Libo

景徳傳燈錄 巻第十二

宋 · 道原 · 第80巻 / 151

華亭船子德誠禪師

華亭船子徳誠禅師

宣州椑樹慧省禪師

宣州椑樹慧省禅師

藥山高沙彌

薬山高沙弥

鄂州百顏明哲禪師(已上六人見錄)

鄂州百顔明哲禅師(以上六人は見録)

郢州涇源山光虙禪師

郢州涇源山光虙禅師

藥山蘷禪師

薬山蘷禅師

宣州落霞和尚

宣州落霞和尚

朗州刺史李翱(已上四人無機緣語句不錄)

朗州刺史李翱(以上四人は機縁の語句なし、録せず)

潭州長髭曠禪師法嗣一人潭州石室善道和尚(一人見錄)

潭州長髭曠禅師の法嗣一人、潭州石室善道和尚(一人見録)

潮州大顛和尚法嗣二人漳州三平山義忠禪師(一人見錄)

潮州大顛和尚の法嗣二人、漳州三平山義忠禅師(一人見録)

吉州薯山和尚(一人無機緣語句不錄)

吉州薯山和尚(一人は機縁の語句なし、録せず)

潭州大川和尚法嗣二人僊天和尚

潭州大川和尚の法嗣二人 僊天和尚

福州普光和尚(已上二人見錄)

福州普光和尚(以上二人は見録)

行思禪師第一世

行思禅師第一世

石頭希遷大師端州高要人也。姓陳氏。母初懷妊不喜葷茹。師雖在孩提不煩保母。既冠然諾自許。鄉洞獠民畏鬼神多淫祀。殺牛釃酒習以為常。師輒往。毀叢祠奪牛而歸。歲盈數十。鄉老不能禁。後直造曹谿。六祖大師度為弟子。未具戒屬祖師圓寂。稟遺命謁於廬陵青原山思禪師。乃攝衣從之(緣會語句如思禪師章敘之)一日思問師曰。有人道嶺南有消息。師曰。有人不云云。曰若恁麼大藏小藏從何而來。師曰。盡從遮裡去。終不少他事。思甚然之。師於唐天寶初。薦之衡山南寺。寺之東有石狀如臺。乃結庵其上。時號石頭和尚。師一日上堂曰。吾之法門先佛傳授。不論禪定精進。達佛之知見即心即佛。心佛眾生菩提煩惱名異體一。汝等當知。自己心靈體。離斷常性非垢淨。湛然圓滿凡聖齊同。應用無方離心意識。三界六道唯自心現。水月鏡像豈有生滅。汝能知之無所不備。時門人道悟問。曹谿意旨誰人得。師曰。會佛法人得。曰師還得否。師曰。我不會佛法。僧問。如何是解脫。師曰。誰縛汝。又問。如何是淨土。師曰。誰垢汝。問如何是涅槃。師曰。誰將生死與汝。師問新到僧。從什麼處來。僧曰。江西來。師曰。見馬大師否。僧曰見。師乃指一橛柴曰。馬師何似遮箇。僧無對卻迴舉似馬大師。馬曰。汝見橛柴大小。僧曰。勿量大。馬曰。汝甚有力。僧曰。何也。馬曰。汝從南嶽負一橛柴來。豈不是有力。問如何是西來意。師曰。問取露柱。曰學人不會。師曰。我更不會。大顛問師。古人云。道有道無是二謗。請師除。師曰。一物亦無除箇什麼師卻問。併卻咽喉唇吻道將來。顛曰。無遮箇。師曰。若恁麼即汝得入門。道悟問。如何是佛法大意。師曰。不得不知。悟曰。向上更有轉處也無。師曰。長空不礙白雲飛。問如何是禪。師曰。碌塼。又問。如何是道。師曰。木頭。自餘門屬領旨所有。

石頭希遷大師は、端州高要の人、姓は陳。母、初め妊むや、葷茹を喜ばず。師、孩提に在るといえども保母を煩わさず。冠するに及び、然諾自ら許す。郷洞の獠民、鬼神を畏れ淫祀多く、牛を殺し酒を酾す、常と為す。師輙ち往き、叢祠を毀り、牛を奪い還る、歳数十に盈る、郷老も禁ずること能わず。後に直に曹渓に造り、六祖大師、度して弟子と為す。いまだ具戒せざるに、祖師の円寂に属し、遺命を禀いて廬陵青原山の思禅師に謁し、乃ち衣を摂りてこれに従う。(縁会の語句、思禅師の章に於て之を叙す。)一天、思が師に問う―「人の嶺南に消息有るを道う者有り。」師が言う―「人の云云せざる者有り。」問う―「もし恁麼ならば、大蔵小蔵何よりか来る。」師が言う―「尽く此裏より去る、終に彼の事を少からざらん。」思、甚だしかれりとす。師、唐天宝初、衡山南寺に之を荐む。寺の東に石台のごとき状の石有り、乃ちその上に庵を結ぶ、時に石頭和尚と号す。師、一天上堂して言う―「吾が法門は、先仏より伝授す。禅定精進を論ぜず。仏の知見に達せば、即心即仏なり。心、仏、衆生、菩提、煩悩、名異なれども体は一なり。お前たち、当に知るべし、自己の心霊の体は断常を離れ、性垢浄に非ず、湛然として円満し、凡聖斉同なり。応用方無く、心意識を離る。三界六道、唯だ自心の現ずる所。水月鏡像にあに生滅有らん。お前、能くこれを知れば、備わらざる所無し。」時に門人道悟が問う―「曹渓の意旨、誰人か得る。」師が言う―「仏法を会する人が得。」問う―「師、還って得るや否や。」師が言う―「我、仏法を会せず。」僧が問う―「いかなるか解脱。」師が言う―「誰かお前を綁住した。」また問う―「いかなるか浄土。」師が言う―「誰かお前を垢した。」問う―「いかなるか涅槃。」師が言う―「誰か生死をお前に把り与えた。」師、新到の僧に問う―「何の処よりか来る。」僧が言う―「江西より来た。」師が言う―「馬大師を見るや否や。」僧が言う―「見たり。」師乃ち一橛の柴を指して言う―「馬師、何ぞこの箇に似たらん。」僧は対無し、却って回りて馬大師に挙似す。馬が言う―「お前、橛柴の大小を見るや。」僧が言う―「量大にあらず。」馬が言う―「お前、甚だ力有り。」僧が言う―「何ぞや。」馬が言う―「お前、南岳より一橛の柴を負いて来る、あに力有るにあらずや。」問う―「いかなるか西来意。」師が言う―「露柱に問取せよ。」言う―「学人会せず。」師が言う―「我、更に会せず。」大顛が師に問う―「古人説く、道有道無は是れ二謗なり。師に除を請う。」師が言う―「一物も亦た無し、箇の何をか除かん。」師、却って問う―「咽喉唇吻を併却せよ、道い将り来れ。」顛が言う―「この箇無し。」師が言う―「もし恁麼ならばすなはちお前、門に入ることを得。」道悟が問う―「いかなるか仏法の大意。」師が言う―「知らざることを得ず。」悟が言う―「向上、更に転ずる処有るや無きや。」師が言う―「長空、白雲の飛ぶを碍げず。」問う―「いかなるか禅。」師が言う―「碌磚。」また問う―「いかなるか道。」師が言う―「木頭。」其の余の門属、旨を領し所有する、

