十字架
泰西之十字架,相傳以為耶穌代眾人受刑釘死於十字架上,故尊奉之,以為耶穌流血之紀念。此宗教家附會之說,不足信也。其實十字架者,乃數學之交線也。數不交不生,如兩線平行,各不相交,雖引之至於極長,縱環繞地球一周,仍為兩平行線而已,不生數也。惟兩線相交,成十字形,動則為圓,靜則為矩,而三角勾股八線,皆由此生焉。此乃幾何原本之原本,實數學之初祖。
西洋の十字架は、伝える所では耶穌が衆人に代わって刑を受け、十字形の刑架に釘死されたに因ると言い、だから信徒はそれを尊奉し、それを耶穌が流血し犠牲した紀念と為す。これは宗教家の附会の辞で、憑信に足らない。実は十字架の本義は、数学上の両線が相交わることである。数目は相交わらなければ產生し出せない。譬えば両条の平行線は、各々その道を走り、永く相交わらず、たとえそれらを無限に延長して、地球を一周繞らせても、依然としてただ両条の平行線で、いかなる数も生じ出せない。ただ両線が相交わり、十字の形と成れば、転動すれば則ち円を画き、静止すれば直角矩尺と成り、三角・勾股および八線(正弦・余弦の一類の三角函数)が皆これに由って產生する。だからこの十字は、《幾何原本》の本とする根本で、実に数学の始祖である。
我國相傳之兩儀圖(今通俗皆稱為“太極圖”,其實此圖分陰分陽,有黑有白不可謂之太極,當名為兩儀圖,校為愜當。北方亦有稱之為陰陽魚兒者,魚字亦儀字之傳訛也),天然之配偶也。兩儀為理學之祖,由兩儀生四象,四象生八卦,變化無窮,莫不肇端於此一陰一陽。一陰一陽之謂道。道也者,形而上者也。
我が国に世々伝わる「両儀図」(現在俗には皆それを「太極図」と称すが、実はこの図はすでに陰を分かちまた陽を分かち、黒有り白有る以上、「太極」と呼ぶべきでなく、「両儀図」と改称して初めて妥帖と算する。北方にもまたそれを「陰陽魚児」と呼ぶ人があり、「魚」の字もまた「儀」の字の口耳の訛伝である)は、まさに西洋十字架の天然の一対の配偶である。一つは数を主とし、一つは理を主とし、一西一東に恰好相い配する。両儀は理学の鼻祖で、両儀より四象を生じ、四象より八卦を生じ、変化は窮尽なく、皆この一陰一陽に発端する。《繋辞伝》は「一陰一陽之を道と謂う」と言い、而も「道」は形而上の一層に属する。
交線成勾股成三角八線,推衍無盡,莫不導源於此一縱一橫。一縱一橫數也。數也者,成器之所先也。形而下者也。故道運於虛,而數徵諸實。我國數千年來,專尚儒家以空言談經,鄙術數為小道,崇虛黜實,末流之弊,舉國皆無用之學。所謂形而上者,幾墜於地矣。
交線に至っては、それに由って勾股を構成し、三角と八線を構成し、推衍すれば窮尽なく、而も皆この一竪一横に導源する。一竪一横は「数」に属す。数は器物を製成する先決条件で、形而下の一層に属す。だから「道」は虚処に運行し、「数」は則ち実事の上に験証せねばならない。我が国は几千年来、ただ儒家を推崇して空話をもって経を談じ、術数を末流小道と見做し、虚玄を崇尚して実証を排斥した。流弊の及ぶ所、举国の学ぶ所は皆無用の学と成り、彼ら自身が標榜する形而上の道すら、ほとんど地上に墜落して承接する人なきに至った。
泰西之學,則不尚空談,立一說必徵諸實驗,制一器必極其效用,不以理想為止境,不以無成而中輟,千迴百折,精益求精,於是科學功能,幾俟造化;器物利用,無阻高深;形學發達,於斯為盛。然極其弊,則謂世界將可以力爭,強權兒足以勝天演。物慾無限,而生人者適以殺人,殺人者即以自殺。物質之文明,浸成□焉不可終日之勢。此倚重於數之一偏,與倚重於理之一偏,各趨極端。其末流之失,亦正相等也。
西洋の学問は則ち空談を尚ばず、一種の学説を立てれば必ず実験を用いて験証し、一件の器物を造れば必ずその效用を極処に発揮し、想象を以て終点と為さず、また一時成就なきに因って半途に廃せず、千回百折して、精に精を求めて益す。ここにおいて科学の功能はほとんど造化と肩を並べるべくに至り、器物の利用は難度の高深に因って阻まれず、形学(幾何の学)もまたこれに因って大いに盛んとなった。しかし推して極処に至ればまた弊病を生ず。ついに世界の事は力量を憑って争奪し得、強権は即ち天演の理に戦勝するに足ると思うに至った。物欲に止境なく、本来人を養い活かすに用いた手段が、恰好人を殺すに用いられ、人を殺す手段は、最終にはすなわち自殺である。物質文明がこの一歩に発展して、漸く朝に保つ夕べを知らず、終日すべからざるの局面と成った。これは「数」の一端に偏重し、我が国の「理」の一端に偏重するは、各々極端に走向して、末流の失誤は恰好相等しい。
夫理與數,本不可以須臾離。故聖人倚數,必參天而兩地。故形上之道,與形下之器,雖相生相成,無偏重亦無偏廢。舍道而言器,則器為虛器。離器而言道,則道盡空談。三代傳統,一揆諸道(故曰“道統”),不但禮樂政刑,悉本度數(度生於律,律本黃鐘,子丑一二),即德行言語(言語即文章也),亦無不各有其典則。(《孝經》“先王之法言法行”。法者,即合於度數者也。)故節以制度,以議德行,而《大學》治國平天下之道,必本於絜矩也。
理と数はもともと一刻も分離できない。だから聖人が数を立てるに、必ず「天を参し地を両し」、天数の三・地数の二を用いて相配する。形而上の道と形而下の器は、相生相成するが、しかし偏重あるべからず、また偏廃あるべからず。道を丢き開きて器を談ずれば、器はすなわち空殼と成り、器を離れて道を談ずれば、道は全て空談である。夏・商・周三代の伝統は、一概に道に帰本し(だから「道統」と称す)、ただ礼・楽・政・刑が皆度数を以て本と為すのみならず(度は律に出で、律は黄鐘を以て根本と為し、子一・丑二の数に配す)、徳行と言語(言語はすなわち文章)すらも各々その法度準則がある。(《孝経》は「先王の法言法行」と言う。いわゆる「法」とは、すなわち度数に合することである。)だから《繋辞伝》は「度を以て節し、徳行を議す」を要し、《大学》の講ずる国を治め天下を平らぐの道も、必ず「絜矩」を以て根本と為さねばならない。
道不可見,故聖人示之以象。象無可稽,故聖人又準之以數。數與象合,而道無不可見。制器尚象,而器以立。載道以器,而道不虛。理象數一貫之道,皆出諸《易》。自王弼以玄理說《易》,後世畏象數之繁,因靡然從之,創掃象之說。(弼以玄理說《易》,運實於虛,歸有於無。芻狗天地,糟粕仁義,更何有於象?後儒既主其說,乃闢其玄談,是買櫝而還珠,亦非弼之所及料也。)自是象數與《易》,又離為二。
道は見えないので、聖人は「象」を用いてそれを顕示する。象はまた稽考する由がないので、聖人は再び「数」を用いてそれを規定する。数と象とが相合すれば、道は見えないものなくなる。象に依って器物を制作すれば、器物は成立を得、器物を用いて道を承載すれば、道は空に落ちない。理・象・数を一貫する学問は、全て《易》に出ず。王弼が玄理をもって《易》を講じて以後、後世の人は象数の繁瑣を怕れて、便ち一窩蜂に彼に跟い従い、「掃象」の説を創出した。(王弼は玄理を用いて《易》を説き、実を化帰して虚と為し、有を帰結して無と為し、天地を芻狗のごとく視、仁義を糟粕と視る。どこにまだ象を容れ得よう。後の儒者はすでに彼の説法を采用して、却又彼の玄談を攻撃する。これは櫝を買いて珠を還すで、また王弼の料り及ばざる所でもある。)これより象数と《易》はすなわち两截に分かれた。
周子傳太極圖(實即兩儀,以為繼述道統之圖),道果在是矣,而器已無存(禮樂政刑皆器也),則道亦不亡而亡矣。諺曰“皮之不存,毛將焉附”,其是之謂歟?是故三代而後,易學晦盲,數學流於西方(西人於借根方名之曰“東來法”),理學顯於有宋。即此一縱一橫之十字架,分陰分陽之兩儀圖,足以為東西近世學術源流之代表矣。
周敦頤は太極図を伝え下した(実はすなわち両儀図で、それを以て道統を継承する図式と為す)。道は固よりここに在るが、しかし器はすでに荡然无存し(礼・楽・政・刑は皆器)、さらば道もまた名存実亡である。諺語は「皮存せざれば、毛は将に焉にか附かん」と言う。言うはこの種の情形であろうか。だから三代以後、易学は晦暗不明となり、数学の一路は西方に流伝し(西洋人は借根方の一類の算法を「東来法」と称し、その源が東に出るを見るべし)、理学は則ち独り宋代に大いに顕れた。一辺はただ数のみ残り、一辺はただ理のみ残った。この一竪一横の十字架と分陰分陽の両儀図は、恰好東西方近世学術源流の二つの代表と為し得る。
近西人極物質文明之益,即倦而知返,更探其原於哲學。我受理學空疏之害,尤備嘗苦痛力求自拔於沉淪。是東西人心,已同有覺悟之機。所謂通其變使民不倦,《易》窮則變變則通通則久,其在斯乎!故合中西之學,融會而貫通之。以此所有餘,助彼所不足;截此之所長,補彼之所短,一轉移間而各劑其平,各得其當,非《易》道又烏能貫而通之!
