序卦伝
序者,釋文王演易之序也。文王序卦之法有二,曰變,曰覆。覆卦五十有五,如屯、蒙、需、訟諸卦皆是;變卦維八,乾、坤、坎、離、頤、大過、中孚、小過是也。上經以乾坤始,以坎離終,皆變卦;下經以咸恆始,以既濟未濟終,皆覆卦。上經多言天道,下經多言人事。孔子依其次序分疏之,聯屬成文,而盈虛消長之幾、治亂興衰之理無不畢具,於以見易道至大,觸類引伸,無在不可會心云爾。
「序」は文王が『周易』を推演する時に卦序を排列したるの用意を解釈す。文王の卦序を排定するの方法は両種あり。一を「変」と言い(両卦の爻画相反)、一を「覆」と言い(両卦の上下顛倒)。覆卦に属するは五十五卦ありて、『屯』『蒙』『需』『訟』等のごとし。変卦に属するはただ八卦のみ、すなわち『乾』『坤』『坎』『離』『頤』『大過』『中孚』『小過』。上経は乾坤を以て始め坎離を以て終わるは、皆変卦なり。下経は咸恒を以て始め既済未済を以て終わるは、皆覆卦なり。上経は多く天道を講じ、下経は多く人事を講ず。孔子は此の次序に依照して逐一に疏解し、連綴して文を成せば、而して盈虚消長の机微・治乱興衰の道理は、其の中に完备せざるなし。これに由りて見れば『易』の道は至極広大にして、類に触れて旁通し引申推衍して、心領神会す可からざる処なし。
有天地然後萬物生焉,盈天地之間者唯萬物,故受之以屯。屯者,盈也;屯者,物之始生也。天地即乾坤,萬物受氣於天,成形於地,當時始生,則已充塞於天地之間矣。屯者盈也,言萬物始生,天地之間無非物也。
天地有りて然る後に万物は始めて生出す。天地の間に充満するはただ万物のみ。ゆえに『乾』『坤』の後に接ぐるは『屯』卦なり。「屯」は充盈の義にして、「屯」はまた万物の生長を始むるを指す。天地はすなわち乾坤両卦なり。万物は天より気を禀受し、地上に於いて形を成し、それらの初生の時に当たりて、已に天地の間に充塞せり。「屯者盈也」と言うは、万物の生長を始むるを講じ、天地の間に物ならざる処なし。
物生必蒙,故受之以蒙。蒙者,蒙也,物之稺也。物稺不可不養也,故受之以需。需者,飲食之道也。鄭氏曰:「蒙,幼小之貌,孩稺不養則不長也。」荀氏曰:「需,坎在乾上,中有離象,水火交合,故為飲食之道也。」飲食必有訟,故受之以訟。訟必有眾起,故受之以師。師者,眾也。眾必有所比,故受之以比。比者,比也。鄭氏曰:「訟猶爭也,言飲食之會恆多爭也。」爭則人眾,人之眾多莫如師,師惟親比始克長聚而不散。
万物の初生は必ず蒙昧なれば、ゆえに接ぐるは『蒙』卦なり。「蒙」はすなわち蒙昧にして、万物の幼稚の時を指す。幼稚なれば則ち養育を加えざる可からず。ゆえに接ぐるは『需』卦なり。「需」は飲食の道なり。鄭玄は言う、「蒙は幼小の様にして、孩童幼稚なれば、養育せざれば長大せず」。荀爽は言う、「『需』卦は坎は乾の上に在り、中間に離の卦象を含有す。水火交合せば、ゆえに飲食の道なり」。飲食の事有れば必ず争訟を引起す。ゆえに接ぐるは『訟』卦なり。争訟は必ず衆人の興起有り。ゆえに接ぐるは『師』卦なり。「師」は衆多なり。衆人は必ず親附する所有り。ゆえに接ぐるは『比』卦なり。「比」はすなわち親附なり。鄭玄は言う、「訟は争のごとく、飲食の聚会は常に争執多しを言う」。争執有れば則ち人衆を聚集し、人衆の多きは軍旅に比ぶるなし。而して軍旅はただ彼此親附する有りて、始めて能く長久に聚合して涣散せざるを得。
比必有所畜,故受之以小畜。物畜然後有禮,故受之以履。履而泰然後安,故受之以泰。泰者,通也。眾相親比則各有所止,人各知止則不越禮以履,惟履泰然後乃安,不然則窒塞不通矣。物不可以終通,故受之以否。物不可以終否,故受之以同人。以人事言,則履固欲其安;以天運言,則時不必長泰。蓋有通必有塞,而欲治否,惟眾人同心乃克濟也。
相親相附すれば必ず積蓄する所有り。ゆえに接ぐるは『小畜』卦なり。事物に積蓄有りて然る後に礼有り。ゆえに接ぐるは『履』卦なり。礼を践行して通泰して、然る後に安定す。ゆえに接ぐるは『泰』卦なり。「泰」はすなわち通達なり。衆人は互相親附すれば、則ち各々帰止する所有り。人人は止まる所を知れば、則ち礼度を越出して行事せざるなり。ただ安泰を践行して然る後に安寧あり、然らざれば則ち窒塞して通ぜず。事物は永遠に通達する能わざれば、ゆえに接ぐるは『否』卦なり。事物もまた永遠に閉塞する能わざれば、ゆえに接ぐるは『同人』卦なり。人事に就いて言えば、践履は本と安寧を求得せんと欲す。天運に就いて言えば、時勢は未だ必ず長久安泰ならず。通有れば必ず塞あり、而して閉塞の局面を挽救するは、ただ衆人同心のみ能く成す。
與人同者,物必歸焉,故受之以大有。有大者不可以盈,故受之以謙。有大而能謙必豫,故受之以豫。物歸則大有,有大則過盈,而持盈莫如謙,惟謙則有可保,能長享其有而悅豫矣。豫必有隨,故受之以隨。以喜隨人者必有事,故受之以蠱。蠱者,事也。有事而後可大,故受之以臨。臨者,大也。鄭氏曰:「喜樂而出人,則隨從。」夫以惕厲隨人,則思患預防,庶可以久安而長治;至以喜悅隨人,則般樂怠敖,庶務廢弛,儻欲有以振興之,事業從此生,大業亦從此起,故曰蠱者事也、臨者大也。臨曰大者,陽息至二,陽大也。
能く人と和同するは、万物は必ず之に帰附す。ゆえに接ぐるは『大有』卦なり。広大を擁有するは自満す可からず。ゆえに接ぐるは『謙』卦なり。広大を擁有してまた能く謙退すれば、必ず安楽す。ゆえに接ぐるは『豫』卦なり。万物は帰附すれば則ち大有と為り、広大を擁有すれば則ち盈満に過ぐること易し。而して盈満を守住するは謙より良きなく、ただ謙退あるのみ、所有するは始めて保住し得て、能く長久に享有して心に悦楽を懐く。安楽すれば必ず追随する人有り。ゆえに接ぐるは『随』卦なり。喜悅に因りて别人に追随するは、必ず事端を生出す。ゆえに接ぐるは『蠱』卦なり。「蠱」はすなわち事なり。事有りて然る後に做大す可し。ゆえに接ぐるは『臨』卦なり。「臨」は大なり。鄭玄は言う、「喜楽に因りて常人を超出すれば、人々は来りて随従す」。大凡警愓憂懼の心を以て人に追随せば、則ち能く患を思いて預防して、或いは久安長治す可し。至りて喜悅逸楽を以て人に追随せば、則ち享楽に耽り怠惰傲慢して、各種の事務は因りて廃弛す。倘若之を振興せんと欲せば、事端は則ちここより生じ、大の事業もまたここより興起す。ゆえに「蠱者事也」「臨者大也」と言う。『臨』の「大」と称する所以は、陽気は第二爻に生長して、陽は大と為るを以てなり。
