Libo

坎卦

唐 · 李鼎祚 · 第9巻 / 22

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

《序卦》曰:物不可以終過,故受之以坎。坎者,陷也。崔覲曰:大過不可以極,極則過涉滅頂,故曰“物不可以終過,故受之以坎”也。(坎下坎上)。坎:習坎,有孚,唯心亨,行有尚。虞翻曰:乾二五之坤,與離旁通。於爻,觀上之二。習,常也。孚,信,謂二五。水行往來,朝宗於海,不失其時,如月行天,故習坎為孚也。維心亨,虞翻曰:坎為心。乾二五旁行流坤,陰陽會合,故“亨”也。行有尚。虞翻曰:行謂二,尚謂五也。二體震,為行動得正應五,故“行有尚,往有功也”。

《序卦伝》にいう。万物は始終盛に過ぐる能わず。だから《大過》の後に接するは《坎》なり。「坎」はすなわち陥落である。崔覗の説明では、《大過》は極点に推する可からず。極点に到れば便ち上六のごとく水を渉りて深く過ぎて滅頂す。だから「物不可以終過,故受之以坎」。《坎》卦は上下皆坎。卦辞にいう。重重の陥陥の中にあってなお誠信を懐き、ただ内心亨通すれば、行動してこそ人の崇尚を受く。虞翻は卦変と旁通に依って解く。《坎》は乾の二・五の両爻が坤に進入して成れ、《離》卦と旁通す。爻位に就きて言えば、《觀》卦の上爻が第二位に下りたなり。「習」は常習して輟まざるなり、「孚」は誠信で九二と九五を指す。水の流行往來は、終竟大海に朝宗して帰し、従より時を失わず。月の天上に運行するがごとき常有なり。だから重重の坎険は反って誠信を成就す。卦辞に「維心亨」という。虞翻の説明では、坎は心を象徴す。乾の二・五の両爻は旁行して坤に流注し、陰陽會合す。だから「亨」。卦辞に「行有尚」という。虞翻の説明では、「行」は九二を指し、「尚」は九五を指す。九二は震体に属して行動を象徴し、動きて正を得て上に九五に応ず。だから「行有尚,往有功也」。

《彖》曰:習坎,重險也。虞翻曰:兩象也。天險地險,故曰“重險也”。水流而不盈,荀爽曰:陽動陰中,故“流”。陽陷陰中,故“不盈”也。陸績曰:水性趨下,不盈溢崖岸也。月者水精,月在天,滿則虧,不盈溢之義也。行險而不失其信。荀爽曰:謂陽來為險,而不失中。中稱信也。虞翻曰:信,謂二也。震為行。水性有常,消息與月相應,故“不失其信”矣。

《彖伝》にいう。《習坎》は、重重の険阻なり。虞翻の説明では、これは上下両個の坎象で、天険あればまた地険あり。だから「重険」。《彖伝》に「水流而不盈」という。荀爽は乾升坤降の義に依って解く。陽は陰の中に於て運動す。だから「流」。陽は陰の中に陥在す。だから「不盈」。陸績は別に解釈を作す。水の本性は下に向かい流るるにして、堤岸に満溢出ず。月は水の精華で、月は天上に在り、円満の後便ち虧缺す。これもまた盈満外溢せざるの意なり。《彖伝》に「行険而不失其信」という。荀爽の説明では、これは陽爻の前来して険陥を構成するも、中位を失わざるを言う。中に居るを「信」と称す。虞翻の説明では、「信」は九二を指す。震は行進を象徴す。水性に常度あり、其の消長は月と相応ず。だから「不失其信」。

維心亨,乃以剛中也。侯果曰:二五剛而居中,則“心亨”也。行有尚,往有功也。虞翻曰:功謂五。二動應五,故“往有功也”。天險不可升也,虞翻曰:謂五在天位。五從乾來,體屯難。故“天險不可升也”。地險山川丘陵也。虞翻曰:坤為地,乾二之坤,故曰“地險”。艮為山,坎為川;半山稱丘,丘下稱陵。故曰“地險山川丘陵也”。

《彖伝》に「維心亨,乃以剛中也」という。侯果の説明では、九二・九五は皆剛爻にして中位に居る。だから内心亨通す。《彖伝》に「行有尚,往有功也」という。虞翻の説明では、「功」は九五を指す。九二変動して上に九五に応ず。だから「往有功也」。《彖伝》に「天険不可升也」という。虞翻の説明では、これは九五の天位に処るを指す。九五は乾より来り、卦体に《屯》の艱難の象あり。だから天上の険阻は攀登する可からずという。《彖伝》に「地険山川丘陵也」という。虞翻の説明では、坤は地を象徴し、乾の第二爻は坤に進入す。だから「地険」。艮は山を象徴し、坎は河川を象徴し、山の半腰を「丘」と称し、丘下の高地を「陵」と称す。だから「地険山川丘陵也」。

王公設險以守其國,虞翻曰:王公大人謂乾五。坤為邦。乾二之坤成坎險,震為守,有屯難象。故“王公設險以守其國”。離言王用出征以正邦是也。案:九五,王也,六三,三公也。艮為山城,坎為水也。王公設險之象也。

《彖伝》に「王公設険以守其国」という。虞翻の説明では、王公大人は乾の第五爻を指し、坤は邦国を象徴す。乾の第二爻は坤に進入して坎険を形成し、震は守衛を象徴し、卦中にまた《屯》の艱難の象あり。だから「王公設険以守其国」。《離》卦上九に「王用出征,以正邦也」という。講ずる所まさに同一類の事なり。李鼎祚の案語は補充す。九五は王、六三は三公である。艮は山城を象徴し、坎は護城の水を象徴す。これがすなわち王公の険阻を設置するの物象なり。

險之時用大矣哉。 王肅曰:守險以德,據險以時,成功大矣。 《象》曰:水洊至,習坎。君子以常德行習教事。 陸績曰:洊,再。習,重也。水再至而溢,通流不舍晝夜。重習相隨以為常,有似於習,故君子象之。以常習教事,如水不息也。 虞翻曰:君子謂乾。五在乾,稱大人;在坎,為君子。坎為習、為常,乾為德,震為行,巽為教令,坤為事,故“以常德行習教事”也。

《彖伝》の末句は讚嘆す。険阻の時機と功効を善用するは、真に偉大なり。王肅の解説では、険を守るは徳政に靠り、険阻に憑據するは時宜に合するを要す。かくして建立する功業こそ盛大なり。《大象伝》にいう。流水は一重接一重に涌來す。これが《習坎》の象である。君子はこれに拠りて徳行操守を化して日常と為し、政教の事を反復演練す。陸績は字を訓していう。「洊」はすなわち「再」、一次接一次なり。「習」はすなわち「重」、一層疊一層なり。水は一再に涌來すれば便ち漫溢して開去し、晝夜奔流して停歇を肯ぜず、一重一重相接して常態と成る。甚だ人の反復演練するに似たり。だから君子は水に取象し、政教を演練するを以て常課と為し、流水の息まざるがごとし。虞翻は則ち卦象より立論す。「君子」は乾体を指し、九五は乾中に於て「大人」と称し、坎中に落れば便ち「君子」と称す。彼は坎を以て重複と恒常を象徴し、乾は徳を象徴し、震は行動を象徴し、巽は教令を象徴し、坤は事務を象徴す。六象は合せてまさに「以常德行習教事」の一句の来歴なり。

初六:習坎,入于坎窞,凶。 干寶曰:窞,坎之深者也。江河淮濟,百川之流行乎地中,水之正也。及其為災,則泛溢平地,而入于坎窞,是水失其道也。刑獄之用,必當於理,刑之正也。及其不平,則枉濫無辜,是法失其道也。故曰“入于坎窞,凶”矣。 《象》曰:習坎入坎,失道凶也。 虞翻曰:習,積也。位下,故習坎為人。坎中小穴稱窞。上無其應,初二失正,故曰“失道凶”矣。

初六の爻辞にいう。重重の陥陥の中にあって、また坎底の小洞穴に落進す。凶険。干宝は水患と刑政に按じて説を立つ。「窞」は坎底最深の小穴である。長江・黄河・淮水・済水これらの百川は大地の中に流行す。これ水の正道なり。一旦泛濫して災を成し、平地に漫過して深穴に灌進せば、すなわち水の其の正道を失うなり。刑罰獄訟の施用は必ず情理に合するを須う。これ刑の正道なり。一旦案を断じて平ならず、冤枉して無辜の人を濫殺せば、すなわち法の其の正道を失うなり。だから爻辞に「入于坎窞,凶」という。《小象伝》にいう。重険の中にまた坎に陥入するは、正道を失うに因りてこそ凶を致す。虞翻は則ち爻位より講ず。「習」は累積である。初六は最下の位に居る。だから重重の坎は皆人の身に壓す。坎卦中間の小穴を「窞」と称す。初六は上面に相応の爻なく、初・二の両爻また皆位に当らず。だから「失道凶」。

九二:坎有險,求小得。 虞翻曰:陽陷陰中,故“有險”。據陰有實,故“求小得”也。 《象》曰:求小得,未出中也。 荀爽曰:處中而比初三,未足為援。雖求小得,未出於險中。