近来西洋人は物質文明の好処を極処まで享受し、すなわちまた厭きを生じて回頭を知り、転じて哲学の裡に入りて本原を追尋する。我らは理学の空疏の害を受け、さらに痛苦を備嘗して、竭力して沈淪の中より自ら拔き出でんと欲す。これで見れば東西両方の人心は、すでに同時に覚悟の契機あることが見える。《繋辞伝》のいわゆる「其の変を通じて、民を倦ましめず」、「《易》は窮すれば則ち変じ、変すれば則ち通じ、通ずれば則ち久し」は、言うはまさにこの時この事である。だから中西の学を合わせて、融会して貫通せねばならない。こちらの多余を取ってかちらの不足を補い、こちらの長処を取ってかちらの短所を補えば、一転手の間に、両辺ともその平を得各々その当を得る――《易》道でなければ、また何を憑ってそれらを貫通せんや。
夫十字架與兩儀圖,各產生於數千年前。一東一西,不相謀面。自西教東漸,於是天然配偶之兩代表,乃日相接近。又迭經幾許之歲月,始得消除種種之障害隔閡,而日即親洽,今殆去自由結婚之期會不遠矣。結婚以後,必能產生新文明之種子,為我全世界放一異彩。吾將摻券期之,拭目俟之矣。
十字架と両儀図は各々几千年以前に產生し、一つは東に一つは西に在り、従来かつて照面したことがない。西方宗教が東伝して以後、この一対の天然配偶の代表は初めて日に日に接近し、また若干の歳月を経て、初めて逐步に種種の障碍と隔阂を消除し、一日比べて一日に親近融洽し、如今それらが自由結婚する日子より離れること大概遠からず。結婚して後、必ず新文明の種子を生じ得て、我らの整个の世界のために一道の異彩を放つべし。我は願わくはこの紙の婚約を手持して憑拠と為し、こ の一日の到来を待ち、目を拭いて以て之を待たん。
無極を辨ず
宋以前言《易》者,未有圖也,而太極更不可圖。自周濂溪始為太極圖,又於太極之上添一無極,曰“無極而太極”。後儒因之,遂以太極為第二位,似乎太極之前,更有一無極之圖恍然在於心目間者,而不知其說之不可通也。
宋代以前に《易》を講じた人は皆かつて図を画いたことがなく、況んや太極はもともと図をもって画くことができない。周敦頤より始めて太極図を画出し、また太極の上に一つの「無極」を添えて、「無極にして太極」と言った。後の儒者はこの説を沿用して、ここにおいて太極を第二位に摆き、仿彿として太極の前に別に一幅の無極の図が恍恍惚惚として心目の間に浮ぶがごとくして、而もこの種の説法が根本的に講じ通らないを知らない。
《繫傳》曰“《易》有太極”。極者,至極而無對之稱。物各有極,故曰“天極”,曰“地極”,曰“人極”。陽有陽極,陰有陰極,所以別之曰“太極”。太者,至尊無上之稱,原以對三極及其他諸極而言也。即曰太極,則太字之上,又何能更有所加?況無者,有之對也。既可名之曰無,則無之對便是有。若云無極而有極則可,無極而太極,則文不當而辭不順也。
《繋辞伝》は「《易》に太極有り」と言う。「極」は至極にして之と相対すべきなきの称呼である。万物は各々その極あり、だから「天極」有り・「地極」有り・「人極」有り。陽に陽極有り、陰に陰極有り。これらと区別するがために、初めて「太極」と称す。「太」は至尊無上の称呼で、原本すなわち三極とその他各種の極に相対して立てた名である。すでに太極と叫んだ以上、「太」の字の上にまた何を加え得よう。況んや「無」は「有」と相対する。すでに之を無と名づけ得れば、さらば無の対面はすなわち有である。若し「無極にして有極」と言えば、文理はなお講じ通る。「無極にして太極」と言えば、名実の上に相當せず、文辞の上にも順わない。
夫太極者,渾淪無端,立乎天地之先,無名可以名之,無象可以象之。老子所謂“有物無形,先天地生,無以名之,強名之曰道”者,庶乎其近之。《易》道元亨利貞,而太極者,乃元之所自出。今之言幾何學者,曰點線面體,此物質之元亨利貞也。故物之形皆起於一點,謂之起點。而以精神上言之,則必有以立乎此起點之前者。
太極は浑然一体にして始なく端なく、天地の前に立ち、之を称呼すべき名字なく、之を摹擬すべき形象もない。老子の言う所の「物有りて形なく、天地に先んじて生す。以て之を名づくる無し。強いて之を名づけて道と曰う」は、ほとんどこの意に近い。《易》道は元・亨・利・貞の四徳に分かれ、而も太極はまさに「元」の出る所の源頭である。今日幾何学を講ずる人が点・線・面・体の四者を言うは、これは物質世界の元・亨・利・貞に相当する。だからいかなる物形も一つの点より起こり、「起点」と呼ばれる。しかし精神の一面から言えば、必ずまだ一つの東西がこの起点の前に先立って在る。
言能得此起點,譬有二人於此,甲繪平圓圖,而乙繪立方圖。平圓立方,各有其起點,起點之形式同也。而繪成以後,則圓者自圓,方者自方。則因甲於起點之前,其胸中之所蘊蓄者,已完具一平圓之形象。乙於起點之前,其胸中之所蘊蓄者,已完具一立方之形象。此蘊蓄者,即為平圓與立方之太極也。然當其未落筆以前,又烏從而見之?烏從而聞之?
