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景德傳燈錄 卷第三

宋 · 道原 · 第63巻 / 151

僧問。如何是平常心。師雲。要眠即眠要坐即坐。僧雲。學人不會。師雲。熱即取涼寒即向火。僧問。向上一路請師道。師雲。一口針三尺線。僧雲。如何領會。師雲。益州布揚州絹。僧問。動是法王苗。寂是法王根。如何是法王。師指露柱曰。何不問大士。因庭前向日。仰山雲。人人盡有遮箇事。只是用不得。師雲。恰是請汝用。仰山雲。作麼生用。師乃蹋倒仰山。仰山雲。直下似箇大蟲(長慶雲。前彼此作家。後彼此不作家。乃別雲。邪法難扶)自此諸方謂為岑大蟲。僧問。本來人還成佛也無。師雲。汝見大唐天子還自種田割稻否。僧雲未審是何人成佛。師雲。是汝成佛。僧無語。師雲。會麼。僧雲。不會。師雲。如人因地而倒依地而起。地道什麼。三聖令秀上座問雲。南泉遷化向什麼處去。師雲。石頭作沙彌時參見六祖。秀雲。不問石頭見六祖。南泉遷化向什麼處去。師雲。教伊尋思去。秀雲。和尚雖有千尺寒松。且無抽條石筍。師默然。秀雲。謝和尚答話。師亦默然。秀上坐舉似三聖。三聖雲。若實恁麼猶勝臨濟七步。然雖如此待我更驗看。至明日三聖上問雲。承聞和尚昨日答南泉遷化一則語。可謂光前絕後今古罕聞。師亦默然。僧問。如何是文殊。師雲。牆壁瓦礫是。又問。如何是觀音。師雲。音聲語言是。又問。如何普賢。師雲。眾生心是。又問。如何是佛。師雲。眾生色身是。僧曰。河沙諸佛體皆同。何故有種種名字。師雲。從眼根返源名為文殊。耳根返源名為觀音。從心返源名為普賢。文殊是佛妙觀察智。觀音是佛無緣大慈。普賢是佛無為妙行。三聖是佛之妙用。佛是三聖之真體。用則有河沙假名。體則總名一薄伽梵。僧問色即是空空即是色。此理如何。師偈曰。

