景德傳燈錄 卷第一
提多迦聞師妙偈設禮奉持。後至中印度。彼國有八千大仙。彌遮迦為首。聞尊者至率眾瞻禮。謂尊者曰。昔與師同生梵天。我遇阿私陀僊人授我僊法。師逢十力弟子修習禪那。自此報分殊塗已經六劫。尊者曰。支離累劫誠哉不虛。今可捨邪歸正以入佛乘。彌遮迦曰。昔阿私陀僊人授我記雲。汝卻後六劫。當遇同學獲無漏果。今也相遇非宿緣邪。願師慈悲令我解脫。尊者即度出家命聖授戒餘僊眾始生我慢。尊者示大神通。於是俱發菩提心一時出家。乃告彌遮迦曰。昔如來以大法眼藏密付迦葉。展轉相授而至於我。我今付汝當護念之。乃說偈曰。
提多迦、師の妙偈を聴(き)き已(おわ)りて、禮を設(もう)けて奉持(ほうじ)す。後に中印度に至る。その國に八千の大仙あり、彌遮迦を首(しゅ)と為(な)し、尊者の至るを聞きて、衆を率(ひき)ゐて瞻禮(せんらい)し、尊者に對(むか)ひて曰く、昔、師と同(とも)に梵天に生れたりき。我、阿私陀仙人に遇(あ)ひて、彼、仙法を授けたり。師、十力弟子に逢(あ)ひて、禪那(ぜんな)を修習す。此(ここ)より果報、殊途(しゅと)に分(わか)れ、已(すで)に六劫(ろくこう)を經(へ)たり。尊者の曰く、支離(しり)劫を累(る)ねたる、誠(まこと)に虛(むな)しからず。今、以(も)て邪を捨てて正に歸(き)し、以て仏乘(ぶつじょう)に入るべし。彌遮迦の曰く、昔、阿私陀仙人、我に授記(じゅき)して曰く、汝、更(さら)に六劫を經(へ)て、當に同學に遇(あ)ひ、無漏果を獲(え)んと。今の相遇(あいあ)は、宿縁(しゅくえん)にあらずや。願(ねが)はくは師、慈悲(じひ)を垂(た)れて、我を解脱(げだつ)せよ。尊者、即ち彼を度(ど)して出家せしめ、聖者に命じて戒を授けしむ。其(そ)の餘(よ)の仙衆、始(はじ)めて我慢(がまん)を生(しょう)ず。尊者、大神通を示現(じげん)すれば、即ち菩提心(ぼだいしん)を發(はつ)し、一時に出家す。即ち彌遮迦に告げて曰く、昔、如来、大法眼蔵を迦葉に密付(みっぷ)せり、展轉相授して我に至る。我、今、汝に付(ふ)す、當に護念(ごねん)すべし。ここに偈を説いて曰く、
通達本法心無法無非法
本法の心を通達す、法なし、亦(また)非法なし、
悟了同未悟無心亦無法
悟り了(おは)りて、未悟と同(おな)じ。心なし、亦(また)法なし。
說偈已。踴身虛空作十八變火光三昧自焚其軀。彌遮迦與八千比丘同收舍利。於班茶山中起塔供養。即莊王七年己丑歲也(當作五年)。
偈を説き已(おわ)りて、踊身して虛空に至り、十八變を作(な)し、火光三昧を以て自ら躯(からだ)を焚(や)く。彌遮迦、八千比丘と倶(とも)に舎利を収め、班茶山の中に塔を起(た)てて供養す。その年は周莊王七年己丑歳(當に五年と作るべし)なり。
第六祖彌遮迦者。中印度人也。既傳法已遊化至北天竺國。見雉堞之上有金色祥雲。歎曰。斯道人氣也。必有大士為吾法嗣乃入城。於闤闠間有一人。手持酒器逆而問曰。師何方而來欲往何所。師曰。從自心來欲往無處。曰識我手中物否。師曰。此是觸器而負淨者。曰師還識我否。師曰。我即不識識即非我。又謂曰。汝試自稱名氏。吾當後示本因。彼人說偈而答。我從無量劫。至於生此國。本姓頗羅墮。名字婆須蜜。師曰。我師提多迦說。世尊昔遊北印度。語阿難言。此國中吾滅後三百年有一聖人。姓頗羅墮。名婆須蜜。而於禪祖當獲第七。世尊記汝。汝應出家。彼乃置器禮師側立而言曰。我思往劫嘗作檀那。獻一如來寶坐。彼佛記我雲。汝於賢劫釋迦法中宣傳至教。今符師說。願加度脫。師即與披剃復圓戒相。乃告之曰。正法眼藏今付於汝勿令斷絕。乃說偈曰。
