Libo

安月卦身訣

清 · 王洪绪 · 第2巻 / 19

作盤ガイド: 六爻納甲の立卦, 大衍筮法

陰世則從午月起,陽世還從子月生,欲得識其卦中意,從初數至世方真。卦身之爻為所占事之主,若無卦身則串無頭緒,倘卦身有傷,其事難成矣。

「月卦身」を安ずる方法:まず世爻が陰爻か陽爻かを見る。世爻がもし陰爻なら午月から数え起こし、世爻がもし陽爻なら子月から数え起こす。数え起こす位置は永遠に初爻で、一爻を一ヶ月と算して順に上へ数え、世爻の在る爻まで数えて、どの月支に落ちるかが卦身のその月支となる。例:世爻が第三爻にありて陽爻なら、初爻を子、二爻を丑、三爻を寅と数え、卦身は寅、すなわち正月に属す。卦身のこの爻は占う事そのものの主脳である。卦中にもし卦身を尋ね出せなければ、事に頭緒がなく落着を掴めない。卦身がもし冲せられ剋せられ、空に落ち傷を受ければ、この事は成就し難い。

三合会局歌

申子辰會成水局,巳酉丑會成金局,寅午戍會成火局,亥卯未會成木局。

三支が相会すれば一局を合成し、力量は単爻よりはるかに大きい。申・子・辰の三支が斉全すれば会して水局を成し、巳・酉・丑の三支が斉全すれば金局を成し、寅・午・戌の三支が斉全すれば火局を成し、亥・卯・未の三支が斉全すれば木局を成す。各局の中間の支(子・酉・午・卯)はこの局の旺神で、頭の支は長生の位、末の支は墓庫の位である。卦中にもし三爻が皆動いて一局を湊成すれば、会して成したその行が驟然に勢いを増す。もし二爻のみ得れば、日辰か月建が第三の支を補い斉えるか、あるいはその支が日に値る時を待たなければ局を成さず、事もまたその時に応ずる。

長生掌訣

長生、沐浴、官帶、臨官、帝旺、衰、病、死、墓、絕、胎、養。假如火長生在寅,從寅上起順行,卯上沐浴,辰上官帶,依次順行;木長生在亥,從亥上起,餘可類推:金長生……,火長生……。

十二長生は一行の五行の気が生じてから滅し再び生ずるまでの十二の段階で、次序は固定している。長生・沐浴・冠帯(原文は「官帯」)・臨官・帝旺・衰・病・死・墓・絶・胎・養。用いる時は掌上に十二地支を順行に排布する。例:火の長生は寅にあるから、寅位から長生を起こし、卯位は沐浴、辰位は冠帯、巳位は臨官、午位は帝旺、未位は衰、申位は病、酉位は死、戌位は墓、亥位は絶、子位は胎、丑位は養。木の長生は亥にあるから亥位から長生を起こし、その余はこれに類推する。金の長生は巳にあり、水と土は同じく申に長生する。断卦の時は用神が日辰・月建のどの位に落ちるかを見る。長生・臨官・帝旺を得れば気あり、衰・病・死・墓・絶に逢えば力なく、墓に入るには冲に開かれる日を待って初めて発する。

禄馬羊刃歌

甲祿在寅乙祿卯,丙戊在巳丁己午,庚祿在申辛祿酉,壬祿在亥癸祿子。申子辰年馬居寅,寅午戌年馬在申,巳酉丑年馬在亥,亥卯位年馬居巳。

この歌の前半は「禄神」を查し、後半は「驛馬」を查す。禄神は日干(または年干)を主とする。甲の禄は寅にあり、乙の禄は卯にあり、丙と戊の禄はともに巳にあり、丁と己の禄はともに午にあり、庚の禄は申にあり、辛の禄は酉にあり、壬の禄は亥にあり、癸の禄は子にあり。禄は本気の最も旺なる地で、俸禄衣食を主る。驛馬は年支(または日支)の三合局を主とし、会する局の長生位の对冲の支を取る。申子辰の水局の馬は寅にあり、寅午戌の火局の馬は申にあり、巳酉丑の金局の馬は亥にあり、亥卯未の木局の馬は巳にある。驛馬は走動・遷移・外出を主り、行人・出行を占うに最もこれを見るべきである。

天干 甲 乙 丙 丁 戊 己 庚 辛 壬 癸 祿  寅 卯 巳 午 巳 午 申 酉 亥 子 地支 子 丑 寅 卯 辰 巳 午 未 申 酉 戌 亥 馬  寅 亥 申 巳 寅 亥 申 巳 寅 亥 申 巳 凡卜家宅終身者,從本人本命上起亦是。

上の二欄は禄と馬を対照表に列したもので、查するのがより速い。第一欄は十干によって禄を查す。甲禄寅・乙禄卯・丙禄巳・丁禄午・戊禄巳・己禄午・庚禄申・辛禄酉・壬禄亥・癸禄子。第二欄は十二地支によって馬を查す。子年(または子日)の馬は寅にあり、丑は亥に、寅は申に、卯は巳に、辰は寅に、巳は亥に、午は申に、未は巳に、申は寅に、酉は亥に、戌は申に、亥は巳にある。見れば申子辰はともに馬は寅、寅午戌はともに馬は申、巳酉丑はともに馬は亥、亥卯未はともに馬は巳で、歌訣と合致する。末の一句は補充の用法:およそ家宅・終身の類の一身一世に関する事を占えば、禄馬もまた卦を問う人自身の本命年干支から起こしてよく、必ずしも日辰を専用としない。

