Libo

謙

清 · 多隆阿 · 第5巻 / 21

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

【艮下坤上,中互震坎】剝、復。謙為一陽五陰卦,自剝、復二卦來:剝上降三,復初升三。虞氏曰:彭城蔡景君說剝上來之三。此僅舉一偏言之。謙:亨,君子有終。謙,讓也,致恭也,不自伐也,屈己下物也。《禮》曰:禮者自卑而尊人。則謙實合嘉會之禮,故曰亨。《禮》又曰:君子退讓以明禮。是謙為美德,惟君子能之,故曰君子有終。虞氏曰:君子謂三,卦之中,一陽內卦之終。蓋君子能守謙,能得謙義。艮居坤下,有謙象也,故艮下坤上之卦名謙。

【《謙》卦は艮が下、坤が上、中間に震・坎の二体を互出する】卦変は《剥》《復》より来る。《謙》は一陽五陰の卦で、《剥》卦の上九が三位に降り、《復》卦の初九が三位に昇って、いずれも《謙》となる。虞翻は言う、彭城の人・蔡景君の説は《剥》卦の上爻が三位に来たというもの――これは卦変の一面を挙げたにすぎない。卦辞に「謙、亨、君子有終」と言う。「謙」とは謙譲、恭敬、自ら誇らないこと、己を屈して人の下に甘んずることである。《礼記》に「礼者自卑而尊人」とある。これで見れば、謙はまさに「嘉会之礼」に合する。だから「亨」と言う。《礼記》にまた「君子退譲以明礼」とある。これで見れば、謙は美徳で、君子だけがなし得る。だから「君子有終」と言う。虞翻は言う、「君子」とは九三を指す。九三は六爻の中に居り、あの唯一の陽爻で、また内卦の終位である。君子は謙を守ることができ、謙の意義を領会できる。艮山が坤地の下に伏するは、まさに謙退の象である。だから艮下坤上のこの卦に《謙》と名づける。

彖曰:謙亨,天道下濟而光明,地道卑而上行。天道虧盈而益謙,地道變盈而流謙,鬼神害盈而福謙,人道惡盈而好謙。謙尊而光,卑而不可踰,君子之終也。謙何以雲亨也?大傳曰:兼三才而兩之,故易六畫而成卦。是分六爻為三才:初二為地道,三四為人道,五上為天道。卦惟一陽,則自剝之上來。上為天道,今乃下居於三,是為天道下濟;天道本明,下降為艮,艮之陽光外見,仍不掩其明。又自復之初來,初為地道,今乃上居於三,是為地道上行;地道雖卑,上升為三,三以人道居中,則不覺其卑。

《彖伝》に曰く、「謙亨、天道下済而光明、地道卑而上行。天道亏盈而益謙、地道変盈而流謙、鬼神害盈而福謙、人道悪盈而好謙。謙尊而光、卑而不可踰、君子之終也」。《謙》はなぜ「亨」と言うのか。《繋辞伝》に曰く、「兼三才而両之、故易六画而成卦」。これは六爻を三才に分配したもので、初爻・二爻は地道に属し、三爻・四爻は人道に属し、五爻・上爻は天道に属する。本卦には陽爻が一つしかなく、それは《剥》卦の上爻から降りて来た。上爻はもとより天道に属し、今下って三位に居る。これが「天道下済」である。天道はもとより光明で、降って艮体となり、艮の陽光は外に顕れて、なおその明を掩わない。この一陽はまた《復》卦の初爻から昇って来たと見ることができる。初爻はもとより地道に属し、今上って三位に居る。これが「地道卑而上行」である。地道は卑下でも、三位に昇ってからは、三は人道に属して六爻の中に居るので、卑下を覚えない。

且陽為盈,陰為虛,虛則為謙,盈則非謙。當在剝復未易之時,兩陽分居於外,陽見為盈;乃剝以上陽下來居三,是天道之盈虧矣;復以初陽上往居三,是地道之盈變矣。而乾陽為神,坤陰為鬼,復剝之陽皆移,不使外見,坤又為害,三居坤下,是害盈也。三與四為人道,剝復之陽移居於三,藏眾陰中,三又在四之下,是惡盈也。

さらに言えば、陽爻は「盈」で陰爻は「虚」である。虚はすなわち謙、盈はすなわち謙でない。《剥》《復》の両卦がまだ変換しない時、二つの陽爻はそれぞれ卦外に居り、陽が外に顕れるが「盈」である。《剥》卦の上九が下って三位に居るに至って、これが「天道亏盈」である。《復》卦の初九が上って三位に居るに至って、これが「地道変盈」である。乾の陽は神を象り、坤の陰は鬼を象る。《復》《剥》の両卦の陽爻はみな位を移して、もはや外に顕れず、坤はまた「害」の取象を有する。九三は坤地の下に伏する。これが「鬼神害盈」である。三爻・四爻は人道に属し、《剥》《復》の陽爻が三位に移り、衆陰の中に蔵して、三はまた四の下にある。これが「人道悪盈」である。

夫虧盈乃所以益下之謙,變盈乃所以流通其謙。害與福反,所害在盈,故所福在謙;惡與好反,所惡在盈,故所好在謙。則是一陽伏居陰中,陽光內耀,是尊而且光;艮居坤下,而艮山隱崇地中,雖卑而不可踰。彼盈者必中蹶,而謙德可終身,是以君子有終也。虞氏曰:乾為盈,坤為虛;乾為福為好,坤為害為惡;乾為神,坤為鬼。卦有一陽多取乾象,卦有一陰多取坤象,此易例也。

「亏盈」はまさに下位の者の謙を益するため、「変盈」はまさにその謙を流通するためである。「害」と「福」は相反し、害するところは盈にあるから、福するところは自ずから謙にある。「悪」と「好」は相反し、悪むところは盈にあるから、好むところは自ずから謙にある。これで見れば、一つの陽爻が衆陰の中に潜伏して、陽の光輝は内に照る。まさに「尊而光」である。艮体が坤の下に居り、艮山は高峻でも地中に隠没する。まさに「卑而不可踰」である。あの自ら満ちる者はついに中途で蹶くが、謙徳は終身保つことができる。だから「君子有終」と言う。虞翻は言う、乾は盈・坤は虚、乾は福・好、坤は害・悪、乾は神・坤は鬼。凡そ卦に陽爻が一つだけのものは多く乾の象を取り、陰爻が一つだけのものは多く坤の象を取る。これが《易》の通例である。

象曰:地中有山,謙。君子以裒多益寡,稱物平施。劉氏曰:地中有山,以高下下,故曰謙。謙之為道,降己升人,山本地上,今居地中,亦降體之義,故為謙象也。裒,取也。陽多陰寡,剝以上益三,復以初益三,故曰裒多益寡。剝復兩陽上下居之則偏,易之居中則平,故曰稱物平施也。

《大象伝》に曰く、「地中有山、謙。君子以裒多益寡、称物平施」。劉瓛は言う、地中に山を蔵すは、高きを低きの下に置くこと、だから「謙」と言う、と。謙の道は、己を降じて人を挙げることである。山はもとより地上にあり、今地中に処るも、また己を降じる義で、だから謙の象に取る。「裒」は取る意である。陽爻は充実するので「多」、陰爻は虚空なので「寡」。《剥》は上爻を以て三位を益し、《復》は初爻を以て三位を益する。だから「裒多益寡」と言う。《剥》《復》の両卦の陽爻は一つは上、一つは下に居り、位置はいずれも偏である。卦中に換わってからは均平となる。だから「称物平施」と言う。すなわち事物を量って公平に施与するのである。

