臥相說
公篤曰:老子一炁化三清,傳出臥眠之形式;莊子宗之,有蝴蝶以翱翔;孔子悟之,嘆周公之復見;巢父以古樹為床,其臥愈安;赤松以自云為榻,其道猛進;諸葛亮草堂春睡,而有安漢之心;謝安石東山高臥,而有治世之志;陳希夷臥中得道,李謪仙夢裡成詩。臥法之關係重矣。
陳公篤が言う。道家は老子が一炁を以て三清を化生すと稱し、ここに由りて睡臥の種種の姿勢を傳下す。莊子はこ一路を承襲して、初めて夢に蝴蝶と為り翩然と飛舞する故事あり。孔子は寢寐の間に領悟する所有り、また周公を夢見たりと感嘆す。上古の巢父は老樹を拏って床と為し、睡ること愈々安穩。仙人赤松子は白雲を以て榻と為し、道行はこに因って大いに進む。諸葛亮は草堂の中に春睡未だ起らず、胸中にすでに漢室を安定する心を存す。謝安石は東山に高臥し、心裏に天下を治理する抱負を懷く。陳摶老祖は睡臥の中に道を悟り、李白は夢裏に詩篇を做成す。見るべし、睡臥の法の關係する何等か重大なるを。(按:原文の「赤松以自雲為榻」、「自」は當に「白」と作るべし。)
故宿者神遊而魂動,寐者神靜而魄歸。臥眠有法,而亦有相。蓋修道之人,有一定之臥法:一手曲肱而作枕,一手斜平按丹田,一足曲收而作勢,一足直伸而平形。常人若能依此臥眠,則可強健身體,活潑精神,萬無遺精拘攣,及一切停滯之病。故其關係人之常度,亦靜養安神之一法也。其形式詳註如下。
人の半睡の際に神識游走して魂動き、真に熟睡した後に神情安靜して魄はその舍に歸る。ゆえに睡臥には既に一定の方法あり、また一定の相理あり。道を修る人は自ら固定の臥法あり。一隻の手臂を彎起して枕頭と為し、別の一隻の手を斜斜として平放して丹田の上に按し、一條の腿を彎曲收攏して姿勢を擺し、別の一條の腿を伸直平放す。尋常人若しこの樣子に照して睡れば、すなわち身體を強健し・精神を振作し、絶して遺精・筋脈の拘攣および各種の氣血停滯の毛病ある可らず。見るべし、睡姿は一人の日常の狀態に關係し、また靜養安神の一種の法門である。各種臥姿の樣式、詳細に注解するに如くのごとし。
一、仰臥 仰臥者,即古法之稱尸臥也。其人仰面朝天,手足平齊。此主稟受弱而氣輕,及多惡疾,又主勞碌奔馳,不載厚福。各形皆忌之,惟狐鹿之形,不忌尸臥也。二、伏臥 伏臥者,即仰臥之反面也。其人伏而面枕,背股朝天。此主刑剋重,而多不壽也,又主愚魯而拙,貪妄而空,每多損失挫折也。各形皆忌,惟虎豹形,不忌伏臥也。
第一種を「仰臥」と呼ぶ。仰臥はすなわち古法のいわゆる「尸臥」で、人の臉は上に朝りて天に對し、手脚は平攤して齊え放つ。こういう種の睡姿は先天禀賦が弱く・元氣輕薄、しかも惡疾多しを主り、また一生勞碌奔波・厚福を承受し起らざるを主る。各種の形局の人は皆それを忌み、ただ狐形・鹿形の人のみ尸臥を忌まず。第二種を「伏臥」と呼ぶ。伏臥は正しく仰臥の反面で、人は趴き、臉は下に朝りて枕に枕し、脊背と臀股は天に朝る。こういう種の睡姿は刑克重しを主り、多半長壽せず、また人が愚鈍笨拙・貪心妄想するも終に空と成り、常に損失挫折あるを主る。各種の形局は皆それを忌み、ただ虎形・豹形の人のみ伏臥を忌まず。
三、側臥 凡人以側臥,而為稟受先天之充足,福祿豐隆,英明多智,厚有信,守禮不爽,持義不妄,而有子女承繼,亦有壽徵也。四、曲臥 曲臥者,如龍之盤環而有勢,如犬之彎曲而有形。此主富貴,而作非常之事業,智識高而見遠,志向大而深,此為貴壽之格,而享子女之福也。故經云:行如流水生如鍾,臥似彎弓立似松。此其臥相之大略也。
第三種を「側臥」と呼ぶ。人若し側身して睡るに慣わば、便ち先天禀賦充足の象で、福祿豐厚隆盛・聰明睿智・人と為りて厚道守信・禮に循りて分寸を失わず・義を持ちて妄事を做さず、子女ありて家業を承繼し得、また長壽の徵驗を帶ぶを主る。第四種を「曲臥」と呼ぶ。曲臥はすなわち身子を蜷曲す。龍の盤繞して環を成すがごとき氣勢あり、狗の身を彎めて臥するがごとき形狀あり。こういう種の睡姿は富貴を主り、非常の事業を做し得、見識が高遠・志向が宏大深沉、貴く且つ壽なる格局で、還能子女の福を享け得。ゆえに相書に說く、走路は流水のごとく順暢、坐立は鐘のごとく穩重、睡臥は彎弓のごとく蜷曲、站立は松のごとく挺拔と。これがすなわち臥相の大概である。
五、文臥 文臥者,安靜之態,聲息收斂而停勻,手足不支離,而無異狀也。其人慈和量大,正直無毒,及享受厚福,而多壽徵也。六、武臥 武臥者,手舞足躍,而似姿武之狀也。其人好動而心亂,多而少決,負氣而好勝,矜驕而妄貪,及弄巧反拙,氣量狹小,而多勞碌也。
第五種を「文臥」と呼ぶ。文臥の樣子は安安靜靜、氣息が收斂して匀停、手脚は東に伸び西に張らず、睡態に一點の異樣なし。こういう人は慈和して度量が大、人と為りて正直にして人を害する心思なく、厚福を享け得、しかも多く長壽の徵驗あり。第六種を「武臥」と呼ぶ。武臥は手舞い脚踢、演武するがごとき樣子。こういう人は動きを好み心神が散亂、念頭多く決斷少なく、意氣に任せて事を為しまた勝を好み、驕矜自大してまた妄りに貪求を生じ、往々にして巧みを弄して拙を成す。氣量が狹小、一生に勞碌多し。文臥と武臥の分別は、正しく睡る時の氣息が收り得住るか否かに在り。
七、捧頭臥 捧頭臥者,其人每入睡鄉,必雙手捧其頭,或捧其兩耳,及兩額角也。其人多疑慮,似是而非,無膽識也,處事中道變更,交際口是心非,平生多挫折,不收全功也。八、開口臥 開口臥者,口開而不合,出氣倍人氣也。其人稟受弱,而有遺傳病,亦主縱慾而成痼疾,難享大壽,及刑人丁也。
第七種を「捧頭臥」と呼ぶ。こういう種の人は睡に入る毎に、必ず兩手にて自らの頭を捧げ、あるいは兩耳を捂い・兩額角を按す。こういう人は疑慮が重ね重ね、何を說くも似是而非、胆量見識なし。事を辦するに中途に變卦し、交際する時は口是而心非、一輩子に挫折を多遭し、十成の功效を收らず。第八種を「開口臥」と呼ぶ。開口臥は睡著し後に嘴が張開して合せ攏めず、呼び出す氣が常人より一倍多し。こういう人は先天禀賦が弱く、遺傳の病を帶び、また縱慾過度にして頑疾を落下し、大壽を享け難く、さらに家中の人口を刑克するを主る。
九、磨牙臥 磨牙臥者,每入睡鄉,磨牙挫齒,格格喳喳,而有聲也。其人多勞碌,一成一敗,或萬里奔馳,飄搖不定,雖富貴而不安享也。十、估眼臥 估眼臥者,睡覺時豎眉估眼,如與人爭鬥之怒容也。其人躁急恃勇,作事有頭無尾,而多冷退刑剋,及失敗也,亦主危險,輕則傷殘宿疾也。
第九種を「磨牙臥」と呼ぶ。こういう種の人は一たび睡著すれば上下の牙が相磨り、格格喳喳として響く。こういう人は勞碌多く、一回成り一回敗れ、あるいは萬里を奔波し・漂泊して定まらず、縱令富貴なるも安んじて享け得ず。第十種を「估眼臥」と呼ぶ。估眼臥は睡る時に眉毛を竪て・眼睛を半睜して瞪れ、人と同じく爭鬥する時の怒容のごとし。こういう人は性情が急躁・強を逞し勇を好み、事を做するに頭あり尾なく、多く家道冷落・親人の刑克と失敗の事あり、また險に遇うを主り、輕些のも傷殘あるいは陳年舊病を落下す。
十一、夢語臥 夢語臥者,睡覺時夢語重複,吵鬧不休也。其人多誑語而妄貪,多弄巧而反拙,又主元神浮蕩,嗜好偏見,而不享大壽也,或為勞碌無成也。十二、捧腹臥 捧腹臥者,其人雙手捧腹,反側不移也。主天性愚,作事庸厚,平生無大志,亦無大煩惱,而有衣祿也。
第十一種を「夢語臥」と呼ぶ。こういう種の人は睡著し後に夢話を說き、翻來覆去して念叨し、吵鬧して停まず。こういう人は謊話を說く多く・妄りに貪心を起し、常常に巧みを弄して拙を成す。また元神が浮動して定まらず・嗜好が偏執・見解が偏頗を主り、それに因って大壽を享け得ず、あるいは一生勞碌して一事も成さず。第十二種を「捧腹臥」と呼ぶ。捧腹臥は兩手にて肚子を捧げ、通宵に身を翻さず。これは天性が愚鈍・事を做すに平庸して老實、一輩子に大志向なきも、倒も大煩惱なく、衣食は愁えざるを主る。
十三、遮陰臥 遮陰臥者,有單手遮陰、雙手遮陰之分。其人聰明虛浮,多才而又虛偽,喜怒不常,剛復而又偏嗜,此單手遮陰臥也。其人聰明而貪,慳吝而狹,負氣而偏,邪淫而智,此雙手遮陰臥也。十四、佛臥 佛臥者,兩手合掌,兩足盤膝,安定似坐之姿式也。其人種善因,其心最慈良,厚寬宏,平安多福,及享大壽,稍有刑剋人丁也。
第十三種を「遮陰臥」と呼び、また單手遮陰と雙手遮陰の兩種に分かつ。單手にて陰を遮りて睡る人は、聰明なるも浮いて實ならず、才あるも又虛僞、喜怒に常なく、性子は剛愎して又偏執の嗜好あり。雙手にて陰を遮りて睡る人は、聰明して貪心、吝嗇して心胸が狹窄、意氣に任せて事を為して偏激、行為は邪淫なるも又機巧多智。第十四種を「佛臥」と呼ぶ。佛臥は兩手合掌・兩腿盤膝、安安稳稳として坐るがごとき姿勢。こういう人は平生に善因を種し、心地は最も慈良、厚道寬宏、一生平安にして福多く、しかも大壽を享け、ただ家中の人口に略ば刑克あり。
