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臨卦

唐 · 李鼎祚 · 第7巻 / 22

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

(兌下坤上)臨:元、亨、利、貞。虞翻曰:陽息至二,與遁旁通。剛浸而長,乾來交坤,動則成乾,故“元、亨、利、貞”。至于八月有凶。虞翻曰:與遁旁通,臨消於遁,六月卦也。於周為八月。遁弒君父,故“至于八月有凶”。荀公以兌為八月,兌於周為十月。言八月,失之甚矣。

《臨》卦は兌は下、坤は上。卦辞にいう。元・亨・利・貞。虞翻は十二消息と旁通に依りて説を立つ。陽気は生息して第二爻に至り、この卦は《遁》卦と旁通す。陽剛は漸漸浸潤生長し、乾は来りて坤と交合し、変動すれば乾を成す。だから「元、亨、利、貞」。卦辞また「至于八月有凶」という。虞翻の説明では、《臨》は《遁》と旁通し、《臨》は消退すれば《遁》を成す。《遁》は夏暦六月の卦で、周暦の中には則ち八月である。《遁》に臣の君を弑し子の父を弑する象あり。だから「至于八月有凶」。荀爽は兌を以て八月と為す。然るに兌は周暦の中には十月なり。それを以て八月を講ずるは、錯ること甚だし。

鄭玄曰:臨,大也。陽氣自此浸而長大,陽浸長矣。而有四德,齊功於乾,盛之極也。人之情盛則奢淫,奢淫則將亡,故戒以凶。臨卦斗建丑而用事,殷之正月也。當文王之時,紂為無道,故於是卦為殷家著興衰之戒,以見周改殷正之數雲。臨自周二月用事,訖其七月,至八月而遁卦受之,此終而復始,王命然矣。

鄭玄は暦法と史事に依りて説を立つ。「臨」は盛大である。陽気はここより始めて漸漸生長壮大す。陽気すでに浸長し、この卦また元・亨・利・貞の四徳を具備し、功用は《乾》と相斉く、盛んなる極点に到ると謂う可し。而して人の常情は、興盛すれば便ち奢侈淫佚し易く、奢侈淫佚すれば便ち滅亡に走向せん。だから「凶」を以て告誡す。《臨》卦は北斗の斗柄が丑位に指向する時に当令用事し、殷暦の正月に相当す。まさに周文王の時に当り、商紂王は暴虐無道なり。だからこの一卦の裏に殷王朝の為に興衰の鑒戒を標明し、またこれに借りて周朝の殷暦正朔の月数を更改するを見出す。《臨》は周暦二月より用事を始め、七月に至りて止み、八月に至れば便ち《遁》卦に接替せらる。かくのごとく終わりて復た始まるは、王朝の命運もまたまさにかくのごとし。

《彖》曰:臨,剛浸而長。虞翻曰:剛,謂二也。兌為水澤,自下浸上,故“浸而長”也。說而順,剛中而應。大亨以正,天之道也。虞翻曰:說,兌。順,坤也。剛中,謂二也。四陰皆應之,故曰“而應”。大享以正,謂三動成乾。天得正為泰,天地交通。故“亨以正,天之道也”。至于八月有凶,消不久也。蜀才曰:此本坤卦。剛長而柔消,故“大亨利正”也。案:臨十二月卦也。自建丑之月,至建申之月,凡歷八月,則成否也。否則天地不交,萬物不通,是至于八月有凶,斯之謂也。

《彖伝》にいう。《臨》卦は陽剛漸漸浸潤生長す。虞翻の説明では、「剛」は九二を指す。兌は水沢で、水は下より上に向かい浸潤す。だから「浸而長」。《彖伝》またいう。喜悅にして柔順、陽剛は中に居りて上下相応じ、大いに亨通してまた能く正を守るは、これ上天の道なり。虞翻の説明では、「説」は兌を指し、「順」は坤を指す。「剛中」は九二を指し、四個の陰爻は皆来りてそれに応ず。だから「而応」。「大亨以正」は第三爻変動して乾を成すを言う。天は其の正を得れば《泰》を成し、天地交通往來す。だから「亨以正,天之道也」。《彖伝》にいう。八月に至りて凶険あらんは、陽気消退して能く長久ならざればこそ。蜀才は卦変に依って解く。この卦はもと《坤》卦より変じ来り、陽剛は生長して陰柔は消退す。だから「大亨利正」。李鼎祚の案語にいう。《臨》は夏暦十二月の卦である。斗柄の丑を指す月より斗柄の申を指す月に数えて、一共に八箇月を経歴して、便ち《否》卦に変ず。《否》は則ち天地相交わらず万物通達せず。いわゆる「至于八月有凶」は、言う所まさにこれなり。

《象》曰:澤上有地,臨。荀爽曰:澤卑地高,高下相臨之象也。君子以教思無窮,容保民無疆。虞翻曰:君子,謂二也。震為言,兌口講習。學以聚之,問以辯之。坤為思,剛浸長,故“以教思無窮”。容,寬也。二寬以居之,仁以行之;坤為容,為民,故“保民無疆”矣。

《象伝》にいう。沢上に地あり。これが《臨》である。荀爽の説明では、沢は低く地は高し。まさに高きに居る者が卑下の者を俯臨する形象である。《象伝》続いていう。君子はこれに因りて教誨の心思窮尽なく、百姓を容納保護するに疆界なし。虞翻の説明では、君子は九二を指す。震象は言語、兌象は口で、合せてまさに講習の象なり。すなわち《文言》のいう所の学問を以てそれを聚積し、詢問を以てそれを辨析す。坤象は思慮で、陽剛また浸長せり。だから「教思无窮」。「容」は寛宏である。九二は寛宏を以て自処し、仁愛を以て行事す。坤象は容納・百姓である。だから「保民无疆」。

初九:咸臨,貞吉。虞翻曰:咸,感也。得正應四,故“貞吉”也。《象》曰:咸臨貞吉,志行正也。荀爽曰:陽始咸升,以剛臨柔。得其正位而居,是吉。故曰:“志行正”。九二:咸臨,吉,無不利。虞翻曰:得中多譽。兼有四陰。體復初。元吉。故“無不利”。《象》曰:咸臨吉,無不利,未順命也。荀爽曰:陽感至二,當升居五,群陰相承,故“無不利”也。陽當居五,陰當順從,今尚在二,故曰“未順命也”。

初九の爻辞にいう。感応の徳を以て俯臨し、正を守れば吉を得。虞翻の説明では、「咸」は感応である。初九は正位を得て上に六四に応ず。だから「貞吉」。《象伝》にいう。咸臨して正を守りて吉を得るは、心志の行う所端正なればこそ。荀爽は乾升坤降に依りて説を立つ。陽気は始めて感通して上昇し、剛を以て柔に臨み、また正位を得て安居す。だから吉、故に「志行正」という。九二の爻辞にいう。感応の徳を以て俯臨すれば、吉にして利あらざる所なし。虞翻の説明では、九二は中に居りて多く称譽を獲、また上の四個の陰爻を兼領す。卦体に《復》卦初爻の元吉の義を含む。だから「无不利」。《象伝》にいう。咸臨して吉にして利あらざる所なきは、いまだ天命に順承せざればこそ。荀爽の説明では、陽気は第二爻に感通し、もとまさに上昇して五位に居るべく、群陰は依次に承奉す。だから「无不利」。陽はもとまさに五位に居るべく、陰はもとまさに順從すべし。今陽はなお二位に停留在す。だから「未順命也」という。

六三:甘臨,無攸利,既憂之,無咎。《象》曰:甘臨,位不當也。既憂之,咎不長也。虞翻曰:兌為口,坤為土,土爰稼穡作甘。兌口銜坤,故曰“甘臨”。失位乘陽,故“無攸利”。言三失位無應,故“憂之”。動而成泰,故“咎不可長也”。

六三の爻辞にいう。甘言を以て俯臨すれば、利益ある所なし。すでにこれが為に憂慮すれば、便ち咎なし。《象伝》にいう。甘臨は、処る所の位恰も当らざればこそ。すでに憂慮すれば、過咎は長久ならざらん。虞翻の説明では、兌象は口、坤象は土である。《尚書・洪範》に土は稼穡を主管して甘味を生出すという。兌口は坤土を含む。だから「甘臨」。六三は位を失いてまた陽爻を乘凌す。だから「无攸利」。まさにそれが位を失いてまた正応なければこそ、これが為に憂慮するを要す。それは変動の後《泰》卦を成す。だから「咎不可長」。

六四:至臨,無咎。虞翻曰:至,下也。謂下至初,應當位,有實,故“無咎”。《象》曰:至臨無咎,位當也。荀爽曰:四與二同功,欲升二至五,已得承順之,故曰“至臨”也。陽雖未乘,處位居正,故得“無咎”。是位當也。

六四の爻辞にいう。親ら下に至りて俯臨すれば、咎なし。虞翻の説明では、「至」はすなわち下に到るなり。六四の初九に下至るを言い、応ずる所の爻は位に居りて当を得て充実の徳あり。だから「无咎」。《象伝》にいう。至臨して咎なきは、位置恰も当なればこそ。荀爽は升降に依りて説を立つ。六四と九二は功用相同じく、九二の上昇して五位に至るを希望し、自ら便ち能くそれを承順す。だから「至臨」。陽爻はいまだ升りて来りて其の承奉に供することなしと雖も、六四の処る所の位は正に居る。だから能く「无咎」。これがすなわち位当なり。

六五:知臨,大君之宜,吉。《象》曰:大君之宜,行中之謂也。荀爽曰:五者,帝位。大君,謂二也。宜升上居五位,吉。故曰“知臨,大君之宜”也。二者處中,行升居五,五亦處中,故曰“行中之謂也”。

