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景徳伝燈録巻第二十

宋 · 道原 · 第107巻 / 151

襄州鷲嶺明遠禪師初參長慶。長慶問曰。汝名什麼。師曰。明遠。慶曰。那邊事作麼生。師曰。明遠退兩步。慶曰。汝無端退兩步作麼。師無語。長慶代雲。若不退步爭知明遠。師乃喻旨。師住後僧問。無一法當前應用無虧時如何。師以手卓火。其僧因爾有悟。

襄州鷲嶺明遠禅師初め長慶を參ず。長慶問うて言った。「汝名什麼。」師は言った。「明遠。」慶は言った。「彼邊の事作么生。」師は言った。「明遠兩步を退く。」慶は言った。「汝無端に兩步を退きて什麼とする。」師語無し。長慶代わりて言った。「若し步を退かざれば争で明遠を知らん。」師乃ち旨を喻う。師住して後僧問うた。「一法の當前無く應用虧なき時如何。」師手を以て火を卓す。其の僧因りて爾に悟る有り。

杭州報慈院從瓌禪師福州人也。姓陳氏。少投石梯出家。初住越州稱心寺。後住茲院。僧問。古人有言。今人看古教未免心中鬧。欲免心中鬧。應須看古教。如何是古教。師曰。如是我聞。僧曰。如何是心中鬧。師曰。那畔雀兒聲。師開寶六年癸酉六月十四日辰時沐浴易衣。告門人付囑訖。右脇而逝。

杭州報慈院從瓌禅師は福州の人なり。姓は陳氏。少くして石梯に投じて出家す。初め越州稱心寺に住し、後に茲の院に住す。僧問うた。「古人に言有り、今人古教を看れば心中の鬧を免れず、心中の鬧を免れんと欲せば應に須く古教を看よと。如何に是れ古教。」師は言った。「如是の如く我聞く。」僧は言った。「如何に是れ心中の鬧。」師は言った。「彼畔の雀兒の聲。」師開寶六年癸酉六月十四日辰時、沐浴して衣を易え、門人に告げて付囑訖りて、右脅にして逝く。

杭州龍華寺契盈廣辯周智大師。本福州黃蘗山受業。於長慶領旨。住後僧問。如何是龍華境。師曰。翠竹搖風寒松鎖月。僧曰。如何是境中人。師曰。切莫唐突。問如何是三世諸佛道場。師曰。莫別瞻禮。僧曰。恁麼則亙古亙今。師曰。是什麼年中。問如何是黃蘗山主。師曰。謝仁者相訪。問如何是黃蘗境。師曰。龍吟瀑布水雲起翠微峰。

杭州龍華寺契盈廣辯周智大師。本は福州黃檗山にて受業す。長慶に於て旨を領す。住して後僧問うた。「如何に是れ龍華の境。」師は言った。「翠竹風を搖り、寒松月を鎖す。」僧は言った。「如何に是れ境中の人。」師は言った。「切に唐突する莫れ。」問うた。「如何に是れ三世諸佛の道場。」師は言った。「別に瞻禮する莫れ。」僧は言った。「恁么ならば則ち亘古亘今。」師は言った。「是れ什麼の年中ぞ。」問うた。「如何に是れ黃檗山主。」師は言った。「仁者の相訪を謝す。」問うた。「如何に是れ黃檗の境。」師は言った。「龍吟瀑布水、雲起こる翠微峯。

前杭州龍冊寺道怤禪師法嗣

前杭州龍册寺道怤禅師の法嗣

越州清化山師訥禪師僧問。十二時中如何得不疑不惑去。師曰好。僧曰。恁麼則得遇於師也。師曰。珍重。有僧來禮拜。師曰。子亦善問吾亦善答。僧曰。恁麼即大眾久立。師曰。抑逼大眾作什麼。問去卻賞罰如何是吹毛劍師曰。錢塘江裡好渡船。問如何是西來意。師曰。可殺新鮮。

越州清化山師訥禅師。僧問うた。「十二時中如何にして疑い惑わざる去るを得。」師は言った。「好し。」僧は言った。「恁么ならば則ち師に遇うことを得たるなり。」師は言った。「珍重。」僧有りて來りて禮拜す。師は言った。「子も亦善く問い吾も亦善く答う。」僧は言った。「恁么ならば即ち大衆久立す。」師は言った。「大衆を抑逼して什麼とする。」問うた。「賞罰を去却せば如何に是れ吹毛の劍。」師は言った。「錢塘江裏の好き渡船。」問うた。「如何に是れ西來意。」師は言った。「殺すべき新鮮。」

