景德傳燈錄 卷第二
廖居士
廖居士
華閑居士復出一人曇邃
華閒居士また出す一人:曇邃
曇邃復出三人一延陵慧簡
曇邃また出す三人:一是延陵慧簡
二彭城慧瑳
二是彭城慧瑳
三定林寺慧綱
三是定林寺慧綱
慧綱復出一人六合大覺
慧綱また出す一人:六合大覺
大覺復出一人高郵曇影
大覺また出す一人:高郵曇影
曇影復出一人太山明練
曇影また出す一人:太山明練
明練復出一人揚州靜泰
明練また出す一人:揚州靜泰
(已上一十四人無機緣語句不錄)
(以上一十四人機縁の語句なし、収録せず)
第三十祖僧璨大師
第三十祖僧璨大師
第三十一祖道信大師(旁出七十六人見第四卷)
第三十一祖道信大師(旁出七十六人、第四巻を見よ)
第三十二祖弘忍大師(旁出一百七人見第四卷)
第三十二祖弘忍大師(旁出一百零七人、第四巻を見よ)
第二十八祖菩提達磨者。南天竺國香至王第三子也。姓剎帝利。本名菩提多羅。後遇二十七祖般若多羅。至本國受王供養。知師密跡。因試令與二兄辨所施寶珠。發明心要。既而尊者謂曰。汝於諸法已得通量。夫達磨者通大之義也。宜名達磨。因改號菩提達磨。師乃告尊者曰。我既得法。當往何國而作佛事。願垂開示。尊者曰。汝雖得法未可遠遊。且止南天待吾滅後六十七載。當往震旦設大法藥直接上根。慎勿速行衰於日下。師又曰。彼有大士堪為法器否。千載之下有留難否。尊者曰。汝所化之方獲菩提者不可勝數。吾滅後六十餘年彼國有難。水中文布自善降之。汝至時南方勿住。彼唯好有為功業不見佛理。汝縱到彼亦不可久留。聽吾偈曰。
第二十八祖菩提達磨は、南天竺國香至王の第三子なり。姓は刹帝利。本名は菩提多羅。後に二十七祖般若多羅の本國に來りて王の供養を受くるに遇ひ、師の密迹を知り、因りて試みに彼をして兩兄と施せる所の寶珠を辨ぜしめて、心要を發明す。隨ひて尊者、彼に謂ひて曰く、汝、諸法に於て已に通量を得たり、達磨とは通大の義なり、宜しく名づけて達磨と曰ふべし、因りて號を菩提達磨と改む。師、乃ち尊者に告げて曰く、我、既に法を得たり、當に何の國にか往きて佛事を作さん、願はくは開示を垂れん。尊者曰く、汝、法を得たりと雖も、未だ遠遊すべからず、且く南天に留まりて、我が滅後六十七年を俟ち、當に震旦に往きて大法藥を設け、直に上根に接すべし、切に速行すること勿れ、日下に衰へん。師又曰く、彼に大士ありて堪へて法器と爲るか、千載の下、留難あるか。尊者曰く、汝の教化する所は菩提を獲る者勝げて數ふべからず、我が滅後六十餘年、彼の國に難あり、水中文布、自ら善く之を降す、汝の到る時、南方に住するなかれ、彼、唯有爲功業を好みて佛理を見ず、汝縱ほ彼に至ると雖も、亦久しく留まるべからず、我が偈を聽け。
路行跨水復逢羊獨自悽悽暗度江
路上行くとき、水を跨ぎて又羊に逢ひ、獨り凄凄として暗暗に渡江す、
日下可憐雙象馬二株嫩桂久昌昌
日下、あはれなるかな一雙の象馬、兩株の嫩桂は長久に昌昌たり。
復演八偈。皆預讖佛教隆替(事具寶林傳及聖胄集)師恭稟教義。服勤左右垂四十年未嘗廢闕。逮尊者順世。遂演化本國。時有二師。一名佛大先。一名佛大勝多。本與師同學佛陀跋陀小乘禪觀。佛大先既遇般若多羅尊者。捨小趣大與師並化。時號二甘露門矣。而佛大勝多更分途而為六宗。第一有相宗。第二無相宗。第三定慧宗。第四戒行宗。第五無得宗。第六寂靜宗。各封己解別展化源。聚落崢嶸徒眾甚盛。大師喟然而歎曰。彼之一師已陷牛跡。況復支離繁盛而分六宗。我若不除永纏邪見。言已。微現神力至第一有相宗所。問曰。一切諸法何名實相。彼眾中有一尊長薩婆羅。答曰。於諸相中不互諸相。是名實相。師曰。一切諸相而不互者。若名實相當何定耶。彼曰。於諸相中實無有定。