景徳伝燈録巻第二十三
杭州五雲山志逢大師
吾は草庵を結ぶに寶貝無し。飯了れば從容として睡の快を圖る。成る時は初め茆草の新たなるを見。破れたる後は還って將て茆草を蓋う。庵に住む人は鎮かに常在す。中間と內外とに屬せず。世人の住む處に我は住まず。世人の愛する處に我は愛せず。庵は小なりと雖も法界を含む。方丈の老人は相い體解す。上乘の菩薩は信疑無し。中下は之を聞けば必ず怪を生ず。此の庵は壞れるか壞れざるかを問えば。壞れと壞れざると主は元より在り。南北と東西とに居らず。基上は堅牢にして最と為す。青松の下明窗の內。玉殿朱樓も未だ對と為らず。衲帔は頭を蒙ぎて万事休す。此の時山僧は都て會せず。此の庵に住すは解を作す休め。誰か席を鋪きて人の買うを圖ると誇らん。光を回し照を返せば便ち歸來す。廓達の靈根は向背に非ず。祖師に遇い親しく訓誨せられ、草を結びて庵と為して退を生ずる莫れ。百年は拋却して縱横に任す。手を擺て便ち行けば且つ罪無し。千種の言萬般の解。ただ君を教えて長く昧からざらんと要す。庵中の不死の人を識らんと欲せば。豈に而今此の皮袋を離れん。
杭州報恩法端禪師
道吾和尚の樂道歌
杭州報恩紹安禪師
道を樂しむ山僧は性を縱うこと多し。天回り地轉ずるは他に任す。閑に孤峰に臥して伴侶無し。獨り無生の一曲の歌を唱う。無生の歌は出世の樂。笑うべし時人の和して著らざるを。情を暢べ道を樂んで殘生を過す。張三李四は渾く忘却す。大丈夫は須らく氣概有るべし。人情に順いて妨礙無くする莫れ。お前が順う即是れ菩提と言う。我は謂う從來相い背くと。時には憨かなり時には痴なり。我の途中に非ざれば爭い知るを得ん。特達の一生は常に運に任す。野客は歸るべき鄉無し。今日の山僧はただ這是れ。元本山僧はさらに若為せん。祖機を探る空王子。體は浮雲に似て隈倚を沒す。自から一衲衣を長く披く。曾て幾度か寒暑に遭えり。是れ真ならず偽ならず。鼓を打ちて神施拜跪を樂む。明明たる一道の漢江の雲。青山綠水は相似ず。性を稟めて揩改無きを成す。角を結び羅紋は相い礙せず。あるいは慈悲喜捨の心を運び。あるいは即ち人に逢い棒闈を以てす。慈悲恩愛は牽纏に落つ。棒打して伊を教えて恩愛を破らしむ。月下の旅中の人に報う。もし恩情有れば吾為に改まらん。
福州廣平守威禪師
一鉢歌
杭州報恩永安禪師
遏喇喇として聒聒たり。總て是れ悠悠として佅を造る(下の一字は人旁に從う、未だ識らず、正字を硬く猜せず)。饑のごとき鹽を喰えば渴を加え。一生を枉げて頭枿枿たり。究竟に始末を知る能わず。死尸を拋却して何の處にか脫せん。君を勸めて解脱を求むるに努力せよ。閑事は頭に到れば須らく結撮すべし。火は身上に落ちれば當に須らく拨くべし。臨時に菩薩と叫ぶを待つ莫れ。丈夫の語話は須らく豁豁たるべし。痴人に学びて摩捋を受くる莫れ。時に趁りて結裹して摆拨を学べ。また柔和を学びまた粗糲なり。また頭を剃りまた褐を披く。また凡夫の生活を学ぶ。直語を君に向かえば君未だ達せず。さらに長歌を作りて一鉢を歌う。一鉢の歌は中に多くして一、一の中に強いて分かつ須らく諦聽すべし。人人盡く真如性有り。恰似たり黄金の礦中に在るに。煉え去り煉え來れば金體淨し。真は是れ妄は是れ真なり。もし真妄を除けばさらに人無し。真心は谩に煩惱を生ずる莫れ。