六五の爻辞にいう。智慧を以て俯臨するは、これ大君の応有の作為にして、吉。《象伝》にいう。大君の応有の作為は、講ずる所すなわち中道を行うなり。荀爽は乾升坤降に依りて説を立つ。五は帝王の位で、「大君」は九二を指す。九二は上昇して五位に占居するに宜し。だから吉、故に「知臨,大君之宜」という。九二は本身下卦の中に処り、上行して五位に居り、五位もまた上卦の中に処る。だから「行中之謂也」。

上六:敦臨,吉,無咎。荀爽曰:上應於三,欲因三升二,過應於陽,敦厚之意,故曰:“敦臨吉無咎”。《象》曰:敦臨之吉,志在內也。《九家易》曰:志在升二也。陰以陽為主。故志在內也。《序卦》曰:物大然後可觀也。故受之以觀。崔覲曰:言德業大者,可以觀政於人,故受之以觀也。

上六の爻辞にいう。敦厚の徳を以て俯臨すれば、吉にして咎なし。荀爽の説明では、上六と六三は相応じ、六三に借りて九二の上昇を接引せんと欲し、常例を超出して陽爻に応ず。敦厚の意を含有す。だから「敦臨吉无咎」。《象伝》にいう。敦臨の吉なる所以は、心志を内卦に放てばこそ。《九家易》の説明では、これは心志が九二をして上昇せしむるに在るを言う。陰は陽を以て主と為す。だから心志は内に在りという。《序卦伝》にいう。事物盛大なるの後にこそ觀仰せらる可し。だから《臨》卦の後に《觀》卦が続く。崔覗の説明では、これは徳行事業盛大の人は、自らの政教を以て人に觀看するに展示する可きを言う。だから《觀》卦に続く。

觀卦

(坤下巽上)觀:盥而不薦,有孚顒若。鄭玄曰:坤為地,為眾。巽為木,為風。九五,天子之爻。互體有艮。艮為鬼門,又為宮闕。地上有木。而為鬼門宮闕者,天子宗廟之象也。王弼曰:王道之可觀者,莫盛乎宗廟。宗廟之可觀者,莫盛乎盥也。至薦簡略,不足復觀,故“觀盥而不薦”也。

《觀》卦は坤は下、巽は上。卦辞にいう。ただ祭前に酒を灌ぎて神を降すの礼を觀て、後の犠牲を進獻するを觀ず。觀る者の心中はすでに誠信に充満して粛然として敬起す。鄭玄は卦象と礼制に依って解く。坤は地・衆、巽は木・風、九五は天子の爻である。卦中の互体に艮あり、艮は鬼門にしてまた宮闕である。地上に樹木ありて、また鬼門宮闕の象あり。これまさに天子宗廟の形象である。王弼の説明では、王道の中に最も觀仰に値するは、宗廟より盛大なるはなし。宗廟の礼の中に最も觀仰に値するは、酒を灌ぎて神を降すより盛大なるはなし。犠牲を進獻するに至れば、礼節便ち簡略にして、再び看るに値せず。だから「觀盥而不薦」という。

馬融曰:盥者,進爵灌地,以降神也。此是祭祀盛時,及神降薦牲,其禮簡略,不足允也。國之大事,唯祀與戎。王道可觀,在於祭祀。祭祀之盛,莫過初盥降神。故孔子曰:諦自既灌而往者,吾不欲觀之矣。此言及薦簡略,則不足觀也。以下觀上,見其至盛之禮,萬民信敬,故云“有孚顒若”。孚,信。顒,敬也。案:鬼神害盈,禍淫福善。若人君修德,至誠感神。信則黍稷非馨,明德惟馨。故“觀盥而不觀薦”,饗其誠信者也。斯即東鄰殺牛,不如西鄰之禴祭,實受其福,是其義也。

馬融の説明では、「盥」は爵を捧げて酒を地上に澆灌し、以て神霊を迎降す。これまさに祭祀最も隆盛の時刻である。神すでに降臨して犠牲を進獻するに至れば、礼節便ち簡略にして、人に取信するに足らず。国家の大事は、ただ祭祀と軍事のみ。王道中に觀仰に値するは祭祀に在り、而して祭祀最も隆盛の処は、開頭の酒を灌ぎて神を降すに如くなし。だから孔子はいう。禘祭を挙行するに、灌酒以後の部分は、われ便ち再び看んと欲せず。これはすなわち犠牲を進獻するに至りて礼節簡略なれば、便ち觀仰に値せざるを言う。下に在る者を以て上に在る者を觀仰し、かくのごとき至極隆盛の礼儀を見れば、万民皆誠信にして敬服す。だから「有孚顒若」。「孚」は誠信、「顒」は敬粛である。李鼎祚の案語にいう。鬼神は盈満を加害し、淫邪に降禍し善良に賜福す。假令君主徳行を修養し、至誠を以て神明に感通せば、すればまさに《尚書》のいう所のごとく、黍稷は馨と算せず、ただ光明の徳行のみ馨と算す。だからただ灌酒の礼を觀て犠牲の進獻を觀ず。神明の享受する所はすなわちあの誠信なればこそ。これもまた《既濟》のいう所の東辺の隣国は牛を殺して盛祭するも、西辺の隣国の微薄の禴祭の真に福沢を承受するに如かずと、まさに同一の道理なり。

《彖》曰:大觀在上,蜀才曰:此本乾卦。案:柔小浸長,剛大在上,其德可觀,故曰“大觀在上”也。順而巽,中正以觀天下。虞翻曰:謂陽息臨二,直方大。臨者,大也。在觀上,故稱“大觀”。順,坤也。中正謂五。五以天神道觀示天下,咸服其化,賓于王庭。

《彖伝》にいう。偉大なる觀仰の対象は上位に高居す。蜀才は卦変に依って解く。この卦はもと《乾》卦より変じ来る。柔小の者は漸漸生長し、剛大の者は上位に高居し、其の徳は人に觀仰せらる可し。だから「大觀在上」。《彖伝》またいう。柔順にして謙遜、中正の徳を以て天下に展示す。虞翻の説明では、これは陽気の生息して《臨》卦の第二爻に至り、《坤》卦六二のいう所の正直・方正・宏大の徳を具備するを言う。《臨》はすなわち大にして、而してそれはまた《觀》の上に在る。だから「大觀」と称す。「順」は坤を指し、「中正」は九五を指す。九五は上天神明の道を以て天下に展示し、天下皆其の教化に服從し、来りて王庭に於て賓客と為る。

觀,盥而不薦,有孚顒若,下觀而化也。虞翻曰:觀,反臨也。以五陽觀示坤民,故稱“觀”。盥,沃盥。薦,羞牲也。孚,信,謂五。顒顒,君德,有威容貌。若,順也。坎為水,坤為器,艮手臨坤,坎水沃之,盥之象也。故“觀盥而不薦”。孔子曰:諦自既灌,吾不欲觀之矣。巽為進退,容止可觀,進退可度,則下觀其德而順其化。上之三,五在坎中,故“有孚顒若,下觀而化”。《詩》曰:顒顒卬卬,如珪如璋。君德之義也。

《彖伝》は卦辞を引いていう。ただ酒を灌ぎて神を降すを觀て犠牲の進獻を觀ず、誠敬粛然たるは、これ在下者の觀仰して感化を受くるなり。虞翻の説明では、《觀》は《臨》を反覆した卦である。九五この一陽爻を以て坤の象する所の百姓に展示す。だから「觀」と称す。「盥」は水を澆ぎて手を洗い酒を灌ぐなり。「薦」は犠牲を進獻するなり。「孚」は誠信で九五を指す。「顒顒」は君主の徳容で、威厳の儀表あり。「若」は順である。坎は水、坤は器皿、艮の象する所の手は坤器の上に臨み、坎水を以て澆灌す。まさに盥洗の象である。だから「觀盥而不薦」。孔子かつていう。禘祭を挙行すれば、灌酒以後はわれ便ち再び看んと欲せず。巽象は進退で、儀容举止は觀仰に供す可く進退は法度を作す可し。すれば在下者は便ち其の徳行を觀仰して其の教化に順從す。上爻より三位に至り、九五は坎体の中に処る。だから「有孚顒若,下觀而化」。《詩経・大雅・巻阿》にいう。儀容荘厳軒昂、圭のごとく璋のごとく美好なり。講ずる所まさに君主の徳なり。

觀天之神道,而四時不忒。虞翻曰:忒,差也。神道謂五。臨,震兌為春秋,三上易位,坎冬離夏,日月象正。故“四時不忒”。聖人神道設教,而天下服矣。虞翻曰:聖人謂乾,退藏於密,而齊於巽,以神明其德教,故“聖人設教”,坤民順從,而天下服矣。

《彖伝》にいう。上天神妙の運行の道を觀仰すれば、四時便ち差錯あらざらん。虞翻の説明では、「忒」は差錯で、「神道」は九五を指す。《臨》卦中に震は春・兌は秋で、三爻と上爻と其の位を互換せば、則ち坎は冬・離は夏と為り、日月の象各々其の正を得。だから「四時不忒」。《彖伝》またいう。聖人は神道に依りて教化を設立すれば、天下便ち皆服從す。虞翻の説明では、聖人は乾を指す。《系辞》にそれは退隱して幽密の中に潜蔵し、而して巽位の上に於て万物を整斉し、神妙を以て自らの徳教を彰明すという。だから「聖人設教」。坤の象する所の百姓は順從し、しかるがゆえに天下服從す。

