Libo

六爻諸占の謬を辨ず

清 · 王洪绪 · 第6巻 / 19

作盤ガイド: 六爻納甲の立卦, 大衍筮法

《天玄賦》以六爻定諸占之例,惟占國事以五爻為天子之位,家宅以二爻為宅、五爻為人,墳以五六爻為氣絕之位,此三者稍近乎理,然亦宜以用神生剋制化斷之。

《天玄賦》は一套の法を立て、六個の爻位を固定して各門の占法に分派す。その中にただ三条のみなお情理に近しと算す。国事を占うに第五爻を以て天子の位と為し(五は君位)、家宅を占うに第二爻を以て宅舎と為し第五爻を以て人口と為し、墳地を占うに第五・第六爻を以て気絶の位と為す。しかしこの三条と雖も、依然としてまさに用神の生剋制化を以て主として往きて断ずべく、爻位はただ参考と作すべく、反って客を以て主と為す能わず。

其天時、育、行人、田禾、求謀、疾病、買賣、詞訟、盜賊、鬥毆、蠶桑、六畜、出行、鬼神等種種定位,概不以用神生剋制化之理推斷,惟以定例而決事之吉凶,大失先天之玄妙。即就其天時以六爻為日、以五爻為雨,試問睛雨不以子孫、父母爻推之,竟以五爻六爻為可決乎?又如初爻為產母、二爻為胎孕,試問產母不看用神、胎孕不察子孫,竟以初爻二爻為可決吉凶乎?其餘種種之謬難以盡辨,望後學詳之。

天時・産育・行人・田禾・求謀・疾病・売買・詞訟・盗賊・斗殴・蚕桑・六畜・出行・鬼神等の門に至っては、彼もまた各々一套の爻位を定め、一概に用神の生剋制化を用いて推せずして、ただ固定の条例に按じて吉凶を判ず。これは則ち大いに《易》の玄妙を失えり。即ち天時を取りて言えば。彼は第六爻を以て太陽と為し第五爻を以て雨と為す。試みに問わん、晴雨に子孫爻(子孫は日月を主りて晴と為す)と父母爻(父母は雨を主る)を看ずして、単に第五・第六の両爻に憑りて便ち決断し得るか。また産育の一門の如きは、彼は初爻を以て産婦と為し二爻を以て胎児と為す。試みに問わん、産婦を占うに彼女本人の用神を看ず、胎児を占うに子孫爻を察せずして、単に初爻二爻に憑りて便ち吉凶を決断し得るか。その余の種種の謬誤は辨じて勝うべからず。後学が自ずから仔細に分別せんことを望む。

黄金策総断千金賦直解

動靜陰陽,反覆遷變。雖萬象之紛紜,須一理而融貫。夫!人有賢不肖之殊,卦有過不及之異,太過者損之斯成,不及者益之則利。

卦中の動と静・陰と陽とは、反反復復して停まらず遷移変化す。天下の事象はたとい千頭万緒なれども、必ず一条の道理を用いてそれらを貫穿せざるを得ず――この一条の道理は則ち五行の生剋制化。譬えば人に賢と不肖の分別有るが如く、卦にもまた太過と不及の差異有り。太過はそれを減損して乃ち事を成し得、不及はそれを増益して乃ち利有り。いわゆる太過とは、用神が旺極してまた畳畳に生を得る。いわゆる不及とは、用神が衰極してまた生無く扶無し。それを損するは剋制の爻、それを益するは生扶の爻。一部《千金賦》の骨幹は則ちこの「損益調停」の四字の上に立つ。

生扶拱合,時雨滋苗。克害刑沖,秋霜殺草。長生帝旺,爭如金谷之園。死墓絕空,乃是泥犁之地。

爻と爻との間に生有り・扶有り・拱有り・合有れば、それは時雨の禾苗を滋潤するが如く、用神はこれを得て便ち一路に栄に向かう(「拱」は同類の相幇、寅が卯を拱し申が酉を拱するが如き)。反対に剋有り・害有り・刑有り・冲有れば、それは秋霜の草を殺すが如く、用神は遇えば便ち凋零して損を受く。用神が長生・帝旺の地に落つるは、石崇の金谷園に進むに比し、処処に富麗。死・墓・絶・空の地に落つるは、地獄に堕るに同じく(「泥犁」は梵語の地獄の称)、処処に困頓。一爻の死活を看るに、まずそれがこの両類の地位のどちらの一辺に坐するかを看る。

日辰為六爻之主宰,喜其滅項以安劉。月建乃萬卦之提綱,豈可助桀而為虐。最惡者歲君,宜靜不宜動。最要者身位,喜扶不喜傷。

日辰は全卦六爻の主宰で、権力は最大。それがもし凶爻を掃除し用神を扶起し得れば、漢高祖が項羽を滅して天下を安定せるが如く、最も喜ぶべし。月建は一切の卦の総綱で、一月の令を管す。それがもし反って往きて忌神を幇して虐を施せば、則ち桀を助けて虐を為すに同じく、最も悪むべし。太歳(歳君)は一年の主で、最も驚動すべからず、静を宜として動を宜とせず。一たび動けば則ち事は重大に関り一年に牽連す。卦身は占う所の事の本位で、最も要緊はそれが扶を得助を得ること、最も冲せられ剋せられて傷を受くるを忌む。日辰・月建・太歳・卦身は、断卦の時にまず必ず摆定すべき四個の座標である。

