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周易杭氏学 · 第2巻

清 · 杭辛斋 · 第2巻 / 23

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

劉牧以九為河圖,十為洛書,託言出於希夷。既與諸儒舊說不合,其易置圖書,並無明驗。其實天地之理,一而已矣。伏羲作《易》,不必預見洛書,而已逆與之合。大禹作《範》,不必追考河圖,而已暗與之符。誠以此理之外無他理故也。

劉牧は却って九数を河図・十数を洛書とし、仮託してこれは陳摶に出ると言う。これはすでに諸儒の旧説と合せず、彼の図書を掉換する做法もまた明確なる験証を挙げるに能わず。実は天地の理はただ一つあるのみ。伏羲は《易》を作るに、必ずしも事先に洛書を見ずして自然に洛書と暗合し、大禹は《洪範》を作るに、必ずしも回頭して河図を考察せずして自然に河図と相符す。これはこの理の外に再び別の理無きを以てである。

律呂有五聲十二律,而其相乘之數,究於六十。日有十干十二支,而其相乘之數,亦究於六十。二者皆起於《易》之後,其起數又各不同(按:聲律干支皆始於黃帝,其度數皆出於八卦。《周易》之《象》、《彖》、《爻》詞,根據於聲律干支者正多。故謂二者起於伏羲畫卦之後可也,謂起易後不可也。今之易周文王之易也。)。

音律には五声十二律有りて、両者相乗して究竟の数は六十となる。日辰には十天干十二地支有りて、両者相配して究竟の数もまた六十となる。この両套のものは皆《易》の後に產生したるも、各々数を起こす路徑はまた相同じからず(杭氏按:声律と干支とは皆黄帝に始まり、それらの度数は皆八卦より出ず。《周易》の《象伝》《彖伝》および爻辞は、声律・干支に依拠して説を立つる処正に多し。ゆえにこの両者が伏羲の画卦の後に起こると言うは可なり、それらが《易》の後に起こると言うは不可なり。今日の言う《易》は、周文王の《易》なり)。

然與《易》之陰陽策數多少自相配合皆為六十者,無不若合符契也。下至《運氣》、《參同》、《太一》之屬,雖不足道,(《運氣》、《參同》、《太乙》與《遁甲》、《六壬》皆出於易,皆說易之最精者。不明此而讀《彖》、《象》,爻詞不可解者多矣。舊儒皆以經學自大,以術數為小道,宜易道之終不能明也。蔡氏之說不免囿於積習,學者更不可囿其說以自域也。)然亦無不相通,蓋自然之理也。

しかしそれらは《易》の中の陰陽策数の多寡と互いに配合し、皆六十に帰結して、符契のごとく吻合せざる処なし。下って《運気》《参同契》《太一》の類のごときは、蔡氏は取り上げるに足らずとしたが(杭氏按:《運気》《参同契》《太乙》と《遁甲》《六壬》とは皆《易》より出で、しかも《易》を説くに最も精なる数家である。これらを明らめずして《彖伝》《象伝》を読めば、爻辞の講じ通らざる処多からん。旧日の儒者は皆経学をもって自ら大とし、術数を小道と見なした。易道が終に講明しえざりしも無怪なり。蔡元定のこの説は積習に拘限せられたるを免れず、学者はなおさら彼の説に框はめられて自ら限りを設くべからず)、実もまた互いに相通ぜざるなく、これ自然の理なり。

彭申甫曰:河圖,聖人嘆其不出而已。重典藏於柱下,史府固未嘗亡,適周蓋得見之。河洛之書,漢時猶存。《後漢書》:“楊厚字仲桓,廣漢新都人。臨命戒子統曰:吾娣表中有先祖所傳秘記。統感父遺言,從犍為周循學習先法,又就同郡鄭伯山受河洛書,及天文推步之術。”鄭氏所云九篇六篇,今皆無傳。

彭申甫が言うには、河図については孔子はただそれが再び現れないことを慨叹したにすぎない。この類の重要典籍は柱下史に収蔵されており、史館はもともと亡失しなかったので、孔子が周に適いて礼を問うた時におそらく見たのであろう。河図洛書の類の書は、漢代にまだ存在していた。《後漢書》に記す:楊厚は字を仲桓といい、広漢・新都の人で、臨終に子の楊統に誡めて曰く、我が妹の匣の中に先祖の伝えた秘記ありと。楊統は父の遺言を感念し、犍為の人周循に従って先人の法を学び、また同郡の鄭伯山に就いて河洛の書および天文推歩の術を受け読んだ。鄭玄の言う河図九篇・洛書六篇に至っては、今日では皆すでに失伝している。

大抵如緯書所傳,真偽參錯。《尚書·中候》曰:“帝堯即政七十載,修壇河洛,仲月辛日禮備至於日稷(按:稷、昃古通用字。豐“日盈則昃”,亦作稷。),榮光出河,龍馬銜甲,赤字綠色,臨壇吐圖。”顧野王玉符瑞圖,虞舜時洛水出黃龍,舜與三公臨觀,黃龍五采,負圖出舜前,頌聖瑞者,固多侈陳。

大体に言えば、緯書の伝えたごときものは、真偽が混雑している。《尚書・中候》に曰く、帝堯が政を執ること七十年、河洛の濱に祭壇を築き、仲月の辛の日に礼儀を備えて、日頭の西に斜むを待つと(杭氏按:「稷」と「昃」は古く通用し、《豊》卦の「日盈たれば則ち昃(かたむ)く」もまた稷と作る)、榮光が河の中より起こり、竜馬が甲書を口に銜み、赤色の字・緑色の地で、壇に臨んで図を吐き出すのを見たと。顧野王《玉符瑞図》にまた曰く、虞舜の時に洛水より黄竜が出で、舜と三公とが臨んで親しく観た。黄竜は五彩で、図を負いて舜の面前に現れたと。この類の聖瑞を歌頌する説は、もとより鋪張多し。

然天生神物,不容終秘。洛書文得箕子演之,未聞有圖。河圖有數無文,得夫子繫《易》明著之,蓋有圖而亡於周末矣。歷千五百餘年,邵子因數演圖,因圖立說。雖云得之於陳希夷,實則河圖方位,本之《參同契》。洛書方位,本之《太一·九宮》。點畫陰陽,即揚子《太玄經》,及《漢書·五行志》而神悟變化,自符乎奇偶生成之體用,故朱子宗之,以冠全經。雖疑者猶多,終不可掩也。

