Libo

搜山燒草篇 第五十六

唐 · 李荃 · 第8巻 / 17

作盤ガイド: 暦注(黄暦), 万年暦

經曰:軍至險阻、溝澗、林薄、翳薈、葭蘆、草莽之處,鸛翔鳥舞不下,伏獸驚起,草木無風而動,必謹察之,恐伏奸也。

兵経の上に曰く――軍隊が険阻の隘口・溝澗・叢林矮樹・草木遮蔽・蘆葦叢生と荒草連片の地方に走到りて、若し鸛鳥の盤旋し群鳥の亂飛して遲遲として落下を肯ぜざるを見、潜伏の野獣の驚を受けて竄出し、草木は風なきに卻って晃動するを見れば、一定に仔細に察看し、ただあそこに敵人を埋伏するあらんことを怕るべし。

邊城十月一日燒草及惡山、深谷、大川、連水左近草樹,虜騎若來,無所伏藏。

辺地の城鎮は毎年十月初一に於て火を放ちて荒を焼き、険悪の山地・深谷・大河および連片の水澤の附近の野草樹木を一併に焼浄す。かくして敵人の騎兵は即ち来り犯すも、身を蔵れ伏を設くるの地方を找得ざらん。

前茅後殿篇 第五十七

經曰:《周禮》:挈壺,以令軍井;挈轡,以令軍舍;挈畚,以令軍糧。前茅慮無建旗幟以表之,皆古法也。今以先鋒令先探井泉、水草、宿止、賊路,與鄕導計會,乃進軍。戰則有喝,後皆拔白刃以臨之,使進;如退𨚫,便斬。敵來追我,則後殿與戰,無驚擾大軍也。

兵経の上に曰く――《周礼・夏官》に記す挈壺氏の職守――壺形の標志を高懸して、全軍に向かって水井の所在を指示し、馬轡形の標志を高懸して、全軍に向かって宿営の処を指示し、畚箕形の標志を高懸して、全軍に向かって糧秣の所在を指示す。《左傳・宣公十二年》の謂う所の「前茅慮無」は、前軍が旗幟を竪起して記号を作り、遇うべきの情况を預め後隊に通報するにして、此らは皆古人の成法なり。如今の做法は、先鋒に命じて前面に於て水井泉源・水草・宿営地と敵軍の来路とを探明せしめ、向導と商定した後に、大軍初めて推進す。交戦する時、後面に人の呼喝して戦を督するあれば、一律に白刃を拔出して前面の人に對して、彼らを逼りて前に向かわしめ、後退する者あらば、当即に首を斬る。敵人の我が軍を追撃する時は、則ち殿後の部隊に由りて接戦し、大軍に驚擾するに到らしめず。

釁鼓篇 第五十八

經曰:軍臨敵境,使游奕捉敵一人,立於六纛之前而祝曰:「胡虜不道,敢干天常,皇帝授我旗鼓,翦滅凶渠。見吾旗纛者,目眩;聞吾鼓鼙者,魄散。」令散人跪纛前,乃腰斬之,首橫路之左,足橫路之右,取血以釁鼓鼙。大纛從首足間過,兵馬六軍從之,而往出勝敵。亦名祭敵。

兵経の上に曰く――軍隊が敵境に進抵するに、先ず游奕隊を派して一名の敵人を捉え來らしめ、六面の大纛旗の前に押し到りて站定せしめ、主将は祝告して曰く「胡虜道無く、胆敢に上天の常理を触犯す。皇帝は旗鼓を我に交付して、我に命じて彼らの元凶を剪除せしむ。凡そ我が軍の大纛を看見する者は、両眼は花を發し、凡そ我が軍の戦鼓を聴聞する者は、魂魄は飛散せん」と。祝告畢れば、左右に命じて此の人を纛旗の前に按跪せしめて腰斬し、頭は道路の左辺に横放し、脚は道路の右辺に横放し、彼の血を取りて軍鼓の上に塗る。これを則ち「釁鼓」と謂う。随いて大纛は頭脚の間より穿過し、全軍六軍の人馬は跟いて通過し、然る後に師を出だして勝を取る。此の套の儀式はまた「祭敵」とも謂う。

