Libo

世卦月卦

清 · 杭辛斋 · 第8巻 / 23

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

世応

《周易》雖無八宮之別,而世應仍所不廢。惟《周易》之世應,但以爻論,而京《易》則特重在卦。京氏曰“卦有八世爻分六位,配乎人事,以定吉凶”者,固不僅為占筮言也。《易乾鑿度》曰:“三畫以下為地,四畫以上為天。易氣從下生,動於地之下,則應於天之上。動於地之中,則應於天之中。

《周易》は八宮の分別無きと雖も、世・応のこの一套の体例は却って廃棄せられず。ただ《周易》は世応を講ずるはただ爻の上に就いて説き、而して《京氏易》は則ち特別に卦を看重す。京房曰く「卦は八世有り、爻は六位を分かち、人事に配して、以て吉凶を定む」と。これを見ればこの套の東西はもとより並びにただ占筮の為に設けらるるに非ず。《易緯・乾鑿度》曰く、初・二・三の此の三画以下は地に属し、四・五・上の此の三画以上は天に属す。易気は下より上に向かい生発せば、ゆえに地位最下の一爻に動けば、則ち天位最上の一爻に応じ、地位居中の一爻に動けば、則ち天位居中の一爻に応ず。

動於地之上,則應於天之上(此以上下二象分天地,故不曾人。人秉天地之氣以生,一身之陰陽之氣亦有感必應。言其精則水火升降,言其粗則脈絡之交布,穴氣之分行。與夫一身外相所表見者,無不各按其位,而上下相應。如人身上部口面耳目間有痣者,下部相應之位亦必有之,毫釐不爽。此上下相應之最顯而易見者也。一卦六爻亦如一身上下相通,如有否隔,即為疵病。天地人物,因無二理也。)。”

地位最上の一爻に動けば、則ち天位最上の一爻に応ず(ここはただ上下両個の三爻卦を用いて天地を分かつを以て、ゆえに別に単独に人位を立てず。人は天地の気を禀受して生まれて、一身の陰陽の気もまた同じく感有れば応有り。精微の一面を講ずれば、心腎水火の升降なり。粗顕の一面を講ずれば、経絡の交錯分布・穴位気機の分行なり。至りて一身外表の顕現する所の種種も、また一として各々部位に按じて上下相応せざる無し。譬えば人身上部口・面・耳・目の間に痣の長する有らば、下部相対応の部位は必定もまた一顆有りて、分毫差らず。これは上下相応の最も明らかに見易きの例子なり。一卦六爻もまた人の一身のがごとく上下貫通して、一旦阻隔して通ぜざる有れば、則ち毛病を成す。天・地・人・物は、もとより両様の道理無し)。以上は《乾鑿度》の言なり。

初與四,二與五,三與上,陰應陽,陽應陰,二氣感應以相與,此其正也。蓋天地之氣有終始,六世之位有上下,故《易》始於一(《易》本無體,氣變而為一,故氣從下生也。),分於二(清濁分於二儀。公武曰:奇偶相與,據一以起二,而為主之相者,謂之應是也。),通於三(陰陽氣交,人生於中。天地氣通,故三陽成泰,而泰為通。),交於四,盛於五(二壯於地,五壯於天,故如盛也),終於上(上則數極,極則反也)。故六爻皆有應,而世取其一。與世對者,則為應也。

初爻と四爻・二爻と五爻・三爻と上爻とは、陰は往きて陽に応じ陽は往きて陰に応じて、両種の気は互相感応して彼此親附するは、これは正例なり。天地の気は始有り終有りて、六個の爻位は上有り下有るを以て、ゆえに《易》は一に起始し(《易》はもとより形体無くして、気は一変して一と成れば、ゆえに気は下面より生起すると曰う)、二に分化し(清濁二気は分かれて両儀を成す。晁公武曰く、奇偶相配して一より起こり二を為し・世爻の輔佐を充当するを応と曰うは、則ち此を指す)、三に貫通し(陰陽二気は交會して、人は則ち其の中に生まれり。天地の気は相通ずれば、ゆえに三陽は生じて《泰》を成し、「泰」は即ち通なり)、四に交合し、五に壮盛し(二爻は地に於て壮盛し、五爻は天に於て壮盛せば、ゆえに盛と曰う)、上に終結す(上爻に至れば数はすでに頂に到り、頂に到れば則ち返回せんと欲す)。ゆえに六爻個個皆応有りて、而して世位はただ其の中の一爻を取る。世位と正相対するのあの一爻は、則ち応爻なり。

水火既濟,初陽而四陰,二陰而五陽,三陽而上陰,所謂六爻當位、上下皆相應者者也。既濟屬坎宮三世卦,三之應在上。火水未濟,既濟之反也。六爻皆不當位,而上下剛柔相應,屬離宮三世卦應亦在上。

水火《既済》卦は、初爻は陽にして四爻は陰、二爻は陰にして五爻は陽、三爻は陽にして上爻は陰にして、これ即ち所謂六爻各々其の位を得て上下三組両々相応ずるなり。《既済》は坎宮の三世卦に属して、世は第三爻に在れば、ゆえに其の応は上爻に落つ。火水《未済》は《既済》の倒反の卦にして、六爻は全く其の位を得ずと雖も、然れども上下剛柔は依然として両々相応す。それは離宮の三世卦に属して、世もまた同じく第三爻に在りて、応もまた上爻に落つ。

月卦非月建,由世卦生,亦由十二月闢卦生者也。世分陰陽,陽世起子月,陰世起午月,以數不以氣。雖以闢卦為綱,而不去坎離震兌,仍以六十四卦配八宮之屬也。乾為本宮,上爻六世,陽爻陽世,從初爻子月起數至上爻為巳,故乾為四月卦。豐為坎宮五世卦。五陰爻陰世,從初爻午月起至五爻為戌,豐為九月卦。餘類推。