しかし上天の生じた神物は、永く蔵れて露われずはいられない。洛書の文字は、箕子がかつてこれに拠って《洪範》を推演し成したが、図あるを聞かず。河図は数あって文字なく、孔子が《繋辞》を作して初めてそれを明白に標出した。これを見ればもとより図が有りて、周朝の末年に亡佚したのである。一千五百余年を経て、邵雍が数に依って図を推演し、また図に依って学説を建立した。陳摶より得たとは言うも、実は河図の方位は《参同契》に本づき、洛書の方位は《太一・九宮》に本づき、黒白点画の分陰分陽は揚雄《太玄経》と《漢書・五行志》に本づく。彼はその中より神悟して変化の理を出し、自然に奇偶生成の体と用に合した。ゆえに朱熹はこれを尊奉して全経の首に冠した。疑う者はなお多いが、終に掩蓋しうべからざるなり。

万氏の河図

萬氏彈峰《易拇·更正河圖洛書說》曰:“河圖洛書,邵子朱子闡發無餘蘊矣。但後人所傳,不無少差。如舊河圖一六居北,二七居南,三八居東,四九居西,五十居中,其點皆平鋪無兩折者,而十在中間分二五對置,便失其旨。

万年淳(弾峰)《易拇・更正河図洛書説》に曰く、河図洛書の道理は、邵雍・朱熹がすでに闡発して余藴なきに至ったが、ただ後人の伝えた図式は、些かの小差錯を免れない。たとえば旧伝の河図は、一六は北に居り二七は南に居り三八は東に居り四九は西に居り五十は中に居り、各所の点はもとより皆平鋪に排列して両行に折らざるに、ただ中間の十のみが、拆かれて二つの五となり上下に対置せられた。これ即ち本旨を失えるなりと。

蓋河圖外方而內圓,一三七九為一方,其數二十也。二四六八為一方,其數亦二十也。中十五共五十五數,中十點作十方圓布,包五數在內。此外方內圓而五數方布在中者,中一圈,即太極圓形。外四圈分佈四方,為方形。十包五在內,仍然圓中藏方,方中藏圓;陰中有陽,陽中有陰之妙也。而十五居中,即洛書縱橫皆十五之數,是又河圖包裹洛書之象。

もともと河図は外方にして内円である。一・三・七・九は合わせて一組を為しその数は二十、二・四・六・八は合わせて一組を為しその数もまた二十、さらに中間の十と五とを加えて、共に五十五数を成す。中間のあの十個の点は十方円形に布列して、五数をその内に包むべきである。これがすなわち所謂外方内円にして五数は中に方布するである。中間の一圈は即ち太極の円形で、外の四圈は四方に分布して方形を構成する。十が五をその内に包むは、依然として円中に方を蔵し方中に円を蔵し、陰中に陽有り陽中に陰有るの妙処である。そして十と五とが合して十五を成して中央に居るは、正に洛書の縦横相加して皆十五を得るあの数で、これはまた河図が洛書を包裹するの象である。

河圖點皆平鋪無兩折,洛書亦然。舊洛書圖,二四六八皆兩折。不知河洛本二四六八,亦宜平鋪。洛書外圓而內方,圓者黑白共四十數。圓佈於其外,一三七九為一方,二四六八為一方,仍然河圖本體。此又圓中藏方,洛書包裹河圖之象,而中五又有方中藏圖之妙。

河図の点は皆平鋪して両行に折らざるが、洛書もまたしかくあるべし。旧伝の洛書図は、二・四・六・八を皆両行に折る。知らずや、河図洛書が本有する二四六八も、同じく平鋪すべきことを。洛書は外円にして内方である。外囲の黒白合わせて四十数を、円形を作して外層に布く。その中に一・三・七・九は合わせて一組を為し、二・四・六・八は合わせて一組を為すは、依然として河図の本体である。これはまた円中に方を蔵し、洛書が河図を包裹するの象で、而して中間の五はまた方中に円を蔵するの妙処有り。

河圖已具洛書之體,洛書實有運用河圖之妙,因將圖書奇偶方圓交互表之以圖。漢劉氏云河圖洛書相為經緯,八卦九章相為表裡,此語自有傳授,非漢儒所能言也。”(二四六八當曰四二八六,萬氏亦未知陰數逆用之序也。)

河図は本身すでに洛書の体を具え、洛書は実に河図を運用するの妙用を含む。ゆえに万氏は両図の奇偶・方円を交互に表現して一幅の図と為した。漢代の劉歆は河図洛書は互いに経緯を為し八卦九章は互いに表裏を為すと言ったが、この言は自ら師承の来歴有りて、一般の漢儒の言い出しうる所に非ず。(杭氏按:万氏の言う「二四六八」は「四二八六」と言うべきなり。これを見れば彼もまたなお陰数逆用の次序を知らざりしなり。)

萬氏之圖,較僅改形式而無意義者(如以河圖為旋毛形,洛書作龜坼形者是也。),自高一籌。然兩數之體用分合,固極明晰。不必改作,意自可見。惟初學得此,未始不可為觸目會心之一助,故特錄之。

万氏のこの図は、ただ形式を改めて毫も意義なき改動(たとえば河図を旋毛形に画き、洛書を亀甲裂紋形に画くの類)を為すものに比すれば、自然に一籌を高うす。ただし両套の数は体用・分合の上にもとよりすでに十分明白で、実は改作する必要なく、意思もまた自然に見うべし。ただ初学の人がこの図を得れば、未だ嘗て触目して会心するの一助に非ざらん。ゆえにわざとこれをここに録す。

至兩圖之加減除乘,及進退變化之妙,除朱子《易學啟蒙》,邵子《皇極經世》外,有蔡西山之《經世節要》,張行成之《經世演義》、《易通變》,丁翼東之《衍翼》,胡滄曉之《周易函書》,江慎修之《河洛精蘊》,張楚鍾之《易圖管見》。推衍至詳,千變萬化,未能悉錄。

両図の数の加減・乗除および進退変化の妙処に至っては、朱熹《易学啓蒙》・邵雍《皇極経世》の外に、なお蔡元定(西山)の《経世節要》、張行成の《経世演義》《易通変》、丁易東(翼東)の《衍翼》、胡煦(滄暁)の《周易函書》、江永(慎修)の《河洛精藴》、張楚鍾の《易図管見》有り。これらの書は推衍すること極めて詳尽で、千変万化、ここに一々収録する能わず。

