Libo

景德傳燈錄 卷第一

宋 · 道原 · 第25巻 / 151

隨流認得性無喜復無憂

流に隨ひて性を認むれば、喜なく、亦憂なし。

時鶴眾聞偈飛鳴而去。尊者跏趺寂然奄化。鶴勒那與寶印王起塔。當後漢桓帝十九年乙巳歲也。

時に鶴衆、偈を聞き訖りて、飛鳴して去る。尊者、結跏趺して寂然として奄化す。鶴勒那、寶印王と塔を起つ。正に後漢桓帝十九年乙巳の歳に當たる。

第二十三祖鶴勒那者(勒那梵語。鶴即華言。以尊者出世常感群鶴戀慕故名)月氏國人也。姓婆羅門。父千勝。母金光。以無子故禱於七佛。金幢即夢須彌山頂一神童持金環雲我來也。覺而有孕。年七歲遊行聚落。覩民間淫祀乃入廟叱之曰。汝妄興禍福幻惑於人。歲費牲牢傷害斯甚。言訖。廟貌忽然而壞。由是鄉黨謂之聖子。年二十二出家。三十遇摩拏羅尊者付法眼藏。行化至中印度。彼國王名無畏海。崇信佛道。尊者為說正法。次王忽見二人緋素服拜尊者。王問曰。此何人也。師曰。此是日月天子。吾昔曾為說法故來禮耳。良久不見唯聞異香。王曰。日月國土總有多少。尊者曰。千釋迦佛所化世界。各有百億迷盧日月。我若廣說即不能盡。王聞忻然。時尊者演無上道度有緣眾。以上足龍子早夭。有兄師子。博通彊記事婆羅門。厥師既逝。弟復雲亡。乃歸依於尊者。而問曰。我欲求道當何用心。尊者曰。汝欲求道無所用心。曰既無用心誰作佛事。尊者曰。汝若有用即非功德。汝若無作即是佛事。經云。我所作功德而無我所故。師子聞是言已即入佛慧。時尊者忽指東北問雲。是何氣象。師子曰。我見氣如白虹貫乎天地。復有黑氣五道橫亙其中。尊者曰。其兆云何。曰莫可知矣。尊者曰。吾滅後五十年。北天竺國當有難起。嬰在汝身。吾將滅矣。今以法眼付囑於汝善自護持。乃說偈曰。

第二十三祖鶴勒那(勒那は梵語、鶴は華言なり、尊者の出世、常に群鶴の戀慕を感應するを以て、故に此の名と爲す)は、月氏國の人なり。姓は婆羅門。父の名は千勝、母の名は金光。子無きを以て、七佛に祈禱す。金幢、即ち須彌山頂に一の神童、金環を持ちて我來ると曰ふを夢み、覺めて孕有り。年七歳にして聚落を遊行し、民間の淫祀を見て、即ち廟に入りて呵叱す、汝ら妄りに禍福を興して人に幻惑し、歳歳牲牢を耗費して傷害甚だしと。言い訖りて、廟貌忽然として壞れ去る。因りて鄕黨、彼を聖子と呼ぶ。年二十二にして出家し、三十にして摩拏羅尊者に遇ひて法眼藏を付さる。行化して中印度に至る。彼の國王、名を無畏海と曰ひ、佛道を崇信す。尊者、爲に正法を説く。隨後王、忽ち兩人を見る、一は緋にして一は素なり、尊者を拜す。王問ふ、此れ何人ぞ。師曰く、此れ日月の天子なり、我、昔曾て彼らが爲に法を説きたり、故に來りて禮す。良久にして見えず、但異香を聞くのみ。王曰く、日月の國土、總じて多少ある。尊者曰く、千の釋迦佛の化せる所の世界、各各百億の迷盧日月有り、我若し廣く説かば、盡す能はざらん。王、聞きて欣然とす。時に尊者、無上道を演して有縁の衆を度す。上足の弟子龍子の早夭せるを以て、其の兄師子有り、博通强記にして婆羅門に事ふ、其の師既に逝き弟又亡びて、便ち尊者に歸依し、問ふ、我、道を求めんと欲す、當に如何なる心を用ゐん。尊者曰く、汝、道を求めんと欲せば、用ゐる心無かれ。問ふ、既に用ゐる心無ければ、誰か佛事を作す。尊者曰く、汝若し用有らば、便ち功德にあらず、汝若し無作ならば、是れ佛事なり、經に云く、我が作す所の功德は、我所有ること無きが故なりと。師子、此の言を聞き訖りて、即ち佛慧に入る。時に尊者、忽ち東北を指して問ふ、是れ何の氣象ぞ。師子曰く、我、氣の白虹の天地を貫くが如く、又黑氣五道、其中に橫亙するを見る。尊者曰く、其の兆は何如。曰く、知る能はざるなり。尊者曰く、我、滅後五十年、北天竺國に當に難起こりて汝の身に落ちん、我、將に滅せんとす、今法眼を汝に付嘱す、善く自ら護持せよ。於是乎偈を説いて曰く、

