景徳伝燈録巻第二十三
又頌曰。
青原行思禅師第九世上
紅焰藏吾身何須塔廟新
金陵清涼文益禅師の法嗣
有人相肯重灰裡貌全真
天臺山の德韶国師は處州龍泉の人。俗姓は陳氏。母は葉氏。白光が体に触れる夢を見て、因りて娠した。誕するに及びて奇異尤も多し。年十五に梵僧あって勉めて出家せしめ、十七で本州の龍歸寺について業を受け、十八で信州の開元寺で戒を納めた。梁の開平の中に方を游して投子山に詣り、大同禅師を見た。乃ち発心の始め。次いで龍牙の遁和尚に謁して問うた。「雄雄の尊はなぜ之に近づくを得ないか。」龍牙が言った。「火と火とのごとし。」言った。「忽ち水に遇うたらまたどうか。」龍牙が言った。「お前は会せない。」師がまた問うた。「天は蓋わず地は載せず。この理はいかに。」龍牙が言った。「かくあるべき合。」師は旨を喻えず、再び垂誨を請うた。龍牙が言った。「道者、お前は後日向かって自ら会去る。」次いで疏山に問うた。「百匝千重は何人の境界か。」疏山が言った。「左に芒繩を搓りて鬼子を縛る。」師が進んで言った。「古今に落ちず、師に説くを請う。」言った。「説かない。」師が言った。「なぜ説かないのですか。」言った。「個中に有無を辨えず。」師が言った。「師は今善く説く。」疏山はこれを駭れた。師はかくのごとく五十四の善知識を歴参したが、皆法縁いまだ契わず。最後に臨川に至り浄慧禅師に謁した。浄慧は一見して深くこれを器とした。師は遍く叢林を渉りて参問に倦み、ただ衆に随うのみ。ある日、浄慧が上堂して僧が問うた。「どういうのが曹源の一滴水ですか。」浄慧が言った。「これ曹源の一滴水。」僧は惘然として退いた。師は坐側にて豁然として悟りを開き、平生の疑滞は渙然として冰の釋くるがごとし。遂に悟る所をもって浄慧に聞かせた。浄慧が言った。「お前は後日向かって国王の師たるべし。祖道を光大せしむるに吾も如かず。」これより諸方の異唱・古今の玄鍵を彼と決擇して微迹を留めず。尋いで本道に回りて天臺山を游び、智者𫖮禅師の遺蹤を睹ること旧居の若し。師はまた智者と同姓。時に「後身」と謂えり。初め白沙に止まった。時に呉越忠懿王が国王子をもって台州を刺す。師の名に向かい延請して道を問うた。師が謂うて言った。「他日霸主と為らば仏恩を忘るるなかれ。」漢の乾祐元年戊申、王が国位を嗣ぎ、使を遣わしてこれを迎え弟子の礼を申した。天臺智者の教を伝える羲寂という者が、屡々師に言うた。「智者の教は年祀浸遠く、散佚多きを慮る。今新羅国はその本甚だ備わる。和尚の慈力に自らずんば、孰か能くこれを致さん。」師はここに忠懿王に聞かせた。王は使を遣わし、また師の書を齎して彼の国に往かせ、繕写して備足して回った。今に至りて世に盛行す。師が上堂して言った。「古聖の方便は河沙のごとし(底本は「何沙」に作る)。祖師は道う、風幡の動くに非ず、仁者の心動なりと。これ乃ち無上の心印の法門。我輩は祖師門下の客、どう祖師の意を会すべきか。風幡動かずしてお前の心安動すと道うな。風幡を撥ねずして風幡に就きて通取すると道うな。風幡の動く処は何ぞやと道うな。ある云う、物に附して心を明らめ、物を認るを須いずと。ある云う。」
前襄州廣德第二世延和尚法嗣
(師が続けて言う。)「色即是空と。ある云う、風幡の動くに非ず、応に須く妙会すべしと。かくのごとき解会は祖師の意旨と何の交渉がある。すでにかくのごとき会を許さない。諸上座は便ち知悉すべし。もしここに於て徹底して悟り去れば、何の法門か明らかならざらん。百千の諸仏の方便は一時に洞了す。さらにどんな疑情があろう。ゆえに古人は道う、一つ了れば千明らか、一つ迷えば万惑えると。上座は豈に今日は一を会得し、明日はまた会せざるか。まさに一分の向上の事は会し難く、一分の下劣凡夫は会せざるか。かくのごとき見解は設え塵劫を経るも、ただ自ら神を労し思を乏しめ、是の処なし。」僧が問うた。「諸法の寂滅相は言をもって宣ぶべからず。和尚はどう人を為しますか。」師が言った。「お前は諸方に到ってさらに一遍問え。」言った。「そうなればすなわち言句を絶して去る。」師が言った。「夢裏惺惺。」問うた。「櫓櫂俱に停まる、どう彼岸に到り得るか。」師が言った。「お前の平生を慶す。」問うた。「どういうのが三種の病人ですか。」師が言った。「ちょうど問いに著いた。」問うた。「どういうのが古仏の心ですか。」師が言った。「この問いは弱からず。」