有以圖書配八卦者,多拘執牽滯,不能悉當。其實河圖為體,洛書為用。河圖即先天,洛書為後天。河圖為體而體中有用,洛書為用而用中有體。此即萬氏圖,中分圓分方,方含圓,圓又含方之意也。歷代數理、曆象、推步、占驗、醫學、風鑑諸家,均以洛書為用,其義悉本於易。前人罕有言者,茲特扼要略述如左。

ある人は河図洛書をもって八卦に配するも、多くは拘執・牽強して、処処妥帖なるを得ず。実は河図は体であり、洛書は用である。河図は即ち先天、洛書は即ち後天である。河図は体を為して体中に用を含み、洛書は用を為して用中に体を含む。これ正に万氏図のうち円を分かち方を分かち、方は円を含み円はまた方を含むの意である。歴代に数理・暦象・推歩・占験・医学および相術風鑑を講ずる各家は、皆洛書をもって用と為し、その義理は《易》に本づかざるなし。河図は生成の数を布いて以て体を立て、洛書は九宮の数を布いて以て用を起こす。一静一动、一つも欠くべからず。この一層は前人まれに言い及ぶ所なれば、ゆえにここにわざと扼要して叙述するに左のごとし。

洛書與河圖相異,驟視之似一六與三八未易,而二七四九乃互易其方者,實則惟一三五不動。一三五者,天陽之生數,不可動者也。《周易》乾用九,九即一三五之積數也。故易道扶陽而抑陰,非陽之有待於扶,而陰必於抑也。天地陰陽之數,理本如是。論其體,陽生於陰。言其用,則陰統於陽。

洛書は河図と同じからず、乍(たちま)ち看れば一と六・三と八の両組は変動なく、ただ二七と四九とが方位を互換したのみのごとし。其の実、真に動かざるはただ一・三・五のみ。一・三・五は天陽の生数にして、移動すべからず。《周易》乾卦の「用九」、この九は正に一・三・五相加の積なり。ゆえに易道は陽を扶けて陰を抑う――陽が真に人の扶けを須(もち)い、陰が真に人に抑えらるべきに非ず。天地陰陽の数の道理もとよりかくのごとし。体に就いて言えば、陽は陰の中より生じ出ず。用に就いて言えば、陰は陽に帰して統攝せらるるを要す。

如河圖之六合一為七,七陽也。二合七為九,九陽也。三合八為十一,一陽也。四合九為十三,三陽也。五合十為十五,五陽也。總數五十有五,亦陽也。洛書之對位,則皆陰也。一九合十,三七合十,二八合十,四六合十,總數四十,皆陰數也。而御之以中五,則縱橫上下交錯無不為十五,總數四十有五,皆陽數矣。

試みに河図を看よ。六と一と相合して七を得、七は陽数なり。二と七と相合して九を得、九は陽数なり。三と八と相合して十一を得、個位に落ちて依然として一、陽に属す。四と九と相合して十三を得、個位に落ちて三、陽に属す。五と十と相合して十五を得、個位に落ちて五、陽に属す。総数五十五もまた陽数なり。さらに洛書の対位相加を看るに、一と九と合して十、三と七と合して十、二と八と合して十、四と六と合して十、総数四十、全く陰数なり。しかるに一旦中間の五をもってそれを統御すれば、縦・横・上下交錯して相加すれば成らざるなく十五を為し、総数四十五、便ち全く変じて陽数と為る。

(此為以陽統陰,君子道長,小人道消,《周易》之大義也。觀天地生成之數,天數二十有五而地數三十,陽少陰多,故古今來恆苦治世少而亂世多。君子少而小人多。聖人參天兩地,建中立極,以五御十,化陰為陽,而以洛書四十五數為用。則天數二十有五,地數二十,陽多陰少,十數不見而潛藏於兩數相合之中。是小人皆化為君子,撥亂反正成燮理陰陽之功,其樞機悉在中。五與十五能御十,則君子道長。五不能御十,則君子道消。五十者,中孚也。故孔子“五十學易,可以無大過”。詳見《學易筆談》。)

(これ即ち陽をもって陰を統べ、君子の道長じて小人の道消ゆるは、《周易》の大義なり。天地生成の数を看るに、天数二十五にして地数三十、陽少なく陰多し。ゆえに古往今来、常に治世少なく乱世多く、君子少なく小人多きに苦しむ。聖人は天を参じ地を両にし――天数三・地数二を取り――中を建て極を立て、五をもって十を駕御し、陰を化して陽と為し、而して洛書四十五数をもって用と為す。かくすれば天数は依然として二十五、地数はただ二十を残すのみ、成りて陽多く陰少なし。あの十は再び単独に露面せず、而して両数の相合の中に潜蔵す。これ小人を化して皆君子と為すに等しく、乱を撥き正に反り、燮理陰陽の功を成すは、枢機全く一「中」の字の上に在り。五と十五と能く十を駕御すれば君子の道増長し、五が十を駕御する能わざれば君子の道消退す。五と十と合すればすなわち「中孚」なり。意は五が中に居りて能く十に孚合するを謂う。ゆえに孔子は「五十をもって易を学ばば、以て大過なからん」と曰いたり。詳しくは作者の《学易筆談》を見よ。)

洛書之位,一居於北,與河圖同。此為萬數之本,不可動搖,《乾·文言》曰“確乎其不可拔”者此也。由北而東北,而東,而東南,本一二三四之數也。由西北,而西,而西南,而南,本六七八九之數也。古聖於此,但將二八兩數互易其位,遂成今日洛書之數。天地造化之機,陰陽變化之妙,悉在於此。略圖如下。

洛書の方位は、一は北方に居り、河図と相同じ。これ万数の根本にして、動揺すべからず。《乾・文言》の言う「確乎として抜くべからざるなり」は正にこの一点を指す。北より東北・東・南東に至るは、もとより順に一・二・三・四。西北より西・西南・南に至るは、もとより順に六・七・八・九。古代の聖人はこの底子の上に、ただ二と八の両数を互換して位置を易えたのみで、すなわち今日見る洛書と為れり。東北は二より変じて八と為り、西南は八より変じて二と為り、恰も九を戴き一を履み、二四を肩と為し六八を足と為すの形制に合す。天地造化の機括・陰陽変化の奥妙、全くこの一換の中に在り。略図下のごとし。