第六祖彌遮迦は、中印度の人なり。法を傳(つた)へ已(おわ)りて、遊化して北天竺国に至り、城上(じょうじょう)に金色の祥雲(しょううん)あるを見て、嘆じて曰く、此れ道人の氣象なり、必ず大士ありて我が法嗣と為るべし。すなわち城に入る。市の間に一(ひと)人ありて、手に酒器を執(と)り、迎(むか)へて問ひて曰く、師、何(なん)の一方より來(きた)る、何處かに往(ゆ)かんと欲(ほつ)す。師の曰く、自(みづか)ら心の中より來り、往(ゆ)かんとする所無(な)きに往(ゆ)かん。問ひて曰く、我が手中(しゅちゅう)の物を識(し)るか。師の曰く、此れ觸器(そくき)なり、然(しか)るに淨(きよ)き者を負(お)ふ。問ひて曰く、師、還(ま)た我を識るか。師の曰く、我即ち識らず、識れば則ち我にあらず。又(また)彼に曰く、汝、試(こころ)みに自(みづか)ら名氏(めいじ)を報(ほう)ぜよ、我、隨(つい)で本因を開示(かいじ)せん。彼、偈を以て答へて曰く、我、無量劫より来(きた)りて、この國に生まる。本(もと)姓は頗羅墮(はらだ)、名字は婆須蜜(ばすみつ)。師の曰く、我が師提多迦、嘗(かつ)て曰(いは)く、世尊、昔、北印度に遊び、阿難に對(むか)ひて曰く、この國の中、我が滅(めっす)る後三百年、一(ひと)人の聖人あり、姓は頗羅墮、名は婆須蜜、而(しか)して禪祖の中に於て當に第七と為るべしと。世尊、汝を記(き)せり、汝、當に出家すべし。彼、即ち酒器を放ち、師を禮拜し、側身(そくしん)して立ちて曰く、我、往劫(おうこう)を憶(おも)ふに、曽(かつ)て檀那(だんな)と為(な)りて、一(ひと)つの如来に寶座を獻(けん)じたり。彼の仏、我に記(き)して曰く、汝、賢劫釋迦法中に於て至敎を宣傳せんと。今、師の所説に符合(ふごう)す、願(ねが)はくは度脱(どたつ)を加(くわ)へよ。師、即ち彼の為に披剃(ひてい)し、又(また)戒相を圓具(えんぐ)せしめ、彼に告げて曰く、正法眼蔵、今、汝に付(ふ)す、断絶せしむること勿れ。ここに偈を説いて曰く、
無心無可得說得不名法
心無し、可得(かとく)無し。言(い)ひ得(え)るは、法と名(な)づけず、
若了心非心始解心心法
若(も)し心の心にあらざるを了達すれば、始めて心法を解(げ)す。
師說偈已。入師子奮迅三昧。踴身虛空高七多羅樹。卻復本坐化火自焚。婆須蜜收靈骨貯七寶函。建浮圖寘於上級。即襄王十七年甲申歲也(當作十五年)。
師、偈を説き已(おわ)りて、師子奮迅三昧(ししふんじんざんまい)に入り、踊身して虛空に至り、高(たか)きこと七の多羅樹、又(また)本座に還(かえ)りて、火を化(な)して自ら焚(や)く。婆須蜜、靈骨(りょうこつ)を収め、七寶函(しちほうかん)の中に貯(たくは)へ、浮圖(ふと)を建造して上級に安置す。その年は周襄王十七年甲申歳(當に十五年と作るべし)なり。
第七祖婆須蜜者。北天竺國人也。姓頗羅墮。常服淨衣執酒器遊行裡閈。或吟或嘯人謂之狂。及遇彌遮迦尊者。宣如來往誌。自惺前緣投器出家。授法行化至迦摩羅國廣興佛事。於法坐前忽有一智者。自稱我名佛陀難提。今與師論義。師曰。仁者論即不義。義即不論。若擬論義終非義論。難提知師義勝。心即欽伏曰。我願求道霑甘露味。尊者遂與剃度而授具戒。復告之曰。如來正法眼藏。我今付汝汝當護持。乃說偈曰。
