陽無きを嫌う
《坤·上六·文言》:“陰疑於陽必戰,為其嫌於無陽也,故稱龍焉。”註疏與各家講解,均未能明悉。鄭注“嫌”讀如“群公謙”之謙,或作謙。謙,雜也。以嫌作雜字解。雜於無陽,語亦費解。《九家》作兼,謂陰陽合居,故曰“兼陽”,則“無”字又為贅文。王弼云“為其嫌於非陽而戰”,《正義》謂“陰盛似陽為嫌,純陰非陽,故稱龍以明之”。說各不同,其未能暢發經旨則一也。
《坤》卦上六の《文言》に「陰が陽に疑われるほど盛んになれば必ず戦う。陽無きを嫌うがゆえに、龍と称する」とある。従来の注疏と各家の講解はいずれも明らかにしなかった。鄭玄の注は「嫌」を「群公謙」の「謙」と読み、あるいは「謙」と作り、「謙」を「雑」と訓じて、「嫌」を「雑」の字と解したが、「雑于無陽」という語は依然として解し難い。《九家易》は「兼」と作り、陰陽が合居するので「兼陽」と曰うというが、そうすると「無」の字がまた贅文となる。王弼は「陽でないことを嫌って戦う」と言い、《周易正義》は「陰気が盛んで陽に似るを嫌といい、純陰は本來陽でないので、龍と称してそれを明らかにする」と言う。説はそれぞれ異なるが、経文の旨意を暢達に発揮できなかった点では一つである。
辛齋按:陽本無盡,坤之上六為純陰之候,近乎有無陽之嫌。今可舉例以明之:五月初五日,相傳為端午節,又曰端陽節。九月初九日,曰重陽日。而十月曰小陽月。夫五月,於卦之消息為姤,一陰始生,端者始也,當曰“端陰”,何以稱之曰“端陽”?九月,於卦為剝,碩果僅存,陽已將盡,乃何以稱之曰“重陽”?十月於卦為坤,爻辰正值坤之上六,純陰無陽,何以曰“小陽”?此正扶陽抑陰之意,為其嫌於無陽也,故稱“端陽”“重陽”“小陽”焉。則坤上之“嫌於無陽”,其義可比例而得,不待煩言而解矣。
私が按ずるに、陽気は本来尽きることがなく、《坤》卦の上六は純陰の時節で、「陽がない」の嫌疑に近い。ここで例を挙げて明らかにしよう。五月五日は端午節と伝えられ、端陽節ともいう。九月九日は重陽という。そして十月は小陽春という。五月は十二消息卦では《姤》で、一陰が初めて生じたばかりであり、「端」は始まりの意だから、本来「端陰」と呼ぶべきところを、なぜ「端陽」と称するのか。九月は消息卦で《剥》で、碩果が一つ残るのみで陽気は尽きようとしているのに、なぜ「重陽」と称するのか。十月は消息卦で《坤》で、六爻すべて陰、爻辰(十二辰を六爻に配するもの)も《坤》の上六に当たり、純陰にして陽なしというのに、なぜ「小陽」というのか。これはまさに陽を扶け陰を抑える意図であり、「陽がない」ことを嫌うがゆえに、あえて「端陽」「重陽」「小陽」と称したのである。それならば《坤》卦上六の「嫌于無陽」の意義も、この比較によって推し知ることができ、多くの言葉を費やさずとも明らかである。
陰陽
《易》數,以陽統陰者也。《易》象,以陽變陰者也。《易》義,扶陽抑陰者也。故陽大陰小,陽貴陰賤。凡對待之字,幾無不以此為例。顧何以立天之道,不曰“陽與陰”,而曰“陰與陽”?又曰“一陰一陽之為道”,又曰“分陰分陽”?輒以陰居先而陽居後,必曰陰陽,無言陽陰者,其義何居?
《易》の数は陽をもって陰を統摂するものであり、《易》の象は陽をもって陰を変化させるものであり、《易》の義理は陽を扶けて陰を抑えるものである。だから陽は大で陰は小、陽は貴で陰は賎であり、対となり相待つ字はほとんどすべてこの順序に従って並ぶ。それなのになぜ《説卦伝》は天の道を立てるにあたって「陽与陰」と言わず「陰与陽」と言い、《繋辞》もまた「一陰一陽之謂道」と言い、「分陰分陽」と言うのか。常に陰を先に置き陽を後に置いて、必ず「陰陽」と言い、「陽陰」と言う者はいない。この中にどんな道理があるのか。
曰:此即天地之在義,而《易》道之妙用也。天尊地卑,《易》之序也。乃乾天顛下首而周乎地之下,坤地有常而高舉於天之上。於是地天泰,四時成。天德不為首,而地道代終。一陰一陽,往來升降。至三陰三陽水火既濟六爻皆當位,乾坤定矣。反之為一陽一陰,至三陽三陰,乃火水未濟。六爻皆不當位,離坎不續終,而為男之窮矣。
答えて言えば、これこそ天地の間に存する義であり、《易》道の妙用である。天尊地卑は本来《易》の常序だが、乾の天は頭を垂れて地の下に周り、坤の地はかえって天の上に高く挙がる。こうして地が上・天が下の《泰》卦となり、四時がそれによって運行する。だから《乾》は天徳が首とならずと言い、《坤》は地道が天に代わって終えると言う。一陰一陽が往来昇降し、三陰三陽となって水が火の上にある《既済》となれば、六爻すべてその位に当たり、乾坤の位次も定まる。逆に一陽一陰となり、三陽三陰に至れば、火が水の上の《未済》となり、六爻すべて位に当たらず、離と坎が終わりまで続かず、これが男子の窮途である。
陽卦は陰多く、陰卦は陽多し
《繫傳》曰:“陽卦多陰,陰卦多陽。其故何也?陽卦奇,陰卦偶。其德行何也?陽一君而二民,君子之道也。陰二君而一民,小人之道也。”此章闡明《易》道陰陽之大義,為全《易》之關鍵。辨卦爻陰陽之德行,數理之體用,乃學者入手之綱領。故設為問答以明之。
《繋辞伝》に「陽卦は陰多く、陰卦は陽多し。その故は何ぞや。陽卦は奇、陰卦は偶なり。その德行は何ぞや。陽は一君にして二民、君子の道なり。陰は二君にして一民、小人の道なり」とある。この章は《易》道における陰陽の大義を闡明するもので、《易》全体の鍵である。卦爻の陰陽の德行を弁じ、数理の体と用を辨ずることは、学ぶ者の入手の綱領である。だからあえて問答を設けて明らかにしたのである。
陽卦者,震、坎、艮,皆一陽而二陰。陰卦者,巽、離、兌,皆一陰而二陽。乾坤為各卦之原,且純體不易,其陰陽易知,故不在此設問之列。歷來注《易》家,於“一君二民”、“二君一民”之義,異說紛歧,莫可折衷。皆因泥於一二之數聯屬君民,故無論如何曲折遷就,終不可通。
