Libo

因革

清 · 杭辛斋 · 第17巻 / 23

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

澤火革,《彖傳》曰“水火相息二女同居其志不相得曰革”,“湯武革命順乎天而應乎人”。《序卦傳》曰“井道不可不革”,《雜卦傳》曰“革去故也”,《易》之言革也著矣。而言因無專文,讀者胥不甚注意,不知有革必有因。天下萬事萬物,無事無因,無物無因,故六十四卦,皆因而重之。因而重之而爻在其中,剛柔相推而變在其中,變則革矣。因與革皆在其中中爻,因與革皆人所為。故尤在中爻中之三四兩人爻。

沢火《革》卦の《彖伝》は言う。「水火は相息し、二女同居して其の志相得ず、之を革と曰う」。また「湯武は命を革するに、天に順い人に応ず」と言う。《序卦伝》は「井の道革まざるべからず」と言い、《雑卦伝》は「革とは故を去るなり」と言う。《易》が「革」を講ずるのは十分に顕豁である。しかし「因」には専門の文字がなく、読者は大抵留意しないが、実は革があれば必ず先に因があることを知らない。天下の万事万物に、因る所のない一事も一物もない。だから六十四卦は皆「因りて之を重ぬ」――八経卦を因襲して重ねて六十四卦とする。因りて之を重んずれば、六爻はその中にあり、剛柔が互いに推移すれば変化はその中にあり、変化があれば革である。因と革は皆一卦の中間の数爻に落ち、因と革は皆人の為す所なので、殊に中爻の中の三・四の二つの「人爻」に落ちる。

《乾·九四·傳》曰“乾道乃革”,三爻《傳》曰“因其時而惕”。蓋重乾二與四是恆乾,三與五是咸乾。三爻居恆乾之中,恆“不易方”,不易因也。四居咸乾之中,咸為恆之反,則不易者易,革也。

《乾卦・九四・文言伝》に「乾の道乃ち革む」とあり、九三の《文言伝》に「其の時に因りて惕る」とある。一カ所は革を言い、一カ所は因を言う。もともと重乾一卦の中で、二爻から四爻までの一段は「恒乾」に属し、三爻から五爻までの一段は「咸乾」に属する。九三は「恒乾」の中位に居り、《恒卦・象伝》の講ずる「君子は立ちて方を易えず」、常を守って改めないのが「因」である。九四は「咸乾」の中位に居り、《咸》はまさに《恒》を反覆した卦なので、もともと改めない者が改まる、それが「革」である。

乾三爻天五數,四爻地六數。天五地六,相乘為三十。革古文從三十,三十年為一世。四與初應,初不易乎世,至四則易世。易世,革也。五六於干支為戊己,故革曰“己日乃革”。以三四重剛不中,變則為中孚,故革曰“己日乃孚”。明乎革而因可知矣。《論語》“殷因於夏禮周因於殷禮”,明乎因而革可知矣。

爻数に就いて言えば、乾卦の第三爻は天数の五に属し、第四爻は地数の六に属す。天五と地六は相乗じて三十を得る。「革」の字の古文はまさに「三十」に従い、三十年を一世とする。四爻は初爻に応じ、初九の《文言》は「世に易えられず」と言い、世俗に改易されない。四爻に至れば「世を易う」、一世を改易するのが革である。五・六の二数は天干で戊・己に配するので、《革》卦は「己日に乃ち革む」と言う。また三・四の両爻は重剛にして中に居らず、一変すれば《中孚》卦となるので、《革》卦はまた「己日に乃ち孚あり」と言う。革を明らかにすれば因も推知でき、《論語》の「殷は夏の礼に因り、周は殷の礼に因る」を明らかにすれば、革も推知できる。

乾坤は《易》の門

《繫傳》:“乾坤其《易》之門邪?是故闔戶謂之坤,闢戶謂之乾,一闔一闢謂之變。”案:天地數,天一始北方坎,地十終西方兌(坎子一,艮丑寅二三,震卯四,巽辰己五六,離午七,坤未申八九,兌酉十,乾戌亥無數。),而乾無數。乾圓周流坤方,西北不掩,是為不周。故八風於西北為不周風。西北娵訾口,亥東闢。闢,閉也,是閉戶謂之乾也。

《繋辞伝》に「乾坤は其れ《易》の門か。故に戸を闔すを坤と謂い、戸を闢すを乾と謂い、一闔一闢を変と謂う」とある。按ずるに、天地之数に就いて言えば、天一は北方の坎に始まり、地十は西方の兌に終わる(坎は子で数一、艮は丑・寅で数二・三、震は卯で数四、巽は辰・巳で数五・六、離は午で数七、坤は未・申で数八・九、兌は酉で数十、乾は戌・亥に居って数なし)。ただ乾のみ配数がない。乾は円で、坤の方位の上を周流して、西北の一角で掩い合わさらない。これを「不周」というので、八風の中で西北の一風がまさに「不周風」と名づく。西北は十二次の「娵訾の口」に当たり、亥位の東を「闢」という。「闢」はここでは閉に訓するので、門を閉じるを乾と言うのである。

坤西南括囊,天地閉,天地建侯數七十二(五日一候,一年七十二候)。四隅方數,西南未申八九,合七十二,為天地包象。東北丑寅二三,成六。東南辰己五六,成三十,皆坤用數六。坤地數,三十包之(南極入地三十六度。北極出地三十六度),為地坤囊包藏萬物之象,是闔戶謂之坤也。乾戶闢而開物成務,自無出有,坤戶闔而萬物歸藏。自有入無,天地門戶,出入於東西亞卯亞酉震兌,得乾坤之門,而《易》道始可言矣。

坤位は西南にあり、「括嚢」を象する――袋の口を緊く括る、天地が閉塞する。天地の建候の数は七十二(五日を一候とし、一年は凡そ七十二候)。四隅の方位数に就いて言えば、西南の未・申は八と九で、相和して七十二となり、まさに天地包容の象である。東北の丑・寅は二と三で、相乗じて六を成す。東南の辰・巳は五と六で、相乗じて三十を成す。皆坤の数六を用いる。坤は地数に属し、三十をもって一切を包裹する(南極は地に入ること三十六度、北極は地より出ること三十六度)。まさに大地が袋のごとく万物を包蔵する象で、門を閉じるを坤と言うのである。乾の門は闢いて開物成務し、無の中から有を生じ、坤の門は闔して万物が各々蔵に帰し、有から無の中に入る。天地のこの二扇の門戸は、出入が皆東西の両端にある――卯位に次ぐ震と酉位に次ぐ兌である。乾坤のこの道の門を把捉して、初めて《易》道を講ずることができる。

乾坤列を成す

庖羲畫卦以象天地人物,而代結繩之治。然畫契未興,又未有方策帛書之制,則所賴以紀錄者,要不外以石質之刀錐,刻畫於竹簡,或皮革之上耳。故曰“畫卦”。考古人簡策之制,皆狹而長。庖羲之畫卦,未必如後世八卦六十四卦之方圓各圖,故《繫傳》曰“乾坤成列”。“成列”雲者,必以乾坤分列二行。而兌離震,巽坎艮,或以類從。

伏羲が卦を画いたのは、天地人物に象を取って結縄記事の旧いやり方に代えるためであった。しかしあの時は刻契の技術が未だ興らず、簡册・帛書の類の制度もなかったので、憑借できる記録手段は、所詮石質の刀錐をもって竹簡あるいは皮革の上に刻畫するだけであった。だから「画卦」と言う。古人の簡策の形制を考察すれば、皆狭くて長い。伏羲が当初卦を画いた時、必ずしも後世のように八卦・六十四卦の円図・方図に排してはいなかったので、《繋辞伝》は「乾坤列を成す」と言う。「列を成す」と言う以上、必ず乾・坤を二行に分けて排し、兌・離・震は乾に従い、巽・坎・艮は坤に従い、各々その類に依って相従したのである。