「月卦」は「月建」に非ずして、それは世卦より推し出せるにして、また十二辟卦より推し出せると言うべきなり。世爻は陰陽を分かつ。世爻の陽爻なるは子月より起こして数え、世爻の陰爻なるは午月より起こして数える――これは数目に按じて排するにして、節気に按じて排するに非ず。十二辟卦を以て綱と為すと雖も、然れども卦気のあのがごとく坎・離・震・兌を把りて抽出し出すに像らずして、依然として全部六十四卦を用いて八宮に配属す。例を挙げて言えば、乾は本宮卦にして、世は上爻に在りて即ち六世にして、上爻は陽爻にして陽世に属せば、則ち初爻に就いて子月に當てて起こして数えて、子・丑・寅・卯・辰・巳と数えて上爻に至れば正に巳なれば、ゆえに乾は四月卦なり。《豊》は坎宮の五世卦にして、第五爻は陰爻にして陰世に属せば、則ち初爻に就いて午月に當てて起こして数えて、午・未・申・酉・戌と数えて第五爻に至れば正に戌なれば、ゆえに《豊》は九月卦なり。其余各卦は此に依りて類推す。

八宮飛伏

世之所位,而陰陽之肆者謂之飛,陰陽肇乎所配(乾與坤,震與巽,坎與離,艮與兌),而終不脫乎本(以飛某宮之卦,乃伏某宮之位),以顯應佐神明者謂之伏。故有卦之飛伏,有爻之飛伏。

世爻の居る所のあの位置・陰陽の明らかに外面に摆れて見え得べきは、「飛」と曰う。陰陽の起頭は其の配する所の対卦に係り(乾は坤に配し・震は巽に配し・坎は離に配し・艮は兌に配す)も、然れども終始本宮を脱開する能わず(凡そ飛び出せるは某宮の卦なれば、伏する所は則ち某宮の位なり)。この種の背後に隠れて神明を輔助して顕象をして應験を得さしむるは、則ち「伏」と曰う。ゆえに飛伏はすでに整卦一層の飛伏有りて、もまた単爻一層の飛伏有り。

《文言》曰:“同聲相應,同氣相求。”飛之與伏,聲氣相通,或顯或隱,各以類求。《中庸》曰:“莫現乎隱,莫顯乎微。”此精義入神之論也。後儒以經學自誇,謂孔子未嘗言此,指為術數小道,不知《十翼》之言飛伏者多矣。奈學者瞠目視之,皆未見耳。《雜卦傳》“兌見而巽伏也”,是明言飛伏之一例。《說卦》“坎為隱伏”,而《離·象》“飛鳥”,亦飛伏之見端。而六十四卦《彖》、《象》言之者,更不勝枚舉也。

《乾・文言》曰く、「同じき声は相応じ、同じき気は相求む」と。飛と伏との間は声気もとより相通じて、一顕一隱して、各々類別に按じて往きて尋求す。《中庸》曰く、「隠より見ゆるは莫く、微より顕なるは莫し」と――愈々隱蔽の地方は愈々暴露し易く、愈々細微の地方は愈々顕露し易し。これ正に「精義神に入る」の一路の論断なり。後来の儒者は経学を以て自ら誇りて、孔子は従來飛伏を講じし無しと言いて、それを把りて術数小道に划帰するも、殊に知らず《十翼》裏の飛伏を講ずる処は多きこと甚だしきを、ただ学者たちは目を瞪らして看過ぎて、一処も看て出せざるのみ。《雑卦伝》は「兌は見え巽は伏すなり」と曰う。これ即ち明明白白に挙出せる一条の飛伏の例なり。《説卦伝》は「坎は隱伏を為す」と曰いて、而して《離》卦の《象》辞は「飛鳥」を講ずるも、もまた皆飛伏の説の露出せる端倪なり。至りて六十四卦《彖伝》《象伝》裏の飛伏に説き及ぶは、さらに数え勝れず。

月建 積算

《京氏易傳》以爻直月,從世起建,佈於六位(惟乾坎二卦從初爻起)。乾起甲子,坤起甲午。一卦凡六月,計一百八十日。積算以爻直日,即從月建所止之日起,如姤卦月建起庚午至乙亥(姤初爻庚午,上爻乙亥),積算即從乙亥起。上九為一日,周而復始,一卦凡百有八十日。

《京氏易伝》は毎一爻をして一箇月に当値せしめ、世爻より「建」を起こして、依次六個の爻位に布満す(ただ乾・坎両卦のみ初爻より建を起こす)。乾は甲子より建を起こし、坤は甲午より建を起こす。一卦は六箇月を管りて、合計一百八十天なり。「積算」は則ち毎一爻をして一天に当値せしめて、則ち月建の止住するのあの一天に接続して起算す。譬えば《姤》卦の月建は庚午より起こり乙亥に至りて止まり(《姤》の初爻は庚午を納れ、上爻は乙亥を納る)、積算は便ち接続して乙亥より開始して、上九は第一天と算して、かくのごとく循環往復して、一卦は同じく合計一百八十天なり。

今占家用《火珠林》術,大半出於京氏。惟月建積算,罕有傳其法者。後人或以月為直符,日為傳符,指六爻所見之支當之,非其義也。此為京氏占法,詳晁氏《別錄》,說繁不贅錄。八純卦外,一至六世,皆以本宮納甲為伏,而變宮遊歸以爻論。詳下章。

如今占卦の人の用うる所の《火珠林》の一路の方法は、大半京房より出づ。ただ月建・積算のこの両項のみ、其の算法を伝え下せる人甚だ少なし。後人あるは月を把りて「直符」と為し日を把りて「伝符」と為して、六爻上の現成の地支を拿りて数を充てるも、これは並びに月建積算の本義に非ず。以上は京房の占法にして、詳しくは晁公武の《別録》に見えて、説き来れば繁瑣なれば、ここに則ち再び抄録せず。此の外さらに一条の通例有りて、八個の純卦を除去するの外、一世より六世に至るの卦は皆本宮の納甲を以て「伏」と為す。至りてすでに宮を変じ了れる游魂・帰魂の両類の卦は、則ち要するに爻に就いて論ずべし。詳しくは下一章に見えり。

八卦五行の用

《說卦》“帝出乎震”,及“神也者”兩節,皆言後天八卦之用者也。術家言後天八卦皆居旺地,語雖俚而所見甚精。蓋帝出乎震之帝,非專屬震卦。帝者主也,主權所在,即王也。術家曰旺,即土之用。

《説卦伝》裏の「帝は震より出づ」と「神とは、万物を妙ならしめて言を為す者なり」とのこの両節は、講ずる所は皆後天八卦の功用なり。術数家は後天八卦は各々皆自らの旺地の上に坐すと言うも、話は粗俗なりと雖も、見解は却って相当精到なり。「帝は震より出づ」の「帝」は並びに専ら震卦を指すに非ざるを以てなり。「帝」は即ち主にして、主宰の権の所在にして、即ち「王」なり。術数家の言う所の「旺」は、其の実則ちこの「王」が作用を起こすなり(原文「土の用」の「土」は当に「王」の字の訛なるべし)。

