十八論
用神分類定例第一
父母爻:凡占祖父母、父母、師長、家主、伯叔姑姨、與我父母同輩、或與父母年若之親友,及牆城、宅舍、舟車、衣服、雨具、求雨、綢布氈貨、章奏文章、館室,俱以父母爻為用神。
用神を取るは断卦の第一歩である。問う人あるいは事がどの類に帰するかで、その一類の六親の爻を取って主と為す。父母爻に属するには二大宗あり。一は人で、およそ祖父母・父母・師長・家主(雇主・東家)・伯叔姑姨、および父母と同輩、あるいは父母と年紀相倣う親友は、みな父母に帰す。二は物で、およそ能く我が身を蔭庇し覆載するもの――城墻・住宅・船只車輌・衣服・雨具、および雨を求めるこの事、また綢布氈貨・奏章文書・館舎屋室も、みな父母爻を以て用神と為す。取象の道理は「我を生ずる者を父母と為す」に在る。およそ我を養育し、我を覆蓋し、我を庇護する者は、一概にこれに帰す。
官鬼爻:凡占功名、官府、雷電、鬼神、丈夫、夫之兄弟同輩,及夫之相與朋友、亂臣、盜賊、邪崇、憂疑、病症、尸首、逆風,俱以官鬼爻為用神。
官鬼爻に属するもの:およそ功名前程・官府衙門を問い、天象上の雷電、および鬼神の事、婦人が丈夫を問い、および丈夫の兄弟同輩・丈夫の往来する朋友、さらに乱臣・盗賊・邪祟・心中の憂疑・身上の病症・死人の尸首、船を行くに遇う逆風――みな官鬼爻を以て用神と為す。官鬼の一位は両面に看る。貴人に在っては官星であり功名であり、平民に在っては禍祟であり疾病憂疑である。ゆえに同一の爻も求名の一門では吉神、病を占う一門では凶神である。取る時用る時はまず問う所がどちらの面かを辨清すべし。
兄弟爻:凡占兄弟、姊妹、姊妹丈、妻之兄弟、世兄弟、結盟同寅,及知交朋友,俱以兄弟爻為用神。
兄弟爻に属するもの:およそ自己の兄弟姊妹・姊妹の丈夫(姉夫妹夫)・妻子の兄弟(内兄内弟)・世交の兄弟輩・結拜の盟兄弟と同僚同寅、および交情の深厚な朋友を問うは、みな兄弟爻を以て用神と為す。取象の道理は「比和する者を兄弟と為す」に在る。およそ我と同輩で地位相當、並び肩して共に処り得る人は、みなこの一位に帰す。兄弟はまた劫財阻隔の神である。ゆえに財を求め婚姻を占う時はそれは常に忌神であり、ただ専ら兄弟朋友本人の吉凶を問う時にのみ、それが用神となる。
妻財爻:凡占嫂、與弟婦、妻妾,及友人之妻妾婢僕、物價、錢財珠寶金銀、倉庫錢糧、什物、器皿,及問天時、晴明,俱以妻財爻為用神。
妻財爻に属するもの:およそ嫂子・弟媳・自己の妻妾、および朋友の妻妾婢僕を問い、およそ物価の高低・銭財珠宝金銀・倉庫中の銭粮・日用の什物器皿を問い、および天時中の晴明を問う――みな妻財爻を以て用神と為す。取象の道理は「我が剋する者を妻財と為す」に在る。およそ我の駆使を受け、我の支配に供し、我に帰有する人と物は、みなこの一位に帰す。天時の一門が財を以て晴と為すは、妻財が父母を剋し、父母は雨水を主るが故である。財が旺なれば則ち雨止み天晴れ、父母が旺なれば則ち雨来る。
子孫爻:凡占兒女、孫、侄、女婿、門生、忠臣、良將、藥材、僧道、六畜、禽鳥、順風、解憂避禍,及問天時、日月星斗,俱以子孫爻為用神。
子孫爻に属するもの:およそ児女・孫輩・侄輩・女婿・門生弟子を問い、およそ忠臣良将を問い、およそ薬材・僧人道士・六畜禽鳥を問い、船を行くの順風、および憂愁を消解し禍患を躲避するこの類の事、天時中の日月星辰を問う――みな子孫爻を以て用神と為す。取象の道理は「我の生ずる者を子孫と為す」に在る。およそ我より生じ出で、我の調度を聴き、能く我のために厄を解く者は、みなこの一位に帰す。子孫はまた「福徳」「福神」と叫ばれる。能く官鬼を克制するが故である。官鬼は病であり禍であり、子孫が一たび動けば病禍は自ずから解ける。ゆえに病を占い医を求め、難を避け憂を解くに全てこれに倚る。反対に功名を求むる時は、それは官星を剋し去り、便ち最大の忌神となる。
世応用神を論ずる第二
凡卦中世應二爻,世為自己,應作他人。世應相生相合,是雲賓主相投;世應相剋相沖,可見兩情不睦。凡占自己疾病,或問壽數,或問出行吉凶,諸凡損益自身者,以世爻為用也。凡占無尊卑之稱呼、未曾深交之朋友、九流術士、仇人、敵國,或指實某處地頭,或指此山此水、此寺此壇等類,俱以應爻為用神也。
一卦の中、世爻は自己を代表し、応爻は相手を代表する。世応が相生し相合すれば、それは賓主投契して彼此意ある。世応が相克し相冲すれば、便ち両下の情意の睦まざるを見る。いつ世爻を取って用神と為すか。およそ自己の疾病を占い、自己の寿数を問い、自己の出行の吉凶を問う、一切の損益が自身に関るものは、みな世爻を以て用と為す。いつ応爻を取って用神と為すか。およそ問う所の人が称呼の上で尊卑長幼を分かち得ず、交情もまた深からざるもの――泛泛たる交わりの朋友・卜を売り医を行う一類の九流術士・仇人・敵国――および指実して某の一処の地方・某の一座の山・某の一道の水・某の一所の寺廟壇庵は、みな応爻を以て用神と為す。この一条は前節の六親に按じて取用するの不足を補足する。ある人事は六親に帰入する由なく、世応の両爻に倚って我と彼とを分かつ。
如占自己有一地可造墳否,則世為穴場,應為對案。如將買他人之地而欲造墳,問此地若葬益利我家否,以應作穴場,世是我家也。