三代時八卦排列如何,固不可考。而自秦漢以迄五代諸家之《易》,則均無八卦六十四卦之圖。故邵子學《易》數年,未得要領。及師事李挺之,挺之授以乾一兌二離三震四巽五坎六艮七坤八之數,始恍然大悟。先天之學,即由是發明。一部《皇極經世》,無非此一二三四五六七八所推衍。可知邵子以前之《易》,其八卦之排比,皆為行列,而未有此八角形之方式也。

夏・商・周の三代の時、八卦がどう排列したかは、固より考証できない。しかし秦漢から五代まで、各家が《易》を講ずるに八卦・六十四卦の図がなかったことは確かである。だから邵雍は《易》を学ぶこと数年、ずっと要領を摸えなかった。李之才(字は挺之)に師事するに及び、李之才が彼に乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八の一組の次序数を伝えて、彼は初めて恍然と悟り、先天の学はこれによって発明された。天地歴数・古今治乱を推演する一部の《皇極経世》は、全てこの一・二・三・四・五・六・七・八を推衍したものに他ならない。これによって邵雍以前の《易》学では、八卦の排比は皆行列の形を成し、後のような八角形の図式はなかったことが分かる。

“帝出乎震”一章,雖明言八卦方位,而當時亦未必有圖。故漢人之言《易》者,或以乾坤列東,艮兌列南,震巽列西,而坎離處中,無一定之方式。然其升降、消息、納甲諸說,實已為先天八卦之端倪。是以邵子聞李氏一言,即能觸類旁通而發其神悟也。顧李挺之氏亦必有所受,故朱子疑三代以前所本有。後經散佚而流入道家者,雖為臆度之辭,亦或有可信之理也。

《説卦伝》の「帝は震より出ず」の一章は、八卦の方位を明らかに講じているが、当時も必ずしも図があったとは限らない。だから漢代に《易》を講ずる者は、ある者は乾・坤を東に列し、艮・兌を南に列し、震・巽を西に列し、坎・離を中に処らせて、一定の格式がなかった。しかし彼らの講ずる「昇降」(爻位の上下昇降)・「消息」(陽長陰消・陰長陽消)・「納甲」(十干を八卦に配する)の諸説は、実はすでに先天八卦の端倪を透けて見せていたので、邵雍は李之才の言を一聞すれば、類に触れて旁通し豁然として神悟できたのである。さらに李之才自身にも必ず別に師承があったので、朱熹が先天図は三代以前に本有の物で後に散失して道家に流入したと疑ったのは、推測の辞とはいえ、必ずしも信ずべき理がないわけではない。

一生二、二生三

天地之數,一生二,二生三。老子曰:一生二,二生三,三生萬物。蓋物一者自無而有,未為數也。至二而成數矣,然猶為一奇一偶之名,而未著乎數之用也(近世俗語尚有以二為一雙為一對者。由今以溯古,其意可想見矣。)。至三,則數之用生。以此遞衍,可至於無窮。故一不用,二為體,三為用。

天地之数は、一が二を生み、二が三を生む。《老子》に言う。「一生二、二生三、三生万物」。およそ「一」というものは、無から有に至り、浑然として自ら一つの整体を成し、それ自体はまだ数とは言えない。「二」に至って初めて数を成すが、この時もまだ一奇一偶の二つの名目にすぎず、数の作用は未だ顕れない(今日の口語でも「二」を一双・一対と呼び、依然として二つを一つの整体として見ている。今から古に遡れば、古人の意は想見できる)。「三」に至って初めて数の作用が生じ、これに依って推して衍けば、無窮に至ることができる。だから「一」は用を起こさず、「二」は体であり、「三」こそ用である。

《易》有太極一也,陰陽二也,陰陽之用三也(二其三用六,三其三用九。)。如六爻皆一乾也,六爻皆一坤也,而動則或為○或為X,必用其一。如六爻皆變為○,則乾變為坤。然此六○之坤,與六- -之坤,其占不同。是由二而生三矣。

「《易》に太極あり」は一であり、太極が陰陽に分かれるのは二であり、陰陽の功用は三である(二に三を乗じて六を得、これが老陰の用。三に三を乗じて九を得、これが老陽の用)。例えば六爻が皆陽なら一つの乾であり、六爻が皆陰なら一つの坤である。しかし一たび爻が動けば、或いは「○」(陽が陰に変わる)と画き、或いは「X」(陰が陽に変わる)と画き、必ずその一を択用しなければならない。もし六爻が皆変わって皆「○」となれば、乾は坤に変わる。しかしこの六つの「○」から変わった坤と、本来六画が皆陰の坤とは、占断が同じでない。これが二から三が生じる所以である。

是故《易》之道備於三(由天生地,一生二也。由地生人,二生三也。非人則天地之功用不彰,故曰與天地參。),卦畫止於三,數之體也。爻以靜為一,動為二,用為三。數之用也,有一即有二,有二必有三,乃天地自然之理,自然之數,所謂先天而天不達者也。《乾鑿度》曰:“《易》一名而含三義。交易也,變易也,不易也。”鄭康成氏《易論》云:“易簡一也,變易二也,不易三也。”

それゆえ《易》道は「三」に備わる(天から地を生ずるは一生二、地から人を生ずるは二生三。人がなければ天地の功用は顕れないので、《中庸》は人は天地と三を並ぶと言う)。八経卦の卦画は三画に止まり、これが数の体である。一爻は静を一、動を二、発用を三とし、これが数の用である。一があれば二があり、二があれば必ず三がある。これは天地自然の理・自然の数で、すなわち《乾卦・文言》の言う「先天にして天も違わず」――聖人が天時に先んじて動いても、天も彼に違わない。《易緯乾鑿度》に言う。「《易》は一つの名にして三義を含む。交易・変易・不易である」と。鄭玄(字は康成)《易論》に言う。「易簡は一、変易は二、不易は三」と。この三層の意味は、まさに上文の言う一・二・三と互いに対応する。

聖人以《易》立教,其道亦有三。上焉者道也,中焉者德也,下焉者占卜也。老子取其上,孔子取其中,焦京取其下,三者各有其用,而不相悖,且互相發明而不可離(道不准諸象數則失其鵠,德不原於道則失其統。占卜不合乎道德,則惑世誣民而已矣。)。後之學者,擇其一以為宗,而嚴立界說以明系統則可,若入主出奴,不揣其木妄自尊大,而排斥異己。執一不化,欲求其通也難矣。

聖人が《易》をもって教を立てるに、その道もまた三層に分かれる。最上の一層は「道」であり、中の一層は「徳」であり、最下の一層は「占卜」である。老子はその上を取り、孔子はその中を取り、焦延寿・京房はその下を取った。三者は各々その用があり、彼此悖らず、しかも互いに発明して離れられない(道を講じて象数を準則としなければその鵠を失い、徳を講じて道に本づかなければその統を失う。占卜が道徳に合しなければ、ただ世を惑わし民を誣うのみである)。後の学者は、その一一層を択んで宗旨とし、厳に界説を立てて自分の系統を明らかにするのは許される。もし入主出奴して、自分の根柢を量らずに妄自尊大し、異己を排斥して、一端に執着して変通を知らなければ、貫通を求めるのは難しい。