この一層は起点の上から説明できる。譬えばここに両人の人あり。甲は平円図を画き、乙は立方図を画く。平円と立方は各々その起点あり、而も起点の形式は完全に同じである。しかし画き成って後、円なるは自然に円であり、方なるは自然に方である。これは甲が起点を落下する前に、胸中に藴蓄する所はすでに一つの完整の平円形象であり、乙が起点を落下する前に、胸中に藴蓄する所はすでに一つの完整の立方形象であるに因る。この胸中に藴蓄する物は、すなわち平円と立方の各自の太極である。しかしまだ筆を落さない以前に、この藴蓄の物はまた何処からそれを見るか。何処からそれを聴聞するか。これで見ればそれは実有するが、しかし声なく形なく求め得ない。
所以雲萬事萬物各有其太極,而《易》有太極,則在兩儀未判陰陽無始以前,先天渾沌之中,自有此肫然穆然、孕育萬物,具足萬理之渾淪元氣,以立乎天地之先,而為造化之主宰者,無形可象,無名可稱。孔子稱之為太極,已至矣盡矣。更何能於此外再加一字,再著一筆乎?加一字,著一筆,即非太極矣。
だから万事万物は各々その太極有りと言う。《易》の言う所の太極に至っては、則ち両儀が未だ分判せず・陰陽がまだ開端しない以前に、先天渾沌の中に、自ずとあの一団の誠摯深静・万物を孕育し・万理を具足する渾淪元気がある。それは天地の先に立ち、造化の主宰を為し、之を摹画すべき形なく、之を称呼すべき名なし。孔子がそれに名を取りて「太極」と為すは、すでに極処に言い至り尽頭に言い至った。どこにまだこの名目の外に再び一字を添え、再び一笔を着ることができよう。一たび字を添え一たび笔を着れば、言語形迹の上に落ちて、あれはすなわちすでに太極ではない。
惟周子之所謂太極者,即有其圖,圖中有黑有白,有陰有陽,是即兩儀四象,實已不可謂之曰太極。故又加一無極於其上。蓋為中人以下說法,非有跡象可指,不能以言語形容,乃繪此圖以明一陰一陽之道所由來,使人可一覽而得,其用心亦良苦矣。
ただ周敦頤の言う所の太極はすでに図有る以上、図の中に黒有り白有り・陰有り陽有れば、あれはすなわち両儀四象で、実に再び太極と呼ぶことができない。だから彼はやむを得ずその上に再び一つの「無極」を加えた。彼がこのようにするは、もともと中等資質以下の人のために説を立てたのである。太極には指點すべき形迹なく、言語を用いて形容し得ないので、ここにおいてこの幅の図を画出してもって一陰一陽の道の来歴を説明し、人に一見すれば領会できるをせしめた。彼の用心もまた甚だ良苦と言うべきである。
但以本無跡象之太極,以跡象求之,終有語病,無論如何設辭,終覺似是而非。(太極沖溟無形,可以意會,不可以言傳。言傳則有聲,有聲非太極也。著筆則有象,有象非太極也。)若讀者不善體會,以辭害意,是將使太極之真相,終無由瞭解。所謂“差以毫釐,謬以千里”矣。可不慎哉!
しかし本来形迹なき太極を強いて形迹をもって求めれば、終に語病を留め、いかに措辞しても、総じて是に似て非なると覚える。(太極は冲虚渺茫にして形状了となく、ただ心領神会すべく、言語を以て伝授すべからず。一たび言伝を経ればすなわち声音有り、声音有れば便ち太極に非ず。一たび笔に着ければすなわち形象有り、形象有れば便ち太極に非ず。)読者若し善く体会せざれば、文辞に本意を妨害されて、太極の真相は永く了解する由なし。まさにいわゆる「毫厘を以て差えば、千里を以て謬る」である。能く慎まざらんや。
《易》注旧説の人を誤る
生生之謂《易》,故《易》道遏惡而揚善,好生而惡殺,此所以扶陽而抑陰也(陽以象善,陰以象惡也)。自專制帝王,借經術以愚民,而頭巾腐儒,又逢惡助長,曲借經文為乾祿固寵之具,於是正義湮晦。古聖救世之經文,幾反為賊民之愛書矣。尊君而抑臣,貴君而賤民,受誣之甚,莫過《易》與《春秋》。蓋《春秋》亦原本於《易》者也。
《繋辞伝》は「生生之を《易》と謂う」と言う。だから《易》道は悪を遏止して善を表揚し、生を喜好して殺を厭悪する。これがすなわちそれが陽を扶助して陰を抑制する所以の緑故である(陽は以て善を象徴し、陰は以て悪を象徴する)。専制帝王が経学を借りて百姓を愚弄して以来、而もあれら方巾を戴く腐儒がまた上意に迎合しその悪を助長して、経文を曲解し、それを官禄を謀り寵幸を固くする工具と為した。ここにおいて経中の正義は湮没して彰らずとなり、古代聖人の世を救う経文は、ほとんど反って百姓を残害する憑拠と成った。君を尊び臣を抑え、君を貴び民を賤しむに、曲解誣蔑され最も厲しきは、《易》と《春秋》より過ぐるなし――《春秋》はもともとまた《易》より推衍して出たのである。
來瞿塘氏《易注》,尚為善本。乃其釋乾元用九,亦云為人君者體春生之元,用秋殺之元,一張一弛,為天道之法則。道千古人君以殺人者,皆此等曲說階之厲也。夫春生秋殺,《易》固無此明文。後儒以此明天地之氣,盈虛消息,亦如陽死陰生,陰死陽生之類。非春以生之者,至秋必殺之,天地預存一必殺之心也。
来知徳(号は瞿塘)の《周易集注》はなお善本と算するが、しかし彼が乾卦の「元」と「用九」を解釈するに、また人君たるは春の生育の元を体察し秋の肅殺の元を運用し、一張一弛して、これがすなわち天道の法則と言った。千古以来人君のために殺人の門路を開出したは、皆この類の曲説の醸成した禍害である。実は「春生秋殺」は、《易》の中にもともとこのような明文がない。後の儒者はそれを用いて天地の気の盈虚消長を説明するに、陽が死して陰が生じ・陰が死して陽が生ずの一類の話頭のごとく、春にそれを生じれば、秋に至ればすなわち必ずそれを殺さねばならぬと言うではない。まるで天地が預め一つの殺さざるべからざるの心を存するがごときではない。
帝王亦人耳,以人殺人而謂之道,而謂之天道之法則,可謂誣聖蔑經之甚矣。孔子懼人之誤解也,故特於《繫辭傳》鄭重以明之,曰“吉凶與民同患”,又曰“其孰能與於此哉!古之聰明睿知神武而不殺者夫”!聖意之深遠,亦可謂周且至矣,而謬誤仍若此。諸注類是者,不勝枚舉。聊舉一二,以見讀注者,當具隻眼。以辭害意且不可,況經本無其辭,而以意出入之,其誤天下後世也大矣。
