Libo

上離下艮(旅卦第五十六)

清 · 刘一明 · 第17巻 / 19

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

旅:小亨,旅貞吉。初六,旅瑣瑣,斯其所取災。六二,旅即次,懷其資,得童僕,貞。九三,旅焚其次,喪其童僕,貞厲。九四,旅于處,得其資斧,我心不快。六五,射雉,一矢亡,終以譽命。上九,鳥梵其巢,旅人先笑後號咷;喪牛于易,凶。

《旅》卦:小亨、旅貞吉。初六、旅瑣瑣たり。此の其の災を取る所以なり。六二、旅即ち次に就き、其の資を懐き、童僕を得る。貞。九三、旅其の次を焚き、其の童僕を喪う。貞なりといえども厲。九四、旅處を得、其の資斧を得るも、我が心快からず。六五、雉を射て一矢亡ぶ。終に命を以て誉れを得る。上九、鳥其の巢を焚き、旅人先ず笑い後に號咷す。牛を易に喪う。凶。

旅者,過而不留之義。卦德上離明、下艮止,止以用明,明本於止,止其明而不輕用,故謂旅。此養火出塵之卦,承上歸妹而來。歸妹者,悅而妄動,順其後天之陰,埋沒先天之陽,以假為真,以苦為樂。修道者,先須看破世事,一切萬緣萬有,以旅視之,不悅假傷真,不因外動內,明於止而止其所,止其明而明不傷,明止兼用,可以在塵出塵矣。是以旅小而得亨,旅貞而得吉也。

旅とは路過して停留せざるの義。卦徳に就いて言えば、上卦の離は明、下卦の艮は止。止を以て明を行い、明は止に本づき、この一点の明を止住して軽易に動用せず。故に旅と曰う。これは火候を涵養し、身塵中に在りて能く塵を出づるの卦にして、前の帰妹卦を承けて来た。帰妹は喜悦によりて妄動し、後天の陰に順い、先天の陽を埋没し、假を以て真と為し、苦を以て楽と為すを説く。道を修むる者は先ず世事を看破すべし。一切の因縁、一切の所有は、皆旅途中の過客と作して看、假を貪戀して真を傷ることなく、外境の牽引によりて内心を擾動せず。止上に明白にして、止まるべき所に止まり、この一点の明を止住して明傷られず、明と止と兼用すれば、身塵中に在りて塵外に超出すべし。故に卦辞に旅小亨、貞にして吉を得ると曰う。

小亨者,以止行明,明不妄用也。貞吉者,明本於止,止於至善也。以止行明,對景而忘情,明本於止,黜聰而毀智,不動不搖,如山之穩定地上,不昏不迷,如日之光照天中,內無所動,外無所昧,有事明以應之,無事明以止之,無貪無求,不迎不隨,不留不滯。蓋以旅之為道,一過而已,非可久戀他鄉,顧其外而忘其內,逐於末而棄其本,可明則明,雖明亦止,當止即止,雖止亦明,明止如一,有何不亨,有何不吉乎?

いわゆる小亨とは、止を以て明を行い、明乱用せざるなり。いわゆる貞にして吉を得るとは、明止に本づき、至善の地に止まるなり。止を以て明を行うは、即ち外境に對して情識を忘るること。明止に本づくは、即ち聦明を摒き機巧を毀棄すること。動かず揺がず、大山の穏やかに地に立つがごとく、昏らず迷わず、太陽の中天を照らすがごとし。内に牽動せらるる所なく、外に蒙蔽せらるる所なし。事あれば則ち明を用いて應付し、事なければ則ち明を以て守住す。貪なく求なく、迎えず随わず、留戀せず滞著せず。行旅の事は元来一過のみにして、久しく他郷に戀すべからず、外を顧みて内を忘れ、末梢を追逐して根本を丟棄すべからず。明すべき時は則ち明にして、明なるも仍ほ止なり。止まるべき時は則ち止まり、止まるも仍ほ明なり。明と止と一片に合成すれば、尚ほ何の亨通せざる、何の吉ならざるかあらん。

初六,柔而不明,不能看破世事,於止不知其所止,或旅於此,或旅於彼,瑣瑣不休,自取其災。此柔而不正之旅也。六二,柔順得中,止於其所,如旅人即之於次,內懷資本也。有資本而和光混合,與下流同居,可以不為下流所惑,所謂“圓即圓兮方即方,教人爭得見行藏”者即此。此柔而中正之旅也。

初六の爻は柔弱にして明白ならず、世事を看破せず、止上に自らの止まるべき所を知らず。一忽ち此に旅し一忽ち彼に旅し、瑣瑣碎々として了結なく、災禍は自ら招きたるなり。この爻に配するは柔弱にして路子正しからざるの旅なり。六二の爻は柔顺にして下卦の中に居り、止まるべき所に止まる。爻辞のいう旅即ち次に就き、其の資を懐くがごとし。本銭ありて能く和光同塵し、凡俗の人と同一処に処りて、凡俗に迷惑せられず。正に丹家のいう円すべきは則ち円に、方すべきは則ち方にし、人をして其の行蔵を窺う由なからしむなり。この爻に配するは柔顺にして中正の旅なり。

九三,剛而不柔,不能止內,強欲止外,斷絕人事,驚愚駭俗,如旅焚其次,喪其童僕矣。焚次之旅,雖旅事得正,起人嫌疑,亦招災取厲之道。此剛而太過之旅也。九四,剛而且明,如在處之旅,把柄在手,成己之後,又當成物,可以隨方結緣,積功累行而無難矣。然此應皆陰,雖有資斧,而無知音,不能如願,是以我心不快。自古有資斧而不能大行其道者,比比皆然。此剛而不得時之旅也。

九三の爻は剛強にして柔顺ならず、内に止まる能わず、偏に強いて外に止まらんとし、一切の人事を斷絶し、世を驚かし俗を駭がす。爻辞のいう旅其の次を焚き其の童僕を喪うがごとし。住処を焚くのこの旅は、旅中の事は尚ほ正と算うるといえども、旁人の猜疑を惹起し、亦た災を招き厲を取るの路子なり。この爻に配するは剛強にして太過の旅なり。九四の爻は既に剛健にしてまた明白なり。旅人の處を得るがごとく、把柄自らの手裡に握る。自己を成就したる後はまた他物を成就すべく、随處に結縁して功を積み行を累ねて難処なし。ただ其の応ずる所は全て陰爻にして、盤纏利斧ありといえども、知音なく、心裡に為さんと欲する事を為す能わず。故に我が心快からずと曰う。古来自来本銭本領ありて大行其道能わざる者、比々皆是なり。この爻に配するは剛健にして生れるに時に逢わざるの旅なり。