僧が問う――「如何なるか是れ平常心。」師が説く――「眠らんと要すれば即ち眠り、坐さんと要すれば即ち坐す。」僧が説く――「学人会せず。」師が説く――「熱ければ即ち涼を取り、寒ければ即ち火に向かう。」僧が問う――「向上の一路、請う師に道わんことを。」師が説く――「一口の針、三尺の線。」僧が説く――「如何に領会せん。」師が説く――「益州の布、揚州の絹。」僧が問う――「動は是れ法王の苗、寂は是れ法王の根。如何なるか是れ法王。」師は露柱を指して説く――「何ぞ大士に問わざる。」因りて庭前の日に向かう。仰山が説く――「人人尽く這箇の事有り、只だ是れ用うることを得ず。」師が説く――「恰も是れ汝に用いんことを請う。」仰山が説く――「作麼生用いん。」師乃ち仰山を踏み倒す。仰山が説く――「直下は大虫に似たり。」(長慶が説く――「前は彼此作家なり、後は彼此作家に非ず。」乃ち別に云う――「邪法は扶け難し。」)此より諸方に謂いて岑大虫と為す。僧が問う――「本来の人は還て仏を成するや無しや。」師が説く――「汝は大唐天子に還て自ずから田を種け稲を割くや否やを見る。」僧が説く――「未だ審らかならず、是れ何人の仏を成するぞ。」師が説く――「是れ汝の仏を成すなり。」僧語無し。師が説く――「会するか。」僧が説く――「会せず。」師が説く――「人の地に因りて倒れ、地に依りて起つが如し。地は什麼をか道わん。」三聖が秀上座に令めて問わしめて説かせた――「南泉は遷化して何の処に向かいて去る。」師が説く――「石頭は沙弥と作る時、六祖に参見した。」秀が説く――「石頭の六祖を見るを問わず。南泉は遷化して何の処に向かいて去る。」師が説く――「伊をして尋ね思い去らしめよ。」秀が説く――「和尚は千尺の寒松有ると雖も、且つ抽条の石筍無し。」師默然。秀が説く――「謝す和尚の答話。」師も亦た默然。秀上座は挙げて三聖に似す。三聖が説く――「若し実に恁麼ならば、猶お臨済の七歩に勝る。然りと雖も此の如し、我が更に験め看んを待て。」明日に至りて三聖は上りて問うて説く――「承聞す、和尚昨日南泉遷化の一則の語に答えたり、謂わば光前絶後、今古聞くこと罕なりと。」師も亦た默然。僧が問う――「如何なるか是れ文殊。」師が説く――「牆壁・瓦礫是れなり。」また問う――「如何なるか是れ観音。」師が説く――「音声・言語是れなり。」また問う――「如何なるか普賢。」師が説く――「衆生の心是れなり。」また問う――「如何なるか是れ仏。」師が説く――「衆生の色身是れなり。」僧が説く――「河沙の諸仏は体皆同なり、何の故に種種の名字有る。」師が説く――「眼根より源に返るを名づけて文殊と為し、耳根より源に返るを名づけて観音と為し、心より源に返るを名づけて普賢と為す。文殊は是れ仏の妙観察智、観音は是れ仏の無縁大慈、普賢は是れ仏の無為妙行。三聖は是れ仏の妙用、仏は是れ三聖の真体。用には則ち河沙の仮名有り、体は則ち総て名づけて一薄伽梵と為す。」僧が問う――「色即是空、空即是色。此の理如何。」師の偈に説く――

礙處非牆壁通處勿虛空

碍ぐる処は牆壁に非ず、通ずる処は虚空を勿れ。

若人如是解心色本來同

若し人かくの如く解せば、心色は本来同なり。

又偈曰。

また偈に説く――

佛性堂堂顯現住性有情難見

仏性は堂堂として顕現すれども、性に住する有情は見難し。

若悟眾生無我我面何殊佛面

若し衆生に我無きを悟れば、我が面何ぞ仏面に殊ならん。

僧問。第六第七識及第八識畢竟無體。云何得名轉。第八為大圓鏡智。師有偈曰。

僧が問う――「第六・第七識及び第八識は畢竟体無し、云何して第八を転じて大円鏡智と為すと名づけん。」師に偈有りて説く――

七生依一滅一滅持七生

七の生は一の滅に依り、一の滅は七の生を持す。

一滅滅亦滅六七永無遷

一の滅、滅も亦た滅し、六七は永く遷ること無し。

又有僧問。蚯蚓斷為兩段兩頭俱動未審佛性在阿那頭。師雲。妄想作麼。僧雲其如動何。師雲。汝豈不知火風未散。僧問。如何轉得山河國土歸自己去。師雲。如何轉得自己成山河國土去。僧雲。不會。師雲。湖南城下好養民。米賤柴多足四隣。其僧無語。師有偈曰。

また僧有りて問う――「蚯蚓は断かれて両段と為るも、両頭俱に動く、未だ審らかならず仏性は阿那の頭に在るや。」師が説く――「妄想を作麼せん。」僧が説く――「其の動くが如きを何せん。」師が説く――「汝豈に火風未だ散ぜざるを知らざらんや。」僧が問う――「如何に山河国土を転じて自己に帰せしめん。」師が説く――「如何に自己を転じて山河国土と成り去らしめん。」僧が説く――「会せず。」師が説く――「湖南の城下は民を養うに好し、米は賤く柴は多く四隣に足る。」其の僧語無し。師に偈有りて説く――

