《説卦》の象に重出する三卦
曰:否否。坎曰惟心亨,正以陽之正中也。若以陽之梗於中為病,則天下之心,殆無不病者矣。陽梗於中為耳痛,則天下之耳,將無不痛者矣。其說之誣,不待辯矣。坎為耳為心,其本象也。其為加憂,為心病,為耳痛,則因所處之時與位而言。所謂陰陽既合以後之象,陰陽合則變化生,曰憂,曰病,曰痛,明明既動以後之事,烏得以本象之陰陽言之?
答えて曰く。否、否。《坎卦・彖伝》は「惟れ心亨る」と言う。まさに陽爻が正中に居るに因る。若し陽爻が中間に横梗すればすなわち病と言うなら、天下人の心でほとんど病を生じない者はなかろう。陽爻が中間に横梗すればすなわち耳痛なら、天下人の耳朵は痛まない者がなくなろう。この説法の荒謬は、弁争を待たずして明白である。坎が耳・心と為るは、その本象である。憂を加え・心病・耳痛と為るに至っては、すなわちそれが処する時と位に就いて言うので、前に講じた陰陽交合して後の象に属する。陰陽は一たび交合すれば変化を生ず。憂を言い病を言い痛を言うは、分明に皆既動して後の事である。どうして本象の陰陽を取って講じ得ようか。
比樂師憂,同一坎焉,何為於比則樂,於師則憂?豈比之坎剛畫梗於其中,而師之坎則無剛畫梗於其中耶?豈比之坎陽陷陰中而師之坎陽出陰外耶?同一坎也,同一坎與坤也,同為一剛而五柔也,乃優樂頓異者,則惟其所處之時與位之不同耳。
《雑卦伝》は「比は楽しみ師は憂」と言う。両卦は同じく一つの坎を含むのに、なぜ比卦においては楽で師卦においては憂か。まさか比卦の坎には剛爻がその中に横梗し、師卦の坎には剛爻がその中に横梗しないのか。まさか比卦の坎は陽が陰の中に陥り、師卦の坎は却って陽が陰の外に跑出したのか。同じく坎、同じく坎と坤と相配し、同じく一剛五柔なのに、憂と楽とが截然として相反する。原因はただ処する時と位が同じでないだけである。
然憂與樂固同此心焉。處憂則憂,當樂而樂。或先憂而後樂,或先樂而後憂。時與位無定,君子處之無成心焉。故曰加憂。加者非所固有,從而加之之辭。《坎·彖》曰“惟心亨,往有尚”,尚即加之義也。物失其中為病,艮之“危薰心”,心病也。不安其中亦病,咸之“憧憧往來”,亦心病也。坎者通也,失其通為痛。噬嗑之“荷校滅耳”,《傳》曰“聰不明也”,乃耳痛也。未聞剛梗於中之為病為痛也。
しかし憂と楽はもともとこの一顆の心から同出する。憂うべき境地に処れば憂え、楽しむべき時に遇えば楽しむ。或いは先に憂えて後に楽しみ、或いは先に楽しんで後に憂える。時と位に定準なく、君子はこれに処して成見を存さない。だから《説卦》の言うは「憂を加う」――「加」はもともと無くして後に附加されたの意である。《坎卦・彖伝》は「惟れ心亨り、行きて尚ある」と言い、「尚」もまたまさに「加」の意である。物はその中を失えば病と成る。《艮卦》九三の「厲しくして心を薰す」は、すなわち心病である。その中に安んぜざるもまた病である。《咸卦》九四の「憧憧として往来す」もまた心病である。坎の意は通である。通を失えばすなわち痛である。《噬嗑》上九の「何校耳を滅す」、《象伝》は「聡明ならざるなり」と言う。あれこそ耳痛である。剛爻が中間に横梗すればすなわち病・痛と算すると聞いたことはない。
腐儒不明象義,又不熟經文,僅知於一卦三畫中求象。求而不得,於是以剛柔之卦畫,以己意揣測而附會之,而不顧其理之是非。此言象者之所以授人口實也。坎之為矯輮,亦非其本象也。凡物件之矯輮者,必先炙以火,而以水定之。故坎象之為矯輮,亦必在與離相合,或在與離通變之後,而弓輪則更因矯輮推而及之者也。蓋物之有弓與輪,乃為矯輮之最著者也。《易》象有相因而及者,如艮為門闕,因更為閽寺;兌為口舌,因更為巫,皆與此一例也。
腐儒は象義を明白にせず、また経文に熟悉せず、ただ一卦三画の内に象を求めることを知る。求め出せなければ、剛柔の爻画を取って自己の意思で揣测附会し、全く道理が講じ通るか通らないかを顧みない。これがまさに象を講ずる者が人に話柄を摑まれる縁故である。さらに坎の「矯輮を為す」も、またその本象ではない。およそ木料を揉み弯げ矯め直さんとするは、必ず先ず火をもって烤り、再び水をもって定型する。だから坎の矯輮と為るも、必ず離と相合し、あるいは離と交通変化して後に成立する。「弓輪を為す」に至っては、さらに矯輮から再び推衍し開いた――器物の中で、弓と輪はまさに矯揉の功が最も顕著である。《易》象の中にこの種の彼此相い因りて牵及する例がある。艮は門闕と為し、因りてまた門を守る阍寺と為し、兌は口舌と為し、因りてまた巫祝と為す。皆これと同一体例である。
或問:象之言數,是否即“七日來復”,“八月有凶”,與“十年不字”、“十年勿用”之類?曰:非也。此乃言爻與卦之數。雖與象不盡無關,然不可即謂象之數也。然則象之倚於數者如何,可略舉其例歟?曰:《易》之為書,參天兩地而倚數。三畫成卦,參天也。因而重之,兩地也。六畫而分三才,又參天也。三才而迭用柔剛,又兩地也。用九用六,又參天而兩地也。故《易》之立言,殆無一不倚於數。詳言之,非短辭所能罄,當別論之。
ある人が問う。象の中の言う数は、すなわち《復卦》の「七日にして来り復す」・《臨卦》の「八月に至りて凶有り」、および《屯卦》の「十年にして乃ち字す」・《蒙卦》の「十年用うる勿れ」のこの類か。答えて曰く。否である。あれらの講ずるは爻と卦の数で、象と全く関係なしと言うことはできないが、しかし便ち象の数と呼ぶことはできない。さらば象の依憑する数はどのようか、略々幾つかの例を挙げられるか。答えて曰く。《説卦伝》は《周易》という書が「天を参し地を両として数を倚る」ものと講じる。三画で一卦を成すは「参天」で、两卦が相重なって六画を成すは「両地」で、六画がさらに三才に分かれるはまた「参天」で、三才にして交替に柔剛を用うるはまた「両地」で、九を用い六を用いるは、依然として参天にして両地である。だから《周易》の立言は、ほとんど数に依憑しない一処なし。細かく講じ起こせば、三言両語の言い尽くす所ではない。別に専論を作るべきである。