問答各於本章出焉。師著參同契一篇。辭旨幽𤀹頗有註解大行於世。南嶽鬼神多顯跡聽法。師皆與授戒。廣德二年門人請下於梁端。廣闡玄化。江西主大寂。湖南主石頭。往來憧憧並湊二大士之門矣。貞元六年庚午十二月二十五日順世。壽九十一。臘六十三。門人建塔於東嶺。長慶中諡無際大師。塔曰見相。

問答、各々本章に於て出づ。師、『参同契』一篇を著す、辞旨幽眇(底本「𤀹」、当に「眇」と読むべし)、頗る注解有り、世に大行す。南岳の鬼神、多く迹を顕し法を聴く、師、皆与えて戒を授く。広徳二年、門人、梁端に下るを請う、広く玄化を闡く。江西は大寂を主とし、湖南は石頭を主とす、往来憧憧として、並びに二大士の門に凑り了る。貞元六年庚午十二月二十五日、世に順す。寿九十一、臘六十三。門人、東嶺に塔を建つ。長慶中、無際大師と諡し、塔を見相と曰す。

行思禪師第二世

行思禅師第二世

前石頭希遷法嗣

前石頭希遷の法嗣

荊州天皇道悟禪師婺州東陽人也。姓張氏。神儀挺異。幼而生知長而神俊。年十四懇求出家父母不聽。遂誓志損減飲膳。日才一食形體羸悴。父母不得已而許之。依明州大德披削。二十五杭州竹林寺具戒精修梵行。推為勇猛。或風雨昏夜宴坐丘塚。身心安靜離諸怖畏。一日遊餘杭首謁徑山國一禪師。受心法服勤五載。唐大歷中抵鍾陵造馬大師。重印前解法無異說。復住二夏。乃謁石頭遷大師而致問曰。離卻定慧以何法示人。石頭曰。我遮裡無奴婢。離箇什麼。曰如何明得石頭曰。汝還撮得空麼。曰恁麼即不從今日去也。石頭曰。未審汝早晚從那邊來。曰道悟不是那邊人。石頭曰。我早知汝來處。曰師何以贓誣於人。石頭曰。汝身見在。曰雖如是畢竟如何示於後人。石頭曰。汝道阿誰是後人。師從此頓悟。於前二哲匠言下。有所得心罄殫其跡後卜於荊州當陽柴紫山(五百羅漢翱翔之地也)學徒依附駕肩接跡。都人士女嚮風而至。時崇業寺上首以狀聞。於連帥迎入郡城之左有天皇寺乃名藍也。因火而廢。主寺僧靈鑒將謀修復。乃曰。苟得悟禪。師為化主必能福我。乃中宵潛往哀請肩輿而至。遂居天皇。時江陵尹右僕射裴公稽首問法致禮勤至。師素不迎送。客無貴賤皆坐而揖之。裴公愈加歸向。由是石頭法道盛於此席。僧問。如何是玄妙之說。師曰。莫道我解佛法。僧曰。爭奈學人疑滯何。師曰。何不問老僧。僧曰。問了也。師曰。去不是汝存泊處。師元和丁亥四月示疾。命弟子先期告終。至晦日大眾問疾。師驀召典座。典座近前。師曰。會麼。對曰。不會。師乃拈枕子拋於地上。即便告寂。壽六十。臘三十五。以其年八月五日塔於郡東(寂音尊者。曰荊州天王寺道悟禪師。如傳燈錄所載。則曰。道悟得法於石頭。所居寺曰天皇。婺州東陽人。姓張氏。年十四出家。依明州大德披剃。年二十五。抗州竹林寺受具。

荊州天皇道悟禅師は、婺州東陽の人、姓は張。神儀挺異、幼にして生知し、長じて神俊なり。年十四、懇に出家を求む、父母聴さず、遂に志を誓い飲膳を損減し、日に纔か一食、形体羸悴す。父母已むことを得ずしてこれを許す。明州大徳に依りて披削す。二十五、杭州竹林寺にて具戒、梵行を精修し、勇猛と推さる。或いは風雨の昏夜、丘塚に宴坐し、身心安静にして諸の怖畏を離る。一天、余杭に游び、首め径山国一禅師を謁し、心法を受け、服勤五載。唐大暦中、鐘陵に抵りて馬大師に造り、重ねて前解を印し、法、説に異ならず、復た二夏を住す。乃ち石頭遷大師を謁して問いを致す―「定慧を離却して、何の法を以て人に示す。」石頭が言う―「我がここに奴婢無し、箇の何をか離れる。」問う―「いかにして明るむことを得。」石頭が言う―「お前、還って空を撮得するや。」言う―「恁麼なればすなはち今日より去らず。」石頭が言う―「いまだ審らかならず、お前、いずれの程にか那辺より来る。」言う―「道悟は是れ那辺の人にあらず。」石頭が言う―「我、早くお前の来処を知れり。」言う―「師、何を以て人に贓を誣う。」石頭が言う―「お前の身、現に在り。」言う―「是のごとしといえども、畢竟いかにして後人に示さん。」石頭が言う―「お前、阿誰をか後人と道う。」師、此より頓悟す。前の二哲匠の言下に於て得る心有るを、罄くしてその迹を殫くしたり。後に荊州当陽柴紫山に卜す(五百羅漢翱翔の地なり)。学徒依附し、肩を駕き迹を接す。都人士女、風に向かって至る。時に崇業寺の上首、状を以て連帥に聞し、迎えて郡城に入れしむ。之の左に天皇寺有り、乃ち名藍なり、火に因りて廃す。主寺僧霊鑑、将に修復を謀らんとして就きて言う―「もし悟禅師を得て化主と為さば、必ず能く我を福せん。」乃ち中宵、潜に往き哀請し、肩輿して至り、遂に天皇に居す。時に江陵尹右僕射裴公、稽首して法を問い、礼を致すこと勤至なり。師、素より迎送せず、客、貴賤無く、皆坐して之を揖す。裴公、愈いよ歸向を加う。是に由りて石頭の法道、この席に於て盛んなり。僧が問う―「いかなるか玄妙の説。」師が言う―「我が仏法を解すと道うなかれ。」僧が言う―「争でか学人の疑滞を奈んせん。」師が言う―「何ぞ老僧に問わざる。」僧が言う―「問い了り。」師が言う―「去れ、お前の存泊する処にあらず。」師、元和丁亥四月、疾を示し、弟子に命じて期に先んじて終を告げしむ。晦日に至りて大衆、疾を問う。師、蓦に典座を召す。典座、近前す。師が言う―「会すや。」対して言う―「会せず。」師乃ち枕子を拈じて地上に抛げ、便ち即ち寂を告ぐ。寿六十、臘三十五。その年八月五日に以て郡の東に塔す。(寂音尊者が言う、荊州天王寺道悟禅師。『傳燈錄』の載する所のごとくば、則ち説く、道悟、法を石頭に得、居る所の寺を天皇と曰う、と。婺州東陽の人、姓は張。年十四出家し、明州大徳に依りて披剃す。年二十五、杭州竹林寺にて具を受く。(底本「抗州」、すなはち杭州。)