《象》曰:風行地上,觀。先王以省方觀民設教。《九家易》曰:先王謂五。應天順民,受命之王也。風行地上,草木必偃,枯槁朽腐,獨不從風,謂應外之爻。天地氣絕,陰陽所去,象不化之民,五刑所加,故以省察四方,觀視民俗,而設其教也。言先王德化,光被四表,有不賓之民,不從法令,以五刑加之,以齊德教也。

《象伝》にいう。風は地上に吹行す。これが《觀》である。先王はこれに因りて四方を巡視し民情を觀察して教化を設立す。《九家易》の説明では、「先王」は九五を指し、天命に順応し民心に順從して命を受けて王と為る人である。風は地上に吹行すれば、草木必ず風に随いて倒伏す。ただ彼の枯槁朽爛するのみ風に随いて動かず。指す所は外卦と相応する那の幾爻なり。彼らは天地の気すでに断絶し、陰陽すでに離去し、彼らの教化を受けざる百姓を象徴す。まさに五刑の施加するを要する所なり。だから先王は四方を巡察し、民間風俗を觀看し、これによりて教化を設立す。これは先王の徳化は四方の外を普照し、もし帰服するを肯ぜざる百姓の法令に遵従せざるあらば、便ち五刑を以て之に加え、これを以て徳教を整斉するを言う。

初六:童觀,小人無咎,君子吝。虞翻曰:艮為童。陰,小人。陽,君子。初位賤,以小人承君子,故“無咎”。陽伏陰下,故“君子吝”矣。《象》曰:初六童觀,小人道也。王弼曰:失位處下,最遠朝美,無所鑑見,故曰“童觀”。處大觀之時,而童觀趣順而已。小人為之,無可咎責。君子為之,鄙吝之道。

《觀》卦初六の爻辞にいう。孩童のごとく瞻望し、小人かく為れば咎を受けず、君子かく為れば則ち困窘を免れ難し。虞翻は取象を以て解く。上卦艮は幼童を象徴す。だから「童観」と称す。陰爻は小人を代表し、陽爻は君子を代表す。初六は全卦の最下に居り、地位卑賤にして、これ小人の身份を以て上に在る君子を承奉す。本分いまだ失わず。だから「咎を受けず」という。但し陽気は陰爻の下に潜伏し、君子は下位に屈居して見識淺陋なり。だから「君子吝」。《象伝》にいう。初六の「童観」は、まさに小人の走る所の路数なり。王弼は爻位より立論す。初六は陰を以て陽に居りて正を失い、また全卦の最下に処り、九五の朝廷盛美に最も遥遠にして、鑒察するに由なし。だから「童観」と称す。まさに《觀》卦の天下を大観する時に当りて、却って孩童のごとくひたすら随順するのみを得。小人かくのごときは責む可きなし、君子かくのごときは、便ち鄙陋困窘の道と成る。

六二:窺觀,利女貞。虞翻曰:臨兌為女。竊觀稱窺兌女反成巽。巽四五得正,故“利女貞”。艮為宮室,坤為闔戶,小人而應五。故“窺觀女貞利”,不淫視也。《象》曰:窺觀女貞,亦可醜也。侯果曰:得位居中,上應於五。窺觀朝美,不能大觀。處大觀之時,而為窺觀。女正則利,君子則丑也。案:六二離爻,離為目,又為中女。外互體艮,艮為門。闕女目近門,窺觀之象也。

《觀》卦六二の爻辞にいう。門縫の中より偸看す。女子の正道を守持するに宜し。虞翻は卦変に依りて説を立つ。《觀》は《臨》卦より変じ来り、《臨》の下体兌は女子を象徴す。暗がりに偸看するを「窺」と称し、兌女は翻転せば便ち巽と成り、巽は四・五の両位の上に於て各々正を得。だから「利女貞」。また艮は宮室を象徴し、坤は閉合の門戸を象徴す。六二は陰柔の小人にして上に九五に応ず。だから「窺觀女貞利」といい、其の意は目光を放縱して乱看せざるなり。《象伝》にいう。女子の窺看は正を守る可しと雖も、君子に在りてはまた羞ず可きなり。侯果は爻位よりいう。六二はすでに位に当りてまた下体の中位に居り、上に九五と相応ず。然るにそれはただ門縫の中より朝廷の盛美を窺看するのみ能く、放眼して大観する能わず。身に大観の世に処りてただ窺観を作すのみは、女子に在りては正を守りて利を得、君子に在りては便ち羞恥と成る。李鼎祚の案語は補充す。六二は離卦の爻で、離は眼目を象徴し、また中女を象徴す。外卦の成す所の互体は艮で、艮は門戸を象徴す。女子の眼睛は門戸に貼近して外に向かい看る。まさに「窺観」の物象である。

六三:觀我生,進退。虞翻曰:坤為我,臨震為生。生,謂坤生民也;巽為進退,故“觀我生進退”。臨震進之五,得正居中,故《象》曰“未失道”。《象》曰:觀我生進退,未失道也。荀爽曰:我,謂五也。生者,教化生也。三欲進觀於五,四既在前,而三故退,未失道也。

《觀》卦六三の爻辞にいう。自らの作為を省察し、之に拠りて進退を決定す。虞翻はなお卦変を以て解く。坤は「我」を象徴し、《觀》の自ら来る所の《臨》卦の下体震は「生」を象徴す。「生」は坤の生養する所の百姓を指す。巽に進退不定の象あり。だから「觀我生進退」。もし《臨》の震陽前進して第五位に至れば、便ちすでに正を得てまた中に居る。だから《象伝》に「未失道」という。《象伝》にいう。自身を省察して進退を決定するは、正道に背離せざるを説明す。荀爽は別に「我」は九五の君を指し、「生」は教化の化生を指すを主張す。六三はもと上進して九五を瞻仰せんと欲すれど、六四すでに前面に挡在せり。ここに六三は退譲して争わず、進退宜に合す。だから正道に背離せずという。

六四:觀國之光,利用賓于王。虞翻曰:坤為國。臨陽至二,天下文明。反上成觀,進顯天位,故“觀國之光”。王謂五陽。陽尊賓坤。坤為用、為臣,四在王庭,賓事於五。故“利用賓于王”矣。《詩》曰:莫敢不來賓,莫敢不來王。是其義也。《象》曰:觀國之光,尚賓也。崔覲曰:得位比尊,承於王者。職在搜揚國俊,賓薦王庭,故以進賢為尚賓也。

《觀》卦六四の爻辞にいう。一国の光輝盛徳を觀瞻するは、賓客の礼を以て君王の礼遇を受くるに宜し。虞翻の解説では、坤は邦国を象徴す。《臨》卦の陽気は第二爻に上昇し、天下文明大いに開け、陽気は反転して上位に至りて《觀》卦を成し、君徳は天位に顯揚す。だから「觀国之光」。「王」は九五の陽を指し、陽位は尊貴にして坤陰を以て賓と為す。坤に「用」と「臣」の象あり。六四すでに王庭に進入し、賓客の身份を以て九五に事奉す。だから「利用賓于王」。《詩経・商頌・殷武》に「敢て賓に来らざるなし、敢て王に来らざるなし」という。講ずる所まさにこの道理である。《象伝》にいう。一国の光輝を觀瞻するは、賓礼を崇尚すればこそ。崔覗は補充す。六四は位に当りて至尊の位に緊隣し、直に君王を承奉し、職責は国中の俊彦を搜訪薦挙するに在り、賓礼を以て王庭に引進す。だから賢才を挙薦するを以て「尚賓」と為す。

九五:觀我生,君子無咎。虞翻曰:我,身也,謂我生。生,謂生民。震生象。反坤,為死喪。嫌非生民,故不言民。陽為君子,在臨二,失位之五,得道處中,故“君子無咎”矣。《象》曰:觀我生,觀民也。王弼曰:觀我生,自觀其道也。為眾觀之主,當宣文化,光於四表,上之化下,猶風之靡草。百姓有過,在予一人。君子風著,已乃無咎。欲察已道,當觀民也。虞翻曰:坤為民,謂三也。坤體成,故觀民也。

《觀》卦九五の爻辞にいう。自らの生養する所の百姓を省察すれば、君子かく為れば咎あらず。虞翻の説明では、「我」は自身を指し、「我生」の「生」は生養する所の民衆を指す。震に生発の象あり、一旦坤に反成すれば便ち死喪を主る。人をして誤会して指す所生民に非ずとせしむるを怕る。だから爻辞はただ「生」を言いて明らかに「民」を言わず。陽爻は君子を代表し、それはもと《臨》卦の第二爻に在り、位を失いて上行して第五位に至り、すでに正道を得てまた中位に居る。だから「君子咎あらず」という。《象伝》にいう。自らの作為を省察するは、すなわち百姓を省察するなり。王弼は申論す。「觀我生」は自ら省察して自らの行う所の道を見るなり。九五は衆人の瞻仰する主宰で、まさに文教を宣揚し四方に光被すべし。上に在る者は下に在る者を化育す。風の草地を吹き過ぐるがごとく、草は風に随いて伏せざるなし。百姓もし過失あらば、責任は君王一人の身上に在り。君子の徳風顯著なれば、自らこそ咎なからん。だから自らの徳政を考察せんと欲せば、まさに百姓を觀察すべし。虞翻は再び一句を補う。坤は民を象徴し、ここに指すは六三なり。坤体すでに成ればこそ「觀民」という。

上九:觀其生,君子無咎。虞翻曰:應在三,三體臨震,故“觀其生”。君子謂三,之三得正,故“無咎”矣。《象》曰:觀其生,志未平也。王弼曰:觀其生,為人所觀也。最處上,極天下所觀者也。處天下所觀之地,其志未為平易,不可不慎。故君子德見,乃得無咎。生,猶動出也。虞翻曰:坎為志,為平,上來之三,故“志未平”矣。