認得心性時可說不思議

心性を認得する時、説くべし不可思議、

了了無可得得時不說知

了了として得ること無し、得る時、知とは説かず。

師子比丘聞偈欣愜。然未曉將罹何難。尊者乃密示之。言訖。現十八變而歸寂。闍維畢分舍利各欲興塔。尊者復現空中。而說偈曰。

師子比丘、偈を聞き訖りて、欣然として愜意す、然れど未だ何の難に遭はんとするを知らず。尊者、乃ち密かに開示す。説き訖りて、十八變を現じて歸寂す。荼毘畢りて、舍利を分かちて各々塔を興さんとす。尊者、又空中に出現して偈を説いて曰く、

一法一切法一切一法攝

一法即ち一切法、一切は一法に攝せられ、

吾身非有無何分一切塔

我が身は有にあらず亦無にあらず、何ぞ分かちて一切の塔と爲さん。

大眾聞偈遂不復分。就馱都之場而建塔焉。即後漢獻帝二十年己丑歲也。

大衆、偈を聞き訖りて、即ち分かつことを止め、馱都の場上に塔を建つ。即ち後漢獻帝二十年己丑の歳なり。

第二十四祖師子比丘者。中印度人也。姓婆羅門。得法遊方至罽賓國。有波利迦者。本習禪觀。故有禪定知見執相捨相不語之五眾。尊者詰而化之。四眾皆默然心服。唯禪定師達磨達者。聞四眾被責憤悱而來。尊者曰。仁者習定何當來此。既至於此胡云習定。曰我雖來此心亦不亂。定隨人習豈在處所。尊者曰。仁者既來其習亦至。既無處所豈在人習。曰定習人故非人習定。我雖來此其定常。習尊者曰。人非習定定習人故。當自來時其定誰習。彼曰。如淨明珠內外無翳。定若通達必當如此。師曰。定若通達一似明珠。今見仁者非珠之徒。彼曰。其珠明徹內外悉定。我心不亂猶若此淨。師曰。其珠無內外。仁者何能定穢物非動搖。此定不是淨。達磨達蒙尊者開悟心地朗然。尊者既攝五眾名聞遐邇。方求法嗣。遇一長者。引其子問尊者曰。此子名斯多。當生便拳左手。今既長矣。而終未能舒。願尊者。示其宿因。尊者覩之。即以手接曰。可還我珠。童子遽開手奉珠。眾皆驚異。尊者曰。吾前報為僧。有童子名婆舍。吾嘗赴西海齋受䞋珠付之。今還吾珠理固然矣。長者遂捨其子出家。尊者即與受具。以前緣故名婆舍斯多。尊者即謂之曰。吾師密有懸記。罹難非久。如來正法眼藏今轉付汝汝應保護普潤來際。偈曰。