帝王もまた所詮人に過ぎない。人をもって人を殺してそれを道と呼び、また天道の法則と呼ぶは、これは真に聖人を誣蔑し経典を涜瀆して極点に至った。孔子は後人の誤解を怕れ、だからわざわざ《繋辞伝》の裡に鄭重に説明して、「吉凶は民と患いを同じくす」と言い、また「其れ孰か能く此に与らん哉。古の聡明叡知神武にして殺さざる者夫」と言う――誰がこの一歩を致し得ようか。ただ古のあの聡明叡智・神武にして殺伐を用いない人であろう。聖人の意は何等に深遠周到であるか、しかし曲解は依然としてこの如し。各家の注解の中のこの類の例は挙げて勝げず。ここに姑く一两条を挙げ、好し《易》注を読む人に自ら一副の眼光を具ることを知らしめんとす。文辞を用いて経義を妨害するはすでに可ならず、況んや経の中にもともとこの句なく、しかも自己の意思を憑って増減出入すれば、あの天下後世に貽誤するはさらに大なり。
七色が白に変わる
日光具七色光線,而此七色之光線,動而合成一色,則為白色,此近世泰西科學家所發明也。現時學校儀器中,有一種圓形之平面版,其上分繪七色。附一機輪,以皮帶聯之,搖其輪令此圓版之旋轉極速,則只見白色。(另以青黃二色之版轉動則成綠色,紅青二色者則成紫色,其他之色之配合亦各如其應得之色,而色之深淺則以兩色所占面積之多寡而分,與兩色之顏料相調合者無異。惟七色則只成白色。)即所以證明七色變白之說也。凡高等小學以上之學生,殆無不知有此者矣。
日光は赤・橙・黄・緑・青・藍・紫の七色光線を含有し、而もこの七色光線は一たび運動して一色に合成すれば、すなわち白色と成る。これは近世西洋科学家の発見した所である。現在の学校の儀器の中に一種の円形平面板があり、板上には分かれて七種の顔色を涂り、一つの機輪を配し、皮帯を用いて連ね、機輪を揺動して円板を極快に旋転せしめれば、七色は迭々として相い掩映して、分辨に及ばず、眼中にはただ一片の白色のみ見える。(また青・黄の両色の板を旋転すれば緑色と成り、紅・青の両色は紫色と成り、その余各色の配合も各々その応得の色と成る。顔色の深浅は則ち両色の占める面積の多少に按じて分かれ、両種の顔料を調和して一起にするのと完全に同じ。ただ七色が斉備する時のみ任何の一色を顕さず、ただ白色に変ずる。)この具の儀器はすなわち七色が白に変わるの説を証明するに用いる。およそ高等小学以上の学生は、ほとんどこの事を知らない者なし。
然我國舊學家,固未有言之者也。不料《易經》於數千年以前,早已發明之。象義明晰,確切不移,與西人之說正相吻合。其象即見於山火賁之一卦,賁離內艮外,離為日,離居九位,九宮之色:一白,二黑,三碧,四綠,五黃,六白,七赤,八白,九紫。數雖九,而白居其三,並之仍為七色。離為日而居九位,則自當有七色,與西說正相同也。
しかし我が国の旧学者は、もともとこの道理を講じた人がいなかった。不料《易経》は几千年以前に早くからすでにそれを揭示し出していた。卦象の意義は明白清晰にして、確切として移易すべからず、西洋人の説法と正に吻合する。この象はすなわち山火《賁》の一卦に見える。《賁》卦は離が内に艮が外にあり、離は日である。離は九宮の中で第九位に居り、九宮の配色は、一は白・二は黒・三は碧・四は緑・五は黄・六は白・七は赤・八は白・九は紫である。数目は九つあるが、しかし白色は三つを占め、合併すれば依然としてただ七色である。離はすでに日でありまた第九位に居る以上、さらばそれは自然に七色を具備すべく、これは西洋の学説と正に相一致する。
由九三至六五,中爻為震。震,動也。震動而離之七色皆變為白,故六四曰“白馬翰如”(翰如即轉動極速之狀也),至上九曰“白賁無咎”。曰“白賁”,則全卦皆變白矣。與七色變白之新學說,完全吻合,無一絲一毫之勉強穿鑿。而“翰如”二字,則幾將近日學校所用之儀器,並其轉動之狀曲繪而出,可謂神妙不可思議矣。子曰“《易》之為書也,廣大悉備”,略指其一而已可見矣。惜我國讀《易》者,皆忽略讀過,更無科學之知識與眼光以研究之,宜乎其不可解者多矣。
九三・六四から六五までのこの三爻より互体を取れば、中間の一層の卦体はまさに震である。震の意はすなわち動である。震が一動すれば、離の七色は全て白色に変わる。だから六四爻辞は「白馬翰如」と言う(「翰如」はすなわち転動の極めて速きの様子)、上九爻辞に至ればすなわち「白く賁る、咎なし」と言う――「白く賁る」と言うは、全卦が皆白色に変わったのである。これは七色が白に変わるの新学説と完全に吻合して、一糸一毫の勉强穿鑿の処もない。而も「翰如」の两字は、ほとんど今日学校の用うるあの具の儀器およびそれが旋転する様子を連れて曲曲折折に画き出した。真に神妙にして思議すべからずと言うべし。孔子は「《易》の書と為るや、広大にして悉く備わる」と言う。ただ略々賁卦のこの一条を挙げれば、この句の言が虚誉でないを見るに足る。惜しいかな我が国で《易》を読む人は皆軽々しく放過し、また科学知識と眼光なくしてそれを研究せず。講じ通らざる処のあのように多きも無怪ならん。
(朱子注《易》,至理有不可通,輒以不可解或未詳二字了之。然尚能闕疑者也。後人或錯綜其象以求之,或為卦變、爻變以附會之。但求於象可以聯屬,不顧義理之是否可通,與本卦之才物是否應有此理者,蓋比比矣。如賁卦之白字,或以為巽為白。而本卦無巽,則曰艮錯兌,兌反巽也。或以六五變則上卦為巽,故言白也。而不顧巽之義為入為伏,與本卦之義固皆無當也。唯中爻為震,震下伏巽,動而為白,義尚較近。然不以新說參證之,又烏知古聖取象之妙,實與造化同工,斷非拘拘於一爻一卦之單辭所能悉解也。)
(朱熹が《易》を注するに、義理が講じ通らざる処に遇えば、往々にして「解すべからず」或いは「未だ詳らかならず」の二字を用いて帯び過ぐ。これはなお存疑し能うと算する。後人には或いは卦象を錯綜して解を求め、或いは卦変・爻変を用いて附会し、ただ象の上に連綴し起らんことを求めて、義理が講じ通るか否かを顧みず、また本卦の材質事物が応当にこの道理有るべきかをも顧みない。この一類の例は注家の中に処処に在りて是のごとし。譬えば《賁》卦の「白」の字は、或る人は巽は白と言うが、しかし本卦に巽有ることを并せず、すなわち艮と兌が相錯し・兌はまた巽の反卦と言い、或る人はまた六五が一変すれば、上卦はすなわち巽と成り、だから白を講ずと言う。彼らは皆巽の取義が「入」であり「伏」で、本卦の義理と原本とも相干渉せざるを顧みない。ただ中爻を取って震と為し・震の下に巽が伏し、一動して白と為るを取るのみ、意はなお較べて本卦に近いと算する。しかし若し新学説を取って参証せざれば、またどうして古聖の象を取るの妙が実に造化と同工して、決して一爻一卦を死に抠る孤立辞句の全部を解通し得る所ではないを知らんや。)
西教士の《易》説
