景德传灯录 · 第1巻
景徳伝灯録巻第九 黄檗希運禅師『伝心法要』
仏家典籍
短いものは心経・金剛経・四十二章経・壇経から読み始められる。浄土は阿弥陀経・無量寿経・観経を見る。大乗の叙事と禅を見るなら、法華・維摩・楞厳・円覚・地蔵へ進む。
景德傳燈錄
景德傳燈錄序
『景德傳燈錄』序
翰林學士朝散大夫行左司諫知制誥同修國史判史館事柱國南陽郡開國侯食邑一千百戶賜紫金魚袋臣楊億撰
(以下は一人の官職であり、多人ではない:)翰林学士・朝散大夫・行左司諫・知制誥・同修国史・判史館事・柱国・南陽郡開国侯・食邑一千一百戸・賜紫金魚袋、臣の楊億が撰した。
昔釋迦文。以受然燈之夙記當賢劫之次補。降神演化四十九年。開權實頓漸之門。垂半滿偏圓之教。隨機悟理。爰有三乘之差。接物利生。乃度無邊之眾。其悲濟廣大矣。其軌式備具矣。而雙林入滅。獨顧於飲光。屈㫬相傳。首從於達磨。不立文字直指心源。不踐楷梯徑登佛地。逮五葉而始盛。分千燈而益繁。達寶所者蓋多。轉法輪者非一。蓋大雄付囑之旨。正眼流通之道。教外別行不可思議者也。
昔、釈迦文(釈迦牟尼仏)は、先だって燃燈仏の授記を受けて、賢劫の次補(次に仏位を補う者)に当たった。神を降して世を化すること四十九年、権実・頓漸の門を開き、半満・偏円の教を垂れ示した。機(根機)に随って理に悟り入り、ここに三乗――声聞・縁覚・菩薩(菩提薩埵の略、悟りを求め衆生を度する人)――の差がある。物を接し生を利して、すなわち無辺の衆を度した。その悲済は広大であり、その軌式は備わって具(ぐ)していた。しかるに双林に入滅するにあたり、ただ飲光(迦葉尊者)に顧み付し、屈㫬(屈伸)相伝えて、まず達磨より始まる。文字を立てず、直ちに心源を指し、楷梯を践まず、径(ちょく)に仏地に登った。五葉に逮んで始めて盛んとなり、千燈に分かれてますます繁く、宝所に達する者はおよそ多く、法輪を転ずる者は一ならず。これは大雄付嘱の旨、正法眼(正眼)流通の道、教外別行の不可思議なるものである。
聖宋啟運人靈幽贊
聖宋、運を啓き、人霊幽かに贊(たす)く。
太祖以神武戡亂。而崇淨剎。闢度門。
太祖は神武をもって乱を戡(かん)し、なお浄刹を崇め、度門を闢(ひら)いた。
太宗以欽明御辯。而述秘詮。暢真諦。
太宗は欽明をもって辯を御し、祕詮を述べ、真諦を暢べた。
皇上睿文繼志而序聖教繹宗風。煥雲章於義天。振金聲於覺苑。蓮藏之言密契。竺乾之緒克昌。殖眾善者滋多。傳了義者間出。圓頓之化流於區域。有東吳僧道原者。冥心禪悅。索隱空宗。披弈世之祖圖。採諸方之語錄。次序其源派。錯綜其辭句。由七佛以至大法眼之嗣。凡五十二世。一千七百一人。成三十卷。目之曰景德傳燈錄。詣闕奉進冀於流佈。
皇上は叡文をもって志を継志を継ぎ、聖教に序し、宗風を繹(つ)ぐ。雲章を義天に煥(かがや)かし、金声を覚苑に振う。蓮蔵の言は密かに契(かな)い、竺乾(じゅくけん、天竺)の緒はよく昌(さか)んなり。衆善を殖(ふや)す者は滋(ます)まさに多く、了義を伝える者は間(ま)出(だ)ちする。円頓の化、区域に流る。東呉の僧道原という者あり、冥(くら)く心を禅悦に置き、空宗の隱微を索(もと)め、弈世の祖図を披き、諸方の語録を采(と)り、その源派を次序し、その辞句を錯綜(さくそう)せしめた。七仏より大法眼の嗣に至るまで、凡そ五十二世・一千七百一人、三十巻を成し、これを『景德傳燈錄』と目し、闕に詣(みえ)りて奉進し、流布せんことを冀(こいねが)う。