例を挙げて世応が問い方に随って転換する如何を見よう。假如占う所は自家がすでに有する一つの地が墳を作り得るか否かならば、則ち世爻を以て穴場(葬穴の所在)に当て、応爻を以て対案(穴の前に対する山案)に当てる。しかし假如他人の地を買いて墳を作らんとし、この地に葬り下すことが我家に好処あるか否かを問うならば、則ち反対にする。応爻は他人のその地、すなわち穴場で、世爻こそ我家である。同じ一つの「墳を占う」も、ただ問う所の角度が異なるがゆえに、世応の指す所は便ち個を掉えた。これはまさに用神を取るに条目を死記し得ざるを説明する。まず問うのが「誰の何事か」を弄清楚せねばならない。
用神問答第三
或曰:僕占主人,以父母爻為用神;主人占僕,不以子孫爻為用神,何也?答曰:一切撫養庇護我身者,以父母爻為用神,即如城垣宅舍、舟車衣服等類是也;金銀對象、婢僕等一切驅使之類,以財爻為用神是也。
ある人の問う:僕人が主人のために卦を占うに、父母爻を用いて用神と為す。反対に主人が僕人を占うに、なぜ子孫爻を用いざるか。答:用神を取るは輩分に按じて排せず、「関係」に按じて定める。およそ我を撫養し、我を庇護する者は、みな父母爻に帰す――ゆえに城墻宅舎・船車衣服の能く我を遮護するものもまた父母と算す。およそ我の使喚に供し、我の支配に帰する者は、みな妻財爻に帰す――金銀器物・婢女僕人のこの類の我の駆遣を聴く者は、便ちみな財爻を用いる。僕人が主人を看れば、主人は彼を庇護する者。ゆえに父母を取る。主人が僕人を看れば、僕人は彼の役使する所。ゆえに妻財を取る。子孫とは全く相渉らない。
又曰:占兄弟之妻、妻之姊妹,以財爻為用;占夫之兄弟以官爻為用,何也?答曰:兄弟之妻、妻之姊妹,與妻同輩人也,既夫占妻以財爻為用,皆是財爻為用矣。夫之兄弟,與夫同輩人也,既要占夫以官爻為用,皆是官爻為用矣。
また問う:兄弟の妻子を占い、妻子の姊妹を占うに、みな妻財爻を用いる。丈夫の兄弟を占うに、却って官鬼爻を用いる。これは何の道理か。答:依然として輩分に按じて帰類する。兄弟の妻子・妻子の姊妹は、自己の妻子と同一輩の人である。すでに丈夫が妻子を占って妻財爻を取る以上、およそ妻と同輩の女眷は一概に妻財爻を取る。丈夫の兄弟は、丈夫と同一輩の人である。すでに婦人が丈夫を占って官鬼爻を取る以上、およそ夫と同輩の男子は一概に官鬼爻を取る。これがすなわち「同輩同取」の通例で、一人より一大類の人に推し得て、逐条に死記するを免れる。
又問古書俱載兄弟為風雲,今以官鬼之爻為逆風,子孫之爻為順風,何也?答曰:貴人以官為官星,庶人以鬼為禍崇;貴人以子孫之爻為惡煞,庶人以子孫之爻為福神。官乃拘束之星,鬼乃憂疑阻滯之宿,如連日風雨,或遇逆風、疾病纏染、官司擾害、盜賊憂虞,人心豈暢?福神能制官鬼,善解憂愁,故為之用也。
また問う:古書はみな兄弟爻は風雲を主ると言うのに、如今却って官鬼爻を取って逆風と為し、子孫爻を取って順風と為す。これは何のためか。答:同一の爻も人が異なれば意義は相反す。官を做る人は官鬼を以て官星と為し、好いものである。平民百姓は官鬼を以て禍祟と為し、悪いものである。官を做る人は子孫を以て傷官の悪煞と為す。平民百姓は子孫を以て福神と為す。官鬼はもともと人を拘束する星で、鬼はもともと人に憂疑阻滞せしめる宿である。幾日も連ねる風雨・門を出でて遇う逆風・身上に纏う疾病・喫する官司・擔心する盗賊――どれ一つとして人の心を舒暢せしめ得よう。これらはみな官鬼の本色である。ゆえに逆風は官鬼に帰す。しかして子孫は福神で、能く官鬼を制住し憂愁を解く。ゆえに順風は子孫に帰す。見るべし、用神を取るにただ旧条文を背誦する能わず、「この一爻がこの人に対して拘束か解脱か」に就きて定めるを要す。
原忌仇神論第四
凡占卦要知原神,先看用神何爻,生用神之爻即是原神也。如用神旬空、月破、衰弱,或伏藏不現,得原神動來生之,或日辰月建作原神生之,必待用爻出旬出破、得令值日,所求必遂矣。如用神旺相,原神休囚不動,或動而變墓、變絕、變克、變破、變退,或被日辰月建剋制,皆不能生用,是用神根蒂被傷矣,是不惟無益而反有損也。
原神を認めんとするは、まず用神がどの爻かを認定し、およそ用神を生ずるその一爻がすなわち原神である。用神がもし旬空に落ち、月破に逢い、気衰え力弱く、あるいは伏蔵して出ざるも、ただ原神の発動して来てそれを生ずる有り、あるいは日辰・月建がちょうど原神を充てて来てそれを生ずれば、則ちただ用神が旬を出、破を出るか、あるいはそれが令を得日に値るのその日を須つれば、求むる所の事は必ず意に如う。反対に、用神は旺相なれども原神が休囚して動かず、あるいは原神は動くも墓・絶・回頭剋・月破・退神を変出し、あるいは日辰月建に剋し住められれば――これらの情形はみな原神が用神を生ずる能わず、用神の根を傷せるに等しい。この時はただ帮助を得ざるのみならず、かえって損あり。本当はそれに倚るべき一路の生気が断え、事は望み有ると見えて終には落空するが故である。
凡占卦要知忌神,亦先看用神,克用神之爻即是忌神也。如忌神動來克用,而用爻出現不空,則受克也。倘卦中又動出一爻原神生用,則忌神反生原神,是名貪生忘克,則用神根蒂深固矣,其吉更倍矣。如忌神獨發而用空旬空,謂之避空;如伏藏不現,謂之避凶;如月建日辰生用,謂之得救。如是仍等為吉兆,夫亦何嫌何疑哉?