十五、仙臥 仙臥者,半曲半伸,半側半仰,鼻口無氣,而從耳竅出氣,是為龜息藏竅也。其人有靈根,聰慧異常,而有遠志,主盛名大貴,及享大壽也。十六、鬼臥 鬼臥者,睡覺似愁容哭態,手舞足蹈之例也。其人寒苦多勞,刑人丁而冷退,及夭壽而孤苦也。
第十五種を「仙臥」と呼ぶ。仙臥は身子が半曲半伸・半側半仰、鼻孔口中に皆呼吸を見ず、氣息はかえって耳竅より出入す、これすなわち所謂「龜息藏竅」。こういう人は靈性の根器あり、聰慧が人に過ぐ且つ志は高遠に存し、盛名を享け・大貴を得、併びて長壽を主る。第十六種を「鬼臥」と呼ぶ。鬼臥は睡る時に滿臉愁容・哭かんと欲するがごとき樣子、手脚は還亂動亂蹬す。こういう人は一生貧寒困苦して操勞多く、家人を刑克し・家道冷落、しかも短命孤苦す。
十七、神臥 神臥者,睡覺似威嚴之態,手曲足曲,而似坐式也。其人忠直厚,明理守義,多厚福而有桓心,主旺人丁而有壽也。十八、聖賢臥 聖賢臥者,曲肱而枕,微側面肅,一足曲一足伸也。其人英明多智,遠見有桓,少疾苦而多壽,有容量而好名,及足衣祿也。
第十七種を「神臥」と呼ぶ。神臥は睡る時に神態が仍ほ威嚴を帶び、手脚は皆彎曲し、端坐するがごとき樣子。こういう人は忠誠正直厚道、事理を明白し・節義を恪守し、福澤深厚して心志堅定、家中の人丁興旺・自身長壽を主る。第十八種を「聖賢臥」と呼ぶ。聖賢臥は手臂を彎起して枕頭と為し、身子は微側して面容端肅、一條の腿彎曲・一條の腿伸直す。こういう人は聰明睿智、長遠の眼光ありて且つ心志堅定、病少く痛少くして壽多く、度量ありて名声好く、衣食もまた十分充足す。
紋相圖說
公篤曰:紋相一說,為相法之四大關係而外,在形質包括之中,然有重要點,而關係禍福生死者,為輔助品之第一,較諸手足而倍重要也。按第一圖之額紋:一紋曰華蓋紋,以長至額角之邊城即下曲,主貴而有壽徵,有出於貴族,有出於草澤,然皆有大志,而作非常之事業也。其長不至邊城,或短而歪斜,主刑剋人丁,及前業中衰而見弱也。
陳公篤が言う。紋相のこ一門は、形質・精神・聲音・氣色の四大綱領の外に在り、本來は「形質」の裏頭に歸すべきなれど、それは自ら緊要の處あり、直に人の禍福生死に關係し、各種の輔助材料の中の第一位で、手紋足紋よりさらに一倍重要である。現に第一幅の圖に按じて額上の紋を講ず。ただ一道の橫紋あるを「華蓋紋」と呼び、紋が長く額角の「邊城」の處に伸びて即ち下に彎曲するを以て合格と為し、顯貴にして且つ壽相あるを主る。こういう種の人は貴族の家に出身するあり、また草野民間より起るあり、然れど皆大志を胸懷し、非常の事業を做出し得。若しこ一道の紋の長き邊城に到らず、あるいは短く歪斜なれば、すなわち家中の人口を刑克し、先人の留下した産業もまた中途衰敗・日に單薄に向かうを主る。
南嶽有二紋橫過額角下曲者,名曰偃月紋,主貴名而有壽徵,主有風塵萬里,而刑早子女,及偏房庶出之子女方成立也。其紋短不合格,作勞碌刑剋人丁論,不過有壽之格也。南嶽有三紋橫過額角者,名日伏犀紋,主貴名而享大壽,及勞心重而風塵奔馳。如南嶽有四紋五紋,通稱額紋。此紋以長橫過額角下曲為合格;如短,或間斷,或斜,或連續,皆作勞碌奔馳、反覆刑傷論,前業蕭條,初不佳也。
額頭の「南岳」の上に兩道の紋が額角を横過して再び下に彎ずるは、「偃月紋」と呼び、顯貴の名声あると兼ねて長壽の相を主る。こういう種の人は萬里を奔波し・風塵を飽歷し、早年に生ずる所の子女は刑克を受け、須らく偏房庶出の子女を得て初めて立て住る。若しこ兩道の紋が短くして合格せざれば、便ちただ勞碌・家人を刑克するに按じて論ずるのみ、然れど還是長壽の格局である。南岳の上に三道の紋が額角を横過するは、「伏犀紋」と呼び、貴名ありて大壽を享くるを主る、ただ心を勞すること極めて重く・終日風塵に奔走す。若し南岳の上に四道五道の紋あれば、すなわち總じて「額紋」と稱す。こういう類の紋は長長として額角を横過して再び下に彎ずるを以て合格と為す。若し生ずる短く、あるいは中間斷開し、あるいは歪斜し、あるいは一條に接して一條糾纏せば、皆勞碌奔波・屢遭刑傷に按じて論じ、先人の産業蕭條、早年の運が好からざるを主る。
曲刑紋在眉頭之上,曲過眉角,主刑弟兄姊妹,然為不正常而死,有誤死、凶死者,左為兄姊,右為弟妹也。孤壽紋在兩口角而下反者是也,主享大壽,而刑子女也。當時雖多子女,而至晚年則衰弱無靠,或刑剋無成,或星散不聚,而不送終也。
「曲刑紋」は眉頭の上方に生じ、彎彎として眉角を越え越るを、兄弟姊妹を刑克するを主る。しかも克する所の人は多半善終を得ず、あるものは意外に死し、あるものは凶禍に死す。紋が左邊に在れば兄と姊に應じ、右邊に在れば弟と妹に應ず。「孤壽紋」は兩邊の口角の處の下に反垂する紋で、大壽を享くるも子女を刑克するを主る。當時に看れば子女は少なからざるに、晚年に到りて却って衰弱して倚無し――あるいは子女が刑克されて立て住らず、あるいは各々星散して一處に聚まる能わず、末了に竟に終を送る人なし。
法令紋在井灶之兩側,有法令紋方有壽。如無法令紋者,不滿三十歲;如有半節法令,則四十以上之壽;如至口角,則五十以上之壽;如過口角以下,則六十以上之壽;如法令紋過口而相交,則七十八十,及至百歲之壽。如法命入口主餓死,深者主勞碌,續者主添壽也。
「法令紋」は兩個の鼻孔すなわち「井竈」の兩側に生ず。人は法令紋あるを要して初めて壽數あり。若し一條の法令紋もなければ、三十歳に活き到らず。ただ半截の法令のみあれば、壽は四十以上。法令紋が口角に長じ到れば、壽は五十以上。口角を越え越して下に向かうは、壽は六十以上。法令紋が嘴を繞って兩邊相交るは、七八十歳に活き得、さらに百歳に至る。若し法令紋が直に嘴裏に插し進めば、それは餓死を主る。法令紋の刻る深きは、一生勞碌を主る。法令紋が後來また接して下へ延長するは、則ち壽數を增添するに按じて論ず。
紋相第二圖說
按印堂有雙紋下寬上窄,成人字形,號曰印堂人字峰。此主性情拘執而勞碌憂思,狐疑不決,主刑妻克子,及刑弟兄姊妹,又主族戚多累,恩怨不明,於妻族及叔伯侄甥之遺累尤重。其中有疑是疑非之錯誤,受勞受累之糾纏,措置固屬不當,貪念拘執不休,以生其遺累也。如上有一橫紋者,為華蓋紋,則人字峰之刑剋累損,可以減半矣。如單有華蓋紋,主勞而貴名,小有刑剋,及壽也。
さらに第二幅の圖を看る。印堂の上に兩道の紋あり、下頭寬く上頭窄く、合成して一個の「人」の字形と為るを、「印堂人字峰」と呼作す。これは性情が固執・一生勞碌憂思し、事に遇えば狐疑して決斷能わざるを主る。また妻子兒女を刑克し、兼ねて兄弟姊妹を刑克し、さらに族中の親戚に拖累され、恩怨が糾纏して清からず、その中に妻家および叔伯侄甥のこ一路より來る拖累はとりわけ沈重なり。こういう類の人は常に是非辨し難き糊塗の錯誤を犯し、勞碌牽累に纏われ、事情を處置する本より失當、貪念はまた執著して放さず、拖累は便ちここに由りて生ず。若し人字峰の上頭に別に一道の橫紋あれば、便ちそれは「華蓋紋」で、人字峰の主る所の刑克損耗は一半を減じ得。若し單單に華蓋紋のみあって人字峰なければ、則ち勞碌なりと雖も貴名あり、刑克輕微、併びて長壽を主る。
兩額角之紋,名曰邊城紋,下由眉尾起,上至鬢髮曲處。此主破梓離鄉,前業不可靠,其中段名天倉,關係祖業,故生妨害及妨父,雖有餘澤亦敗弱矣,易地而發於他鄉。亂世多有此紋,主遠發也;盛世則一敗而不可恢復,終無立身之地也。朝笏紋上由頰車起,有雙紋下至腮力犄角處,名曰朝笏紋,此主子女之貴,而晚年豐足衣祿,以享晚福也,亦主壽祿之兆。
兩邊の額角上の紋を「邊城紋」と呼び、下端は眉尾より起り、上端は鬢髮の彎曲する處に伸び到る。これは故土を離れ・井を背きて他鄉に往き、祖上の留下した産業は靠り住まざるを主る。こ一道の紋の中段は正しく「天倉」で、天倉は祖業に關係す、ゆえに紋がここに生ずれば便ち家産を妨害し・併びて父親を妨克す――縱令祖宗の餘蔭あるも、敗落單薄せざるを得ず、処を換えて他鄉に至るを得ざれば發り起る能わず。亂世の裏にこういう種の紋を生ずる人は多く、遠く他方に走りて發達するを主る。太平の世にこの紋を生ずれば、却是一敗すれば便ち再び身を翻し難く、終竟に立身の地なし。「朝笏紋」は上は「頰車」より起り・兩道の紋が併行して下に腮骨の犄角の處に直至る紋で、子女が顯貴・自ら晚年に衣食豐足・晚福を享け得を主り、同時にまた長壽にして祿ある兆頭である。
紋相第三圖說
按印堂有形如田字者,名曰田字紋,主阡陌之當業,前人無依而耗盡,主白手成家,勞碌自創,有由學徒出身而發達,多從工商技藝以立身也。刑妻而不克子也,亦主大壽,至老不閒,然子女有不得力者。左眉頭有紋,名曰羅侯紋,主刑兄姊,又主血痣之疾,於中年晚年也。右眉頭有紋,名曰計都紋,主刑弟妹,又主頭風及手足筋骨疼痛之疾,於晚年也。