第七祖婆須蜜は、北天竺国の人なり。姓は頗羅墮。常に淨衣(じょうえ)を著(き)て、酒器を執(と)りて里巷(りこう)に游行(ゆぎょう)し、或(ある)いは吟(ぎん)じ或(ある)いは嘯(しょう)す。人、彼を狂(きょう)と曰(い)ふ。彌遮迦尊者に遇(あ)ひて如来往昔の授記を宣布(せんぷ)せらるに及びて、自(みづか)ら前緣を悟(さと)り、酒器を放(ほう)ちて出家す。法を授けて行化し、迦摩羅国に至りて佛事を廣興(こうこう)す。法座の前に於て、忽然(こつぜん)として一(ひと)人の智者ありて、自ら稱(しょう)して曰く、我、名を佛陀難提と曰(い)ふ、今、師と論義(ろんぎ)せんと欲(ほつ)す。師の曰く、仁者、論ずれば則ち義にあらず、義なれば則ち論ぜず。若(も)し論義を擬(ぎ)せば、終(つい)に義の論にあらず。難提、師の義、己(おの)れに勝(すぐ)るを知りて、心に欽服(きんぷく)し、曰く、我、願(ねが)ふは道を求めて、甘露味を霑(うるお)はんと。尊者、すなわち彼の為に剃度し、并せて具戒を授け、又(また)彼に告げて曰く、如来の正法眼蔵、我、今、汝に付(ふ)す、汝、當に護持すべし。ここに偈を説いて曰く、
心同虛空界示等虛空法
心、虛空界に同(おな)じ、虛空に等(ひと)しき法を開示す、
證得虛空時無是無非法
虛空を證得(しょうとく)する時、是(ぜ)なし、亦(また)非法なし。
尊者即入慈心三昧。時梵王帝釋及諸天眾。俱來作禮。而說偈言。
尊者、即ち慈心三昧(じしんざんまい)に入る。是(かく)て梵王・帝釋(たいしゃく)及び諸天衆、皆來(きた)りて禮を作(な)し、偈を説きて曰く、
賢劫眾聖祖而當第七位
賢劫衆聖の祖、而(しか)して第七位に當(あた)る、
尊者哀念我請為宣佛地
尊者、我を哀念(あいねん)したまへ、請(こ)ふ佛地を宣説(せんせつ)したまへ。
尊者從三昧起示眾雲。我所得法而非有故。若識佛地離有無故。說此語已。還入三昧示涅槃相。難提即於本坐起七寶塔以葬全身。即定王十九年辛未歲也(當作十七年)。
尊者、三昧より起(おき)て、衆に開示して曰く、我が得(え)たる法、並(なら)びに有(う)なるが故(ゆえ)なし。若(も)し佛地を識(し)れば、是(これ)有無を離(はな)るるが故(ゆえ)なり。この言を説き已(おわ)りて、還(ま)た三昧に入りて、涅槃の相を示現(じげん)す。難提、即ち本座に於て七寶塔を起(た)てて彼が全身を葬(ほうむ)る。その年は周定王十九年辛未歳(當に十七年と作るべし)なり。
第八祖佛陀難提者。迦摩羅國人也。姓瞿曇氏。頂有肉髻辯捷無礙。初遇婆須蜜尊者出家受教。既而領徒行化至提伽國城毘舍羅家。見舍上有白光上騰。謂其徒曰。此家當有聖人。口無言說真大乘器。不行四衢知觸穢耳。言訖。長者出致禮問何所須。尊者曰。我求侍者。曰我有一子。名伏馱蜜多。年已五十。口未曾言足未曾履。尊者曰。如汝所說真吾弟子。尊者見之遽起禮拜。而說偈曰。
第八祖佛陀難提は、迦摩羅国の人なり。姓は瞿曇氏(くどんし)。頂上(ちょうじょう)に肉髻(にくけい)あり、辯才(べんざい)迅捷(じんしょう)にして滯礙(たいがい)なし。初(はじ)め婆須蜜尊者に遇(あ)ひて、出家して敎を受く。随(つい)で徒衆を將(ひき)ゐて行化し、提伽国城毘舎羅家に至り、屋上(おくじょう)に白光上騰(はくこうじょうとう)するを見て、徒衆に曰く、此(こ)の家、當に聖人あるべし。口に言説無(な)きは、眞に大乘の法器なり。四衢(しく)に行(おこな)ふにあらざるは、觸穢(そくえ)を知るなり。言ひ已(おわ)りて、長者出(い)でて禮を行(おこな)ひ、何の須(もちひ)をか問ふ。尊者の曰く、我、侍者を求む。長者の曰く、我、一(ひと)つの子あり、名を伏駄蜜多と曰(い)ひ、年已(すで)に五十、口未(いま)だ嘗(かつ)て言(い)はず、足未(いま)だ嘗(かつ)て行(あゆ)まず。尊者の曰く、汝の説く所の如くんば、眞に是れ我が弟子なり。尊者、彼を見て、即(すなは)ち起(た)ちて禮拜し、偈を説きて曰く、