屯田篇 第五十九

經曰:《洪範》八政,以食為先。是以商鞅入秦,行墾草之令;夷吾霸齊,富農功之術。夫地所以養人,城所以守地,戰所以守城。務耕者,其人不衰;務守者,其地不危;務戰者,其城不圍。

兵経の上に曰く――《尚書・洪範》に講ずる治国の八項の政務は、「食」を第一位に擺る。故に商鞅は秦に入りて執政し、荒地を開墾するの法令を頒布し、管夷吾(管仲)は斉国を輔佐して覇を称し、農事を富足せしむるの方法を推行せり。土地は以て人を養活するに用い、城池は以て土地を守住するに用い、作戦は以て城池を保住するに用う。耕作に致力すれば、人口は則ち衰減せず。守備に致力すれば、土地は則ち危険に陷入せず。戦備に致力すれば、城池は則ち囲困せられず。

四海之內、六合之中有奚貴?曰:貴於土。奚貴於土?曰:人之本。奚貴於人?曰:國之本。是以興兵伐叛,而武爵任;武爵任,則兵勝。按民務農,則粟富;粟富,則國強。人主恃農戰而尊,三時務農,一時講武,使士卒出無餘力,入有餘糧,所謂興兵而勝敵,按兵而國富也。

四海の内・天地六合の中に、何ぞ最も可貴なる。回答して曰く、土地最も可貴なり。何を以て土地は可貴なる。土地は人の頼りて活命するの根本たるを以てなり。何を以て人は可貴なる。人は国家の根本たるを以てなり。故に兵を出だして叛逆を討伐する時は軍功に凭りて爵を得るの人を重用すべし。軍功に凭りて爵を得るの人重用を受ければ、軍隊初めて勝仗を打つ能し。百姓をして安心して農を務めしめれば、糧食は則ち充裕し、糧食充裕なれば、国家は則ち強盛なり。君主は正に農耕と征戦の此の两件の事に靠りて尊貴し起れるなり――一年の中に三季は農を務め、一季は武事を講習して、士卒をして出征する時多余の気力の耗すべくなく、家に帰る時多余の存糧の喰べべくあらしむ。これ即ち謂う所の、兵を興せば能く敵人を戦勝し、兵を収めば能く国家を富足せしむるなり。

合屯田六十頃:四十頃種子,五頃大荳種子,五頃麥種子,五頃麻種子,五頃蕎種子。屯外五十畝菜不入,至秋,納宴設廚,四十畝蔓菁種子,十畝蘿蔔種子。已上種子,各依鄕原種。

一個の屯は合計して屯田六十頃――其の中四十頃は正糧の種子を下し、五頃は大豆種子を下し、五頃は麦種子を下し、五頃は麻種子を下し、五頃は蕎麦種子を下す。屯田の外は別に五十亩を留めて菜を種え、此の六十頃の内に計入せず、秋天に到りて収め下ろして宴会の厨房に交給して備用す。此の五十亩の裏は、四十亩は蔓菁種子を下し、十亩は蘿蔔種子を下す。以上の各類の種子は、皆本郷の原有の品種に按じて下種す。

一屯六十丁,一丁日給米二升,一日一石二斗,一月三十六石,一年四百三十二石。

一個の屯に六十名の壮丁を配し、每名の壮丁は毎天に米二升を供給し、六十人一天は一石二斗に合し、一个月は三十六石、一年は四百三十二石なり。

牛料一屯六十頭牛,日給荳五升,十月一日起料,四月一日停,一日三石,一月九十石,六月五百四十石。

耕牛の飼料の方面は、一個の屯に牛六十頭を養い、毎頭毎天に豆五升を給し、十月初一より料を供し始め、四月初一に到りて供を停む。六十頭の牛は一天に三石に合し、一个月は九十石、六個月は共に五百四十石なり。