六五,柔順虛中,如射雉一矢亡也。射雉者,不用明也。矢亡者,不用剛也。不用明而明足,不用剛而剛全,剛明俱皆不用,氣質悉化,因物付物,既不失乎己,又不背乎人,德足服眾,終得以譽名命之,此柔順而能和光之旅也。

六五の爻は柔顺にして中に虚靜を懐く。爻辞のいう雉を射て一矢亡ぶがごとし。雉を射るは、自らの明を動用せざるなり。矢亡ぶは、自らの剛を動用せざるなり。明を用いずして明自ら足り、剛を用いずして剛自ら全し。剛と明と皆收して用いず、後天の気質習性は全部化し尽くし、物に随いて物に應じ、既に自己を失わず、また他人に違逆せず。德行衆を服するに足りて、終に美誉と爵命とを得る。この爻に配するは柔顺にして能く和光同塵の旅なり。

上九,侍剛用明,自尊自大,明於責人,暗於責已,無益於彼,有傷於我,如鳥焚其巢之旅,失笑後號咷,始而用明,終而敗明,喪牛于易之凶,豈能免諸。此明而誤用之旅也。六爻之旅,或旅於內,或旅於外,或剛於旅,或柔於旅,求其止於內而旅於外者,其惟六二,虛於己而旅於人者,其惟六五乎?知此者,可以處世不滅世,可以在世能出世矣。

上九の爻は剛強に仗り明察を逞しゅうし、自尊自大して、人を責るるには明白、己を責るるには糊塗なり。人に好処なく、己に反って損傷あり。爻辞のいう鳥其の巢を焚き、旅人先ず笑い後に哭するがごとし。起頭明を用いて末了反って明を敗り、易に牛を喪うの其の凶は、何処にか躲れ得ん。この爻に配するは明を錯処に用うるの旅なり。六爻の説く旅は、或いは内に旅し或いは外に旅し、或いは剛を以て旅に処り或いは柔を以て旅に処る。能く内に止まり能く外に旅するを尋ねれば、唯だ六二のみ。能く己を虚にして人と相處するを尋ねれば、唯だ六五のみ。この一層を得るの人は、世間に處して世間を毀棄せずして可、身を世間に在りて世間に超出する能くして可なり。

上巽下巽(巽卦第五十七)

巽:小亨。利有攸往,利見大人。初六,進退,利武人之貞。九二,巽在床下,用史、巫紛若,吉,無咎。九三,頻巽,吝。六四,悔亡,田獲三品。九五,貞吉,悔亡,無不利,無初有終;先庚三日,後庚三日,吉。上九,巽在床下,喪其資斧,貞凶。

《巽》卦:小亨。往く所有るに利し。大人を見るに利し。初六、進退して志定まらず。武人の貞に利し。九二、牀下に巽り、史巫を用いて紛若とせば、吉、咎なし。九三、頻巽、吝。六四、悔亡ぶ。田にして三品を獲る。九五、貞吉、悔亡く、利なきなし。初なくして終あり。庚に先だつ三日、庚に後るる三日、吉。上九、牀下に巽り、其の資斧を喪う。貞なりといえども凶。

巽者,進入也,伏下也,柔順漸進之謂。取象為風,卦體一陰伏於二陽之下,以柔道而行剛道,不急不緩,漸次而進,既內巽而又外巽,既下巽而又上巽,由近達遠,自卑登高,如風漸吹漸遠,漸吹漸高,無處不到。故謂巽。此柔巽進道之卦,承上豐卦而來。

巽とは入るの義にして、また伏るの義なり。柔顺にして漸進するを指し、象を風に取る。卦体は一陰爻が二陽爻の下に伏し、柔の路子を以て剛の事を行い、急がず緩まず、一層一層前に推進す。内卦も巽、外卦も巽、下も巽、上も巽、近処より遠処に通じ、低処より高処に登る。風の一路吹き去るがごとく、愈吹けば愈遠く愈吹けば愈高く、到らざる処なし。故に巽と曰う。これは柔順を以て道に進むの卦にして、前の豐卦を承けて来た。

豐者,明動合一,曲直應物,潛躍隨心,性命由我不由天矣。然明動合一之道,豈易成哉,苟非柔巽漸進之功不能。柔巽則耐久,漸進則能入,柔巽漸進,愈久愈力,工夫不缺,終必至於深造自得,是以巽小而有亨道也。

豐卦は明と動と合して一となるを説く。曲折に遇えば能く應じ、平直に遇うも能く應じ、或いは潛蔵し或いは飛躍し、全て自心に随い、性命は自己に作主して天に由らず。しかるに明動合一の境界は何処にか容易に到らん。柔順漸進の工夫なくては成る能わず。柔順なれば則ち能く耐久し、漸進なれば則ち能く深入す。柔順漸進、久しければ愈々力あり、工夫一日も缺かず、最終に必ず深造して自ら得る所あり。故に巽卦は小亨のみといえども、自ら亨通の道あり。

但能巽雖是亨道,或知其巽而不能行其巽者有矣;或能巽下,不能巽上者有矣;或能巽上,不能巽下者有矣;或巽於順,不能勇於逆者有矣;或巽於始,不能巽於終者有矣。凡此皆不能實行巽進之道。巽而不通,求其知行兼能,剛柔並用,能上能下、能順能逆,能內能外,始終如一之巽,惟具中正之大人能之,是以利有攸往,利見大人也。

ただ能く巽するは亨通の路子なりといえども、其の中にも種種の不徹底あり。巽すべきを知りて巽を行い出す能わざる有り、下に巽順する能く上に巽順する能わざる有り、上に巽順する能く下に巽順する能わざる有り、順境中に巽する能く逆境中に勇進するを敢てせざる有り、開頭に巽する能く末了に巽する能わざる有り。これら皆真に巽進の道を實行したと算すべからず。巽にして通ぜず。あの種の知と行と両面皆能く、剛と柔と並び用い、上る能く下る能く、順う能く逆う能く、内る能く外る能く、自始至終一のごとき巽を尋ねれば、唯だ中正の徳を具備する大人のみ能くする所なり。故に卦辞に往く所有るに利し、大人を見るに利しと曰う。