孔子立教,雖為中人說法,然正所以立德以明道,以為下學上達之階梯。故《十翼》傳經,無一字一言不根據於象數(法象莫大乎天地,必合乎法象者,乃謂之法言者。經非先王之法言不敢言,非先王之法行不敢行,法言法行皆合乎天地法象者也。故曰“建諸天地而不悖,質諸鬼神而無疑,百世以俟聖人而不惑”。)。若舍法象以為言,則詩書執禮所雅言者,其為教焉詳矣。又何必韋編三絕,為此鉤深致遠之辭乎?子貢曰“夫子之文章可得而聞,”凡立言必有合乎法象者,乃謂之文章。孔子特於《易》象闡發之,以為萬世之準,此為學《易》者所不可不知者也。故論及之。

孔子が教を立てるに、中等の資質の人のために説法したとはいえ、まさに人に徳を立てて道を明らかにさせ、下学して上達する階梯とするためである。だから《十翼》が経を伝えるに、一字一言でも象数に根拠しないものはない(取法すべき象は天地より大きいものはなく、およそ法象に合う言を「法言」と言う。先王の法言でなければ敢えて言わず、先王の法行でなければ敢えて行わず、法言法行は皆天地法象に合するもので、だから《中庸》は「天地の間に建てて悖らず、鬼神に質して疑いなし、百世を俟ちて聖人出でて惑わず」と言う)。もし法象を措いて立論するなら、《詩》《書》《礼》など孔子が平日に講じた内容は、教誨がすでに十分詳しい。どうして竹簡を繋ぐ革紐が三度切れるほどに《易》を読み、これらの鉤深致遠の言を書き記す必要があろうか。子貢は「夫子の文章は得て聞くべきなり」と言った――およそ立言は必ず天地法象に合するもので、初めて「文章」と称するに足る。孔子は特に《易》象においてこれを闡発し、万世の準則としたので、これは《易》を学ぶ者が知らないわけにはいかない。ゆえにここに論列する。

祭祀

《易》之言“祭祀”“享祀”,均含有二義。一為祭神祀鬼,此祭祀之本義也。一為人群之集會,以謀一群公共之事,亦以祭祀行之。蓋古人風氣淳樸,而庶民之家,又無廣庭巨廈,足以為集會之地者。故凡有會議之事,往往藉祭祀以行之。一鄉一邑之事,則集之於社。一家一族之事,則集之於宗廟。所謂“利用祭祀”,“利用享祀”,及“孚乃利用禴”等象,不盡為禱祀求福,實含有會集群眾之意焉。

《周易》に言う「祭祀」「享祀」は、皆二層の意味を含む。一つは神を祭り鬼を祀ることで、これが祭祀の本義である。もう一つは人群の集会で――一群の人の公共の事務を商議するために聚まるのも、祭祀の名義を借りて行う。もともと古人の風気は淳樸で、百姓の家には広い庭や高い屋宇がなく集会の地とすることができなかったので、およそ議事があれば、往々にして祭祀に借りて行った。一郷一邑の事は社壇に聚まり、一家一族の事は宗廟に聚まった。だから《困》《萃》の諸卦の言う「祭祀を用うるに利し」「享祀を用うるに利し」、および《既済》九五の「孚あれば乃ち禴を用うるに利し」(「禴」は四時の祭の中で最も簡薄な一種)という爻象は、皆禱祀して福を求めるだけではなく、実に衆を会集する意を含んでいる。

降及後世,厲行專制政治,普通人民,更不容有公然集會之事。幸有此祭祀成例可援,得藉事神為合群自衛之一道(上以神道愚民,民以神道自衛,可見“無平不陂”。《易》道之妙用,即寓於其間矣。)。近如各鄉之有社廟,各業與僑民之有會館,無不以祭祀為集合群眾之介,猶足以覘《易》之遺意焉。

後世に至って専制政治が厳行され、普通人民は公然と集会することがさらに許されなくなり、幸いに祭祀という成例を援用して、神明に事えることを借りて聚合自衛の一つの門路とした(上に在る者は神道をもって民を愚弄し、民もまた神道をもって自らを守る。《泰》卦九三の「平らかなりて陂らざるなし」という言の道理が見える。《易》道の妙用はまさにこの中に寄寓する)。近世は各郷に社廟があり、各行业と外地に僑居する同郷人に会館があり、皆祭祀をもって群衆を聚集する媒介とする。ここから《易》の遺意を窺うことができる。

典礼

《繫傳》:“聖人有以見天下之動,觀其會通以行其典禮,是故謂之爻。”“典禮”者,乃所以處斷萬事萬物之一切制度之謂也。故古聖王之所以治天下也,大而禮樂政刑,小而訓詁名物,無不下順民情。而上合法象,法象莫大乎天地,民受天地之中以生,能合乎天地法象者。民情自無不順。故謂之典禮。典者守也,禮者履也。必能會通乎天人,然後足以昭信守而見履行。

《繋辞伝》は言う。「聖人は天下万物の変動を見て、その中の会合貫通する処を観察し、もって典章礼制を施行したので、これを『爻』と名づけた」と。いわゆる「会通」とは、紛紜とした変動の中に共に循うべき通則を見出すことであり、いわゆる「典礼」とは、万事万物を裁断するための一切の制度である。だから古代の聖王が天下を治めるに、大は礼・楽・政・刑から、小は名物訓詁に至るまで、下は民情に順い、上は法象に契合しないものはなかった。取法すべき象は天地より大きいものがなく、《左伝》は百姓が天地中和の気を禀けて生まれたと言う。およそ天地法象に合い得るものには、民情は自ずと順服しないことはないので、これを「典礼」と称する。「典」は守持すること、「礼」は践履することである。必ず天と人を会通できて、初めて守る所を昭示し、履き行うことに顕すに足る。

孔子之周,問禮於老聃,即此禮也。蓋周自東遷而後,文武之道載於方策者,散佚殆盡。諸侯惡其害己焉,皆毀之以自便。孔子周流列國,雖得百二國之寶書,要皆屬各國之歷史故事,而所謂典禮者,迄不可得,故不得不求諸老聃。老氏世掌周史,耳熟能詳。先王之典禮,不啻若自其口出,而提綱挈領,鉅細畢賅,則莫備於《易》。

孔子は周の都に赴いて老聃に礼を問うたが、問うたのはこの礼である。もともと周室が東に遷って以後、典册に記載された文王・武王の道は大抵散逸して尽きた――諸侯はそれが自分の妨げになるのを嫌い、思い切って毀って便宜を図った。孔子は列国を周遊して、百か国余りの諸侯国の珍藏典籍を見はしたが、それらは大抵各国の歴史掌故で、真のいわゆる「典礼」は終始得られなかったので、やむなく老聃に教えを求めた。老氏は代代周朝の史官の職を掌り、これらに耳に熟し詳しく、先王の典礼はまるで彼の口から直に流れ出るごとくであった。そして提綱挈領・巨細兼備を論ずれば、《易》より完備なものはなかった。

孔子受之,極深研幾,得其會通,又慮觸當世諸侯之忌也。正言之不可,乃寓微言於《十翼》之中。所謂“其稱名也小,其取類也大。其旨遠,其辭文。其言曲而中,其事肄而隱”者,非夫子之自道邪!於是更廣其旨以修《春秋》,刪《詩》、《書》,訂《禮》、《樂》,而古先聖王之典禮,乃燦然大備於六經。永如日月之經天,江河之行地,與天地法象,並昭千古。此孔子所以為述而不作,而功在生民者,非《易》又烏乎知之?