問うた。「どういうのが六相ですか。」師が言った。「則ちお前是れ。」問うた。「どういうのが方便ですか。」師が言った。「この問い甚だ当たる。」問うた。「亡僧の遷化はどの処に向かって行くか。」師が言った。「終にあなたに道わない。」言った。「なぜ某甲に道わないのですか。」師が言った。「お前が会せぬを恐れる。」問うた。「一華開いて五葉、結果自然成。どういうのが一華開いて五葉ですか。」師が言った。「日出で月皎し。」言った。「どういうのが結果自然成ですか。」師が言った。「天地皎然。」問うた。「どういうのが無憂の仏ですか。」師が言った。「人を愁い殺す。」問うた。「一切の山河大地は何れより起るか。」師が言った。「この問いは何れより来るか。」問うた。「どういうのが数起の心ですか。」師が言った。「争いで諱め得ん。」問うた。「どういうのが第二月ですか。」師が言った。「来る処甚だ分明。」言った。「なぜ会せないのですか。」師が言った。「何を第二月と喚ぶか。」問うた。「どういうのが沙門の眼ですか。」師が言った。「漆のごとく黒し。」問うた。「消息を絶する時はいかに。」師が言った。「指示を謝す。」問うた。「どういうのが物を転ずれば則ち如来に同じですか。」師が言った。「お前は何を物と喚ぶか。」言った。「そうなればすなわち如来に同じ。」師が言った。「野干の鳴を作すな。」問うた。「那咤太子は肉を析きて母に還し、骨を析きて父に還した。然る後蓮華の上で父母のために法を説く。いまだどういうのが太子の身かを審らかにせず。」師が言った。「大家は上座を見よ。」問うて言った。「そうなればすなわち大千は同一真如性。」師が言った。「依稀として曲才ねんに聴くに堪う、また風に吹かれて別調の中に將らる。」問うた。「六根俱に泯びるに、なぜ理事明らかならないか。」師が言った。「どの処が明らかでないか。」言った。「そうなればすなわち理事俱に如。」師が言った。「前言は何れに在るか。」師は時に衆に謂うた。「およそ言句は応に須く渗漏を絶して始めて得べし。」時に僧が問うた。「どういうのが絶渗漏の句ですか。」師が言った。「お前の口は鼻孔に似る。」問うた。「どういうのが一法を証せざるですか。」師が言った。「言語の在るを待て。」言った。「どういうのが諸法を証するですか。」師が言った。「何を酔うか。」
襄州廣德周禪師。僧問。見話不學時如何。師曰。遍界沒聾人誰是知音者。曰如何是知音者。師曰。斷絃續不得歷劫響冷冷。僧問。承教有言。阿逸多不斷煩惱不修禪定。佛記此人成佛無疑。此理如何。師曰。鹽又盡炭又無。曰鹽盡炭無時如何。師曰。愁人莫向愁人道。向道愁人愁殺人。
師は時に衆に謂うた。「ただ山僧がそう彼の諸上座に對するがごとき、どう体会するか。まさに真実に相為るか。まさに正しくそうなる時、証すべき一法なしか。まさに彼の来る処を識るか。まさに全体顕露か。錯って会するなよ。かくのごとき見解は依草附木と喚び、佛法とは天地懸隔だ。假令え答話の簡辯懸河のごとくなるも、ただ個の顛倒の知見を成し得るのみ。もしただ答話の簡辯を貴ぶのみならば何の難かあらん。ただ恐らくは人に益なく、翻って賺誤を成さん。ごとき上座の從前学んだ所の、簡辯の問答・記持し説く道理は極めて多い。なぜ心疑息まないか。古聖の方便を聞いて特に会せざるは、ただ虚多く実少なきが為だ。上座は脚跟の下より一時に觑破して看るに如かず、どんな道理か、多少の法門あるか。上座の為に疑を作して解を求めば、始めて從前学んだ事は、ただ生死の根源・陰界裏の活計を知るのみと知らん。ゆえに古人は道う、見聞は脱せず水裏の月のごとしと。無事珍重。」師に偈ありて衆に示して曰く、
通玄の峯頂は人間に非ず、心外に法なし、
满目の青山。
吉州青原山行思禪師第九世上
師は後に般若寺にて堂を開き法を説くこと十二会。第一会、師が初めて堂を開く日、衆に示して言った。「一毛は海を呑みて海性虧けず。纖芥は鋒に投じて鋒利動かず。見ると見ざると、会すると会せざると、唯だ我のみ知る。」乃ち頌ありて曰く、
金陵清涼文益禪師法嗣上三十人
高峰を暫く下りて已に顕揚す、般若円通十方に遍し。
天台山德韶國師
人天浩浩として差別なく、法界縦横として処々に彰る。
杭州報恩寺慧明禪師