いわゆる陽卦とは《震》《坎》《艮》で、いずれも一陽爻に二陰爻である。いわゆる陰卦とは《巽》《離》《兌》で、いずれも一陰爻に二陽爻である。《乾》《坤》は各卦の本原であり、しかも純陽純陰の体で他爻を交えないので、陰陽は一目で分かり、今回の設問には含まれない。従来《易》を注した人々は、「一君二民」「二君一民」の意味について異説が紛岐し、折衷しようがなかった。これはみな「一」「二」の数を君と民に固く結びつけて考えたためで、どんなに屈折して取り繕っても、結局は通じなかったのである。
孫氏取鄭康成氏《禮記·王制》注云:“一君二民,謂黃帝堯舜。地方千里,為方千里者百。中國之民居七千里,計七七四十九方千里。四裔之民,居五十一方千里。是中國四裔,二民共事一君。二君一民,謂三代之末,以地方五千里。一君有五千里之五,五五二十五,更足以一君。二十五始滿千里之方五十,乃當堯舜一民之地。故曰二君一民。”
孫氏は鄭玄の《礼記・王制》注を引いて言う。「いわゆる一君二民とは黄帝と尭舜の時代を言う。領土は縦横各一万里で、方千里の区画が都合百ある。中原の民は七千里の内に住み、七七四十九の方千里を占める。四方の辺境の民は五十一の方千里の内に住む。これが中原と四裔の二つの民がともに一人の君に事えるということである。いわゆる二君一民とは三代の末を言い、領土は縦横五千里、一君は五つの方千里を持ち、五五二十五で、さらにもう一人の君を置くに足る。二つの二十五でやっと五十の方千里が満ち、ちょうど尭舜の時の一民の地に当たる。だから二君一民という」という。
可謂極迂迴曲折之致,而不敢謂其確合經義。至《朱子語類》,謂“二君一民,試問一個民而有兩個君,看是甚麼樣”。則尤為滑稽矣。宋人講解大意與朱子略同。其實孔子語意,甚為明白。“一君二民”。謂君得其一民得其二也。“二君一民”,謂君得其二民得其一也。“一”“二”兩字,不過表示多寡之意。故下文曰“君子之道”“小人之道”,經義顯豁呈露,無待曲解。何以時歷三千年,經無數之經師大儒而迄未講明?是可怪也。
これは迂回曲折の極みと言うべきで、真に経文の本意に合うとは言い難い。《朱子語類》に至っては「二君一民とは、試しに一人の民に二人の君があると考えてみよ、どんな有様になるか」と言い、これはいっそう滑稽である。宋代の人々の講解は大意が朱熹とほぼ同じで、同じく君と民の数にこだわっている。実は孔子の語意は非常に明白で、「一君二民」とは君がその一を占め民がその二を占めるということ、「二君一民」とは君がその二を占め民がその一を占めるということである。「一」と「二」の字は、多寡を示すにすぎない。だから下文に「君子の道」「小人の道」と言う。経文の意味は明らかにそこに呈露しており、曲解を待つ必要がない。なぜ三千年を経て、無数の経師大儒を経ながら、いまだにこれが講明されなかったのか。これは実に怪しむべきことである。
見伏動変
見伏動變,謂之四通。“見”者,即本卦所獨動之一爻也(如地雷復,則復之初九即為見)。見之下,即為“伏”(如復內為震,震下即伏巽)。見顯向伏隱,所謂由其可見,推其所不可見,故有見即有伏。見者動,動必有所之。之者往也,動之始也。有所之而之其所,則見者伏而伏者見,所以為變也。
「見」「伏」「動」「変」の四項を合わせて「四通」という。いわゆる「見」とは本卦の中で単独で発動する一爻である(例えば地雷《復》卦なら、《復》の初九が見である)。見の下がすなわち「伏」である(例えば《復》の内卦は《震》で、《震》の下には《巽》が伏している)。見は顕露し、伏は隠蔵する。すなわち見えるものから見えないものを推知するので、見があれば必ず伏がある。見の爻は動こうとし、動けば必ず往く所がある。「之」とは往くことで、動きの始まりである。往く所があってその当たる所に至れば、もと見ていた者は伏に転じ、もと伏していた者は見に転ずる。これを変と呼ぶ。
於八卦之象,兌見巽伏,震起艮止,而八卦之循環變化,悉在其中。故即以此而推之於爻,則亦不外此四者。而爻之性情才用,亦胥可見矣。見知現在,伏知將來。覆以窮其相反之情,變動中爻以盡其曲折之妙。故動而之於伏曰“動”,通變而存其位曰“變”。通一爻而有四卦之通,是以能該隱顯,極常變,以周知天下之務。
八卦の取象で言えば、《兌》は顕現を主り《巽》は潜伏を主り、《震》は起動を主り《艮》は静止を主る。八卦の循環変化はすべてこの中に含まれる。だからこの理を爻に推しても、「見伏動変」の四項を出ない。各爻の性情と才用もこれによってすべて見える。見は現在を知らせ、伏は将来を知らせる。卦を覆せば相反の情を窮め、中爻を変動すれば曲折の妙を尽くす。だから動いて伏位に至るを「動」と言い、通変してなおその位を存するを「変」と言う。一爻を通じて四つの卦が通じるので、隠と顕を兼摂し、常と変を極め、天下の事務を遍く知ることができる。
見伏動變,循環迭更。如坤初為見,則乾初為伏,而姤復包其中。如復初為見,則姤初為伏,而乾坤又包其中。至其性情之同,則伏與動變,均與可見之爻互相發明。陰陽動靜,流行不息,無往而不還隱而不見之理。故伏卦者,即見卦之所託以變動者也。動在內卦,則陰下而陽上。動在外卦,則陰上而陽下。是陰陽所生之陰陽,所以有少陰少陽之別。變在內外卦者反是。見伏為交,則動變為之摩蕩矣。
見・伏・動・変の四者は循環して迭たがわる。例えば《坤》卦の初爻が見なら、《乾》卦の初爻が伏となり、《姤》《復》の二卦がその中に包まれる。また《復》卦の初爻が見なら、《姤》卦の初爻が伏となり、《乾》《坤》の二卦がその中に包まれる。その性情の同じところに至っては、伏卦と動・変はいずれも見える爻と互いに発明する。陰陽の動静は流行して息まず、往って返らず、隠れて再び現れないという理はない。だから伏卦とは、見卦が変動するにあたって託するところのものである。動が内卦に起これば陰が下に陽が上となり、動が外卦に起これば陰が上に陽が下となる――これは陰陽が生み出した陰陽なので、少陰・少陽の区別がある。変が内外卦に起こるときはこれと正反対である。見と伏が交われば、動と変がその中で互いに摩盪する。