初六:謙謙君子,用利涉大川,吉。初居下位,謙也;乃以復之初陽讓歸於三,則又為謙。陰柔居下,謙也;乃以陰柔上承陽剛,則又為謙,故曰謙謙。謙而又謙,惟君子能之。雖二至四為互坎,卦之通體亦象大坎,坎水為川。初以復之下陽往三成坎,是三之為謙,由於初之涉川以成者,故曰用涉大川吉也。初六謙謙君子,卑以自牧也。牧,養也。初位下,故曰卑。

初六の爻辞に「謙謙君子、用利渉大川、吉」と言う。初六は最下の位にあり、もとより謙である。それがまた《復》卦初爻の陽を三位に譲るので、いよいよ謙である。陰柔を以て下位に居る、もとより謙である。それがまた陰柔を以て上に陽剛を承奉するので、いよいよ謙である。だから「謙謙」と言う。謙にまた謙するは、君子だけがなし得る。二爻から四爻までは互いに坎体を成し、全卦を通して見ても一つの大きな坎のようである。坎は水で、水はすなわち川である。初六は《復》卦の下の陽爻を三位に送って坎と成す。これで見れば、三位が謙と成り得たのは、初六が大川を渉って送って初めて成就したものである。だから「用渉大川、吉」と言う。《小象伝》に曰く、「初六謙謙君子、卑以自牧也」。「牧」は養の意で、すなわち謙卑を以て自らを養うことである。初六の位置は下にあるので「卑」と言う。

六二:鳴謙,貞吉。謙之德有於中,而謙之名己聲於外。二與三比,陰陽唱和,故謙曰鳴。前又為互震,震為善鳴,以遙為之應,是謙不必自白,而稱譽已遠播矣,故貞吉。象曰:鳴謙貞吉,中心得也。謙得於心,貞以守之,二得中,故以謙鳴也。

六二の爻辞に「鳴謙、貞吉」と言う。謙の徳性は心の中に存在するが、謙の名声はすでに外に伝播している。六二は九三と隣り、一陰一陽が互いに唱和するので、謙にして「鳴」と称する。前にまた互体の震があり、震は善く鳴くの取象を有し、遥かにそれと呼応する。これで見れば、謙徳は自ら白するに及ばず、称誉の声はすでに遠くに播く。だから正を守って吉である。《小象伝》に曰く、「鳴謙貞吉、中心得也」。謙を心に得て、また貞正を以てこれを持守する。六二はまた下卦の中に居るので、謙を以て名声を得られるのである。

九三:勞謙君子,有終吉。卦惟一陽,而居互坎之中,坎為勞卦,是謙而又勞者。事功曰勞,實有其勞,復恭以下人以行謙讓,又為艮終,故有終吉也。象曰:勞謙君子,萬民服也。陰為民,一陽居中,上下五陰皆服之。

九三の爻辞に「労謙君子、有終吉」と言う。全卦にこの一つの陽爻しかなく、また互体坎の中間にあり、《説卦伝》は坎を「労卦」と称する。だからそれは謙虚にしてかつ勤労する者である。事功を立てるを「労」と言い、九三は確かに功労があるが、なお恭敬して己を人の下に置いて謙譲を行う。それはまた艮体の終位で、艮は万物を終に成すを主る。だから「有終」を得て吉を獲る。《小象伝》に曰く、「労謙君子、万民服也」。陰爻は百姓を象徴し、一つの陽爻が中間に居り、上下の五つの陰爻が皆これに帰服する。

六四:無不利,撝謙。撝,手指撝也。四以陰居柔位,而聽三之指撝者,言無所不利於指撝以謙也。蓋三為艮,艮為手為指,四從順之以聽指撝,故利。象曰:無不利撝謙,不違則也。三為謙主,謂之則;四聽三之指撝,故曰不違。

六四の爻辞に「无不利、撝謙」と言う。「撝」は手を以て指揮する意である。六四は陰爻を以て柔位に居り、九三の指揮を聴く。事事皆その指揮に依って謙徳を行うに利であると言う。九三は艮体で、艮は手・指の取象を有する。六四はそれに順従してその指揮を聴くので、利がある。《小象伝》に曰く、「无不利撝謙、不違則也」。九三は全卦の謙徳の主で、いわゆる「法則」である。六四は九三の指揮を聴くので「不違」と言う。

六五:不富以其鄰,利用侵伐,無不利。五以柔順之德居謙尊位,己雖不富,而以臣鄰之富為富。蓋陽實陰虛,坤又為虛,故曰不富。三為卦主,非五正應,故曰其鄰。此君上之謙也。君有謙德,自克服眾,而或有不服者,則以坤之眾與互震之鼓、互坎之弓輪侵伐以征之,亦未有不利者。夫謙讓則無競,而侵伐則為爭,然謙成於德而效必見諸事,侵伐乃事之大者,用侵伐而亦利,其它則未有不利者矣,此謙之極則也。象曰:利用侵伐,征不服也。

六五の爻辞に「不富以其鄰、利用侵伐、无不利」と言う。六五は柔順の徳を以て《謙》卦の尊位に居り、己は富まないが、臣下近隣の富有を己の富有とする。陽爻は充実、陰爻は虚空で、坤はまた虚を取象する。だから「不富」と言う。九三は全卦の主だが、六五の正応ではなく、ただ相近なだけなので「其鄰」と称する。これは上位に居る者の行う謙である。君主に謙徳があれば、自ずから衆人を心服せしめることができる。万一服さない者があれば、坤の衆庶・互体震の鼓・互体坎の弓と車輪を以て征伐すれば、また利ならないことはない。謙譲はもとより争わないが、征伐は争である。しかし謙は徳に成り、効験は必ず事功に現れなければならない。征伐は事功のうちの大事で、用兵征伐を用いても利があるなら、それ以外のことはなおさら不利なき者はない。これが謙徳の極致である。《小象伝》に曰く、「利用侵伐、征不服也」。服さない者を征討することを言う。

上六:鳴謙,利用行師,征邑國。二言鳴謙,上亦言鳴謙。二以比三而鳴,上以應三而鳴,三為陽,二上為陰,陰陽唱和,故皆曰鳴。二之鳴謙則吉,上之鳴謙亦利。但二之吉,則是以謙正己;上之利,則是以謙正人。蓋二在復為震,震為善鳴,前有互震以遙應之,故曰鳴謙,居中位,故曰貞吉。若上在剝,雖與三易,又與二應,而在互震之外,正坤之上位,既彌高,故鳴彌遠,利用坤師以征邑國。坤為眾曰師,坤又為邑為國。夫利侵伐,上利行師,五於不服者皆征之,上則僅徵其邑國,上之氣象較五則狹矣,然其謙而獲效則一也。象曰:鳴謙,志未得也,可用行師征邑國也。志未得故鳴也。坎為心志,二為互坎,故曰中心得;上在互坎之外,故曰志未得。