忌神を認めんとするも、また先に用神を認定し、およそ用神を剋するその一爻がすなわち忌神である。忌神が発動して来て用神を剋し、しかして用神がまた明らかに卦中に出現して空に落ちざれば、則ち実実在在にこの一剋を捱ける。しかしもし卦中に別に一爻の原神もまた発動して来て用神を生ずれば、忌神は原神を見て便ち先に往きてそれを生じ、用神を剋する事を忘れる。これを「貪生忘剋」という――剋し成さざるのみならず、かえって一路の生気に転じ、用神の根はかえってさらに深く、吉利は加倍す。さらに三種の躲法あり。忌神が単独発動して用神が恰好旬空に落つるを「避空」といい、空の中のものは剋し着らず。用神が伏蔵して現れざるを「避凶」といい、蔵せたものもまた剋し着らず。月建・日辰が出でて用神を生ずるを「得救」という。およそこれは依然として吉兆で、疑慮する要なし。
如忌神變回頭之克,或日辰月建克沖之,或動爻制忌之,謂之賊欲害我,是賊先受害也,我又何傷。如日辰月建生扶忌神,或忌神疊疊克用,即使用神避空伏藏者,至出空出透時,便受其毒,難免其究也。
さらに忌神が自己制を受くる情形を言う。忌神が発動して一つの回頭にそれを剋する爻を変出するか、あるいは日辰・月建がかえってそれを剋しそれを冲するか、あるいは卦中に別に動爻あってそれを制住するか――これは譬えるに強盗が我を害さんと欲して、未だ手を動かさず自己先に打を捱けたるが如く、我は又何ぞ傷を受けん。しかしまた相反する一面あり。日辰月建がかえって往きて忌神を生扶するか、あるいは忌神が卦中に重畳して一斉に用神を剋すれば、則ち用神はたとえ一時に空に落ちて躲し、伏蔵して蔵するも、空を出るその日・頭を露わすその刻に至り、なおこの毒手を捱け、終に躲け過ぐる能わず。ゆえに忌神を看るにただそれが動くか動かざるかを見る能わず、それ自身の強弱とそれを制する爻の有無を併せ看るべし。
凡占卦要知仇神,先看制克原神、生扶忌神者,即是仇神也。如卦中仇神發動,則原神被傷,用神無根,忌神倍力,其禍可勝道耶。
仇神を認めんとするは、どの爻がすなわち原神を克制しまた忌神を生扶するかを看れば、その一爻が便ち仇神である。それは四神の中で最も陰狠の一位である。卦中に仇神が一たび発動すれば、原神は先にそれに傷せられ、用神の根は便ち断える。同時に忌神はまたその相生を得て、力量は加倍す。一辺は生路を断え、一辺は剋力を添ゆ。このような禍患はなお説き尽くせようか。ゆえに卦を看るには用神・原神・忌神・仇神の四位を一斉に排し出すべし。用神は問う所の事、原神はその生路、忌神はその剋星、仇神は剋星を加重し生路を堵死するその一爻である。
飛神正論第五
飛神有六:凡卦既有伏神,伏神之上者,飛神一也。六獸五類飛神,二也。他宮五類贅入本宮,取財、官、父、兄、子,飛神三也。一卦中內上下兩爻一類,內靜外興,外飛內,四也。外靜內興,內飛外,五也。內外皆興,飛去,六也。
「飛神」は一種のみならず。王氏は帰納して六と為す。第一種はまた最も常に言う一種――およそ卦中に伏神あれば、伏神の上頭に圧するその一爻がすなわちその飛神である。第二種、六獣の臨む所の爻と五類の六親と相配し、六獣は六親の上に浮く。これもまた一層の飛と算す。第三種、別宮の五類の六親が本宮の卦中に混入する(本卦の某爻の地支が本宮に按じて算すれば甲の六親、変出あるいは臨む所の宮に按じて算すれば乙の六親の如き)。このように取り来る財・官・父・兄・子も、また一種の飛である。第四種、一卦の内に上下両処に同一類の六親が出現し、内卦のその一爻が安静にして外卦のその一爻が発動すれば、則ち外爻を以て内爻に飛入す。第五種、反対に外卦が静にして内卦が動けば、則ち内爻を以て外爻に飛入す。第六種、内外の両爻がともに発動すれば、則ち彼此に飛去し、誰も誰を伏せず。後の三種は実は同類の六親が両現する時にどう取舍するかを講ずる。動く者を主と為し、静なる者は命を聽き、両動すれば各々自ら用と為る。
伏神正伝第六
夫伏神者,謂卦之有缺用神,才看用神伏於何爻之下。既有用神現,即使旬空、月破、動、靜、生、克、合、沖者,皆由機關之所發,是有病處,必以藥醫之。故空要值日,破要填合,伏待出露,沖待合,合待沖。此乃物窮必變,器滿則傾。若以破空為無用,以幹為坤之伏,大有五類俱全又扯否卦為伏,又爻爻有伏之說,豈非病失醫藥,其傳謬矣!
いわゆる伏神とは、卦中に要するその一位の用神を欠き、これに於いてそれがどの爻の下に伏するかを看るものである。もし用神がもともと卦中に出現すれば、たとえそれが旬空に落ち月破に逢い、あるいは動あるいは静、あるいは生あるいは剋、あるいは合あるいは冲するも、それらはみな天機がここに顕露する所、「病ある」処で、ただ症に対し薬を下せば了り。空に落つるはそれが日に値り填実するを待ち、月破はそれが合に遇いあるいは填実するを待ち、伏蔵はそれが頭を露わすを待ち、冲せらるるは合の来りて解くを待ち、合し住めらるるは冲の来りて開くを待つ。これはすなわち事物は窮極すれば必ず変じ、器は満てば則ち傾くの道理である。もし一たび月破旬空を見れば則ち全く用無しと断ずるか、あるいは旧説のごとく乾卦を以て坤卦の伏神と為すか、あるいは大有の一卦は六親俱全なのに、なお硬く天地否卦を扯じて来て伏神に当てるか、再びあるいは「毎一爻に皆伏神有り」と主張するか――それは病あるに肯んじて薬を用いざるに成らざるか。これらの伝法はみな誤りである。
