景德傳燈錄 卷第三
北宗神秀禪師者(耶舍三藏誌雲。艮地生玄旨。通尊媚亦尊。比肩三九族。足下一毛分)開封尉氏人也。姓李氏。少親儒業博綜多聞。俄捨愛出家尋師訪道。至蘄州雙峰東山寺。遇五祖忍師以坐禪為務。乃歎伏曰。此真吾師也。誓心苦節以樵汲自役而求其道。忍默識之深加器重。謂之曰。吾度人多矣。至於悟解無及汝者。忍既示滅。秀遂住江陵當陽山。唐武后聞之召至都下。於內道場供養。特加欽禮。命於舊山置度門寺以旌其德。時王公士庶皆望塵拜伏。暨中宗即位尤加禮重。大臣張說嘗問法要執弟子之禮。師有偈示眾曰。
北宗神秀禪師(耶舍三藏の志に曰く、艮地に玄旨を生じ、通尊媚亦尊し、比肩三九の族、足下一毛の分)、開封尉氏の人、姓は李。少時儒業に親しみ博綜多聞なり。尋いで愛を捨てて出家して師を尋ね道を訪ふ。蘄州雙峰東山寺に至りて五祖忍師の坐禪を以て務と爲すに遇ひて、即ち歎伏して曰く、此れ眞に是れ吾が師なり、心を誓ひて苦節として樵汲を以て自ら役して其の道を求む。忍、默かに彼を識得して深く器重を加へて彼に對して曰く、我、人を度すこと多し、悟解に至りては汝に趕及ぶ者無し。忍、既に示滅して秀、即ち江陵當陽山に住す。唐武后、聞きて都下に召して內道場に於て供養し、特に欽禮を加へて舊山に度門寺を置きて以て其の德を旌れしむ。當時王公士庶皆塵を望んで拜伏す。中宗の即位するに及びて尤も禮重を加ふ。大臣張説、曾て法要を問ひて弟子の禮を執る。師、偈有りて衆に示して曰く、
一切佛法自心本有將心外求
一切の佛法、自心本より有り、心を將て外に求むれば、
捨父逃走
父を捨てて逃走するが如し。
神龍二年於東都天宮寺入滅。賜諡大通禪師。羽儀法物。送殯於龍門。帝送至橋。王公士庶皆至葬所。張說及徵士盧鴻一各為碑誄。門人普寂義福等。並為朝野所重。
神龍二年、東都天宮寺に於て入滅す。諡を賜ひて大通禪師。羽儀法物を以て殯を龍門に送る。帝、橋上に送りて王公士庶皆葬所に至る。張説及び征士盧鴻一、各々碑誄を爲す。門人普寂・義福等、并びて朝野の重んずる所と爲る。
嵩嶽慧安國師(耶舍三藏誌雲。九女出人倫。八女絕婚姻。朽床添六腳。心祖眾中尊)荊州枝江人也。姓衛氏。隋文帝開皇十七年。括天下私度僧尼勘師雲。木無名。遂遁于山谷。大業中大發丁夫開通濟渠。饑殍相枕。師乞食以救之。獲濟者甚眾。煬帝徵師不赴。潛入太和山。暨帝幸江都海內擾攘。乃杖錫登衡嶽寺行頭陀行。唐貞觀中至黃梅。謁忍祖遂得心要。麟德元年遊終南山石壁因止焉。高宗嘗召師不奉詔。遍歷名跡至嵩少雲。是吾終焉之地也。自爾禪者輻湊。有坦然懷讓二人來參。問曰。如何是祖師西來意。師曰。何不問自己意。曰如何是自己意。師曰。當觀密作用。曰如何是密作用。師以目開合示之。然言下知歸更不他適。讓機緣不逗辭往曹谿。武后徵至輦下待以師禮。與神秀禪師同加欽重後嘗問師甲子。對曰不記。後曰。何不記耶。師曰。生死之身其若循環。環無起盡焉用記為。況此心流注中間無間。見漚起滅者乃妄想耳。從初識至動相。滅時亦只如此。何年月而可記乎。後聞稽顙信受。尋以神龍二年。中宗賜紫袈裟。度弟子二七人。仍延入禁中供養三年。又賜摩衲一副。師辭嵩嶽。是年三月三日囑門人曰。吾死已將屍向林中。待野火焚之。俄爾萬迴公來見師。猖狂握手言論。傍侍傾耳都不體會。至八日閉戶偃身而寂。春秋一百二十八(隋開皇二年壬寅生。唐景龍三年巳酉滅。時稱老安國師)門人遵旨舁置林間。果野火自然闍維。得舍利八十粒。內五粒色紅紫。留於宮中。至先天二年門人建浮圖。
嵩嶽慧安國師(耶舍三藏の志に曰く、九女人倫に出づ、八女婚姻を絕つ、朽牀六脚を添ふ、心祖衆中の尊)、荊州枝江の人、姓は衛。隋文帝開皇十七年、天下の私度の僧尼を括して師を勘問すれば曰く、本に名無し、於是乎山谷に遁る。大業中、大いに丁夫を發して通濟渠を開くに飢殍相枕ぎ、師、食を乞ふて以て救濟して濟を獲る者甚だ多し。煬帝師を徵せど赴かず、潜かに太和山に入る。帝の江都に幸するに及びて海內擾攘すれば、即ち錫を杖して衡嶽寺に登りて頭陀の行を行ず。唐貞觀中、黄梅に至りて忍祖に謁し、於是乎心要を得る。麟德元年、終南山石壁に游びて因りて止住す。高宗、曾て師を召すも詔を奉ぜず。名迹を遍歷して嵩少に至りて曰く、此れ我が終焉の地なり。此より禪者輻湊す。坦然・懷讓の二人ありて來り參じて問ふ、如何なるか是れ祖師西來意。師曰く、何ぞ自己の意を問はざる。曰く、如何なるか是れ自己の意。師曰く、當に密作用を觀べし。曰く、如何なるか是れ密作用。師、目を開合して以て之に示す。坦然、言下に歸るを知りて更に他に往かず。讓、機緣逗はずして辭して曹溪に往く。武后、輦下に徵して師禮を以て待ち、神秀禪師と同じく欽重を加ふ。后、曾て師の甲子を問ふ、對して曰く、記えず。后曰く、何を以て記えざる。