一屯丁糧牛料種子耒屯,堅耒束以長三百七十八尺五寸三分三毫繩之四分之一,長九十三尺六寸三分四毫。四月磔橛繩內有田一畝,對屯田官分三等,田內上中下耒之,以三尺五寸圈成束,則耒數三等可知。

一個の屯の丁糧・牛料・種子と抽様估産とは、弁法是のごとし――先ず一条の長さ三百七十八尺五寸三分三毫の繩子を取り、其の四分の一を截り、即ち九十三尺六寸三分四毫なり。四月の裏に到りて木橛を用いて此の段の繩子を四面に張開して釘住し、圏き起したるの地は正好く一亩なり。屯田官の面に当たって田を上・中・下の三等に分かち、圏内に於て三等に按じて分別に禾苗を抽割し、割り下ろしたる苗は三尺五寸の囲長を以て一束に捆成す。かくして上中下三等の田各々束多少を出だし得るは、則ち皆算清し得べし。

耒屯苗子,橫耒取三等,束。對屯田官打下苗子,斗升合數,為兩絹袋,各乘苗子一椀與屯田官者耒,使對一椀與耒,使掌者屯官封其後,恐有耗損者,耒米取子一斗,平量對屯田官擣,耒得幾米為率,則一屯斛斗可知。

抽割し上來たる禾苗は、横にして上中下三等に按じて各々一束を取る。屯田官の面に当たって苗を打ち下ろして脱粒し、斗・升・合の数目を量出し、再び两隻の絹袋を備えて各々苗子一碗を装る――一碗は屯田官に交りて収執せしめ、一碗は経弁抽様の人に交りて収執せしめ、屯官に由りて袋口に於て封を加え、防ぐ所は日後に耗損あって説清し得ざるなり。続いて谷子一斗を取り、平量した後に屯田官に当たって舂擣し、一斗の谷に能く米多少を舂出するを看て、以て折算の比率と為せば、則ち整個の屯に能く斛斗米多少を収るるも、また推算し出だし得べし。

等級,殊等九千石,第一等七千石,第二等六千石,第三等五千石。歲無水旱、災蝗,滿四千石者,屯官有殿。

屯田の收成は等級を分かつ――特等九千石、第一等七千石、第二等六千石、第三等五千石。若し此の一年既に水旱の災なく、また蝗災なからんも、收成ただ四千石のみならば、主管の屯官は下考と評されて罰を受くべし(「殿」は則ち考績の末等に排するなり)。

一軍載粟一十二萬八千石六分,支米九萬石,以殊等屯一十四餘萬二千石,方支一歲糧。《神農書》曰:「雖金城十仞,湯池百步,帶甲十萬,而無粟者,不能守也。」故充國伐西戎,杜茂守北鄙,創置屯田,以為耕植也。

一軍は一年に粟十二万八千石六分を装運するを要し、米に折支せば是れ九万石なり。特等屯田の收成十四万二千余石有るを須として、初めて一年の軍糧を支撑するに足る。《神農書》に曰く「即ち城牆高さ十仞にして堅きこと金鋳のごとく、護城河寛さ百歩にして燙きこと沸湯のごとく、甲を披くの兵十万ありとも、ただ糧食なくんば、なお守る能わず」と。故に漢代の趙充国は西辺の羌人を征討し、杜茂は北方辺地を鎮守するに、皆開創的に屯田を設置し、就地に耕種を以て軍糧を解決せしめたり。

人糧馬料篇 第六十

經曰:一軍一萬二千五百人,人日支米二升,一月六斗,一年七石二斗。一軍一日支米二百五十石,一月七千五百石,一年九萬石。

兵経の上に曰く――一軍の編制一万二千五百人、每人毎天に米二升を支給し、一个月六斗、一年七石二斗。全軍は一天に米二百五十石を支し、一个月七千五百石、一年九万石。

以六分支粟,一人日支粟三升三合三勺三抄三圭三粒,一月一石,一年一十二石。一軍一年二十萬八千石,每小月人支粟九斗六升六合六勺六抄六圭六粒。其大麥八分、小麥六分、蕎麥四分、大荳八分、小荳七分、宛荳七分、麻七分、黍七分,並依分折米。