《觀》卦上九の爻辞にいう。他人の作為を省察すれば、君子かく為れば咎あらず。虞翻の説明では、上九の応ずる所の爻は六三に在り、六三は《臨》卦の震体に属す。だから「觀其生」。「君子」は六三を指し、上九は下行して第三位に至れば便ち正を得。だから咎あらず。《象伝》にいう。「觀其生」は、心志いまだ平静安適する能わざるを言う。王弼は申説す。「觀其生」は自らは他人に觀看せらるるなり。上九は全卦の最高処に処り、天下人の瞻望の極致なり。身に天下の矚目する地に居りて、心志は安然平易なる能わず、一挙一動皆慎重ならざる可からず。だから君子は必ず徳行顯著ならば、こそ咎なきを得ん。ここに「生」は、挙動施為を言うに等し。虞翻はまた卦象よりいう。坎は心志を象徴し平を象徴す。上九は下行して第三位に至りて坎を成す。だから「志未平」という。

噬嗑卦

《序卦》曰:可觀而後有所合,故受之以噬嗑。嗑者,合也。崔覲曰:言可觀政於人,則有所合於刑矣,故曰“可觀而有所合”。(震下離上)。噬嗑:享,利用獄。虞翻曰:否五之坤初,坤初之五,剛柔交,故“亨”也。坎為獄,艮為手,離為明,四以不正,而繫於獄。上當之三,蔽四成豐,折獄致刑,故“利用獄”。坤為用也。案:頤中有物曰噬嗑,謂九四也。四互坎體,坎為法律,又為刑獄,四在頤中,齧而後亨。故“利用獄”也。

《序卦伝》にいう。瞻仰す可き徳政あって然る後にこそ会合する所有り。だから《觀》卦の後に接するは《噬嗑》なり。「嗑」はすなわち会合である。崔覗の説明では、これは能く政教を昭示して人に觀看せしむれば、便ち刑法と相合するを言う。だから「可觀而有所合」。《噬嗑》卦は下は震上は離。卦辞にいう。亨通、刑を用いて獄を断ずるに宜し。虞翻は卦変に依りて説を立つ。《噬嗑》は《否》卦の九五が降りて坤の初位に至り、坤の初六が升りて第五位に至りて変じ来る。剛柔交錯す。だから「亨」。坎は牢獄を象徴し、艮は手を象徴し、離は明察を象徴す。九四は位に当らずして獄中に拘係せられ、上九はまさに第三位に下るべく、九四を遮蔽して《豊》卦を成し、《豊》に獄を断じ刑を用うるの義あり。だから「利用獄」。坤にまた「用」の象あり。李鼎祚の案語にいう。口腮の中に物を含むを「噬嗑」と称す。この物はすなわち九四なり。九四は互体坎の中に処り、坎は法律を象徴しまた刑獄を象徴す。九四は口中に梗在し、必ずそれを咬断して然る後にこそ亨通する能くす。だから「利用獄」。

《彖》曰:頤中有物,曰噬嗑。虞翻曰:物謂四,則所噬乾脯也。頤中無物,則口不噬。故先舉“頤中有物曰噬嗑”也。噬嗑而亨。崔覲曰:物在頤中,隔其上下,因齧而合,“乃得其亨焉。”以喻人於上下之間,有亂群者,當用刑去之,故言“利用獄”。剛柔分,動而明,雷電合而章。盧氏曰:此本否卦。乾之九五,分降坤初;坤之初六,分升乾五。是剛柔分也。分則雷動於下,電照於上,合成天威,故曰雷電合而成章也。柔得中而上行,雖不當位,利用獄也。侯果曰:坤之初六,上升乾五,是柔得中而上行。雖則失位,文明以中,斷制枉直,不失情理,故“利用獄”。

《彖伝》にいう。口中に物を含有するを「噬嗑」と称す。虞翻の説明では、この「物」は九四を指し、すなわち咬む所の那の乾肉なり。口中もし物なくんば、また咬むを言う所なし。だから《彖伝》は先ず「頤中有物曰噬嗑」を標出す。經文続いて「噬嗑而亨」という。崔覗の説明では、物は口中に梗在し、上下顎を隔開し、それを咬断することに凭りて上下こそ合攏する能くし、ここにこそ亨通を得。以て人群上下の間にもし秩序を擾乱する人あらば、まさに刑法を以て彼を除掉すべきを喩う。だから卦辞に「利用獄」という。《彖伝》また「剛柔分,動而明,雷電合而章」という。盧氏の指出では、この卦はもと《否》卦より変じ来り、乾の九五は分出して坤の初位に下降し、坤の初六は分出して乾の五位に上昇す。これがすなわち「剛柔分」。分開の後、雷は下に震動し電は上に照耀し、合せて上天の威勢を構成す。だから雷電相合して文采彰明なりという。《彖伝》再び「柔得中而上行,雖不当位,利用獄也」という。侯果の説明では、坤の初六は乾の第五位に上昇す。これがすなわち柔爻の中位を取得して上行するなり。それは陰を以て陽に居りて位を失うと雖も、能く文明の徳を以て中に居り、曲直を裁断して情理に違背せず。だから「利用獄」。

《象》曰:雷電,噬嗑。宋衷曰:雷動而威,電動而明,二者合而其道章也。用刑之道,威明相兼。若威而不明,恐致淫濫;明而無威,不能伏物。故須雷電併合,而噬嗑備。先王以明罰敕法。侯果曰:雷所以動物,電所以照物。雷電震照,則萬物不能懷邪。故先王則之,明罰敕法,以示萬物,欲萬方一心也。

《大象伝》にいう。雷電交作す。これが《噬嗑》である。宋衷の説明では、雷は一動すれば便ち威勢あり、電は一閃すれば便ち光明あり。二者相合せば、刑を用うるの道こそ彰顯せらる。刑を用うるの道は必ず威勢と明察と兼備するを須う。威勢のみあって明察なければ、濫罰に流るるを恐る。明察のみあって威勢なければ、また人を鎮服する能わず。だから必ず雷電並作するを須うてこそ、《噬嗑》の意義こそ完備と算す。《大象伝》続いていう。先王はこれに因りて刑罰を申明し法令を整飭す。侯果の説明では、雷は以て万物を震動するに用い、電は以て万物を照見するに用いる。雷電は震動照耀すれば、万物は敢て心に奸邪を懐かず。だから先王はこの卦象に效法し、刑罰を申明し法度を整粛し、公布して天下人に看せしむ。四方万国をして同心に遵守せしむるを為とするなり。

初九:屨校滅趾,無咎。虞翻曰:屨,貫。趾,足也。震為足,坎為校;震沒坎下,故“屨校滅趾”。初位得正,故“無咎”。干寶曰:趾,足也,屨校,貫械也。初居剛躁之家,體貪狠之性,以震掩巽,強暴之男也。行侵陵之罪,以陷屨校之刑,故曰“屨校滅趾”。得位於初,顧震知懼,小徵大戒,以免刑戮,故曰“無咎”矣。《象》曰:屨校滅趾,不行也。虞翻曰:否坤小人。以陰消陽,其亡其亡。故五變滅初,否坤殺不行也。干寶曰:不敢遂行強也。

《噬嗑》初九の爻辞にいう。脚上に刑具を套し、脚趾を遮没す。咎を受けず。虞翻の説明では、「屨」は套上・貫穿の意で、「趾」はすなわち脚である。震は足を象徴し、坎は桎梏刑具を象徴し、震は坎の下に陥没す。だから「屨校滅趾」。初九は陽を以て陽に居りて正を得。だから咎を受けず。干宝は人事より立論す。「趾」は脚、「屨校」は脚に刑械を套上するなり。初九は剛躁の震体の中に処り、稟性貪狠にして、震を以て巽を掩伏す。これ強横暴戻の男子にして、他人を侵凌するの罪を犯下し、しかるがゆえに脚鎌を戴する刑罰に落る。だから「屨校滅趾」。但しそれは初位に於て正を得、回頭して震動に因りて畏懼を知り、小懲を受けて大戒を得、これより更に重き刑戮を免る。だから「咎を受けず」という。《象伝》にいう。刑具を戴きて脚趾を遮没するは、彼をして再び前に往きて邪路に上らしめざればこそ。虞翻の説明では、《否》卦の坤は小人を代表し、陰を以て陽を消す。まさに《否》九五の警惕する所の「其亡其亡」なり。だから九五は一変して初爻を消滅せば、《否》卦坤陰の殺伐の勢いは便ち行通らず。干宝は一言にして點明す。これは彼の敢て再び一味逞強せざるを言うなり。

六二:噬膚滅鼻,無咎。虞翻曰:噬,食也。艮為膚,為鼻;鼻沒坎水中,隱藏不見,故“噬膚滅鼻”。乘剛,又得正多譽,故“無咎”。《象》曰:噬膚滅鼻,乘剛也。侯果曰:居中履正,用刑者也。二互體艮。艮為鼻,又為黔喙,噬膚滅鼻之象也。乘剛,噬必深,噬過其分,故“滅鼻也”。刑刻雖峻,得所疾也。雖則滅鼻,而無咎矣。