師曰く、生死の身は循環の如く、環に起盡無ければ何を以てか記せん、況んや此の心の流注は中間無間にして、漚の起滅を見るは只妄想ならんのみ、初識より動相に至りて滅する時も亦只此の如し、何の年月にして記す可けん。后、聞きて稽颡して信受す。尋いで神龍二年に於て中宗、紫袈裟を賜ひて弟子十四人を度し、仍ほ禁中に延入れて供養すること三年、又摩衲一副を賜ふ。師、辭して嵩嶽に歸る。此の年三月三日、門人に嘱して曰く、我死せば屍身を林に向けて野火の焚くを待て。尋いで萬回公、來りて師を見て猖狂に握手言論し、旁侍耳を傾けるも皆體會せず。八日に至りて戸を閉ぢて身を偃して寂す。春秋一百二十八。(隋開皇二年壬寅に生まれ唐景龍三年己酉に滅す。當時老安國師と稱す。)門人、旨を遵りて林間に擡置せば果して野火自然に闍維して舍利八十粒を得、內五粒の色は紅紫にして宮中に留む。先天二年に至りて門人浮圖を建つ。
袁州蒙山道明禪師者鄱陽人。陳宣帝之裔孫也。國亡落於民間。以其王孫甞受署。因有將軍之號。少於永昌寺出家慕道頗切。往依五祖法會極意研尋。初無解悟。及聞五祖密付衣法與盧行者。即率同意數十人。躡跡追逐至大庾嶺。師最先見餘輩未及。盧行者見師奔至。即擲衣缽於盤石曰。此衣表信可力爭耶。任君將去。師遂舉之如山不動。踟躇悚慄乃曰。我來求法非為衣也。願行者。開示於我。祖曰。不思善不思惡正恁麼時。阿那箇是明上坐本來面目。師當下大悟遍體汗流。泣禮數拜。問曰。上來密語密意外。還更別有意旨否。祖曰。我今與汝說者。即非密也。汝若返照自己面目。密卻在汝邊。師曰。某甲雖在黃梅隨眾。實未省自己面目。今蒙指授入處。如人飲水冷暖自知。今行者即是某甲師也。祖曰。汝若如是。則是吾與汝同師。黃梅善自護持。師又問。某甲向後宜往何所。祖曰。逢袁可止。遇蒙即居。師禮謝遽迴至嶺下。謂眾人曰。向陟崔嵬遠望杳無蹤跡。當別道尋之。皆以為然。師既迴。遂獨往廬山布水臺經三載。後始往袁州蒙山大唱玄化。初名慧明。以避師上字故名道明。弟子等盡遣過嶺南參禮六祖。
袁州蒙山道明禪師は、鄱陽の人、陳宣帝の裔孫なり。國亡びて民間に落つ。彼、王孫たるを以て曾て署を受け、因りて將軍の號有り。少年永昌寺に於て出家して道を慕ふこと甚だ切なり。往きて五祖の法會に依りて極意研尋すれど初め解悟無し。五祖の密かに衣法を盧行者に付するを聞くに及びて、即ち同意數十人を率ゐて蹑迹して大庾嶺に追逐す。師、最先に見て餘の人未だ趕及ばず。盧行者、師の奔至するを見て即ち衣鉢を盤石上に擲して曰く、此の衣は信を表す、力を以て争ふ可けんや、任せて將て去れ。師、於是乎擧ぐるに山の如く動かず、踟蹰悚栗して即ち曰く、我、法を求めて來る、衣の爲にあらず、願はくは行者我に開示せん。祖曰く、善を思はず惡を思はず、正に恁麼の時、阿那箇か是れ明上座の本來面目。師、當下に大いに悟りて遍體汗流れて泣禮數拜して問ふ、上來の密語密意の外、還た更に別に意旨有らんや。祖曰く、我今汝に與へて説くは即ち密に非ず、汝若し返りて自己の面目を照らせば密却て汝の那邊に在り。師曰く、某甲雖黃梅に在りて衆に隨ふも實に未だ自己の面目を省らず、今指授入處を蒙れば人の水を飮みて冷暖自ら知るが如し、今行者即ち是れ某甲の師なり。祖曰く、汝若し此の如くならば則ち是れ我と汝と同じく黄梅を師とせり、善く自ら護持せよ。師又問ふ、某甲、向後宜しく何の處にか往くべき。祖曰く、袁に逢へば可に止まり、蒙に遇へば即ち居れ。師、禮謝して急ぎ嶺下に回りて衆人に對して曰く、向かふに崔嵬に登りて遠く望めど杳として蹤迹無し、當に別の道を尋ぬべし、皆以て然と爲す。師、既に回りて、即ち獨り廬山布水臺に往きて三年を經て、後に方に袁州蒙山に往きて大いに玄化を唱ふ。初めの名は慧明、師の上字を避くるが爲に故に道明と名づく。弟子等皆遣はして嶺南を過ぎて六祖に參禮せしむ。
前北宗神秀禪師法嗣(忍大師第二世法嗣)
前北宗神秀禪師の法嗣(忍大師第二世法嗣)
五臺山巨玄禪師安陸人也。姓曹氏。幼稟業於明福院朗禪師。初講經論後參禪。會及造北宗。秀師問曰。白雲散處如何。師曰不昧。秀又問。到此間後如何。師曰。正見一枝生五葉。秀默許之。入室侍對庶幾無爽。尋至上黨寒嶺居焉。數歲之間眾盈千數。後於五臺山闡化。涉二十餘載入滅。年八十一。以唐開元十五年九月三日。奉全身入塔。
五臺山巨玄禪師は、安陸の人、姓は曹。幼年、明福院朗禪師の處に於て業を禀く。初め經論を講じ後に禪に參ず。北宗に造詣するに及びて秀師問ふ、白雲の散ずる處如何。師曰く、昧ならず。秀又問ふ、此の間に到りて後如何。師曰く、正に見る一枝の五葉を生ずるを。秀、默かに許す。入室して侍對すること幾くも差爽無し。尋いで上黨寒嶺に至りて居る。數歳の間、衆千數に盈つ。後に五臺山に於て化を闡きて二十餘載を經て入滅す。年八十一。唐開元十五年九月三日を以て全身を奉じて塔に入る。