物大然後可觀,故受之以觀。可觀而後有所合,故受之以噬嗑。嗑者,合也。物不可以苟合而已,故受之以賁。賁者,飾也。陽大陰小,陽長於下為大,陽位於上亦謂之大。物大則動人景仰,景仰者眾,其情相合。合以質野為苟合,故宜賁飾以禮文也。
事物は盛大にして然る後に瞻仰す可し。ゆえに接ぐるは『観』卦なり。瞻仰す可ければ然る後に会合する所有り。ゆえに接ぐるは『噬嗑』卦なり。「嗑」はすなわち合なり。事物はただ随合凑合するのみに可ならず。ゆえに接ぐるは『賁』卦なり。「賁」は文飾なり。陽は大、陰は小にして、陽は下より自ら生長するを大と言い、陽は上位に居るをも大と言う。事物は盛大すれば則ち人をして景仰せしめ、景仰する人の多ければ、情意は自然相合す。若しただ質朴粗野を以て相合せば、則ちそれは苟且の結合なり。ゆえに当に礼儀文采を以て之を修飾すべし。
致飾然後亨則盡矣,故受之以剝。剝者,剝也。物不可以終盡,剝窮上反下,故受之以復。賁飾所以為文,然文偏勝,至於滅質,則文不可行。亨盡則剝,剝盡則窮,窮極則反,反下為復。復則不妄矣,故受之以無妄。有無妄然後可畜,故受之以大畜。物畜然後可養,故受之以頤。頤者,養也。不養則不可動,故受之以大過。陽復於初,天心甫見,妄念不生,而後其德可積。積畜者久,則所畜者大,是畜德則宜無妄,而畜物則宜頤養。靜養以待動,行大過之事克勝任也。
文飾は極処に到れば、亨通もまた窮尽す。ゆえに接ぐるは『剥』卦なり。「剥」はすなわち剥落なり。事物は終帰滅尽する能わざれば、剥落して上爻に窮極すれば則ち下位に返回す。ゆえに接ぐるは『復』卦なり。文飾は以て文采を成就せんがためなれど、然れども文采は偏勝して、以て本質を淹滅するに至れば、あの文采は則ち行けざるなり。亨通は尽頭に到れば則ち剥落し、剥落は尽頭に到れば則ち窮困し、窮極すれば則ち返回し、下位に返回到るは則ち『復』なり。本原に返回すれば則ち虚妄ならず。ゆえに接ぐるは『无妄』卦なり。不虚妄有りて然る後に始めて積蓄す可し。ゆえに接ぐるは『大畜』卦なり。事物は積蓄した後に然る後に養育す可し。ゆえに接ぐるは『頤』卦なり。「頤」は養なり。養育を加えざれば則ち行動有る能わず。ゆえに接ぐるは『大過』卦なり。陽気は初爻に返回し、天地の生物の心は剛に顕現して、妄念は生ぜず。然る後に徳行は積累す可し。積蓄すること久しければ、蓄する所のものは大なり。見れば徳行を蓄養するは当に无妄なるべく、而して財物を蓄積するは則ち当に頤養なるべし。静かに涵養して以て行動を待ち、寻常を超越する大事を做して、始めて能く胜任す。
物不可以終過,故受之以坎。坎者,陷也。陷必有所麗,故受之以離。離者,麗也。大過之時,行大過之事,是人慾以力勝天,而天意未遽回,人亦為天所困,不可以終過,往往涉險以致陷。既陷於坎中,必有所附麗,始克出險,故坎陷之下次離麗也。
事物は永遠に過越する能わざれば、ゆえに接ぐるは『坎』卦なり。「坎」は陷落なり。陷落の後は必ず依附する所有り。ゆえに接ぐるは『離』卦なり。「離」は附麗なり。大過の時に寻常を超越する大事を做すは、これは人が人力を以て天時に勝たんと欲するなり。而して天意は驟然と転回せず、人もまた天に困せられて、一味に過越し続くる能わず。往往として険に渉るに因りて陷落を致す。既に坎険の中に陷りたれば、必ず依附する所有りて、始めて能く険境を脱出す。ゆえに『坎』の陷落の後は、接ぐるは則ち『離』の附麗なり。
有天地然後有萬物,有萬物然後有男女,有男女然後有夫婦,有夫婦然後有父子,有父子然後有君臣,有君臣然後有上下,有上下然後禮義有所錯。夫婦之道不可以不久也,故受之以恆。恆者,久也。干氏曰:「錯,施也。」此詳言人道三剛六紀有自來也。人有男女陰陽之性,則自然有夫婦配合之道;有夫婦配合之道,則自然有剛柔尊卑之義;陰陽化生,血體相傳,則自然有父子之親;以父立君,以子資臣,則必有君臣之位;有君臣之位,故有上下之序;有上下之序,則必禮以定其體,義以制其宜,明先王制作蓋取之於情者也。
天地有りて然る後に万物有り、万物有りて然る後に男女有り、男女有りて然る後に夫妻有り、夫妻有りて然る後に父子有り、父子有りて然る後に君臣有り、君臣有りて然る後に上下の分有り、上下の分有りて然る後に礼義は施す地有り。夫妻の道は長久ならざる可からず。ゆえに接ぐるは『恒』卦なり。「恒」は長久なり。干宝は言う、「錯とはすなわち施行なり」。これは詳細に人道の中の三綱六紀(原文は「三剛六紀」と作る)の由来を説明す。人は男女陰陽の天性ありて、自然に夫妻配合の道あり。夫妻配合の道有れば、自然に剛柔尊卑の名分あり。陰陽は化育生養して、血脈形体は代代相伝すれば、自然に父子の親情あり。父の地位より推立して君を出だし、子の地位より取資して臣と為せば、則ち必ず君臣の名位あり。君臣の名位有れば、ゆえに上下の次序あり。上下の次序有れば、則ち必ず礼を用いて其の体統を確定し、義を用いて其の分寸を裁制す。見れば先王の種種の制作は、原と人情より取来せるなり。
上經始於乾坤,有生之本也;下經始於咸恆,人道之首也。易之興也,當殷之末世有妲己之禍,當周之盛德有三母之功,以言天不地不生、夫不婦不成,相須之至,王教之端。故詩於關睢為國風之始,而易於咸恆備論禮義所由生也。
