,後於亥月方到,應亥月者父母化出之爻也。
未月戊戌の日に伯父のいずれの日に来たるかを占い、水雷屯の卦を得て沢雷随に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、兄弟の子水(陰爻)、官鬼の戌土(陽爻)が応に就き、父母の申金(陰爻)が発動、官鬼の辰土(陰爻)、子孫の寅木(陰爻)が世に就き、兄弟の子水(陽爻)である。変じた随の卦の六爻は順に、官鬼の未土が応に就き、父母の酉金、兄弟の亥水、官鬼の辰土が世に就き、子孫の寅木、兄弟の子水である。伯父は尊長に属し、「父母」爻を以て用神と為す。申金の父母が発動して来て寅木の世爻を剋す——用神が世を剋する人は来たること速やかなり。本に七月に必ず到ると断じたが、後に却って亥月に至ってこそ来た。亥月に応じたは、亥水が正しくこの父母爻の変出したあの一支なるがゆえである。
如丑月庚午日占父遠去何日回得履卦。兄弟戌土′,兄弟戌土′;子孫申金′世,子孫申金′世;父母午火′,父母午火′;兄弟丑土″,兄弟丑土″;官鬼卯木′應,官鬼卯木′應;父母巳火′,父母巳火′。斷曰:今日乃是午日,午火父爻克世爻,今日必到。果於申時到。
丑月庚午の日に父親の遠行、いつ回るかを占い、天沢履の卦を得て、六爻は安静、変卦は本卦と同じであった。六爻を上から下に言えば、兄弟の戌土(陽爻)、子孫の申金(陽爻)が世に就き、父母の午火(陽爻)、兄弟の丑土(陰爻)、官鬼の卯木(陽爻)が応に就き、父母の巳火(陽爻)である。野鶴老人は断じた。「今日は正しく庚午日、四爻の午火父母は恰も日辰に臨み、火の来て申金の世爻を剋す——用神が世を剋すれば、今日に到る」と。後に果たして申時に家に到った。
寅月亥日占主人何時回,以父母為用。得大畜之益。官鬼寅木′,官鬼卯木′應;妻財子水″應動,父母巳火′;兄弟戌土″,兄弟未土″;兄弟辰土′動,兄弟辰土″世;官鬼寅木′世動,官鬼寅木″;妻財子水′,妻財子水′。斷曰:子水財爻化出巳火父爻,動爻不克變爻,巳日必到,果於巳日到。
寅月亥の日に主人のいつ回るかを占い、僕人が東家を占うに「父母」爻を以て用神と為し、山天大畜の卦を得て風雷益に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、官鬼の寅木(陽爻)、妻財の子水(陰爻)が応に就き併せて発動、兄弟の戌土(陰爻)、兄弟の辰土(陽爻)が発動、官鬼の寅木(陽爻)が世に就き併せて発動、妻財の子水(陽爻)である。変じた益の卦の六爻は順に、官鬼の卯木が応に就き、父母の巳火、兄弟の未土、兄弟の辰土が世に就き、官鬼の寅木、妻財の子水である。野鶴老人は断じた。「五爻の子水財爻が発動して巳火の父母を化出す。動爻は本位を剋するのみでそれが変出する爻を剋せず。ゆえに巳火は礙なく、巳日に必ず到る」と。後に果たして巳日に家に到った。
亥月甲子日占夫在外還往他省去否得大壯之大過。兄弟戌土″,兄弟未土″;子孫申金″動,子孫酉金′;父母午火′世,妻財亥水′世;兄弟辰土′,子孫酉金′;官鬼寅木′,妻財亥水′;妻財子水′應動,兄弟丑土″應。
亥月甲子の日、妻子が丈夫の外にあって更に別省へ往くか否かを占い、雷天大壮の卦を得て沢風大過に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、兄弟の戌土(陰爻)、子孫の申金(陰爻)が発動、父母の午火(陽爻)が世に就き、兄弟の辰土(陽爻)、官鬼の寅木(陽爻)、妻財の子水(陽爻)が応に就き併せて発動である。変じた大過の六爻は順に、兄弟の未土、子孫の酉金、妻財の亥水が世に就き、子孫の酉金、妻財の亥水、兄弟の丑土が応に就く。妻が夫を占うは二爻の寅木官鬼を以て用神と為す。而して五爻の申金子孫が発動して進神を化し、来てそれを剋す。