夫大人者,以性命為重,以道德為貴,視幻身如枯木,視富貴如浮雲,內常有餘,外若不足,真履實踐,漸次進步,心堅志遠,不到大道完成之後,絕不休歇,故利。若非大人,執於一偏,巽而不中不正,何能有往有利?此有往之利,必歸於大人耳。

いわゆる大人とは、性命を最も重く看、道德を最も貴く看る人なり。この幻化の身躯を枯木と作し、富貴を浮雲と作す。内裏常に余裕ありて外表は不足のがごとく、一歩一歩真履實踐し、次第に按じて進歩し、心志堅定にして見ること遠く、大道完成の日に至らざれば絶に歇手せず。故に利と曰う。大人に非ざれば、一頭に偏執して、巽するも中ならず正ならず、何ぞ往く所有り利ありと言うに足らん。この前往の利は、終に大人の身に帰すべし。

初六,柔而無剛,逡畏不力,方進即退,終難深造。然大道人人有分,特患無志耳。果若有志,親近真師,叩求口訣,勇猛精進,如武人之貞,未有入道不利者。此柔而借剛之巽也。九二,剛以柔用,不滿不盈,屈己下人,如巽在床下,用史巫紛若,不但治己得吉,而且應人亦無咎。此剛而能柔之巽也。

初六の爻は柔弱にして剛を欠き、畏首畏尾して力を用うるを肯ぜず、剛に一歩進みてまた退き、終に深造し難し。しかるに大道は人人に份あり。ただ志向なきを怕るるのみ。果真に志向を立定し、真師に親近し、口訣を叩問し、勇猛精進し、爻辞のいう武人のごとく貞にすれば、道に入らざるなし。この爻に配するは柔弱にして他人の剛を借るの巽なり。九二の爻は陽剛を柔順の方式を以て出し、自満せず自盈せず、肯んじて己を屈して人に下る。爻辞のいう牀下に巽り、史巫を用いて紛若とすがごとし。此の如くなれば自治して吉を得るのみならず、他人に應付するも咎なし。この爻に配するは剛にして能く柔なるの巽なり。

九三,自滿自盈,有己無人,不能虛心請益,由下而上巽,乃自用聰明,由上而上巽,本欲向前,反成落後,是謂頻巽。巽至於頻,順者能巽,逆者不巽,或巽或不巽,適以取吝而已。此剛而不能柔之巽也。

九三の爻は自満自盈して、眼裡に己ありて人なく、虚心に人に請教するを肯ぜず。本應く下より上に巽順すべきに、彼は自ら聦明を逞しゅうす。本應く上より更に上に巽順すべきに、彼は前に進まんと想うて反って後に落つ。これを頻巽と謂う。巽この地步に至れば、順境中には還って巽するを肯んじ、逆境中には巽するを肯ぜず、一忽ち巽り一忽ち巽らず、ただ一個の憾惜を落とすのみ。この爻に配するは剛強にして柔する能わざるの巽なり。

六四,獨柔無剛,似乎柔之太過,不能深造而有悔。然柔之得正,上近五剛,巽順於上,而得上之濟,是獲上之一品也。下近三剛,巽順於下,而得下之濟,是獲下之一品也。陰居陽中,順之逆之,皆不失其正,是獲中之一品也。上、中、下三品大藥。歸於中央,陰陽混合,金丹有象,純是生機,如田中種物,無有不告成者,有何悔之不亡乎?此柔而中正之巽也。

六四の爻は孤柔にして剛なく、看れば柔太過にして深造能わずして悔有るべきがごとし。しかるに其れ柔にして正に居り。上は九五の剛に挨り、能く上に巽順して上の接濟を得、これ上一品を獵獲したり。下は九三の剛に挨り、能く下に巽順して下の接濟を得、これ下一品を獵獲したり。陰爻を以て衆陽の中に居り、順いて做すも逆いて做すも其の正を失わず、これ中一品を獵獲したり。上中下三品の大藥一斉に中央に歸し、陰陽混合して「金丹」凝結して象を成し、純然たる一片の生機なり。田里に種下したる物の結果不為ざるなきがごとく、尚ほ何の悔恨の消えざるかあらん。この爻に配するは柔顺にして中正の巽なり。

九五,剛而能巽,惟精推一,允執厥中,是以有悔可亡,而修道無不利矣。其利者,蓋以剛而能柔之大人,能下能上,始而巽以自下,似乎用柔傷剛,是無初也。既而巽進於上,反能借柔全剛,是有終也。無初有終之象,如月之先庚三日,後庚三日。

九五の爻は剛健にして能く巽順し、《尚書》のいう惟精惟一、誠實にあの中を把捉するを做到す。故に本有の悔恨消するを得、道を修むるに利なきなし。利ある所以は、この剛にして能く柔なる大人は下る能く上る能くするに在り。初め巽順を以て自ら下に處り、看れば柔を用いて剛を傷るがごとく、これ爻辞のいう无初なり。接いで巽順にして上に進み、反って柔を借りて剛を成全し、これ爻辞のいう有終なり。无初有終の象は、月亮の先庚三日と後庚三日とに同じ。

先庚三日在於二十八,後庚在於初三,二十八微陽消於艮地,至三十光輝全隱,自二十八至三十,方三日,所謂“先庚三日”也。晦朔之半,月沾日光,陰中藏陽,至初三,現蛾眉之光於庚方,自初一至初三,方三日,所謂“後庚三日”也。先庚三日,巽藏其陽,後庚三日,巽進其陽。金丹之道先巽下而深造用其柔,後巽上而自得全其剛。陰中含陽,陽中用陰,大小無傷,至中至正,金丹凝結,剛巽之利,其吉莫大焉。此剛柔兩用之巽也。