此二八兩數,其位之相易,尚易見也,前人亦有言之者。而暗中實為五十之變化,則未易知之,前人亦從無發明者。蓋二八位,在先天卦則巽震也,在後天卦則坤艮也。坤艮皆土,為五十之數。萬物皆生於土,皆歸於土。成始成終,而皆在於艮之一位矣(此須合先後卦位詳玩之)。

二と八の両数が方位を互換するは、なお見出し易く、前人にも言い及ぶ者あり。しかしその暗裏には実は五と十の変化にして、すなわち知り難く、前人曾て発明したることなし。もとより二・八のこの両位置は、先天卦においては巽と震、後天卦においては坤と艮なり。坤艮は皆土に属し、正に五と十の数に合す。万物は皆土より生じ、皆土に帰し、始を成し終を成すは、全く艮のこの一位に落つ(この一層は先天・後天の卦位を合わせて細かく玩味すべし)。

巽震相易,故雷風恆之《象傳》曰“立不易方”,此言其未易之體也。易則為巽震,故風雷益之《彖傳》曰“自上下下”,曰“天施地生”,此即其已易後之用也。坤艮為謙,《謙·彖傳》曰:“天道下濟而光明,地道卑而上行。”曰:“天道虧盈而益謙,(風雷益)地道變盈而流謙,鬼神(二西南未申,八東北丑寅。西南為神極,東北為鬼藏。)害盈而福謙,人道惡盈而好謙。”《象》曰:“裒多益寡。”

先天の巽震はこの両位上に互易すれば、ゆえに雷風《恒》卦の《象伝》に「立ちて方を易えず」と言う。講ずる所は未だ変易せざる時の体なり。一たび変易を経ればすなわち風雷《益》と為る。ゆえに《益》卦の《彖伝》に「上より下下(たれ)る」と言い、また「天施し地生ず」と言う。これ即ち既易の後の用なり。後天の坤艮は相合して《謙》卦を成す。《謙・彖伝》に曰く、「天の道は下済して光明なり、地の道は卑にして上行す」と。又曰く、「天の道は盈を虧きて謙を益し(この一句は正に風雷益の象に応ず)、地の道は盈を変じて謙に流れ、鬼神(二は西南に在り未申に属し、八は東北に在り丑寅に属す。西南は神の極、東北は鬼の蔵)は盈を害して謙を福し、人の道は盈を悪(にく)みて謙を好む」と。《象伝》は則ち「多きを裒(あ)つめ寡きを益す」と曰う。

凡此皆指二八兩位,陰陽變化之玄妙。先儒專就坤艮本卦之象以求其義,無論如何附會穿鑿,終不能字字著落也。此即《易》與河洛二數關合之證,亦即二八兩數易位之證。於此求《易》,則《易》彖象之辭,昔之所謂不可解者,亦可十解其五六矣(此理精深微妙,先儒未肯輕洩。邵子《皇極經世》但微露其機,學者宜潛心體會,勿忽視焉。)。

およそこの種々は、皆二・八両位の陰陽変化の玄妙を説くものなり。先儒は専ら坤・艮両卦本身の卦象に就いて義理を求め、いかように附会・穿鑿するも、終に字字実処に落ち着く能わず。これ正に《易》と河洛の両套の数が彼此關合するの証拠にして、正に二八両数の位を易うるの証拠なり。ここより《易》を求めれば、あの《彖伝》《象伝》の辞句の、従来講じ通らずと号せられたるも、また十の五六を解き得ん(この道理は精深微妙にして、先儒は肯んじて軽々しく泄露せず。邵雍《皇極経世》はただ微微たる一点の機関を透し出すのみ。学者は心を潜めて体会し、軽忽すべからず)。

其兩圖位次,五行順逆生克之序,舊說甚詳,亦淺而易,茲不贅述。惟洛書五行之次,既悉與後天八卦相符,而河圖之四方與中央,亦悉本生生之義,正不必牽扯補湊為也。

両図の位次および五行順行・逆行・相生・相克の次序に至っては、旧説の講ずる所甚だ詳細にして、かつ浅く顕く瞭解し易し。ここに再び贅述せず。ただ洛書の五行の次序はすでに全く後天八卦と相符し、河図の四方と中央ともまた全く生生の義に本づくを知るを須(もち)うべし。もとより再び牽扯・拼凑に往くを須せざるなり。

孔子曰“河出圖,洛出書,聖人則之”。古籍殘闕,既無從取證,此所謂河圖洛書者,未必為當日所取則之河圖洛書。但其奇偶相得之數,必為天一天二之五十五數。雖有蘇張之舌,決不能指其為非者也。其數之悉符於易象,順逆變化之與天地同流。亦雖有蘇張之舌,不能辨其為否者也。

孔子曰く「河図を出し、洛書を出す。聖人これに則る」と。古籍は残缺して、すでに証を取るに由なく、今の言う河図洛書は、未だ必ずしも当日の聖人の取法せしあの一帙に非ず。然るにその中の奇偶相配の数は、必ず《繋辞》「天一地二」の一路に数え下りし五十五数なり。縦(たと)ひ蘇秦・張儀の口才あるも、決してこれを指して非と為す能わず。この数は処処易象と相符し、順逆変化は天地と其の流行を同じくす。同じく縦ひ蘇秦・張儀の口才あるも、またこれを弁説して是ならずと為す能わず。換言すれば、図は未だ必ずしも当年のあの図に非ざれども、数は必ず当年のあの数なり。

然則非則圖以畫卦,必則卦以畫圖,所謂相為表裡者也。愚以為龍馬負圖,乾龍坤馬,即乾坤也。靈龜吐書,戴九履一,即坎離也。後人不察,必求龍馬以實之,泥龜形而坼之,不亦傎乎!