貴人歌訣

甲戊(庚)兼牛羊,乙己鼠猴鄉,丙丁豬雞位,壬癸兔蛇藏,六辛逢馬虎,此是貴人方。

この歌は「天乙貴人」を查し、日干を主とし、得た二支がすなわち貴人の臨む位である。甲日・戊日・庚日は貴人が丑(牛)と未(羊)にあり、乙日・己日は貴人が子(鼠)と申(猴)にあり、丙日・丁日は貴人が亥(猪)と酉(鶏)にあり、壬日・癸日は貴人が卯(兎)と巳(蛇)にあり、辛日は貴人が午(馬)と寅(虎)にある。貴人が用神に臨むか世爻に臨めば、凶に逢って吉に化し難に遇って人の扶助を得るを主り、名を求め貴に見え事を謀るを占うにことに得力である。ただし王氏の後文《辨貴人禄馬之謬》に専ら辨説があり、断卦は依然として五行生剋を主とし、神煞を専恃とするべからずと指摘する。学者は両処を対看すれば分寸を知るであろう。

三刑六害歌

六刑:寅刑巳,巳刑申,丑戌相刑未並臻;子刑卯,卯刑子,辰午酉亥自相刑。六害:六害子未不堪親,丑害午兮寅巳真,卯害辰兮申害亥,酉戍相穿轉見深。

上半首は刑を講ずる。寅は巳を刑し、巳は申を刑し、申はまた寅を刑する。この一組を「無恩の刑」という。丑は戌を刑し、戌は未を刑し、未はまた丑を刑する。この一組を「恃勢の刑」という。歌中に「丑戌相刑して未倂び臻る」とあるのは、三支が同時に来って初めて刑が重いということ。子は卯を刑し卯は子を刑し、二支が互いに刑するのを「無礼の刑」という。辰・午・酉・亥の四支は各々本支に見えて刑を成すのを「自刑」という。下半首は害を講じ、「穿」ともいう。子と未は彼此に妨害し最も相親しまず、丑は午を害し寅は巳を害し、卯は辰を害し申は亥を害し、酉と戌は相穿して害すること尤も深し。断卦の時およそ用神が日辰・月建あるいは動爻に刑せられ害せられれば、事は必ず波折を生じ怨を招き病を招く。もし刑害するのが忌神なら、かえって好事である。

八宮諸身

乾為馬,坤為牛,震為龍,巽為雞,坎為豕,離為雉,艮為狗,兌為羊。

この条は八卦の配する禽獣で、《周易・説卦伝》に出る。六畜を占い、失物を占い、行人の遇う物を占う時に取象に用いる。乾は馬に配し、坤は牛に配し、震は竜に配し、巽は鶏に配し、坎は猪に配し、離は雉に配し、艮は狗に配し、兌は羊に配す。例えば走失した牲口を占って、卦が坤宮を得て妻財爻が発動すれば、「牛」の上に着想してよい。卦が兌宮を得れば「羊」の上に着想する。

八宮諸身:乾為首,坤為腹,震為足,巽為股,坎為耳,離為目,艮為手,兌為口。

この条は八卦の配する人身の部位で、これも《説卦伝》に出る。疾病を占う時に病がどこに在るかを定めるのに用いる。乾は頭を主り、坤は腹を主り、震は足を主り、巽は大腿を主り、坎は耳を主り、離は眼目を主り、艮は手を主り、兌は口を主る。病を占う時はまず官鬼爻がどの宮にありどの爻に居るかを見、次に五行の主る臓腑に合わせれば、病位は大略定められる。例えば官鬼が木に属して震宮に臨めば、足と肝胆の上に思いを致すべく、官鬼が離宮に臨み火を帯びれば、目疾と心火の上に思いを致すべきである。

定間爻歌

世應當中兩間爻,忌神發動莫相交,元辰與用當中動,生世扶身事事高。

世爻と応爻の中間に隔たる二つの爻を「間爻」といい、居間の人事――媒人・中人・経手人、および中間に横たわる阻隔を代表する。間爻を見るに一つの準則がある:間爻の上にもし忌神が発動すれば、この中間人と打ち交わるな。事は必ず彼に中から梗げられる。もし間爻の上に動くのが原神(歌中の「元辰」すなわち原神)か用神であって、しかも来て世爻を生じ卦身を扶助するなら、事事みな意に称い、中間人はかえって助力となる。婚姻を占って媒妁を見、売買を占って牙行を見、詞訟を占って説合の人を見るに、みなまずこの二爻を見るべきである。