第二十四祖師子比丘は、中印度の人なり。姓は婆羅門。法を得て游方し、罽賓國に至る。波利迦有りて、本來禪觀を修習す、故に禪定・知見・執相・捨相・不語の五衆有り。尊者、詰問して之を教化す、四衆皆默然として心服す、唯禪定師達磨達、四衆の責せられしを聞きて、憤悱して來る。尊者曰く、仁者、定を修習して、何ぞ須らく此に來らん、既に此に至りて、何を以てか習定と云ふ。曰く、我、此に來ると雖も、心亦亂れず、定は人に隨ひて習ふ、豈に處所に在らん。尊者曰く、仁者既に來れば、習ふ所亦到れり、既に處所なければ、豈に人の習に在らん。曰く、定の人を習ふが故なり、人の定を習ふにあらず、我、此に來ると雖も、其の定は常に習ふ。尊者曰く、人は定を習ふにあらず、定、人を習ふが故なり、當に其の來る時、其の定は誰か習ふ。彼曰く、淨明珠の如く、内外翳なし、定若し通達せば、必ず當に此の如くなるべし。師曰く、定若し通達せば、一ただ明珠に似たり、今仁者を見るに、珠の類にあらず。彼曰く、其の珠明徹にして、内外俱に定なり、我が心亂れざるは、此の淨に似たり。師曰く、其の珠に内外なし、仁者何を以てか定せん、穢物は動揺にあらず、此の定は淨にあらず。達磨達、尊者の開悟を承けて、心地朗然たり。尊者、既に五衆を攝受し、名遐邇に聞ゆ、纔かに法嗣を求む。一の長者に遇ふ、其子を引きて尊者に問ふ、此の子、名を斯多と曰ひ、生まれて左の手を拳り、既に長大するも終始舒開すること能はず、願はくは尊者、其の宿因を開示せん。尊者、見て即ち手を以て接げて曰く、我が珠を還し來るべし。童子、即ち手を開きて珠を奉る。衆皆驚異す。尊者曰く、我、前報に僧と爲り、童子ありて名を婆舍と曰ふ、我、曾て西海の齋に赴きて、䞋珠を彼に付せり、今我が珠を還すは理の當然なり。長者、乃ち其子を捨てて出家せしむ。尊者、即ち與に受具し、以前の緣の故に、名を婆舍斯多と曰ふ。尊者、即ち彼に謂ひて曰く、我が師、密かに懸記有りて、難に遭ふこと久しからず、如來の正法眼藏、今轉じて汝に付す、汝當に保護して來際に普く潤すべし。偈に曰く、

正說知見時知見俱是心

正に知見を説く時、知見は皆是心なり、

當心即知見知見即於今

當に此の心即ち知見、知見は即ち于今に在り。

尊者說偈已。以僧伽梨衣密付斯多。俾之他國隨機演化。斯多受教直抵南天。尊者以難不可苟免獨留罽賓。時本國有外道二人。一名摩目多。二名都落遮。學諸幻法欲共謀亂。乃盜為釋子形象。潛入王宮。且曰。不成即罪歸佛子。妖既自作禍亦旋踵。事既敗。王果怒曰。吾素歸心三寶。何乃搆害一至於斯。即命破毀伽藍祛除釋眾。又自秉劍至尊者所。問曰。師得蘊空否。尊者曰。已得蘊空。曰離生死否。尊者曰。已離生死。曰既離生死可施我頭。尊者曰。身非我有何悋於頭。王即揮刃斷尊者首。湧白乳高數尺。王之右臂旋亦墮地。七日而終。太子光首歎曰。我父何故自取其禍。時有象白山仙人者。深明因果。即為光首廣宣宿因解其疑網(事具聖胄集及寶林傳)遂以師子尊者報體而建塔焉。當魏齊王二十年己卯歲也(當作高貴鄉公六年。蓋齊王芳立十五年而廢矣。正宗記雲。寶林傳誤作己卯。當是齊王芳丁卯歲也。然則乃是八年也)。師子尊者付婆舍斯多心法信衣為正嗣。外傍出達磨達四世二十二師。