珍重。師が堂に昇る日、僧が問うた。「古に言があると承る。もし人般若を見れば則ち般若に縛られ、もし人般若を見ざればまた般若に縛らると。すでに般若を見るに、なぜ却って縛られん。」師が言った。「お前は般若が何を見ると道うか。」学人が言った。「般若を見ざればなぜ却って縛られん。」師が言った。「お前は般若がどの処を見ぬと道うか。」また言った。「もし般若を見れば般若と名づけず、般若を見ざればまた般若と名づけず。般若はさあどう見る見ざるを説くか。ゆえに人は道う、もし一法を欠けば法身を成さず、もし一法を剩えば法身を成さず、もし一法あれば法身を成さず、もし一法なければ法身を成さずと。これは般若の真宗、諸上座。」また僧が問うた。「凝峰の丈室を乍ち離れ、般若の道場に坐しに来る。今日の家風、師に一句を請う。」師が言った。「お前のどの処を虧くか。」学人が言った。「そうなればすなわち雷音震動して乾坤の地、人人尽く恩に沾らざるは無し。」師が言った。「幸いにいまだ会せず、且く頭を探るな。頭を探れば則ち中らず。諸上座、相共に証明して法をして国土に久住し安楽ならしめよ。珍重。」第二会、師が上堂して僧が問うた。「教に言があると承る。歸源の性に二無く、方便に多門ありと。どういうのが歸源の性ですか。」師が言った。「お前が問い我が答える。」学人が言った。「どういうのが方便の門ですか。」師が言った。「お前が答え我が問う。」学人が言った。「どう趣向しますか。」師が言った。「顛倒して何をする。」また僧が問うた。「一身は則ち無量身、無量身は則ち一身。どういうのが無量身ですか。」師が言った。「一身。」学人が言った。「そうなればすなわち昔日の霊山、今来親しく睹る。」師が言った。「理は当に行ずべし。」また言った。「三世の諸仏は一時に上座を証明す。上座はさあどう会するか。もし会する時は遷らず、絲毫も移易を得るなし。何をもっての故にか。過去未来現在の三際はこれ上座、上座は且つ三際に非ざるが為だ。沢霖の大海は滴々皆満ち、一塵の空性は法界を全く収む。珍重。」第三会、師が上堂して僧が問うた。「四衆雲集して人天恭敬す。尊顔を目睹す、願わくは般若を宣べよ。」師が言った。「分明に記取せよ。」学人が言った。「師が妙法を宣べれば国王万歳、人民安楽。」師が言った。「誰がお前に道ったか。」学人が言った。「法爾然るがごとし。」師が言った。「お前は霊利だ。」また僧が問うた。「三世の諸仏は有るを知らず、狸奴白牯は却って有るを知る。すでに三世の諸仏、なぜ却有るを知らざるか。」師が言った。「却是お前が有るを知る。」学人が言った。「狸奴白牯はなぜ却って知るか…」
漳州羅漢智依大師
(師が続けて言う。)「事通ぜざるなく、理備わらざるなし。良に一切の言語、一切の三昧の横竪・深浅・隱顯・去来は、これ諸仏の実相の門。ただ如今に據りて一時に驗取せよ。珍重。」第四会、師が上堂して挙げた。古人は言った。「どういうのが禅、三界綿綿。どういうのが道、十方浩浩。」なにによって三界綿綿と道うか。どの処が十方浩浩の道理か。会せんと要するか。眼を塞ぎ耳を塞ぎ舌身意を塞げ。空闕の処なく轉動の処なし。上座はどう会するか。横にも得ず竪にも得ず、縦にも得ず奪にも得ず。心を用いる処なく施設する処もなし。もしかくのごとく会得すれば始めて法門絶擇を会し、一切言語の渗漏を絶す。かつて一僧あって問うた。「どうするが絶渗漏の語か。」彼に向かって説く、「口は鼻孔に似て甚だ好し、上座。かくのごとく会せば自然に風を通さずして去る。もし尽十方世界は金剛の眼睛と識得するがごとき。無事珍重。」第五会、師が上堂して僧が問うて言った。「天下太平、大王長寿。どういうのが王ですか。」師が言った。「日曉け月皎し。」学人が言った。「どう領会しますか。」師が言った。「誰が学人か。」また言った。「天下太平、大王長寿。国土豊楽にして諸の患難無し。これは仏語、古は今を易えず、一言を遷さず。もって古を定め今を定むべし。会取せよ、諸上座。」また僧が問うた。「古に言があると承る。物有りて天地に先だち、形無くして本寂寥と。どういうのが物有りて天地に先だつか。」師が言った。「同合に非ず。」学人が言った。「どういうのが形無くして本寂寥ですか。」師が言った。「誰が天地に先だつを問うか。」学人が言った。「そうなればすなわち静かなる林間に随いて独り游ぶ。」師が言った。「乱道して何をする。」また言った。「佛法はこの道理に非ず。会せんと要するか。言発れど声色の前に物せず、始めて会す。天下太平、大王長寿。