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興詞舉訟章第一百二十一

明 · 张世宝 · 第15巻 / 17

作盤ガイド: 六爻納甲の立卦, 大衍筮法

(以官鬼為主,父母為憑。)文詞相訴至公庭,須要官爻父母興。凡占造狀訴詞,父母為之狀詞文移。官鬼乃官府作主之人,須要二爻上卦為吉。父陷休來投此狀,官空莫去訴其情,爻中無父誰簽押,卦內無官訟不成。如父母空亡墓絕、或無父母上卦,雖有詞無處告理,雖造也不准。若官鬼逢空或絕、或無官上卦乃無貴主張,決難舉訟,縱舉不結。

本章は狀を具え訟を興すを占い、「官鬼」をもって主とし、「父母」をもって憑とす。狀子を寫して公堂に告ぐるに、須らく「官鬼」と「父母」の两爻俱に興旺なるを要す。およそ狀を造り詞を寫すを占うに、「父母」は狀紙文書を代表し、「官鬼」は衙門裡の主を做る官長を代表す。こ两爻みな上卦して始めて吉利なり。「父母」陷空せば別してこ張の狀子を投ぐるなかれ、「官鬼」落空せばまた往きて冤情を申訴するなかれ。爻中に「父母」なければ、誰か批簽畫押せん。卦内に「官鬼」なければ、官司根本打ち成さず。若し「父母」が空亡に落ち墓絶に入り、あるいは「父母」上卦せざれば、縱し狀詞あるとも告げ遞る處なく、就中寫し成すとも准理せざらん。若し「官鬼」が空に逢いあるいは絶に入り、あるいは「官鬼」上卦せざれば、便ち官長の汝に替わりて主を做るなく、斷じて興訟しがたく、縱し告ぐとも案を結び得ざらん。

父鬼兩全方准理,福財不動定標名。但得父官旺相、或動而生世持世者,則狀有理,告必準行,官能做主,訟必全勝。其中更忌妻財子孫發動,動則徒費乎心。故經云:財動文書空費力,子動傷官事不亨,凡占居訟卦中,若得父官有氣,財子俱安,詞能准理哉?

「父母」「官鬼」两爻俱全して、狀子始めて受理を准さる。「子孫」「妻財」两爻安静にして動かざれば、始めて榜上に名を標き告げ嬴るを得。只だ「父母」「官鬼」旺相、あるいは發動して來りて「世爻」を生じ、「世爻」上に坐すれば、那麼狀詞理あり、告げ上ぐれば必ず准行せられ、官長能く汝に替わりて主を做り、こ場の官司必定全勝す。其中さらに「妻財」「子孫」の發動を忌む。一動すれば便ち白く心思を費やす。故に經文に曰く、「妻財」發動すれば則ち文書白く遞され、「子孫」發動すれば則ち「官鬼」を傷りて事情順ならずと。およそ詞訟の卦を占うに、若し能く「父母」「官鬼」氣あり、「妻財」「子孫」みな安静なれば、狀子那の准理せられざるの道理かあらん。

訟師美惡章第一百二十二

(以文書為主,應象為憑。)舉訴還須擇訟師,輸贏勝負仗文書,臨空值破難舉訟,遇動逢生易起詞。凡人興訟,必仗訟師之忠厚、刀筆之利修,方可獲勝。故以文書為主,若父母興隆生合我者,則狀易準而事亦勝。若日辰沖剋父母、或臨旬空月破、化財等類,則外有虛名,內無實學,不惟無益,抑且有害,在意難以興舉耳。妻體動來終不准,夫身空去亦非宜。文書為之用爻,若逢財動乃傷用象決非美辭難以聳聽。夫身者,即官鬼也,若值空亡,乃無貴主張,決不准理。卦爻之內此為大忌也。

本章は所請の訟師の好壞を占い、「父母」(文書)をもって主とし、「應爻」をもって憑とす。官司を打たんと欲すれば還た先ず好き訟師を挑むを要し、輸嬴勝負全くそれが一枝の筆に仗る。「父母」爻落空遭破すれば則ち狀子遞りがたく、「父母」爻發動逢生すれば則ち詞狀容易に遞り上ぐ。およそ人訟を興すに、必ず訟師の爲人忠厚・刀筆精熟なるに倚仗することを得て、始めて獲勝し得。故に本章は「父母」をもって主とす。若し「父母」興旺にしてまた來りて「世」を生じ「世」と合すれば、狀子容易に准理して、官司もまた能く打嬴るを得。若し日辰「父母」を沖剋し、あるいは「父母」旬空に落ち、月破に遭い、「妻財」こ一類を變出せば、那訟师徒に虛名ありて眞本事なく、不但幇助し得ず、反って事を壞さん。こ種の情形實に興訟しがたし。「妻財」發動すれば則ち狀子終に准ぜられず、「官鬼」落空するもまた同じく不利なり。「父母」は是れ本章の用神にして、若し「妻財」發動に遇えば、正に用神を傷り、寫し出す狀詞決して動聽せず、官長を打動し得ず。所謂夫身とは、指す所は則ち「官鬼」なり。「官鬼」若し「空亡」に落ちれば、便ち官長の主持なく、狀子斷じて准理せざらん。こ卦爻中の大忌なり。

應如克世遭欺詐,鬼若傷身反被輸,應落空亡無彼方,世逢沖破有人欺。一卦之中,勝負全在世應之生克,如應多克世、或是鬼克世者,必然彼行欺詐之心,無益於我,反遭刑辱。應若空絕,決無奇策良詞。世逢日沖月破,須防奸人有嫉妒暗傷之禍。

「應爻」若し來りて「世爻」を剋せば、是れ訟師の欺騙に遭わんとす。「官鬼」若し卦身を傷剋せば、反って官司を輸せんとす。「應爻」「空亡」に落つれば、對方那邊落著なし。「世爻」沖せられ破せられれば、則ち人の旁より欺凌するあり。一卦の中、勝負全く「世」「應」两爻の生剋を看。若し「應爻」屢々「世爻」を剋し、あるいは「官鬼」「世爻」を剋せば、那必ず是れ對方欺詐の心を存し、我に於いて益なく、反って刑辱を招かん。「應爻」若し落空入絶せば、訟師斷じて高明の謀略と詞章とを拿出し得ざらん。「世爻」若し日辰に沖せられ月建に破せられれば、則ち奸人の嫉妬を懷き暗中に加害するを防ぐべし。

交重坐印行行美,日月生文字字奇。舉訟者,先憑文書為主,若父母發動戊日辰月建生用合用者,則積金美玉之辭,運籌帷幄之計。若父母逢空被克者,不過是孤陋寡聞,浮言淺見耳,豈堪大用哉!