衣食は時に随いて色身を養う。好きも著き弱きも著く。一切心無く染著無し。また惡無くまた好無し。二際は坦然として平等の道。粗きも餐し細きも餐す。凡夫に学びて相上を觀る莫れ。また粗無くまた細無し。上方の香積は根蒂無し。坐するも行くも坐す。生死の樹下に菩提の果。坐無くまた行無し。生無ければ何を用いて無生を覓めん。生ずるも得死するも得。處處に當に來りて彌勒を見ん。生無くまた死無し。三世の如来は總て此のごとし。離るれば則ち著き著けば則ち離る。幻化の門中に實義無し。離るべき無く著くべき無し。何の處にさらに病無き藥を求めん。語の時は默默の時は語。語默は縱横にして處所無し。語無くまた默無し。東西を喚びて南北と作す莫れ。瞋は即ち喜喜は即ち瞋。我自ら魔を降し法輪を轉ず。瞋無くまた喜無し。水は波を離れず波は即ち水。慳の時は捨捨の時は慳。內外および中間を離れず。慳無くまた捨無し。寂寂寥寥として把るべき無し。苦の時は樂樂の時は苦。ただ這の修行は門戶を斷つ。苦無くまた樂無し。本より自在にして繩索無し。垢は即ち淨淨は即ち垢。兩兩邊は畢竟に前後無し。垢無くまた淨無し。大千は同一の真如性。藥は是れ病は是れ藥。頭に到れば兩事は須らく拈却すべし。藥無くまた病無し。正に是れ真如の靈覺性。
廣州光聖師護禪師
(歌は続けて唱う:)魔は佛を作し佛は魔を作す。鏡裏に形を尋ねて水上の波。魔無くまた佛無し。三世は本來一物無し。凡は即ち聖聖は即ち凡。色裏の膠青水裏の鹹。凡無くまた聖無し。萬行は總持して一行無し。真中は假假中は真。自ら是れ凡夫の妄塵を起こす。真無くまた假無し。もし喚ばざれば何ぞ應喏せん。本來姓無くまた名無し。ただそう騰騰として脚の信すままに行く。時には闤市の屠肆に並ぶ(左阜の旁の字は未だ識らず、「市」と連文、疑わしくは「闤」と讀むか、疑を存す)。一朵の紅蓮は火上に生ず。かつて杖を策して京洛に游ぶ。身は浮きのごとし。中にして細きもまた無し。即是れ圓明の真實諦。真實諦は本より真に非ず。但だ名聞有れば即是れ塵。もし塵中に向かいて真實を解せば。便ち是れ堂堂たる出世の人。出世の人は造作する莫れ、獨行獨步して空索索たり。生無く死無く涅槃無し。本來生死は相い干らず。是非無く動靜無し。谩に身を將て空井に入る莫れ。善惡無く去來無し。また明鏡を高臺に挂けず。山僧の見解はただ此のごとし。信ぜざれば他に從いて劫灰を造らしめよ。
杭州奉先清昱禪師
樂普和尚の浮漚歌
天台普聞智勤禪師
雲天に雨落ちて庭中の水。水上に漂漂として漚の起こるを見る。前の者は已に滅し後の者は生ず。前後相い續いて窮まる已無し。本より雨滴に因りて水は漚を成す。還って風激に緣りて漚は水に歸す。漚水の性は殊無きを知らず。他の轉變に随いて將て異と為す。外は明瑩として內は虛を含む。內外は玲瓏として寶珠の若し。正に澄波に在りて看れば有るに似て。動きて乎れはまた無のごとし。有無動靜は事明らめ難し。無相の中に有相の形有り。ただ漚の水中より出づるを知るのみ。豈に水もまた漚より生ずるを知らんや。權に漚水を將て余の身に類す。五蘊は虛攅して假に人を立つ。蘊空を解達すれば漚は實ならず。方に能く本來の真を明見せん。
溫州雁蕩願齊禪師
蘇溪和尚(即ち五泄の小師)の牧護歌
杭州普門希辯禪師