すでに然りとせば、然らば図に取法して卦を画くに非ざれば、必ず卦に取法して図を画くなり。これ即ち所謂互いに表裏なり。吾の思うに「竜馬図を負う」、竜は乾に属し馬は坤に属す。言う所は乾坤両卦なり。「霊亀書を吐く」、九を戴き一を履む。言う所は坎離両卦なり。後人体察を加えず、必ず一疋の真の竜馬を找出して以てこれを坐実せんとし、亀の形状に拘泥して図を割裂するは、豈に颠倒なること甚だしきに非ずや。

二五之精,妙合而凝,實為萬物生化之源。而二八易位,即二五構精之妙用也。古今丹家千言萬語譬喻百端,皆以玄機隱秘,終不肯一語道破,皆由不知圖書易象,早已顯示其端。

「二五の精、妙合して凝る」は、実に万物生化の根源なり。而して二と八と位を易うるは、正に二五交合構精の妙用なり。古往今來の丹家は千言万語を写し下し、上百種の譬喻を設くるも、皆玄機を見て隠秘と為すを以て、終始肯んじて一語道破せず。皆実は河図洛書と易象の裏に、すでにこの端倪を顕示し出せるを知らざるに由るなり。

學者畏難苟安,不肯從易學根本下手,致枉費心血,暗中摸索,千古長夜。有白首無成者,有終身由之而莫明其妙者,良可慨矣!茲復繪二五構精圖如下,明白淺顯。無論何人,皆可一目瞭然矣。幸勿因其淺近,且得之太易而忽視焉。

学者は難を畏れ安んじ苟(いやしく)もし、肯んじて易学の根本の処より下手せず。以て心血を枉費して暗の中に摸索し、千古長夜のごとし。或る者は頭白くして老いるまで一成する所なく、或る者は終身それに依って行事して始終その中の妙処を明白にせず。実に感慨すべし。ゆえにここに再び一幅の「二五構精図」を画きて下に列す。画くこと明白浅顯にして、何人を問わず一目瞭然たらしむ。願わくはその浅近・得ること太も易きを以てこれを軽忽すること勿れ。

二五構精図

周濂溪《太極圖說》曰:“二五之精,妙合而凝。”《通書》曰:“二氣五行,化生萬物。五殊二實,二本則一,是為萬一。一實萬分,成一各正。”此數語實扼陰陽變化之要,宜注意焉。

周敦頤《太極図説》に曰く、「二五の精、妙合して凝る」と。その《通書》にまた曰く、「二気五行、万物を化生す。五殊にして二実、二本は則ち一。これを万一と為す。一実万に分かれ、一を成して各々正す」と。意は五行は分殊するも陰陽二気は実なり。二気は根に推せばただ一つの太極のみ。ゆえに万物の帰根もただ一つの理なり。一理は散じて万殊と為り、万物は各々その一を成就して各々性命を正しくす。この数句は実に陰陽変化の関鍵を把扼したり。特に留意すべし。

(二實者,天以陽生萬物,地以陰成萬物。動而陽,靜而陰,陽變陰合而生五氣,由五氣而生萬物,故曰“五殊”也。五殊本於陰陽,互為其根也。兩儀生,而陽交於陰,陰交於陽而生四象,四象分而生八卦,八卦錯而萬物生焉。是曰“一動一靜,天地之至妙歟”,是以五氣布四時行,萬物生生而無窮,“五行一陰陽也,陰陽一太極也”。太極散而為萬物,則萬物各一其性,各具一太極,渾然全體而靜者,常為主焉。兼有無全體,用涵動靜,為萬化之源,萬有之本者,妙合二五之精焉。)

(所謂「二実」とは、天は陽気をもって万物を生じ、地は陰気をもって万物を成すを言う。動は即ち陽、静は即ち陰。陽変し陰合して五気を生じ、五気より再び万物を生ず。ゆえに「五殊」と曰う。五殊はまた陰陽に本づき、陰陽は互いに相手の根を為す。両儀一たび生ぜば、陽は陰に交はり陰は陽に交はりて四象を生じ、四象再び分かれて八卦を生じ、八卦交錯して万物これに由り產生す。これ即ち言う所の「一动一静、天地の至妙なるかな」なり。ここに五気布列して四時運行し、万物生々して窮尽有らず。「五行は一陰陽なり、陰陽は一太極なり」。太極は散り開きて万物と為り、万物は便ち各々その性有り、各々一つの太極を具う。あの渾然たる全体にして常に静なるは、永く主宰を為す。有と無とを兼摂する全体、其の用は動静を涵括し、万化の源・万有の本と為るは、正に二五の精の妙合なり。これ即ち「妙合して凝る」の四字を実処に落とし着けたり。)

原數左五六而右三二,數偏倚而不平。雖有中五,無從化生。以二五交易其位,則左右皆八。《謙·象》曰:“君子以裒多益寡,稱物平施。”謙為坤艮二八之位。二八交易,即二五交易也。二八合十為土,二五亦合十為土,陰陽生化,因以不窮。數似淺而義蘊極深,二千年來無人道破。會於此用苦功者,必當悉著者之苦心也。

もとより数は、左辺は五と六、右辺は三と二にして、両辺の軽重は偏倚して均平ならず。中間に五有りと言えども、発動して化生するに由なし。もし二と五と位置を交換せば、左右両辺とも八を成さん。《謙・象伝》に曰く、「君子以て多きを裒め寡きを益し、物を稱して平らかに施す」と。多きを減じ少なきを補い、事物を稱量して公平に給与するは、講ずる所正にこの道理なり。《謙》卦は坤艮より組成して、占する所正に二・八両位なり。二八交換は、すなわち二五交換なり。二と八と相合して十を為して土に属し、二と五と相合してまた十を為して土に属す。陰陽これに因りて生化窮まらず。この数は看るに浅きも、義藴は極めて深し。二千年來人道破する者なし。肯んじてここに苦功を下し過ぐる者は、必ず作者の一片の苦心を体諒せん。

卦位第二

《周易》八卦方位之有先天後天,雖始於有宋,然推之於數而悉符,求之於象而胥合,證之於《彖》、《象》十翼,而確有可據。是乃易象之所固有,不但《周易》為然,即《連山》、《歸藏》,其經卦別卦既同,恐亦不能有用而無體,有後天而無先天也。

《周易》八卦の方位は先天と後天とに分かつ。この提法は宋代より始まると言うも、数をもって推せば処処符合し、象をもって求めれば一一契合し、さらに《彖伝》《象伝》等の十翼をもって印証するも、確かに拠り所の据うべき有り。これを見ればそれは易象の裏にもとより有るのものなり。《周易》のみならずかくのごとし。《連山》《帰蔵》と雖も、すでに三画の経卦と六画の別卦と皆《周易》と相同じき以上、おそらくもまた用有りて体無く、後天有りて先天無きはあらざらん。

漢《易》雖鮮傳書,然如荀氏慈明之升降,虞氏仲翔之納甲,取象於先天卦位者甚多。自朱子本者甚多,而《參同契》尤先後天並用,特未立此先天後天之名目耳。自朱子《本義》,以邵子先後天八卦方位各圖,弁諸經首,遂開後儒攻擊之門。明清以來言漢學者,以排詆宋學為先,乃波及於邵子。