尊者、偈を説き訖りて、僧伽梨衣を密かに斯多に付して、他國に至りて隨機演化せしむ。斯多、教を受けて直に南天に抵る。尊者、難苟も免るべからざるを以て、獨り罽賓に留る。時に本國に外道二人あり、一の名は摩目多、二の名は都落遮、諸の幻法を學びて、共に亂を謀らんと欲す、乃ち竊かに釋子の形儀を装ひて、王宮に潛入し、且つ曰く、成らずんば、罪は佛子に歸せん、妖既に自作せり、禍亦隨ひて至れり、事既に敗露せり、王果して怒りて曰く、我、素より三寶に歸心す、何ぞ構害此の地步に至らん、即ち令を下して伽藍を破毀し、釋衆を祛除す、又自ら劍を持ちて尊者の所に至り、問ふ、師、蘊空を得たりや。尊者曰く、已に蘊空を得たり。問ふ、生死を離れたりや。尊者曰く、已に生死を離れたり。問ふ、既に生死を離れば、頭を我に與ふることを得んや。尊者曰く、身は我の有にあらず、頭に對し何ぞ吝かならん。王、即ち刃を揮りて尊者の頭を斷つ、白乳を涌出す、高さ數尺。王の右臂、隨ひて亦地に堕ち、七日にして薨ず。太子光首、歎じて曰く、我が父、何故に自ら禍を取る。時に象白山仙人あり、深く因果を明め、便ち光首の爲に宿因を廣宣して、其の疑網を解く(事迹は詳しく《聖胄集》及び《寶林傳》に見ゆ)、於是乎師子尊者の報體を以て塔を建てり。正に魏齊王二十年己卯の歳に當たる(當に高貴鄉公六年と作るべし、齊王芳は位に在ること十五年にして廢せられればなり。《正宗記》に云く、《寶林傳》誤りて己卯と作す、當に齊王芳丁卯の歳とすべし、然らば即ち八年なり)。師子尊者、心法・信衣を婆舍斯多に付して正嗣と爲し、別に旁出して達磨達四世二十二師あり。

第二十五祖婆舍斯多者。罽賓國人也。姓婆羅門。父寂行。母常安樂。初母夢得神劍。因而有孕。既誕拳左手遇師子尊者。顯發宿因密受心印。後適南天至中印度。彼國王名迦勝。設禮供養。時有外道號無我尊。先為王禮重。嫉祖之至欲與論義。幸而勝之以固其事。乃於王前謂祖曰。我解默論不假言說。祖曰。孰知勝負。曰不爭勝負但取其義。祖曰。汝以何為義。曰無心為義。祖曰。汝既無心安得義乎。曰我說無心當名非義。祖曰。汝說無心當名非義。我說非心當義非名。曰當義非名誰能辨義。祖曰。汝名非義此名何名。曰為辨非義是名無名。祖曰。名既非名義亦非義。辨者是誰。當辨何物。如是往返五十九翻。外道杜口信伏。於時祖忽然面北合掌長籲曰。我師師子尊者。今日遇難斯可傷焉。即辭王南邁達於南天潛隱山谷。時彼國王名天德。迎請供養。王有二子。一兇暴而色力充盛。一柔和而長嬰疾苦。祖乃為陳因果。王即頓釋所疑。又有呪術師忌祖之道。乃潛置毒藥於飲食中。祖知而食之。彼返受禍。遂投祖出家。祖即與受具。後六十載太子得勝即位。復信外道致難於祖。太子不如密多以進諫被囚。王遽問祖曰。予國素絕妖訛。師所傳者當是何宗。祖曰。王國昔來實無邪法。我所得者即是佛宗。王曰。佛滅已千二百載。師從誰得耶。祖曰。飲光大士親受佛印。展轉至二十四世師子尊者。我從彼得。王曰。予聞。師子比丘不能免於刑戮。何能傳法後人。祖曰。我師難未起時。密授我信衣法偈以顯師承。王曰。其衣何在。祖即於囊中出衣示王。王命焚之。五色相鮮薪盡如故。王即追悔致禮師子。真嗣既明乃赦太子。太子遂求出家。祖問太子曰。汝欲出家當為何事。曰我若出家不為其事。祖曰。不為何事。曰不為俗事祖曰。當為何事。曰當為佛事。祖曰。太子智慧天至必諸聖降跡。即許出家。六年侍奉。