衢州南禪遇緣禪師。有俗士時謂之鐵腳。忽因騎馬。有僧問。師既是鐵腳為什麼卻騎馬。師曰。腰帶不因遮腹痛。幞頭豈是禦天寒。有俗官問。和尚恁後生為什麼卻為尊宿。師雲。千歲只言朱頂鶴。朝生便是鳳凰兒。師有時雲。此箇事得恁難道。有僧出曰。請師道。師曰。睦州溪苔錦軍石耳。

衢州南禪遇緣禅師。俗士有りて時に之を鐵脚と謂う。忽ち馬に騎るに因り、僧有りて問うた。「師既に鐵脚、為什麼却って馬に騎る。」師は言った。「腰帶腹痛を遮るに因らず、襆頭豈に天寒を禦ぐ是れや。」俗官有りて問うた。「和尚恁に後生にして為什麼却って尊宿と為る。」師は言った。「千歲只だ朱頂の鶴と言い、朝に生れ便ち是れ鳳凰の兒。」師時に說く。「此の箇の事得たり恁に道い難しと。」僧有りて出でて言った。「師に道わんことを請う。」師は言った。「睦州の溪苔錦、軍の石耳。」

復州資福院智遠禪師福州連江人也。童蒙出家。詣峽山觀音院法宣禪師落髮受具。給侍勤恪專於誦持。一日宣禪師謂曰。觀汝上根堪任大事。何不遍參而滯於此乎。師遂禮辭歷諸方。至越州鏡清禮順德大師。因問曰。如何是諸佛出身處。順德曰。大家要知。師曰。斯則眾眼難謾。順德曰。理能縛豹。師因此發悟玄旨。周顯德三年丙辰復州刺史率僚吏及緇黃千眾。請師於資福院開堂說法(時謂東禪院)僧問。師唱誰家曲宗風嗣阿誰。師曰。雪嶺峰前月鏡湖波裡明。問諸佛出世天雨四華地搖六動。和尚今日有何禎祥。師曰。一物不生全體露。目前光彩阿誰知。問如何是直示一句。師曰。是什麼。師又曰。還會麼。會去即今便了。不會塵沙算劫。只據諸賢分上。古佛心源明露現前。匝天遍地森羅萬象自己家風。佛與眾生本無差別。涅槃生死幻化所為。性地真常不勞修證。師又曰。要知此事當陽顯露。並無寸草蓋覆。便承當取最省心力。師如是為眾涉於二十二載。太平興國二年丁丑九月十六日聲鍾辭眾。至二十七日辰時恬然坐化。壽八十三。臘六十三。

復州資福院智遠禅師は福州連江の人なり。童蒙にして出家す。峽山觀音院法宣禅師に詣りて落髮受具す。給侍勤恪にして誦持に專らす。一日宣禅師謂いて言った。「汝が上根を觀るに大事に任ずるに堪えたり。何ぞ遍く參せずして此に滯する乎。」師遂に禮して辭し諸方を歷る。越州鏡清に至り順德大師に禮す。因りて問うて言った。「如何に是れ諸佛の出身の處。」順德が言った。「大家須く知るべし。」師は言った。「斯れ則ち衆眼谩し難し。」順德が言った。「理能く豹を縛る。」師此に因りて玄旨を發悟す。周顯德三年丙辰、復州刺史僚吏及び緇黃千衆を率い、師を資福院に請いで堂を開き法を說かしむ(時に東禪院と謂う)。僧問うた。「師は誰家の曲を唱い、宗風は阿誰に嗣ぐ。」師は言った。「雪嶺峯前の月、鏡湖波裏に明らかなり。」問うた。「諸佛世に出でて天四華を雨らし地六動を搖る。和尚今日何の禎祥か有る。」師は言った。「一物生ぜず全體露われ、目前の光彩阿誰か知る。」問うた。「如何に是れ直示の一句。」師は言った。「是れ什麼ぞ。」師又言った。「還って會するか。會し去れば即今便ち了り、會せざれば塵沙の算劫。只だ諸賢の分上に據れば、古佛の心源明露現前、天を匝い地を遍くして森羅萬象自己の家風。佛と衆生本より差別無し。涅槃生死幻化の所為。性地真常、修證を勞せず。」師又言った。「此の事を知らんと要せば當陽顯露し、并びて寸草の蓋覆無し。便ち承當し取れば最も心力を省く。」師是くの如く衆と為に二十二年を涉る。太平興國二年丁丑九月十六日、鐘を聲して衆に辭す。二十七日辰時に至り恬然として坐化す。壽八十三、臘六十三。