先庚三日は二十八日より算え、後庚三日は初三に至るまでなり。二十八日のあの微弱の陽光は艮の方位に消没し、三十日に至りて光輝全部隱去す。二十八より三十に至るは正に三天、これいわゆる先庚三日なり。晦朔交替の際、月亮重新たに日光に沾り、陰中に陽を蔵起し、初三に至りて庚の方位に蛾眉のごとき一鉤の新光を現す。初一より初三に至るは正に三天、これいわゆる後庚三日なり。先庚三日は柔順にして陽を蔵起し、丹法中の「退陰符」のあの一段の工夫に相当す——火候を收斂して陽気を潛伏せしむ。後庚三日は柔順にして陽を推上し、「進陽火」のあの一段の工夫に相当す——火を運びて上進して陽気を生長せしむ。金丹の道も亦た此の如し。先ず下に向いて巽順し、深造して其の柔を用い、後に上に向いて巽順し、自得して其の剛を全うす。陰中に陽を含み、陽中に陰を用い、分量大小を論わず皆傷られず、至中至正を做到して「金丹」是れに凝結す。剛にして能く巽なるの帶來する利は、吉これより大なるはなし。この爻に配するは剛柔両面並び用うるの巽なり。

上九,在巽之終,巽下之功已畢,柔道宜退,剛道宜進,可以點化群陰之時,不必下巽,須當上巽,居於床上矣。若固執不通,宜在床上者,終在床下。柔過於剛,陰氣不化,必致大藥得而復失,前功俱廢,貞而有凶,可於理決之,此柔過於剛之巽也。然則,巽進漸入之道,須要識急緩、辨吉凶、知止足,可剛則剛,可柔則柔,隨時而用,巽進於剛柔中正為極功也。

上九の爻は巽卦の末に處り、下に向いて巽伏するの工夫已に做り了り、柔の路子は退くべく剛の路子は進むべく、正に一身の群陰を點化すべきの時なり。更に下に巽伏するを要せず、應に上に巽進して牀上に居るべし。假令死守して通ぜざれば、牀上に在るべきに始終牀下に待り、柔剛に勝りて陰気化せず、必ず大藥手に到りて重新たに失去し、前功盡く廢し、貞を守るも亦た凶なり。これは理を以て斷定すべきなり。この爻に配するは柔剛に勝るの巽なり。これより観れば、巽進漸入の道理は、須く緩急を辨え清く、吉凶を分明し、何処に止步知足するを知るべし。剛すべきは則ち剛に、柔すべきは則ち柔に、時機に随いて用い、巽進して剛柔中正の地步に至ってこそ、究竟の成就なり。

上兌下兌(兌卦第五十八)

兌:亨,利貞。初九,和兌,吉。九二,孚兌,吉,悔亡。六三,來兌,凶。九四,商兌未寧,介疾有喜。九五,孚于剝,有厲。上六,引兌。

《兌》卦:亨、貞に利し。初九、和兌、吉。九二、孚兌、吉、悔亡ぶ。六三、來兌、凶。九四、商兌して未だ寧ならず。介疾して喜あり。九五、孚于剥なり、厲あり。上六、引兌。

兌者,悅也。卦體二陽在下,一陰在上,虛於外而實於內,取象為澤,其德為悅,澤之為物,所以浸潤萬物,悅成萬物者,內悅外悅,自內而達外,由外以通內,內外相合,彼此無間,故謂兌。此悅於修道之卦,承上旅卦而來。旅者,以上行明,明不妄用,有志於道,而一切外物不得移之。

兌とは悦の義。卦体は二陽爻下に在り、一陰爻上に在り。外は虚にして内は實なり。象を澤に取り、徳性を悦と為す。澤の此の物は、能く萬物を浸潤し萬物を悦育す。内に喜悦し外に喜悦し、内より外に通じ、また外より内に通り返り、内外相合して彼此間隔なし。故に兌と曰う。これは道を修むるを以て楽と為すの卦にして、前の旅卦を承けて来た。旅卦は止を以て明を行い、明乱用せず、志を道に立てて一切の外物も彼を動搖せしめざるを説く。

夫志於道,悅於道者也。悅於道,即能行其道,是以兌有亨道也。然悅於道雖亨,尤利於貞,貞則利,而遂其悅,不貞則不利,而敗其悅,如卦象上兌下兌,六爻相併。下兌者,內悅也,上兌者,外悅也。內悅實,則外悅亦實,內悅虛,則外悅亦虛。實者悅之真,虛者悅之假,真者悅之久遠,假者悅之不長,利於貞者,正在於此。真正修道之人,不悅於聲色貨利,而悅於仁義道德,自有真悅,不務假悅,一步一趨。皆從身心性命上用工夫,悅於始自能全於終,悅而未有不亨,亨而未有不利者也。

既に志を道に立つれば、即ち道を以て楽と為すなり。道を以て楽と為せば、能く道を行い出す。故に兌卦は自ら亨通の道あり。ただ道を以て楽と為すは亨通すといえども、更に要なるは正を守ること。正を守れば則ち順利にして此の喜悦を遂げ、正を守らざれば則ち順利ならずして此の喜悦を敗る。卦象の上兌下兌を看るに、六爻兩兩相併す。下兌は内裏の喜悦、上兌は外面の喜悦なり。内悦實在すれば外悦も亦た之に随いて實在し、内悦虚浮なれば外悦も亦た之に随いて虚浮なり。實在は真の喜悦、虚浮は假の喜悦。真は悦ぶこと長久にして、假は悦ぶこと久しからず。いわゆる貞に利しとは、正に此に在り。真に道を修むる者は、聲色貨利を以て楽と為さず、仁義道德を以て楽と為し、自ら一份の真楽ありて虚偽の快楽を經營せず。一擧一動皆身心性命上に工夫を下し、開頭能く悦び、末了も亦た能く保全す。喜悦して亨通せざるなく、亨通して順利ならざるなし。

初九,剛而居正,悅出自然,絕無勉強,是謂和兌。悅至於和,能大能小,不傷其剛,自致其吉,此剛而有守之悅也。九二,誠實於中,內有主宰,悅於真而不悅假,一切虛幻之事,不得而動之,其吉在內,有何悔之不亡乎?此剛而得中之悅也。