象之倚數,亦不能離乎陰陽。陽數參天,陰數兩地。參兩之數,無不原本天一至地十之五十五數,而折為五行,分寄於象。故象之言數,以根於五行及九宮之數為多。而五行各有始有壯有究,數又有別也。
象の依憑する数も、また陰陽を離れられない。陽数は「参天」を取って三を率とし、陰数は「両地」を取って二を率とする。参と両の両種の数は、天一から地十まで合計五十五というこの総数に本づかないことはなく、さらに折りて五行と為し、分かれて各種の象の上に寄托する。だから象の中に数を講ずるは、大抵五行の数と九宮の数に根づく。そして五行は各々起始・壮盛・終究の三段階があって、数は各段階においてまた分別がある。
《易》窮則變,窮於數也(天數極於二十有五,地數極於三十,天地之數窮於五十有五。故生數終於五,成數始於六,天地生成之數合於五。六乃為天地之中,七則反以天之五分陰分陽。故乾之數十。以地之六迭用柔剛,故支之數十二,十三則凶。陰九陽六,六九五十四,為窮之災。而五十六為凶之始,而九十六與一百零六皆凶數。)是故欲明象之數,必先別其時位。時有三候(即始壯究也),位有三等(即初中上也),明乎此,於象倚於數之理思過半矣。
《繋辞伝》は「《易》は窮すれば則ち変ず」と言う。窮まる所はまさに数である(天数は二十五をもって極とし、地数は三十をもって極とし、天地之数は五十五に窮まる。だから生数は五に終わり、成数は六に始まり、天地生成の数は五に会合する。六はこそ天地の中数で、七は反って天の五を陰陽の両半に分ける。それゆえ天干の数は十である。さらに地数の六をもって交替に柔剛を配用するので、地支の数は十二で、十三に至れば凶となる。陰は九をもって極とし、陽は六をもって用とし、六九相乗じて五十四を得るは窮極の災で、五十六は凶の開端であり、そして九十六と一百零六は皆凶数に属する)。だから象の数を弄明白にせんとすれば、必ず先ずその時と位を分辨せねばならない。時には三候あり、すなわち起始・壮盛・終究である。位には三等あり、すなわち初・中・上である。この一層を明白にすれば、象が数に依憑する道理に対して、また一大半を領会したと言える。
逸象
《易》象掌於太卜,周室版蕩,典章散迭。東遷而後,未能盡復故物。孔子《說卦》所傳,即為掇拾殘闕之遺,而又歷經劫火,簡策散失。比及西漢,兩篇《十翼》,猶闕《說卦》三篇。後得河內女子發於廢屋,即今之《說卦》是也。
《易》象はもともと太卜の官が掌管していた。周室が動蕩し、典章制度は散失した。平王が東に遷って以後、旧有の典籍は全部回復できなかった。孔子の《説卦伝》に伝わったのは、もともと残欠の中から掇拾して来た遺文で、その後また屢々兵燹の災に遭い、簡册は散失した。西漢に至って、《十翼》両篇の中にまだ《説卦》三篇が欠けていたが、後に初めて河内の一女子が拆毁した旧屋の中で発見し、すなわち今日伝わる《説卦伝》である。
卦象殘闕,自所不免。《荀九家》補象,乾有四,坤八,震三,巽二,坎八,離一,艮三,兌二,都三十有一。朱子已取以列入《本義》。而孟氏之逸象,文十倍於《九家》。計乾之象六十有一,坤八十一,震四十九,坎四十七,艮三十七,巽二十,離十九,兌九,共三百二十三,亦云夥矣。
卦象に残欠あるは、自ずと免れ難い。《荀九家易》の補した逸象は、乾四条、坤八条、震三条、巽二条、坎八条、離一条、艮三条、兌二条、合計三十一条で、朱熹はすでに《周易本義》に採り入れた。そして孟喜の一系に伝わった逸象は、篇幅は《九家》の十倍で、計れば乾象六十一条、坤八十一条、震四十九条、坎四十七条、艮三十七条、巽二十条、離十九条、兌九条、都合三百二十三条で、また多いと算する。
而後儒如何妥、於令升、侯果、朱震、來知德,及勝清毛錫齡,亦均有補象。要皆採自二篇《十翼》者為多。如《九家》所補之三十一象,惟坤之帛與漿,震之為鵠,巽之為鶴,未見於經,餘皆經傳所有者也。《易》道廣大,無所不包,象足以盡物,物不足以盡卦。《易·說卦》於《象》曰其於物也,其於人也,亦舉一隅而已。觸類旁通,非列舉所能盡也。
後世の学者如何妥・干宝(字は令升)・侯果・朱震・来知徳、および清代の毛奇齢(源文は「毛錫齢」と作る)も、また各々補象がある。ただ大抵《十翼》両篇の裡から採り出したものである。例えば《九家》の補した三十一象の中で、ただ坤の「帛を為す」「漿を為す」、震の「鵠を為す」、巽の「鶴を為す」が経文に見えないのみで、その余は皆経伝の中に元有のものである。《易》道は広大にして包まざるなし。象は万物を窮めるに足るが、万物は一卦を窮めるに足らない。《説卦伝》が象を講ずる時に「物に於いては」「人に於いては」と言うも、所詮一つの角落を挙げるにすぎない。全く類に触れて旁通に頼るので、一一列挙して窮め尽くせる所ではない。
(《荀九家》者,荀慈明集九家《易》解,為書十卷,見於《班書》。而《文獻通考》引陳氏說,謂漢淮南王所聘明《易》者九人,荀爽嘗為之集解。但陸氏《釋文序錄》列九家姓氏為京房、馬融、鄭玄、宋衷、虞翻、陸績、姚信、翟子元、荀爽,與前說不同。但考陸氏所列諸家,無論時代後先,且立說各異,有相冰炭,決非可合而為一者。姑錄其說以備參考可耳。)
(いわゆる《荀九家》とは、荀爽(字は慈明)が九家の《易》説を汇集して成した注解で、全書十巻、班固《漢書・芸文志》に著録される。そして《文献通考》の引く陳振孫の説法は、漢代淮南王が聘請した九位の《易》に通ずる士で、荀爽がかつて彼らのために集解を作ったと言う。しかし陸徳明《経典釈文・序録》の開列した九家の姓名は京房・馬融・鄭玄・宋衷・虞翻・陸績・姚信・翟子玄・荀爽で、前の説と同じでない。細かく考えるに陸氏の列したこの数家は、まず時代に先後があるを言わずとも、各人の立説も彼此相い異なり、或いは針鋒相対して水火のごとく、決して一書に合成できるものではない。姑くこれらの説法を併せ録して、参考に備えるのみである。)
君子は往く所有り