河中府中條山智封禪師。姓吳氏。初習唯識論滯於名相。為知識所詰乃發憤罷講。遊行登武當山。見秀禪師疑心頓釋。思養聖胎乃辭去。居於蒲津安峰山。不下十年木食㵎飲。屬州牧衛文昇請歸城內。建新安國院居之。緇素歸依憧憧不絕。使君問曰。某今日後如何。師曰。日從濛氾出。照樹全無影。使君初不能諭。拱揖而退。少選開曉釋然自得。師來往中條山二十餘年。得其道者不可勝紀。滅後門人於州城北建塔焉。
河中府中條山智封禪師、姓は吳。初め唯識論を習ひて名相に滯る。知識の詰むる所と爲りて即ち憤を發して講を罷め、游行して武當山に登りて秀禪師を見て疑心頓に釋く。聖胎を養はんと欲して即ち辭して蒲津安峰山に住して下らざること十年、木食澗飮す。州牧衛文升の城內に歸らんを請ふに適會して新安國院を建てて彼に住せしむ。緇素歸依して憧憧として絕えず。使君問ふ、某、今より已後如何。師曰く、日は蒙汜より出でて樹を照らして全く影無し。使君、初め曉諭する能はずして拱揖して退く。少頃、開曉して釋然として自得す。師、中條山に往來すること二十餘年、其の道を得るは勝げて紀す可からず。滅後、門人州城北に塔を建つ。
兗州降魔藏禪師趙郡人也。姓王氏。父為豪掾。師七歲出家。時屬野多妖鬼魅惑於人。師孤形制伏曾無少畏。故得降魔名焉。即依廣福院明讚禪師。出家服勤。受法後遇北宗盛化便誓摳衣。秀師問曰。汝名降魔。此無山精木怪。汝翻作魔耶。師曰。有佛有魔。秀曰。汝若是魔必住不思議境界。師曰。是佛亦空何境界之有。秀懸記之曰。汝與少皡之墟有緣。師尋入泰山。數稔學者雲集。一日告門人曰。吾今老朽物極有歸。言訖而逝壽九十一。
兗州降魔藏禪師は、趙郡の人、姓は王。父、豪掾と爲る。師、七歳にして出家す。當時野外に妖鬼多くして人を魅惑す。師、孤身制伏して曾て少しも畏れず、故に降魔の名を得。即ち廣福院明贊禪師に依りて出家服勤す。法を受けて後北宗の盛化に遇ひて便ち衣を抠して親近せんを誓ふ。秀師問ふ、汝、名降魔と曰ふ、此に山精木怪無し、汝反りて魔を作すか。師曰く、佛有り魔有り。秀曰く、汝若し是れ魔ならば必ず不可思議の境界に住せん。師曰く、是れ佛亦空なり、何の境界か之有らん。秀、懸記して曰く、汝、少昊の墟と緣有り。師、尋いで泰山に入りて數年學者雲集す。一日門人に告げて曰く、我、今老朽せり、物極まれば歸有り。言い訖りて逝す。壽九十一。
壽州道樹禪師唐州人也。姓聞氏。幼探經籍。年將五十因遇高僧誘諭。遂誓出家。禮本部明月山慧文為師。師恥乎年長求法淹遲。勵志遊方無所不至。後歸東洛遇秀禪師。言下知微晚成法器。乃卜壽州三峰山結茅而居。常有野人服色素樸言譚詭異。於言笑外化作佛形及菩薩羅漢天仙等形。或放神光。或呈聲響。師之學徒覩之皆不能測。如此涉十年。後寂無形影。師告眾曰。野人作多色伎倆眩惑於人。只消老僧不見不聞。伊伎倆有窮。吾不見不聞無盡。唐寶歷元年示疾而終。壽九十二。明年正月建塔。
壽州道樹禪師は、唐州の人、姓は聞。幼年經籍を探る。年將に五十にして高僧の誘諭に遇ひて因りて出家を誓願し、本部明月山慧文を禮して師と爲す。師、年長にして法を求むること遲きを恥ぢて志を勵まして游方して至らざる無し。後に東洛に歸りて秀禪師に遇ひて言下に微を知りて晩成の法器と爲る。即ち壽州三峰山を擇びて茅を結びて居る。常に野人有りて服色素朴にして言談詭異なり、言笑の外に於て佛形及び菩薩・羅漢・天仙等の形と化作し、或は神光を放ち或は聲響を呈す。師の學徒、見るも皆測る能はず。是の如く十年を經て後に寂として形影無し。師、衆に告げて曰く、野人、多色の伎倆を作して人を眩惑す、只老僧の不見不聞を消すのみ、彼の伎倆窮有りて我が不見不聞は無盡なり。唐寶曆元年、疾を示して終はる。壽九十二。明年正月、塔を建つ。
淮南都梁山全植禪師光州人也。姓芮氏。初結庵居止。太守衛文卿命本州長壽寺開法聚徒。文卿問曰。將來佛法隆替若何。師曰。真實之物無古無今亦無軌躅。有為之法四相遷流。法當陻厄。君侯可見。師年九十三而終。唐會昌四年甲子九月七日入塔。
淮南都梁山全植禪師は、光州の人、姓は芮。初め庵を結びて居止す。太守卫文卿、本州長壽寺に命じて法を開き徒を聚めしむ。文卿問ふ、將來佛法の隆替如何。師曰く、眞實の物は古無く今無く亦軌迹無し、有爲の法は四相遷流す、法當に堙厄せんとして君侯見る可きなり。師、年九十三にして終はる。唐會昌四年甲子九月七日、塔に入る。
前嵩嶽慧安國師法嗣
前嵩嶽慧安國師の法嗣
洛京福先寺仁儉禪師。自嵩山罷問放曠郊𮠔。時謂之騰騰和尚。唐天冊萬歲中。天后詔入殿前。仰視天后良久曰。會麼。後曰不會。師曰。老僧持不語戒。言訖而出。翌日進短歌一十九首。天后覽而嘉之厚加賜賚。師皆不受。又令寫歌辭傳布天下。其辭並敷演真理。以警時俗唯了元歌一首盛行於世。