九二の爻辞にいう。坎中は確かに険難あり、求むる所はただ小なる収穫を得るのみ。虞翻は爻位に依って解く。九二この一陽爻は初六・六三の両個の陰爻の間に陥在す。だから「有険」。但しそれは下に陰爻に據して自身充実す。だから能く「求小得」。《小象伝》にいう。ただ小有得るのみは、いまだ険の中間を走出せざればこそ。荀爽の解釈では、九二は下卦の中に居ると雖も、上下緊挨の初六と六三は皆陰柔にして、其の援手を充当するに足らず。だから縱令一点の小小的収穫を求め得るも、人はなお険境を脱出せず。

六三:來之坎坎,險且枕,入于坎窞,勿用。 虞翻曰:坎在內,稱來,在坎終,故“來之坎坎”。枕,止也。艮為止。三失位乘二,則險。承五隔四,故“險且枕”。入于坎窞,體師三輿,故“勿用”。 《象》曰:來之坎坎,終無功也。 干寶曰:坎,十一月卦也。又失其位,喻殷之執法者,失中之象也。來之坎者,斥周人觀釁於周也。枕,安也。險且枕者,言安忍以暴政加民,而無哀矜之心,淫刑濫罰,百姓無所措手足,故曰“來之坎坎,終無功也”。

六三の爻辞にいう。来るも坎、去るも坎、すでに険にしてまた停滞前進せず、坎底の深穴に掉進す。作為する所有る可からず。虞翻は内外卦と爻位に按じて講ず。坎は内卦に在るを「来」と称し、六三はまた下坎の終点に処る。だから「来之坎坎」。「枕」は停止で、艮の止るの象を取る。六三は本身位に当らず、また九二に凌乘す。だから険あり。それは上に九五を承けんと欲するも、六四に隔断せらる。だから「険且枕」。坎窞に落進し、また《師》卦の「三人輿尸」の象に合す。だから「勿用」を告誡す。《小象伝》にいう。来去皆坎なるは、終竟功あらざるなり。干宝は改めて月建と殷周の史事に從い立説す。坎は十一月の卦で、六三はまた位に当らず。殷商の刑を掌る人の中道を失うに比喩す。いわゆる「来之坎」は、指す所は周人の前来して乗ず可き隙を窺伺するなり。「枕」はここに於ては安と訓し、「険且枕」は彼らの心安理得に暴政を百姓の身上に加え、毫も哀憐の心なく、刑罰を濫施して、百姓をして手脚を安んずる処なからしむを言う。だから「来之坎坎,終无功也」。

六四:樽酒簋,貳用缶。 虞翻曰:震主祭器,故有“樽簋”。坎為酒。簋,黍稷器。三至五,有頤口象。震獻在中,故為“簋”。坎為木,震為足;坎酒在上,樽酒之象。貳,副也。坤為缶,禮有副樽,故“貳用缶”耳。 內約自牖,終無咎。 虞翻曰:坎為內也。四陰小,故“約”。艮為牖,坤為戶,艮小光照戶牖之象;貳用缶。故“內約自牖”。得位承五,故“無咎”。 崔覲曰:於重險之時,居多懼之地,近三而得位,比五而承陽。修其絜誠,進其忠信,則雖祭祀省薄,明德惟馨。故曰“樽酒簋,貳用缶”。內約,文王於紂時行此道,從羑里內約,卒免於難,故曰“自牖,終無咎也”。

六四の爻辞にいう。一樽の酒・一簋の飯、副樽は瓦缶を以て盛る。虞翻は互体取象に依って解く。震は祭器を主管す。だから「樽」「簋」あり。坎は酒である。簋は黍稷を盛る器皿である。六三より九五に至る互成する《頤》卦は、口の形象あり、震は其の中に在りて献祭の状のごとし。だから「簋」と為す。坎は木、震は足で、坎の酒また上面に在る。まさに樽中に酒を盛るの象なり。「貳」は副の意で、坤は瓦缶に為り、礼制の中にもと副樽あり。だから「貳用缶」。經文続いていう。窗口より簡約に進獻すれば、最終に咎なし。虞翻の説明では、坎は内である。六四は陰爻で、陰は小。だから「約」と称す。艮は窗牖、坤は門戸で、艮の小明は門窗に照進し、さらに副樽の缶を用うるを加え、合して「内約自牖」の象を成す。六四は正位を得て上に九五を承く。だから「无咎」。崔覗は則ち人事に着眼す。重重険難の時に於て、六四は多懼の地に身を処し、九三に緊挨して自ら位に当り、また九五に親比して陽剛を承奉す。ただ潔浄誠敬を修持し、忠信を進獻すれば、祭品は縦令儉薄なれど、光明の徳行は自ら芬芳遠聞せん。だから「樽酒簋,貳用缶」。いわゆる「内約」は、文王の紂王の世に於ける行う所の道なり。彼は羑里に囚わるる時この簡約の節を守り、終に禍難を免るを得。だから「自牖,終无咎也」という。

《象》曰:樽酒簋,剛柔際也。 虞翻曰:乾剛坤柔,震為交,故曰“剛柔際也”。 九五:坎不盈,禔既平,無咎。 虞翻曰:盈,溢也。艮為止,謂水流而不盈。坎為平。禔,安也。艮止坤安,故“禔既平”。得位正中,故“無咎”。 《象》曰:坎不盈,中未光大也。 虞翻曰:體屯五中,故未光大也。

《小象伝》にいう。一樽の酒一簋の飯は、剛柔の交接するのゆえなり。虞翻の説明では、乾は剛・坤は柔で、震に交合の義あり。だから「剛柔際也」。九五の爻辞にいう。坎中の水は満溢せず、安穏にして平静に帰す。咎なし。虞翻の説明では、「盈」は満溢である。艮は止で、水は流動すると雖も漫出するに至らざるを指す。坎に平の象あり。「禔」は安である。艮は止り坤は安なり。だから「禔既平」。九五はすでに位に当りてまた中に居る。だから「无咎」。《小象伝》にいう。坎水は盈たらざるは、中に居るの徳いまだ光大せざればこそ。虞翻の説明では、九五は《屯》卦九五の中に居るの体象に合す。だから其の徳はいまだ光大せず。

上六:係用徽纆,寘于叢棘,三歲不得,凶。 虞翻曰:徽纆,黑索也。觀巽為繩,艮為手,上變入坎。故“係用徽纆”。寘,置也。坎多心,故“叢棘”。獄外種九棘,故稱“叢棘”。二變則五體剝,剝傷坤殺,故“寘于叢棘”也。不得,謂不得出獄。艮止坎獄。乾為歲,五從乾來,三非其應,故曰“三歲不得,凶”矣。

上六の爻辞にいう。繩索を以て捆縛し、荊棘叢中の牢獄に関進し、三年脱するを得ず。凶険。虞翻の説明では、「徽纆」は黒色の繩索である。《觀》卦より看れば、巽は繩、艮は手で、上爻変動して坎に入る。だから「繋用徽纆」。「寘」はすなわち安置である。坎木は堅硬にして多心なればこそ「叢棘」の象を取る。古時獄門の外に九棵の棘樹を種す。しかるがゆえに「叢棘」と称す。九二は一変すれば、九五の体は便ち《剥》を成し、剥に傷害の義あり、坤はまた殺を主る。だから「寘于叢棘」。「不得」は牢獄より出づる能わざるを指す。艮は止、坎は獄である。乾は歳数を主り、九五は乾より来れど、而して六三は并びに上六と相応せず。だから「三歳不得,凶」。

《象》曰:上六失道,凶三歲也。 《九家易》曰:坎為叢棘,又為法律。 案《周禮》:王之外朝,左九棘,右九棘,面三槐,司寇公卿議獄於其下。害人者,加明刑。任之以事。上罪三年而舍,中罪二年而舍,下罪一年而舍也。 案:坎於木堅而多心,叢棘之象也。坎下巽爻,巽為繩直,“係用徽纆”也。馬融云:徽纆,索也。劉表云:三股為徽,兩股為纆,皆索名。以繫縛其罪人矣。

《小象伝》にいう。上六は正道を失えばこそ、凶険は三年を延続するを要す。《九家易》にいう。坎はすでに叢棘を象徴し、また法律を象徴す。李鼎祚の案語は《周礼》を引いていう。天子の外朝は、左に九棵の棘樹を種え、右に九棵の棘樹を種え、正面に三棵の槐樹を種え、司寇と公卿は便ち樹下に於て獄案を評議す。人を害する人に対して明刑を施し、かつ彼を罰して労役に服せしむ。重罪は三年を服満して釈放し、中罪は二年にして釈放し、軽罪は一年にして釈放す。李鼎祚また按ず。坎は木類の中に於て堅硬にして多心の一種に属し、まさに叢棘の象なり。坎下に巽爻あり、巽は繩・直なり。これがすなわち「繋用徽纆」の由来なり。馬融にいう。徽纆はすなわち繩索なり。劉表にいう。三股を搓りて成るを「徽」と称し、両股を搓りて成るを「纆」と称す。皆繩索の名にして、以て罪人を捆縛するに用いるなり。

離卦

《序卦》曰:陷必有所麗,故受之以離。離者,麗也。 崔覲曰:物極則反。坎雖陷於地,必有所麗於天,而受之以離也。 (離下離上)。離:利貞,亨。 虞翻曰:坤二五之乾,與坎旁通。於爻,遯初之五,柔麗中正,故“利貞,亨”。 畜牝牛,吉。 虞翻曰:畜,養也。坤為牝牛。乾二五之坤成坎,體頤養象。故“畜牝牛,吉”。俗說皆以離為牝牛,失之矣。