首謁徑山國一禪師服勤五年。大曆中抵鍾陵。謁馬大師經二夏。乃造石頭。元和丁亥四月示疾。壽六十臘三十五。及觀達觀頴禪師所集五家宗派。則曰。道悟嗣馬祖。引唐丘玄素所撰碑文幾千言。其略曰。師號道悟。渚宮人姓崔氏。即子玉後胤也。年十五於長沙寺禮曇翥律師出家。二十三詣嵩山。律德得屍羅。謁石頭扣寂二年無所契悟。乃入長安親忠國師。三十四與侍者應真。南還謁馬大師大悟於言下。祝曰。他日莫離舊處。故復還渚宮。元和十三年戊戌歲四月初示疾。十三日歸寂壽八十二。臘六十三。考其傳正如兩人然。玄素所載曰。有傳法一人。崇信。住澧州龍潭。南嶽讓禪師碑。唐聞人歸登譔。列法孫數人於後。有道悟名。圭峰答裴相國宗趣狀。列馬祖之嗣六人。首曰江陵道悟。其下注曰。兼稟徑山。今妄以雲門臨濟二宗競者。可發一笑。出林間錄○覺夢堂重校五家宗派序雲。景德間吳僧道原。集傳燈錄三十卷。自曹溪下列為兩派。一曰南嶽讓。讓出馬大師。一曰青原思。思出石頭遷。自兩派下又分五宗。馬大師出八十四員善知識。內有百丈海。海出黃檗運大溈祐二人。運下出臨濟玄。故號臨濟宗。祐下出仰山寂。故號溈仰宗。八十四人內又有天王悟。悟得龍潭信。信得德山鑒。鑒得雪峰存。存下出雲門偃。號雲門宗。次玄沙備。備出地藏琛。琛出清涼益。號法眼宗次。石頭遷出藥山。儼天皇悟二人。悟下得慧真。真得幽閑。閑得文賁。三世便絕。唯藥山得雲嚴晟。晟得洞山價。價得曹山章。是為曹洞宗。今傳燈卻收雲門法眼兩宗。歸石頭下誤矣。緣同時道悟有兩人。一曰江陵城西天王寺道悟者。渚宮人也。崔子玉之後嗣馬祖。元和十三年四月十三日化。正議大夫丘玄素撰塔銘。文幾千言。其略雲。馬祖祝曰。他日莫離舊處。故復還渚宮。一曰。江陵城東天皇寺道悟者。𭤇州東陽人也。

(寂音、接続して言う)首め径山国一禅師を謁し、服勤五年。大暦中、鐘陵に抵り、馬大師に謁して二夏を経、乃ち石頭に造る。元和丁亥四月、疾を示す。寿六十、臘三十五。及び達観穎禅師の集むる所の五家宗派を観れば、則ち説く、道悟、馬祖を嗣ぐ、と。唐丘玄素の撰せる碑文幾千言を引く。その略して言う―師、号は道悟、渚宮の人、姓は崔、すなはち子玉の後胤なり。年十五、長沙寺に於て曇翥律師を礼して出家す。二十三、嵩山に詣り、律徳に於て尸羅を得。石頭に謁して寂を扣くこと二年、契悟する所無し。乃ち長安に入りて忠国師に親しむ。三十四、侍者应真と南に還り、馬大師に謁して、言下に於て大悟す。祝して言う―「他日、旧処を離るること莫れ。」ゆえに復た渚宮に還る。元和十三年戊戌歳四月初、疾を示し、十三日に寂に帰す。寿八十二、臘六十三。その伝を考すれば、正に兩人のごとし。玄素の載する所に説く、法を伝うる一人有り、崇信、澧州龍潭に住す、と。南岳譲禅師の碑、唐聞人帰登の撰、法孫数人を後に列し、道悟の名有り。圭峰、裴相国宗趣の状に答え、馬祖の嗣六人を列し、首を江陵道悟と曰い、その下に注して言う、兼ねて径山を禀く、と。今、妄に雲門、臨済二宗の競う者を以てす、一笑を発すべし。『林間録』に出出づ。○覚夢堂、重ねて五家宗派を校して序に言う―景徳間、呉僧道原、『傳燈錄』三十巻を集む。曹渓より下を列ねて両派と為す、一に曰く南岳譲、譲は馬大師より出づ、一に曰く青原思、思は石頭遷より出づ。両派より下、また五宗を分かつ。馬大師、八十四員の善知識を出し、内に百丈海有り。海は黄檗運、大潙祐の二人を出す。運下より臨済玄を出す、ゆえに臨済宗と号す。祐下より仰山寂を出す、ゆえに潙仰宗と号す。八十四人の内、また天王悟有り。悟は龍潭信を得、信は徳山鑑を得、鑑は雪峰存を得。存下より雲門偃を出す、雲門宗と号す。次いで玄沙備、備は地蔵琛を出し、琛は清涼益を出す、法眼宗と号す。次いで石頭遷、薬山儼、天皇悟の二人を出す。悟下より慧真を得、真は幽閑を得、閑は文賁を得、三世便ち絶す。唯だ薬山が雲巌晟を得、晟が洞山价を得、价が曹山章を得たる、是を曹洞宗と為す。今『傳燈』は却って雲門、法眼両宗を収めて石頭の下に帰す、誤れり。縁に同時に道悟、兩人有り。一に曰く江陵城西天王寺の道悟は、渚宮の人なり、崔子玉の後、馬祖を嗣ぐ。元和十三年四月十三日に化す。正議大夫丘玄素、塔銘を撰す、文幾千言。その略して言う―馬祖、祝して言う―「他日、旧処を離るること莫れ。」ゆえに復た渚宮に還る。一に曰く江陵城東天皇寺の道悟は、婺州東陽の人なり。(底本「𭤇州」、すなはち婺州。)

