臥相說
如甲字面形主早發,而初二十年為大,蓋甲字面形,乃木植兼金之形也,其形主貴壽,應削木成器之局。然尚要考其聲音如何、眉目如何、精神如何、土星如何、水星如何,然後決其為特等之責、上等之貴,或中貴下貴,及尋常之貴也。再觀其刻下氣色如何,有無特別情形,及時勢之促成、離奇之遇合也。萬不能以其上方,而斷其貴而富壽;又不能以其下弱,而斷其賤而貧夭。此衡真之大謬也二。凡五形之質,皆有貴賤貧富壽夭,在所得之氣正與不正耳,其主體部位與輔佐部位,合格不合格耳,何能據一部而論耶?此其解釋之六也。
就ず甲字臉を拿りて說けば、それは確かに早年の發達を主り、頭の二十年に運最大、なぜなら甲字臉は木形にして兼ねて金形を帶ぶる形局なれば、貴く且つ壽なるを主り、應ずるは「木を削りて器を成す」のあ一路の格局である。然れど還須らく彼の聲音如何・眉眼如何・精神如何・鼻准土星如何・口部水星如何を考察し、然る後に初めて彼が特等の貴か・上等の貴か、それとも中貴・下貴乃至尋常の貴かを定め得。さらに彼の眼下の氣色怎樣・特別の情形ある無し、および時勢の促成するか否か・離奇の機緣ある無しを看るを要す。萬萬彼の上停が寬闊方正なるに因って、便ち彼が必ず貴必ず富必ず壽と斷定す可からず。も彼の下停が單薄なるに因って、便ち彼が必ず賤必ず貧必ず夭と斷定す可からず。これは『相理衡真』の第二大謬誤である。知るべし五形の形質の裏に、各々貴賤貧富壽夭の別あり、全て彼の禀する氣が正か偏かを看、も主體部位と輔佐部位とが合格するか否かを看る、怎麼ただ一處に憑りて便ち斷語を下さんや。これは第六條の解釋である。(按:原文の「特等之責」、「責」は當に「貴」と作るべし。)
鐵關刀一書,出於滿清時代,其人大致為醫學者流,並非相法專家也。其書多以醫學為轉移,如雲青色發於肝、赤色發於心、黃色發於脾、白色發於肺、黑色發於腎之類是也。果如所論,則紅色分五種,而有紅紫赤躁絳之各色也,何以一心而發五色耶?即赤色發於心,而紅色躁色,又發於何處?其理不通,其法亦不正。
『鐵關刀』のこ部の書は清朝に出で、作者は大概是醫を學ぶ一路の人で、併び相法の專門家に非ず。書中は多半醫理を拿りて相を講ず、譬えば青色は肝より發し・赤色は心より發し・黄色は脾より發し・白色は肺より發し・黑色は腎より發すの類と說く。若し真に彼の說く所に照さば、然れば紅のこ一類の氣色は本分五種あり、紅・紫・赤・躁・絳の各色あり、怎麼單單一個の心臟が五種の顏色を發し出さん。たとえ赤色が心より發すとも、然れば紅色と干躁の色はまた何處より發する。見るべし彼の道理は講じ通らず、法子もまた正ならず。五臟が五色に配するは、本來醫家の病を診する用で、搬り來りて相面の定法に當つれば、一開頭に便ち路を錯れり。
蓋印堂即心之正部,司空中正即名華蓋,乃心包絡之正部,何以紅赤躁紫絳之五色,而不專發於印堂司空中正之部,而散漫於他部之處尤多?此文何說也。凡氣色皆為先天之動機,凡形質皆為後天之華表,故氣色皆根據於先天,不發於五臟六腑也明矣。此鐵關刀大荒謬之談也一。
知るべし印堂は正しく心の本位で、司空・中正の一帶はまた「華蓋」と名づけ、心包絡の本位である。既に然れば、紅・赤・躁・紫・絳のこ五種の顏色は、何ぞ專ら印堂・司空・中正のこ幾處に發せずして、かえって別の部位の上に散見する愈々多きや。こ一層を彼の書裏は怎麼解釋する。須知氣色は皆先天の氣機發動の顯現で、形質こそ後天に外に呈現する表徴、ゆえに氣色の根子は先天に在り、併び五臟六腑の裏より發し出るに非ず、こ一點は很清楚なり。これは『鐵關刀』の第一大荒謬の論である。
況醫家部位,與相學部位,相隔懸殊,其象名立義之處各異。余考黃帝內經與王叔和難經,以及西醫之新法解剖學說,唐宗海之中西匯通,專門考驗者,皆云鼻為肺竅,而五行屬金;又據各家相法、諸家考正,皆云鼻為中嶽,五行屬土。究竟金欺土欺?