至於學者無門可入,今陳一定不易之理,以便學者易於升堂。且乾坤艮兌坎離震巽乃八宮之首卦,名曰八純,其爻全金、木、水、火、土,其象備官、父、子、財、兄,本宮下七卦如缺一者,即以首卦為伏。假令姤、遁無財,須向乾宮借寅木;遁、否、晉、觀缺水,移乾子水伏初爻;觀、剝少金,乾卦申金為伏。今以乾卦為法,他宮他卦皆是以本宮首卦七卦之伏神也。
旧説は紛乱して、学者は入門するに由なし。ゆえに私はここに一条の移易すべからざる定則を立て、人に登堂入室し易からしめんとする。乾・坤・艮・兌・坎・離・震・巽のこの八つの卦は八宮の首卦で、「八純卦」という。それらの六爻の五行は金木水火土俱全し、六親の中の官鬼・父母・子孫・妻財・兄弟もまた斉備す。本宮の下の七卦がおよそどの一位を欠くも、本宮首卦の上に就きて取り来り伏神と作る。乾宮を例に挙げれば:天風姤・天山遯の両卦に妻財なければ、乾為天に向かい第二爻の寅木を借る。天山遯・天地否・火地晉・風地觀の四卦に水(子水子孫)を欠けば、乾為天の初爻の子水を移し来りてこれらの卦の初爻の下に伏せしめる。風地觀・山地剝の両卦に金(申金兄弟)少なければ、乾為天の第五爻の申金を用いて伏神と作る。乾宮はこのように弁じ、別宮別卦もまた同じく、みな本宮首卦を以て彼の七卦の伏神と為す――一言、何を欠くれば則ち本宮首卦の同一の爻位の上に回りて取れ。
六獣評論第七
青龍最喜悅而多仁,附忌神凡謀不利。白虎最凶勇而好殺,生用神諸為則吉。朱雀克身,口舌是非常有;如來生用,文書音信當回。勾陳屬土,空則田園欠熟;剛強克世,公差牽扯拘遲。螣蛇怪異虛驚,玄武私情盜賊。白虎血神生產,偏宜發動。
六獣は本身は成敗を定め得ず、それがどの爻に附くかを看るべし。青竜は最も歓喜で仁厚だが、それがいったん忌神のその一爻に附すれば、およそ謀る所有れば便ち順利ならず。白虎は最も凶悍で殺を好むが、それがもし臨むが用神を生ずる爻ならば、何の事を做すもかえって吉利。朱雀の爻がもし来て世爻を剋すれば、口舌是非は便ち常にあり。もしそれが来て用神を生ずれば、文書音信は必ず回り来る。勾陳の五行は土に属し、田園屋土を主る。それが空亡に落つれば、田里の収成好からざるを主る。それが気勢剛強にして来て世爻を剋すれば、公事を喫し差役に牽扯拘留せられ、事の拖延するを主る。螣蛇は怪異虚驚を主り、玄武は私情と盗賊を主る。白虎はまた血神で、生産を占う時はかえってそれが発動するを盼む――産婦は血を見て方に生ず。ゆえにこの一門の中では凶神は応験の神となる。見るべし、六獣はただ色彩を添えるのみで、吉凶はなお爻の生剋の上に在る。
午宮朱雀化水,何忌大災。螣蛇木鬼,欺身恐自縊,難逃枷鎖。玄武官生靜世,交小人莫慮干連;世克靜,青龍巡捕戲場酒肆上。鬼動勾陳,論祈禱速酬太歲;問病原腫脹黃浮。
さらに几条の実例を挙ぐ。朱雀はもともと火を主る。もし午火の爻に臨みて水を変出すれば(火は水に制さる)、たとえ火災の象有るも憂懼する要なし。ゆえに何ぞ必ずしも大災を怕れんやと言う。螣蛇が木性の官鬼に臨みて来て世爻を欺壓すれば、最も自縊の類の凶事を忌み、また难逃の枷鎖牢獄を主る――木は索繩を主り、螣蛇は纏繞を主り、官鬼は刑獄を主り、三者が一処に湊えば、象は則ち此の如し。玄武が官鬼に臨みて来て安静の世爻を生ずれば、小人と往来するも、牽連せられんを擔心する要なし。世爻がかえって往きて彼の静爻を剋すれば、則ち事は我の掌握に在り。青竜がこれに臨みて巡捕の職に臨めば、主人は常に戯場酒肆の一類の歓場に出入す。官鬼が発動して勾陳を帯びれば、もし祈祷を論ずれば、太歳に欠ける願あって赶紧に還すべし。もし疾病を問えば、病根は多くは腫脹で、面色は黄にして虚浮す――勾陳は土に属し、土は脾胃腫満を主る。ゆえに此の象あり。
略舉六神取用,莫將六獸推尊,遇吉神般般雲吉,持凶宿件件凶。
以上は不過ただ几条の六神取用の様子を略挙したのみ。学者は切に六獣を抬げること高きに過ぎ、断卦の主宰と作すべからず。総の原則はただ一句あり。六獣が吉神(原神・用神)の上に附すれば、件件に吉を説き、凶神(忌神・仇神)の上に附すれば、件件これ凶。それ本身に独立の吉凶なく、譬えるに衣服の顔色の如く、何人の身に穿てば初めて何の気象を見る。爻の五行生剋を離れて六獣を論ずれば、便ち本を舎てて末を逐うである。
四生逐位論第八
火生於寅也,金生於巳也,水土生於申也,木生於亥也。火庫於戍,絕於亥;金庫於丑,絕於寅;水土庫於辰,絕於巳;木庫於未,絕於申。此長生墓絕定例。卦卦必用者長生爻,爻須究者墓絕,除三者之餘,卦中俱弗重也。
(原書は此篇を「第六」と標すも、目次に按じて第八とすべし。)四生とはすなわち長生・墓庫・絶地の一路の定位である。火は寅に長生し、金は巳に長生し、水と土は同じく申に長生し、木は亥に長生す。火の墓庫は戌に在り絶地は亥に在り、金の墓庫は丑に在り絶地は寅に在り、水土の墓庫は辰に在り絶地は巳に在り、木の墓庫は未に在り絶地は申に在り。これがすなわち長生・墓・絶の定例。断卦の時に毎一卦に用い得るのは長生の一位、毎一爻に追究すべきは墓と絶の両位。この三样を除くのほか、十二長生の中のその余の九位(沐浴・冠帯・臨官・帝旺・衰・病・死・胎・養)は卦中に於いてみな看重する要なし。この一条は王氏の旧法に対する一大簡化である。十二長生を逐位に排定して吉凶する要なく、ただ長生・墓・絶の三処を抓めれば即可である。
假令火之沐浴於卯為相生,火之冠帶於辰、衰於未、養於丑為洩氣,巳火臨官於巳為伏吟,午火臨官於巳為退神,巳火帝旺於午為進神,午火帝旺於午為伏吟,午火衰於未者為相合,午火病於申巳,午火死於酉者為仇神,巳火病於申者為相合,胎於子者為相剋,午火胞胎於子為克、為沖、為反吟。由此觀之,餘神奚足重哉!