《大平御覽·五行休旺論》曰:“立春艮旺(艮居丑寅之交,立春之候也),震相,巽胎,離沒,坤死,兌囚,乾廢,坎休。立夏巽旺(巽居辰巳之交,立夏之候也),離相,坤胎,兌沒,乾死,坎囚,艮廢,震休。

《太平御覧》の引く所の《五行休旺論》曰く、立春の時艮卦は旺に当たり(艮は丑と寅との交界の処に居りて、正に立春の時節なり)、震は相を為し、巽は胎を為し、離は没を為し、坤は死を為し、兌は囚を為し、乾は廃を為し、坎は休を為す。立夏の時巽卦は旺に当たり(巽は辰と巳との交界の処に居りて、正に立夏の時節なり)、離は相を為し、坤は胎を為し、兌は没を為し、乾は死を為し、坎は囚を為し、艮は廃を為し、震は休を為す。(原文の書名は「大平御覧」と作る。即ち《太平御覧》なり。)

立秋坤旺(坤居未申之交,立秋之候也),兌相,乾胎,坎沒,艮死,震囚,坎廢,離休。立冬乾旺(乾居戌亥之交,立冬之候也),坎相,艮胎,震沒,離囚,坤廢,兌休(《唐典》:王、相、胎、沒、休、廢為八卦之氣)。”王充《論衡》亦同。蓋立冬之候也,得地為旺,旺之沖死,旺所生相,相之沖囚,胎之對廢,沒之對休。

立秋の時坤卦は旺に当たり(坤は未と申との交界の処に居りて、正に立秋の時節なり)、兌は相を為し、乾は胎を為し、坎は没を為し、艮は死を為し、震は囚を為し、坎は廃を為し(此処「坎」の字は重出せり。当に「巽」と作るべし)、離は休を為す。立冬の時乾卦は旺に当たり(乾は戌と亥との交界の処に居りて、正に立冬の時節なり)、坎は相を為し、艮は胎を為し、震は没を為し、離は囚を為し、坤は廃を為し、兌は休を為す(《唐六典》は王・相・胎・没・休・廃を把りて合して八卦の気と称す)。王充《論衡》の記する所もまた此と相同じ。此の一段は正に立冬のこの節候に就いて説を立つるなり。其の例を総括すれば、本位の地を得れば便ち「旺」にして、旺位と相冲するは便ち「死」にして、旺位の生ずる所は便ち「相」にして、相位と相冲するは便ち「囚」にして、胎位と相対するは便ち「廃」にして、没位と相対するは便ち「休」なり。

《淮南·墜形訓》曰:“五行:木壯,水老,火生,金囚,土死。火壯,木老,土生,水囚,金死。土壯,火老,金生,木囚,水死。金壯,土老,水生,火囚,木死。水壯,金老,木生,土囚,火死。”

《淮南子・墜形訓》曰く、五行の盛衰はこのがごとく輪転す――木は壮に当たるの時、水は則ち老い、火は正在生じ、金は囚せられ、土はすでに死す。火は壮に当たるの時、木は老い、土は生じ、水は囚し、金は死す。土は壮に当たるの時、火は老い、金は生じ、木は囚し、水は死す。金は壮に当たるの時、土は老い、水は生じ、火は囚し、木は死す。水は壮に当たるの時、金は老い、木は生じ、土は囚し、火は死す。其の中「壮」は令に当たり勢を得て、我を生ずるの一行は功を成し身を退きて「老」に居り、我が生ずる所の一行は方興して「生」に居り、我を克するの一行は制せられて「囚」し、我に克たるるの一行は則ち「死」す。

春令:木王,火相,土休,金囚。夏令:火王,土相,金休,水囚。秋令:金王,水相,木休,火囚。冬令:水王,木相,火休,土囚。土王四季,金相。

これは一張の展平せる四季五行旺衰の表にして、毎行は令に当たるの季の「王・相・休・囚」の四種の状態を列出す。春季は木は王に当たり、火は相を為し、土は休を為し、金は囚を為す。夏季は火は王に当たり、土は相を為し、金は休を為し、水は囚を為す。秋季は金は王に当たり、水は相を為し、木は休を為し、火は囚を為す。冬季は水は王に当たり、木は相を為し、火は休を為し、土は囚を為す。土は専ら一季を主らずして、而して四季の末に分王して各々十八天にして、あの時金は相を為す。所謂「王」は即ち令に当たり勢を得るなり(後世は多く「旺」と写す)。「相」は令に当たる者の生ずる所にして、王に次ぎて将に興らんとす。「休」は令に当たる者を生ずるにして、功を成して退きて休息に居る。「囚」は令に当たる者を克するにして、反って压制せられて困を受く。

十二卦地支蔵用

地支藏用,分晰陰陽,最為精密。周天三百六十有五度四分度之一,歷三百六十五日四分日之一而氣周,即六十卦三百六十爻之爻周。坎離震兌,分主二至二分,共三百八十四爻。陰陽錯綜,消息盈虛,無不合矣。藏天干於地支者,即乾體坤用。乾之用九,用於坤六,學者以術家言而忽之。是猶悅琢玉之精美,而賤斧鑿為匠器。《十翼》造化之筆,因無斧鑿之痕。然不知斧鑿之用者,又安識良工之心苦哉!

地支の「蔵用」は、即ち毎一支の中の蔵する所の天干および各干の令に当たるの日数にして、陰陽を分辨するや極其精密なり。周天は三百六十五又四分の一度にして、三百六十五又四分之一天を経歴して一気は走り完して、正に六十卦三百六十爻の一轮を走り完るに対応す。再び坎・離・震・兌の四卦を把りて分かちて冬至・夏至と春分・秋分との二十四爻を主らしめて併せ入れ来れば、合共三百八十四爻なり。陰陽交錯綜合して、消長盈虚して、一処として吻合せざる無し。天干を把りて地支の裏に蔵め入るるは、正に「乾は体を為し坤は用を為す」の道理なり。乾の「用九」は、必ず坤の「六」の上に落ちて乃ち功用の見え出づるを得。学者は一たびこれは術数家の言なりと聞けば則ち軽軽に放過するも、これはただ琢み成せる玉器の如何に精美なるかを賞玩して、却って斧鑿はただ工匠の傢伙なるを看不起るに好く比す。《十翼》は造化の筆より出づれば、自然斧鑿の痕跡を留めず。然れども連ねて斧鑿の用処すらも懂らざるの人は、また怎でか良工の一片の苦心を体会し得べけんや!