西教士花之安氏,頗注意於中國之經籍,曾著《自西徂東》一書,謂畫卦之伏羲,乃巴比倫人。巴比倫高原,為西洋文化策源地。伏羲八卦,以乾為天,以坤為地,至今巴比倫人猶稱天為乾,地為坤,此一證也。又巴比倫亦有十二屬象,與中國之十二辰大略相同,其證二也。
西洋伝教士の花之安は甚だ中国の経籍に留意し、かつて《自西徂東》の一書を写した。卦を画いた伏羲はもともと巴比倫人と言う。彼の理由は、巴比倫高原は西洋文化の策源地である。伏羲八卦は乾を以て天と為し坤を以て地と為すが、而も巴比倫人は今に至るもなお天を「乾」と称し地を「坤」と称す。これは第一条の証拠である。巴比倫にもまた十二種の生肖属象あり、中国の十二辰と大致相同じる。これは第二条の証拠である。彼はこれに拠って八卦の学は巴比倫に出でて、中土の自生ではないと断定した。
或因花氏之說,更加推求,謂伏羲畫卦,以備萬物之象。宇宙偉大之象,無不列舉,如天地水火風雷山澤,以配八卦。而海為天地間最大之一象,獨付闕如。而舉澤以為山之對,則亦一疑問也。巴比倫介歐亞之間,四面皆大陸,距海最遠。其間惟裡海死海,為瀦水最大之區,故稱之為澤,亦足證花氏之說不盡無因。花氏更稱巴比倫古代之王,有號福巨者,與伏羲二字音亦相近。當即為始畫八卦之人,亦可謂讀書得間矣。
ある人は花之安の説法に順って再び下に推求して、伏羲が卦を画いたは万物の象を皆備斉せしめんとするで、宇宙間の偉大なる物象は列挙せざるなし。天・地・水・火・風・雷・山・沢のごときは、八卦に分配された。しかし海は天地の間の最大なる一つの物象であるのに、偏偏と缺して載せず、八卦の中に並びに海の位置なく、反って「沢」を挙げて「山」と相対する。これもまた一つの疑問である。巴比倫は欧亜の間に挟まれ、四面は皆大陸で、海より離れること最も遠く、境内にはただ裏海・死海が積水の最大の処のみ。だから之を沢と称す――これもまた足りて花之安の説法が全く根拠なきに非ざるを証明す。花之安はまた巴比倫の古代に一位の国王ありて号して「福巨」と曰い、「伏羲」の两字と読音もまた相近し、応に最初に八卦を画いた人とすべしと言う。これは書を読んで字縫の中に門道を見出し得ると算すべきである。
但我國上古之史,雖無可稽考,然自伏羲而後,代有傳人。一畫開天,即文字所造始。儷皮為禮,已姓氏之足徵。在中國之佚聞古蹟,無有可為伏羲來自遠方之證者。況伏羲之陵,猶在中州,至今無恙。其果否為伏羲埋骨之所,雖無從徵實,但有一事足以參證,有決非人力所能為者,則古聖揲以求卦之蓍草是也。
しかし我が国の上古の歴史は稽考する由ないが、伏羲以後は却って代代に伝人有り。「一画して天を開く」のあの一画は、すなわち文字の開端である。成対の鹿皮を用いて聘礼と為せば、すでに姓氏有りて稽考すべし。中国の伝聞遺跡の裡に、伏羲の遠方より来たるの証拠と為すべき一条なし。況んや伏羲の陵墓はなお中州に在り、今に至るも完好である。あの処が果たして伏羲の骨を埋むる所であるや否やは、坐実する法ないが、しかし一事有りて参証すべく、しかも決して人力の造作し得る所ではない。あれはすなわち古代聖人が揲算して卦を求めるに用いた蓍草である。
孔子曰:昔者聖人之作《易》也,幽贊於神明而生蓍。至今蓍草所產之地,厥惟伏羲文王周公孔子之墓,而他處無有也。(惟近今所生之蓍不及古時之長,余嘗採蓍於孔林,最長者乃不滿今尺三十寸,以合周尺僅四尺餘。所謂六尺及盈丈者,詢之孔氏,雲久未得見矣。)夫文周與孔子之墓,固確為聖穴,決無可疑。則伏羲之陵而有蓍草,亦斷然足證其非妄矣。其非巴比倫產,可不辨自明。
孔子は《説卦伝》の裡に言う。昔聖人が《易》を作すや、幽に神明の賛助を得て蓍草を生じたりと。今日に至るまで、蓍草を出産する処はただ伏羲・文王・周公・孔子の四処の墓地のみあり、別の処は皆なし。(ただ近来長出する蓍草は古時のごとく長からず。我はかつて孔林に蓍草を採り、最も長きは今尺の三十寸に満たず、周尺に折合すれば四尺余りのみ。古書の言う六尺乃至満一丈のは、孔氏の後人に打听すれば、久しくすでに見えずと言う。)文王・周公と孔子の墓地は確かに聖人の葬所で、絶えて疑うべきなし。さらば伏羲陵の上にも蓍草が長ずれば、足りてこの陵は虚妄假託でないを断定す。このようであれば、伏羲は巴比倫の産でないことは、辨せずして自ら明らかなり。
或者當伏羲之時,西北之人物殷繁(其時東南皆水陸地不多),治化流被於歐亞兩州之交,故巴比倫得有伏羲之學說(逮洪水為災,地形改變,流沙阻隔,西道遂不復通,故禹域西限流沙),未可知也。至八卦之象無海,則有說焉。夫江河海洋,皆後起之名辭。伏羲時文字未興,烏得有此析類之名?卦象水火山澤,皆以對舉為文。海固無可對也,故以澤對山。洪荒之世,世界一澤國耳。舉目所見惟山與澤,則亦以山澤象之耳。《周易》為中古之書,取象較廣。坎為大川,大川亦即海也。焉得以數千年後之名詞,而致疑於上古之世哉!
或いは伏羲のあの時代に、西北の一帯は人烟稠密で(当時東南は多く水域で、陸地は多からず)、教化は欧亜両洲の交界の処まで流布したので、巴比倫は初めて伏羲の学説を留めたのであろう(後に洪水が災を成し地形が改変し流沙が阻隔して、西行の路は便ち再び通ぜず。だから大禹の划定した疆域は西は流沙を以て界と為す)、これもまた未だ知るべからず。八卦の象の裡に海なきに至っては、あれは別に緑故有り。江・河・海・洋は皆後起の名詞で、伏羲の時に文字はまだ興起せず。どこにこの種の分門別類の名称有らんや。況んや卦象の中の水火山沢は皆対を成して相い挙げられ、海はもともと之と相対すべき物なし。だから沢を用いて山に対する。洪荒の世は、整个世界は所詮一片の沢国で、目を挙げて見る所はただ山と沢のみあり、すなわち山沢を用いて象を取るのみ。《周易》は中古時候の書で、取象は較べて寛広く、坎は大川で、大川はすなわち海である。どうして几千年以後の有るべからざる名詞を取って、上古の世を懐疑せんや。
化学の分剤と象数と合す
西人物質之化分,譯之為化學者,乃近世紀所發明者也。不謂地隔三萬里,時閱七千年,而吾《易》之象數,能與之一一吻合無毫釐之差。嗚呼!是所謂範圍天地而不過,曲成萬物而不遺者,豈空談性理所能悉其奧旨哉!張氏之銳《易象闡微》,取氣之分劑性質,以卦位爻數乘除推衍,無不妙合。尤奇者,陽三而陰二,足證古聖參天兩地之數,固俟之萬世而不惑者也。
