關塞四夷篇 第三十四
經曰:關塞者,地之要害也。設險守固,所以乖蠻隔夷,內諸夏而外夷狄,尊衣冠禮樂之國,卑氊裘毳服之長,是以荒要侯甸從此別矣。
本経に曰く――關隘要塞は、地形上の要害の処なり。険阻を設置し堅固を堅守して、以て蠻夷を外に阻隔し、中原の諸夏を以て内と為し夷狄を以て外と為し、衣冠礼楽の邦を尊崇し、毡裘毛毳を穿つるの部落酋長を看輕す。これに因りて《尚書・禹貢》の謂う所の荒服・要服・侯服・甸服等の区画も、またここより分別せらる。
關內道:自京西出塞門鎭,經朔方節度,去西京一千三百五十里,去東京二千里,關五原塞表。匈奴之故地,以渾邪部落為臯蘭都督府,斛律部落為高關州,渾卜焦部落為浚稽州,魯麗塞下置六胡州,黨項十四拓拔、舍利、僕固、野剎、桑乾、節子等部落牧其原野。
關内道――西京長安より西に向かいて塞門鎮を出で、朔方節度使の辖区を経過し、西京を距ること一千三百五十里、東京洛陽を距ること二千里、關口は五原の塞外に設く。ここは匈奴の旧地にして、朝廷は渾邪部落を以て皋蘭都督府を設置し、斛律部落を以て高關州を設置し、渾卜焦部落を以て濬稽州を設置し、魯麗塞の下に六胡州を設置す。党項十四部および拓拔・舍利・僕固・野剎・桑干・節子等の部落はこの一帯の原野の上に於て放牧す。
黃河北道:安北舊去西京五千二百里,西京六千六百里;今移在永清,去西京二千七百里,東京三千四百里,關大漠以北。回紇部落為瀚海都督府,多覽部落為燕然都督府,思結部落為盧山都督府,同羅、拔拽古部落為幽陵都督府,同羅部落為龜林都督府,匐利羽為稽田州,奚結部落為雞鹿州,道歷陰山、羊那山、龍門山、牛頭山、鐵勒山、北庭山、眞檀山、木刺山、諾眞山,涉黑沙道,入十姓部故居地。
黄河北道――安北都護府の旧治は西京を距ること五千二百里、東京を距ること六千六百里(原文の後の一処はなお「西京」と作るは、当に「東京」の误なるべし)。如今永清に移治し、西京を距ること二千七百里、東京を距ること三千四百里、關口は大沙漠の北に在り。朝廷は回紇部落を以て瀚海都督府を設置し、多覧部落を以て燕然都督府を設置し、思結部落を以て盧山都督府を設置し、同羅・拔拽古部落を以て幽陵都督府を設置し、同羅部落を以て亀林都督府を設置し、匐利羽を以て稽田州を設置し、奚結部落を以て鶏鹿州を設置す。この路は陰山・羊那山・龍門山・牛頭山・鉄勒山・北庭山・真檀山・木刺山・諾真山を経過するを要し、黒沙磧道を穿ちて、突厥十姓部落の旧居の地に進入す。
河東道:自京西東出蒲律關,經太原,抵河東節度,去西京二千七十五里,去東京一千六百四十五里,關榆林塞北。以頡利左渠故地置定襄都督府,管等六州。以右渠地置雲中都督府,管阿史那等五州。道歷三川口,入三山母谷,道通室韋大落泊,東入奚,西入默啜故地。
河東道――西京より東に向かいて蒲律關を出で、太原を経過し、河東節度使の辖区に抵達し、西京を距ること二千零七十五里、東京を距ること一千六百四十五里、關口は楡林塞の北に在り。朝廷は突厥頡利可汗の左廂の旧地を以て定襄都督府を設置し、六州を管轄し、右廂の地を以て雲中都督府を設置し、阿史那等の五州を管轄す。この路は三川口を経過するを要し、三山母谷に進入り、路は室韋の大落泊に通じ、東に往きて奚族の地界に進入り、西に往きて黙啜可汗の故地に進入す。