さらに第三幅の圖を看る。印堂上の紋が交錯して「田」の字形狀と成るを、「田字紋」と呼び、田産地業を置辦して生と為すを主る。先人は靠り住まず・家業はすでに耗盡され、須らく自ら白手して家を起し・勞碌して自創すべし。こういう類の人は學徒より出身して後に發達するあり、多半は工商買賣あるいは一門の手藝に靠りて立足す。彼は妻子を刑克すれど兒子を克さず、もまた大壽を享くるを主る、ただ老に到るも清閒を得ず、子女の中に總じて得力ならざるあり。左邊の眉頭の上に紋あるを、「羅睺紋」と呼び、兄姊を刑克し、また中年・晚年に血痣の類の病を生ずるを主る。右邊の眉頭の上に紋あるを、「計都紋」と呼び、弟妹を刑克し、また晚年に頭風および手足筋骨疼痛の毛病を患るを主る。
如左右眉頭皆有紋,名曰羅計紋,其人性情剛躁,任性恃長,偏於所好,量窄而偏傲,多招官訟爭端,嫌疑是非,恩中有怨,親者反疎,六親無輔於內,朋友有益於外,亦主聰明而有見解也。年壽有直紋四五,名曰虛花紋,主刑妻克子,及有遺傳病,又主破前人祖業,勞碌自立。其人聰明有智識,靈巧多機詐,然有為聰明自誤、淫蕩邪行之類,或為預算其小,不計其大,或為見利而貪,因之而累,故曰虛花,言美而不實也。口角之側有紋,名曰陂池紋,常多水驚,如有黑黯色,主水厄也。
若し左右の眉頭に皆紋あれば、合わせて「羅計紋」と稱す。こういう人は性情が剛烈急躁、任性して自らの年長を倚仗し、一己の好む所に偏執し、氣量狹窄してまた幾分の傲慢を帶び、これに因って常に官司爭端・嫌疑是非を招來す。恩を施すもかえって怨を落下し、本來親近すべきは却って疎遠し、家裏の六親は幫う能わず、外頭の朋友はかえって益あり。不過もまたこの人が聰明して見解あるを主る。鼻梁の「年壽」の處に四五道の直紋あるを、「虛花紋」と呼び、妻を刑し子を克し、身上に遺傳病を帶び、また先人の祖業を敗盡し・須らく勞碌して自立すべきを主る。こういう類の人は聰明にして見識あり、靈巧して機詐多し、可惜往往として聰明はかえって聰明に誤られ、行為は淫蕩邪僻。あるいはただ小處を算計して大局を顧みず、あるいは利を見れば便ち貪り、これに因って拖累を招來す。ゆえに「虛花」と呼ぶ、すなわち看て好くして結實せざるの義である。口角の旁に紋あるを、「陂池紋」と呼び、常に水上に驚を受る。若しここにさらに黑黯の色を現ずれば、それは水厄を主る。
紋相第四圖說
按印堂有三紋下聚上散,如火焰勢,名曰火焰紋,主公侯將相之貴,屏藩柱石之臣,多兼武權,而殺身成仁也,故主貴而凶死。其死之輕重,則又與眉目參看之。古漢壽亭侯關羽有之,但有蠶眉鳳目之配,故成武聖名;宋武穆王岳飛有之,則有劍眉鳳目之配;明名將周玉節有之,則有一字眉豹目之配。凡有火焰紋者,均主貴而凶死也。其單獨火焰紋,而眉目平常,亦至中等貴,或為中等之次,然亦凶死,而無成仁之時機也。
さらに第四幅の圖を看る。印堂上に三道の紋あり、下端は攏聚し・上端は散開し、形狀は跳動する火苗のごとく、「火焰紋」と呼び、公侯將相の貴を主り、國家の屏障柱石のごとき大臣で、多半兼ねて兵權を掌り、最後に大義の為に身を捐す――ゆえにこの紋は既に大貴を主りまた凶死を主る。死する如何に慘烈なるに至っては、還須らく眉と眼を合わせて一併に參看すべし。三國の漢壽亭侯の關羽はこの紋を生有せり、ただ彼の配する所は臥蠶眉・丹鳳眼なれば、ゆえに武聖の名號を成就せり。宋朝の武穆王の岳飛もまたこの紋あり、配する所は劍眉鳳目。明代の名將周玉節もまたこの紋あり、配する所は一字眉・豹眼。およそ火焰紋を生ずるは、皆顯貴にして善終を得ざるを主る。若しただ一副の火焰紋のみあって眉眼が生ずる平常なれば、も中等の貴に到り得、あるいは中等偏下、然れど同じく凶死し、しかも身を捨てて仁を成すのあの種の時機に遇上らず。
鼻準有一直紋,名曰分犀紋,古為五牛分尸,即車裂之慘刑也。其分尸紋隱約,則可減等而論;如短而不長,則為破相之疤痕,損財之耗散,及刑剋。如出於貧無立錐之地,則可免凶死;如出於富貴,必凶死而尸身不全也。耳廓有痕紋,主刑傷父母叔伯於初年;耳輪有痕紋,主刑傷弟兄姊妹於初年,皆主幼年之刑傷,或應本身之驚災,及危險之疾厄也。口下有一橫紋下反者,名曰承漿紋,主水驚;如現黑黯色,主水厄而死,次亦水上之大損失;亦應酒病,或因酒醉跌撲而死也,亦主有形之腎病也。
鼻頭上に一道の直紋あるを、「分犀紋」と呼び、古時に應ずるは五牛の屍を分く、すなわち車裂の酷刑である。こ一道の分屍紋は若し隱隱約約として明顯ならざれば、一等を降して論ずべし。若しまた短くまた伸長せざれば、それはただ相を破り疤を留め・財を破り耗散しおよび親人の刑克に應ずのみ。こういう種の紋は若し窮して錐を立つる地なき人の身上に生ずれば、倒も凶死を免れ得。若し富貴人の身上に生ずれば、必定して非命に死ししかも尸身全からず。耳廓上に傷痕紋路あるは、早年に父母叔伯を刑傷するを主る。耳輪上に傷痕紋路あるは、早年に兄弟姊妹を刑傷するを主る――皆幼年の刑傷に應じ、あるいは本人が驚嚇災禍に遭い・危險の病を患るに應ず。嘴下に一道の橫紋の下に反垂するを、「承漿紋」と呼び、水上に驚を受るを主る。若しここに黑黯の色を現ずれば、すなわち水厄に死するを主り、一步を退くも水上の大損失である。この紋はまた酒病に應じ、あるいは醉酒に因って跌倒して摔死し、もまたすでに成形した腎病を主る。
紋相第五圖說
按印堂有直紋一痕,深者為懸針痕,者為懸針紋,皆主刑妻克子,危險多災,平生多挫折而失敗也。如懸針痕多主凶死,懸針紋多主危險也。二者如出於富貴有名,均主凶死而危,不發達較好也,一經發達即凶危之時至矣。此為權利之引誘,貪念之受禍,勿以計劃周詳,而勉強進取也。二者如出於貧苦下賤之人,則破敗較輕也。
さらに第五幅の圖を看る。印堂の當中に一道の直紋あり、刻る深きを「懸針痕」と呼び、淺きを「懸針紋」と呼び、皆妻子兒女を刑克し、一生に危險多く災あり・屢々挫折失敗に遭うを主る。その中に懸針痕は多く非命に死するを主り、懸針紋は多く險に遇うを主る。こ兩種の紋は若し富貴名望ある人の身上に生ずれば、皆凶死危亡を主り、かえって發達せざるを好しと為す――一旦發達し起れば、凶危の期もすなわち到る。これは正しく權位利祿に引誘され・貪念に因って禍を招くに由り、ゆえに切に自ら恃みて計劃の周密なれば勉强して爭取し往く可からず。こ兩種の紋は若し貧苦下層人の身上に生ずれば、破敗はすなわち輕きこと多し。(按:原文のここに「者為懸針紋」の上に一「淺」字を脫す、今文意に依りて補出して說明す、原文は改めず。)
山根有紋,名曰山根紋,主勞碌刑剋。如山根有一橫紋,主沉疾而有大挫折一度;山根二橫紋,主刑子女而有大挫折二次;山根有三橫紋,主壽而勞,及刑妻妾,而有內顧之患以牽制之,而有大挫折三次。左右魚尾有紋,主刑妻,一紋克一妻也;如魚尾紋上仰,主妻淑而強,無刑剋也;如魚尾紋下反,主刑三妻也;如魚尾有十字紋,主生離者再。亂世加倍而應之,盛世減半而論之。
山根上に紋あるを、「山根紋」と呼び、一生勞碌してまた刑克あるを主る。山根上の一道の橫紋は、一場の久しく治えず愈えざる重病を害し、併びて一次の大挫折に遭遇するを主る。兩道の橫紋は、子女を刑克し、併びて兩次の大挫折あるを主る。三道の橫紋は、壽なりと雖も勞し、しかも妻妾を刑克し、家裏に内顧の憂ありて彼を牽制し、前後に三次の大挫折あるを主る。左右の眼尾の「魚尾」の處に紋あるは、妻を刑するを主り、一條の紋は一個の妻子を克す。若し魚尾紋が上に斜挑すれば、妻子が賢淑して剛強、かえって刑克なきを主る。若し魚尾紋が下に反垂すれば、前後に三個の妻子を克するを主る。若し魚尾が十字紋と成れば、配偶と生離するを主り、しかも一度に止まらず。これらの應驗は、亂世に遇えば一倍を加えて看、太平盛世に遇えば則ち半を減じて論ず。
左蘭臺有紋,名曰危險紋,主危險;右廷尉有紋,名驚險紋,主驚險。男左紋則破相,女右紋亦被相;男右女左,則疤痕於隱微處,而不見於表面也;如男左女右,則疤痕於明顯處,而現於表面上也。如兩邊有紋沖出,亦主凶死;如破半邊,不過多驚險而已,不至危身也。
左邊の鼻翼「蘭台」の上に紋あるを、「危險紋」と呼び、危險に遇うを主る。右邊の鼻翼「廷尉」の上に紋あるを、「驚險紋」と呼び、驚嚇を受るを主る。男子は紋が左・女子は紋が右に在れば、皆相を破るを主る。若し男子の紋が右・女子の紋が左に在れば、疤痕は便ち隱蔽の處に長じ、表面に看え出さず。若し男子の紋が左・女子の紋が右に在れば、疤痕は便ち顯眼の處に長じ、表面上に露る。倘若兩邊に皆紋の衝き出づるあれば、同じく非命に死するを主る。若しただ一邊を破るのみなれば、不過多く驚險を受るのみ、性命に危及ぶに至らず。