若し改めて粟を用いて六成に按じて折支せば、每人毎天に粟三升三合三勺三抄三圭三粒を支し、一个月正好く一石、一年十二石。全軍一年共に二十万八千石。ただ二十九天のみの小月に遇上せば、每人に粟九斗六升六合六勺六抄六圭六粒を支す。各種の雑糧の米に折るの比率に至りては――大麦八分・小麦六分・蕎麦四分・大豆八分・小豆七分・豌豆七分・麻七分・黍七分、一律に各々自らの比率に按じて米数に折成して支給す。

鹽,一人日支半合,一月一升五合,一年一斗八升。一軍一日六石二斗五升,一月一百八十七石五斗,一年二千二百五十石。

食鹽の方面は、每人毎天に半合を支給し、一个月一升五合、一年一斗八升。全軍は一天に鹽六石二斗五升を支し、一个月一百八十七石五斗、一年二千二百五十石。

馬料,一人二匹,一軍二萬五千匹。朔方、河西,一人二匹。范陽、河東、隴右、安西、北庭,則二人三匹。平盧、劍南,則一人一匹。計馬二萬五千匹為一軍,計二百五十匹為一隊,分為十坊,一坊秣馬五十隊。十月一日起料,四月一日停料。

馬料の方面は、每人に馬二匹を配するに按じて計算すれば、一軍は則ち二万五千匹あり。朔方・河西の两鎮は每人二匹、范陽・河東・隴右・安西・北庭の五鎮は毎两人三匹、平盧・剣南の两鎮は每人一匹なり。馬二万五千匹を以て一軍と算作し、二百五十匹を編成して一隊と為し、全軍は分かれて十坊と為り、毎坊は五十隊の馬の餵養を管す。十月初一より料を支し始め、四月初一に到りて料を支することを停止す。

一馬日支粟一斗,一月三石,六箇月一十八石。計一軍馬一日支粟一千二百五十石,一月三萬七千五百石,六箇月二十二萬五千石。

毎匹の馬は毎天に粟一斗を支し、一个月三石、六個月十八石。全軍の馬は一天に共に粟一千二百五十石を支し、一个月三万七千五百石、六個月二十二万五千石。

馬鹽,一馬日支鹽三合,一月九升,六箇月五斗四升。一軍馬支鹽三十七石五斗,一月一千一百二十五石,六箇月六千七百五十石。

馬もまた鹽を餵うを要す――毎匹の馬は毎天に鹽三合を支し、一个月九升、六個月五斗四升。全軍の馬は一天に鹽三十七石五斗を支し、一个月一千一百二十五石、六個月六千七百五十石。

茭草,一馬一日支茭草二圍,一月六十圍,六箇月三百六十圍。計一軍馬六箇月九十圍。

乾草の方面は、毎匹の馬は毎天に茭草二囲を支給し(一囲は両手の合抱する一捆)、一个月六十囲、六個月三百六十囲。全軍の馬は六個月合計して九十囲なり。

油藥,其油藥取逃亡兵士殘糧衣賜獸醫,人於馬押官都頭中差取。

油と藥の此の一項は、開支は逃亡士兵の留下せる余糧と衣賜の裏より划出し、獣医に撥給して使用せしむ。経弁の人は則ち馬押官と都頭の当中に於て差を派して充任せしむ。

軍資篇 第六十一

經曰:軍無財,士不來;軍無賞,士不往。香餌之下,必有懸魚;重賞之下,必有死夫。夫興師不有財帛,何以結人之心哉!