一爻而具四爻之通,如乾二獨動,則坤二伏矣(乾“利見大人”,坤“直方大”)。師二為動,則同人之二為伏矣。故設卦觀象,不可泥於一卦一爻。古人一家之學,雖未必能通貫全經,而一無障礙。如孟氏之旁通,京氏之飛變,虞氏之之正,邵氏之加倍四分,均各有獨到之處。但證之於經傳而合者,固皆有可取。而足與經義相發明,由博反約,慎擇精審,是在學者之神而明之,非一言之所能盡者矣。
一爻の中に四爻相通の関係が具わっている。例えば《乾》卦の九二が単独で発動すれば、《坤》卦の六二がその伏となる(《乾》の九二の爻辞は「大人を見るに利し」、《坤》の六二の爻辞は「直方大」)。《師》卦の九二が動なら、《同人》卦の六二が伏となる。だから卦を設けて象を観るに、一卦一爻に固執してはならない。古人各家の学は必ずしも全経を貫通して少しの障碍もないとは言えないが、孟喜の「旁通」、京房の「飛伏変化」、虞翻の「之正」、邵雍の加一倍法と四分の説は、いずれも独得の所がある。およそ経伝に照らして合うものは本来皆取るべき所があり、経義と互いに発明し、博から約に返り、慎んで選択し精細に審辨することは、学者自身が神明自得するに在るのであって、一言で言い尽くせるものではない。
八字命爻
胡氏煦《周易函書》,原文多至一百餘卷。後雖節錄為《約注》、《約存》、《別集》,尚有三十餘卷,亦《易》說之大觀矣。其全書綱要,以《繫傳》開而當名辨物一語為主。謂伏羲先天圖,以黑白二色分別陰陽,皆連貫若環,至文王始開而為八卦,開而為六十四卦,以為發千古未有之秘。
清代の胡煦の《周易函書》は、原稿が百余巻に及んだ。のちに《約注》《約存》《別集》に節録されてもなお三十余巻あり、これも《易》説中の一大観である。全書の綱領は《繋辞伝》の「開而當名辨物」の一句を主とする。聖人が卦象を開示して名称と事物を相当させて弁別せしめるという意である。彼は伏羲の先天図が黒白二色で陰陽を分け、すべて環のごとく連貫し、文王に至って初めてそれを「開」いて八卦となし、「開」いて六十四卦としたと言い、千古未曽有の秘を発したと自負している。
其實周子太極圖,陰陽相互,分為三層。胡氏所繪之先天、小圓、大圓圖,即由周子太極圖衍而成之。又拆之為八卦六十四卦,謂為文王所開,其牽強固不待智者而知,即其本書中亦往往不能自圓其說。蓋八卦不但有其象,尚有其數。若以黑白二色分別陰陽之爻,將一九四六之數,亦以黑白二色代之乎?其誣不待辨而明矣。然其於《易》理,致力頗深。融合漢宋,時有心得,瑕不掩瑜。三書之可取者甚多。其八字命爻之說,尤為詳人所略,語極精到,大有畀於初學,特約其大意如左。
実は周敦頤の《太極図》は黒白陰陽が相互に交わり三層に分かれており、胡煦の画いた先天図・小円図・大円図は周氏の《太極図》から衍化したものである。彼はまたそれを八卦・六十四卦に分解して文王が「開」いたものと言うが、この牽強は知者を待たずとも明らかで、彼自身の書の中にも往々にして自説を円かにできない所がある。なぜなら八卦には象があるばかりでなく数もあるからである。もし黒白二色だけで陰爻陽爻を分けるなら、一・九・四・六の数も黒白二色で代えるのか。その説の信用に足りないことは弁駁を待たず明らかである。ただし彼は《易》理に力を尽くすこと深く、漢学と宋学を融合し、時折心得があって、瑕は瑜を掩わない。三書の中に取るべき所は非常に多い。中でも「八字命爻」の説は、他人が略した所を詳しく論じ、語ごとに精到で、初学の人に大いに資するところがあるので、特にその大意を採録して以下に示す。
命爻十二様の筆法
聖人命爻之義,有十二樣筆法:陰陽各六,九六分稱是也。然其因卦論爻,因爻論卦,而三百八十四爻之義,已各各迥別。顧此十二樣筆法,要其寓意止有八字:初、上、九、六、二、三、四、五是也。
聖人が爻に命名するに寄託した意義には、全部で十二種の書き方がある。一卦六位において、陽爻がこの六位に居れば「初九」「九二」「九三」「九四」「九五」「上九」と称し、陰爻がこの六位に居れば「初六」「六二」「六三」「六四」「六五」「上六」と称する。陰陽それぞれ六種を得て、「九」「六」で分けて称し、合わせてちょうど十二様となる。ただ命名はこの十二式にすぎないが、具体的な卦に落ちれば、卦の性質によって爻を論じ、また爻の処遇によって卦を論じるので、六十四卦三百八十四爻の各爻の含義はそれぞれ異なる。帰するところ、この十二様の筆法に用いる字は八つしかない。「初」「上」「九」「六」「二」「三」「四」「五」である。
卦を立てるに何ぞ三爻に止まるや
何以初命為初,上命為上也?曰:聖人立卦,止於三爻,不以兩畫,不以四畫,其妙正在於此。何也?以天下之物,各有其位。位之所乘,各有其時。時與位合,而參差不齊之數出焉。聖人設卦立象,凡以考時之所值,位之所乘而已。然時有三候,位有三等,故立卦亦止於三爻。
問うていわく、最下の爻をなぜ「初」と言い、最上の爻をなぜ「上」と言うのか。答えて曰く、聖人が卦体を創制するに三爻のみを用い、二画でも四画でもなかったのは、妙がまさにここにある。なぜか。天下の万物はそれぞれ一つの位置を占め、位置はまたそれぞれ一段の時間を承載し、時と位が配合して初めて参差不斉千差万別の「数」が生まれる。聖人が卦を設け象を立てたのは、ある物がいかなる時に当たりいかなる位を乗じるかを考察することにすぎない。時は初・中・末の三候に概括でき、位は上・中・下の三等に概括できる。だから卦を立てるのも三爻のみを用いるのである。
何云時有三候?曰:此概辭也。今但取一時,銖銖寸寸而較之,雖累百千萬,不足盡此一時之數矣。譬自盤古開天以及堯舜,其中歷年原不可考。今以三候約之,曰此古之初,此古之中,此古之末,則無不可以意會者(近世科學家研究歷史地質等學者亦概用此法)。又一歲十二月,今亦以三候約之,為歲之初,歲之中,歲之末,亦無不可心意會者。下至時日亦然。是流行之機,或遠或近,或舒或促,皆無有踰此三候者也。