世為己,應為人,大宜契合。動為始,變為終,最怕交爭。應位遭傷,不利他人之事。世爻受制,豈宜自己之謀。

世爻は自己を代表し、応爻は相手を代表す。両下は最も相生相合し彼此投契するを宜とす。動爻は事の開端で、それの変出した爻は事の結局。最も動爻と変爻とが互相に冲剋交戦するを怕る――それは始有り終無く中途に翻覆するの象。応爻がもし傷を受けば、およそ別人に替わりて弁ずる事・別人と合作する事はみな不利。世爻がもし剋制せられれば、自己の謀る所の事もまた自ずから成らず。事を占うにまずこの両爻の向背を看れば、大局は便ち着落有り。

世應俱空,人無準實。內外競發,事必翻騰。世或交重,兩目顧瞻於馬首。應如發動,一心似托於猿攀。

世爻応爻ともに空亡に落つるは、それは彼此ともに実心無きこと。話は数を作さず、事は実処に落ち得ず。内卦外卦の爻が争先して発動すれば、事は必定反復翻騰して変じて停まらず。世爻がもし重爻か交爻なれば(自己発動)、我がこの一辺の心思は定まらず、両只の眼はただ別人の馬頭を盯めて看、人家につきて走るを説明す。応爻がもし発動すれば、相手の心裡もまた主意無きを説明し、猿猴の枝を攀ずるが如く東に抓み西に攀じ、処に随って依托す。売買を占い合伙を占い婚姻を占うにこれに遇えば、双方ともに可靠ならず。

用神有氣無他故,所作皆成。主象徒存更被傷,凡謀不遂。有傷須救,無故勿空。空逢沖而有用,合遭破以無功。

用神はただ令に当たり気有りて、また別の毛病無ければ(空せず・破せず・剋せられず・墓に入らず)、則ち做す所の事は様様にみな成る。用神(主象)はたとい卦中に出現すれども、また傷剋を受けば、およそ謀求有ればみな順遂ならず。すでに傷を受けたるは、必ず別に爻の来りて解救する有るを須ち、本来病無きは、則ちそれを空に落とす要なし。旬空に落つる爻がもし日辰に冲起せられれば、かえって用有り(空を冲すれば則ち実)。合し住められた爻がもしまた月破に遭えば、則ち白く功無し。この几句は「病有れば薬有るべし」を講ずる。用神を看るにまずそれに病有るか無きかを看、さらに薬有るか無きかを看る。

自空化空,必成凶咎。刑合克合,終見乖淫。動值合而絆住,靜得沖而暗興。入墓難克,帶旺匪空。

爻本身が空に落ち、発動してまた一個の空爻を変出す(自空化空)は、事は必定凶を成す。表面上は相合なれども、裡頭に却って刑を帯ぶるか剋を帯ぶるか(刑合・剋合)は、頭に到りて必ず乖違淫乱の事を生じ、好事もまた壞に変ず。発動の爻がもし日辰か別爻に合し住められれば、則ち絆されて動き得ず。安静の爻がもし日辰の一冲を受ければ、かえって暗中に興起す。これを「暗動」という。同じく能く他爻を生剋す。爻が墓庫に入れば、別の爻は剋し動かし難し。爻が旺気を帯ぶれば、たとい旬空に落つるも算して真空と為さず。この四句が講ずるは「合・冲・墓・旺」の四種の常規を改変する情形である。

有助有扶,衰弱休囚亦吉。貪生貪合,刑沖剋害皆忘。別衰旺以明克合,辨動靜以定刑沖。

ただ爻の来りてそれを幇する有り・爻の来りてそれを扶する有れば、用神はたとい衰弱休囚なれども、なおこれ吉。忌神は本に来りて我を剋せんとすれども、もし中途に生ずべきの爻に遇えば便ち往きて貪生し、合すべきの爻に遇えば便ち往きて貪合し、刑冲剋害を全て忘れれば、我は便ち恙無し――これが則ち前面に説き過ぎたる「貪生忘剋」。断卦の時はまず各爻の衰旺を分清して、始めてこの一剋・この一合が究竟管か管用するかを判断するを得。まずどの爻が動くか・どの爻が静かを分清して、始めてこの一刑・この一冲が成立するか否かを判断するを得。強者の剋は初めて真の剋、動者の冲は初めて真の冲。