《序卦伝》にいう。陥落の後は必ず附麗する所有らん。だから《坎》卦の後に《離》を接ぐ。「離」はすなわち附着である。崔覗の解釈では、事物は極点に到れば便ち反転し、坎は地下に陥在すると雖も、終竟天に依附する所有らん。しかるがゆえに後に接ぐは《離》なり。《離》卦は下は離上は離。卦辞にいう。正を守るに利あり、亨通。虞翻は卦変と旁通に依りて説を立つ。坤の二・五の両爻は乾に交入して離を成し、それは《坎》卦と互いに旁通す。もし爻変より看れば、則ち《遯》卦の初爻が五位に升る。柔爻は中正の位に附麗す。だから「利貞,亨」。卦辞またいう。母牛を畜養すれば、吉祥。虞翻の説明では、「畜」は養である。坤は母牛である。乾の二・五の両爻は坤に交入して坎を成し、其の体に《頤》卦の養育の象あり。だから「畜牝牛,吉」。世俗の説は皆離本身を以て母牛と為す。あれは錯なり。

《彖》曰:離,麗也。 荀爽曰:陰麗於陽,相附麗也。亦為別離,以陰隔陽也。離者,火也。托於木,是其附麗也。煙焰飛昇,炭灰降滯,是其別離也。 日月麗乎天。 虞翻曰:乾五之坤成坎,為月;離為日。日月麗天也。 百穀草木麗乎也。 虞翻曰:震為百穀,巽為草木,坤為地。乾二五之坤成坎。震體屯。屯者,盈也。盈天地之間者唯萬物,萬物出震,故“百穀草木麗乎地”。

《彖伝》にいう。離は、すなわち附麗なり。荀爽の解釈では、陰は陽に附着す。これ彼此依附するなり。但し「離」にまた分離の義あり。陰が両陽を隔開せばこそ。離は火で、火は木の上に托附して燃焼するを要す。これがすなわち其の附麗なり。而して煙焰は上に向かい飛騰し、炭灰は下に向かい沈落す。これがすなわち其の分離なり。《彖伝》続いていう。日月は天に附麗す。虞翻の説明では、乾の五爻は坤に交入して坎を成し、坎は月である。離本身は日である。だから日月皆天に附麗す。《彖伝》またいう。百穀草木は地に附麗す。虞翻の説明では、震は百穀、巽は草木、坤は地である。乾の二・五の両爻は坤に交入して坎を成し、震の体はまた《屯》卦に合し、「屯」は盈満の義である。天地の間に充盈するはただ万物のみ、而して万物は皆震より出づ。だから「百穀草木麗乎地」。

重明以麗乎正,乃化成天下。 虞翻曰:兩象,故重明。正謂五陽。陽變之坤來化乾,以成萬物,謂離日“化成天下”也。 柔麗乎中正,故亨。 虞翻曰:柔謂五陰,中正謂五伏陽。出在坤中,畜牝牛。故“中正”而“亨”也。 是以畜牝牛吉也。 荀爽曰:牛者,土也。生土於火。離者,陰卦。牝者,陰性,故曰“畜牝牛吉”矣。

《彖伝》にいう。両重の光明は正道に附麗し、ここに化育して天下を成就す。虞翻の説明では、上下両個の離象は疊りて一つに在る。だから「重明」と称す。「正」は五位の陽を指す。陽爻は坤中に変入して乾体を化育し、これによりて万物を生成す。これがすなわち離日の「化成天下」の意なり。《彖伝》にいう。柔順の者は中正の位に附麗す。だから亨通。虞翻の説明では、「柔」は六五この一陰爻を指し、「中正」は五位の下に潜伏する陽爻を指す。それは坤中に出現し、まさに母牛を畜養するの義に合す。だから既に「中正」にしてまた「亨」。《彖伝》最後にいう。これに因りて母牛を畜養してこそ吉祥なり。荀爽は別の角度に換えていう。牛は土に属し、而して土は火に生ぜらる所なり。離は陰卦で、「牝」はまた陰の属性である。だから「畜牝牛吉」。

《象》曰:明兩作離, 虞翻曰:兩謂日與月也。乾五之坤成坎,坤二之乾成離,離坎日月之象,故“明兩作離”。作,成也。日月在天,動成萬物,故稱作矣。或以日與火為明。兩作也。 大人以繼明照于四方。 虞翻曰:陽氣稱大人,則乾五大人也。乾二五之光,繼日之明。坤為方,二五之坤。震東兌西,離南坎北,故曰“照于四方”。

《大象伝》にいう。光明は両度興起す。これが《離》である。虞翻の説明では、「両」は日と月を指す。乾の五爻は坤に交入して坎を成し、坤の二爻は乾に交入して離を成す。離と坎はまさに日月の象なり。だから「明両作離」。「作」は生成の義で、日月は天に運行し、一動すれば便ち万物を生成す。故に「作」と称す。またある人は日と火を以て両重の光明と看す。同じく「両作」なり。《大象伝》続いていう。大人は相継不断の光明を以て四方に照臨す。虞翻の説明では、陽気は「大人」と称す可く、ここに指すは乾九五の大人なり。乾の二・五両爻の光輝は、太陽の光明に接続す。坤は方位で、二・五の両爻は坤に入る。ここに震は東・兌は西・離は南・坎は北なり。だから「照于四方」。

初九:履錯然,敬之,無咎。 荀爽曰:火性炎上,故初欲履錯於二。二為三所據。故“敬之”則“無咎”矣。 《象》曰:履錯之敬,以辟咎也。 王弼曰:錯然,敬慎之貌也。處離之始,將進其盛,故宜慎所履。以敬為務,闢其咎也。 六二:黃離,元吉。《象》曰:黃離元吉,得中道也。 侯果曰:此本坤爻,故云“黃離”。來得中道,所以“元吉”也。

初九の爻辞にいう。步履は交錯雜沓す。恭敬謹慎を以て対待すれば、咎なし。荀爽は陽升陰降の理に依りていう。火性は上に向かい燃焼す。だから初九は上行して六二と交錯せんと欲す。但し六二はすでに九三に占據せらる。しかるがゆえに初九はただ「敬之」してこそ「无咎」を得ん。《小象伝》にいう。步履交錯して恭敬を知るは、災咎を避開せんが為なり。王弼の説明では、「錯然」は恭敬審慎の様である。初九は離体の開端に処り、まさに興盛に走向せんとす。だからまさに自らの挙歩を謹慎し、恭敬を以て要務と為し、以て過咎を躲過すべし。六二の爻辞にいう。黄色の附麗は、大いに吉祥。《小象伝》にいう。黄離大吉は、中道を得ればこそ。侯果の説明では、六二はもと坤卦の爻で、坤の色は黄なり。だから「黄離」。それは来りて下卦の中に居りて中道を得。しかるがゆえに「元吉」。

九三:日昃之離, 荀爽曰:初為日出,三為日昃,以喻君道衰也。 不鼓缶而歌,則大耋之嗟,凶。 《九家易》曰:鼓缶者以目下視。離為大腹,瓦缶之象,謂不取二也。歌者口仰向上,謂兌為口,而向上取五也。日昃者,向下也。今不取二,而上取五,則上九耋之陽稱大也。嗟者,謂上被三奪五,憂嗟窮凶也。火性炎上,故三欲取五也。 《象》曰:日昃之離,何可久也。 《九家易》曰:日昃當降,何可久長。三當據二,以為鼓缶,而今與四同取於五,故曰“不鼓缶而歌”也。

九三の爻辞にいう。太陽偏西の時の附麗。荀爽の説明では、初九は日出のごとく、九三は日斜のごとし。以て君道の衰落に比喩す。爻辞続いていう。瓦缶を敲きて歌わざれば、便ち年老の者の悲嘆あらん。凶険。《九家易》は取象より講ず。缶を敲く人は頭を低くして下視するを要す。離は大腹にして、まさに瓦缶の象なり。だから「不鼓缶」は九三の下の六二を取らざるを言う。歌う人は則ち口を仰いで上に向かう。兌は口にして上に向かうは、九三の往きて九五を争うを言う。日斜はもと下に向かうの勢いなり。今九三は下の六二を取らず、反って上に向かい五を争う。すれば上九この年老の陽は便ち「大耋」と称さる。いわゆる「嗟」は、上九は九三に五位を奪去せられ、憂愁悲嘆して窮困凶険を致すなり。火性はもと炎上なればこそ、九三はこそ上に九五を取らんと欲す。《小象伝》にいう。日斜の時の附麗は、いずくんぞ能く長久ならんや。《九家易》にいう。太陽は偏西すれば便ち落下すべし。いずくんぞなお能く長久ならん。九三はもとまさに六二を據有すべく、那はこそ「鼓缶」なり。今却って九四と一同に往きて九五を争取す。だから「不鼓缶而歌」という。

九四:突如,其來如,焚如,死如,棄如。 荀爽曰:陽升居五,光炎宣揚,故“突如”也。陰退居四,灰炭降墜,故“其來如”也。陰以不正,居尊乘陽。歷盡數終,天命所誅。位喪民畔,下離所害。故“焚如”也。以離入坎,故“死如”也。火息灰損,故“棄如”也。 《象》曰:突如,其來如,無所容也。 《九家易》曰:在五見奪,在四見棄,故“無所容也”。