孔子はこの一套の学問を承受し、深く鑽研して至精至微の処に至り、その中の会通の理を掌握した。また当時の諸侯の忌諱に触れることを慮り、正面から直説しては通らないと考え、そこで微言を《十翼》に託した。《繋辞伝》のいわゆる「挙げた名目は小さいが、取った類は大きい。旨意は深遠で、文辞に采がある。言語は婉曲にして切に中り、叙事は肆えて含蓄がある」とは、まさに夫子の自らを写した姿ではないか。そこで彼はまたこの宗旨を推し広めて《春秋》を修め、《詩》《書》を刪定し、《礼》《楽》を厘訂して、古代先王の典礼を燦然として六経に大備させ、永遠に日月が天を行り江河が地を流れるがごとく、天地法象とともに千古を照らした。孔子が自ら「述べて作らず」と称しながら功が万民に及んだのは、《易》の中からでなければ、またどこからこの一層を明らかにできようか。

訟獄

《訟·彖傳》曰:“上剛下險,險而健訟。”訟者爭也。君子平其爭則訟解。《傳》曰:“訟不可長。”訟不可長,則不至成獄矣。故訟者,民事之爭,尚情感理喻而不必恃乎用刑。九五曰“訟元吉”,是能平其爭而使無訟者也。訟之凶在終於訟而不可解,則成獄矣。噬嗑曰“亨利用獄”,《象傳》曰“君子以明罰勅法”,則不能不用刑以闢以止闢矣。

《訟卦・彖伝》は言う。「上卦は剛健、下卦は険陷。険にして健なり、もって訟を成す」と。訟とは争いである。君子が争端を平息すれば、訟もまた解ける。《象伝》は「訟は長くすべからず」――争訟は長引かせてはならない、長引かせなければ刑獄に醸成するに至らない。だから「訟」は民事上の争いに属し、情を講じ理を説くのを重んじ、用刑に依る必要はない。九五の爻辞は「訟、元吉」と言う。これはまさに争端を平息して天下を訟なからしめることができる人である。訟が凶ある所以は、最後まで争って化解できないことにあり、それなら刑獄となる。《噬嗑》の卦辞は「亨、用て獄に利し」と言い、《象伝》は「君子はもって罰を明らかにし法を敕す」と言う。この地步に至れば刑罰を動かさざるを得ず、刑をもって刑を止めるのである。

噬嗑之象上離下震。離者明也,萬物皆相見,則物無遁形,以示治獄者必明察庶物,一無壅蔽。中爻三四五為坎,坎為法律,為智,為水。二至四為艮,艮為手,為山,為止。下震為動,治獄者即明且智,用法如水之平,絕無偏倚(坎離皆中正象)。無論在下者變動百出,皆能明燭其隱。執法如山,止而不動,所以能止一切之動,而令悉合於法(噬嗑,合也)。只此六畫之象,已將近世司法之精義,包括無遺。

《噬嗑》の卦象は上離下震である。離は光明で、万物はここですべて互いに顕現し、誰も形迹を隠せない。これは案を審理する者が必ず万物を明察し、一点の壅塞蒙蔽も容れないことを示す。中間の三・四・五爻は互体して坎となり、坎は法律であり、智慧であり、水である。二から四爻は互体して艮となり、艮は手であり、山であり、止である。下卦の震は動である。案を審理する者は明察でかつ智慧があり、法を用いること水のごとく平正で、偏倚が絶無である(坎・離は皆中に居って正を得る象)。下の人がどれほど変動百出しても、皆その隠微な処を照見できる。法を執ること山のごとく、自ら静止して動かず、それによっていっさいの妄動を止め、悉く法度に合わせる(「噬嗑」はまさに「合」の意)。わずかこの六画の象だけで、すでに近代司法の精義を余すところなく包摂している。

蓋古聖王之治天下也,道之以德,齊之以禮,刑罰但以濟禮之窮。禮以待君子,刑以治小人。人之情無不樂為君子而甘為小人者,故人人能範圍於禮,而刑罰可以不用。自上失其道,君子弗用,小人譸張,不恥不仁,不畏不義,不見利不勸,不威不懲,始訟獄繁興。故睽之六三曰“其人天且劓(天同而)”,困初六曰“臀困于株木”,九五曰“劓刖”,睽“失道”,困“剛掩”。理窮數極(《雜卦》困數三十,睽數三十六。四九三十六而乾道窮,五六三十而天地之數極。),禮崩樂壞,不得不用刑以濟之。

古代の聖王が天下を治めるに、徳をもって導き、礼をもって斉え、刑罰はただ礼の及ばない所を補うに用いた。礼は君子を待遇するために用い、刑は小人を治めるために用いた。人情に君子となるを願わず小人に甘んずる者はないので、人は皆礼に範囲され、刑罰は措いて用いずにおくことができた。上に在る者が道を失って以後、君子は任用されず、小人は欺誑が横行し、不仁を恥とせず不義を惧れず、利を見なければ幹そうとせず、威嚇を加えなければ懲戒を受けない。そこで争訟刑獄が紛紜として起こった。だから《睽》卦の六三は「その人は額を黥され鼻を割かれる刑を受け」と言い(「天」はここで「而」に同じく、額を黥する刑を指す)、《困》卦の初六は「臀部が枯木に困る」と言い、九五は「劓刖」の刑を言う。《睽》の病根は「道を失う」にあり、《困》の病根は「剛が柔に掩われる」にある。道理が窮まり気数が尽きる(《雑卦》で《困》の数は三十、《睽》の数は三十六。四九三十六で乾道が窮まり、五六三十で天地之数が極処に至る)、礼は崩れ楽は壊れて、刑罰をもって補救せざるを得なくなるのである。

所謂窮則變,非《易》之常道也。聖人猶憂之,慮後世淫刑以逞者有所藉口也,特於豐著之。曰“君子以折獄致刑”,言刑非折獄者不能妄用也。於旅曰“君子以明慎用刑而不留獄”,言用刑者宜審慎迅速不可留滯也。於中孚曰“君子以議獄緩死”,恐折獄者之或猶有冤濫,更議擬之而求其當也。嗚呼!《易》道之生生,與聖人質《易》之深心,可以見矣。

これがいわゆる「窮すれば則ち変ずる」であって、《易》の常道ではない。聖人はこれに対してなお安心せず、後世に刑罰を濫施する者がそれを口実にするのを恐れ、わざわざ《豊》卦に点明した。「君子はもって獄を折り刑を致す」とは、案を断ずる職を担任しない者は、妄りに用刑してはならないということである。《旅》卦で言う。「君子はもって明愼に用刑し獄を留めず」とは、用刑は審愼かつ迅速で、拖延積圧してはならないということである。《中孚》卦で言う。「君子はもって獄を議して死を緩む」とは、案を断ずる者に或いは冤枉・過濫の処があるかも知れないのを恐れ、そこでさらに復議斟酌を加え、必ず判決が妥当となるを求めるのである。ああ、《易》道の生々息々の仁心と、聖人が《易》理を質証した一片の苦心は、ここにおいて明らかに見ることができる。

司法独立

司法獨立者,近三十年來之學說也。我國自三代以降,於古人設官分職之遺意。久已泯棼而莫可紀極。以行政官操生殺之柄,威福自恣,積非成是。恬焉安之而莫以為妄,而不謂《易》象已明著之,孔子贊《易》更一再言之。賁之《象》曰:“君子以明庶政無敢折獄。”明示以折獄之必有專職。行政者雖明,亦無敢越俎,非司法獨立之精義乎?