併不併,沖不沖,因多字眼。刑非刑,合非合,為少支神。

ある時は看れば「并」のごとくして実は并を成さず、看れば「冲」のごとくして実は冲を成さざる。それは中間に多く字眼を添えたればなり――譬えば日辰と爻とが同支なれば本に「并」を作すべきに、しかし當中に別の動爻の来りて生じ来りて合するを隔て、力量は分け去られて、便ち并して并を成さず。両支が本に相冲すべきに、しかし第三爻の来りて其中の一支を合し住むる有れば、冲もまた冲を成さず。ある時は看れば刑を成し合を成すがごとくして実は算せず。それは支神を少くすればなり――三刑は三支斉全を要し(寅巳申・丑戌未の如き)、一支を欠けば便ち刑を成さず。三合は三支斉全を要し、一支を欠けばただ算して半合と為し、須らく日辰か流年の補斉するを待つべし。卦を看るに爻位を数え清むべく、文を望みて義を生ずべからず。

爻遇令星,物難我害。伏居空地,事與願違。伏無提拔終徒爾,飛不推開亦枉然。空下伏神易於引拔,制中弱主難以維持。

一爻がもし正しく月令に当たれば(令星は則ち月建の気)、別のものはそれを害し難し。伏神がもし空に落つる飛神の下に伏すれば……いや、まず空地に伏するを説く。伏神が自身空に落つれば、事は便ち心願と相違す。伏神にもしそれを提拔する力量無ければ(日月の生扶・動爻の引拔)、終究は白く伏する一場。飛神がもし推し開けられざれば(冲開・剋去)、伏神もまた照様に出て来る能わず。不過伏神がもし一個の空に落つる飛神の底下に圧せられれば、かえって引拔し出し易し――上頭は空なれば、一たび冲すれば即ち開く。用神が本にすでに衰弱してまた压制せらるるに至っては、則ち実在に支撐し難し。

日傷爻,真罹其禍。爻傷日,徒受其名。墓中人,不沖不發。身上鬼,不去不安。

日辰が往きて卦爻を剋傷するは、それは真真切切に禍に遭う――日辰は権重なれば、剋すと言えば則ち剋し動かし得。反対に卦爻が往きて日辰を剋傷するは、不過空に一個の剋の名目を擔うのみ、実際は日辰の分毫を傷し得ず。用神が墓庫の中に落つるは、人の屋裡に關せられるに比し、墓庫を冲開せざれば則ち発動し得ず、事は則ち起色無し。世爻あるいは卦身の上に官鬼が坐するは、身上に病と禍とを背負うに比し、この官鬼を去らざれば(子孫の来りて剋し、あるいはそれが空に落ち制を受くる)、一身は則ち安寧を得ず。

德入卦而無謀不遂,忌臨身而多阻無成。卦遇凶星,避之則吉。爻逢忌殺,敵之無傷。

「徳」とは日辰・月建と世爻あるいは用神と相合相生するあの種の恩徳の気を指す。このような爻が卦に入れば、およそ謀求有れば遂心せざるなし。忌神がもし世爻か卦身の上に臨めば、処処に阻を受け、事は則ち成らず。卦中にもし凶星に遇えば(凶煞の臨む所の爻)、能くそれを躲くれば便ち吉――譬えば用神が空に落ち伏蔵すれば、正しく一撃を躲け過ぎたり。爻がもし忌神凶煞に碰上すれば、ただ卦中に別に爻有りて能くそれと対敵すれば(それを克制すれば)、則ち我を傷れず。一句、凶の来るは、避くるにあらざれば敵するなり、両条の路ともに能く用神を保住す。

主象休囚,怕見刑沖剋害。用爻變動,忌遭死墓絕空。用化用,有用無用。空化空,雖空不空。

用神(主象)が本にすでに休囚無気なれば、最もさらに刑・冲・剋・害に遇うを怕る。則ち一敗塗地す。用神が発動して爻を変出するに、最も変出するが死地・墓庫・絶地あるいは空亡なるを忌む――それは化死・化墓・化絶・化空と叫ばれ、動してかえって動ざるに如かず。用神が発動してまた同類の用神を変出す(用化用)は、看れば両重の用神のごとく、実は一個は用有り一個は用無し。気有るその一個を取りて准と為す。空に落つる爻が発動してまた空爻を変出す(空化空)は、かえって算して真空と為さず。それが一直に動くれば、旬を出れば便ち実なればなり。

養主狐疑,墓多暗味;化病兮傷損,化胎兮勾連。凶化長生,熾而未散。吉連沐浴,敗而不成。

用神が「養」の位に変ずれば、事の猶豫不決するを主る。「墓」の位に変ずれば、暧昧不明を主る。「病」の位に変ずれば、傷損有るを主る。「胎」の位に変ずれば、牽連糾纏して清からざるを主る。凶爻がもし長生を変出せば、凶勢は正しく熾りて消え散せんと肯んぜず。吉爻がもし沐浴に連なれば(沐浴はまた敗地と叫ぶ)、吉事もまた敗落して成らず。この一段は十二長生を変爻の上に用いるを把す。変出の位置好ければ、事は上に向かって走る。変出の位置壞れれば、事は下に向かって走る。