上経は乾坤より始まるは、あれは万物化生の根本なり。下経は咸恒より始まるは、あれは人倫の道の開端なり。『易』の興起する時は、正に殷商の末世に妲己の招致する禍乱あり、また正に周家の徳業は方に盛んにして太姜・太任・太姒の三位の賢母の功績あるに当たり、用いて天は地なければ生育する能わず、丈夫は妻子なければ成家する能わざるを説明す。両者は相互依待して極処に至り、これはまさに王道教化の開端なり。ゆえに『詩経』は『関雎』を『国風』の首に列し、而して『易』は『咸』『恒』両卦に於いて礼義の生ずる所以を詳論す。
物不可以久居其所,故受之以遯。遯者,退也。物不可以終遯,故受之以大壯。物不可以終壯,故受之以晉。晉者,進也。物有恆則必盛,盛不可以久居,是宜退守,退守則安,安則壯,壯則有為前進也。進必有所傷,故受之以明夷。夷者,傷也。傷於外者必反其家,故受之以家人。家道窮必乖,故受之以睽。睽者,乖也。《九家易》曰:「日在坤下,其明傷也。言進極當降,復入於地,故曰明夷也。」外為傷迫,返家乃安,而家道際其窮,則亦不和而乖違。
事物は長久に原処に居守する能わざれば、ゆえに接ぐるは『遯』卦なり。「遯」は退避なり。事物は一味に退避する能わざれば、ゆえに接ぐるは『大壮』卦なり。事物は一味に強壮する能わざれば、ゆえに接ぐるは『晋』卦なり。「晋」は前進なり。事物は恒久の徳有れば必ず興盛し、興盛の後は久しく其の位に居る可からざれば、則ち当に退守すべし。退守すれば則ち安穏にして、安穏なれば則ち強壮にして、強壮なれば則ち作為有りて向前進取す。前進は必ず損傷する所有り。ゆえに接ぐるは『明夷』卦なり。「夷」は損傷なり。外に於いて傷を受くる人は必ず己の家に返回す。ゆえに接ぐるは『家人』卦なり。家道は窮尽の処に到れば必ず乖違す。ゆえに接ぐるは『睽』卦なり。「睽」は乖離なり。『九家易』は言う、「太陽は坤地の下に在りて、其の光明は傷を受く。これは言う、前進は極処に到れば則ち下降すべく、重ねて地中に没入す。ゆえに『明夷』と言う」。外に於いて傷害逼迫せられ、家中に帰到して始めて安寧を得。而して家道は一旦窮極の時に到れば、亦た不和睦にして乖離す。
乖必有難,故受之以蹇。蹇者,難也。物不可以終難,故受之以解。解者,緩也。睽則賊恩,故有險難;蹇難宜解,而難解之餘,漸忘戒懼,則流於緩弛矣。緩必有所失,故受之以損。損而不已必益,故受之以益。益而不已必決,故受之以夬。夬者,決也。解緩則致損,而深自貶損又可以致益;益至於無可益,盛極則潰。盛衰盈虛,其互相倚伏如此。
乖違は必ず険難を招来す。ゆえに接ぐるは『蹇』卦なり。「蹇」は艱難なり。事物は永遠に艱難に処する能わざれば、ゆえに接ぐるは『解』卦なり。「解」は舒緩なり。乖睽すれば則ち恩情を傷害すれば、ゆえに険難あり。艱難は当に舒解すべく、然れども険難は解除した後、漸々戒惧を忘れて、則ち松弛怠緩に流る。松弛怠緩は必ず損失する所有り。ゆえに接ぐるは『損』卦なり。減損は止まざれば必ず転じて增益と為る。ゆえに接ぐるは『益』卦なり。增益は止まざれば必ず決溢せんとす。ゆえに接ぐるは『夬』卦なり。「夬」は決断・決溢なり。松懈すれば則ち損失を招致し、而して深く自ら貶抑減損すれば、また以て增益を帯来す可し。增益は再び増す可きなくなれば、盛は極処に到れば則ち潰決せんとす。盛と衰・盈と虚とは、まさに此の如く互相倚伏す。
決必有所遇,故受之以姤。姤者,遇也。物相遇而後聚,故受之以萃。萃者,聚也。聚而上者謂之升,故受之以升。物壅塞則不行,水潰決則必流,水流則有所遇,相遇則聚,聚小為大,有升之象。升而不已必困,故受之以困。困乎上者必反下,故受之以井。井道不可不革,故受之以革。革物者莫若鼎,故受之以鼎。升不知止必致困窮,上進則困,下退宜安。井者,物之下者也,然井不改久則生汙,宜革其故。鼎為變生為熟、化堅為柔之物,故曰革物者莫若鼎。
決溢の後は必ず遭遇する所有り。ゆえに接ぐるは『姤』卦なり。「姤」は相遇なり。事物は相遇して然る後に聚集す。ゆえに接ぐるは『萃』卦なり。「萃」は聚集なり。聚集して上に向かうを升と言う。ゆえに接ぐるは『升』卦なり。事物は壅塞すれば則ち通行する能わず。水は一旦潰決すれば必ず奔流し、水は流動すれば則ち遭遇する所有り、相遇すれば則ち聚集し、小より聚まりて大を成せば、則ち上昇の象あり。上昇は止まざれば必ず困厄す。ゆえに接ぐるは『困』卦なり。上位に於いて困を受くるは必ず下面に返回す。ゆえに接ぐるは『井』卦なり。井道は変革を加えざる可からず。ゆえに接ぐるは『革』卦なり。事物を変革するは鼎より合適なるなし。ゆえに接ぐるは『鼎』卦なり。上昇して停止するを知らざれば、必ず困窮を招致す。一味に向上進取すれば則ち困を受け、向下退守して始めて安穏なり。井は下位に処する物なり。然れども井は久しく淘治せざれば則ち汚を生ず。当に其の旧汚を革除すべし。鼎は生を変じて熟と為し堅硬を化して柔軟と為すの器具なり。ゆえに事物を変革するは鼎より合適なるなしと言う。
主器者莫若長子,故受之以震。震者,動也。物不可以終動,止之,故受之以艮。艮者,止也。古帝傳國以鼎,鼎為重器,繼先君以主器者為長子,震為長男,是長子也。震之德為動,動極宜止之,艮之德止也。物不可以終止,故受之以漸。漸者,進也。進必有所歸,故受之以歸妹。得其所歸者必大,故受之以豐。豐者,大也。物不中止則必前進,進以漸必有所歸,歸妹者,有所歸也。此有所歸,彼必有所得,得眾之歸,併力為輔,則足以致大業焉。
宗廟の重器を主持するは長子より合適なるなし。ゆえに接ぐるは『震』卦なり。「震」は動なり。事物は一直に動き続くる能わざれば、之を停止せしむるを須う。ゆえに接ぐるは『艮』卦なり。「艮」は止なり。古代の帝王は国を伝うるに鼎を以て憑と為し、鼎は国の重器にして、先君を継承して重器を主持するは長子なり。震は長男と為る、すなわち長子なり。震の徳性は動にして、動は極処に到れば則ち止住すべく、而して艮の徳性はまさに止なり。事物は永遠に静止する能わざれば、ゆえに接ぐるは『漸』卦なり。「漸」は漸進なり。前進は必ず帰宿する所有り。ゆえに接ぐるは『歸妹』卦なり。帰宿を得るは必ず盛大す。ゆえに接ぐるは『豊』卦なり。「豊」は大なり。事物は半途に停止せざれば必ず向前し、前進して循序漸進せば、必ず帰宿する所有り。「歸妹」はすなわち帰属する所有り。此の方は帰属する所有れば、彼の方は必ず獲得する所有り。衆人の帰附を得て、合力して相輔せば、則ち以て大の事業を成就するに足る。