なぜその余の九位は看重する要なきか。それらの作用はすでに早く生剋刑冲合のこの一套に涵蓋せられて就きたればなり。試みに火爻を例に挙ぐ。火の沐浴は卯に在り、卯木はもともと火を生ずる。それなら徑に「相生」と言うに如かず。火の冠帯は辰に在り、衰は未に在り、養は丑に在り、辰未丑はみな土で、火が土を生ずれば則ち泄気。それなら徑に「泄気」と言う。巳火は巳に臨官するは自ら同支を重見す。徑に「伏吟」と言う。午火の臨官は巳に在るは、午より巳に退る由。徑に「退神」と言う。巳火の帝旺は午に在るは、巳より午に進む由。従に「進神」と言う。午火の帝旺は午に在るは、また「伏吟」。午火が未に衰するは、午未はもともと六合。従に「相合」と言う。午火の病は申に在り死は酉に在り、申酉は金で、火は金を剋して金はかえって火を耗す。ここに於いて「仇神」を作して看る。巳火が申に病するは、巳申はもともと相合。従に「相合」と言う。胎は子に在り、子水は火を剋す。従に「相克」と言う。午火が子に胞胎するは、子午はすでに相克しまた相冲す。なお「反吟」。このように一路対し下れば、沐浴・冠帯・衰・病・死・胎・養のこれらの名目は全て生・剋・合・冲・進・退を以て代替し得る。ゆえにその余の各位は何ぞ看重するに足らんと言う。
月破論第九
凡卦中月破之爻,乃關因之所現也。動者亦能生克他爻,變者亦能生克本爻。目下雖破,出月不破矣;今日雖破,值日不破矣。月破最喜逢合填實,遠應年月,近應日時。如破而安靜,再值旬空衰弱,遇動爻、月建、日辰克害,此等月破謂之真破,到底破矣。
卦中の月破の爻は、事の関節の在る所の顕露処で、一たび月破を見れば則ち抹殺すべからず。それがもし発動すれば、同じく他の爻を生剋し得る。それがもし爻を変出すれば、変爻は同じくそれ本身を生剋し得る。いわゆる破とは、ただ眼下のこの一ヶ月に制を受くるのみ。本月を出れば則ち破せず。今日破すとも、それが日に値るのその日を待てば則ち破せず。月破は最もそれに合する爻に遇うを喜び、あるいはそれと同支の日に遇い「填実」するを――応期の遠きは某年某月に落ち、近きは某日某時に落つ。ただ一種の情形のみが真の破である。この一爻がすでに月破せられ、また安静にして動かず、さらに旬空の中に落ち本身衰弱無気で、加うるに動爻・月建・日辰が来てそれを剋しそれを害すれば――このような月破を「真破」という。則ち破れ底に至りて、再び起色なし。
旬空論第十
凡卦中爻遇旬空,乃神機發現於此也。如旺相旬空,或休囚發動,日辰生扶、動爻生扶、動爻變空、伏而旺相,此等旬空到底有用,不過待其出旬、值日,有合空、沖起、沖實、填補之法,後卷占驗註明。如休囚安靜,或日辰克、動爻克、伏而被克,靜逢月破值此旬空者,謂之真空,到底空矣。
卦中の爻が旬空に落つるは、まさに神機がここに顕露する所で、同じく一概に抹殺すべからず。以下の幾種の落空はみな到り底用あり。本身旺相にして空に落つる。休囚なれども発動する。日辰の来りて生扶する有る。動爻の来りて生扶する有る。動爻の変出した爻が空に落つる。伏神が本身旺相にして空に落つる。これらはみな不過暫時蔵れるのみで、ただそれが本旬を出るか、あるいはそれが日に値るかを須ち、あるいは合空・冲起・冲実・填補の幾種の法を用いてそれを引き出せばよい――具体的な応験の例は後の几巻の占験にみな注明あり。反対に、本身休囚にしてまた安静にして動かず、あるいは日辰に剋せられ動爻に剋せられ、伏神はまた飛神に剋し住められ、安静の中にさらに月破を兼ね、しかしてまた正しく旬空に落つれば――これを初めて「真空」という。則ち空の底に至りて、再び用無し。空を辨ずる関鍵はただ一句に在り。空にして気あり救ある者は假空、空にして気なく救なき者は真空。
反吟卦定例第十一
反吟卦有二:有卦之反吟,有爻之反吟。卦有反吟,卦變相沖也;爻之反吟,爻變相沖也。(爻變相沖者,壹卦中惟有坤變巽、巽變坤。)
反吟は両層に分かつ。一層は「卦の反吟」。本卦の変出した卦が、本卦の属する三画卦とちょうど方位が相対し地支が相冲する。これを卦変の相冲という。もう一層は「爻の反吟」。ある一爻が発動して、変出した地支がちょうど本爻を冲する。これを爻変の相冲という。原注が言うには、六爻が全て相冲するを変出するは、一卦の中に坤が巽に変じ巽が坤に変ずるの両種のみ(坤は乙癸を納して未巳卯丑亥酉を配し、巽は辛を納して丑亥酉未巳卯を配し、六爻は恰好両両相冲す)。およそ反吟に遇えば、事の反覆顛倒し去りて復た来り成りてまた敗るを主り、何を占するにも折扣を打つべく、病を占い行人を占い官訟を占うに尤もそれを忌む。
乾卦坐於西北,幹右有戌,幹左有亥;巽卦坐於東南,巽右有辰,巽左有巳。兩卦相對,有辰戌、巳亥相沖,故乾為天卦變巽為風卦,巽卦變幹;天風姤卦變風天小畜,小畜變姤——此幹巽二卦相沖反吟卦也。坎卦坐於正北,坎下坐子;離卦坐於正南,離下坐午。兩卦相對,有子午相沖,故坎為水卦變離,離為火卦變坎;水火既濟變未濟,水火未濟變既濟——此坎離二卦相沖反吟卦也。
以下は後天八卦の方位に按じて逐対に卦の反吟を説明す。乾卦の位は西北に在り、それの右辺は戌に挨り左辺は亥に挨る。巽卦の位は東南に在り、それの右辺は辰に挨り左辺は巳に挨る。両卦は正しく相対し、辰と戌は相冲し巳と亥は相冲す。ゆえに乾為天が巽為風に変じ巽為風が乾為天に変じ、天風姤が風天小畜に変じ小畜が姤に変ずる。この幾種はすなわち乾巽相冲の反吟卦。坎卦の位は正北に在り、底下は子に坐す。離卦の位は正南に在り、底下は午に坐す。両卦は正しく相対し、子と午は相冲す。ゆえに坎為水が離為火に変じ離為火が坎為水に変じ、水火既済が火水未済に変じ火水未済が水火既済に変ずる。この幾種はすなわち坎離相冲の反吟卦。