何況醫家の說く所の部位と相學の說く所の部位とは、相差る懸殊、兩家の象に依りて名を立て・名に依りて義を定むる路數は各々相同ならず。我は『黄帝内經』と王叔和の傳う所の『難經』、および西醫の新式の解剖學說・唐宗海の『中西匯通』を考察するに、およそ專門に驗證し過ぎたるは、皆鼻子を肺の竅・五行は金に属すと說く。而して各家の相法・歷來の考訂は、また皆鼻子を中岳・五行は土に属すと說く。到底は金と算すべきかそれとも土と算すべきか。(按:原文の「金欺土欺」、「欺」は當に「歟」と作るべし。)
余考丹經參同契、金丹真傳、呂祖全集、三豐全集、道藏輯要,皆云鼻為先天之祖氣,即天一生水之腎竅,五行屬水。此為各據一說,各有原理。蓋鼻為四竅:兩側竅由大眼角之內眥而入肺管,此醫家之所以為屬金也;身準為全面之中心點,為五嶽之中,故曰中嶽,此相法家之所以為屬土也;兩直竅上入腦海,下督脈,通命門之火,此丹道家之所以為腎水也。而鐵關刀按部拘泥,不明其部位之原理,僅採取皮膚之論,而為定法,此鐵關刀大荒謬之二。此其解釋之七也。
我はまた丹家の『參同契』『金丹真傳』『呂祖全集』『三豐全集』『道藏輯要』を考察するに、皆鼻子は先天の祖氣の所在、すなわち「天一生水」の腎の竅、五行は水に属すと說く。見るべし三家は各々一說を執り、而して各々各々の道理あり。原來鼻子は共に四條の通道あり。兩側の通道は大眼角の内眥より肺管に通入す、これは醫家がそれを金に属すと斷ずる緣故である。鼻准は整個の面部の中心點、五岳の中に居る、ゆえに中岳と呼ぶ、これは相家がそれを土に属すと斷ずる緣故である。兩條の直通の孔道は上は腦海に入り・下は督脈に連なり、命門の火に通ず、これは丹道家がそれを腎水に属すと斷ずる緣故である。而して『鐵關刀』は按部就班として成說に拘泥し、部位の背後の原理を明白せず、ただ表皮一層の議論を取りて便ち定法と當作す、これはそれの第二大荒謬である。これは第七條の解釋である。三家は各々各々を說く、本來相妨げず、錯るは彼が來路を辨ぜずして混用するに在り。(按:原文の「身准」、當に「鼻准」と作るべし。)
大清神鑑一書,出於滿清宮闈。余考其時,為康熙之後,雍幹之時也。當時為昇平盛世,亦滿清極盛之時,此書為翰林學士,安居無事,每以雜藝之學獻之,以承上歡也。故其書多考正現代人物,以為標準,故有歷指某尚書之進祿得權,某侍郎之升遷兼職,某大臣之黜陟,某夫人之生子,某王妃之得寵幸聖恩甚隆,某宗室之晉封爵優恤甚厚,上自王公大臣,下至宮娥太監,皆在考證中。至於三品以下之中貴下貴常貴,皆無確實之研究,下至人民,以及貧賤壽夭之法理,均未言及,亦蹈水鏡相法以人為證之故轍也。加以文字雕琢,人為現代事實,此大清神鑑之缺點也一。
『大清神鑑』のこ部の書は清宮の内廷より出づ。我がその年代を考訂するに、康熙の後・雍正乾隆の年間に在り。あの時は正しく太平盛世に當り、も清朝の最も鼎盛の時で、此書は翰林學士たちが閒居して事なく、常にこういう類の雜學を進獻し・以て皇上の歡心を博せんと作りしものである。ゆえに書裏は多半當時の人物を考訂して標準と作し、一一に某位の尚書が如何に祿を進め權を得・某位の侍郎が如何に升遷兼職し・某位の大臣が如何に黜降升遷し・某位の夫人が如何に子を生み・某位の王妃が如何に寵を得て聖眷極めて隆・某位の宗室が如何に爵位を加封されて恩恤優厚なるを指明す――上は王公大臣より、下は宮女太監に至り、皆考證の列に在り。三品以下の中貴・下貴・常貴に至っては、全く切實の研究なし。さらに下の百姓、および貧賤壽夭の法理は、一概に談到せず。これは仍ほ『水鏡相法』の人物を拿りて證と為すの老路を蹈む。さらに文字が雕琢に過ぎ・擧ぐる所は又皆當時の現成事例を加うれば、これは『大清神鑑』の第一の缺點である。擧ぐる所は皆一朝一地の貴人、時代を換え・身份を換えれば便ち套用する從なし。
凡相法之重要,則分其形格之富貴貧賤壽夭,次言氣色,則分其吉凶禍福也。其禍福之大小,則據其人之身分資格、地位才智而定之。假如富至十萬元,其損失二千元,以全體計之,不過百分之二,即如此項損失,有時必現於部位,有時則輕淡而現之,如不注意,則認為平常之色耳。假如其人僅百元之業,損失十元,則為破敗之氣色,以全體計之,則損失十分之一,即如此項氣色,則必現於部位,顯然可憑也。
相法の緊要の處は、先ず形格の主る所の富貴貧賤と壽夭を分辨し、其の次に初めて氣色を講じ、以て眼前の吉凶禍福を分辨す。而して禍福の大小は、こ人の身份資歷・地位才智に按じて定むを要す。譬えば一個の家産十萬元の人が、兩千元を損失すれば、就ず全部の家當を算するも不過百分之二。こういう損失は、有時もまた部位上に氣色を現出す、有時はただ淡淡として一現し、若し留心せざれば、還お尋常の顏色と當作すのみ。反るに、若し一人にただ一百元の家當のみあり、十元を損失せば、それは破敗の氣色なり。就ず全部の家當を算すれば、損失は十分の一、こういう氣色は必定明顯に部位上に現れ、清清楚楚として憑信し得。見るべし同じ一筆の損失も、氣色上に現る深淺不同、全てそれがこ人の全部家當を占むる比例の多大あるを看る。
故相法測量,在加減乘除中,以全部計算可也,方為合法。如某部豐隆而奇突,其必發達至何程度;如某部薄削而陷弱,其必破敗至何程度;又如眉部清秀修長有勢,則富貴至何等品級;鼻準豐隆勻厚圓齊,則富貴至何等程度。有過之,有不足,有虛浮不實,有暗發不彰,有先後相反,內外不合,故單獨一部皆不可為定論。此為大清神鑑之大荒謬他二。此其解釋之八也。