上六の爻辞に「鳴謙、利用行師、征邑国」と言う。六二は「鳴謙」を語り、上六も「鳴謙」を語る。六二は九三に隣近するを以て鳴き、上六は九三に相応ずるを以て鳴く。九三は陽で、二と上は陰、一陰一陽が互いに唱和するので、いずれも「鳴」と言う。六二の鳴謙は吉を得、上六の鳴謙も利を得る。ただ六二の吉は謙を以て己を正しくすること、上六の利は謙を以て人を正しくすることである。六二は《復》卦では震体に属し、震は善く鳴き、前にまた互体震が遥かに呼応するので「鳴謙」と言う。それは下卦の中位に居るので「貞吉」と言う。上六は《剥》卦では、九三と位を互い換えたことがあり、また六二と相応ずるが、互体震の外にあり、まさに坤体の最上位に当たる。位置がすでにいよいよ高いので、鳴声もいよいよ遠くに伝わる。だから坤の軍隊を率いて邑国を征するに利である。坤は衆なので「師」と称し、坤はまた邑・国の取象を有する。六五は侵伐に利し、上六は行師に利する。六五は一切の服さない者に対して征討を加えるが、上六はただその邑国を征するのみで、気象は六五より狭い。しかし謙徳を以て成效を収めるは同じである。《小象伝》に曰く、「鳴謙、志未得也、可用行師征邑国也」。まさに心志が完全に実現しないので鳴くのである。坎は心志を象徴し、六二は互体坎の中にあるので「中心得」と言い、上六は互体坎の外にあるので「志未得」と言う。

豫

【坤下震上,中互坎艮】復、剝。豫為一陽五陰卦,自復、剝二卦來:復初升四,剝上降四。虞氏曰:復初之四。豫:利建侯行師。逸樂為豫,怡說為豫,先事而備亦為豫。震動而以坤順承之,則象逸樂;雷出地上,萬物困蘇,則象怡說。至於內卦之坤為國,外卦之震為侯,坤又為眾,震又為長子,坤之國震侯居之,坤之眾長子帥之,則象建侯行師,乃先事而為之備也,故上震下坤之卦名豫。

【《豫》卦は坤が下、震が上、中間に坎・艮の二体を互出する】卦変は《復》《剥》より来る。《豫》は一陽五陰の卦で、《復》卦の初九が四位に昇り、《剥》卦の上九が四位に降って、いずれも《豫》となる。虞翻は言う、《復》卦の初爻が四位に至る、と。卦辞に「豫、利建侯行師」と言う。安逸快楽を「豫」と言い、歓欣喜悦を「豫」と言い、事に先んじて備えるをも「豫」と言う。震が上に動いて坤が柔順を以てこれを承ければ、安逸の楽のようである。雷の声が地上に発すれば、万物が困頓から蘇る、欣喜の悦のようである。さらに見れば、内卦の坤は国、外卦の震は諸侯。坤はまた衆庶、震はまた長子。坤の封国は震侯が往って居り、坤の衆庶は長子が往って統率する。これが「建侯行師」の象で、まさに事に先んじて準備を整える意である。だから震上坤下のこの卦に《豫》と名づける。

彖曰:豫,剛應而志行,順以動,豫。豫順以動,故天地如之,而況建侯行師乎。天地以順動,故日月不過,而四時不忒;聖人以順動,則刑罰清而民服。豫之時義大矣哉。彖傳曰:吾於卦體卦德而得豫意焉。卦為五陰一陽,四為卦主而眾陰應之,中為互坎,坎為志,震為行,是為剛應而志行。震德動也,坤德順也,是為順以動。陰應陽象豫,動而順亦象豫,故曰豫也。夫天體動亦象震,地承天亦象順,是豫順以動,天地猶如此也,而況建侯行師,可不順以動以得說豫之意乎。

《彖伝》に曰く、「豫、剛応而志行、順以動、豫。豫順以動、故天地如之、而況建侯行師乎。天地以順動、故日月不過、而四時不忒。聖人以順動、則刑罰清而民服。豫之時義大矣哉」。《彖伝》はあたかも言う――吾は卦体と卦徳とにおいて「豫」の義を体得した、と。本卦は五陰一陽で、九四が卦主、衆陰が皆これに応ずる。中間に坎体を互出し、坎は心志を象り、震は行動を象る。これが「剛応而志行」である。震の徳性は動で、坤の徳性は順である。これが「順以動」である。陰が来て陽に応ずるは和楽を象り、動いて順なり得るも和楽を象る。だから《豫》と言うのである。天体の運行は動で、まさに震の象に合し、大地の天を承奉するは順で、まさに坤の象に合する。天地でさえ皆理に順って動くのだから、いわんや人間の分封諸侯・興師動衆が、理に順って動きて和楽の義を求めないことがあろうか。

九家易曰:建侯所以興利,行師所以除害。興利除害,是民所豫樂者也。是知天地未有不順動者,天地惟順動,故日月合度,四時合序。虞氏曰:過謂失度,忒差迭也。震為日門,坎為月,震春坎冬,坤丁秋夏,順以動故不過不忒。推之聖人治天下,聖人惟順動,故刑罰清明,萬民說服。坎為律,象刑罰;坤為民。順以動故清,故說。天地順動得豫之時,聖人順動得豫之義,豫之時義大矣。

《九家易》は言う、分封諸侯は利を興すため、出兵征伐は害を除くため。利を興し害を除くは、まさに百姓の歓楽する事である。これによって知る、天地に理に順って動かないものはない。天地はただ理に順って動くので、日月の運行は度数に合い、四時の更替は次序に合う。虞翻は言う、「過」は度数を失することを指し、「忒」は差錯更迭である。震は日の出ずる門、坎は月を象り、震は春に配し坎は冬に配し、坤は秋夏を兼ね主る。理に順って動くので、日月は度を失わず四時は錯誤しない。これを推して聖人の天下を治めるに至れば、聖人はただ理に順って動くので、刑罰は清明で万民は悦服する。坎は法律で刑罰を象徴し、坤は百姓を象徴する。理に順って動くので刑罰は清簡で、だから百姓は悦服する。天地が順動するは「豫」の時を得たのであり、聖人が順動するは「豫」の義を得たのである。だから「豫之時義大矣」と言うのである。

象曰:雷出地奮,豫。先王以作樂崇德,殷薦之上帝,以配祖考。鄭氏曰:奮,動也。雷動於地上,萬物乃豫也。以者,取其喜佚動搖,猶人至樂則手欲鼓之,足欲舞之也。崇,充也。殷,盛也。薦,進也。上帝,天帝也。王者功成作樂,以文得之者作鑰舞,以武得之者作萬舞,各崇其德而為制。祀天帝以配祖考者,使與天同饗其功也。故孝經云:郊祀后稷以配天,宗祀文王於明堂以配上帝,是也。震為樂為帝,艮為宗廟為鬼冥為門,故豫有作樂薦帝配祖象也。