「父母」交爻・重爻をもって發動して印綬の位に坐せば、狀子便ち字字行行みな寫し得て漂亮なり。日辰・月建また來りて文書を生扶せば、那はさらに字字出奇なり。訟を興すに先ず「父母」(文書)をもって主とす。若し「父母」發動し、また日辰・月建の用神を生扶し用神を合住するを得れば、寫し出すは便ち字字金玉のごとき好狀詞にして、謀劃もまた運籌帷幄のごとく周密ならん。若し「父母」落空してまた剋せられば、那訟師不過孤陋寡聞の輩にして、説く所みな浮淺の言にして、那の大用に堪えんや。

保人强弱章第一百二十三

(占訟以間爻為主,問保以應象為憑。)欲成詞訟先尋保,曲直妍強論應爻。被訟正庭必覓保歇,欲識善美用在應列。若旺若生宜結識,如空如絕莫相交。如應旺相,生世合世者,乃志誠忠直之人,有益於我,事可燼托。若逢旬空、月破、墓絕者,乃係卑賤薄悻之流,難旋大事,不可相交耳。

本章は保人の强弱を占う。若し詞訟卦中に兼ねて看れば、「間爻」をもって主とす。若し專ら保人を問えば、則ち「應爻」をもって憑とす。官司を打たんと欲すれば先ず保を做る人を得ることを要し、こ人の是れ曲なるや直なるや、是れ能干なるや軟弱なるや、みな「應爻」上に論斷す。人に公堂に告げられんには、必ず保歇の家を尋ねるを要す。こ人の好きや否やを知らんと要せば、用神便ち「應爻」上に落つ。「應爻」旺相あるいは生扶を得るは與に結交するに宜しく、落空入絶のは往來するなかれ。若し「應爻」旺相にして、また來りて「世」を生じ「世」と合すれば、那是れ心志誠懇にして爲人忠直の人にして、我に益あり、事情盡く托付すべし。若し「應爻」旬空・月破・墓絶に逢えば、那是れ卑下輕薄の流にして、大事を辦じ得ず、それと相交わるべからず。

生我比和叨大力,不來傷世斷為高。保歇之人,以應為用,如生世或合世合比和者,乃得渠竭力扶助公私協濟。若不空不克世者,也得一力,亦以為妙。官傷世體還須忌,六象皆沖不必勞。但凡官鬼傷克世爻者,最為大忌。卦值六沖者,並無斡旋之力,皆不可用也。

「應爻」我を生じあるいは我と比和せば、便ちそれが大力の相助を得べし。便ち我を生ぜずとも、只だ來りて「世爻」を傷らざれば、また上等と算す。保歇の人は「應爻」をもって用神とす。若しそれ「世爻」を生じ、あるいは「世爻」と相合し五行比和せば、能くこ人の竭力扶助を得て、公事私事みな汝に替わりて張羅せん。若しそれ雖し我を生ぜずとも、卻ってまた落空せず「世爻」を剋せざれば、同じく一分の力を出し上げ、仍お不錯と算す。「官鬼」「世爻」を傷剋するは還た是れ忌むべく、卦中六爻みな相沖せば則ち白く氣力を費やすに及ばず。およそ「官鬼」「世爻」を傷剋するは、最も是れ大忌なり。卦「六沖」に逢うは、保人毫も斡旋の力なく、みな任用に堪えず。

公私見證章第一百二十四

(占訟以間爻為主,問中以應象為憑。)問訟全憑見證人,卦中應位察虛真。凡臨庭聽訟理之曲直,全在中證之口,故占之吉凶,但取應爻為用神,可推忠佞之心,則理不辨而自明矣!

本章は見證人の公私向背を占う。詞訟卦中に在りては「間爻」をもって主とし、專ら中人を問えば則ち「應爻」をもって憑とす。官司を打つは全く見證人に仗り、卦中「應爻」の虛實真假は仔細に察看を要す。およそ堂に上りて審を聽き曲直を判斷するに、關鍵全く中證の一張の嘴に在り。故にそれが吉凶を占うに、只だ「應爻」を取りて用神と爲す。こより以てこ人の是れ忠なるや佞なるやを推し出し得て、道理爭辯せずして自然分明なり。

不空不絕無他意,居動居沖有變心,若克世爻遭彼害,如生身世賴其思。以應為之用爻,不逢空、不逢絕、不旺相而生我合世者,乃竭力盡忠公私協護。若逢日辰沖動,面允心非冷聲暗語之人。若值發動,主世有益。克世,乃反而無情兇惡之輩。若帶蛇虎兄鬼,必蓄奸諂挾騙之心。倘得休衰或不克於我猶可知,逢旺相情勢越熾。若來克世者,必被諧言功計以直作曲,種種制陷不可勝言。

「應爻」落空せず絶に入らざれば、こ人便ち別の心思なし。それ一發動しあるいは沖せられれば、則ち變卦せん。それ若し「世爻」を剋せば、我それが陷害に遭わん。それ若し卦身と「世爻」とを生ぜば、我便ちそれが照應を得ん。「應爻」は是れ本章の用神なり。それ落空せず絶に入らず、雖し旺相ならずとも來りて我を生じ「世爻」と合せば、那は則ち竭力盡忠して公私みな我に替わりて回護する人なり。若しそれ日辰に沖動せられれば、便ち當面答應して背後變卦し、冷言冷語の那種の人なり。それ發動して「世」を生ずれば、我に於いて益あり。發動して「世」を剋せば、則ち翻臉無情の凶惡の輩なり。若しそれ上面に「騰蛇」「白虎」「兄弟」「官鬼」を帶びれば、必定奸諂訛詐の心思を藏せん。倘若それ休囚衰弱、あるいは來りて我を剋せざれば、還た算して可なり。一旦旺相せば、氣焰さらに盛んなり。若しそれ來りて「世爻」を剋せば、必ずそれが花言巧語・暗中計を使いに、直きを説きて曲と爲し、種種構陷して説き盡くしがたし。

爻爻沖擊多更改,無鬼誰官問此人。爻爻沖聲者,即六沖卦也。此人翻雲覆雨,情性不常。內外無官鬼,則臨庭不問,此人徒投聲勢耳。故經云:官鬼空亡墓絕,須知無貴張主。中證受刑官克應,主人被責鬼傷身。應為中見之人,必得興隆而生合世者,極為有力之人,忽被官鬼克害刑沖應者,輕為話不投機,重則鞭林罪戾。若鬼來克世者,我亦受累害非小可。

六爻處處相沖せば、見證人の話便ち反覆更改す。卦中に「官鬼」なければ、また官長のこ人を傳問するなし。所謂爻爻沖擊とは、則ち「六沖」の卦なり。こ樣の證人は雲を翻し雨を覆して、性情反覆定まらず。内外卦みな「官鬼」を見ざれば、堂に上る時官長根本それを傳問せず、こ人不過白く虛張聲勢するのみ。故に經文に曰く、「官鬼」空亡に落ち墓絶に入れば、那是れ官長の主を做るなきを知るべしと。「官鬼」「應爻」を剋するは、是れ見證人自ら刑を受くべし。「官鬼」卦身を傷剋するは、是れ當事の主人責を挨ぐべし。「應爻」は中に居りて證を做る人を代表し、必ずそれが興旺してまた「世」を生じ「世」と合することを得て、始めて極めて得力の人なり。若しそれ忽然「官鬼」に剋害刑沖せられば、輕ければ則ち話投機せず、重ければ則ち鞭笞を挨ぎ罪を判られん。若し「官鬼」轉じて來りて「世爻」を剋せば、我自己受くる連累もまた小ならず。

如占訟內推中見,棄應還從間位論,二間卻分原被證。方知意向那旁存,近世之爻吾訴有,近他之象彼家親。獨占中證,取應為用。詞訟卦中看者,應為被告,豈用中人?故論間爻方為中,見近應看,為彼之證,鄰世者,作我之中。二間之爻母論彼此,生我者忠誠直斡,我生者,下氣相求。合我者,自然和助。克我者,有損無益。故經云:間爻傷世,須防硬證同謀。