ゆえに相法の推算は、全て加減乘除の間に在り、必ず通盤計算して初めて法に合す。某一處の生ずる豐隆奇特突起は、究竟何の程度に發達し得。某一處の生ずる薄削陷弱は、究竟何の程度に破敗する會す。また眉毛の清秀修長して氣勢あるは、何の一等の品級に富貴し得。鼻准の豐隆匀厚して圓整なるは、何の地步に富貴し得。こ裏頭に分數を超過するあり、分數に够らざるあり、浮いて實ならざるあり、暗中に發達して顯揚せざるあり、前後相反するあり、内外相符合せざるあり――ゆえに單憑一處の部位は、皆定論と當作す可からず。これは『大清神鑑』の第二大荒謬で、も正しくそれがただ貴人の成例を擧げて通法を立てざる病根である。これは第八條の解釋である。
相法之用神,應分四大項:形格為第一,精神為第二,氣色為第三,聲音為第四。其它零星小部,皆包括在形質中;其紋絡筋骨,又為輔助之小品耳,皆不足為定論也。故形質清奇,應得幾許分數;精神充足,又應得幾許分數;氣色黃紫,又應得幾許分數;聲音宏亮,又應得幾許分數。如四種中有三種合度,則如其必發達,而為特貴、特富、特壽矣。
相法の用る所の「用神」は、應當に四大項に分かつべし。形格第一、精神第二、氣色第三、聲音第四。其餘の零零碎碎の小部位は、皆形質のこ一項の裏に包含す。紋路・筋骨に至っては、またただ輔助の小材料、皆これに據りて定論を下すに足らず。ゆえに一項一項に分を打つを要す。形質の生ずる清奇なるは、該に多少分を得べし。精神の飽滿充足なるは、該に多少分を得べし。氣色の黄紫を現ずるは、該に多少分を得べし。聲音の洪亮なるは、又該に多少分を得べし。假如こ四項の裏に三項が法度に合乎せば、則ち彼が必定發達・特貴・特富・特壽の一路の人に属すと斷定す。四項の中に何の一項を缺けば、すなわち總分の上に何の一項の分數を扣去す。
當其時氣色潤澤黃紫充足,則發於最短時間;如氣色黯滯枯燥不潤,雖為富格貴格壽格,而非發達之期,以期發達於將來,而以限為用神可也。故氣色為臨時用神、先天轉機。如形質與精神合度,其聲音不足,尚不為大礙,亦為上富上貴上壽也。如氣色黃紫明潤而充足,則發達之時間必久遠;如氣色明潤輕淡而短小,則發達之時間亦暫而不久也。
倘若此の刻に氣色が潤沢・黄紫飽滿なれば、則ち最短時間内に發達し起る。若し氣色が昏黯呆滯・干枯して潤わざれば、然れば縱令富格・貴格・壽格あるも、眼下は発達の時候に非ず、ただ將來を待ち、年限を拿りて用神と作して看れば是なり。ゆえに氣色は臨時の事に應ずる用神で、先天の氣機轉動の先兆である。假如形質と精神と皆法度に合乎し、ただ聲音足りざれば、それは還だ大礙と算せず、仍ほ上等の富・上等の貴・上等の壽である。若し氣色が黄紫して明淨潤沢・十分充足なれば、發達の時間は便ち長久。若し氣色は明潤なるも輕淡して範圍短小なれば、發達の時間もすなわち短暫して持久し能わず。
假令形質與聲音合度,而情神不足,則於富貴方可期發,事業亦能成功,不過於壽數稍弱耳,故為中富中貴之例,亦以氣色為發達時間之定論也。又如精神與聲音合度,而形質不足,則發達有限,事業因人而成,借力而發也,此為下富下貴之例,然享大壽也。
假使形質と聲音と皆法度に合乎し、而して精神足りざれば、然れば富貴は還だ指望あり、事業もまた辦し成る、ただ壽數稍ば弱きのみ、ゆえに中富中貴の一類に属す。何の時候に發達するに至っては、仍舊として氣色に靠りて定むを要す。また精神と聲音と皆法度に合乎し、而して形質足りざれば、それは發達すなわち有限あり。事業は別人を依靠して初めて做し成り得、他人の力を借りて起る、これは下富下貴の一類に属す、不過こういう種の人は大壽を享け得。(按:原文の「情神」、當に「精神」と作るべし。)
又如形質與氣色合度,或聲音與精神合度,或精神與氣色合度,或精神與形質合度,或聲音與形質合度,此為四種重要關係之中而得二也,此皆為有富而貴名、多祿而壽也,皆作豐衣足食之格局論。又假定形質平常、精神平常、聲音平常,單獨氣色黃紫明潤而充足,或合五行四時之潤澤,亦為可富可貴可壽可發之局也。此為暫時發達,而不持久,其發達也不大,或出於異路功名,或出於離奇遇合,此為破船遇順風,而可航海之法,其驗者頗多也。
さらに形質と氣色と度に合し、あるいは聲音と精神と度に合し、あるいは精神と氣色と度に合し、あるいは精神と形質と度に合し、あるいは聲音と形質と度に合す――これらは皆四項の緊要關係の裏に兩項を占む、皆富あると貴名あるとを兼ね・俸祿多く壽數長きを主り、一概に衣食豐足の格局に按じて論ず。また假定して一人の形質平常・精神平常・聲音もまた平常、單單に氣色が黄紫を現じて明淨潤沢・十分充足、あるいは現ずる所の色が恰も五行と四時の潤沢の氣に合すれば、それもまた可富・可貴・可壽・可發の局面と算す。ただこういう種の發達は一時の、持久し能わず、發る程度もまた大ならず、あるいは旁門別路に靠りて功名を取得し、あるいは離奇の機緣より出づ。これすなわち破船が順風に遇上りても海に出で得る法子で、應驗の例子は相當多し。ただ風一たび停まれば、船は仍舊あの條の破船、ゆえにそれを持久し能わずと說く。
