Libo

景徳伝燈録巻第二十三

宋 · 道原 · 第131巻 / 151

杭州龍華紹鑾禪師

招慶真覺大師の頌二首

越州碧泉行新禪師

漳州羅漢和尚の明道頌一首

越州象田默禪師

南嶽般舟道場の勁和尚の覺地頌一首

潤州登雲從堅禪師

鄆州臨溪和尚の入道淺深頌五首

越州觀音朗禪師

大法眼禅師の頌十四首

越州諸暨五峰和尚

唐の白居易の八漸偈八首

越州何山道孜禪師

同安察禅師の玄談十首

越州大禹自廣禪師

雲頂山僧德敷の詩一十首

筠州黃蘗師逸禪師

僧潤の詩三首

蘇州瑞光清表禪師(已上一十九人無機緣語句不錄)

梁の寶志和尚の大乘讚十首

杭州報恩寺慧明禪師法嗣一人福州保明道誠大師(一人見錄)

大道は常に目前に在り。目前に在ると雖も睹れ難し。もし道の真體を悟らんと欲せば、聲色言語を除く莫れ。言語即是れ大道、煩惱を斷除するを假らず。煩惱は本來空寂、妄情は遞い相い纏繞す。一切は影のごとく響のごとし、何が惡か何が好かを知らず。心有りて相を取りて實と為せば、定めて性を見ること了らざるを知る。もし業を作して佛を求めんと欲せば、業は是れ生死の大兆。生死の業は常に身に随い、黑暗の獄中にいまだ曉らず。理を悟れば本來異ならず、覺るの後は誰か晚く誰か早き。法界の量は太虛に同じ、衆生の智心は自ら小なり。ただ能く吾我を起こさざれば、涅槃法食は常に飽かん。

金陵報慈道場文遂導師法嗣五人常州齊雲慧禪師

妄身は鏡に臨みて影を照らす、影と妄身と殊ならず。ただ影を去りて身を留めんと欲するも、身の本より虛に同じきを知らず。身は本より影と異ならず、一の有り一の無きを得ず。もし一を存し一を舍てんと欲せば、永く真理と相い疎んず。さらにもし聖を愛し凡を憎まば、生死の海裏に浮沉せん。煩惱は心有るが故に因り、心無ければ煩惱は何にか居らん。分別して相を取るを労せず、自然に道を得ること須臾なり。夢の時は夢中に造作し、覺の時は覺境都て無し。翻って覺時と夢とを思えば、颠倒の二見殊ならず。迷を改め覺を取りて利を求むるは、何ぞ販賣の商徒に異ならん。動靜兩亡して常に寂なれば、自然に真如に契合す。もし衆生佛に異なりと言わば、迢迢として佛と常に疎んぜん。佛と衆生とは二ならず、自然に究竟して餘無し。

洪州雙嶺祥禪師

法性は本來常に寂、蕩蕩として辺畔有ること無し。心を安んずるは取捨の間に在り、他の二境に回換せらる。容を斂めて定に入り坐禅し、境を攝めて心を安んじて覺觀す。機關木人の道を修するは、何の時にか彼岸に達するを得ん(底本の「彼」は「被」に作る、当に「彼」たるべし)。諸法は本空にして著無し、境は浮雲の會し散ずるに似たり。忽ち本性の元空を悟れば、恰似たり熱病の汗を得るに。智無き人の前に説く莫れ、お前の色身を打って星散せしめん。

洪州觀音真禪師

お前の衆生に報ゆるに直道す、有に非ず即是れ無に非ず。非有非無は二ならず、何ぞ須らく有に對して虛を論ぜん。有無は妄心の號を立つ、一を破れば一の居る無し。兩名はお前の情の作すに由り、情無ければ即ち本來の真如。もし情を存して佛を覓めんと欲せば、網を將て山上に魚を羅するがごとし。徒らに功夫を費やして益無く、幾許か枉げて功夫を用いん。即心即佛を解せざれば、真に似たり驢に騎りて驢を覓むるが。一切は憎まず愛せず、この個の煩惱は須らく除くべし。之を除かば則ち身を除くを須う。身を除けば佛無し因無し。佛無く因無くして得べければ、自然に法無く人無し。

洪州龍沙茂禪師

大道は行じて得るに由らず、行を説くは權に凡愚の為なり。理を得て返りて行を觀ずれば、始めて枉げて功夫を用いしを知る。未だ圓通の大理を悟らざれば、言と行と相い扶くを須う。他の知解を執するを得ず、光を回して本に返れば全く無し。誰かこの説を解會する者有らん、君を教えて己に向かいて推求せしめん。自ら昔時の罪過を見て、五欲の瘡疣を除却す。解脱して逍遥自在にして、方に随いて風流を賤賣す。誰か是れ心を發して買う者、また我に似て憂え無きを得ん。