《坤·彖》曰“君子有攸往”。讀者於此一句,往往忽略,順口讀過。而自漢以後,講《易》者無慮千數百家,亦均未著眼於此。宋儒或以為占辭,以君子指筮者,則更為無稽。須知此卦為六十四卦之第二卦,上承六十四卦第一卦之乾卦。
《坤卦》の卦辞は「君子は往く所有り」と言う。読者はこの一句に対して往々にして忽略し、口に順って読み過ぎる。漢代以来《易》を講ずる者は千百家を下らないが、皆ここに着眼しなかった。宋儒には或いはこれを占筮の辞と作して、「君子」は占卦する人を指すと認め、それならさらに根拠がない。知るべきは、坤は六十四卦の中の第二卦で、上は第一卦の乾卦を承けて来る。
文王於《乾·彖》,只繫以“元亨利貞”四字,以概括乾德,即以概括六十四卦。以乾為天行,蕩蕩莫名。舍此四字,實無可以表示乾德而概括無遺者。坤以承乾,故亦首繫以“元亨利牝馬之貞”。“牝馬”二字,綰合乾坤,以示陰陽合德,剛柔有體。所謂立天之道,立地之道者,皆以此“元亨利貞”四字挈其綱矣。
文王は乾卦の卦辞の下にただ「元亨利貞」の四字を繋げ、それをもって乾徳を概括し、またそれをもって整个の六十四卦を概括した。乾は天の運行で、広大にして名状する由なく、この四字以外に、実に乾徳を表示して毫も遺漏なき別の説法がない。坤は乾を承接するので、卦辞の開頭もまた「元亨利牝馬の貞」を繋げる。「牝馬」の二字が乾と坤を綰結して一つにし、もって陰陽合徳・剛柔が各々その体あることを表明する。《説卦伝》のいわゆる「天の道を立つ」「地の道を立つ」は、全てこの「元亨利貞」の四字に由って提挈し総綱とする。
然天地之道,非人莫明;天地化育,非人莫參。先聖作《易》,原以明人道以立人極。故於《坤·彖》“貞”字之下,即大書特書曰“君子”,所以正名定分,乃《周易》開宗明義之第一特筆也。
しかし天地の道は、人なくして彰明することができず、天地の化育は、人なくして参賛する由なし。先聖が《易》を作ったのは、もともと人道を闡明し人たるの準則を樹立せんとするためである。だから《坤卦》卦辞の「貞」の字の下に、立刻に大書特書して一つの「君子」を置き、もって名を正し分を定める――これは《周易》が宗を開き義を明らかにする第一処の特筆である。
讀者疑吾言乎?試即文王六十四卦之《彖辭》索之,可比較而得之矣。謙為人道之卦,曰“君子有終”。否曰“不利君子貞”,同人曰“利君子貞”,皆此君子也。周公繫爻於乾三之“君子終日乾乾”。孔子贊《易》,六十四卦《大象》之“君子”,皆述文王之意,所以闡發此一句“君子”兩字者也。乃後人猶不注意,不將前聖後聖垂教之苦心,一筆抹煞乎?
読者は私の言を疑うか。妨げず文王の繋げた六十四卦の卦辞に就いて捜検してみよ。一比較すれば明白となる。謙卦は人道を講ずる卦で、卦辞は「君子終り有り」と言い、否卦は「君子の貞に利あらず」と言い、同人卦は「君子の貞に利し」と言う。講ずるは皆この「君子」である。周公が爻辞を繋げ、乾卦九三に「君子は終日乾乾」と書き下した。孔子が《易》を賛し、六十四卦《大象伝》の中の「君子」も、皆文王の意を転述して、もって坤卦卦辞のこの二字を闡発したのである。後人はついに依然として留意を加えず。豈に前聖後聖が訓を垂れ教を施した一片の苦心を、一笔に抹殺するにあらざらんや。
“有攸往”者,乃鄭重指導之辭,三字具有無窮深意,亦不當忽略讀過。此“有”字,乃全《易》開卷第一“有”字,即《序卦》“有天地然後有萬物”與“有男女有夫婦有父子及禮義有所錯”之有。言既有“乾元亨利貞”,既有“坤元亨利牝馬之貞”,而後君子始“有攸往”之可言矣。
「往く所有り」は一句の鄭重なる指點の辞で、三字が無窮の深意を含み、また忽略して読み過ごすべきでない。この「有」の字は、全部《周易》の開卷の第一個の「有」の字で、すなわち《序卦伝》の「天地有りて然る後に万物有り」、および「男女有り、夫婦有り、父子有り」から「礼義錯る所有り」に至るあの一串の「有」の字である。意は言う。先ず乾の「元亨利貞」が有り、また坤の「元亨利牝馬の貞」が有って、然る後に君子は初めて「往く所有り」を論じ得る。
攸者,安也,久也;往者,進也。上言乾坤之“元亨利貞”,乃天地之道,循環而無端者也。而君子以參贊天地,乃進化而不已者也。故曰“有攸往”。與近世哲學家所謂天行之往復為循環線,人治之進化為螺旋線,其理正相吻合。以下六十四卦皆根此立言,以明人事之是非得失而定吉凶。
「攸」は安であり久であり、「往」は前進である。上に言う所の乾坤の「元亨利貞」は、天地の道で、循環往复して起訖がない。そして君子が天地の化育を参賛するは、不断に前へ進化するので、「往く所有り」と言う。これは近世の哲学家の言う「天行の往复は円圏式の循環線で、人治の進化は盤旋上昇の螺旋線である」と、道理が正に相吻合する。以下六十四卦は皆この一点に根拠して言を立て、もって人事の是非得失を闡明して吉凶を判定する。
自讀者將此重要之經文滑口讀過,宋人不得其解,更以君子二字為指筮者而言。於是全《易》,《彖》、《象》,皆索然毫無生氣。孔子之《大象》所謂“君子以”者,亦味同嚼蠟矣。
読者がこの最も緊要の経文を軽々しく滑り過ぎて以後、宋人はまたそれを解して通じず、思い切って「君子」の二字を占筮する人を指すと言い立てた。そこで整部の《周易》は《彖伝》《象伝》をも連れて、皆索然として味なく、毫も生気がないものとなり、孔子《大象伝》の裡の一句一句の「君子は以て」も、読んで蠟を嚼むがごとき味となった。
朋を得朋を喪う
“坤利西南得朋,東北喪朋”二語,註解不一。王肅以下,大概以朋為陰類,西南離巽兌皆陰卦,故“得朋”。東北震坎艮皆陽卦,故“喪朋”。以喻女子在室得朋,猶迷而失道;出嫁喪朋,乃順而得常。陰必從陽,離喪其朋類,乃能成化育之功,而有安貞之吉。史徵、崔憬,及程朱《傳》、《義》之解釋,大略如此。其於文義,終覺牽強。言虞氏學者,以納甲為言。以坤之得朋,為月之得明,則以朋為陽矣。辛齋以為欲解釋此二語,必先定朋字之確詁。究竟指陽說,抑指陰言?