漢代易学は専書の伝え来たる少なしと言えども、荀爽(慈明)の講ずる升降、虞翻(仲翔)の講ずる納甲のごときは、先天卦位に取象する処甚だ多し。朱熹以後先天卦位に依拠して説を立つるもまた甚だ多し。而して《参同契》はとくに先天・後天並用して、ただ「先天」「後天」のこの一対の名目を立てざりしのみ。朱熹《周易本義》が邵雍の先後天八卦方位の各図を経文の巻首に冠してより、便ち後世儒者攻撃の口子を開けり。明清以来漢学を講ずる者は、排斥・詆毀宋学をもって第一の要務と為し、ここに邵雍に至るも牵连を受けたり。

實則宋季項氏安世,早有平論。謂河洛卦象,體用分明,悉出理數之自然,無可攻擊。所以遭後世之非議者,只以立名未當耳。故謂天地定位為伏羲八卦可也,謂帝出乎震為文王八卦,未免無據。蓋伏羲畫卦,體用一源,當然先後天並有,不能至文王而始有此八卦之用也。

其の実、南宋末年の項安世は早くも公允の評論有り。彼は河洛と卦象とは体用分明にして、全く理と数の自然より出で、攻撃するに由なしと認む。後世の非議に遭う所以は、ただ立名の当を得ざるが為のみと。ゆえに「天地位を定む」のあの一套を伏羲八卦と言うは可なり。「帝震より出づ」のあの一套を文王八卦と言うは、未だ根拠なきを免れず。伏羲が卦を画く時は体と用とは同一源より出づるが故に、当然先天・後天並有りて、文王を待ちて始めてこの八卦の用有らんとは能わざるが故なり。

故後儒有改伏羲八卦為天地定位圖,改文王八卦為帝出乎震圖者,自較舊名為佳。但改伏羲與文王之名可也,至先天後天之名,則不可改。《序卦》定名,與《彖》、《象》、《繫辭》之明言先後天者甚多,不但“先天而天弗違,後天而奉天時”二語,足為先後天之證也。

ゆえに後に伏羲八卦図を改称して「天地定位図」と為し、文王八卦図を改称して「帝出乎震図」と為す者有り。旧名に比ぶれば好し。ただし伏羲・文王のこの両人名を改むるは可なり。「先天」「後天」のこの両名目に至っては、則ち改むべからず。《序卦伝》の定名および《彖伝》《象伝》《繋辞伝》の裏に明らかに先天後天を言う処甚だ多し。ただ乾卦《文言》の「先天にして天違(たが)はず、後天にして天時に奉(たてまつ)る」の両句のみ先後天の証拠を為すに足るに非ざるなり。これを見れば先後天の説は宋人の杜撰し出せる所に非ず。

吳喬《他石錄》謂乾卦先天之先讀去聲,非邵子所謂先天之先,是真世儒之見。孔子贊《易》之時,豈有沈約四聲之譜,已傳異音別義之說哉!《彖》、《象》,《文言》、《繫辭》,無不有韻,分陰分陽,細入毫芒,獨未嘗有異讀改義之例。

呉喬《他石録》は乾卦《文言》の裏の「先天」の「先」は去声に読みて、邵雍の言う「先天」の「先」とは一事に非ずと言う。これ真に俗儒の見なり。孔子《易》を賛するの時、何の沈約の四声譜有らん、何のすでに異音別義のあの一套の説法流行せんや。《彖伝》《象伝》《文言》《繋辞》は一篇として韻を押さざるなく、分陰分陽細かにして毫芒に至るも、独り曾て改読して改義するの例有らず。

漢學家博考群籍,亦明知乾坤坎離之先後體用,極陰陽造化之妙,無可非難。於是又遁其辭,指為外道,曰希夷仙也,不妨以外道說《易》。邵子交於二程,何可出此?

漢学家は群書を博考して、また明らかに乾坤坎離先後天の体用が陰陽造化の妙処を窮尽するを知る。もとより非難すべきなし。ここにまた一套の遁詞を換えて、これを指して外道と為し、陳摶は個の神仙道士にして、妨げず外道をもって《易》を講ずと言う。しかるに邵雍は二程と往来して学を論ず。怎(いか)でかこの種の事を作さんや。

“考亭于丹道有所見,是以手注魏伯陽之《參同契》。見邵之圖,欣然會心,入於《本義》,而不計丹道可以倚《易》,《易》不為丹道作也”云云,是非但昧禮失求野之義,且聲聲言易,與易道之相去遠甚。博學雄辯,適見其客氣之盛。茲編去取,一本經傳,準之象數。門戶異同之見,概所不取。

彼らまた曰く、「朱熹は丹道に領会有る所あり。ゆえに手ずから魏伯陽《参同契》に注し、邵雍の図を見て欣然として会心し、便ちこれを《本義》に収めたり。然れども思わず、丹道は《易》に依傍すべきも、《易》は丹道の為に作さるるに非ざるを」と。この類の言は、「礼失われば則ち諸を野に求む」の道理を懂(わか)らざるのみならず、且つ口々声々に易を講じて、易道を離るること甚だ遠し。彼らは博学・雄弁にして、恰好意気の太りて盛んなるを顕す。本書の取舍は、一律に経伝をもって本と為し象数をもって準と為す。門戸異同の成見は、一概に取らず。

先天八卦

《說卦傳》曰:“天地定位,山澤通氣。雷風相薄,水火不相射。數往者順,知來者逆。八卦相錯。是故易,逆數也。”

《説卦伝》に曰く、天と地とは上下の位置を定め、山と沢とは気息相通じ、雷と風とは互相いに盪激し、水と火とは相厭(いと)い相滅せず。已往を数うるは順にして、未来を知るは逆なり。八卦は彼此交錯す。ゆえに《易》は一門の逆推の学問と曰う。この一章は正に先天八卦方位の経文根拠なり。乾坤は上下を定め、艮兌は気を通じ、震巽は相薄(せま)り、坎離は対峙し、八卦は両両相対して交錯して用を成す。