第二十五祖婆舍斯多は、罽賓國の人なり。姓は婆羅門。父の名は寂行、母の名は常安樂。初め母、神劍を得るを夢み、因りて孕有り。诞生して左の手を拳り、師子尊者に遇ひて宿因を顯發し、密かに心印を受く。後に南天に往きて中印度に至る。彼の國王、名を迦勝と曰ひ、禮を設けて供養す。時に外道ありて自ら無我尊と稱し、先だって王に禮重せられ、祖の至るを嫉み、彼と論義して勝を冀りて其の事を鞏めんと欲す、即ち王前に祖に謂ひて曰く、我、默論を解して言説を假らず。祖曰く、孰か勝負を知る。曰く、勝負を争はず、但其の義を取るのみ。祖曰く、汝、何を以て義と爲す。曰く、無心を以て義と爲す。祖曰く、汝既に心無ければ、安んぞ義を得ん。曰く、我、無心と説くは當に非義と名づくべし。祖曰く、汝、無心と説くは當に非義と名づくべし、我、非心と説くは當に義にして名にあらずとすべし。曰く、當に義にして名にあらざれば、誰か義を辨ぜん。祖曰く、汝の名は義にあらず、此の名は何の名ぞ。曰く、非義を辨ぜんが爲に、此の名は名無し。祖曰く、名既に名にあらずんば、義亦義にあらず、辨ずるは誰ぞ、當に何物を辨ずべき。是の如く往復五十九番、外道、口を閉ぢて信服す。時に祖、忽ち面を北に向かへ合掌して長歎して曰く、我が師師子尊者、今日難に遇ふ、何ぞ傷まん。即ち王に辭して南行し、南天に到りて山谷に潛隱す。時に彼の國王、名を天德と曰ひ、迎へ請ひて供養す。王に二子あり、一は凶暴にして色力充盛、一は柔和にして長年疾病苦痛す。祖、乃ち爲に因果を陳述す、王、即ち頓に疑ふ所を消除す。又咒術師ありて祖の道を忌み、即ち毒藥を飮食の中に暗に置く、祖、知りて亦食す、彼人、却て禍を受け、乃ち祖に投じて出家す。祖、即ち與に受具す。後六十年、太子得勝、位に即き、又外道を信じて祖に難を發す。太子不如密多、諫を進めたるが爲に囚はる。王、卒然として祖に問ふ、我が國、素より妖訛を杜絕す、師の傳ふる所は當に何の宗ぞ。祖曰く、王國、從來實に邪法無し、我の得る所は即ち佛宗なり。王曰く、佛滅して已に一千二百載、師、誰よりか得たる。祖曰く、飮光大士、親しく佛印を受けて、展轉して二十四世師子尊者に至る、我、彼より得たり。王曰く、我、聞く、師子比丘は刑戮を免れず、何を以てか後人に傳法せん。祖曰く、我が師、難未だ起こらざる時、密かに我に信衣・法偈を授けて師承を顯明せり。王曰く、其の衣安んぞ在る。祖、即ち囊中より衣を出だして王に示す。王、命じて焚かしむ、五色相鮮にして、薪盡きて衣は本の如し。王、即ち追悔して師子に禮を致す。眞嗣既に明らかなり、即ち太子を赦す。太子、乃ち出家を求む。祖、太子に問ふ、汝、出家せんと欲す、當に何の事をか爲さん。曰く、我若し出家せば、彼の事を爲さず。祖曰く、彼の事を爲さずとは。曰く、俗事を爲さず。祖曰く、當に何の事を爲すべき。曰く、當に佛事を爲すべし。祖曰く、太子、智慧天至、必是れ諸聖の降跡ならん。即ち出家を許す。六年侍奉す。

