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同人卦第十三(上乾下離)

清 · 刘一明 · 第7巻 / 19

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

同人:同人于野,亨。利涉大川,利君子貞。初九,同人于門,無咎。六二,同人于宗,吝。九三,伏戎于莽,升其高陵,三歲不興。九四,乘其墉,弗克攻,吉。九五,同人,先號咷而後笑,大師克相遇。上九,同人于郊,無悔。

《同人》卦の卦辞に曰く。曠遠の郊野に於いて人と和同す、亨通。大河を渡越するに適宜、君子の正を守るに適宜。初九爻。一たび門を出でれば則ち人と和同す、過なし。六二爻。ただ自己の宗族之内に於いて和同す、困吝を免れ難し。九三爻。兵甲を草莽の中に埋伏し、また高き山陵に登上して張望す、三年も発動し起る能わず。九四爻。対方の城墻に登上するも、却って終に攻撃を発起せず、吉利。九五爻。人と和同す、先は声を放ちて痛哭し、後来歓笑す、大軍戦勝の後に彼此相遇う。上九爻。城外の近郊に於いて人と和同す、悔恨無し。

同人者,人我如一之義。卦德上乾健、下離明,明而行健,健而通明,誠中達外,成己成物,故謂同人。此混俗和光,善與人同之卦,承上泰卦而來。泰者,陰陽相當,健順如一也。

「同人」は人と我と一片に打成するの意。この一卦の卦徳は、上卦乾は剛健と為り、下卦離は光明と為る。明白に因って能く剛健を行い得、剛健に因って能く光明を通じ得、誠意内に存みて外に通達し、既に自己を成就し又た他人を成就す。だから「同人」と呼ばれる。これは一個の流俗に混同し・光芒を涵斂し・善く人と和同するの卦で、上一卦《泰》を承接して来る。《泰》の講ずるは陰陽分量相当・健順一片に打成するなり。

修道者,至陰陽相當,健順如一,聖胎已結,可以混俗和光,以修向上事矣。但混俗和光,須要大公無私,在於無我。無我則無人,無我無人,則人我之心去。人我之心去,則人即是我,我即是人,如天之無物不覆,如日之無處不照,可以物我歸空,如同人于野,同而未有不亨者也。

道を修する人は陰陽分量相当・健順一片に打成するに修り至れば、「聖胎」已に結成し、則ち流俗に混同し・光芒を涵斂して、更に上一層の工夫を做し去る可し。但し俗に混じ光を和せんと要せば、必ず大公無私ならんを須し、関鍵は「無我」に在り。我無くんば、亦た人無し。無我無人なれば、人我彼此対立の心は便ち去掉せらる。人我の心一たび去れば、別人は則ち是我、我は則ち是れ別人、猶天の一物も覆わざる無く、猶日の一処も照らさざる無きが如し。物と我と一斉に空に帰するを做し得べし。これ即ち曠野の中に於いて人と和同するに同じく、和同して亨通せざるなし。

野為曠遠無人之處,同人如在野,則無我相,無人相,無眾生相,是能實心同人矣。但能同之於順,不能同之於逆,能同之於平易,不能同之於危險,則同之不是實心,而終不得亨。曰利涉大川者,以其大險大難之境。若能同去,則其無險無難之處,無往不利矣。

「野」は曠遠にして人無きの地なり。人と和同する能く曠野の如くならば、則ち我相無く・人相無く・衆生相無くして、これがはじめて真心実意に人と和同するを算う。もしただ順境の中に於いて和同する能くして、逆境の中に於いて和同する能わず、ただ平易の処に於いて和同する能くして、危険の処に於いて和同する能わざらば、則ち此の份の和同は是れ真心に非ず、終究として亨通を得ず。卦辞に「大川を渉るに利し」と曰うは、指す正に大険大難の境地なり。もしあの如き境地をも皆和同して過ぎ得べくんば、則ち険難無きの地方に於いては、自然に往きて利あらざるなし。

世之凡夫俗子,未嘗無有同人者,但多出於私而不得其正,可同者同之,不可同者亦同之,非同人于野之旨,故涉川之利,其必利於君子之貞乎。君子者,同之以正,而不同之以心。正者,同理而已。心有變遷,理無變遷,以理而同,則無心,無心則人我之見俱化,推理是守,內可以成己,外可以成物,明以照遠,健以直行,健明兩用,剛柔相濟,內不失已,外不傷人,圓陀陀,光灼灼,淨倮倮,赤灑灑,立於萬物之中,而不為萬物所屈,處於陰陽之內,而不為陽陰所拘矣。

世上の凡夫俗子は、未だ嘗て人と和同する無きに非ざるも、ただ多半は私心より出でてその正を得ず。和同すべきは和同し、和同すべからざるも亦た和同す。これがすなわち「野に於いて人と同じくする」の本旨に非ず。だから大河を渡越するの利益は、必ず君子の正を守るの上に落つ。君子の人と和同するは、正道を以て和同に去り、私心を以て和同せず。いわゆる正とは、不過「理」と相同するのみ。心は変遷する能く、理は変遷せず。理に依って和同に行けば、則ち私心無し。私心無くんば、人我の成見皆化掉せらる。一味に道理を推求してそれを守定せば、内に向かっては能く自己を成就し、外に向かっては能く他人を成就す。光明を以て遠処を照見し、剛健を以て徑直に前行し、健と明と両様併用し、剛と柔と互相調剤して、内に向かっては自己を失わず、外に向かっては別人を傷害せず。あの時に至れば、円陀陀・光灼灼・浄倮倮・赤洒洒として、万物の中に立ちて万物に屈服せられず、陰陽の内に処りて陰陽に拘限せられず。

初九,在同人之時,剛而能明,將欲出門同人,不遽出門,先辨其是非可否,而後同。同之能以無咎者,此剛而謹始之同也。六二,居於內體,與二陽同處,是同人于宗,僅能同之於親,不能同之於疏,乃同人羞吝之道,此柔而不遠之同也。

初九一爻。和同の時に処り、剛健にしてまた能く明察す。将に門を出でて人と和同せんとするも、却って急ぎて出門せず、先ず其中の是非可否を辨清して、而る後に再び和同に去る。だから此の如き和同は能く過無し。此一爻に配するは剛健にして開頭に於いて就きて謹慎なるの和同なり。六二一爻。内卦の中に居り、两個の陽爻と同処す。これがすなわち「宗に於いて人と同じくす」。ただ親近の人に於いて和同する能くして、疎遠の人に於いて和同する能わず。是れ和同一事の中の難を免れざる羞吝の路数なり。此一爻に配するは柔弱にして同ずる所遠からざるの和同なり。