洛京福先寺仁儉禪師。嵩山より問を罷めて郊野に放曠す。當時稱して騰騰和尚と曰ふ。唐天冊萬歳中、天后、殿前に詔して入れり。天后を仰視して良久にして曰く、會すか。后曰く、會せず。師曰く、老僧不語の戒を持せり。言い訖りて即ち出づ。次日、短歌一十九首を進る。天后、覽じて之を嘉して厚く賜賚を加ふ。師皆受けず。又歌辭を寫して天下に傳布せしむ。其の辭皆眞理を敷演して以て時俗を警む、唯《了元歌》一首世に盛行せり。
嵩嶽破灶墮和尚不稱名氏。言行叵測隱居嵩嶽。山塢有廟甚靈。殿中唯安一灶。遠近祭祠不輟。烹殺物命甚多。師一日領侍僧入廟。以杖敲灶三下雲。咄此灶。只是泥瓦合成。聖從何來靈從何起。恁麼烹宰物命。又打三下。灶乃傾破墮落(安國師號為破灶墮)須臾有一人青衣峨冠。忽然設拜師前。師曰。是什麼人。雲我本此廟灶神。久受業報。今日蒙師說無生法。得脫此處生在天中。特來致謝。師曰。是汝本有之性。非吾彊言。神再禮而沒。少選侍僧等問師雲。某等諸人久在和尚左右。未蒙師苦口直為某等。灶神得什麼徑旨便得生天。師曰。我只向伊道。是泥瓦合成。別也無道理為伊。侍僧等立而無言。師曰會麼。主事雲。不會。師曰。本有之性為什麼不會。侍僧等乃禮拜。師曰。墮也墮也。破也破也。後有義豐禪師。舉白安國師。國師歎曰。此子會盡物我一如。可謂如朗月處空無不見者。難遘伊語脈。豐禪師乃低頭叉手而問雲。未審什麼人遘他語脈。國師曰。不知者。又僧問。物物無形時如何。師曰。禮即唯汝非我。不禮即唯我非汝。其僧乃禮謝。師曰。本有之物物非物也。所以道心能轉物即同如來。又僧問。如何是修善行人。師曰。捻槍帶甲。雲如何是作惡行人。師曰。修禪入定。僧雲。某甲淺機請師直指。師曰。汝問我惡惡不從善。汝問我善善不從惡。良久又曰。會麼。僧。雲不會。師曰。惡人無善念。善人無惡心。所以道。善惡如浮雲。俱無起滅處。其僧從言下大悟。有僧從牛頭處來。師乃曰。來自何人法會。僧近前叉手繞師一匝。而出。師曰。牛頭會下不可有此人。僧乃迴師上邊叉手而立。師雲。果然果然。僧卻問雲。應物不由他時如何。師曰。爭得不由他僧雲。恁麼即順正歸原去也。師曰。歸原何順。僧雲。若非和尚幾錯招愆。師曰。猶是未見四祖時道理也見後通將來。僧卻繞師一匝而出。
嵩嶽破竈墮和尚、名氏を稱せず。言行叵測にして嵩嶽に隱居す。山塢に廟ありて甚だ靈あり、殿中只一口の竈を安んじて遠近祭祠歇まず、物命を烹殺すること多し。師、一日侍僧を領して廟に入り杖を以て竈を敲くこと三下にして曰く、咄、此の竈只是れ泥瓦合成なり、聖何の處より來り靈何の處より起こる、恁麼に物命を烹宰する、又打つこと三下にして竈即ち傾破墮落す。(安國師の號を破竈墮と爲す。)片刻に一人ありて青衣峨冠にして忽然として師前に拜を設く。師曰く、是れ何人ぞ。曰く、我本來是れ此の廟の竈神にして久しく業報を受く、今日師の無生の法を説くを蒙りて此の處を脫して天中に生ることを得たり、特に來りて謝を致す。師曰く、是れ汝の本有の性なり、我が強ひて説くにあらず。神、再禮して沒す。少頃、侍僧等師に問ひて曰く、某等諸人、久しく和尚の左右に在りて未だ師の苦口直に某等が爲なるを蒙らず、竈神何の徑旨を得て便ち生天を得る。師曰く、我只彼に向かひて曰く、是れ泥瓦の合成なり、別に道理無くて彼が爲なり。侍僧等立ちて言無し。師曰く、會すか。主事曰く、會せず。師曰く、本有の性、何を以て會せざる。侍僧等、於是乎禮拜す。師曰く、墮なり墮なり、破なり破なり。後に義豐禪師ありて擧して安國師に白す。國師歎じて曰く、此の子、會盡く物我一如を、可に朗月の空に處りて見ざる者無きと謂ふべし、彼が語脈に遘ふこと難し。豐禪師、即ち頭を低れ手を叉して問ふ、未だ審らかに何人か彼が語脈に遘ふ、國師曰く、知らざる者。又僧ありて問ふ、物物形無き時如何。師曰く、禮すれば即ち唯汝にして我に非ず、禮せざれば即ち唯我にして汝に非ず。其の僧、即ち禮謝す。師曰く、本有の物は物物に非ざるなり、道ふ所以は心能く物を轉ずれば即ち如來に同じ。又僧ありて問ふ、如何なるか是れ善を修する行人。師曰く、槍を捻り甲を帶ぶ。曰く、如何なるか是れ惡を作す行人。師曰く、禪を修して定に入る。僧曰く、某甲淺機なり、師の直指を請ふ。師曰く、汝我に惡を問ふ、惡は善に從はず、汝我に善を問ふ、善は惡に從はず。良久にして又曰く、會すか。僧曰く、會せず。師曰く、惡人に善念無く善人に惡心無し、道ふ所以は善惡浮雲の如くして俱に起滅する處無し。其の僧、言下より大いに悟る。僧あり牛頭の處より來る。師即ち曰く、何人の法會より來る。僧、近づき前りて手を叉して師を繞ること一匝にして出づ。師曰く、牛頭會下此の人有る可からず。僧、即ち師の上邊に回りて手を叉して立つ。師曰く、果然果然。僧、却て問ふ、物に應じて他に由らざる時如何。師曰く、怎生ぞ他に由らざるを得る。僧曰く、恁麼なれば即ち順正して原に歸り去らん。師曰く、原に歸る何ぞ順ならん。僧曰く、若し和尚に非ざれば幾ほどに錯りて愆を招かんとす。師曰く、還た是れ四祖を見ざる時の道理なり、後を見て通じて將來れ。僧、却て師を繞ること一匝にして出づ。