久立珍重。」第六会、師が上堂して衆に示して言った。「佛法は現成し一切具足す。古人は道う、太虚に同じく円なり、欠けるもなく余るもなしと。もしこのようであれば、さあ誰が欠け誰が剩え、誰が是で誰が非か。誰が会する者か、誰が会せざる者か。ゆえに道う、東に去るもまた上座、西に去るもまた上座、南に去るもまた上座、北に去るもまた上座。上座はなにによって東西南北を成し得るか。もし会得すれば自然に見聞覚知の路絶え、一切の諸法が現前す。何の故にかくのごとしか。法身は無相にして触目皆形だからだ。般若は無知にして縁に對して照らす。一時に徹底して会取せよ。諸上座、出家児はどう合作すべきか。これは本有の理にして分外に為らず。心を識り本原に達すれば故に沙門と号す。もし心を識ること皎皎たれば、実に絲毫の障礙なし。上座、久立珍重。」第七会、師が上堂して僧が問うた。「無為の海に入らんと欲すれば先ず般若の船に乗れ。どういうのが般若の船ですか。」師が言った。「常に住する所なし。」「どういうのが無為の海ですか。」師が言った。「且く般若の船を会せよ。」また僧が問うた。「古德に云う。」
金陵章義道欽禪師
(僧が続けて問うた:)天に登るに梯を借らず、地に遍く行路無し。どういうのが天に登るに梯を假らざるですか。」師が言った。「絲髪の地を遺さず。」学人が言った。「どういうのが地に遍く行路無しですか。」師が言った。「適來お前に向かい何と道った。」師また言った。「百千の三昧門・百千の神通門・百千の妙用門、盡く般若の海中より出で得ず。何の故ぞ、無住の本に於て諸法を建立するが為。所以に道う、生滅去來・邪正動靜・千變萬化は、是れ諸佛の大定門、此に過ぐる無しと。諸上座、大家究取して佛法の壽命を增して珍重あれ。」第八の會に師が上堂すると僧有りて問うた。「世尊に正法眼有りて摩訶迦葉に付囑す。ただ迦葉の賓鉢羅窟に在るがごときは、未だ何人に付囑するかを審らかにせず。」師が言った。「我を教えて誰に向かって説かしめん。」学人が言った。「そうであれば即ち靈山の付囑は今日と異ならず。」師が言った。「お前は什麼の處に靈山を見た。」また僧が問うた。「淨慧の寶印は和尚が親く傳えた。未だ今日の一會は當に何人に付すべきか審らかにせず。」師が言った。「鼕鼕の鼓、一頭を打てば兩頭鳴る。」学人が言った。「そうであれば即ち千聖は儔を同じくし古今異ならず。」師が言った。「禅河は浪靜かなれど水を尋ねて源に迷う。」また僧の清遇が言った。「帝王の請命に師は王恩に赴く。般若の會中に師の擧唱を請う。」師が言った。「分明に記取せよ。」学人が言った。「そうであれば即ち雲臺寶網が同じく妙音を演ぶ。」師が言った。「清遇は何處に在る。」学人が言った。「法王の法は是のごとし。」師が言った。「阿誰か證明する。」また言った。「靈山の付囑は分明なり、諸上座は一時に驗取せよ。もし驗得せばさらに別の理無し、ただ是れ如今なり。譬えば太虛に日明かり雲暗く、山河大地一切の有為世界は悉く皆明かに現ず、乃至無為もまた復是のごとし。世尊の付囑は今に迄りて、並びに絲毫の差別無し、さらに阿誰に付せん。所以に祖師が道う、心は自ら本來の心、本心は有法に非ず、法法に本心有り、心に非ず本法に非ず。此れ是れ靈山付囑の榜樣(底本は「牓樣」)。諸上座は徹底して會取せば好し、虛しく時光を度る莫れ。國王の恩は報い難し、諸佛の恩は報い難し、父母師長の恩は報い難し、十方施主の恩は報い難し。況んや建置是のごとき次第に佛法興隆する、國王の恩力に非ざれば焉んぞ此のごとくなるを得んや。もし恩を報いんと要せば、應に須らく道眼を明徹し般若の性海に入りて始めて得。久しく立たれり、珍重。」第九の會に師が上堂すると僧有りて問うた。「先德に云うを承く、人空すれば法も亦た空なり、二相は本來同じと。どういうのが二相本來同じですか。」師が言った。「山河大地。」学人が言った。「會せず、師の方便を乞う。」師が言った。「什麼の處が是れ方便ならざる處ぞ。」また僧が問うた。「教に言有るを承く、心清淨なるが故に法界清淨なりと。どういうのが清淨心ですか。」師が言った。「迦陵頻伽の共命の鳥。」学人が言った。「心と法界とは一か二か。」師が言った。「お前は自ら問うべし、別人が問う。」師また言った。「大道は廓然として詎ぞ今古に齊う、名無く相無きが是れ法是れ修。」
金陵報恩匡逸禪師