初九の爻は陽剛にして正位に居り、喜悦は自然より出でて毫も勉强なし。これを和兌と謂う。悦ぶこと和の地步に至れば、放大する能く収小する能く、自らの剛気を傷らず、自然に吉祥を招く。この爻に配するは剛健にして操守あるの悦なり。九二の爻は中心誠實にして、内裏に主宰あり。ただ真に対して歡喜して假に対して歡喜せず、一切の虚幻の事も彼を動搖せしめず。吉は内裏に在りて吉なり。尚ほ何の悔恨の消えざるかあらん。この爻に配するは剛健にして中を守るの悦なり。

六三,柔而不中不正,不悅於內,而悅於外,舍其真而逐於假,為修道者之障礙,終於不能入道,其凶可知,此柔而務外之悅也。九四,剛以柔用,擬之而後言,議之而後動,擬議以成其變化,是謂商兌。兌至於商,不敢順悅,戒慎恐懼,不寧於處,非禮不履,如得介疾,終必有喜而遂其悅矣,此剛而能柔之悅也。

六三の爻は陰柔にして中ならず正ならず、内裏に喜悦を求めず、偏に外に喜悦を求め、真を舍てて假を追逐し、修道の路上の障碍と為りて、終に道に入る能わず。凶は明摆着なり。この爻に配するは柔弱にして外に悦を求むるの一等の人なり。九四の爻は陽剛を柔顺の方式を以て出し、先ず斟酌して後に説話し、先ず商議して後に行動し、反復の擬議を通じて變化を成就す。これを商兌と謂う。悦ぶこと商量斟酌の地步に至れば、一味に喜悦に順うを敢てせず、時時戒慎恐懼して心安下せず、礼に合わざる所は一歩も踏まず。一場の邪気を隔絶する病を得るがごとく、最終に必ず喜慶ありて此の喜悦を遂ぐ。この爻に配するは剛にして能く柔なるの悦なり。

九五,自滿自盈,能剛悅而不能柔悅,終必敗。剛而不悅,是孚于剝,必有厲矣。大凡天資聰明之人,全在虛心下氣,親近有道之士,方能受益。若挾貴挾才,直奉承而惡直言,親小人而遠君子,過日增而善日減,惡漸長而德漸消,不厲而自致厲,所謂“如有周公之才之美,使驕且吝,其餘不足觀也已。”此剛而自滿之悅也。

九五の爻は自満自盈して、ただ剛を用いて悦ぶを知りて柔を用いて悦ぶを知らず、最終に必ず失敗す。剛にして低頭するを肯ぜず、誠信を消剥する小人の身上に錯置せば、必ず危厲あり。大凡天資聦明の人は、全て虚心下氣して有道の士に親近してこそ、真に受益を得ん。若し地位に仗り才気に仗り、ただ奉承の話を愛聴して逆耳の直言を討厭し、小人に親近して君子を疎遠せば、過失は日に增加して善行は日に減少し、惡習は漸々に滋長して德行は漸々に消磨し、危厲の地步に至らざるも自ら危厲を招く。正に《論語》のいう、縱い周公のごとき才能と美質ありとも、驕にして且つ嗇なれば、其の余は亦た一觀に足らざるなり。この爻に配するは剛強にして自満の悦なり。

上六,悅之見外,巧言令色,人不悅而引人以悅之,此等之輩,無而為有,虛而為盈,不肯自思己錯,更將錯路教人,終於不能悅人,終於人不悅我,此柔而務外之悅也。然則,悅有真假,是非不同,吉凶悔吝不一,總以悅之得正為貴,正則亨,不正則不亨,修道者,可不以正而悅哉!

上六の爻は喜悦を外面に擺し、花言巧語にして好臉色を装出す。人家本喜悦せざるに、彼は偏に人家を牽引して彼に喜悦せしめんとす。此の一類の人は、無きを有りと説成し、空なるを満と説成し、自ら反省して錯は何処に在るを肯ぜず、反って錯路を他人に教え、結果は人を喜悦せしむる能わず、他人も終に彼を喜悦せず。この爻に配するは柔弱にして外に悦を求むるの一等の人なり。これより観れば、喜悦に真假あり、是非各々相同ならず、吉凶悔吝も亦た一樣ならず。總じて悦に其の正を得るを以て貴と為す。正なれば則ち亨通し、正ならざれば則ち亨通せず。道を修むる者、何ぞ正道を用いて此の喜悦を求めざらんや。

上巽下坎(渙卦第五十九)

渙:亨。王假有廟,利涉大川,利貞。初六,用拯馬壯,吉。九二,渙奔其機,悔亡。六三,渙其躬,無悔。六四,渙其群,元吉;渙有丘,匪夷所思。九五,渙汗其大號,渙王居,無咎。上九,渙其血去逖出,無咎。

《渙》卦:亨。王假に廟あり。大川を渉るに利し。貞に利し。初六、拯うに馬壯なるを用いれば吉。九二、渙其の杌に奔げば悔亡ぶ。六三、其の躬を渙ずれば悔なし。六四、其の群を渙ずれば元吉。渙にして丘あり。夷所思ならざるなり。九五、渙其の大号を汗せば、王居を渙ず。咎なし。上九、其の血を渙じて逖出せば、咎なし。

渙者,散亂不整之義。卦體下坎一陽藏於二陰之中,陽為陰所陷,上巽一陰入於二陽之下,陽為陰所傷,陰陽不交,性情各別,故謂渙。此陰陽喪亂重整之卦,承上巽卦而來。巽者,漸入真常,以其陰陽散亂,巽進以致濟耳。

渙とは散亂にして整わざるの義。卦体は下卦の坎は一陽爻が二陰爻の中に蔵れ、陽は陰に陷れられ、上卦の巽は一陰爻が二陽爻の下に侵入し、陽は陰に傷られ。陰と陽と相交らず、性と情と各々各の路を走る。故に渙と曰う。これは陰陽喪亂の後に重新たに整頓するの卦にして、前の巽卦を承けて来た。巽卦は漸々に真常の境に進入するを説く。正に陰陽既に散亂せるが故に、巽進の工夫を用いて之を救濟するを要す。

人自陰陽散亂,性情遷移,道心昧而人心生,正氣傷而邪氣盛,如坎中一陽,為陰氣所陷,先天藏於後天之中矣。先天既藏,浩氣不振,陰氣用事,為善不足,為惡有餘,不至喪盡天良而不止,如巽之一陰潛生於至陽之下,暗中消陽矣。此渙之所以為渙也。