若定諸相何名為實。師曰。諸相不定便名實相。汝今不定當何得之。彼曰。我言不定不說諸相。當說諸相其義亦然。師曰。汝言不定當為實相。定不定故即非實相。彼曰。定既不定即非實相。知我非故不定不變。師曰。汝今不變何名實相。已變已往其義亦然。彼曰。不變當在。在不在故。故變實相以定其義。師曰。實相不變。變即非實。於有無中何名實相。薩婆羅心知聖師懸解潛達。即以手指虛空曰。此是世間有相。亦能空故。當我此身得似否。師曰。若解實相即見非相。若了非相其色亦然。當於色中不失色體。於非相中不礙有故。若能是解此名實相。彼眾聞已。心意朗然欽禮信受。師又瞥然匿跡。至第二無相宗所。問曰。汝言無相當何證之。彼眾中有智者波羅提。答曰。我明無相心不現故。師曰。汝心不現當何明之。彼曰。我明無相心不取捨。當於明時亦無當者。師曰。於諸有無心不取捨。又無當者諸明無故。彼曰。入佛三昧尚無所得。何況無相而欲知之。師曰。相既不知誰雲有無。尚無所得何名三昧。彼曰。
又八首の偈を演ぶ、皆預め佛教の興衰を讖記せり(事迹は詳しく《寶林傳》及び《聖胄集》に見ゆ)。師、恭敬して教義を禀受し、左右に服勤すること將に四十年、曾て廢缺せず。尊者の順世するに及び、即ち本國に於て演化す。當時兩師あり、一の名は佛大先、一の名は佛大勝多、本來師と一緒に佛陀跋陀の小乘禪觀を學べり。佛大先、既に般若多羅尊者に遇ひて、小を捨て大に趣き、師と並びて化す、當時號して二甘露門と曰ふ。而して佛大勝多、又途を分かちて六宗と爲る、第一有相宗、第二無相宗、第三定慧宗、第四戒行宗、第五無得宗、第六寂靜宗、各々己が理解を封じ閉し、別に化源を展開し、聚落崢嶸として徒衆甚だ盛んなり。大師、喟然として歎じて曰く、彼の一師、已に牛迹に陷れり、況んや又支離繁盛して六宗を分かつや、我若し除かずんば、永く邪見に纏はるるならん。言い訖りて、微微として神力を現じ、第一有相宗の所に至りて問ふ、一切の諸法、何をか實相と謂ふ。其の中に一の尊長薩婆羅ありて答曰く、諸相の中に互ひに諸相せず、名づけて實相と曰ふ。師曰く、一切の諸相にして互はざる、若し實相と名づけば、當に如何なるか定せん。彼曰く、諸相の中に於て實に定無し、若し諸相を定めば、何を以てか實と名づけん。師曰く、諸相定まらず、便ち實相と名づく、汝、今定まらず、當に如何にしてか得ん。彼曰く、我、不定と説きて、諸相を説かず、當に諸相を説かば、其の義亦復是の如し。師曰く、汝、不定と説くは當に實相と爲すべし、定めて又定まらざるが故に、則ち實相にあらず。彼曰く、定、既に定まらざれば、則ち實相にあらず、我が非を知るが故に、不定にして不變なり。師曰く、汝、今變はらず、何を以てか實相と名づく、已に變じ已に往ぬ、其の義亦復是の如し。彼曰く、不變當に在り、在りて又不在の故を以て、故に實相を變じて其の義を定む。師曰く、實相は變ぜず、變ずれば則ち實にあらず、有無の中に在りて、何を以てか實相と名づけん。薩婆羅、心裏聖師の懸解潛達を知りて、即ち手を以て虛空を指して曰く、此れ世間の有相にして、亦能く空なるが故なり、我が此の身に當りて、能く是のごとくなるを得んや。師曰く、若し實相を解すれば、即ち非相を見ん、若し非相に了達せば、色亦復然り、當に色の中に在りて色體を失はず、非相の中に在りて有を礙へざるが故に、若能く是のごとく解せば、此れ名づけて實相と曰ふ。彼の衆人、聞き訖りて心意朗然として、欽禮して信受す。師、又眨眼して迹を匿し、第二無相宗の所に至りて問ふ、汝、無相と云ふ、當に如何にしてか證せん。其の中に智者波羅提ありて答曰く、我、無相を明かむ、心現ぜざるが故なり。師曰く、汝、心現ぜず、當に如何にしてか明らかにせん。彼曰く、我、無相を明かむ、心取捨せず、當に明らかなる時、亦當る者無し。師曰く、諸の有無に於て、心取捨せず、又當る者無ければ、諸の明無きが故なり。彼曰く、佛の三昧に入るも尚ほ所得無し、況んや無相にして之を知らんと欲するをや。師曰く、相既に知らず、誰か有無を説かん、尚ほ所得無ければ、何を以てか三昧と名づけん。彼曰く、