西洋人は物質を分解し開いて研究し、中文に訳して「化学」と曰うは、近一二百年に初めて興起した学問である。想うに及ばず三万里の遥かを相隔て・七千年の久しきを相去りて、我ら《易》の象数は竟にそれと一一吻合し、絲毫の差錯もなし。嘆くべきかな。《繋辞伝》のいわゆる「天地の化を範囲して過ごさず、曲成して万物を遺さず」は、どこに空談して心性義理を談ずる人のその中の奥旨を窮尽し得る所あらん。張之鋭の著す所の《易象闡微》は、各種の気の分剤(すなわち原子量)と性質を取り、卦位・爻数を用いて乗除推衍すれば、妙合せざるなし。特に奇なるは陽数は三を用い陰数は二を用いるで、足りて古聖の「天を参し地を両し」の数が、確かに万世以後を待っても疑惑有るべからざるを証明す。
《易》以陽為氣而陰為質,乾坤氣質之總綱,六子乃氣質之分類。故氣質之分晰,當於六子求之。輕氣(亦曰水素)比較各氣重量為最輕,於《易》為震象,以乾通坤初,出於震之卦氣也。震初一陽始復,其幾甚微,故其氣甚輕。(地山謙,坤艮皆重也。乃曰謙輕者,亦以三四五爻之互震也。)震為動為陽,陽之氣輕清而上升,故坤變為震。動而氣升,則乾即成巽而為風。蓋乾陽之坤,熱漲上騰,而乾之本體反虛。他處空氣入而補之,因動盪而為風也。
《易》は陽を以て気と為し・陰を以て質と為し、乾坤の両卦は気と質の総綱で、震・坎・艮・巽・離・兌のこの六子は則ち気と質の分類である。だから気質を辨析せんとすれば、応当に六子の上に求むべし。軽気(また水素と曰い、すなわち今日の言う氫)は各種の気に比して重量最も軽く、《易》の裡では震象に属す。それは乾が坤に通ずる初爻・震の裡より発して出た卦気だからである。震卦の初爻は一陽が剛く復生して、あの点の苗头は極めて微小なので、その気は極軽である。(地山《謙》卦は、坤と艮は皆重きに属するが、却って「謙軽」と呼ばる。これもまた三・四・五爻が互いに一つの震を出すに因る。)震は動であり陽で、陽気は軽清にして上昇するので、坤は変じて震と成る。一動して気が上昇すれば、乾は便ち巽と成りて風と為る。これは乾陽が坤の中に進入し、熱を受け膨脹して上騰し、乾の本体は反って空虚と成り、別処の空気が流れ入りて補充し、流動激蕩するに因って風と成るに因る。
凡卦爻本體,不能互成他卦者,當為獨立之原點。其可以互成他卦者,即為化合之合點。如坎(六畫卦)五陽以上無互體,為獨立養氣(亦曰酸素)原點。下互艮為淡氣,此即養氣當與淡氣相合之象也。若五陽下降至四,則亦互震體,而變為雷雨作解。此即輕氣上升,與天空養氣化合而成雨之象也。又如震初陽無互體,為輕氣獨立原點。四陽互艮互坎,此亦與淡氣相和,及化合成雨之象也。
およそ卦爻の本体が別の卦を互いに出せないは、すなわち独立の原点と算し、すなわち化学上の元素である。別の卦を互いに出し得るは、すなわち化合の合点である。譬えば六画の《坎》卦は、九五の陽より上に再び互体を取るべきなく、これがすなわち独立の養気(また酸素と曰い、すなわち氧)の原点である。それの下は艮を互いに出し、艮は淡気(すなわち氮)で、これはまさに養気が淡気と相合すべきの象である。仮に九五の陽が四位に下降すれば、また震体を互いに出し、卦は変じて雷雨作《解》と成る。これはまさに軽気が上昇して、天空中の養気と化合して雨と成るの象である。また《震》卦の初爻の陽のごときは互体なく、軽気の独立原点である。九四の陽は艮を互いに出し坎を互いに出す。これもまた淡気と相和するおよび化合して雨を成るの象である。
坎五之陽由乾二來也,以陽三(爻體陽三陰二)與五位相加為八,以二乘八得數十六。震初之陽,由乾四來也。以陽三與初位相減為二,以二除四,仍得二二:十六二一:八,故輕氣之分劑數(亦曰原子量)為一,養氣之分劑數為八,一以乘得數,一以除得數也。
《坎》卦九五の陽は乾卦の九二より来る。陽数の三を用いて(爻体は陽は三を取り陰は二を取る)五位と相加して八を得、再び二を以て八に乘じて十六を得る。《震》卦初爻の陽は乾卦の九四より来る。陽数の三を用いて初位と相減して二を得、再び二を以て四を除して、依然として二を得る。二は十六に比し、約し下れば正に一は八に比す。だから軽気の分剤数(また原子量と曰う)は一と定め、養気の分剤数は八と定める。一つは乗法に由って得た数で、一つは除法に由って得た数である。
淡氣(亦曰窒素)者,愛力甚小。而其性安靜無為,其作用但在節止養氣之太過,故知此氣必為艮之卦氣(艮靜而止)也。如艮九三上九兩陽爻,皆為淡氣。上九之陽由乾三來,九三之陽由乾上來。以陽三與上位六相加則為三,三以陽三加入三位,則為二三。
淡気(また窒素と曰い、すなわち氮)の親和力は甚だ小さく、性情は安静無為で、その作用はただ養気を節制してそれを至らしめて過ぎざらしめるのみ。これに由って知るべし、この種の気は必ず艮の卦気である(艮の性は静にして能く止まる)。譬えば《艮》卦の九三・上九の両個の陽爻は、皆淡気に属す。上九の陽は乾卦の九三に由り来り、九三の陽は乾卦の上九に由り来る。陽数の三を以て上位の六と相加し、後面の用うる所の除数の三を得出す。陽数の三を以て三位に加入し、後面の用うる所の乘数の二を得出す。
艮下體之卦位,其和數為六(初二三之和)。上體之卦位,其和數為十五(四五六之和)。六與十五之和數為二十一,以三除之得七,後以二乘七得十四(以三除者陽,加於上位得三,陽數也。以二乘者陽,加於三位得二陽數也),為淡氣一分劑數。輕養二氣之乘除,以反對為用,淡氣則自為乘除。由此推之,可見卦氣每生一物,必變化其方式。方式不同,故形質有異也。
《艮》卦の下体三爻の卦位を相加すれば六を得(初・二・三の和)、上体三爻の卦位を相加すれば十五を得(四・五・六の和)。六と十五とを相加すれば二十一と為し、三を用いて除して七を得、再び二を用いて七に乘じて十四を得(三を用いて除数と為すは、陽数の三が上位に加わって三を得るは陽数なればに因る。二を用いて乘数と為すは、陽数の三が三位に加わって二を得るもまた陽数なればに因る)、得る所の十四は、すなわち淡気の一つの分剤数である。軽気と養気の両気の乗除は、互いに反対して為すを用う。淡気は則ち自己が自己に対して乗除を作す。これに由って推し開けば見るべし、卦気が一つの物を生出す毎に、必ずその算式を変換す。算式同じからざるが故に、生出する所の形質もまた各々相同じからざるなり。
輕淡養為三少陽氣類原點。此三氣者,常混合瀰漫於空中者也。試以三類氣質合成卦象如□,即蒙卦也。上艮為淡氣,下坎為養氣。九二六三六四互震為輕氣,九二至上九共歷五位。陽自初至二進一位,自初至上進五位。養氣即生,則應消去淡氣一位。故養氣居空氣五分之一,淡氣居空氣五分之四,而輕氣體積則甚小。輕養淡三氣混合瀰漫而成蒙象。蒙象者,其地球表面之蒙氣乎?