父母非我親誰是最親者
父母、並(なら)びに我が最(もつと)も親(ちか)きにあらず、誰(たれ)か最(もつと)も親なるや。
諸佛非我道誰為最道者
諸仏、並(なら)びに我が道にあらず、誰(たれ)か最(もつと)も究竟(くきょう)の道なるや。
尊者以偈答曰。
尊者、偈を以て答へて曰く、
汝言與心親父母非可比
汝の言(げん)と心と相親(あいした)しむは、父母の比(ひ)にあらず、
汝行與道合諸佛心即是
汝の行(ぎょう)と道と相合(あいあ)ふは、諸仏の心、即(すなは)ち是(これ)なり、
外求有相佛與汝不相似
外(げ)に向(むか)ひて有相(うそう)の仏を求むるは、汝と相似(そうじ)ならず、
欲識汝本心非合亦非離
汝の本心を識(し)らんと欲(ほつ)すれば、合(がっぷ)にあらず、亦(また)離(り)にあらず。
伏馱蜜多聞師妙偈便行七步。師曰。此子昔曾值佛悲願廣大。慮父母愛情難捨故不言不履耳。時長者遂捨令出家。尊者尋授具戒。復告之曰。我今以如來正法眼藏付囑於汝勿令斷絕。乃說偈曰。
伏駄蜜多、師の妙偈を聴(き)き已(おわ)りて、便(すなは)ち七歩を行(あゆ)む。師の曰く、此(こ)の子、昔、曽(かつ)て佛に值遇(ぢぐう)せり。悲願廣大、父母の愛惜、難(かた)く捨(す)て難(がた)しと慮(おもんばか)りて、故(ゆえ)に言はず行(あゆ)まざりき。是(かく)て長者、即ち彼を捨(す)てて出家せしむ。尊者、即ち具戒を授け、又(また)彼に告げて曰く、我、今、如来の正法眼蔵を汝に付嘱す、断絶せしむること勿れ。ここに偈を説いて曰く、
虛空無內外心法亦如此
虛空に内外なし、心法も亦(また)然(しか)り。
若了虛空故是達真如理
若(も)し虛空の故(ゆえ)を了達せば、即ち真如の理に通達す。
伏馱蜜多承師付囑。以偈讚曰。
伏駄蜜多、師の付嘱を承(う)けて、偈を以て讃(さん)して曰く、
我師禪祖中當得為第八
我が師、禪祖の中に於て、當に第八位と為(な)るべし、
法化眾無量悉獲阿羅漢
法化する衆生、無量にして、皆、阿羅漢を獲(え)たり。
爾時尊者佛陀難提。即現神變卻復本坐儼然寂滅。眾興寶塔葬其全身。即景王十二年丙寅歲也(當作十年)。
爾時、尊者佛陀難提、即ち神變を現じて、又(また)本座に還(かえ)りて、儼然(げんぜん)として寂滅す。衆、寶塔を興建して彼が全身を葬(ほうむ)る。その年は周景王十二年丙寅歳(當に十年と作るべし)なり。
第九祖伏馱蜜多者。提伽國人。姓毘舍羅。既受佛陀難提付囑。後至中印度行化。時有長者香蓋。攜一子而來瞻禮尊者曰。此子處胎六十歲。因號難生。復嘗會一仙者。謂此兒非凡當為法器。今遇尊者可令出家。尊者即與落髮授戒。羯磨之際祥光燭坐。仍感舍利三十(一作七)粒現前。自此精進忘疲。既而師告曰。如來大法眼藏今付於汝。汝護念之。乃說偈曰。