窮大者必失其居,故受之以旅。旅而無所容,故受之以巽。巽者,入也。窮大者則志無定,故失居;旅非可久居之所,以驕亢處之則人不能容,故宜入之以巽。入而後說之,故受之以兌。兌者,說也。說而後散之,故受之以渙。渙者,離也。物不可以終離,故受之以節。研入至深則心有得,故說。憂主聚,說主散,渙散之餘往往離道,是宜有節制也。
盛大を極処に追求する人は必ず其の居所を失う。ゆえに接ぐるは『旅』卦なり。羈旅して外に在りて容身する処なければ、ゆえに接ぐるは『巽』卦なり。「巽」は入なり。窮極盛大の人は心志に定准なく、ゆえに居所を失う。羈旅の地は本と久居す可きの地にあらず。若し驕矜傲慢の態度を以て自処せば、别人は則ち彼を容納す可からず。ゆえに当に巽の謙順を以て其の中に深入すべし。深入の後は則ち心に喜悅を生ず。ゆえに接ぐるは『兑』卦なり。「兑」は悦なり。喜悅の後は則ち涣散せんとす。ゆえに接ぐるは『渙』卦なり。「渙」は離散なり。事物は一直に離散する能わざれば、ゆえに接ぐるは『節』卦なり。鑽研深入して極処に到れば、心中は得る所有り。ゆえに喜悅す。憂愁は人をして聚斂せしめ、喜悅は人をして発散せしむ。涣散の余は往往として正道に背離す。ゆえに当に節制を加うべし。
節而信之,故受之以中孚。有其信者必行之,故受之以小過。節制得宜,則可以信而守之。孚者,信也。既信於心,則宜見諸行事,惟其信之深,故其行之決。小過乎中,亦審之時勢以立制者。有過物者必濟,故受之以既濟。物不可窮也,故受之以未濟,終焉。有過物之才,必能濟事。然物無盡藏,窮極則返。既濟之後次以未濟,以見陰陽之消息、物理之循環,易之卦有盡而易義無終極也。
節制有れば則ち人を信従せしむ。ゆえに接ぐるは『中孚』卦なり。心中に誠信あるは必ず之を実行に付す。ゆえに接ぐるは『小過』卦なり。節制は当を得れば、則ち人を信従して持守せしむ可し。「孚」はすなわち誠信なり。既に内心篤信せば、則ち当に行事に見るべし。正に信すること深きがゆえに、則ち行くこと果決なり。稍々中道を超過するも、亦た時勢を斟酌して立下る法度なり。常人を超越するの才有るは必ず能く事を成す。ゆえに接ぐるは『既済』卦なり。事物は窮尽す可からざれば、ゆえに接ぐるは『未済』卦なり、全書はここに於いて結束す。常人を超越する才干有れば、必ず能く事を濟す。然れども万物は之を取り尽す能わず、窮は極処に到れば則ち返回せんとす。『既済』の後に『未済』を接ぐるは、まさに以て陰陽の消長・物理の循環を顕示せんとするなり。『易』の卦は尽頭ありて、而して『易』の義理は終極なし。
雑卦伝
虞氏曰:雜六十四卦以為義,其於《序卦》之外別言也。昔者聖人之興,因時而作,隨其時宜,不必皆相因襲,當有損益之意也。故《歸藏》名卦之次亦多異於時,王道踳駁,聖人之意或欲錯綜以濟之,故次《序卦》,以其雜也。
虞翻は言う、『雑卦伝』は六十四卦を打乱して次序し、両両配対して以て卦義を闡明す。これは『序卦伝』の層層相生の講法の外に於いて別に一説を立つるなり。古代の聖人の興起するは、皆各自其の処する時代に順応して制作し、当時の需要に随いて定め、必ずしも事事前代に沿袭せず、其の間に自ら増減調整の用意あり。ゆえに殷代の『帰蔵』易の卦名の排列の先後も、また多く当時通行の『周易』と相同じからず。王道の雑乱して純駁一ならざる時に到りて、聖人の意思は或いは錯綜交互の排法を用いて之を補救せんと欲し、これに因りて『序卦伝』の後に再び此の一篇を列するは、取る所はまさに「雑」の此の意思なり。
按:上下《彖傳》、上下《象傳》、上下《繫辭傳》、《文言傳》、《說卦傳》、《序卦傳》、《雜卦傳》凡十傳,先儒以為十翼。《周易》次序文王所定,以乾為首,與《連山》首艮、《歸藏》首坤異。虞氏謂《歸藏》名卦之次多異於時,則《連山》名卦之次異於《歸藏》可知。孔子此傳所列之次,與文王所列者又異。乾坤至井困亦三十卦,咸恆至夬亦三十四卦,或變對,或反對,或雜而不對。以純陽之乾卦為始,以夬五陽決一陰之卦居終,列次豈無深意。漢儒鄭氏謂大過顛也以下錯亂失正,明儒蔡氏、來氏等因以私意改之,恐非先聖之旨也。
按ずるに、『彖伝』上下両篇・『象伝』上下両篇・『繋辞伝』上下両篇、再加えて『文言伝』『説卦伝』『序卦伝』『雑卦伝』、共計十篇にして、前代の学者は之を「十翼」と称す。今伝わる『周易』六十四卦の次序は周文王の排定する所にして、『乾』卦を以て首に居るは、夏代の『連山』易が『艮』を以て首に居る、殷代の『帰蔵』易が『坤』を以て首に居ると皆相同じからず。虞翻は既に『帰蔵』の卦を排すの次序は多く当時通行する所と同じからずと言えば、則ち『連山』の卦を排すの次序もまた『帰蔵』と同じからざるは、便ち推知す可し。孔子此の一篇の排ぶ所の次序は、文王の排ぶ所とまた様ならず。『乾』『坤』より起りて『井』『困』に至るまで止むは、同じく三十卦なり。『咸』『恒』より起りて『夬』に至るまで止むは、同じく三十四卦なり。配対の弁法は、或るは「変対」を用い、すなわち両卦の六爻の陰陽は全部相反し、或るは「反対」を用い、すなわち一卦を倒して観れば則ち別の一卦を成し、また中間に夾在して並み対を成さざるもあり。開篇は純陽の『乾』卦を用い、收尾は五陽が一陰を決去する『夬』卦を用い、此の如き排列は豈に深意なからんや。漢代の鄭玄は「大過顛也」以下より文字錯乱して正次を失うと認め、明代の蔡清・来知徳等の人は便ち個人の臆断を憑りて経文を改動す。おそらく皆古聖人の本意に合せざらん。