我說不證證無所證。非三昧故我說三昧。師曰。非三昧者何當名之。汝既不證非證何證。波羅提聞師辯析即悟本心。禮謝於師懺悔往謬。師記曰。汝當得果不久證之。此國有魔非久降之。言已忽然不現。至第三定慧宗所。問曰。汝學定慧為一為二。彼眾中有婆蘭陀者。答曰。我此定慧非一非二。師曰。既非一二何名定慧。彼曰。在定非定處慧非慧。一即非一二亦不二。師曰。當一不一當二不二。既非定慧約何定慧。彼曰。不一不二定慧能知。非定非慧亦復然矣。師曰。慧非定故然何知哉。不一不二誰定誰慧。婆蘭陀聞之疑心氷釋。至第四戒行宗所。問曰。何者名戒。云何名行。當此戒行為一為二。彼眾中有一賢者。答曰。一二二一皆彼所生。依教無染此名戒行。師曰。汝言依教即是有染。一二俱破。何言依教。此二違背不及於行。內外非明何名為戒。彼曰。我有內外彼己知竟(淅本己字作已依廣燈也。邵本作無字依寶林也。洪舊本作已字。正宗記作以字。未詳孰是)。既得通達便是戒行。若說違背俱是俱非。言及清淨即戒即行。師曰。俱是俱非何言清淨。既得通故何談內外。賢者聞之即自慚服。至第五無得宗所。問曰。汝雲無得無得何得。既無所得亦無得得。彼眾中有寶靜者。答曰。我說無得非無得得。當說得得無得是得。師曰。得既不得。得亦非得既雲得得。得得何得。彼曰。見得非得。非得是得。若見不得名為得得。師曰。得既非得。得得無得。既無所得。當何得得。寶靜聞之頓除疑網。至第六寂靜宗所。問曰。何名寂靜。於此法中誰靜誰寂。彼有尊者。答曰。此心不動是名為寂。於法無染名之為靜。師曰。本心不寂要假寂靜。本來寂故何用寂靜。彼曰。諸法本空以空空故。於彼空空故名寂靜。師曰。空空已空諸法亦爾。寂靜無相何靜何寂。彼尊者聞師指誨豁然開悟。既而六眾鹹誓歸依。
(彼、接ぎて曰く、)我、不證と説く、證は是れ證する所無し、三昧にあらざるが故に、我、三昧と説く。師曰く、三昧にあらざるは當に何をか稱せん、汝既に證せず、非證にして又何をか證する。波羅提、師の辯析を聞きて、即ち本心を悟り、師に禮謝して以往の謬を懺悔す。師、記して曰く、汝、當に果を得べし、久しからずして證せん、此の國に魔あり、久しからずして降伏せん。言い訖りて忽然として現れず。第三定慧宗の所に至りて問ふ、汝、定慧を學ぶ、一か二か。其の中に婆蘭陀ありて答曰く、我が此の定慧、一にあらず、二にあらず。師曰く、既に一二にあらず、何を以てか定慧と名づく。彼曰く、定に在りて定にあらず、慧に處りて慧にあらず、一なれば即ち一にあらず、二も亦二にあらず。師曰く、當に一にして一ならず、當に二にして二ならず、既に定慧にあらざれば、何を約してか定慧とせん。彼曰く、一ならず二ならず、定慧能く知る、非定非慧、亦復然り。師曰く、慧は定にあらざるが故に、又將た何を以てか知る、一ならず二ならず、誰か定め誰か慧とせん。婆蘭陀、聞きて疑心氷釋す。第四戒行宗の所に至りて問ふ、何をか戒と謂ふ、如何をか行と謂ふ、此の戒行は一か二か。其の中に一の賢者ありて答曰く、一二・二一、皆彼方の生ずる所なり、教に依りて染まず、此れ戒行と名づく。師曰く、汝、教に依ると言ふは、即ち染有り、一二皆破せらる、何を以てか教に依ると云ふ、此の二相違して、行に及ばず、内外明らかならず、何を以てか戒と名づく。