壬五日三分半,癸二十日六分半,辛長生。癸九日二分半,辛三日一分,己十八日六分。戊七日二分半,丙七日二分半,甲十六日五分。甲十日三分半,乙二十日六分半,癸長生。乙九日三分,癸二日一分半,戊十八日六分。庚七日二分半,戊七日二分半,丙十六日五分。午丙十日三分半,己九日三分,丁十三日三分半。丁九十三分,乙三日一分半,己十分日六分。戊己共七日,壬七日三分半,庚十六日五分。庚十日三分半,辛二十日六分半,丁長生。辛九日三分,丁三日一分,戊十八日六分。戊七日二分半,甲七日二分半,未十六日五分。

これは一張の展平せる十二支蔵用の表にして、元来十二行に分作して、子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の次序に依りて排列して、逐支に当該支の蔵する所の天干および各干の令に当たるの日数を列出す(第七行は一個の「午」の字を残存して、正にこれに拠りて以て全表の次序を確認すべし)。子は壬水五日三分半を蔵し(当に十日と作るべし)・癸水二十日六分半を蔵し、辛金は子に於て長生す。丑は癸水九日二分半・辛金三日一分・己土十八日六分を蔵す。寅は戊土七日二分半・丙火七日二分半・甲木十六日五分を蔵す。卯は甲木十日三分半・乙木二十日六分半を蔵し、癸水は卯に於て長生す。辰は乙木九日三分・癸水二日一分半・戊土十八日六分を蔵す。巳は庚金七日二分半・戊土七日二分半・丙火十六日五分を蔵す。午は丙火十日三分半・己土九日三分・丁火十三日三分半を蔵す。未は丁火九日三分・乙木三日一分半・己土十八日六分を蔵す。申は戊己共七日・壬水七日三分半・庚金十六日五分を蔵す。酉は庚金十日三分半・辛金二十日六分半を蔵し、丁火は酉に於て長生す。戌は辛金九日三分・丁火三日一分・戊土十八日六分を蔵す。亥は戊土七日二分半・甲木七日二分半・壬水十六日五分を蔵す(末行は「未十六日五分」と作る。「未」は「壬」の字の訛なり)。毎支の中三干は依次輪値して、日数相加えて約当一箇月に當たる。これ即ち術数家の言う所の「人元司事」なり。

明爻第十

積爻而成卦,故爻為卦之體。爻動而卦變,故爻又為卦之用。卦之體用,具在於爻。《說卦傳》曰:“昔者聖人之作《易》也,將以順性命之理。是以立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義。兼三才而兩之,故《易》六畫而成卦。分陰分陽,迭用柔剛,故《易》六位而成章。”

爻は累積して始めて卦と成れば、ゆえに爻は卦の「体」なり。爻は一動すれば卦は則ち随いて変ずれば、ゆえに爻はまた卦の「用」なり。一卦の体と用とは、全く爻の上に落つ。《説卦伝》講じて曰く、從前聖人の《易》を創作するや、是れ性命の道理に順応せんと欲するに在りて、これが為に天の道を確立して「陰」と「陽」と曰い、地の道を確立して「柔」と「剛」と曰い、人の道を確立して「仁」と「義」と曰う。天・地・人の三才を把りて各々加倍せば、ゆえに《易》は六画を要して始めて一卦を成す。また六画の中に陰位陽位を分出し・柔爻剛爻は交替して使用せらるるを以て、ゆえに《易》は六個の爻位を要して始めて条理を排し出すべし。この段の話は両件の事を点明せり。六画の来暦は、三才各々両爻を占むるなり。六位の秩序は、則ち陰陽と柔剛との交錯配合より来るなり。

《繫傳》曰:“《易》之為書也,廣大悉備。有天道焉,有人道焉,有地道焉。兼三才而兩之,故六。六者非它也,三才之道也。道有變動故曰爻,爻有等故曰物,物相雜故曰文。文不當故吉凶生焉。”

《繋辞下伝》は接続して曰く、《易》のこの部の書は広大にして備わらざる無くして、裏面は天道有り・人道有り・地道有り。三才を把りて各々加倍せば、ゆえに是れ六画なり。この「六」は別のに非ずして、正に三才の道なり。道は変動すること会すれば、ゆえにそれに為に名を取りて「爻」と曰う。爻は高下等級の別有れば、ゆえにまた「物」と称作す。不同の物は交錯雑処して、ここに「文」と称す。文の配置は若し其の当を得ざれば、吉と凶と便ち其の中より生じ出づ。これを見れば「六」より「爻」に至り、「爻」より「物」「文」に至るまで、一層々皆位次と配合とに就いて名を立つるにして、而して吉凶はただこの套の配合の当と不当とに由りて結び出せる果なるのみ。

又曰:“《易》之為書也不可遠,為道也屢遷。變動不居,周流六虛。上下無常,剛柔相易。不可為典要,唯變所適。”又曰:“爻也者效此者也,象也者像此者也。爻象動乎內,吉凶見乎外,功業見乎變,聖人之情見乎辭。”孔子之所以言爻者,詳且備矣。後世言《易》者,既昧於象數,而六虛六位之義,亦泛焉而莫知所指。每卦僅就所見之上下六爻,為承應當否,卦之情其何由見哉!

《繋辞》は又曰く、《易》のこの部の書は須臾も遠離すべからず。其の講ずる所の道は不断迁移するなり――変動して一処に停留せずして、六個の虚位の間に周流す。上上下下常規無くして、剛爻柔爻は互相替換す。それを把りて一成不変の教条と當てる能わずして、ただ変化に跟いて走るのみ能くす。又曰く、爻とは、この変化を仿效するなり。象とは、この変化を摹擬するなり。爻と象とは卦内に於て変動して、吉凶は則ち卦外に於て顕現す。功業は変化の裏より見え出でて、聖人の心意は則ち卦爻辞の裏より見え出づ。孔子の爻を講ずるは、以てすでに詳細にしてまた完備と言うべし。然れども後世《易》を講ずる人はすでに象数に昧くして、「六虚」「六位」の意義に対してもまた含含糊糊にして、究竟何を指すかを説き出す能わずして、毎一卦はただ眼前見え得るの上下六爻に就いて往きて承を論じ・応を論じ・当位不当位を論ず――かくのごときは、一卦の実情はまた何処より顕現し出で得べけんや!