九三,剛明太過,自尊自大,問或同人出於勉強,不由自然,如伏戎于莽,升其高陵也。高陵之同,順我者能同,逆我者不能同。如此之人,雖三歲之久,終不能興同人之事,此剛而勉強之同也。九四,以剛乘剛,彼強我勝,彼我不能同心,如乘其墉而弗克攻矣。然剛而能柔,不能同而不強攻,亦同人之吉道,此剛而能柔之同也。

九三一爻。剛健明察倶に太も頭を過ぎ、自尊自大にして、偶々人と和同するも亦た勉強より出で、自然而然に非ず。猶兵甲を草莽の裏に埋伏し、また高陵に登上して張望するが如し。高陵の上に立つるの和同は、我に順うは則ち能く同じくし、我に違逆するは則ち能く同じくせず。此の如き人は、縦い三年の久しきを経過すれども、終究として和同の事業を興起す能わず。此一爻に配するは剛強にして勉強より出づるの和同なり。九四一爻。剛強を以て剛強に凌駕し、対方強くして我は彼に勝たんと要す。彼此同心する能わず。猶対方の城墻に登上するも終に進攻する能わざるが如し。しかるに剛強にして能く柔に転じ、和同する能わざれば則ち強攻し去らず。此も亦た和同中の吉利の路数なり。此一爻に配するは剛強にして能く柔に転ずるの和同なり。

九五,剛健中正,道全德備,先無人同,而終必有同者,是同人先號咷而後笑也。夫道高者毀來,德修者謗興,知音之少,亦無足怪。然成己之後,而欲成物,大公無私,以正而同,如大師克之,久則誠能動物,方且人人尊服,而皆同之,何患知音之不遇哉!此大公無私,利涉大川之同也。

九五一爻。剛健にして中に居り正を得、道行完全にして徳性完備す。起初は人の彼と和同せんを肯んずる無し、最終には必ず人来たりて和同する有り。これがすなわち爻辞のいう先ず声を放ちて痛哭して而る後に歓笑するなり。道行高きは詆毀を招来し、徳性修めて好きは謗議を引起す。知音稀少なるは、本来怪しむに足らず。しかるに自己を成就しての後に還た他人を成就せんと想い、大公無私にして、正道を以て和同に去る。猶大軍の終に戦勝するが如く、日子久しければ、誠意能く外物を感動し、人人皆尊敬佩服して彼と和同せん。何を愁えんや知音に遇わざるを。此一爻に配するは大公無私にして能く大川の険を渉るの和同なり。

上九,剛以柔用,在塵而能出塵,處世而能出世,外雖同而內不同,如同人于郊。於郊之同,大智若愚,大巧若拙,境遇不得而移,不致悔而自無悔,此和而不流之同也。然則同人之道,須要通權達變,量時度務,同之得正為貴,以正而同,既健且明,無往而不可同,無往而有苟同,同人于野之旨得矣。

上九一爻。剛健にして柔和の方式を以て運用し、身塵中に在りて能く塵外を超出し、世間に処りて能く世間を超出す。外表は雖も人と相同なれども内裡は並びて随同せず。猶近郊に於いて人と和同するが如し。郊野に在るの和同は、大智慧は見れば愚拙に似たり、大霊巧は見れば笨拙に似たり。境遇は彼を動揺する能わず、必ずしも特意に悔を防ぐに行かずして自然に悔恨無し。此一爻に配するは和順にして波に随い流に逐わざるの和同なり。此に由りて見るべし。人と和同するの路数は、必ず権変に通達し、時勢を衡量し・事務を審度して、和同してその正を得るを以て可貴と為す。正道を以て和同に行けば、既に剛健にして又た光明なれば、則ち一処として和同すべからざる無く、亦た一処として苟且附和に流るる有らず。「野に於いて人と同じくする」の本旨は就きて得たりと算う。

大有卦第十四(上離下乾)

大有:元亨。初九,無交害。匪咎,艱則無咎。九二,大車以載,有攸往,無咎。九三,公用亨于天子,小人弗克。九四,匪其彭,無咎。六五,厥孚交如,威如吉。上九,自天佑之,吉無不利。

《大有》卦の卦辞に曰く。大いに亨通。初九爻。外物と交接せざれば、則ち禍害無し。本来は過と算せず、能く艱難を以て自処せば便ち更に過なし。九二爻。大車を用いて以て装載し、往く所有り、過なし。九三爻。公侯物産を天子に進献す、小人は此の如き事を担当する能わず。九四爻。自己の盛大を炫耀し去らず、過なし。六五爻。其の誠信は人と交相感応し、又た威厳を失わず、吉利。上九爻。上天の処より佑助を得、吉利にして順利ならざる無し。

大有者,有之大也。卦德上離明、下乾健,明以行健,健中出明,愈健愈明,愈明愈健,故謂大有。此富有日新,嚴以治內之卦,承上否卦而來。否者陰氣用事,陽氣退讓,認假失真,蔽塞靈竅,日晦日暗,本來天德全無矣。若欲復還天德,無中生有,非健明之道不能。

「大有」とはすなわち所有するの広大なり。この一卦の卦徳は、上卦離は光明と為り、下卦乾は剛健と為る。光明に憑って剛健を施行し、また剛健の中より光明を生出し、越えて剛健なれば則ち越えて光明、越えて光明なれば則ち越えて剛健なり。だから「大有」と呼ばれる。これは一個の富有にして日日更新し・内心を厳格に治理するの卦で、上一卦《否》を承接して来る。《否》の講ずるは陰気当権・陽気退譲して、偽を認め真を失い、霊明の竅竇を遮蔽堵塞し、一天天に昏晦黒暗して、本来の天徳全然喪失せるなり。もし天徳を重新に回復し、無有の中に於いて有を生出さんと想えば、非ずんば剛健と光明と此の路を用いざれば可ならず。