據此四者品評,而為相法之根據,方是正宗。其輕重加減法,為用之處最大,此為相法之機樞,至精至微,神而明之,存乎其人。合而深思,加以推想,自得玄妙之途徑。故不以單獨部位為用,而以形質精神、聲音氣色,加減合論,以採取之可也。
形格・精神・氣色・聲音のこ四項に依りて品評し、用いて相法の根據と作す、これこそ正宗の路數である。その中に輕重を分かち・加減を作す法子の用處は最大で、相法の樞機の所在、精微は極處に到る。運用の妙が通神し得るか否かに至っては、則ち各人自らに在り。四項を合わせて深思し、さらに推想を加えれば、自然にあの條の玄妙の門徑に摸到り得。ゆえに相を斷ずるにただ單獨の一處の部位を用る勿れ、而要に形質・精神・聲音・氣色の四項を加減して合論し、中より斷を取るを初めて是とす。
部位考正法
公篤曰:凡相法之精神,首重部位,分析確定,先知某輕重地位,次如其關係原理,然後方有把握,自能指定標準,而有一定之判斷也。余考相法部位,多屬不確,而圖式亦混亂不一,各據一說,各有所宗也,惟其名目尚存,而為古之原名也。余考秦代以前,皆屬純一部位,自秦氐火焚以後,世無傳本,每有殘篇零頁,皆不足為稽考之鐵證也。
陳公篤が言う。相法の精髓は、首先に部位を看重す。各處の部位を分析清楚し・確定し下さんを要し、先ず何の一處の地位が重く・何の一處の地位が輕きを知り、再び彼らの彼此關聯する原理を弄明白し、こうして心裏に初めて把握あり、自然に標準を定め出し・一定の判斷を作出し得。我は歷來の相書の載する所の部位を考察するに、多半準確せず、圖式もまた混亂して一ならず、各々一說を執り・各々本とする所有り。ただあれらの名目は還だ在り、用るは仍ほ古時の原名である。我はまた考證す。秦代以前は、部位は本來純一にして雜ならざりき。秦朝の書を焚くより後、世上に完整の傳本なく、偶有りて殘篇零頁の留下するも、皆稽考の確證を作すに足らず。
當五代時,達摩復入中國,始傳五來相法一書,此為中興相法之祖師,而集各家之大成也,其部位尚有錯誤之處。是否當時未經考證確實,兩宗古之殘篇,或為後人翻印錯訛,隨便改移,徒留其名稱也,此皆兩可之疑難點,而無法稽考也。故麻衣相法所有部位圖說,亦宗達摩,而錯訛之處大同小異,是否為上敘兩點疑難,不得而知。
五代の時候に到り、達磨が再次東に來り、初めて『五來相法』一書を傳下す。彼は相法を中興する祖師、各家の大成を集めたれど、然れど彼の書中の部位も還だ錯處あり。究竟是當時に未曽切實に考證せず・ただ古本の殘篇に依りて說を立てしか、それとも後人の翻刻の時に錯訛を出し・随手に挪移し・ただ一個の名稱を留下せしか。この兩種の可能は皆說き通り得、如今已に稽考する從なし。ゆえに『麻衣相法』の裏の部位圖說も、もまた達磨に承襲して來り、錯訛の處は大同小異。到底是不是上面の說くあの兩個の緣故か、もまた知るを得ず。見るべし部位の誤は、達磨・麻衣のこ兩部の祖本の上よりすでに帶び下り來る。
柳莊相法,則稱其受秘傳,而故意錯其部位,顛倒限,其混淆人聽聞乎?其自矜眩奇乎?相法部位,錯誤於此居大多數。至於衡真,則徒據理說,而不尋其地位;水鏡則拘泥引吉,而不求其根據。其大清神鑑、鐵關刀、蘭陵集、相法須知等,各據一說,自謂心傳,以訛傳訛,而不知孰是孰非。相法一書,考究其精微者頗少,大多數為跑馬觀花,任意隨談,只知有其名稱,而不知有其地位;至於部位之輕重,誰為主體,誰為輔助,則更茫然而無所宗矣。
『柳莊相法』に至っては、自稱して祕傳を得とすも、却って故意に部位を弄錯し・界限を顛倒す。これは究竟世人の耳目を混淆せんとするか、それとも自我を誇耀し・新奇を炫弄するか。相法部位の錯誤は、大半皆こ部の書の上に出づ。さらに『相理衡真』を說けば、ただ道理に憑りて說を立て、部位の實際の所在を追究せず。『水鏡相法』は則ち古人を引證するに拘泥し、根據を尋求せず。其餘の『大清神鑑』『鐵關刀』『蘭陵集』『相法須知』のこれらのごとき、各々一說を執り、皆自稱して心口相傳の秘訣とし、訛を以て訛を傳え、弄りて誰是誰非とも分かち清めず。相書は多しと雖も、精微の處を考究清楚するを肯んずるは很に少し、大多數は走馬觀花・随口に亂談す。ただこういう名稱あるを知るのみ、然れどそれが究竟何の位置に在るかを知らず。部位の輕重・何の一處を主體と為し・何の一處を輔助と為すに至っては、さらに茫然として依據する所なし。(按:原文の「拘泥引吉」、「吉」は當に「古」と作るべし。)
餘此次注重部位,先從醫學入手。余考黃帝內經,中有漢晉文字,可見其為殘篇,惟針炙大成與仲景六經,較為確實可用;如王叔和難經、陳修園、徐靈胎各書,部位之系統稍有離奇;又如西醫之解剖圖說、唐宗海之中西惟通,皆不明氣化,所取之部位大多數不可為用也。余考丹經之參同契、金丹真傳、呂祖全集、三豐全集、道藏輯要,則各有妙蘊,其中有正繫、連代繫、應繫、通過繫,方證實一切部位。餘則註明其部位之輕重關係,以為千古後之定法,有志相法者容易入手,而尋正宗門戶也。茲將考證者附後。