人は自ら陰陽散亂し、性と情と各々遷移したる後は、「道心」昏昧にして「人心」滋生し、正気は傷られて邪気強盛なり。坎卦の中間のあの一陽爻が陰気に陷れられたるがごとく、先天の気は後天の裏面に蔵入せり。先天既に蔵起せば、浩然の気は振作し起らず、陰気当家作主して、善事を為すの力足らずして惡事を為すの余地有余あり。天良を喪盡するに至らざれば罷め肯ぜず。これまた巽卦のあの一陰爻の極盛の陽爻の下に悄悄と生じ、暗に一點ずつ陽気を消蝕するがごとし。これ渙の渙と為る所以なり。

然雖已渙,聖人有濟煥之道,能使渙者而重整,濟渙之道為何道?仍不離巽進之道。所爭者順而消陽,逆則扶陽耳。能逆其巽,於後天中返先天,漸次進步,不急不緩,閒邪存誠,克己復禮,散者能聚,亂者能整,依然當日原物,始渙而終不渙,是渙中而反有亨道矣。

既に渙散せるといえども、聖人には渙散を救濟するの辦法ありて、散掉せるを重新たに整合せしむる能くす。渙散を救濟するは何の辦法を靠るぞ。仍ほ巽進の此の路を離れず。争う所はただ、順いて走れば陽気を消耗し、逆いて走れば陽気を扶起するに在り。能く此の巽を逆用して、後天の中に先天に返り、一層一層進歩し、急がず緩まず、邪念を防閑して誠意を存養し、私己を克制して礼に帰れば、散掉せるは重新たに聚攏し、亂掉せるは重新たに整齊し、依舊として還って当初のあの本来の物事となる。初め渙なるも末了渙ならず。これ渙の中に反って亨通の道あるなり。

亨之者,事有險而心不險,外有險而內不險,借柔道而行剛道,以陽氣而化陰氣,如王假有廟。用誠格神,而神可格,亦如木順水性,利涉大川,而險可濟也。夫人之陰陽散渙者,皆由用人心而棄道心,一行一步,俱在險地,果其用道心而去人心,在虎穴中討命寶,於龍潭裡探明珠,巽進於險而通險。逆之順之,因事制宜,道心常存,人心永滅,五行攢簇,四象和合,何渙之有?但濟渙之道,有火候、有工程、有緩急、有止足,毫髮之差,千里之失,惟利於正耳。以正而濟,急緩得法,進退合時,何不亨,何不利乎?

いわゆる亨通とは、事に險ありて心に險なく、外に險ありて内に險なきなり。柔順の手段を借りて剛健の事を行い、陽気を用いて陰気を化し去る。卦辞のいう王假に廟あり、至誠を以て神明を感格して神明真に感格するがごとく、また木の水性に順いて行き、大川を渉るに利して險阻化解すべきがごとし。人の陰陽の散渙する所以は、皆「人心」を用いて「道心」を丟せるに因る。一擧一動皆險地に踏む。若し能く道心を用いて人心を去れば、虎穴の裏に性命の寶を討回し、龍潭の中にあの明珠を探得する能く、柔順にして險境に深入して險を打通す。逆いて用うるも順いて用うるも、事に随いて制宜す。道心常に在り、人心永に滅し、五行攢聚して四象和合せば、尚ほ何の渙散の言うべきかあらん。ただ渙散を救濟するの此の事は、火候あり、工程あり、緩急あり、止步知足すべきの分寸ありて、毫釐を差せば千里を失す。故にただ一個の正の字に利す。正道を以て救濟すれば、緩急法を得進退時に合して、何處にか亨通せざらん、何處にか順利ならざらん。

初六,在渙之初,道心去之未遠,人心生之末盛,若能勇猛拯濟,則回頭是岸,真寶現前,順手可得。吉即在於用壯速拯矣。此濟渙於渙初者也。九二,陽陷陰中,人心用事,已居於渙,宜有悔者,因其剛而得中,人心雖起,道心穩定,如渙奔其機,雖有悔而悔可亡。此處渙而安於渙者也。

初六の爻は渙の開頭に處り、「道心」離去すること未だ遠からず、「人心」生長すること未だ盛ならず。若し能く勇猛に下手して拯救せば、即ち回頭是れ岸にして、真寶眼前に在り、手を順けて得べし。吉は健壯の力を用いて迅速に拯救するに在りて吉なり。この爻に配するは渙の初期に着手して救濟するの一歩なり。九二の爻は陽陰中に陷り、人心当家作主して、既に身渙散の中に處す。本應く悔有るべし。ただ其れ剛健にして下卦の中に居れば、人心起るといえども道心は還って穩得住り、爻辞のいう渙其の杌に奔ぐがごとく、悔有るも悔消するを得べし。この爻に配するは身渙散に處して能く其の中に安處するの一歩なり。

六三,居於險極之地,是行險而有悔者。然有應於陽,順道心而不順人心,如渙其躬矣。悔出於有人心,有人心則有身。渙其躬,是無身而無人心,無人心而道心不昧,不致悔而自無悔。此遇渙而能出渙者也。

六三の爻は險の極處に處り、險を冒して行事して悔有るべきなり。しかるに其れ上面の陽爻と相應し、肯んじて「道心」に順いて「人心」に順わず。爻辞のいう其の躬を渙ずがごとし。悔は人心あるより來り、人心あれば則ち一個の身あり。此の身を渙ずれば、即ち無身にして人心なし。人心なければ則ち道心復た昏昧せず、悔を生ずるに至らずして自然に悔なし。この爻に配するは渙散に遇いて能く渙散を走出するの一歩なり。

六四,柔而守正,煉己持心,虛極靜篤,渙散其群陰,以待陽復之時,其吉莫大焉。吉之者,以其能渙散假陰,即能復還真陽。真陽真陰,兩而相合,五行攢簇,四象和合,已散者而又聚,已亂者而仍整,大渙而仍大合,如渙有丘,匪夷所思矣。此有渙而歸不渙者也。