卦氣由下生,故以下為初。重三畫之卦為六畫,仍分三才。陽奇陰偶,陽剛陰柔。以配天地,中爻為人,曰仁曰義。上下進退,為內外兩象之中樞。孔子贊《易》,《彖傳》以內外兩象之陰陽剛柔,釋一卦之義。《象傳》則專取中爻,聯合上下象數,以人合天。

卦気は下より上に向かい生発せば、ゆえに最下面のあの一爻を「初」と曰う。三画の経卦を把りて重畳して六画の別卦を成すも、依然として天・地・人の三才を分かつを要す。陽は奇を為し陰は偶を為し、陽性は剛にして陰性は柔なり。上両爻は天に配し下両爻は地に配し、中間両爻は人に配するは、説く所は則ち「仁」と「義」なり。中間両爻は上る可く下る可く・能く進み能く退くは、正に内外両個の卦象の間の枢紐なり。孔子は《易》を解するに、《彖伝》は内外両象の陰陽剛柔を拿りて往きて整卦の義理を解釋し、《象伝》は則ち専ら中間の爻を取りて、上下の象数を把りて聯結し起こして、人事を用いて往きて天道に合す。

六十四卦《象傳》,皆曰“君子以”或“先王以”者,即以人事明天地之道者也。天地之道往復不窮,而人事之千變萬化,皆在三四兩爻之反覆。孔子曰“其初難知,其上易知,本末也”,《大過·彖》曰“本末弱也”。明六爻之本末,而後一卦之體用可知。而元亨利貞,亦可以陰陽之升降上下而明其序也。

六十四卦の《大象伝》は皆「君子は以て……」あるいは「先王は以て……」と曰うは、正に人事を拿りて来りて天地の道を闡明するなり。天地の道は往復循環して窮尽無くして、而して人事の千変万化は、全く三・四のこの両爻の往復の間に係る。孔子曰く「其の初は知り難く、其の上は知り易し。本末なり」と――初爻は根本なれば、ゆえに知り難し。上爻は末梢なれば、ゆえに見易し。《大過》の《彖伝》もまた「本末弱きなり」と曰う。六爻の本と末とを弄清して、然る後一卦の体と用とは始めて明白なるを得。而して「元・亨・利・貞」の四徳も、また以て陰陽昇降上下の次第に順いて、それらの先後順序を看清すべし。

端木氏曰:《易》太極含三為一,乾坤上下中,上天極,立在下地極,而中人極。離坎天地中,日月二人象,天地中人道,離坎交中,天地間生人。天地顛,乾下首,生人出。乾是坎,北極艮背。坤是離,南極巽高。而中極人道,震兌出入,天地大義人之終始。此六爻三極之道也。

端木国瑚曰く、《易》の太极は三者を把りて含摂して一と為すなり。乾坤は上・中・下の三層を分かつ。上は天極にして、之と対立して下面に処するは地極にして、居中なるは人極なり。離と坎とは天地の中に処して、是れ日月両象にして、即ち人の象なり。天地の当たり中の人道は、正に離坎交會に由りて成りて、天地の間に始めて人を生出す。天地は一たび顛倒すれば、乾は便ち首を垂れて下に在りて、人はこれに由りて生出す。後天に就いて言えば、先天の乾位は坎に換えられて北極に居りて、而して《艮》卦は「其の背を艮にす」を講じ、先天の坤位は離に換えられて南極に居りて、而して巽は「高」の取象有り。中間のこの一層は人道にして、震・兌に由りて出と入とを主管して、正に《帰妹・彖伝》の言う所の「天地の大義なり」「人の終始なり」に合す。これ即ち六爻が天・地・人の三極を分配するの道理なり。

爻位第十一

六位六虚

六位

分陰分陽,迭用柔剛,故《易》六位而成章。六位者,初爻二爻為地位,三爻四爻為人位,五爻上爻為天位。以乾卦例之,初九在地之下,故曰“潛”。九二地之上,故曰“田”。三爻為人之正位,故曰“君子”。四爻不當位,故曰“或”。五爻天位,故曰“在天”。上九在天之上,故曰“亢也”。

《説卦伝》曰く「陰を分かち陽を分かちて、柔剛を迭び用い、ゆえに《易》は六位にして章を成す」と。所謂六位とは、即ち初爻・二爻は地位を為し、三爻・四爻は人位を為し、五爻・上爻は天位を為すなり。乾卦を拿りて例子と作せば、初九は地位の下に処すれば、ゆえに爻辞は「潜竜用うる勿かれ」の「潜」を曰う。九二は地位の上に処すれば、ゆえに「見竜田に在り」の「田」を曰う。三爻は人の正位なれば、ゆえに「君子終日乾乾たり」を曰う。四爻はすでに人の正位を離れて而して未だ天位に及ばずして、居る所は当ならざれば、ゆえに「或いは躍りて淵に在り」の「或」を曰う。五爻は天位なれば、ゆえに「飛竜天に在り」を曰う。上九はさらに天位の上に在れば、ゆえに「亢竜悔有らん」の「亢」を曰う。

位有一定,而爻則變動無常。學者必先知有定之位,定其為陰為陽,為上為下,而後爻之奇偶當否,可得而言也(偶居陰,奇居陽,為當,反之為不當)。分陰分陽,迭用柔剛。惟既濟一卦,為陰陽柔剛各當其位,故曰“既濟定也”。定則不動,不動則不生,而《易》道或幾乎息矣。

位は固定して、爻は却って変動して定まらず。学者は必ず先ずこの固定する位を弄清して――それを定め出して是れ陰位なるか抑も陽位なるか・上に居るか下に居るか――然る後始めて爻の奇偶の当と不当とを談じ得べし(偶数の爻は陰位に居り奇数の爻は陽位に居るを、「当」と曰う。反って来れば則ち「不当」なり)。六位は陰を分かち陽を分かちて、柔剛交替して使用す。六十四卦裏はただ《既済》の一卦のみ、陰陽柔剛個個皆其の位を得れば、ゆえに《雑卦伝》は「既済は定まるなり」と曰う。然れども一旦定まり住せば則ち再び動かず、動かざれば則ち再び生ぜずして、《易》道もまた就いてほとんど停息せんとす。