隴右道:自西京出大鎭關,經隴西節度,去西京一千四百里,去東京一千二百七十五里,南出,關黨項雜羌,置據叢鱗可等四十州,分隸緣邊等諸州,西距吐番,去西京一萬二千里,北去鳳林關,度黃河西南,入鬱標、柳谷、彰豪、清海、大非海、鳥海、小非海、星海、泊悅海、萬海、白海、魚海,入吐番。
隴右道――西京より大鎮關を出で、隴西節度使の辖区を経過し、西京を距ること一千四百里、東京を距ること一千二百七十五里、南に向かいて關を出でれば、關外は党項と雑居の諸羌なり。朝廷はここに於て據・叢・鱗・可等の四十州を設置し、各々辺に沿うの諸州に隷属す。西に往きて吐蕃に直抵し、西京を距ること一万二千里。北に向かいて鳳林關を出で、黄河を渡りて西南に行き、鬱標・柳谷・彰豪・清海・大非海・鳥海・小非海・星海・泊悦海・万海・白海・魚海を経過して、吐蕃に進入す。
河西道:自京西西北出蕭關、金城關,自河西節度,去西京二千一十里,去東京二千八百十一里,〈○此句原脫,依文瀾閣本補。〉北海、抵日亭海、彌娥山、獨洛河道,入九姓十箭三屈故居地。
河西道――西京より西北に向かいて蕭關・金城關を出で、河西節度使の辖区に由りて北上し、西京を距ること二千零一十里、東京を距ること二千八百一十一里(校記:「去東京」のこの一句原本脱漏す、文瀾閣本に拠りて補う)、北面に北海を経て、日亭海・弥娥山・独洛河の一線に抵達し、突厥九姓・十箭・三屈部落の旧居の地に進入す。
北庭道:自北京西出,經河西節度,出玉門關,涉河關、菖蒲海東出,高昌故地置西州,以突厥處密部落為瑤池都督府,以雜種故胡地部落為庭州、為北庭都護,去西京一千七百五十六里,去東京六千八百七十六里,北抵播塞厥海、長海、關海、曲地。以突結骨部落置堅昆都督府,管拘勃都督府,為燭龍州,北抵瀚海,去西京二萬餘里。
北庭道――北京太原府より西に向かいて出発し、河西節度使の辖区を経過し、玉門關を出で、河關を渡り、菖蒲海の東側に由りて穿ち出づ。高昌の旧地に於て西州を設置し、突厥処密部落を以て瑶池都督府を設置し、雑胡旧地の各部落を以て庭州を設置し・北庭都護府を置き、西京を距ること一千七百五十六里、東京を距ること六千八百七十六里、北面に播塞厥海・長海・關海と曲地とに抵達す。また突厥結骨部落を以て堅昆都督府を設置し、拘勃都督府を管轄して、燭龍州と為し、北面に瀚海に直抵し、西京を距ること両万余里なり。
安西道:自西京出涉交河,出鐵門關,至安西節度,去西京八千五十里,去東京八千八百五十里,路入疏勒、鄢耆、碎葉、於闐、黑海、雪海、大宛、月支、康居、大夏、奄蔡、黎軒、條支、烏孫等國。
安西道――西京より出発し、交河を渡り、鉄門關を出で、安西節度使の辖区に到達し、西京を距ること八千零五十里、東京を距ること八千八百五十里、路に沿うて疏勒・焉耆・碎葉・于闐・黒海・雪海・大宛・月支・康居・大夏・奄蔡・黎軒・條支・烏孫等の国に進入すべし。
劒南道:自東京西南出大散關,經甘亭關、百牢關,越劒門關、松嶺關,至劒南節度,去西京二千三百七十里,去東京三千二四十六里。出蠶涯關,過筰道雜羌六十四州,分列山谷路,入吐蕃。南出邛僰,〈○「分列」下九字原脫,依文瀾閣本補。〉開通越巂,度瀘河、雲南關,西南徼外雜蠻置冉蒙、弄覽六十州,路入甘河、夜郎、滇池、身毒、五天竺國,去西京三萬五千里。