誰問山河轉山河轉向誰

誰か山河の転ずるを問う、山河は転じて誰に向かう。

圓通無兩畔法性本無歸

円通に両畔無く、法性は本より帰する所無し。

講華嚴大德問。虛空為是定有為是定無。師曰。言有亦得言無亦得。虛空有時但有假有。虛空無時但無假無。雲如和尚所說有何教文。師曰。大德豈不聞。首楞嚴經云。十方虛空生汝心內。猶片雲點太清裡。豈不是虛空生時但生假名。又云。汝等一人發真歸元。十方虛空皆悉消殞。豈不是虛空滅時但滅假名。老僧所以道。有是假有無是假無。又問經云。如淨琉璃中內現真金像此意如何。師曰。以淨琉璃為法界體。以真金像為無漏智體。體能生智智能達體。故云如淨瑠璃中內現真金像。問如何是上上人行處。師曰。如死人眼。雲上上人相見時如何。師曰。如死人手。問善財為什麼無量劫遊普賢身中世界不遍。師曰。爾從無量劫來還遊得遍否。雲如何是普賢身。師曰。含元殿裡更覓長安。問如何是學人心。師曰。盡十方世界是爾心。雲恁麼則學人無著身處也。師曰。是爾著身處。雲如何是著身處。師曰。大海水深又深。雲學人不會。師曰。魚龍出入任升沈。問有人問和尚即隨因緣答。總無人問和尚如何。師曰。困即睡健即起。雲教學人向什麼處會。師曰。夏天赤骨力。冬寒須得被。問亡僧什麼處去也。師有偈雲。

『華厳』を講ずる大徳が問う――「虚空は是れ定有か、是れ定無か。」師が説く――「有と言うも亦た得、無と言うも亦た得。虚空の有るときは但だ仮有のみ有り、虚空の無きときは但だ仮無のみ無し。」説く――「和尚の説く所に如く、何の教文有る。」師が説く――「大徳豈に聞かざらんや『首楞厳経』に説く――十方の虚空は汝が心の内に生ずるに、猶お片雲の太清の裡を点ずるがごとし。豈に是れ虚空の生ずるとき但だ仮名を生ずるに非ずや。又説く――汝等一人真を発して元に帰せば、十方の虚空皆悉く消殞す。豈に是れ虚空の滅するとき但だ仮名を滅するに非ずや。老僧の道う所以は、有は是れ仮有、無は是れ仮無なり。」また問う――「経に説く、浄瑠璃の中に内に真金像を現ずるが如し、此の意如何。」師が説く――「浄瑠璃をもって法界の体と為し、真金像をもって無漏の智体と為す。体は能く智を生じ、智は能く体に達す。故に説く浄瑠璃の中に内に真金像を現ずるが如しと。」問う――「如何なるか是れ上上人の行じ処。」師が説く――「死人の眼の如し。」説く――「上上人相見る時如何。」師が説く――「死人の手の如し。」問う――「善財は什麼が為めに無量劫に普賢の身中の世界を游びて遍からざる。」師が説く――「爾は無量劫来還て游び得るか遍からずや。」説く――「如何なるか是れ普賢の身。」師が説く――「含元殿の裡に更に長安を覓む。」問う――「如何なるか是れ学人の心。」師が説く――「十方世界を尽くすは是れ爾が心。」説く――「恁麼ならば則ち学人は著身の処無き也。」師が説く――「是れ爾が著身の処。」説く――「如何なるか是れ著身の処。」師が説く――「大海の水は深くまた深し。」説く――「学人会せず。」師が説く――「魚龍の出入は升沈に任す。」問う――「人有りて和尚に問えば則ち因縁に随って答う。総て人無く和尚に問わざれば如何。」師が説く――「困れば即ち睡り、健ければ即ち起つ。」説く――「学人をして何の処に向かいて会せしめん。」師が説く――「夏天は赤骨力し、冬寒は被を得るを須うす。」問う――「亡僧は什麼の処にか去るや。」師に偈有りて説く――