兵経の上に曰く――軍中に財物なくんば、人才は則ち肯じて前來投效せず。軍中に奨賞なくんば、士卒は則ち肯じて奮勇前向せず。香餌を挂け下ろせば、必定に魚を釣り得て上來る。重賞を擺き出だせば、必定に敢死の勇士を招き得て來る。兵を發して仗を打つに若し財帛を以て後盾と為さずんば、何を靠りて衆人の心を籠絡し住せんや。

軍士一年一人支絹布一十二疋、絹七萬五千疋、布七萬五千疋。 賞賜馬鞍轡、金銀銜轡二十具、 錦一百疋、 緋紫襖子衫具帶魚袋五十副、 色羅三百疋、 婦人錦繡夾襭衣帔袍二十副、 緋紫紬綾二百疋、 彩色綾一百疋、 銀器二百事、 銀壺瓶五十事、 帳設錦褥一十領、 紫綾褥二十領、 食卓四十張、 食器一千事、 酒樽杓一十副、 長幕二十條、 錦帳十所、 白氊一百事、 床�二十條、 鴟袋綉塾一百口。

軍士每人一年に絹と布と共に十二疋を支給し、全軍合計して絹七万五千疋・布七万五千疋。別に賞賜に用うるを作りて備うる有り――鞍轡を配斉したる馬および金銀装飾の銜轡二十具、錦一百疋、緋色紫色の襖子・衫子連なりて腰帯と魚袋と五十副、各色の羅三百疋、婦人の穿くるの錦綉夾纈衣・披帛と長袍と二十副、緋色紫色の綢と綾と二百疋、彩色綾一百疋、銀器二百件、銀壺銀瓶五十件、帐中鋪設の錦褥十領、紫綾褥二十領、食桌四十張、食器一千件、酒樽と酒杓と十副、長帐幕二十条、錦帐十所、白毡一百件、床二十条、鴟袋と綉墊と一百口。

宴設音樂篇 第六十二

經曰:雲上於天,需君子以飲食宴樂,用宣主君之惠、暢吏士之心。古人出師,必犒以牛酒,頒賞有序,殽席有差,以激勵於眾。酒酣,拔劒起舞,鳴笳角抵伐鼓呌呼,以增其氣。弦竹哀怨悽愴,征夫感而泣下,銳氣沮䘮,復安得而用哉!

兵経の上に曰く――《周易・需卦》の象辞に講じて曰く「雲気天上に升る、即ち需卦なり、君子は之に取法して、安心して飲食宴楽して時機を待つ」と。軍中に宴を設け楽を奏ずるは、以て主君の恩惠を宣示し将吏士卒の心気を舒暢す。古人の兵を出だすや、必ず牛肉美酒を用いて犒勞し、賞を頒するに先後の次序あり、酒席に等級の差別あり、此を借りて衆人を激勵す。酒飲みて酣暢の処に到れば、剣を拔きて起舞し、胡笳を吹響し角抵を比試し鼓を擂りて呼喊して、以て士気を助長す。可なりや若し絲竹の声に哀怨凄凉を弾じれば、出征の人聴きて感傷落涙し、鋭気此に就りて消沉喪尽せん、なお何を以て彼らに指望して仗を打たせんや。

酒,一人二升,二百五十石。羊一口,分為二十節,六百二十五口。

酒は每人二升に按じて配給し、全軍一万二千五百人合計して二百五十石。羊は毎隻を分かちて二十份と為し、毎二十人は一隻を合喰し、全軍合計して羊六百二十五隻を用う。

牛肉代羊肉,一人二斤,二萬五千斤。白米,一人五合,六十二石五斗。

牛肉を用いて羊肉に代える時は、每人二斤、全軍合計して二万五千斤。白米は每人五合、全軍合計して六十二石五斗。

薄餅,一人兩箇,二萬五千箇。每一斗麫作二十箇,計麫一百二十五石。〈○原作「一百五十石」,今校改。〉饅頭,一人一枚,一萬二千五百枚。一斗麫作三十枚,〈○此句舊抄本脫去,依 文瀾閣本補。〉用麫四十一石六斗七升。

薄餅は每人两個、全軍合計して二万五千個。毎一斗の麺は能く二十個を做り、共に麺一百二十五石を須す(原作は「一百五十石」、今推算に拠りて校改す)。饅頭は每人一枚、全軍合計して一万二千五百枚。一斗の麺は三十枚を做り(此の一句旧抄本脱漏す、文瀾閣本に依りて補入す)、共に麺四十一石六斗七升を用う。