《噬嗑》六二の爻辞にいう。嫩肉を咬みて深く咬み過ぎ、鼻子までも陥入せり。咎を受けず。虞翻の説明では、「噬」はすなわち喰うなり。艮は柔嫩の肌膚を象徴し、また鼻子を象徴す。鼻子は坎水の中に陥没し、隠蔵して見えず。だから「噬膚滅鼻」。六二は初九陽剛の上に凌駕すると雖も、それは位に当りて正を得、陰は二位に居りて多く称譽を獲。だから咎を受けず。《象伝》にいう。膚を咬み鼻を滅するは、それが陽剛の上に乘凌すればこそ。侯果の説明では、六二は中に居りて位に当る。これ刑罰を執行する人である。二爻は互体艮の中に処り、艮は鼻を象徴し、また鳥獣の黒喙を象徴す。まさに「噬膚滅鼻」の象なり。陽剛を乘凌するに因りて、口を下すは必ず深く、咬むこと本分を超過す。だから「滅鼻」。刑罰は厳峻なれど、其の痛恨する対象に打中せり。だから縱令鼻を滅すとも、咎を受けず。

六三:噬昔肉,遇毒,小吝,無咎。虞翻曰:三在膚裡,故稱肉。離日之,為昔;坎為毒,故“噬昔肉遇毒”。毒謂矢毒也。失位承四,故“小吝”。與上易位,利用獄成豐,故“無咎”也。《象》曰:遇毒,位不當也。荀爽曰:昔肉,謂四也。三以不正,噬取異家,法當遇罪,故曰“遇毒”。為艮所止,所欲不得,故“小吝”也。所欲不得,則免於罪,故“無咎”矣。

《噬嗑》六三の爻辞にいう。風乾の腊肉を咬みて、毒味を吃出す。稍有困窘あれど、咎を受けず。虞翻の説明では、六三は肌膚の内に在る。だから「肉」と称す。離は日で、日光曝曬を経て乾肉と成る。すなわち「昔肉」なり。坎は毒を象徴す。だから「噬昔肉遇毒」。ここに「毒」は箭鏃の上に敷する所の毒を指す。六三は陰を以て陽に居りて位を失い、また上に九四を承く。だから「小吝」。もし上九と爻位を互換せば、便ち「利用獄」に合して《豊》卦を成す。だから咎を受けず。《象伝》にいう。毒味を吃出するは、処る所の爻位当ならざるに由ればこそ。荀爽は別に一解を立つ。「昔肉」は九四を指す。六三は本身正ならざれど、別家の物を啃咬しに往く。法理に按ずればまさに罪を獲るべし。だから「遇毒」。それは艮の止性に阻まるるが為に、欲する所得られず。だから「小吝」。またまさに欲望の得逞せざるに因りて、反って罪責を免る。だから「咎を受けず」という。

九四:噬乾胏,得金矢,利艱貞,吉。《象》曰:利艱貞吉,未光也。陸績曰:肉有骨,謂之胏。離為乾肉,又為兵矢。失位用刑,物亦不服。若噬有骨之乾胏也。金矢者,取其剛直也。噬胏雖復艱難,終得申其剛直,雖獲正吉,未為光大也。

《噬嗑》九四の爻辞にいう。骨帯の乾肉を咬みて、金属箭鏃を咬到す。艱難の中に正を守るに宜しく、吉祥なり。《象伝》にいう。艱難に正を守りて吉を獲るに宜しきは、其の道いまだ光大ならざるを言えばこそ。陸績の説明では、骨頭を帯びた肉を「胏」と称す。離は乾肉を象徴し、また兵器箭矢を象徴す。九四は陽を以て陰に居りて位を失い、刑を用うる時人心もまた服せず。骨帯の乾肉を咬みに往くがごとく費力なり。「金矢」は其の剛強正直の意を取る。骨帯乾肉を咬むは艱難なれど、最終に能く自らの剛直を伸展す。然而正を守りて吉を獲ると雖も、畢竟光明盛大と算するに足らず。

六五:噬乾肉,得黃金,貞厲,無咎。虞翻曰:陰稱肉,位當離,日中烈,故乾肉也。乾金黃,故“得黃金”。貞,正。厲,危也。變而得正,故“無咎”。王弼曰:乾肉,堅也。黃,中也。金,剛也。以陰處陽,以柔承剛,以噬於物,物亦不服,故曰“噬乾肉也”。然處得尊位,而居於中,能行其戮者也。履不正而能行其戮,剛勝者也。噬雖不服,得中而勝,故曰“噬乾肉得黃金”也。已雖不正,而刑戮得當,故雖貞厲而無咎也。《象》曰:貞厲無咎,得當也。荀爽曰:謂陰來正居,是而厲陽也。以陰厲陽,正居其處。而無咎者,以從下升上,不失其中。所言得當。

《噬嗑》六五の爻辞にいう。風乾の肉を咬みて、黄金を得。正を守りて戒懼を知れば、咎を受けず。虞翻の説明では、陰爻は「肉」と称し、六五の処る所はまさに離位に当り、日は中天に到りて熾烈なれば、曬成する所は便ち乾肉なり。乾は金に属して色黄なり。だから「得黄金」。「貞」は正を守るなり、「厲」は危懼なり。六五は一変して正を得。だから咎を受けず。王弼は義理より立論す。「乾肉」は其の堅硬を取り、「黄」は其の中に居るを取り、「金」は其の剛強を取る。六五は陰を以て陽に居り、柔を以て剛を承く。それを以て物を咬みに往けば、対方もまた服気せず。だから「噬乾肉」。然而それは身に尊位に処りてまた中を得るは、能く誅戮を施行する人なり。立身は正ならざるもなお能く刑を行うは、剛強の対方に勝てばこそ。咬む所の対象は心服せざるも、それは中に居るの徳に憑りて終竟取勝す。だから「噬乾肉得黄金」。自身は位に当らざるも、刑戮は施行当を得。だから正を守り戒懼すと雖も、咎を受けず。《象伝》にいう。正を守り戒懼して過咎なきは、処置当を得ればこそ。荀爽は乾升坤降の義に依って解く。これは陰爻の前来して正位に端居し、しかるがゆえに陽爻に対して威逼を構成するを言う。陰を以て陽を威逼して其の位に端居するも、なお咎を受けず。それが下位より上位に升到し、中道を失わざればこそ。だから《象伝》はそれを「得当」と称す。

上九:何校滅耳,凶。荀爽曰:為五所何,故曰“何校”。據五應三,欲盡滅坎。上體坎,為耳。故曰“滅耳凶”。上以不正,侵欲無已,奪取異家,惡積而不可掩,罪大而不可解,故“宜凶”矣。鄭玄曰:離為槁木;坎為耳,木在耳上,“何校滅耳”之象也。《象》曰:何校滅耳,聰不明也。《九家易》曰:當據離坎,以為聰明。坎既不正,今欲滅之。故曰“聰不明也”。

《噬嗑》上九の爻辞にいう。肩上に枷を扛ぎて、耳朵を遮没す。凶険なり。荀爽の説明では、上九は六五に荷負せらる。だから「何校」。それは六五に凌駕して下に六三に応じ、坎体を完全に消滅せんと欲す。上卦は坎を成し、坎は耳を象徴す。だから「滅耳凶」。上九は立身正ならず、侵奪の欲望に止境なく、別家の物を掠取し、悪行は掩盖する能わざるに積累し、罪過は解脱する能わざるに重大なり。だから理の当に凶険なるべし。鄭玄は取象を以て説を立つ。離は枯木を象徴し、坎は耳を象徴す。木は耳朵の上に架す。まさに「何校滅耳」の物象である。《象伝》にいう。枷を扛ぎて耳朵を遮没するは、聴覚明ならざればこそ。《九家易》の説明では、もとまさに離の明と坎の聡とに憑藉して耳聡目明を構成すべし。今坎すでに正ならず、上九はまたそれを消滅せんと欲す。だから「聡不明」という。

賁卦

《序卦》曰:物不可以苟合而已,故受之以賁。賁者,飾也。崔覲曰:言物不可苟合於刑,當須以文飾之,故受之以賁。(離下艮上)。賁:亨。虞翻曰:泰上之乾二,乾二之坤上,柔來文剛,陰陽交,故“亨”也。小利有攸往。虞翻曰:小謂五。五失正,動得位。體離,以剛文柔。故“小利有攸往”。鄭玄曰:賁,文飾也。離為日,天文也。艮為石,地文也。天文在下,地文在上,天地二文,相飾成賁者也。猶人君以剛柔仁義之道飾成其德也。剛柔雜,仁義合,然後嘉會禮通,故“亨”也。卦互體坎艮,艮止於上,坎險於下,夾震在中,故不利大行,小有所之,則可矣。

《序卦伝》にいう。万物はただ草率に凑合する可からず。だから《噬嗑》の後に接するは《賁》なり。「賁」はすなわち文飾である。崔覗の説明では、これは万物はただ刑法に頼りて苟且相合する能わず、なお文采を以て修飾を加うるを須うを言う。だから《賁》卦に続く。《賁》卦は下は離上は艮。卦辞にいう。亨通。虞翻は卦変に依って解く。《賁》は《泰》卦より変じ来り、《泰》の上六は乾の第二位に下り、乾の九二は坤の上位に上る。柔は来りて剛を文飾し、陰陽交錯す。だから「亨」。卦辞また「小利有攸往」という。虞翻の説明では、「小」は六五を指す。六五は正を失い、一動すれば便ち位を得、処る所は離体に為り、これ剛を以て柔を文飾するなり。だから「小利有攸往」。鄭玄は別に発揮す。「賁」は文飾の義である。離は日を象徴し、これ天上の文采なり。艮は石を象徴し、これ地上の文采なり。天文は下、地文は上にして、天地両種の文采は互相修飾して《賁》を成す。人君の剛柔仁義の道を以て自らの徳行を修飾成就するに比す。剛と柔と交雑し、仁と義と配合し、然る後にこそ嘉美會聚・礼節通達する能くす。だから「亨」。この卦の互体に坎あり艮あり、艮は上に在りて止り、坎は下に在りて険にして、中間はまた震を夾む。だから大有作為するに利あらず。ただ小処に於て前往する有所のみ可なり。