後於王宮受具羯磨之際。大地震動頗多靈異。祖乃命之曰。吾已衰朽安可久留。汝當善護正法眼藏普濟群有。聽吾偈曰。

後に王宮に於て受具し、羯磨する時、大地震動して靈異甚だ多し。祖、乃ち彼に吩咐して曰く、我、已に衰朽せり、何を以てか久しく留まらん、汝當に正法眼藏を善護して群有に普濟すべし。我が偈を聽け。

聖人說知見當境無是非

聖人、知見を説きて、當に境界は非無し、

我今悟真性無道亦無理

我、今眞性を悟る、道なく、亦理なし。

不如密多聞偈再啟祖曰。法衣宜可傳授。祖曰。此衣為難故假以證明。汝身無難何假其衣。化被十方人自信向。不如密多聞語作禮而退。祖現於神變化三昧火自焚。平地舍利可高一尺。得勝王創浮圖而秘之。當東晉明帝太寧三年乙酉歲也。

不如密多、偈を聞き訖りて、復祖に啓請す、法衣當に傳授すべし。祖曰く、此の衣は難有るが故に假りて證と爲せしなり、汝、身に難なければ、何ぞ須らく此の衣を假らん、十方に教化普く行はれば、人自ら信向せん。不如密多、言を聞きて禮を作して退く。祖、神變を現出して三昧火を化して自焚す。平地舍利、約高さ一尺。得勝王、浮圖を創建して祕藏す。正に東晉明帝太寧三年乙酉の歳に當たる。

第二十六祖不如密多者。南印度得勝王之太子也。既受度得法至東印度。彼王名堅固。奉外道師長爪梵志。暨尊者將至。王與梵志同覩白氣貫於上下。王曰。斯何瑞也。梵志預知尊者入境。恐王遷善乃曰。此是魔來之兆耳。何瑞之有。即鳩諸徒眾議曰。不如蜜多將入都城。誰能挫之。弟子曰。我等各有呪術。可以動天地入水火。何患哉。尊者至先見宮牆有黑氣。乃曰。小難耳。直詣王所。王曰。師來何為。尊者曰。將度眾生。曰以何法度。尊者曰。各以其類度之。時梵志聞言不勝其怒。即以幻法化大山於尊者頂上。尊者指之忽在彼眾頭上。梵志等怖懼投尊者。尊者愍其愚惑。再指之化山隨滅。乃為王演說法要俾趣真乘。又謂王曰此國當有聖人而繼於我。是時有婆羅門子。年二十許。幼失父母。不知名氏。或自言瓔珞。故人謂之瓔珞童子遊行閭裡匃求度日。若常不輕之類。人問汝何行急。即答雲。汝何行慢。或問何姓。乃曰。與汝同姓。莫知其故。後王與尊者同車而出。見瓔珞童子稽首於前。尊者曰。汝憶往事否。曰我念遠劫中與師同居。師演摩訶般若。我轉甚深修多羅。今日之事蓋契昔因。尊者又謂王曰。此童子非他。即大勢至菩薩是也。此聖之後復出二人。一人化南印度。一人緣在震旦。四五年內卻返此方。遂以昔因故名般若多羅付法眼藏。偈曰。