《坤》卦の卦辞「西南に朋を得、東北に朋を喪う」の二句は、注家の説法が従来一せず。魏人の王粛以下、大抵「朋」を陰の同類と見做す。西南方位の上の《離》《巽》《兌》は皆陰卦なので「朋を得」と称し、東北方位の上の《震》《坎》《艮》は皆陽卦なので「朋を喪う」と称する。併せてこれをもって女子が未嫁で家に在り同伴と相聚まるを「朋を得」と喩え、しかるにまさに正道を迷失するのであり、出嫁して同伴を離れるを「朋を喪う」とし、反って柔順にして常理に合すると言う。陰は必ず陽に従い、自己の同類を舎棄して、初めて万物を化育する功を成就し、初めて「安貞」の吉がある。唐人の史徵・崔憬および程頤《伊川易伝》・朱熹《周易本義》の解釈は、大略皆この一路で、しかし取って経文の字面と対照すれば、終に勉强と覚える。漢代虞翻の学を講ずる人はすなわち改めて「納甲」をもって説を立て、《坤》卦の「朋を得」を月が光明を得ると講じ、こうすれば「朋」はまた陽となった。杭辛斎は考えて言う。この二句を講じ通せんとすれば、必ず先ず「朋」の字の確切な訓詁を定めねばならない。それは果たして陽を指すか、それとも陰を指すか。
按西南固坤之本位,坤中爻二三四為益坤(益卦二三四爻為坤),三四五為損坤(損卦二三四爻為坤)。故損之五,益之二,皆曰“十朋之龜”。此十朋,即《坤·象》“得朋”“喪朋”之朋也。而損之六三,曰“三人行則損一人,一人行則得其友,”以損之義為損下益上。損泰下卦之三,以益上卦之上,泰變為損,下乾(乾,子丑寅三人)去其一爻,故曰“三人行則損一人”。損此一爻以益坤上,雖成損,而上與三仍得陰陽相應,故日“則得其友”。據此以觀,則陰以得陽為朋,陽以得陰為友,其例甚明。
彼の考辨は卦象から手を入れる。西南はもともと《坤》の本位である。そして《坤》体は別に出処がある。《益》卦の二・三・四爻は互体して《坤》を成し、《損》卦の三・四・五爻もまた互体して《坤》を成す。だから《損》卦の六五・《益》卦の六二の爻辞は皆「十朋の亀」と言う。この「十朋」の「朋」は、まさに《坤》卦《彖》辞の裡の「朋を得」「朋を喪う」のあの「朋」である。再び《損》卦の六三を見よ。「三人行けば則ち一人を損し、一人行けば則ちその友を得る」。《損》卦の取義は下卦を減損して上卦を増益することで、《泰》卦の下卦の第三爻を減じて、もって上卦の上爻を増益すれば、《泰》は《損》に変わる。下卦はもともと《乾》で、子・丑・寅に配して正に「三人」に合する。今一爻を去ったので、「三人行けば則ち一人を損す」と言う。この一爻を上の《坤》体に加えれば、卦は《損》と成るが、上爻と三爻は依然として陰陽相応ずるので、「則ちその友を得る」と言う。これによって見れば、陰が陽を得るを「朋」と呼び、陽が陰を得るを「友」と呼ぶ。体例は十分に清楚である。この一条はまさに彼と旧注とが分歧する根拠である。旧注は「朋」を同類の陰と講じ、彼は却って《損》《益》の両卦の爻辞の裡から「朋」は必ず陽を指すを求め出した。
而《坤·彖》之“朋”可得言矣。坤方於十二辰為未申之位,於消息卦為否為遁。否下卦坤,故“先迷”。上卦乾,故“後得主”。坤間辰六爻,未巳卯逆行,自西至南,由遁至乾,皆陽爻日增,故曰“西南得朋”。自乾以後,而東而北,夬壯泰臨復。陽爻遞減,故曰“喪朋”。至戌亥歸坤,純陰無陽,朋喪盡矣。更逆行至酉,為坤之終位(兌酉數十,十亦為終)。值兌之正位,兌九四之喜有慶也。故曰“乃終有慶”。
訓詁がすでに定まれば、《坤》卦《彖》辞の「朋」は講じ通る。《坤》の方位は十二地支の中で未・申に当たり、十二消息卦の中で《否》と《遯》に当たる。《否》の下卦は《坤》なので、卦辞は「先に迷う」と言い、上卦は《乾》なので、「後に主を得る」と言う。《坤》卦六爻の配する地支は、未・巳・卯に按じて逆行し、西から南に転じ、卦象は《遯》から一路に《乾》に逓進し、陽爻は日に日に增多するので、「西南に朋を得」と言う。《乾》を過ぎてさらに東・北に往けば、順次《夬》《大壮》《泰》《臨》《復》で、陽爻は逐歩に減少するので、「朋を喪う」と言う。戌・亥の二支に至れば《坤》に帰し、純陰にして陽なく、朋はすでに喪い尽くす。再び逆行して酉に至れば、まさに《坤》の終位で(《兌》は酉に配し、その数は十、十はすなわち終である)、また恰好《兌》の正位に当たり、《兌》卦九四の「喜び有り」の慶幸に合する。だから卦辞は続いて「乃ち終に慶有り」と言う。
則自“先迷後得主”以下,可一氣貫串,無一字不腳踏實地矣。至“十朋”之義,原為天一至地十之數,各相有合。在坤言坤,以陰得陽,故曰“十朋”,與前說亦相合也。(以消息言之,“得”者息也,“喪”者消也。得喪者,即消息二字之代名也。以坤消乾至東北而乾陽消盡,反為純坤。喪朋之為消陽,可無疑義矣。)
このように講ずれば、「先に迷い後に主を得」以下の卦辞は一気に貫通し、一つの字として悬空して実処に落ちないものはない。「十朋」の含義に至っては、もともと天一から地十のこの一組の数で、両両相配して各々会合がある。《坤》卦自身に就いて言えば、陰をもって陽を得るので「十朋」と称し、前の訓釈とも正に相吻合する。杭辛斎は別に按語を加えて言う。若し消息卦から見れば、「得」はすなわち「息」で、すなわち陽気の生長であり、「喪」はすなわち「消」で、すなわち陽気の消退である。「得喪」の二字は実は「消息」の二字の代称である。《坤》をもって《乾》を消して、東北方位に至る時に《乾》の陽爻は消尽し、全卦は純《坤》に返る。これで見れば「朋を喪う」はすなわち陽を消すことで、この一点に疑義はない。
霜を履みて堅氷至る
《坤·初六》:“履霜堅冰至”。舊說尚無悖於義,惟以“堅冰”二字為疑。於是臆說紛紜,妄相揣測。而於聖人立言之本旨,相去愈遠矣。須知此爻乃坤卦初爻,乃六十四卦陰爻之第一爻,亦即以陰消陽之第一爻也。剛柔始變,陰陽大化根本所自立之初,豈可輕易忽略看過?周公繫艾,鄭重言之曰“履”。履者何?踐履也。以“履”冠六十四陰爻之初,以明人生涉世之初步也。
《坤》卦初六の爻辞「霜を履みて堅氷至る」は、前人の旧説は義理の上でなお違背と算しないが、ただ「堅氷」の二字に疑を生じて、そこで臆測の説が紛紛として起こり、胡乱に猜度して、聖人が言を立てた本旨から反ってますます遠く離れた。知るべきは、この一爻は《坤》卦の初爻で、すなわち六十四卦全部の陰爻の中の第一爻であり、同時にまた陰をもって陽を消す第一爻である。剛と柔はここから転変を始め、陰陽大化の根本はこれによって奠定される。どうして軽々しく放過できよう。周公はここに爻辞を繋げ、鄭重其事に一つの「履」の字を用いた。「履」とは何か。すなわち践履で、脚を地面に踏み着けて歩くことである。「履」の字を六十四卦のすべての陰爻の最前頭に冠するのは、まさに人生が世に渉って踏み出す第一歩を点明せんとするである。
離卦之初曰“履錯然”,以殿《上經》,以示有始必有終。兩“履”字遙相呼應,非泛文也。孔子韋編三絕,深能契合文周之心,故《繫傳》於三陳九德,獨舉一履。再三反覆,推勘盡致。以明立德之本。雖僅舉九卦,而六十四卦可以意推之矣。故“履”之一字,即以為全《易》之綱領,為聖人以《易》立教精義之所在,亦無不可也。豈可輕易忽略看過哉!