彼曰く、我に内外あり、彼方已に知ること畢れり(浙本は「己」の字を「已」と作る、《廣燈》に依る、邵本は「無」の字と作る、《寶林》に依る、洪の舊本は「已」の字と作る、《正宗記》は「以」の字と作る、未だ孰れか是なるを詳かにせず)、既に通達を得たれば、便ち是れ戒行なり、若し違背と言はば、俱に是にして俱に非なり、淸淨と説くに至らば、即ち戒にして即ち行なり。師曰く、俱に是にして俱に非なるは、何を以てか淸淨と説く、既に通を得たるが故に、何ぞ須らく内外を談ぜん。賢者、聞きて即ち自ら慚服す。第五無得宗の所に至りて問ふ、汝、無得と云ふ、無得にして又得るは何ぞ、既に所得無ければ、亦得得無し。其の中に寶靜ありて答曰く、我、無得と説く、並びて是れ無得得にあらず、當に得得を説かば、無得是れ得なり。師曰く、得、既に得ざれば、得も又得にあらず、既に得得と説く、得得にして又得るは何ぞ。彼曰く、得を見るは是れ得にあらず、是れ得は是れ得なり、若し得を見ずんば、名づけて得得と曰ふ。師曰く、得、既に得にあらざれば、得得は無得なり、既に所得無ければ、當に何をか得得とせん。寶靜、聞きて頓に疑網を除く。第六寂靜宗の所に至りて問ふ、何をか寂靜と謂ふ、此の法の中に於て、誰か靜なり誰か寂なる。彼に尊者ありて答曰く、此の心動かず、名づけて寂と曰ふ、法に對して染無し、名づけて靜と曰ふ。師曰く、本心寂ならず、寂静を假ることを要す、本來寂なるが故に、何ぞ須らく寂静を用ゐん。彼曰く、諸法本空なり、空空なるが故に、其の空空に對し、故に名づけて寂靜と曰ふ。師曰く、空空已に空なり、諸法亦復是の如し、寂靜相無し、何が靜にして何が寂なる。其の尊者、師の指誨を聞きて、豁然として開悟す。隨ひて六衆、皆歸依を誓ふ。
由是化被南天聲馳五印。遠近學者靡然嚮風。經六十餘載度無量眾。後值異見王輕毀三寶。每雲。我之祖宗皆信佛道。陷於邪見。壽年不永運祚亦促。且我身是佛何更外求。善惡報應。皆因多智之者。妄搆其說。至於國內。耆舊為前王所奉者。悉從廢黜。師知已。歎彼德薄當何救之。又念無相宗中二首領。其一波羅提者。與王有緣將證其果。其二宗勝者。非不博辯而無宿因。時六宗徒眾亦各念言。佛法有難師何自安。師遙知眾意即彈指應之。六眾聞之雲。此是我師達磨信響。我等宜須速行以副慈命。言已至師所禮拜問訊。師曰。今一葉翳虛孰能剪拂。宗勝曰。我雖淺薄敢憚其行。師曰。汝雖辯慧而道力未全。宗勝自念。我師恐我見王作大佛事。名譽顯達映奪尊威。縱彼福慧為王。我是沙門受佛教旨。豈難敵也。言訖潛去至王所。廣說法要及世界苦樂人天善惡等事。王與之往返徵詰無不詣理。王曰。汝今所解其法何在。宗勝曰。如王治化當合其道。王所有道何在。王曰。我所有道將除邪法。汝所有法將伏何人。師不起於坐懸知宗勝義墮。遽告波羅提曰。宗勝不稟吾教。潛化於王須臾即屈。汝可速救。波羅提恭稟師旨雲。願假神力。言已雲生足下。至王前默然而住。時王正問宗勝。忽見波羅提乘雲而至愕然忘其問答。曰乘空之者是正是邪。答曰。我非邪正而來正邪。王心若正我無邪正。王雖驚異而驕慢方熾。即擯宗勝令出。波羅提曰。王既有道何擯沙門。我雖無解願王致問。王怒而問曰。何者是佛。答曰。見性是佛。王曰。師見性否。答曰。我見佛性。王曰。性在何處。答曰。性在作用。王曰。是何作用我今不見。答曰。今見作用王自不見。王曰。於我有否。答曰。王若作用無有不是。王若不用體亦難見。王曰。若當用時幾處出現。答曰。若出現時當有其八。王曰。其八出現當為我說。波羅提即說偈曰。