第二十六祖不如密多は、南印度得勝王の太子なり。既に度を受け法を得て、東印度に至る。彼の國王、名を堅固と曰ひ、外道師長爪梵志を奉ず。尊者の將に至らんとするに及び、王、梵志と俱に白氣の上下を貫くを見る。王曰く、此れ何の瑞ぞ。梵志、預め尊者の入境を知りて、王の善に遷らんことを恐れ、即ち曰く、此れ魔の來るの兆のみ、何の瑞か有らん、即ち諸の徒衆を糾集して議して曰く、不如蜜多、將に都城に入らんとす、誰か彼を挫敗せん。弟子曰く、我ら各各咒術あり、天地を動かし水火に入るべし、何か虞れん。尊者至り、先だって宮牆に黑氣あるを見て、即ち曰く、小難のみ。直に王の所に至る。王曰く、師、來りて何をか爲さん。尊者曰く、將に衆生を度せんと。問ふ、何の法を以て度する。尊者曰く、各々其の類に按じて度す。時に梵志、言を聞きて怒りに勝へず、即ち幻法を以て尊者の頂上に大山を化出す。尊者、一たび指せば、忽ち彼らが衆人の頭上に至る。梵志等、怖懼して尊者に投ず。尊者、其の愚惑を憫みて、再び指せば、化山隨ひて滅去す。於是乎王の爲に法要を演説して、眞乘に趣向せしむ。又王に謂ひて曰く、此の國に當に聖人ありて我を繼がん。此の時婆羅門の子あり、年二十許にして、幼にして父母を失ひ、名氏を知らず、或は自ら瓔珞と言ふ、故に人、彼を瓔珞童子と喚び、里巷を游行して求乞して日を度る、常不輕の類の如し。人問ふ、汝、何故に行くこと急なる。即ち答曰く、汝、何故に行くこと慢なる。或は何の姓かと問へば、即ち曰く、汝と同じ姓なり。其の故を知る人莫し。後に王、尊者と同車して出づ、瓔珞童子の前に稽首するを見る。尊者曰く、汝、往事を記憶せるか。曰く、我、念ふ、遠劫中に師と同住せり、師、摩訶般若を演じ、我、甚深の修多羅を轉じたり、今日の事、正に昔因に契合せり。尊者、又王に謂ひて曰く、此の童子は他にあらず、即ち大勢至菩薩なり、此の聖の後に復出でて兩人あり、一は南印度を教化し、一は震旦に因縁あり、四五年の内、此の方に却返せん。於是乎昔因を以て、名を般若多羅と曰ひ、法眼藏を付す。偈に曰く、

真性心地藏無頭亦無尾

眞性は心地の藏、頭なく、亦尾なし、

應緣而化物方便呼為智

縁に應じて物を化す、方便名づけて智と曰ふ。

尊者付法已。即辭王曰。吾化緣已終當歸寂滅。願王於最上乘無忘外護。即還本坐跏趺而逝。化火自焚。王收舍利塔而瘞之。當東晉孝武帝太元十三年戊子歲也。

尊者、法を付し畢りて、即ち王に辭して曰く、我、化縁已に終れり、當に寂滅に歸すべし、願はくは王、最上乘に對して外護を忘るること勿れ。即ち本座に回りて結跏趺して逝す、化火自焚す。王、舍利を收め、塔を建てて埋藏す。正に東晉孝武帝太元十三年戊子の歳に當たる。

第二十七祖般若多羅者。東印度人也。既得法已。行化至南印度。彼王名香至。崇奉佛乘尊重供養度越倫等。又施無價寶珠。時王有三子。其季開士也。尊者欲試其所得。乃以所施珠問三王子曰。此珠圓明有能及此否。第一子目淨多羅。第二子功德多羅。皆曰。此珠七寶中尊固無踰也。非尊者道力孰能受之。第三子菩提多羅曰。此是世寶未足為上。於諸寶中法寶為上。此是世光未足為上。於諸光中智光為上。此是世明未足為上。於諸明中心明為上。此珠光明不能自照。要假智光光辯於此。既辯此已即知是珠。既知是珠即明其寶。若明其寶寶不自寶。若辯其珠珠不自珠。珠不自珠者。要假智珠而辯世珠。寶不自寶者。要假智寶以明法寶。然則師有其道其寶即現。眾生有道心寶亦然。尊者歎其辯慧。乃復問曰。於諸物中何物無相。曰。於諸物中不起無相。又問。於諸物中何物最高。曰於諸物中人我最高。又問。於諸物中何物最大。曰於諸物中法性最大。尊者知是法嗣。以時尚未至且默而混之。及香至王厭世眾皆號絕。唯第三子菩提多羅。於柩前入定。經七日而出。乃求出家。既受具戒。尊者告曰。如來以正法眼付大迦葉。如是展轉乃至於我。我今囑汝。聽吾偈曰。