前漳州報恩院懷嶽禪師法嗣

前漳州報恩院懷岳禅師の法嗣

潭州妙濟院師浩傳心大師。曾住郴州香山。僧問。擬即第二頭不擬即第三首。如何是第一頭。師曰收。僧問。古人斷臂當為何事。師曰。我寧可斷臂。問如何是學人眼。師曰。須知我好心。問如何是香山劍。師曰異。僧曰。還露也無。師曰。不忍見。問如何是松門第一句。師曰。切不得錯舉。問如何是妙濟家風。師曰。左右人太多。問如何是佛法大意。師曰。兩口無一舌。問如何是香山一路。師曰。滔滔地。僧曰。到者如何。師曰。息汝平生。問如何是世尊密語。師曰。阿難亦不知。僧曰。為什麼不知。師曰。莫非仙陀。問如何是香山寶。師曰。碧眼胡人不敢定。僧曰。露者如何。師曰。龍王捧不起。因僧舉。聖僧塑像被虎咬乃問師。既是聖僧為什麼被大蟲咬。師曰。疑殺天下人。問如何是無慚愧底人。師曰。闍梨合吃棒。

潭州妙濟院師浩傳心大師。曾て郴州香山に住す。僧問うた。「擬せば即ち第二頭、擬せざれば即ち第三首。如何に是れ第一頭。」師は言った。「收めよ。」僧問うた。「古人臂を斷るは當に何の事と為すべき。」師は言った。「我寧ろ臂を斷らん。」問うた。「如何に是れ學人の眼。」師は言った。「須く我が好心を知るべし。」問うた。「如何に是れ香山の劍。」師は言った。「異なり。」僧は言った。「還って露わるるか無し。」師は言った。「見るに忍びず。」問うた。「如何に是れ松門の第一句。」師は言った。「切に錯りて舉ぐるを得ず。」問うた。「如何に是れ妙濟の家風。」師は言った。「左右の人太だ多し。」問うた。「如何に是れ佛法の大意。」師は言った。「兩口一舌無し。」問うた。「如何に是れ香山の一路。」師は言った。「滔滔地なり。」僧は言った。「到る者如何。」師は言った。「汝の平生を息めよ。」問うた。「如何に是れ世尊の密語。」師は言った。「阿難も亦知らず。」僧は言った。「為什麼知らざる。」師は言った。「仙陀なる莫れ。」問うた。「如何に是れ香山の寶。」師は言った。「碧眼の胡人敢えて定めず。」僧は言った。「露わるる者如何。」師は言った。「龍王捧げて起たず。」僧の舉ぐるに因り、聖僧の塑像虎に咬まる、乃ち師に問うた。「既に聖僧、為什麼大蟲に咬まるる。」師は言った。「天下人を疑い殺す。」問うた。「如何に是れ慚愧無き底の人。」師は言った。「闍梨棒を喫するに合す。」

前福州鼓山神晏國師法嗣

前福州鼓山神晏國師の法嗣

杭州天竺山子儀心印水月大師溫州樂清縣人也。姓陳氏。初遊方謁鼓山。因問曰。子儀三千里外遠投法席。今日非時上來乞師非時答話。鼓山曰。不可鈍置仁者。師曰。省力處如何。鼓山曰。汝何費力。師自此承言領旨。便往浙中。錢忠懿王聆其道譽。命開法於羅漢光福二道場。海眾臻湊。師上堂示眾曰。久立大眾。更待什麼不辭展拓。卻恐誤於禪德。轉迷歸路時寒珍重。僧問。如何是從上來事。師曰住。僧曰。如何薦。師曰。可惜龍頭翻成蛇尾。有僧禮拜起將問話。師曰。如何且置。其僧乃問。只如興工之子。還有相親分也無。師曰。只待局終不知柯爛。問如何是維摩默。師曰謗。僧曰。文殊因何讚。師曰。同案領過僧曰。維摩又如何。師曰。頭上三尺巾手裡一枝拂。問如何是諸佛出身處。師曰。大洋海裡一星火。僧曰。學人不會。師曰。燒盡魚龍。問丹霞燒木佛意旨如何。師曰。寒即圍鑪向猛火。僧曰。還有過也無。師曰。熱即竹林溪畔坐。問如何是法界義宗。師曰。九月九日浙江潮。問諸餘即不問。如何是光福門下超毘盧越釋迦底人。師曰。諸餘奉衲。僧曰。恁麼即平生慶幸去也。師曰。慶幸事作麼生。其僧罔措。師喝之。師將下堂。僧問下堂一句乞師分付。師曰。攜履已歸西國去。此山空有老猿啼。問鼓山有掣鼓奪旗之說師且如何。師曰。敗將不忍誅。僧曰。或遇良將又如何。師曰。念子孤魂賜汝三奠。問世尊入滅當歸何所。師曰。鶴林空變色真歸無所歸。僧曰。夫子必定何之。師曰。朱實殞勁風繁英落素秋。僧曰。我師將來復歸何所。師曰。子今欲識吾歸處。東西南北柳成絲。問如何修行即得與道相應。師曰。高捲吟中箔濃煎睡後茶。師迴故里。雍熙三年示滅。門人闍維收舍利建塔。