なぜ時は三候しかないと言うのか。これは概括の言葉である。一段の時間を取って銖々寸々に細かく計れば、百千万の刻みを累ねても、その時間内の数は尽くせない。例えば盤古の開天から尭舜に至るまで、経た年数はもともと考証できないが、今これを三候に約して上古の初・上古の中・上古の末と言えば、誰でも意会できる(近代の科学者が歴史・地質などを研究するのにも大抵この分期の方法を用いている)。また一年十二ヶ月も三候に約して年初・年中・年末に分かれば、同じく誰でも会意できる。下って一日・一時も同じである。時間の流行する機括は、スパンが遠かろうが近かろうが、テンポが緩かろうが急かろうが、すべてこの初・中・末の三候を出ない。
何云位有三等?曰:此亦概辭也。今但取一物銖銖寸寸而數之,累千百萬,不足盡此一物之位矣。譬若立五尺之竿於此,以三等約之,上者上,中者中,下者下,盡之矣。又立千尺百尺之竿於此,亦以三等約之,上者上,中者中,下者下,盡之矣。是形器之屬,或高或卑或廣或狹,均無有踰此三等者也。
なぜ位は三等しかないと言うのか。これも概括の言葉である。一つの物を取って銖々寸々にその部位を数えても、千百万を累ねても一物の位置は尽くせない。例えばここに五尺の竿を立てて三等に約すれば、上段は上、中段は中、下段は下で、それで言い尽くせる。また百尺千尺の竿を立てても同じく三等に約して、上段は上、中段は中、下段は下で言い尽くせる。およそ形体ある器物は、高かろうが低かろうが、広かろうが狭かろうが、すべてこの上・中・下の三等を出ない。
況上古民淳事簡,以三候約時,以三等約位,得其大概,已可共喻。後世知識日開,人事日繁,一歲之候,分而為月,又分而為日,又分而為時刻分秒,細分之至於毫釐絲忽之不可盡。其於位之大小長短,亦復如是。皆其細已甚者也。至約以三等三候,曾有出聖人之範圍者乎?
まして上古は民風が淳厚で事務が簡単だったので、時を三候に約し、位を三等に約して大略を得れば、すでに互いに明らかにできた。後世は知識が日に開け人事が日に繁密になり、一年の節候はまず月に分かれ、さらに日に分かれ、さらに時・刻・分・秒に分かれ、毫・厘・糸・忽まで細分しても分け尽くせない。位の大小長短についても同じである。これは皆細かすぎるのである。しかしいったん仍お三等三候に約すれば、いずれか一つでも聖人の定めた範囲を出たものがあったか。
凡有位者必有時,於是乎有上之時,中之時,下之時。凡有時者必有位,於是乎有初之位,中之位,末之位。聖人慾以卦象盡天下之物,則不得不體物象所自具之時位而命之爻。所以三爻之設,決不可以增減也。
およそ位置を占めるものは必ずある時間の中にあり、そこに上位の時・中位の時・下位の時がある。およそ時間の中にあるものは必ずある位置を占め、そこに初時の位・中時の位・末時の位がある。聖人が卦象をもって天下の万物をすべて包挙しようとすれば、物象自体の具える時と位に従って爻を命名せざるを得なかった。それゆえ三爻の設置は一爻も増やすことも減らすこともできない。
然就三爻而立之名,則取時必遺位,取位必遺時。聖人知陰陽必偶,而物生必先氣而後形,於是乎立為重卦。以時而命內卦之初,明乎氣之肇端,於此始也。以位而命外卦之上,明乎形之成質,於此定也。周公釋爻,每兼時位,職是故也。時陰而位陽,時虛而位實。時由乾出,位由坤始也。
しかし三爻のみに就いて命名すれば、「時」を取れば「位」を遺し、「位」を取れば「時」を遺して、両方を兼ねることが難しい。聖人は陰陽が必ず対になること、万物の生成が必ず先に気あり後に形あることを知り、単卦を重ねて六爻の重卦とした。「時」をもって内卦の最下爻を命じて「初」と称したのは、気の端倪がここから発動することを明らかにするためであり、「位」をもって外卦の最上爻を命じて「上」と称したのは、形質がここに至って定まることを明らかにするためである。周公の作った爻辞が往々にして時・位を兼ねて言うのは、まさにこの故である。属性から言えば時は陰に属し位は陽に属し、時は虚で位は実である。由来から言えば時は「乾」の健動から出て、位は「坤」の静定から始まる。
時は乾より出で、位は坤より出ず
流行不息者時,乾道之動用也。故不可定之以位。鎮靜而有常者位,坤德之靜體也。故不可定之以時。卦爻剛柔,悉出乾坤。無一卦一爻無剛柔,則無一卦一爻無動靜,則無一卦一爻不具此時位者矣。然時出於乾,而陰爻亦得言之;位出於坤,而陽爻亦得言之者,此又乾坤相須之大用,不可偏廢者也。
流転して止まないのが「時」であり、それは乾道の動用なので、固定的な位置で限定することはできない。安静で常度あるのが「位」であり、それは坤徳の静体なので、流動する時間で限定することはできない。卦爻の剛柔はすべて乾坤より出る。どの卦どの爻も剛柔を含まないことはなく、動静を含まないこともなく、ゆえにどの卦どの爻も時と位を兼ね具えないことはない。ただ時は乾より出るが、陰爻も同じく時を論じられる。位は坤より出るが、陽爻も同じく位を論じられる。これはまさに乾坤が互いに依待する大きな作用で、どちらも偏廃できない。
言初而不言中末,言上而不言下中何也?曰:《易》為上古之書,文字初起,不能不簡而賅,使人便於傳習,而深致其思。後世文字既繁,遂連篇累牘而不止,反不若古人之簡而能賅其要也。如屯卦繼乾坤而居《序卦》之首,曰剛柔始交。剛柔者,乾坤也。交者,剛柔之互也。始者賅六十二卦之辭,聖人知六爻各一其時位,而又不能合一時位,乃賅以一字,即以初字著其時之理於下,而以上字著其位之理於上,各從其所重而定之云爾。