何謂健?一念純真,剛強不屈者是也。何謂明?燭照萬事,虛靈不昧者是也。能健則心堅志遠,無道不修,無德不立,而富有;能明則辨理透徹,真知確見,有善即遷,有過即改,而日新。既健且明,內有主宰,萬物難移,於是真履實踐,如天上有日,光照一切,無物不覆,無物能瞞。大地裡黃芽長遍,滿世界金花開綻,信步走去,頭頭是道,有之大而行之遠,元而未有不亨者也。

何をか「健」と謂う。一念純真・剛強不屈、即ち是れ健なり。何をか「明」と謂う。万事を燭照して虚霊昧ならず、即ち是れ明なり。能く健なれば、心は則ち堅く・志は則ち遠く、一様として修むるを肯んぜざる道無く、一様として立てるを肯んぜざる徳無し、因って富有す。能く明なれば、理を辨ずるは則ち透徹し、真知確見有り、善を見れば立刻に遷就し、過有れば立刻に改正す、因って日新す。既に剛健にして又た光明なれば、内裡主宰有りて、万般の外物皆動揺する能わず。ここにおいて真真実実に践履して起き、猶天上に太陽有りて、光は一切を照らし、一物として覆われざる無く、亦た一物として瞞し過ぐる能わざる無きが如し。あの時に至れば、大地の裡に「黄芽」長じ遍し、満世界に「金花」開绽す――此の両様は倶に内丹功成・真気萌生の景象なり――信歩として走去れば、処々皆は是れ道なり。所有する既に広大にして、践行するまた深遠なり。元始にして亨通せざる無し。

初九,在大有之始,所有不大,正當潛修密煉,不可因外物而傷內真者,是以無交害匪咎也。然不交於外物,倘有妄念內生,亦即是物,仍是有害有咎,惟艱以處之,煉已持心,假者去而真者來,不有者能有,方能始終一無所咎矣。此初有須當靜養於內也。九二,剛健得中,已富有於內,如大車以載,能以任重,可以不為外物所傷矣。然德克於內,須驗於外,唯有攸往,事上境上,輕輕過去,不動不搖,方是大有,而內外一無所咎矣。此已有須當驗之於外也。

初九一爻。大有の開頭に処り、所有するは尚広大ならず、正に応に潜心して密錬し、外物に因りて内裡の真機を傷つけ可からず。だから爻辞に「交害無し、咎に匪ず」と曰う。然而雖も外物と交接せずとも、倘若内裡妄念を生出せば、あの妄念も亦た即ち是れ物、仍ほ害有り咎有り。唯だ艱難の心を以て自処し、己を錬り心を持し、偽の去掉し真の到來し、本来無きはじめて有と変じ得、はじめて自始至終毫も過無からん。此一爻に配する工夫は、剛かに有を開始する時、須く内裡に於いて静養せんを須す。九二一爻。剛健にして中位に居るを得、内裡已に富有す。猶大車を用いて装載するが如く、能く重物を担負し、外物に傷せられざるを得べし。然而徳性内裡に於いて成就せりと雖も、還た須く外面に到りて験証せんを須す。唯だ往く所有りて、事情の上・境遇の上に於いて軽軽として過ぎ、動揺せず亦た牽扯せざれば、はじめて真に正しい大有と算し、内外倶に毫も過無し。此一爻に配する工夫は、已に有有れば、須く外面に到りて験証せんを須す。

九三,剛居剛位,有之大而行之大,能以完全天德,如公用享于天子也。公用之享於天子者,剛正有為之才;修道之享於天者,剛正有為之德。以德享天,自命不凡,方且與天為配,何礙於大。若夫剛而不正之小人,無而為有,予聖自雄,適以違天,焉能享天?此大有,須貴剛之得正也。

九三一爻。剛爻剛位に居り、所有する広大にして、践行するも亦た広大なり。能く天賦の徳を成全す。猶公侯の物産を天子に進献するが如し。公侯の能く天子に進献する所以は、剛正にして作為有るの才干に憑る。道を修る人の能く天に上献する所以は、剛正にして作為有るの徳行に憑る。徳行を用いて天に上献すれば、自然に志向凡ならず、正に天と相配する可し。此の如き「大」に何の妨げか有らん。あの些かの剛強にして正ならざるの小人に至っては、本来無きに装作して有りと為し、自ら聖に封じ・自ら英雄を逞ぶし、恰恰として天意に違背す。どこが尚能く天に上献し得んや。此一爻は説明す。大有一事は、可貴なるは剛にして能くその正を得るに在り。

九四,剛明兼備,有健不恃,有明不用,是匪其彭也。匪彭之剛明,外示不足,內常有餘,有者愈有,大者愈大,自無得而復失之咎。此大有,尤貴剛而能柔也。六五,柔順虛心,自信一己之無,而知他人之有,以柔求剛,借剛濟柔,是以厥孚交如,威如吉也。五本無威,以其能交於剛,雖愚必明,雖柔必強,無即能有,小即能大。此未有須當求人之有也。

九四一爻。剛健と光明と両様兼備し、剛健有るも倚仗せず、光明有るも炫用せず。これがすなわち「其の彭に匪ず」、自己の盛大を顕擺せざるなり。顕擺せざるの剛明は、外面は不足を顕れども、裏面常に富余有り、有るは越發に有り、大なるは越發に大なり。自然に既得にして復失の過無し。此一爻は説明す。大有一事は、尤も可貴なるは剛にして能く柔なるに在り。六五一爻。柔順にして虚心、自己の所有無きを明白し、亦た別人の確かに所有有るを知り、因って柔を以て剛を求め、剛を借りて柔を補済す。だから爻辞に「其の孚交如、威如吉」と曰う。六五本来威厳無きも、能く剛陽と交接するが為に、縦い愚昧なりと雖も必ず明白に転じ、縦い柔弱なりと雖も必ず剛強に転じ、本来無の則ち能有と変じ、本来小の則ち能大と変ずべし。此一爻に配する工夫は、還た無きの時は、須く別人の所有を求取し去らんを須す。

上九,在大有之終,剛柔相當,健明如一,渾然天理,金丹凝結,我命由我不由天,是以自天佑之,吉無不利也。天之所以命於人者,健德。人之所以順乎天者,明德。以明保健,天命常在,天命在而天即佑之。此大有,須當全天之有也。然則大有實學,非健以治內,明以應外者不能行。既健且明,未有者而能有,已有者而能大,健明兩用,實腹虛心,富有日新之道盡矣。