乾剛坤柔,比樂師憂。乾純陽,坤純陰,陽為剛,陰為柔。致眾親比故樂,帥眾犯難故憂。臨觀之義,或與或求。臨下則有所與於下,觀上則有所求於上。屯見而不失其居,蒙雜而著。虞氏曰:陽初出震故見,盤桓利居貞,故不失其居。蒙二陽在陰位故雜,初雜為交故著。
『雑卦伝』は「乾剛坤柔、比楽師憂」と言う。『乾』は六爻皆陽にして、『坤』は六爻皆陰なり。陽の性情は剛健にして、陰の性情は柔順なり。両卦は剛柔を以て相対す。『比』は衆人を招来して親附し、人心相聚まれば、ゆえに「楽」と言う。『師』は大衆を率領して冒険犯難し、責任は沈重なれば、ゆえに「憂」と言う。一楽一憂もまたまさに一対を成す。「臨観之義、或與或求」:『臨』は上に居りて下に臨み、恩沢は下面に施与す。ゆえに「與」と言う。『観』は下に在りて上を仰観し、上面に仰求する所有り。ゆえに「求」と言う。「屯見而不失其居、蒙雑而着」:虞翻は解釈す、『屯』の下卦は震と為り、陽気は剛に震の中より生出す。ゆえに「見」と言う、すなわち顕露なり。『屯』初九の爻辞は「盤桓、利居貞」と言い、本位を守りて軽動せず。ゆえに「不失其居」と言う。『蒙』卦の両個の陽爻は皆陰位の上に処し、陰陽混雑す。ゆえに「雑」と言う。初爻は陰陽交錯相雑りて、反って卦義を彰明ならしむ。ゆえに「着」と言う。
震起也,艮止也。震陽下動,艮陽上止。損益,盛衰之始也。損自泰來,損則由衰臻盛,以漸至於泰,是損為盛之始;益自否來,益則由盛趨衰,以漸至於否,是益為衰之始。大畜時也,無妄災也。畜極必通,是宜待時;災自外至,無妄之災乃得之意外者。
「震起也、艮止也」:『震』は一陽は下体の下に生じ、陽気は鼓動して奮起す。ゆえに「起」なり。『艮』は一陽は上体の上に升り、陽気は頂に到りて停住す。ゆえに「止」なり。一動一静はまさに相対照を成す。「損益、盛衰之始也」:『損』卦は『泰』卦より変じ来り、下体を減損して上体を増益す。看れば受損のごとし、其の実は衰より盛に転ずの開端にして、慢慢に則ち『泰』に走向す。ゆえに『損』は「盛之始」なり。『益』卦は『否』卦より変じ来り、上体を減損して下体を増益す。看れば得益のごとし、其の実は盛より衰に転ずの開端にして、慢慢に則ち『否』に走向す。ゆえに『益』は「衰之始」なり。「大畜時也、无妄災也」:『大畜』は蓄積は極処に到れば必ず通達して、關鍵は時機を等待するに在り。『无妄』の講ずる禍患は外面より飛来するにして、いわゆる「无妄之災」は、まさに意料の外に招来する災禍なり。
萃聚而升不來也,謙輕而豫怠也。萃主下孚故曰聚,升主前往故曰不來。謙自卑曰輕,豫逸樂曰怠。噬嗑食也,賁無色也。噬取亨通,嗑以食之;賁飾文盛,宜返質也。兌見而巽伏也。兌上陰見,巽下陰伏。隨無故也,蠱則飭也。隨從前往,宜忘故習;蠱亂之後,宜加整飭。
「萃聚而升不來也、謙輕而豫怠也」:『萃』は下面の誠信が上に帰附し、人心匯聚す。ゆえに「聚」と言う。『升』は一路向前上行して、有去無回を講ず。ゆえに「不來」と言う。『謙』は自ら卑下に居り自ら其の身を重んぜず。ゆえに「輕」と言う。『豫』は安逸取楽して心志は鬆弛す。ゆえに「怠」と言う。「噬嗑食也、賁无色也」:『噬嗑』は梗塞の物を咬断して以て亨通を求め、咬合した後は便ち進食す可し。ゆえに「食」の義を取る。『賁』は文飾にして、文采は太盛なれば反って本色を掩う。ゆえに質朴に返帰せんと欲して、それを「无色」と言う。「兑見而巽伏也」:『兑』の陰爻は上に在り、外に顕露す。ゆえに「見」なり。『巽』の陰爻は下に在り、下に潜伏す。ゆえに「伏」なり。「随无故也、蠱則飭也」:『随』は時勢に随順して前に往くにして、当に旧有の習套を忘掉すべし。『蠱』は積弊已に生じ事情壞乱の後にして、当に之を整頓修治すべし。
剝爛也,復反也。剝上惟餘一陽,爛盡則將食碩果;復初甫來一陽,反生則克見天心。晉晝也,明夷誅也。晉五離中,日出地上曰晝;誅,傷也,明夷離居坤下,日之明為地所掩。井通而困相遇也。井泰初之五,穿坤土以出坎水,故通;困為否上來二,陽入陰中,故相遇。
「剥爛也、復反也」:『剥』は上九に至りてただ最後の一個の陽爻を余し、五陰は下に於いて侵蚀す。果実は爛熟して将に尽きんとす、まさに「碩果不食」にして将に呑噬せられんとする時なり。『復』は初九一陽は剛に歸來して、陽気は返生す。ここに於いて便ち天地の生生の心を見る能くす。ゆえに一は「爛」にして一は「反」なり。「晋昼也、明夷誅也」:『晋』の上体は離と為り、離は日と為り、太陽は地面の上に升出す。ゆえに「昼」なり。「誅」は損傷の意思にして、『明夷』は離日は坤地の下に落ち、日光は大地に遮掩せらる。ゆえに「傷」なり。「井通而困相遇也」:『井』は『泰』卦の初爻は上りて五位に到りて成るにして、坤土を穿透して坎水を汲出し、水脈貫通す。ゆえに「通」と言う。『困』は『否』卦の上爻は下来りて二位に居りて成るにして、陽爻は衆陰の中に陷りて、陰と相值す。ゆえに「相遇」と言う。
咸速也,恆久也。虞氏曰:相感者不行而至,故速也;日月久照,四時久成,故久也。渙離也,節止也。物因渙則離,物有節則止。解緩也,蹇難也。虞氏曰:雷動出物故緩,蹇險在前故難。睽外也,家人內也。睽乖於外,家人睦於內。
「咸速也、恒久也」:虞翻は言う、『咸』は交感を講じ、両情は相感応して、歩を移さずして已に到達す。ゆえに「速」なり。『恒』は長久を講じ、日月は長久に天下を照臨し、四時は長久に運行して歳を成す。ゆえに「久」なり。「渙離也、節止也」:『渙』は涣散にして、事物は一たび涣散すれば便ち相離析す。『節』は節制にして、事物は節度有れば便ち适可して止まる。「解緩也、蹇難也」:虞翻は言う、『解』卦は震雷は一たび動けば、万物は解凍して出で、緊迫の勢は舒緩を得。ゆえに「緩」なり。『蹇』卦は坎険は前面に横たわり、寸步難行す。ゆえに「難」なり。「睽外也、家人内也」:『睽』は彼此乖違して心を外に離り、『家人』は一家和睦して内に親合す。一外一内はまさに相対す。