紋相第六圖說
按額上有紋如山字形,大者名曰大山字紋,小者名曰小山字紋。大山字紋主享盛名之貴,而有大壽也,又主子女貴而有事業之發達,以承繼父志而恢宏門庭,本身不貴亦享其福也。小山字紋主小貴而豐足衣祿,則有刑傷人丁,勞心顧忌也。印堂有直痕三紋,名曰印堂川字紋,主貴而吐血,及刑早子,而有女星二三,然後有子也;主痣漏氣鬱而死。至於貴之大小,又以眉目參看,其創立而勞心則一也。
さらに第六幅の圖を看る。額上に紋の形狀が「山」の字のごときは、紋の大きを「大山字紋」と呼び、紋の小さきを「小山字紋」と呼ぶ。大山字紋は盛名の貴を享有し、併びて長壽を主る。また子女が顯貴・事業發達・父輩の志向を承繼し・門庭を光大し得を主り、本人は縱令貴ならずとも、子女の福を享け得。小山字紋は小貴にして衣食豐足を主る、ただ家中の人口に刑傷あり、自ら心を勞して顧慮多し。印堂上に三道の直紋あるを、「印堂川字紋」と呼び、顯貴を主るも吐血するを要し、併びて早年に生ずる所の兒子を刑克し、先に兩三個の女兒を得て而後に兒子有り。こういう種の人は多く痔漏の疾と氣鬱とに因って亡す。貴ること何の程度に至るに至っては、還須らく眉眼を合わせて參看すべし。相同なる一點は、彼は皆自ら創業に靠り・終日心を勞するを要す。
命門有紋二三,名曰命門紋,主多弱疾沉病,而為先天稟受太弱,以致病疾不痊而不壽也;亦有縱慾於花天酒地,戕身體,中年夭折也。人中有直紋,主刑子星;人中有橫紋,主刑女星;人中有十字紋者,主子女俱刑剋,而不能成立。其初中之年,子女雖多,亦主刑剋殆盡,終為螟蛉之假子假女以承繼也;或偏生庶出,而可保留一子,亦以晚年之遲子為吉也。
耳前の「命門」の處に兩三道の紋あるを、「命門紋」と呼び、體弱多病・常に久しく治えず愈えざる重症を患るを主り、根子は先天禀賦が太も弱きに在り、以致て病は總じて好くもならず・壽數長からず。またあるものは花天酒地の中に縱慾無度して、身子を毁り、中年に便ち夭亡す。人中の裏に直紋あるは、兒子を刑克するを主る。橫紋あるは、女兒を刑克するを主る。十字紋と成れば、兒女を一併に刑克し、皆立て住らざるを主る。こういう種の人は早年中年に子女少なからずと雖も、も刑克されて差不多に至り、最終に抱養して來る義子義女に靠りて家業を承繼す、あるいは偏房庶出に由りて一個の兒子を保住す。總じてこういう類の命は、晚年に子を得るを以て吉と為す。人中の紋と命門の紋は應當に併看すべし。一處は壽元の長短を主り、一處は子息の有無を主る。
紋相第七圖說
按印堂有兩直紋,名曰雙紋入印,主刑妻克子。其人性情拘泥而不達,務名而實貪,幾經破敗而方成立創業也。一主母族妻族之累,及血統至戚之官非,以糾纏而駁雜也。髮際之下名曰天中,其地有紋續斷,名曰破天紋,主前業不守,或寒微而不足衣次祿也;然亦得富貴之親戚以輔助之,故曰近於富貴而能成立也。
さらに第七幅の圖を看る。印堂上に兩條の直紋あるを、「雙紋入印」と呼び、妻子兒女を刑克するを主る。こういう人は性情が拘泥して通達せず、表面は名を求めて骨子裏は利を貪り、好幾次の破敗を經過して初めて家業を立て起り得。この紋は一層は母親の一族・妻子の一族の拖累を受くるを主り、一層は本族至親が官非を惹き上るを主り、事情は糾纏して清からずして頭緒雜亂す。髮際の下面のあ一塊を「天中」と呼び、ここに若し紋の時に斷じ時に續くあれば、「破天紋」と呼び、先人の産業を守住し能わず、あるいは出身寒微・衣食俸祿皆足らざるを主る。不過こういう種の人もまた富貴の親戚の扶助を得得、ゆえに彼は出身寒素なりと雖も、却って富貴の人に近き力量に靠りて立て住ると說く。(按:原文の「不足衣次祿」、「次」は疑わくは「食」の誤りか。)
三陽有交爻紋,名曰三陽,紋主有慈善之事業,濟世之盛名,惟子星弱、兩女星旺也。其人才智過人,見解遠大,有仁善之思想,抱經綸之大志。左顴紋破,主子女叔伯之患,憂鬱成疾,神經昏憒而死;右顴紋破,主妻妾弟兄之爭,憂氣成疾,痼疾不痊而死。皆出於親親之仁,內顧之憂也,當以深長短而定其禍患之輕重也。
上眼皮の「三陽」の上に交叉して爻畫のごとき紋あるを、名づけて「三陽紋」と曰う、この人が慈善事業を辦し得・世人を救濟する好き名声あるを主る、ただ兒子のこ一星は單薄・女兒のこ一星はかえって興旺す。こういう人は才智が人に過ぎ・見解が遠大・仁厚善良の心思を懷き・經國濟世の大志を抱有す。左顴上に紋の衝破あれば、子女あるいは叔伯の事に因って患を招き、憂鬱して病と成り、末了に神志昏亂して死するを主る。右顴上に紋の衝破あれば、妻妾兄弟と爭執し、憂悶して氣を動かし病と成り、頑疾を落下して治えずして死するを主る。こ兩種は皆親人に對する一片の仁心と家内の牽掛に出づ、斷ずる時は紋の深淺長短に按じて禍患の輕重を定むべし。
紋相第八圖說
按額部之左側有紋續斷,名曰日角紋,主父宮弱,而耗散前業微弱,又主先妨父宮,亦有遺腹子之生者,是為少孤之說。額部之右側有紋,名曰月角紋,此主母弱,及有遺傳病而先妨母也,又主母族耗散,及承繼之母也。印堂有如口字形,名曰金印紋,主前業失敗,父母無依,應離奇之遇合,意外之發達,絕處逢生,臨險而貴,主聰敏奸詐,妻妾多而子女少也;又主異路功名,而有驕慢淫亂之行為,但以目前之樂,而不計將來之憂也。
さらに第八幅の圖を看る。額頭左側に紋の時に斷じ時に續くを、「日角紋」と呼び、父親の一宮が單薄、先人の産業が耗散されて餘る所幾なしを主り、また先に父親を妨克し、も生まれ來ればすなわち遺腹子あるを主る――これ便ち所謂「少孤」の相である。額頭右側に紋あるを、「月角紋」と呼び、母親の身子が弱く、あるいは母子の間に遺傳の病ありて先に母親を妨克するを主る。また母親の娘家が敗落し、以及本人が繼母に由りて撫養されるを主る。印堂上の紋が圍りて「口」の字形狀と成るを、「金印紋」と呼び、先人の産業が敗盡し・父母皆靠り住まず、一生に離奇の機緣・意外の發達に遇上るを要し、絶路の上に生に逢い、險境の裏より貴を得。こういう種の人は聰敏して幾分の奸詐を帶び、妻妾衆多して子女稀少。また旁門別路に由りて功名を取得し、行為は驕慢淫亂、ただ眼前の快活を顧みて、日後の憂患を管せざるを主る。
臥蠶有紋向外顴而生,一紋一子,二紋二子也;臥蠶有紋向淚堂內生,一紋一女,二紋二女也。如成左右交加而成井字形,則無子而有子,亦為先後之出,以成立也。其紋上反而插奸門,或下插入顴骨肯,皆為嫡庶之子,而有不肖之行,或忤逆之犯上也。法令紋入口,名曰騰蛇入口,主餓死。凡富貴者亦主餓死,或哽食不下而餓死。如法令紋入口復出者,主大貴而權,及有特別行為,立言立法,以垂名於後世,又多壽徵也。
臥蠶上に紋の外側の顴骨の方向に朝りて生ずるは、一條の紋は一個の兒子に應じ、兩條の紋は兩個の兒子に應ず。臥蠶上に紋の裏側の淚堂の方向に朝りて生ずるは、一條の紋は一個の女兒に應じ、兩條の紋は兩個の女兒に應ず。若し左右交錯して「井」の字形狀と成れば、便ちそれは本來子なしと以為せど終竟に子あり、ただ子女が前後陸續して生ずる所、初めて一個々立て住る。若しこれらの紋が上に反挑して「奸門」に插し進み、あるいは下に向かって顴骨に插入せば、應ずる所は皆嫡出庶出の混雜する兒子で、しかも行為不肖、さらに忤逆犯上に至る。法令紋が直に嘴裏に插し進むを、「騰蛇入口」と呼び、餓死を主る。たとえ富貴の人なるも同じく餓死に應じ、あるいは食物が哽えて嚥下し得ず活活として餓斃す。若し法令紋が嘴に插し進みてまた別の一邊より穿出すれば、それはかえって大貴して權を掌り、行事は人と同じからず、書を著し說を立て・法度を創制し得、名を後世に垂れ、しかも多く長壽の徵驗あるを主る。
紋相第九圖說
按兩邊城至鬢髮曲突處,有橫紋如浪,名曰邊陲紋,主破梓離鄉而遠發,或發於國界之邊地而立業,或發於省界之邊地而立業,前業不可守,又不可靠,或因環境逼迫而為用也。印堂有紋橫過而上仰者,名曰仰月紋,主中等富相紋貴,離奇發達,及臨險地而大發,有作驚人事業,前業見弱,亂世多武貴,盛世主貴而客死他州也。
さらに第九幅の圖を看る。兩邊の「邊城」より鬢髮の彎曲突起する處に到り、波浪狀の橫紋あるを、「邊陲紋」と呼び、故鄉を離れて遠處に發迹するを主る――あるものは國境の邊地に基業を立下、あるものは省界の一帶に基業を立下す。先人の産業は既に守住し能わずまた靠り住まず、往々にして環境に逼られて初めてこ一條の路に走上る。印堂上に紋の横貫して兩端が上に翹るを、「仰月紋」と呼び、中等の富・紋を帶ぶる貴を主り、發達の路數が離奇、常に險地に大いに發ち、驚人の事業を做出し得。祖業は單薄。こういう種の紋は亂世に多く武貴に應じ、太平盛世に則ち貴なりと雖も他鄉に客死するを主る。