師曰。順正之道今古如然。僧作禮。又僧侍立久。師乃曰。祖祖佛佛只說如人。本性本心別無道理。會取會取。僧禮謝。師乃以拂子打之曰。一處如是千處亦然。僧乃叉手近前應喏一聲。師曰。更不信更不信。僧問。如何是大闡提人。師曰。尊重禮拜。又問。如何是大精進人。師曰。毀辱瞋恚。其後莫知所終。
師曰く、順正の道は今古如然なり。僧、禮を作す。又僧ありて侍立すること久し。師即ち曰く、祖祖佛佛只如人を説きて本性本心、別に道理無し、會取せよ會取せよ。僧、禮謝す。師、即ち拂子を用ゐて彼を打ちて曰く、一處是の如くなれば千處も亦然り。僧、即ち手を叉して近づき前りて喏の一聲に應ず。師曰く、更に信ぜず更に信ぜず。僧問ふ、如何なるか是れ大闡提人。師曰く、尊重禮拜。又問ふ、如何なるか是れ大精進人。師曰く、毀辱瞋恚。其の後終る所を知らず。
嵩嶽元珪禪師伊闕人也。姓李氏。幼歲出家。唐永淳二年受具戒隷閑居寺。習毘尼無解。後謁安國師。印以真宗頓悟玄旨。遂卜廬於嶽之龐塢。一日有異人者。峨冠袴褶而至。從者極多。輕步舒徐稱謁大師。師覩其形貌奇偉非常。乃諭之曰。善來仁者。胡為而至。彼曰。師寧識我耶。師曰。吾觀佛與眾生等。吾一目之豈分別耶。彼曰。我此嶽神也。能生死於人。師安得一目我哉。師曰。吾本不生汝焉能死。吾視身與空等。視吾與汝等。汝能壞空與汝乎。苟能壞空及壞汝。吾則不生不滅也。汝尚不能如是。又焉能生死吾耶。神稽首曰。我亦聰明正直於餘神。詎知師有廣大之智辯乎。願授以正戒令我度世。師曰。汝既乞戒即既戒也。所以者何。戒外無戒又何戒哉。神曰此理也。我聞茫昧。止求師戒。我身為門弟子。師即為張坐秉鑪正幾曰。付汝五戒。若能奉持即應曰能。不能即曰否。神曰。謹受教。師曰。汝能不婬乎。曰亦娶也。師曰。非謂此也。謂無羅欲也。曰能。師曰。汝能不盜乎。曰何乏我也焉有盜取哉。師曰。非謂此也。謂饗而福淫。不供而禍善也。曰能。師曰。汝能不殺乎。曰實司其柄。焉曰不殺。師曰。非謂此也。謂有濫誤疑混也。曰能。師曰。汝能不妄乎。曰我正直焉能有妄乎。師曰。非謂此也。謂先後不合天心也。曰能。師曰。汝不遭酒敗乎。曰能。師曰。如上是為佛戒也。又言。以有心奉持。而無心拘執。以有心為物。而無心想身。能如是則先天地生不為精。後天地死不為老。終日變化而不為動。畢盡寂默而不為休。悟此則雖娶非妻也。雖饗非取也。雖柄非權也。雖作非故也。雖醉非惛也。若能無心於萬物。則羅欲不為婬福淫禍善不為盜。濫誤疑混不為殺。先後違天不為妄。惛荒顛倒不為醉。是謂無心也。無心則無戒。無戒則無心。無佛無眾生。無汝及無我。無汝孰為戒哉。神曰。
嵩嶽元珪禪師は、伊闕の人、姓は李。幼年出家す。唐永淳二年、具戒を受けて閑居寺に隸して毘尼を習ふも解無し。後に安國師に謁して眞宗を以て印せられ頓に玄旨を悟りて即ち嶽の龐塢に廬を卜す。一日、異人ありて峨冠袴褶にして來り、隨從極めて多く輕步舒徐にして大師に謁すと稱す。師、其の形貌の奇偉非常なるを看て即ち曉諭して曰く、善來仁者、何を以て至る。其人曰く、師豈に我を識るや。師曰く、我、佛と衆生とを視るに平等なり、我、一目以て之を視るに豈に分別あらん。其人曰く、我は是れ此の嶽の神にして能く人に生死す、師、焉んぞ能く一目以て我を視る。師曰く、我本來生ぜず、汝焉んぞ能く死せしめん、我、身を視るに空と等しく我を視るに汝と等し、汝能く空を壞り汝を壞らんや、若し能く空を壞り及び汝を壞らば、我則ち生無く滅無し、汝尚ほ能く此の如くならず、又焉んぞ能く我を生死せん。神、稽首して曰く、我亦聰明正直にして其の餘の神に過ぎ、豈に師の廣大の智辯有るを知らんや、願はくは正戒を授けて我をして世を度せしめよ。師曰く、汝既に戒を乞ふ、即ち已に是れ戒なり、何を以て、戒外に戒無く又何の戒ぞ。神曰く、此の理、我聽きて茫昧なり、只求む師の戒、我が身を門弟子と爲さんことを。師、即ち彼が爲に坐を張り爐を秉り几を正しくして曰く、汝に五戒を付す、若し能く奉持せば即ち應に能と曰ふべし、能はざれば即ち否と曰へ。神曰く、謹んで教を受けん。師曰く、汝能く淫せざるか。曰く、亦娶るなり。師曰く、此を説くに非ず、是れ羅欲無きを説く。曰く、能。師曰く、汝能く盜まざるか。曰く、何ぞ曾て我に缺けて寧に盜取あらん。師曰く、此を説くに非ず、是れ饗を受けて淫を福し供せずして善を禍するを説く。曰く、能。師曰く、汝能く殺さざるか。曰く、實に我其の柄を司どる、怎ぞ殺さざると説かん。師曰く、此を説くに非ず、是れ濫誤疑混有るを説く。曰く、能。師曰く、汝能く妄らざるか。曰く、我正直なり、寧に妄有らんや。師曰く、此を説くに非ず、是れ先後天心に合せざるを説く。曰く、能。師曰く、汝酒に遭ひて敗れざるか。曰く、能。師曰く、上の如く是れ佛戒と爲す。又曰く、有心を以て奉持して無心に拘執せず、有心を以て物と爲して無心に身を想はず、能く此の如くならば則ち天地に先だちて生れて精と爲さず天地に後れて死して老と爲さず、終日變化して動と爲さず畢盡寂默して休と爲さず、此を悟れば則ち娶ると雖も妻に非ず饗ると雖も取に非ず柄と雖も權に非ず作すと雖も故に非ず醉ふと雖も昏に非ず、若し能く萬物に於て心無ければ則ち羅欲も淫と爲さず福淫禍善も盜と爲さず濫誤疑混も殺と爲さず先後天に違ふも妄と爲さず昏荒顚倒も醉と爲さず、此れ無心と謂ふ、無心なれば則ち戒無く無戒なれば則ち心無し、佛無く衆生無く汝無く及び我無し、汝無ければ誰か戒と爲らん。神曰く、