姓張氏嗣石頭。元和二年丁亥化。葉律郎符載撰塔銘。二碑所載生緣出處甚詳。但緣道原採集傳燈之日非非一一親往討尋。不過宛轉託人捃拾。而得其差誤可知也。自景德至今。天下四海以傳燈為據。雖列剎據位立宗者。不能略加究辦。惟丞相無盡居士張公。及呂夏卿二君子。每會議宗門中事。嘗曰。石頭得藥山藥山得曹洞一宗教理行果言說宛轉。且天皇道悟下出箇周金剛。呵風罵雨。雖佛祖不敢嬰其鋒。恐自天皇處或有差誤。寂音尊者亦嘗疑之雲。道悟似有兩人。無盡居士後於達觀頴禪師處。得唐符載所撰天皇道悟塔記。又討得丘玄素所作天王道悟塔記。賚以遍示諸方曰。吾嘗疑德山洞山同出石頭下。因甚垂手處作用殺活不同。今以丘符二記證之朗然明白。方信吾擇法驗人之不謬耳。寂音曰。圭峰答裴相國宗趣狀。列馬祖之嗣六人。首曰江陵道悟。其下注曰。兼稟徑山今妄以雲門臨濟二宗競者。可發一笑。略書梗概以傳。明達者庶知五家之正派如是而已)。

姓は張、石頭を嗣ぐ。元和二年丁亥に化す。協律郎符載、塔銘を撰す。(底本「叶律郎」、当に是れ「協律郎」なるべし。)二碑の載する所、生縁の出処甚だ詳し。ただ道原の『傳燈』を采集する日、並びに一一親しく往きて討尋したるにあらず、過らく宛転人に托して捃拾して得るのみ、その差誤は知るべし。景徳より今に至る、天下四海『傳燈』を以て拠と為す。列刹位に拠り宗を立つる者といえども、能く究辨を略加せざるなり。唯だ丞相無尽居士張公、および呂夏卿の二君子、毎に宗門中の事を会議して、嘗て説く―「石頭は薬山を得、薬山は曹洞を得、一宗の教理行果、言説宛転なり。且く天皇道悟下、箇の周金剛を出せり、風を呵り雨を罵る、仏祖といえどもその鋒を嬰れず。恐らくは天皇の処より或いは差誤有らん。」寂音尊者も亦た嘗て之を疑いて言う―「道悟、似たらく兩人有るか。」無尽居士、後に達観穎禅師の処に於て唐符載の撰せる天皇道悟塔記を得、また丘玄素の作れる天王道悟塔記を討得して、齎して遍く諸方に示して言う―「吾、嘗て徳山、洞山、同じく石頭下より出づるを疑う、因甚んの垂手の処、作用殺活同じからざる。今、丘、符二記を以て之を証すれば、朗然として明白なり。方に吾が法を択び人を験するの謬らざるを信ず。」寂音が言う、圭峰、裴相国宗趣の状に答え、馬祖の嗣六人を列し、首を江陵道悟と曰い、その下に注して言う、兼ねて径山を禀く、と。今、妄に雲門、臨済二宗の競う者を以てす、一笑を発すべし。略か梗概を書して以て伝う。明達の者、庶幾くは五家の正派の是のごときを知らんのみ。)

京兆尸利禪師。初問石頭。如何是學人本分事。石頭曰。汝何從吾覓。曰不從師覓如何即得。石頭曰。汝還曾失卻麼。師乃契會厥旨。

京兆尸利禅師。初め石頭に問う―「いかなるか学人の本分の事。」石頭が言う―「お前、何より吾に覓む。」言う―「師に従いて覓めず、いかにしてすなはち得ん。」石頭が言う―「お前、還って曽て失却したるや。」師乃ち其の旨に契会す。

鄧州丹霞天然禪師不知何許人也。初習儒學將入長安應舉。方宿於逆旅。忽夢白光滿室。占者曰。解空之祥也。偶一禪客問曰。仁者何往。曰選官去。禪客曰。選官何如選佛。曰選佛當往何所。禪客曰。今江西馬大師出世。是選佛之場。仁者可往。遂直造江西。才見馬大師以手托幞頭額。馬顧視良久曰。南嶽石頭是汝師也。遽抵南嶽還以前意投之。石頭曰。著槽厰去。師禮謝入行者房。隨次執爨役凡三年。忽一日石頭告眾曰。來日剗佛殿前草。至來日大眾諸童行各備鍬钁剗草。獨師以盆盛水淨頭。於和尚前胡跪。石頭見而笑之便與剃髮。又為說戒法。師乃掩耳而出。便往江西再謁馬師。未參禮便入僧堂內。騎聖僧頸而坐。時大眾驚愕遽報馬師。馬躬入堂視之曰。我子天然師即下地禮拜曰。謝師賜法號。因名天然。馬師問。從什麼處來。師雲。石頭。馬雲。石頭路滑還躂倒汝麼。師曰。若躂倒即不來。乃杖錫觀方。居天台華頂峰三年。往餘杭徑山禮國一禪師。唐元和中至洛京龍門香山。與伏牛和尚為莫逆之友。後於慧林寺遇天大寒。師取木佛焚之。人或譏之。師曰。吾燒取捨利。人曰。木頭何有。師曰。若爾者何責我乎。師一日謁忠國師。先問侍者。國師在否。曰在即在不見客。師曰。太深遠生。曰佛眼亦覷不見。師曰。龍生龍子鳳生鳳兒。國師睡起侍者以告。國師乃鞭侍者二十棒遣出。後丹霞聞之乃雲。不謬為南陽國師。至明日卻往禮拜。見國師便展坐具。國師雲。不用不用。師退步。國師雲。如是如是。師卻進前。國師雲。不是不是。師繞國師一匝便出。國師雲。去聖時遙人多懈怠。三十年後覓此漢也還難得。師訪龐居士。見女子取菜次。師雲。居士在否。女子放下籃子斂手而立。師又云。居士在否。女子便提籃子去。元和三年師於天津橋橫臥。會留守鄭公出呵之不起。吏問其故。師徐曰。無事僧。