杭州天竺山子儀心印水月大師は溫州樂清縣の人なり。姓は陳氏。初め方に游びて鼓山を謁す。因りて問うて言った。「子儀三千里の外より遠く法席に投ず。今日時に非ずして上來、師に時に非ざるの答話を乞う。」鼓山が言った。「仁者を鈍置すべからず。」師は言った。「省力の處如何。」鼓山が言った。「汝何の力を費やす。」師自此言を承りて旨を領し、便ち浙中に往く。錢忠懿王其の道譽を聆き、羅漢光福の二道場に法を開くを命ず。海衆臻湊す。師上堂して衆に示して言った。「久しく立つ大衆、更に什麼を待たん、展拓を辭せず。却って禪德を誤らんを恐る、迷い轉じて歸路時寒珍重。」僧問うた。「如何に是れ從上來の事。」師は言った。「住。」僧は言った。「如何に薦せん。」師は言った。「惜しむ可し龍頭翻りて蛇尾と成る。」僧有りて禮拜して起きて話を問わんと將す。師は言った。「如何且く置け。」其の僧乃ち問うた。「只だ如く工を興すの子、還って相親の分有るか無し。」師は言った。「只だ局の終わるを待ちて柯の爛れたるを知らず。」問うた。「如何に是れ維摩の默。」師は言った。「謗。」僧は言った。「文殊因何に贊す。」師は言った。「同案領過。」僧は言った。「維摩又いかん。」師は言った。「頭上三尺の巾、手裏一枝の拂。」問うた。「如何に是れ諸佛の出身の處。」師は言った。「大洋海裏の一星の火。」僧は言った。「學人會せず。」師は言った。「魚龍を燒盡す。」問うた。「丹霞の木佛を燒くの意旨如何。」師は言った。「寒ければ即ち爐に圍みて猛火に向かえ。」僧は言った。「還って過有るか無し。」師は言った。「熱ければ即ち竹林溪畔に坐せ。」問うた。「如何に是れ法界の義宗。」師は言った。「九月九日浙江の潮。」問うた。「諸餘は即ち問わず、如何に是れ光福門下の毘盧を超え釋迦を越ゆる底の人。」師は言った。「諸餘衲に奉ず。」僧は言った。「恁么ならば即ち平生慶幸して去るなり。」師は言った。「慶幸の事作么生。」其の僧罔措す。師之を喝す。師將に堂を下らんとす。僧問うた。「堂を下るの一句、師の分付を乞う。」師は言った。「履を携えて已に西國に歸り去り、此の山空しく老猿の啼く有り。」問うた。「鼓山に鼓を掣し旗を奪うの說有り、師且く如何。」師は言った。「敗將誅するに忍びず。」僧は言った。「或いは良將に遇わば又如何。」師は言った。「子の孤魂を念いて汝に三奠を賜う。」問うた。「世尊入滅せば當に何の所に歸すべき。」師は言った。「鶴林空しく色を變え、真歸歸る所無し。」僧は言った。「夫子必定何れに之く。」師は言った。「朱實勁風に殞ち、繁英素秋に落つ。」僧は言った。「我が師將來復た何の所に歸らん。」師は言った。「子今吾が歸處を識らんと欲せば、東西南北柳絲と成る。」問うた。「如何に修行すれば即ち道と相應することを得。」師は言った。「高く吟中の箔を卷き、濃く睡後の茶を煎ぜよ。」師故里に回る。雍熙三年に滅を示す。門人闍維して舍利を收め塔を建つ。