上九一爻。大有の終了に処り、剛と柔と分量相当し、健と明と一片に打成し、渾然一片の天理、金丹凝結成就し、我の性命は我自己に由りて主を作して天に擺布せられず。だから爻辞に「天よりこれを佑す、吉にして利あらざる無し」と曰う。上天の人に賦与するは、是れ剛健の徳。人の用いて上天に順応するは、是れ光明の徳。光明を以て剛健を護持せば、天命は則ち常在す。天命常在なれば、上天自然に彼を佑助す。此一爻に配する工夫は、大有此に至れば、須く上天の賦与する所のあの一份を完完全全に保住せんを須す。此に由りて見るべし。大有此の門の真実の学問は、是れ「剛健を以て内心を治理し・光明を以て外物を應接する」の人に非ざれば便ち行い来る能わず。既に剛健にして又た光明なれば、本来無きは能く有と変じ、已に有るは能く大と変じ、健明両様併用して、腹中充実にして心中虚空なり。富有日新の道理は、此に至って説き尽くせり。

巻二

謙卦第十五(上坤下艮)

謙:亨,君子有終。初六,謙謙君子,用涉大川,吉。六二,鳴謙,貞吉。九三,勞謙,君子有終,吉。六四,無不利,撝謙。六五,不富以其鄰,利用侵伐,無不利。上六,鳴謙,利用行師,征邑國。

《謙》卦の卦辞に曰く。亨通。君子は能く始を善くし終を善くす。初六爻。謙にして又た謙なるの君子、此の份の謙徳に憑って大河を渡越す、吉利。六二爻。謙徳発して声有り、正を守れば吉利。九三爻。功労有りて仍ほ能く謙譲す、君子始を善くし終を善くす、吉利。六四爻。利あらざる無し、処々に謙徳を施行す。六五爻。自己の富有を待たずして便ち鄰里を帯動する能く、兵を出して征討するに適宜、利あらざる無し。上六爻。謙名外に伝揚し、軍隊を出動して、自己の采邑の国を征討し去るに適宜。

謙者,有而不居之義。卦德上坤順、下艮止,剛止於內,柔順於外,內剛而外柔,故謂謙。此以陰保陽之卦,承上同人而來。同人者,混俗和光,以明用健也。以明用健,健不妄用,非涵養深厚者,不能行。涵養之功,即以陰保陽之功。以陰保陽,所以虛極靜篤,止於其所也。

「謙」は有りて自ら居らざるの意。この一卦の卦徳は、上卦坤は柔順と為り、下卦艮は静止と為る。剛陽内に止息し、柔順外に顕現し、内裡剛にして外表柔なり。だから「謙」と呼ばれる。これは一個の陰を以て陽を保護するの卦で、上一卦《同人》を承接して来る。《同人》の講ずるは流俗に混同し・光芒を涵斂し、光明を用いて剛健を運使するなり。光明を用いて剛健を運使すれば、剛健は則ち妄用せざるなり。もし涵養深厚の人に非ざれば、此の一歩を行い来る能わず。涵養の工夫は、即ち陰を以て陽を保するの工夫なり。陰を以て陽を保するがゆえに、虚は極処に至り・静は篤処に至り、自己の止まるべき地方に安止するを要す。

艮為死我之處,坤為生我之處,未死先學死,陽之止也。不生即長生,陰之順也。陽止者,止假陽、養真陽也;陰順者,運真陰、退假陰也。假陽上而真陽存,是謂養;假陰退而真陰現,是謂順。能養能順,嚴以治己,虛以應物,心愈低而道愈高,外不足而內有餘,順理順人,止於至善之地而不遷,此謙道之所以亨也。

艮は我をして死せしむるの地方、坤は我をして生出せしむるの地方なり。未だ死せざるに就先ず死を学ぶは、是れ陽の「止」なり。妄に生ぜずして便ち長生を得るは、是れ陰の「順」なり。いわゆる陽止とは、「偽陽」を止住して「真陽」を涵養するなり。いわゆる陰順とは、「真陰」を運化して「偽陰」を退去せしむるなり。偽陽止息して真陽保存せらるるは、此を養と呼ぶ。偽陰退去して真陰顕現するは、此を順と呼ぶ。能く養い能く順えば、則ち厳格に自己を治理し、虚心に外物を應接し、心地越えて謙下にして道行越えて高く、外表は不足を顕れども内裡綽々として余裕有り、天理に順い・亦た人情に順い、至善の地位の上に安止して復た遷移せず。これがすなわち謙道の亨通する所以の縁故なり。

然能謙之於始,不能謙之於終,是有始無終。止之不固,順之不當,謙之假而不真,亦不得亨。惟修道君子,於止知其所止,虛其所有,示其所無,一念純真,有始有終,尊道而行,愈久愈力,故得先天之氣,自虛無中來,凝結而成丹。若非君子無而為有,虛而為盈,自滿自足,雖外恭而內不敬,始勤終怠,必至止真陽而用假陽,順人慾而背天理,不但不吉,而且不亨,何足以為謙哉?

然而もしただ能く開頭に於いて謙にして、末了に於いて謙する能わざれば、あれは便ち始有りて終無し。止ること牢固ならず、順うこと恰当ならず、謙は是れ偽にして真に非ず、亦た亨通を得ず。唯だ道を修するの君子のみ、該止の地方に於いて自己の当に止まるべき所を知り、自己の所有するを一概に虚掉し、ただ自己の有さざるを顕示し出し、一念純真にして始有り終有り、大道を尊崇して行い、越久しければ越えて力を用いる。だから能く「先天之気」――あの虚無の中より自ら来るの元気――を得て、凝結して丹を成す。もし此の如き君子に非ざれば、本来無きに装作して有りと為し、本来空虚に装作して充盈と為し、自満自足して、外表恭敬なれども内心は並びて真敬ならず、開頭勤勉にして後来懈怠す。必定して真陽を止住して偽陽を使用し、人欲に順從して天理に違背するに弄り至らん。但だ吉ならざるのみならず、而且亨ならず。どこが謙と称呼するに配せんや。

初六,其性柔順,固自能謙,又居卑下,不敢先人,是謂謙而又謙之君子。如此之謙,順固能謙,逆亦能謙,用涉大川之險,無有不致吉者。此柔而自下之謙也。六二,柔順中正,以無能而順有能,是謂鳴其謙也。謙而至鳴,示己之無;尊人之有,虛心即能實腹,謙而即得其吉者,此柔而順剛之謙也。