「司法独立」は近三十年に入って初めて伝来した学説である。我が国は夏・商・周三代以後、古人が官を設け職を分けた本意はすでに淆乱して堪えず、理清すところがない。行政長官が生殺の大権を手握し、威を作り福を作して、非を習いて是となし、人々はこれに安んじて素のごとく、何の荒謬も感じない。しかし《易》象はすでにこの道理を明白に掲示しており、孔子の《易》を賛したのはさらに再三申し説いていることを知らない。《賁》は山下に火ある象で、政事を修明し治道を文飾する義を取る。その《象伝》は言う。「君子はもって庶政を明らかにし、敢えて獄を折らず」と。これは断案には必ず別に専職を設けねばならないと明白に指し示す。行政官員はたとえ精明でも、越俎して代庖することを敢えてしない――これはまさに司法独立の精義ではないか。

《豐·象》曰:“君子以折獄致刑。”明示以用刑為折獄者之專責。凡非折獄者,皆不許有用刑之權,非司法獨立之明證乎?蓋豐與噬嗑為同體之卦(火雷噬嗑,雷火豐),噬嗑曰“利用獄”,故孔子更於豐申明其義以見除此之外,雖賁為噬嗑之往來卦,亦無敢折獄。其謹嚴如此。近世詡為新學說,而《易》象已深切著明於七千年之前。《易》道之廣大悉備,此其一端矣。

《豊卦・象伝》は言う。「君子はもって獄を折り刑を致す」と。これは用刑が断案者の専責であると明白に指し示し、およそ断案の職を担任しない者は、一概に用刑の権を許さない――これはまさに司法独立の明証ではないか。もともと《豊》と《噬嗑》は同じ一対の経卦が上下互いに換わって成ったもので(火雷《噬嗑》は、上下一たび換われば雷火《豊》となる)、《噬嗑》は「用て獄に利し」と言う。だから孔子はまた《豊》卦においてその義を申明し、もってこの外は、たとえ《賁》が《噬嗑》を反覆した往来の卦であっても、勝手に断案することを敢えてしないことを見せた。その間の謹厳はここに至った。近世に自ら新学説と謳うものは、《易》象において七千年前にすでに深く切に明白に講じられていた。《易》道の広大周備は、これはその中の一端にすぎない。

教育

近世教育制度,發軔於歐西,裨販於日本。規模弘遠,成效彰著。適值我時衰俗敝之秋,以國力之不競,舍興學無以為圖強之本,遂盡棄其學而學焉。而不知現世所行之學制,為我國所採取而未能遍舉者,無不悉備於《易》象之中。河南張之銳氏,近世以新學講《易》者也。其論近世教育,足與《易》相印證者,略謂《易》之教育,約分五種:一曰“蒙養教育”,二曰“國民教育”,三曰“人才教育”,四曰“通俗教育”,五曰“世界教育”。

近世の教育制度は西欧に起源し、また日本を経て転販されてきたもので、規模は宏大深遠で、成效は顕著である。ちょうど我が国が時局衰敗・風俗凋敝の際に遭い、国力が振るわず、学校を興办する以外に強を図る根本がなかったので、そこで自家の学問を全く抛って、一味に他人を学んだ。しかし当今推行しているこの一套の学制が、およそ我が国ですでに採用されてなお全面施行できていない部分は、どれも早くから《易》象の中に完備していたことを知らない。河南の人張之鋭は、近世に新学をもって《易》を講じた者で、彼の論じた近代教育が《易》と互いに印証するに足る処は、大略《易》の教育は約五種に分かれると言う。一は「蒙養教育」、二は「国民教育」、三は「人材教育」、四は「通俗教育」、五は「世界教育」である。この五種は家庭から国家へ、専門人材から民間風俗へ、一直線に天下万物まで推し広げ、層層に拡展する。

“蒙以養正”,蒙養教育也。蒙養本於家庭,故九二曰“納婦吉子克家”,以明克家之子,必有賴於母教也。“包蒙”之包,亦作“彪蒙”,與革旁通,以明“豹變”“虎變”之大人,皆正始於彪蒙也。

《蒙卦・彖伝》は「蒙をもって正を養う」と言い、講ずるは蒙養教育である。蒙養の根拠は家庭にある。だから九二の爻辞は「婦を納れて吉、子は家に克つ」と言い、もって門戸を撑持できる子は、必ず母の教導に頼ることを説明する。九二の「包蒙」の「包」は、また「彪」と作り、「彪蒙」はすなわち童稚が初めて啓かれる時である。《蒙》と《革》の両卦は旁通し、まさに《革》卦の講ずる「豹変」「虎変」の大人物は、皆孩童の発蒙の時に端正から始まることを説明している。

蠱之“振民育德”,國民教育也。國事之敗壞,由於民氣之萎靡頹喪。昧匹夫有責之義,故先甲後甲,教令一新,以振民氣。《傳》曰“蠱元亨而天下治”。六十四卦言天下治者,除乾元用九外,惟此一卦也。臨之“教思無窮容保民無疆”,人才教育也。政以臨民,培植政治之人才,非有專門教育不為功。蓋普通教育,有一定之教科,有不二之主義。而專門教育,則任學者自由研究。蓋人類之知識不可限量,不能限學者之思想,而範之以有盡之課程,故曰教思元窮也。

《蛊卦・象伝》は「民を振し徳を育む」と言い、講ずるは国民教育である。《蛊》は積弊が久しくして整治を加えざるべからざる象である。国事の敗壊は、まさに民気の萎靡頽喪に源し、人は皆「天下の興亡、匹夫にも責あり」の道理を知らない。だから《蛊》卦は「甲に先んずること三日、甲に後るること三日」と講じる――甲は十干の首で、法令を更張する起点を象徴し、事前に三日申明し、事後に三日申誡して、教令を一新し、もって民気を振作する。《彖伝》は「蛊、元亨にして天下治まる」と言う――六十四卦の中で「天下治まる」と言うのは、乾卦の「元を用い九」以外には、この一卦だけである。《臨卦・象伝》は「教え思うこと窮まりなく、容れて民を保すること疆なし」と言い、講ずるは人材教育である。政を為すには百姓に臨莅せねばならず、政治人材の培植は専門教育なくして奏效できない。普通教育には固定の教科・画一の宗旨があり、専門教育は学者の自由研究に聴き任せる。人類の知識は限量すべからざるがゆえに、学者の思想を束縛し、有限の課程をもって彼を框に入れることができない。だから「教え思うこと窮まりなし」と言うのである。

《觀·象》之“省方設教”,通俗教育也。四方之風氣不齊,習尚亦異,故必省其方俗之所宜,觀其民情好尚而設教始當。《無妄·象》曰“君子以茂對時育萬物”,世界教育也。《中庸》曰“能盡人之性則能盡物之性,能盡物之性則可以贊天地之化育”,大亨以正,使天下萬物各正其性命,各全其天賦之能,而後教育之,道始達於圓滿之一境,則尚非近世言教育者可能幾及焉。以上張說之大旨如此,未知於近世師範之學,有當否也。

《観卦・象伝》の「先王はもって方を省み民を観て教を設く」は、講ずるは通俗教育である。四方の風気は斉しくなく、習尚は各々異なる。だから必ず各地の風俗の宜しき所を体察し、民情の好悪を観察して、設ける教化が初めて妥当である。《無妄卦・象伝》は「先王はもって茂く時に対し、万物を育む」と言い、講ずるは世界教育である。《中庸》は言う。「人の本性を窮め尽くせば、物の本性を窮め尽くすことができる。物の本性を窮め尽くせば、天地の万物を化育するを賛助できる」と――大いに亨通して正道を守り、天下万物に各々その性命を端正にし、各々その天賦の能を成全さしめ、しかる後に教育を加えれば、教育の道は初めて円満の境地に達する。この一層はまだ近世に教育を談ずる者の企て及ぶ所ではない。以上が張之鋭の説法の大旨であって、近世の師範の学に対して妥当に講じているかどうかは知らない。