建州白雲智作真寂禪師永貞人也。姓朱氏。容若梵僧。禮鼓山國師披剃。二十四具戒。一日鼓山上堂召大眾。眾皆迴眸。鼓山披襟示之。眾罔措。唯師朗悟厥旨入室印證。又參次鼓山召令近前。問南泉喚院主意作麼生。師斂手端容退立而已。鼓山莞然奇之。自爾遊吳楚卻復閩川。初住南峰次住建州白雲院。師上堂曰。還有人向宗乘中致得一問麼。待山僧向宗乘中答。時有僧禮拜才起。師便歸方丈。問如何是枯木裡龍吟。師曰。火裡蓮生。僧曰。如何是髑髏裡眼睛。師曰。泥牛入水。問如何是主中主。師曰。汝還具眼麼。僧曰。恁麼即學人歸堂去也。師曰。猢猻入布袋。問如何是延平津。師曰。萬古水溶溶。僧曰。如何是延平劍。師曰。速須退步。僧曰。未審津與劍是同是異。師曰。可惜許漢。乾祐二年已酉江南國主李氏延居奉先。賜紫衣師名。上堂升坐眾鹹側聆。師曰。相謾去也還知得麼。可不聞昔日靈山多少士眾。只道迦葉親聞。今日叨奉恩命俾揚宗教。不可異於靈山也。既不異靈山。諸仁者作麼生相體悉。也莫泥他古今。但彼此著些精彩。大家驗看是什麼。僧問。靈山一會不異而今。未審親聞底事如何。師曰。更舉。曰恁麼即人天有賴。師曰。闍梨且作麼生。問賢王請命大展法筵。祖嗣西來如何指示。師曰。分明記取。曰終不敢孤負和尚。師曰。也未在。僧問如何是奉先境。師曰。一任觀看。僧曰。如何是境中人。師曰。莫無禮。問如何是奉先家風。師曰。即今在什麼處。僧曰。恁麼即大眾有賴也。師曰。關汝什麼事。問如何是為人一句。師曰。不是奉先道不得。

建州白雲智作真寂禅師は永貞の人なり。姓は朱氏。容梵僧の若し。鼓山國師に禮して披剃す。二十四にして戒を具す。一日鼓山上堂して大衆を召す。衆皆眸を回らす。鼓山襟を披きて之を示す。衆罔措す。唯だ師朗かに厥の旨を悟り室に入りて印證す。又參する次、鼓山召して近前せしめ、南泉の院主を喚ぶの意作么生を問う。師手を斂め容を端にして退立するのみ。鼓山莞然として之を奇とす。自ら爾より吳楚に游び、却って復た閩川に復る。初め南峯に住し、次いで建州白雲院に住す。師上堂して言った。「還って人宗乘中に向かいて一問を致し得る者有るか。山僧が宗乘中に向かいて答えんを待て。」時に僧禮拜して纔に起つ。師便ち方丈に歸る。問うた。「如何に是れ枯木裏の龍吟。」師は言った。「火裏蓮生ず。」僧は言った。「如何に是れ髑髏裏の眼睛。」師は言った。「泥牛水に入る。」問うた。「如何に是れ主中の主。」師は言った。「汝還って眼を具するか。」僧は言った。「恁么ならば即ち學人堂に歸り去るなり。」師は言った。「猢猻布袋に入る。」問うた。「如何に是れ延平の津。」師は言った。「萬古水溶溶たり。」僧は言った。「如何に是れ延平の劍。」師は言った。「速に須く步を退くべし。」僧は言った。「未審津と劍是れ同か是れ異か。」師は言った。「可惜許の漢。」乾祐二年己酉、江南國主李氏延びて奉先に居らしめ、紫衣師名を賜う。(底本は「已酉」と作す、當に「己酉」と為すべし)上堂して坐に升り衆咸く側聆す。師は言った。「相谩して去るなり、還って知り得るか。聞かざる可しや、昔日靈山幾多の士衆、只だ迦葉親聞を道うと。今日恩命を叨奉して宗教を揚ぐるを俾す。靈山に異なるべからざるなり。既に靈山に異ならず、諸の仁者作么生相體悉せん。も他の古今に泥む莫れ。但だ彼此些子の精彩を著け、大家驗き看よ、是れ什麼ぞ。」僧問うた。「靈山の一會而今と異ならず。未審親聞の底の事如何。」師は言った。「更に舉げよ。」言った。「恁么ならば即ち人天賴る有り。」師は言った。「闍梨且く作么生。」問うた。「賢王命を請いて大く法筵を展ぶ。祖嗣西來如何に指示せん。」師は言った。「分明に記取せよ。」言った。「終に敢えて和尚を孤負せず。」師は言った。「も未だ在らず。」僧問うた。「如何に是れ奉先の境。」師は言った。「一任に觀看せよ。」僧は言った。「如何に是れ境中の人。」師は言った。「禮無き莫れ。」問うた。「如何に是れ奉先の家風。」師は言った。「即今什麼處に在る。」僧は言った。「恁么ならば即ち大衆賴る有るなり。」師は言った。「汝に關る什麼の事ぞ。」問うた。「如何に是れ人と為る一句。」師は言った。「是れ奉先に道い得ざるに非ず。」