此より教化、南天に遍く、聲名五印に馳せ、遠近の學者、紛紜として風に向かふ。六十餘年を經て、無量の衆を度す。後に異見王の三寶を輕毀するに遭ふ、每おもひ曰く、我が祖宗、皆佛道を信じて邪見に陷り、壽年長からず、運祚亦短し、況んや我が身即ち是れ佛なり、何ぞ須らく更に外に求めん、善惡の報應は皆多智の人の妄りに其の説を構作するに因るなりと。國内前王の奉ずる所の耆舊に至るまで、悉く廢黜す。師、知りて其の德薄きを歎じ、將た如何にしてか之を救はん。又念ふ、無相宗中の兩首領、其の一波羅提は、王と縁ありて將に果を證せん、其の二宗勝は、博辯ならざるにあらずと雖も、宿因無かり。當時六宗の徒衆、亦各々念ふ、佛法に難あり、師、何ぞ自ら安穩なると。師、遥かに衆人の意を知りて、便ち彈指して應和す。六衆、聞きて曰く、此れ我が師達磨の信響なり、我等當に速やかに行きて慈命に副ふべし。言い訖りて師の住する所に至りて禮拜問訊す。師曰く、今一葉、虛を翳す、誰か能く剪拂せん。宗勝曰く、我淺薄なりと雖も、豈に此の行を憚らん。師曰く、汝、辯慧なりと雖も、道力未だ全からず。宗勝、自ら念ふ、我が師、我が王を見て大佛事を作し、名譽顯達して尊威を蓋ふを恐る、縱ほ彼、福慧以て王たると雖も、我は沙門にして佛教の旨を受く、豈に敵し難からん。言い訖りて暗に去りて王の所に至り、法要及び世界の苦樂・人天の善惡等の事を廣く説く。王、彼と往復征詰して、理に詣らざること無し。王曰く、汝、今解する所、其の法は何の處に在る。宗勝曰く、王の治國教化するが如く、當に其の道に合すべし、王の所有の道は何の處に在る。王曰く、我が所有の道は、將に邪法を除かんとす、汝の所有の法は、將に何人を降伏せん。師、座より起たずして、遠く宗勝の義堕せんを知り、急ぎ波羅提に告げて曰く、宗勝、我が教を禀受せず、暗に往きて王を化せんとす、片時にして即ち屈せん、汝速やかに救ふべし。波羅提、恭しく師旨を禀けて曰く、願はくは神力を假らん。言い訖りて足下に雲生じ、王前に至りて默然として住す。時に王、正に宗勝に問ふ、忽ち波羅提の雲に乘りて來るを見て、愕然として問答を忘れ、曰く、空に乘る者は正か邪か。答曰く、我は邪正にあらず、而も來りて邪正を正す、王心若し正ならば、我に邪正無し。王、驚異すと雖も、驕慢正に盛んなり、便ち宗勝を擯出す。波羅提曰く、王、既に道有れば、何ぞ須らく沙門を擯せん、我、解無しと雖も、願はくは王發問せよ。王、怒りて問ふ、何者か是れ佛。答曰く、性を見るは是れ佛なり。王曰く、師、性を見たるか。答曰く、我、佛性を見たり。王曰く、性は何の處に在る。答曰く、性は作用に在り。王曰く、是れ何の作用ぞ、我今見ること能はず。答曰く、今作用を見るは、王自ら見ず。王曰く、我に於て有無せんや。答曰く、王若し作用すれば、有るは是れ無し、王若し用ゐざれば、體も亦見難し。王曰く、若し當に用ふるの時、幾處にか出現する。答曰く、若し出現するの時、當に其の八有るべし。王曰く、其の八處の出現、當に我が爲に説け。波羅提、即ち偈を説いて曰く、
在胎為身處世名人在眼曰見
胎に在りては身、世に處して人と名づく、眼に在りては見と曰ひ、
在耳曰聞在鼻辨香在口談論
耳に在りては聞と曰ひ、鼻に在りては香を辨え、口に在りては談論す、
在手執捉在足運奔
手に在りては執捉し、足に在りては運奔す。
遍現俱該沙界收攝在一微塵
遍く現ずれば、俱に沙界に該り、收攝すれば、一微塵に在り。
識者知是佛性不識喚作精魂
識る者は知る、此れ佛性なりと、識らざるは喚びて精魂と曰ふ。
王聞偈已心即開悟。乃悔謝前非諮詢法要。朝夕忘倦。迄於九旬。時宗勝既被斥逐。退藏深山。唸曰。我今百歲八十為非。二十年來方歸佛道。性雖愚昧行絕瑕疵。不能禦難生何如死。言訖即自投崖。俄有一神人以手捧承。置於巖石之上安然無損。宗勝曰。我忝沙門當與正法為主。不能抑絕王非。是以捐身自責。何神祐助一至於斯。願垂一語以保餘年。於是神人乃說偈曰。