戒回頭之克我,勿反德以扶人。惡曜孤寒,怕日辰之並起。用爻重疊,喜墓庫之收藏。

戒備すべきは動爻が変出する爻がかえって来りてそれ自己を剋する。これを「回頭剋」という。最も能く事を壞す。また本に我を扶助すべき爻が反って往きて別人を生扶するを得さしめざれ(反徳扶人)――譬えば原神が用神を生ぜずして、却って往きて忌神を生ずるが如き。凶爻(悪曜)は本来孤単無力なれども、最も日辰がそれと同支に并起するを怕る。一たび并すれば便ち立ちどこに強旺し起る。用神が卦中に重複して好幾処に出現すれば、かえって墓庫のそれを収攏する有るを喜ぶ――多ければ則ち乱れ、墓庫の中に収め入れてその一を取れば、事は乃ち帰着有り。

事阻隔兮間發,心退悔兮世空。卦爻發動,須看交重。動變比和,當明進退。

事の當中に阻隔有るは、世応の間の「間爻」の発動するがため、人の従中に梗を作す有り。心裡に退縮し後悔せんと想うは、世爻の空に落つるがため。卦爻の発動は、「交」か「重」かを分清すべし。三字は交と為り、陰に属して陽に変じ、事の静より動に転じ内より外に向かうを主る。三背は重と為り、陽に属して陰に変じ、事の動より静に転じ盛より衰に転ずるを主る。動爻の変出した爻がもし本爻と同一の五行なれば(比和)、則ちそれが一位前進するか一位後退するかを看るべし。進神は吉凶を加倍するを主り、退神は吉凶を逓減するを主る。

煞生身莫將吉斷,用克世勿作凶看,蓋生中有刑害之兩防,而合處有克傷之一慮。刑害不宜臨用,死絕豈可持身。

凶煞の爻が来りて世爻を生ずるに、一たび「生」の字を見れば則ち吉を断ずる要なし。用神の爻が来りて世爻を剋するに、も一たび「剋」の字を見れば則ち凶を断ずる要なし。生の裡頭にさらに刑と害とを夾帯するを提防する要あればなり(生して刑を帯ぶ・生して害を帯ぶ)、合の裡頭にもまた剋と傷とを暗藏するを顧慮すべければなり(合して剋を帯ぶ)。ゆえに断卦はただ生剋の両字を認めて能わず、なおこの一生一剋の是れ清か是れ濁かを看るべし。要するに、刑と害とは用神の上に臨むを宜とせず、死地絶地はさらに世爻をして坐せしむべからず――自身が死絶に臨めば、たとい外助有るも扶け起す能わず。

動逢沖而事散,絕逢生而事成。如逢合住,須沖破以成功。若遇休囚,必生旺而成事。速則動而克世,緩則靜而生身。

発動の爻がもし日辰に冲せられれば、「冲散」と叫び、事は弁じ成さず。絶地に処する爻がもし別爻の来りて生ずるを得れば、「絶処逢生」と叫び、事はかえって成り得。もし用神が合し住められれば、必ずそれを冲開するあの日を待って乃ち成功す。もし用神が休囚無気なれば、必ずそれが生を得旺を得るの月日を待って乃ち弁じ成る――これが則ち応期を定むるの両条の基本法。事の来ることの速いか慢いかも、また爻を看る。爻が発動して来りて世を剋すれば、事の来るは急なり。爻が安静にして来りて世を生ずれば、事の来るは緩なり。

父亡而事無頭緒,福隱而事不稱情。鬼雖禍災,伏猶無氣。子雖福德,多反無功。究父母推為體統,論官鬼斷作禍殃,財乃祿神,子為福德。兄弟交重,必至謀為多阻滯。

父母爻がもし卦に上らずあるいは空に落ち傷を受ければ、事は便ち頭緒無し(父母は文書を主り根本を主る)。子孫(福神)がもし伏蔵して現れざれば、事は便ち心に称わず。官鬼はたとい禍災の神なれども、しかしそれが伏蔵してまた気無ければ、則ち禍を作し得ず。子孫はたとい福徳の神なれども、しかし卦中に出現すること多過ぎれば、かえって功無し(多ければ則ち雑り、しかも求名の一門に於いて尤も害有り)。総括して六親の本性を言えば、父母は体統根本を主り、官鬼は禍患災殃を主り、妻財は禄食の神、子孫は福徳の神。兄弟がもし重々発動すれば、謀る所の事は必定処処に阻滞す。

卦身重疊,須知事體兩交關。虎興而遇吉神,不害其為吉。龍動而逢凶曜,難掩其為凶。

卦身が卦中に重複して出現すれば、件の事が両頭を牽きて両重の関節有るを説明し、須らく分かちて両截と作して看るべし。白虎はたとい凶獣なれども、しかしそれの臨む所がもし吉神なれば(用神・原神)、照様にそれが吉と為るを妨げず。青竜はたとい吉獣なれども、しかしそれの臨む所がもし凶爻なれば(忌神・仇神)、もまたその凶を遮掩する能わず。この両句は再び六獣はただ装飾のみ、吉凶の根子は爻の六親と生剋とに在るを点明す。