故荀虞均以乾坤成兩既濟為凶。《序卦》曰:“《易》不可窮也,故受之以未濟終也。”此以陰陽之位言之也。若以用言,則一卦六爻,惟中四爻得用。初未用事,而上則失位。故《乾·上》曰:“高而無位”,《需·上》日“位不當也”。王弼曰“上下無位”者,指此也。

ゆえに荀爽・虞翻は皆乾坤を把りて変じて両個の《既済》と成るを凶象と看作す。《序卦伝》曰く、「《易》は窮まるべからず。ゆえに之を受くるに《未済》を以てして終わる」と。以上は則ち陰陽の位に就いて言えるなり。若し角度を換えて「用」に就いて言えば、一卦六爻の当中はただ中間四爻のみ真に用を得。初爻は未だ事を辦ずるに輪番せずして、上爻は則ちすでに位を出でたり。ゆえに《乾》卦上九は「高くして位無し」と曰い(《文言》原作は「貴にして位無く、高くして民無し」)、《需》卦上六の《象伝》は「位に当たらずと雖も」と曰う。王弼の所謂初・上両爻の「位無し」は、指す所は正にこの一層なり。

六虚

《繫傳》曰:“上下無常,周流六虛。”六虛者,即初二三四五上之位也。爻實位虛,爻有上下,而位無變動。爻有柔剛,位有陰陽(一三五為陽,二四六為陰),剛柔雜居(剛居陽,柔居陰,為當。或以剛居陰,柔居陽,則相雜而文生焉),吉凶以著。《參同契》曰:“二用無爻位,周流行六虛。”二用者即九與六也。

《繋辞伝》曰く、「上下常なく、六虚に周流す」と。所謂「六虚」とは、即ち初・二・三・四・五・上のこの六個の位置なり。爻は実にして、位は虚なり。爻は上有り下有りて移動する会し、位は却って固定して変らず。爻は柔剛を分かち、位は陰陽を分かつ(第一・三・五は陽位を為し、第二・四・六は陰位を為す)。剛柔は其の間に雑処して(剛爻は陽位に居り柔爻は陰位に居るは「当」にして、若し剛爻は陰位に居り柔爻は陽位に居れば、便ち相雑じて「文」を生出す)、吉凶は則ち此に由りて顕現し出づ。《周易参同契》曰く、「二用は爻位無く、六虚に流行す」と。ここの「二用」とは、即ち乾の「用九」と坤の「用六」なり。

乾九坤六,上下升降,周流六虛,以成六十四卦。故觀象者不可僅觀所見之六爻。六爻之下,尚有六虛,皆與此所見之六爻相關。爻為飛,位為伏,實易辨而虛難知。必由實而究其虛,庶遇爻而知其用,於《易》之道思過半矣。

乾の九と坤の六とは上下の間に於て昇降往来して、六虚の中に周流して、従いて六十四卦を生成す。ゆえに象を観る人はただ眼前見え得るの六爻を盯着するのみ能わず。六爻の背後にはさらに六虚有りて、皆眼前の此の六爻と息息相関せり。爻は「飛」にして、位は「伏」なり。実なるは辨认し易くして、虚なるは知り難し。必ず実処に由りて往きて虚処を追究して、始めて一たび爻に遇えば則ち其の用を明白にするを得。能くこの一歩を做到せば、《易》道に対してもまた領会すること半ばを過ぎん。

八卦正位

爻位六而卦有八,八卦於六爻,各有其當位之爻,曰正位。家人曰“男正位乎外,女正位乎內”,言九五與六二,則但以陰陽言也。陰陽以二五爻為得中得正,乾坤為卦之宗主,亦陰陽之純體。故乾以九五為正位,坤以六二為正位,坎離為乾坤之交(坎中之陽即乾爻,離中之陰即坤爻)。故坎離之正位,與乾坤同。震以初九為正位,艮以九三為正位,巽以六四為正位,兌以上六為正位。卦各有其正位,故六爻具六子之位。為圖如下:

爻位はただ六個のみ有りて、卦は却って八個有りて、八卦は六爻の中に各々自己占拠すべきのあの一爻有りて、「正位」と曰う。《家人》の《彖伝》は「男は外に正位し、女は内に正位す」と曰うは、指す所は九五と六二にして、あれはなおただ陰陽に就いて言えるのみ。陰陽は二爻・五爻を以て中を得正を得ると為す。乾坤は衆卦の宗主にして、もまた陰陽の純粋の体なれば、ゆえに乾は九五を以て正位と為し、坤は六二を以て正位と為す。坎離は乾坤の交合に由りて成り(坎の中間のあの一根の陽爻は則ち乾爻にして、離の中間のあの一根の陰爻は則ち坤爻なり)、ゆえに坎離の正位は乾坤と相同じ。此の外、震は初九を以て正位と為し、艮は九三を以て正位と為し、巽は六四を以て正位と為し、兌は上六を以て正位と為す。毎一卦各々其の正位有れば、これが為に一卦六爻は正好六子の卦の位置を安放し得。今や図を把りて列して下に在り。

端木氏曰:天地六爻,坎離既濟定位,五多功二多譽,位當也。離坎未濟居方,三多凶四多懼,不當位也。有當位而不正者,而正位未有不當者也。而《彖》、《象》之言正則以二五,故八卦惟乾坤坎離之為得中得正也。

端木国瑚曰く、天地六爻の中に於て、坎は上に在り離は下に在りて合して《既済》を成して、各爻皆其の定位を得れば、ゆえに《繋辞》は「五は功多し」「二は誉多し」と曰うは、正にそれらの位に当たるを以てなり。反転して離は上に在り坎は下に在りて合して《未済》を成すは、ただ各々其の方に居るのみにして、ゆえに「三は凶多し」「四は懼多し」と曰うは、それらの位に当たらざるを以てなり。ある爻は位に当たると雖もなお「正」と談ずるに及ばざるも、但し凡そ正位と称し得べきは、位に当たらざる無し。而して《彖伝》《象伝》の「正」を講ずるは、一律に二爻と五爻とを取れば、ゆえに八卦の中はただ乾・坤・坎・離のみすでに中を得また正を得ると称し得べし。

六爻三極定位,天地定位。六爻上山澤,下雷風,中水火。六爻三極,下二初地爻地極,雷風恆,天地下極立心恆,坤地極立不易方,二初震巽爻是也,五上天爻天極,山澤損天上極員(損從員),乾天恆無方,中日月斗,三人行,乾極與時偕行,五上艮兌爻是也。