王、偈を聞き訖りて、心即ち開悟し、乃ち前非を悔謝し、法要を諮詢し、朝夕倦を忘れて九十日に至る。當時宗勝、既に斥逐せられ、深山に退藏して念ふ、我今百歳、八十年は非を作し、二十年來纔かに佛道に歸せり、性愚昧なりと雖も、行に瑕疵無し、此の難に抵禦する能はざれば、生けるは死せるに如かずと。言い訖りて自ら崖に投ず。忽然として一の神人あり、手を以て捧接して岩石の上に置く、安然として傷無し。宗勝曰く、我、忝くも沙門と爲り、當に正法と主を作し、王の非を抑絶する能はず、因りて身を捐して自責す、何の神の祐助か此の地步に至る、願はくは一語を垂れて以て殘年を保たん。於是乎神人、即ち偈を説いて曰く、
師壽於百歲八十而造非
師の壽百歳に在り、八十歳にして却て非を造り、
為近至尊故燻修而入道
至尊に近づくの故を以て、薰修して道に入る、
雖具少智慧而多有彼我
少許の智慧を具有すと雖も、彼我多し、
所見諸賢等未嘗生珍敬
見る所の諸賢等、曾て珍敬を生ぜず、
二十年功德其心未恬靜
二十年の功德、其の心未だ恬靜ならず、
聰明輕慢故而獲至於此
聰明輕慢の故に、而して此の地步に落つ、
得王不敬者當感果如是
王の敬はざるを得たるは、當に果を感じて是の如く、
自今不疎怠不久成奇智
今より怠らざれば、久しからずして奇智を成就せん、
諸聖悉存心如來亦復爾
諸聖、心裏に存せり、如來亦復是の如し。
宗勝聞偈欣然。即於巖間宴坐。時異見王復問波羅提曰。仁者智辯當師何人。答曰。我所出家。即娑羅寺烏沙婆三藏為授業師。其出世師者即大王叔菩提達磨是也。王聞師名驚駭久之。曰。鄙薄忝嗣王位。而趣邪背正忘我尊叔。遽勅近臣特加迎請。師即隨使而至。為王懺悔往非。王聞規誡泣謝於師。又詔宗勝歸國。大臣奏曰。宗勝被謫投崖。今已亡矣。王告師曰。宗勝之死皆自於吾。如何大慈令免斯罪。師曰。宗勝今在巖間宴息。但遣使召當即至矣。王即遣使入山果見宗勝端居禪寂。宗勝蒙召乃曰。深媿王意。貧道誓處巖泉。且王國賢德如林。達磨是王之叔。六眾所師。波羅提法中龍象。願王崇仰二聖以福皇基。使者復命。未至師謂王曰。知取得宗勝否。王曰。未知。師曰。一請未至。再命必來。良久使還果如師語。師遂辭王曰。當善修德不久疾作。吾且去矣。經七日王乃得疾。國醫診治有加無瘳。貴戚近臣憶師前記。急發使告師曰。王疾殆至彌留。願叔慈悲遠來軫救。師即至王所慰問其疾。時宗勝再承王召。即別巖間。波羅提久受王恩亦來問疾。波羅提曰。當何施為令王免苦。師即令太子為王宥罪施恩崇奉僧寶。復為王懺悔雲。願罪消滅。如是者三。王疾有間。師心念。震旦緣熟行化時至。乃先辭祖塔。次別同學。然至王所慰而勉之曰。當勤修白業護持三寶。吾去非晚一九即迴。王聞師言涕淚交集。曰此國何罪彼土何祥。叔既有緣非吾所止。唯願不忘父母之國。事畢早回。王即具大舟實以眾寶。躬率臣寮送至海壖。師汎重溟凡三週寒暑達於南海。實梁普通八年丁未歲九月二十一日也。廣州刺史蕭昂具主禮迎接。表聞武帝。帝覽奏遣使齎詔迎請。十月一日至金陵(嵩禪師以梁僧寶唱續法記為據作正宗記言。達磨以梁武普通元年庚子歲至此土。其年乃後魏明帝正光元年也。若如此則與後入滅啟壙等年皆相合。