我神通亞佛。師曰。汝神通十句五能五不能。佛則十句七能三不能。神悚然避席跪啟曰。可得聞乎。師曰。汝能戾上帝。東天行而西七曜乎。曰不能。師曰。汝能奪地祇。融五嶽而結四海乎。曰不能。師曰。是謂五不能也。佛能空一切相成萬法智。而不能即滅定業。佛能知群有性窮億劫事。而不能化導無緣。佛能度無量有情。而不能盡眾生界。是謂三不能也。定業亦不牢久。無緣亦謂一期。眾生界本無增減。更無一人能主有法。有法無主是謂無法無法無主是謂無心。如我解佛亦無神通也。但能以無心通達一切法爾。神曰。我誠淺昧未聞空。義師所授戒我當奉行。今願報慈德効我所能。師曰。吾觀身無物觀法無常。塊然更有何欲。神曰。師必命我為世間事。展我小神功。使已發心初發心未發心不信心必信心五等人。目我神蹤。知有佛有神有能有不能有自然有非自然者。師曰。無為是無為是。神曰。佛亦使神護法。師寧隳叛佛耶。願隨意垂誨。師不得已而言曰。東巖寺之障。莽然無樹。北岫有之。而皆(舊本作背字)非屏擁。汝能移北樹於東嶺乎。神曰。已聞命矣。然昏夜間必有諠動。願師無駭。即作禮辭去。師門送而且觀之。見儀衛逶迤如王者之狀。嵐靄煙霞紛綸間錯。幢幡環珮凌空隱沒焉。其夕果有暴風吼雷奔雲震電。棟宇搖蕩宿鳥聲諠。師謂眾曰。無怖無怖。神與我契矣。詰旦和霽。則北巖松栝盡移東嶺森然行植。師謂其徒曰。吾沒後無令外知。若為口實人將妖我。以開元四年丙辰歲。囑門人曰。吾始居寺東嶺。吾滅汝必寘吾骸於彼。言訖若委蛻焉。春秋七十三。門人建塔焉。
(神、接ぎて曰く、)我が神通は佛に亞ぐ。師曰く、汝の神通十句に五能五不能、佛は則ち十句に七能三不能。神、悚然として席を避け跪いて啓して曰く、聽く可きか。師曰く、汝能く上帝に逆らひて天をして東行して七曜を西轉せしむるか。曰く、不能。師曰く、汝能く地祇を奪ひて五岳を融して四海を結ぶか。曰く、不能。師曰く、此れを五不能と謂ふ、佛は能く一切の相を空にして萬法の智を成すも能く定業を即滅せず、佛は能く群有の性を知り億劫の事を窮むるも能く緣無きを化導せず、佛は能く無量の有情を度すも能く衆生界を盡さず、此れを三不能と謂ふ、定業も亦牢久ならず無緣も亦只一期なり衆生界本來增減無し、更に一人も能く有法の主と爲る無し、有法に主無ければ是れを無法と謂ひ無法に主無ければ是れを無心と謂ふ、我が解の如くは佛も亦神通無く、只是れ能く無心を以て一切法に通達するならんのみ。神曰く、我實に淺昧にして未だ空義を聞かず、師の授くる所の戒は我當に奉行せん、今願はくは慈德に報ゆて我が能くする所を效さん。師曰く、我、身を觀れば物無く法を觀れば無常なり、塊然として更に何の欲か有らん。神曰く、師、定めて我に命じて世間の事を做して我が小神功を展ばしめ、已發心・初發心・未發心・不信心・必信心の五等の人をして我が神蹤を見て佛有り・神有り・能有り・不能有り・自然有り・非自然有るを知らしめよ。師曰く、無爲是れなり無爲是れなり。神曰く、佛も亦神をして法を護らしむ、師豈に佛を毁叛せんと欲するや、願はくは意に隨ひて誨を垂れよ。師、已むことを得ずして曰く、東巖寺の屏障は莽然として樹無し、北岫に樹有れど皆(舊本は背の字と作る)屏擁に非ず、汝能く北樹を東嶺に移すか。神曰く、已に命を聞けり、然れど昏夜の間必ず喧動有らん、願はくは師駭くこと勿れ、即ち禮を作して辭去す。師、門口に送りて之を看れば、儀衛逶迤として王者の情狀の如く、嵐靄烟霞紛綸として間錯し幢幡環珮空を凌ぎて隱沒す。其の日の夜果して暴風吼雷・奔雲震電ありて棟宇搖蕩し宿鳥聲喧す。師、衆に對して曰く、怖るる勿れ怖るる勿れ、神我と契りぬ。次日清晨、和霽して北巖の松栝皆東嶺に移りて森然として行を成して植ゆ。師、徒弟に對して曰く、我沒したる後外に知らしむること勿れ、若し口實と成らば人將に我を以て妖と爲さんと。開元四年丙辰の歳を以て門人に嘱して曰く、我初め寺の東嶺に住せり、我滅したる後、汝等必ず我が骸骨を彼に放て、言い訖りて委蜕の如し。春秋七十三。門人塔を建つ。
前嵩山普寂禪師法嗣忍大師(第三世)
前嵩山普寂禪師の法嗣、忍大師第三世