否泰反其類也。虞氏曰:否反成泰,泰反成否,故反其類。大壯則止,遯則退也。虞氏曰:大壯止陽,陽故止;遯陰消陽,陽故退。大有眾也,同人親也。大有六五居尊以有眾陽,同人六二得正,五陽欲同之相親近也。革去故也,鼎取新也。革主改變,鼎主烹飪。
「否泰反其類也」:虞翻は言う、『否』卦を倒して観れば則ち『泰』卦を成し、『泰』卦を倒して観れば則ち『否』卦を成す。両卦は陰陽升降は恰恰と相反す。ゆえに「反其類」と言う。「大壮則止、遯則退也」:虞翻は言う、『大壮』は四陽は上進して上面の二陰に受阻せられ、陽気はここに到りて当に止むべし。ゆえに「止」なり。『遯』卦は二陰は下より自ら滋長して逐步に陽気を消去し、陽はただ退避するのみ。ゆえに「退」なり。「大有衆也、同人親也」:『大有』六五は一陰を以て尊位に居りて下面の衆多の陽爻を擁有す。ゆえに「衆」の義を取る。『同人』六二は中に居りて正を得、五個の陽爻は皆之と相同せんと欲して争いて親附す。ゆえに「親」の義を取る。「革去故也、鼎取新也」:『革』は変革を主とし、旧きを除去するなり。『鼎』は烹飪を主とし、新たきを造成するなり。
小過過也,中孚信也。小過過乎中,中孚信於內。豐多故也,親寡旅也。故,舊也。《周禮·天官》以八統詔王馭萬民,二曰敬故。蓋豐大則故舊必多,旅居於外,僮僕數人之外鮮有親近者。離上而坎下也。火性炎上,水性潤下。
「小過過也、中孚信也」:『小過』は稍々中道を超過す。ゆえに名を「過」と曰う。『中孚』は誠信は内心に充実す。ゆえに名を「信」と曰う。「豊多故也、親寡旅也」:「故」は故旧の意思にして、『周礼・天官』の記載する太宰は「八統」の法を用いて君王を輔助して万民を統御す。其の第二条はすなわち「敬故」にして、すなわち故旧を敬重するなり。凡そ家業豊大の人は、故旧亲朋は必ず衆多なり。而して旅居して外に在る人は、随行の幾名の僮僕を除くの外、親近の人は甚だ少なし。ゆえに『旅』は「親寡」なり。「離上而坎下也」:離は火と為り、火の性は向上して燃焼す。坎は水と為り、水の性は下に向いて浸潤す。二者の取象はまさに相反す。
小畜寡也,履不處也。一陰不勝五陽之畜,是謂之寡;一陰欲履五虎之尾,是謂不處。需不進也,訟不親也。不進前以犯難故需,不親睦以相爭故訟。大過顛也,姤遇也,柔遇剛也,漸女歸待男行也,頤養正也。顛,踣也,大過本末俱弱故顛。漸為上巽下艮之卦,男少女長,男不求女,女行宜待,不宜苟且歸也。
「小畜寡也、履不処也」:『小畜』は一個の陰爻を以て五個の陽爻を畜止し、力量単薄にして、衆陽に敵する能わず。ゆえに「寡」と言う。『履』もまた一陰は五陽の間に処りて、猛虎の尾を踩むが如く、一刻も安居停留すること敢えてせず。ゆえに「不処」と言う。「需不進也、訟不親也」:『需』は冒然として前進して坎険を犯さず、等待の義を取る。『訟』は彼此不和睦にして相争い、争訟の義を取る。「大過顛也、姤遇也、柔遇剛也、漸女帰待男行也、頤養正也」:「顛」は跌倒にして、『大過』は初・上の両爻は皆陰にして、本末俱虚なれば、ゆえに傾覆し易し。『姤』は一陰は下より自ら五陽と相遇す。ゆえに「柔遇剛」と言う。『漸』は上巽下艮の卦にして、艮は少男、巽は長女と為り、男は少なく女は長じて、男方は並み来りて求めず、女子の出嫁は当に時機を等待し礼に依りて行い、苟且に相従す可からず。『頤』は頤養を講じ、養う所は必ず正道に合せよ。
既濟定也,歸妹女之終也,未濟男之窮也。虞氏曰:濟成六爻得位,定也。歸妹,人之終,女終於下,從一而終,故曰女之終也。未濟、既濟兩卦爻皆陰陽相間,既濟之上為陰,未濟之上為陽,爻至上則窮,陽為男,故曰男之窮也。夬決也,剛決柔也,君子道長,小人道憂也。陽為君子,陰為小人,陽息至五,往決陰柔,故夬曰決。傳以乾始,以夬終,於夬曰君子道長,小人道憂,決夬為乾,聖人扶陽抑陰之心也。
「既済定也、帰妹女之終也、未済男之窮也」:虞翻は言う、『既済』は六爻は陽は陽位に居り陰は陰位に居り、個個当位して、事已に辦成せり。ゆえに「定」なり。『帰妹』は女子の出嫁を講じ、人生の一大帰宿なり。女子は下嫁して終身は一人に託付し、一に従りて終す。ゆえに「女之終」と言う。『未済』と『既済』両卦の六爻は皆陰陽相間排列して、ただ『既済』の上爻は陰、『未済』の上爻は陽なり。爻位は上位に到れば便ち已に尽頭に到り、陽爻は男子を代表す。ゆえに「男之窮」と言う。「夬決也、剛決柔也、君子道長、小人道憂也」:陽爻は君子を象徴し、陰爻は小人を象徴し、陽気は第五爻に生長して、五陽は一斉に上りてあの一個の陰爻を決除す。ゆえに『夬』はすなわち決断・決去の意思なり。此の一篇は純陽の『乾』卦を以て開頭し、『夬』卦を以て收尾し、並びに『夬』の下に「君子道長、小人道憂」を点出す。『夬』は更に一歩進みて陰爻を決尽せば則ち『乾』を成す。見れば其の中にまさに聖人の陽剛を扶助し陰柔を抑制する苦心を蔵す。
易原 巻十六
慧珠閣原本。岫巖多隆阿雯溪。
本巻は慧珠閣原刻本に依る。著者は岫巖人の多隆阿、字は雯溪。
易例
移易
移易即以闢卦為母,分移於諸卦中者是也。《繫辭傳》言推、言遷、言往來不窮、言上下無常,剛柔相易,皆移易之旨也。
いわゆる「移易」とは、十二辟卦を以て母卦と為し、母卦の裏の爻を分別して移動し分派して其の余の各卦の中に入れ、用いて毎一卦の来歴を説明するなり。『繋辞伝』の裏に「推」を講じ、「遷」を講じ、「往来不窮」を講じ、「上下无常、剛柔相易」を講ずるは、言う所は皆此の道理なり。一卦の此の卦と為る所以は、まさに母卦の剛爻柔爻が上下交換・遷移して成るに由るなり。
変易
變易者,陰陽正對也。乾坤、坎離、頤大過、中孚小過八卦為變易,其餘諸卦亦皆有之。如屯與鼎、蒙與革、需與晉、訟與明夷皆是。漢儒虞氏仲翔用旁通法解易,旁通即變易也。
いわゆる「変易」とは、両卦の六爻の陰陽は完全に相反し正正相対するを指す。『乾』と『坤』、『坎』と『離』、『頤』と『大過』、『中孚』と『小過』の此の八卦は互いに変易と為り、其の余の各卦もまた各々自らの変易の卦有り。例えば『屯』は『鼎』に対し、『蒙』は『革』に対し、『需』は『晋』に対し、『訟』は『明夷』に対す。皆六爻の陰陽を位に逐いて翻転して成るなり。漢代の虞翻(字は仲翔)は『易』を解するに専ら「旁通」の法を用い、いわゆる旁通とは、すなわちここに言う変易なり。