艮卦坐於東北,艮右有丑,艮左有寅;坤卦坐於西南,坤右有未,坤左有申。二卦相對,有丑未、寅申相沖,故艮為山卦變坤,坤為地卦變艮;山地剝卦變謙,地山謙卦變剝——此艮坤二卦相沖反吟卦也。震卦坐於正東,震下坐卯;兌卦坐於正西,兌下坐酉。兩卦相對,有卯酉相沖,故震卦變兌,兌卦變震;雷澤歸妹變隨,澤雷隨卦變歸妹——此震兌二卦相沖反吟卦也。子變午,午變子,丑變未,未變丑,寅變申,申變寅,卯變酉,酉變卯,辰變戌,戌變辰,巳變亥,亥變巳,亦以此變出相沖,乃爻之反吟也。
艮卦の位は東北に在り、右辺は丑に挨り左辺は寅に挨る。坤卦の位は西南に在り、右辺は未に挨り左辺は申に挨る。両卦は正しく相対し、丑未は相冲し寅申は相冲す。ゆえに艮為山が坤為地に変じ坤為地が艮為山に変じ、山地剝が地山謙に変じ地山謙が山地剝に変ずる。この幾種は艮坤相冲の反吟卦。震卦の位は正東に在り、底下は卯に坐す。兌卦の位は正西に在り、底下は酉に坐す。両卦は正しく相対し、卯酉は相冲す。ゆえに震は兌に変じ兌は震に変じ、雷澤帰妹は澤雷随に変じ澤雷随は雷澤帰妹に変ずる。この幾種は震兌相冲の反吟卦。爻の反吟に至っては、すなわち単爻が発動して変出する支が恰好本支を冲する。子は午に変じ午は子に変じ、丑は未に変じ未は丑に変じ、寅は申に変じ申は寅に変じ、卯は酉に変じ酉は卯に変じ、辰は戌に変じ戌は辰に変じ、巳は亥に変じ亥は巳に変じ。およそこれはみな爻の反吟。断卦の時はまず卦の反吟の有無を看、次に逐爻に爻の反吟の有無を看る。両样ともに有れば則ち反覆は尤も甚し。
絶処逄生剋処逄生論第十六
金絕於寅,木絕於申,水土絕於巳,火絕於亥。譬如寅日占卦,金爻絕於寅,如卦中有土爻動而生之,是絕處逄生也。申日占卦,木爻絕於申,如卦中有水爻動而生之,是絕處逄生也。巳日占卦,水爻則絕於巳,如卦中有金爻動而生之,是絕處逄生也。亥日占卦,火爻絕於亥,如卦中有木爻動而生之,是絕處逄生也。
まず五行の絶地を記えよ。金は寅に絶し、木は申に絶し、水と土は同じく巳に絶し、火は亥に絶す。いわゆる「絶処逢生」とは、本にすでに気の絶えた爻が忽然と生扶を得ること。例えば寅日に卦を占えば、卦中の金爻は正しく絶地に落ち、この時もし土爻の発動して来て金を生ずる有れば、金は便ち絶して復た甦る。これがすなわち絶処逢生。申日に卦を占えば、木爻は絶し、もし水爻の発動して来て木を生ずる有れば、これも絶処逢生。巳日に卦を占えば、水爻は絶し、もし金爻の発動して来て水を生ずる有れば、これも絶処逢生。亥日に卦を占えば、火爻は絶し、もし木爻の発動して来て火を生ずる有れば、これも絶処逢生。事を占ってこれに遇えば、先に絶望して後に転機あるを主り、事は本にすでに望みなく、忽ち人の傍より提携して成るあり。
惟巳日占卦,土爻絕於巳,如月建生扶幫比,土爻不謂絕也,謂之日生;如土化出巳,有日月幫比,不云化絕,乃云回頭生也;如日月制土,則是絕於日也,則是化絕於爻也。如酉日占卦,寅爻被克,卦中有水爻動而生之,是克處逄生矣,餘例如之。大凡逄生則寒谷逄春,克處逄生則凶後見吉也。
土爻の絶地はさらに分別を作すべし。巳日に卦を占えば、土は例に照らし巳に絶するも、巳火はもともと土を生ずる。ゆえにただ月建の来りて生扶し幇比する有れば、この土爻は絶と算せず、かえって「日生」を作して看る。同じく、土爻が発動して巳火を変出するも、もし日月の幇扶有れば、「化絶」とも叫ばず、倒れて「回頭生」と叫ぶべし。ただ当日辰月建がかえってこの土爻を制伏する時のみ、算して真に日に絶し真に爻に化絶すと為す。さらに「剋処逢生」を言う。酉日に卦を占えば、卦中の寅木は日辰に剋せられる所なり。もし水爻の発動して来て寅木を生ずる有れば、木は便ち剋の中に救を得。これがすなわち剋処逢生。その余の各例はこれに照らして類推せよ。大凡そ絶処逢生は、寒冷の山谷が忽然と春に回るが如し。剋処逢生は、則ち先に凶にして後に吉を見る。事を占うに最もこの両種の局面を喜ぶ。看れば絶望のごとく、実は則ち別に転圜有り。
変出進退神論第十七
凡卦中亥變子,丑變辰,寅變卯,辰變未,巳變午,未變戌,申變酉,戌變丑,乃進神也。進神者,吉凶倍增其勢也。凡卦中子變亥,戌變未,酉變申,未變辰,午變巳,辰變丑,卯變寅,丑變戌,乃退神也。退神者,吉凶漸減其威也。
動爻の変出した支がもし本支と同一の五行にして位次が前進すれば、則ち「進神」という。亥が子に変じ、寅が卯に変じ、巳が午に変じ、申が酉に変ず(同類の水木火金が各々一位前進する)。丑が辰に変じ、辰が未に変じ、未が戌に変じ、戌が丑に変ず(四土が順に相承ける)。およそ進神を成せば、この一爻の力量は歩々に加強し、吉なれば則ち吉なることさらに速く大きく、凶なればもまた凶なることさらに重し。ゆえに「吉凶その勢いを倍增す」という。反対に、変出の支が同じ五行にして位次が後退すれば、則ち「退神」という。子が亥に変じ、酉が申に変じ、午が巳に変じ、卯が寅に変じ、および戌が未に変じ、未が辰に変じ、辰が丑に変じ、丑が戌に変ず。およそ退神を成せば、この一爻の力量は歩々に削減し、吉なれば則ち吉なること久しからず、凶なればもまた凶なること底に至らず。ゆえに「吉凶その威を漸減す」という。断卦の時は用神の化して進神と為るが最も良く、忌神の化して退神と為るもまた好い事である。反対に用神が退に化し忌神が進に化すれば、則ち悪き処に向かって看るべし。
卦に験不験有りの論第十八
凡人問卦,惟致誠可以感格神明,故齋戒謹指占一事,神前祝告而後卜之,則是用神,是原,是忌,是仇,動、靜、生、克、合、沖、變化、旬空、月破、月建、日辰,研究其理,無不驗也。如卜者不審其本來之心而妄斷之,則理有不通,不驗也。兼問幾事,則數有不建,不驗也。如姦盜邪淫之事,則天有不容,不驗也。或乘便偶占,亳無誠敬,不驗也。