《大象伝》に曰く、「雷出地奮、豫。先王以作楽崇徳、殷薦之上帝、以配祖考」。鄭玄は言う、「奮」はすなわち動で、雷が地上に震動すれば、万物はここに歓悦する。「以」の字を用いる所以は、その喜悦逸楽・手舞足蹈の意を取るのである。人が楽しみ極まれば手を鼓ち足を舞わんと欲するがごとし。「崇」は充実、「殷」は盛大、「薦」は進献、「上帝」はすなわち天帝である。帝王は功業成れば楽章を制作す。文徳を以て天下を得た者は《鑰舞》を作り、武功を以て天下を得た者は《万舞》を作る。各々その功徳を尊崇して制度と為す。天帝を祭祀して祖先を配享するは、祖先をして天とともにこの功業を享けさせるためである。だから《孝経》に云く、南郊に天を祭りて后稷を配享とし、明堂に文王を宗祀して上帝を配す、まさにこの意である。震は楽・帝の取象を有し、艮は宗廟・鬼冥・門闕の取象を有する。だから《豫》卦に作楽・薦帝・配祖の象がある。

初六:鳴豫,凶。初與四應,以陰應陽,故鳴豫。鳴謙為德,故吉;鳴豫則荒,故凶。陰柔無實,是己無可豫而徒仰人以為豫者。象曰:初六鳴豫,志窮凶也。六二:介于石,不終日,貞吉。逸豫之事最易溺人,惟無繫應者乃能不為所溺。二居互艮之初,艮為小石,其介如石,所守堅矣。坤為迷,互艮為止,坤迷未終,艮忽止之。虞氏曰:坤為夕,故不終日。見幾早矣,靜則有守,動則有識,故貞吉。象曰:不終日貞吉,以中正也。

初六の爻辞に「鳴豫、凶」と言う。初六は九四に応じ、陰を以て陽に応ずるので「鳴豫」と言う。《謙》卦の「鳴謙」は徳なので吉である。ここの「鳴豫」は放縦荒怠なので凶である。初六は陰柔にして充実せず、己にもとより楽しむところがなく、ただ人に仰いで楽を取るにすぎない。《小象伝》に曰く、「初六鳴豫、志窮凶也」。六二の爻辞に「介于石、不終日、貞吉」と言う。安逸享楽は最も人を溺せしめやすい。ただ人と牵系相応じない者のみがそれに溺れずに済む。六二は互体艮の始めにあり、艮は小石で、その操守は石のごとく堅く、守るところ極めて固い。坤は迷惑の取象を有し、互体の艮は止の取象を有する。迷惑がまだ極まらないうちに、艮は忽ちこれを止める。虞翻は言う、坤は傍晚である。だから「不終日」と言う、と。これは微を見て著を知り、覚察極めて早いことである。静なれば操守あり、動けば見識あり。だから正を守って吉である。《小象伝》に曰く、「不終日貞吉、以中正也」。

六三:盱豫,悔,遲有悔。盱,張目上視也。四為豫主,三則瞻望仰視,羨人之豫,是志在逸樂者,宜其有悔。夫悔固生於豫,而悔實生於遲。三為坤終,坤為迷,不能如二之介于石;三又為互坎,坎為疑,不能如二之不終日。游移不決,故有悔。象曰:盱豫有悔,位不當也。

六三の爻辞に「盱豫、悔、遅有悔」と言う。「盱」は目を張って上を視ることである。九四は《豫》卦の主で、六三は仰ぎ望み、人の安楽を羨む。これはひたすら逸楽を志す者で、悔いのあるべきは当然である。悔恨は固より安楽を貪るから生ずるが、実はさらに遅疑拖延から生ずる。六三は坤体の終位にあり、坤は迷惑を主るので、六二のように石のごとく堅介であることができない。六三はまた互体坎の中にあり、坎は疑慮を主るので、六二のように一日を終えずに抽身することができない。猶豫不決なので悔いがある。《小象伝》に曰く、「盱豫有悔、位不当也」。

九四:由豫,大有得,勿疑,朋盍簪。四自剝之上與復之初易而為豫,是四之豫有由也,故曰由豫。一陽為眾陰所附,是以一陽得眾陰也,故曰大有得。所得既多,則其所豫亦異,使無誠意以聯屬之,則以有得而聚者,復或因多疑而散。惟是互坎之疑,互艮止之,使之勿疑,則坤朋之合如簪之括髮,聚之以成豫矣。簪,聚會也。坤為眾,四以一陽聚上下五陰,朋盍之象。象曰:由豫大有得,志大行也。

九四の爻辞に「由豫、大有得、勿疑、朋盍簪」と言う。九四は《剥》卦の上爻・《復》卦の初爻が換位して《豫》と成ったもので、この卦の和楽にはその由がある。だから「由豫」と言う。一つの陽爻が衆陰に依附されるは、すなわち一陽を以て衆陰を得ること。だから「大有得」と言う。得るところがすでに多ければ、その享ける安楽もまた人と異なる。しかしもし誠意を以て衆人を聯属しなければ、有所得を以て聚まった人もまた猜疑の多さを以て離散するおそれがある。幸いに互体の坎は疑を主り、互体の艮はそれを止めて、疑いを生じさせない。すると坤衆朋類の会合は、まさに簪の髪を束ね括るがごとく、聚まって和楽を成すのである。「簪」は聚合の意である。坤は衆で、九四は一つの陽爻を以て上下の五つの陰爻を聚合する。まさに朋類会合の象である。《小象伝》に曰く、「由豫大有得、志大行也」。

六五:貞疾,恆不死。五以陰居尊位,既不甘從四以豫,而下乘陽剛為互坎,坎為心病,是謂之疾,蓋常若有疾在身者。然而懼危者安,懼辱者榮。內卦為坤,坤為死,五以陰中不與二應;五又為互震,震為反生,故得恆不死。是疾大有裨於人,則宜貞守此疾矣。孟子曰:生於憂患,死於安樂。即此義也。象曰:六五貞疾,乘剛也;恆不死,中未亡也。得中故未亡。

六五の爻辞に「貞疾、恒不死」と言う。六五は陰を以て尊位に居り、すでに四に従って豫することを甘んじず、また下に陽剛を乗じて互体坎と为す。坎は心病で、これを「疾」と言う。常に疾を身に帯びる者のごとし。しかし危を懼る者は安んじ、辱を懼る者は栄える。内卦は坤で、坤は死を象る。六五は陰の中にあって二と応じない。六五はまた互体震で、震は反生を主る。だから恒不死を得る。この疾は大いに人に裨益するので、まさに貞しくこの疾を守るべきである。孟子に曰く、憂患に生まれ、安楽に死す。すなわちこの義である。《小象伝》に曰く、「六五貞疾、乗剛也。恒不死、中未亡也」。中を得るので未だ亡びない。

上六:冥豫成,有渝,無咎。上與三應,三為坤上。虞氏曰:坤為冥。豫至於上,則豫已極,復以陰柔處之,是豫而冥者,故曰冥豫。上在剝為艮,說卦傳曰:成言乎艮。則艮為成。今乃上與四易,以艮之成為震之動,是豫之成者已變。渝,變也。人安逸樂則過滋生,改變成跡則過可補,故曰成有渝無咎也。象曰:冥豫在上,何可長也。豫不可長,宜變以補過也。