九四の爻辞にいう。突然として冒出し、忽然として到来し、焚焼せらるるがごとく、すでに死去せるがごとく、抛棄せらるるがごとし。荀爽は乾升坤降に依って解く。陽爻は上昇して五位に居り、光焰は宣揚す。だから「突如」。陰爻は退下して四位に居り、灰炭の墜落するがごとし。だから「其来如」。陰は不正の身を以て尊位に居りて陽剛を凌乘す。気数は尽頭に走到し、これ天命の誅討せんと欲する所なり。一旦位を失いて百姓背叛せば、便ち下の離火に害せられん。だから「焚如」。離より坎に入り、坎は陥にして死なり。だから「死如」。火は熄滅し灰燼は散尽す。だから「棄如」。《小象伝》にいう。突然として冒出し忽然として到来するは、身を容るる処なければこそ。《九家易》にいう。それは五位の上に於て奪去せられ、四位の上に於てまた抛棄せらる。だから「无所容也」。

六五:出涕沱若, 荀爽曰:六五陰柔,退居於四,出離為坎,故“出涕沱若”。而下,以順陰陽也。 戚嗟若,吉。 虞翻曰:坎為心,震為聲,兌為口,故“戚嗟若”。動而得正,尊麗陽,故“吉”也。 《象》曰:六五之吉,離王公也。 《九家易》曰:戚嗟順陽,附麗於五,故曰“離王公也”。陽當居五,陰退還四,五當為王。三則三公也。四處其中,附上下矣。

六五の爻辞にいう。涕涙滂沱として流下す。荀爽の説明では、六五は陰柔の爻で、退下して四位に居り、離より出でて坎を成し、坎は水なり。だから「出涕沱若」。それは甘んじて下面に退くは、陰陽各々其の位に帰するの理に順応せんが為なり。爻辞続いていう。憂戚嘆息すれど、吉祥。虞翻は取象より講ず。坎は心、震は声、兌は口で、三象は合して「戚嗟若」を成す。六五は一動すれば便ち正位を得、また尊貴の身を以て陽に附麗す。だから「吉」。《小象伝》にいう。六五の吉は、王公に附麗するに在ればこそ。《九家易》にいう。憂戚嘆息して陽剛に順從し、五位の上に附着す。だから「離王公也」。陽はもとまさに五位に居るべく、陰は退還して四位に至れば、すれば五位はまさに王と為るべく、三位はすなわち三公なり。六四は王と公の間に処り、上下皆依附する所有り。

上九:王用出征,有嘉折首,獲匪其醜,無咎。 虞翻曰:王謂乾。乾二五之坤成坎,體師象;震為出,故“王用出征”。首謂坤。二五來折乾,故“有嘉折首”。丑,類也。乾徵得坤陰類,乾陽物,故“獲非其丑,無咎”矣。 《象》曰:王用出征,以正邦也。 虞翻曰:乾五出征坤,故“正邦也”。

上九の爻辞にいう。君王は兵を出して征伐し、嘉美の功あり、首悪を斬獲し、俘獲する所は同類に非ず、咎なし。虞翻の説明では、「王」は乾を指す。乾の二・五の両爻は坤に交入して坎を成し、其の体は《師》卦の象に合し、震に出行の義あり。だから「王用出征」。「首」は坤を指す。二・五の両爻は前来して乾体を折斷す。だから「有嘉折首」。「丑」は類の意で、乾の出征して俘獲する所は坤の陰類なり。乾自身は陽物で、両者はもと同類に非ず。だから「獲非其丑,无咎」。《小象伝》にいう。君王の兵を出して征伐するは、以て邦国を端正せんが為なり。虞翻の説明では、乾九五は出でて坤を征伐す。だから「正邦也」。

巻七・咸卦

《序卦》曰:有天地然後有萬物,有萬物然後有男女,有男女然後有夫婦,有夫婦然後有父子,有父子然後有君臣,有君臣然後有上下,有上下然後禮義有所錯。 韓康伯曰:言咸卦之義也。咸柔上而剛下,感應以相與。夫婦之象,莫美乎斯。人倫之道,莫大夫婦。故夫子殷勤深述其義,以崇人倫之始,而不繫之離也。先儒以乾至離為上經,天道也;咸至未濟為下經,人事也。夫易六畫成卦,三材必備,錯綜天人,以效變化,豈有天道人事偏於上下哉。斯蓋守文而不求義,失不遠矣。

《序卦伝》にいう。天地あってこそ万物あり、万物あってこそ男女あり、男女あってこそ夫婦あり、夫婦あってこそ父子あり、父子あってこそ君臣あり、君臣あってこそ上下の分あり、上下の分あってこそ、礼義は安放施行する処あるを得ん。韓康伯の解釈では、この一段はまさに《咸》卦の義を講ず。咸卦は柔爻は上・剛爻は下にして、彼此感応して相交わる。夫婦の象はこれより美なるはなし。人倫の道もまた夫婦より重大なるはなし。だから孔子はここに於て懇切詳尽に其の義を申述し、以て人倫の開端を推崇し、而してこの段の話を《離》卦の下に係せず。先儒は《乾》より《離》に至るを上経と定め、それは天道を講ずと言い、《咸》より《未済》に至るを下経と定め、それは人事を講ずと言う。其の実《易》は六画を以て卦を成し、天・地・人の三才は必ず倶備し、天道と人事は交錯綜合して以て変化を摹写す。いずくんぞ天道偏に上経に在り人事偏に下経に在るの道理あらんや。これはただ文字に拘守して義理を深求せざれば、其の失誤すでに小ならざるなり。

(艮下兌上)。咸:亨,利貞,取女吉。 虞翻曰:咸,感也。坤三之上成女,乾上之三成男,乾坤氣交以相與。止而說,男下女。故“通利貞,取女吉”。 鄭玄曰:咸,感也。艮為山。兌為澤。山氣下,澤氣上,二氣通而相應,以生萬物,故曰“咸”也。其於人也。嘉會禮通,和順於義,幹事能正。三十之男,有此三德,以下二十之女,正而相親說,取之則吉也。

《咸》卦は下は艮上は兌。卦辞にいう。亨通、正を守るに利あり、妻を娶れば吉祥。虞翻は卦変に依って解く。「咸」は感応である。坤の三爻は上位に升りて兌女を成し、乾の上爻は三位に降りて艮男を成す。乾坤二気は交通して彼此相与す。艮は止、兌は悦で、止りて喜悅し、また男は女の下に在る。だから「亨通・利貞・取女吉」。鄭玄は別の角度に換えていう。「咸」は感応である。艮は山、兌は沢で、山気は下降し、沢気は上昇し、両気は相通相応して万物を生養す。だから「咸」と称す。人事に就きて言えば、則ち嘉美の聚會は礼節通達し、和順にして義理に合し、事を辦して能く正を守る。三十歳の男子はこの三種の徳行を具備し、而して二十歳の女子の下に屈身するを肯ず。双方は正道を以て相亲相悦す。この時彼女を娶れば吉祥なり。

《彖》曰:咸,感也。柔上而剛下,二氣感應以相與。 蜀才曰:此本否卦。案:六三升上,上九降三,是柔上而剛下,二氣交感,以相與也。 止而說,男下女,是以亨利貞,取女吉也。 王肅曰:山澤以氣通,男女以禮感。男而下女,初婚之所以為禮也。通義正,取女之所以為吉也。 天地感而萬物化生, 荀爽曰:乾下感坤,故萬物化生於山澤。 陸績曰:天地因山澤孔竅,以通其氣,化生萬物也。

《彖伝》にいう。咸は、すなわち感応なり。柔爻は上行し剛爻は下降し、両種の気は彼此感応して相交わる。蜀才は卦変に依りていう。この卦はもと《否》卦より来る。李鼎祚の案語にいう。《否》卦の六三は上位に上昇し、上九は三位に下降す。これがすなわち柔上剛下で、二気は交感して相与す。《彖伝》続いていう。止りて喜悅し、男子は女子の下に屈居す。だから亨通・正を守るに利あり、妻を娶れば吉祥。王肅の説明では、山と沢は気に靠りて相通じ、男と女は礼に靠りて相感ず。男子は女子の下に屈居するを肯ずは、まさに初婚の礼に合する所以の処なり。義理は通達して端正なり。これがすなわち妻を娶るの吉祥なる所以のゆえなり。《彖伝》にいう。天地は互相感応して万物は化育生長す。荀爽は乾坤升降に依りていう。乾は下降して坤を感応す。だから万物は山沢の間に於て化育して生ず。陸績は補充していう。天地は山沢の孔竅を借りて以て其の気を溝通し、しかるがゆえに万物を化育す。

聖人感人心而天下和平。 虞翻曰:乾為聖人;初四易位成既濟;坎為心、為平,故“聖人感人心而天下和平”。此保合太和,品物流形也。 觀其所感,而天地萬物之情可見矣。 虞翻曰:謂四之初,以離日見天,坎月見地,懸象著明,萬物見離,故“天地萬物之情可見”也。 《象》曰:山上有澤,咸。 崔覲曰:山高而降,澤下而升。山澤通氣,咸之象也。 君子以虛受人。 虞翻曰:君子謂否乾。乾為人,坤為虛,謂坤虛三受上,故“以虛受人”。艮山在地下為謙,在澤下為虛。