問うていわく、時は初・中・末に分かれるのになぜ「初」だけを言って中・末を言わず、位は上・中・下に分かれるのになぜ「上」だけを言って下・中を言わないのか。答えて曰く、《周易》は上古の典籍で、文字が起こったばかりの頃、簡約でありながら賅備せざるを得ず、人が伝習しやすく、かつそこから深く思索できるようにした。後世は文字が繁多で、動すれば篇を連ね牘を累ねて止まず、かえって古人の簡約で要領を賅するに及ばない。例えば《屯》卦は乾坤に続いて《序卦》の首に列し、《序卦伝》はそれを「剛柔始めて交わる」と言う。剛柔とは乾坤であり、「交」とは剛柔の交互であり、一つの「始」の字がその後の六十二卦の辞意をすべて賅括する。聖人は六爻がそれぞれ各々の時と位を持ち、またそれらを一つの時位に併せられないことを知り、一字をもって統括した。下において「初」の字をもって「時」の理を標出し、上において「上」の字をもって「位」の理を標出した。各々その偏る所に従って名を定めたにすぎない。
乾以始之,故舉其端而言初。坤以終之,故竟其委而言上。又使知卦既有初,則其為中為末舉可類推。既有上,則其為中為下舉可意想也。又使知上與初對,則上字原可以賅末。初與上對,則初字原可以賅下。皆簡而能賅,引端而無待竟委者也。《周易》卦爻,文字所不能賅者,而象無不可以賅之。象固不可限量也。
乾は始めを主るので、その端を挙げて「初」と言う。坤は終えを主るので、その委を竟えて「上」と言う。このように命名すれば人に、卦に「初」がある以上、中爻・末爻はこれを類推できること、「上」がある以上、中爻・下爻もこれより想見できることを知らせることができる。また「上」は「初」と対なので「上」の字はもともと「末」の意を包み、「初」は「上」と対なので「初」の字はもともと「下」の意を包むことを知らせる。これは皆簡約でありながら賅備し、一端を引くだけで首尾を尽くすを待たない。《周易》の卦爻は、文字で包挙できないものを、卦象は包挙できないことがない――象はもともと限量できないのである。
内卦は来と為り、外卦は往と為る
內卦為來,外卦為往。初則來之始,上則往之極也。用一初字,是欲人溯源於太極。用一上字,是欲人知極則必反也。有往則必有反,有來則必有初。如人從何處來,則必有最初發足之地,非僅向發足時考之也。是要窮到地頭,知其來自何處耳。
六爻のうち下三爻は内卦で「来」に属し、上三爻は外卦で「往」に属する。初爻は「来」の起点であり、上爻は「往」の尽頭である。「初」の一字を用いるのは、人に「太極」という源頭へ向かって遡らせるためであり、「上」の一字を用いるのは、人に事物が極に至れば必ず返ることを知らせるためである。往があれば必ず返があり、来があれば必ず初がある。人にどこから来たかを問えば、彼は必ず最初に起脚した所があり、ただ起脚した時刻を調べるだけではなく、到底まで追いかけて彼が果たしてどこから来たのかを知ることである。
緣爻象從來之處,非可易察。故孔子曰“其初難知”。若其既有所往,自無往而不反之理。今以一字說到極處,而必反之理即在其中。由其上之已無可加,則往到極處,已顯而易明。故孔子曰“其上易知”也。
爻象がどこから来るかは察しやすいものではないので、孔子は《繋辞下伝》で「其の初は知り難し」と言った。既に往く所があれば、往いて返らないという理はない。今「上」の一字で話を尽頭まで言えば、「極に至れば必ず返る」という理もその中に含まれる。「上」の上にはもう加えるべきものがないので、往が極に至ったことは顕豁に明らかである。だから孔子は「其の上は知り易し」と言ったのである。
何を以て之を命じて初と曰うか
今以上之一字例諸初,則初當曰下。以二三四五之序次例諸初,則初當曰一。乃不曰下不曰一而特命為初,此正聖人寓義之最精處。因《易》之卦爻,原本先天,在陰陽未判之先,渾然一太極耳。逮一畫開天,自無出有,乾元一亨,萬物之始,悉資於此。但形質未成之先,止有氣耳。氣機初萌,實托始於乾元,毓靈於太極。
「上」の字をもって最下の爻に比照すれば、それは「下」と呼ぶべきである。二・三・四・五の序数をもってそれに比照すれば、それは「一」と呼ぶべきである。ところが「下」とも「一」とも言わず、あえて「初」と命名したのは、これがまさに聖人の義理を寄託する最も精微な所である。《周易》の卦爻はもともと先天に本し、陰陽が未だ分判しない先には、混然として一つの「太極」があるのみだった。一画が天を開くに及んで、無の中から有が生じ、乾元が亨通して発動し、万物の始まりはすべてここに資った。ただ形質が未だ凝成しない先には、あるのは「気」だけである。気機が初めて萌動したとき、実は乾元に託始し、太極に毓霊したのである。
方斯時也,既無實質可指以定其位,非考之以時,曷由辨乎?顧時有三候而初則氣機之方萌,方從太極天心流衍而出,故特用一“初”字,以發明卦爻所從出源頭。而“來”字之義,亦即寓於“初”字之中。《彖》以內卦稱“來”,即從“初”字出也。凡物既有初,則此後豈有窮盡?故不言中末,是初之重於中末也。位既定於上,則下焉皆其所統。故不言下中,是上重於下中也。
まさにこの時、実質を指してその位を定めることはできない。「時」の上から考察しなければ、何によってそれを弁ずるか。時は三候に分かれるが、初爻はまさに気機が方に萌動し、太極天心から流衍して出たばかりの一刻である。だからあえて「初」の一字を用いて、卦爻の出る源頭を点明したのである。そして「来」の意味もまた「初」の字の中に寄せられている。《彖伝》が内卦を「来」と称するのは、この「初」の字から生じたものである。およそ物に初があれば、この後にどこか窮尽があろうか。だから中・末を言わず、「初」の方が中・末よりも重んじられるのである。位が「上」に定まっている以上、下の各爻は皆その統轄に帰するので、下・中を言わず、「上」の方が下・中よりも重んじられるのである。
八卦本於太極,而太極無象可求。故以兩儀初成之爻,命之曰初。為其有形可睹,自此一爻而始。故二三四五皆紀之以數。乃初之一爻,非數所能始,以有太極在其前也。巽以伏卦而取震象一陽未生之始,亦曰無初,是正有無分界之始,亦即此初字之義也。緣其分位,本屬兩儀,又不得上侵太極之一。論其成質,實居有形之最先,又不得連太極而序之。以下侵中爻之二,故以初命爻。使人探本窮源,由其能來之故。而追索於所以有初者,果何在耳?