《彖》曰:賁亨,柔來而文剛,故亨。分剛上而文柔,故小利有攸往。荀爽曰:此本泰卦。謂陰從上來,居乾之中,文飾剛道,交於中和,故“亨”也。分乾之二,居坤之上,上飾柔道,兼據二陰故“小利有攸往”矣。天文也。虞翻曰:謂五。利變之正,成巽,體離。艮為星,離日坎月,巽為高。五,天位。離為文明,日月星辰,高麗於上。故稱天之文也。文明以止,人文也。虞翻曰:人謂三。乾為人。文明,離。止,艮也。震動離明。五變據四,二五分則止文三。故以三為人文也。

《彖伝》にいう。《賁》の亨通する所以は、柔爻の前来して剛爻を文飾すればこそ。剛爻を分出して上行して柔爻を文飾せしむればこそ、小処に前往するに利あり。荀爽は乾升坤降の説に依って解く。この卦はもと《泰》卦より来り、陰爻は上位より下りて乾体の中位に居り、剛健の道を文飾し、中和の気と相交わる。だから「亨」。また乾の九二を分出して坤体の上に上居せしめ、上に在りて柔順の道を文飾し、かつ上六・六五の両個の陰爻を据有す。だから「小利有攸往」。《彖伝》に「天文也」という。虞翻の説明では、これは六五を指し、それは変じて正を得れば巽を成し、処る所は離体に為る。艮は星を象徴し、離は日・坎は月、巽は高を象徴す。第五爻は天位で、離は文明を象徴し、日月星辰は高く上に附麗す。だから天の文と称す。《彖伝》に「文明以止,人文也」という。虞翻の説明では、「人」は九三を指し、乾は人を象徴す。「文明」は離、「止」は艮である。震は動きて離は明るく、六五は一変すれば便ち六四を據有し、二と五と分開し、ここに文飾して第三爻に止まる。だから九三を以て人文と為す。

觀乎天文,以察時變。虞翻曰:日月星辰,為天文也。泰震春,兌秋。賁坎冬,離夏。巽為進退,日月星辰,進退盈縮,謂朓側朏也。曆象在天成變,故“以察時變”矣。觀乎人文,以化成天下。虞翻曰:泰乾為人。五上動,體既濟。賁離象,重明麗正,故“以化成天下”也。干寶曰:四時之變,縣乎日月;聖人之化,成乎文章。觀日月而要其會通,觀文明而化成天下。

《彖伝》にいう。天上の文采を觀察し、以て四時の変化を考察す。虞翻の説明では、日月星辰はすなわち天文なり。《泰》卦中に震は春を主り兌は秋を主り、《賁》卦中に坎は冬を主り離は夏を主る。巽は進退を象徴し、日月星辰の運行に進あり退あり盈あり縮あり。すなわち暦法のいう所の月行の疾きに過ぐる「朓」・月行の遅滞する「側匿」・月初の新月の「朏」なり。これらの天象は天上に於て変化を形成す。だから「以察時変」。《彖伝》またいう。人間の文采を觀察し、以て天下を教化成就す。虞翻の説明では、《泰》卦の乾は人を象徴す。六五と上九は一動せば、卦体は便ち《既済》を成す。《賁》に離象あり、両重の光明にして正道に附麗す。だから「以化成天下」。干宝は天道と人事より立論す。四時の変化は、日月の運行に係る。聖人の教化は、礼楽文章に成る。日月を觀察して其の会合貫通の理を把握し、文明を觀察して天下を教化成就す。

《象》曰:山下有火,賁。王廙曰:山下有火,文相照也。夫山之為體,層峰峻嶺,峭嶮參差。直置其形,已如雕飾。復加火照,彌見文章。賁之象也。君子以明庶政,無敢折獄。虞翻曰:君子謂乾。離為明,坤為庶政,故“明庶政”。坎為獄,三在獄得正,故“無敢折獄”。噬嗑四不正,故“利用獄”也。

《大象伝》にいう。山下に火を燃やす。これが《賁》である。王廙の説明では、山下に火あり、文采互相輝映す。山この形体は、層巒疊嶂・陡峭参差にして、単に其の形状を看るのみですでに彫飾を経たるがごとし。さらに火光の照耀を加え、愈々紋理文章を顯出す。これまさに《賁》の卦象である。《大象伝》続いていう。君子はこれに因りて各種政務を昭明し、敢て軽率に案を断ぜず。虞翻の説明では、「君子」は乾を指す。離は明を象徴し、坤は衆多の政務を象徴す。だから「明庶政」。坎は牢獄を象徴し、九三は獄象の中に在りて正を得。だから「无敢折獄」。これに比べて、《噬嗑》の九四は位に当らず、かの処にこそ「利用獄」を言う。

初九:賁其趾,虞翻曰:應在震,震為足,故“賁其趾”也。舍車而徒。虞翻曰:應在艮。艮為舍,坎為車;徒,步行也。位在下,故“舍車而徒”。《象》曰:舍車而徒,義弗乘也。崔覲曰:剛柔相交,以成飾義者也。今近四棄於二比,故曰“舍車”。車士大夫所乘,謂二也。四乘於剛,艮止其應,初全其義,故曰“而徒”。徒,塵賤之事也。自飾其行,故曰“賁其趾”。趾,謂初也。王肅曰:在下,故稱趾。既舍其車,又飾其趾,是徒步也。

《賁》卦初九の爻辞にいう。其の脚趾を文飾す。虞翻の説明では、初九の応ずる所の爻は震体に在り、震は足を象徴す。だから「賁其趾」。爻辞続いて「舍車而徒」という。虞翻の説明では、応ずる所は艮に在り、艮に捨棄の象あり、坎は車を象徴し、「徒」はすなわち步行である。初九は位最下に処る。だから車子を捨棄して徒歩すという。《象伝》にいう。車を捨て歩行するは、道義に按ずればもと乘坐すべからざればこそ。崔覗の説明では、剛柔相交じてこそ文飾の義を成就する能くす。今初九は六四に親近して九二と比鄰するを捨棄す。だから「舍車」。車子は士大夫の乘る所で、指す所はまさに九二なり。六四は陽剛に凌乘し、艮またそれと初九の相応を阻止す。初九はここに自らの節義を保全す。だから「而徒」。徒歩は卑賤労苦の事で、初九はこれを以て自ら行為を修飾す。だから「賁其趾」。「趾」は指す所はすなわち初爻なり。王肅は補充す。初九は最下位に在る。だから「趾」と称す。すでに車子を捨棄し、また脚趾を文飾す。見る可くこれは徒歩にして行くなり。

六二:賁其須。《象》曰:賁其須,與上興也。侯果曰:自三至上,有頤之象也。二在頤下,須之象也。二無其應,三亦無應,若能上承於三,與之同德,雖俱無應,可相與而興起也。九三:賁如濡如,永貞吉。《象》曰:永貞之吉,終莫之陵也。盧氏曰:有離之文以自飾。故曰“賁如”也。有坎之水以自潤,故曰“濡如”也。體剛履正,故“永貞吉”。與二同德,故“終莫之陵”也。

《賁》卦六二の爻辞にいう。其の鬍鬚を文飾す。《象伝》にいう。鬍鬚を文飾するは、上の九三に随いて一同に興起せんと欲すればこそ。侯果の説明では、第三爻より上爻に至るまで《頤》卦の象を構成し、六二は口腮の下に処る。まさに鬍鬚の象なり。六二に相応の爻なく、九三にも相応の爻なし。もし能く上に九三を承奉してそれと同心同徳ならば、両者と雖も皆正応なくとも、また互相扶持して一同に興起する可し。九三の爻辞にいう。文采煥発し、潤沢にして光有り。長久に正を守れば吉祥なり。《象伝》にいう。長久に正を守るの吉祥は、終竟彼を欺凌する人なければこそ。盧氏の説明では、九三に下卦離の文采ありて以て自らを修飾す。だから「賁如」。互体坎の水ありて以て自らを潤沢す。だから「濡如」。それは陽を以て陽に居り、体質剛健にして処る所正を得。だから「永貞吉」。また六二と同徳相亲す。だから「終莫之陵」。

六四:賁如皤如,白馬翰如,匪寇婚媾。王弼曰:有應在初。三為寇難,二志相感,不獲交通。欲靜則失初之應,欲進則懼三之難,故或飾或素。內懷疑懼,鮮潔其馬,翰如以待。雖履正位,未果其志。匪緣寇隔,乃為婚媾,則終無尤也。陸績曰:震為馬,為白,故曰“白馬翰如”。案:皤亦白,素之貌也。《象》曰:六四,當位疑也。案:坎為盜,故疑。當位乘三,悖禮難飾,應初遠陽,故曰“當位疑也”。匪寇婚媾,終無尤也。崔覲曰:以其守正待應,故“終無尤也”。