元武外顴之間,有井字形之紋者,名曰大陰騭紋,此主前生之善因。如有黃紫色,主有濟人大德,而立善功,可以化除危險而入平安地,及增福壽之兆,無子而生子,無女而生女,能旺人丁也。北嶽有紋,縱橫如織,名曰龍頷紋,此主大壽而享盛名,及有專長之藝能、特別之美術、過人之才智。少年浪走無定,中年遇貴而貴,晚年有外業,及獲佳兒貴子,以圓滿其目的,及作身後之事業也。
「元武」と外側の顴骨との間に井字形の紋あるを、「大陰騭紋」と呼び、主る所は前生の種下した善因である。ここに若しさらに黄紫の色を現ずれば、便ちこの人に他人を救濟する大德あり・善功を立下、危險を化解し去って平安の境に轉入し得るを主り、もまた福壽を增添する徵兆である。本來子なきも子を生じ得、本來女なきも女を生じ得、家中の人丁はこに因って興旺す。下巴の「北岳」の上に紋の縦横交錯して織るがごときを、「龍頷紋」と呼び、大壽を享けて盛名あるを主り、身に一門の專長の技藝・特別の藝術才能と人に過ぐる才智を懷く。こういう種の人は少年時に四處漂泊して定處なく、中年に貴人に遇上りて貴を得、晚年に外に別に産業あり、併びて好き兒子・貴い子女を得、平生の心願を圓滿せしめ得、還能身後の事業を留下し得。
紋相第十圖說
按印堂有橫紋過眉頭而下反者,名曰印堂覆舟紋,主紈垮子弟而敗前業也,及貴而冷退,聰明自誤,淫蕩邪行,不務正業者居多數,以致內顧主障礙,家庭不一致,刑人丁而不壽也。多出驕養溺愛而成,其放浪之行為,及性情異常支離而奢侈也。
さらに第十幅の圖を看る。印堂上に橫紋の眉頭を越え越して兩端が下に反垂するを、「印堂覆舟紋」と呼び、この人が紈袴子弟にして、先人の産業を敗掉するを主る。また本來顯貴なるも漸漸に冷落衰退するを主る。こういう類の人は多半聰明かえって聰明に誤られ、行為は淫蕩邪僻、正業を務めず、以致て家裏に處處障碍を生じ、一家人は各々心思を存して一致し能わず、家中の人口を刑克して自身もまた長壽せず。こういう種の相は多く嬌生慣養・溺愛縱容に養い出したもので、ゆえに行為が放浪、性情は特別に散漫無章してまた奢侈である。
兩福堂之間有紋如井字者,名曰小陰騭紋,主前生種善因,心地慈良,厚有信,作事有遠見,直快無毒,耿介心平。如有黃紫色,則作小善功,而濟人利物,多有一切施濟也;子女亦樸,而守其餘業,而不妄為也。兩顴之下、法令之側有紋,名曰金花紋,有俠義之行為,及得貴名,而有離奇之遇合,異路功名也。兩口角有井字形,名曰井字紋,主初年勞苦,中年有貴人之力輔助,借貴而發達也,晚年多福壽而進田宅,稍刑子女也。
兩邊の「福堂」の間に井字形の紋あるを、「小陰騭紋」と呼び、前生に善因を種下し、こ人は心地が慈善良厚・人と為りて厚道守信・事を做すに遠見あり・直爽痛快して人を害する心を存せず・耿介して心氣平和を主る。ここに若し黄紫の色を現ずれば、便ち彼が些小の善事を做し・人を救い物を濟し・常に各樣の施舍周濟あるを主る。子女も皆樸實、留下の家業を守住して胡作非為せず。兩顴の下方・法令紋の旁に紋あるを、「金花紋」と呼び、この人に俠義の行為あり・貴名を得得・機緣が離奇・走る所は旁門別路の功名を主る。兩邊の口角の處に井字形の紋あるを、「井字紋」と呼び、早年に勞苦し、中年に貴人の相助を得・別人の貴氣に藉りて發達し、晚年に福多く壽多く併びて田産を添置するを主る、ただ略ば子女を刑克す。こ幾種の紋は皆井字形を以て吉と為す、見るべし紋路の端正して成形するは、應ずる所は多く善果なり。
紋相第十一圖說
按印堂有井字形,名曰井印紋,此主幼年無父,前業耗散,出身微賤,因時勢逼迫,以致冒險進取,而成其富貴之基,主重配而有先後之子也;又有內顧之患,而無遠見之佈德,務其名而貪其利,不克善後也。三陽有直紋二三,入眼皮之睫毛處止,名曰煞紋。凡有煞紋馭者,皆為素封小康之家,而有驚險之災,以成殘疾受傷也。其性粗心大膽,不計利害,而輕舉妄動,因爭奪權利而動殺機也。
さらに第十一幅の圖を看る。印堂上に井字形の紋あるを、「井印紋」と呼び、幼年に父を喪い・先人の産業耗散し・出身が微賤を主る。時勢に逼迫されるに因って、ただ冒險して闖き往くほかなく、かえって富貴の根基を闖き出す。こういう種の人は主に再娶し、前後の妻に各々生ずる所の兒子あり。家内にまた牽掛の患あり、而して彼自ら長遠の眼光なくて恩德を廣施せず、ただ虛名を求めて實利を貪る、ゆえに好き尾を收め得ず。上眼皮の「三陽」の上に兩三條の直紋あり、一直線に眼睫毛の處に伸び到るを止めと為す、「煞紋」と呼ぶ。およそ煞紋を帶ぶる人は、多半衣食を愁えざる小康の家より出づるも、却って一場の驚險の災禍を遭い、以致て傷を受け殘疾を落下す。彼らは性情が粗心して大胆、利害を計らずして輕擧妄動し、往々にして權利を爭奪する為に殺心を起す。
口角有一二紋下反者,名曰覆舟紋,主凶死;如有三四紋於口角者,則為孤壽紋,上篇詳論也。兩口角覆舟紋,於富貴之格局,其危險更大,則潛伏亡身破家之患;如出於貧賤之人,則不過刑剋勞苦,艱辛備至耳,能守窮困而不妄貪者,自然減輕危險。三陰有雙叉紋,名曰六爻紋,主貴名而無權,聰明而反覆,一生多憂思感慨,亦主克女而有壽也,一主傷陰失眠之疾,一主溼氣酒病之例。虎耳有紋下插入陂池者,名曰壽紋,此重添壽紀之兆,應有增加壽紀,而益壽祿也。此紋不常有,亦因培養陰德,或修身練氣,而有此添壽之兆也。
口角の處に一兩條の紋の下に反垂するを、「覆舟紋」と呼び、非命に死するを主る。若し口角の處に三四條の紋あれば、それは前面上篇に詳論し過ぎた「孤壽紋」である。兩邊の口角に皆覆舟紋を生ずれば、富貴格局に配するは危險さらに大なり、暗中に身を喪い家を破る禍患を伏す。若し貧賤人の身上に生ずれば、也不過刑克して勞苦・艱辛を備嘗するのみ――ただ窮困に安守して妄貪の心を起さざる能わば、危險は自然に減輕す。下眼瞼の「三陰」の上に分叉の雙紋あるを、「六爻紋」と呼び、貴名あって實權なきを主り、人は聰明なるも反復して常なく、一生に憂思感慨多く、もまた女兒を克して自身長壽を主る。一層は陰分傷を受け・夜に寐る能わざる病に應じ、一層は濕氣と酒傷の類の毛病に應ず。耳前の「虎耳」の處に紋の下に「陂池」に插し進むを、「壽紋」と呼び、これは壽數を加添する重大の兆頭で、壽元が增長し・福祿もまた隨いて增益するを主る。こういう種の紋は常に見ず、多くは陰德を培植し、あるいは身を修め氣を練るに因って、初めてこ添壽の徵兆を生出す。こに由りて知るべし、紋相は生來一定に非ず、後天の行事は仍ほそれを增減變易せしめ得。
『公篤相法』下篇巻十
相法解釋說
公篤曰:相法一術,由來久矣。溯其源流,蓋始於伏義氏畫卦,龍馬負河圖洛書之時,辨明陰陽二氣之始;又得洛水之龜,布成方位之形,故初名曰龜鑑,蓋由此而得名也。夫以天地陰陽、五行八卦,即有立象,然後內配以五臟六腑,象名立義,故外配以五官五嶽、六曜四瀆,各有系統矣。先論形質之生克,次論氣色之制化,則吉凶禍福之機,自有一定攸歸矣。至軒轅氏時,有臣名曰風后氏者,因彩禽銜書於碧雲之中,則用先天流行、後天定位,而發揮議論,以立吉凶禍福之定法。其風鑑之名,實肇於此,蓋風后氏所鑑定之意也。
陳公篤が言う。相術のこ一門は、由來すでに久し。その源頭を追溯すれば、大約伏羲氏の八卦を畫し・龍馬が河圖洛書を背負って世に出づる時より起り、それは正しく陰陽二氣を分辨する開端である。後來また洛水中の神龜を得、龜背の文に依りて方位圖形を布き成し、ゆえに相術は最初「龜鑑」と呼作された、名字はこのようにして來る。天地陰陽・五行八卦すでに卦象を立下せば、於是内に五臟六腑を配上し、象に依りて名を立て・名に依りて義を定め、外に五官・五岳・六曜・四瀆を配上し、各々一套の系統を成す。先に形質の間の相生相克を論じ、再び氣色の間の制約と化解を論ずれば、然れば吉凶禍福の機兆は自然に各々歸着あり。黄帝軒轅氏の時に到り、臣子の風后氏と呼ぶ者あり、彩鳥が天書を銜えて碧雲中より飛來するを見るに因り、便ち先天卦氣の流行・後天卦位の定位を用い、加えて發揮議論し、從りて吉凶禍福を推斷する定法を立下す。相術はまた「風鑑」と稱す、其實すなわちここより頭を起す――所謂風鑑とは、すなわち風后氏の鑑定した所の義である。(按:原文の「伏義氏」はすなわち伏羲氏。)
至於堯舜禹湯文武,相繼而傳,以及專司其事,而為國家大用,蓋上以承聖君之德,下以擇賢臣之才也。故西東周時,相法最盛行,凡諸侯大臣,以及有大志者,必聘風鑑之專門人材,以濟其用,而為趨吉避凶之準繩,欲進欲退之決心。
この後堯・舜・禹・湯・文王・武王に到り、こ一門の學問は代代相傳し、朝廷は還お此事を專管する官職を設け、國家の一項の大用途と成す。上に向かっては聖明君主の德意を承接し、下に向かっては朝廷の為に賢臣良才を挑選す。ゆえに西周東周に到れば、相法は最も盛行す。およそ諸侯大臣、および大志を胸懷する人は、必定して風鑑に精通する專門人才を聘請して自らの事を辦せしめ、相術の判斷を以て吉に趨り凶を避くる準繩と作し、進むべし退くべしの決斷依據と為す。
