景徳傳燈錄 巻第十二
作有義事是惺悟心(義謂義理非謂仁義恩義意明。凡所作為先詳利害。須有所以當於道理然後行之。方免同惛醉顛狂之人也。就佛法中有三種義。即可為之。一資益色身之事。謂衣食醫藥房舍等世間義也。二資益法身。謂戒定慧六波羅蜜等第一義也。三弘正法利濟群生也。乃至為法諸餘緣事通世出世也)作無義事是狂亂心(謂凡所作為若不緣上三般事。即名無義也。是狂亂者。且如世間醉人狂人。所往不揀處所。所作不量是非。今既不擇有何義利。但縱情妄念要為即為。故如狂也。上四句述業因也。下四句述受果報雲)狂亂隨情念臨終被業牽(既隨妄念欲作即作。不以悟理之智揀擇是非。猶如狂人。故臨終時於業道。被業所引受當來報。故涅槃經云。無明郎主貪愛魔王。役使身心策如僮僕)惺悟不由情臨終能轉業(情中欲作而察理不應即須便止。情中不欲作而照理相應即須便作。但由是非之理。不由愛惡之情。即臨命終時業不能繫。隨意自在。天上人間也。通而言之。但朝暮之間所作。被情塵所牽。即臨終被業所牽而受生。若所作所為由於覺智。不由情塵。即臨終由我自在而受生。不由業也。當知欲驗臨終受生自在不自在。但驗尋常行心於塵境自由不自由)。
義有る事を作すは是れ惺悟の心(義は義理を謂い、仁義、恩義にあらず。意思は、およそ作為する所は、先ず利害を詳め、須らく以る所有りて道理に当たるを有し、然る後に之を行ず、方に昏醉顛狂の人に同じうするを免るるなり。仏法中に就きて三种の義有りてすなはち之を為すべし。一に、色身を資益するの事、衣食、医薬、房舎等の世間義を謂うなり。二に、法身を資益するは、戒定慧、六波羅蜜等の第一義を謂うなり。三に、正法を弘め群生を利済するなり。乃至法の為の其の余の縁事は、世出世を通ず)。義無き事を作すは是れ狂乱の心(謂う、およそ作為する所、もし上の三般の事に縁せざれば、すなはち名づけて義無しとす。是れ狂乱とは、且く世間の醉人狂人のごとく、往く所、処所を揀ばず、為す所、是非を量らず。今すでに何の義利有るを択ばざれば、ただ情と妄念を縦いにして、為さんと要すればすなはち為す、ゆえに狂のごとし。上の四句は業因を述ぶ。下の四句は果報を受くるを述べて言う)狂乱、情念に随い、終に臨みて業に牽かる(すでに妄念に随い、作さんと欲すればすなはち作し、理を悟るの智を以て是非を揀択せず、猶お狂人のごとし、ゆえに終に臨む時、業道に於て業の引く所と為り、当来の報を受く。ゆえに『涅槃経』に説く、無明郎主、貪愛魔王、身心を役使し、僮僕のごとく策す)。惺悟、情に由らず、終に臨みて能く業を転ず(情中、作さんと欲すれども理に応ぜざるを察すれば、すなはち須らく便ち止むべし。情中、作さんと欲せざるも理に照らして相応すれば、すなはち須らく便ち作すべし。ただ是非の理に由り、愛悪の情に由らざれば、すなはち命終に臨む時、業繋ぐること能わず、意に随いて自在にして天上人間なり。通じて之を言えば、ただ朝暮の間、作す所、情塵の牽く所と為れば、すなはち終に臨みて業に牽かれて生を受く。もし為す所為す所、覚智に由り、情塵に由らざれば、すなはち終に臨みて我に由りて自在に生を受け、業に由らざるなり。当に知るべし、終に臨みて生を受くる自在不自在を験せんと欲せば、ただ尋常心を行じて塵境に於て自由不自由を験せよ)。
景徳傳燈錄 巻第十三
師上堂曰。祖師心印此日全提。去即印住住即印破。只如不去不住。印即是不印即是。眾中還有道得者麼。時有盧陂長老問曰。學人有鐵牛之機。請師不搭印。師曰。慣釣鯨鯢澄巨浸。卻嗟蝸步𩥇泥沙。盧陂擬進語。師以拂子驀口打乃曰。記得前語麼。盧陂曰。記得。師曰。試舉看。盧陂欲開口。師又打一拂。上堂謂眾曰。夫參學眼目臨機直須大用見前。莫自拘於小節。設使言前薦得。猶是滯殼迷封。縱然句下精通。未免觸途狂見。觀汝諸人。從前依他學解迷昧兩蹊。而今與汝一齊掃卻。箇箇作大師子兒。吒呀地哮吼一聲壁立千仞。誰敢正眼覷著。若覷著即瞎卻渠眼。問師唱誰家曲。宗風嗣阿誰。師曰。超然逈出威音外。翹足徒勞讚底沙。