上六の爻辞に「冥豫成、有渝、無咎」と言う。上六は六三に応じ、六三は坤体の上に居る。虞翻は言う、坤は昏冥を主る。安楽が上爻に至れば、豫はすでに極まり、復た陰柔を以てこれに処れば、これは楽に溺れて昏昧不明なるを言う。故に「冥豫」と言う。上六は《剥》卦において艮体に属し、《説卦伝》に「成言乎艮」と言う。見るに艮は「成」の意あり。今や上六は九四と換位して、艮の「成」を震の「動」に変えたれば、見るにすでに成せし安楽の局面はまた変われたり。「渝」はすなわち改変。人が安逸楽に安んずれば、過失はすなわち滋長し、既成の旧辙を改変すること肯んずれば、過失はすなわち弥補し得。故に「成有渝、無咎」と言う。《小象伝》に曰く、「冥豫在上、何可長也」。安楽に耽るは長くすべからず、まさに時に及んで改変して以て過失を弥補すべし。

随

【震下兌上,中互巽艮】否。隨為三陰三陽卦,自否來。虞氏曰:否上之初。蜀才曰:此本否卦,剛自上來居初,柔自初而升上。隨:元亨利貞,無咎。隨,從也。下從上,後從前,皆曰隨。此卦震下兌上。鄭氏曰:震,動也;兌,說也。內動之以德,外說之以言,則天下之民咸慕其行而隨從之,故謂之隨也。既見隨從,能長之以善,通其嘉禮,和之以義,乾之以正,則功成而有福;若無此四德,則有凶咎焉。

【《随》卦は震が下、兌が上、中間に巽・艮の二体を互出する】卦変は《否》より来る。《随》は三陰三陽の卦で、虞翻は《否》卦の上爻が降りて初位に至ると言い、蜀才は言う、此卦はもとより《否》卦で、剛爻は上より下りて初位に居り、柔爻は初位より上昇して上位に居る、と。卦辞に曰く、「随、元亨利貞、無咎」。「随」はすなわち跟従で、下位が上位に跟従し、後が前に跟従するを、皆「随」と言う。此卦は震下兌上で、鄭玄は言う、震はすなわち動、兌はすなわち悦。内に在りて徳を以て人を感動し、外に在りて言辞を以て人を取悦せば、さらば天下の百姓は皆其の行為を仰慕して彼に跟従す。故に《随》と称す。すでに人の跟従を得たれば、すなわち善を以て彼らを助長し(元)、嘉礼を以て彼らを会通し(亨)、道義を以て彼らを調和し(利)、正道を以て彼らを主干し(貞)、かくの如くしてこそ功業はこそ成就して福有り。もし元亨利貞のこの四種の徳性無からば、すなわち凶険と過失有らん。

彖曰:隨,剛來而下柔,動而說,隨。大亨貞無咎,而天下隨時,隨時之義大矣哉。卦名隨者何?以隨自否來,否乾之上下來坤初,是謂之剛來下柔。坤變為震,震為動;乾變為兌,兌為說。震動於內以從外,而外以兌說應之,故曰隨也。第震之德為動,而象又為雷;兌之德為說,而象又為澤。震位正東,卦時為二月;兌位正西,卦時為八月。二月雷乃發聲,出於澤中;八月雷始收聲,入於澤中。夫震,陽也;兌,陰也。陰宜從陽,而今陽轉從陰者,隨時之義也。時行則行,時止則止,惟能隨時,乃克大通貞正無咎,大哉隨時之義也。

《彖伝》に曰く、随とは、剛が来て柔の下に降り、動いて説び、随なり。大亨貞にして咎なくして、天下時に随う、随時の義大なるかな。卦を「随」と名づけるは何ぞ。随が否より来れば、否の乾の上爻が下って坤の初位に居るをもって、「剛来下柔」と謂う。坤は変じて震となり、震は動き、乾は変じて兌となり、兌は説び。震が内にて奮動して外卦に従い、外卦は兌の喜悦を以てこれに応ず。だから「随」と言う。さらに震の徳は動きで、象は雷、兌の徳は説びで、象は沢。震の位は正東で、卦気は二月に配し、兌の位は正西で、卦気は八月に配す。二月は雷が声を発して沢中より出で、八月は雷が声を収めて沢中に入る。震は陽、兌は陰で、理の上では陰は陽に従うべきだが、今むしろ陽が陰に従うのは、時に随う義である。時行けば行き、時止まれば止まる。ただ能く時に随うので、こそ大通貞正にして咎なく、大なるかな随時の義である。

象曰:澤中有雷,隨。君子以嚮晦入宴息。翟氏曰:晦者,冥也。雷者,陽氣,春夏用事,今在澤中,秋冬時也,故君子象之。日出視事,其將晦冥,退入宴寢而休息也。此卦自否來,乾之上陽入於坤下,乾為人,坤主藏,又為晦,嚮晦宴息象也。

《大象伝》に曰く、沢中に雷あり、随なり。君子以て晦に向かいて入りて宴息す。翟玄は曰く、「晦」とは冥である。雷は陽気で、春夏に用事し、今沢中に伏するは秋冬の時である。だから君子はこれに象って、日の出に視事し、晦冥に至れば退きて内室に入り宴寝休息す。此卦は否より来て、乾の上爻の陽が坤体の下に入り、乾は人を象り、坤は蔵を主りまた晦を主るので、まさに向晦宴息の象である。

初九:官有渝,貞吉,出門交有功。官,主也。虞氏曰:震為主。而云有渝者,以初自否之上來,今之為官,乃由否變得之者也。變陰為陽,變柔為剛,故貞吉。夫震為主而又為出,隨象以後隨前為義,初宜隨二,二為互艮,艮為門,初宜出之以締交焉。初為震主,陽剛有才,自能擇交,不至失人以流於濫也,蓋有功矣。象曰:官有渝,從正吉也;出門交有功,不失也。

初九の爻辞:官有渝、貞吉、出門交有功。「官」は主の意で、虞翻は震は主であると言う。「有渝」と言う所以は、初九はもとより否卦の上爻から降りて来て、今一卦の主となったのは、まさに否の変化から得たものである。陰より陽に変じ、柔より剛に変ずるので「貞吉」。震は主であり、また「出」の取象がある。《随》の義例は後が前に随うことで、初九は六二に随うべく、六二は互体艮の中にあり、艮は門である。だから初九は門を出て人と交わるべきである。初九は震体の主で陽剛にして才あれば、自ずから交わりを選択し、失人して濫れるに至らず、だから功がある。《小象伝》に曰く、官有渝は正に従えば吉なり、出門交有功は失わざればなり、と。

六二:係小子,失丈夫。二陰居陰位,是不能正所隨而有所繫者。蓋隨以前行後隨為義,二前為三,三為陰,是小子;二後為初,初為陽,是丈夫。二既見繫於在前之小子,必至失其在後之丈夫。丈夫固不可失,而小子偏又見繫,二在陰柔無主也。象曰:係小子,弗兼與也。小子丈夫不能兼與,有所繫必宜有所失也。

六二の爻辞:小子に繋がりて、丈夫を失う。六二は陰を以て陰位に居り、自らの随う所を正しくすることができず、牽繋された者である。《随》は前の者が先に行き後の者が従うを義例とする。六二の前は六三で、六三は陰爻なので「小子」、六二の後は初九で、初九は陽爻なので「丈夫」。六二はすでに前の小子に牽繋されて、必ず後の丈夫を失う。丈夫はもとより失うべきでないが、偏えに小子に牽繋される。六二が陰柔にして主見がないからである。《小象伝》に曰く、小子に繋がるは、兼ねて与(とも)にせざればなり、と。小子と丈夫は兼ねて得られず、一方に繋がれば必ず一方を失う。