これと相応じて、《離》卦初九の爻辞は「履き錯然たり」と言い、もって《上経》を収束し、始まり有れば必ず終結有ることを表示する。前後の二つの「履」の字は遥かに相呼応して、決して手を随って書き下した閑文ではない。孔子は《易》を読むに韋編三絶に至り、深く文王・周公の用心に契合し得た。だから《繋辞伝》の「三たび九徳を陳ぶる」の一段は、独り《履》卦を最前に挙げて、反復申し説き、道理を推究して尽くす処に至る。立德の根本を点明せんがためである。彼処はただ九つの卦を挙げたが、六十四卦の道理は皆これによって推想できる。だから「履」のこの一字を全部《周易》の綱領と見做し、聖人が《易》を借りて教を立てた精義の所在と見做しても、また不可ではない。このように緊要の字を、どうして軽々しく忽略し過ごせよう。
“堅冰至”,原非坤初爻之候,乃周公以繫於初爻者。雖曰防微杜漸之意,然實《周易》之一種特別筆法,學者更不可不知也。陽順陰逆,坤乃陰卦之宗。故聖人繫辭,皆用逆筆,特由“至”字反說到“初”。觀乾曰“元亨利貞”,坤曰“元亨利牝馬之貞”,其文氣亦皆一順一逆。孔子贊坤,亦以“至”字開口,真能與文王周公心心相印者矣。觀象玩辭,不可不於此等處加之意也。
「堅氷至る」の指す時令は、もともと《坤》卦初爻に属さず、周公が意ありてそれを初爻の上に繋げたのである。旧解は微を防ぎ漸を杜ずるの告戒と作すは固より錯ではないが、これはさらに《周易》の一種の特殊筆法で、《易》を学ぶ者は知らざるべからず。陽の運行は順を為し、陰の運行は逆を為す。そして《坤》は一切の陰卦の宗主なので、聖人はそれに辞を繋げるに一概に逆筆を用い、わざわざ結果の「至」から倒して開端の「初」に説き返す。試みに見よ、《乾》は「元亨利貞」と言い、《坤》は「元亨利牝馬の貞」と言う。文気もまた正に一順一逆である。孔子が《彖伝》を作して《坤》を賛するに、口を開けばすなわち「至れるかな坤元」の「至」の字で、真に文王・周公と心と心を印し合うことができる。卦象を観察し卦爻辞を玩味するに、この類の処において意を加えざるべからず。
習わずして利あらざるなし
《坤·六二》“習”之一字,亦《周易》最要之眼目也,亦不可忽略看過。初曰“履”,以明人生涉世之始也。二曰“習”,以明涉世後必至之一境也。繫接上文,一氣而來。霜猶履也,堅冰至則已習矣。人之生性相近也,習則遠矣。善惡分途,積微成著,無不由習之一字而來。聖人慎所習,惟立教以濟之,故坎特著曰“習坎”(坤二爻坎位也)。孔子《大象》曰“君子以常德行習教事”,而《論語》曰“學而時習之”,此皆善用其習以立人道者也。
《坤》卦六二の爻辞の中の「習」の字も、同じく《周易》の最も緊要の眼目で、また軽々しく放過すべからず。初六は「履」と言い、人生が世に渉る開端を点明し、六二は「習」と言い、世に渉って後に必然に進入する一種の境地を点明する。两爻の文意は相承け、一気に貫き下る。霜の上に踏むはなお「履」にすぎず、堅氷が凝成するに及んでは、すでに「習」である。人の天性はもともと相近いが、一旦習慣と成れば相去ること遥かである。善と悪はこれから道を分かち、細微から積みて顕著と成るは、皆「習」のこの一字から来ないことはない。聖人は習う所の畏るべきを深知し、ただ教を設けるをもって補救するのみ。だから《坎》卦は特別に卦名を標出して「習坎」とする(《坤》卦の二爻は正に《坎》の位置に当たる)。孔子《大象伝》は「君子は徳行を常にし教事に習うを以てす」と言い、《論語》の開篇は「学びて時に習う」と言う。これは皆善く「習」を用いて人道を確立する例である。
自世運遞遞降,天德王道已成故事(蠱,故事也)。後世雄才大略之君相,恆利用“習”之一字,為操縱斯民之具。非常之原,黎民懼焉。乃施之以漸,今習而安之,則習非且可以勝是矣!(如革命之說,初聞者無不掩耳卻走,駭為非常。乃一再試之輿論,和之。曾幾何,時昔之掩耳卻走者,或且醉心從之矣。此即習之說也。近世歐美大政治家,欲有所設施,恆先建議以造成輿論,使人民習見習聞而後行之。舉重若輕矣。)
しかし世運は一代一代下降し、天徳王道は早くから陳年旧事と成った(《蛊》卦の取る象は、まさに積久相い沿う旧事)。後世のあれらの雄才大略の君主と輔相は、往々にして反って「習」の字を百姓を操縦する工具と作す。およそ非常の挙は、百姓は初起は常に畏懼する。そこで先ず一点一点に推行し、人を習慣して以後安んじて素のごとくせしめ、到頭に錯が反って対を圧倒し得る。杭辛斎の自注は例を挙げて言う。革命の主張が剛く提出された時、聴く者は皆耳を掩いて逃げ、駭人聴聞と驚いた。輿論が一再試探・附和するを経て、久しからずして、当年耳を掩いて逃げた人が、甚だしくは沉迷追随する者すらある。これがまさに「習」の作用である。近世欧米の大政治家が或る措施を推行せんとするも、また先ず議案を提出してもって輿論を造成し、民衆を見慣れ聴き慣れさせて後に実行するに慣れ、そこで重きを挙げて軽きが若しである。
然聖人之化民成俗,尚道德不尚事功。操縱之術,非所屑焉。端民習於就學之始,薰陶而善良之,化行而俗美,則施之於事。不習自無不利,此豈一朝一夕之故哉!周公繫“習”於坤之二爻,以承“履霜堅冰”之後,其用意至深遠矣!