第二十七祖般若多羅は、東印度の人なり。既に法を得て、行化して南印度に至る。彼の國王、名を香至と曰ひ、佛乘を崇奉して尊重供養し、同列を超過し、又無價の寶珠を施與す。時に王に三子あり、最も少なきは開士なり。尊者、彼らの得る所を試みんと欲して、即ち施せる所の珠を持ちて三王子に問ふ、此の珠は圓明にして、能比ふる者あるか。第一子目淨多羅・第二子功德多羅、皆曰く、此の珠は七寶の中に最尊なり、固より超ふ能くする者なし、尊者の道力にあらずんば、誰か能く受けん。第三子菩提多羅曰く、此是れ世寶にして上と爲すに足らず、諸寶の中、法寶を上と爲す、此是れ世光にして上と爲すに足らず、諸光の中、智光を上と爲す、此是れ世明にして上と爲すに足らず、諸明の中、心明を上と爲す、此の珠の光明、自ら照らすこと能はず、智光を假りて乃ち此に於て辨明せんことを要す、既に此を辨明せば、即ち是れ珠を知り、既に是れ珠を知れば、即ち明らかに其の寶を知る、若し其の寶を明らかにせば、寶は自ら寶と爲さず、若し其の珠を辨明せば、珠は自ら珠と爲さず、珠、自ら珠と爲さざるは、要するに智珠を假りて世珠を辨ず、寶、自ら寶と爲さざるは、要するに智寶を假りて法寶を明す、然らば即ち師、其の道有らば、其の寶現ず、衆生に道有れば、心寶亦復然り。尊者、其の辯慧を讚歎して、又問ふ、諸物の中に於て、何物か相無き。曰く、諸物の中に於て、起こらざるは相無し。又問ふ、諸物の中に於て、何物か最高なる。曰く、諸物の中に於て、人我最高なり。又問ふ、諸物の中に於て、何物か最大なる。曰く、諸物の中に於て、法性最大なり。尊者、其の法嗣たるを知り、時未だ至らざるを以て、且く默し混過す。香至王、世を厭去するに及び、衆皆號哭して氣絕す、唯第三子菩提多羅、柩前に入定し、七日を經て方に出づ、乃ち出家を求む。既に具戒を受け、尊者、之に告げて曰く、如來、正法眼を大迦葉に付して、是の如く展轉して我に至る、我、今汝に囑累す。我が偈を聽け。

心地生諸種因事復生理

心地、諸種を生じ、事に因りて又理を生ず、

果滿菩提圓華開世界起

果滿菩提圓にして、花開きて世界起こる。

尊者付法已。即於坐上起立。舒左右手各放光明。二十七道五色光耀。又踴身虛空。高七多羅樹。化火自焚空中舍利如雨收以建塔。當宋孝武帝大明元年丁酉歲也(正宗記雲。宋孝武之世也。又注云。以達磨六十七年算之。當在宋孝武建元元年甲午也)。

尊者、法を付し畢りて、即ち座上に起立し、左右の手を舒開して各々光明を放つ、二十七道の五色、光曜せり。又身を踴りて虛空に至り、高さ七の多羅樹、化火自焚す。空中、舍利雨の如し、收めて塔を建つ。正に宋孝武帝大明元年丁酉の歳に當たる。(《正宗記》に云く、宋孝武の世なり。又注、達磨の六十七年を以て推算すれば、當に宋孝武建元元年甲午に在るべし。)

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