不識金剛體卻喚作緣生

金剛の体を識らずして、却って喚んで縁生と作す。

十方真寂滅誰在復誰行

十方真寂滅にして、誰か在りて誰か行ぜん。

南泉有真讚雲。

南泉に真の讃有りて説く――

堂堂南泉三世之源金剛常住

堂堂たる南泉は、三世の源なり。金剛常住、

十方無邊生佛無盡現已卻還

十方無辺なり。生仏無尽、現なりて已に還す。

南泉久住投機偈。

南泉久しく住す、投机の偈。

今日還鄉入大門南泉親道遍乾坤

今日郷に還り大門に入る、南泉親く道う遍乾坤と。

法法分明皆祖父迴頭慚愧好兒孫

法法分明に皆祖父なり、頭を回らして愧いん好児孫を。

師答曰。

師答えて説く――

今日投機事莫論南泉不道遍乾坤

今日の投机の事は論ずる莫れ、南泉は道わず遍乾坤と。

還鄉盡是兒孫事祖父從來不入門

郷に還るは尽く是れ児孫の事、祖父は従来門に入らず。

師又有勸學偈雲。

師また勧学の偈有りて説く――

萬丈竿頭未得休堂堂有路少人遊

万丈の竿頭は未だ休むを得ず、堂堂と路有りて游ぶ人少なし。

禪師願達南泉去滿目青山萬萬秋

禅師願わくば南泉に達せよ、満目の青山万万秋なり。

因臨濟和尚雲。赤肉團上有無位真人。師乃有偈雲。

臨済和尚の説くに因りて――赤肉団の上に無位の真人有り。師乃ち偈有りて説く――

萬法一如不用揀一如誰揀誰不揀

万法一如にして揀を用いず、一如は誰か揀い誰か揀わざる。

即今生死本菩提三世如來同箇眼

即今の生死は本より菩提、三世の如来は同箇の眼なり。

師誡人斫松竹。偈雲。

師、人に松竹を斫るを誡むるに、偈説かく――

千年竹萬年松枝枝葉葉盡皆同

千年の竹、万年の松、枝枝葉葉尽く皆同なり。

為報四方玄學者動手無非觸祖公

為に四方の玄学者に報ゆ、手を動かすは祖公に触るるに非ざる無し。

荊南白馬曇照禪師常雲。快活快活。及臨終時叫苦苦。又云。閻羅王來取我也。院主問曰。和尚當時被節度使拋向水中神色不動。如今何得恁麼地。師舉枕子云。汝道當時是如今是。院主無對(法眼代雲。此時但掩耳出去)。

荊南白馬の曇照禅師は常に説く――「快活快活。」および臨終の時に叫ぶ――「苦苦。」また説く――「閻羅王来りて我を取る也。」院主が問うて説く――「和尚は当時節度使に抛げられて水の中に向われしに、神色動かざりき。如今何ぞ恁麼地なるを得。」師は枕子を挙げて説く――「汝道え、当时是れか、如今是れか。」院主対无し(法眼代わりて云う――「此の時但だ耳を掩いて出去れ。」)。

終南山雲際師祖禪師。初在南泉時。問雲。摩尼珠人不識。如來藏裡親收得。如何是藏。南泉雲。與汝來往者是藏。師雲。不來往者如何。南泉雲。亦是藏。又問。如何是珠。南泉召雲師祖。師應諾。南泉雲。去汝不會我語。師從此信入。

終南山雲際の師祖禅師。初め南泉に在る時に問うて説く――「摩尼珠は人識らず、如来蔵の裡に親く収め得たり。如何なるか是れ蔵。」南泉が説く――「汝と来往する者是れ蔵なり。」師が説く――「来往せざる者は如何。」南泉が説く――「亦是れ蔵なり。」また問う――「如何なるか是れ珠。」南泉は召して説く――「師祖。」師応諾す。南泉が説く――「去れ、汝は我が語に会せず。」師此より信入す。