反易
反易者,如正觀之為水雷屯,反觀之即為山水蒙是也。文王序卦祇用反易,乾坤、坎離、頤大過、中孚小過八卦不可反,故用變易,其餘皆反易也。變易又名正對卦,亦名旁通卦;反易又名覆卦。明儒來氏矣鮮解《彖傳》剛來柔進、剛上柔下之文皆用反易,名反易曰綜卦,名變易曰錯卦。
いわゆる「反易」とは、一卦を整箇倒して観るなり。順に観れば水雷『屯』、倒して観れば則ち山水『蒙』を成す。周文王の卦序を排定するはただ反易を用い、相隣の両卦は大多は一正一倒なり。ただ『乾』『坤』『坎』『離』『頤』『大過』『中孚』『小過』の八卦は倒して観るも仍ほ原樣にして、反易す可からざれば、始めて変易を改用して配対す。其の余の五十六卦は皆反易を用う。変易はまた「正対卦」と言い、また「旁通卦」と言う。反易はまた「覆卦」と言う。明代の来知徳(字は矣鮮)は『彖伝』の中の「剛来」「柔進」「剛上」「柔下」の類の文字を解釈するに、全て反易を用いて説明し、彼は反易を「綜卦」と称し、変易を「錯卦」と称せり。
交易
交易者,上下兩象互見也。如水雷屯交易為雷水解,山水蒙交易為水山蹇,餘可類推。反易中亦有兼交易者,水天需與天水訟、水火既濟與火水未濟皆是也。反易中又有兼變易者,泰否、隨蠱、漸歸妹皆是也。夬反為姤,夬之四反之為姤之三,夬九四曰臀無膚,姤九三亦曰臀無膚;損反為益,損之五反之為益之二,損六五曰或益之十朋之龜弗克違,益六二亦曰或益之十朋之龜弗克違。反對之象昭然,至於交對,經文無此象焉。
いわゆる「交易」とは、一卦の上下両個の経卦の位置を対調するなり。例えば水雷『屯』は上坎下震にして、対調して来れば則ち雷水『解』を成す。山水『蒙』は上艮下坎にして、対調して来れば則ち水山『蹇』を成す。其の余は類推す可し。反易の中にもまた交易を兼帯する有り。水天『需』と天水『訟』、水火『既済』と火水『未済』のごときは、既に全卦の顛倒にして、また恰好上下卦の対調なり。反易の中にもまた変易を兼帯する有り。『泰』と『否』、『随』と『蠱』、『漸』と『帰妹』のごときは、倒して観ると同時に六爻の陰陽もまたまさに相反す。『夬』を倒せば則ち『姤』にして、『夬』の第四爻を倒せばまさに『姤』の第三爻に当たる。ゆえに『夬』九四は「臀无膚」と言い、『姤』九三もまた「臀无膚」と言う。『損』を倒せば則ち『益』にして、『損』の第五爻を倒せばまさに『益』の第二爻に当たる。ゆえに『損』六五は「或益之十朋之龜、弗克違」と言い、『益』六二もまた「或益之十朋之龜、弗克違」と言う。見れば反対の象は経文の裏に明証あり。至りて上下卦対調の交対は、経文の中に並み相応の辞象なし。
陰陽
八卦則乾為陽,坤為陰,震坎艮為陽,巽離兌為陰。六爻則初三五為陽,二四上為陰。揲蓍則奇數為陽,偶數為陰,三奇為老陽,三偶為老陰,一奇二偶為少陽,一偶二奇為少陰。
八卦に就いて言えば、『乾』は純陽、『坤』は純陰なり。震・坎・艮の三卦は各々一個の陽爻を含みて陽卦に属し、巽・離・兑の三卦は各々一個の陰爻を含みて陰卦に属す。六爻の位次に就いて言えば、初爻・三爻・五爻は陽位にして、二爻・四爻・上爻は陰位なり。揲蓍して卦を求むるに就いて言えば、毎変の得る所の挂扐の数は、奇数は陽に属し、偶数は陰に属す。三変皆奇数を得れば老陽にして、三変皆偶数を得れば老陰にして、一奇両偶は少陽と為り、一偶両奇は少陰と為る。
消息
息謂生,消謂滅,息則盈,消則虛。復、臨、泰、大壯、夬是為陽息陰消之卦,姤、遯、否、觀、剝是為陰息陽消之卦。至於乾坤二卦,又藏此十卦消息,故晉儒乾令升謂乾初十一月之時自復來,乾二十二月之時自臨來,乾三正月之時自泰來,乾四二月之時自大壯來,乾五三月之時自夬來,坤初五月之時自姤來,坤二六月之時自遯來,坤三七月之時自否來,坤四八月之時自觀來,坤五九月之時自剝來也。
「息」は生長にして、「消」は消滅なり。息すれば則ち漸々盈満し、消すれば則ち漸々虚空す。『復』『臨』『泰』『大壮』『夬』の五卦は、陽爻は下より自ら層層に増長して陰爻は退去す。これは陽息陰消の卦なり。『姤』『遯』『否』『観』『剥』の五卦は、陰爻は下より自ら層層に増長して陽爻は退去す。これは陰息陽消の卦なり。至りて『乾』『坤』両卦は、則ち此の十卦の消息を全部其の中に含む。ゆえに晋代の干宝(字は令升)は言う、『乾』初九は十一月に当たるは『復』より来り、『乾』九二は十二月に当たるは『臨』より来り、『乾』九三は正月に当たるは『泰』より来り、『乾』九四は二月に当たるは『大壮』より来り、『乾』九五は三月に当たるは『夬』より来り、『坤』初六は五月に当たるは『姤』より来り、『坤』六二は六月に当たるは『遯』より来り、『坤』六三は七月に当たるは『否』より来り、『坤』六四は八月に当たるは『観』より来り、『坤』六五は九月に当たるは『剥』より来るなり。
卦名
卦名者,如乾坎艮震巽離坤兌八卦之名是也。至於六十四卦,八純卦之名如舊,其餘則合兩卦取象,別命以名,與八卦異。
いわゆる「卦名」とは、乾・坎・艮・震・巽・離・坤・兑の此の八個の経卦の名称を指す。六十四卦に到りては、八個の上下同体の純卦は仍ほ原來の名字を沿用す。其の余の五十六卦は則ち上下両個の経卦を合わせて取象して、別に一個の名称を命じて、八卦の名字と同じからず。
卦徳
卦德者,如乾健坤順之類是也。至於兩合之卦,上離下乾曰文明以健,上坤下坎曰行險而順,則德又因卦而小異。
いわゆる「卦徳」とは、一卦の具える所の性情を指し、『乾』の徳性は剛健・『坤』の徳性は柔順の類のごとし。至りて上下両卦相合の重卦は、徳性は則ち合わせて言うを須う。上離下乾の『同人』は『彖伝』は之を「文明以健」と称し、上坤下坎の『師』は『彖伝』は之を「行険而順」と称す。見れば徳性は配する所の卦に随いて略有変化有り。