《彖伝》にいう。聖人は人心を感化し、しかるがゆえに天下は和睦太平す。虞翻の説明では、乾は聖人である。初爻と四爻は位置を交換すれば便ち《既済》を成し、坎は心にしてまた平なり。だから「聖人感人心而天下和平」。これまさに《乾》卦《彖伝》の講ずる所の保合太和・品物流形なり。《彖伝》またいう。其の感応する所の道を觀察すれば、天地万物の実情は見る可きなり。虞翻の説明では、これは九四の初位に降るを指し、離日を以て天を照見し坎月を以て地を照見す。日月は懸象昭著分明にして、万物皆離に顕現す。だから「天地万物之情可見」。《大象伝》にいう。山の上に沢あり。これが《咸》である。崔覗の説明では、山は高くして気は下降し、沢は低くして気は上昇す。山沢二気は相通ず。まさに咸卦の象なり。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて己を虚しくして以て他人を接納す。虞翻の説明では、「君子」は《否》卦の乾を指す。乾は人、坤は虚で、すなわち坤は己を虚しくするの三爻を以て上爻を承受す。だから「以虚受人」。艮山は地の下に在れば便ち《謙》で、沢の下に在れば便ち虚なり。

初六:咸其母。《象》曰:咸其母,志在外也。 虞翻曰:母,足大指也。艮為指。坤為母,故“咸其母”。失位遠應,之四得正,故“志在外”。謂四也。 六二:咸其腓,凶。居吉。《象》曰:雖凶居吉,順不害也。 崔覲曰:腓,腳膊。次於母,上二之象也。得位居中,於五有應,若感應相與,失艮止之禮,故“凶”。居而承比於三,順止而隨於當禮,故“吉”也。

初六の爻辞にいう。脚の大拇指に感応す。《小象伝》にいう。其の拇に感ずるは、心志の外に向かえばこそ。虞翻の説明では、「母」はすなわち脚の大拇指で、艮は指、坤は拇なり。だから「咸其母」。初六は位に当らずして遥遠の九四と相応じ、四位に変れば便ち正を得。だから「志在外」といい、この「外」の指す所はすなわち九四なり。六二の爻辞にいう。小腿肚に感応すれば、凶険。安居すれば則ち吉。《小象伝》にいう。凶険なれど安居すれば吉なるは、順從すれば便ち被害せられざればこそ。崔覗の説明では、「腓」は小腿肚で、位次は脚拇指の上に在り、まさに第二爻の象に合す。六二は位に当りて中に居り、九五と相応ず。但しもし急いで往きて感応相与せば、便ち艮卦「止」の礼節を失掉す。だから「凶」。もし安居して上に九三を承け親比し、止の本分に順い礼に合する事に隨従すれば、便ち「吉」。

九三:咸其股,執其隨,往咎。 崔覲曰:股髀而次於腓,上三之象也。剛而得位,雖欲感上,以居艮極,止而不前,二隨於已,志在所隨,故“執其隨”。下比二也,而遂感上,則失其正義,故“往吝”窮也。 《象》曰:咸其股,亦不處也。志在隨人,所執下也。 虞翻曰:巽為股,謂二也。巽為隨,艮為手,故稱“執”。三應於上,初四已變歷險,故“往吝”。巽為處女也,男已下女,以艮陽入兌陰,故“不處也”。凡士與女未用,皆稱“處”矣。志在於二,故“所執下也”。

九三の爻辞にいう。大腿に感応し、執意として人に跟従すれば、前往すれば過失あらん。崔覗の説明では、「股」は大腿で、位次は小腿の上に在り、まさに第三爻の象に合す。九三は陽剛にして位に当る。上六を上感せんと欲すると雖も、艮体の頂端に居るに因りて、止りて前せず。六二またそれに隨従すれば、其の心思は便ちこの隨従の者の身上に落つ。だから「執其随」。それは下に六二に親比すれど、却ってまた往きて上六に感応せんとす。すれば便ち正当の義理を失掉す。だから「往吝」にして困窮す。《小象伝》にいう。大腿に感応するは、また安処する能わざるなり。心志は人に隨従するに在り、執守する所は太だ卑下なり。虞翻は取象より講ず。巽は股で、ここに指すは六二なり。巽はまた随で、艮は手なり。だから「執」と称す。九三は上六と相応ずるも、初・四の両爻すでに変じて険難を経歴するを須う。だから「往吝」。巽は処女で、今男すでに女の下に屈居し、艮の陽を以て兌の陰に入る。だから「不処也」という。およそ士人と女子のいまだ出仕せず出嫁せざるは、皆「処」と称す。九三の心志は六二の身上に落つ。だから「所執下也」。

九四:貞吉,悔亡。憧憧往來,朋從爾思。 虞翻曰:失位悔也。應初動得正,故“貞吉”而“悔亡”矣。憧憧,懷思慮也。之內為來,之外為往。欲感上,隔五;感初,隔三,故“憧憧往來”矣。兌為朋,少女也。艮初變之四,坎心為思,故曰“朋從爾思”也。 《象》曰:貞吉悔亡,未感害也。 虞翻曰:坤為害也。今未感坤,初體遯弒父,故曰“未感害”也。 憧憧往來,未光大也。 虞翻曰:未動之離,故未光大也。

九四の爻辞にいう。正を守れば則ち吉、悔恨消失す。心思は往來不定なれど、朋友はただ爾の心念に跟従す。虞翻の説明では、九四は位に当らず、もと悔あり。但しそれは初六と相応じ、一動すれば便ち正位を得。だから「貞吉」にして「悔亡」。「憧憧」は心中反復思量の様である。内卦に向かうを「来」と称し、外卦に向かうを「往」と称す。それは上六に感応せんと欲するも九五に隔てられ、初六に感応せんと欲するもまた九三に隔てらる。だから「憧憧往來」。兌は朋で、少女を指す。艮の初爻は変じて四位に升り、坎は心・思なり。だから「朋従爾思」。《小象伝》にいう。正を守りて吉を得悔恨消失するは、いまだ傷害を感受せざればこそ。虞翻の説明では、坤は害である。今九四はいまだ坤に感応せず、而して初爻の体にまた《遯》卦「子弑其父」の危あり。だから「未感害」。《小象伝》またいう。心思往來不定なるは、徳いまだ光大せざればこそ。虞翻の説明では、九四はいまだ変動して離を成さず。だから光明はなお広大ならず。

九五:咸其脢,無悔。 虞翻曰:脢,夾脊肉也。謂四已變,坎為脊,故“咸其脢”。得正,故“無悔”。 《象》曰:咸其脢,志末也。 案:末,猶上也。四感於初,三隨其二,五比於上,故“咸其脢”。志末者,謂五志感於上也。 上六:咸其輔頰舌。 虞翻曰:耳目之間稱輔頰。四變之目,坎為耳,兌為口舌。故曰“咸其輔頰舌”。 《象》曰:咸其輔頰舌,媵口說也。 虞翻曰:媵,送也。不得之三,山澤通氣,故“媵口說也”。

九五の爻辞にいう。脊背両旁の肉に感応す。悔恨なし。虞翻の説明では、「脢」は脊骨を夾む肉である。九四すでに変動し、坎は脊なり。だから「咸其脢」。九五は位に当りて正を得。だから「无悔」。《小象伝》にいう。其の脢に感ずるは、心志の末梢に在ればこそ。李鼎祚の案語にいう。「末」は「上」に由くがごとし。九四は初六に感応し、九三は六二に隨従し、九五は則ち上六に親比す。だから「咸其脢」。いわゆる「志末」は、九五の心志は上六に感応するを言う。上六の爻辞にいう。牙床・面頬と舌頭に感応す。虞翻の説明では、耳と目の間を「輔頬」と称す。九四は一変して目を成し、坎は耳、兌は口舌なり。だから「咸其輔頬舌」。《小象伝》にいう。其の輔頬舌に感ずるは、ただ口舌の説を逞しくするのみなり。虞翻の説明では、「媵」は伝送の意である。上六は三位に下る能わず、ただ山沢通気の義に凭りて相感ず。だから「媵口説也」。

恒卦

《序卦》曰:夫婦之道,不可不久也。故受之以恆。恆者,久也。 鄭玄曰:言夫婦當有終身之義。夫婦之道,謂咸也。 (巽下震上)。恆:亨,無咎,利貞。 虞翻曰:恆,久也。與益旁通。乾初之坤四,剛柔皆應,故“通,無咎,利貞”矣。 鄭玄曰:恆,久也。巽為風,震為雷,雷風相須而養物,猶長女承長男,夫婦同心而成家,久長之道也。夫婦以嘉會禮通,故“無咎”。其能和順幹事,所行而善矣。 利有攸往。 虞翻曰:初利往之四,終變成益,則初四二五皆得其正,終則有始,故“利有攸往”也。