死生の説

死生亦大矣!《繫傳》曰:“原始反終,故知死生之說。”始終者數也,天也。萬物數,一始十終。始子一丑二,而終於酉十一,戌亥無數。萬物自有而入無,為死之候。乾居西北戌亥之地,故無方無體(太虛之象)人而克全其為人,則全受於始者,全歸諸終,終則反乎太虛。精氣不滅,與造化同遊者神也。是以君子有終(君子之死曰終)。終則有始,順乎天行,自有而入無者,亦自無出有。乾知大始,復藏於坎。一純二精(坎子一,坎艮之間丑二),至艮寅三而仍為人。此生死循環,佛家輪迴之說所自來也。

死生は実に人生の大事である。《繋辞伝》は言う。「事物の開端を推原し、反ってその終結を求む。故に死生の道理を知る」と。始と終は「数」に属し、天に属する。万物の数は一に起こって十に終わる。子位の一・丑位の二から数え起こして、酉位に至って十となり、一輪はここに終わり、戌・亥の两位は数を配さない。万物が「有」から「無」に入るのが、すなわち死亡の時である。乾はまさに西北の戌亥の地に居るので、方所なく形体なし(これは太虚の象)。人若しその人たるの道を保全できれば、当初「始」において完整に承受したものを、「終」において完整に帰還する。帰終はすなわち太虚に返ることで、精気は滅せず造化とともに游する者を「神」と呼ぶ。だから《謙卦》は「君子は終り有り」と言う(君子の死は「終」と称す)。終があれば始があり、天道の運行に順って、有から無に入る者は、無から再び有に出る。乾は万物の大始を主管し、また復帰して坎に収蔵される。坎は子に属して一で、純である。坎と艮の間の丑は二に属し、精である。艮位の寅に至れば三となり、再び人となる。この生死循環は、まさに仏家の輪廻の説の由来である。

人而不能全其為人,則自失其人道,斫其生理。全受於始者,不能全歸於終。數盡則死(小人曰死),形消骨化,餘氣無歸,游魂為變者鬼也。變則失常,依其生前所自造之因而證其果,則為人為物,所趣各殊。此佛家輪迴六道之所由分也。

人若しその人たるの道を保全できなければ、それは自ら人道を失い、生生の理を戕害したのであり、当初「始」において完整に承受したものを、「終」に完整に帰還することができない。気数が一たび尽きれば死ぬ(小人の死は「死」と称す)、形体は消尽し骨骸は化去して、残余の気は帰着する処なし。「游魂は変を為す」となって成るのが「鬼」である。「変」であれば既に常軌を失い、ただ生前に自ら造った因に依って報を受けるのみで、或いは転生して人となり、或いは転生して物となり、向かう所は各々同じでない。これが仏家の「輪廻六道」が途に分かれる由来である。

故生者死之始,死者生之終,死於此者生於彼。《易》道乾息於坤,坤即消於乾。莊子曰“方死方生,方生方死”,立論之最精者也。聖人作《易》,窮造化之原,洩陰陽之秘,無非示人以所以全其為人之道。原始反終者,即由終而反始。老氏佛氏,皆由終反始,皆由後天而反諸先天,由有而反諸無,由形而反諸氣,由氣而反諸神。實即由生而反諸死,故曰原始反終。

だから生は死の始まりであり、死は生の終結であり、こちらで死ねば、かなたで生まれる。《易》道の中で乾は坤の中で生長し、坤はまた乾の中で消退する――「息」は生長、「消」は消退で、一消一息はもともと同じ一事の両面である。《荘子》は「まさに死する時、まさに生ず。まさに生ずる時、まさに死す」と言う。これは立論が最も精到な一句である。聖人が《易》を作るに、造化の本原を窮究し陰陽の秘密を漏洩したのは、ほかならず人にその人たるの道を保全することを指示するためである。いわゆる「原始反終」とは、終点から起点に返ることである。老子と仏家は皆終から始に返り、皆後天から先天に返り、有から無に返り、形から気に返り、気から神に返る――実際はすなわち生から死に返るので、だから「原始反終」と呼ぶのである。

反終者,不續終也(未濟不續終也)。不續終,則始無暨極。故老氏曰“元始乃長生而不死”,佛家曰“無始乃無始而無終”。(乾西北為無,乃由有而反諸無者也。故老氏之無為萬有之根,佛教之無為不生不滅之本。乾為金為圓為剛,老曰“金丹”,佛曰“金剛”,而《易》曰“終日乾乾”。乾乾者。上乾為咸乾,下乾為無恆乾。咸無也,恆有也。觀其所咸,而天地萬物之情可見。觀其所恆,而天地萬物之情可見。蓋斟酌於有無之間而用其中,而要皆殊塗而同歸者也。)

いわゆる「反終」とは、終に接続しないことである(《未済・彖伝》は「終を続がざるなり」と言う)。終に接続しなければ、「始」に窮尽の処がない。だから老子が講ずる「元始」は、長生して死なないことであり、仏家の講ずる「無始」は、始まりもなく終結もないことである。(乾は西北に在って「無」であり、まさに有から無に返る所在である。だから老子の「無」は万有の根であり、仏教の「無」は不生不滅の本である。乾は金であり、円であり、剛である。老家はそれによって「金丹」を講じ、仏家はそれによって「金剛」を講じ、《易》は「終日乾乾」を講じる。いわゆる乾乾とは、上の乾は「咸乾」、下の乾は「恒乾」である。咸は無を主り、恒は有を主る。《咸・彖伝》はその感通する所を観れば、天地万物の情状が見えると言い、《恒・彖伝》はその恒久なる所を観れば、天地万物の情状がまた見えると言う。要するに有と無の間に斟酌してその中道を取るのであり、詰まる所は皆経路が異なって帰趣は同じである。)

無始無終,夫然後歸於太極,則無所謂《易》矣。《易》之立教,為中人說法,故執兩而用其中。然聖人致治之極功,則亦曰無為而治;德成而默契乎天,亦曰予欲無言。則亦與由有而反諸無者,初無二致焉。故《易》者逆數也。儒與佛老之立教雖異,而道無不同。蓋天地之數,至三而備。天地萬物,舉莫能外。損之六三,曰“三人行,則損一人,一人行則得其友”,始終生死之道,不外乎此三者。後之立教者,可等諸自檜以下矣。

无始無終であって、しかる後に太極に帰し、あの地步に至れば《易》もまた言う所がない。《易》の立教は中等の資質の人のための説法なので、両端を把捉してその中道を取る。しかし聖人が世を治める最高の功效も、やはり「無為にして治まる」と言い、徳行が円成して黙然として天に契合するも、やはり「予は言わんと欲す」と言う――これは有から無に復帰する路数と、もともと二様でない。だから《易》は逆推の数と言う。儒家と仏・老は立教は同じでないが、その道は相通じないことがない。天地之数は「三」に至って完備し、天地万物でそれを超出できるものはない。《損》卦の六三は言う。「三人同行すれば一人を減じ、一人独行すれば反って伴侶を得る」と。始終・死生の道は、この三者の外に出ない。後世に別に教門を立てる者は、季札が楽を観て「鄶以下」と聞いたのに譬えられ、さらに評論するに値しない。