斷曰:妻占夫官為用神,申動克之,寅木夫爻受克不往他處去矣。不日必回。彼曰:何以其回也。余曰:日月生扶,夫生世爻必有歸志。問曰:何日可到。余曰:巳日必到,應巳日者,合住申金之日也。果於巳日到。或曰:用爻有病,莫問歸期,此卦申金化進神以克寅木,如何許回?余曰:彼問夫之平安,即以不利斷之,今加往他處去否,夫爻受到制,不往他鄉,斷卦者各有取用耳。
野鶴老人は断じた。「妻子が丈夫を占うは、官爻を以て用神と為す。申金が発動して来て剋すれば、寅木の夫爻は制を受け、便ち更に別の处へ往かず、数日ならずして一定に回り来たる」と。彼女は問うた。「何を憑って彼の回り来たると言う」と。私は言った。「亥月の水・子日の水は皆来て寅木を生扶し、夫爻はまた往きて世爻の午火を生ず。見るべし、彼は家に帰る心あるなり」と。彼女はいずれの日に到り得るかを問い、私は言った。「巳日に必ず到る——巳日に応ずるは、巳が申と相合して、寅木を剋する申金を合い住すればなり」と。後に果たして巳日に家に到った。ある人が質疑して曰く、「用神にすでに『病』あれば便ち帰期を問うべからず。この一卦、申金が進神を化して来て寅木を剋すに、どうして反って彼の回り来たるを許す」と。私は言った。「彼女がもし丈夫の平安か否かを問わば、私は不利に照らして断ぜん。今問うところはまた別省へ往くか否かなれば、夫爻は正に制を受けるがゆえに他郷へ往かざるなり。卦を断ずる人は問うところ何事かを看て、各々用を取るべし。一概に論ずる能わざるなり」。
餘於戌月丙戌日由江右登舟占一路平安否得蠱之巽。兄弟寅木′應,兄弟卯木′世;父母子水″動,子孫巳火′;妻財戌土″,妻財未土″;官鬼酉金′世,官鬼酉金′應;父母亥水′,父母亥水′;妻財丑土″,妻財丑土″。
野鶴老人が自ら述べる。「私は戌月丙戌の日に江西(江右)より船に登り、この一路の平安か否かを占い、山風蠱の卦を得て巽為風に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、兄弟の寅木(陽爻)が応に就き、父母の子水(陰爻)が発動、妻財の戌土(陰爻)、官鬼の酉金(陽爻)が世に就き、父母の亥水(陽爻)、妻財の丑土(陰爻)である。変じた巽の卦の六爻は順に、兄弟の卯木が世に就き、子孫の巳火、妻財の未土、官鬼の酉金が応に就き、父母の亥水、妻財の丑土である。全卦ただ五爻の子水父母が発動するのみで、而もそれは巳火の子孫を化出す」。
餘疑酉金鬼爻持世,一路憂疑之象,初不知風阻之說也,及至戊子日,風雨大作,舟泊南康,始悟此卦,子水父動,子日之風雨也,見其化出巳火子孫,即知巳日方晴,果泊五日,巳日天晴得風順矣,自此始悟子孫乃行舟之順風也。
野鶴老人が自ら述べる。「我は当時ただ酉金鬼爻の世に就くを疑い、一路の憂疑の象と為したるのみで、初めは『風阻』のこの層の道理を解さざりき。戊子日に到りて風雨大作し、船只は南康に停泊して、我は始めて恍然としてこの一卦を明白せり。子水の父母が発動するは、応ずるところ正しく子日の風雨なり。更にそれが巳火の子孫を化出するを看れば、便ち巳日に到ってこそ放晴するを知る。果たして五日停まりて、巳日に天晴れ風も順なり。これより我は悟出せり——子孫爻はすなわち行船の須要とする順風なり」。
非を防ぎ訟を避くる章第九十五