《賁》卦六四の爻辞にいう。また文飾を加えまた素白を存し、白馬は奔馳して飛ぶがごとし。来るは強寇に非ずして、求婚の人なり。王弼の説明では、六四の正応は初九に在るも、九三は中間に横在して寇難と成り、両心は相感ずれど往來する能わず。安静にして動かざらんと欲すれば初九との相応を失い、前進せんと欲すれば九三の阻難を畏懼す。だから時に飾を加え時に素を守り、内心は疑懼を懐き、ただ馬匹を潔浄鮮亮に刷洗し、首を昂げて等待す。それは身に正位に居ると雖も、心願はいまだ実現する能わず。一旦阻隔する者の強寇に非ずして、前来して婚配を求むる人なるを看清せば、最終に便ち過失あらざらん。陸績は取象より補充す。震は馬を象徴し、また白色を象徴す。だから「白馬翰如」。李鼎祚の案語にいう。「皤」もまた白なり。素浄の様である。《象伝》にいう。六四は位に当りて心に疑懼を存す。李鼎祚の案語の解釈では、坎は盗寇を象徴す。だから疑を生ず。六四は位に当るも九三に乘凌し、礼節に違背して文飾し難く、初九と相応じてまた陽剛に遠離す。だから「当位疑也」。經文に「匪寇婚媾,終无尤也」という。崔覗の説明では、まさに六四の正道を守持し静かに正応を待てばこそ、最終に過失あらざるを得ん。

六五:賁於邱園,束帛戔戔,吝。終吉。虞翻曰:艮為山。五半山,故稱邱;木果曰園,故“賁於邱園”也。六五失正,動之成巽。巽為帛、為繩。艮手持,故“束帛”。以艮斷巽,故“戔戔”。失位無應,故“吝”。變而得正,故“終吉”矣。《象》曰:六五之吉,有喜也。荀爽曰:艮,山。震,林。失其正位,在山林之間,賁飾邱陵,以為園圃,隱士之象也。五為王位,體中履和,勤賢之主,尊道之君也。故曰“賁於邱園,束帛戔戔”。君臣失正,故“吝”。能以中和飾上成功,故“終吉”而“有喜也”。虞翻曰:五變之陽,故有喜。凡言喜慶,皆陽爻。束帛戔戔,委積之貌。案:六五離爻,離為中女。午為蠶絲,束帛之象。

《賁》卦六五の爻辞にいう。山丘園圃の間に於て文飾す。成束の繒帛は一疊々として陳列す。吝惜を顯すと雖も、最終に吉祥なり。虞翻は取象を以て解く。艮は山を象徴し、六五は山の半腰に処る。だから「邱」と称す。果木を種植するの地を「園」と称す。だから「賁于邱園」。六五は陰を以て陽に居りて正を失い、一動すれば便ち巽を成す。巽は帛を象徴し、また繩を象徴し、艮は手持を象徴す。だから「束帛」。艮の止性を以て巽繩を截断すれば、帛は遂に一段一段と成る。だから「戔戔」。それは位を失いてまた正応なし。だから「吝」。一変して正を得。だから「終吉」。《象伝》にいう。六五の吉祥は、喜慶有ればこそ。荀爽は乾升坤降の義に依りて人事より説を立つ。艮は山、震は林である。六五は正位を失い、身に山林の間に在り、丘陵を修飾を加えて園圃を闢く。まさに隠士の象徴である。第五爻は王位で、六五は中に居りて行事和順なり。これ勤く賢士を求むる君主・大道を尊崇する国君なり。だから「賁于邱園,束帛戔戔」といい、彼の束帛の礼を以て山林の隠逸を延聘するを指す。君臣皆正位に当らず。だから「吝」。但し彼は能く中和の徳を以て上に在りて文飾して事功を成就す。だから「終吉」にして「有喜」。虞翻はまた補充す。六五は一変して陽と為る。だから喜あり。およそ喜慶を講ずるは皆陽爻を指す。「束帛戔戔」は、繒帛堆積の様である。李鼎祚の案語にいう。六五は離卦の爻で、離は中女を象徴す。午位は蚕糸を主る。まさに束帛の象なり。

上九:白賁,無咎。虞翻曰:在巽上,故曰“白賁”。乘五,陰變而得位,故“無咎”矣。《象》曰:白賁無咎,上得志也。干寶曰:白,素也。延山林之人,採素士之言,以飾其政,故“上得志”也。虞翻曰:上之五得位,體成既濟,故曰“得志”。坎為志也。

《賁》卦上九の爻辞にいう。素白を以て文飾と為せば、咎を受けず。虞翻の説明では、上九は巽の上に居り、巽の色は白なり。だから「白賁」。それは六五に乘凌し、六五は一変すれば各爻各々位に当る。だから咎を受けず。《象伝》にいう。素白を飾と為して過咎なきは、上に在る者心志を実現せればこそ。干宝は史事政教より立論す。「白」はすなわち素朴である。上に在る者は山林の隠逸の人を延請し、布衣寒士の言論を採納し、以て自らの政教を修飾す。だから「上得志」。虞翻は別にいう。上九は第五位に下れば便ち正を得、卦体は《既済》を成す。だから「得志」。坎は心志を象徴す。

剥卦

《序卦》曰:致飾然後通則盡矣,故受之以剝。剝者,剝也。崔覲曰:以文致飾,則上下情通,故曰“致飾然後通”也。文者致理,極而無救則盡矣。盡,猶剝也。(坤下艮上)。剝:不利有攸往。虞翻曰:陰消乾也,與夬旁通。以柔變剛,小人道長;子弒其父,臣弒其君,故“不利有攸往”也。

《序卦伝》にいう。文飾は極致を做して上下通達し、通じて尽頭に至れば便ち窮尽せり。だから《賁》卦の後に接するは《剥》なり。「剥」はすなわち剥落である。崔覗の説明では、文采を以て修飾を加えれば、上下の情意は便ち通達する能くす。だから「致飾然后通」。文采はもと条理を成就するに用いるなり。一旦極端に推して挽救するに由なければ、便ち尽頭に走到し、尽頭はまたすなわち剥落なり。《剥》卦は下は坤上は艮。卦辞にいう。前往する所有るに宜しからず。虞翻は十二消息と旁通の法に依りて説を立つ。《剥》は陰気の乾陽を消蝕する卦で、《夬》卦と旁通す。柔爻を以て剛爻を変換するは、小人の道は日に増長し、兒子の父親を弑殺し臣子の君主を弑殺するの地步に至るまで。だから「不利有攸往」。

《彖》曰:剝,剝也。盧氏曰:此本乾卦。群陰剝陽,故名為剝也。柔變剛也。荀爽曰:謂陰外變五。五者至尊,為陰所變,故曰“剝也”。不利有攸往,小人長也。鄭玄曰:陰氣侵陽,上至於五,萬物零落,故謂之“剝也”。五陰一陽,小人極盛,君子不可有所之,故“不利有攸往”也。

《彖伝》にいう。《剥》は、すなわち剥落なり。盧氏の説明では、この卦はもと乾卦より来り、衆多の陰爻は陽爻を剥蝕す。だから取名して《剥》と為す。《彖伝》続いて「柔変剛也」という。荀爽は乾升坤降の義に依って解く。これは陰気の外に在りて一路侵変して第五爻に至るを言う。第五爻は至尊の位で、竟に陰に変換せらる。だから「剥」と称す。《彖伝》また「不利有攸往,小人長也」という。鄭玄の説明では、陰気は陽気を侵犯し、一直に第五爻に上昇す。万物しかるがゆえに凋零飘落す。だから「剥」と称す。この時五個の陰爻はただ一個の陽爻を残すのみ。小人の勢力は極めて興盛なり。君子は前往する所有る可からず。だから「不利有攸往」。

順而止之,觀象也。虞翻曰:坤順艮止,謂五消觀成剝,故“觀象”也。君子尚消息盈虛,天行也。虞翻曰:乾為君子,乾息為盈,坤消為虛,故“君子尚消息盈虛,天行也”。則出入無疾,反復其道。易虧巽消艮,出震息兌,盈乾虛坤,故於是見之耳。

《彖伝》にいう。形勢に順応して停止して進まざるは、これ卦象を觀察して得たる道理なり。虞翻の説明では、坤の性は柔順、艮の性は静止である。陰気は第五爻に消蝕し、《觀》より再び一歩を進めば《剥》を成す。だから「觀象」。《彖伝》またいう。君子は消長盈虚の規律を崇尚す。これ天道の運行なればこそ。虞翻は消息卦に依って解く。乾は君子を象徴し、乾陽の生長は「盈」に為り、坤陰の消退は「虚」に為る。だから「君子尚消息盈虚,天行也」。これもまたまさに《復》卦のいう所の「出入无疾」「反复其道」に合す。陽気は巽に於て虧損し艮に於て消尽し、震に於て出生し兌に於て滋長し、充盈して乾と為り虚空して坤と為る。だからこの一往一復の間より便ち天道を見る能くす。

《象》曰:山附於地,剝。陸績曰:艮為山,坤為地。山附於地,謂高附於卑,貴附於賤,君不能制臣也。上以厚下安宅。盧氏曰:上,君也。宅,居也。山高絕於地。今附地者,明被剝矣。屬地時也。君當厚錫於下,賢當卑降於愚,然後得安其居。

《大象伝》にいう。山は地面上に依附す。これが《剥》である。陸績の説明では、艮は山を象徴し、坤は地を象徴す。山は地に依附するは、高きの低きに依附し貴きの賤きに依附するなり。君主すでに臣下を節制する能わざるを象徴す。《大象伝》続いていう。上に在る者はこれに因りて下民を厚待してこそ、其の位に安居する能くす。盧氏の説明では、「上」は君主を指し、「宅」は居所を指す。山はもと高聳して地面と判然の別あり。今却って地に貼附す。見る可くすでに剥蝕せられたり。これまさに山の地に帰属する時なり。君主はまさに厚く下民を賞賜し、賢者はまさに謙卑にして愚者に俯就し、然る後にこそ安穏に自らの居処を保住する能くす。