皇上為佛法之外護。嘉釋子之勤業。載懷重慎。思致悠久。乃詔翰林學士左司諫知制誥臣楊億。兵部員外郎知制誥臣李維。太常丞臣王曙等。同加刊削。俾之裁定。臣等昧三學之旨迷五性之方。乏臨川翻譯之能。懵毘邪語默之要。恭承嚴命。不敢牢讓。竊用探索匪遑寧居。考其論譔之意。蓋以真空為本。將以述曩聖入道之因。標昔人契理之說。機緣交激。若拄於箭鋒。智藏發光。旁資於鞭影。誘道後學。敷暢玄猷。而捃摭之來。徵引所出。糟粕多在。油素可尋。其有大士。示徒。以一音而開演。含靈聳聽。乃千聖之證明。屬概舉之是資。取少分而斯可。若乃別加潤色失其指歸。既非華竺之殊言。頗近錯雕之傷寶。如此之類悉仍其舊。況又事資紀實。必由於善敘。言以行遠。非可以無文。其有標錄事緣。縷詳軌跡。或辭條之紛糾。或言筌之猥俗。並從刊削。俾之綸貫。至有儒臣居士之問答。爵位姓氏之著明。校歲歷以愆殊。約史籍而差謬。鹹用刪去。以資傳信。自非啟投針之玄趣。馳激電之迅機。開示妙明之真心。祖述苦空之深理。即何以契傳燈之喻。施刮膜之功。若乃但述感應之徵符。專敘參遊之轍跡。此已標於僧史。亦奚取於禪詮。聊存世系之名。庶紀師承之自然而舊錄所載。或掇粗而遺精。別集具存。當尋文而補闕。率加採擷。爰從附益。逮於序論之作。或非古德之文。問廁編聯徒增楦釀(楦釀二字出唐張燕公文集。謂冗長也)亦用簡別多所屏去。汔茲周歲方遂終篇。臣等性識媿於冥煩。學問慚於涉獵。天機素淺。文力無餘。妙道在人。雖刳心而斯久。玄言絕俗。固牆面以居多。濫膺推擇之私。靡著發揮之効。已克終於紬繹。將仰奉於清間。莫副宸襟空塵睿覽。謹上。
皇上は仏法の外護となり、釈子の勤業を嘉(よみ)し、重慎を懐(いだ)き、悠久に致そうと思した。すなわち翰林学士・左司諫・知制誥の臣楊億、兵部員外郎・知制誥の臣李維、太常丞の臣王曙らに詔して、同じく刊削を加え、これを裁定せしめた。臣らは三学の旨に昧(くら)く、五性の方に迷い、臨川(謝霊運)の翻訳の能(のう)に乏しく、毘邪(びしゃ、毘耶離)語黙の要に懵(くら)い。厳命を恭承して、敢えて牢(かた)く譲ることなく、窃(ひそか)に探索を用いて遑(いとま)なく寧居せず。その論譔の意を考するに、およそ真空を本とし、もって曩聖(のうしょう)入道の因を述べ、昔人契理の説を標せんとする。機縁、交(こもごも)激して、箭鋒に拄(ささ)えるがごとく、智蔵が光を発するは、鞭影に旁資せらる。後学を誘導し、玄猷を敷暢す。しかるに捃摭(くんせき)の来り、徵引の出づる所は、糟粕多く在り、油素(ゆそ、絹素)は尋ぬべし。その大士、徒に示すに、一音をもって開演すれば、含霊聳(そび)えて聴く、乃ち千聖の証明なり。概挙するに資(よる)べきものに属し、少分を取れば斯(ここ)に可なり。もし乃ち別に潤色を加えんか、則ちその指帰を失う。既に華竺殊言なるにあらず、錯雕して宝を傷うに頗(すこぶ)る近し。斯くのごとき類は、悉くその旧に仍(よ)る。况(いわん)やまた事、紀実に資(よ)るは、必ず善敘に由(よ)らん。言、行(おこな)われて遠くは、文なくんば可ならず。その標録して事縁、縷々(るる)軌跡を詳らかにする有り、或いは辞条の紛糾、或いは言筌(げんせん)の猥俗なるを、並せて刊削に従い、これを綸貫(りんかん)せしむ。儒臣・居士の問答に至り、爵位姓氏の著明なるも、歳暦を校(ただ)すに愆殊(けんしゅ)あり、史籍に約(つ)るに差謬(さびゅう)あらば、咸(みな)用(もち)ゐて刪去し、もって伝信に資せん。自(よ)り針に投ずるの玄趣を啓き、激電の迅機を馳せ、妙明の真心を開示し、苦空の深理を祖述するにあらざれば、すなわち何をもってか伝燈の喩(たとえ)に契(かな)い、刮膜(かつまく)の功を施さん。若し乃ちただ感応の徵符を述べ、専ら參遊の轍跡を敘するに止まるは、此れ已(すで)に僧史に標せらる。亦(また)奚(なん)ぞ禅詮に取らん。聊(いささ)か世系の名を存し、庶(こいねが)くは師承を紀せん。而(しか)るに旧録の載する所、或いは粗を掇(と)りて精を遺す。別集具(つぶさ)に存すれば、当に文を尋ねて闕を補うべし。率(おほむ)ね采擷(さいしゃ)を加え、爰(ここ)に附益に従う。序論の作に逮ぶ、或いは古徳の文にあらず。編聯に廁(まじ)はれば徒に楦釀(くあらず長きを謂う、楦釀の二字は唐の張燕公文集に出づ)を増す。亦(また)用ゐて簡別し、屏去する所多し。汔(ほとん)ど茲(ここ)に周歳、方(まさ)に終篇を遂ぐ。臣ら性識、冥煩(めいはん)に媿(は)ぢ、学問、渉猟(しょうりょう)に慙(は)づ。天機素(もと)より浅く、文力余りなし。妙道は人に在り、心を刳(く)れば斯(ここ)に久しと雖も、玄言俗を絶すれば、固(もと)より牆面(しょうめん)居ること多し。推擇の私に濫(みだ)りに膺(う)けて、発揮の効(こう)を著(あら)わさず。已(すで)に紬繹(ちゅうえき)を終るを克(え)たと雖も、将(まさ)に清間に仰奉せんとす。宸襟(しんきん)に副(かな)うことなく、睿覧を空(むな)しく塵(けが)す。謹んで上す。