八卦は太極に本するが、太極には求めるべき象がない。だから両儀が初めて成った一爻を「初」と命名した――有形で見えるものがまさにこの一爻から始まるからである。二・三・四・五は皆数をもって記すが、初爻だけは数で始めることができない。その前に太極があるからである。《巽》卦はその伏卦《震》から象を取り、一陽未だ生ぜざるの始を取るので、《巽・九五》に「初なし終あり」と言う。あれがまさに「有」と「無」の分界の起点であり、すなわちこの「初」の字の意味である。その分位から言えば、もともと両儀に属するので、上に向かって太極の「一」を侵すことはできない。その成質から言えば、実は有形の物の最先に居るので、太極に連なって序されることもできず、下に向かって中爻の「二」を侵すこともできない。だから「初」をもってこの爻を命じた。人に本を探り源を窮めさせ、それが「来」ることができる故から、さらに追索させる。それにこの「初」を有せしめる者は果たしてどこにあるのか。
何を以て之を命じて上と曰うか
以初爻之義例諸上,則上當曰末。以二三四五之序例諸上,則上當曰六。今不曰末不曰六而特命為上者,言乎其爻極於此止於此也。蓋立卦定於三爻,重卦止於六畫。伏羲畫卦至六爻,已成六十四象,足以備天下萬事萬物之理。六爻之外,無以復加。聖人即寄無以復加之義,於最後所成之一爻,而命之為上,言此外已無可上也。
初爻の取義をもって最上の爻に比照すれば、それは「末」と呼ぶべきである――「初」は時間の開端を指すので、それと対するのは時間の終結である。二・三・四・五の序数をもってそれに比照すれば、それは「六」と呼ぶべきである。今「末」とも「六」とも言わず、あえて「上」と命名したのは、この爻がここに極まりここに止まるということである。単卦は三爻に定まり、重卦は六画に止まる。伏羲が卦を画いて六爻に至れば、すでに六十四の卦象が成り、天下万事万物の理を賅備するに足り、六爻の外に加えるべきものはない。聖人は「もう加えられない」という意を最後に成った一爻に寄託し、「上」と名づけた。これ以外にもう上がるべき地位がないということである。
二三四五紀之以數,而上獨非數者,以數之所衍,原無終窮之時。即上之一位,亦非數之所能極也。然以九二六二之類比之,而初之九六,何獨在下?蓋因乾元之亨,先氣後形;而氣之將至,則無形可執。今觀揲蓍求卦之時,分二掛一,揲四歸奇,明知此爻之形體,必將有成,則是此爻已有其初矣。
二・三・四・五は数をもって記すのに、「上」だけは数を用いないのは、数の推衍にはもともと終窮の時がなく、「上」の一位もまた数の極められる所ではないからである。しかし「九二」「六二」の類に比照して見ると、初爻がなぜ「初九」「初六」で、九・六を後に置くのか。これは乾元の亨通発動が先に気あり後に形あるので、気が至らんとして未だ至らぬ際には把捉すべき形体がないからである。試しに揲蓍して卦を求める時を見れば、蓍草を二つに分け一本を掛け、四本ずつ数えて余りを指の間に帰す。この時すでにこの爻の形体が必ず成ることを明らかに知る。つまりこの爻はすでにその「初」を有しているのである。
然氣至而形未著,則陰陽之體猶未可定,故不能定之以位,而但可考之以時,而稱之為初。必待三變既足,察其數之多少,有陰陽老少之可辨,乃始有九六之可稱矣。譬若妊娠將娩,當胞胎乍轉,業已知其生之初矣。然分別男女,必待既生以後,審其形體而後能定。是時之可征者在先,而形之可觀者在後。故九六在初字之下也。
しかし気は至ったが形がまだ著われていなければ、陰陽の体は依然として定まらない。だから「位」で確定することはできず、「時」の上から考察するのみで、それを「初」と称する。必ず三変が充足するのを待ち、得た数の多寡を察し、陽の老少・陰の老少を弁別してから、初めて「九」「六」と称することができる。これはちょうど婦人が分娩に臨み、胎児が動き始めれば、すでにその生の初めを知ったようなものである。男女を分かつのは、生まれた後に形体を審査してからでなければ定まらない。検証できる「時」が先にあり、観察できる「形」が後にある。だから「九」「六」の二字は「初」の字の下に置かれるのである。
二三四五は何を以て数を以て紀るか
二三四五別之以數,不與初上同類,何也?曰:聖人立卦之法,取象於天地之化育。上爻覆之於上,天也。初爻承之於下,地也。其中所有,則資始資生之化,所稱為萬物者也。萬物成形之後,其類實繁。非紀以數,曷由辨之?曰初上何獨不記之以數也?曰:初在理氣相接之始,非數之所能始也。上爻極盡而反,貞下又復起元,豈有終窮之數?故亦不以數紀也。
問うていわく、二・三・四・五は数で区別し、「初」「上」と同類でないのはなぜか。答えて曰く、聖人の卦を立てる法は、天地の化育万物に象を取ったものである。上爻は最上に覆う、あれは天である。初爻は最下に承える、あれは地である。その中間に挟まるのは、天の資始し地の資生する造化であり、いわゆる万物である。万物が形を成した後は種類がきわめて繁多で、数をもって記さなければ何によってそれらを弁ずるか。問うていわく、初・上の二爻はなぜ数で記さないのか。答えて曰く、初爻は理と気が方に交接する開端にあって、数の始められる所ではない。上爻は尽頭に至って返る時で、一段が終わればまた元から始まる、いわゆる貞下元起であり、どこに終窮の数があろうか。だからこれも数で記さないのである。
九六の居る上下
初上二爻,九六在下;二三四五,九六在上。何也?曰:卦之初爻既成,陰陽兩象,確有定體。然後審定陰陽所至之分數,如陰陽到二分,便以為九六之二;到三分,便以為九六之三。若嬰孩既生,業已男女可辨,然後可以數紀其長幼之次序。故二三四五在九六之下也。
初・上の二爻では「九」「六」が爻名の後に書かれて「初九」「上六」となり、二・三・四・五の四爻では「九」「六」が前に書かれて「九二」「六五」となる。これはなぜか。答えて曰く、一卦の初爻がすでに成って陰陽両象に定体があってから、初めて陰陽が第何分まで推進したかを審定する。第二分まで推せば「九二」「六二」と呼び、第三分まで推せば「九三」「六三」と呼ぶ。ちょうど嬰児がすでに生まれて男女が弁別できてから、初めて数で長幼の次序を排定できるようなものである。だから「二」「三」「四」「五」の数字は「九」「六」の後に排されるのである。