六爻は分かちて天・地・人の三極に属して各々定位有るは、正に《説卦伝》の言う所の「天地は位を定む」に合す。六爻の中、上両爻は山沢に属し(艮兌)、下両爻は雷風に属し(震巽)、中間両爻は水火に属す(坎離)。三極に就いて言えば、下面の第二爻と初爻とは地爻にして地極に属し、雷風相合して《恒》卦を成して、天地の下極は則ちこの「恒」を靠りて心志を立定す――《恒・象伝》は「君子は以て立ちて方を易えず」と曰う。坤は地を為して、地極は正にこの「方を易えず」にして、指す所は即ち初・二の両爻の上の震と巽なり。第五爻と上爻とは天爻にして天極に属し、山沢相合して《損》卦を成して、天の上極は「円」の義を取る(「損」の字は「員」に従う)。乾は天を為して、恒久にして固定の方所無くして、当中は日月と北斗とを懸る。《損》卦六三は「三人行けば則ち一人を損す」と曰い、《損・彖伝》は「時と偕に行く」と曰うは、指す所は即ち五・上の両爻の上の艮と兌なり。

四三人爻人極,水火既濟,天地中間人,於天地上下初終,首尾續終,中為人極。兼三才而兩之,定上下中極,四三坎離爻是也。六爻三極,天地南北居方,六爻辨物辨等。乾坤六十四卦終下坎北極,故曰“初難知”,曰“亦不知極也”。此《易》居方上下六爻三極之道也。

第四爻と第三爻とは人爻にして人極に属し、水火相合して《既済》を成して、人は正に天地の当たり中に処す。天地上下の起訖首尾の間に於て接続収束して、居中のこの一段は便ち人極なり。「三才を兼ねて之を両にす」は、ここに上・中・下の三極の位置を定め出せるは、指す所は即ち三・四の両爻の上の坎と離なり。六爻は分かちて三極に属して、天地南北は各々其の方に居りて、六爻は則ち用て「物を辨じ」「等を辨ず」るを為す。乾坤の統摂する六十四卦は、最後下方の坎・即ち北極の上に収結せば、ゆえに《繋辞》は「其の初は知り難し」と曰い、また「亦た其の極する所を知らず」と曰う(原文は「亦た極を知らざるなり」と作る)。これ即ち《易》の六爻を以て方に居り位を定め・分かちて三極に属するの道理なり。

六爻定位図

右圖與前圖合觀,則知爻位之隱見變化,不但卦有飛伏交互,而爻之飛伏交互,亦與卦等也。向之說《易》家,能究心於爻位之義者甚鮮,而於爻位之分,更未有言之者。來知德氏,雖有八卦之正位一圖,而注中仍不能用,則以未明爻位之體用有別也。今合二圖而一之,並附以說,庶閱者可瞭然矣。

上面の此の幅の図と前面のあの幅の図とを合して看れば、則ち能く爻位の隱顕変化の道理を明白にすべし。不但整卦は飛伏有り交互有るのみならず、単爻の飛伏と交互とは、其の分量もまた整卦と相等し。從前《易》を講ずる人は、肯んじて爻位の義の上に功夫を下すはもとより甚だ少なくして、至りて爻位の如何に劃分するかは、さらに人の講じし有らざるなり。明代の来知徳は一幅の八卦正位図を画けし有ると雖も、然れども注解裏は依然として用い上ぐる能わざりしは、あれは彼の爻位の「体」と「用」とはもとより別有るを弄清せざるを以てなり。如今両幅の図を把りて合して一と為し、并せて説明を附せば、読者は大概以て一目了然すべし。

六十四卦三百八十四爻,皆乾坤二用,周流六虛,至既濟而全卦之爻位相當。故曰“既濟定也”。爻位既明,二用斯章。然乾元用九,綱領全《易》。地道無成,坤之用皆乾之用也。乾無方無體,乾之用皆見於坤之用也。孔子《文言傳》曾發乾九用坤,坤六承乾之旨,已極詳備。大明終始,六位時成,乃非既濟而為未濟,其故可深長思矣。

六十四卦は合わせて三百八十四爻にして、全く是れ乾坤「用九」「用六」の此の両種の用が六虚の中に周流往来するなり。《既済》に到れば、一卦の爻位は個個相当せば、ゆえに《雑卦伝》は「既済は定まるなり」と曰う。爻位は一旦明白にせば、乾坤二用もまた就いて随いて彰顯す。不過「乾元用九」こそ始めて整部《易》を統摂するの綱領なり。《坤・文言》は「地道は成す无くして代わりて終有り」と曰う。これを見れば坤の用は其の実皆乾の用なり。乾はまた方所无く・形体无ければ、ゆえに乾の用はまた全く坤の用の上に落ちて乃ち見え得べし。孔子は《文言伝》裏にすでに乾の九は須く坤に用いられ・坤の六は須く乾に承くべしの此の宗旨を発揮するや極其詳備なり。《乾・彖伝》は「大明終始にして、六位時に成る」を講じて、而して全経の収尾は偏偏《既済》に非ずして《未済》なり。此の裏頭の道理は深長に思索するに値す。

六位時成図

乾六位,火本天親上。離五位,水本地親下。坎二位,而上下剛柔應位。山澤,艮上位兌三位。雷風,震四位巽初位。而上下六位,巽伏,震起,兌見,艮止,皆中離坎日月象。故曰“大明終始六位時成(下巽伏,上兌見,即坎象。下震起,上艮止,即離象。)。”

乾は六個の爻位を統摂す。火はもとより天に属して上に親附せば、ゆえに離は第五位を占む。水はもとより地に属して下に親附せば、ゆえに坎は第二位を占む――かくのごとく上下剛柔は各々位に応ず。山沢は一対にして、艮は上爻位に居り、兌は第三位に居る。雷風は一対にして、震は第四位に居り、巽は初爻位に居る。ここに上下六位の中に於て、巽は「伏」を主とし・震は「起」を主とし・兌は「見」を主とし・艮は「止」を主として、四者皆中間の離坎の象る所の日月を囲繞す。ゆえに《乾・彖伝》は「大明終始にして、六位時に成る」と曰う(下面は巽の伏・上面は兌の見にして、合せば則ち坎象なり。下面は震の起・上面は艮の止にして、合せば則ち離象なり)。