(師が続けて言う。)「良に法界は辺なく心もまた際なし。事は彰らざるなく、言は顯れざるなし。かくのごとく会得すれば般若と喚ぶ。現前の理極まりて真際に同じ、一切の山河大地・森羅万象・牆壁瓦礫、並びに絲毫の亏闕を得るなし。無事久立珍重。」第十会、師が上堂して僧が問うた。「師に言があると承る。九天は玉印を擎げ、七仏は前心を兆すと。どういうのが印ですか。」師が言った。「文を露わさず。」「どういうのが心ですか。」師が言った。「お前の名は安嗣。」また言った。「法界の性海は函のごとく盖のごとく鈎のごとく鎖のごとし。金と金色とのごとく、位位皆齊しく纖毫の参差なく、相い混滥せず。一に非ず異に非ず、同に非ず別に非ず。もし実地に歸して去れば法法皆到底する。ここに上りて個の如何若何を問えば則ち是、問わざる時は便ち非、というのではない。長連床に坐する時は有り、坐せざる時は無し。ただ諸方の老宿の言教の世に在ること恒河沙のごとし。如来の一大蔵経は巻巻皆仏理を説き、句句尽く仏心を言う。なにによって会し去ることを得ざるか。もし一に言教に纖絡し意識に解会せば、假令え上座が塵沙劫を経るも能く徹を得ず。これを顛倒の知見・識心の活計と喚び、並びに得力の処なし。これは概ね根脚下の明らかならざるが為だ。もし諸仏の法源を究尽せば、河沙の大蔵は一時に現前し、絲毫を欠かず絲毫を剩えず。諸仏は時々に世に出で、時々に法を説き人を度す。かつて間歇せず。乃至猿の啼き鳥の叫び、草木叢林も常に上座の発機を助く。いまだ一時として上座の為ならざるなし。かくのごとき奇特の処有り、可惜すべし。諸上座、大家で究取し、法をして世間に久住せしめ、人天の寿命を増益し、国王安楽無事ならしめよ。久立珍重。」第十一会、師が上堂し、古人が言ったを挙げた。「吾に一言有り。天上人間、もし人会せざれば緑水青山。さあどうするが一言の道理か。古人の語は須く曉達して始めて得べし。もし言を將て言に名づけば、いまだ個の会する処あらず。良に諸法の根蒂を究尽して、始めて一言を会す。一言半句の思量解会をもって一言と喚ぶに非ず。もし言語道断・心行処滅を会せば、始めて古人の境界に到る。また目を閉じ睛を蔵し、暗く睹て見る所なしをもって言語道断と喚ぶに非ず。且く賺会するな。佛法はこの道理に非ず。会せんと要するか。假令え塵沙劫を経て説くも、またかつて半句の到る有らず。諸上座が塵沙劫を経て説かざるも、またかつて半句を欠少せず。応に須く徹底して会し去って始めて得べし。もしこのようであれば名言を斟酌するは空しく心力を労し、並びに用いる処なし。諸上座と相共に証明せん。後学初心は速やかに須く究取すべし。久立珍重。」第十二会、師が上堂して僧が問うた。「髑髏は常に世界を干し、鼻孔は家風を摩触す。どういうのが髑髏の常に世界を干すか。」師が言った。「さらに答話の在るを待て。」学人が言った。「どういうのが鼻孔の家風を摩触するか。」師が言った。
金陵報慈文遂導師
(師が続けて言う。)「時にまた一遍を挙げよ。」また僧が問うた。「一人は炬を執りて自らその身を尽くし、一人は冰を抱きて路に屍を横たう。この二人は阿誰が道を辨えるか。」師が言った。「遺さざる者。」学人が言った。「会せず、師に指示を乞う。」師が言った。「お前の名は敬新。」学人が言った。「いまだまた人証明する者あるかを審らかにせず。」師が言った。「ある。」学人が言った。「何人が証明するか。」師が言った。「敬新が証明する。」また僧が問うた。「牛頭がいまだ四祖に見えざる時はいかに。」師が言った。「異境の靈蹤、睹る者皆羨む。」僧がまた言った。「見る後はいかに。」師が言った。「さっきお前に何を道ったか。」また僧が問うた。「古に言があると承る。虚空を敲打すれば觳觳と鳴り、石人木人齊しく応諾す。六月に雪を降らせ落つること紛紛たり。これは如来の大円覺。どういうのが虚空を敲打するか。」師が言った。「崑崙奴が鐵袴を著て一棒を打てば一步を行く。」学人が言った。「そうなればすなわち石人木人齊しく応諾。」師が言った。「お前はまだ聞くか。」また言った。「諸仏の法門は時常かくのごとし。譬えば大海の千波万浪、かつて暫く住せず、かつて暫く有せず、かつて暫く無せず。浩浩として光明自在なり。一毛端に三世を宗とし、一念に古今を円かにす。応に須く徹底して明達して始めて得べし。一則の語を問い一転の話を記え、巧みに道理を作し、風雲水月の四六八對をもって佛法に便当するに非ず。自ら賺るな、諸上座、究竟に益なし。もし徹底して会し去れば実に隱蔵すべきなく、刹として彰らざるなく、塵として現ぜざるなし。直ちに下って凡夫の位は諸仏に齊しく、絲毫の気力を用いず。一時に会取せよ。無事久立珍重。」開寶四年辛未、華頂の西峯が忽ち摧れ、声は一山に震えた。師が言った。「吾は久しからざらん。」明年六月、大星が峯頂に隕ちて林木は白と変じた。師は乃ち蓮華峯に示疾し、参問は常のごとし。二十八日、衆を集めて別れを言い、跏趺して逝した。寿八十二、臘六十五。