軽気・淡気・養気は三少陽の一類の気の原点で、この三種の気は常に混合して起り、空中に瀰漫す。試みにこの三類の気質を合して一つの卦象を成せば(ここにもともと卦画有り、今や已に闕ける)、すなわち《蒙》卦である。上卦の艮は淡気で、下卦の坎は養気で、九二・六三・六四は互いに震を成して軽気と為る。九二より上九に数うるに共に五位を経歴す。陽は初位より二位に至るに一位を進み、初位より上位に至るに五位を進む。養気は一たび生出すれば、応当に淡気の上に一位を消去すべし。だから養気は空気の五分の一を占め、淡気は空気の五分の四を占め、而も軽気の体積は則ち極小である。軽・養・淡の三気は混合瀰漫して《蒙》の卦象を成す――いわゆる「蒙」とは、大概地球表面に籠罩するあの一層の蒙気であろうか。
綠氣(亦曰鹽素)能漂白物色,其臭甚烈,能傷人,此巽之象也。《說卦傳》“巽為白,又為臭”,又曰“巽也者言萬物之絜齊也”,皆綠氣之性能功用也。如巽□象,下體陽爻,積與位之和為十一(陽三加二位為五,陽三加三位為六,合之為十一也)。上體陽爻積與位之和為十七(陽三加五位為八,陰三加上位為九,合之為十七也),下體陰爻積與位之和為三(陰二加初位為三),上體陰爻積與位之和為六(陽二加四位為六),以三減六得三,以初加四得五。三五相加,再與十一十七相和,即等三十六,為綠氣之一分劑數(綠氣之一分劑數或作三五一五)。
緑気(また鹽素と曰い、すなわち今日の言う氯)は物体の顔色を漂白し得て、気味は極めて強烈で、吸入すれば能く人を傷る。これはまさに巽の象である。《説卦伝》は「巽は白」と言い、また巽は「臭」と為すと言い、また「巽とは、万物の絜斉を言うなり」と言う――「絜斉」はすなわち洗滌整治して之を潔净ならしむるで、講ずるは皆緑気の性能と功用である。《巽》卦の象に就いて算すれば(ここにもともと卦画有り、今や已に闕ける)、下体陽爻の爻数と爻位の和は十一(陽三に二位を加えて五を得、陽三に三位を加えて六を得、合わせて十一)。上体陽爻の爻数と爻位の和は十七(陽三に五位を加えて八を得、陽三に上位を加えて九を得、合わせて十七)。下体陰爻の和は三(陰二に初位を加えて三を得)、上体陰爻の和は六(陰二に四位を加えて六を得)。三を以て六を減じて三を得、初位を以て四位に加えて五を得、三と五と相加して八と為し、再び十一・十七と相加して、恰好三十六に等し。これがすなわち緑気の一つの分剤数である(緑気の分剤数にはまた三五・一五と作る者有り、これと稍々出入有り)。
炭氣(亦曰炭素)為有形質之氣,故化學家謂之非金類,而煤炭所含者為最多。若在氣質內,則常與養氣化合,所謂炭養二是也。蓋炭氣之原點屬離,離陰卦也。陰常附陽(離麗也,必附麗於他物而始見。離為火,火必附於物始燃),是為有形質之物。故炭氣與綠氣,不能如輕淡養三氣,能卓然獨立於空氣界也。
炭気(また炭素と曰い、すなわち炭)は有形質の気なので、化学家はそれを非金属の一類に帰し、而も石炭の裡に含むこと最も多い。それが若し気体の中にあれば、すなわち常に養気と化合して、すなわちいわゆる「炭養二」で、一分の炭に二分の養を配す。炭気の原点は離に属し、離は陰卦である。陰は常に陽に依附せんとす(「離」はすなわち「麗」で、必ず別の物に附麗して初めて顕現する。離は火で、火もまた必ず物に附着して初めて燃焼し得る)、だからそれは有形質の物である。まさにこの因によって、炭気と緑気は皆軽・淡・養の三気のごとく、卓然として独立して空中に存在することができない。
□離卦二陰自坤五而來,下體陽爻積與位之和為十(陽三加初位為四,陽三加三位為六,合為十也)。上體陽爻積與位之和為十六(陽三加四位為七,陽三加上位為九,合為十六)。以上體陽五位數,除下體陽爻積與位之和,得數二。以下體陰二位數,除上體陽爻積與位之和得數八。二與八之較六,即為炭氣之一分劑數(綠氣一分劑數由和而得,炭氣一分劑數由較而得方式亦不同也)。
《離》卦(ここにもともと卦画有り、今や已に闕ける)の中の両個の陰爻は、皆坤卦の六五のあの一爻から来る。下体陽爻の爻数と爻位の和は十(陽三に初位を加えて四を得、陽三に三位を加えて六を得、合わせて十)。上体陽爻の爻数と爻位の和は十六(陽三に四位を加えて七を得、陽三に上位を加えて九を得、合わせて十六)。上体陽爻の居る五位を用いて下体の和の十を除して、得数の二を得る。下体陰爻の居る二位を用いて上体の和の十六を除して、得数の八を得る。八と二と相減して、差数の六を得て、これがすなわち炭気の一つの分剤数である(緑気の分剤数は相加に由って得、炭気の分剤数は相減に由って得て、数を取るの算式は各々相同じず、だから両者の形質もまた相同じからざるなり)。
六子之卦,震坎艮巽離,皆有其自成之原點。惟兌獨無,蓋陽數大,陰數小,陽順生,陰逆生,陽始於震,陰始於兌。震之原點為一,則兌始生之陰數,必更小於一,退入零位,幾不可見,必不能成為獨立之原點矣。求之於化學氣類中,惟喜氣於兌象為近。兌為悅,悅喜意也(喜氣嗅之令人狂笑)。考喜氣為淡養所合成,西名為NO。此亦足證兌無自生之原點矣。
六子の卦の中で、震・坎・艮・巽・離は皆各々自成の原点有り、独り兌のみ無し。これは陽数は大にして陰数は小、陽は順に生じ陰は逆に生ずるに因る。陽は震より始まり、陰は兌より始まる。震の原点を一と算せば、さらば兌の初生する陰数は必ず一よりも小さく、零位に退いて、ほとんど見るべからず。当然に独立の原点と為ること能わざるなり。化学の気類の裡に求めれば、ただ喜気のみ兌象と最も相近し。兌は悦で、悦はすなわち喜の意である(喜気は嗅げば人をして狂笑せしむ)。考察すれば喜気は淡気と養気とが合成したもので、西文の名は NO である。それはすでに両気の化合に由って来た以上、自身はもともと原質ではない。これもまた正に足りて兌に自生の原点なきを証明す。
喜氣之分劑數為二十二,即八與十四所合之數(養氣一分劑數為八,淡氣一分劑數為十四)。淡氣為艮象,養氣為坎象。艮之上體三爻積與位之和為二十二(陰二加四位為六,陰二加五位為七,陽三加上位為九,合之為二十二也),坎之上體三爻積與位之和亦二十二(陰二加四位為六,陽三加五位為八,陰二加上位亦八,合之亦為二十二也)。以艮之上體,合兌之下體,則為□損卦。以坎之上體,合兌之下體,則為□節卦。
喜気の分剤数は二十二で、正に養気の八と淡気の十四と相加するの数(養気の分剤数は八、淡気の分剤数は十四)。これで見ればそれは確かに両気の合成である。淡気は艮象に属し、養気は坎象に属す。だから艮・坎の両卦の上に数を取る。《艮》卦の上体三爻の爻数と爻位の和は二十二(陰二に四位を加えて六を得、陰二に五位を加えて七を得、陽三に上位を加えて九を得、合わせて二十二)。《坎》卦の上体三爻の爻数と爻位の和もまた二十二(陰二に四位を加えて六を得、陽三に五位を加えて八を得、陰二に上位を加えてもまた八、合わせてもまた二十二)。艮の上体を兌の下体に配すれば、すなわち《損》卦と成る。坎の上体を兌の下体に配すれば、すなわち《節》卦と成る(両処にもともと卦画有り、今や已に闕ける)。この両卦は便ち下面の推算の依拠とする卦体である。