卦象
象者,不僅如乾天坤地、乾父坤母、乾馬坤牛、乾首坤腹已也。有以卦義取象者,如水木為井是也;有以卦畫取象者,如鼎初象趾,二三四象腹,五象耳,上象鉉是也。又有單卦無是象而因重卦取之者,如巽坤象觀,山雷象頤,重巽象床是也。又有八卦無是象而因卦畫陰陽取之者,如頤之涉川、大畜之牛豕、姤之羸豕是也。又有取互卦之象者,如小畜之雲雨、同人之伏莽是也。又有取伏卦之象者,如乾下伏坤,乾二曰在田;震下伏巽,復象曰商旅是也。
いわゆる「象」とは、ただ乾を天と為し坤を地と為し、乾を父と為し坤を母と為し、乾を馬と為し坤を牛と為し、乾を首と為し坤を腹と為す此の類のみにあらず。卦義に按りて取象する有り。『井』は上坎は水と為り下巽は木と為り、木桶は水に入りて汲取すれば、ゆえに井の象を取る。卦画の形状に按りて取象する有り。『鼎』は初爻は鼎足に像し、二・三・四爻は鼎腹に像し、五爻は鼎耳に像し、上爻は鼎を挙ぐる横杠に像す。また単個の経卦は本と此の象なく、上下相重ねて始めて此の象を生出する有り。巽上坤下は合して『観』を成して仰観の象あり、山下に雷有りて合して『頤』を成して口頬の象あり、両巽相重ねて床の形象有り。また八卦の中に本と此の象なく、ただ卦画の陰陽の形態を憑りて取象する有り。『頤』は中間虚空にして以て水を渡る可し、『大畜』は牛有り豕有り、『姤』は瘦弱の豕有り。また互卦の象を取る有り。すなわち中間四爻の交互して成る所の卦にして、『小畜』の密雲不雨・『同人』の伏戎于莽のごとし。また伏卦の象を取る有り。すなわち本卦の背後に潜伏する相反の卦にして、『乾』の下に『坤』を潜伏し、坤は田と為れば、ゆえに『乾』九二は「見龍在田」と言う。『震』の下に『巽』を潜伏し、巽は商利を主れば、ゆえに『復』卦の『大象伝』は「商旅不行」と言う。
卦位
有八卦之位,震東、兌西、離南、坎北、乾西北、坤西南、巽東南、艮東北是也。有六爻之位,初為陽位,二為陰位,三為陽位,四為陰位,五為陽位,上為陰位是也。有三才之位,單卦則初為地位,二為人位,三為天位;重卦則初二為地位,三四為人位,五上為天位是也。爻有中位,單卦二五為中,蒙之時中、訟之得中皆言二中,需之正中、比之剛中皆言五中;重卦則三四為中,復之四曰中行,益之三四皆曰中行是也。
卦位は幾種の講法あり。一は八卦の方位にして、震は東に在り、兑は西に在り、離は南に在り、坎は北に在り、乾は西北に在り、坤は西南に在り、巽は東南に在り、艮は東北に在り。二は六爻の位次にして、初爻は陽位、二爻は陰位、三爻は陽位、四爻は陰位、五爻は陽位、上爻は陰位なり。三は天地人の三才の位にして、単卦は三画にして、初爻は地に属し二爻は人に属し三爻は天に属す。重卦は六爻にして、初二両爻は地に属し三四両爻は人に属し五上両爻は天に属す。爻にまた居中の位あり。単卦に就いて言えば、二爻・五爻は中に居り、『蒙』は「時中」と言い『訟』は「得中」と言うは皆二爻の居中を指し、『需』は「正中」と言い『比』は「剛中」と言うは皆五爻の居中を指す。重卦六爻に就いて言えば、三四両爻はまさに全卦の中に当たる。ゆえに『復』六四は「中行独復」と言い、『益』の三爻・四爻もまた皆「中行」と言う。
爻有得位失位,陽位以陽居之、陰位以陰居之,是為得位;陽位陰居之、陰位陽居之,是為失位也。爻有尊位卑位,初為民位,故屯初曰得民;二三皆臣位,故蹇二曰王臣,坤三曰臣道;四曰三公位,故鼎四曰公餗;五為君位,故乾五曰大人;上則貴極無位,或為鬼神之位,故大有之上曰天,或為高士之位,故蠱之上曰不事王侯也。至於漢儒又有初為震位、二為離位、三為艮位、四為巽位、五為坎位、上為兌位之說,而證之卦象多支離不合焉。
爻にまた得位と失位との別あり。陽位は陽爻より来りて之に居り、陰位は陰爻より来りて之に居るを「得位」と言う。陽位は反って陰爻より来りて之に居り、陰位は反って陽爻より来りて之に居るを「失位」と言う。爻にまた尊卑高下の分あり。初爻は庶民の位にして、ゆえに『屯』初九の『象伝』は「大得民也」と言う。二爻・三爻は皆臣子の位にして、ゆえに『蹇』六二は「王臣蹇蹇」と言い、『坤』六三の『文言』はこれを「臣道」と言う。四爻は三公の位にして、ゆえに『鼎』九四は「覆公餗」と言う。五爻は君王の位にして、ゆえに『乾』九五は「利見大人」と言う。上爻は則ち尊貴已極にして職事に当たらず、或る時は鬼神の位と看作し、ゆえに『大有』上九は「自天祐之」と言い、或る時は方外高士の位と看作し、ゆえに『蠱』上九は「不事王侯」と言う。至りて漢代の学者は別に初爻を震位と為し二爻を離位と為し三爻を艮位と為し四爻を巽位と為し五爻を坎位と為し上爻を兑位と為すの説法有り。卦象を拿りて之を印証すれば、大多は支離破碎して講ぜらる可らず。
卦体
體分上下,如此四曰從上、咸二曰執下是也。體分內外,需三曰在外、蹇上曰在內是也。體分本末,初為本,上為末,大過本末弱是也。體分大小,陽為大,陰為小,五陽畜一陰曰小畜,一陰有五陽曰大有是也。體有近取諸身者,咸與艮是也;體有遠取諸物者,乾與漸是也。
卦体は幾方面より分つ可し。上下両体を分つのは、四爻の『象伝』の「以従上也」・『咸』爻の『象伝』の「所執下也」のごときは、皆上体に居り下体に随うに就いて立言す。内外を分つのは、『需』九三の『象伝』の「災在外也」・『蹇』上六の『象伝』の「志在内也」のごとし。本末を分つのは、初爻は根本にして上爻は末梢なれば、ゆえに『大過』は本末は皆虚弱と言う。大小を分つのは、陽爻を大と為し陰爻を小と為し、五個の陽爻が一個の陰爻を畜止するを『小畜』と言うは、畜する所の対象は小なり。一個の陰爻が五個の陽爻を統有するを『大有』と言うは、所有する所の物は大なり。取象にもまた遠近の別あり。近くは人身より自ら取る有り、『咸』は拇・腓・股・脢を講じ、『艮』は趾・腓・限・身・輔を講ずるがごとし。遠くは外物に於いて取る有り、『乾』は龍を取り、『漸』は鴻を取るがごとし。