漳州羅漢守仁禪師
杭州報恩寺の慧明禅師。姓は蔣氏。幼くして出家し三学精練し、志は玄旨を探らんとす。乃ち南の闽越の間に游び、諸の禅会を歴るも本心与契わず。後に臨川に至り浄慧禅師に謁す。師資道合した。尋いで鄞水の大梅山に回り庵居した。時に呉越の部内は禅学者盛んなりといえども、玄沙の正宗をもって閫外に置く。師は整え導かんと欲した。ある日二禅客が到った。師が問うて言った。「上座はどの処を離れたか。」言った。「都城。」師が言った。「上座が都城を離れてこの山に到れば、則ち都城は上座を欠きこの山は上座を剩える。剩えば心外に法あり、欠けば心法周からず。道理を説き得れば則ち住せよ、会せざれば則ち去れ。」その二禅客は対える能わず。新到の僧が問うた。「どういうのが大梅の主ですか。」師が言った。「闍梨は今日どの処を離れたか。」僧は對なし。師は尋いで天臺山の白沙に遷り庵を卓した。時に朋彦上座あり、博学強記にして師を訪い宗乗を敵論した。師が言った。「言多ければ道を去ること遠し。今事有りて借問す。ただ從上の諸聖および諸の先德に、まだ悟らざる者あるか。」朋彦が言った。「もし諸聖先德ならば、豈に悟る者あらざらんや。」師が言った。「一人真を発して源に歸れば十方の虚空悉く皆消殞す。今天臺山は嶷然たり。どう消殞し去るを得るか。」朋彦は措く所を知らず。これより他宗の泛学の来る者は皆服膺した。漢の乾祐の中、呉越忠懿王が王府に延き入れて法を問い、資崇院に住せしめた。師は玄沙宗一大師および地藏・法眼の宗旨の臻極を盛んに談じた。王は因りて翠巖の令参等の諸禅匠および城下の名公に命じてその勝負を定めしめた。天龍禅師が問うて言った。「一切の諸仏および佛法は皆この経より出づ。いまだこの経は何れより出づるかを審らかにせず。」師が言った。「何を道うか。」天龍が方に再び問わんとす。師が言った。「過ぎ。」資嚴長老が問うた。「どういうのが現前の三昧ですか。」師が言った。「まだ聞くか。」言った。「某甲は聾を患えず。」師が言った。「果して聾を患える。」師は雪峰の塔銘を挙げて老宿に問うた。「夫れ縁より有る者は始終して成壞す。縁より有らざる者は劫を歴て長く堅し。堅と壞とは則ち且く置く。雪峰は只今どの処に在るか。」(法眼は別に言う。「只今は成か壊か。」)衆皆對なし。設え對する者あるもまたその徵詰に当る能わず。時に群彦弭伏した。王大いに悦び師に居るを命じ、円通普照禅師と署した。師が上堂して衆に謂うた。「諸人はまだ委ね得るか。語默動静は佛事に非ざるなしと道うな。且く錯って会するな。」僧が問うた。「どういうのが祖師西来の意ですか。」師が言った。「お前はまだ香臺を見るか。」言った。「某甲はいまだ会せず、師に指示を乞う。」師が言った。「香臺も識らず。」問うた。「目前の機を離れ却きて、どういうのが西来の意ですか。」師が言った。「お前は何ぞ問わざる。」言った。「そうなればすなわち委ねて是れ去る。」師が言った。「また虚しく施す。」問うた。「どういうのが佛法の大意ですか。」師が言った。「我が見るに灯明仏の本光は瑞ことごとくこのよう。」
杭州永明寺道潛禪師
問うた。「どういうのが学人の自己ですか。」師が言った。「特に申問するとは何の意か。」問うた。「どういうのが西来の意ですか。」師が言った。「十万八千真の跋涉、直ちに西より来たりて東に至らず。」問うた。「どういうのが第二月ですか。」師が言った。「目を捏して華を看れば華数朵、精を明らめて樹を見れば幾枝枝。」
撫州黃山良匡禪師