六四の爻は陰柔にして能く正を守り、己を煉りて心を持ち、虚を致すこと極、静を守ること篤く、一身の群陰を渙散して、專ら一陽の來復を待つ。吉これより大なるはなし。吉なる所以は、能く假陰を渙散せば、即ち能く「真陽」を回復するに在り。真陽と「真陰」と両者相合し、五行攢聚して四象和合し、已に散りたるは重新たに聚攏し、已に亂れたるは重新たに整齊し、大渙散の後反って大聚合と為る。爻辞のいう渙にして丘あるがごとく、これ平常の人の思い及ぶ能わざる所なり。この爻に配するは渙散有りて終に渙散せざるに歸するの一歩なり。

九五,陽剛中正,識急緩,明吉凶,去假復真,能以濟換,是以渙汗其大號,渙王居無咎也。人之所以致渙而有咎者,以其誤認後天有形之假物,棄先天無形之真空,若能看破後天之假,不為後天所累,如渙其汗矣。既渙其汗而後大號其令,以正除邪,直行濟渙之道,則克己可以復禮,復禮可以為仁,心君安靜,渾然天理,止於至善一無所咎之地矣。此渙假而能全真者也。

九五の爻は陽剛にして中正、緩急を辨え清く吉凶を看明し、假を去りて真を回復し、能く渙散を救濟す。故に爻辞に汗するがごとき其の大号を渙じ、王居を渙じて咎なしと曰う。人の渙散に弄到して過失ある所以は、誤りて後天の有形の假物を寶貝と當て、先天の無形のあの一点の真空を丟棄するに因る。若し能く後天の假を看破して後天に拖累せられざれば、汗を發散するがごとし。既に此の一層の假を發散し了りて、然る後に再び大張りに號令を發し、正気を用いて邪気を清除し、一直に渙散を救濟するの工夫を做れば、則ち私己を克制して礼に歸るを得、礼に歸れば則ち仁徳を成就すべし。心中の此の君主安靜として、浑然としてただ天理のみ、至善に止まりて毫も過咎なきの地位に在り。この爻に配するは假を散去して能く真を保全するの一歩なり。

上九,在渙之終,剛柔混合,是渙其血去逖出也。渙其血者,人心不能傷道心也。去逖出者,道心能以退人心也。道心存,人心去,即人心亦化為道心,金丹凝結,聖胎有象,始而陰陽散渙而有咎者,終而陰陽混合而無咎,此渙終而仍得合者也。然則,人心生而道心即去,道心生而人心即去,人心足以渙陰陽,道心能以合陰陽,渙中能合,還原返本,復見本來面目,濟渙之道盡矣。

上九の爻は渙の末に處り、剛柔混合して一となり、即ち爻辞のいう其の血を渙じて遠く去出するなり。いわゆる渙其血とは、「人心」復た「道心」を傷る能わざるなり。いわゆる去逖出とは、道心能く人心を逼退するなり。道心存り住まり、人心退去し、人心をも并せて道心に化成し、「金丹」凝結して聖胎象を成す。初めは陰陽散渙に因りて過失あり、末了は陰陽混合に因りて過失なし。この爻に配するは渙盡頭に到りて反って重新たに合攏するの一歩なり。これより観れば、人心一生すれば則ち道心退き、道心一生すれば則ち人心退く。人心は以て陰陽を渙散し開くに足り、道心は能く陰陽を合起す。能く渙散の中に重新たに合攏し、本元に還歸し本根に返り、重ねて自らの本來面目を見れば、渙散を救濟するの道理は説盡されたり。

上坎下兌(節卦第六十)

節:亨。苦節不可貞。初九,不出戶庭,無咎。九二,不出門庭,凶。六三,不節若,則嗟若,無咎。六四,安節,亨。九五,甘節,吉,往有尚。上六,苦節,貞凶,悔亡。

《節》卦:亨。苦節は貞にすべからず。初九、戶庭を出でざれば咎なし。九二、門庭を出でざれば凶。六三、節せざれば則ち嗟若せん、咎なし。六四、安節、亨。九五、甘節、吉、往けば尚あり。上六、苦節、貞なりといえども凶、悔亡ぶ。

節者,有限而不可過之義,卦德上坎陷、下兌悅,險中解悅,悅以御險,故謂節。此逆中行順,變通守道之卦,承上兌卦而來。兌者,悅而達外,能悅道而行道者也。但順處能悅,逆處不能悅。悅之不真,終難出險,而不得悅。故修真樂道之士,不以艱難動其心,不以危厄移其志,境險而心不險,時險而道不險,樂天知命,隨地而安,借險養悅,悅以御險,境遇在彼,造命在我,陰陽不能限,造化不能拘,逆之順之,而不失其所守,此節之所以有亨道也。但節雖能亨,若不知通權達變,固執一節,反為節困,名曰苦節。節至於苦,不險而自致險,獨受勞碌,有損無益。不但不為節,而且失其節,非險中之悅,乃悅以行險,是以不可貞也。

節とは限度ありて超過すべからざるの義。卦徳に就いて言えば、上卦の坎は陷險、下卦の兌は喜悦。險中に自ら能く開解して喜悦を生じ、また喜悦を用いて險境を駕馭す。故に節と曰う。これは逆境の中に順を行い、權に通じ變に達して道を守るの卦にして、前の兌卦を承けて来た。兌卦は喜悦能く外面に達し、道を樂みて道を行い出すを説く。ただ順境中は人人能く悦ぶも、逆境中には未だ必ずしも悦ぶ能わず。悦ぶこと真ならざれば、終に險を出でず、即ち真の喜悦を得ず。故に真を修め道を樂む者は、艱難に因りて本心を動搖せず、危厄に因りて志向を改變せず。處境險にして心險ならず、時勢險にして道險ならず。天を樂み命を知り、所に随いて安んじ、險境を借りて此の喜悦を涵養し、また喜悦を用いて險境を駕馭す。境遇は自らに由らずといえども、命を造るは自らに在り。陰陽も彼を限制する能わず、造化も彼を拘束する能わず。順いて做すも逆いて做すも、皆自らの守る所を失わず。これ節卦の亨通する所以なり。ただ節は能く亨通すといえども、若し權に通じ變に達するを知らず、死して一個の節の字を抱住せば、反って節に困せられ、則ちこれを苦節と謂う。節苦の地步に至れば、本來險ならざるも自ら險を招き、白白に一場の勞碌を受け、損有りて益なし。節と算すべからざるのみならず、反って節を失掉す。則ち已に險中の悦に非ずして、喜悦を拿って險を冒するなり。故に卦辞に貞にすべからずと曰う。

夫君子修道立德,非禮不動,非道不立,非義不行,一步一趨,循規蹈矩,一言一語,隨時順理,其體常靜,如澤之無波無浪,其用則動,如水之可此可彼,靜而不至於失心,動而不至於迷性,動靜有常,因事制宜,不拘一節,時當塞而塞,遇險而能處險;時當通而通,出險而不致險,與時偕行,皆以無心處之,故能超出乎陰陽之外,不為陰陽所拘。蓋天地能役有形,不能役無形,能役有心,不能役無心,節不以心而以時,是謂隨時之節。節而隨時,如竹之節,節節有限,節節能通,有何不亨乎?