剣南道――東京より西南に向かいて大散關を出で、甘亭關・百牢關を経過し、剣門關・松嶺關を越過して、剣南節度使の辖区に到達し、西京を距ること二千三百七十里、東京を距ること三千二百四十六里。蚕涯關を出でて、筰道一帯の雑羌六十四州を経過し、これらの州は山谷道路の間に分布排列し、これに由りて吐蕃に進入すべし。南に向かいて邛・僰の地を出でて(校記:「分列」以下の九字原本脱漏す、文瀾閣本に拠りて補う)、越巂を開通し、瀘水を渡り云南關を経過す。西南辺塞の外の雑蠻の地に冉蒙・弄覧等の六十州を設置し、路に沿うて甘河・夜郎・滇池・身毒と五天竺の各国に進入すべく、西京を距ること三万五千里なり。
范陽道:自西京出潼關,至范陽節度,去西京二千五百二十里,去東京一千六百八十六里,北去居庸關、盧龍關塞外東胡故地。以契丹蕃長置饒察都督府,回紇五部落分為五州,以白霫部落為居延州,黑霫部落為寘顏州,北至烏羅渾,去西京一萬五千里。
范陽道――西京より潼關を出で、范陽節度使の辖区に到達し、西京を距ること二千五百二十里、東京を距ること一千六百八十六里、北に向かいて居庸關・盧龍關を出でれば、便ち塞外東胡の旧地なり。朝廷は契丹の部落首領を以て饒察都督府を設置し、回紇の五つの部落を分かちて五州を設置し、白霫部落を以て居延州を設置し、黒霫部落を以て寘顔州を設置し、北面に烏羅渾に到達し、西京を距ること一万五千里なり。
平盧道:自西京經范陽節度東,至榆林關,至平盧〈○此下舊抄本並脫,以文瀾閣本、參張刻本補。〉節度,去西京二千七百里,去東京三千里,抵安東,渡遼水路,接奚、契丹、室韋、勃海、靺鞨、高麗、黑水。
平盧道――西京より范陽節度使の辖区を経て東に往き、楡林關に到り、再び平盧節度使の辖区に到る(校記:ここより下、旧抄本は皆脱漏せり、今文瀾閣本に拠り并せて張刻本を参照して補う)、西京を距ること二千七百里、東京を距ること三千里、安東都護府に抵達す。遼水を渡るのこの路は、奚・契丹・室韋・渤海・靺鞨・高麗・黒水の諸部を連接す。
嶺南道:自西京南出藍田關,涉漢江,越大庾嶺,經南海節度,去西京五千六百里,去東京四千二百七十里,路入銅柱、林邑、九眞、日南、高眞臘、銅勒、交趾等國。
嶺南道――西京より南に向かいて藍田關を出で、漢江を渡り、大庾嶺を翻越し、南海節度使の辖区を経過し、西京を距ること五千六百里、東京を距ること四千二百七十里、路に沿うて銅柱・林邑・九真・日南・高真臘・銅勒・交趾等の国に進入すべし。
河南道:自西京出潼關,經東萊節度,去西京二千七百六十里,去東京一千八百五十三里。東涉滄海,距熊律都督府北濟國,又東抵雞林都督府新羅國,又東南經利磨國屬羅,涉海達倭國,一名日本。其海行不計裡數。
河南道――西京より潼關を出で、東莱節度使の辖区を経過し、西京を距ること二千七百六十里、東京を距ること一千八百五十三里。東に向かいて滄海を渡りて、熊律都督府の所在する北済国に到り得、再び東に往きて鶏林都督府の所在する新羅国に抵達し、再び東南に経て利磨国と属羅とを過ごし、海を渡りて倭国に到達す。また日本とも謂う。この一段の海路の里数は計算するの法なし。
《神機制敵太白陰經》巻三 終
攻城具篇 第三十五
經曰:善守者,藏於九地之下;善攻者,動於九天之上。人所不見謂之九地,見所不及謂之九天。是故墨翟縈帶為垣,公輸造飛雲之梯,無所施其巧。所謂善守者,敵不知其所攻;善攻者,敵不知其所守。守而必固者,守其所不攻;攻而必取者,攻其所不守。孫武子曰:「具器械,三月而後成;拒城闉,三月而後已。」其攻守之具,古今不同。今約便事而用之。