漳州羅漢の宣法大師智依。師が上堂して言った。「尽十方世界に一微塵許りの法もあなたに見聞覚知を作して与えるなし。まだ信ずるか。然るにこのようと雖も、また須く悟って始めて得べし。將て等閑と為すな。道うを見ずや、単に自己を明らめて目前を悟らざる者、この人はただ一只眼を具すのみと。まだ会するか。」僧が問うた。「纖塵立たざるに、なぜ好醜が現前するか。」師が言った。「分明に記取し、別の処で人に問え。」問うた。「大衆雲集、誰が得る者か。」師が言った。「かつて失うたか。」問うた。「どういうのが仏ですか。」師が言った。「お前是れ。」行脚の僧が問うた。「どういうのが寶壽の家風ですか。」師が言った。「一任に観看せよ。」言った。「そうなればすなわち大衆に頼りあり。」師が言った。「お前はどうするか。」言った。「終に大衆を谩ることを敢えてせず。」師が言った。「少なきを嫌って何をする。」師が僧に問うた。「業を受けたのはどの処か。」言った。「仏蹟に在り。」師が言った。「仏はどの処に在るか。」言った。「どの処かそうでない。」師は拳を挙げ起して言った。「どうか。」言った。「和尚は收取せよ。」言った。「闍梨に七棒を放す。」師が僧に問うた。「今夏はどの処に在ったか。」言った。「無言上座の処に在り。」師が言った。「かつて彼に問訊したか。」言った。「かつて問訊した。」師が言った。「無言はどう問い得るか。」言った。「もし無言を得ればどの処か問い得ざる。」師はこれを喝して言った。「恰も老兄に問うに似たり。」師は彦端長老とともに餅を喫した。端が言った。「百種千般、その体は不二。」師が言った。「どうするが不二の体か。」端は餅を拈じ起して啖った。師が言った。「ただこれ百種千般。」端が言った。「また和尚の見る処。」師が言った。「お前もまた羅公詠の梳頭の樣だ。」師がまさに滅を示さんとして、乃ち衆に謂うた。「今晩四大和暢せず。雲騰り鳥飛び風動き塵起こり浩浩たり。まだ人治め得る者あるか。もし治め得れば永劫に相識らず。もし治め得なければ時時に常に我を見ん。」言い終わりて寂を告げた。
杭州靈隱清聳禪師
金陵鐘山の章義禅師道欽は太原の人。初め廬山栖賢に住した。師が上堂して言った。「道は遠きかな哉。事に触れて真なり。聖は遠きかな哉。之を体すれば神なり。我は尋常にお前に示す。なぜ衣鉢の下に向かい地に坐して直ちに参取しないか。須く上来して個の何を討らん。すでに上来すれば我は則ち事獲已せず。便ち古德の少許の方便を挙げ、些子の龜毛兎角を抖擻して解落せん。諸上座、省要を得んと欲するか。僧堂裏・三門下・寮舎裏で参取せよ。まだ会する処あるか否か。もし会する処あれば試しに説いてみよ。上座に証明を与えん。」僧が問うた。「どういうのが栖賢の境ですか。」師が言った。「栖賢にどんな境があるか。」問うた。「古人の椎を拈じ拂を竪てるは、まだ宗乗中の事に当るか。」師が言った。「古人は道い了んぬ。」問うた。「学人は創めて叢林に入る、和尚に指示を乞う。」師が言った。「一手は天を指し一手は地を指す。」江南国主が師に章義道場に居るを請うた。衆に示して言った。「総じてここに来て立って何をするか。善知識は河沙の数のごとく、常にお前と伴を為し、行住坐臥相い舎離せず。ただ長連床に穩やかに地に坐せば、十方の善知識は自ら参ず。上座は何ぞ信取せざる。如許多の難易を作すことを得ん。かの古聖は嗟きて今時の人の奈何しがたきを見て、乃ち説く。夫人情の感の久しきを傷むと。口は真に對して覚えず。これは乃ちお前の諸人が看るも知らざるを嗟くなり。さあ看るも何を知らざるか。なぜ古人の方便を体察せざるか。ただ信の及ばざるが為に此のごとくを致す。諸上座はただ佛法の中に心を留めれば得ざるなし。無事に道を体して去れ。」僧が問うた。「どういうのが西来の意ですか。」師が言った。「東せず西せず。」問うた。「百年の暗室を一燈が破る時はいかに。」師が言った。「谩語するな。」問うた。「佛法はまだ変異を受けるか否か。」師が言った。「上座是れ。」僧が問うた。「大衆雲集、師に宗旨を挙揚するを請う。」師が言った。「久し。」問うた。「どういうのが玄旨ですか。」師が言った。「玄にどんな旨があるか。」
金陵報恩玄則禪師