年上起月法

甲己之年丙作首,乙庚之歲戊為頭,丙辛之位從庚上,丁壬壬位順行流,戊癸之年何方法,甲寅之上好追求。

これは年干から正月の月干を推し出す口訣で、正月を推し出した後、残りの各月は六十甲子に順じて下へ排せばよい(月支は固定で、正月は寅を建て、二月は卯を建て、順に十二月は丑を建てるに至る)。甲年と己年は正月が丙寅、乙年と庚年は正月が戊寅、丙年と辛年は正月が庚寅、丁年と壬年は正月が壬寅、戊年と癸年は正月が甲寅である。例えば今年が乙年なら正月は戊寅、二月は己卯、三月は庚辰と順次類推する。月建は断卦の時に爻の旺衰を衡量する第一の尺なので、卦を起こす前に必ずまず月建を定め准えなければならない。

日上起時法

甲己還加甲,乙庚丙作初,丙辛從戊起,丁壬庚子居,戊癸何方法,壬子是順行。

これは日干から当日の子時の時干を推し出す口訣で、子時の干が定まれば、残りの各時辰は六十甲子に順じて下へ排する(時支は固定で、子・丑・寅・卯……)。甲日と己日は子時が甲子、乙日と庚日は子時が丙子、丙日と辛日は子時が戊子、丁日と壬日は子時が庚子、戊日と癸日は子時が壬子である。例えば今日が丙日なら、子時は戊子、丑時は己丑、寅時は庚寅と順次順推する。応期を時辰まで細かく占う時は、この法を用いる。

定寅時法

正九五更二點徹,二八五更四點歇,三七平光是寅時,四六日出寅無別,五月日高三丈地,十月十二四更二,仲冬才到四更初,便是寅時君須記。

古時は時計がなく、一日の十二時辰は天色によって定め、時を定めるにはまた寅時を基準とした(寅時が定まれば、残りの時辰は順に推せる)。この歌は月によって寅時の天象を与える。正月と九月は五更二点、二月と八月は五更四点に至るまで、三月と七月は天がちょうど明け放れた時が寅時、四月と六月は日の出る時がちょうど寅時で前の二ヶ月と異ならない。五月は天が長く、寅時にはすでに日高三丈である。十月と十二月は四更二点、十一月(仲冬)は夜が最も長く、四更の初刻を交えたばかりで寅時となる。占卦で時辰を記すにはこの法に従って折算しなければならず、一概に論じてはならない。

通玄賦

易爻不妄成,神爻豈亂發。體象或既成,無者形憂色。始須論用神,次必看原神。三合會用吉,祿馬最為良。爻動始為定,次者論空亡。六沖主沖並,刑剋俱主傷。

卦の中の爻は徒に成形せず、神の示す爻も胡乱に発動しない。揺し出したものには必ずその道理がある。卦体がいったん排定されれば、あるべき六親が欠けて見えなければ、卦面には自ずから一層の愁色を帯びる。卦を見る次第は:まず「用神」を論ずる――問う事の卦中における代表爻。次に「原神」を見る――用神を生扶するその一爻。もし三合成局して会する局がまた用神を生助すれば、これは吉である。さらに禄神・驛馬の来り助けるに逢えば、なおのこと上等。動爻こそ成敗を決定する活棋であるから、まず動爻を定め、次に「旬空」に落ちていないかを論ずる。六冲に遇えば冲散・冲動・併起を主り、刑に遇い剋に遇えば、みな損傷を主る。

世應俱發動,必然有改張。龍動家有喜,虎動主有喪。勾陳朱雀動,田土與文章。財動憂尊長,父動損兒郎。子動男人滯,兄動女人殃。出行宜世動,歸魂不出疆。用動值三合,行人立回莊。占宅財龍旺,豪富冠一鄉。父母爻興旺,為官至侯王。福神若持世,官訟定無妨。勾陳克玄武,捕賊不須忙。

世爻と応爻が同時に発動すれば、事は必ず中途で様子を変える。青竜が発動すれば家に喜慶あり、白虎が発動すれば丧事を主る。勾陳の発動は田地房产に関り、朱雀の発動は文書文章に関る。妻財爻が発動すれば長輩のために憂えるべし(財は父母を剋す)。父母爻が発動すれば児女に利あらず(父母は子孫を剋す)。子孫爻が発動すれば、男子の名を求め官を求めるに阻まれる(子孫は官鬼を剋す)。兄弟爻が発動すれば、妻室女眷に殃あり(兄弟は妻財を剋す)。出行を占うには世爻の発動を宜とし、もし帰魂卦を得れば人は境を出ない。用神が発動してまた三合成局に逢えば、行人を占って直ちに家に帰る。住宅を占えば、妻財爻が旺にして青竜を帯びれば、豪富で一郷に冠たるを主る。父母爻が興旺すれば、公侯王爵の官に至り得るを主る。子孫(福神)が世を持てば、官司を打っても決して妨げなし。勾陳が玄武を剋し止めれば、賊を捉えるに急ぐことなし、賊は自ずから獲られる。

父病嫌財殺,財興母不長。無鬼病難療,鬼旺主發狂。請看考鬼歷,禱謝得安康。占婚兼克用,占產看陰陽。若要問風水,三四世吉昌。長生墓絕訣,卦卦要審詳。萬千言不盡,略舉其大綱,分別各有類,無物不包藏。