君子道を修め德を立つるは、礼に合わざれば動かず、道に合わざれば立たず、義に合わざれば行わず。一擧一動規矩に循い、一言一語時に随いて理に合す。其の本體は常に静にして、水澤の波なく浪なきがごとく、其の作用は則ち動にして、水の此に流るべく彼に流るべきがごとし。静にして本心を失うに至らず、動にして本性を迷失するに至らず。動静常あり、事に随いて制宜し、死守して某一個の節にせず。閉塞すべき時は則ち閉塞し、險境に遇いて能く險中に安處す。通達すべき時は則ち通達し、險境を走出して復た險を招かず。時機と倶に運行し、全て無心を用いて應付す。故に能く陰陽の外に跳び出でて陰陽に拘束せられず。天地は能く有形の東西を役使するも、無形のを役使する能わず。能く有心の人を役使するも、無心の人を役使する能わず。節を守るに一己の私心に憑らずして時機に憑る。これを随時の節と謂う。節にして能く時に随えば、竹子の節のごとく、一節一節各々限度ありて、また一節一節皆通氣する能くす。何處にか亨通せざらん。

初九,在節之初,剛而守正,先能辨別其是非而後行,是不出戶庭之節。不出戶庭,能謹慎於始,自無咎於終。此剛而能正之節也。九二,剛為柔牽,僅能節內,不能節外,窮居獨處,孤寂守靜,是謂不出門庭之節。不出門庭,節而不通,不凶亦凶,此剛而固執之節也。

初九の爻は節の開頭に處り、剛健にして能く正を守り、先ず是非を辨明して後に行動す。これ即ち戶庭を出でざるの節なり。戶庭を出でずは、能く起頭處に謹慎して、末了自然に咎なし。この爻に配するは剛健にして正に合するの節なり。九二の爻は陽剛にして陰柔に牽住せられ、「剛柔に牽かる」と為る。ただ内裏を節制する能く、外面を節制する能わず。窮居獨處して孤零零に枯守清靜す。これ即ち門庭を出でざるの節なり。門庭を出でずは、節にして通ぜず、本應く凶ならざるも落ちて凶有り。この爻に配するは剛強にして固執の節なり。

六三,不中不正,務外失內,不知有節,欲求其悅,反致不悅,嗟若之傷,自取之耳,與人無咎。此柔而不知有節也。六四,柔順得正,借剛濟柔,不能節者亦能節,是謂安然之節。節到於安,出於自然,不由勉強,此柔而借人以節也。九五,居於險地,內有主宰,苦中能甘。能甘於險,則凡不險之處,無不能節,又可知往而有尚,順之逆之,方且節節相通,進於至中至正,神化不測之地矣。此剛而變通之節也。

六三の爻は中ならず正ならず、一味に外に追求して内裏を丟し、節の字あるを知らず。あの喜悦を求めんと欲して、反って喜悦ならずして嗟嘆の傷感を招き、是れ自ら招きたるにして他人に怪すべからず。この爻に配するは柔弱にして節あるを知らざるの一等の人なり。六四の爻は柔順にして正位に居り、陽剛を借りて自らの陰柔を補い、元來節不住れるも亦た節得住る。これを安然の節と謂う。節能く安んずるの地步に至れば、自然より出でて勉强に靠らず。この爻に配するは柔順にして他人の力を借りて節を守るの一歩なり。九五の爻は身險地に居り、内裏に主宰ありて、能く苦中に甘味を嘗出す。既に能く險中に之を甘とするが如ければ、則ちおよそ險ならざるの地方は節不住れるなし。また斷定して前往必ず嘉尚を受くるを得べし。順いて做すも逆いて做すも、節と節との間處處相通じ、至中至正神妙測り難きの地位に進む。この爻に配するは剛健にして能く權に通じ變に達するの節なり。

上六,在節之終,柔而不剛,是謂苦節。節至於苦,苦中無甘,節於此而不能達於彼,如忘物忘形,止念灰心,存神入定之類,雖云有節,行險僥倖,無益於性命,乃節道中之凶事。但在於節,執一而終,不為人情世事所累,又得悔亡,所謂“不踐跡,亦不入於室”者。此柔而不通之節也。六爻惟三爻不知有節,其餘三爻皆有節,或太過、或不及,是非不等。求其節之能謹於始者,其推初九,節之中正,不貞而亨者,其惟九五乎?修道者,可不先辨其節之之所以為節哉。

上六の爻は節の末に處り、柔弱にして剛なし。これを苦節と謂う。節苦の地步に至れば、苦の裏に甘なく、此を節得住るも彼に通ぜず。物を忘れ形を忘れ、念頭を止住して心を死灰に弄し、神を存して定に入るのあの一類の做法のごとき、一種の節と説するも、其實は險を冒し僥幸して、性命に毫も益處なく、節を守るの道の裏の凶事なり。但し既に節上に守れば、一路を抱定して底まで走り、人情世事に牽累せられず、倒っても亦た悔恨消失を得べし。正に《論語》のいう、前人の足跡を踏まずして走れば、亦たあの内室に進入する能わざるなり。この爻に配するは柔弱にして變通を知らざるの節なり。六爻の中、唯だ六三のみ節あるを知らず。其の余の幾爻は皆節する所有り。ただ或いは太過、或いは不及にして、是非各々相同ならず。能く起頭處に謹慎して節を守るを尋ねれば、當に初九を推すべし。節中正にして固執するを須いずして自然に亨通するを尋ねれば、唯だ九五のみならん。道を修むる者、何ぞ先ず節の節と為る所以を辨明せざらんや。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

Hexagrams in this volume