鼓山智嚴了覺大師(第二世住)師上堂曰。多言復多語。由來返相誤。珍重。僧問。石門之句即不敢問。請師方便。師曰。問取露柱。問國王出世三邊靜。法王出世有何恩。師曰。還會麼。僧曰。幸遇明朝輒伸呈獻。師曰。吐卻著。僧曰。若不禮拜幾成無孔鐵鎚。師曰。何異無孔鐵鎚。

鼓山智嚴了覺大師(第二世住)。師上堂して言った。「言多くし語多くす、由來返って相誤る。珍重。」僧問うた。「石門の句は即ち敢えて問わず、師に方便を請う。」師は言った。「露柱に問い取れ。」問うた。「國王世に出でて三邊靜なり。法王世に出でて何の恩か有る。」師は言った。「還って會するか。」僧は言った。「幸いに明朝に遇う、輙く呈獻を伸べん。」師は言った。「吐き却り著け。」僧は言った。「若し禮拜せざれば幾に無孔の鐵錘と成らん。」師は言った。「無孔の鐵錘に何の異ならん。」

福州龍山智嵩妙空大師。師上堂曰。幸自分明。須作遮箇節目作麼。到遮裡便成節目。便成增語便成塵玷。未有如許多時作麼生。僧問。古佛化導今祖重興。人天輻湊於禪庭。至理若為於開示。師曰。亦不敢孤負大眾。僧曰。恁麼即人天不謬殷勤請頓使凡心作佛心。師曰。仁者作麼生。僧曰。退身。禮拜。隨眾上下。師曰。我識得汝也。

福州龍山智嵩妙空大師。師上堂して言った。「幸いに自ら分明。須く此の節目を作して什麼とせん。此の里に到れば便ち節目と成り、便ち語を增し便ち塵玷と成る。未だ許多の時有らざれば作么生。」僧問うた。「古佛化導して今祖重ねて興る。人天禪庭に輻湊す。至理若為に開示せん。」師は言った。「も敢えて大衆を孤負せず。」僧は言った。「恁么ならば即ち人天謬らず、殷勤に請い頓ちに凡心をして佛心と作さしめん。」師は言った。「仁者作么生。」僧は言った。「身を退き、禮拜し、衆に隨いて上下す。」師は言った。「我汝を識り得たり。」

泉州鳳凰山疆禪師。僧問。燈傳鼓嶠。道覇溫陵。不跨石門。請師通信。師曰。若不是今日攔胸撞出。僧曰。恁麼即今日親聞師子吼。他時終作鳳凰兒。師曰。又向遮裡塗汙人。問白浪滔天境何人住太虛。師曰。靜夜思堯鼓迴頭聞舜琴。

泉州鳳凰山疆禅師。僧問うた。「燈鼓嶠に傳わり、道温陵に霸す。石門を跨がず、師に通信を請う。」師は言った。「若し是れ今日に非ざれば胸を攔えて撞き出さん。」僧は言った。「恁么ならば即ち今日親しく師子吼を聞き、他時終に鳳凰の兒と作さん。」師は言った。「又此の里に向かいて人を塗污す。」問うた。「白浪滔天の境、何人か太虚に住す。」師は言った。「靜夜堯の鼓を思い、回頭して舜の琴を聞く。」

福州龍山文義禪師上堂曰。若舉宗乘即院寂徑荒。若留委問更待箇什麼。還有人委麼出來驗看。若無人委莫略虛好。僧問。如何是人王。師曰。威風人盡懼。僧曰。如何是法王。師曰。一句令當行。僧曰。二王還分不分。師曰。適來道什麼。

福州龍山文義禅師上堂して言った。「若し宗乘を舉ぐれば即ち院寂して径荒れん。若し委問を留めば更に箇の什麼を待たん。還って人委する者有るか、出でて驗看せよ。若し人委する無ければ略虚する好し莫れ。」僧問うた。「如何に是れ人王。」師は言った。「威風人盡く懼る。」僧は言った。「如何に是れ法王。」師は言った。「一句當に行うを令す。」僧は言った。「二王還って分かつか分かたざるか。」師は言った。「適來什麼を道えし。」