衲僧の牧護を聽け。運に任せて逍遥にして住無し。一条の百衲の瓶盂。便ち是れ生涯の調度。至理を求めて參尋して。寒暑の辛苦を憚らず。曾て四海に周游す。山水風雲は肚に滿つ。內は戒律の精嚴を除く。威儀行步を学ばず。三乘は我の能無きを笑う。我は三乘の谩に做すを笑う。智人は權に階梯を立つ。大道は本より迷悟無し。達する者は修治を假らず。能言能語に在らず。麻を披きて目は雲霄を視る。遮莫王侯も顧みず。道人の本體は然るがごとし。是れ佛の去る處を知るに非ず。生きるもなお衫を著るがごとし。死するも還って袴を脫ぐに同じ。生きるも喜無く憂無し。八風豈に能く驚怖せん。外相はなお痴人に似たり。肚裏は非常に峭措。活計は一錢無しと雖も。敢えて君王と富を鬥わん。愚人は手を擺きて憎嫌す。智者は頭を點きて相い許す。那んぞ知らん傀儡は牽抽され、歌舞は盡く行主に由るを。一言を以て諸人に報ず。畫瓶を打破して歸去せん。
杭州光慶遇安禪師
法燈禅師泰欽の古鏡歌三首
天台般若友蟾禪師
盡く古鏡は曾て見ずと道う。爾に借りて時人に一遍を看せしむ。目前は一纖毫を睹らず。湛湛たる冷光は一片を凝る。一片を凝るるは背面する勿れ。嫫母は妝に臨みて情に稱せず。潘生は首を回らして頻りに嘉嘆す。何の欣欣ぞ何の戚戚ぞ。好醜は由來那れ是れ的ぞ。ただ這是れ轉じて沉醉す。演若は晨に窺いて怖れ走る時。子細に思量すれば還って有以なり。我は颠狂に問い暫く回らず。淚は流れて予に向かい聲哀哀たり。哽咽して申吐する能わず。爾の頭と影とは悠悠哉。悠悠哉爾は許多の時。あの裏より來りて迷雲開けり。行行として手を携えて高臺に上る。
婺州智者全肯禪師
其の二
福州玉泉義隆禪師
誰か云う古鏡に樣度無しと。古今出入は何の門戶ぞ。門戸は君見ず見ざるの時。即ち此を以て君に全く顯露させん。全く顯露す。お前に一生終に保護せん。もし知音に遇い益を請い來れば。人に逢いて輕く分付するを得ず。但だ作して面を見るに任せよ。生に怖るるを須いず。當時の演若多を看取せよ。如今に直至りて錯誤と成す。如今は影分明を省らず。還って是れ當時の同一の顧。同一の顧は苦苦苦。
杭州龍冊曉榮禪師
其の三(六言)
杭州功臣慶蕭禪師
古鏡は精明皎皎たり。皎皎として遍く河沙を照らす。到る處名を安ね字を題す。儂を除きてさらに誰の家有らん。過去未来現在。諸佛は鏡上の纖瑕。纖瑕垢盡きて物無し。此れ真の火裏の蓮華。蓮華は千朵萬朵。朵朵端然として釋迦。誰か云う俱尸に入滅すと。誰か云う膝を穿つ芦芽と。信信ぜざれば鏡中に看取せよ。羊車鹿車牛車。時人は古鏡を識らず。盡く本來清淨と道う。ただ清淨を看れば是れ假。照らし得れば形容正からず。あるいは圓あるいは短あるいは成長。もし纖毫有れば俱に病。君に勧む打破するに如かず。鏡去りて瑕消えて瑩べし。また杜口の毗耶を見。また圓通を知る。
越州稱心敬璡禪師
潭州龍會道尋の遍參三昧歌
福州嚴峰師朮禪師