金陵報恩の匡逸禅師は明州の人。初め潤州慈雲に住した。江南国主が上院に居るを請い、凝密禅師と署した。ある日上堂して衆が集まった。師は大衆を顧視して言った。「依りて之を行えば則ち累無し。まだ信ずるか。太陽の赫奕として皎然たるがごとし。さらに思量するな。思量及ばず。設え思量の及ぶを得るも、分限の智慧と喚ぶ。先德の云うを見ずや、人は心無くして道に合し、道は心無くして人に合すと。人道すでに合すれば是れ無事の人と名づく。且つ自ら何によりて凡と為し、自ら何によりて聖と為すか。これもし未だ会せざれば、またただ迷情に覆わるるが為に便ち去ることを得ず。迷う時は則ち窒碍あり、對と為り待と為り種種不同なり。忽然として惺め去ればまた得る所なし。譬えば演若達多が影を認めて頭と為すがごとし。豈に頭を担いで頭を覓めるに非ずや。然るに正しく迷う時、頭は且つ失わず。及んで悟り去ればまた得と為さず。何をもっての故にか。人の迷を失と謂い、人の悟を得と謂う。得失は人に在りて、何ぞ動静に關らん。」僧が問うた。「諸仏は法を設けて普く群機を潤す。和尚が法を設けるは何人が聞くを得るか。」師が言った。「ただお前のみ聞かず。」問うた。「どういうのが報恩の一句ですか。」師が言った。「道って得るではないか。」問うた。「十二時の中、思量の到らざる処はどう行履するか。」師が言った。「お前は如今どの処に在るか。」問うた。「祖師の西来をどう挙唱するか。」師が言った。「請う所に違わず。」問うた。「どういうのが一句ですか。」師が言った。「我が答えはお前の挙げるに争い似ん。」問うた。「仏は一大事の因縁の為に世に出づ。いまだ和尚の出世はいかなるかを審らかにせず。」師が言った。「恰好。」言った。「そうなればすなわち大衆に頼りあり。」師が言った。「錯って会するな。」
金陵報慈行言導師
古人の骨は多く靈異。賢き子孫は密かに安置す。この一門は孝義を成す。人いまだ達せざれば差池する莫れ。須らく志を固くして狐疑を遣わすべし。安靜を得て傾危せず。向うれば即ち遠く、求めれば即ち離る。取れば即ち急ぎ、失えば即ち遲し。計較無くして覺知を忘る。濁流は今古の僞を識る。一刹那に變異を通ず。嵯峨の山石は火氣。內裏に發して巔巒を焚く(底本の末字は山に從う、未だ識らず、疑を存す)。遮欄無くして海底を燒く。法網は疏にして靈焰は細し。六月に臥して衣被を去る。蓋うるを得ず僞を假る無し。道人に達して祖意を唱う。我が師の宗は古來の諱。唯だ此人のみ善く安置す。法財足りて慚愧を具す。虛施せず用の處は諦なり。人の問う有れば呵氣を少し。さらに審らかに來りて米貴を説く。
金陵淨德智筠禪師
最後の語
高麗道峰慧炬國師
一つの語有り、全く規矩なり。思惟を休し、自ら許さず。路に道人に達するに逢えば、眉を揚げて來る處を省る。踏み著けざれば、疑慮多し。却りて看んと思えば、伴侶を帶ぶ。一生の參学の事は成る無く、殷勤に旃檀の樹を抱く。
金陵清涼泰欽禪師
暢玄と崔大夫
杭州寶塔寺紹巖禪師
達人は多く隱顯し、形儀を露わすを定めず。語の下に跡を遺さず、密密として潛かに護持す。容を動かして古路を揚げ、妙を明らめて乃ち方に知る。物に應ずるはただ施設、不思議なりと道う莫れ。
金陵報恩法安禪師
道場と城陰の行者に達す
撫州崇壽契稠禪師
理奧にして思量を絶つ、根を尋ぬれば径路長し。此に因りて隔闊を知り、封疆に封ぜらるるに那んかせん。人生は須らく特達すべし、起坐に馨香を覺ゆ。清淨の如来の子、安然として道場に坐す。
洪州雲居清錫禪師
薛判官に與う
洪州百丈道常禪師
一滴々の水、一焰々の火。水を飮む人は醉い、火に向かう人は老ゆ。飮まず向かわざれば、また安く臥すこと無し。弓箭を拗折し、射垛を踏み倒す。もし人知らんと要せば、先ず鈎錐を去れ。人須らく我に問わん、我は是れ阿誰ぞ。快く道え快く道え。
天台般若敬遵禪師
臨濡縣の行者に與う
廬山歸宗策真禪師
丈夫よ咄せ、久しく塵に埋もれり。我は今日に因りて山に入り來るを得たり。眉を揚げて我に示す、此に因りて眼開けり。老僧の手風、書く處は龍鍾。語の下に意有り、的に樊籠を出づ。
洪州同安紹顯禪師
旨を顯す
廬山棲賢慧圓禪師
遠きを思うて神儀奧なり、精虛に履踐通ず。見聞は影像を離れ、密際は前蹤を語る。意を得れば塵中の妙、機に投ずれば道容を露わす。明を藏して警覺を照らし、肯んじて真宗に達すべし。
洪州觀音從顯禪師
三句の後の意
廬州長安延規禪師
書き出づれば語多く虛なり。虛の中に有無を帶ぶ。却りて書の前に會せ。意中の珠を放卻せよ。
常州正勤希奉禪師
鄭郎中の問に答うる二首
洛京興善棲倫禪師
語中に跡を埋め、聲前に容を露わす。即時の妙會、古人と同じ風。響應して機宜に、自他の宗無し。騃蟒を诃起して、奮迅して龍と成る。
洪州新興齊禪師
語裏に筋骨を埋む。音聲は道容を染む。即時に才かに妙會す。拍手して乖龍に趁う。