福州鼓山智嶽了宗大師福州人也初遊方至鄂州黃龍。問曰。久嚮黃龍到來只見赤斑蛇。黃龍曰。汝只見赤斑蛇且不識黃龍。師曰。如何是。黃龍曰。滔滔地。師曰。忽遇金翅鳥來又作麼生。曰性命難存。師曰。恁麼即被他吞卻也。曰謝闍梨供養師當下未省覺。尋迴受業山禮覲國師和尚。啟發微旨而後次補山門為第三世。上堂曰。我若全舉宗乘汝向什麼處領會。所以向汝道。古今常露體用無妨。僧問。諸餘即不問。如何是誕生王種。師曰。金枝玉葉不相似是作麼生。僧曰。恁麼即同中不得異。師曰。不得異事作麼生。僧曰。金枝爭能續。師曰。猶是閫外之辭。問虛空還解作用也無。師拈起拄杖曰。遮箇師僧好打。僧無語。

福州鼓山智岳了宗大師は福州の人なり。初め方に游びて鄂州黃龍に至る。問うて言った。「久しく黃龍に向かい到來して只だ赤斑蛇を見るのみ。」黃龍が言った。「汝只だ赤斑蛇を見て且く黃龍を識らず。」師は言った。「如何に是れ。」黃龍が言った。「滔滔地なり。」師は言った。「忽ち金翅鳥の來るに遇わば又作么生。」言った。「性命存し難し。」師は言った。「恁么ならば即ち他に吞まれ却らん。」言った。「闍梨の供養を謝す。」師當下未だ省覺せず。尋いで回りて受業の山に禮覲し國師和尚に謁す。微旨を啓發し而して後次いで山門を補して第三世と為す。上堂して言った。「我若し全く宗乘を舉ぐれば汝什麼處に向かいて領會せん。所以に汝に向かいて道う、古今常に體用を露し妨げ無しと。」僧問うた。「諸餘は即ち問わず、如何に是れ誕生の王種。」師は言った。「金枝玉葉相似せず、是れ作么生。」僧は言った。「恁么ならば即ち同中に異を得ず。」師は言った。「異を得ざる事作么生。」僧は言った。「金枝争で能く續がん。」師は言った。「猶是れ閫外の辭。」問うた。「虚空還って作用を解するか無し。」師拄杖を拈起して言った。「此の箇の師僧好く打つべし。」僧語無し。

襄州定慧和尚。僧問。如何是佛向上事。師曰。無人不驚。僧曰。學人未委在。師曰。不妨難向。問不借時機用如何話祖宗。師曰。闍梨還具慚愧麼。僧便喝。師無語。

襄州定慧和尚。僧問うた。「如何に是れ佛向上の事。」師は言った。「人驚かざる無し。」僧は言った。「學人未だ委かに在らず。」師は言った。「妨げず難き向かい。」問うた。「時機を借らず用いず、如何に祖宗に話さん。」師は言った。「闍梨還って慚愧を具するか。」僧便ち喝す。師語無し。

福州鼓山清諤宗曉禪師得法於受業和尚(鼓山第四世住)問亡僧遷化向什麼處去也。師曰。時寒不出手。

福州鼓山清諤宗曉禅師、受業和尚に於て法を得たり(鼓山第四世住)。問うた。「亡僧遷化して什麼處に向かいて去るなり。」師は言った。「時寒くして手を出さず。」

金陵淨德道場沖煦慧悟禪師福州人也。姓和氏。幼不染葷血。自誓出家。登鼓山剃度得法受記。年二十四於洪州豐城為眾開演。時謂小長老。周顯德中江南國主延住光睦。僧問。如何是大道。師曰。我無小徑。曰如何是小徑。師曰。我不知有大道。師次住廬山開先。後居淨德。並聚徒說法。開寶八年歸寂。

金陵淨德道場衝煦慧悟禅師は福州の人なり。姓は和氏。幼にして葷血を染めず。自ら出家を誓う。鼓山に登りて剃度し法を得て記を受く。年二十四にして洪州豐城に於て衆の為に開演す。時に小長老と謂う。周顯德中江南國主延びて光睦に住せしむ。僧問うた。「如何に是れ大道。」師は言った。「我小径無し。」言った。「如何に是れ小径。」師は言った。「我大道有るを知らず。」師次いで廬山開先に住し、後に淨德に居る。并びに徒を聚めて法を說く。開寶八年に歸寂す。