初六一爻。本性柔順にして、原本便ち能く謙す、また卑下の位に居り、別人の前頭を搶えるを敢えてせず。これを謙にして又た謙なるの君子と呼ぶ。此の如き謙は、順境の中に於いては固然として能く謙し、逆境の中に於いても同様に能く謙す。それを用いて大河の如き険境を渡越せば、吉を得ざる無し。此一爻に配するは柔順にして自ら卑下に居るの謙なり。六二一爻。柔順にして中に居り正を得、自己の無能を以て能有の人に順従す。これを「鳴謙」と呼ぶ。謙して能く鳴くに至るは、自己の無きを顕示し・別人の所有を尊重するなり。心一たび虚なれば、腹は則ち能く実なり。一たび謙すれば便ち吉を得る。此一爻に配するは柔順にして剛陽に順従するの謙なり。

九三,以一陽而居於群陰之中,能以謙道點化群陰,是謂勞謙也。謙而至勞,其德日大,其心日小,我謙而人自謙,非真心實意之君子不能。此剛而有終之謙也。六四,柔而守正,既能謙於有德,又能謙於無德,既能謙於尊上,又能謙於卑下,是謂撝謙也。謙而至撝,左之右之,隨在皆然,此柔而無不利之謙也。

九三一爻。一個の陽爻を以て衆陰の中に処り、能く謙道を用いて衆陰を点化す。これを「勞謙」と呼ぶ、功労有りて仍ほ謙譲す。謙して能く勞するに至れば、徳行一天天に広大にして、心地一天天に卑小と為り、我一たび謙すれば別人も自然に謙す。是れ真心実意の君子に非ざれば做り到る能わず。此一爻に配するは剛健にして能く終有るの謙なり。六四一爻。柔順にして正を守り、既に能く徳有る人に対して謙し、亦能く徳無き人に対して謙す。既に能く尊長に対して謙し、亦能く卑下の者に対して謙す。これを「撝謙」と呼ぶ、処々に謙徳を施行す。謙して能く撝するに至れば、或いは左に或いは右に、いずれの位置上に処るを論ぜず倶に是れ此の如し。此一爻に配するは柔順にして往きて利あらざる無きの謙なり。

六五,柔而得中,不但自謙,亦能化人于謙,是以不富以其鄰。鄰為相近之人,又在順體,能化於近,不能化遠,非是真謙。能化於順,不能化逆,亦非真謙,利用侵伐,利用於遠逆矣。謙至逆順不拘,遠近皆通,其行無往而不利矣。此尊而能以虛心之謙也。

六五一爻。柔順にして中に居り当を得、但だ自己の能く謙するのみならず、還た能く別人を感化して亦た謙に帰せしむ。だから爻辞に「富まずして其の鄰を以てす」と曰う。「鄰」は相近の人を指す。此の爻又た坤此の個の柔順の体中に処る。ただ能く近処を感化して遠処を感化する能わざれば、真の謙と算するに足らず。ただ能く我に順うを感化して我に逆うを感化する能わざれば、亦た真の謙と算するに足らず。だから「侵伐を用うるに利し」と曰う。意思は此の份の謙徳は還た応に遠処と逆境の上に用い去るべしとなり。謙して逆順倶に拘らず・遠近倶に通ずるに至れば、行う所の処は則ち往きて利あらざる無し。此一爻に配するは身尊位に居りて仍ほ能く虚心たるの謙なり。

上六,自尊自大,有己無人,是謂鳴謙。謙鳴於上,自不能謙,焉能化人于謙?是以利用行師,征邑國也。邑國,近我順我者也。近我順我者,且用行師征之,而後得利,何況遠我逆我者乎?此尊而不能自卑之謙也。

上六一爻。自尊自大にして、ただ己有るを知り人有るを知らず。此も亦た「鳴謙」と呼ぶも、却って是れ謙名を外に伝揚するなり。謙名ただ上頭に鳴き、自己実際上は並びて能く謙せず、又た怎様にして別人を感化して謙に帰せしめ得べきや。だから爻辞に「師を行るを用うるに利し、邑国を征す」と曰う。「邑国」は我に靠近し・我に順従するあの些かの人なり。我に靠近し・我に順従するをも連れて還た兵を動かして征討し去りて、然る後に乃ち利を得。何を況んやあの些かの我に遠離し・我に違逆するをや。此一爻に配するは身尊位に居りて能く自ら卑下に居らざるの偽謙なり。

謙之為道居多,或剛而能謙,或柔而能謙,或謙子柔,或謙於剛,總以謙虛自卑為貴。虛心則能實腹,自卑則能登高,借陰濟陽,不在是乎。噫!謙受益,滿招愆。謙之一字,其事雖微,其功最大,學者能于謙之一字作實落功夫,有始有終行去,則內而陰陽和,外而人我通,氣質化而天真獨露,生氣常存,何患金丹不結、大道不成哉。

謙此の一条の路は、情形很に多し。或いは剛強にして能く謙し、或いは柔弱にして能く謙す。或いは柔弱の者に向かって謙し、或いは剛強の者に向かって謙す。総之として謙虚自卑を以て可貴と為す。心虚なればはじめて腹実なり、自ら卑下に居ればはじめて高く登り得。陰気を借りて来て陽気を補済するは、則ちここに在らずや。ああ。謙虚は益を得、自満は罪愆を招来す。「謙」此の一個の字は、事情雖も細微なれども、功效は却って最大なり。道を学ぶ人もし此の一個の「謙」の字の上に於いて扎扎実実の工夫を做し出し、始有り終有りに行い下去らば、則ち内に於いて陰陽調和し、外に於いて人我相通し、気質変化して天真独自顕露し、生機常に存して息まず。何を愁えんや金丹結ばざる・大道成らざるを。

豫卦第十六(上震下坤)

豫:利建侯行師。初六,鳴豫,凶。六二,介于石,不終日,貞吉。六三,盱豫悔,遲有悔。九四,由豫,大有得。勿疑,朋盍簪。六五,貞疾,恆不死。上六,冥豫,成有渝,無咎。