本経に曰く――善く防守する者は、兵力を九地の下に蔵す。善く進攻する者は、兵力を九天の上に発動す。別人の看見し得ざるを「九地」と謂い、看見し得ても及ぶ能わざるを「九天」と謂う。故に当年墨翟はただ衣帯を用いて一道の城牆を囲成し、公輸般は飛雲梯を造出するも、また其の巧技を施展する能わざりき。謂うところの善守は、敵人をして何れの処を攻むべきかを知らざらしむるなり。謂うところの善攻は、敵人をして何れの処を守るべきかを知らざらしむるなり。防守必ず牢固たるは、敵人の攻め往かざるの処を守住したるが以てなり。進攻必ず手を得るは、敵人の防守せざるの処を攻打したるが以てなり。《孫子兵法》に曰く「城を攻むるの器械を準備するに、三箇月にして初めて完成す。土を堆りて山を成し城郭に抵近するに、また三箇月にして初めて停当す」と。攻守の用いる所の器具は、古今各々相同ならず、今日はただ実用に便なるを択取して採用す。
轒轀車,四輪,車上以繩為脊,犀皮蒙之,下藏十人,塡隍推之,直抵城下,可以攻掘,金木火石所不能及。
轒輼車――四個の輪子あり、車上に繩索を用いて脊架を編成し、外に犀牛皮を蒙せ、車下に十個人を蔵るべし。一辺城壕を塡平して一辺推進し、直に城牆の脚下に抵るに至りて、以て城牆を凿挖すべし。敵人の金刃・木石と火攻と皆車下の人を傷つくる能わず。
飛雲梯,以大木為床,下置六輪,上立雙牙。有栝梯,長一丈二尺;有四梲,相去三尺。勢微曲遞,互相栝飛於雲間,以窺城中。其上城首冠雙轆轤,〈○原本誤重「雙」字,依《通典》百六十引此文刪。〉枕城而上。
飛雲梯――大木を用いて底座を做り、下に六個の輪子を装し、上に两根の牙柱を立起す。梯身に栝榫を設けて以て節を逐いて接続すべく、毎節の長さ一丈二尺なり。また四道の短柱横木あり、彼此相距ること三尺なり。梯勢は稍ば弯曲を帯び節を逐いて逓接し、互相に栝合して雲間に高擧し、以て城中を窺視す。梯子が城頭に搭上するの一端に両個の轆轤を装す(校記:原本「雙」の字误りて重出す、《通典》巻一百六十の引く此文に拠りて删去す)、城牆の上に架ければ則ち攀登し上るべし。
砲車,以大木為床,下安四輪,上建雙陛,陛間橫栝,中立獨竿,首如桔橰狀,其竿高下長短大小,〈○原本「竿」上誤衍「高」字,依《通典》刪。〉以城為準。竿首以窠盛石小大多少,隨竿力所制,人挽其端而投之。其車推轉逐便而用之,亦可埋腳著地而用。其旋風四腳,亦隨事用之。
砲車――大木を用いて底座を做り、下に四個の輪子を安じ、上に两根の柱架を竪起し、柱架の間に栝木を横穿し、正中に一根の独竿を立て、竿頭の形状は水を汲むの桔槔に似たり。竿の高低長短大小は(校記:原本「竿」の字の上面に误りて一個の「高」の字を衍す、《通典》に拠りて删去す)、攻むる所の城牆の高度を以て準と為す。竿頭は窠斗を用いて石彈を盛放し、石彈の大小多少は、竿の拋射力に取决り、人に另一端を拉動せしめて以て石彈を拋げ出さしむ。この車は推して転移し宜に随いて使用し得、また車脚を地の裏に埋め進めて固定して使用し得。別に旋風砲の四脚砲架あり、また情况を看て採用すべし。
車弩,為軸轉車,車上定十二石弩弓,以鐵鈎連軸,車行軸轉,引弩持滿,弦掛牙上。弩為七衢:中衢大箭一簇,長七寸,圍五寸;箭笴長三尺,圍五寸;以鐵葉為羽。左右各三箭,次差小於中箭,其牙一發,諸箭皆起,及七百步所中,城壘無不崩潰,樓櫓亦顚墜。〈○張刻本無此句,今依文瀾閣本。〉