(胡東樵《易圖明辨》曰:按此章與八卦之位無涉。天地定位言乾坤自為匹也,山澤通氣言艮兌自為匹也,雷風相薄言震巽自為匹也,水火不相射言坎離自為匹也,云云。夫《說卦傳》本文明明曰“天地定位”,而曰“與位無涉且自為匹”者,無位又安見其相匹乎?其恣意辯駁,不顧前後如此。)

(胡渭(東樵)《易図明辨》に曰く、この一章は八卦の方位と関なく、「天地位を定む」は乾坤が自ら一対を成すを言い、「山沢気を通ず」は艮兌が自ら一対を成すを言い、「雷風相薄る」は震巽が自ら一対を成すを言い、「水火相射(い)らざる」は坎離が自ら一対を成すを言う。かくのごとく云云と。しかるに《説卦伝》本文は明らかに「天地位を定む」と写すも、彼はかえって方位と関なくただ各々対を成すのみと言う。位置さえ無くんば、また何処よりかそれらの両両相匹するを見んや。彼のかく恣(ほしいまま)に弁駁するは、前後自ら相矛盾するや此(かく)のごとき地步に至れり。)

邵子曰:“此一節明伏羲八卦也。八卦相錯者,明交錯成六十四卦也。數往者順,若順天而行,是左旋也。皆已生之卦也,故曰數往也。知來者逆,若逆天而行,是右行也。皆未生之卦也,故云知來也。夫易之數由逆而成矣。此一節直解圖意,若逆知四時之謂也。”

邵雍曰く、この一節は伏羲八卦を講ずるなり。所謂「八卦相錯る」とは、八卦が交錯して六十四卦を成すを言う。「往を数うるは順」とは、譬えば天時に順らいて行くがごとき、左に旋転するなり。数う所は皆すでに生成せし卦なれば、ゆえに「往を数う」と曰う。「来を知るは逆」とは、譬えば天時に逆らいて行くがごとき、右に推行するなり。推す所は皆未だ生成せざる卦なれば、ゆえに「来を知る」と曰う。《易》の数は正に逆推に由りて成立す。この一節は直に先天図の図意を解説するにして、逆らいて四時を推知するがごとし。

(以次序觀之有乾一而後,有兌二。有兌二而後、有離三震四,而巽五坎六艮七坤八亦以次而生。自圖之左方,震之初為冬至,離兌之中為春分,以至於乾之求而交復。至焉,皆逆而得其已生之日。因自今日而追逆昨日也,故曰“數往者順”。

(次序に就いて看れば、先ず乾一有りて、然る後に兌二有り。兌二有りて然る後に離三・震四有りて、巽五・坎六・艮七・坤八もまた依次に生ず。図の左半辺より看れば、震の起点は冬至にして、離と兌との間は春分にして、一路乾の尽頭に至りて復卦に交(あ)う。およそここに数え至るは、皆逆らいて推してすでに過去せし日子を得るなり。正に今日より昨日を回溯するがごときなれば、ゆえに「往を数うるは順」と曰う。

其右方自巽之初為復,至坎艮之中為秋分。艮至於坤之末而交姤。至焉,皆進而得其未生之日。因自今日而逆訃來日也,故曰“知來者逆”也。按:此但以言邵子之數,至《說卦》所言蘊義甚廣,實不僅此。朱子僅取邵說,故攻擊之者謂取《十翼》為先天卦註腳。然先天圖豈邵子私有哉!)

図の右半辺は、巽の起点より起こりて(此処原文は「復」と標作す)、坎と艮との間に至りて秋分と為り、艮より直ちに坤の末尾に至りて姤卦に交う。およそここに数え至るは、皆往きて推して未だ来たらざる日子を得るなり。正に今日より明日を預推するがごときなれば、ゆえに「来を知るは逆」と曰う。杭氏按:これはただ邵雍一家の数に就いて言うのみ。至りて《説卦》の講ずる藴義は十分広大にして、実にこれに止まらず。朱熹はただ邵雍の説を採るのみなれば、ゆえに攻撃する者はすなわち彼が《十翼》をもって先天卦の注脚と為したりと言う。然れども先天図は豈に邵雍一人の私有せし所ならんや!)

邵子《觀物外篇》曰:“震始交陰而陽生,巽始消陽而陰生。兌陽長也,艮陰長也。震兌在天之陰也,巽艮在地之陽也。故震兌上陰而下陽,巽艮上陽而下陰。天以始生言之,故陰上而陽下,交泰之義也。地以既成言之,故陽上而陰下,尊卑之義也。乾坤定上下之位,離坎列左右之門。天地之所闔闢,日月之所出入。是以春夏秋冬,晦朔弦望,晝夜長短,行度盈縮,莫不由乎此矣。”

邵雍《観物外篇》に曰く、震は乾の始めて陰に交はりて陽気初めて生ずるなり、巽は坤の始めて陽を消して陰気初めて生ずるなり。兌は陽の増長するに在り、艮は陰の増長するに在り。震兌は天中の陰に属し、巽艮は地中の陽に属す。ゆえに震兌両卦は上爻を陰と為して下爻を陽と為し、巽艮両卦は上爻を陽と為して下爻を陰と為す。天は始生の上より言うが故に、陰は上に在りて陽は下に在り、取る所は交泰の義なり。地は既成の上より言うが故に、陽は上に在りて陰は下に在り、取る所は尊卑の義なり。乾坤は上下の位置を定め、離坎は左右の門戸を排成す。天地これに由りて開闔し、日月これに由りて出入す。ここに春夏秋冬・晦朔弦望・昼夜長短・行度盈縮、ここより生ぜざる無し。

(《朱子語類》曰:先天圖直是精微,不起於邵子。希夷以前元有,只是秘而不傳,次第是方土輩所相傳授。《參同契》所言,亦有些意思。)

(《朱子語類》に曰く、先天図は実に精微にして、邵雍より起こるに非ず。陳摶以前もとよりもと有りて、ただ秘蔵して伝えず。大抵は方士の一輩人が輾転伝授して来れるなり。《参同契》の裏に講ずる所も、また頗るこの層の意思有り。)

先天八卦,以乾坤坎離為四正,震巽艮兌為四維。四正者,所以立體。故河圖之位,亦只列四方。乾坤坎離者,即天地水火(以曆象言,離坎亦為日月。)。水火者,天地之大用。合天地水火,而萬象無不畢舉矣。釋氏言地水火風,西儒言水火土氣,亦即乾坤坎離也(坎水離火。地即土,天即氣也。釋氏言風,風亦為氣也。)。