およそ人が卦を問うには、ただ一片の至誠あるのみ能く神明に感通す。ゆえに斎戒して心を浄め、明白明白ただ一事を占し、神前に祝告して後に卦を揺すべし。このようにして卦が成れば、用神・原神・忌神・仇神を一々に認定し、さらに動静・生剋・合冲・変化・旬空・月破・月建・日辰の各方面よりその理を推究すれば、応験せざるなし。以下の幾種の情形は則ち験なし。第一、占卦の人が求卜の者の本来の用心を体せず、空より乱断し、道理の上にまず講り通ぜず、自ずから験なし。第二、一卦に兼ねて幾件の事を問うは、卦数が専ならず、卦上に分派するに由なし。験なし。第三、問う所が奸淫・偸盗の一類の事なれば、天理容れず。験なし。第四、顺便に随手に一占して、毫も誠敬の心なし。験なし。
又如與人代占,必先明說是何名分,方可就其親疏、上下分別用神以為占驗,庶無差誤。假如奴僕代主來占,則以父母爻為用神,今乃有人自顧體面不說實情,假託親戚,以致用神誤差,雖吉無益,不驗也。更或來卜之人心雖誠敬,或阻於他事令人代卜,而代卜之人心或不誠,不驗也。又或一事而今日占之,明日又占之,或一人連占四五卦,是再三瀆則不告,不驗也。
第五、人に替わりて代占するには、必ず先に代占の者と本人とが何の名分かを講明せねばならず、占者は乃ち親疎尊卑に按じて分別して用神を取定し、これを以て始めて錯らざるを得。譬えば僕人が主人に替わりて来りて占えば、則ち父母爻を以て用神と為すべきに、如今偏に人ありて自己の体面を顧みて実話を肯んぜず、假托して某の親戚に替わりて問うといい、用神を取り錯らしめ、卦はたとえ吉なるも用ある所なし。験なし。第六、来りて求卜の人は心誠なれども、別の事に絆されて、旁人を打ち発し代卜せしめ、しかして代卜の人の心不誠なれば、験なし。第七、同一の事を今日占して明日また占し、あるいは一人が連ねて四五卦を占す。正しく《周易・蒙卦》の言う所の「再三するは涜なり、涜なれば則ち告げず」――涜黷すること甚しければ、神明は便ち再び示告せず。ゆえに験なし。この七条は「卦の霊ならざる」の原因を人事の上に帰して、卦理の上に帰せず。正しく王氏の《正宗》の一書を立つの本意である。
増刪卜易の謬を闢く
夫人因事有憂,惟卜可決,必致誠求卜,神必以吉凶相告,當以生剋制化、動靜之理細推,無不應驗。
人は事あって心に懸るがゆえに来りて卜を求め、またただ卜のみ能く彼のために決断する。すでに誠心を以て来り求むれば、神明は必ず吉凶を彼に告ぐ。占者はただ生剋制化・動静変化の道理に按じて細細と推詳すれば、応験せざるなし。これは王洪緒が論を立つの前提である。卦の霊なる所以は、全て「誠」と「理」の二字の上に在って、何の秘訣捷法にも在らず。以下は便ちこれに拠って李文輝の《増刪卜易》が標榜する「卦書を読む須からず」の説を駁斥す。
豈李文輝作《增刪卜易》一書,首章云:此書有十二篇秘法,單教世之全不知五行生剋之士,亦不必念卦書,只要學會點課就知決斷吉凶,知功名之成敗,知財物之得失,知疾病之生死,知禍福之趨避,種種諸事概不必念卦書則知決斷,乃吾師鶴老人苦心於世之秘法,萬兩黃金無處求等語。
どうして知らん、李文輝が《増刪卜易》を作り、頭の一章に便ち誇口して言う。この書には十二篇の秘法あり、専ら全く五行生剋を懂らざる人を教ゆ。それを用いれば、卦書をも読む須からず、ただ課を摆し卦を装するを学会すれば、便ち吉凶を断じ、功名の成るか成らざるか・財物の得るか得ざるか・病人の死ぬか死なざるか・禍福の趨るべきか避くべきかを知り、種種の事は一概に書を読まずして決断し得。さらに言う、これは彼の師野鶴老人の苦心して世に伝える秘法で、一万両の黄金を拿すとも求め得る処なしと。王氏がこの一段を引くは、まさにその病根を指出せんとするに在り。断卦を道理を明にする須からざる機械的手法と説くは、《易》を降して一種の児戯と為すに等し。
閱其秘法曰:求名以官爻為用神,以子孫爻為忌神,不必念卦書,不要看生剋制化、動靜沖合,只要會裝卦對神禱告曰:我若有功名,求賜官爻持世。卜一卦官爻不臨世,再卜;再卜又無,再卜或明日再卜。倘得官爻持世,固知有名;倘得子孫持世,固知無名。
さらにそのいわゆる秘法を看る。功名を求むるに官鬼爻を以て用神と為し子孫爻を以て忌神と為し、接着して便ち卦書を読む須からず、生剋制化と動静冲合を看る須からずと言い、ただ卦を装するを會すれば、神に対し祷告して「我もし功名有らば、就中我に一卦の官爻持世を賜わらんことを」と言う。一卦を搖り出して官爻が世位に在らざれば、則ち再び揺る。再び揺るともまだ無ければ、再び揺る。あるいは明日また続けて揺る。官爻持世を搖り出すに至るまで、便ち功名有りと認定す。子孫持世を搖り出せば、便ち功名無しと認定す。この法の荒唐たる処は両層に在り。一つは一卦の吉凶を「某爻が世位に在るか否か」の一事に圧縮し、二つは合せざれば反覆して再び揺ること。《周易・蒙卦》の「再三するは涜なり、涜なれば則ち告げず」の古訓と正しく相違背す。
求財見財爻持世則有,兄弟持世則無。卜病見有用神持世則生,見有忌神持世則死。
彼のこの一套を照様に別門に搬す。財を求むるにただ妻財爻が持世か否かを看、持世なれば便ち財有り、兄弟持世なれば便ち財無し。病を占うにただ用神が持世か否かを看、用神持世なれば便ち生、忌神持世なれば便ち死。王氏の看法に按じれば、これは全て卦理を抹殺せるなり。財爻持世にして兄弟に重ねて剋制せられ、また真空に落つれば、何処にか財有らん。用神持世にして月破日剋、絶にして救無ければ、何処にか生き得ん。世位は不過一卦中の一個の位置、吉凶はなおこの一爻の旺衰・生扶剋制の有無を看るべきに、豈に単に「誰が世位の上に坐すか」の一句を憑りて事を了えんや。