車弩――転軸を帯びたる車を做成し、車上に一張の十二石の強度の弩弓を固定し、鉄鈎を用いて弩弦を軸に連ね、車一行けば則ち軸は転動し、弩弦を拉満して、弦は弩牙に挂る。弩身は七道の箭槽に分作す――中間の一道は大箭を放ち、箭鏃の長さ七寸・囲り五寸、箭杆の長さ三尺・囲り五寸、鉄片を用いて箭羽と為す。左右は各々三支の箭を放ち、依次に中間のあの支に比べて略ば小なり。弩牙一たび発すれば、各箭は斉しく射出して、射程は七百歩に及ぶべく、凡そ射中する所の城牆壁壘は崩塌せざるなく、敵楼望櫓もまた之に随いて墜落す。(校記:此の一句、張刻本になし、今文瀾閣本に依りて保留す。)
尖頭轤,以木為脊,長一丈,徑一尺五寸,下安六腳,下闊而上尖,高七尺,可容六人。以濕牛皮蒙之,人蔽其下,〈○「人蔽」二字原倒,依《通典》乙轉。〉共昇直抵城下,木石金火不能及,用攻其城。〈○張刻本無此句,今依文瀾閣本。〉
尖頭轤――木料を用いて脊梁を做り、長さ一丈、直径一尺五寸、下に六隻の脚を安じ、下部は寛闊にして上部は尖削、高さ七尺にして、以て六個人を容納すべし。外に湿牛皮を蒙せ、人は其の下に蔵れ(校記:「人蔽」の二字原本顛倒す、《通典》に拠りて乙正す)、一齐に彼を抬きて直に城下に推して、木石・金刃・火攻は皆人を傷つくる能わず、以て城を攻む。(校記:此の一句、張刻本になし、今文瀾閣本に依りて保留す。)
土山,於城外堆土為山,乘城而上。
土山――城外に於て土を堆りて山を成し、土山の高度を憑借して城牆に登上す。
地道,鑿地為道,行於城下,因攻其城。每一丈建柱,以防崩陷,復積薪於柱間而燒之,柱折城崩。
地道――地を挖りて隧道を成し、城牆の下に通じ、これを借りて城を攻む。毎に一丈を挖るに一根の支柱を立てて、塌陷を防ぎ、城基に挖り到りて後に、再び柱子の間に柴薪を堆積して火を点了して焚焼し、柱子焼き断たれれば、城牆は便ち之に跟いて塌り下る。
板屋,以八輪車,車上樹高竿,上安轆轤,以繩挽板屋上竿首,以窺城中。板屋〈○此九字文瀾閣本脫去,今依張刻。〉高五尺,方四尺,有十二孔,四面列布,車可進退圍城而行於營中,遠望謂之巢車,狀若鳥巢。
板屋――八輪車を用い、車上に高竿を竪起し、竿頂に轆轤を安じ、繩子を用いて板屋を竿頂に拉り到らしめ、上より城中を窺視す。板屋は(校記:此の九箇の字、文瀾閣本脱去せり、今張刻本に依りて補う)高さ五尺、四面各々寛さ四尺、十二個の孔を開きて四面に排布す。車は前進後退し得、城を繞りて営の中を行走す。遠く望むに、人は之を「巢車」と呼ぶ。形状は鳥の巢のごとく好し。
木幔,以板為幔,立結橰於四輪車,上懸逼城堞,使趫卒蔽之,蟻附而上,大石所不能及。
木幔――木板を用いて幔障を做成し、四輪車の上に桔槔形の吊架を立起し、幔障を高懸して城垛に逼近せしめ、身手矯捷の士卒をして幔の後に躲れて、螞蟻のごとく攀附して城に登らしめ、大石は彼らを砸く能わず。
火箭,以小瓢盛油貫矢端,射城樓櫓板上。瓢敗油散後,以火箭射油散處,火立焚。復以油瓢續之,則樓櫓盡焚。
火箭――小瓢を用いて油を盛り、箭頭の上に穿きて、城上の敵楼望櫓の木板に射到る。瓢破れて油洒き開いた後に、再び火を帯びたる箭を用いて油迹の処に射向けば、立刻に大火を燃起す。続いて続けて油瓢を射て助燃せば、敵楼望櫓は則ち全部焼毀せん。
雀杏,磨杏核中空,以艾內火實之,繫雀足,薄暮群放之,飛入城中,棲宿積聚廬舍,須臾火發。
雀杏――杏核を磨き空くして、裏に火を蔵るの艾絨を塞満し、麻雀の脚上に繋け、傍晚に群を成して放ち出す。麻雀は城裏に飛び進み、囤積の物資と房舎の上に棲息し、多からずして則ち火を起こさん。