鄧州丹霞天然禅師は、何許の人か知らず。初め儒学を習い、将に長安に入りて挙に応ぜんとす。方に逆旅に宿す、忽ち白光の室に満てるを夢る。占う者が言う―「空を解するの祥なり。」偶たま一禅客が問う―「仁者、何れに往かん。」言う―「官を選びに去る。」禅客が言う―「官を選ぶ、仏を選ぶに何如せん。」言う―「仏を選ぶに当に何の所にか往くべき。」禅客が言う―「今、江西馬大師世に出づ、是れ仏を選ぶの場、仁者往くべし。」遂に直に江西に造る。纔かに馬大師を見るに、手を以て幞頭の額を托す。馬、顧視すること良久、言う―「南岳石頭、是れお前の師なり。」遽いで南岳に抵り、還って前の意を以てこれに投ず。石頭が言う―「槽廠に著けて去れ。」師、礼謝し、行者房に入り、次に随いて爨役を執ること凡そ三年。忽ち一日、石頭、衆に告げて言う―「来日、仏殿前の草を剷せん。」来日に至り、大衆諸の童行、各々鍬镢を備えて草を剷く。独り師は盆に水を盛りて頭を浄め、和尚の前に於て胡跪す。石頭、見て之を笑い、便ち与えて髪を剃らしむ。また戒法を為に説く。師乃ち耳を掩いて出づ、便ち江西に往きて再び馬師に謁す。いまだ参礼せざるに、便ち僧堂内に入り、聖僧の頸に騎りて坐す。時に大衆驚愕し、遽いで馬師に報ず。馬、躬ら堂に入りてこれを視て言う―「我が子天然。」師、すなはち地に下りて礼拝して言う―「師に謝す、法号を賜うを。」因りて天然と名づく。馬師が問う―「何の処よりか来る。」師が言う―「石頭。」馬が言う―「石頭、路滑らか、還ってお前を跶倒せしか。」師が言う―「もし跶倒せばすなはち来らず。」乃ち錫を杖して方を観る。天台華頂峰に居ること三年。余杭径山に往きて国一禅師を礼す。唐元和中、洛京龍門香山に至り、伏牛和尚と莫逆の友と為る。後に慧林寺に於て天大寒に遇い、師、木仏を取りて之を焚く。人、或いは之を譏る。師が言う―「吾、舎利を焼き取る。」人が言う―「木頭に何ぞ有らん。」師が言う―「もし是のごとくば、何ぞ必ずしも我を責備せん。」師、一天、忠国師に謁す。先ず侍者に問う―「国師在るや否や。」言う―「在れば則ち在るも、客に見えず。」師が言う―「太だ深遠なり生。」言う―「仏眼も亦た觑て見えず。」師が言う―「龍は龍子を生じ、鳳は鳳児を生ず。」国師、睡り起る、侍者以て告ぐ。国師乃ち侍者を鞭うつこと二十棒し、遣り出だしむ。後に丹霞、之を聞き、就きて言う―「謬らず南陽国師と為す。」明日に至りて却って往きて礼拝す。国師を見て便ち坐具を展ぐ。国師が言う―「用いず用いず。」師、歩を退く。国師が言う―「如是如是。」師、却って前に進む。国師が言う―「不是不是。」師、国師を繞ること一匝して便ち出づ。国師が言う―「聖を去る時遥か、人多く懈怠す。三十年後、此の漢を覓むるも還って得難からん。」師、龐居士を訪い、女子の菜を取る次を見る。師が言う―「居士在るや否や。」女子、籃子を放下して手を斂めて立つ。師また言う―「居士在るや否や。」女子、便ち籃子を提げて去る。元和三年、師、天津橋に於て横卧す。留守鄭公の出づるに会い、之を呵するも起たず。吏、その故を問う。師、徐に言う―「無事の僧。」

留守異之。奉束素及衣兩襲日給米麫。洛下翕然歸信。至十五年春告門人言。吾思林泉終老之所。時門人令齊靜方卜南陽丹霞山。結庵以奉事。三年間玄學者至盈三百。眾構成大院。師上堂曰。阿爾渾家切須保護一靈之物。不是爾造作名貌得。更說什麼薦與不薦。吾往日見石頭和尚。亦只教切須自保護。此事不是爾譚話得。阿爾渾家各有一坐具地。更疑什麼。禪可是爾解底物。豈有佛可成。佛之一字永不喜聞。阿爾自看。善巧方便慈悲喜捨。不從外得。不著方寸。善巧是文殊方便是普賢。爾更擬趁逐什麼物。不用經不落空去。今時學者紛紛擾擾。皆是參禪問道。吾此間無道可修。無法可證。一飲一啄各自有分不用疑慮。在在處處有恁麼底。若識得釋迦即者凡夫是。阿爾須自看取。莫一盲引眾盲相將入火坑。夜裡暗雙陸賽彩。若為生無事珍重。有僧到參。於山下見師乃問。丹霞山向什麼處去。師指山曰。青黯黯地。僧曰。莫只遮箇便是麼。師曰。真師子兒一撥便轉。師問僧。什麼處宿。雲山下宿。師曰。什麼處吃飯。曰山下吃飯。師曰。將飯與闍梨吃底人。還具眼也無。僧無對(長慶舉問保福。將飯與人吃。感恩有分。為什麼不具眼。保福雲。施者受者二俱瞎漢。長慶雲。盡其機來又作麼生。保福雲。道某甲瞎得麼。玄覺徵雲。且道。長慶明丹霞意。為復自用家財)師以長慶四年六月二十三日。告門人曰。備湯沐吾欲行矣。乃戴笠策杖受履。垂一足未及地而化。壽八十六。門人斲石為塔。勅諡智通禪師。塔號妙覺。

留守、異と為し、束素および衣両襲を奉り、日に米面を給す。洛下、翕然として歸信す。十五年春に至り、門人に告げて言う―「吾、林泉、老を終うるの所を思う。」時に門人、斉静をして南陽丹霞山を卜せしめ、庵を結びて以て奉事す。三年の間、玄学者の至ること三百衆に盈り、構えて大院と成す。師、上堂して言う―「お前たち渾家、切に須らく一霊の物を保護すべし、是れお前たちの名貌を造作して得るにあらず。更に何の荐をもって荐ると不荐とを説く。吾、往日、石頭和尚を見しも、亦たただ切に須らく自ら保護すべしと教えたり。此の事は是れお前たちの譚話して得るにあらず。お前たち渾家、各々一坐具の地有り、更に何をか疑わん。禅はあに是れお前たちの解する底の物ならん。あに仏の成ずべき有らん。仏の一字、永く聞くを喜ばず。お前たち、自ら看よ。善巧方便、慈悲喜舎、外より得ず、方寸に著かず。善巧は是れ文殊、方便は是れ普賢。お前たち更に何の物をか趁逐せんと擬す。経を用いず、空に落ち去らず。今時の学者、紛紛擾擾、皆是れ禅を参じ道を問う。吾が此間、修すべき道無く、証すべき法無し。一飲一啄、各自分有り、疑慮を用いず。在在処処に恁麼の底有り。もし釈迦を識得せば、すなはち此の凡夫是なり。お前たち、須らく自ら看取すべし。一盲衆盲を引き、相将いて火坑に入ること莫れ。夜裏、暗くして双陸を賽彩するは、若し生の為。無事、珍重。」僧有りて到り参ず、山下に於て師を見、乃ち問う―「丹霞山、何の処に向かってか去る。」師、山を指して言う―「青黯黯地。」僧が言う―「あながちこの箇が便ち是か。」師が言う―「真の師子児、一撥すれば便ち転ず。」師が僧に問う―「何の処にか宿す。」言う―「山下に宿す。」師が言う―「何の処にて飯を吃す。」言う―「山下にて飯を吃す。」師が言う―「飯を将て闍梨に吃せしむる底の人、還って眼を具するや無きや。」僧は対無し。(長慶、挙げて保福に問う―「飯を将て人に吃せしむ、恩に感ずる分有るに、何の故ぞ眼を具せざる。」保福が言う―「施する者受ける者、二倶に瞎漢なり。」長慶が言う―「其の機を尽くしてまた作麼生。」保福が言う―「某甲の瞎れるを道うことを得るや。」玄覚が徴して言う―「且く道え、長慶は丹霞の意を明すか、為復た自ら家財を用いたるか。」)師、長慶四年六月二十三日、門人に告げて言う―「湯沐を備えよ、吾行かんと欲す。」乃ち笠を戴き杖を策して履を受け、一足を垂れていまだ地に及ばずして化す。寿八十六。門人、石を斫りて塔と為す。勅して智通禅師と諡し、塔号を妙覚とす。