洪州大寧獎禪師(已上五人無機緣語句不錄)

内見外見は總て惡し、佛道魔道は俱に錯り。此の二大の波旬にせられて、便ち即ち苦を厭いて樂を求む。生死は本體の空を悟り、佛魔は何の處にか安著せん。ただ妄情の分別に由りて、前身後身は孤薄なり。六道に輪回して停まらず、業を結びて除却する能わず。所以に生死を流浪するは、皆橫に經略を生ずるに由る。身は本より虛無にして實ならず、本に返れば是れ誰が斟酌するぞ。有無は我自ら能く為す、妄心に卜度せしむるを労せず。衆生の身は太虛に同じ、煩惱は何の處にか安著せん。ただ一切の希求無ければ、煩惱は自然に消落せん。

杭州永明道潛禪師法嗣三人杭州千光王瓌省禪師

笑うべし衆生の蠢蠢たる、各々一般の異見を執す。ただ傍ら鏊に餠を求めんと欲し(底本はこの字は金に從う、当に「鏊」たるべし、疑を存す)、本に返りて面を觀ずるを解せず。面は是れ正邪の本、人の造作するに由りて百變す。須る所は意に任せて縱横し、偏ら耽り愛戀するを假らず。著無き即是れ解脱、求有ればまた羅羂に遭う。慈心は一切平等にして、真は即ち菩提自ら現ず。もし彼我の二心を懷けば、對面して佛面を見ず。

衡州鎮境志澄大師

世間の幾許か癡人の、道を將て復た道を求めんと欲す。廣く諸の義の紛紜を尋ねて、自己の身を救うこと了らず。專ら他の文を尋ねて説を乱し、自ら至理の妙好と稱す。徒らに一生を虛しく過し、永劫に沈淪して生老す。濁愛は心に纏いて捨てず、清淨の智心は自ら惱む。真如法界の叢林は、返りて荆棘荒草を生ず。ただ黄葉を執して金と為し、金を棄てて寶を求むるを悟らず。所以に念を失い狂走し、力を強いて相好を裝持す。口內に經を誦し論を誦し、心裏は尋常に枯槁す。一朝本心の空なるを覺れば、真如を具足して少なからず。

明州崇福慶祥禪師(已上三人見錄)

聲聞は心々に惑を斷ず、斷ずる能くの心是れ賊。賊賊は遞い相い除遣し、何の時にか語默の本を了せん。口內に經千卷を誦し、體上に經を問えば識らず。佛法の圓通を解せず、徒らに行を尋ね墨を數えん。頭陀阿練の苦行は、後身の功德を希望す。希望する即是れ聖に隔たり、大道は何に由りてか得べけん。譬えば夢裏に河を度り、船師は度りて河北に過ぎたり。忽ち床上に安眠するを覺れば、度船の軌則を失い却れり。船師および彼の度人は、兩個は本より相い識らず。衆生は迷倒して羈絆し、三界に往來して疲極す。生死は夢のごとしと覺悟せば、一切の求心自ら息まん。

杭州靈隱清聳禪師法嗣九人杭州功臣院道慈禪師

悟解する即是れ菩提、本に階梯有ること無きを了す。歎ずべし凡夫の傴僂たる、八十にして跋蹄する能わず。徒らに一生を虛しく過し、日月の遷移するを覺らず。上に向かいて他の師の口を看るは、恰似たり乳を失うの孩兒。道俗は峥嵘として集聚し、終日他の死語を聽く。己身の無常を觀ぜず、心行は狼虎のごとく貪なり。嗟くべし二乗の狹劣なる、須らく六府を摧伏すべし。酒肉五辛を食せず、邪眼に他の飮咀を看る。さらに邪行の猖狂有りて、氣を修して鹽醋を食せず。もし上乘の至真を悟れば、男女を分別するを假らず。

秀州羅漢願昭禪師

寶志和尚の十二時頌

處州報恩師智禪師

平旦寅。狂機の內に道人の身有り。窮苦は已に無量劫を經るも、常に如意の珍を擎ぐるを信ぜず。もし物を捉えば、迷津に入る。ただ纖毫有れば即是れ塵。旧時の相貌無きに住せず、外に知識を求むるもまた真ならず。

衢州瀫寧可先禪師

日出卯。用の處は須らく善巧を生を生ぜざるべし。縱い神光の有無を照らすとも、意を起こせば便ち魔事の撓に遭う。もし功を施さば、終に了らず。日夜他人に我を拗らる。安排せずしてただそうに從えば、何曽て心地に煩惱を生ぜん。

杭州光孝道端禪師

食時辰。無明は本より是れ釋迦の身。坐臥して知らず元是れ道、ただそう忙忙として苦辛を受く。聲色を認めて、疎親を覓む。ただ是れ他家の染污の人。もし心を將て佛道を求めんと拟せば、虛空に問い取りて始めて塵を出でん。