金陵報恩院清護禪師福州長樂人也。姓陳氏。六歲辭親禮鼓山披削。十五納戒。於國師言下發明真趣。暨國師圓寂。乃之建州白雲。閩帥王氏秦賜紫號崇因大師。晉天福八年金陵興師入建城時。統軍查文徽至院。師出延接。查問曰。此中相見時如何。師曰。惱亂將軍。查後請師歸金陵。國主命居長慶院攝眾。周顯德初退歸建州卓庵。時節度使陳誨創顯親報恩禪苑堅請住持。開堂日僧問。諸佛出世天華亂墜。未審和尚出世有何祥瑞。師曰。昨日新雷發。今朝細雨飛。問如何是諸佛玄旨。師曰。草鞋木履。開寶三年五月江南後主再請入住報恩淨德二道場。來往說法。改號妙行禪師。當年十一月示疾預辭國主。二十日平旦聲鍾召大眾囑付訖儼然坐亡。壽五十有五。臘四十。國主厚禮茶毘。收舍利三百餘粒並靈骨。歸葬於建州鷄足山臥雲院建塔。師風神清灑操行孤標。二十年不服綿絹唯衣紙布。辭藻札翰並皆冠眾。五處語要偈頌別行於世。

金陵報恩院清護禅師は福州長樂の人なり。姓は陳氏。六歲にして親に辭し鼓山に禮して披削す。十五にして戒を納め、國師の言下に於て真趣を發明す。暨ち國師圓寂す。乃ち建州白雲に之く。閩帥王氏奏して紫號崇因大師を賜う。(底本は「秦賜」と作す、疑う「奏」の譌ならん)晉天福八年金陵師を興して建城に入る時、統軍查文徽院に至る。師出でて延接す。查問うて言った。「此の中相見の時如何。」師は言った。「將軍を惱亂す。」查後に師を金陵に歸らんことを請う。國主命じて長慶院に居りて衆を攝せしむ。周顯德初退きて建州に歸り庵を卓す。時に節度使陳誨顯親報恩禅苑を創りて堅く住持を請う。開堂の日僧問うた。「諸佛世に出でて天花亂墜す。未審和尚の出世何の祥瑞か有る。」師は言った。「昨日新雷發し、今朝細雨飛ぶ。」問うた。「如何に是れ諸佛の玄旨。」師は言った。「草鞋木履。」開寶三年五月江南後主再び請いで報恩淨德の二道場に入住せしむ。往來して法を說く。號を妙行禅師と改む。當年十一月疾を示し預め國主に辭す。二十日平旦鐘を聲して大衆を召し付囑訖りて儼然として坐亡す。壽五十有五、臘四十。國主厚く禮して荼毗す。舍利三百餘粒并びに靈骨を收め、建州鷄足山臥雲院に歸葬して塔を建つ。師風神清洒にして操行孤標なり。二十年綿絹を服せず唯だ紙布を衣る。辭藻札翰并びに皆衆に冠たり。五處の語要偈頌別に世に行わる。

景徳伝燈録巻第二十一

景徳伝燈録巻第二十二

吉州青原山行思禪師第七世中

吉州青原山行思禅師の第七世中

杭州龍華寺靈照禪師法嗣七人台州瑞巖師進禪師

杭州龍華寺靈照禅師の法嗣七人 ― 台州瑞巖師進禅師

台州六通院志球禪師

台州六通院志球禅師

杭州雲龍院歸禪師

杭州雲龍院歸禅師

杭州餘杭功臣院道閑禪師

杭州餘杭功臣院道閑禅師

衢州鎮境遇緣禪師

衢州鎮境遇緣禅師

福州報國院照禪師

福州報國院照禅師

台州白雲廼禪師(已上七人見錄)

台州白雲廼禅師(已上七人は録に見ゆ)

明州翠巖令參禪師法嗣二人杭州龍冊寺子興禪師

明州翠巖令參禅師の法嗣二人 ― 杭州龍册寺子興禅師

溫州佛㠗知默禪師(已上二人見錄)

溫州佛㠗知默禅師(已上二人は録に見ゆ)

福州安國院弘瑫禪師法嗣九人福州白鹿師貴禪師

福州安國院弘瑫禅師の法嗣九人 ― 福州白鹿師貴禅師

福州羅山義聰禪師

福州羅山義聰禅師

福州安國從貴禪師

福州安國從貴禅師

福州怡山藏用禪師

福州怡山藏用禅師

福州永隆彥端禪師

福州永隆彥端禅師

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