父母の病を占うに最も忌むのは妻財爻が殺を作すこと(財は父母を剋す)。妻財が一たび旺すれば、母の寿数は長くなり難い。病を占って卦中に全く官鬼がなければ、病はかえって治し難い――鬼がなければ病の在所がなく、医薬の下手の処がないからである。官鬼があまりに旺ならば、病は重く発狂に至る。この時は「考鬼暦」の類の書を查して、何の神何の鬼が作祟するかを見、祷告して謝すれば安康を得る。婚姻を占うには兼ねて用神を剋する爻の有無を見る。生産を占うには爻の陰陽を見て男女を定める。もし墳宅風水を問えば、卦が三世・四世卦を得るを吉とする。十二長生の中の長生・入墓・臨絶のこれらの訣は、どの卦にも仔細に審看すべきである。この一路の道理は千言万語をもっても説き尽くせず、ここにはただ大綱を挙げたに過ぎない。分門別類して各々帰属あり、天下の事は一つとしてこの卦象の中に包まれていないものはない。

碎金賦

子動生財,不宜父擺,兄動克財,子動能解。財動生鬼,切忌兄搖,子動克鬼,財動能消。父動生兄,忌財相剋,鬼動克兄,父動能洩。鬼動巽入,忌子交重,財動克父,鬼動能中。兄動生子,忌鬼搖揚,父動克子,兄動無妨。

《碎金賦》は専ら三爻の連環する生剋制化を講ずる。一爻が我の用いる神を生ぜんとするのに、もう一爻がかえって来てこれを剋す。この時もし第三の爻が中に居れば、便ち化解し得る。子孫が動いて妻財を生ずるに、父母爻も動くことを恐れる(父母は子孫を剋し、財の来路を断つ)。もし兄弟が動いて妻財を剋すなら、子孫の動くを得れば解し得る――兄弟は子孫を見れば、往きて子孫を生じて財を剋することを忘れるからである。妻財が動いて官鬼を生ずるに、最も忌むのは兄弟の揺動(兄弟は財を剋し、鬼の来路を断つ)。もし子孫が動いて官鬼を剋すなら、妻財の動くを得れば便ち消解し得る――子孫は財を見れば便ち往きて財を生じ、鬼を剋する暇がないからである。父母が動いて兄弟を生ずるに、妻財爻の来りて父母を剋することを忌む。もし官鬼が動いて兄弟を剋すなら、父母の動くを得れば便ち鬼の気を泄して転じて兄弟を生じ得る。官鬼が動いて父母を生ずるに、子孫の重々しく発動することを忌む。もし妻財が動いて父母を剋すなら、官鬼の動くを得れば便ち中に居て転化し得る。兄弟が動いて子孫を生ずるに、官鬼の張揚して発動することを忌む。もし父母が動いて子孫を剋すなら、ただ兄弟が同じく動けば、父母の気は引きて兄弟を生ずるに導かれ、子孫は妨げなくなる。

子興克鬼,父動無妨,若然兄動,鬼必遭傷。財興克父,兄動無憂,若然子動,父命難留。父動克子,財動無事,若是鬼興,其子必死。鬼興克兄,子動可救,財若交重,兄弟不久。兄興克財,鬼興無礙,若是父興,財遭克害。

前段に接して、反対に剋神が勢いを得る情形を言う。子孫が発動して官鬼を剋するに、もし父母が同じく動いて子孫を剋するなら、官鬼は妨げなし。しかし同じく動くのが兄弟なら、兄弟は父母の力を泄してまた子孫を生ずるから、官鬼は必ず傷を受ける。妻財が発動して父母を剋するに、もし兄弟が同じく動くなら、兄弟は父母に生ぜられて転じて妻財を生ずるか? 否――兄弟はもともと父母の生を受け、父母は兄弟を得て泄路とし、かえって絶するに至らない。ゆえに父母は憂えなし。しかし同じく動くのが子孫なら、子孫はまた往きて妻財を生ずるから、父母の性命は保ち難い。父母が発動して子孫を剋するに、もし妻財が同じく動いて父母を剋するなら、子孫は事なし。しかし同じく動くのが官鬼なら、官鬼は父母を生じ、父母の力は倍増して子孫は必ず死する。官鬼が発動して兄弟を剋するに、子孫が同じく動いて官鬼を剋するを得れば、兄弟は救い得る。もし同じく動くのが妻財なら、妻財は官鬼を生じて兄弟は長久ならない。兄弟が発動して妻財を剋するに、たとえ官鬼が同じく動くとも妨げなし(官鬼は兄弟を剋し、かえって財を救う)。しかし同じく動くのが父母なら、父母は兄弟を生じて妻財は必ず剋害に遭う。

本支皆言生剋制化之克,以明凶中藏吉,吉內藏凶耳。如金動本生水,也得火動則制金,而金不能生水矣。如火動可克金,也得水動則制火,而火不能傷金矣。如金逢火動則受克,也得土動則火貪生於土,忘克於金,名為貪生忘克,金反吉也。如火動克金而土爻安靜,更逢木動,木助火克金,必凶也。學者宜按五行生剋制化推之,吉凶瞭然矣。