憂慮官可邦,喜官居空破,最宜子動,子若持世無非,鬼雀同興口舌不免,蛇鬼克世災患相侵,武鬼必凶盜賊陰人,白虎鬼定有傷痕見血,世動克應我興詞,應克世爻他有訟。子孫動子孫持世必不成非,鬼持世鬼克世應動克世定然成訟。
官司の身に纏わるを憂慮するは、「官鬼」爻の正しく落空・遇破するを喜び、最も「子孫」の発動を宜しとす。子孫がもし世に就けば、是非は自然なし。鬼爻が朱雀とともに興れば、口舌は免れがたし。螣蛇の鬼の来て世を剋するは、災患の相侵す。玄武の鬼は必ず凶で、盗賊あるいは陰私の人を主る。白虎の鬼は一定に血光・傷痕を見ん。世爻が発動して往きて応爻を剋するは、我が出面して状を告ぐるなり。応爻が来て世爻を剋するは、別人の我を告ぐるなり。総じて子孫が発動しあるいは子孫が世に就けば、必定に是非を閙け成らず。鬼爻が世に就き、鬼爻が世を剋し、あるいは応爻が発動して来て世を剋せば、すなわち一定に官司を打たん。
斗毆争競の章第九十六
彼此相爭尋世應,不宜沖剋喜相生,日月克身我必受辱,動爻克應他必遭刑,應克世者他勝,世克應者我贏,世空破世動化退我心怯焉,應動應旺化進神他得勢耳,卦遇六沖必散,卦逢六合必成。亦不離乎子孫爻,子孫發動子孫持世爭不成,日月動爻宜於克應不宜克世,世宜旺動克應,及動而化吉官事必贏。
双方の相争うは、すなわち世爻と応爻の上に消息を求む。互相に冲剋するを宜しとせず、喜ぶは彼此の相生するなり。日辰・月建が我が世身を剋せば、我は必ず辱を受け、動爻が相手方の応爻を剋せば、彼は必ず刑責に遭う。応爻が世を剋するは彼が勝ち、世爻が応を剋するは我が贏る。世爻が落空・遇破し、あるいは世爻が発動して退神を化するは、我が心の胆怯なり。応爻が発動し、応爻が旺相にしてまた進神を化するは、相手方の勢を得たるなり。卦が六冲に遇えば、この場の争いは必ず散ず。卦が六合に逢えば、必定に打ち起こらん。この一門もまた「子孫」爻を離るる能わず。子孫が発動しあるいは子孫が世に就けば、便ち争い成らず。日辰・月建と動爻は応爻を剋するを宜として世爻を剋するを宜しとせず。世爻は旺相・発動して往きて応を剋し、あるいは発動して吉を化するを宜とす。それならば官司は必ず贏る。
詞を興し訟を挙ぐる章第九十七
官父同興公庭有理,父官克世受屈含冤。世化退神世空世破,卦變六沖,世被刑沖,終不成訟。財與子孫發動克破文書官鬼亦不成之。
「官鬼」と「父母」が一同に興るは、公堂に到りて理を占む。反って父爻・官爻が却って来て世を剋するは、便ち屈を受け冤を含まん。世爻が退神を化し、あるいは世爻が落空・遇破し、あるいは卦が六冲に変じ、あるいは世爻が刑され冲されるは、この場の官司は終に打ち起こらず。財爻と「子孫」が発動して、父母の文書と官鬼の両樣を剋破すれば、訟事は同じく成らず。
已に重罪を定められたる章第九十八
福宜旺相最忌官興。子孫持世子孫發動已到法場終必赦免。官鬼克世或官鬼持世,又被日月動爻沖剋或世動化凶,雖定輕罪疑改重。
已に重罪を判定せられたるは、「子孫」の旺相を宜とし、最も「官鬼」の興起を忌む。子孫が世に就きあるいは子孫が発動するは、たとえ人は已に法場に押されとも、終になお赦を遇い死を免れん。官鬼が世を剋し、あるいは官鬼が世に就きて世爻がまた日辰・月建・動爻に冲剋され、あるいは世爻が発動して凶に変ずるは、たとえもとより定むるところ軽罪なりとも、只怕なお改判して重罪と成さんことを恐る。
疾病の章第九十九
野鶴曰:人有七情,致生百病,急於問卜,以慰其心,奈何卜筮諸書舛錯悖謬,奈人反無定見,既取用卦身世身,兼用本命,又有不看身命用神,單看卦驗,卦得明夷、大過、觀,賁、蠱、夬、豐、同人、大畜、需卦,斷之必死。又云:死氣喪門臨本命,早備衾棺。又云:蛇動主死,虎動主喪,以星煞六神而斷生死,獨不思假使惡煞凶神臨身守舍,若得用神二身旺相,斷之生耶?死耶?余試多年或生或死,全憑用神,餘皆不驗,人有不看用神而斷生死者,卦變為六沖是也。