宗勝、偈を聞き訖りて、欣然として即ち巖間に宴坐す。當時異見王、又波羅提に問ふ、仁者智辯なり、當に誰を以て師と爲さん。答曰く、我の出家する所は即ち娑羅寺烏沙婆三藏を授業師と爲し、其の出世の師は即ち大王の叔父菩提達磨なり。王、師の名を聞きて、驚駭すること良久にして曰く、鄙薄、忝くも王位を嗣ぐも、却て邪に趣き正に背きて、我が尊き叔父を忘れたり、急ぎ近臣に敕して特に迎請を加へしむ。師、即ち使に隨ひて來り、王の爲に以往の非を懺悔せしむ。王、規誡を聞きて、師に泣謝す。又宗勝を詔して國に歸らしむ。大臣奏して曰く、宗勝、謫せられて崖に投げられ、如今已に亡し。王、師に告げて曰く、宗勝の死は皆我に由る、何の大慈か我をして此の罪を免れしめん。師曰く、宗勝、今巖間に宴息せり、但使を遣はして召さば、當に即ち至らん。王、隨ひて使を遣はして山に入らしむ、果して宗勝の端居禪寂するを見る。宗勝、召を蒙りて即ち曰く、深く王意を愧る、貧道は誓ひて巖泉に居らん、況んや王國、賢德林の如く、達磨は王の叔父にして六衆の師たり、波羅提は法中の龍象なり、願はくは王、二聖を崇仰して以て皇基に福あれと。使者、復命せんとして未だ至らざるに、師、王に對して曰く、知るか、宗勝を取得せりや。王曰く、未だ知らず。師曰く、一請して至らざれば、再び命ずれば必ず來らん。良久にして使者歸りて、果して師の説の如し。師、乃ち王に辭して曰く、當に善く德を修むべし、久しからずして疾病發作せん、我且く去らん。七日を踰えて王、果して病を得、國醫診治するも、増すことあれど瘳ゆることなし。貴戚近臣、師の先の記を思ひて、急ぎ使を發して師に告ぐ、王の病、將に彌留ならんとす、願はくは叔父、慈悲にて遠く來りて軫救せんと。師、即ち王の所に至りて其の疾を慰問す。時に宗勝、再び王の召を承けて、即ち巖間に告別し、波羅提、久しく王の恩を受けて亦來りて疾を問ふ。波羅提曰く、當に如何に施爲して王をして苦を免れしめん。師、即ち太子をして王の爲に宥罪して恩を施さしめ、僧寶を崇奉せしめ、又王の爲に懺悔して曰く、願はくは罪消滅せんと、是の如く三返して王の病轉好あり。師、心裏念ふ、震旦縁熟せり、行化の時至れり、乃ち先ず祖塔に辭し、次に同學に別れ、然る後王の所に至りて慰勉して曰く、當に勤めて白業を修して三寶を護持すべし、我、去りて久しからずして一九に回らん。王、師の言を聞きて、涕淚交集まりて曰く、此の國、何の罪か有り、彼の土、何の祥か有る、叔父既に緣有り、我の留めん能くする所にあらず、唯願はくは父母の國を忘るること勿れ、事畢りて早く回らんと。王、隨ひて大船を備へて衆寶を裝滿し、親しく臣僚を率ゐて海邊に送る。師、重溟を渡りて、凡そ三の寒暑、南海に到る、實に梁の普通八年丁未の歳九月二十一日なり。廣州刺史蕭昂、主禮を備へて迎接し、表を上げて武帝に奏聞す。帝、奏を覽じて使を遣はして詔を賚り迎請す。十月一日、金陵に到る。(嵩禪師、梁僧寶唱の《續法記》を以て據と爲して《正宗記》を作り、達磨は梁武普通元年庚子の歳に此の土に到ると云ふ、其の年即ち後魏明帝正光元年なり、若し然らば、則ち後の入滅・開墓等の年と皆相合せり。
若據此稱。普通八年丁未歲九月二十一日至南海。十月一日至金陵則甚誤也。蓋普通八年三月已改為大通元年。則九月不應尚稱普通八年也。南海者今廣州也。去金陵數千里。刺史奏聞而武帝詔迎。豈可十日之間便至金陵耶。又按南史蕭昂本傳。不言昂為廣州刺史。但王茂傳末有廣州長史蕭昂。然不知何年在任。今止可雲○達於南海實梁普通元年。廣州刺史具主禮迎接。表聞武帝。帝覽奏遣使齎詔迎請。十月一日至金陵)。帝問曰。朕即位已來。造寺寫經度僧不可勝紀。有何功德。師曰。並無功德。帝曰。何以無功德。師曰。此但人天小果有漏之因。如影隨形雖有非實。帝曰。如何是真功德。答曰。淨智妙圓體自空寂。如是功德不以世求。帝又問。如何是聖諦第一義。師曰。廓然無聖。帝曰。對朕者誰。師曰。不識。帝不領悟。師知機不契。