玄武主盜賊之事,亦必官爻。朱雀本口舌之神,然須兄弟。疾病大宜天喜,若臨凶煞必生悲。出行最怕往亡,如係吉神終獲利。

玄武は固然として偸盗の事を主るも、しかしなお官鬼爻を配して初めて真に賊有りと算す(官鬼は賊盗の神、玄武はただその形色)。朱雀は固然として口舌の神なれども、しかしなお兄弟爻を配して初めて真に口角を起す(兄弟は争競の神)。病を占うに「天喜」のこの一類の吉神を見るを喜ぶも、しかしこの吉神がもし凶煞の爻の上に臨めば、照様に悲を生ずべし。出行は最も「往亡」煞を忌むも、しかしこの往亡がもし吉神の爻の上に臨めば、門を出でてかえって利を得。神煞の吉凶は、全てそれの附する所の爻の六親と生剋とを看る。これは正しく下一句の総結の引子である。

是故吉凶神煞之多端,何如生剋制化之一理。嗚呼!卜易者知前則易,求占者鑑後則靈。筮必誠心,何妨子日!

ゆえに言う、吉凶神煞の名目はたとい再多く再び繁きも、生剋制化のこの一条の道理の来りて根本なるに如かず――これは全篇の結穴にして、また《卜筮正宗》の名を立つの由来。末の両句は叮嚀である。占卦の人がもし先にこれらの道理を弄明白すれば(前を知る)、卦を断じ起すに容易し。求卜の人がもし従前に応験過ぎた事を拿りて回頭に印証せんと肯んずれば(後を鑑る)、卦はさらに霊を顕す。占筮はただ一個の誠心に在り、心誠なれば則ち霊なり。旧説のいわゆる「子日は占せず」の一類の忌諱に至っては、何ぞ必ずしもそれを管せんや。

天時

天道杳冥,豈可度思夫旱潦。易爻微渺,自能驗彼之陰晴。當究父財,勿憑水火。

天道は深遠にして測り難し。旱澇はどこに人の揣度し出し得る所か。しかるに《易》卦の爻象はたとい細微なれども、却って自ずから能く陰晴を験し出す。天時を占うの第一条の法則は、まさに父母爻と妻財爻の上に推究すべく、爻の水火の属性に憑って猜る要なし。父母は雨を主り妻財は晴を主る。これは六親の取象なればなり。もし単に爻の水に属するを見て便ち雨下ると説き、火に属するを見て便ち天晴れると説かば、則ち卦理と合せざらん。

妻財發動,八方咸仰晴光。父母與隆,四海盡沾雨澤。應乃太虛,逢空則雨晴難擬。世為大塊,受克則天變非常。

妻財爻が一たび発動すれば、財は能く父母(雨神)を剋し、八方はみな晴光を望見し得。父母爻が興旺なれば、四海はみな雨を沾せんとす。応爻は天空(太虚)を代表し、それがもし空に落つれば、晴雨は則ち擬議するに従なく断じ難し。世爻は大地(大塊)を代表し、それがもし剋を受ければ、天時は必ず反常の変異有り。この四句は天と地・晴と雨とを世応と財父の四処に分派す。天時を占うの骨架である。

日辰主一日之陰晴。子孫管九天之日月。若論風雲,全憑兄弟。要知雷電,但看官爻。

日辰は当日一日の陰晴を管し、最も切近の応験の処。子孫爻は天上の日月星辰を主る。ゆえに子孫旺なれば則ち日月清明なり。風と雲とを論ぜんと要せば、全て兄弟爻を看る――兄弟は風雲鼓蕩の象に属す。雷電の有無を知らんと要せば、ただ官鬼爻を看る――官鬼は雷霆震怒の象を主る。このように六親は各々分职有り。父母は雨、妻財は晴、子孫は日月、兄弟は風雲、官鬼は雷電。晴雨を占うに便ち取用の準縄有り。

更隨四季推詳,須配五行參決。晴或逢官,為煙為霧。雨而遇福,為電為虹。

さらに四季の気候に按じて推詳し、五行の性質を配して参断すべし。同一の父母爻も、冬は雪を主り夏は雨を主る。同一の兄弟爻も、木に属すれば風を主り水に属すれば雲を主る。天は本に晴れんと欲するに卦上にまた官鬼を見れば、則ち晴の中に煙靄霧気を夾む(官鬼は陰晦の神)。天は本に雨を下さんと欲するに卦上にまた子孫を見れば、則ち雨の裡に電光有り、雨の後に虹霓有り(子孫は光明を主る)。