この段は王洪緒の《碎金賦》に対する按語である。上の各条が講ずるのはみな生剋制化の中の「剋」であり、その意は凶の中に吉が蔵し、吉の中にも凶が蔵することを説明し、一面だけを見てはならないということにある。例を挙げれば:金はもともと水を生じ得るが、もし火も発動すれば、火は金を制し、金は水を生じ得ない。また火が発動して金を剋し得るが、もし水も発動すれば、水は火を制し、火は金を傷つけ得ない。また金が火の動くに遇えば本当は剋を受けるべきだが、もし土爻も動けば、火は土を見て貪って土を生じに往き、金を剋することを忘れる。これを「貪生忘剋」といい、金はかえって転じて吉となる。反対に、火が動いて金を剋して土爻が安静に動かず、また一つの木爻の発動を添えれば、木は来て火を助け、火勢いっそう旺んとなり、金は必ず大凶である。学者はただ五行の生剋制化に従って一層々推して行けば、吉凶は自然と一目瞭然となる。

諸爻持世訣

世爻旺相最為強,作事亨通大吉昌,謀望諸般皆遂意,用神生合妙難量,旬空月破達非吉,克害刑沖遇不良。

世爻を総じて言う。世爻は卜を求める人自身を代表し、最もそれが旺に当たり時を得ることを要する。世爻が旺相ならば、人の気勢は強く、事を弁ずるに順暢で大吉大利、およそ謀る所は样样意に称う。もしさらに用神が来て世を生じ世に合するを得れば、その好さは説き尽くせない。反対に、世爻がもし旬空に落ちまた月破に値すれば、たとえ好い象があっても吉と算するに足らない。もし日辰・動爻に剋せられ、害せられ、刑せられ、冲せられれば、遇う所はみな順わぬ事である。

父母持世主身勞,求嗣妾眾也難招,官動財旺宜赴試,財搖謀利莫心焦,占身財動無賢婦,又恐區區壽不高。

父母爻が世を持てば、一身の労碌操心を主る。子嗣を求むるに最も利あらず――父母は子孫を剋し、たとえ妻妾が群を成すとも子を得難い。もし官鬼の発動し妻財のまた旺なるに逢えば(官は父を生じ、財は官を生じ、一路世に生じ至る)、まさに赴考応試に宜しい。もし妻財が揺動して自己の謀利の事ならば、心焦る要はない。財は父母を剋するも、求財の一門においてはかえって好事である。しかし自身を占えば、妻財が一たび動けば便ち世上の父母爻を剋し、家に賢徳の妻室なく、また自己の寿数の長くなきを恐れるを主る。

子身持世事無憂,求名切忌坐當頭,避亂許安失可得,官訟從今了便休,有生無克諸般吉,有克無生反見愁。

子孫爻が世を持てば、凡事に憂い少なし――子孫は「福徳」の神で、能く厄を解し鬼を制す。ただ功名を求め取るに最もそれが世位に坐することを忌む。子孫は官鬼を剋し、功名の路は先に自己に截断されるからである。もし兵乱を避け禍患を避けるなら、子孫持世は平安を許す。失物もまた尋ね回られ、官司を打てばこれより了結して罷むことを得る。ただ卦中にこの子孫世爻を生ずる爻があって剋する爻なければ、样样みな吉。もし剋するのみあって生ずるなくば、かえって愁を犯すべし。

鬼爻持世事難安,占身不病也遭官,財物時時憂失脫,功名最喜世當權,入墓愁疑無散日,逢沖轉禍變成歡。

官鬼爻が世を持てば、何の事を為しても安穏ならず。自身を占えば、病を害するか官非を惹くかである。財物の上では時時に失落盗難を提防せねばならない。ただ功名を求め取る一門のみ最もこれを喜ぶ――官鬼はすなわち功名の神で、それが世位に坐するはまさに自己が権に当たり位を得るの象である。しかし官鬼持世がもしまた墓に入れば、愁悶疑慮は消散する日なし。この時もし日辰か動爻の来りて墓庫を冲し開くを得れば、便ち禍を転じて喜と為すを得る。

財爻持世益財榮,兄若交重不可逢,更遇子孫明暗動,利身克父喪文風,求官問訟宜財托,動變兄官萬事凶。

妻財爻が世を持てば、銭財の上に益あり、身分の上に光彩あり。最も恐れるのは兄弟爻の重々しく発動するに逢うこと――兄弟は劫財の神で、一たび動けば財は散ずる。もしさらに子孫爻の明動あるいは暗動(暗動とは静爻が日辰に冲し起こされること)に遇えば、子孫は財を生じ、自身に利あり。ただし子孫は同時に文書を生ずること能わず――財は父母を剋し、科名文運の損を受けるを主る。官を求め官司を打つには、財を用いて人に托して打点するを宜とす(財は官鬼を生ず)。しかし世上の財爻が一たび発動して兄弟あるいは官鬼を変出するならば、それは万事みな凶である。