《上經》始乾坤終坎離,其往來卦十八。《下經》始咸恆終既未濟,其往來卦十八。十八為二九數,乃離坎二卦日月終始。離一九,寅數止戌。坎一九,申數正辰。此離坎二九,皆乾用九圓,日月為大明象。乾二九十八卦,《上經》始乾坤,終坎離,大明終始六位是也。

《上経》は乾坤に起こり坎離に終わりて、其の中両々往来相対するの卦は合して十八組を成す。《下経》は《咸》《恒》に起こり《既済》《未済》に終わりて、往来相対するの卦もまた十八組なり。十八は二乗九の数にして、正に離・坎両卦の象る所の日月の終と始とに対応す。離は一個の九に配す。寅位より起こして九位を数えて、戌に止まる。坎は一個の九に配す。申位より起こして九位を数えて、辰に止まる。離坎の此の両個の九は、皆乾「用九」の円道にして、日月は合せば便ち「大明」の象なり。乾の二九は合わせて十八卦にして、《上経》は乾坤に起こり坎離に終わるは、所謂「大明終始にして、六位時に成る」は正に此を指すなり。

離坎二卦,南北終始,皆出入於震兌二卦,東西往來。震一九亥數止未,兌一九巳數止丑。此震一九離出震,兌一九坎出兌,皆乾用九圓。而上、下《經》各往來卦十八,始乾終既未濟,乾六位成而坤天下平。此離坎上下六位,南北居方卦大明日月也。

離・坎両卦は一南一北にして、終始を主管して、而してそれらの出入は皆震・兌両卦を経由して、東西の間に於て往来す。震もまた一個の九に配す。亥位より起こして九位を数えて、未に止まる。兌もまた一個の九に配す。巳位より起こして九位を数えて、丑に止まる。震の此の九は、離は震より出づるなり。兌の此の九は、坎は兌より出づるなり――同じく皆乾「用九」の円道なり。上・下両経は各々十八組の往来卦有りて、全経は乾に起こりて《既済》《未済》に終わりて、乾の六位は一旦成就せば、坤は便ち「天下平」なり。これ即ち離坎の分かちて上下六位に居り・南北各々其の方を占めて以て大明日月を象徴するの道理なり。

上下卦十八終始三十六,是為乾四九出入,南北上下為之極。其卦三十六,皆離坎首尾終之始之。而乾坤上下六十四卦六位,皆此離坎六位終始之。是乾用九乾圓象,而六十四卦以成終成始,乾大明終始,六位時成是也。

上下両経は各々十八にして、首尾相合せば便ち三十六なり。これ即ち乾の四個の九が出入運転して、南北上下皆これを以て極と為すなり。この三十六組の卦は、全く離坎に由りて首尾両端に於て収束し開啓す。而して乾坤の統轄する六十四卦・六個の爻位も、また皆此の離坎の六位に由りて来りて之を終わらしめ・之を始まらしむ。これを見れば乾の「用九」は正に乾道の運行して円を成すの象なり。六十四卦は此を借りて以て終を成し始を成す。《乾・彖伝》の言う所の「大明終始にして、六位時に成る」は、講ずる所は則ちこの一層なり。

六爻二極,尤重在人。天地之氣,以人而通。陰陽之道,以人而和。孔子贊《易》“立人之道”,以合乎天地之正。《京氏易傳》:孔子曰“陽三陰四,位之正也”,三者東方之數,日之所出也。四者西方之數,日之所入也。言日月終天之道。

六爻は分かちて三極に属して、其の中最も要紧なるは依然として人の此の一極なり(原文「二極」は当に「三極」と作るべし)。天地の気は人を靠りて始めて貫通し得べく、陰陽の道は人を靠りて始めて調和し得べし。孔子は《易》を解して「人の道を立つ」を講ずるは、正に人をして天地の中正に合せしめんと欲するなり。《京氏易伝》は孔子の言を引きて曰く「陽は三・陰は四、位の正なり」と。三は東方の数にして、太陽はあの処より升起す。四は西方の数にして、太陽はあの処に到りて落下す――講ずる所は日月の一天を貫穿し・天に周行するの道理なり。

故《易》卦六十四,分上下象陰陽也。故奇偶之數取之於乾坤。乾坤者,陰陽之根本也。陰陽之道備著於坎離。坎離者,陰陽之性命也,而其樞要皆在於三四兩爻。於此求之,六十四卦之辭義可迎刃而解矣。圖附後。

ゆえに《易》の六十四卦は分かちて上下両経を成すを要して、用て陰と陽との此の両面を象徴す。奇数と偶数とは乾坤より取るは、乾坤は陰陽の根本なるを以てなり。而して陰陽の道はまた坎離の身上に完備に体現せらるは、坎離は陰陽の性と命なるを以てなり――乾坤は陰陽の体を給出して、坎離は陰陽の用を顕出す。而して此の一切の枢紐関鍵は、皆第三・第四の此の両爻・即ち人の居る所のあの両個の位置の上に落つ。此処より入手して往きて探求せば、六十四卦の卦爻の辞と義理とは便ち刃に迎えて解くべし。図は後面に附す。

天地人六爻往復,天地上下,在人中爻三四迴轉。而上下天地爻,乃往復不窮。此乾坤六爻上下應位,二三四五同功異位,皆具此六爻往復中,皆在中人爻迴轉。人於天地上下,不見首尾,乃中間背脊,其道反覆不已。天地往復,其道不窮。孔子六十四卦大象,著六十四“以”字。“以”,古文作□,即結合上下兩卦往復迴轉之象也。

天・地・人の六爻は循環往復す。天は上に在り地は下に在りて、全く人の居る所の三・四の両爻が中間に於て回旋転折するを靠りて、上下天地両截の爻は始めて往復して無窮を得。乾坤六爻の上下相応、および《繋辞》の言う所の二と四・三と五の「功を同じくして位を異にす」は、皆此の六爻の往復の中に包含せられて、もまた皆中間の人爻の上に於て打転せんと要す。人は天地上下の間に処して、首を見えず・もまた尾を見えずして、ただ当中の一段の脊梁なるのみにして、其の道は反反復復して止息無し。天地往復して、其の道は自然無窮なり。孔子は六十四卦の為に《大象伝》を作りて、一連に六十四个の「以」の字を用いたり。「以」の古文字形(此処原書の摹する所の古文字形は缺失せり)は、正に上下両卦を把りて結合して往復回転するの象なり。

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