《序卦伝》にいう。夫婦の道は久しからざる可からず。だから《咸》卦の後に《恒》を接ぐ。「恒」はすなわち長久である。鄭玄の解釈では、これは夫婦はまさに終身相守するの義分あるべきを講ず。いわゆる夫婦の道は、指す所は前面の《咸》卦なり。《恒》卦は下は巽上は震。卦辞にいう。亨通、咎なし、正を守るに利あり。虞翻は旁通と卦変に依って解く。「恒」は長久で、この卦は《益》卦と互いに旁通す。乾の初爻は坤の四位に交わり、六爻は剛柔両両相応ず。だから「亨通・无咎・利貞」。鄭玄は別に物象と人倫よりいう。「恒」は久である。巽は風、震は雷で、雷と風は互相依待して万物を養育す。長女の長男を承事するに譬え、夫婦は同心にして家庭を組成す。これがすなわち長久の道なり。夫婦は嘉美の婚会に因りて礼節は通達す。だから「无咎」。能く和順に事を辦すれば、作為する所は自然良善なり。卦辞またいう。前往する所有るに利あり。虞翻の説明では、初爻は四位に往くに宜しく、最終に《益》卦に変ず。すれば初と四・二と五の各爻は皆正位に帰し、終了の処はまた新たな開始なり。だから「利有攸往」。

《彖》曰:恆,久也。剛上而柔下, 王弼曰:剛尊柔卑,得其序也。 雷風相與,巽而動, 蜀才曰:此本泰卦。 案:六四降初,初九升四,是剛上而柔下也。分乾與坤,雷也。分坤與乾,風也。是雷風相與,巽而動也。 剛柔皆應,恆。 《九家易》曰:初四二五雖不正,而剛柔皆應,故“通無咎”矣。 恆亨,無咎,利貞,久於其道也。 荀爽曰:恆,震世也,巽來乘之,陰陽合會,故“通無咎”。長男在上,長女在下,夫婦道正,故“利貞,久於其道也”。

《彖伝》にいう。恒は、すなわち長久なり。剛は上に在りて柔は下に在る。王弼の説明では、剛は尊・柔は卑にして、各々其の有るべき次序を得。《彖伝》続いていう。雷と風は相互に助成し、柔順にして能く奮動す。蜀才は卦変に依りていう。この卦はもと《泰》卦より来る。李鼎祚の案語にいう。《泰》卦の六四は初位に下降し、初九は四位に上昇す。これがすなわち剛上にして柔下なり。乾の一爻を坤に分与して震雷と成し、坤の一爻を乾に分与して巽風と成す。これがすなわち雷風相与・巽順にして奮動するなり。《彖伝》またいう。剛柔各爻皆相応ず。これがすなわち《恒》なり。《九家易》にいう。初と四・二と五は皆位に当らざると雖も、剛柔は彼此皆呼応あり。だから「亨通无咎」。《彖伝》にいう。恒の亨通・无咎・利貞は、能く其の正道を長久に守ればこそ。荀爽は世応と升降に依りていう。恒は震宮に属するの世卦で、巽卦は前来してそれに乘配し、陰陽會合す。だから「亨通无咎」。長男は上・長女は下にして、夫婦の道は端正なり。だから「利貞,久于其道也」。

天地之道,恆久而不已也。 虞翻曰:泰,乾坤為天地。謂終則復始,有親則可久也。 利有攸往,終則有始也。 荀爽曰:謂乾氣下終,始復升上居四也。坤氣上終,始復降下居初者也。 日月得天而能久照, 虞翻曰:動初,成乾為天。至二,離為日;至三,坎為月。故“日月得天而能久照”也。 四時變化而久成。 虞翻曰:春夏為變,秋冬為化,變至二離夏,至三兌秋,至四震春,至五坎冬。故“四時變化而能久成”。謂乾坤成物也。

《彖伝》にいう。天地運行の道は、恒久にして停止せず。虞翻の説明では、《恒》は《泰》卦より来り、泰の乾坤はすなわち天地なり。いわゆる恒久は、終了すれば便ち重新开始し、彼此亲合すれば便ち長久するを言う。《彖伝》にいう。前往する所有るに利あるは、終点すなわち起点なればこそ。荀爽は乾升坤降に依って解く。乾気は下行して尽頭に到れば、便ち重新に上昇して四位に居り、坤気は上行して尽頭に到れば、便ち重新に下降して初位に居る。《彖伝》にいう。日月は天に依附して能く長久に照耀す。虞翻の説明では、初爻は一動すれば便ち乾を成して天と為り、二爻に到りて離を成して日と為り、三爻に到りて坎を成して月と為る。だから「日月得天而能久照」。《彖伝》にいう。四時は更迭変化して能く長久に万物を生成す。虞翻の説明では、春夏は「変」に属し、秋冬は「化」に属す。変じて二爻に至れば離は夏、三爻に至れば兌は秋、四爻に至れば震は春、五爻に至れば坎は冬なり。だから「四時変化而能久成」といい、すなわち乾坤の万物を生成するなり。

聖人久於其道,而天下化成。 虞翻曰:聖人謂乾。乾為道。初二已正,四五復位,成既濟定。乾道變化,各正性命。有兩離象,重明麗正,故“化成天下”。 觀其所恆,而天地萬物之情可見矣。 虞翻曰:以離日照乾,坎月照坤,萬物出震,故“天地萬物之情可見矣”。與咸同義也。 《象》曰:雷風,恆。 宋衷曰:雷以動之,風以散之。二者常相薄,而為萬物用,故君子象之,以立身守節而不易道也。 君子以立不易方。 虞翻曰:君子謂乾三也。乾為易,為立;坤為方。乾初之坤四,三正不動。故“立不易方”也。

《彖伝》にいう。聖人は長久に其の正道を守住し、天下はしかるがゆえに化育して成る有り。虞翻の説明では、「聖人」は乾を指し、乾は道である。初・二の両爻すでに正を得、四・五の両爻は再び各々本位に帰すれば、全卦は便ち《既済》を成して安定す。これまさに《乾》卦《彖伝》「乾道変化,各正性命」の義に合す。卦中にまた上下両個の離象あり、重重の光明は正に附麗す。だから「化成天下」。《彖伝》にいう。其の恒守する所を觀察すれば、天地万物の実情は見る可きなり。虞翻の説明では、離日を以て乾を照し坎月を以て坤を照し、万物はまた皆震より出づ。だから「天地万物之情可見矣」といい、これは《咸》卦《彖伝》と同一の意旨なり。《大象伝》にいう。雷と風、すなわち《恒》なり。宋衷の説明では、雷は以て万物を鼓動し、風は以て万物を吹散す。両者は常に相互激盪して万物の用うる所と為る。だから君子は此に取象し、立身守節して自らの道を改変せず。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて立身して方向を改変せず。虞翻の説明では、「君子」は乾の三爻を指す。乾は変易・樹立で、坤は方である。乾の初爻は坤の四位に交わり、而して三爻は正に居りて動かず。だから「立不易方」。

初六:浚恆,貞凶,無攸利。 侯果曰:浚,深。恆,久也。初本六四,自四居初,始求深厚之位者也。位既非正,求乃涉邪。以此為正,凶之道也。故曰“浚恆,貞凶,無攸利”矣。 《象》曰:浚恆之凶,始求深也。 虞翻曰:浚,深也。初下稱浚,故曰“浚恆”。乾初為淵,故“深”矣。失位變之正,乾為始。故曰“始求深也”。 九二:悔亡。 虞翻曰:失位悔也,動而得正,處中多譽,故“悔亡”也。 《象》曰:九二悔亡,能久中也。 荀爽曰:乾為久也。能久行中和,以陽據陰,故曰“能久中也”。

初六の爻辞にいう。一上來して便ち深久を求め、固守して往けば凶険あり、利益ある所なし。侯果の説明では、「浚」は深、「恒」は久である。初六はもと《泰》卦の六四で、四位より初位に降り、一開始して便ち深厚の地位を求得せんと欲す。位置すでに正ならざれば、求むる所は邪僻に近づき、この種の做法を正道と為すは、まさに凶を致すの道なり。だから「浚恒,貞凶,无攸利」。《小象伝》にいう。浚恒の凶なる所以は、一開始して便ち求むること太だ深ければこそ。虞翻の説明では、「浚」は深である。初爻は最下に在る。だから「浚」と称し、合して「浚恒」を成す。乾の初爻はもと深淵の象あり。だから「深」という。初六は位に当らず、変動してこそ正に帰す。而して乾に初始の義あり。だから「始求深也」。九二の爻辞にいう。悔恨消失す。虞翻の説明では、九二は位に当らずもと悔あり。一動すれば便ち正位を得、また下卦の中に処りて多く称譽を獲。だから「悔亡」。《小象伝》にいう。九二の悔亡は、能く長久に中を守ればこそ。荀爽の説明では、乾に長久の義あり。九二は能く長久に中和の道を施行し、陽爻を以て陰位を據有す。だから「能久中也」。

九三:不恆其德,或承之羞,貞吝。 荀爽曰:與初同象,欲據初,隔二。與五為兌,欲悅之,隔四。意無所定,故“不恆其德”。與上相應,欲往承之,為陰所乘,故“或承之羞”也。貞吝者,謂正居其所,不與陰通也。無居自容,故“貞吝”矣。 《象》曰:不恆其德,無所容也。 《九家易》曰:言三取初隔二,應上見乘,是“無所容”。無居自容,故“貞吝”。 九四:田無禽。《象》曰:久非其位,安得禽也。 虞翻曰:田為二也。地上稱田,無禽,謂五也。九四失位,利二上之五,已變承之。故曰“田無禽”。言二五皆非其位,故《象》曰:“久非其位,安得禽也。”。