若し是れ詞訟卦中に兼ねて見證を推するは、則ち「應爻」を撇開して改めて「間爻」上より論ずべし。两个の「間爻」は分かちて原告一方と被告一方との證人を代表す。こ樣にして始めて各おの心意の偏向する那一邊を知る――「世爻」に靠近する那一爻は是れ我がこちらの證人にして、「應爻」に靠近する那一爻は是れ對方の親信なり。單に見證人を占う時は、「應爻」を取りて用神と爲す。但し詞訟卦中に看るに、「應爻」已經被告を代表す、怎んぞ還たそれを拿りて中人と當るを得ん。故に「間爻」を論ずるを要し、始めて中に居りて證を做るの位置なり。「應爻」に靠近するは、是れ對方の證人なり。「世爻」に緊鄰するは、是れ我がこちらの中人なり。こ两个の「間爻」は那一方に屬するを論ぜず、およそ我を生ずるはみな忠誠にして肯んじて我に替わりて周旋し、我が往きてそれを生ずるは則ちそれが低聲下氣して來りて我を求め、我と相合するは自然旁より幇襯し、來りて我を剋するは則ち損ありて益なし。故に經文に曰く、「間爻」「世爻」を傷剋せば、則ち對方の硬證を買通してそれと同謀するを提防すべしと。

官司勝負章第一百二十五

(以官鬼為主,世應為憑。)問訟須將官鬼憑,扶身扶世永無刑。凡占訟事,惟以官鬼為憑。若生世,必是理順人情卻無刑險。若帶貴吉之神合世者,乃有不意中之人扶持,故言聽計從大獲全勝。縱成索而亦無損益,吉則無喜,凶則無憂。故經云:卦中無鬼休謀事,官爻不見事空虛。

本章は官司の勝負を占い、「官鬼」をもって主とし、「世」「應」をもって憑とす。官司を問うは須らく「官鬼」爻に憑るべし。それ卦身を扶助し「世爻」を扶助せば、則ち永遠に刑責を受けず。およそ訟事を占うに、只だ「官鬼」をもって憑と爲す。それ若し「世爻」を生ぜば、必ず是れ自己理直にして人情また順に、刑險なし。それ若し貴人吉神を帶びて來りて「世爻」と合せば、那是れ意想不到の人出面して扶持するに、因りて言聽計從して大いに全勝を獲ん。縱し事情拖れて僵局と成るとも、また損益する所なく、吉は喜あるに至らず、凶もまた憂あるに至らず。故に經文に曰く、卦中に「官鬼」を見ざれば別して事を謀るなかれ、官爻出現せざれば、事情終に一場の空に歸せんと。

旺生之日公堂發,墓絕之時紙筆停。如官鬼逢臨官帝旺之日、或生扶官鬼之日,乃是臨庭決斷之期矣。故經云:官旺日則面拆庭諍。如逢墓絕,筆竟淹留阻滯。若帶青龍貴人,必因美之事停留。若滯白虎劫煞凶神,必有奸人索詐停住,未得決斷。要知何日問理,卻看官爻衰旺,不可一見而言。官如旺相,反尋墓絕之期。鬼若休囚,問在旺生之日。官居庫內,沖庫方興。鬼入空中,沖空免發。六爻無鬼,須求鬼值日時,此論斷訟之期,不可輕視。

「官鬼」旺相受生の日子に逢えば、公堂上便ち審を開かん。「官鬼」墓に入り絶に臨むの時候は、案卷紙筆便ち擱下せん。若し「官鬼」の臨官帝旺の日に碰上り、あるいは「官鬼」を生扶するの日子なれば、那是れ則ち堂に上りて判決するの時候なり。故に經文に曰く、官爻旺なるの日は則ち當庭に對質爭辯すべしと。若し「官鬼」墓絶に逢えば、案子便ち一直に拖延阻滯す。若しこ時「青龍」「貴人」を帶びれば、多半是れ喜慶の事あるに因りて擱下す。若し「白虎」「劫煞」等の凶神を帶びれば、必是れ奸人の中より索詐するありて停住し、遲遲として判決を得ず。那一天に審理するを知らんと要せば、還た官爻の衰旺を看るべし、一概に論ずべからず。官爻若し旺相なれば、反ってそれが墓に入り絶に入るの日期を找るべし。官爻若し休囚なれば、則ちそれが旺相受生の日に問うべし。官爻墓庫裡に藏れれば、沖開の那天を等ちて始めて動かん。官爻旬空の中に落ちれば、沖空の日を等ちて始めて發せん。六爻若しみな「官鬼」を見ざれば、則ち「官鬼」日に值るの時辰を求むべし。こ是れ審訟の日期を推斷するの方法にして、軽忽すべからず。

若臨身世沖剋世,縱勝還當擬罪名,日月制官生合世,理虧也主稱心情。如官爻持世沖世克世、臨卦身者,大主有罪,若加白虎有杖責。加勾陳騰蛇,主有牽連罪責者,日辰月將制服官爻,而生世合世者,縱然理折情曲,反得回凶作吉。經云:有人制鬼,鬼動何妨?

「官鬼」若し卦身に臨み、また「世爻」を沖剋せば、縱し官司打嬴るとも、自己もまた罪名を擔うを要す。若し日辰・月建「官鬼」を制住してまた「世」を生じ「世」と合せば、縱し理虧するとも照樣稱心す。若し官爻「世」上に坐し、あるいは「世」を沖し「世」を剋し、あるいは卦身に臨めば、大都自身罪あるを主す。さらに「白虎」を加えれば、還た杖責を挨ぐべし。「勾陳」「騰蛇」を加えれば、則ち牽連の罪責あらん。但し日辰・月將官爻を制服して、竝びに「世」を生じ「世」と合せば、那麼縱し理短く情曲なるとも、反って能く凶を轉じて吉と爲さん。經文に曰く、人の「官鬼」を制住し得るありて、「官鬼」發動するもまた何の妨礙かあらんと。

鬼臨空地無官斷,雖問無祥無險驚。如官鬼值旬空月破或不上卦,決是無官問斷,枉自奔波,雖然勉強求問,問而不成案卷。官化子兮詞漸解,子化官兮訟復興。鬼為問斷之官,若化子孫,乃變解和之神。此事日漸月消,終外有人和釋矣。子孫本和和允之神,驚變官鬼此乃吉變凶爻,本主自當解散復又興舉。若化鬼克世者,大不吉之兆耳。

「官鬼」空地に落つれば、則ち官長の審斷するなく、縱し問いに往くとも吉なく凶なく、一場を驚擾するのみ。若し「官鬼」旬空・月破に逢い、あるいは上卦せざれば、那一定是れ官長の受理するなくして、白く奔走す。就中勉强人を求めて過問せしむとも、問うとも案卷を立てず。「官鬼」「子孫」を變出せば、詞訟漸漸化解せん。「子孫」「官鬼」を變出せば、官司また重ねて起こらん。「官鬼」是れ主審の官長にして、それ若し「子孫」に變作すれば、則ち調解の神に變成りて、こ樁の案子便ち一天一天消解して、終に外人出面して説和するあり。「子孫」は本來是れ和順允諧の神にして、忽然「官鬼」に變作するは、那是れ吉爻凶爻に變成るにして、本來已に了結すべきの事また重ねて鬧り起こらんとす。若し變出の「官鬼」還た來りて「世爻」を剋せば、さらに是れ大不吉の兆なり。