しかし聖人が百姓を化育し風俗を養成するに、崇尚するは道徳であって事功ではなく、この類の人心を操縦する権術は、彼の屑とする所ではない。聖人の办法は百姓の入学の初めからその習う所を端正にし、薰陶をもって善に向かわせ、教化が推行し開けば、風俗は自ずと淳美となり、しかる後に政事に施す。その時に至れば刻意に「習」せんとせずとも、自ずと順利でないことはない。これはどこに一朝一夕に弁じ得る事があろう。周公が「習」の字を《坤》卦の二爻に繋げ、「霜を履みて堅氷至る」の後に接したるは、用意は実に極めて深遠である。
乾坤の字法
乾,天行也。坤,地道也。天運於虛,地徵諸實。故乾以言道,坤以言德。道運於虛,德徵諸實也。詳玩兩卦《彖》、《象》,乾曰“元亨利貞”,坤則曰“元享利牝馬之貞”。全卦六爻,乾則象以“潛見躍飛亢”及“乾乾”“惕若”,皆用虛筆。而坤則曰“履”,曰“習”曰“可貞”,曰“括囊”曰“黃裳”,曰“血”,筆筆皆徵實矣。
《乾》の講ずるは天の運行で、《坤》の講ずるは地の法則である。天は虚処に運転し、地は実処に験証する。だから《乾》はもって「道」を言い、《坤》はもって「徳」を言う――道は虚に運行し、徳は則ち実事の上に印証を得ねばならない。細かく两卦の《彖伝》《象伝》を見れば、《乾》は「元亨利貞」と言い、《坤》はすなわち「元亨利牝馬の貞」と言い、一つの具体の物象を多く出す。六爻の措辞もまたこのごとし。《乾》は「潜」「見」「躍」「飛」「亢」および「乾乾」「惕若」を用い、全て虚筆である。《坤》はすなわち「履」を言い、「習」を言い、「貞すべし」を言い、「括嚢」「黄裳」を言い、「血」を言う。筆筆皆実処に落ちる。
聖人之筆,妙極神化。孔子贊《易》,為衰世之救濟,略天道而言人事,由下學以希上達。故首重立德,由立德以明道。然明道與立德,均非辭無以見焉。是以《文言》曰“修辭立其誠”。上下兩篇之《繫辭》,又各為之傳,又特表而出之曰“以言者尚其辭”,又曰“所樂而玩者爻之辭焉”,皆教人以學《易》之方也。卦有小大,辭有險易,言小大而陰陽可知,言險易而順逆虛實可知。學者必潛心玩索,始能微顯闡幽。茲略舉乾坤兩卦之字法,餘卦可類推,而《十翼》之辭亦可類及矣。
聖人が筆を下す分寸は、精妙にして出神入化である。孔子が《易伝》を作した本意は、衰乱の世のために救済を謀るにあり、だから天道を略して人事を多く講じ、切近の下学から手を入れて上達を企求し、それによってまず徳を立てるを重んじ、再び徳を立てるによって道を闡明する。しかし道を明らかにするも徳を立てるも、文辞を離れれば顕現する由なし。だから《文言伝》は「辞を修めてその誠を立つ」と言い、《繋辞》上下両篇はまた各々これがために伝を作し、わざわざ「言を以てする者はその辞を尚ぶ」を拈出し、また「楽しみて玩ぶ者は爻の辞なり」と言う。皆人に《易》を学ぶ門径を教えるである。卦に小有り大有り、辞に険有り易有り。小大を言えば、陰陽は知るべく、険易を言えば、順逆虚実は知るべし。《易》を学ぶ者は必ず潜心して玩索して、初めて顕より微に入り幽隠を闡発できる。ここにただ略々《乾》《坤》两卦の字を用いる之法を挙げ、その余の各卦はこれに照らして類推でき、《十翼》の文辞もまた併せて類推できる。
咸く寧く咸く亨る
《乾·彖》曰:“首出庶物,萬國咸寧。”《坤·彖》曰:“含弘光大,品物咸亨。”此以贊乾坤化育之功,皆陰陽合德,交相為用。乾用九以變坤,坤用六以承乾。僅一咸字,已將乾坤兩卦綰合,有天地絪縕之妙。咸者上兌下艮之卦,乾在坤中,所謂二氣感應以相與,天地感而萬物化生者也。
《乾》卦《彖伝》は「首に庶物を出で、万国咸く寧し」と言い、《坤》卦《彖伝》は「弘を含み大いに光く、品物咸く亨る」と言う。両句は皆《乾》《坤》の化育の功を賛美して、しかも両者は皆陰陽合徳・交互に用を為す。《乾》は「九を用い」て変じて《坤》に入り、《坤》は「六を用い」て《乾》を承接する。単に一つの「咸」の字が、《乾》《坤》の两卦を綰結して一つにし、天地の気の絪缊交合の妙処を具える。「咸」はもともと上《兌》下《艮》の卦で、卦体はまさに《乾》が《坤》の中に処るのであり、すなわち《咸》卦《彖伝》の言う「二気感応して以て相い与す」「天地感じて万物化生す」である。
夫庶物與萬國,皆坤象焉。乾元首出,久道化成。於是乎有咸寧之慶。弘與大,皆乾象焉,而坤能含之光之(凡陽必得陰而始光。如日,必遇地與月,或其他能受光之質,而光始見也。),於是乎品物有咸亨之象。然而乾之咸寧,寧於坤焉。而坤之咸亨,亨於乾焉。交互錯綜,妙合無間。神哉化工之筆也!至臨之“咸臨”,姤之“咸章”,皆以一“咸”字以形容陰陽構合之妙。臨數一二,一二為子丑,子丑陰陽始合。姤數七八,七八為午未,午未天地相遇,為陰陽中合。與乾坤兩卦之“咸”字,互相印證,互相發明者也。
さらに分けて見れば、「庶物」と「万国」は皆《坤》の象に属し、《乾》元は首に居って出でて、久長の道は化育して成有り、そこで「咸く寧し」の吉慶がある。「弘」と「大」は皆《乾》の象に属し、そして《坤》はそれを含容しそれを照亮し得る(およそ陽は、必ず陰を得て初めて光を顕す。譬えば太陽は、大地・月亮あるいは別の光を承受できる物質に遇って、初めて光が見られる)、そこで万物に「咸く亨る」の象がある。しかし《乾》の「咸く寧し」は、実は安寧が《坤》の上にあり、《坤》の「咸く亨る」は、実は亨通が《乾》に於ける。彼此交互錯綜して、妙合して一糸の間隙もなし。真に造化の筆の神奇である。《臨》卦爻辞の「咸く臨む」・《姤》卦爻辞の「咸く章たり」に至っては、また皆一つの「咸」の字をもって陰陽交合の妙処を形容する。《臨》の配する数は一・二で、一・二は地支の子・丑に対応し、子丑はまさに陰陽が始めて交合する処である。《姤》の配する数は七・八で、七・八は地支の午・未に対応し、午未はまさに天地相遇・陰陽が中途に会合する処である。これらの「咸」の字と《乾》《坤》两卦の「咸」の字は、彼此に印証し彼此に発明できる。