九三の爻辞にいう。其の徳行を恒久に保持する能わざれば、ある時羞辱を招来し、固守して往くもまた憾惜あり。荀爽の説明では、九三は初六と同じく陽位の象に処り、初六を據有せんと欲するも、九二に隔住せらる。それは九五と合して兌体を成し、往きて取悦せんと欲するも、また九四に隔住せらる。心意は安定する処なし。だから「不恒其徳」。それは上六と相応じ、往きて承奉せんと欲するも、却って反って陰爻に乘せらる。だから「或承之羞」。「貞吝」に至りては、それが端正に原処に守りて陰爻と相通ぜざるを言う。結果は安身の地までもなし。だから憾惜あり。《小象伝》にいう。徳行を恒久に保持する能わざれば、便ち身を容るる処なし。《九家易》にいう。九三は初六を取らんと要するも九二に隔断せられ、上六に応ぜんと要するもまた陰爻に凌乘せらる。これがすなわち「无所容」。身を安んじ自ら容るる処なければこそ「貞吝」。九四の爻辞にいう。田猟して禽獣を打获せず。《小象伝》にいう。長久に自らに属せざる位置上に待つは、いずくんぞ能く禽獣を猟得せんや。虞翻の説明では、「田」は九二を指し、地面の上を田と称す。「无禽」は九五を指す。九四は位に当らず、九二をして上行して五位に至らしめ、自ら変動の後再び往きてそれを承奉するに宜し。だから「田无禽」。これは二・五の両爻皆もと在るべき位置上に在らざるを言う。しかるがゆえに《小象伝》に「久非其位,安得禽也」という。

六五:恆其德,貞婦人吉,夫子凶。 虞翻曰:動正成乾,故“恆其德”。婦人謂初。巽為婦。終變成益,震四復初,婦得歸陽,從一而終,故“貞婦人吉也”。震,乾之子,而為巽夫,故曰“夫子”。終變成益,震四從巽,死於坤中,故“夫子凶”也。 《象》曰:婦人貞吉,從一而終也。 虞翻曰:一謂初,終變成益,以巽應初震,故“從一而終也”。 夫子制義,從婦凶也。 虞翻曰:震沒從巽入坤,故“從婦凶”矣。 上六:震恆,凶。《象》曰:震恆在上,大無功也。 虞翻曰:在震上,故“震恆”。五動乘陽,故“凶”。終在益上,五遠應,故“無功也”。

六五の爻辞にいう。其の徳を恒守すれば、婦人はこれを守れば則ち吉、男子はこれを守れば則ち凶。虞翻は卦変に依って解く。六五は一動して正を得て乾を成す。だから「恒其徳」。「婦人」は初六を指し、巽は婦である。全卦は最終に《益》に変じ、震の四爻は初位に回り、婦人は陽剛に帰属するを得、一に從い終わる。だから「貞婦人吉」。震は乾の長子なれど、却ってここに於て巽の丈夫を充当す。だから「夫子」と称す。最終に《益》に変じたる後、震の四爻は反って往きて巽に順從し、坤中に陥没す。だから「夫子凶」。《小象伝》にいう。婦人の正を守りて吉を得るは、一に從い終わればこそ。虞翻の説明では、「一」は初爻を指す。最終に《益》卦に変じ、巽を以て初位の震に応ず。だから「従一而終也」。《小象伝》またいう。男子はまさに事宜を裁断すべく、一味婦人に順從すれば凶なり。虞翻の説明では、震は沈没して下り巽に随いて坤に入る。だから「従婦凶」。上六の爻辞にいう。震動不已にして恒久を求むれば、凶険。《小象伝》にいう。震動不已にして高位に高居するは、大いに功なし。虞翻の説明では、上六は震体の上に在る。だから「震恒」と称す。六五は一動すれば便ち陽剛に凌乘す。だから「凶」。それは最終に《益》卦の上位に処り、六五と相隔遥遠にして呼応する所なし。だから「无功也」。

遁卦

《序卦》曰:物不可以久居其所,故受之以遁。遁者,退也。 韓康伯曰:夫婦之道,以恆為貴,而物之所居,不可恆,宜與世升降,有時而遁者也。 (艮下乾上)。遁:亨。 虞翻曰:陰消姤二也。艮為山,巽為入,乾為遠,遠山入藏,故“遁”,以陰消陽,子弒其父,小人道長,避之乃通,故遁而通。則當位而應,與時行也。

《序卦伝》にいう。万物は一個の地方に長久停留する可からず。だから《恒》卦の後に《遁》を接ぐ。「遁」はすなわち退避である。韓康伯の解釈では、夫婦の道は恒久を以て貴と為すも、事物の居る所の位置は却って一成不変する能わず。まさに世道に随いて起落すべく、しかるがゆえに時あれば便ち退避するを得。《遁》卦は下は艮上は乾。卦辞にいう。亨通。虞翻は十二消息卦に依って解く。《遁》は陰気の陽を消し、《姤》卦より再び一爻を進めて成れるなり。艮は山、巽は入、乾は遠で、遥遠に山に入りて身を蔵す。だから「遁」と称す。陰を以て陽を消すは、兒子の父親を弑殺するがごとく、小人の道はまさに滋長す。ただそれを躲開してこそ通達する能くす。だから退避して反って亨通す。而して九五は位に当りてまた六二と相応ず。まさに時勢に随いて行くなり。

小利貞。 虞翻曰:小,陰,謂二。得位浸長,以柔變剛,故“小利貞”。 鄭玄曰:遁,逃去之名也。艮為門闕。乾有健德。互體有巽,巽為進退。君子出門,行有進退,逃去之象。二五得位而有應,是用正道得禮見召聘。始仕他國,當尚謙謙。小其和順之道,居小官,乾小事其進以漸,則遠妨忌之害,昔陳敬仲奔齊辭卿是也。

卦辞続いていう。小なる者は正を守るに利あり。虞翻の説明では、「小」は陰を指し、すなわち六二なり。それは位を得て漸々滋長し、柔を以て剛を変ず。だから「小利貞」。鄭玄は則ち物象と史事に依りていう。「遁」は逃走の名称である。艮は門闕、乾は剛健の徳あり、互体にまた巽あり、巽は進退を主る。君子は門を走出し、行動に進退あり。まさに逃走の象なり。二・五の両爻は各々其の位を得て彼此相応ず。これは君子が正道に凭りて礼数に合するの征召聘請を受くるを表示す。初めて別国に到りて出仕するは、まさに謙にしてまた謙を崇尚し、自らの和順の道を放低し、小官を為し小事を辦し、一歩一歩慢慢に上進すれば、便ち忌を招き害を受くるの禍に遠離する能くす。從前陳敬仲は斉国に逃奔して卿位を辞したるは、すなわちかかる例子なり。

《彖》曰:遁亨,遁而亨也。 侯果曰:此本乾卦。陰長剛殞,君子遁避,遁則通也。 剛當位而應,與時行也。 虞翻曰:剛謂五而應二,艮為時,故“與時行”矣。 小利貞,浸而長也。 荀爽曰:陰稱小,浸而長,則將消陽,故“利正”。居二與五相應也。 遁之時義大矣哉。 陸績曰:謂陽氣退,陰氣將害,隨時遁避,其義大矣。 宋衷曰:太公遁殷,四皓遁秦之時也。

《彖伝》にいう。遁の亨通する所以は、退避を懂得してこそ亨通すればこそ。侯果の説明では、この卦はもと乾卦より来り、陰気は漸長して剛徳は損を受く。君子はここに退避し、一退避して反って通達す。《彖伝》にいう。剛爻は位に当りて相応あり、時勢に随いて行く。虞翻の説明では、「剛」は九五を指し、それは六二と相応ず。艮に時の意あり。だから「与时行」。《彖伝》にいう。小なる者は正を守るに利あるは、陰はまさに浸潤滋長すればこそ。荀爽の説明では、陰は「小」と称さる。それは一点点滋長して往けば便ち陽を消滅せんとす。だからそれに「正を守るに利あり」を叮嚀す。それは二位に居りて九五と相応ず。《彖伝》は讚嘆していう。《遁》卦の処する所の時勢と意義は、実に重大なり。陸績の説明では、これは陽気の退却・陰気のまさに害を為さんとするを言う。能く時勢に順応して退避すれば、其の中の義理は甚だ大なり。宋衷は史事を挙げて印證す。姜太公の殷紂を避け、商山四皓の秦朝を避けるは、まさにかかる時なり。

《象》曰:天下有山,遁。 崔覲曰:天喻君子,山比小人。小人浸長,若山之侵天。君子遁避,若天之遠山,故言“天下有山遁也”。 君子以遠小人,不惡而嚴。 虞翻曰:君子謂乾。乾為遠,為嚴。小人謂陰。坤為惡,為小人。故“以遠小人,不惡而嚴”也。 侯果曰:群小浸盛,剛德殞削,故君子避之。高尚林野,但矜嚴於外,亦不憎惡於內,所謂吾家耄遜於荒也。