應值子孫,碧落無瑕疪之半點。世臨土鬼,黃沙多散漫於千村。

応爻は天空を代表し、それの上頭に正しく子孫が坐すれば(日月の神)、則ちあれは碧空万里・半点儿の瑕疵も無き大晴天。世爻は大地を代表し、それの上頭に土性の官鬼が坐すれば、土は塵沙を主り官鬼は陰晦を主る。則ちあれは黄沙天に漫り、千村みな風塵の裡に籠めらるるの天気。

三合成財,問雨那堪入卦。五鄉連父,求晴怪殺臨空。財化鬼,陰晴未定。父化兄,風雨靡常。

卦中の三爻が会合して妻財の一局を成せば、雨を問う人がこのような卦に碰上すれば、雨は自ずから望み無し――一片の晴気、どこに雨の来るを容れん。五行の各郷がみな父母に連なれば(父母爻が重畳して一位に止まらず)、晴を求むる人は則ちあの父母を剋する妻財が偏に空に落つるを怪むべし。妻財爻が発動して官鬼を変出すれば、晴の中に晦を帯び、陰晴は便ち定め下し得ず。父母爻が発動して兄弟を変出すれば、雨の中に風を夾み、風雨は則ち常度無し。

母化子孫,雨後長虹垂螮蝀。弟連福德,雲中日月出蟾蛛。父持月建,必然陰雨連旬。兄坐長生,擬定狂風累日。

父母(雨)爻が発動して子孫(日月)を変出せば、それは雨過ぎて天晴れ、長虹が空に横たわるの象(「螮蝀」は則ち虹)。兄弟(風雲)爻が子孫(日月)に連なれば、それは雲開きて日出づ、月輪が雲中より臉を露わすの象(「蟾」は月中の蟾蜍を指し、月を喻す)。父母爻がもし月建に臨めば、一月の令を得て、必定陰雨連綿として十天半月。兄弟爻がもし長生の位に坐すれば、風勢は方に興りて未だ艾まらず、狂風は好幾日を刮ると断定し得。

父財無助,旱潦有常。福德帶刑,日月必蝕。雨嫌妻位之逢沖,晴利父爻之入墓。

父母と妻財の両爻ともに別爻の生助無ければ、則ち旱と澇とはみな常度に按じて来り、大いに反常有ることなし。子孫爻が刑を帯ぶれば(子孫は日月を主り、刑せられれば則ち光明は損を受く)、必ず日蝕あるいは月蝕を主る。雨を盼む人は最も妻財爻の冲せらるるを忌む――一たび冲すれば便ち晴神を冲動す。晴を盼む人は却って父母爻の墓に入るを喜ぶ――雨神は墓庫の中に収め入れられ、天は自ずから晴れ放つ。

子伏財飛,簷下曝夫猶抑鬱。父衰官旺,門前行客尚趑趄。福合應爻,木動交而游絲漫野;鬼沖身位,金星會而陰霧迷空。

子孫(日)が伏蔵して妻財(晴)が飛神と作して上頭に圧すれば、日光は出て来る能わず、屋檐下に物を曬す人はなお悶悶として楽しまず――雨は下らざれども、総じて太陽を見ず。父母(雨)が衰えて官鬼(陰晦雷霆)が旺なれば、門前に路を趕く客はなお猶豫して起程せんと敢えせず。子孫と応爻と相合して、もしまた木爻が発動交合すれば、便ち春日に游絲の田野に飄み満つる和暖の天気。官鬼が来りて卦身を冲し、もしまた金爻が局を會すれば、金は肅殺陰晦を主り、便ち陰霧迷漫して天色昏沉す。

卦值暗沖,雖空有望。爻逢合住,縱動無功。合父鬼沖開,有雷則雨。合財兄克破,無風不晴。

卦中のあの一爻はたとい空亡に落つるも、もし日辰に暗冲せられれば(静にして冲せられれば暗動と曰う)、事はなお指望有り――雨を占えば則ち雨はなお来り得。反対に、爻はたとい発動すれども別爻に合し住められれば、たとい動するも作用を起さず。父母爻が本に合し住められれば(雨は拘せられ)、もし官鬼の来りてこの合を冲開する有れば、則ちまず雷を打ち、後に雨を下す。妻財爻が本に合し住められれば(晴は拘せられ)、もし兄弟の来りてこの合を剋破する有れば、則ちまず風を起し、後に晴れ放つ。

坎巽互交,此日雪花飛六出。陰陽各半,今朝霖雨慰三農。兄弟木興繫巽風,而馮夷何其肆虐。妻財發動屬幹陽,而旱魃胡爾行凶。

卦中に坎(水)と巽(風)とが交互に出現すれば、水は風寒に遇い、この一天は便ち六角の雪花飛舞す。卦中に陰爻陽爻が各々半ばを占めれば、陰陽調和して、今日は便ち一場の好雨有りて、農家を慰藉す(「三農」は平地・山地・水澤の三種の農人を指す)。兄弟爻が木に属して興旺し、また巽卦の風に係れば、風水の神は大いにその威を逞うす(「馮夷」は河伯の名、ここに借りて水風の肆虐を指す)。妻財爻が発動して乾金の陽に属すれば、晴気は盛に過ぎ、旱神は便ち凶を逞うして害を為す(「旱魃」は伝説の旱鬼)。