蜀钁、鐵鏨,蜀钁,短柄钁也。〈○此「钁」字依《御覽》三百七十七補。〉鐵鏨,鑿井鏨城也。〈此句原脫「鑿」字、「城」字,並依《御覽》補正。〉
蜀钁・鉄錾――蜀钁は、則ち短柄の镢頭なり(校記:此の「钁」の字は《太平御覧》巻三百七十七に拠りて補う)。鉄錾は、以て井を凿り城牆を錾凿するなり(校記:此の一句原本「凿」の字と「城」の字を脱漏す、皆《太平御覧》に拠りて補正す)。
守城具篇 第三十六
經曰:善守者,藏於九地之下;善攻者,動於九天之上。人所不見謂之九地,見所不及謂之九天。禽滑釐問墨翟守城之具,墨翟荅以六十六事,〈○文瀾閣本作「五十六」事。〉皆繁冗不便於用。其後韋孝寬守晉州、王偘守臺城,皆約封鬍子技巧之術。古法非不妙,然非今之用也。〈○張刻本作「然不宜於今也」。〉今述便於用者如左方。
本経に曰く――善く防守する者は、兵力を九地の下に蔵す。善く進攻する者は、兵力を九天の上に発動す。別人の看見し得ざるを「九地」と謂い、看見し得ても及ぶ能わざるを「九天」と謂う。禽滑厘は墨翟に向かって城を守るの器具を請教し、墨翟は六十六件を回答す(校記:「六十六」文瀾閣本は「五十六」と作る)、皆繁瑣累贅・実用に不便なるを嫌う。後に韋孝寛は晋州を守り、王偘は台城を守るに、皆封胡子のあの一套の技巧の術を精簡を加えたり。古人の弁法は精妙ならざるに非ざるも、ただ今日の用途に合わざるなり(校記:此の一句、張刻本は「然不宜于今也」と作る)。現在実用に便なるを分列して後に出だす。
浚隍。深開濠塹也。增城,增修樓櫓也。懸門,懸木板以為重門。
濬隍――則ち城を護るの壕堑を挖り深くすなり。増城――則ち城の上に敵楼望櫓を加修すなり。懸門――木板を懸挂して、第二重の城門を為すなり。
突門,於城中,對敵營,自鑿城內為暗門,多少臨時,令厚五六寸勿穿,或於中夜,或於敵初來、營列未定,精騎從突門躍出,擊其無備,襲其不意。
突門――城中に於て敵営に正対するの方位に、城牆の内側より暗門を凿出し、開くこと几道は臨時に決定す。凿りてただ五六寸の厚さを残すに至れば則ち手を停め、凿り穿つるなかれ。或は半夜に、或は敵人の剛に到りて営壘未だ排定せざる時に趁りて、精鋭騎兵は突門を撞き開きて冲り出で、彼らの防備なきの処を攻撃し、彼らの意料せざるの地方を襲撃す。
塗門,以泥塗門扇,厚五寸,備火。又云塗棧,以泥門上木棧棚也。積石、積砲石,大小隨事。
塗門――泥を用いて城門の門扇を塗抹し、塗ること五寸の厚さ、以て火を防ぐ。また「塗桟」と謂うは、則ち泥を用いて城門上方の木桟棚を塗抹すなり。積石・積砲石――預め石块を囤積し、石头の大小は需要に按じて定む。
轉關橋,一梁為橋,梁端著橫栝,拔去栝,橋轉關,人馬不得渡,皆傾水中。秦用此橋,以殺燕丹。
転関橋――一根の梁を用いて橋を做り、梁端に横栝を装し、横栄を一たび拔けば、橋は則ち軸を繞りて翻転し、人馬は通過する能わず、全て翻りて水中に落つ。当年秦国は即ち此の種の橋を用いて燕太子丹を謀害せんとせしなり。
鑿門,為敵所逼,先自鑿門為數十孔,出強弩射之,長矛刺之。積木,備壘木長五尺、徑一尺,小或六七寸,拋下打賊。
凿門――敵人に城門に逼近せられたる時、先ず門の上に数十個の孔洞を凿出し、孔の中より強弩を発して敵人を射撃し、長矛を用いて敵人を刺殺す。積木――滾木を預備し、長さ五尺・直径一尺、小なるはまた六七寸あり、城上より抛げ下ろして敵兵を砸撃す。