卦至上爻,九六又復在下。何也?曰:上為窮極將返之時,其上更無可加。是上之一位,即此卦之大終大止,其位得而主之。陰陽至此,皆不能以自主。泰之復隍,否之傾否,剝之剝廬,皆謂其極則必反。故九六字在下也。
卦が上爻に至ると、「九」「六」の二字はまた後に戻って「上九」「上六」となる。これはなぜか。答えて曰く、上爻は窮極して返らんとする時に当たり、その上にはもう添えるべきものがない。だから「上」の一位は全卦の大終大止であり、「位」が主となる。陰陽はここに至ってはみな自ら主張できない。《泰》卦の上六に「城隍に復る」、《否》卦の上九に「否を傾く」、《剥》卦の上九に「廬を剥ぐ」とあるのは、皆極に至れば必ず返ることを言う。だから「九」「六」の二字は「上」の字の後に排されるのである。
内三爻は皆来を言い、外三爻は皆往を言う
既以初為來處,則來之義只可言於初。既以上為往時,則時之義只可言於上。乃內三爻均言來,外三爻均言往。何也?曰聖人以三畫成卦,則此三爻雖陰陽上下不同,莫不同具此一卦之性情,又不可執定實有此等三畫之象,確然植立於此而不可易也。
「初」を来る所と定めた以上、「来」の意義は初爻にのみ言うべきである。「上」を往の至る時と定めた以上、この「時」の意義は上爻にのみ言うべきである。ところが《彖伝》は「来」を言うに内三爻を皆来と数え、「往」を言うに外三爻を皆往と数える。これはなぜか。答えて曰く、聖人が三画をもって一卦を成す以上、この三爻は陰陽上下は異なっても、皆この一卦の性情を共に具えている。同時にまた、本当にこのような三画がそこに横たわり確然として立って移せないと固執してもならない。
只是聖人假此著數,以探討太極陰陽將形未形之氣機,不能無太少動靜之別,而因畫出奇偶以擬議陰陽相變之分數。其內外上下多寡,純雜有如是耳。氣機無截然可分之候,故三畫只宜作一卦看。氣機亦非形體之可似,故亦不必以連斷之形體拘也。重卦雖分內外,不過體用兩端而已。今既同為內卦,則皆可自初而言來;同為外卦,則皆可因上而言往矣。
聖人は蓍草の数を借りて憑り所とし、太極陰陽が形を成さんとして未だ成さざる時の気機を探討するにすぎない。この気機には太陽・少陽・太陰・少陰と動静の区別がなければならず、そこで奇画・偶画を画いて、陰陽相互転変の分数を拟議するのに借りた。いわゆる内外・上下・多寡・純雑とは、こういうことにすぎない。気機には截然と分かれる境目がないので、三画は一つの卦として見るべきである。気機はまた形体のように拟すべき形がないので、連画・断画の形体に拘る必要もない。重卦は内外に分かれるが、所詮「体」と「用」の両端にすぎない。今既に同じく内卦ならば、皆「初」から言って「来」とできる。同じく外卦ならば、皆「上」によりて「往」と言うことができる。
位の中に時あり、時の中に位あり
初爻考之以時,然欲追尋來處,則又宜在位上考究。上爻定之以位,然欲人知為窮極將反,則又宜在時上著意。即此時位兩字,所謂有位中之時,有時中之位。參伍錯綜,維精維妙維肖。神而明之,更非言語可盡矣。
初爻は「時」の上から考察するが、その来る所を追尋しようとすれば、また「位」の上で考究すべきである。上爻は「位」をもって確定するが、人にそれが窮極して返らんとすることを知らせようとすれば、また「時」の上で着意すべきである。まさにこの時・位の二字に、いわゆる位中の時・時中の位の区別があり、交互に参錯して、このうえなく精微、このうえなく巧妙、このうえなく貼切である。心に神会して自在に运用できるに至っては、いっそう言語の尽くせるところではない。
《易》を読む方法
或問:讀《易》之方法如何?曰:必先讀經。或曰:經文奧衍,初學者不能驟解,必先得明白解釋之注本,而後經始可讀。現所通行之讀本,大都為朱子《本義鄉。而《本義》之解釋既略,且多以不解解之。往往曰“其象如此其占如此”,而究其何以如此,仍不得而知。初學讀之,不但茫無頭緒,且如其解以解經文,亦味同嚼蠟。雖極好學者,讀不終卷,已昏倦欲睡,則經又烏能讀乎?
ある人が問うた。《周易》を読むにはどんな方法を用いるべきか。答えて曰く、必ずまず経文そのものを読むべきである。相手は言った。経文は奥深く繁衍で、初学者はすぐには読み解けない。まず明瞭に解釈した注本を得てから、初めて経が読める。現に通行している読本は大抵朱子の《周易本義》だが、《本義》の解釈は簡略にすぎ、そのうえ多くは「解釈しない」ことをもって解釈としている。往々にして「其の象はかくのごとく、其の占はかくのごとし」と言うだけで、なぜかくのごとくなのかは、読者は依然として知る由もない。初学者がこれを読めば、茫漠として端緒がないだけでなく、その解に従って経文を解しても蠟を嚼むがごとき味しかない。たとえ極めて学を好む者でも、一巻を読み終えないうちにすでに昏々として眠くなり、それでは経がどうして読めようか。
曰:不讀經而看注無益也。不熟讀經而看注,亦仍無益也。讀經之方法,宜先讀最後之《說卦傳》,次讀上、下《繫傳》,然後讀上、下《經》,則於卦位、爻位、象義及彖、象、爻之材德,已略有頭緒。以讀經文,自可領會。必逐卦讀之極熟,認之極清,任舉一爻,而各爻之文相類而相似者,俱可列數;任舉一卦,而反正上下變互諸卦,俱可意會。更有未喻者,然後求之諸家之註釋,方能擇善而從,確獲其益也。
答えて曰く、経を読まずに注だけを見ても益はない。経を熟読せずに注を見ても、やはり益はない。経を読む次第は、まず最後に置かれた《説卦伝》を読み、次に《繋辞》上・下伝を読み、それから上経・下経を読む。こうすれば卦位・爻位・取象の義例、および彖辞・象辞・爻辞の示す材徳について、おおよその端緒がつき、それをもって経文を読めば自ずと領会できる。必ず卦ごとに極めて熟して極めて明らかに読み、任意に一爻を挙げても、それと相類相似の各爻の文句をすべて列挙でき、任意に一卦を挙げても、その反卦・正卦・上下相易の卦と互体の卦をすべて了然と意会できるようにする。この段階に至ってなお明らかでない所があれば、初めて各家の注釈に求め、こそ初めて善を択んで従い、確かにその益を得ることができるのである。