鄧州香嚴下堂義端禪師示眾雲。兄弟彼此未了有。什麼事相共商量。我三五日即發去也。如今學者須了卻今時。莫愛他向上人無事。兄弟縱學得種種差別義路。終不代得自己見解。畢竟著力始得。空記持他巧妙章句。即轉加煩亂去。汝若欲相應。但恭恭盡莫停留纖豪直似虛空方有少分。以虛空無鎖無壁落無形無心眼。有僧問。古人相見時如何。師雲。老僧不曾見他古人。僧雲。今時血脈不斷處如何仰羨。師雲。有什麼仰羨處。僧問雲。某甲不問閑事。請和尚答話。師雲。更從我覓什麼。僧雲。不為閑事。師雲。汝教我道。師又云。兄弟佛是塵法亦是塵。終日馳求有什麼休歇。但時中不用掛情。情不掛物。無善可取無惡可棄。莫教被他籠罩著。始是學處。有僧雲。曾辭一老宿示某甲雲。去則親良朋附道友。未審老宿意旨如何。才禮拜次師雲。禮拜一任不得認奴作郎。僧問。如何是直截根源。師乃擲下拄杖入方丈。一日師謂眾曰。語是謗寂是誑。寂語向上有路在。老僧口門窄。不能與汝說得。便下堂。僧問。一句子如何。師雲。此間一句亦無。僧問。正因為什麼無事。師雲。我不曾停留。又云。假饒重重剝得淨盡無停留。權時施設亦是方便接人。若是那邊事無有是處。

鄧州香厳下堂の義端禅師は衆に示して説く――「兄弟は彼此未だ了せず、什麼の事有りて相共に商量せん。我は三五日に即ち発し去らん也。如今の学者は須らく今時を了却すべし、他の向上人の事無きを愛す莫れ。兄弟縦い種種の差別義路を学び得ると雖も、終に自己の見解を代うることを得ず。畢竟力を着けて始めて得。空しく他の巧妙章句を記持すれば、即ち転じて煩乱を加え去る。汝若し相応せんと欲せば、但だ恭恭尽くせ、繊毫を停留する莫れ、直に虚空に似んこと、方に少分有り。虚空は鎖無く、壁落無く、形無く、心眼無きを以てなり。」僧有りて問う――「古人相見る時如何。」師が説く――「老僧は曾て他の古人に見えず。」僧が説く――「今時の血脈不断の処は如何に仰羡せん。」師が説く――「什麼の仰羡の処有る。」僧が問うて説く――「某甲は閑事を問わず、請う、和尚に答話せんことを。」師が説く――「更に我に従い什麼を覓む。」僧が説く――「閑事と為さず。」師が説く――「汝、我に道えと教う。」師また説く――「兄弟、仏は是れ塵、法も亦是れ塵。終日馳求して什麼の休歇有る。但だ時中に情を掛けるを用いざれ。情物に掛からざれば、取るべき善無く、棄つべき悪無し。他に籠罩せられ著せらるるを教う莫れ、始めて是れ学ぶの処。」僧有りて説く――「曾て一老宿に辞す、某甲に示して説く――去れば良朋に親み、道友に附せよと。未だ審らかならず老宿の意旨如何。」纔かに礼拜する次、師が説く――「礼拜は一任せよ、奴を認めて郎と作すを得ず。」僧が問う――「如何なるか是れ直截の根源。」師乃ち拄杖を擲ち下して方丈に入る。一日師は衆に謂うて説く――「語は是れ謗、寂は是れ誑。寂語の向上に路有り在り。老僧は口門窄く、能く汝の為に説くことを得ず。」便ち堂を下る。僧が問う――「一句子如何。」師が説く――「此間は一句も亦た無し。」僧が問う――「正因は什麼が為めに事無き。」師が説く――「我曾て停留せず。」また説く――「仮令重重に剥じ得て浄尽に��留無からしめども、権時の設施も亦是れ方便に人を接するのみ。若し那边の事ならば、是の処有ること無し。」

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