兄弟持世莫求財,官興須慮禍將來,朱雀井臨防口舌,如搖必定損妻財,夬母相生身有壽,化官化鬼有奇災。

兄弟爻が世を持てば、財を求むることなかれ――兄弟はもともと剋財の神で、自己がこの上に坐すれば、財は先に自己に劫される。もし官鬼がまた興旺なら、禍事の頭に臨むを提防すべし(官鬼は兄弟を剋し、正しく世の上に剋す)。世上の兄弟がさらに朱雀を帯びれば、口舌の争吵を防ぐべし。この兄弟爻が一たび揺動すれば、必ず妻室銭財を損傷す。もし父母爻(原文の「夬母」はすなわち父母)と世上の兄弟と相生するを得れば、自身に寿あるを主る。もし世爻の兄弟が発動して官鬼を変出するなら、それは意想外の災殃がある。

世応生剋空亡動静訣

世應相生則吉,世應相剋則凶,世應比和事卻中,作事謀為可用。應動他人反變,應空他意難同,世空世動我心傭,只恐自家懶動。

世爻は我、応爻は相手方あるいは事の外境である。両つを比べれば吉凶が見える。世応が相生すれば事は吉利、世応が相克すれば事は凶危、世応が五行相同で彼此比和すれば、事は両可の間にあり、弁じてみればなお行い得る。応爻が発動するは、相手の反覆して変ずること。応爻が空亡に落つるは、相手の心意が我と合わず談が合わぬこと。世爻がもし空に落ち、あるいは世爻が自己発動するは、我の心思の揺摆し懶散すること(「佣」は「慵」に通ず)で、事はただ自己の動かぬ上に壊れるを恐れる。売買を占い、合伙を占い、婚姻を占い、詞訟を占うには、まずこの四句を心に摆えれば、どちらの辺から力を致すべきかを知る。

卦身喜忌訣

身臨福德不見官,所憂必竟變成歡,目前凶事終須吉,緊急還來漸漸寬。身臨原用與青龍,定期喜事入門中,若逢驛馬身爻動,出路求謀事事通。身爻切忌入空亡,作事難成且守常,刑傷破絕皆為忌,勸君安分守家邦。

卦身は占う事そのもので、その善し悪しが最も緊要である。卦身が子孫(福徳)爻の上に落ちて卦中に官鬼を見なければ、憂う事は終には歓喜と変じ、目前の凶事も到頭来は吉、緊急の局面も漸々に寛緩する。卦身が原神あるいは用神の上に落ち、また青竜を帯びれば、それは定まり確かに喜事の門に入る。もし卦身の爻がまさに驛馬に逢いまた発動すれば、出門の外にあって事を謀るに样样通達す。反対に、卦身は最も空亡に落つるを忌む。一たび空亡に落ちれば、事は成り難く、ただ旧様を守って過ごすほかない。卦身がもし刑せられ傷せられ、月破に逢い、絶地に臨めば、みな忌む所で、安分して己を守り、妄りに動くなと勧める。

飛伏生剋吉凶歌

伏克飛神為出暴,飛來克伏反傷身,伏去生飛名洩氣,飛來生伏得長生,爻逢伏克飛無事,用見飛傷伏不寧,飛伏不和為助伏,藏出現審來因。

卦中に欠けた六親は本宮首卦の同位に取り来る。取り来たるを「伏神」といい、それを上に圧する本卦の爻を「飛神」という。両者の生剋は伏神が出頭し得るかを定める。伏神が飛神を剋すは、伏神に力あって压制を冲破するので「出暴」といい、事は成り得る。飛神が伏神を剋すは、伏神が圧し伏せられかえって傷を受け、事は出頭し難い。伏神が往きて飛神を生ずるは、自身の気が泄されるので「泄気」といい、これも力を得ない。飛神が来て伏神を生ずるは、伏神が養を得るので「飛来生伏得長生」といい、ただ引拔を待って便ち出て来られる。ゆえに爻上に伏の飛を剋するに遇えば、事なし。用神の在る所に飛の伏を傷するに遇えば、伏神は安寧ならず。飛伏の間が相和順せぬ時は、かえって別爻の来て伏神を助ける有無を見るべきである。要するに伏神が蔵か出か、事に応じ得るかは、必ずその来因を審す――飛伏の生剋を見、日月が提拔するか否かを見、飛神を冲し開く日の有無を見る。

断易神煞に泥む勿れ

易卦陰陽在變通,五行生剋妙無窮,時人須辨陰陽理,神煞休將定吉凶。

易卦の道理は全て陰陽変通の上にあり、五行生剋の妙用は窮め尽くせない。当今易を学ぶ人は陰陽生剋の理を辨明すべきで、一堆れの神煞をもって吉凶を定めるべきではない。この一条は全書の立場の在る所である。王洪緒は後に数篇を専列して天医・貴人・禄馬・本命などの神煞の説を駁斥するが、その根はこの四句にある――神煞は多くても爻に一点の色彩を添えるに過ぎず、成敗を決定し得るものは、永遠に爻の五行生剋と旺衰である。