世空自懈宜和息,應空彼到沒期程。世爻值旬空者,乃自意懶心灰無能聽理,甘自求和,應值空亡者,彼亦退訟。世被應爻兄動克,常多私下受期凌。若應爻臨兄動,或加白虎同來克世,不時防私下逞兇捉打。應若旺相剋世者,種種欺凌可可朋言。

「世爻」落空せば、是れ自己懈怠にして、講和して事を了するに宜し。「應爻」落空せば、是れ對方案に到るを得ず、確定の日期なし。「世爻」若し旬空に逢えば、便ち自己心灰意懶にして、力なくしてこ場の官司を打ち、甘愿和を求めん。「應爻」若し「空亡」に落ちれば、則ち對方もまた自ら訟を退かん。「世爻」「應爻」上の「兄弟」發動して來りて剋せらるれば、則ち常常私下人の欺凌を受く。若し「應爻」「兄弟」に臨みて發動し、あるいは再加「白虎」與に一同に來りて「世爻」を剋せば、則ち時時對方の私下逞凶動手するを提防を要す。若し「應爻」旺相にして來りて「世爻」を剋せば、種種の欺壓さらに難く一一説き盡くさん。

要知何日參官勝,應遭沖剋世逢生,且如寅日來占遁,生我沖他理必贏。若問吉日決斷,但逢日辰生合世爻,而沖剋應爻之日,乃為大吉之期。後而甲寅日占得天山遁卦,世居二爻丙午賴寅日而生,午火乃生我之日,五爻應坐壬申被寅日相沖,乃沖彼之日矣。是為生我沖彼,大獲全勝之日矣!

哪一天に堂に上りて能く嬴るを知らんと要せば、則ち「應爻」の沖剋を受けて「世爻」が生扶を得るの日子を取れ。譬えば寅日に《遁》卦を占い得ば、寅木我を生じてまた彼を沖す。こ官司必定嬴たん。若し哪一天判決吉利を問わば、只だ日辰「世爻」を生扶しあるいは「世爻」を合住し、同時にまた「應爻」を沖剋する的那一天を取れ。那便是れ大吉の期なり。例を擧ぐるに、甲寅日天山《遁》卦を占うに、「世爻」第二爻丙午火上に在り、全く寅木に靠りて來りて生ず。午火正に是れ我を生ずるの爻なり。第五爻「應爻」壬申金に坐して、恰も寅木に相沖せらる。こ則ち彼を沖するの日子なり。こ樣に我を生じてまた彼を沖するは、正に大いに全勝を獲るの日期なり。

憂監慮禁章第一百二十六

(以官爻為主,世象為憑。)問禁單愁宮鬼搖,傷身克世禍當招。鎖獄禁監,惟忌官興殺動。殺者,即天獄煞也。若官鬼動或天獄殺動、或鬼來克世者,當犯囹圄之禍,故經云:天獄殺動此身須入牢房。

本章は牢獄監禁の憂を占い、「官鬼」をもって主とし、「世爻」をもって憑とす。拘禁せらるるや否やを問うに、只だ「官鬼」の搖動を愁う。それ卦身と「世爻」とを傷剋せば、禍事則ち門に招き上がらん。およそ獄に下り監禁せらるるを問うに、只だ「官鬼」旺動と凶煞發動とを忌む。此處説く所の煞とは、則ち是れ「天獄煞」なり。若し「官鬼」發動し、あるいは「天獄煞」發動し、あるいは「官鬼」前來して「世爻」を剋せば、那則ち牢獄の禍に遭わん。故に經文に曰く、「天獄煞」一動すれば、こ人則ち班房に進み入るべしと。

鬼如空絕無監獄,子若交重免禁牢。但得官鬼逢空、或逢絕、或卦中無鬼,乃無力興禍,則無監禁之憂。若子孫發動必制官爻,有何關鎖之慮哉?日月世身臨福德,縱然有罪出潛消。子孫為解神,若值日辰、或臨月建、或持世上、或在卦身、或逢發動,皆能制鬼,焉有牢獄鎖禁哉?

「官鬼」若し落空入絶せば、則ち牢獄の災なし。「子孫」若し交爻・重爻をもって發動せば、また獄に下るを免れん。只だ「官鬼」旬空に逢い、あるいは絶地に臨み、あるいは卦中根本に「官鬼」なければ、それ便ち力なくして禍を興さず、則ち監禁の憂なし。若し「子孫」發動せば、一定能く官爻を制住して、那に還た關押せらるるの顧慮かあらん。日辰・月建・「世爻」・卦身上但だ「子孫」(福德)に臨むあれば、縱し身上罪あるともまた暗暗に消去せん。「子孫」是れ厄を解するの神にして、それあるいは日辰に值り、あるいは月建に臨み、あるいは「世爻」に坐し、あるいは卦身に在り、あるいは本身發動するも、みな能く「官鬼」を制伏して、那に還た牢獄枷鎖かあらん。

那日見官無禁擊,鬼逢剋制便為高,世臨墓日休投到,身遇生時罪可逃。如占何日見官可免,凶禁者須逢克鬼之日,乃是吉期,可以臨庭聽斷。又得日辰月建生扶世爻者,不惟免禁脫罪,反有謀成訟勝。若世值死絕墓庫之日,乃身無依靠之時,切莫去參官投到告保催提等事,如若勉施為,反遭一場刑辰耳。

哪一天に官に見えて扣押せられざるを得ん。「官鬼」剋制に逢うの那天最も好し。「世爻」墓に入るの日子は往きて投案するなかれ。卦身生を得るの時候は罪責躲過すべし。若し哪一天官に見えて拘禁を免るるを占わば、須らく「官鬼」を剋制するの日子を選び、那始めて是れ吉期にして、能く堂に上りて審を聽くべし。若し再び日辰・月建の「世爻」を生扶するを得ば、不但關押を免れ罪名を脱するのみならず、反って能くその事を謀り成して官司を打嬴らん。若し正に「世爻」死絶入墓の日子に當れば、那是れ自身倚靠する所なきの時にして、切に官長に參見し、投案自首し、告保催提こ一類の事に往くなかれ。如果勉强して往きて辦せば、反って白く一場の刑責を挨がん。

離枷出獄章第一百二十七

(以世爻為主,官鬼為憑。)人問離監出獄門,去枷脫鎖肘同尋,用逢生旺離災厄,官鬼交重獄久存。若人被禁監牢、或枷鎖鎖肘無山解脫,須占之易象。如用爻逢生逢旺之日,即可離監釋禍矣!若用爻雖逢生旺,官鬼發動者,亦未得脫監卸枷。若鬼克世者,反要嚴刑,無山解脫?