六龍御天,祗為蛇與震卦;五雷驅電,蓋緣鬼發離宮。土星依父,雲行雨施之天;木德扶身,日暖風和之景。

天上に六龍の車を駕り風雲色を変ずるが如きは、それは螣蛇が爻に臨みて卦が震に属するが故(震は雷と為り龍と為る)。五方の雷神が閃電を駆るは、それは官鬼が発動して卦が離宮に属するが故(離は電と為り火と為る)。土性の爻が父母に依附すれば、土は能く金を生じ金は能く水を生ず。便ち雲行き雨施すの好天。木性の爻が世爻を扶助すれば、木は春和を主る。便ち日暖かに風和らぐの景致。

半晴半雨,卦中財父同興;多霧多煙,爻上財宮皆動。身值同人,雖晴而日輪含曜;世持福德,總雨而雷鼓藏聲。

卦中に妻財(晴)と父母(雨)の両爻が一同に興旺すれば、則ち半晴半雨、時に収め時に落つ。爻上に妻財と官鬼とがともに発動すれば(晴神と陰晦の神とが併せて起る)、則ち煙霧重々にして天色清からず。卦身が天火同人の一類の卦の上に落つれば(離火が権に当たる)、たとい晴天なれども、日輪の光焰は含みて露わさず。世爻に子孫が坐すれば(福徳は能く官鬼を制す)、たとい雨下るとも、雷声もまた隠れて発せず。

父空財伏,須究輔爻;剋日取期,當明占法。要知其詳,別陰陽可推晴雨;欲知其細,明衰旺以決重輕。能窮易道之精微,自與天機而吻合。

もし父母爻が空に落ち、妻財爻がまた伏蔵すれば、両個の主爻はみな力を得ず。則ち転じて補助の爻を研究するに須ち(兄弟・子孫・官鬼の各々風雲日月雷電を主るが如き)。どの日に応ずるを定めんと要せば、則ち剋制の日に按じて期を取る――雨爻が剋せらるるの日に雨止み、晴爻が剋せらるるの日に晴収む。これは天時を占うに応期を定むるの通法。推すこと詳細ならんと想えば、則ち爻の陰陽を分辨して晴雨を定め、推すこと精細ならんと想えば、則ち爻の衰旺を辨明して風雨の軽重を定む。能く《易》理を推究して精微の処に到れば、自ずから天機と相合せん。

年時

陰晴寒暑,天道之常;水旱兵災,年時之變。欲決禍褔於一年,須審吉凶於八卦。初觀萬物,莫居死絕之鄉;次察群黎,喜在旺生之地。三言府縣官僚,兄動則徵科必逼;四論九卿相沖身,則巡警無私。

陰晴寒暑は天道の常規、水旱兵災は初めて一年の時運の変異。一年の禍福を断ぜんと要せば、須らく八卦六爻の上に吉凶を審察すべし。年時を占うに爻位を以て人事を分派す。初爻は万物の生長を看、最もそれが死地絶地に落つるを怕る。二爻は百姓を看、それが旺相長生の地に落つるを喜ぶ。三爻は府県の官吏を主り、この一爻がもし兄弟発動なれば、賦税の徴収は必定逼迫して民を擾す(兄弟は劫奪を主る)。四爻は九卿大臣を主り、この一爻がもし来りて世爻を冲せば、則ち朝廷の巡察は厳明にして事を弁ずるに私無し。

五為君上之爻,六為昊天之位。應亦為天,克世則天心不順;世還為地,逄空則人物多災。太歲逄凶乘旺,有溫州之大颶;流年直鬼帶刑,成漢寢之轟雷。

第五爻は君王の位、第六爻は上天の位。応爻もまた天を代表し、それがもし来りて世爻を剋せば、便ち天意順ならず、一年に逆事多し。世爻は地を代表し、それがもし空に落つれば、人と物とみな災殃多し。太歳の爻がもし凶神に遇いてまた旺に当たれば、便ち温州の如き大颶風の災有らん。流年の支が正しく官鬼に値りてまた刑を帯ぶれば、便ち漢代の宗廟の雷撃に遭えるが如き震怒の変。年時を占うにまず太歳と流年とがどの爻に落つるかを定め、さらにそれが吉に臨むか凶に臨むかを看る。