諸卜皆以用神持世斷吉,忌神持世斷凶。如無用神、忌神持世,必要卜見方止。予想李文輝又愚也,何不以笤並禱告,聖陰陽為吉凶斷,更快捷方式於此法也。今之丟笤者,豈不值萬萬兩黃金乎。總之李文輝侮聖人之易,迷後世之途,予故闢之。
彼はこの一条を推して各門の占卜に及ぼす。一律に用神持世を以て吉を断じ忌神持世を以て凶を断じ、もし搖り出した卦にすでに用神持世なく、また忌神持世無ければ、則ち現るるに至るまで揺らざるを得ずとす。我は李文輝が真に糊塗なるを見る。すでに然りとせば、何ぞ徑に两片の竹筊を取り来りて祷告し、一聖一陰一陽を擲てば則ち吉凶を定むる、豈に彼のこの法よりも省事ならざらんや。彼の道理に照らせば、如今街に満ちて筊を擲つ人は、豈に皆万万両の黄金に値せんや。説き到り極まれば、李文輝はこれ聖人の作れる《易》を軽侮し、後來の学者を引きて迷途に上ぐ。ゆえに我は彼を駁斥する。
易林補遺の伏神の謬を闢く
凡卦中用神不出現,查變爻有,不必尋伏神矣;倘變爻又無,然後查用神伏於何爻之下,看有提拔沒有,提拔以定吉凶,無不應驗。其法譬如坤宮坤為地卦,六爻五類備全,假使用爻旬空、月破、刑、沖、克害,即就其本爻有病者論吉凶。
伏神を取るに一定の次第有り。卦中に用神が出現せざれば、まず変爻の裡に有るか無いかを查し、有れば則ち変爻を用い、さらに伏神を尋ねる須なし。もし変爻の裡にもなければ、これに於いて用神がどの一爻の下に伏するかを查し、それを提拔する力量の有るか無いかを看る(日辰月建がそれを生じ、飛神を冲開し、旬に値り引拔する等)、これに拠って吉凶を定めれば、応験せざるなし。例を挙げて言えば、坤宮の坤為地卦は、六爻五類の六親斉備し、たとえ用神が旬空に落ち月破に逢い刑冲剋害に遭うも、ただこの一爻本身の「何の病か有る」を就きて吉凶を論ずるに須ち、別に伏神を尋ねるを用いず。
如復、臨、泰、大壯、夬、需、比七卦,倘正卦與變卦皆無用神,即將坤為地卦內用神為伏本卦某爻之下,此法乃萬古一定不易。豈如張星元《易林補遺》總斷所云:飛伏在二儀交換,定然陽伏陰而陰伏陽;乾坤來往換,震巽兩邊求,艮兌相抽取,坎離遞送流等語哉。
地雷復・地澤臨・地天泰・雷天大壮・澤天夬・水天需・水地比のこの七卦に至っては、もし本卦と変卦の裡にともに用神を尋ね得ざれば、坤為地卦中のその一位の用神を取り来り、本卦の相応する爻の下に伏せしめる――この法は万古不易の定則である。どこぞ張星元の《易林補遺》の総断の言う所のごとき、「飛伏は陰陽両儀の間に於いて交換し、必ず陽爻は陰爻に伏し陰爻は陽爻に伏す。乾坤両宮は回り来て対換し、震巽の両辺は互いに求め、艮兌は彼此に抽取し、坎離は遞相往來す」と。この套の説法はすでに定所なく、また本宮首卦の根本と無関で、用うれば必ず張冠李戴せん。
若據彼將天風姤卦為地雷復卦之伏神,不知地雷復卦所缺者文書(父)爻,應將本宮首卦為巳,取坤之二爻巳火文書伏復卦二爻寅木之下,寅木為飛,巳火為伏,謂之飛來生伏,如占文書長輩事屢驗巳日。若據張星元以天風姤卦為復之伏,取姤卦第四爻午火伏復卦第四爻丑土下,妄將午火伏丑土洩氣之下為凶,不以巳火伏長生之下為吉。
彼の法に照らせば、天風姤を取りて地雷復の伏神に当てんとす――彼は地雷復の欠く所が父母(文書)の一位なりを知らず、本当は本宮首卦の坤為地の上に就きて取るべきを。坤為地の第二爻は巳火父母、則ちこれを復卦の第二爻寅木の下に伏せしめ、寅木は飛神・巳火は伏神、木は火を生じて火は寅に長生す。これを「飛来生伏」という。およそ文書の事・長輩の事を占うに、屡屡巳日に応じ、験すること極めて准し。もし張星元に照らして天風姤を以て復卦の伏と作し、姤卦の第四爻の午火を取りて復卦の第四爻丑土の下に伏せしめれば、則ち午火を泄気の丑土の底下に圧して凶と断じ、しかして巳火が長生の地に伏して本当は吉と断ずべき正理を錯過す――同じ一件の文書の事に、一取れば則ち吉、一取れば則ち凶。全て伏神の取ること対か否かに在り。
又此天山遁卦缺子孫,必以乾卦初爻子水子孫伏遁卦初爻辰土之下,水庫居辰謂之入墓于飛爻也,看有提拔者吉,無提拔者凶,此亦萬古不易之法。而張星元竟將地澤臨卦第五爻癸亥水伏遁卦第五爻申金之下,則曰用神伏長生之下吉,是扯張甲當李乙,妄論吉凶。
さらに一例を挙ぐ。天山遯卦は子孫を欠き、必ず乾為天の初爻の子水子孫を用いて遯卦の初爻辰土の下に伏せしめざるを得ず――水の墓庫は辰に在り、これを「伏神飛爻に墓を入る」という。それを提拔する力量の有るか無いかを看、有れば則ち吉、無ければ則ち凶。これもまた万古不易の法則である。張星元は却って地澤臨卦の第五爻の癸亥水を取り来り、遯卦の第五爻申金の下に伏せしめて、「用神は長生の地に伏す」ゆえに吉という。遯は乾宮の卦、臨は坤宮の卦。伏神を取るに竟に別宮に跨げるは、まさに張三を扯じて来りて李四に当て、空より吉凶を乱断する。
又言用神上卦如遇旬空、月破、刑、沖、克、害即當尋伏。又言歸魂卦皆將本宮第四卦為伏,據稱大有卦初爻子水子孫值旬空,將天地否卦為伏神,而否卦六爻之內並無子孫,還是以出現旬空者凶呼?還是以伏卦中沒有用神無吉無凶乎?略闢其伏神一二之謬,以示後學。
彼はさらに言う。用神はたとい卦に上るとも、ただ旬空・月破・刑冲剋害に遇えば、則ち別に伏神を尋ねるべしと――これは「病ある」を誤って「用神無し」と為せるなり。さらに言う、帰魂卦は一律に本宮の第四卦を取りて伏神と作す。例えば火天大有の初爻子水子孫が旬空に落つれば、則ち天地否卦を取りて伏神に当てる。しかるに否卦の六爻の内には根本に子孫の一位なし。則ち請いて問わん。究竟それは現成にして空に落つるその一爻を以て凶を断ずるか、それとも伏する所の卦の裡に圧根に用神なきを以て無吉無凶と断ずるか。両頭ともに実に落ち得ず。ここに彼の伏神を講ずる一两処の謬誤を略挙して、後学に個の提醒を作さんとす。