潭州招提慧朗禪師始興曲江人也。姓歐陽氏。年十三依鄧林寺模禪師披剃。十七遊南嶽。二十於嶽寺受具。往虔州龔公山謁大寂。大寂問曰。汝來何求。師曰。求佛知見。曰佛無知見。知見乃魔界。汝從南嶽來。似未見石頭曹谿心要爾。汝應卻歸。師承命迴嶽造於石頭。問如何是佛。石頭曰。汝無佛性。曰蠢動含靈又作麼生。石頭曰。蠢動含靈卻有佛性。曰慧朗為什麼卻無。石頭曰。為汝不肯承當。師於言下信入。後住梁端招提寺。不出戶三十餘年。凡參學者至。皆曰。去去汝無佛性。其接機大約如此(時謂大朗禪師)。

潭州招提慧朗禅師は、始興曲江の人、姓は欧陽。年十三、鄧林寺模禅師に依りて披剃す。十七、南岳に游ぶ。二十、岳寺に於て具を受く。虔州龔公山に往きて大寂に謁す。大寂が問う―「お前、来りて何をか求む。」師が言う―「仏知見を求む。」言う―「仏に知見無し、知見は乃ち魔界なり。お前、南岳より来る、似たらくいまだ石頭曹渓の心要を見ず。お前、応に却って帰るべし。」師、命を承けて岳に回り、石頭に造る。問う―「いかなるか仏。」石頭が言う―「お前に仏性無し。」言う―「蠢動含霊、また作麼生。」石頭が言う―「蠢動含霊は却って仏性有り。」言う―「慧朗、何の故ぞ却って無き。」石頭が言う―「お前の承当を肯んぜざるが為なり。」師、言下に於て信入す。後に梁端招提寺に住し、戸を出でざること三十余年。およそ参学の者至れば、皆説く―「去れ去れ、お前に仏性無し。」其の機に接するおおむね此のごとし。(時に大朗禅師と謂う。)

長沙興國寺振朗禪師。初參石頭問。如何是祖師西來意。石頭曰。問取露柱。曰振朗不會。石頭曰。我更不會。師俄然省悟。住後有僧來參。師乃召曰。上坐。僧應諾。師曰。孤負去也。曰師何不鑒。師乃拭目而視之。僧無語(時謂小朗禪師)

長沙興国寺振朗禅師。初め石頭に参じて問う―「いかなるか祖師の西来意。」石頭が言う―「露柱に問取せよ。」言う―「振朗会せず。」石頭が言う―「我、更に会せず。」師、俄然として省悟す。住しの後、僧有りて来り参ず。師乃ち召して言う―「上座。」僧、應諾す。師が言う―「孤負して去れ。」言う―「師、何ぞ鑑せざる。」師乃ち目を拭いて之を視る。僧は語無し。(時に小朗禅師と謂う。)

澧州藥山惟儼禪師。絳州人姓韓氏。年十七依潮陽西山慧照禪師出家。唐大歷八年納戒于衡嶽希操律師。乃曰。大丈夫當離法自淨。豈能屑屑事細行於布巾耶。即謁石頭密領玄旨。一日師坐次。石頭覩之問曰。汝在遮裡作麼。曰一切不為。石頭曰。恁麼即閑坐也。曰若閑坐即為也。石頭曰。汝道不為。且不為箇什麼。曰千聖亦不識。石頭以偈讚曰。

澧州薬山惟儼禅師は、絳州の人、姓は韓。年十七、潮陽西山慧照禅師に依りて出家す。唐大暦八年、衡岳希操律師に於て戒を納む、就きて言う―「大丈夫、当に法を離れて自ら浄むべし、あに能く屑屑として布巾に細行を事とせんや。」すなはち石頭に謁し、密かに玄旨を領す。一天、師坐する次、石頭、之を睹て問う―「お前、ここに在りて作么す。」言う―「一切為さず。」石頭が言う―「恁麼なればすなはち閑坐なり。」言う―「もし閑坐すればすなはち為するなり。」石頭が言う―「お前、為さずと道う、且く箇の何をか為さざる。」言う―「千聖も亦た識らず。」石頭、偈を以て讃す―

從來共住不知名任運相將只麼行

従来共住して名を知らず、運に任せて相将いてただかくのごとく行く、

自古上賢猶不識造次凡流豈可明

古より上賢なお識らず、造次たる凡流あに明らかにすべけん。

石頭有時垂語曰。言語動用勿交涉。師曰。不言語動用亦勿交涉。石頭曰。遮裡針劄不入。師曰。遮裡如石上栽華。石頭然之。師後居澧州藥山。海眾雲會(廣語見別卷)一日師看經次。柏巖曰。和尚休猱人得也。師卷卻經曰。日頭早晚。曰正當午。師曰。猶有遮箇文彩在。曰某甲無亦無。師曰。汝大殺聰明。曰某甲只恁麼。和尚尊意如何。師曰。我跛跛挈挈百醜千拙且恁麼過。師與道吾說。茗谿上世為節察來。吾曰和尚上世曾為什麼。師曰。我痿痿羸羸且恁麼過時。吾曰。憑何如此。師曰。我不曾展他書卷(石霜別雲。書卷不曾展)院主報。打鍾也請和尚上堂。師曰。汝與我擎缽盂去。曰和尚無手來多少時。師曰。汝只是枉披袈裟。曰某甲只恁麼和尚如何。師曰。我無遮箇眷屬。師見園頭栽菜次。師曰。栽即不障汝栽。莫教根生。曰既不教根生。大眾吃什麼。師曰。汝還有口麼無對。僧問。如何不被諸境惑。師曰。聽他何礙汝。曰不會。師曰。何境惑汝。僧問。如何是道中至寶。師曰。莫諂曲。曰不諂曲時如何。師曰。傾國不換。有僧再來依附。師問。阿誰。曰常坦。師呵曰。前也是常坦後也是常坦。一日院主請師上堂。大眾才集。師良久。便歸方丈閉門。院主逐後曰。和尚許某甲上堂。為什麼卻歸方丈。師曰。院主。經有經師。論有論師。律有律師。又爭怪得老僧。師問雲巖。作什麼。巖曰。擔屎。師曰那箇聻。巖曰在。師曰。汝來去為誰。曰替他東西。師曰。何不教並行。曰和尚莫謗他。師曰。不合恁麼道。曰如何道。師曰。還曾擔麼。師坐次有僧問。兀兀地思量什麼。師曰。思量箇不思量底。曰不思量底如何思量。師曰。非思量。僧問。學人擬歸鄉時如何。師曰。汝父母遍身紅爛臥在荊棘林中汝歸何所。僧曰。恁麼即不歸去也。師曰。汝卻須歸去。汝若歸鄉我示汝箇休糧方。僧曰。便請。師曰。