發動妻財,旱若成湯之日;交重父母,潦如堯帝之時。猛烈火官回祿,興災於照應;汪洋水鬼玄冥,作禍於江淮。尤怕屬金四海,干戈如鼎沸;更嫌值土千門,疫厲若符同。

妻財爻が発動すれば、晴気は太盛にして、一年の大旱は商湯の時の七年の旱の如し。父母爻が重々発動すれば、雨水は太多にして、一年の大澇は唐尭の時の洪水の如し。官鬼が火に属して猛烈なれば、それは火神(回禄)の災を興す、処処に火を失す。官鬼が水に属して汪洋なれば、それは水神(玄冥)の禍を作す、江淮の一帯に水患を鬧さんとす。尤も怕るるは官鬼が金に属する。金は兵戈を主り、四海の内に戦乱は鼎水の沸騰するが如し。さらにそれが土に値るを嫌う。土は瘟湿を主り、家々戸戸に疫癘に染み、症候は一轍を出でず。

逄朱雀而化褔爻,財動則旱蝗相繼;遇勾陳而加世位,兄興則饑饉相仍。莽興盜起由,玄武之當官;災沴異多,因螣蛇之御世。

官鬼が朱雀を帯びて子孫を変出し、妻財がまた発動すれば、晴旱の気は畳加し、一年の内に旱災と蝗災とが踵を接して来る。勾陳が世爻の上に加えば(勾陳は田土を主る)、兄弟爻がまた興旺なれば(兄弟は劫奪を主る)、則ち連年に饑荒す。莽草は叢生し盗賊は四起す。それは玄武(盗を主る)が官鬼に臨みて権に当たるが故。災害異象が特別に多きは、それは螣蛇(怪異を主る)が世爻に駕臨するが故。

若在乾宮,天鼓兩鳴於元未。如當震卦,雷霆獨異於國初。艮主山崩,臨應則宋都有五石之隕。坤為地震,帶刑則懷仁有二所之崩。

これらの異象はなおどの一宮に落つるかを看るべし。もし乾宮に在れば、乾は天と為り、便ち元朝末年に天上に両度の鼓の如き巨声の響きたるが如し。もし震卦に当たれば、震は雷と為り、便ち本朝の開国の初のあの一場の異常なる雷霆の如し。艮は山と為り、山崩を主る。この一爻が応位に臨めば、便ち宋代の都城に五塊の隕石の落下せるが如き天変。坤は地と為り、地震を主る。この一爻がもし刑を帯ぶれば、便ち懐仁県の両処の地陥せるが如き災異。

坎化父爻,雨血雨毛兼雨土。巽兄弟,紅風風黑及風施。日生黑子,宋恭驚離象之反常;沼起白龍,唐玄遭兌金之變異。發動空亡,乃驗天書之詐;居臨內卦,定成黑眚之妖。

坎卦の爻が父母を変出せば、坎は水を主り父母は雨を主る。便ち血雨を下し毛雨を下し土雨を下すのこの一類の怪雨有らん。巽卦の爻が兄弟に臨めば、巽は風を主り兄弟は風雲を主る。便ち紅風・黑風・暴風の異有らん。太陽の裡に黑子を生ずるは、それは離卦(離は日と為る)の象の反常で、宋恭帝の時の見えたるが如し。池沼の中に白龍を騰起すは、それは兌卦が金に属するの象の変異で、唐玄宗の時の遇えたるが如し。およそこの異象の爻がもし発動して空亡に落つれば、則ち多く半ば人の假造せる祥瑞(宋真宗の天書の詐の如き)。もしそれが内卦に居れば、則ち一定要して「黑眚」の一類の妖異を出さん。

欲知天變於何方,須究地支而分野。身持褔德,其年必獲休詳;世受刑傷,此歲多遭驚怪。年豐歲稔,財褔生旺而無傷;冬暖夏涼,水火休囚而莫助。

天変がどの一方に応ずるを知らんと欲せば、則ち地支の配する所の分野に按じて推すべし(子は斉に配し、丑は呉越に配し、寅は燕に配するの類の如き)。卦身に子孫が坐すれば、この一年は必ず吉慶安寧を得(「休詳」は則ち休祥)。世爻が刑を受け傷を受けば、この一年は驚怪の事に遇うこと多し。年成の豊稔の卦象は、妻財と子孫とがともに生旺を得て傷剋を受けざる。冬に反って暖かく夏に反って涼しきの反常の年は、卦中の水爻火爻がみな休囚無気にして、また別爻の相助無き。

他宮傷克,外番侵凌;本卦休囚,國家衰替。陰陽相合,定然雨風調;兄鬼皆亡,必主民安國泰。推明天道,能知萬象之森;識透玄機,奚啻一年之休咎。

外来の宮(他宮の爻)が来りて本宮を剋傷すれば、外族の辺境を侵擾するを主る。本卦自身が休囚無気なれば、国勢の衰微を主る。卦中に陰陽の両気が相合すれば、一年は必定風調雨順す。兄弟と官鬼の両爻がともに卦に上らずあるいは空に落ち制を受けば(劫奪の神と禍乱の神とがともに消亡す)、必ず百姓安楽・国家太平を主る。天道を推究し明白せば、則ち万象の森然たる条理を知るを得。其中の玄機を看透せば、何ぞ止まらん一年の吉凶禍福を断ずるのみならんや。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

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