兌下體三爻積與位之和為十四(陽三加初位為四,陽三加二位為五,陰二加三位為五,合之為十四也),以下體兌之十四,減上體艮之二十二,即得坎養之八。以坎養之八,復減上體坎之二十二,即得艮淡之十四。故八與十四之和,即喜氣之分劑數。其數之妙合,極參伍錯綜之致,而無不吻合,誠不可思議矣。
《兌》卦の下体三爻の爻数と爻位の和は十四(陽三に初位を加えて四を得、陽三に二位を加えて五を得、陰二に三位を加えて五を得、合わせて十四)。下体兌の十四を用いて上体艮の二十二を減ずれば、正に坎の主とする養気の数の八を得る。再び坎養の八を用いて上体坎の二十二を減ずれば、正に艮の主とする淡気の数の十四を得る。両々相減して、得る所は皆恰好その本気の分剤数である。だから八と十四とを相加すれば、すなわち喜気の分剤数の二十二である。これらの数目の配合するの妙は、参伍錯綜して極処に至りて吻合せざるなし。実に思議すべからず。
以上輕(震象)養(坎象)淡(艮象)綠(巽象)炭(離象)喜(兌象)六氣,即乾坤二元所化生,震坎艮三少陽,巽離兌三少陰之六元象也。然三少陽所成之原質有三類,而三少陰所成原質只有兩類。可見陽三陰二之定則,離造物者亦不能越此範圍(五行之數亦天三地二,天地之生數亦天三地二)也。此外之原質,若碘,若砩,若金類,若非金類,為數甚夥。苟能各按其天然分劑之數與其品性,依卦象變化之條理,以方程求等之法細繹之,當無不有一定之公式,可斷言矣。
以上の軽気(震象)・養気(坎象)・淡気(艮象)・緑気(巽象)・炭気(離象)・喜気(兌象)のこの六種の気は、すなわち乾坤の両元の化生する所で、すなわち震・坎・艮の三少陽と巽・離・兌の三少陰のこの六元の象で、一気は一卦に配して、相当せざるなし。しかし三少陽の成した原質は軽・養・淡の三類有り、三少陰の成した原質はただ緑・炭の両類のみ。これで見れば「陽三阴二」のこの一條の定則は、たとえ造物者もこの範囲を跳出ること能わず(五行の数もまた天三地二で、天地の生数もまた天三地二)。この外の原質は、碘のごとく・砩のごとく・金属類のごとく・非金属類のごとく、数目は甚だ多い。ただ各々それらの天然の分剤数と品性に按じ、卦象変化の條理に依り、方程を用いて等を求むの方法で細々と推繹すれば、必ず皆各々一定の公式有りて循るべし。これは断言し得て、並びにただこの六種の気のみが象数に合するのではない。
《化學鑑原》云:輕氣與諸質化合,其性大似金類(與鋅或銅化合,顯此性尤大),故疑為氣質金類,如汞為流質金類是也。輕氣與汞若汞與鉑,雖視無金光,而叩之不堅,亦不足為必非金類之據。汞加熱可化為明氣質,亦與金類為例,是可見輕氣亦或為金類也。
《化学鑑原》は言う。軽気は各種の物質と化合する時、性質は甚だ金属に似て(鋅或いは銅と化合すれば、この種の性質は表現すること尤も顕著)、だからそれを気態の金属と疑う。まさに汞が液態の金属なるがごとし。軽気と汞・汞と鉑は、見るに金属光沢ないがごとく、叩撃しても堅硬でないが、しかしまた足りてこれに拠ってそれが必ず金属でないを断定すべからず。汞は熱を加えて以て透明の気体に化し得て、これもまた金属と同例で、これに由って見れば軽気は或いはまた金属の一種かも知れない。
又云:輕氣雖為萬物中至輕至稀之品,而分劑數為最小者,然依其分劑數而計其愛力,則甚大也。如一分重之輕氣,能與綠氣三十六分之重化合,能與溴八十分之重化合,與碘一百二十五分之重化合。極少之數,亦足支配此各質而變化其性。且所成之質,最難分析。化學以為極少之分劑,而生極大之愛力性,為甚奇也。
また言う。軽気は万物の中で最も軽く最も稀なる物で、分剤数もまた最も小さいが、しかしその分剤数に按じてその親和力を計算すれば、却って極大である。譬えば一分重の軽気は、能く三十六分重の緑気と化合し、能く八十分重の溴と化合し、能く一百二十五分重の碘と化合す――化合する所の分量はそれ自身より重なること几十倍乃至一百余倍。極小の分量もまた足りてこれらの物質を支配してそれらの性質を改変し、しかも化合して成った物は極めて分解し難い。化学家は分剤が極小にして能く極大の親和力を生出すを、甚だ奇怪の事と認む。
按化學家疑輕氣為金類,而不敢下確定之斷語。又奇其分劑數小而愛力極大,此由不明輕氣所以化生之原理也。若以《易》象證之,則所疑者皆渙然冰釋矣。蓋輕氣為震象,震者乾始交坤,其象恆通乾(震為乾之長子)。《說卦傳》“震其究為健”,健即乾也。乾為金,震者金氣之初發動者也。知輕氣之為震,則知輕氣為氣類之金可無疑矣。
按ずるに、化学家は軽気を金属と疑って確定の断語を下すこと敢えてせず、またその分剤数が小にして親和力が極大なるを怪しむは、皆軽気の化生する所以の原理を明白にせざるに因る。若し《易》象を取って印証すれば、疑う所は皆涣然として氷釈する。軽気は震象に属し、震は乾が始めて坤に交わりて成って、その象は終始に乾に通ず(震は乾の長子)。《説卦伝》は「震其の究は健たり」と言い、意は震は推究して到底すれば依然として乾に帰し、「健」はすなわち乾である。乾は金で、震は便ち金気が剛く発動するの時である。すでに軽気が震に属するを知れば、さらば軽気は気類の中の金属なることは、また何の疑うべきなきや。
一陽初復,故分劑數最小,所謂復小而辨於物是也。其感動力反甚大者,以乾健而震動也。震為物之始生,此天地之仁氣也。且又為最尊最大之乾卦最肖之長子,然則能以至小之分劑數化合最大之分劑數,而顯最大之愛力者,又何足怪乎!
一陽が剛く復生するので、分剤数は最も小さい。《繋辞伝》のいわゆる「復は、小にして物に辨ゆ」はまさにこの意である。それの感動する力は却って極大なるは、乾性が剛健にして震が震動を主とするに因る。震は万物が生長を始める処で、これは天地の仁気である。況んやそれはまた最尊最大の乾卦の最も相肖なる長子であるをや。このようであれば、それが能く最小の分剤数を以て最大の分剤数と化合し、最大の親和力を顕出するは、また何の怪しむべきならんや。
以上諸說,不但足與物理相發明,尤足以證明象之切切實實,非模糊影響而意為擬議者也。向來說《易》者,以空談性理為高,能精研象數者已不可多得。間有談象數者,又莫明象數之原理,於是東牽西扯,曲折附會以求合,而不知去《易》之道愈遠,而象數反為說《易》之累矣。故顯明象數,必知物理。離物理以言象數,亦與離象數而談性理者,敝正相等耳。
以上のこれらの説法は、但だ足りて物理と互いに発明するのみならず、特に足りて《易》象が切切実実の物で、決して模模糊糊・主観想象を憑って擬議し出したものでないを証明す。従来《易》を講ずる人は空談して心性義理を談ずるを高明と見做し、能く象数を精研する人はすでに甚だ得難い。偶に象数を講ずる者有れば、また象数の原理を明白にせず、ここにおいて東に牽かれ西に扯がれ、曲折して附会してもって凑合す。しかしこのようにして《易》道より離るること益々遠きを知らず、象数は反って《易》を説くの贅累と成る。だから象数を講じ明白にせんと欲せば、必ずまず物理を懂らねばならない。物理を撇き開きて象数を講ずるは、象数を撇き開きて性理を空談するのと、両者の毛病は恰好相等しく、誰も誰に高明なるなし。