終南山惟政禪師平原人也。姓周氏。受業於本。州延和寺詮澄法師。得法於嵩山普寂禪師。既決了真詮。即入太一山中。學者盈室。唐大和中文宗嗜蛤蜊。沿海官吏先時遞進。人亦勞止。一日御饌中有擘不張者。帝以其異即焚香禱之。俄變為菩薩形。梵相具足。即貯以金粟檀香合覆以美錦。賜興善寺。令眾僧瞻禮。因問群臣。斯何祥也。或言太一山有惟政禪師。深明佛法博聞彊識。帝即令召至問其事。師曰。臣聞物無虛應。此乃啟陛下之信心耳。故契經云。應以此身得度者。即現此身而為說法。帝曰。菩薩身已現。且未聞說法。師曰。陛下覩此為常非常耶。信非信耶。帝曰。希奇之事朕深信焉。師曰。陛下已聞說法了。時皇情悅豫得未曾有。詔天下寺院各立觀音像以答殊休。因留師於內道場。累辭入山。復詔令住聖壽寺。至武宗即位。師忽入終南山隱居。人問其故。師曰。吾避仇矣。後終於山舍。年八十七。闍維收舍利四十九粒。以會昌三年九月四日入塔。
終南山惟政禪師は、平原の人、姓は周。本州延和寺詮澄法師に於て業を受け嵩山普寂禪師に於て法を得る。既に眞詮を決了して即ち太一山の中に入りて學者室に盈つ。唐大和中、文宗、蛤蜊を嗜みて沿海の官吏事先ず遞進して人亦勞苦す。一日御饌中に擘き開かざる有りて帝、其の異を以て即ち香を焚きて祈禱す、頃刻に變じて菩薩の形と爲りて梵相具足すれば即ち金粟檀香合を以て貯へて美錦を以て覆ひて興善寺に賜ひて衆僧に瞻禮せしむ。因りて群臣に問ふ、此れ何の祥ぞ。或る曰く、太一山に惟政禪師有りて深く佛法を明め博聞強識なり。帝、即ち召し至らしめて其の事を問ふ。師曰く、臣聞く物に虛應無し、此れ是れ陛下の信心を啓くならんのみ、契經の説く所以は應に此の身を以て度を得べき者は即ち此の身を現じて爲に法を説くと。帝曰く、菩薩身已に現ず、且つ未だ法を説くを聞かず。師曰く、陛下、此を看るに是れ常か非常か、信か非信か。帝曰く、希奇の事、朕深く信ず。師曰く、陛下已に法を説くを聞き訖れり。當時皇情悅豫して未曾有を得たり、詔して天下の寺院各々觀音像を立てて以て殊休に答へしむ。因りて師を內道場に留む、屢辭して山に入らんとす、又詔して聖壽寺に住せしむ。武宗の即位するに至りて師忽然として終南山に入りて隱居す。人其の故を問へば師曰く、我、仇を避く。後に山舍に終はりて年八十七。闍維して舍利四十九粒を收めて會昌三年九月四日を以て塔に入る。
益州無相禪師法嗣忍大師(第四世)
益州無相禪師の法嗣、忍大師第四世
益州保唐寺無住禪師。初得法於無相大師。乃居南陽白崖山。專務宴寂經累歲。學者漸至勤請不已。自此垂誨。雖廣演言教而唯以無念為宗。唐相國杜鴻漸出撫坤維。聞師名思一瞻禮。大歷元年九月。遣使到山延請。時節度使崔寧。亦命諸寺僧徒遠出迎引。十月一日至空慧寺。時杜公與戎帥。召三學碩德俱會寺中致禮訖。公問曰。頃聞師嘗駐錫於此。而後何往耶。曰無住性好疎野多泊山間。自賀蘭五臺周遊勝境。聞先師居貴封大慈寺說最上乘。遂遠來摳衣忝預函丈。後棲遲白崖已逾多載。今幸相公見召。敢不從命。公曰。弟子聞金和尚說無憶無念莫妄三句法門是否。曰然。公曰。此三句是一是三。曰無憶名戒。無念名定。莫妄名慧。一心不生具戒定慧。非一非三也。公曰。後句妄字莫是從心之忘乎。曰從女者是也。公曰。有據否。曰法句經云。若起精進心是妄非精進。若能心不妄精進無有涯。公聞疑情盪焉。又問。師還以三句示人否。曰對初心學人還令息念澄停識浪。水清影現。悟無體念。寂滅現前。無念亦不立也。於時庭樹鵶鳴。公問。師聞否。曰聞。鵶去已。又問。師聞否。曰聞。公曰。鵶去無聲云何言聞。師乃普告大眾。佛世難值正法難聞。各各諦聽。聞無有聞非關聞性。本來不生何曾有滅。有聲之時是聲塵自生。無聲之時是聲塵自滅。而此聞性不隨聲生不隨聲滅。悟此聞性則免聲塵之所轉。當知聞無生滅。聞無去來。公與僚屬大眾稽首。又問。何名第一義。第一義者從何次第得入。師曰。第一義者無有次第。亦無出入。世諦一切有。第一義即無。諸法無性性說名第一義。佛言。有法名俗諦。無性第一義。公曰。如師開示實不可思議。公又曰。弟子性識微淺。昔因公暇撰得起信論章疏兩卷。可得稱佛法否。師曰。夫造章疏皆用識心。思量分別有為有作。起心動念然可造成。據論文雲。
益州保唐寺無住禪師。初め無相大師に於て法を得て即ち南陽白崖山に住し、專ら宴寂を務めて歳を累ぬ。學者漸く至りて勤請已まず、此より誨を垂る。廣く言教を演ぶと雖も而も只無念を以て宗と爲す。唐相國杜鴻漸、出でて坤維を撫して師の名を聞きて一瞻禮せんと欲す。大曆元年九月、使を遣はして山に至りて延請す。當時節度使崔寧亦諸寺の僧徒をして遠く出でて迎引せしむ。十月一日、空慧寺に至る。當時杜公與戎帥と三學碩德を召して俱に寺中に會して致禮畢る。公問ふ、近來聞く師曾て此に錫を駐めしと、而して後何くにか往きし。曰く、無住性疏野を好みて多く山間に泊まる、賀蘭・五臺より勝境を周游して先師の貴封大慈寺に於て最上乘を説くを聞きて即ち遠く來りて衣を抠して忝くも函丈に預る、後に白崖に棲遲して已に多載を過す、今幸に相公の召を見れば敢て命に從はざらんや。