是月十九日潛迴(廣燈迴作過字)江北。十一月二十三日屆於洛陽當後魏孝明太和十年也(當雲後魏孝明正光元年也。若據太和十年乃後魏文帝時是年即南齊武帝永明四年丙寅歲也)。寓止於嵩山少林寺。面壁而坐終日默然。人莫之測。謂之壁觀婆羅門。時有僧神光者。曠達之士也。久居伊洛。博覽群書善談玄理。每歎曰。孔老之教禮術風規。莊易之書未盡妙理。近聞。達磨大士住止少林。至人不遙。當造玄境。乃往彼晨夕參承。師常端坐面牆。莫聞誨勵。光自惟曰。昔人求道。敲骨取髓。刺血濟饑。布髮掩泥。投崖飼虎。古尚若此。我又何人。其年十二月九日夜天大雨雪。光堅立不動。遲明積雪過膝。師憫而問曰。汝久立雪中。當求何事。光悲淚曰。惟願和尚慈悲。開甘露門廣度群品。師曰。諸佛無上妙道。曠劫精勤。難行能行非忍而忍。豈以小德小智輕心慢心。欲冀真乘徒勞勤苦。光聞師誨勵。潛取利刀自斷左臂。置於師前。師知是法器。乃曰。
(校記接ぎて曰く、)若し此に説く所に依れば、普通八年丁未の歳九月二十一日南海に到り、十月一日金陵に到るとは、甚だ錯なり、普通八年三月已に大通元年に改まれば、即ち九月は尚ほ普通八年と稱すべからず、南海は即ち今の廣州にして金陵を距ること數千里、刺史奏聞して武帝詔迎す、十天の間に何を以てか金陵に至ることを得ん、又《南史·蕭昂本傳》に按ずるに、昂の廣州刺史を作すと云はず、只《王茂傳》の末に廣州長史蕭昂有るのみ、而も何の年に任に在るを知らず、今只可く云ふべし、南海に到るは實に梁普通元年なり、廣州刺史、主禮を備へて迎接し、表を上げて武帝に奏聞す、帝、奏を覽じて使を遣はして詔を賚り迎請す、十月一日金陵に到ると。帝問ふ、我即位已來、寺を造り經を寫し僧を度すこと、數へても數へ盡さず、何の功德か有る。師曰く、並びて功德無し。帝曰く、何を以て功德無しと云ふ。師曰く、此れ但人天の小果・有漏の因なり、影の形に隨ふが如く、有りと雖も實ならず。帝曰く、如何なるか是れ眞功德。答曰く、淨智妙圓にして體自ら空寂なり、此の功德は世間を憑りて求めず。帝又問ふ、如何なるか是れ聖諦第一義。師曰く、廓然として聖無し。帝曰く、朕に對する者は誰ぞ。師曰く、識らず。帝、領悟すること能はず。師、機契はざるを知りて、此の月十九日、潜かに回りて(廣燈は「回」を「過」の字と作る)江北に至る。十一月二十三日洛陽に到達す、正に後魏孝明太和十年に當たる(當に後魏孝明正光元年と云ふべし、若し太和十年に依れば乃ち後魏文帝の時なり、其の年即ち南齊武帝永明四年丙寅の歳なり)。嵩山少林寺に寓居して面壁して坐し、終日默然として人測度する能はず、彼を壁觀婆羅門と喚ぶ。當時僧神光ありて、曠達の士なり、久しく伊洛に住し、群書を博覽して玄理を談ずること善し、每歎じて曰く、孔老の教は禮術風規なり、莊易の書は未だ妙理を盡さず、近く達磨大士の少林に住すを聞く、至人遠からず、當に玄境に造詣せん、乃ち彼に往きて晨夕參承す。師、常に端坐面牆して誨勵を聞かず。光、自ら念ふ、古人の道を求むるや、骨を敲きて髓を取り、血を刺して飢を濟ひ、髮を布きて泥を掩ひ、崖に投げて虎に飼はしむ、古尚ほ然り、我は又何人ぞ、其の年十二月九日の夜、天、大雪を雨す、光、堅立不動して天明に及び、積雪膝を過す、師、憫みて問ふ、汝、久しく雪中に立つ、當に何の事をか求むる、光、悲淚して曰く、唯願はくは和尚慈悲、甘露門を開いて群品を廣度せんことを、師曰く、諸佛の無上妙道は、曠劫に精勤して難行能行・非忍而忍なり、豈に小德小智・輕心慢心を憑りて眞乘を冀望せん、徒らに勤苦せんのみ。光、師の誨勵を聞きて、潜かに利刀を取りて左臂を自斷して師前に置く、師、是れ法器と知りて即ち曰く、