《豫》卦の卦辞に曰く。諸侯を分封し・軍隊を出動するに適宜。初六爻。安楽を張揚して声を出す、凶険。六二爻。耿介なるは磐石の一般、一日の過ぐるを待つを用いずして去就を辨明す、正を守れば吉利。六三爻。眼睛を大きく睜いて別人の安楽を仰望して悔を生じ、拖延して下去れば更に悔恨有り。九四爻。衆人の安楽は彼に由りて来る、大に所得有り。疑慮する勿れ、朋友們は散乱の頭髪の一支の髮簪に聚攏するが如く帰附して来らん。六五爻。此の個の病を守着す、長久なるも亦た死に至らず。上六爻。安楽の中に於いて昏昧す、事情雖も已に做し成るも必ず変を生ず、能く改めれば則ち過なし。

豫者,樂也。卦德上震動、下坤順,順時而動,動而通順,故謂豫。此以陰招陽之卦,承上大有而來,大有健明兩用,富有日新之道也。富有日新,須要順時而動,方能成功。若能順時,則進健得正,用明得當,火候不差,多銖有準,急援得法,進退合節,由有為而至無為,自無得而復失之患。其順動之樂為何如?順動之象,莫如建侯行師,侯為一國之主,將為眾軍之主,建侯順天時,則一國治,行師順人心,則眾軍全。心為一身之主,如侯如將也。順動利於建侯行師,即利於正心修身。順時而動,則利;不順時而動,則不利。利則得樂,不利則不樂。致樂之道,順而動之盡矣。

「豫」とはすなわち快楽。この一卦の卦徳は、上卦震は動と為り、下卦坤は順と為る。時機に順って動き、一動すれば則ち通達順暢す。だから「豫」と呼ばれる。これは一個の陰を以て陽を招引するの卦で、上一卦《大有》を承接して来る。《大有》の講ずるは剛健と光明と両様併用し・富有にして日新の道理なり。富有日新せんと要せば、必ず時機に順って動いて、はじめて成功し得べし。能く時機に順応せば、則ち剛健を推進するはその正を得、光明を運用するはその当を得、火候絲毫差えず、分量軽重准有り、急を救うに法度有り、進退は節拍に合乎り、「有為」より進みて「無為」に至り、自然に既得にして復失の隠患無し。此の種の時に順って動くの快楽は何等の境界ぞ。順動の象は、諸侯を分封し・軍隊を出動するより貼切なる無し。諸侯は一国の主、将帥は全軍の主なり。諸侯を封ずるは天時に順応すれば、一国は則ち治理して好し。軍隊を出ずるは人心に順応すれば、全軍は則ち保全を得。人の「心」は一身の主、猶あの諸侯・あの将帥の如し。順動は侯を建て師を行るに利有り、亦たすなわち心地を端正し・己身を修治するに利有り。時機に順って動けば則ち利、時機に順わずして動けば則ち利ならず。利なれば則ち楽を得、利ならざれば則ち楽ならず。快楽を招致するの門路は、一個の「時に順って動く」に就きて説き尽くせり。

初六,居豫之初,又在三陰之下,性質本愚,且與小人為伍,自暴自棄,以苦為樂,是謂鳴豫。豫而至鳴,無樂而自為樂,終必入於下愚不移之地,而不得樂。此匪正取凶之樂也。六二,無貪無求,樂天知命,如介于石,確然有守,不以外假而傷內真,至於非分之樂,不俟終日,則即去之。此守貞得吉之樂也。

初六一爻。豫卦の開頭に処り、また三個の陰爻の最下面に居り、資質本来愚昧にして、還た小人と結伴し、自暴自棄して、苦を把って楽と成す。これを「鳴豫」と呼ぶ、安楽を張揚して声を出すなり。楽して張揚して声を出すに至れば、本来楽むべき無きに硬としてそれを把って楽と為し、終究として下愚に落ち込みて轉移すべからざるの地步に至り、反って楽を得ず。此一爻に配するは正ならずして自ら凶険を取るの楽なり。六二一爻。貪無く求無く、天道に楽しみ命分に安んず。猶耿介なる磐石の如く、確確実実に守る所有り、外面の偽物に因りて裏面の真機を傷せず。属すべからざる自己の快楽に遇わば、一日の過ぐるを待つを用いず、当下に則ちそれを去掉す。此一爻に配するは正を守りて吉を得るの楽なり。

六三,舍己之樂,仰望他人之樂,是謂盱豫。豫至於盱,未得於人,先失其己,致悔之道。既知盱人無益而速悔,則可無悔。否則,不能悔速,而悔遲,終必有悔,而不得樂。此失正致悔之樂也。九四,以一陽而居於群陰之中,不為群陰所惑,且能點化群陰,皆來順之,是謂由豫大有得也。大得之象,如亂髮朋盍而歸於一管簪,以一御紛,以定止亂,陽氣常振,陰氣自化,樂何如之,此用剛有得之樂也。

六三一爻。自家本有の楽を丢開し、眼睛を抬起して別人の楽を仰望し去る。これを「盱豫」と呼ぶ。楽して眼を睜いて別人を仰望するの地步に至れば、未だ別人の処より何を得るに及ばずして、先に已に自己を失掉せり。これは悔を招くの路数なり。既に別人を仰望するは益無きを知りて赶紧に悔改せば、還た悔恨無きを得べし。否れば能く快快悔改せず、一味に拖延して、終究として悔恨有るを要し、快楽も亦た得る能わず。此一爻に配するは正を失いて悔を招くの楽なり。九四一爻。一個の陽爻を以て衆陰の中に処り、衆陰に迷惑せられず、反って能く衆陰を点化して、彼らをして皆来たりて順従せしむ。これを「豫に由る、大に得る有り」と呼ぶ。大に得る有りの象は、猶散乱の頭髪の一支の髮簪の上に聚攏するが如く、一を用いて紛雑を統御し、定を用いて動乱を止住す。陽気常常振作し、陰気自然消化す。此の快楽何等の自在ぞ。此一爻に配するは善く剛陽を用いて所得有るの楽なり。

六五,柔而不剛,孤寂守靜,空而不實,如有疾而不能樂矣。然柔而得中,即不能致樂,亦不至招凶,雖有疾而恆不死,不死不活,獨守一貞,安於小乘,縱真陽在望,未許我有,此著於頑空無樂也。上六,在豫之終,只知順行其樂,不知逆運其樂,是謂冥豫。豫至於冥,執固不通,順其所欲之樂,雖樂事已成,必有渝變,樂極生悲,終必自敗,與人無咎,此隨心所好失樂也。