鬼神の情状

《中庸》曰:“鬼神之為德,其盛矣乎?”《繫下傳》曰:“過此以往,未之或知也。窮神知化,德之盛也。”然則鬼神之為德,又何以知之?曰:以幽明之故,坎幽離明,陽變陰化,天地萬物,無一非氣與形二者之相迭更。既原始反終而知死生之說,則精氣為物游魂為變,鬼神之情狀亦可由是以知矣。

《中庸》は言う。「鬼神の徳行は、実に盛大である」と。《繋辞下伝》は言う。「この一歩を過ぎてさらに前に行けば、人の知り得る所ではない。神妙を窮究し変化を通暁するは、徳行の極盛である」と。さて鬼神の徳行は、また何をもって知ることができるか。答えて曰く、幽と明の道理をもってする。坎は幽であり、離は明である。陽は変を主り、陰は化を主る。天地万物で、「気」と「形」の両者が交替迭更して成らないものは一つもない。すでに「原始反終」によって死生の道理を知ったならば、「精気が聚合して物を成し、游魂が離散して変を成す」ので、鬼神の情状もまたこれによって推知できる。

精坎也,魂離也。故天地八卦,六爻上下,上五天爻為天《易》,三四人爻為人《易》,二初地爻為地《易》。游魂歸魂,復取三四兩爻,則為鬼《易》。三四兩爻,有當不當之別。克全乎其生之德者,即不失其死之道,乃得當而為神。不能全乎其生之德者,亦失其死之,道即不得當而為鬼(生之德立人之道,曰仁與義是也)。敬生而既反乎人道,是不待其死已失其為人,尚何鬼神之有?

「精」は坎に属し、「魂」は離に属する。だから天地八卦・一卦六爻が上下相配し、上爻と五爻の二つの天爻は「天《易》」であり、三爻と四爻の二つの人爻は「人《易》」であり、二爻と初爻の二つの地爻は「地《易》」である。そして游魂・帰魂の説は、また三・四の両爻を取って講じ、あれはすなわち「鬼《易》」である。三・四の両爻には当位と不当位の別がある。生時の徳を保全できる者は、死時の道を失わず、その当を得て「神」となる。生時の徳を保全できない者は、死時の道を失い、その当を得ずして「鬼」となる(いわゆる生時の徳とは、人道を確立する仁と義である)。若し生きている時にすでに人道に違背していたなら、それは死を待たずしてすでにその人たるを喪失したのであり、なんの鬼神を論ずることがあろうか。

卦象天地生人,始乾三中爻坎子,終地十兌酉。終始死生,反覆有游魂歸魂,而以三歸之地十歸妹,為天地大歸魂卦,而六十四卦終焉。歸妹東震西兌,其先天為東離西坎,日魂月魄,合為天地中生人精氣。子一丑二,為天地始合(子丑日月。天地之數,合一二為始,合五六為中,合九十為終)。一主日,二主月。子一日,至酉十月。故人十月而生,此日月魂魄合,精氣始也。

卦象は天地が人を生ずるを講ずる。乾の第三爻に起こり、中爻は坎で子に属す。地数の十の兌に終わり酉に属す。終始死生が反覆往来して、ここに游魂・帰魂の説がある。そして「三帰」の地数十の《帰妹》をもって、天地の大帰魂卦とし、六十四卦はここに終結する。《帰妹》は震が東に在り兌が西に在り、それらの先天の位置は東は離・西は坎である。日の魂と月の魄とが相合し、天地の中で人の精気を合成する。子は一・丑は二で、天地の初めて交合する所である(子・丑は各々日・月を分主する。天地之数は、一と二が相合して始となり、五と六が相合して中となり、九と十が相合して終となる)。一は日を主り、二は月を主る。子の一から酉の十まで数えると、ちょうど十ヶ月である。だから人は十月懐胎して生まれる――これがすなわち日月魂魄の相合・精気の始まりの道理である。

陰陽之道,始坎終離,魂升魄降。離午七未八,日魄七日不復,月魄八月有凶。離上坎下,歸魂不歸,而游魂為變者也。是故八卦之六變為游魂,仍為三爻變。至七變則復歸本宮,游魂乃有所歸。苟不復本宮,則遊而不歸(乾宮游魂為火地晉,七變復。下卦三爻乾,成火天大有若不復乾之三爻,而依次以四爻變,則成火山旅。遊入離宮,而游魂為變矣。),必七日而後來復(火山旅為離宮二世卦。再七變成天火同人,為歸魂上卦,始復為乾)。

陰陽の道は、坎に起こって離に終わり、魂は上昇して魄は下降する。離は午において数を七に配し、未において数を八に配する。だから日魄は七日にして復せず、月魄は八月にして凶有りと言う――《復》卦が「七日にして来り復す」と講じ、《臨》卦が「八月に至りて凶有り」と講じるのは、皆これに本づく。離が上・坎が下なのは、帰魂して帰るを得ないので、そこで「游魂は変を為す」となる。それゆえ八宮卦は第六変に変わって「游魂卦」となり、依然として第三爻が変わる。第七変に至れば本宮に復帰し、游魂は初めて帰着する所がある。倘若本宮に回らなければ、游荡して帰るを得ない(乾宮の游魂卦は火地《晋》で、第七変は本來回復すべきである。下卦の三爻を乾に変え戻せば、すなわち火天《大有》となる。若し乾の三爻に変え戻さず、順次第四爻を変えに行けば、火山《旅》となり、離宮に游入して、そこで游魂が変を為す)、必ず七日を経て初めて帰って来ることができる(火山《旅》は離宮の二世卦で、さらに七変すれば天火《同人》となり、帰魂卦の上卦として、これで初めて乾に復帰する)。

復而反,丑而子,氣來信為神。復而不反,午而未,氣往屈為鬼。往來屈信,均以天地之數可推而知之。季路問事鬼神。子曰:“未能事人焉能事鬼。”問死。子曰:“未知生焉知死。”此即原始反終之說。言之所不能盡者,聖人以象顯之,以數明之。精氣為物,游魂為變,於六十四卦之象數推衍,皆合乎物理之自然。或有或無,各依其類,而未可概舉也。故經文有明言者,不明言者。明言者以舉其例,而不明言者皆觸類而知之矣。

復帰して本位に返り得る者は、丑から子に回るので、気が来て伸展し、あれがすなわち「神」である。復帰して返り得ない者は、午から未に至るので、気が往って屈縮し、あれがすなわち「鬼」である。一往一来・一屈一伸は、皆天地之数で推算できる。子路が鬼神にどう事えるかを問うと、孔子は言う。「まだ人に事えることができないのに、どうして鬼に事えることができよう」と。死について問うと、孔子は言う。「まだ生を知らないのに、どうして死を知ることができよう」と。これがまさに「原始反終」の意である。言語が言い尽くせない所を、聖人は卦象をもってそれを示し、数目をもってそれを闡明した。「精気は物を為し、游魂は変を為す」は、六十四卦の象数の上に推衍すれば、皆事物自然の理に合う。その間に或いは有り或いは無きは、各々その類に依り、一概に論じることができない。だから経文には明言する者もあり、明言しない者もある。明言するのは範例を挙げるのであり、明言しないのは類に触れて旁通するによって領会せねばならない。

如風火家人,夫夫婦婦父父子子而家道正,人情之各得其正者也。而反乎人情者,則為鬼之狀。故睽曰“見惡人”,曰“載鬼一車”。雷天大壯,大者壯也,大者正也,壯者狀也,即正大之狀也。能通乎正大之狀者,則知鬼神之情狀。故觀曰“觀天之神道”,曰“以神道設教”。此《易》言鬼神情狀之最著者也。