本章は監を離れ獄を出づるを占い、「世爻」をもって主とし、「官鬼」をもって憑とす。人來りて何時にか能く監牢を出づるを問うは、枷鎖鐐銬を卸き去るもまたこ一章に照りて斷を尋ねよ。用神生に逢い旺に逢えば便ち災厄を脱離せん。「官鬼」交爻・重爻をもって發動すれば則ち牢獄長久にして出難し。若し人の囚はれて監牢に在り、あるいは枷鎖身に加わり鐐銬肘を鎖して解脱に從わずあれば、則ち當に卦象を占問すべし。若し用神の生を受け當旺の日子に逢えば、便ち監を出で禍を釋すべし。若し用神雖し生旺に逢うとも、「官鬼」正に發動すれば、また還た監を脱がれず枷を卸下げ得ざらん。若し「官鬼」前來して「世爻」を剋せば、反って刑罰を加重せんとし、さらに解脱に從わざらん。

合處逢沖憂變喜,墓中遇破鎖離身,假令戌日占觀卦,辰日推開喜氣臨。六爻之內,凡有逢沖必散,但得合處逢沖墓中被破。假如戌日占得風地觀卦,二爻巳火官爻身位臨之,詩云:身隨鬼入墓,候逢辰日沖開戌墓,則憂容變喜,禍罪消釋矣!

本來相合するに中途沖に逢えば、憂愁則ち轉じて喜事と成る。墓に入るの爻沖破に遇えば、枷鎖便ち身を離れん。譬えば戌日に《觀》卦を占い得ば、辰日に到りて戌墓を沖開すれば、喜氣便ち門に臨めり。六爻の内、およそ沖に逢えば必ず離散を主す。囚繫の事正に「合處逢沖」・墓庫の沖破せらるるを要して始めて好し。比如戌日風地《觀》卦を占い得るに、第二爻巳火是れ「官鬼」にして、卦身また正にこ一爻上に落つ。前人詩中の所謂「身隨鬼入墓」は則ちこ象なり。辰日に等ちて戌土の墓庫を沖開せば、愁容便ち轉じて笑臉と爲し、禍事罪名もまた消解せん。

世值子孫殃易散,用爻化鬼反加屯,子空財動官爻旺,還守囹圄度歲旬。子孫為解散之神,若持世上,事當解散矣!如用化官鬼,乃是吉變凶神,必有禍患。若子孫值空,則官鬼無制,財爻一動反助官爻旺相,旺反生災禍,則監牢難脫,枷鎖難疏。卦內無官誰釋放,細查鬼值那良辰,方言脫獄兼開肘,鬼絕逢生加此云。六爻無鬼、或鬼空亡,乃無官做主,難以疏脫。鬼若絕處逢生,方是疏枷離獄之良辰也。

「世爻」上に「子孫」に坐せば、災殃消散しやすし。用神「官鬼」を變出せば、反ってさらに困厄を添えん。「子孫」落空して「妻財」發動し「官鬼」正に旺んば、那則ち還た牢裡に在りて幾許の時日を熬ぐべし。「子孫」是れ災厄を解散するの神にして、それ若し「世」上に坐せば、事情自ら當に消解すべし。若し用神「官鬼」に變作するは、是れ吉爻凶神に變成るにして、必ず禍患あらん。若し「子孫」落空せば、「官鬼」便ち制伏する人なし。「妻財」一動すれば、反って往きて官爻を助長してそれをさらに旺ならしめ、旺なれば則ち災禍を生出して、於是監牢出がたく枷鎖開きがたし。卦裡「官鬼」なければ、誰か來りて令を下して釋放せん。則ち「官鬼」哪一箇の吉日に值るを細査して、那始めて獄を出で鎖を開くを談じ得べし。「官鬼」絶地に在りてまた生に逢うの時候も、またこ箇の説法に照りて推斷せよ。六爻中に「官鬼」なく、あるいは「官鬼」空亡に落ちれば、便ち官長の主を做るなくして、開脱しがたし。「官鬼」若し絶處生に逢うの處に在れば、那始めて是れ枷を卸き獄を離るるの好日子なり。

關提人卷章第一百二十八

(吊卷以文書為主,關人以世應為憑。)若請卷宗,卦內父官宜旺相;欲提人犯,爻中彼應怕空亡。凡吊卷提人,須得官鬼興隆,文書興旺,又要應爻生合世爻,倘世應值空值絕,人犯難拘文書不發。

本章は文を行い卷を調し人犯を提拿するを占う。卷宗を調取するは「父母」(文書)をもって主とし、人犯を關提するは「世」「應」をもって憑とす。若し卷宗を調請せんと要せば、卦内「父母」「官鬼」みな旺相を宜しとす。若し人犯を提拿せんと要せば、爻中對方を代表するの「應爻」最も「空亡」に落つるを怕る。およそ卷を調し人を提するに、須らく「官鬼」興隆・「父母」旺盛、還た「應爻」來りて「世」を生じ「世」と合するを要す。倘若「世」「應」两爻落空しあるいは絶地に臨めば、人犯則ち拘い到らず、公文もまた發し出さざらん。

世空則我不擒他,應陷則彼非在舍。但凡拘攝人犯先須自壯,方可提獲。若世值旬空月破者,乃自無主意,焉得人來會面?應落空亡,則彼己先逃,空自往返。無父,必此關無力,卷吊難來。無官,必其事無成,人提不至。父母為文書之用,凡關吊卷宗,須得父爻旺相而生合世爻,即今文案而回。若父落空亡墓絕、或無父爻上卦,筆竟更移抽滅遣失弊隱難以發行。官吏以鬼為用,若卜提人,須得鬼爻有氣,則易以捉獲。鬼逢空墓或鬼不上卦,則無官主張,縱然拘攝豈得提人至哉?

「世爻」落空せば、是れ我がこちら彼を拿り住むべからず。「應爻」陷空せば、是れ那人家中に在らず。およそ人犯を拘拿するに、先ず自己こちら氣勢壮實なるを要して、始めて人を提え得べし。若し「世爻」旬空に逢い月破に遭えば、是れ自己主意を拿定せず、那に還た能く人を叫び來りて見面せしめんや。若し「應爻」「空亡」に落ちれば、那人早已先に逃げて、白く一趟を跑る。卦中「父母」なければ、こ道の關文一定效力なく、卷宗調び來らず。「官鬼」なければ、こ件の事一定辦じ成らず、人もまた提え到らず。「父母」是れ文書の用神にして、およそ關を行い卷を調するに、須らく「父母」爻旺相にして竝びに「世」を生じ「世」と合するを要し、當即就能く案卷を取り回らん。若し「父母」空亡に落ち墓絶に入り、あるいは「父母」上卦せざれば、文書終に人に挪移抽換せられ、遺失隱匿せられて、發行し下ぐること難し。官吏は「官鬼」をもって用神と爲し、若し人犯を提拿せんを卜せば、須らく「官鬼」氣あるを要し、人始めて捉えやすし。「官鬼」若し落空入墓し、あるいは上卦せざれば、便ち官長の主を做るなく、縱し往きて拘拿すとも、また怎んぞ能く人を提え來らんや。

相合之爻,無心可見。相沖之卦,對面難從。如六爻相生相合,猶如夙緣不期而會,財清和順,若逢暗動六沖,卻似捕風捉影,何處追尋?玄武伐身,書吏起奸心之弊。勾陳克應,捕差全弩力之功。玄武乃奸狡之神,若持世克世者,必然是猾吏權書隱情作弊索詐錢財而已。勾陳乃拘攝之役,若克應者,則當事者,有操謀努力得獲全功矣!