六三:係丈夫,失小子,隨有求得,利居貞。三上無應,四以陽剛居三之上,是為丈夫;二為陰柔在三之下,是為小子。繫上丈夫,失下小子,得隨道矣。夫有隨則必有求,而有求又必欲有得。前為陽,陽剛內實,又為互巽,巽為近利市三倍,求固有得,但利居貞正,不可為二所移。蓋三為陰,恐其失守,故以居貞勖之。象曰:係丈夫,志舍下也。下謂二也。

六三の爻辞:丈夫に繋がりて、小子を失い、随えば求めて得あり、居貞に利あり。六三は上六と正応せず、九四が陽剛を以てその上に居るが「丈夫」、六二が陰柔を以てその下に居るが「小子」。上の丈夫に繋がり、下の小子を捨てれば、随の道を得る。随うところあれば必ず求むるところあり、求むれば必ず得んと欲す。前の九四は陽爻で、陽剛にして内実し、また互体巽の中にあり、《説卦伝》に巽は「近利市三倍」と言う。だから求めば必ず得あり。しかしなお居貞を宜しいとす。六二に動かされてはならない。六三はもとより陰爻で、守りを失うを恐るので、「居貞」を以てこれを勗める。《小象伝》に曰く、丈夫に繋がるは、志が下を舎てればなり、と。「下」とは六二を指す。

九四:隨有獲,貞凶,有孚在道以明,何咎。陽實陰虛,四為陽,故三以隨四為有得;五亦為陽,故四以隨五為有獲。獲,得也,即功也。五多功,故隨五有獲也。四為大臣位,臣位高則多危,臣有功則震主,倘不善以自處,貞守所獲,則有獲適以滋戾,凶可立至。惟宜以陽實為孚,陽光為明,孚信充實,達於道路。四為互艮,艮為徑路,故曰在道。忠誠之衷,君喻之,雖有所獲,何有於咎。象曰:隨有獲,其義凶也;有孚在道,明功也。大臣隨至於有獲,宜凶也。明功者,明其有獲,致君喻之。

九四の爻辞:随えば獲あり、貞凶、孚あり道に在りて明ければ、何の咎あらん。陽は実、陰は虚で、九四は陽なので六三が九四に随うを「有得」と言い、九五も陽なので九四が九五に随うを「有獲」と言う。「獲」は得、すなわち功である。《繋辞》に五爻を「多功」と言うので、九五に随えば獲がある。九四は大臣の位にあり、臣位が高ければ危険が多く、臣に功あれば君を震動す。もし善く自処せず、一味に獲を守れば、獲がかえって禍を滋し、凶は立ちどころに至る。ただ陽の充実を孚とし、陽の光輝を明として、忠信を内に充実して道路に達すべきである。九四は互体艮の中にあり、艮は径路なので「在道」と言う。忠誠の衷が君に喻されれば、獲あると雖も何の咎あらん。《小象伝》に曰く、随有獲は其の義凶なり、孚あり道に在りて明なりは、功を明かりするなり、と。大臣が随って獲に至るは、義として凶である。「明功」は自らの功獲を明らかにして君に喻せしむるを言う。

九五:孚于嘉,吉。五以兌說為隨之主,是以嘉美之德求孚於人,而人亦信而隨之。嘉,美也。虞氏曰:陽稱嘉。五位正,故吉。象曰:孚于嘉吉,正中也。上六:拘係之,乃從維之,王用亨于西山。上在事位之外,乃以隨之,故為五所繫。繫之不已,又從而維繫之。蓋隨者後隨前也,卦至於上,卦爻已盡,前無所隨,而五為互巽,為繩,故以維繫為隨也。夫所以維之,實欲用之。五為君位,為王;兌為西,互艮為山,是為西山;兌又為巫,為口舌,禱祀之象,是為用亨。亨,享通,祭也。上位已盡,故不言隨。五欲用賢,必欲隨上,王用上以享祀名山,以為百神之主,故變隨而言拘繫從維也,此隨之極則也。象曰:拘係之,上窮也。上窮無所隨,故為五拘係之。

九五の爻辞:嘉に孚すれば吉。九五は兌の和説を以て《随》卦の主となり、嘉美の徳を以て人の孚を求め、人もまた信して之に随う。「嘉」は美で、虞翻は陽爻を「嘉」と称す。九五はまた正位に居るので吉。《小象伝》に曰く、嘉に孚して吉は、正中なればなり、と。上六の爻辞:拘えて之に繋がり、乃ち従うて之を維す。王は西山にて享す。上六は職事の位次の外にありながら、なお随うので、九五に牽繋される。繋ぐだけでは足らず、また従えて之を維す。《随》は後が前に随うことで、上爻に至れば六爻すでに尽き、前に随うべきがなく、九五は互体巽の中にあり、巽は縄索なので、縄を以て維繫して随と為す。之を維する所以は、実は之を用いんと欲する故である。九五は君位なので「王」と称し、兌は西方、互体艮は山、合わせて「西山」。兌はまた巫・口舌で、祷祀の象なので「用享」と言う。「亨」は「享」に通じて祭祀である。上六は爻位の尽きる所なので「随」と言わず。九五は賢を用いんと欲して必ず上六に随おうとし、王は上六を用いて名山を祭祀し、百神の主と為さんとする。だから「随」を変えて「拘繋」「従維」と言う。これが随の道の極である。《小象伝》に曰く、拘えて之に繋がるは、上窮すればなり、と。上六は窮極の位に居り随う所がないので、九五に拘繋される。

蠱

【巽下艮上,中互震兌】泰。蠱為三陽三陰卦,自泰來。九家易曰:此卦本泰。虞氏曰:泰初之上,故剛上;坤上之初,故柔下。蠱:元享【享:亨】,利涉大川,先甲三日,後甲三日。春秋傳曰:血蟲為蠱,谷之飛亦曰蠱。在周易,女惑男,風落山,謂之蠱。女,陽物而晦時,淫則生內熱惑蠱之疾。是蠱為惑也。而序卦傳乃曰:蠱者,事也。則何也?蓋此卦巽下艮上,巽順而繼以艮止,是因怠緩回惑以釀成事。至事已成,則宜事事以止事焉,故曰蠱者事也。

【《蠱》卦は巽が下、艮が上、中間に震・兌の二体を互出する】卦変は《泰》より来る。《蠱》は三陽三陰の卦で、《九家易》は此卦は本《泰》であると言い、虞翻は、《泰》卦の初爻が上に行くので「剛上」、坤の上爻が初位に下るので「柔下」と言う。卦辞:蠱、元亨(原刻は「享」と作るが「亨」に作るべし)、大川を渉るに利あり、先甲三日、後甲三日。《左伝》に曰く、腹中の血虫を蠱といい、穀物に虫が生じて飛び出るをも蠱という。《周易》においては、女が男を惑わし、大風が山木を落とすを「蠱」と謂う。また曰く、女は陽物で晦時に当り、淫すれば内熱惑乱の蠱疾を生ず。是れ蠱はすなわち惑乱である。しかし《序卦伝》は「蠱者事也」と言う。是れ何ぞや。此卦は巽下艮上で、まず巽の柔順因循があり、続いて艮の止息がある。怠惰遅緩・回環迷惑を以てこそ事端を醸成したのである。事端がすでに成れば、まさに事を事として事を以て事を止むべきである。だから「蠱者事也」と言う。