積石,備壘於城上,不計大小,以多為妙,充拋石。樓櫓,城上建堠樓,以板為之,跳出為樓櫓。
積石――城上に於て堆積儲備し、大小を論ぜず、多ければ多いほど好く、以て抛擲の石彈に充当す。楼櫓――城上に瞭望の堠楼を建造し、木板を以て搭成し、外に向かって挑出するのあの部分が即ち「楼櫓」なり。
笓籬戰格,於女墻上挑出,去墻三尺,內著橫括,前端安轄,以荊柳編之,長一丈、闊五尺,懸於椽端,用遮矢石。
笓籬戦格――女牆の上に於て外に向かって挑出し、牆を離るること三尺、内側に横栝を装し、前端に銷轄を安好くし、荊条柳条を用いて編成し、長さ一丈・寛さ五尺、椽子の端頭に懸挂して、以て箭矢と飛石とを遮擋す。
布幔,以複布為幔,以弱竿橫掛於女墻外,去墻七八尺,折拋石之勢,則矢不復及墻。
布幔――双層の布を用いて幔子を做成し、柔靭の細竿を拿て横に挑いて女牆の外に挂け、牆を離るること七八尺、以て抛石の来勢を卸げ、箭矢もまた牆上に射到る能わざらん。
木弩,以楊柘桑為弩,可長一丈二尺,中徑七寸,兩稍三寸,以絞車張之,發如雷吼,〈○張刻本作「巨矢一發,聲如雷吼。〉以敗隊卒。
木弩――楊木・柘木・桑木を用いて弩臂を做り、長さは一丈二尺に達し得、中段の直径七寸、両梢の直径三寸、絞車を用いて弩弦を絞り開く。発射する時、声は雷鳴のごとし(校記:此の一句、張刻本は「巨矢一發、聲如雷吼」と作る)、以て隊を成した敵卒を撃潰すべし。
燕尾炬,縛葦草為炬,尾分為兩岐,如燕尾狀,以油蠟灌之,加火從城上墮下,使騎木驢而燒之。
燕尾炬――蘆葦乾草を捆りて火炬を成し、尾部を分かちて两叉と為し、形状は燕子の尾巴に似、油と蠟を灌ぎ、火を点了して城上より抛墜し下ろし、専らあれらの木驢車の下に蔵れて城根に逼近するの敵人を焚焼す。
松明炬,以松木燒之,鐵索墜下,巡城點照,恐敵人乘城而上。脂油燭炬,然燈秉燭於城中四衝、要路、門戶,晨夜不得絶明,以備非常。
松明炬――松木を点了し、鉄索を用いて吊りて墜ちて城を下り、城に沿うて巡回して照明し、敵人の夜に乗じて城に攀り上るを防備す。脂油燭炬――城中の四通要衝・要道と各処の門口に於て灯を点了し燭を執り、清晨より夜裏に至るまで灯火を断絶せしむるを許さず、以て意外を防備す。
行爐,常鎔鐵汁鑪,昇於城上,以灑敵人,土瓶盛汁,拋之,敵攻城不覺。遊火,鐵筐盛火,加脂蠟,鐵索懸墜城下,燒孔穴掘城之人。
行爐――常に一座の鉄汁を熔化するの爐子を備え、城頭に抬き上げ、鉄汁を敵人の身上に潑洒す。また陶瓶を用いて鉄汁を盛りて抛げ下ろすことも得、敵人の城を攻むる時は毫も察覚なからん。游火――鉄筐を用いて火を盛り、油脂と蠟とを加え進め、鉄索を用いて吊りて城下に墜とし、あれらの洞穴の裏に鉆りて城牆を挖掘するの人を焚焼す。
灰雜糠粃,因風於城上擲之,以眯敵人之目,因以鐵汁灑之。又云:眯目,〈○張刻本作「名曰眯目」,無下文十二字。〉因風以粃糠灰擲之,使不得視。
石灰に糠秕を摻する――順風に趁りて城上より撒き下ろし、敵人の眼睛を迷住せしめ、随い即ち再び鉄汁を潑き下ろす。別の一説は「眯目」と謂う(校記:張刻本は「名曰眯目」と作る、下文のあの十二個の字なし)、則ち風に趁りて秕糠と石灰を撒き出して、敵人をして眼を睜き開く能わざらしむるなり。
連挺,如打禾枷狀,打女墻上城敵人。叉竿,如鎗刃,布兩歧,用叉飛雲梯上人。鈎竿有槍,兩邊有曲鈎,〈○《通典》百六十引作「曲刃」。〉可以鈎物。