石頭、時有りて語を垂れて言う―「言語動用、交渉するなかれ。」師が言う―「言語せず動用せざるも亦た交渉するなかれ。」石頭が言う―「ここには鍼の扎さるも入らず。」師が言う―「ここは石上に花を栽うが如し。」石頭、之を然とす。師、後に澧州薬山に居り、海衆雲会す。(広語は別巻に見る。)一天、師、経を看る次、柏巌が言う―「和尚、人を猱るを休めよ。」師、経を巻却して言う―「日頭早晚ぞ。」言う―「正に午に当たる。」師が言う―「なおこの文彩有る在り。」言う―「某甲、亦た無し。」師が言う―「お前、大きに聡明を殺す。」言う―「某甲ただ恁麼なり、和尚の尊意如何。」師が言う―「我、跛跛挈挈、百丑千拙、且く恁麼に過ぐ。」師、道吾と説く、茗渓上、世に節察と為りて来ると。吾が言う―「和尚、上世、曽て何をか為りし。」師が言う―「我、痿痿羸羸、且く恁麼に時を過ぐ。」吾が言う―「何に凭りて此のごとき。」師が言う―「我、曽て彼の書巻を展がず。」(石霜、別に言う―「書巻曽て展がず。」)院主が報ず―「鐘を打つなり、和尚に請うて上堂せん。」師が言う―「お前、我が為に鉢盂を擎げて去れ。」言う―「和尚、手無きこと多少の時ぞ。」師が言う―「お前、ただ是れ袈裟を枉げて披くのみ。」言う―「某甲ただ恁麼なり、和尚は如何。」師が言う―「我にこの眷属無し。」師、園頭の菜を栽うる次を見る。師が言う―「栽うるはすなはちお前の栽うるを障げず、根を生ぜしむること莫れ。」言う―「すでに根を生ぜしめざれば、大衆、何をか吃せん。」師が言う―「お前、還って口有るや。」対無し。僧が問う―「いかにして諸境に惑わされざらん。」師が言う―「彼に聴け、何ぞお前を碍げん。」言う―「会せず。」師が言う―「何の境かお前を惑わす。」僧が問う―「いかなるか道中の至宝。」師が言う―「諂曲するなかれ。」言う―「諂曲せざる時いかん。」師が言う―「国を傾けても換えず。」僧有りて再来し依附す。師が問う―「阿誰。」言う―「常坦。」師、呵して言う―「前も亦た常坦、後も亦た常坦。」一天、院主、師に請うて上堂せん。大衆纔かに集まる、師、良久、便ち方丈に帰りて門を閉ぢる。院主、後を逐いて言う―「和尚、某甲に上堂を許ししに、何の故ぞ却って方丈に帰る。」師が言う―「院主。経に経師有り、論に論師有り、律に律師有り、また争でか老僧を怪しむことを得。」師、雲巌に問う―「作么す。」巌が言う―「屎を担ぐ。」師が言う―「那箇は。」巌が言う―「在り。」師が言う―「お前、来去して誰が為に。」言う―「彼の東西に替わる。」師が言う―「何う―「何ぞ併行せしめざる。」言う―「和尚、彼を謗ること莫れ。」師が言う―「恁麼に道うに合せず。」言う―「いかにして道う。」師が言う―「還って曽て担ぎしか。」師、坐する次、僧有りて問う―「兀兀地に何をか思量する。」師が言う―「思量せざる底の箇を思量す。」言う―「思量せざる底をいかにして思量する。」師が言う―「思量に非ず。」僧が問う―「学人、郷に帰らんと擬する時いかん。」師が言う―「お前の父母、遍身紅爛にして荆棘林中に卧す、お前、何の所にか帰る。」僧が言う―「恁麼なればすなはち帰らざるなり。」師が言う―「お前、却って須らく帰るべし。お前もし郷に帰らば、我、お前に箇の休糧方を示さん。」僧が言う―「便ち請う。」師が言う―

二時上堂不得齩破一粒米。僧問。如何是涅槃。師曰。汝未開口時喚作什麼。師見遵布衲洗佛乃問遮箇從汝洗。還洗得那箇麼。遵曰。把將那箇來。師乃休(長慶雲。邪法難扶。玄覺雲。且道長慶恁麼道。在賓在主。眾中喚作洗佛語。亦云。兼帶語。且道盡善不盡善)僧問曰。學人有疑請師決。師曰。待上堂時來與闍梨決疑。至晚間上堂。大眾集定。師曰。今日請決疑。上坐在什麼處。其僧出眾而立師下禪床把卻曰。大眾遮僧有疑。便托開歸方丈(玄覺雲。且道與伊決疑否。若決疑什麼處是決疑。若不與決疑。又道待上堂時與汝決疑)師問飯頭。汝在此多少時也。曰三年。師曰。我總不識汝。飯頭罔測發憤而去。僧問。身命急處如何。師曰。莫種雜種。曰將何供養。師曰。無物者。師令供養主鈔化。甘行者問。什麼處來。僧曰。藥山來。甘曰。來怎麼。僧雲。教化。甘雲。將得藥來麼。曰行者有什麼病。甘便捨銀兩鋌曰。有人即送來。無人即休。師怪僧歸太急。僧曰。問佛法相當得兩鋌銀。師令舉其語。舉已。師令僧速送還行者家。行者見僧迴雲。僧來遂添銀施之(同安代雲。早知行者恁麼問。終不道藥山來)師問僧。見說汝解算虛實。曰不敢。師曰。汝試算老僧看。僧無對(雲巖後來舉問洞山。汝作麼生。洞山雲。請和尚生日)師書佛字問道吾。是什麼字。吾雲。佛字。師雲。多口阿師。僧問己事未明乞和尚指示。師良久曰。吾今為汝道一句亦不難。只宜汝於言下便見去。猶較些子。若更入思量。卻成吾罪過。不如且各合口免相累。及大眾夜參不點燈。師垂語曰。我有一句子。待特牛生兒即向汝道。時有僧曰。特牛生兒也何以不道。師曰把燈來。其僧抽退入眾(雲巖後舉似洞山。洞山雲。遮僧卻會。只是不肯禮拜)僧問。祖師未到此土此土還有祖師意否。師曰有。僧曰。既有祖師意。又來作什麼。師曰。