我のこ一回に着重して部位を考訂するは、先ず醫學より入手す。我は『黄帝内經』を考察し、裏頭に漢晋時代の文字を夾むを發見す、見るべしすでに殘缺の本なり。ただ『鍼灸大成』と張仲景の六經の說のみ、比較的確實にして用るべし。王叔和の傳う『難經』、以及陳修園・徐靈胎の諸家の書のごときは、部位系統すなわち些か離奇あり。また西醫の解剖圖說・唐宗海の『中西匯通』のごときは、皆氣化の道理を懂せず、取る所の部位は大多數用る能わず。我はまた丹家の『參同契』『金丹真傳』『呂祖全集』『三豐全集』『道藏輯要』を考察するに、各々精妙の藴含あり。その中に「正系」「連代系」「應系」「通過系」の四層の脈絡を分かち出す、これこそ一切の部位を坐實せしむ。我便ち各處の部位の下に彼らの輕重の間の關係を注明し、作して千百年後の定法と為し、好んで相を學ばんと志る人をして上手し易く・正宗の門徑を找到せしめんとす。現に考證し得る所を後面に附す。(按:原文の「中西惟通」、當に「中西匯通」と作るべし。)
醫家原有部位圖
第一圖式詳解
公篤曰:醫家部位與相學部位,互相表裡,蓋太素經之脈訣,中有富貴貧賤壽天之說也,而名稱則各異耳,按用法各有不同故也。其內之脈絡而達於外,則有正繫之脈絡、連帶繫之脈絡、應繫之脈絡、通過繫之脈絡,其地位雖異,其氣化則感而遂通也。此第一圖式,為吾蜀天彭之大醫士唐宗海先生所考究而鑑定者,載於中西匯通全集之中,並有解剖學說,分經別絡,詳註經絡如何也。其名稱是否宗古,或從新也,餘將其原規定地位及名稱,而參合相學也。
陳公篤が言う。醫家の講ずる所の部位と相學の講ずる所の部位は、本來互いに表裏を為す、なぜなら『太素脈訣』の裏にも富貴貧賤壽夭を推斷する說法あり、ただ兩家の名稱同じからざるのみ――それは各々の用法が一樣ならざるに因る。人の體内の脈絡は外に通達し、「正系」脈絡・「連帶系」脈絡・「應系」脈絡・「通過系」脈絡の四層に分かつ。彼らの所在する位置は相同ならざると雖も、氣化上は却って彼此感應して相通ず。こ第一幅の圖式は、我ら四川天彭の名醫唐宗海先生の考究鑑定する所で、彼の『中西匯通』全集の中に載せ、書裏に還お解剖學說を附有し、經を分かち絡を別し、各條の經絡を講ずる很に詳細なり。彼の用る所の名稱が究竟古に遵うかそれとも新たに擬するかに至っては、我はここに且つ彼の原定の位置と名稱に照して、以て相學と互相に參合す。(按:原文の「壽天」、當に「壽夭」と作るべし。)
上為闕者,即兩眉之中心,相法名之曰印堂是也。蓋印堂者,即全部之主體,元首之意也。其名曰闕,是否帝闕之意,或金闕之尊稱也。闕之下曰王宮,即相學之山根是也,在兩目相平之中心,又名命宮是也。相法之稱山根有兩意義:一為前人之根基,一為本身之命根。其名曰王宮,是否即命宮之意義,而王宮與闕之義相等,稍有沖突。
圖上の最も上に標して「闕」と作すは、すなわち兩眉の正中、相法上は「印堂」と呼ぶ。印堂は全面部の主體で、取るは元首の義である。醫家はこれを「闕」と名づく、帝王の宮闕の義を取るかを知らず、それとも「金闕」のあの樣の尊稱を取るか。闕の下面に標して「王宮」と作すは、すなわち相學の「山根」、位置は兩眼の相平する正中に在り、また「命宮」と呼ぶ。相法上は山根に兩層の意義あるを說く。一層は先人の留下した根基を指し、一層は本人の性命の根を指す。醫家はこれを「王宮」と名づく、是不是すなわち命宮の義かを知らず。ただ「王宮」と「闕」の兩個の名字は意思相當、一面の上に兩個の至尊の名ある宜からず、彼此稍ば衝突す。
又下之準頭名曰明堂,即相學之中嶽,又名曰土星是也。按河洛之數,五行以土居中宮,而鼻準在全面部之中心,故有是名。餘又考八卦九宮之配合,其中宮號明堂,此名之曰明堂,實即中宮之義,與中嶽土星之名相等。其下名蕃,在法令紋之下,即相學之陂池是也,又近於腮骨,即相學之下府是也,其名蕃者,是否屏蕃之意義也。兩側曰蔽,在耳珠之前,醫書有名頰車,亦有名聽宮穴者,即相學之虎耳金縷之側是也,其名曰蔽,是否障蔽之意義也。
さらに下へ往けば、鼻准に標して「明堂」と作すは、すなわち相學の「中岳」、また「土星」と呼ぶ。河圖洛書の數に按ずれば、五行は土を以て中宮に居り、而して鼻准は正しく全臉の中心に在り、ゆえにこの名字あり。我はまた八卦九宮の配合を考す、その中央の一宮の正名は「明堂」。醫家のここに明堂と呼ぶは、實際すなわち中宮の義で、中岳・土星の兩個の名稱と相當す。明堂の下面に標して「蕃」と作すは、法令紋の下に在り、すなわち相學の「陂池」。また腮骨に靠近す、もすなわち相學の「下府」。これを「蕃」と名づくるは、屏藩護衛の義を取るか否かを知らず。兩側に標して「蔽」と作すは、耳垂の前に在り、醫書上に「頰車」と呼ぶあり、また「聽宮穴」と呼ぶあり、すなわち相學の「虎耳」「金縷」の旁のあ一帶。これを「蔽」と名づくるは、遮蔽の義を取るか否かを知らず。こ幾處の名目は、醫家の取る所は臟腑の應ずる所、相家の取る所は氣數の主る所、位置は同じと雖も名を立つる着眼點は各別なり、讀者は混じて看る可からず。
又云:五臟居中央,得其正也;六輔挾兩側,得其輔也。前人以此望其形而察其色,按其部而其脈,不可不根據此也。又云:闕以上屬咽喉,闕之中屬肺部,闕之下屬心部。此皆內經詳載,醫家之定法也。此為唐宗海之原文,余考內經無此說,故上述其研究從新之語,評論辨明列後。茲將其五臟六腑之配分錄下。
圖說の裏にまた講ず。五臟の應ずる處は面部の中央に居り、取るはその正に居るを。六腑の應ずる處は兩側に分列し、取るはその輔と為るを。前人は正しくこに照りて形を望み色を察し・部に按じて脈を診し、斷じてこを據と為さざる可からず。また講ず、闕より上の一段は咽喉に属し、闕の正中は肺に属し、闕より下は心に属す。これらは據說皆『内經』に詳載し・醫家の定法である。以上は唐宗海の原文である。然れど我が『内經』を核査するに、併びこういう說法なく、ゆえに前面に初めて彼のこれらは自ら新意を出す研究の語と說きし。我が評論と辨明は後面に列す。現に彼の配する五臟六腑の分属を抄錄するに如くのごとし。(按:原文の「按其部而其脈」、「而」の下に疑わくは一「按」あるいは「察」の字を脫す。)