六爻安静訣

卦遇六爻安靜,當看用與日辰。日辰克用及相刑,作事宜當謹慎;更在世應推究,忌神切莫加臨;世應臨用及原神,作事斷然昌盛。

六爻が一つも動かない卦は、見るべき動爻がないから、眼光を全て用神と日辰の二処に置く。日辰がもし用神を剋し、あるいは用神と相刑すれば、事を弁ずるに格段の謹慎を要する。さらに世爻・応爻の上に推究すれば、世応の両位に千萬に忌神を坐せてはならない。もし世爻・応爻がちょうど用神あるいは原神に臨んでいれば、弁ずる事は必ず順遂昌盛す。静卦は見れば事なきがごときも、実は吉凶は全て日辰の用神に対する一生一剋と、世応両爻の坐する六親が何かに憑る。

六爻乱動訣

六爻亂動事難明,須向宮中看用神,用若休囚遭克害,須知此事費精神。

六つの爻が一斉に乱れ動くは、頭緒が紛雑で事は看清し難い。この時さらに心神を収摂し、ただ本宮の中に往きて用神を尋ね、この一爻を掴んで主と為すべし。用神がもしまさに休囚無気の時に当たり、また日辰・動爻に剋せられ害せられれば、この事は大いに一番の精神を費やすと知るべく、たとえ弁じ成すとも辛苦周折である。乱動の卦は条々に追う要はなく、ただ用神一爻が旺か衰か、生を受け剋を受けるかを問えば、主意は自然と定まる。

忌神歌

看卦先須看忌神,忌神宜靜不宜興,忌神急要逢傷克,若遇生扶用受刑。

「忌神」は用神を剋するその一爻である。卦を見るにまずそれを尋ね出すべし。忌神は最も安静に動かぬをよしとし、一たび動けば便ち直に用神に向かって冲り来る。ゆえに忌神の緊要なのはそれ自身が傷を受け剋を受けること――別の爻が来て忌神を剋し止めれば、用神は安全である。もし忌神がかえって日辰・月建あるいは動爻の生扶を得て、気勢が一たび足れば、用神はその刑剋を受け、事はこの一爻の上に壊れる。断卦の時はまず用神を定め、即座に忌神を定め、両爻を一対照すれば、成敗はすでに大半見える。

原神歌

原神發動志揚揚,用伏藏兮也不妨,須要生扶兼旺相,最嫌化克及逢傷。

「原神」は用神を生ずるその一爻である。原神が発動すれば、気勢は昂揚し、用神はたとえ伏蔵して現れずとも妨げなし――原神あれば、用神は遅かれ引拔し出せる。ただし原神自身もまた力あらねばならない。日辰月建にそれを生じそれを扶けられ、本身また旺相に当たって、初めて真に用神を生じ動かし得る。最も恐れるのは原神が発動しながら自己を剋する爻を変出すること(回頭剋に化す)、あるいは卦中で別爻に冲剋され傷損されることである。それならばそれは自ら顧みる暇なく、用神を生ずること能わない。

用神卦に上がらざる訣

正卦如無變又無,就將首卦六親攻,動爻生用終須吉,若遇交重克用凶。

要するその一位の六親が、本卦にもなく変卦にもない。これを「用神が卦に上がらず」という。この種の情形に遇えば、本宮の首卦(八純卦)の中の同一の爻位に往きてその一位の六親を取り、それを伏神と為して推断する。取り定めた後は依然として常法に照らして見る。卦中の動爻がもしこの用神を生ずれば、終に吉。もし重・交の爻の発動して来てこれを剋するあれば、それは凶である。この一条は全書の伏神を取る総綱で、後の「卦爻呈象併飛伏神卦身定例」が逐卦に排出するのは、まさに各卦が首卦のどの爻に往きて伏神を取るべきかである。

用神空亡訣

發動逢沖不謂空,靜空遇克卻為空,忌神最喜逢空吉,用與原神不可空。春土夏金秋樹木,三冬逢火是真空,旬空又值真空象,再遇爻傷到底空。

旬空を辨ずるには真偽を分かたねばならない。爻は旬空の内に落つるも、それが自己発動するか、あるいは日辰に冲し起こされれば(空を冲すれば則ち実)、空と算すること能わない。反対に、安静の空爻がまた剋傷されれば、それこそ真の空である。用いる時の準則は:忌神は最も空に落つるを喜び、空に落ちれば便ち害を為すこと能わず、好事である。用神と原神は万々にも空に落ちてはならず、一たび空なれば事に着落がなくなる。何を「真空」というか。春の土爻、夏の金爻、秋の木爻、冬の火爻――これらはみな当令の気に剋されるか休囚の極みに至った五行で、本身に気なく、さらに旬空に落ちれば便ち真空である。すでに旬空に落ち、またまさにこの無気の時に当たり、さらに別爻の来りて冲剋しそれを傷めるを加えれば、それは空の底に至り、再び出頭の日なし。