當時相法種類頗多,而各有秘訣,以立門戶也。其秘訣之傳授雖不同,其應徵事實則一也。富貴之分、貧賤之別、興衰之數,實由於此也。故晉國大飢而多盜,則聘專門能識盜者之卻雍,而取決以捕之;吳國之平亂,則聘唐舉,以求治國人材而勷助之;趙民之撫卹,荀子知其必昌;智氏之智瑤,稀疵知其必敗;以及楚之斗越椒,而有蒍氏如其赤族,先改姓氏以避之;越王之勾踐,范蠡知其寡恩,浪遊五湖以去之。此皆相法之有益於人,而為趨吉避凶之鐵證也。
あの時相法の門派は衆多、各家は各々自らの秘訣あり、これに藉りて門戸を立起す。傳う所の秘訣は相同ならざるも、應驗の事實は却是一樣である。人の富と貴・貧と賤、家國の興と衰は、實際皆こ一門の學問に靠りて看え出す。ゆえに晉國に大饑饉鬧り・盜賊四起する時、便ち專ら盜賊を辨認する會する郤雍を聘請し、彼の指認に靠りて緝捕し往く。呉國が内亂を平定せんとすれば、すなわち唐擧を聘請し、國家の為に治國の人才を物色して協助せしむ。趙氏は百姓を撫恤するに善く、荀子は相に據りて彼の家が必定昌盛するを斷定す。智氏の智瑶は、郄疵が一看すれば便ち彼の必敗を知る。また楚國の鬬越椒のごとき、蒍氏は豫め鬬氏の一族が將に滿門誅滅せられんを知り、搶先して姓氏を改換して躲け開く。越王の句踐は、范蠡が彼の刻薄寡恩を看出し、便ち五湖に舟を泛かべて飄然として去る。これらは皆相法が人に益ある例子で、もまたそれが吉に趨り凶を避け得る鐵證である。
夫人之涉身處世,吉凶禍福之機,處處皆是,或發生意外於目前,或種因伏危於將來,連帶危險,交際遺累,在在所不能免。苟能深求相法之原理,自可避免一切,當然無蹈禍之事實,而享受終身之平安矣。由此觀之,則相法之有益於人者大矣。故古聖先賢,有遊於藝之說;其哲人君子,莫不精深考究各術,以為平生之用也。
人の立身處世に、吉凶禍福の機兆は到る處にあり。あるものは眼前に突然發生する意外、あるものは眼下に禍根を埋下し・危險が將來に伏す。人に連累されて險を涉り・交際應酬に因って牽扯を受る、これらの事は處處に皆躲れ得ず。倘若相法の道理を鑽研透徹し得ば、自然に一一に避け開く可く、當然として禍事の裏に踏み進まず、一輩子の平安を安享し得。かく看來れば、相法の人に對する益處は實に大なり。ゆえに古代の聖賢に初めて「藝に游ぶ」の說法あり。あれらの明達君子は、深入して各門の術數を考究せずはなく、以て自らの一生の用處と為す。
余考相法,自秦氐火焚以後,世無全本,知之者益少矣。六朝時達摩初次入中國,尚未傳出相法一書,故漢唐雖有談相法之人,而無專書可稽考也。當漢時有許負之相曹操,管駱之相何宴,雖有氣魄之為法,神血之為論,其法皆秘而不宣,不得其傳焉。唐代則有一行禪師,為風鑑之專家,並無一字留傳後世。惟李淳風有一掌之白鶴相法,出而問世,然不過殘篇,及一偏之小術,研究之過程,而非相法之綱領,不足為用也明矣。
我は相法の源流を考察す。秦朝の書を焚くより後、世上に便ち完整の本子なく、懂得する人もまた愈々少し。六朝の時達磨が第一次に中國に到り、還だ相書を傳出さざれば、ゆえに漢唐兩代は談相の人あると雖も、稽考し供すべき專書なし。漢代に許負ありて曹操に相を看、管輅ありて何晏に相を看、氣魄を以て人を論じ・神采血色を以て人を論ずる法門あると雖も、然れどこれらの法子は皆祕して宣せず、傳わり得ず。唐代に一行禪師あり、風鑑の行家なるも、却って一個の字も後世に留めず。ただ李淳風の傳下する一部の掌相を講ずる『白鶴相法』の世に問うあるのみ、然れどそれは不過殘篇斷簡、一隅に偏する小術・研究過程の中のものに属し、相法の總綱と算えず、顯然として用に足らず。(按:原文の「管駱」はすなわち管輅、「何宴」はすなわち何晏。)見るべし、漢唐の一段は、相法はただ口耳相傳の零星の法門あるのみ、體系を成す著述の考ふべきなし。
五代時,達摩復入中國,始傳五來相法五篇與麻衣,此正受之相法道統,即中興相法之祖師也。其五來相法,分形質、精神、聲音、氣色、紋絡筋骨,皆有備載也。其中文簡意深,包羅萬象,變化無窮,皆有獨到之處,為各家相法所不能及也,而人事皆詳言包括無遺。惜乎無變法,而無天道厚薄之分、時勢盛衰之論,乃五來相法之缺點。此其解釋之一也。
五代の時候、達磨が再次中國に到り、初めて『五來相法』五篇を麻衣道者に傳え、これは正式に承受し下る相法の道統で、達磨もすなわち相法を中興する祖師である。あの部の『五來相法』は形質・精神・聲音・氣色・紋絡筋骨の幾門に分かち、皆記載する很に完備す。書中の文字は簡練して意思は深遠、萬象を包羅し・變化無窮、處處に獨到の見あり、別家の相書の趕き上らざる所で、人間世事も皆講じて詳盡にして遺なし。可惜それは「變法」のこ一層を講ぜず、も天道の人に與る厚薄を分辨せず・時勢の盛衰を議論せず、これすなわち『五來相法』の缺點である。所謂「變法」は、同一副の相が、治世と亂世に遇って應驗は併び相同ならずを指し、こ一層は書裏に講到せず。これは第一條の解釋である。
麻衣為五代時人,受業於達摩,而為相法正宗。當時出仕為麻衣縣令,其書在任而成,有石室賦、金鎖賦、銀匙歌三章,以縣邑為名,故曰麻衣相法,而不傳其姓氏也。余考麻衣縣之地形,即今之湖北麻城,為五代時之麻衣。其書成後,掛冠歸隱而去,不知所終,有稱為仙翁者非也。余考麻衣相法,金鎖賦、石室賦、銀匙歌三篇為其真本,其它各圖各論,皆係後人偽造,而附會其說也。
麻衣は五代の時の人で、達磨に師事し、傳う所は相法の正宗である。彼は當時出でて官を為し、麻衣縣令に任ず、あの部の相書はすなわち任上に寫成したもので、内に『石室賦』『金鎖賦』『銀匙歌』の三篇を含む。書名は任する所の縣名より取る、ゆえに『麻衣相法』と呼び、彼本人の姓氏はかえって傳わり下らず。我は麻衣縣の地理を考察するに、すなわち今天の湖北の麻城で、五代の時は麻衣と呼べり。書成し後彼は便ち官を棄て歸隱し、終る所を知らず。ある人は彼を仙翁と稱作す、それは對せざるなり。我が『麻衣相法』を考訂するに、ただ『金鎖賦』『石室賦』『銀匙歌』の三篇のみ真本で、其餘のあれらの圖と議論は、皆後人が僞造し出して彼の名頭に附會したもの。こ部の書を讀むに、只須らくこ三篇を認定し、其餘は不必深く信ずべからず。
余考其部位圖說,而錯訛移動之處頗多,或為當時未經考證耶?抑為後人翻印改移耶?按相法部位,有一定標準,而風鑑學說,用全力研究者頗少,以致二千年來未明真象,後人多以不驗罪之,蓋非其原意也。余考麻衣相法,有法理兼併而用之,此其一線之短,餘窺其意,恐為後人駁議耳。
我はあの部の書裏の部位圖說を核對するに、錯訛移位の處は相當多きを發見す。究竟當時に未だ考證を經ずか、それとも後人の翻刻の時に改動挪移したか。須知相法の部位は自ら一定の標準あり、ただ全力を下して風鑑の學を研究する人が太少きを肯んず、以致て兩千年來始終に真相を弄清せず、後人は多半それが靈驗せざるを怪む、其實併び原書の本意に非ず。我はまた『麻衣相法』を考察し、それが「法」と「理」を合わせて用るを發見す、これはそれが稍ば一籌に遜る處である。我が作者の用意を揣摩するに、大概是後人の來りて駁議するを怕るるのみ。
大凡術藝,皆言其法,而不拘其理可也。蓋理有定理,法無定法,理法二字不能完全通過也。故理由為言談之外表,事實多不驗;言法而有訣竅,事實多應徵。故麻衣之理法兼用,不如達摩之直接了當、開門見山,然尚無異端之邪說,故為正宗。此其解釋之二也。
大凡一門の技藝は、皆應該にただその「法」を講じ、「理」に拘泥する不必なり。なぜなら理は定准あるも、法は定准なし、理と法のこ兩個の字は併び處處に對し上げ得ざればなり。道理を講ずるは、それはただ言談上の外表功夫、事實に落れば多半靈驗せず。方法を講ずるは、その中に訣竅在り、事實に落れば多半應驗し得。ゆえに麻衣の理法併用は、達磨の來る直截了當・開門見山に及ばず。不過彼は到底に異端邪說を摻進せず、ゆえに仍ほ正宗と算す。これは第二條の解釋である。
水鏡相法一書,又出於達摩麻衣之後。余考水鏡為季漢時人,但不知何人冒名捏詞,自成一家學說也。余考水鏡,在季漢時代,與龐靖侯、諸葛武侯為至友,其人博學多才藝,隱居不佳,薦臥龍鳳雛者水鏡也,足見其為當時名士、賢哲知機者流。其書偏於引古為證,余考此為其書之綱領也。