譬えば風火《家人》卦は、夫は夫らしく、妻は妻らしく、父は父らしく、子は子らしく、家道が端正で、これは人情が各々その正を得た姿である。そして人情に違反する者は、鬼の形状となる。だから《睽》卦は「悪人を見る」と言い、また「鬼を一車に載せる」と言う。雷天《大壮》は、「大」はすなわち壮であり、「大」はすなわち正であり、「壮」はすなわち状である。合わせればまさに「正大の状」である。正大の状を通暁できる者は、鬼神の情状を知る。だから《観》卦は「天の神道を観る」と言い、また「神道をもって教を設く」と言う。これらは《易》の中で鬼神情状を講じた最も顕著な処である。

天地の大義・人の終始

乾坎艮震巽離坤兌八宮,六十四卦,終於雷澤歸妹。歸妹為兌宮歸魂,而兌又居八宮之終,故歸妹為天地大歸魂卦。歸妹上下錯為隨(澤雷隨),隨“元亨利貞,天下隨時,出門交有功,男之始也”,歸妹“女之終也”。(《雜卦傳》)《彖》言人之終始,則合男女而言之也。

乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兌の八宮は合計六十四卦で、最後に雷沢《帰妹》に終結する。《帰妹》は兌宮の帰魂卦であり、兌はまた八宮の末に居るので、《帰妹》はすなわち天地の大帰魂卦である。《帰妹》の上下二卦を交錯すれば《随》となる(沢雷《随》)。《随》は「元亨利貞」を講じ、《彖伝》は「天下は時に随う」と講じ、九四は「門を出て交わりて功有り」と講じ、そして《雑卦伝》は《随》は「男の始」であり、《帰妹》は「女の終」であると言う。《彖伝》が「人の終始」と講ずるのは、まさに男と女を合わせて言ったのである。

歸妹上卦震東甲乙,帝出乎震,甲不為首首乙,故曰“帝乙歸妹”。下卦兌西庚辛,前坤後乾,坤乾為地天泰,故泰之六五亦曰“帝乙歸妹”。泰反為否,《否·彖傳》亦曰“則是天地不交而萬物不通也”,而《歸妹·彖傳》亦曰“天地不交而萬物不興”,泰否“天地反類”,(《雜卦傳》曰:泰否反其類也。邵子曰:天地定位,泰否反類。)皆東西震兌出入反覆,而日月寒暑往來,(離日坎月,乾寒坤暑)循環不窮。

《帰妹》の上卦は震で、東方に居り、天干の甲・乙に配する。「帝は震より出ず」、しかしここでは甲が首に居らず乙を首とするので、六五の爻辞は「帝乙が妹を帰す」と言う――帝乙は商朝の君王で、妹を人に下嫁させた。下卦は兌で、西方に居り、天干の庚・辛に配し、前は坤・後は乾で、坤上乾下はすなわち地天《泰》である。だから《泰》卦の六五も「帝乙が妹を帰す」と言う。《泰》を反覆すれば《否》となり、《否卦・彖伝》は「これはすなわち天地交わらずして万物通ぜず」と言い、《帰妹・彖伝》も「天地交わらずして万物興らず」と言う。《泰》《否》は「天地その類を反す」(《雑卦伝》は「泰否その類を反するなり」と言い、邵雍は「天地位を定め、泰否類を反す」と言う)で、皆東西の震兌の間の出入反覆であり、それによって日月・寒暑が往来して(離は日・坎は月、乾は寒・坤は暑)、循環して窮まらない。

坎離既濟定,有歸妹在中,而南北離坎未濟不續終者。首尾續終,(《未濟·彖傳》曰“不續終也”。《雜卦》,歸妹在既濟未濟兩卦之中。)故曰“天地之大義也”。歸妹漸相錯成隨蠱,故《漸·彖》曰“女歸吉”,《蠱·彖傳》曰“終則有始”。蓋蠱之始,乃由故之已終而新復更始。歸妹之終始,乃續終其始。故《象傳》曰“永終知敝,天地大義”者,夫婦之道也。人類之所以不絕,以有男女夫婦,生生不已,終則有始。家人為夫婦之正,故《傳》曰“家人男正位乎外女正位乎內,天地之大義也”。

坎離が相配して《既済》が位を定め、《帰妹》はまさに中間に処る。そして南北の離・坎はまた《未済》を組成して、「終を続がざる」である。首尾が相接してその終を続ぐ(《未済・彖伝》は「終を続がざるなり」と言う。《雑卦伝》において、《帰妹》はまさに《既済》《未済》の両卦の間に挟まる)ので、だからこれを「天地の大義」と言う。《帰妹》と《漸》は互いに交錯して、《随》と《蛊》となる。だから《漸卦・彖伝》は「女帰りて吉」と言い、《蛊卦・彖伝》は「終われば則ち始まり有り」と言う。《蛊》の「始」は、旧きがすでに終了して改めて更始することである。《帰妹》の終始は、その終を接続して再びその始を開くことである。だから《象伝》は「永く終わりて敝を知る」と言う。そしていわゆる「天地大義」は、講ずるは夫婦の道である。人類が綿延して絶えない所以は、まさに男女夫婦が生生して已まず、終わって復た始まるからである。《家人》は夫婦の正なので、《彖伝》は「家人の卦は、男子が端正に外位に居り、女子が端正に内位に居る。これは天地の大義である」と言う。

然天下之事,有常有變,有得有失。先王之制,女子十五而笄,男子二十而冠,為婚媾之始。女至二十而嫁,男至三十而娶,為最遲之限,此婚媾之常。得其時者也。逾此限則為失時。但或於此時而更遇變故,如父母之喪之類,則至二十三年而嫁。此婚媾之變,失其時者也。

しかし天下の事には常もあれば変もあり、得もあれば失もある。先王の制度は、女子は十五歳で笄礼を行い、男子は二十歳で冠礼を行う。これが婚配可能の起点である。女子は二十歳に至って嫁ぎ、男子は三十歳に至って妻を娶る。これが最遅の界限である。これは婚配の「常」で、その時を得た者に属する。この界限を超えれば時を失するに算入する。しかし時にまさにこの際に当たってまた変故に遭逢することがあり、例えば父母の喪の類ならば、二十三歳に引き延ばして初めて嫁ぐことになる。これは婚配の「変」で、その時を失する者に属する。

處變失時,乃人情之大可憐也。故先王亦不以常制限之。能守正不阿,為漸之女歸,則固協於禮而得吉。即不能固守其正,如歸妹之說動而隨,而天地之大義。亦仍不可廢。所謂聘則為妻,奔則為妾。但以禮絀之,而不以法禁之也。故特著之曰“天地大義人之終始”,深望後之人能慎終於始,不至變常而失時,庶免乎凶,而維人道於不敝矣。意深哉!

変故に身を処して婚期を過ぎるのは、人情の中で最も憐憫すべきものなので、先王もまた常規をもって苛求しない。正を守り阿らず、《漸》卦の講ずる「女帰りて吉」のように礼に依って嫁ぐことができれば、自ずと礼に合して吉を得る。たとえその正を固守できず、《帰妹》のように喜悅によって動き人に随って行っても、天地間のこの一大義は依然として廃棄できない。いわゆる明媒正娶した者を妻と算し、私奔して来た者を妾と算す――ただ礼数の上で彼女を貶抑するだけで、刑法をもって彼女を禁絶しない。だから《彖伝》はわざわざ「天地の大義なり、人の終始なり」と標明し、深く後人が開始の時に慎重に結局を思い、常道を変乱して時機を錯失しないよう、ほとんど凶険を免れて、人道を維繋して敗壊に至らないことを切望した。その用意は実に深遠である。

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