夫事事乃以求亨,而事事於多事,則得大亨。然事既成為蠱,事豈易治?惟不易治,而愈宜有以治之,不避艱難,不辭險阻,大川在前,剛健者始能涉之,治蠱如此,乃克雲利。又必審於事先以要其終,慎於事後以原其始,如是,蠱不終於蠱而得大通,故曰先甲三日後甲三日也。

事を事とするはもともと亨通を求むるためで、多事の秋に事を為せば収効はさらに大きい。だから「元亨」でき得る。しかし事がすでに壊敗して「蠱」となれば、整治しやすいはずがない。整治し難ければこそ、いよいよ以てこれを治すべきである。艱難を避けず、険阻を辞せず、大川が前に横たわれば、剛健の者のみが敢えて渡る。積弊を整治するにはこの気概があってこそ「利」の一字に及ぶ。同時に必ず事に先んじて審察して終りを要し、事成の後もなお慎んで始めを原す。かくの如くすれば、積弊はついに蠱で終わらず、再び大通を得る。だから「先甲三日、後甲三日」と言う。

彖曰:蠱,剛上而柔下,巽而止,蠱。蠱元亨而天下治也。利涉大川,往有事也。先甲三日,後甲三日,終則有始,天行也。艮巽合卦所以名蠱者,以蠱自泰來也。以泰之初往居坤上,是為剛上;以泰之上來居乾下,是為柔下。剛上為艮,柔下為巽,巽順以釀成事,而艮又止之,故曰蠱也。事事俱壞則曰蠱,而事其事則求亨,治事則必亨,而治蠱則亨曰元。蠱曰元亨者,蓋事事於無事之日,則事小功微;而事事於有事之秋,則事半功倍。蠱固不易治,惟勇於治蠱者能事其所事,則事事振作,事事奮興。

《彖伝》に曰く、蠱とは、剛上して柔下す、巽にして止まる、蠱なり。蠱元亨にして天下治まるなり。大川を渉るに利あるは、往いて事あればなり。先甲三日後甲三日は、終れば則ち始まる、天の行なり、と。艮巽の合卦が「蠱」と名づく所以は、蠱が泰より来れば、泰の初爻が上に往きて坤体の上に居るが「剛上」、泰の上爻が下に来て乾体の下に居るが「柔下」。剛上は艮となり、柔下は巽となる。巽の柔順因循が事端を醸成し、艮がまたこれを止めるので「蠱」と言う。事々皆壊れれば「蠱」と言い、事を事とすれば亨通を求め、事を治すれば必ず亨通し、蠱を治すの亨通はさらに「元」と言うべし。《蠱》に「元亨」と言う所以は、無事の日に事を為せば事小さく功微だが、有事の秋に事を為せば事半にして功倍するからである。積弊は固より治し難し。ただ勇んで蠱を治する者のみがその事すべき事を事とし得て、こうして事々振作し、事々奮興する。

初往之上,中歷二陰,水陰象,是謂之川,而得互震之動、巽風之助,涉此大川,亦未有不利者。夫事必有其終,而事事貴謀其始。先甲三日,辛壬癸也,為十干之終;後甲三日,乙丙丁也,為十干之始。蠱之終為泰之始,上來下往,有徹終徹始審慎以治之象。治蠱以大力,復濟之以遠謀,則蠱治矣。以是知治事之大者乃可以得大亨,則蠱之元亨乃天下治也。

《泰》卦の初爻が上位に往くに、中間に二つの陰爻を経る。水は陰に属し、陰爻はまさに水の取象なので「川」と称す。それがまた互体震の奮動・巽風の推助を得て、この大川を渉れば、自ずから利ならざるはない。これが「利渉大川」である。事には必ずその終りがあり、事を為すにはその始めを謀るを貴ぶ。「先甲三日」は辛・壬・癸で十干の末尾、「後甲三日」は乙・丙・丁で十干の発端。《蠱》の終点はまさに《泰》の起点で、上爻が下り初爻が上るは、まさに終始を貫徹して審慎に整治する象である。積弊を治するに大力を以てし、また遠謀を以て済わせば、積弊は治まる。これによって知る、治事の大任を担う者のみが大亨通を得られ、《蠱》の「元亨」はまさに天下がこれによって治まるを言うのである。

利涉大川者,以泰之初往前居坤,中歷互兌之澤。虞氏曰:坤為事。是往有事也。先甲三日後甲三日終則有始者,乾為大始,坤為大終,泰坤來初,泰乾往上,上為蠱之終,是蠱之終自【自:有】泰之始。上又為泰之乾,乾為天,乃天行也。毋自安於蠱而不事事也。

いわゆる「利渉大川」は、《泰》卦の初爻が上卦坤の中に往き、中間に互体兌の水沢を経るからである。虞翻は坤は事であると言うので「往有事也」。いわゆる「先甲三日後甲三日終則有始」は、《繋辞伝》に乾を「大始」、坤を「大終」と言うからである。《泰》卦の坤の上爻が初位に来て、《泰》卦の乾の初爻が上位に行く。上位は《蠱》卦の終点なので、《蠱》の終点の中に《泰》の始めが含まれる(原刻「自」の字は「有」に作るべし)。上位はまた《泰》卦の乾体の在る所で、乾は天、すなわち「天行」である。要するに、積弊に安んじて事を為さざること勿れ。

象曰:山下有風,蠱。君子以振民育德。風氣主散,為山所阻,則風令不行,有蠱象焉。君子觀之而欲振民:泰坤為民,坤易為巽,巽風之鼓盪如振,故曰振民也。又欲育德:泰乾為德,乾易為艮,艮山之靜涵如育,故曰育德也。

《大象伝》に曰く、山下に風あり、蠱なり。君子以て民を振い徳を育てる。風の気はもとより発散を主り、山に阻まれれば風の号令が吹き行かれず、ここに積弊の象を含む。君子はこの象を見て民を振起せんと欲す。《泰》卦の坤は百姓を象り、坤が変じて巽となり、巽風の鼓蕩が振起のようで、だから「振民」。また徳を涵育せんと欲す。《泰》卦の乾は徳を象り、乾が変じて艮となり、艮山の静かに涵蓄するが養育のようで、だから「育徳」。

初六:幹父之蠱,有子,考無咎,厲終吉。夫不治事以釀成蠱,天下之大有之,即一家之中亦有之。一家之尊莫大於父,初原為泰之乾,乾為父,易乾為巽成蠱,乾象不見,則父已亡,父死稱考。父有遺事未治,是謂之蠱;父有蠱,是父有咎;父咎父未能補,則望子有以乾之。虞氏曰:乾,正蠱事也。泰乾為父,坤為事,故幹父之蠱。父死稱考,有子考變得正,故無咎厲終吉也。象曰:幹父之蠱,意承考也。意承考者,謂子善承考意,猶曰父之蠱,父意欲乾之,今子乃承其意耳。