咸とは感なり
《咸·彖傳》曰“咸,感也。(舊說:咸感無心,兌說無言。無心之感,其感始至。無言之說,其說乃大。)二氣感應以相與”。蓋物理必異性者乃能相感,而善感者莫如人。人之善感者,莫如男女,尤莫如少女少男。故以少女少男之卦名之曰咸。而咸卦六爻,又均取象於人身,則以感覺之最靈且捷者,更莫過於一身焉。
《咸》卦《彖伝》は言う。「咸とは感なり……二気感応して以て相い与す」と。(旧説は指摘する。「咸」の字は「感」の字より一つの「心」が少なく、「兌」の字は「説」の字より一つの「言」が少ない。心なくして感ずれば、感応はこそ最も真切であり、言なくして悦べば、喜悦はこそ最も広大である。)大凡の物理は、必ず性質の相異なる物でなければ互いに感応できず、そして最も感応に善いは人に如くなく、人の中で最も善感するは男女に如くなく、特に少女と少男に如くない。だから《易》はすなわち少女《兌》が上・少男《艮》が下のこの一卦を取り、名づけて「咸」とする。そして《咸》卦の六爻はまた一律に人の身体に象を取る。感覚が最も霊敏・最も迅捷なのは、自己のこの一身を超えるものがないからである。
六爻初拇,二腓,三股,五脢,六輔頰舌。四當為心,乃不曰心,而曰“憧憧往來”。以心不可見,且咸之感,本無心也。卦爻取象之精細,可謂剖拆毫芒。至義蘊之妙,更有非言語所能形容。細玩逐爻之辭,見深見淺,必有所得焉。(物理:異性則相感相吸。兩性既感而吸合,則原有之兩性相消而等於無。故咸又為無。又咸從戌從口,戌亥數無。先天卦艮居戌口,與兌相對,故兌艮為咸,而咸為無。後天卦乾居戌亥,故乾亦為無。)
六爻は依次に象を取る。初六は脚の拇趾、六二は小腿肚、九三は大腿、九五は背脊肉、上六は頰輔と舌である。次序に按ずれば、九四は心であるべきだが、爻辞は「心」を言わず、ただ「憧憧として往来す」と言う。心は見えず、しかも「咸」の感応はもともと無心の感だからである。卦爻の取象の細密は、毫芒まで剖析したと言うべきである。その中の義蘊の精妙に至っては、さらに言語の形容し得る所ではない。ただ毎一爻の辞句を細々と玩味すれば、見ること深きも浅きも、総じて得る所がある。杭辛斎の自注は補充する。物理から言えば、異性は相い感じ相い吸う。两性がすでに感応吸合すれば、原有の两性は便ち相互に抵消して無に等しい。だから「咸」はまた「無」の義がある。さらに字形から見れば、「咸」は「戌」に従い「口」に従い、戌・亥の数は無である。先天卦位は《艮》が戌に居り《兌》と相対するので、《兌》《艮》が合して《咸》と成り《咸》は無と為る。後天卦位は《乾》が戌亥に居るので、《乾》もまた無と為る。
万物・庶物・品物
“大哉乾元!萬物資始”,“至哉坤元!萬物資生”。此言盈天地間之事事物物而約其大數,即上下二篇之策,萬有一千五百二十以當萬物之數者是也。《乾·彖》曰“品物流形”,《坤·彖》曰“品物咸亨”。品物者,物之既成,可以類而別之,故曰“品”。“品物流形”者,乾流坤形也,坎也。“品物咸亨”者,坤承乾亨也,離也。可見乾坤二《彖》,無一字不互文見義者也。
《乾》卦《彖伝》は「大なるかな乾元、万物は資りて始まる」と言い、《坤》卦《彖伝》は「至れるかな坤元、万物は資りて生ず」と言う。ここの「万物」は、天地之間に充満する一切の事物を帰結して一つの約数としたので、すなわち《繋辞伝》の言う《上経》《下経》両篇の策数を合わせて一万一千五百二十と為し、もって万物の数に当てるである。《乾》卦《彖伝》がまた「品物流形す」と言い、《坤》卦《彖伝》がまた「品物咸く亨る」と言うに至っては――いわゆる「品物」とは、万物がすでに生成して、類別に按じて区分できるを指し、だから「品」と称する。「品物流形す」は《乾》気が流行して《坤》がこれがために形を成し、《坎》に象を取る。「品物咸く亨る」は《坤》が《乾》を承接して亨通し、《離》に象を取る。これで見れば《乾》《坤》两卦の《彖伝》は、一つの字として互文にして義を見ないものはない。
至“首出庶物”,不曰“萬”,不曰“品”者,乃合萬與品而兼言之,對於首而言也。通言萬物,未分類也。物而曰品,則“方以類聚物以群分”矣。既類聚以群分,則必有一焉超乎其類統乎其群者。即首出之義,而不為首者皆庶也。故曰“庶”者,對於首而言也。不曰“首出萬物”,“首出品物”,而必曰“首出庶物”。可見聖人修辭之精,無一字虛設,無一字苟且焉。
「首に庶物を出で」の一句に至っては、「万物」と言わず、「品物」とも言わず、而も「庶物」と言うのは、「万」と「品」の両層の意思を合わせて講じ、しかも「首」の字に対して言うのである。籠統に「万物」と称すれば、まだ分類せず、「品物」と称すれば、すなわち《繋辞伝》のいわゆる「方は類を以て聚まり、物は群を以て分かつ」である。すでに類聚群分した以上、その中に必ず一つの同類を超出し全群を統領する者がある。これがすなわち「首に出で」の含義である。そして首位に居らないは、一概に「庶」と呼ぶ。だから「庶」の字を用いるは、まさに「首」の字に相対して言うのである。「首に万物を出で」と言わず、「首に品物を出で」とも言わず、必ず「首に庶物を出で」と言う。これで見れば聖人の修辞は精厳にして、一つの字として虚設のものなく、一つの字として苟且のものなし。
損益盈虚
《下經》之損益,猶《上經》之泰否也。《上經》始乾坤,至小畜履凡十卦。陰陽爻各三十,而繼之以泰否,為乾坤變。《下經》始咸恆至蹇解亦十卦。陰陽爻各三十,而繼之以損益。咸恆為乾在坤中,損益乃坤在乾中也。天行人事,均不外乎否泰往來損益盈虛而已。舊說泰損下益上,(損下卦之九三以益上卦之上六)則成損。否損上益下,(損上卦之上九以益下卦之六三)則成益。然則否泰往來,損益盈虛,其所以轉移變化之機關,俱在三爻。三爻者,人爻也。以明否泰損益皆在於人,而天地無與焉。天行之否泰,人得而轉移之。人事之否泰,天地無如何也。