蒸餅,一人一枚,一萬二千五百枚。一斗麫作一百枚。散子,一人一枚,一萬二千五百枚。一斗麫作三十枚,麫二十五石。每麫一斗,使油二十二斤。〈○原本「每麫一斗,使油一斤,二十斤碩二斤」,今依 文瀾閣本。〉

蒸餅は每人一枚、全軍合計して一万二千五百枚。一斗の麺は能く一百枚を做る。饊子は每人一枚、全軍合計して一万二千五百枚。一斗の麺は三十枚を做り、共に麺二十五石を須し、而且に毎一斗の麺はなお油二十二斤を用うるを要す(原本は「每麫一斗、使油一斤、二十斤碩二斤」と作る、今文瀾閣本に依りて改正す)。

饆饠,一人一枚,一萬二千五百枚。一斗麫作八十箇,麫一十五石六斗二升五合。餻�,一人三合,糯米三十七石五斗。

饆饠(一種の西域より伝来せる餡を帯びたる面食)は每人一枚、全軍合計して一万二千五百枚。一斗の麺は能く八十個を做り、共に麺十五石六斗二升五合を須す。糕は每人三合、共に糯米三十七石五斗を須す。

菜,一人五兩,二千九百五十斤零四兩。〈○此數不符,當云「三千九百斤零一兩」。〉羊頭蹄六百二十五具,充羹。醬羊䐗肝六百二十五具,並四等充羹。

菜は每人五両に按じて配給し、合計して二千九百五十斤零四両(此の数は人数と對り合わず、応に「三千九百斤零一両」と作るべし)。羊頭連なりて羊蹄六百二十五具は、以て羹を做るに用い。醤製の羊肝・猪肝六百二十五具は、前の几様と湊りて四色を成し、一併に羹を做る。

鹽,三人一合,四石一斗六升。醬,一人半合,六石二斗五升。醋,一人一合,一十二石五斗。

食鹽は毎三人一合、合計して四石一斗六升。醤は每人半合、合計して六石二斗五升。醋は每人一合、合計して十二石五斗。

椒,五人一合,二石五斗。薑,一人一兩,七十八斤零二兩。蔥,三人一兩,二百九十六斤零六兩。〈○此數不符,當云「二百六十斤」。〉

花椒は毎五人一合、合計して二石五斗。生姜は每人一両、合計して七十八斤零二両。葱は毎三人一両、合計して二百九十六斤零六両(此の数は人数と對り合わず、応に「二百六十斤」と作るべし)。

隨莚樂例:大鼓、杖鼓、腰鼓、舞劍、渾脫、角抵、笛、拍板、破陣樂、投石、拔拒、蹙鞠。

宴に随いて興を助くるの楽舞百戯は、慣例に按じて此らの項目あり――大鼓・杖鼓・腰鼓・舞劍・渾脱(一種の西域より伝来せる歌舞)・角抵(摔交して力を較ぶる)・笛・拍板・《破陣樂》・投石(重石を擲りて気力を比ぶ)・拔拒(綱を拔く)・蹴鞠(毬を踢る)。

《神機制敵太白陰經》巻五 終

陣圖總序

經曰:黃帝設八陣之形:車廂洞當,金也;車工中黃,土也;烏雲鳥翔,火也;折衝,木也;龍騰𨚫月,水也;雁行鵝鸛,天也;車輪,地也;飛翼浮沮,巽也。

兵経の上に曰く――黄帝は八種の陣形を設立せり――「車廂洞當」は金に属し、「車工中黄」は土に属し、「烏雲鳥翔」は火に属し、「折冲」は木に属し、「龍騰卻月」は水に属し、「雁行鵝鸛」是天に属し、「車輪」は地に属し、「飛翼浮沮」是巽に属す。

風后亦演《握奇圖》云:「以正合,以奇勝。或合而為一,或離而為八。聚散之勢,節制之度,復置虛實二壘。」

黄帝の臣子風后はまた《握奇図》を推演し出だせり。其の中に曰く「正兵を用いて敵と交鋒し、奇兵を用いて勝を制す。或は八陣合攏して一陣を成し、或は一陣分散して八陣を成す。聚攏と分散の態勢・指揮調度の法度は、皆此の裏面に在り。此外なお別に虚・実の两座の営壘を設く」と。