六五一爻。柔弱にして剛強ならず、孤寂として静を守着し、空洞にして充実せず。猶身上病有りて快楽して起らざるが如し。ただそれは柔順にして中に居り、雖も快楽を招き来る能わざるも、亦た凶を招くに至らず。だから雖も病有りて長久にして死なずと曰う――却って是れ不死不活、孤零零として一個の「貞」の字を守着し、小乗一路に安んず。縦い「真陽」已に望に在るも、亦た我に真正に擁有するを許さず。此一爻に配するは頑空に執着して毫も真楽無きの一等人なり。上六一爻。豫卦の終了に処り、ただ順って走りて此の份の楽を享するを知りて、逆って此の份の楽を運化せんと要するを知らず。これを「冥豫」と呼ぶ、安楽の中に於いて昏昧す。楽して昏昧に至れば、執固にして通達せず、一味に自己の欲望に順って楽を取る。縦い楽事已に做し成るも、亦た必ず変故を生出し、楽極まりて悲を生じ、終究として自ら敗亡を取る。別人の身上に怪むに到らず。此一爻に配するは心裡の好む所に随って真楽を丢失するの一等人なり。

然則樂之為道,總在能順。致樂之道,總在能順時而動。順時而動,陽氣舒暢,如雷出地外,奮發登天,震驚百里,一切邪魔魍魎,盡皆遁跡,生機不息,大地裡黃芽長遍,滿世界金花開綻,信步走去,頭頭是道,樂莫樂於此也。

此に由りて見るべし。快楽此の条の路は、総じて一個の「順」の字の上に在り。快楽を招致するの門路は、総じて能く時機に順って動くに在り。時に順って動けば、陽気舒展暢達し、猶春雷の地裏より発出し、奮然として天空に升上し、声威百里を震惊すれば、一切の邪魔魍魎尽く皆逃遁して跡を隱すが如し。生機綿綿として息まず、大地の裡に「黄芽」長じ遍し、満世界に「金花」開绽し、信歩として走去れば、処々皆は是れ道なり――快楽は復た此より快楽なる無し。

随卦第十七(上兌下震)

隨:元亨,利貞,無咎。初九,官有渝,貞吉,出門交有功。六二,係小子,失丈夫。六三,係丈夫,失小子。隨有求得,利居貞。九四,隨有獲,貞凶,有孚在道以明,何咎?九五,孚于嘉,吉。上六,拘係之,乃從維之,王用亨于西山。

《随》卦の卦辞に曰く。大いに亨通、正を守るに適宜、過なし。初九爻。主とする所の職守変動有り、正を守れば吉利、門を出でて人と交接すれば便ち功效有り。六二爻。年幼の小子に牽係し、成年の丈夫を失掉す。六三爻。成年の丈夫に牽係し、年幼の小子を失掉す。此の如き随従は、求むる有れば則ち得る所有り、安居して正を守るに適宜。九四爻。随從して獲取有る所、縦い正を守るも凶険。ただ心に誠信を懐き・正道に合乎りて又た明察せば、何の過か有らん。九五爻。美善に誠信す、吉利。上六爻。彼を拘執捆縛して起き、還た更に繩索を加えて維係す。周王西山に於いて祭を設けて亨通を得。

隨者,相從之義。卦德上兌悅、下震動,我動而人悅,人悅而我動,有彼此相應之義,故謂隨。此以性求情之卦,承上謙卦而來。謙者虛其所有,示其所無,所以借陰以全陽,乃陽復以後之事。當陽未復之時,若非有招攝之法,而真陽不來。招攝之法即隨道也。

「随」は彼此相従うの意。この一卦の卦徳は、上卦兌は和悦と為り、下卦震は動と為る。我一たび動けば対方欣悦し、対方欣悦して我又た動く。彼此感応相従うの意を含む。だから「随」と呼ばれる。これは一個の「性」を以て「情」を求むるの卦で、上一卦《謙》を承接して来る。《謙》の講ずるは自己の所有するを虚掉し・自己の有さざるを顕示し出し、用意は陰気を借りて陽気を保全するに在る。あれは陽気已に回復して以后の事なり。当に陽気還た回復せざるの時、もし一套の招摂の弁法無くんば、真陽は則ち肯んじて回來せず。此の套の招摂の弁法は、即ち《随》の講ずる所の路数なり。

本卦震兌相合,震屬東家,為性,為我;兌屬西家,為情,為彼。有生之初,性情如一,先天真陽,原是我家之物,交於後天,走失於外,不為我有,屬於他家矣。若欲還原返本,仍要在他家盜來,隨之為道,順其所欲,漸次導之也。

此一卦は震・兌两卦相合して成る。震は「東家」に属し、「性」を代表し、我を代表す。兌は「西家」に属し、「情」を代表し、対方を代表す。人剛かに出生するの時、性と情とは本来一体なり。落入して「後天」に及ぶを待って、先天真陽原是れ我家の物、却って外面に走失し、復た我の所有に帰せず、他家のと成り了せり。もし本に還り原に帰せんと想えば、仍ほ他家あの処より盗取して回らんを須す。《随》此の条の路は、即ち対方の意願に順って、一歩一歩それを引導して回るなり。

順欲者,以我而隨彼,取彼之歡心,使彼來隨我也。彼我相隨,以性求情,以情歸性,失去故物,仍還我家,是以隨道而得以元亨也。但隨道雖能元亨,而藥物有真假,火候有次序,動靜有時節,進退有早晚,毫髮之差,千里之失,是以隨之元亨,尤利於貞耳。

いわゆる対方の意願に順うとは、我に由りて先ず対方に随從し去り、彼の歓心を博取して、好くして彼をして反って我に随從せしめんが為なり。彼此相随い、「性」を以て「情」を求め、再び「情」を収めて「性」に帰し、従前失去せる旧物、仍ほ我家に還回す。だから《随》此の条の路は能く大いに亨通す。但し随道雖も能く大亨すれども、薬物は却って真有り偽有り、火候は先後次序有り、動静は一定の時節有り、進退は早有り晚有り。毫髪を差せば便ち千里を失う。だから《随》の大亨は、尤も一個の「貞」の字の上に落ちてはじめて利有りと算う。