『水鏡相法』のこ部の書は、また達磨・麻衣の後に出づ。我は水鏡先生が蜀漢の時の人なるを考證す、然れど何人が彼の名頭を冒して文字を編造し・自ら一家の學說を成せるかを知らず。我が考察に據れば、水鏡先生は蜀漢の時代に龐靖侯の龐統・諸葛武侯と知交好友で、此人は博學して多才藝、隱居して出仕せず、當年に臥龍・鳳雛を擧薦したは正しく彼で、見るべし彼は當時の名士、賢明にして微を見て著を知る一流の人物に属す。こ部の名を托する書は偏重して古人の事迹を引きて證と為す、我が看ればこれすなわち全書の綱領の所在。(按:原文の「隱居不佳」、「佳」は當に「仕」と作るべし。)
其中有關張趙雲馬超等,尚為漢代同時之人物,引證可也。又引證唐代人物,如李太白、哥舒翰、郭汾陽、婁師德、盧杞等,則先後相差數百年矣,此何由而知其詳細也?當然不是漢水鏡之法也一。又引證宋代之趙普、曹彬、呂蒙正、呂夷簡及王安石等,則先後相差將近千年,此何由而知其詳細也?當然不是漢水鏡之法也二。
書裏に關羽・張飛・趙雲・馬超のこれら人に引き到るは、皆還是漢代同時の人物で、引き來て證と為すは倒も說き過ぐべし。然れどそれはまた唐代の人物を引く、李太白・哥舒翰・郭子儀汾陽王・婁師德・盧杞の等等のごとき、前後の相隔る幾百年、漢代の水鏡先生は何處より彼らの詳細情形を知るを得ん。見るべしこれは決して漢代の水鏡の手筆に非ず、これは第一條の疑點。書中は還お宋代の趙普・曹彬・呂蒙正・呂夷簡および王安石の等の人を引く、前後の相差る將に一千年に近し、また何處より彼らの詳情を知るを得ん。見るべし決して漢代の水鏡の手筆に非ず、これは第二條の疑點。
以時代考之,此書當出於宋後,及元明時所出之書也。以此證之,其書謬點頗多。其人既繫漢代,其說又兼併唐宋,是為後人欺世之書可也。況古今之文化風俗各有不同,國家法律政治各有所異,人民之腦筋思想各有革新,事實之衣冠典禮各有改變,此何能以一而證其百也?又如清代之法律政治、事業交際,與民國之法律政治、事業交際,相隔懸殊,先後不過二十年,其風俗文化、人物事實,革舊維新,變幻不常,各適其宜而改更之,尚無一定之法以為用,何況事隔數百年數千年,可作一定之鐵證乎?此為水鏡相法之缺點,勿論其真偽,此其解釋之三也。
時代に照して推算すれば、こ部の書は應當に宋朝以後に出で、元明の時期に初めて有る書である。これに由りて看れば、書中の謬誤は相當多し。名を托する作者は既に漢代の人なるに、講ずる所は却って唐宋を兼括し進む、然ればただ後人の世を欺く僞書と算うるのみ。何況古今の文化風俗は各々相同ならず、國家の法律政治は各々差異あり、人々の頭腦思想は不斷に更新し、現實中の衣冠禮制は屢々改變あり、怎麼一個の例子を拿りて一百件の事を證明し往く能わんや。さらに清代の法律政治・事業交際を看れば、民國の法律政治・事業交際と、相差る何等か懸殊、前後不過二十年の光景、風俗文化・人物世事はすでに舊を除き新を布き・變幻して定まらず、各々當時の情形に按じて改動し、尚且つ一成不變の法子の用るべきなく、何況相隔る幾百年・幾千年の舊例を、還お確實不移の鐵證と當作し得んや。これすなわち『水鏡相法』の缺點である。それが真か僞かを論ぜず、古人の成例を今人に硬套すは、本身就靠り住まず。相法の立ち得住るは、通則に靠る、逐條に號を對する舊例に非ず。これは第三條の解釋である。
希夷姓陳,名博字圖南,為宋初時人,而受業於麻衣,作有心相篇一章,多係因果學說、善惡關鍵,故其開始有相由心變四字為綱領。關於人倫風化之處尤多,以道德仁義為根據,以禮義廉恥為輔佐。故其心善者,雖處於四面楚歌,而禍可變為福;心惡者,雖一呼百諾,而福可變為禍。其原意在宗老子之禍福無門、為人自招之句也。
希夷先生は姓は陳、名は摶、字は圖南、宋朝初年の人で、麻衣に師事し、『心相篇』一章を著有す。講ずるは多く因果の說・善惡の機で、ゆえに開篇に便ち「相由心變」の四個字を拿って總綱と作す。書中に人倫風化に論及する處は特別に多く、道德仁義を以て根本と為し、禮義廉恥を以て輔翼と為す。彼の說法に照せば、心地が善良の人は、縱令四面楚歌の絶境に處すとも、禍もまた福に轉じ得。心地が險惡の人は、縱令一聲令下して百人應諾すとも、福もまた禍に轉じ得。彼のこ一番の意思は、本源は老子の說く「禍福無門、惟人自召」のあの句話に出づ。(按:原文は「名博」と作る、當に「名摶」と為すべし。)
其理由則十分充足,而事實則萬分相反。蓋人種前世之因,結今生之果;今生之種因,又結來生之果。善有善因,而今生應作幾許善也,則有作善之時機以為用,而為善之事實也;惡有惡因,而今生應作幾許惡也,則有作惡之時機以為用,而為惡之事實也。夫善莫大於救人性命、全人節操、顧全人之名譽,如上例三等,可謂心德,其它一切施濟,不過些須功德而已。能盡其力量,而作全命全節全名之事實,可以救正人心,保持風化,挽一切浩劫矣。
彼のこ一番の道理は講じて十分充足す、然れど事實に擺れば萬分に相反す。知るべし、人は前世の因を種下して今生の果を結成し、今生の種下する所の因は、また來生の果を結成す。善因ありて在れば、今生に善事を做す多少を該すれば、便ち自然に善事を做す時機の用るべきあり、もすなわち善を行う實事の出現あり。惡因ありて在れば、今生に惡事を做す多少を該すれば、便ち自然に惡を作す時機の乘ずべきあり、もすなわち惡を為す實事の發生あり。善を說き到れば、最大は人の性命を救い・人の節操を保全し・人の名譽を維護するに過ぎず、上面のこ三等こそ「心德」と稱し得。其餘の種種の施舍周濟は、不過些微末の功德のみ。人若し自らの力量を竭盡し得て、性命を保全し・節操を保全し・名譽を保全するこういう實事を做成せば、すなわち人心を匡正し・風教を維持し、一切の大劫を挽回し得。これは善を等第に分かちて看る、随所に說く空話に非ず。
設有人立志為善,時刻不忘其側隱之心,如無前生之種善因為用,則無今生之善果機會也。假定救人性命為一大善,必無性命可救之事實,或無救人性命之能力;亦無節操可全之事實,必無保全節操之能力,或為全節善言之不聽;亦無名譽可全之事件,或為保全名譽之彌張。如作一舉一動之善事成功,皆有前生善因而為用,則有際遇之可能,事實之恰當,智力之能達到,而成全其心德也。
假設して人ありて志を立定して善を行わんとす、時時刻刻にあの一點の惻隱の心を忘れず。然れど彼若し前生の種下した善因の用るべきなければ、今生にすなわち善果を結ぶ機會に遇上らず。就ず人の性命を救うこ一件の大善を拿るに、彼は偏偏として性命の救ふべき事に碰上らず、あるいは碰上るも人を救う能力なし。また節操の保全すべき事に碰上らず、あるいは碰上ると雖も保全の能力なし、又あるいは好言にて相勸めて人家が根本に聽かず。また名譽の維護すべき事に碰上らず、あるいは愈々人に替わりて辯白すれば、あの毁謗はかえって傳わる愈々開き。反るに、およそ一擧一動の善事の做成し得るは、皆前生の善因の作用に起るあり。於是機緣は湊り上り、事情は恰好合適し、才智もまた着くに够り、これこそ彼の心德を成全する。
設有人厭世而動惡念,立志而動殺機,時刻注意,儘量為之,如無前生之種惡因以為用,必無性命可傷之惡果機會也。或無傷人性命之權力,亦無傷人性命之事實;假定冒險而強行殺人之事,則有先後時間錯過也。亦無破壞節操之時機,或為誘人邪淫之不遂,或為有邪淫之可能,而臨時發生障礙也。亦無破壞名譽之事實,或為破壞其人,而其名譽愈褒揚也。故有本身為善立功,而美報於子孫者;亦有本身為惡喪德,而惡報於妻妾子女者,此為非近因近果者明矣。此希夷言心不言相之一大謬點,此為解釋之四也。
さらに假設して人ありて世を厭い惡念を起し、心思を立定して殺機を動かさんとし、時時留意し・極力して做す。彼若し前生の種下した惡因の用るべきなければ、すなわち人の性命を傷りて惡果を結ぶ機會に遇上らず。あるいは彼に人の性命を傷る權勢なく、も人の性命を傷り得る場合に碰上らず。たとえ彼が冒險して硬に人を殺さんと欲すとも、も總じて時間上に前後錯過す。彼もまた別人の節操を破壞する時機を找えず。あるいは人を誘い淫亂せしめて得手せず、あるいは眼に乘ずべき機あるを看て臨時に阻碍を生出す。彼もまた人の名譽を毁る事實を造し成さず。あるいは彼が愈々あの人を毁謗せんと要すれば、あの人の名声はかえって人に稱揚される愈々多し。ゆえに世上に本人が善を行い功を立て・好き報は却って子孫の身上に應ずるあり、また本人が惡を作し德を喪い・惡報は却って妻妾子女の身上に應ずるあり――見るべし因と果は併び皆眼前に現報せず。これすなわち希夷がただ心を講じ・相を講ぜざるの一大謬誤の所在である。心は固然として緊要なれど、一人に善を行い惡を作す機緣の有無は、終竟還得相上に看るを須す。これは第四條の解釋である。
按袁柳莊,為明代之永樂時人,著有柳莊相法一書,出而問世。蓋袁柳莊為北方人,永樂鎮北平時,相見大悅,遂尊為國師。最可恨者,即故意顛倒部位,而指為秘訣心法也。其法偏於地形,僅以東北隅之方位為一定論,所見不廣,誤人尤深。其人偏於見解,而好奇談,其知而言之耶?亦不知而言之耶?