力牧以剙營圖,其後秦由余、蜀將諸葛亮並有陣圖,以教人戰。

黄帝の另一位の臣子力牧は此に拠りて営図を創制せり。後來秦国の由余・蜀漢の将領諸葛亮も、また各々自らの陣図を有して、以て士卒を教練して作戦せしめたり。

夫營壘教戰有圖,使士卒知進止、識金鼓。其應敵戰陣不可預形,故其「戰勝不復,而應形無窮。兵形象水,水因地而制形,兵因敵而制勝,能與敵變化而取勝者,謂之神。」則其戰陣無圖,明矣。而庸將以教習之陣為戰敵之陣,不亦謬乎!

営を安じ壘を立て戦を教習するに確かに図を有するを要し、士卒をして進退の規矩を明白し金鼓の号令を辨清せしめんが好し。しかるに敵に臨み交戦するの陣勢は預め画定するの法なし。故に《孫子・虚実篇》に曰く「勝を取るの弁法は重複して使用せず、敵情の変化に應対するに窮尽なし。用兵の形態は水に象り、水は地勢に依りて流向を決定し、用兵は敵情に依りて勝を取るの道を決定す。能く敵情に随いて変化して勝を取るは、則ち之を用兵神のごとしと謂う」と。此のごとく看れば、実戦の戦陣は図を画出せざるは、道理甚だ清楚なり。可なりや平庸の将領は偏偏として平時の教練に用うるの陣を、直接に敵に臨み交戦するの陣と当成せん。豈に荒謬甚だしきに非ずや。

風后握奇壘篇 第六十三

經曰:自風后至於太公,俱用此法。古之握奇,文不滿尺,理隱難明。其范蠡、樂毅、張良、項籍、韓信、黥布,皆用此法,得其糟粕。而霍光、公孫宏、崔浩,亦採其華,未盡其實。今以八陣握奇,人數為壘,班布守地,闊狹頃畝,列之如後。〈○此四句,張刻本雲︰「惟諸葛孔明則深明其法,以入陣握奇壘畫為圖本,守地闊狹分寸丈尺毫髮不爽,具圖以列於後焉。」〉

兵経の上に曰く――風后より一直に姜太公に至るまで、用いし所は皆此の一套の陣法なり。古本の《握奇》の文字は一尺の長さに満たず、義理隠晦にして、看明白し難し。范蠡・楽毅・張良・項籍・韓信・黥布の此らの人は皆之を用いしことあれども、得たる所はただ糟粕のみ。霍光・公孫弘・崔浩もまた、ただ其の華美の外表を采得したるのみ、其の実質を窮尽せざりき。現在則ち八陣握奇の法に按じ、人数を用いて営壘の大小を定め、各部の守る所の地段を排布し、連なりて寛窄多少の頃亩を、一一に後面に開列す(此の四句、張刻本は「惟有諸葛孔明深通此法、把入陣握奇的營壘畫成圖本、所守地段的寛窄、分寸丈尺毫髮不差、全都繪圖開列在後面」と作る)。

風后握奇外壘篇 第六十四

一軍一萬二千五百人,以十人為一火,一千二百五十火,幕亦如之。幕長一丈六尺,舍十人,人守地一尺六寸。十以三為奇,以三千七百五十人為奇兵,餘八千七百五十人分為八陣;陣有一千九十三人,七分五銖,守地一千七百五十尺。八陣積率,為地一萬四千尺,率成二千三百三十三步〈○原作「三百三十步」,今以算校正。〉餘二尺,積率成六里,餘一百七十三步二尺,以壘四面乘之,一面得地一里餘二百二十三步二尺,壘內得地一十四頃,一十七畝餘一百九十七步四尺六寸六分,以為外壘。