師、上堂して言う―「祖師の心印、此の日全提す。去ればすなはち印住し、住すればすなはち印破す。ただかくのごとき不去不住、印すれども即是、印せざれども即是。衆中、還って道得する者有るや。」時に盧陂長老問う―「学人に鉄牛の機有り、師に請うて印を搭さざらんことを。」師が言う―「鯨鯢を釣るに慣れて巨浸を澄ます、却って嗟く蝸步の泥沙に跲するを。」(底本「𩥇」、当に「跲」と読むべし、絆倒なり。)盧陂、語を進めんと擬す、師、払子を以て蓦に口を打ち、就きて言う―「前の語を記得するや。」盧陂が言う―「記得す。」師が言う―「試みに挙げ看よ。」盧陂、口を開かんと欲す、師また一拂を打つ。上堂して衆に対して言う―「それ参学の眼目は、機に臨みて直に須らく大用を現前せしむべし、自ら小節に拘わるなかれ。設し言前に荐得すとも、なお是れ殻に滞り封に迷う。たとえ句下に精通すとも、いまだ途に触れて狂見するを免れず。お前たち諸人を看るに、従前、他に依りて学解し、迷昧両蹊なり、而今、お前たちと一斉に掃い却せん。箇箇、大師子の児を作りて、咤呀として哮吼一声、壁立千仞ならん。誰か敢て正眼にして觑着せん。もし觑着すれば、すなはち彼の眼を瞎却せん。」問う―「師、誰が家の曲を唱い、宗風は阿誰を嗣ぐ。」師が言う―「超然として迥かに威音の外に出づ、足を翘げて徒らに底沙を讃す。」
景德傳燈錄第十四
景徳傳燈錄 第十四
吉州青原山行思禪師法嗣
吉州青原山行思禅師の法嗣
第一世一人南嶽石頭希遷大師(一人見錄)
第一世一人、南岳石頭希遷大師(一人見録)
第二世二十一人南嶽石頭希遷大師法嗣二十一人荊州天皇寺道悟禪師
第二世二十一人。南岳石頭希遷大師の法嗣二十一人、荊州天皇寺道悟禅師
京兆尸利禪師
京兆尸利禅師
鄧州丹霞山天然禪師
鄧州丹霞山天然禅師
潭州招提寺慧朗禪師
潭州招提寺慧朗禅師
長沙興國寺振朗禪師
長沙興国寺振朗禅師
澧州藥山惟儼禪師
澧州薬山惟儼禅師
潭州大川和尚
潭州大川和尚
汾州石樓和尚
汾州石楼和尚
鳳翔法門寺佛陀和尚
鳳翔法門寺佛陀和尚
潭州華林和尚
潭州華林和尚
潮州大顛和尚
潮州大顛和尚
潭州長髭曠禪師
潭州長髭曠禅師
水空和尚(已上一十三人見錄)
水空和尚(以上一十三人は見録)
寶通禪師
宝通禅師
海陵大辯禪師
海陵大弁禅師
渚涇和尚
渚涇和尚
衡州道詵禪師
衡州道詵禅師
漢州常清禪師
漢州常清禅師
福州碎石和尚
福州砕石和尚
商州商嶺和尚
商州商嶺和尚
常州義興和尚(已上八人無機緣語句不錄)
常州義興和尚(以上八人は機縁の語句なし、録せず)
第三世二十三人荊州天皇道悟禪師法嗣一人澧州龍潭崇信禪師(一人見錄)
第三世二十三人。荊州天皇道悟禅師の法嗣一人、澧州龍潭崇信禅師(一人見録)
鄧州丹霞山天然禪師法嗣七人京兆翠微無學禪師
鄧州丹霞山天然禅師の法嗣七人、京兆翠微無学禅師
丹霞山義安禪師
丹霞山義安禅師
吉州性空禪師
吉州性空禅師
本童和尚
本童和尚
米倉和尚(已上五人見錄)
米倉和尚(以上五人は見録)
揚州六合大隱禪師
揚州六合大隠禅師
丹霞山慧勤禪師(已上二人無機緣語句不錄)
丹霞山慧勤禅師(以上二人は機縁の語句なし、録せず)
藥山惟儼和尚法嗣十人潭州道吾山圓智禪師
薬山惟儼和尚の法嗣十人、潭州道吾山円智禅師
潭州雲巖曇晟禪師
潭州雲巌曇晟禅師