第二圖式詳解
公篤曰:上文所述第一圖式,略得大體。茲據醫家第二部位圖式,其分配五臟六腑,為醫家各書所載,而唐宗海先生更用西法解剖法,以證實其部位也,故中西匯通挨次繪圖,詳論其如何形質,而感適於外也。據云:兩眉之中心,為肺部之正繫,即相學之印堂是也;兩目相對之中心,為心部之王繫,即相學之山根是也;鼻樑之中段,為肝部之正繫,即相學之年壽是也;鼻準之尖,為脾部之正繫,即相學之土星是也。
陳公篤が言う。上文の講ずる所の第一幅の圖式は、大概の輪廓は算して有り。現在さらに醫家の第二幅の部位圖に依りて說く。こ幅の圖は五臟六腑を面上の各處に分配す、本來醫家の各書に皆載有する、而して唐宗海先生はまた西洋解剖の法を用いてこららの部位を印證し、ゆえに『中西匯通』の裏に一幅一幅に挨次繪圖し、詳細に各處は何の形質か・又如何に體表の上に感應するを論說す。彼の說く所に據れば、兩眉の正中は肺の正系、もすなわち相學の「印堂」。兩眼の相對する正中は心の正系、もすなわち相學の「山根」。鼻梁の中段は肝の正系、もすなわち相學の「年壽」。鼻尖は脾の正系、もすなわち相學の「土星」。(按:原文の「心部之王系」、「王」は當に「正」と作るべし。)醫家のこららの部位を配するは、着眼は臟腑の虛實に在り、相學の着眼する吉凶禍福と同じからず、讀者は須らく分け清むべし。
淚堂之大眼角,為膽部之正繫,即相學之精舍光殿是也;鼻竅之兩孔,為胃部之正繫,即相學之蘭臺廷尉是也;眼下之橫紋,為小腸之正繫,即相學之三陰蠶囊是也;頰車之側為三焦之正繫,即相學之命門虎耳是也;兩耳珠為腎部之正繫,即相學之耳輪是也;兩顴之下,為大腸之正繫,即相學之法令金縷是也;兩口角為膀胱子宮之王繫,即相學之食倉祿倉是也。
淚堂が大眼角に靠る一段は膽の正系、もすなわち相學の「精舍」「光殿」。兩個の鼻孔は胃の正系、もすなわち相學の「蘭台」「廷尉」。眼下の橫紋は小腸の正系、もすなわち相學の「三陰」「蠶囊」。頰車の兩側は三焦の正系、もすなわち相學の「命門」「虎耳」。兩個の耳垂は腎の正系、もすなわち相學の「耳輪」。兩顴の下方は大腸の正系、もすなわち相學の「法令」「金縷」。兩個の口角は膀胱と子宮の正系、もすなわち相學の「食倉」「祿倉」。通じてこ一套の配法を看れば、五臟は面部の中線の一路に分列し、六腑は則ち下半と兩側に分列し、上下内外は恰好相對す。同じこ幾處の地方なれど、相家は中より看るは人事の成敗得失、醫家は中より看るは臟腑の虛實寒熱、位置は同じと雖も用意は各別なり。(按:原文の「膀胱子宮之王系」、「王」は當に「正」と作るべし。)
此為醫家業經考證,而為正法之分配也。再經西醫之解剖分配,大體亦如是。余考古人之經絡分明,莫過於張仲景之六經法,及針炙大成之瞳人圖,而與此項部位,則有異地位而名者。茲將仲景之六經大體錄下。
以上は醫家がすでに考證し過ぎ・公認して正法と為す一套の分配である。さらに西醫の解剖し得る所を拿りて對照すれば、大體もまた是のごとし。我は古人の經絡を講ずる最も分明なるを考察するに、張仲景の六經の法、および『鍼灸大成』の裏の瞳人圖に過ぐるなし。不過こ兩家の定める所の位置は、上面のこ一套の部位と相比すれば、位置不同にして名稱相同の情形あり。現に仲景六經の大體を抄錄するに如くのごとし。
第三圖式詳解
公篤曰:醫家之書最古而最確實者,莫不以仲景為醫中之聖,蓋發明六經,始由仲景而起也。按第三圖式,即仲景之六經總圖也,其中分三陽三陰,以包括五臟六腑也。故三陽之中甲,有太陽經,內屬手太陽為應小腸,足太陽為應膀胱,此太陽之專司脈絡也;有少陽經,內屬手少陽為應命門,足少陽為應膽絡,此少陽之專司脈絡也;有陽明經,內屬手陽明為應大腸,足陽明為應胃絡,此陽明之專司脈絡也。
陳公篤が言う。醫書の中に最も古老にして又最も確實なるは、人人皆張仲景を推して醫中の聖と為す、なぜなら六經辨證を發明したは、正しく仲景より始まればなり。こ第三幅の圖式は、すなわち仲景の六經總圖で、その中に三陽三陰の兩組を分かち、五臟六腑を皆包括し進む。三陽のこ一組。一は太陽經、内に手太陽を配し、小腸に應ず。足太陽を配し、膀胱に應ず――これは太陽經の專管する脈絡である。二は少陽經、内に手少陽を配し、命門に應ず。足少陽を配し、膽經に應ず――これは少陽經の專管する脈絡である。三は陽明經、内に手陽明を配し、大腸に應ず。足陽明を配し、胃經に應ず――これは陽明經の專管する脈絡である。ここの所謂「手某經」「足某經」は、同一の經氣が上肢と下肢に分行する兩支で、名目は相同なれど所属の臟腑は各異なり、混じて一事と作して看る可からず。
故三陰之中,有太陰經,內屬手太陰為應肺絡,足太陰為應脾絡,此太陰之專司脈絡也;有少陰經,內屬手少陰為應心絡,足少陰為應腎絡,此少陰之專司脈絡也;有厥陰經,內屬手厥陰為應心包絡,足厥陰為應肝絡,此厥陰之專司脈絡也。古有三焦之說,而徐靈胎、陳修園皆勉強說之,似未詳於六經之內也;唐宗海則指為三焦即連網油,此解剖之功也。