一軍一万二千五百人、毎十人を編成して一火と為し、共に一千二百五十火、帐幕もまた一千二百五十頂なり。毎頂の帐幕は長さ一丈六尺、十個人を住め、平均每人は地一尺六寸を占む。全軍は十分抽三の比例に按じて奇兵を留出し、即ち三千七百五十人を以て機動の奇兵を充当し、其余の八千七百五十人は分かれて八陣を成す――毎陣一千零九十三人零七分五銖、地面一千七百五十尺を占守す。八陣累加すれば、共に地一万四千尺を占め、折合して二千三百三十三歩(原作は「三百三十步」、今算術を用いて校正す)零二尺、再び折合して六里零一百七十三歩二尺。之を営壘の四面に按じて均攤すれば、一面は地一里零二百二十三歩二尺を得。壘内は共に地十四頃十七亩零一百九十七歩四尺六寸六分を得――これ即ち外壘の規模なり。

天陣居乾為天門。地陣居坤為地門。風陣居巽為風門。雲陣居坎為雲門。〈○「坎」疑「艮」,圖亦誤。〉飛龍居震為飛龍門。虎翼居兌為虎翼門。鳥翔居離為鳥翔門。蛇蟠居艮為蛇蟠門。〈○「艮」疑「坎」。〉

天陣は乾位に駐し、此の一面の門を天門と謂う。地陣は坤位に駐し、此の一面の門を地門と謂う。風陣は巽位に駐し、門を風門と謂う。雲陣は坎位に駐し、門を雲門と謂う(「坎」は疑う当に「艮」と作るべし、原図もまた錯りを標せり)。飛龍陣は震位に駐し、門を飛龍門と謂う。虎翼陣は兌位に駐し、門を虎翼門と謂う。鳥翔陣は離位に駐し、門を鳥翔門と謂う。蛇蟠陣は艮位に駐し、門を蛇蟠門と謂う(「艮」は疑う当に「坎」と作るべし)。

天地風雲為四正。龍虎鳥蛇為四奇。乾坤巽坎為闔門。〈○「巽坎」疑當從 文瀾閣本作「艮巽」。〉震兌離艮為開門。〈○「艮」疑當從 文瀾閣本作「坎」。〉

天・地・風・雲の四陣は「四正」と算作し、龍・虎・鳥・蛇の四陣は「四奇」と算作す。乾・坤・巽・坎の四個の方位は「闔門」と定む、即ち関閉して通行せざるの門なり(「巽坎」は疑う当に文瀾閣本に依りて「艮巽」と作るべし)。震・兌・離・艮の四個の方位は「開門」と定む、即ち出入を准許するの門なり(「艮」は疑う当に文瀾閣本に依りて「坎」と作るべし)。

有牙旗遊隊列其左右,偏將軍居門內,禁出入,察姦詐。壘外有遊軍,定兩端,前有衝,後有軸,四隅有鋪,以備非常。中壘,以三千七百五十人為中壘,守地六千尺,積尺得二里,餘二百八十步;以中壘四面乘之,一面得地二百五十步。壘內有地兩頃,餘一百步。 正門為握奇,大將軍居之,六纛、五麾、金鼓、庫藏、輜重,皆居中壘。

各門の左右に牙旗と游動の巡隊とを排列し、偏将軍は門内に駐し、人員を管束して随意に出入せしめず、奸細と冒名の人とを稽查す。営壘の外面は別に游動の部隊あり、固定して両頭を守住し、前面に「冲」を設くるは、前鋒突撃の位置にして、後面に「軸」を設くるは、居中転運の位置にして、四角に「鋪」を設くるは、即ち哨所にして、以て意外に防備す。中壘の規制は――三千七百五十人を以て中壘を組成し、地面六千尺を占守し、折算して二里零二百八十歩と為す。中壘の四面に按じて均攤すれば、一面は地二百五十歩を得。壘内に共に地二頃零一百歩あり。正門は則ち「握奇」の所在にして、大将軍はここに駐し、六面の大纛・五面の指揮の麾旗・金鼓・府庫と輜重も、また皆中壘の内に設く。

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