さらに袁柳莊を說けば、明代永樂年間の人で、『柳莊相法』一書を著有して世に行わる。袁柳莊は本來北方の人で、永樂皇帝の還だ北平を鎮守する時彼と相見し、談じて十分投機し、於是彼を尊びて國師と為す。最も可恨なる一點は、彼が故意に各處の部位を顛倒錯置し、還おこれを不傳の秘訣心法と說く。彼の相法は偏重して地域形勢に倚り、ただ東北一隅の方位を拿って一定の論と作し、見聞が廣からず、人を誤る極めて深し。此人は見解が偏頗して奇論を發するを好む、究竟是知りながら故に說くか、それとも根本に懂せずして亂說くか。
如批註達摩之五露亦超群之句,而麻衣亦言五露為最貴,作非常之事業,以成千古之盛名。但達摩麻衣,並末指出何種五露也,而柳莊誤會其辭,直解為五官露也。中有耳露廓輪、眉露毫稜、眼露神光、鼻露井灶、口露牙齒也。蓋一露二露,皆為弱點不吉之相矣,如五露皆全,則反為大貴至尊之格局也。此為離奇之理想,言論太荒謬何也。
譬えば彼が達磨の「五露亦超羣」のこ一句を批注する時――麻衣もまた五露は最も貴しと說き、非常の事業を做し得・千古の美名を成就するを主る――然れど達磨・麻衣の兩家は皆何の五樣の「露」かを指明せず。柳莊は却ってこ句話を誤會し、徑直に「五官外露」と解し、耳は廓輪を露し・眉は毫棱を露し・眼は神光を露し・鼻は井竈を露し・口は牙齒を露すと說く。知るべし五官はただ一樣兩樣を露出するのみで、すでに弱點不吉の相なり。彼の說法に照せば、五樣全て露るはかえって大貴至尊の格局と成る。これは實に離奇の空想で、議論は未免太も荒謬である。相書上の「露」の字は、本來藏露の露と廣大の露の兩義あり、彼は却ってただ一義を認定し、於是全篇は跟いて錯り下る。
凡耳露廓輪,幼年刑剋父母,何有栽培之力?當然無良好教育也。眉露毫稜,中年弟兄紛爭,當然有內顧憂,而失輔助也。眼露神光,中多驚險挫折,惡痛橫生,而為障礙也。鼻露井灶,一生財不入庫,窮苦勞碌,而無立身之地也。口露牙齒,一生惹是招非,皆處嫌疑損失之中也。據五官有三官露,已成貧賤至極點之相,何況五官全露,而能尊貴超群乎?
試に想うてみよ。耳朵が廓輪を露出するは、幼年に便ち父母を刑克し、家裏に何れ彼を栽培する力量あらん、當然として好き教育を得得ず。眉毛が粗毫棱骨を露出するは、中年に兄弟の間紛爭不斷、當然として家内の憂患あり、もまた兄弟の幫襯を失去す。眼睛の神光が外露するは、一生に驚險挫折を多遇し、惡疾疼痛が橫生し、處處に障碍と成る。鼻子が鼻孔を露出するは、一輩子に財が庫に進まず、窮苦勞碌して立身の地なし。嘴巴が牙齒を露出するは、一輩子に是非を招惹し、總じて嫌疑と損失の中に打轉す。かくのごとく照して看れば、五官の裏にただ三樣を露るのみで、すでに貧賤極點に到る相なり、何況五官全て露る、還能尊貴超羣たらんや。
蓋達摩麻衣,所謂之五露為最貴者,乃五嶽之露,而非五官之露也。露者大也。故南嶽大而為貴壽之品,土星中嶽大而為豐富之局,頦為北嶽大而為崇厚之祿,兩顴為東西嶽大而操縱極重之權。故孔子五嶽朝天,而為萬世師表之聖人,此五露超群之格是也。袁柳莊不知何所見而云為五官露也。
其實達磨・麻衣の說く「五露最貴」は、指す所は五岳の露で、五官の露に非ず。ここの「露」の字は、「大」の義である。ゆえに額頭の南岳が大なるは、貴く且つ壽なるを主る。鼻准の土星が中岳に居り、長ずる大なるは家道豊富を主る。下巴を北岳と為し、長ずる大なるは福祿崇厚を主る。兩顴を東西の二岳と為し、長ずる大なれば則ち手に極重の權柄を握る。孔子は正しく五岳朝天の相で、ゆえに萬世師表の聖人と成れり――これこそ「五露超羣」の格局である。袁柳莊は何に根據するかを知らず、竟に五官外露と說く。五岳の露の主る所は氣魄の宏大で、五官の露の主る所は精氣の外泄で、兩者は恰好相反し、混じて一談と為す可からず。
又麻衣金鎖云:六害眉心親義絕之句,柳莊解為六種害,其云眉毛間斷一害也,眉毛疎散二害也,兩眉粗濃三害也,眉起旋螺四害也,眉頭逢沖五害也,眉亂雜花六害也。於理想上何嘗不通,於原文上則有錯誤。觀其親義絕之說,而分六種害,可謂煞費苦心,而反有損無益。蓋六害者,六親之害也。何為有親?何為有義?此柳莊未解其原文之本意,徒據奇談,以惑人之觀聽,其書不足為法也明矣。據此二者,可見柳莊之學識。而四庫全書中,有選載袁柳莊相法一冊,皆永樂賞識,而高其身價也;四庫全書末選載達摩麻衣者,際遇不如柳莊。此其解釋之五也。
さらに麻衣の『金鎖賦』の裏の「六害眉心親義絶」のこ一句のごとき、柳莊は六種の害相と解し、眉毛の中間斷開するは一害、眉毛が稀疏鬆散するは二害、兩眉が粗濃なるは三害、眉毛が旋じて螺卷と成るは四害、眉頭に雜毛の相衝あるは五害、眉毛が雜亂して落花のごときは六害と說く。彼の推想に照せば倒も講じ通る可くも、然れど原文に對せば說き錯れる。あの句裏の「親義絶」の三個字を看れば、彼は却って硬に六種の害を分出す、可謂苦心を煞費す、結果はかえって害ありて益なし。知るべし「六害」は六親の害の義である。何をか有親と作し、何をか有義と作す。柳莊は根本に原文の本意を弄懂せず、ただ新奇の說法に憑りて人の耳目を迷惑せしむ、彼のあの部の書は顯然として取法に足らず。就ずこ兩樁の事を言えば、柳莊の學識は一斑を見るべし。而して『四庫全書』の裏に偏偏として『袁柳莊相法』一册を收進む、それは全て永樂皇帝が彼を賞識し・彼の身價を抬げ上げたに因る。『四庫全書』は達磨・麻衣の書を收めず、ただあの兩位の際遇が柳莊に如かざるのみ。書の真僞高下は、原來收錄するか否かに在らず。これは第五條の解釋である。
清初有相理衡真一書,偏於理說。其人為書香後裔,博學多才,通今達古,雄辯出奇。其書以文字為主體,詞藻豐富,而不注重相法也。一宗聖賢之孝弟忠信、禮義廉恥之學說,一宗仙佛之前因後果、生死輪迴之學理,其文字理由均充足,其事實則相違悖而不驗。故相法之精微奧妙,必加哲學數學以參合之,兼而用之,再用全部計算,而乘除加減之。當以何阿部為主體,而得分數若干;當以何部為輔佐,而得分數若干。其加減乘除之計算清楚,則有一定把握,此中自有玄妙,而分出或富或貴、或貧或賤、或壽或夭、或勞或逸矣。而衡真則以單獨部位為定論,又無輕重之分、連帶之法,此其缺點也。
清朝初年に一部の『相理衡真』あり、偏重して道理を講ず。作者は書香門第の後人で、博學多才、古今に通曉し、雄辯は人の意表に出づ。あの部の書は文章を以て主體と為し、辭藻豐富なるも、却って相法の本身を着重せず。それは一面に聖賢の孝悌忠信・禮義廉恥のあの套の學說に依託し、一面に仙佛の前因後果・生死輪迴のあの套の道理に依託し、文字と理由と皆很充足なるも、然れど事實に落れば處處相違い・應驗し能わず。知るべし相法の精微奧妙の處は、必ず哲理と算學を加えて參合せざればならず、兩者を兼用し、さらに通盤の計算を作し、加減乘除して推算す。該に何の一處の部位を拿って主體と作すか・多少の分數を得るか、該に何の一處を拿って輔佐と作すか・また多少の分數を得るか。加減乘除を算え清楚して、初めて一定の把握あり、その中に自ら玄妙あり、これに據って是富か是貴か・是貧か是賤か・是壽か是夭か・是勞か是逸かを分かち出す。而して『相理衡真』は却って單獨の一處の部位を拿って便ち定論を下し、既に輕重を分かたず、も各部位の間の連帶關係を講ぜず、これすなわちそれの缺點である。一部の相書は若しただ文章上に力を用るのみならば、看れば頭頭是道なれど、人の前に拿れば處處に對い上げず、それは法子なきに等し。
又衡真之十字面法,尤其胡塗不解。中有日字面形,而主如何之富;月字面形,而主如何之貴;風字面形,而主如何之事業;同字面形,而主如何之才智;田字面形,而主如何之富壽;目字面形,而主如何之際遇;用字面形,而主如何之盛名;申字面形,而主如何之發達;由字面形,而主如何之豐隆;甲字面形,而主如何之榮顯。某形可發十年,某形可發十五年,某形可發二十年、三十年。其理由與法,均為不通。
さらに『相理衡真』の裏のあの套の「十字面法」を說けば、とりわけ糊塗して解し難し。書中に說く。日字臉は如何なる富を主り、月字臉は如何なる貴を主り、風字臉は如何なる事業を主り、同字臉は如何なる才智を主り、田字臉は如何なる富と壽を主り、目字臉は如何なる際遇を主り、用字臉は如何なる盛名を主り、申字臉は如何なる發達を主り、由字臉は如何なる豐隆を主り、甲字臉は如何なる榮顯を主ると。還お某種の臉形は十年を發し得・某種は十五年を發し得・某種は二十年三十年を發し得と說く。十個の漢字の形狀を拿りて人の面型を套するは、本よりすでに牽強なり。さらにこ十個の字に憑りて硬に發達の年限の長短を派し出すは、さらに着落なし。人の臉は從來端端正正の一字形に非ず、同一張の臉が不同の人の身上に在れば、骨肉神氣各別なり、怎麼一概に論ずる能わんや。ゆえにこれらの說法は、道理に論ずも方法に論ずも、皆講じ通らず。
余考相法各書,皆末有如此荒謬才說也。古人論形格,則有木形瘦長、金形方正、水形圓肥、土形濁厚、火形尖露,此五形之大義也。其中亦有兩形相兼、三形相併,則分其多少,而定其主客也,此為千古不易之定論。
我は各家の相書を遍考するに、從來こういう荒謬の說法を見ず。古人の形格を論ずるは、ただ木形が瘦長・金形が方正・水形が圓肥・土形が濁厚・火形が尖露のこ五種あるのみ、これすなわち五形の大義である。その中にも兩形を兼具し・三形を併存するあり、然ればすなわち占むる成分の多少に按じて、何の一形を主と為し何の一形を客と為すかを分かち出す。これは千古不變の定論である。(按:原文の「皆末有」、「末」は當に「未」と作るべし。「荒謬才說」、「才」は疑わくは「之」の誤りか。)