先天八卦は乾坤坎離をもって四正と為し、震巽艮兌をもって四維と為す。四正是(これ)以て本体を確立するに用い、ゆえに河図の方位もまたただ四方を排出するのみ。乾坤坎離は即ち天・地・水・火なり(若し暦象の上より言わば、離坎はまた日月を代表す)。水火は天地の最大の功用にして、天地水火を合わせれば、万彖は備わらざる無し。仏家の講ずる地水火風、西方学者の講ずる水火土気は、其の実もまた即ち乾坤坎離なり(坎は水を為し、離は火を為す。地は即ち土、天は即ち気。仏家の言う所の風は、風もまた気に属す)。これを見れば東西方が宇宙の本元を論ずるは、帰結して皆この四卦を跳出る能わず。

邵子所謂震始交陰而陽生者,謂乾與坤接,而震一陽生於下。《參同契》曰:“三日出為爽,震庚受西方。”言三日之夕,月見庚方,納震一陽之氣也。巽始消陽而陰生者,謂坤與乾交,而巽一陰生於下。《參同契》曰:“十六轉就統,巽辛見平明。”言十六日月旦月退辛方,納巽一陰之氣也。

邵雍の言う所の「震は始めて陰に交はりて陽生ず」とは、乾が坤と相接して、震卦の一陽が下爻に生ずるを指す。《参同契》に「三日の出づるを爽(は)れと為し、震庚は西方を受く」と言う。講ずるは毎月初三の傍晚、新月は庚位(西方)に現出して、震卦の一陽の気を納受するなり。言う所の「巽は始めて陽を消して陰生ず」とは、坤が乾と相交はりて、巽卦の一陰が下爻に生ずるを指す。《参同契》に「十六転じて統に就き、巽辛は平明に見ゆ」と言う。講ずるは十六日の天明の時分、月は辛位に退して、巽卦の一陰の気を納受するなり。

自震一陽進而納兌之二陽,至乾之陽而滿。兌納丁,乾納甲。此望前之候,明生魄死之月象也。自巽一陰退,而納艮之二陰,至坤三陰而滅。艮納丙,坤納乙,此望後三候魄生明死之月象也。

震の一陽より往きて推進し、兌の二陽を納め、乾に至りて三陽円満す。兌は丁を納め、乾は甲を納む。これ望日以前の月候にして、月明漸く生じ暗魄漸く死するの月象なり。巽の一陰より後ろに退譲し、艮の二陰を納め、坤に至りて三陰尽き滅す。艮は丙を納め、坤は乙を納む。これ望日以後三候の月象にして、暗魄漸く生じ月明漸く死す。八卦は十干に分納して、月相の盈虧は便ち卦爻の消長と一一対応す。

此所謂納甲。雖出於《參同契》,虞氏翻說《易》,皆本於此,與先天八卦方位之陰陽消長悉合。可見自漢以前,必有此說。魏伯陽得假之以明丹學,與朝屯暮蒙之候,同為取資於《易》,非伯陽所創造也。

これ即ち所謂「納甲」なり。それは《参同契》より出づると言うも、虞翻は《易》を説くに全くこれに本づき、また先天八卦方位の陰陽消長と全く吻合す。これを見れば漢代以前必ず早くもこの説法有りしなり。魏伯陽はただそれを借用して以て丹学を講明せしのみ。これは彼が「朝屯暮蒙」をもって火候を定むると同じく、同じく《易》に取資するにして、彼自ら創造し出せる所に非ざるなり。

今指納甲為道家外說,然則屯蒙需訟之次,將因《參同契》定為火候,亦謂之外說耶(今屯蒙需訟,幸有孔子《序卦》一篇得以無紊。使《序卦》不傳,而簡冊紊亂,亦惟有取《參同契》所列朝屯暮蒙之次以定六十四卦之序耳。何獨疑於納甲為哉!)!

今やある人納甲を指して道家の外道の説と為す。然らば屯・蒙・需・訟のこの卦序も、また曾て《参同契》に拿去せられて火候を定められたり。豈にまたこれを外道と呼ばんとするや(今日の屯蒙需訟の次第は、幸いに孔子《序卦伝》一篇有りて紊乱せざるを得たり。仮に《序卦》失伝して簡冊散乱せんには、またただ《参同契》の所列せし朝屯暮蒙の次序を取りて以て六十四卦の先後を定むるのみ。何ぞ偏(ひとへ)に納甲に就きて疑を起こさんや)!

《禮運》曰:“播五行於四時,和而後月生也。是故三五而盈,三五而闕。”正合此意。播五行於四時,以一歲中四氣之流行言之,出震齊巽之方位是也。三五而盈三五而闕,以一月中月體之消長言之,乾南坤北之方位是也。

《礼記・礼運》に曰く、「五行を四時に播き、和して然る後に月生ず。これを故に三五にして盈ち、三五にして闕(か)く」と。正にここの意に合す。所謂「五行を四時に播く」とは、一年の中の四気の流行に就いて言うなり。即ち「帝震より出で、巽に齊(ひと)し」のあの一套の後天方位なり。所謂「三五にして盈ち、三五にして闕く」とは、一月の中の月体の消長に就いて言うなり。即ち乾は南に在り坤は北に在るの先天方位なり。

月生明謂陽之進,月生魄謂陰之退者;天地之數,天數二十有五,地數三十。故一月三十日,而月之得光只二十五日(每月二十八日至初二日,月無光也。)。《參同契》曰:“七八數十五,九六亦相當。四者合三十,陽氣索滅藏。”此象數兼資,不能離數以言象,亦不能離象以言數者也。附納甲圖如下。

所謂月は明を生ずるは陽の前進、月は魄を生ずるは陰の退譲は、また数をもって印証すべし。天地之数の中、天数二十五にして地数三十。ゆえに一月三十天にして、月の真に光有るはただ二十五天のみ(毎月二十八日より下月初二に至るは、月は光無し)。《参同契》に曰く、「七八数は十五、九六もまた相當たり。四者合わせて三十、陽気索(つ)きて滅蔵す」と。少陽七に少陰八を加えて十五を得、老陽九に老陰六を加えてもまた十五を得、四数相合して正に三十。恰も一月三十日に相當たりて、陽気はここに至りて便ち隠没潜蔵す。これ正に象と数とが彼此互いに凭借するなり。数を離れて象を講ずる能わざるがごとく、象を離れて数を講ずるも能わず。納甲図を附して下のごとし。

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