初六の爻辞:父の蠱を幹(ただ)し、子あれば考咎なし、厲にして終に吉。事を治めずして蠱を醸成するは、大は天下にあり、小は一家の中にもある。一家の中で最も尊きは父である。初爻はもとより《泰》卦の乾体の在る所で、乾は父を象り、乾が巽に変じて《蠱》となり、乾象は見えず、父はすでに亡し――父死して「考」と称す。父が事を遺して治めざるはこれを「蠱」と謂い、父に蠱あれば父に咎あり。父の咎は父自ら補えず、子にこれを匡正せしむるを望む。虞翻は「幹」は積弊の事を匡正することであると言い、《泰》卦の乾は父、坤は事なので「幹父之蠱」と言う。父死して考と称し、子あれば先考の過が変じて正に帰るので「无咎」を得、厲あるも終に吉を獲る。《小象伝》に曰く、父の蠱を幹するは、意考に承ぐればなり、と。考意を承ぐとは、子が善く先考の心意を承接するを言う――父の遺した積弊は父ももとより治さんと欲していたが、今子はただその志を承けて為すのみ。

九二:幹母之蠱,不可貞。二為陰位,居巽女之中,又次於父,是母也。卦為蠱,是母亦有蠱也。幹母之蠱,宜因事補救,不可貞守一轍,持常道以繩之。禮曰:事親有隱無犯。又曰:先意承志,諭父母於道。皆不可貞之義也。象曰:幹母之蠱,得中道也。

九二の爻辞:母の蠱を幹し、貞むべからず。二は陰位で、また巽(長女)の中に居り、位次は父に次ぐので、母を象る。此卦は《蠱》なので、母にも積弊ありと見える。母の蠱を幹するには、事に随って補救すべきで、一轍を貞固して常法を以て之を繩すべからず。《礼記》に曰く、親に事うるに隠あって犯なし。又曰く、意を先に志を承け、父母を道に喩す。皆「不可貞」の義である。《小象伝》に曰く、母の蠱を幹するは、中道を得ればなり、と。

九三:幹父之蠱,小有悔,無大咎。三以陽居陽位,居互震互兌之間,震為決躁,兌為附決,是勇於幹父蠱者。夫事親宜順,過剛則非,故小有悔;而以為幹父蠱也,故無大咎。象曰:幹父之蠱,終無咎也。爻辭曰無大咎,象傳曰終無咎,甚言蠱之不可不乾,所以勖人見義勇為也。

九三の爻辞:父の蠱を幹し、小悔あり、大咎なし。九三は陽を以て陽位に居り、互体震と互体兌の間に居る。《説卦伝》に震は「為決躁」、兌は「為附決」と言うので、勇んで父の蠱を幹する者である。親に事うるは柔順を宜とす、剛に過ぎれば非なり。だから「小有悔」。しかし父の蠱を幹するためなので、大きな咎はない。《小象伝》に曰く、父の蠱を幹するは、終に咎なきなり、と。爻辞は「無大咎」と言い、《象伝》は直に「終無咎」と言う。積弊を幹せざるべからずを極力強調し、以て人の義を見て勇んで為すを勗めるのである。

六四:裕父之蠱,往見吝。四為互兌正艮,兌說而濟以艮止,是不能事其事者。於父之蠱,不惟不能幹之,且寬裕以處之矣。虞氏曰:裕不能爭也。孔子曰:父有爭子,則身不陷於不義。四陰體弱,故裕父之蠱,不能幹蠱,已失事親之道,如此前往皆吝疵也。象曰:裕父之蠱,往未得也。未得者,謂未得事父之道也。

六四の爻辞:父の蠱を裕(ゆる)くし、往けば吝を見る。六四は互体兌の中に居り、また上卦艮体に当る。兌は喜説を主り、また艮の止息を加えるので、事を担う能わざる者である。父の蠱に対して、幹する能わざるのみならず、かえって寛裕を以て処して放って置く。虞翻は「裕」は争(諫)う能わざるを言うとし、孔子は曰く、父に争子あれば身を不義に陥れず。六四は陰爻にして体質柔弱なので、ただ父の蠱を寛縦するのみで、積弊を幹する能わず。すでに親に事うる正しき道を失い、かくの如く往けば、往々にして憾惜と缺失がある。《小象伝》に曰く、父の蠱を裕にするは、往きて未だ得ざればなり、と。「未得」は父に事うる道を得ざるを言う。

六五:幹父之蠱,用譽。五為尊位,位尊則蠱易乾。二為正應,用二以輔之。傳曰:二多譽。用二是為用譽。蠱與譽反,至於有譽,則蠱已化,善聲遠聞,事事咸理矣,此何如干者。象曰:幹父用譽,承以德也。父有蠱,子以德承之,是用譽也。

六五の爻辞:父の蠱を幹し、誉を用いる。五は尊位で、地位が尊ければ積弊は幹し易い。九二はそれと正応で、九二を用いて輔佐せしめるべきである。《繋辞》に二爻を「多誉」と言うので、九二を用うるはすなわち「用誉」。「蠱」と「誉」は正反対で、美譽に至れるは積弊がすでに化したを説明し、善き声が遠く聞え、事々皆理り治まる。これ如何なる幹する者ぞ。《小象伝》に曰く、父の蠱を幹して誉を用いるは、徳を以て承ぐればなり、と。父に蠱あれば、子は徳を以てこれを承ぐ、これが「用誉」である。

上九:不事王侯,高尚其事。為不治事以釀成蠱,為幹蠱乃於以有事。其始則祇見為蠱而不見事,其終則漸見為事而不見蠱。幹蠱至五,已能用譽,則蠱已化;至於上,事事皆治,無蠱可乾,此時則宜退居山林,自勵清節。泰乾之下居於坤上,乾為君稱王侯,坤為事易為艮以止之,故曰不事王侯。坤上易下為巽,巽為高,乾下上升為艮,居坤之上,是為高尚其事,此以不事為事也,蓋天下自此太平矣。象曰:不事王侯,志可則也。不事王侯,其清風高節可以感人,可以化俗,志可為法,惟無事故以志見也。

上九の爻辞:王侯に事えず、其の事を高尚にす。事を治めざるがために蠱を醸成し、蠱を幹するがために事功あり。始めはただ蠱を見て事功を見ず、終りには漸く事功のみを見て蠱を見ない。蠱を幹すること五に至れば、すでに「用誉」能くして蠱は化し、上に至れば事々皆治まり、幹すべき蠱なし。この時は宜しく山林に退居し、自ら清節を励ます。《泰》卦の乾体の下爻が上りて坤体の上に居る。乾は君を象り王侯と称すべく、坤は事を象り今変じて艮となりて之を止める。だから「不事王侯」。坤の上爻が下に換えて巽となり、巽は「高」の取象を有し、乾の下爻が上昇して艮となり、坤の上に居る。これが「高尚其事」で、事えざるを以て事と為す。天下これより太平である。《小象伝》に曰く、王侯に事えざるは、志則とすべきなり、と。王侯に事えざる者の清風高節は人心を感動し風俗を化す能く、その心志は法則と為すに足る。まさに事を任ぜざればこそ、ただ心志の上にその価値を見るのである。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.

Hexagrams in this volume