三陰のこ一組。一は太陰經、内に手太陰を配し、肺經に應ず。足太陰を配し、脾經に應ず――これは太陰經の專管する脈絡である。二は少陰經、内に手少陰を配し、心經に應ず。足少陰を配し、腎經に應ず――これは少陰經の專管する脈絡である。三は厥陰經、内に手厥陰を配し、心包絡に應ず。足厥陰を配し、肝經に應ず――これは厥陰經の專管する脈絡である。古來別に「三焦」の一說あり、徐靈胎・陳修園の兩家は皆講ずる很に勉强、看來六經の裏頭に併び交代清楚せず。唐宗海は則ち三焦はすなわち腹内相連する網油と指明す、これは解剖に靠りて初めて弄明白せる。所謂「網油」は、腹腔の裏に連なりて一片と成す脂膜である。唐氏のこ一說は、總算して歷來講じ清らざる三焦を有形の物の上に坐實せしめり。
故論病則有為本經之病,即指太陽專病或陽明專病也;又有為兩經合病,即指少陽與陽明同時合病,或厥陰與少陰同時合病也;又有此經而現彼經現象,名曰應病,即太陽經之病而現少陰之現象,或太陽經之病而現陽明之現象也。蓋先天之氣,發於腎部,故有天一生水之義也;後天之脈,資生於胃部,故有土生萬物之義也;血脈之行,資生於氣息,故六經可包括全身,此綱領之法也。
ゆえに病を論じ起せば、單に本經に属する病あり、すなわち太陽經の獨發する病、あるいは陽明經の獨發する病と說く。また兩經の合病あり、すなわち少陽と陽明とが同時に發病し、あるいは厥陰と少陰とが同時に發病す。還お本來こ一經の病なるも却ってあ一經の症候を現出するあり、「應病」と呼作す、比如太陽經の病なるも却って少陰の症候を現出し、あるいは太陽經の病なるも却って陽明の症候を現出す。知るべし先天の氣は腎臟より發す、ゆえに「天一生水」の道理あり。後天の脈氣は胃に靠りて滋養す、ゆえに「土生萬物」の道理あり。而して血脉の運行はまた氣息に靠りて資助す。こに因って六經は足りて全身を統攝す、これすなわち提綱挈領の法門である。本經病・合病・應病のこ三層の分別を懂得して、初めて至らず一たび某處の症候を見れば、便ち死に某處の病と認作す。
醫家六經經脈圖
圖式詳解第一
公篤曰:下列之圖式為六經第一圖,即太陽脈絡也。其脈絡為大眼角之銳眥越,由上眼皮之三陽通過,平橫入鬢髮,至耳後之壽骨,曲繞耳後,下至耳珠,近腮肥方犄角處,曲繞而上,至頰車上,即相學之虎耳部位,此為太陽經之脈絡他。內屬則分手太陽而應小腸之氣也,足太陽而應膀胱之氣也。而太陽有稱巨陽者,蓋傳經之始即由太陽而起故也。欲求小腸之正繫及通過繫,欲求膀胱之應繫及連帶繫,當以太陽之脈絡為認定也。
陳公篤が言う。下面のこ幅の圖は六經の第一圖で、畫く所は太陽經の脈絡である。こ條の脈は大眼角の銳眥の處より越出し、上眼皮の「三陽」を經過し、横平に鬢髮に伸び進み、耳後の壽骨に到り、耳後を繞って彎れ下り、耳垂に下り、再び腮部の方厚して犄角のごとき處に靠近して轉折して上り、頰車の上に到り、もすなわち相學の說く所の「虎耳」の部位――これすなわち太陽經の脈絡である。内に則ち手足の兩支を分かつ。手太陽は小腸の氣に應じ、足太陽は膀胱の氣に應ず。太陽經はまた「巨陽」と稱作するあり、病邪の傳經は總じて太陽より頭を起す緣故なればなり。およそ小腸の正系と通過系を推求せんとし、あるいは膀胱の應系と連帶系を推求せんとするは、皆應當に太陽經の脈絡を以て依據と作すべし。(按:原文の末の「脈絡他」、「他」は當に「也」と作るべし。)所謂「正系」は、本臟の主る所の正位。「通過系」は則ちただ經氣の路過する處、兩者の輕重は大いに相同ならず。
圖式詳解第二
公篤曰:下列之圖式,為六經第二圖,即少陽之脈絡也。其脈絡由小眼角之外眥,為少陽經脈之總管起點處,從玉堂而入鬢髮,由壽骨之上,微曲斜而下,至後頸之髮際,在大椎之上,醫家原名風池穴,以此為止,皆屬少陽經之脈絡也。內屬則分手足二經:手少陽經則為命門之正繫、腎氣之連帶也,足少陽經則為膽絡之正繫,氣化均名少陽而統論之也。欲求命門之正繫及通過繫,欲求膽絡之應繫及連帶繫,當以少陽之脈絡為認定也。
陳公篤が言う。下面のこ幅の圖は六經の第二圖で、畫く所は少陽經の脈絡である。こ條の脈は小眼角の外眥より起り、あそこは少陽經脈の總干の起點、「玉堂」より鬢髮に伸び進み、壽骨の上方より微微として彎斜して下り、後頸の髮際の處に到り、大椎穴の上に在り、醫家の原名は「風池穴」、ここに到るを以て止めと為す――こ一路は皆少陽經の脈絡に属す。内に則ち手足の兩支を分かつ。手少陽經は命門の正系で、また連帶して腎氣を帶ぶ。足少陽經は膽經の正系である。兩支の氣化は皆少陽と名づけ、合わせて統論す。およそ命門の正系と通過系を推求せんとし、あるいは膽經の應系と連帶系を推求せんとするは、皆應當に少陽經の脈絡を以て依據と作すべし。少陽の一經は半表半裏の間に居る、ゆえにそれの脈路もまた面側より頸後に繞り向かい、併び正面を走らず。相法上に命門と膽氣を看るは、正しくこ一層の意思を取る。
圖式詳解第三
公篤曰:下列之圖式,為六經第三圖,即陽明經之脈絡他。此為陽明經之總管,上由百會之巔起,所謂百會者,即百脈相會之處也,在頂中陷處而有動脈之間是也。由側面曲近鬢髮而下,過福堂、奸門、外顴,平蘭臺而至鼻孔止,即醫學之迎香穴是也,皆陽明經之脈絡也。內屬則分手足二經:其手陽明經則為大腸之正繫,足陽明經則為胃絡之正繫,均名陽明經而統論之也。蓋三陽以陽明經為傳經之機樞也。欲求大腸之正繫及通過繫,欲求胃絡之應繫及連帶繫,當以陽明經為認定也。