連挺――形状は穀を打つに用うるの連枷に似、以て女牆に攀り上るの敵人を撃打す。叉竿――竿頭は槍刃のごとく、分かれて两叉と為り、以て飛雲梯の上に於て城を爬るの人を叉住す。鈎竿――竿頭に槍尖を装し、両側に弯鈎を帯び(校記:「曲鈎」《通典》巻一百六十引は「曲刃」と作る)、以て器物を鈎取すべし。
天井,敵攻城為地道來,反自於地道上直下穿井邀之,積薪井中,加火熏之,自然焦灼。油囊,盛水於城上,擲出火車中,囊敗火滅。
天井――敵人が地道を挖りて来り城を攻むれば、我が方は則ち地道の上方に於て垂直に下に向かって井を打ちて攔截し、井の中に柴薪を堆積し、火を点了して熏灼すれば、地道の裏の人は自然に焼灼せられて死せん。油囊――城上に於て皮囊を用いて水を盛り、敵人の火車の裏に抛げ進めば、囊破れて水出で、火は則ち滅せん。
地聽,於城中八方,穿井各深二丈,令人頭覆戴新甕於井中坐聽,則城外五百步之內有掘城道者,並聞於甕中,辯方所遠近。
地聴――城中の八個の方位に各々一口の深さ二丈の井を打ち、人をして頭上に新瓮を倒扣して井の裏に坐りて静聴せしむ。かくして城外五百歩以内に若し人の攻城地道を挖掘するあらば、声響は皆瓮の中に伝わり進み、また方位と遠近とを辨出し得べし。
鐵菱,狀如蒺藜,要路水中著之,以刺人馬之足。
鉄菱――形状は蒺藜に似、要道の上と水中とに撒きて、以て人と馬の脚を刺傷す。
陷馬坑,坑長五尺、闊一尺、深三尺,坑中埋鹿角、竹籤。其坑十字相連,狀如鈎鎖。復以蒭草葦木加土種草實,令生苗蒙覆其上,軍城營壘要路設之。
陷馬坑――坑の長さ五尺・寛さ一尺・深さ三尺、坑の裏に鹿角桩と削尖の竹簽とを埋む。坑と坑とは十字相連し、形状は環環相扣の鈎鎖のごとし。上に再び乾草・蘆葦・木料を以て鋪蓋し、土を加え并せて草籽を撒き下ろし、草苗をして長出して坑口を遮住せしむ。軍城と営壘の要道の上は皆之を布設すべし。
拒馬鎗,以木徑二尺,長短隨事,十字鑿孔,縱橫安括,長一丈,銳其端,可以塞城門要道,人馬不得奔前。
拒馬槍――直径二尺の円木を取り、長短は需要に按じて定め、木の上に十字形の孔を凿出し、縦横に栝木を插し進め、栝木の長さ一丈、両端削尖して、以て城門と要道を堵塞し、人馬をして冲り過ぐる能わざらしむべし。
木柵,為敵所逼,不及築城壘,或山河險隘多石少土,不任版築,且建木為柵,方圓高下,隨事深淺,埋木根〈○《通典》無「淺」字。〉重複,彌縫其闕,內量長短,為閣道立外柱,外重長出四尺為女墻,皆泥塗之內七寸,〈○《通典》作「七尺」。〉又立閣道內柱,上布板為棧立闌干竹於柵上,懸門擁墻,濠塹拒馬,一如城壘法。
木栅――敵人に逼近せられ、城壘を修筑するに及ばず、或は山河険隘の処にして石多く土少なく、版筑夯土を用いる能わざれば、則ち姑く木を立てて栅栏を做す。栅栏の方円高低・埋むるの深淺は、皆地勢に随いて定む(校記:「深淺」の「淺」の字《通典》になし)。木根を埋むる時は一層層重畳して、縫隙を補嚴すべし。裏側は長短を量好して、閣道の為に外柱を立起し、外柱の高さ四尺を出だすの部分は女牆を作り、皆泥を以て塗抹し、内側は七寸の厚さに塗る(校記:「七寸」《通典》は「七尺」と作る)。再び閣道の内柱を立起し、上に板を鋪きて桟道を做成し、并せて栅栏の上に竹欄杆を立起す。懸門・護牆・壕堑・拒馬は、一概に城壘の弁法に照らして設置す。