第九祖伏駄蜜多は、提伽国の人なり。姓は毘舎羅。既(すで)に佛陀難提の付嘱を受けて後に中印度に至りて行化す。是(かく)て長者香蓋、一(ひと)つの子を將(ひき)ゐて來(きた)りて瞻禮(せんらい)して曰く、此(こ)の兒(こ)、胎中(たいちゅう)に在ること六十年、此(ここ)を以て難生(なんしょう)と號(ごう)す。又(また)曽(かつ)て一(ひと)人の仙者に遇(あ)ひて、此(こ)の兒、凡(ぼん)にあらず、當に法器と為(な)るべしと曰(い)ふ。今、尊者に遇(あ)へば、以て出家せしむべし。尊者、即ち彼の為(ため)に落髮して戒を授く。羯磨(かつま)の時、祥光(しょうこう)座席を照耀(しょうよう)して、還(ま)た舎利三十粒(一に七粒と作る)を感應(かんのう)して前に現(あら)はれり。此(ここ)より精進(しょうじん)して、疲勞(ひろう)を忘る。随(つい)で師、彼に告げて曰く、如来の大法眼蔵、今、汝に付(ふ)す、汝、護念(ごねん)すべし。ここに偈を説いて曰く、
真理本無名因名顯真理
真理、本來名無し、名に因(よ)りて真理を顯(あら)わす、
受得真實法非真亦非偽
真實の法を受け得(う)るは、真にあらず、亦(また)僞(ぎ)にあらず。
尊者付法已。即入滅盡三昧而般涅槃。眾以香油旃檀闍維真體。收舍利建塔於那爛陀寺。即敬王三十五年甲寅歲也(當作三十三年)。
尊者、法を付(ふ)し已(おわ)りて、即ち滅盡三昧(めつじんざんまい)に入りて般涅槃(はつねはん)す。衆、香油(こうゆ)・旃檀(せんだん)を以て真體(しんたい)を荼毘(だび)し、舎利を収め、那爛陀寺(ならんたじ)に塔を建つ。その年は周敬王三十五年甲寅歳(當に三十三年と作るべし)なり。
第十祖脇尊者。中印度人也。本名難生。初尊者將誕。父夢一白象背有寶坐坐上安一明珠。從門而入光照四眾。既覺遂生。後值伏馱尊者。執侍左右未嘗睡眠。謂其脇不至席。遂號脇尊者焉。初至華氏國憩一樹下。右手指地而告眾曰。此地變金色當有聖人入會。言訖即變金色。時有長者子富那夜奢。合掌前立。尊者問。汝從何來。夜奢曰。我心非往。尊者曰。汝何處住。曰我心非止。尊者曰。汝不定耶。曰諸佛亦然。尊者曰。汝非諸佛。曰諸佛亦非尊者。因說偈曰。
第十祖脇尊者(きょうそんじゃ)は、中印度の人なり。本(もと)名を難生(なんしょう)と曰(い)ふ。當(まさ)に尊者の誕生(たんじょう)せむとする初(はじ)め、父、一(いっ)頭(とう)の白象(はくぞう)を夢みる、背(せ)に寶座あり、座上に一(いち)顆(か)の明珠を安(あん)ず、門より入りて來り、光(ひかり)四衆を照らす。覺(さ)め已(や)みて即ち出生(しゅっしょう)す。後に伏駄尊者に值遇(ぢぐう)し、左右に執侍(しゅうじ)して、未(いま)だ嘗(かつ)て睡眠(すいみん)せず、その脇(きょう)席(せき)に沾(ぬ)らずと謂(い)ふ、すなわち脇尊者と號(ごう)す。初(はじ)め華氏国に至り、一(いち)樹(じゅ)の下に憩(いこ)ひて、右手を以て地を指して衆に告げて曰く、此(こ)の地、金色と變(へん)じて、當に聖人入會(にゅうえ)あるべし。言ひ已(おわ)りて、即ち金色と變(へん)ず。是(かく)て長者の子富那夜奢(ふなやしゃ)、合掌して前に立つ。尊者の問ふ、汝、何處(いずこ)より來(きた)る。夜奢の曰く、我が心、並(なら)びに往(ゆ)かず。尊者の曰く、汝、何處(いずこ)かに住(じゅ)する。曰く、我が心、並(なら)びに止(し)せず。尊者の曰く、汝、定(じょう)まらずか。曰く、諸仏も亦(また)然(しか)り。尊者の曰く、汝、諸仏にあらず。曰く、諸仏も亦(また)然(しか)らず。尊者、ここに偈を説きて曰く、
此地變金色預知於聖至
此(こ)の地、金色に變(へん)ずれば、預(あらかじ)め聖人の到來を知る、