初六:剝床以足,蔑貞凶。虞翻曰:此卦坤變乾也。動初成巽,巽木為床;復震在下,為足,故“剝床以足”。蔑,無。貞,正也。失位無應,故“蔑貞凶”。震在陰下,《象》曰:以滅下也。《象》曰:剝床以足,以滅下也。盧氏曰:蔑,滅也。坤所以載物,床所以安人。在下,故稱“足”。先從下剝,漸及於上,則君政崩滅。故曰“以滅下也”。

《剥》卦初六の爻辞にいう。床身を剥落するは床脚より始まる。正道は滅せられ、凶険なり。虞翻の説明では、この卦は坤陰の乾陽を変換して成れるなり。初爻は一動すれば便ち巽を成し、巽は木に属し、木は床を象徴す。下面にまた《復》卦の震あり、震は足を象徴す。だから「剥床以足」。「蔑」は無、「貞」は正である。初六は位を失いてまた正応なし。だから「蔑貞凶」。震は陰爻の下に陥在す。だから《象伝》に「以滅下也」という。《象伝》にいう。床身を剥落するは床脚より始まるは、下面より先に毀滅を起こればこそ。盧氏の説明では、「蔑」はすなわち滅なり。坤は以て物を載するに用い、床は以て人を安頓するに用いる。初爻は下に在る。だから「足」と称す。剥蝕は先ず下面より始まり、漸次上層に波及す。君主の政権は便ち崩毀せんとす。だから「以滅下也」。

六二:剝床以辨,蔑貞凶。虞翻曰:指間稱辨剝。剝二成艮。艮為指,二在指間。故“剝床以辨”。無應在剝,故“蔑貞,凶”也。《象》曰:剝床以辨,未有與也。鄭玄曰:足上稱辨,謂近膝之下。屈則相近,信則相遠,故謂之辨。辨,分也。崔覲曰:今以床言之,則辨當在第足之間,是床梐也。“未有與”者,言至三則應,故二“未有與”也。六三:剝無咎。《象》曰:剝之無咎,失上下也。荀爽曰:眾皆剝陽,三獨應上,無剝害意,是以“無咎”。《象》曰:失上下也。

《剥》卦六二の爻辞にいう。床身を剥落するは床板と床脚の相接する処に至る。正道は滅せられ、凶険なり。虞翻の説明では、指節の間を「辨」と称す。《剥》卦の第二爻は艮を成し、艮は手指を象徴し、六二はまさに指節の間に処る。だから「剥床以辨」。それは正応なくしてまた剥落の世に身を処す。だから「蔑貞,凶」。《象伝》にいう。剥落して床辨に至るは、いまだそれと相応相助する人あらざればこそ。鄭玄は人体を以て象を取る。脚の上面の部位を「辨」と称し、膝蓋以下に靠近するの処を指す。彎曲すれば上下相近づき、伸直すれば上下相遠ざかる。だから「辨」と称し、「辨」はすなわち分界なり。崔覗は別に床に就きていう。「辨」はまさに床板と床脚の間に在るべく、すなわち床の横木である。いわゆる「未有与」は、第三爻に至りてこそ相応あるを言う。だから六二はなお「未有与」。六三の爻辞にいう。剥落の中に処りて咎を受けず。《象伝》にいう。六三は剥落して過咎なきは、それが上下の同類に離れればこそ。荀爽の説明では、其の余の陰爻は皆陽爻を剥蝕す。独り六三は上九と相応じ、陽剛を剥害するの用心なし。だから「咎を受けず」。《象伝》はしかるがゆえにそれを「失上下」という。

六四:剝床以膚,凶。虞翻曰:辨上稱膚。艮為膚。以陰變陽,至四乾毀,故“剝床以膚”。臣弒君,子弒父,故“凶”矣。王肅曰:在下而安人者,床也。在上而處床者,人也。坤以象床,艮以象人。床剝盡,以及人身,為敗滋深,害莫甚焉。故曰:“剝床以膚,凶”也。《象》曰:剝床以膚,切近災也。崔覲曰:床之膚謂薦席,若獸之有皮毛也。床以剝盡,次及其膚,剝於大臣之象,言近身與君也。

《剥》卦六四の爻辞にいう。剥落すでに皮膚に及ぶ。凶。虞翻の説明では、床辨の上を「膚」と称し、艮は膚を象徴す。陰爻を以て陽爻を変換し、第四爻に至りて乾体すでに毀壊せらる。だから「剥床以膚」。これは便ち臣子の君を弑し兒子の父を弑するの地步に到る。だから「凶」。王肅は人事より譬を取る。下に在りて人を安頓するは床、上に在りて床に躺臥するは人である。坤は床を取象し、艮は人を取象す。床すでに剥尽して人の身に波及す。敗壊は愈々深く、禍害はこれより重きはなし。だから「剥床以膚,凶」。《象伝》にいう。剥落して皮膚に及ぶは、災禍すでに身に貼せればこそ。崔覗の説明では、床の「膚」は床上に鋪する薦席を指し、野獣の身に皮毛の長ずるがごとし。床身剥尽せば、接いで便ち薦席に剥る。これは剥落すでに大臣に及ぶの象徴で、禍患すでに君主自身に逼近するを説明す。

六五:貫魚,以宮人寵,無不利。虞翻曰:剝消觀五。巽為魚,為繩;艮手持繩貫巽,故“貫魚”也。艮為宮室,人謂乾;五以陰代陽,五貫乾,為寵人,陰得麗之,故“以宮人寵”。動得正成觀,故“無不利”也。何妥曰:夫剝之為卦,下比五陰,駢頭相次,似貫魚也。魚為陰物,以喻眾陰也。夫宮人者,后夫人嬪妾,各有次序,不相瀆亂,此則貴賤有章,寵御有序。六五既為眾陰之主,能有貫魚之次第,故得“無不利”矣。《象》曰:以宮人寵,終無尤也。崔覲曰:魚與宮人皆陰類,以比小人焉。魚大小一貫,若后夫人嬪婦御女,小大雖殊,寵御則一,故“終無尤也”。

《剥》卦六五の爻辞にいう。繩を以て一串の魚を串起するがごとく、宮中の婦人を率いて依次に君王の寵幸を承受す。不利なき所なし。虞翻は消息卦に依って解く。《剥》は陰気が《觀》卦の第五爻より再び一歩を消して成れるなり。巽は魚を象徴し、また繩を象徴し、艮は手を象徴す。手は繩を持ちて巽を貫穿す。だから「貫魚」。艮は宮室を象徴し、「人」は乾を指す。六五は陰爻を以て陽位を取代し、乾体を串起して受寵の人と成る。陰は陽に附麗するを得。だから「以宮人寵」。六五は一動すれば便ち正を得て《觀》卦を成す。だから「无不利」。何妥は卦体に就きて説を立つ。《剥》卦は下面に五個の陰爻を並列し、一個接一個にして頭尾相次ぐ。串起した魚に相似たり。魚は陰物に属し、以て衆陰に比喩す。いわゆる宮人は、王后・夫人・嬪妃侍妾で、各々次第あり、相褻乱せず。ここに貴賤分明にして寵幸に序あり。六五はすでに衆陰の主なれば、彼女らをして貫魚のごとく井然有序ならしむる能くす。だから能く「无不利」。《象伝》にいう。宮人を率いて寵を受くるは、終竟過失あらざるなり。崔覗の説明では、魚と宮人は皆陰類に属し、以て小人に比喩す。魚は大小を論わず皆一条の繩に串在す。まさに王后・夫人・嬪婦・御女のごとく、尊卑は同じからざるも、寵幸を承受するは一視同仁なり。だから「終无尤也」。

上九:碩果不食。君子德車,小人剝廬。虞翻曰:艮為碩果,謂三已復位,有頤象。頤中無物,故“不食”也。夬乾為君子,為德;坤為車,為民;乾在坤,故以德為車。小人謂坤,艮為廬;上變滅艮,坤陰迷亂,故“小人剝廬”也。《象》曰:君子德車,民所載也。小人剝廬,終不可用也。侯果曰:艮為果,為廬。坤為輿。處剝之上,有剛直之德,群小人不能傷害也。故果至碩大,不被剝食矣。君子居此,萬姓賴安,若得乘其車輿也。小人處之,則庶方無控,被剝其廬舍,故曰“剝廬,終不可用”矣。

《剥》卦上九の爻辞にいう。碩大なる果実は食せられず。君子は徳を以て車と為し、小人は則ち房舍までも剥毀せらる。虞翻の説明では、艮は碩大の果実を象徴す。もし六三すでに正位に回れば、卦中に便ち《頤》の象あり、而して口中に食物なし。だから「不食」。《夬》卦の乾は君子を象徴し徳を象徴し、坤は車を象徴し民を象徴す。乾は坤の上に在る。だから徳を以て車と為すという。「小人」は坤を指し、艮は廬舍を象徴す。上九は一変すれば、艮体は消滅せられ、坤陰は迷乱に陥る。だから「小人剥廬」。《象伝》にいう。君子は徳を以て車と為すは、万民の承載擁戴する所なり。小人は廬舍を剥毀すれば、終竟任用する可からず。侯果の説明では、艮は果実を象徴し、また廬舍を象徴し、坤は車輿を象徴す。上九は剥落の世の最上位に処り、剛強正直の徳を具え、衆小人はそれを傷害する能わず。だから果実は碩大に長じて剥食せられず。君子はこの位置に居れば、万姓は仰頼して安寧を得、その車輿に坐上するがごとし。小人はこの位置を占據すれば、四方は統攝を失い、自らの房舍までも剥毀せらる。だから「剥廬,終不可用」という。

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