杭州保清遇寧禪師

禺中巳。未了の人は教至らず。假饒祖師の言に通達するも、心頭に向かいて了義を安ずる莫れ。ただ玄を守りて、文字を沒す。認め著くは前に依りて還って是れに非ず。暫時に自ら肯んじて追尋せざれば、曠劫に魔境の使に遭わず。

福州支提辯隆禪師

日南午。四大の身中に無價の寶。陽焰空華は抛つるを肯んぜず、意を作して修行して轉じて辛苦す。かつて迷わず、悟を求むる莫れ。お前に任せて朝陽幾回の暮。有相の身中に無相の身、無明の路上に無生の路。

杭州瑞龍希圓禪師(已上八人見錄)

日昳未。心地は何曽て了義を安んぜん。他家の文字は親疎を沒す、功夫を起こして意を求むる莫れ。縱横に任せて、忌諱を絶つ。長く人間に在りて世に居らず。運用は聲色の中を離れず、歷劫に何曽て暫くも抛棄せん。

杭州國泰德文禪師(一人無機緣語句不錄)

僧が老宿に問うた。「どういうのが密室中の人か。」老宿が言った。「客有りて話に答えず。」(玄沙が言う、「何曽て密ならん。」歸宗の柔は老宿に別に言う、「お前は何に因りて見るを得たか。」)

金陵報慈行言導師法嗣二人洪州雲居義能禪師(一人見錄)

法眼和尚が『百法論』を講ずる僧に問うた。「百法は体用双く陳す。明門は能所兼ねて挙ぐ。座主は是れ能、法座は是れ所。どう兼挙を説かん。」(老宿有りて代わりて言う、「某甲は個の法座と喚ぶ。」歸宗の柔は別に言う、「和尚がかくのごときを労せず。」)

饒州北禪清皎禪師(一人無機緣語句不錄)

僧が教を挙げて言う。「文殊が忽ち仏見法見を起こせば、仏の威神に攝せられて二鐵圍山に向けられたり。」(五雲が言う、「どの処か是れ二鐵圍山。まだ会するか。如今もし人の仏法の見を起こす者有らば、吾と茶を烹じて兩甌せん。さあ道え、彼に賞すか彼に罰するか。教意に同じきか教意に同じからざるか。」)

金陵清涼泰欽禪師法嗣二人洪州雲居道齊禪師(一人見錄)

洪州大寧院が狀を上りて第二座に堂を開くを請えた。人が問うた。「何ぞ第一座を請えざる。」(法眼が代わりて言う、「かくのごときを労せず。」)

廬山棲賢慧聰禪師(一人無機緣語句不錄)

洞山が行脚する時に一の官人に會して言った。「『三祖信心銘』を弟子は注せんと拟す。」洞山が言った。「才かに是非有れば、紛然として心を失う。どう注せん。」(法眼が代わりて言う、「そうなればすなわち弟子は注せず。」)

金陵報恩法安禪師法嗣二人廬山棲賢道堅禪師

法眼和尚が脚を患えたに因りて。僧が問訊する次に、師が言った。「人に非ずして來る時は動く能わず。及んで人來れば動くを得ず。さあ道え、佛法の中に何の語を下すべきか。」僧が言った。「和尚は且く較を得て喜べ。」師は肯んぜず。(自ら別に言う、「和尚は今日減に似たり。」)

廬山歸宗第十四世慧誠禪師(二人見錄)

九峰和尚が江西城に入る。人が市に入りて教化するに何を以て眼と為すかを問う(底本の「市」の字は网に從う、当に「市」たるべし)。九峰が言った。「日月はかつて乱れず。」(法眼は別に言う、「眼有るを待て。」)

廬州長安院延規禪師法嗣二人廬州長安辯實禪師

僧が龍牙に問うた。「終日区区として如何頓に息まん。」龍牙が言った。「孝子の父母を喪い却りて始めて得べきがごとし。」(東禅の齊が言う、「衆中に道う、父母を喪うがごときは何の閑暇有らん。そう会すればまだ人の疑情を息め得るか。これを除く外、さあどう龍牙の意を会せん。」)

潭州雲蓋用清禪師(已上二人見錄)

僧が龍牙に問うた。「十二時の中に如何著力すべきか。」龍牙が言った。「手無き人の拳を行わんと欲するに始めて得べきがごとし。」(東禅の齊が言う、「好き言語、さあどう会せん。かつて一の僧に問う。彼は道う、手無き人は何ぞさらに拳を行い得んやと。及んで彼に佛法を問えば、彼は便ち休み去りたり。将に知らん、路布は説き得て用いる処無し、仔細に古人の意を體取するに如かず。」)

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