曰:諸家之註釋,浩如煙海,宜先閱何種為最善?曰:《易》有四道,辭變象占。尚辭者莫備於《程傳》,深有得於潔淨精微之旨。然其所短者,往往離象數以言理,而有時不免於鑿空。是宜參以紀慎齋之《易問》及《觀易外編》(紀氏名大奎,臨川人,有《雙桂堂叢書》。以性理說《易》而不離於象數,能會漢宋兩派之說而擷其精,乃近人《易》說之最善者也。),庶可以補其闕失矣。
また問うた。各家の注釈は浩煙海のごとく、まずどれを読むのが最もよいか。答えて曰く、《繋辞伝》が言うように《易》には四つの門径がある――辞・変・象・占である。「尚辞」の一路では程頤の《伊川易伝》ほど完備したものはなく、《易》教の「洁静精微」の旨を深く得ている。その短所は往々にして象数を措いて義理だけを言い、時には鑿空に立説するを免れないことである。これには紀慎斎の《易問》と《観易外編》を参看すべきである(紀氏は大奎と名乗り、江西臨川の人で、《双桂堂叢書》を著した。性理をもって《易》を説きながら象数を離れず、漢学・宋学両派の説を会通してその精を摂ることができ、近人の《易》説の中で最も善い一家である)。こうして初めて《程伝》の缺失を補うことができる。
至於象數,宜從漢學。但兩漢《易》說之存於今者,幾無一完本。《李氏集解》雖蒐羅宏富,然東鱗西爪,初學每苦其不能貫串。則宜先閱瞿塘來知德氏《集註》,其於象也較詳,且處處為初學說法,反覆周詳,惟恐讀者不能瞭解。與貌為艱深,故意令人無從索解者,殊有上下床之別。
象数の一路に至っては、漢学に依るべきである。しかし両漢の《易》説で今日に伝わるものは、ほとんど完本がない。唐人李鼎祚の《周易集解》は捜羅こそ宏富だが、東鱗西爪で、初学者はしばしばそれを貫串できないことに苦しむ。そこでまず四川瞿塘の来知德の《周易集注》を読むべきである。それは象について比較的詳しく、しかも至る所で初学者のために説法し、繰り返し丁寧に説いて読者が了解できないことを恐れている。わざと艱深を装い、故意に人に索解の途を与えない書とは、上下牀の別がある。
惟來氏僻處巫峽,僅憑自力之研求,於古人之著述,未得遍覽,故其問有自以為創解者,實早為昔人所已言。如用九用六之類,不勝枚舉。而其錯綜之說,尤為後人所攻擊。蓋儒流積習,凡講學者,或漢或宋,必標明一種旗幟,而附他人門戶之下,而後其學說始克成立。雖亦不免一方之攻擊,而必能得一方之擁護。來氏之學,非漢非宋,故受兩方之攻擊,幾體無完膚矣。
ただ来知德は巫峡の辺地に僻居し、もっぱら独力で研鑽したので、古人の著述を遍く閲することができなかった。だから書中に自分では新しい解だと思っている説でも、実は前人がとっくに言っていたものがある。「用九」「用六」の類など、例は挙げきれない。そして彼の言う「錯」「綜」の説は、特に後人の攻撃するところとなった。もともと儒者に相沿の積習があって、およそ学を講ずる者は、漢に帰すか宋に帰すか、必ず一面の旗幟を標明して他人の門戸に依附してからでなければ、その学説は成立しなかった。こうすれば一方からの攻撃は免れなくても、必ず他方の擁護を得られた。来氏の学は漢でも宋でもなかったので、両方からいっせいに攻撃され、ほとんど完膚なきまでに駁されたのである。
然來氏於象,亦僅得十之五六,而於數尤未能辨晰。蓋數雖原本於河洛,但《易》有體數,有用數,有五行數(即納音數),有納甲數,各有不同。來氏不辨於此,故遇言數之卦,開口便錯,是則其所短矣。
しかし来氏の象についての解明も十分の五六を得たにすぎず、数についてはいっそう辨析が明らかでなかった。数は《河図》《洛書》に本原するが、《易》には体数・用数・五行数(すなわち納音数)・納甲数があり、それぞれ異なる。来氏はこの点を弁えていなかったので、数を言う卦に出会うと口を開くなり間違いを犯した。これがまさに彼の短所である。
曰:《易》注之言數者,宜閱何書?曰:《易》之言數,皆根於孔子《繫傳》之天一地二至天九地十。河洛實數之淵源,雖漢學家盡力辨駁,而數理實有其徵驗,非空言所可掩也。朱子《啟蒙》演繹頗詳,宋人丁易東氏之《數衍》,及近人江慎修氏之《河洛精蘊》,更推闡盡致。餘如宋末朱元昇氏之《三易備遺》,於五行數尤有獨到之處。
また問うた。数を言う《易》注はどの書を読むべきか。答えて曰く、《易》が数を言うのは、皆孔子の《繋辞伝》の「天一地二」から「天九地十」に至る一段に根ざしている――奇数の一・三・五・七・九は天に属し、偶数の二・四・六・八・十は地に属する。《河図》《洛書》は実にこれらの数の淵源で、漢学家はこれらが後人の偽託と極力弁駁したが、数理には確かに応験の徴があり、空言の議論で掩えるものではない。朱子の《易学啓蒙》は演繹がかなり詳しく、宋人丁易東の《数衍》と近人江慎修の《河洛精蘊》は、推闡がさらに尽くされている。そのほか宋末の朱元昇の《三易備遺》のごときは、五行数において特に独得の所がある。
至邵子《皇極》先天數,雖自成一家(邵子專以一二三四五六七八分陰陽剛柔之太少,乾兌離震但為一二三四之代名詞耳。惟先天圓方二圖於陰陽消長推衍精詳,妙合天然,是於六日七分之外又另闢蹊徑。然以之入用,仍取京圖。),然於卦義發明實多。朱子《啟蒙》,採用其說十之八九,自為言象數者不可不讀之書也。揚子《太玄》,演數甚精,足與《易》道相證。學者果有餘暇,不妨涉獵及之,以廣理趣。若溫公之《潛虛》,更不逮《太玄》遠矣。
邵康節《皇極経世》の先天数に至っては、自ら一家を成しているが(邵子は専ら一・二・三・四・五・六・七・八をもって陰陽剛柔の太少を分け、乾・兌・離・震は一・二・三・四の代名詞にすぎない。ただ先天の円図・方図は陰陽消長の推衍が精詳で、天然に妙合し、これは「六日七分」の外に別に蹊畷を開いたものである。ただし実際に用いるにはやはり京房の卦気図を取る)、卦義の発明は実に多い。朱子の《易学啓蒙》はその説を十の八九採用しており、もともと象数を言う者が読まざるを得ない書である。漢代の揚雄の《太玄》は数理の推演が精緻で、《易》道と互いに証するに足る。学者がもし余暇あれば、あえて渉猟して理趣を広めるのもよい。司馬温公の《潜虚》に至っては、《太玄》に遠く及ばない。