野鶴老人が自ら述べる。人には喜・怒・憂・思・悲・恐・惊の七種の情志あり、それに因りて百病を生ず。急いで卜に問い以て心を寛ぐを求むるも、无奈卜筮の各家の書は錯謬百出して、人々はかえって主見を失う。あるいは「卦身」「世身」を取りて凭りとし、あるいはまた兼ねて本命の爻を看る。また根本的に身命・用神を看ずに、単に卦名を凭りて断ずるあり——なんぞ占い得たる明夷・大過・観・賁・蠱・夬・豊・同人・大畜・需のこれらの卦は、断定して必ず死すと言い、また死気・喪門が本命の爻に臨めば早く衾被・棺木を予備せよと言い、また螣蛇の動は死を主り白虎の動は喪を主ると言う。これらは皆星煞・六神を以て生死を断ずるものである。彼らは竟に思わざるか。もし悪煞・凶神が正しく身に臨み宅を守るとも、用神と身爻とが皆旺相ならば、それならば到底生を断ずべきか死を断ずべきか。野鶴老人が自ら述べる。「私は多年試験せり。或は生或は死は全て用神に凭る。其余は皆応験せず。真に用神を看ずとも生死を断じ得るあらんには、ただ一条あり、すなわち卦が変じて六冲となるのみ」。
六沖變沖,久病難於調治。久病者,卦逢六沖,卦變六沖,不論用神之衰旺,乃不治之疾也,近病逢之,不藥而癒。卦變克新病亦主危亡。卦變者,亦六沖而變六沖,何其近病亦危?乃因化回頭之克也。如巽木變乾金,艮坤化震巽,皆謂之回頭相剋,雖非墓絕,亦主危亡,若化比和、化克去、及化回頭相生,近病吉久病凶,六沖之故耳。除此沖剋之外,必看用神。
六冲がまた六冲に変ずれば、久病は便ち調治しがたし。久病の人が六冲の卦を占い得、あるいは卦が六冲に変ずれば、用神の衰旺を論ぜず、皆不治の症である。反対に、新たに得たる病が六冲に遇えば、薬を喫せずとも好く。卦が変じて回頭剋を帯ぶるは、新病さえも危亡を主る。ここに言う卦変は、同じく六冲が六冲に変ずるなり。なぜ近病さえも危険なりや。それが回頭の剋を化出せばなり。譬えば巽木が乾金と変じ、艮土・坤土が震木・巽木と変ずるは、皆回頭相克と呼ぶ。たとえ入墓・逢絶にあらずとも、また危亡を主る。もし化して比和と成り、化して剋神を去り、あるいは化して回頭相生すれば、それならば近病は吉、久病は凶——凶はなお六冲の上に凶なり。この類の冲と剋を除くのほか、其余は一概に必ず用神を看るを要す。
用遇旬空,近病何須憂慮,用逢月破,久病難許安寧。自占病,世為用神,占父母弟兄取用神者皆在用神章內詳之,用神動靜而值旬空,及化空者,若無日月動爻沖剋,許之沖空實空之日即愈,倘逢沖剋病雖重而不死,若值月破須看用神之衰旺,旺則愈於實破之日及出月而愈,衰而受克者必危。久病用神值旬空月破者,即使用神旺相,亦無法以治之。野鶴曰:海底眼黃金策皆云,主空無救中殂,不分近病久病,非經驗也。覺子曰:餘得驗者,近病值旬空,若逢三合六合者必成久病而終。
用神が旬空に落つるは、近病は憂慮するに足らず。用神が月破に逢うは、久病は安寧を得がたし。自己が病を占うは世爻を以て用神と為す。父母・兄弟などを占うに如何に用神を取るかは、皆《用神章》のうちに詳説せり。用神は動静を論ぜず、ただ正しく旬空に値し、あるいは発動して空を化するに、もし日辰・月建・動爻の来て冲剋するなければ、便ちそれが冲空あるいは填実のあの日に痊愈せんことを許す。もしまた冲剋に遇えば、病は重しといえどもまた死せず。もし用神が正しく月破に当たれば、すなわちその衰旺を看るを要す。