重刊景德傳燈錄狀
『景德傳燈錄』重刊の状(じょう)
湖州路。道場山。護聖萬歲禪寺。耆舊僧希渭。係慶元路昌國州人氏俗姓董。自幼投禮本路在城觀音禪寺絕照和尚為師。䚯到法名投禮慈谿縣開壽普光禪寺龍源和尚薙髮為僧。仍禮五臺律寺雪涯和尚受具戒。挾策西遊。放包靈隱。後值先師龍源和尚。遷住茲山。隨師參請。迨今有年。每念師恩未由報効。伏覩。從上佛祖景德傳燈錄三十卷。七佛至法眼之嗣。凡五十二世。景德至延祐丙辰。凡三百一十七年。舊板銷朽無存。後學慕之罔及。為此發心重刊。忽得本路天聖禪寺松廬和尚所藏廬山穩庵古冊。最為善本。良愜素志。遂於丙辰年正月初十日。將衣缽估唱得統金一萬二千餘緡。是日命工刊行於世。流通祖道。此錄總計三十六萬七千九百一十七字。至當年臘月一日畢工。隨即印捨三百部於兩浙。安眾名山。方丈蒙堂眾寮各一部。以便湖海辦道禪衲參究。集茲善利。用報四恩。併資三有者。
湖州路・道場山・護聖萬歳禅寺の耆旧僧希渭は、慶元路昌国州の人にして俗姓は董氏。幼より本路在城の観音禅寺絶照和尚に投礼して師とす。(底本「䚯到法名」の四字は訛脱あらんか、文意はその後法名を得たり。)また慈谿県開壽普光禅寺の龍源和尚に投礼して薙髪し僧となり、仍(よ)って五台律寺の雪涯和尚に礼して具戒を受く。策を挾んで西に遊び、包を靈隠に放(お)く。後に先師龍源和尚の茲山に遷住するに値い、師に随って參請し、今に迨(いた)ること年有り。毎(つね)に師恩を念えども報効する縁なし。伏して睹る、従上の佛祖『景德傳燈録』三十巻、七仏より法眼の嗣に至るまで凡そ五十二世、景德より延祐丙辰に至るまで凡そ三百一十七年。旧板銷朽して存せず、後学これを慕うも及ぶことなし。此のため発心して重刊す。忽ち本路天聖禅寺松廬和尚の蔵する廬山穏庵の古冊を得たり、最も善本にして、よく素志に愜(かな)う。すなわち丙辰年正月初十日に衣鉢を估唱して統金一万二千餘緡を得、この日工に命じて世に刊行せしむ。祖道を流通せしめんとす。この録、総じて三十六万七千九百一十七字、当年臘月一日に畢工す。随(つい)で両浙に三百部を印捨し、衆を名山に安んじ、方丈・蒙堂・衆寮に各一部、もって湖海辦道の禅衲の參究に便(べん)とす。茲の善利を集め、用(もち)いて四恩に報い、併せて三有に資せんとす。
大元廷祐三年臘月一日
大元延祐三年臘月一日
耆舊僧希渭謹狀
耆旧僧希渭、謹んで状す。
小比丘文雅董役
小比丘(出家の男衆)文雅、役(えき)を董(かど)す。
當山住持嗣祖比丘士洵主緣
当山住持・嗣祖の比丘士洵、縁を主る。
西來年表
西來年表
南齊
南斉
太祖高皇帝姓蕭諱道成受宋禪即位都金陵
太祖高皇帝、姓は蕭、諱は道成。宋の禅譲を受けて即位し、都は金陵に置いた。
後魏
後魏
高祖孝文皇帝。諱宏。姓拓跋氏。第六帝。即位改元延興當宋明帝泰始七年辛亥歲。至太和十八年。遷都洛陽。二十年改姓元氏
高祖孝文皇帝、諱は宏、姓は拓跋氏。第六代の帝。即位して延興と改元し、宋の明帝泰始七年辛亥の歳にあたる。太和十八年に洛陽へ都を遷し、二十年に元氏と改姓した。
己未
己未
建元元年
建元元年
太和三年
太和三年
庚申
庚申
二年
二年
四年
四年
辛酉
辛酉
三年
三年
五年
五年
壬戌
壬戌
四年帝崩
四年、帝崩ず。
六年
六年
世祖武帝
世祖武帝
諱賾即位
諱は贖(赜)。即位した。
癸亥
癸亥
永明元年
永明元年
七年
七年