爻與爻相合するは、無意の中に能く碰见す。卦相沖に逢うは、面對面しても彼を留め住むべからず。若し六爻互いに生扶し互いに和合せば、就く宿世緣ありて約せずして會するがごとく、事情清爽順當なり。若し暗動あるいは「六沖」に遇えば、那就く風を捕え影を捉うるがごとく、追尋する處なし。「玄武」卦身を傷剋するは、是れ書吏壞心を起して中より舞弊するなり。「勾陳」「應爻」を剋住するは、是れ捕役肯んじて全力を出して能く功を建つなり。「玄武」是れ奸猾狡詐の神にして、若しそれ「世」を持しあるいは「世」を剋せば、必定是れ刁猾の吏員・權を弄ぶの書辦實情を隱瞞し、中より作弊して、一味錢財を索詐せん。「勾陳」は拘捕の役を主じ、若しそれ「應爻」を剋せば、那麼こ件の差事を辦ずるの人自ら謀劃あり、肯んじて氣力を下して、終に能く大いに成功を獲ん。

官傷應兮世傷他,網中之物。動克身而應克世,野外之禽。世為我,應為彼,勾攝公事,又以官為捕役,應為彼人,若卦中鬼克應,如釜中之肉、網中之魚,手到拿來。倘逢動克世應克世者,如窮巖猛獸,喬木流鵝射獵未得、及防拒捕也。但決從違,惟憑生克。但看卦中旺衰生克而行,我強他弱,畢竟相從如過。應旺世衰,公然違拒,難以了結。

「官鬼」「應爻」を傷り、「世爻」もまた彼を傷れば、那人則ち是れ網裡の獵物なり。反って動爻卦身を剋し「應爻」「世爻」を剋せば、那人則ち野外の飛禽と成らん。「世爻」は我を代表し、「應爻」は對方を代表す。勾提公事を辦ずるの時は、また「官鬼」をもって捕役を代表し「應爻」をもって所拿の人を代表す。若し卦中「官鬼」「應爻」を剋せば、那便ち鍋裡の肉・網中の魚のごとく、手を伸べれば則ち拿り得べし。倘若動爻「世」を剋し「應爻」「世」を剋することに遇上れば、那就く深岩裡の猛獸・高樹上の飛禽のごとく、射獵し著かず、還た彼の拒捕するを提防を要す。至りて對方の是れ順從なるや是れ違抗なるやは、只だ生剋に憑りて判斷す。卦中の旺衰生剋を看て事を行えば、我強く彼弱くば、終に乖乖として跟從り來らん。「應爻」旺にして「世爻」衰うれば、彼則ち公然抗拒して、こ案子結了しがたし。

回關塌訟章第一百二十九

(以子孫為主,身世為憑。)滅號回關,最喜文書陷絕。停詞塌訟,大宜福德興隆。父母職專文書,凡欲停詞歇案,獨要父母空絕,則可以寢閣矣!子孫能以制鬼,若旺相發動,則官無力在意謀為停塌也。

本章は關を撤し訟を息むを占い、「子孫」をもって主とし、卦身と「世爻」とをもって憑とす。案號を銷き去り關文を撤回するに、最も「父母」(文書)の落空入絶を喜ぶ。狀詞を停下し官司を壓下するに、則ち大いに「子孫」(福德)の興旺を宜しとす。「父母」は專ら文書を管し、およそ詞を停め案を歇めんと想うに、只だ「父母」落空臨絶せば、案子則ち擱置し起きるべし。「子孫」能く「官鬼」を制伏し、それ若し旺相發動せば、官長便ち力を使い上ぐるべからず。正好從容に謀劃して案子を壓し下ぐべし。

鬼動文搖,訟息有重興之日。官動則事多變更,父發則文牒紛紜,官父並興,詞案雖在隱息,不久重新興發。官空父絕,關回無再舉之時。官空無主,父絕無文。官父兩空或絕,則上下無力一應文書,皆以休息矣!

「官鬼」發動し「父母」搖動せば、官司雖し暫時平息すとも、還た重ねて鬧り起こるの一天あり。「官鬼」一動すれば、事情便ち多く變ず。「父母」一發すれば、文書公牘便ち紛紛として來る。两爻同時に興旺すれば、案子雖し眼下按下して提せずとも、不久還た重ねて發作せん。「官鬼」落空し「父母」絶に入れば、關文撤回の後則ち再び擧げず。「官鬼」落空すれば便ち官長の主を做るなく、「父母」絶に入れば便ち文書の憑據なし。こ两爻みな落空しあるいはみな絶に入れば、那麼上下みな力なくして再び辦じ得ず、一應の文書もまたこに就きて停歇せん。

日克官爻,此非易解。鬼傷世象,其禍難推。若日辰克鬼,乃是凶爻受制,百凡事務,則冰消瓦解矣!若鬼爻克世者,此為官來伐我,必有刑傷大禍,忌之!兄興生子斷為祥,無子有財遭破費。子孫為和解之神,又得兄弟無神發而生助,此為轉禍為福,習無大害。若卦無子孫,是無勸解之人,反有財爻出見,兄必克財,必然事事諮趄破財費力耳。

日辰「官鬼」を剋住すれば、こ官司本來解しがたくともまた能く解けん。「官鬼」「世爻」を傷剋せば、那禍事は就中估量しがたし。若し日辰「官鬼」を剋せば、便ち凶爻制伏を受けて、種種の糾纏みな氷消瓦解せん。若し「官鬼」爻反って來りて「世爻」を剋せば、こ是れ官府來りて我を伐つにして、必ず刑傷の大禍あり、務めて忌諱を要す。「兄弟」旺起して往きて「子孫」を生ぜば、吉祥と斷ず。卦中「子孫」なくして只だ「妻財」あれば、則ち錢財を破費せん。「子孫」は是れ調和解紛の神にして、また「兄弟」發動して來りてそれを生助するを得ば、こ則ち禍を轉じて福と爲すにして、向來大害あるべからず。若し卦中に「子孫」なければ、便ち出面して勸解する人なし。反って「妻財」の出現を見れば、「兄弟」必ず來りて財を剋し、那則ち事事遲疑して行われがたく、白く財を破り力を費やせん。

財動助官推作禍,無官有父反消除。占詞最忌者,官興財動。六爻之內官爻雖靜,若逢財動,必然助鬼興災倡禍靡所不至。官鬼縱絕,財爻一動,名曰絕處逢生,為非不小。卦中無鬼、或鬼空有父爻,財能剋制,則文書妥貼禍患消除矣!子動清安,變出官爻詞不息。官興撩亂,化成福德訟能消。子動是為吉兆,若化官爻,則私慾求安而官不允諾,乃側欲靜而風不寧,正此之謂也。若官鬼發本為不吉,化作子孫,是為轉禍為祥,災禍自然消釋矣!