貞者,正也。以正而隨,我以正感,彼以正應,彼我皆正,假情亦化為真情,假性亦化為真性。金木交併,木性愛金順義,金情戀木慈仁,剛柔一氣,性情相合,返樸歸醇,渾然天理,金丹凝結,寂然不動,感而遂通。感而遂通,寂然不動,始而有咎者,終而一無所咎矣。試明隨之是非吉凶。

「貞」とはすなわち正。正道を以て随從に去れば、我は正を以て感じ、対方は正を以て応じ、彼此倶に正なれば、偽の情も亦た真情と化成し、偽の性も亦た真性と化成す。金と木と交合併攏す――木性は金を愛して義に順従し、金情は木を戀して仁を懐抱す――剛と柔と一気に帰し、性と情と彼此相合し、質朴淳厚に返帰し、渾然一片の天理、金丹凝結成就して、寂然として動かずして一感すれば便ち通じ、一感すれば便ち通じて依舊として寂然動かず。開頭本来過有るも、末了に至れば便ち一点の過も亦た無し。下面に就きて来りて随從一事の是非吉凶を辨明せん。

初九,在隨之初,隨是隨非。隨之官者,既為其官,必有渝變,須當辨別可否,以正而隨,方能得吉。既知其正,於是出門交物,借世法而修道法,未有不成其功者。此謹慎於始之隨也。六二,柔而無知,隨其後起之陰,失其元初之陽,是繫於小子,失其丈夫矣。此柔而失真之隨也。

初九一爻。随從の開頭に処り、随い对えば是れ是、随い錯えば是れ非。爻辞に主とする所の職守変動有りと曰う。既に此の個の職守を担えば、則ち必定して変動有らん。因って必ず随うべき随うべからざるを辨別し、正道を以て随いて、はじめて吉を得べし。既に何者が正たるを辨明せれば、ここにおいて門を出でて外物と交接し、世間の人たるの法を借りて大道の法を修行すれば、成功せざる無し。此一爻に配するは開頭に於いて就きて謹慎なるの随從なり。六二一爻。柔弱にして無知、あの後来生じ起るの陰気に随從し、元初本有の陽気を失掉す。これがすなわち「小子に繫がり、丈夫を失う」。此一爻に配するは柔弱にして真機を失掉するの随從なり。

六三,性柔志剛,能隨他家之陽,不隨我家之陰,是繫於丈夫,失其小子,隨之有求必得矣。然柔者,多信道不篤,易於失守,尤必居於正,而不遷移,愈久愈力,方能得他家之陽,歸於我家。此柔而居正之隨也。

六三一爻。秉性柔和にして志向剛強、能く他家の陽に随從し、我家の陰に随從せず。これがすなわち「丈夫に繫がり、小子を失う」。此の如くして随從に去れば、求むる有れば則ち必ず得る所有り。ただ柔弱の人は多半道を信ずること篤実ならず、失守し易し。因って尤も必ず正に安居して遷移を肯んぜず、越久しければ越えて力を用いて、はじめて他家の陽を招回し・我家に帰し来る能う。此一爻に配するは柔順にして能く正に居るの随從なり。

九四,剛而能隨,隨之必有所獲,但以剛隨剛,剛之大過,雖正亦凶,幸其剛以柔用,有孚在道,明於是非邪正,知進知退,不致咎而自無咎。此剛而信道之隨也。九五,樂在其中,隱惡揚善,隨剛隨柔,執兩用中,無一行之不正,無一事之不當,從心所欲、不逾矩。此信其嘉德之隨也。

九四一爻。剛健にして能く随從す、一たび随從すれば必定して獲取有らん。但し剛を以て剛に随えば、剛得ること太過す、縦い正を守るも凶険。幸いにそれは剛にして能く柔和の方式を以て運用し、心に誠信を懐き・正道に合乎り、是非邪正を明辨し、進を知り退を知り、咎を招きに行かずして自然に咎無し。此一爻に配するは剛健にして大道を篤信するの随從なり。九五一爻。楽趣は就きて此の条の道上に在り、別人の悪を隱去し・別人の善を表揚し、剛に随うべきは則ち剛に随い、柔に随うべきは則ち柔に随い、两端を把握して其中を取用し、一様として行為正ならざる無く、一件として事情当ならざる無く、心に随って欲するも規矩を越出せず。此一爻に配するは美善の徳に誠信するの随從なり。

上六,愚而無知,使心用心,我不能先去隨他,即欲他來隨我,如拘係之,乃從維之,強求強合,妄想太過,猶如王用亨于西山,縱天寶在望,終在西而不歸東,究是落空事業,此懸虛不實之隨也。然則隨道之所以元亨者,利在於貞耳。以正而隨,將欲取之,必先與之,我能隨他,他即隨我,真陰真陽,兩而相合,恍惚中有象,杳冥內有精,先天之氣,自虛無中來,凝而為一黍之珠,從微而著,元而未有不亨,亨而未有不利,利貞之隨,咎於何有?既無其咎,大道可成矣。

上六一爻。愚昧にして無知、尽く心思の上に於いて做作し、自己肯んじて先ず対方に随從し去らず、却って対方の来たりて自己に随從せんを想う。猶人を把って拘執捆縛して起き・再び繩索を加えて維係するが如く、硬に求め硬に合し、妄想頭を過ぐる。又像周王の西山に於いて祭を設けるが如く、縦い天賜の宝物已に望に在るも、終究として西辺に留まりて東家に回る能わず、頭に到りて是れ一場の落空の事業なり。此一爻に配するは懸空にして実ならざるの随從なり。此に由りて見るべし。随道の能く大亨する所以は、好処正に一個の「貞」の字の上に落つ。正道を以て随從に行けば、拿取せんと要せば、必先ず給与せんを須す。我能く彼に随えば、彼は則ち我に随う。「真陰」と「真陽」と两下相合して、恍恍惚惚の中に象を現出し、杳杳冥冥の内に精を含蔵し、「先天之気」虚無の中より自ら来たりて、凝聚して一粒の黍米大の宝珠を成し、細微より顕著に至る。元始にして亨通せざる無く、亨通にして利あらざる無し。既に利にして且つ貞なるの随從は、どこが尚過有らんや。既に過無くんば、大道は成り得べし。

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