用神発動訣

用爻發動在宮中,縱值休囚亦不凶,更得生扶兼旺相,管教作事永亨通。

用神が自己卦中に発動すれば、それは事に生機あることで、たとえそれがまさに休囚無気の時に当たるとも凶と算せず、動けば則ち能く変じ能く生路を求めるからである。もしさらに日辰月建にそれを生じそれを扶けられ、本身また旺相の時に逢えば、それは必ず弁ずる事が一路亨通するを保つ。この一条は前の「忌神は静を宜とす」と正しく相対する。用神は動を宜とし、忌神は静を宜とす。一部の《卜筮正宗》の取舍は大半この二句の上にある。

六親発動訣

父動當頭克子孫,病人無藥主昏沉,姻親子息應難得,買賣勞心利不存,觀望行人書信動,論官下狀理先分,士人科舉登金榜,失物逃亡要訴論。

父母爻が発動すれば、頭の一件は子孫を剋すること。病を占えば、子孫は医薬の神で、剋されれば医する薬なく、病人は昏沈して省せず。婚姻を占い子嗣を求むれば、子息は得難し。売買を為せば心を労し力を費やして利を得ることなし(子孫は財源で、源が断たれれば財は枯る)。しかし門を換えれば便ち好事となる。行人を望めば、父母は音信を主り、一たび動けば便ち書信の到るあり。官司を打って状子を呈遞すれば、父母は文書で、動けば曲直は先に分明を得る。読書人が科挙に応ずれば、父母はまさに文書の神で、一たび動けば便ち金榜題名を主る。失物・逃亡に至っては、官を経て陳訴して初めて着落あり。

子孫發動傷官鬼,占病求醫身便痊,行人買賣身康泰,婚姻喜美是前緣,產婦當生子易養,詞訟私和不到官,謁貴求名休進用,勸君守分聽乎天。

子孫爻が発動すれば、頭の一件は官鬼を傷すること。病を占えば、官鬼はすなわち病根で、子孫が一たび動けば便ち病根を打ち落とし、医を求めて便ち痊る。行人を占い売買を占えば、一路に平安康泰。婚姻を占えば、歓喜美満の前世の縁である。生産を占えば、子は生まれ易く養い易い。官司を打てば、私下に和解して官に鬧ぐに及ばず。ただ貴人に見え功名を謀取するこの一門のみこれを用いるべからず――官鬼は功名で、子孫が一たび動けば功名は先に剋される。ゆえに安分して己を守り、天意に聴き任せ、強いて求めぬよう勧める。

官鬼從來克兄弟,婚姻未就生擬滯,病困門庭禍崇來,耕種蠶桑皆不利,出外逃亡定見災,詞訟官非有囚繫,買賣財輕賭博輸,失脫難尋多闇昧。

官鬼爻が発動すれば、本性は兄弟を剋すること。婚姻を占えば、事は遅々として成らず中途に阻滞す。家宅を占えば、疾病は門庭に困り禍祟は踵を接して来る。田を耕し地を種し、蚕を養い絲を繰るも皆順わず。門を出て外に在り、あるいは逃亡の人を追尋すれば、必ず災殃を見る。官司を打てば牢獄に拘系する虞あり。売買を為せば利は薄く、賭博は必ず輸く。失くした物は尋ね難く、その中には多く暗昧不明の情節あり。官鬼の一門はただ官を求め名を問うに於いて吉で、その余の各占は多く憂疑災病を主る。これがその本色である。

財爻發動克文書,應舉求名總是虛,將本經營為大吉,親姻如意藥無虞,行人在外身將動,產婦求財身脫除,失物靜安家未出,病人傷胃更傷脾。

妻財爻が発動すれば、本性は父母文書を剋すること。科挙に応じ功名を求むれば、父母は剋されて一切空となる。しかし本銭を取って売買を経営すれば、則ち大吉。婚姻は意に称い心に如う。医を求め薬を服するも妨げなし(財は能く官を生じ、官は病だが、財が旺なれば薬力は致り得る。ゆえに虞なしという)。行人を占えば、財の動くは人が外に身を起こし将に帰らんとするを主る。産婦を占えば、財の動くは身を脱して順産し、かつ財を得るを主る。失物を占えば、財爻が安静すれば物はなお家に在って門を出でざるを主る。病を占うには留意すべきである。妻財が土の類に属して令に当たり動けば、最も脾胃を傷り、病人は多く脾胃の損を受けている。

兄弟交重克了財,病人難愈未離災,應舉奪標為忌客,官非陰賊耗錢財,若帶吉神為有助,出路行人便未來,貨物經商消折本,買婢求妻事不諧。

兄弟爻が重々しく発動すれば、本性は妻財を剋すること。病を占えば、財は医薬の資費でありまた脾胃の元気でもあり、剋されれば病は痊愈し難く災難は未だ脱せず。科挙に応じ頭名を奪わんとすれば、兄弟は同儕と先を争う神で、まさに事を碍げる「忌客」である。官非の事は暗中に人の梗げるあり、徒に銭財を耗費するを主る。ただし兄弟がもし吉神(青竜・貴人の如き)を帯びれば、かえって助力を成し、人の相幇するあり。門を出でて外に在る行人を占えば、兄弟の動けば一時には帰り来らず。貨物を販運して売買を為せば、本を賠え利を折るを主る。婢女を買い妻室を娶れば、事は多く談合わず。

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