「妻財」發動して往きて「官鬼」を助ければ、便ち禍事を推し出し來らん。卦中「官鬼」なくして「父母」あれば、反って禍患消除せん。詞訟を占うに最も忌む所は則ち「官鬼」旺・「妻財」動なり。六爻の内官爻雖し安静なりとも、若し「妻財」發動に逢えば、必定「官鬼」を助長して災を興し禍を作し、至らざる所なし。「官鬼」縱し絶に臨むとも、「妻財」一動すれば便ち「絶處逢生」と叫作して、鬧り出す亂子もまた小ならず。若し卦中に「官鬼」なく、あるいは「官鬼」落空して別に「父母」爻あれば、「妻財」の力量便ち「父母」に牽制せられ、於是文書妥當にして禍患消除せん。「子孫」發動は本來清静平安を主るも、但だ若しそれ「官鬼」を變出せば、詞訟便ち止みがたし。「官鬼」旺動は本來撩亂を主るも、但だ若しそれ「子孫」(福德)に化成せば、官司反って能く消解せん。「子孫」發動は是れ吉兆にして、若し官爻に變作すれば、那是れ則ち自己一心安を求むるも官府偏えに答應せず、正に所謂樹靜まらんと欲すれども風止まずなり。若し「官鬼」發動本來不吉と爲すも、卻って「子孫」に變作すれば、那是れ則ち禍を轉じて祥と爲すにして、災禍自然に消釋せん。

但占何日關來,便察父臨旺處。凡卜何折訟發,還尋鬼值生方。欲識文書可到,但看父臨生旺之日是也。如卦無父母,又看父爻值日,關來要占訟禍之發,惟查鬼值生旺為期,遠推年月近看日時方不誤。動及兄官,公私未請。空臨世應,原被無辭。如鬼動、兄動、雀動、虎動,官非冗冗接踵而生。那有休文柱卷之時?但得世空、應空、官空,雀空漸漸消薊訟息心安矣!一見六沖,訟當回繳。但逢六合,事反留連。凡卜回關及回呈者,最喜六沖不喜六合。沖則益消訟散,合則事阻文羈。欲推動止之良方,不出陰陽之妙斷。

關文那一天に送到するを占わんと要せば、則ち「父母」爻の旺相に逢うの時候を察せよ。官司那一天に發作するを卜せんと要せば、則ち「官鬼」爻の生を受くるの方位を尋ねよ。文書の能く送達するや否やを知らんと欲せば、只だ「父母」生旺の日に臨むを看れば便ち是なり。若し卦中に「父母」なければ、則ち「父母」日に值るの期を看、那天關文便ち到らん。訟禍何時に發作するを占わんと要せば、只だ「官鬼」生旺に逢うの日子を査しもって期と爲す。日子遠ければ則ち年月を推し、日子近ければ則ち日時を看、こ樣にして始めて推錯らざらん。「兄弟」「官鬼」發動せば、公事私事みな還た了結し得ず。「世」「應」落空せば、原告被告みな話す可きなし。若し「官鬼」動き「兄弟」動き「朱雀」動き「白虎」動かば、官非便ち接二連三として生じ出でて、那に停歇文書・封存案卷の時候かあらん。只だ「世爻」落空し「應爻」落空し「官鬼」落空し「朱雀」落空せば、訟事便ち漸漸消散して、人心もまた安まらん。「六沖」を一見せば、官司當に撤回すべし。若し「六合」に逢えば、事情反って拖延せん。およそ關文を撤回し呈狀を繳銷するを卜するに、最も「六沖」を喜びて「六合」を喜ばず。沖は則ち爭端消散し、合は則ち事情受阻して文書羈留せらるればなり。該動該止の良方を推究するに、總じて陰陽生剋の巧妙の判斷を出でざるなり。

公私和息章第一百三十

(以了孫為主,世應為憑。)息爭處訟宜安靜,子旺官衰禍必無。凡公私之事,俱求六爻安靜,則彼此允和而無相拒之心矣!若得子孫旺相,官鬼衰休,則官災橫禍盡皆消釋矣!世應相生奸計少,主實相剋變心多。如我世彼應相生相合,則兩相和順,是非潛解。若世應相剋者,則彼此奸猾多生機竅禍,豈易寧乎?

本章は公私の和解を占い、「子孫」をもって主とし、「世」「應」をもって憑とす。爭端を平息して官司を了結するに、六爻安静を宜しとす。「子孫」旺にして「官鬼」衰うれば、禍事必定なし。およそ公家私家の糾紛は、みな六爻安静を求む。こ樣なれば双方始めて講和を肯んじて相抗の心なし。若し能く「子孫」旺相にして「官鬼」休衰なれば、官災橫禍統べて消解せん。「世」「應」相生すれば則ち彼此奸計を用いること少く、两爻相剋すれば則ち各おの變心を生ずること多し。若し我がこちらの「世爻」と對方の「應爻」と相生相合せば、双方便ち和順にして、是非暗中に就きて化解せん。若し「世」「應」互相剋制せば、那則ち彼此奸猾にして、多く機心と禍端とを生じ、那の安寧を得易からんや。

六沖之卦詞難息,六合之爻訟易和。凡推求息之卦,但要相合相生,則兩情允協,業冤已釋矣!若事欲求息反得六沖之卦、或鬼暗動者,乃是興發之氣象,焉能寧息哉?鬼發父興多咭聒,世空應陷永無幸。若值官鬼發動,父母兄弟興隆,乃為官府搔擾文牒催搖,倘得世應俱空,則彼此於休公私復矣!

「六沖」の卦に逢えば、詞訟平息しがたし。「六合」の爻に逢えば、官司講和しやすし。およそ求和の卦を推斷するに、只だ两爻相合相生して双方情意投合せば、舊怨こに就きて消釋せん。若し正に求和せんと想うに卻って「六沖」の卦を得、あるいは「官鬼」暗動せば、那是れ事端正に發作せんとするの氣象にして、怎んぞ能く安寧し下ぐるを得んや。「官鬼」發動し「父母」興旺せば、則ち多く吵鬧糾纏せん。「世爻」落空し「應爻」陷空せば、反って永遠に是非なし。若し「官鬼」發動に遇い、「父母」「兄弟」またみな興旺せば、那便是れ官府の搔擾・公文の催逼なり。倘若「世」「應」两爻みな落空せば、双方もまたこに就きて罷手して、公事私事みな平復せん。

間如發動傍人阻,兄若交重物費多。卦中兩間爻,乃為中證之人,若是發動,必然搖惑阻撓其事。加朱雀,則挑斗是非。加兄弟則詐騙財物。若兄弟不在間爻而發動,亦要破財費力耳。福化鬼爻憂再舉,鬼之子象漸消磨。子變為官,事恐復發。鬼化作子,訟以全消。

「間爻」若し發動せば、是れ旁人の中より阻撓するなり。「兄弟」若し交爻・重爻をもって發動せば、錢財則ち多く花費せん。卦中两个の「間爻」は中に居りて證を做すの人を代表し、それら一旦發動すれば、必定要して人心を動搖しその事を阻撓せん。若しさらに「朱雀」を加えれば、則ち是非を挑撥せん。「兄弟」を加えれば、則ち錢財を詐騙せん。若し「兄弟」「間爻」上に在らずして發動せば、同じく財を破り力を費やすを要せん。「子孫」(福德)「官鬼」を變出せば、官司の再起を憂うるを要す。「官鬼」「子孫」を變出せば、訟事便ち漸々消磨せん。「子孫」官爻に變爲すれば、事情恐らく還た復發せん。「官鬼」「子孫」に化作せば、官司便ち完全に消解せん。

申詳允駁章第一百三十一

(解審以官鬼為主,招詳以父母為憑。)但問招詳,須看文書強與弱。如占解審,定推官鬼克和生。若問解審招詳之事,專以父作文移官為用象,參推旺衰可知允駁。細察克生,便知凶吉。