天涯海角に知識を參ず。遍く咨えて我が全提の力を惠す。師は乃ち余を呵して退步せしめ追う。躬を省みて廓爾として茲より息まる。諸方を睹ゆ垂帶の直。善財は得る處にして藏匿し難し。棒頭喝下に幽奇を露わす。縱い去り奪うも來りて殊特を看る。趙州の關雪嶺を陟る。廬峰の前に廬を築きて虛實を驗す。證を據えて靈由は萬機を闢く。祖刃を橫揮して三域に聞こゆ。卷舒は重重として孰か委すべき。識意を呈して猜揣を谩にする休め。衲子は眉を攒え碧眼は咦。黄海は倒逆して崑崙の嘴。潙山の牛は道吾の唱。馬師は奮迅して圓相を呈す。水を執り針を投じて後規を作す。鏡を把り幡を持ちて先匠を看る。廣陵の歌は誰か繼いで唱わん。宮商を續かんと拟して調况し難し。石人は色を愠みて鞭撻を下す。木馬は奔嘶して梵天の上。麗水は金藍田の玉。祝融の峰は湘浪の蹙に攒る。滿月は溪を澄めて松韻清し。雲は龍に從い騰りて觀瞩し好し。
潞州華嚴慧達禪師
丹霞和尚の玩珠吟二首
越州清泰道圓禪師
般若の靈珠は妙にして測り難し。法性の海中に親しく認得す。隱顯は常に五蘊の中に游ぶ。內外の光明は大神力。此の珠は大に非ずまた小に非ず。晝夜の光明は皆悉く照らす。覓むる時は物無くまた蹤無し。起坐に相い随い常に了了たり。黄帝は曾て赤水に游ぶ。聽を争い求を争うも都て遂げず。罔象は心無くして却って珠を得。能見能聞は是れ虛僞。吾が師は權に喩えて摩尼を指す。人を采ること無數にして春池に溺る。瓦礫を争い拈じて將に寶と為さんとす。智者は安然として之を得たり。森羅萬象は光中に現ず。體用は如如として轉じて轉ぜず。萬機は寸心の中に消遣す。一切の時中に方便巧みなり。六賊を燒き衆魔を爍す。能く我山を摧し愛河を竭くす。龍女は靈山に佛を親しく獻す。貧兒は衣下に幾ど蹉跎せん。亦名は性亦名は心。性に非ず心に非ず古今を超ゆ。全體の明の時は明を得ず。權時に題して弄珠吟と作す。
杭州九曲慶祥禪師
其の二
杭州開化行明大師
識得せよ衣中の寶。無明は醉りて自ら醒ます。百骸は潰散すると雖も。一物は鎮かに長く靈なり。境を知るは渾く體に非ず、神珠は形を定めず。悟れば三身の佛。迷疑すれば萬卷の經。心に在れば心は測るべし。耳に歷れば耳は聽き難し。罔象は天地に先んじ。玄泉は杳冥より出づ。本剛は鍛煉に非ず。元淨は澄渟する莫れ。盤泊は朝日に輪し。玲瓏は曉星に映ず。瑞光は流れて滅せず。真氣は觸れて還って生ず。鑑照は崆峒寂に。羅籠は法界明なり。凡を挫く功は滅せず。聖を超ゆる果は盈に非ず。龍女は心親しく獻す。闍王は口自ら呈す。鵝を護る人は却って活き。黄雀は意なお輕し。語を解すれば舌に關せず。能く言うは声に非ず。邊を絶ちて汗漫を弥え。際無くして空平に等し。教を演ぶは説の為に非ず。名を聞くは名を認る勿れ。兩邊は俱に立てる莫れ。中道は行ずるを須いず。月を見れば指を觀る休め。家に還れば程を問う罷めよ。心を識れば心は則ち佛。何の佛かさらに成るに堪えん。
越州開善義圓禪師
大法眼の文益禅師が堂に上りて言った。「諸の上座、時は寒し、何を用いて上り來るか。さあ道え、上り來るが好いか、上り來らざるが好いか。あるいは上座の道う、上り來らざれば却って好し、どの処か是れに非ざる、さらに上り來りて何を作さんと。さらに上座の道う有り、是れ彼もまた一向を得ず、また須らく和尚の處に到りて始めて得べしと。諸の上座さあ道え、この兩人は佛法の中にまだ進趣有るか未だ。上座。實に是れ得ず、並びに少許の進趣も無し。古人は孔無き鐵鎚と喚ぶ。生まれつき盲き生まれつき聾きと異ならず。もしさらに上座の出で來りて道う有らば、彼の二人は總て得ずと。何を以ての故にかくのごとくするか。彼が執著するが為に得ざる所以なり。諸の上座は總てそう行脚に似たり、總てそう商量に似たり、さあ何を圖るか。