(師、接続して言う)「二時上堂に、一粒の米を咬破することを得ず。」僧が問う―「いかなるか涅槃。」師が言う―「お前、いまだ口を開かざる時、何をか作り喚ぶ。」師、遵布衲の仏を洗うを見て、乃ち問う―「この箇はお前より洗わるる、還って那箇を洗い得るや。」遵が言う―「那箇を把り将り来れ。」師乃ち休む。(長慶が言う―「邪法、扶け難し。」玄覚が言う―「且く道え、長慶の恁麼に道うは、賓に在るか主に在るか。衆中、仏を洗うの語と喚びても、亦た兼帯の語と説く。且く道え、善を尽くすか善を尽くさざるか。」)僧が問う―「学人疑有り、師に決を請う。」師が言う―「上堂の時に来れ、闍梨に疑を決せん。」晩間に至りて上堂、大衆集まり定まる。師が言う―「今日、疑を決せんを請う、上座は何の処に在る。」其の僧、衆を出でて立つ。師、禅床を下りて把却して言う―「大衆、この僧、疑有り。」便ち托開して方丈に帰る。(玄覚が言う―「且く道え、彼に疑を決したるや否や。もし疑を決せば、何の処か是れ疑を決する。もし与えて疑を決せざれば、また上堂の時に与えてお前の疑を決せんと道う。」)師、飯頭に問う―「お前、此に在りて多少の時ぞ。」言う―「三年。」師が言う―「我、総ぼてお前を識らず。」飯頭、罔測し、発憤して去る。僧が問う―「身命急なる処いかん。」師が言う―「雑種を種うるなかれ。」言う―「何を将てか供養する。」師が言う―「物無き者。」師、供養主をして抄化せしむ。甘行者が問う―「何の処よりか来る。」僧が言う―「薬山より来た。」甘が言う―「来りて怎麼す。」僧が言う―「教化。」甘が言う―「薬を将て来るや。」言う―「行者に何の病か有る。」甘便ち銀両錠を舎てて言う―「人有ればすなはち送りて来れ、人無ければすなはち休め。」師、僧の帰ること太だ急なるを怪しむ。僧が言う―「仏法を問うて相当なりしに、両錠の銀を得たり。」師、その語を挙げしむ。挙げ已り、師、僧をして速やかに行者の家に送り還さしむ。行者、僧の回るを見て、僧の来たるを説き、遂に銀を添えて之を施す。(同安、代わりて言う―「早く行者の恁麼に問うを知らば、終に薬山より来たとは道わざらん。」)師が僧に問う―「お前、虚実を算することを解すと見説す。」言う―「敢えず。」師が言う―「お前、試みに老僧を算して看よ。」僧は対無し。(雲巌、後来、挙げて洞山に問う―「お前、作麼生。」洞山が言う―「和尚に生日を請う。」)師、「佛」の字を書して道吾に問う―「是れ何の字ぞ。」吾が言う―「佛の字。」師が言う―「多口の阿師。」僧が問う―「己事いまだ明らかならず、和尚に指示を乞う。」師、良久して言う―「吾、今、お前の為に道う

只為有所以來。師看經。有僧問。和尚尋常不許人看經。為什麼卻自看。師曰。我只圖遮眼。曰某甲學和尚還得也無。師曰。若是汝牛皮也須看透(長慶雲。眼有何過。玄覺雲。且道長慶會藥山意不會藥山意)朗州刺史李翱嚮師玄化屢請不起。乃躬入山謁之。師執經卷不顧。侍者白曰。太守在此。翱性褊急乃言曰見面不如聞名。師呼太守。翱應諾。師曰。何得貴耳賤目。翱拱手謝之。問曰。如何是道。師以手指上下曰。會麼。翱曰。不會。師曰。雲在天水在缾。翱乃欣愜作禮而述一偈曰。

(師、接続して言う)「ただ有るが為のゆえに来る。」師、経を看る。僧有りて問う―「和尚、尋常、人に経を看るを許さず、何の故ぞ却って自ら看る。」師が言う―「我、ただ眼を遮るを図る。」言う―「某甲、和尚を学んで還って得るや無きや。」師が言う―「もし是れお前ならば、牛皮も亦た須らく看透すべし。」(長慶が言う―「眼に何の過か有る。」玄覚が言う―「且く道え、長慶は薬山の意を会すや会せざるや。」)朗州刺史李翱、師の玄化に向かい、屡ば請うも起たず、乃ち躬ら山に入りて之を謁す。師、経巻を執りて顧みず。侍者、白して言う―「太守、此に在り。」翱、性褊急にして、乃ち言い発す―「面を見るは名を聞くに如かず。」師、呼ぶ―「太守。」翱、應諾す。師が言う―「何ぞ耳を貴び目を賤しむるを得。」翱、拱手して之に謝す。問う―「いかなるか道。」師、手を以て上下を指して言う―「会すや。」翱が言う―「会せず。」師が言う―「雲は天に在り、水は瓶に在り。」翱乃ち欣愜として礼を作し、而して一偈を述ぶ―

練得身形似鶴形千株松下兩函經

身形を練りて鶴形に似せ、千株の松下に両函の経、

我來問道無餘說雲在青天水在缾

我、道を問い来れり、其の余の説無し、雲は青天に在り水は瓶に在り。

(玄覺雲且道李太守是讚他語。明他語須具行腳眼始得)。

(玄覚が言う―「且く道え、李太守は是れ彼の語を讃するか、彼の語を明するか。須らく行脚の眼を具するを始めて得ん。」)

翱又問。如何是戒定慧。師曰。貧道遮裡無此閑傢俱。翱莫測玄旨。師曰。太守欲得保任此事。直須向高高山頂坐深深海底行。閨閤中物捨不得便為滲漏。師一夜登山經行。忽雲開見月大笑。一聲應澧陽東九十許裡。居民盡謂東家。明晨迭相推問直至藥山。徒眾雲。昨夜和尚山頂大笑。李翱再贈詩曰。

翱また問う―「いかなるか戒定慧。」師が言う―「貧道、ここに此の閑家具無し。」翱、玄旨を測る莫し。師が言う―「太守、此の事を保任せんと欲せば、直に須らく高高の山頂に向かって坐し、深深の海底に向かって行ずべし。閨閣中の物、舎てて得ざれば、便ち渗漏と為る。」師、一夜、山に登りて経行し、忽ち雲開けて月を見て大笑す。一声、澧陽の東九十許里に応ず。居民、尽く东家と謂う。明晨、迭か相い推問して、直に薬山に至る。徒衆が言う―「昨夜、和尚、山頂に大笑せり。」李翱、再び詩を贈る―

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