本章は上級批文の准駁を占う。解送審訊を占うは「官鬼」をもって主とし、招供申詳を占うは「父母」をもって憑とす。およそ招詳の事を問うに、須らく「父母」(文書)の强弱を看るべし。若し解審の事を占わば、則ち「官鬼」の是れ剋を被るや受生するやを推詳すべし。およそ解送審問・招供申詳こ一類の事を問うに、專ら「父母」をもって申詳の文移を代表し、「官鬼」をもって用神と爲し、その旺衰を參看すれば、便ち上頭の是れ准なるや駁なるやを知る。さらに細かに生剋を察せば、吉凶もまた明白なり。

鬼爻不動不空,上合下心依此斷。父象不沖不發,官同民意照其詳。官爻安靜又不落空,則官體民情民依官斷。若文書不遇日沖月破旬空,又得安靜,則招安供明上憐下順。內外六沖,決然駁問。父官兩動,必不允情。卦值六沖,諸事難成,豈得公文俯就,故曰決然駁問。父母為文書,官鬼為問官,欠動則移文改稿,官興則訊鞫施為。

「官鬼」爻既に發動せずまた落空せざれば、上司の意思と下面の民情と相合して、則ち原議に照りて判定せん。「父母」爻既に沖を受けずまた發動せざれば、官府と百姓の意願と一致して、則ち所申の詳文に照りて批准せん。官爻安静にしてまた落空せざれば、那則ち官體民情两下相安して、百姓もまた官斷に服從せん。若し文書日辰沖・月建破・旬空に遇わず、また能く安静なれば、那麼招供明白・上頭體恤・下面順從せん。内外卦「六沖」に逢えば、一定要して駁回重問せられん。「父母」「官鬼」两爻みな發動せば、また一定照准せられざらん。卦「六沖」に值れば則ち諸事成りがたく、公文那に肯んじて照准せんや。故に説く、一定駁問すと。「父母」は文書を代表し、「官鬼」は案を問うの官長を代表す。文書一動すれば則ち文を移し稿を改めんとし、官爻一旺すれば則ち審を提げ刑を用いんとす。

六爻皆靜當依凝,世應同搖定改更,父值青龍,詳言有美。文臨白虎,批語加刑。但得六爻不動不沖,凡事妥當文書依允矣!若世應同發,彼此皆有更變之心,故經云:世應俱發動必然有改張。文書若遇青龍,招詳中此有美慰之旬。若值白虎,駁示內多加險惡之言。

六爻みな安静なれば、案子便ち原樣に照りて定下せん。「世」「應」一同に搖動せば、判詞必定要して更改せん。「父母」上に「青龍」を帶びれば、申詳の文書裡に嘉許の語あり。「父母」上に「白虎」に臨めば、批語中に便ち刑責を添えん。只だ六爻動かず沖せざれば、凡事みな妥當にして、文書照准せん。若し「世」「應」同時に發動せば、是れ双方みな變卦の心あるなり。故に經文に曰く、「世」「應」みな發動せば、必然主意を改めんと。文書若し「青龍」に遇えば、申詳の批文裡に便ち安慰嘉勉の話あり。若し「白虎」に遇えば、駁回の批示中に則ち多く嚴厲險惡の詞あり。

解審何愁鬼動,招詳能忌官興。解審者,當廳鞫問,正宜官興,但喜生我合我,便是我勝。招詳者,只是文案申呈,不可鬼發,發則有變改駁。問駁無官終不駁,問詳無鬼必難詳。占駁無官須知無貴主張,豈得駁乎?占詳無鬼,定是缺官批允,寧得詳乎?鬼克世家批我重,官生應位駁他輕。官爻克世,駁批我重。生世合世者,駁批我輕。若官爻克應,駁批他重,生應合應駁批彼輕。

解送審訊を占うに、「官鬼」發動を愁うるに及ばず。申詳招供を占うに、反って「官鬼」の興旺を忌む。所謂解審とは、堂上に解きて當面審問するにして、正に官爻旺動を宜しとし、只だそれ我を生じ我と合せば、便ち我が勝なり。所謂招詳とは、不過案卷文書を把りて申報し上ぐるにして、則ち「官鬼」發動すべからず。一動すれば便ち改批駁回の虞あり。駁回せらるるや否やを問うに、卦中「官鬼」なければ則ち終に駁し得ず。詳文の能く批准せらるるや否やを問うに、卦中「官鬼」なくしてもまた必ず批し下ぐること難し。駁を占うに「官鬼」を見ざれば、須知是れ官長の主を做るなきにして、那に駁し成さるるを得んや。詳を占うに「官鬼」を見ざれば、一定是れ批准の官長を缺きて、また怎んぞ能く詳し下ぐるを得ん。「官鬼」「世爻」を剋すれば、我を批するの處分便ち重し。「官鬼」「應爻」を生ぜば、彼を駁するの處分便ち輕し。官爻「世爻」を剋せば、我に駁批するは重し。官爻「世」を生じ「世」と合せば、我に駁批するは輕し。若し官爻「應爻」を剋せば、彼に駁批するは重し。「應」を生じ「應」と合せば、彼に駁批するは輕し。

若要解神,為求福德。在世,則吾身有慶,此訟蠲消。在應,則彼處無疑,其詞息滅。如占訟事,但要子孫為解神,名曰福德神。持世,則吾獲吉慶。臨應,則彼叨喜美。官府自能俯恤,事訟亦易消釋矣!應帶父爻克世身,慮彼隨招再訴。世逢鬼動沖傷應,己心訟後興詞。父母為文書,若臨應克世,彼必隨招越訴。官鬼為凶神,若動持沖剋應者,雖然訟事杜結,我心不服,畢竟再舉興詞。如世動應休,決難克我。世衰應旺,豈可傷伊?若得世應父官得遇空絕人衰,則公私訟息萬事情寧永賴平安矣!一得此章,萬無其懼。

若し厄を解するの神を找らんと要せば、則ち「子孫」(福德)を求めよ。それ「世爻」に在れば、我がこちら喜慶ありて、官司之に隨いて免除せん。それ「應爻」に在れば、對方那邊事なくして、狀詞もまた消滅せん。およそ訟事を占うに、只だ「子孫」解神と作さば、こ一爻また福德神と叫ばる。それ「世」を持せば、我吉慶を獲ん。それ「應」に臨めば、對方福を得ん。官府自ら體恤して、訟事もまた容易に消解せん。「應爻」「父母」爻を帶びて來りて「世爻」と卦身とを剋せば、則ち對方の案に隨いて級を越えて再び告ぐるを慮るを要す。「世爻」上「官鬼」發動して「應爻」を沖傷せば、則ち是れ我自己案結の後還た重ねて訟を興さんとす。「父母」は文書を代表し、それ若し「應爻」に臨みて「世爻」を剋せば、對方必定招供に跟いて越訴せん。「官鬼」は是れ凶神にして、それ若し發動しあるいは「世」を持して「應爻」を沖剋せば、雖し訟事已經了結すとも、我心裡仍お服せず、終に再び狀を具えん。若し「世爻」發動して「應爻」休囚せば、彼斷じて我を剋し得ざらん。若し「世爻」衰えて「應爻」旺んば、我また怎んぞ能く彼を傷るを得ん。若し能く「世」「應」「父母」「官鬼」みな空に遇い絶に入り、諸爻衰弱なれば、那則ち公私の訟事全く息み、萬事安寧にして、長久平安なり。こ一章を讀み通せば、則ち萬事さらに懼るるに及ばず。

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