是れ復たただ唇嘴を弄せんと要するか、為に復た別に圖る所有るか。恐らくは彼が執著せん、さあ何を執著するか。為に復た理を執著するか・事を執著するか・色を執著するか・空を執著するか。もし是れ理ならば、理はさあどう執せん。もし是れ事ならば、事はさあどう執せん。色を著し空を著するもまた然り。山僧が尋常に諸の上座に向かいて道う所以、十方の諸佛・十方の善知識は時々に手を垂れたり。諸の上座は時々に手を接ぐ。十方の諸佛が手を垂るる時の有るは、どの處か是れ諸の上座が時々に手を接ぐる處。まだ會する處か、會し取れば好し。もし未だ會し得ざれば、總て是れ都來して圓取と道う莫れ。諸の上座は傍家の行脚にしても、また審諦を須う、些かの精彩を著けよ。ただ少しの智慧に藉りて時光を過し却る莫れ。山僧は衆中にこの多きを見れり。さらに一般の上座有りて、自己の東西はなお未だ知らず、こちらあちらに向かいて東に聽き西に聽き、少許を説き得て以て胸襟と為し、仍って他人に注脚を為し、將て自己の眼目と為す。上座は總てこの行脚に似たり、自ら賺りてまた乃ち他を賺る。諸の上座に奉勸す、さあ道眼を明らめ取れば好し。些子の粥飯の智慧は恃むべく足らず。もし是れ世間の種種の非違の事を造作するは、地獄に入るもなお劫數有りて、且つ出づるの期有り。もし是れ錯りて他人と眼目を開くは、地獄に陷りて冥冥長夜、出づるの期有ること無し。將て為すに等閑とする莫れ。奉勸す、さあ古聖の慈悲の門に依れば好し。他の古聖の見る所の諸境は唯だ自心を見る。祖師が道う、是れ風動幡動に非ず、仁者の心動なり。たださあそう會せば好し。別に親に於ける親の處無きなり。」師は良久してまた言った。「諸の上座、貶するも得、剝するも得。」時に僧が問うた。「学人は別の事と為らず、師の直道を請う。」師が言った。「お前は是れ別の事と為らず。」問う。「如何なるか是れ不生不滅底の心。」師が言った。「あの個か是れ生滅底の心。」僧が言った。「奈何せん、学人は見えず。」師が言った。「お前もし見えざれば、不生不滅底もまた是れに非ず。」問う。「如何なるか是れ佛法の大意。」師が言った。「便ち會し取れ。」問う。「古人は才かに人がそう來るを見れば便ち失なりと叫ぶ、古人の意は如何。」師が言った。「お前は信ぜず、ただ別の人に問え。」問う。「維摩と文殊と對談するは何の事か。」師が言った。「お前は妨げず聰明なり。」
溫州瑞鹿遇安禪師
問う。「法は法性と同じく諸法に入るが故に、古意は如何。」師が言った。「お前は是れ行脚の僧。」問う。「如何なるか是れ修行を解する底の人。」師が言った。「お前は是れ何の人ぞ。」言った。「そうなれば即ち因果に落ちざるなり。」師が言った。「野干の鳴くを作す莫れ。」問う。「本を識り源に還る時は如何。」師が言った。「谩語なり。」問う。「明と暗と分かたざる時は如何。」師が言った。「何をか道いたか。」問う。「如何なるか是れ境に對して數起こる底の心。」師が言った。「恰も道い著けり。」問う。「如何なるか是れ学人の本分の事。」師が言った。「指示に謝す。」問う。「決擇の次は輕冰を履むがごとし、如何に決擇せん。」師が言った。「お前が疑うを待てば即ち道わん。」言った。「学人は即ち今疑う。」師が言った。「阿誰を吓せん。」問う。