旺なるは填実・月破のあの日に応じ、あるいはこの月を出でて便ち好し。衰弱にしてまた剋を受くるは、必定に危険なり。久病の人が用神の旬空に落ちあるいは月破に逢うは、たとえ用神が旺相なるも、医洽する能わざるなり。野鶴老人が自ら述べる。「《海底眼》と《黄金策》は皆『用神が落空して救なければ便ち中途に夭亡す』と言い、近病・久病を分たず一概に論ず。これは経験のうちより得たるにあらず」。増刪者李文輝(覚子)が自ら述べる。「私の試み出したるは、近病に用神が旬空に落ち、もしまた三合あるいは六合に逢いてそれを合い住せられば、必定に久病と拖りて死す」。
用化鬼鬼化用慎防不測,忌化用用化忌最難調醫。自占病,不宜世爻變鬼及化回頭克,占兄弟妻子皆不宜鬼變弟兄妻子及弟兄妻子而變鬼,又不宜兄變財財化兄,父化子子化父。野鶴曰:鬼乃父母之元神,父動化鬼乃為化生,輕病者即愈,久病者鬼化父,父化鬼皆主危亡,或曰:用神化鬼即為凶兆,假使又值旬空,近病者何以斷之?余曰:曾有占驗請試詳。
用神が鬼爻を化出し、鬼爻が用神を化出するは、皆意外を慎防するを要す。忌神が用神を化出し、用神が忌神を化出するは、最も医治しがたし。自己が病を占うは、世爻が鬼爻を変出しあるいは回頭剋を化出するを宜しとせず。兄弟・妻子の病を占うは、皆鬼爻が兄弟・妻子の爻を変出するを宜しとせず、また兄弟・妻子の爻が鬼爻を変出するを宜しとせず、さらに兄が財を変じ財が兄を化し父が子を化し子が父を化するを宜しとせず。野鶴老人が自ら述べる。「官鬼は父母の『元神』なり。ゆえに父爻が発動して鬼爻を化出するは、反って化生と算え、軽病は即刻好し。しかし久病の人は、鬼が父を化すると父が鬼を化するとを論ぜず、皆危亡を主る」。ある人が問う。「用神が鬼を化するはすでに凶兆なり。もしそれが同時にまた旬空に落ちたらば、近病はどう断ずべきか」と。私は言った。「これは私かつて実占の例あり。下面の細説を看よ」。
申月庚寅日占子近病 得恆之解卦。妻財戌土″應,妻財戌土″;官鬼申金″,官鬼申金″應;子孫午火′,子孫午火′;官鬼酉金′世動,子孫午火″;父母亥水′,妻財辰土′世;妻財丑土″,兄弟寅木″。斷曰:鬼變子孫,夭折之兆,幸得子孫值旬空,近病即愈,恐其難過午年,果在出空之日而愈,辰年占卦至午年出花而死。
申月庚寅の日に児子の新たに得たる病を占い、雷風恒の卦を得て雷水解に変じた。本卦の六爻を上から下に言えば、妻財の戌土(陰爻)が応に就き、官鬼の申金(陰爻)、子孫の午火(陽爻)、官鬼の酉金(陽爻)が世に就き併せて発動、父母の亥水(陽爻)、妻財の丑土(陰爻)である。変じた解の卦の六爻は順に、妻財の戌土、官鬼の申金が応に就き、子孫の午火、子孫の午火、妻財の辰土が世に就き、兄弟の寅木である。野鶴老人は断じた。「鬼爻が子孫を変出すは、もともと夭折の兆なり。幸いにこの子孫は正しく旬空に値し、近病が空に逢うはかえって即愈を主る。ただ彼が午年を熬り過ぎ得ざらんことを怕る」と。後に果たして出空のあの日に病は好くなった。而してこの一卦は辰年に占いしに、午年に到りて孩子は天花を出でて死せり。
動墓絕化墓絕須忌生旺,日月克動爻克最怕休囚。用神逢墓絕及動而化墓化絕全看衰旺,用神旺者何須慮,用神衰者實堪優。日月動爻沖剋者亦須看用神旺衰,旺相者沖去克神之日而愈,休囚者生助克神之日而危。散破無援脫氣,忌搖元動仇興。用神臨散遇破乃全無生扶,或脫氣休囚者,皆無根蒂,少吉多凶,忌神動克用神,若有元神發動許之有救,只恐仇神又動,當許凶危,須於元神章內詳之。