公曰く、弟子聞く金和尚の説く無憶・無念・莫妄の三句法門、是か否か。曰く、是。公曰く、此の三句は一か三か。曰く、無憶は戒と名づき無念は定と名づき莫妄は慧と名づく、一心生ぜざれば戒定慧を具して一に非ず三に非ず。公曰く、後句の妄字は莫れも是れ心に從ふ忘か。曰く、女に從ふ纔かに是。公曰く、根據有るか。曰く、《法句經》に曰く、若し精進心を起さば是れ妄にして精進に非ず、若し能く心妄ならざれば精進涯有ること無し。公聞きて疑情蕩盡す。又問ふ、師還た三句を以て人に示すか。曰く、初心の學人に對しては還た念を息め識浪を澄停せしむ、水清ければ影現じて無體の念を悟り寂滅現前すれば無念も亦立たず。當時庭樹に鴉鳴く。公問ふ、師聞くか。曰く、聞く。鴉去りて之後又問ふ、師聞くか。曰く、聞く。公曰く、鴉去りて聲無し、如何にして聞くと説く。師、即ち普く大衆に告げて曰く、佛世は値ひ難く正法は聞き難し、各々諦聽せよ、聞に聞有ること無く聞性に關はらず、本來生ぜず何ぞ曾て滅有らん、聲有るの時は是れ聲塵自ら生じ聲無きの時は是れ聲塵自ら滅す、而して此の聞性は聲に隨ひて生ぜず聲に隨ひて滅せず、此の聞性を悟れば則ち聲塵に轉ぜらるるを免れん、當に知るべし聞は生滅無く聞は去來無し。公與僚屬大衆稽首す。又問ふ、何をか第一義と名づく、第一義何の次第よりか入るを得る。師曰く、第一義に次第無く亦出入無し、世諦一切有りて第一義即ち無し、諸法性無くして性説いて名づけて第一義と曰ふ、佛説く、有法は俗諦と名づき無性は第一義と。公曰く、師の開示するが如くは實に不可思議なり。公又曰く、弟子性識微淺なり、昔日公の暇に因りて《起信論》章疏兩卷を撰じ得たり、佛法と稱す可きか。師曰く、凡そ章疏を造るは皆識心を用ゐて思量分別し有爲有作にして心を起こし念を動かして纔かに造成す可し、論の文に據りて説く、
當知一切法從本以來。離言說相。離名字相。離心緣相。畢竟平等無有變異。唯有一心故名真如。今相公著言說相。著名字相。著心緣相。既著種種相。云何是佛法。公起作禮曰。弟子亦曾問諸供奉大德。皆讚弟子不可思議。當知彼等但徇人情。師今從理解說合心地法。實是真理不可思議。公又問。云何不生。云何不滅。如何得解脫。師曰。見境心不起名不生。不生即不滅。既無生滅即不被前塵所縛。當處解脫。不生名無念。無念即無滅。無念即無縛。無念即無脫。舉要而言。識心即離念。見性即解脫。離識心見性外。更有法門證無上苦提者。無有是處。公曰。何名識心見性。師曰。一切學道人隨念流浪。蓋為不識真心。真心者。念生亦不順生。念滅亦不依寂。不來不去。不定不亂。不取不捨。不沈不浮。無為無相。活鱍鱍平常自在。此心體畢竟不可得。無可知覺。觸目皆如無非見性也。公與大眾作禮。稱讚踴躍而去。後居保唐寺而終。
(師、接ぎて曰く、)當に知るべし一切法は本より來りて言説相を離れ名字相を離れ心緣相を離れ畢竟平等にして變異有ること無く唯有一心のみ、故に名づけて眞如と曰ふ、今相公は言説相に著き名字相に著き心緣相に著く、既に種種の相に著けば如何にして佛法ならん。公、身を起して禮を作して曰く、弟子亦曾て諸の供奉大德に問ふ、皆弟子を讚して不可思議と曰ふ、當に知るべし彼の人は只人情に徇るならんのみ、師、今理解より説きて心地の法に合す、實に是れ眞理不可思議なり。公又問ふ、如何にして生ぜず如何にして滅せず如何にして解脱を得る。師曰く、境を見て心起こらざれば不生と名づく、不生即ち不滅なり、既に生滅無ければ即ち前塵に縛せられずして當處解脱なり、不生は無念と名づく、無念即ち無滅なり、無念即ち無縛なり、無念即ち無脱なり、要を擧げて言はば識心は即ち離念・見性は即ち解脱なり、識心を離れ見性の外に更に法門有りて無上菩提を證するは是の處有ること無し。公曰く、何をか識心見性と名づく。師曰く、一切の學道人は念に隨ひて流浪す、皆眞心を識らざるに因る、眞心とは念生ずるも生に順はず念滅するも寂に依らず來らず去らず定まらず亂れず取らず捨てず沈まず浮かばず無爲無相にして活鱍鱍として平常自在なり、此の心體畢竟得る可からず知覺す可き無し、目に觸れば皆如にして見性に非ざる無し。公與大衆禮を作して稱讚踊躍して去る。後に保唐寺に住して終はる。
景德傳燈錄 卷第四
景德傳燈錄 卷第五
第三十三祖慧能大師
第三十三祖慧能大師
第三十三祖慧能大師法嗣四十三人西印度堀多三藏
第三十三祖慧能大師法嗣四十三人。西印度堀多三藏
韶州法海禪師
韶州法海禪師
吉州志誠禪師
吉州志誠禪師
匾簷山曉了禪師
匾檐山曉了禪師
河北智隍禪師
河北智隍禪師
洪州法達禪師
洪州法達禪師
壽州智通禪師
壽州智通禪師
江西志徹禪師
江西志徹禪師
信州智常禪師
信州智常禪師
廣州志道禪師
廣州志道禪師
廣州法性寺印宗和尚
廣州法性寺印宗和尚
吉州青原山行思禪師
吉州青原山行思禪師