「上よりの宗乘は如何に履踐すべきか。」師が言った。「雷聲は甚だ大き、雨點は全く無し。」問う。「如何なるか是れ末後の句。」師が言った。「苦なり。」問う。「如何なるか是れ玄言妙旨。」師が言った。「玄言妙旨を用いて何を作さん。」問う。「如何なるか是れ直道。」師が言った。「恐らくはこの問に副うは難からん。」問う。「教に言有るを承く、佛の真法身はなお虛空のごとく、物に應じて形を現ずるは水中の月のごとし。如何にかそうを得ん。」師が言った。「如何にかそうを得ん。」問う。「教に云う、佛は一音を以て法を演説し、衆生は類に随いて各々解を得。学人は如何に解せん。」師が言った。「お前は甚だ解す。」師はまた言った。「この問は已に古人の語を會せざるなり。何に因りての故にか却って彼に向かいてお前は甚だ解すと道う。何の處か是れ彼の解する處。莫れ是れ彼の分中に於て便ち彼に點與するか。莫れ是れ彼の問に會せざるが為に却って彼に反射するか。さあ素よりこの理に非ず。愼んで錯りて會する莫れ。この兩會を除きて、別にまた如何に商量せん。諸の上座もしこの語を會し得れば、即ち諸聖の總持門を會し得たり。さあどう會せん。もしも會して一音演説を得て、會して類に随いて各々解するを得ざれば。そう道うは、莫れ是れ過有り過無きと説くか。錯りて會する好からず(底本の「英」は当に「莫」たるべし)。すでにそう會せざれば、どう説いて一音演説・類に随いて解を得とせん。個の去る處有りて始めて得。每日空しく上り來り下り去りて、また人事に當たるを得ず。さあ道眼を究めて始めて得。他の古人道う、一切の聲は是れ佛聲。一切の色は是れ佛色。何ぞさあそう會し取らざる。」僧が問うた。「遠く聲を尋ねて來れり、師の一接を請う。」師が言った。「お前の尋ぬる底は是れ何の聲か。是れ僧聲か、是れ俗聲か、是れ凡聲か、是れ聖聲か。まだ會する處か。もしも實に會せざれば。上座の吵吵は是れ聲、吵吵は是れ色。聲色は奈何ともせず。將て為すに等閑とする莫れ。上座もし會し得れば即是れ真實。もし會せざれば即是れ幻化。もしも會し得れば即是れ幻化。もしも會せざれば即是れ真實。他の古人もまた上座に向かいて道う、唯だ我能く知ると。これを除く外さらに計較を作す處無し。上座の成るか成らざるかは何より出づる。是か是れに非ざるかは何より出づる。理は事無ければ顯れず。事は理無ければ消えず。事理不二にして、事ならざれば理ならず、理ならざれば事ならず。そう上座に注解す。もしさらに會せざれば、且く古語に依るに如かず。」
杭州龍華慧居禪師
(師が続けて言う。)「他の古人は上座の百般に得ざるを見て、所以に慈を垂れてお前に向かいて道う、聞くを將て佛佛を持するに、何ぞ自ら聞聞せざると。事無くして珍重。」
婺州齊雲遇臻禪師
景德伝燈録巻第二十八
溫州瑞鹿寺本先禪師(已上三十人見錄)
景德伝燈録巻第二十九
杭州報恩德謙禪師
讚頌偈詩
杭州靈隱處先禪師
志公和尚の大乘讚十首
天台善建省義禪師
志公和尚の十二時頌十二首
越州觀音安禪師
志公和尚の十四科頌
婺州仁壽澤禪師
歸宗至真禅師の頌一首
越州雲門重曜禪師
香嚴襲燈大師の頌十九首
越州大禹榮禪師
筠州洞山和尚の頌一首
越州地藏瓊禪師
潭州龍牙和尚の頌一十八首
杭州靈隱紹光禪師
玄沙宗一大師の頌三首