《大象伝》にいう。天の下面に山あり。これが《遁》である。崔覗の説明では、天は君子に比喩し、山は小人に比喩す。小人は漸々滋長し、山の上天を侵逼するがごとし。君子は退避し、天の遥遠に山を離るるがごとし。だから「天下有山,遁」。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて小人を疏遠し、憎悪を表現せずして自ら威厳あり。虞翻は取象より講ず。「君子」は乾を指し、乾は遠・厳である。「小人」は陰を指し、坤は悪・小人なり。だから「以遠小人,不悪而厳」。侯果は人事より講ず。小人は群を成して気焔日に盛なり、剛正の徳は削損せらる。だから君子は彼らを躲開し、山林原野に隠居す。ただ外表の上に於て荘重威厳を保持し、内心は却って并びに憎恨を懐かず。すなわち《尚書・微子》のいう所の「我家老人退避于荒野」のごとき態度なり。

初六:遁尾,厲,勿用有攸往。 陸績曰:陰氣已至於二,而初在其後,故曰“遁尾”也。避難當在前,而在後,故“厲”。往則與災難會,故“勿用有攸往”。 《象》曰:遁尾之厲,不往何災也。 虞翻曰:艮為尾也。初失位,動而得正,故“遁尾厲”。之應成坎為災,在艮宜靜,若不往於四,則無災矣。

初六の爻辞にいう。退避して末尾に落れば、危険、前往する所有る可からず。陸績の説明では、陰気はすでに第二爻に進み、而して初六はなお其の後面に落つ。だから「遁尾」と称す。禍難を躲避するはもとまさに前頭を搶すべく、今却って後面に落つ。だから「厲」。再び前に往けば便ち災難に撞上せん。だから「勿用有攸往」。《小象伝》にいう。遁尾の危険なる所以は、前往せざればまた何の災禍かあらん。虞翻の説明では、艮は尾である。初六は位に当らず、変動の後にこそ正を得。だから「遁尾厲」。それはもし前に往きて九四に應和せば便ち坎を成して災と為る。身に艮体に処るはもとまさに安静すべく、ただ四位に往かざれば、便ち災禍なし。

六二:執之用黃牛之革,莫之勝說。 虞翻曰:艮為手,稱執;否坤為黃牛;艮為皮。四變之初,則坎水濡皮。離日乾之。故“執之用黃牛之革”。莫,無也。勝,能。說,解也。乾為堅剛,巽為繩,艮為手,持革縛三在坎中,故“莫之勝說”也。 《象》曰:執用黃牛,固志也。 侯果曰:六二離爻,離為黃牛。體艮履正,上應貴主。志在輔時,不隨物遁。獨守中直,堅如革束。執此之志,莫之勝說。殷之父師,當此爻矣。

六二の爻辞にいう。黄牛皮の做成する繩索を以て彼を捆住すれば、人は之を解開する能くするなし。虞翻は取象より講ず。艮は手なればこそ「執」と称す。《否》卦の坤は黄牛、艮は皮である。九四は初位に変れば便ち坎水は皮革を浸潤し、再び離日に由りてそれを晒乾す。だから「執之用黄牛之革」。「莫」は没有で、「勝」は能で、「説」は解開である。乾は堅剛、巽は繩、艮は手で、手は皮索を持ちて九三を坎中に捆縛す。だから「莫之勝説」。《小象伝》にいう。黄牛皮を以て捆縛するは、心志堅固なればこそ。侯果の説明では、六二は離体の爻で、離は黄牛である。それは身に艮体に処りて行為は正を守り、上に尊貴の君に応ず。其の心志は時局を匡輔するに在り、衆人と一同に退避するを肯ぜず、独り中正剛直を守る。堅固なること皮索の捆扎するがごとし。かかる志向を執守すれば、誰もまたそれを解開する法なし。殷商の父師箕子は、まさにこの一爻に当起るを得。

九三:係遁,有疾厲,畜臣妾,吉。 虞翻曰:厲,危也。巽為四變,時九三體坎,坎為疾。故“有疾厲”。遁陰剝陽,三消成坤,與上易位。坤為臣,兌為妾上來之三,據坤應兌,故“畜臣妾吉”也。 《象》曰:係遁之厲,有疾憊也。 王肅曰:三上繫於二而獲遁,故曰係遁。病此係執而獲危懼,故曰“有疾憊也”。此於六二,畜臣妾之象。足以畜其臣妾,不可施為大事也。 畜臣妾吉,不可大事也。 虞翻曰:三動入坤,坤為事,故“不可大事也”。 荀爽曰:大事謂與五同任天下之政。潛遁之世,但可居家畜養臣妾,不可治國之大事。

九三の爻辞にいう。牽係あるの退避は、疾患ありて危険、奴僕侍妾を畜養すれば則ち吉。虞翻の説明では、「厲」は危である。巽は九四変動の時、九三の体は坎を成し、坎は疾なり。だから「有疾厲」。遁卦は陰の陽を剥落し、三爻消去すれば便ち坤を成し、上爻と位置を交換す。坤は臣、兌は妾で、上爻は下りて三位に居り、下に坤に據して上に兌に応ず。だから「畜臣妾吉」。《小象伝》にいう。係遁の危険は、疾ありて困頓するに在ればこそ。王肅は人事より解釈す。九三は上に六二に牽係してこそ退避を得。だから「系遁」と称す。まさにこの種の牽係執着に苦むに因りてこそ危懼を招来す。だから「有疾憊也」。これは六二に対して言えば、すなわち臣妾を畜養するの象で、以て臣妾を豢養するに足るも、以て大事を為すに拿ずる能わず。爻辞にいう。臣妾を畜養すれば吉祥、大事を為す可からず。虞翻の説明では、九三は一動すれば便ち坤に入り、坤は事なり。だから「不可大事」。荀爽は補充していう。いわゆる大事は、九五と一同に天下の政務を担当するを指す。隠退避世の時候に於ては、ただ家中に安居して臣妾を畜養するのみ、治国の大事を辦しに往く能わず。

九四,好遁,君子吉,小人否。 虞翻曰:否乾為好,為君子;陰稱小人。動之初,故“君子吉”。陰在四多懼,故“小人否”。得位承五,故無凶咎矣。 《象》曰:君子好遁,小人否也。 侯果曰:不處其位,而遁於外,好遁者也。然有應在初,情未能棄。君子剛斷,故能舍之。小人繫戀,必不能矣。故“君子吉,小人凶”矣。 九五:嘉遁,貞吉。 虞翻曰:乾為嘉,剛當位應二,故“貞吉”。謂三已變,上來之三,成坎象,故曰“以正志也”。 《象》曰:嘉遁貞吉,以正志也。 侯果曰:時否德剛,雖遁中正,嘉遁者也。故曰“貞吉”。遁而得正,則群小應命,所謂紐以紊之。剛正群小之志,則殷之高宗當此爻矣。

九四の爻辞にいう。能く愛を割いて退避すれば、君子は吉祥、小人は之を為す能わず。虞翻の説明では、《否》卦の乾は美好の義あり、また君子と為り、陰は則ち小人と称さる。九四は変動して下に初位に応ず。だから「君子吉」。陰爻は四位に処りて多く憂懼あり。だから「小人否」。九四は位を得て上に九五を承く。しかるがゆえに凶険と過咎なし。《小象伝》にいう。君子は能く愛を割き退避すれど、小人は則ち能わず。侯果の説明では、自らの位置に安処せずして外面に退避するは、これがすなわち「好遁」なり。然りと雖も九四は初六と相応じ、情感の上ではなお捨て得ず。君子は剛毅果断なればこそ能く割舍す。小人は牽掛留戀すれば必定之を為す能わず。だから「君子吉,小人凶」。九五の爻辞にいう。嘉美の退避、正を守りて吉。虞翻の説明では、乾に嘉美の義あり、九五は陽剛にして位に当りて六二と相応ず。だから「貞吉」。九三すでに変じ、上爻は下りて三位に居りて坎象を成す。だから《小象伝》に「以正志也」という。《小象伝》にいう。嘉遁して正を守りて吉を得るは、心志を端正せばこそ。侯果は史事より講ず。時勢は閉塞して其の徳は剛健なり、退避すると雖もなお中正を守る。これがすなわち嘉美の退避なり。だから「貞吉」。退避して能く正を守れば、衆小人は便ち命を聴かん。すなわちいわゆる綱紐を以て紛乱を収束するなり。能く群小の心志を端正せば、すれば殷商の高宗武丁はまさにこの一爻に当起るを得。

上九:肥遁,無不利。 虞翻曰:乾盈為肥。二不及上,故“肥遁無不利”。《象》曰:“無所疑也。” 《象》曰:肥遁無不利,無所疑也。 侯果曰:最處外極,無應於內。心無疑戀,超世高舉。果行育德,安時無悶,遁之肥也。故曰“肥遁無不利”,則潁濱巢許當此爻矣。

上九の爻辞にいう。寛裕従容に退避すれば、不利なき所なし。虞翻の説明では、乾気の充盈はすなわち「肥」である。六二の陰気はなお上爻に够到せず。だから「肥遁无不利」。《小象伝》はしかるがゆえに「无所疑也」という。《小象伝》にいう。肥遁して不利なきは、心中毫も疑慮なければこそ。侯果の説明では、上九は最外の極点に処り、内卦にそれと相応ずる爻なく、心裏既に疑慮なくまた留戀なし。世俗を超脱して高蹈遠挙す。果決に事を行いて以て徳行を培育し、時命に安んじて苦悶を覚えず。これがすなわち退避の中の寛裕自得なり。だから「肥遁无不利」。潁水の濱の巢父・許由は、まさにこの一爻に当起るを得。

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