用神が発動して入墓・逢絶し、あるいは墓を化し絶を化するは、それが本身正しく生旺に当たるを怕る。日辰・月建あるいは動爻に剋せられるは、それが本身休囚なるを怕る。用神が墓に逢い絶に逢いおよび発動して墓を化し絶を化するは、全てその衰旺を看る。用神が旺なるは何を憂うるや、用神が衰なるこそ真に愁うべし。日辰・月建・動爻に冲剋せられるも、また用神の衰旺を看るを要す。旺相なるは剋神を冲し去るあの日に応じて痊愈し、休囚なるはすなわち剋神を生助するあの日に危に転ず。用神が散気・遇破にしてまた援なき・泄気——用神が散気し遇破するは、すなわち全く生扶なきなり。あるいは泄気・休囚なるは、皆根柢なく、吉少なく凶多し。忌神が発動して来て用神を剋する時、もし「元神」の発動あれば、なお彼に救あるを許す。ただ怕るは「仇神」がまた動して来て元神を剋する——それならば凶危を断ずべし。これらは《元神章》に別に詳説す。
世持鬼病雖輕而難療。此有兩說,自占病,官鬼持世,其病難痊,雖得子動克去身邊之鬼,目下雖愈,終不斷根,不然遲遲又生他病,此之謂病不離身,身不離藥,世臨官鬼以臨帝旺長生,必得久遠疾病。代占六親之病,若見官鬼持世,為憂疑之狀,惟喜子孫發動克去我之憂疑,即使用神衰弱,管許平安。
「世爻」の上に「官鬼」が坐するは、病は重からざるも医し好しがたし。この一句は二種の情形に分かちて講ずるを要す。自己が自己の病を占うに、官鬼が世爻の上に臨めば、この病は便ち痊愈しがたし。たとえ卦中に「子孫」の発動ありて、自己の身に貼りたる鬼爻を剋し去るとも、眼下は好くとも、終に根を断ずる能わず。然らざれば一陣を拖りてまた別の毛病を生ぜん。これを病は身を離れず身は薬を離れずと呼ぶ。もし世爻の臨む所の官鬼がまた正しく「帝旺」「長生」の地に坐すれば、あれは必定に経年累月の痼疾を落下せん。父母・兄弟・妻児のこれら六親に代わりて病を占うに、卦中にもし官鬼が世に就くを見れば、あれはただ占卦する人の自己心中の憂疑・不安の樣子にして、病人に事あるにあらず。この時最も喜ぶは「子孫」の発動して、我がこの一份の憂疑を剋し去る——たとえ病人を代表する「用神」が衰弱・無力なるも、彼の平安を管保す。
如申月壬子日占子病得遁卦。父母戌土′,父母戌土′;兄弟申金′應,兄弟申金′應;官鬼午火′,官鬼午火′;兄弟申金′,兄弟申金′;官鬼午火″世,官鬼午火″世;父母辰土″,父母辰土″。斷曰:令郎今日即愈。何以知之?余曰:官鬼持世,憂也,今日子日沖去憂心,管許立愈,果於本日愈。覺子曰:如占自身及兄弟妻兒者,此法是也,若占父母之災,官鬼為父母之元神,豈宜子動而傷耶?妻占夫宜鬼為用神,又豈子動以傷官耶?不惟不能解憂反添優也。
申月壬子の日に児子の病を占い、天山遯の卦を得て、六爻は安静、ゆえに変卦は本卦と同じ。六爻を上から下に言えば、父母の戌土(陽爻)、兄弟の申金(陽爻)が応に就き、官鬼の午火(陽爻)、兄弟の申金(陽爻)、官鬼の午火(陰爻)が世に就き、父母の辰土(陰爻)である。野鶴老人は断じた。「令郎は今日便ち好くならん」。傍人は彼に何を憑って知るかを問い、野鶴老人は言った。「『官鬼』が世爻の上に坐するは、あれは我が父と為す者の一片の憂心なり。今日は壬子日、日辰の子水は正しく午火のこの一点の憂愁を冲し去る。即刻痊愈するを管保す」と。後に果たして当日に便ち好くなった。覚子曰く、もし占うところが自己および兄弟・妻子・児女の病なれば、上面のこの法を用うるは对なり。しかしもし父母の災病を占わば、「官鬼」は正しく「父母」爻を生養する「元神」なり。どうして「子孫」に発動せしめて往きてそれを剋傷せしめんや。妻子が丈夫の病を占うは、もと官鬼を以て「用神」とすべし。どうして子孫に発動せしめて往きて官鬼を剋傷せしめんや。かようにすれば但ただ憂を解する能わざるのみならず、反って憂愁を添出さんとするなり。