《下経》の中の《損》《益》の两卦は、地位は《上経》の中の《泰》《否》に相当する。《上経》は《乾》《坤》から起こり、《小畜》《履》に至るまで合計十卦、陰爻陽爻は各々三十で、続けばすなわち《泰》《否》。あれは《乾》《坤》の変体である。《下経》は《咸》《恒》から起こり、《蹇》《解》に至るまでもまた十卦、陰爻陽爻は各々三十で、続けばすなわち《損》《益》。《咸》《恒》は《乾》が《坤》の中に処り、《損》《益》は則ち《坤》が《乾》の中に処る。天道の運行と人間の世事は、皆《否》《泰》の往来・《損》《益》の盈虚のこの数字を跳出できない。旧説は講じる。《泰》卦は下を損し上を益す――下卦の九三を減じて上卦の上六を増益する――すなわち《損》に変わる。《否》卦は上を損し下を益す――上卦の上九を減じて下卦の六三を増益する――すなわち《益》に変わる。このように見れば、《否》《泰》の往来・《損》《益》の盈虚は、その転移変化の枢紐は全く第三爻に在る。第三爻は人爻である。これで見れば《否》《泰》《損》《益》は皆人に取决まり、天地と相干渉せず。天道運行の否泰は、人は方法を設けて転移できるが、人事の上の否泰は、天地は如何ともすることができない。この一層は杭辛斎が論を立てる落点で――彼は治乱否泰の責任を天数から人事に移し返そうとする。だから特別に枢紐が人爻に在りて天地に在らざるを強調する。
孔子於乾之九三,反覆申明其義。曰“與時偕行”,在損曰“與時偕行”,在益曰“與時偕行”。否泰者時也,損益者人也。與時偕行,則否可轉泰。不能與時偕行,而與時偕極,則無泰而非否矣。與時偕行者何?即所謂“終日乾乾,乾行”者是也。然而經文於損,獨曰“有孚元吉”者何也?曰“損上益下”,其理近而易明,其事順而易行。故否泰之轉移尚易,然否轉為泰,泰復轉為否,泰否往復循環不已。又烏能日進無疆?
孔子は《乾》卦九三の《文言》の裡に反復してこの層の意を申明し、「時と偕に行く」と言い、《損》卦《彖伝》に「時と偕に行く」と言い、《益》卦《彖伝》にも「時と偕に行く」と言う。否と泰は「時」に属し、損と益は「人」に属する。時と偕に行く能えば、否はすなわち泰に転じ得る。時と偕に行く能わざれば、反って時勢に随って極端に走向して、さらば一処として泰なく処処皆否となる。何をか時と偕に行くと謂う。すなわち《乾》卦の言う「終日乾乾」のあの息まざる行である。しかし経文は単に《損》卦の上に「孚あれば元吉」と言う。これは何の故か。「上を損し下を益す」の道理は浅近にして懂り易く、作るも順当にして行い易いので、否泰の間の転移はなお容易と算する。しかし否は転じて泰となり、泰はまた転じて否に返り、泰否は往复循環して停まず。こうではまたどうして日進疆なしを論じ得よう。
吾國數千年曆史皆一治一亂,循環往復致人事永無進步,不能與世界列強相抗衡者,正以吾人只知以益求益,而不能以損求益。故極其功只能轉否,而不能化否。能化否,則否變同人。同人而進於大有,世運始有進步。始避泰否之循環線而入於傾否之螺旋線,然後得合於進化之正軌也。故孔子又於益之《彖傳》申明之。曰“益動而巽,日進無疆”。此損益之大道,(天行先泰而後否,人事先損而後益)先聖之象已明示之。
我が国の几千年の歴史は総じて一治一乱で、循環往复して、人事は終始進歩なく、世界の列強と抗衡できない。癥結はまさに我々がただ「益」をもって益を求めるを知り、「損」をもって益を求めるを知らないに在る。だから功效を極処まで致しても、ただ「否を転ずる」ことができるのみで、「否を化する」ことができない。若し否を化し得れば、《否》卦はすなわち《同人》に変わる。《同人》からさらに進んで《大有》に至れば、世運はこそ真に進歩あり、泰否往复の循環線を避け、《否》卦上九の「否を傾ぐ」のごとき向上の螺旋線に進入して、これで初めて進化の正軌に合する。だから孔子はまた《益》卦《彖伝》の裡に申明する。「益すれば動いて巽し、日に進みて疆なし」と。これがすなわち損益の大道理である(天道運行は先ず泰にして後に否、人事経営はすなわち先ず損にして後に益すべし)。先聖は卦象を借りてすでに明白に指示し出した。彼の駁さんとする所は、まさにただ益を求めを知り、損を用いるを知らざるの積習であり、憑る所の証拠は、すなわち《否》卦上九の「否を傾ぐ」と《益》卦《彖伝》の「日進疆なし」のこの二条の経文である。
孔子贊《易》,又一再言之。乃三千年來竟無一人能察聖人之象,昧聖人之言,以求日進而無疆,坐令錦繡之乾坤,困於一治一亂之輪迴,而無發展之機,不亦深可痛哉!辛齋何人,於古先大師大儒之學,會不能仰望其肩背,詎謂能發前人所未發,明前人所未明,以補數千年之罅漏?或者時事相催,劫運當復,天誘其衷,困諸囹圄,導諸良師,開其一隙之明,畀引其端。庶聖意不致終晦,後人得藉此發揮而光大之,以臻世界之大同,未可知也。九仞之山,成於螘垤。辛齋其亦一蟻而已。
孔子が《易伝》を作しても、また一再この一層に講じ及んだ。しかし三千年来ついに一人も聖人の卦象を体察し聖人の言語を領会して、日進疆なしを追求した者がなく、空しく錦繍河山を一治一乱の輪廻の裡に困死せしめ、発展の機会なく、豈に深く痛惜すべからざらんや。杭辛斎は自ら謙して曰く。我は何人ぞや。古来の大師大儒の学問に対して、その肩背を仰望することすらできず、どこに敢えて前人の未だ発せざるを発し前人の未だ明らかにせざるを明らかにして、もって几千年の漏洞を弥補すると言うことができよう。大抵は時局に相逼められ劫運が将に回らんとし、上天が我が心志を誘導し、我を牢獄に困らせ、また良師を引き来って指點せしめ、一線の明を開いて、この頭緒を我が手の中に交したのであろう。或いは聖人の用意はこれによって終に晦暗に帰せず、後人がそれを借りて発揮光大して、もって世界大同に達することも、また未だ知るべからず。九仞の高山は蟻穴のごとき小土の堆積して成る所で、我が杭辛斎もまたその中の一只の螞蟻に過ぎない。