身臨福德,勢雖險以堪醫。亦有兩說,自占病子孫持世不藥而痊,臨應破者空實破之日而愈。代占六親之病不必看用神之衰旺,即知其安。何也?子孫乃喜悅之神,只要旺相,若動於卦中者亦為吉慶。
「世爻」の上に「子孫」(すなわち福徳)が坐するは、病勢は険なりとも、総じてなお医するを得るあり。この一句もまた二種の情形に分かつ。自己が病を占うに、子孫が世に就くは、薬を喫せずとも好し。もしこの子孫が旬空・月破の地に落ちたれば、すなわち旬空を填実し破を実するあの日を待ってこそ痊愈せん。六親に代わりて病を占うは、ただ子孫が世に就きさえすれば、「用神」の衰旺さえも看るに及ばず、径直に病人の事なきを知り得る。なぜか。「子孫」は喜悅の神なり。ただそれが旺相なれば、たとえ世に就かずしてただ卦中に発動するのみでも、同じく吉慶の兆なり。
鬼化長生,忌化進,須慮添災。鬼爻發動病勢必重,若長生,病勢必輕,克用神者為忌神,若動化進神,亦同此意。忌神化退,其疾病漸減。覺子曰:鬼為父母之元神,占父母者,其病即愈。亦為女人占夫之用神,占夫者亦即愈。福搖化克卦反吟,病必反覆。自占病及占兄弟病,得子孫動者,制服官鬼,其病即愈。倘子孫動而化克,即使病癒後還發,反覆之象,卦得反吟者亦同上意。
「官鬼」が発動して「長生」を化出し、「忌神」が発動して「進神」を化出するは、皆病の上に災を添うるを提防すべし。鬼爻が一たび発動すれば、病勢は必定に沈重す。もし長生に逢えば、病勢はすなわち軽し。およそ「用神」を剋するあの一爻を忌神と呼ぶ。忌神が発動して進神を化するは、道理は鬼の長生を化するがごとく同じく、一樣に災を添うるを主る。反対に忌神が「退神」を化出すれば、病は便ち一日一日と軽減す。覚子曰く、官鬼はもと「父母」爻の元神なり。父母の病を占うに鬼が長生を化するに遇えば、父母の病は反って便ち好し。官鬼はまた婦人が丈夫を占う時の用神なり。丈夫の病を占うにそれに遇えば同じく即刻痊愈せん。「子孫」この福神が発動して回頭剋を化出し、あるいは卦が「反吟」に逢うは、病は必定に反復す。自己の病を占いおよび兄弟の病を占うに、卦中に子孫の発動あれば、能く官鬼を制伏して、病は便ち好し。もし子孫が発動して回頭剋を化出せば、あれは病の好くてまた再び犯すなり、反復の象なり。卦が反吟を得るもこの意に照らして断ず。
用絕逢生危而有救,主人得助,重亦何妨。用爻受刑沖剋害,但得日月動爻有一而生扶者,乃為絕處逢生,臨危有救。用神不宜太弱,弱則體虛,卒難痊癒,但得生扶拱合,雖得重病亦不至死,覺子曰:用神亦不宜於太旺,易理貴乎中庸,過猶不及。用臨日月休尋伏。凡用神不現再占。卦前卷伏神章中註解明白。
「用神」が「絶」に入りてまた生に逢うは、危にして救あるなり。病人が人の相助を得るを主り、病は再び重しとも妨げず。用神が刑・冲・剋・害を受くるも、ただ日辰・月建・動爻のうち一つあって来てそれを生扶せば、便ち「絶处逢生」と呼び、危に臨んで自ら救応あり。用神は太弱を宜しとせず。太弱なれば便ち病人の体質は虚にして、一時に痊愈しがたし。しかしただ生あり扶あり拱あり合あれば、たとえ得たるところ重病なりとも、命を送るに至らず。覚子曰く、用神もまた太旺を宜しとせず。《易》の理は最も中庸を貴ぶ。過頭と不及とは一樣の毛病なり。用神がもし正しく日辰・月建に臨めば、便ち更に「伏神」を尋るに及ばず。およそ用神が卦に上がらざるは、別に一卦を占うが便なり。この一節は本書の前巻《伏神章》のうちに注解すこぶる明白なり。