陳公篤が言う。下面のこ幅の圖は六經の第三圖で、畫く所は陽明經の脈絡である。これは陽明經の總干、上端は頭頂の百會より起る――所謂百會は、すなわち百脈の交會する地方で、頭頂の正中の凹陷處に在り・動脈の跳動を摸得着るあの一點。この脈は側面より彎曲して鬢髮に貼近して下り、「福堂」「奸門」と外側の顴骨を經過し、鼻翼の「蘭台」と齊平にして鼻孔に到るを止めと為す、もすなわち醫學上の迎香穴――こ一路は皆陽明經の脈絡である。内に則ち手足の兩支を分かつ。手陽明經は大腸の正系、足陽明經は胃經の正系、皆陽明經と名づけて合わせて統論す。三陽の中に、陽明經を以て傳經の樞紐と為す。およそ大腸の正系と通過系を推求せんとし、あるいは胃經の應系と連帶系を推求せんとするは、皆應當に陽明經を以て依據と作すべし。陽明經の經過する所の福堂・奸門・外顴の幾處は、相法上に正しく外財・妻妾と權柄を主り、兩家は互いに印證し得。
圖式詳解第四
公篤曰:下列之圖式,為六經第四圖,即太陰經之脈絡,此為太陰經之經脈總管也。由口內之舌部起,經過相學之地庫部位,下至頦位而曲行,下至喉管側之小管,即接入肺管,此為太陰經之脈絡也。內則分手足二經:其手太陰經為肺絡之正繫,關乎肺氣也;足太陰經為脾絡之正繫,關乎脾氣也,均名太陰經而統論之也。按三陰以太陰為起。欲求肺絡之正繫及通過繫,欲求脾絡之應繫及連帶繫,當以太陰經為認定也。
陳公篤が言う。下面のこ幅の圖は六經の第四圖で、畫く所は太陰經の脈絡、これは太陰經脈の總干である。それは口内の舌部より起り、相學の說く所の「地庫」の部位を經過し、下に下巴の處に到りて轉折して行き、再び下に喉管の旁の小管に到り、隨即肺管に接入す――これすなわち太陰經の脈絡である。内に手足の兩支を分かつ。手太陰經は肺經の正系で、肺氣に關係す。足太陰經は脾經の正系で、脾氣に關係す。兩支は皆太陰經と名づけて合わせて統論す。按ずるに三陰の一組は太陰より開始す。およそ肺經の正系と通過系を推求せんとし、あるいは脾經の應系と連帶系を推求せんとするは、皆應當に太陰經を以て依據と作すべし。太陰經は舌に起りて肺管に終る、ゆえに口舌と地庫の一帶の氣色は、相法上に多く脾肺の兩臟の毛病に應ず。
圓式詳解第五
公篤曰:下列之圖式,為六經第五圖,即少陰經之脈絡,此為少陰經之總管也。其脈絡由眼之鳥珠瞳人起,平下至三陰蠶囊之中,斜側而下過陂池,而至腮之犄角處,曲入項部,而至咽喉止,此為少陰經之脈絡也。其內則分手足二經:手少陰經為心部之正繫,而關乎心絡之氣也;足少陰經為腎部之正繫,而關乎腎絡之氣也,均名少陰而統論之也。欲求心絡之正繫及連帶繫,欲求腎部之應繫及通過繫,當以少陰經而認定之也。
陳公篤が言う。下面のこ幅の圖は六經の第五圖で、畫く所は少陰經の脈絡、これは少陰經の總干である。こ條の脈は眼中の烏珠の瞳人より起り、平平として下に「三陰」「蠶囊」の當中に到り、再び斜めに下に「陂池」を越え、腮部の犄角のごとき處に到り、轉折して頸項に進入し、直に咽喉に到るを以て止めと為す――これすなわち少陰經の脈絡である。内に手足の兩支を分かつ。手少陰經は心の正系で、心經の氣に關係す。足少陰經は腎の正系で、腎經の氣に關係す。皆少陰と名づけて合わせて統論す。およそ心經の正系と連帶系を推求せんとし、あるいは腎臟の應系と通過系を推求せんとするは、皆應當に少陰經を以て認定す。(按:原文の「鳥珠」、當に「烏珠」と作るべし。)少陰の一經は上は心を貫き・下は腎を貫く、ゆえに瞳人と三陰のこ兩處の神采の枯潤は、最も一人の元氣の盛衰を看出し得。
圖式詳解第六
公篤曰:下列之圖式,為六經第六圖,即厥陰經之脈絡,此為厥陰經之總管也。上由百會之巔起,百會在頂中陷處有動脈是也,斜側由輔角而下,入眉中,過三陽入目中,直穿烏珠而出三陰之下,至金縷曲繞,平橫入口唇,而曲下至顙上,此為厥陰經之脈絡也。內應則分手足二經:手厥陰經為心包絡之正繫,足厥陰經為肝絡之正繫。按三陰以厥陰經為傳經之機樞。欲求心包絡之正繫及連帶繫,欲求肝絡之應繫及通過繫,當以厥陰經而為認定也。
陳公篤が言う。下面のこ幅の圖は六經の第六圖で、畫く所は厥陰經の脈絡、これは厥陰經の總干である。それは上端が頭頂の百會より起る――百會はすなわち頭頂の正中の凹陷處に在り・動脈を摸得るあの一點――斜めに「輔角」より下り、眉毛の中に進入し、「三陽」を經過して眼内に入り、直に烏珠を穿ちて「三陰」の下より穿出し、「金縷」の處に到りて繞行し、再び横平に口唇に進入し、然る後曲折して下に腮頷の上に直至る――これすなわち厥陰經の脈絡である。内に手足の兩支を分かつ。手厥陰經は心包絡の正系、足厥陰經は肝經の正系。按ずるに三陰の一組は、厥陰經を以て傳經の樞紐と為す。およそ心包絡の正系と連帶系を推求せんとし、あるいは肝經の應系と通過系を推求せんとするは、皆應當に厥陰經を以て認定す。厥陰の一經は上は百會に起り・下は腮頷に抵り、縱貫して整個の面部を過ぐ、ゆえに肝氣の舒ならざる人は、往往として先ず眉眼の間に滯暗の色を現出す。
『公篤相法』下篇巻十(續)
考正部位氣色合解
一、百會往大腦與小腦之間,兩相交通之地,即頂上之巔磺陷處,有動脈處是也。為咽喉之正繫,亦為咽喉之應繫,是為諸陽聚會之點,百脈相交之地,此為第一之氣機,亦通達之關隘也。此地有動脈寬六分許,長一寸餘:其脈動而沽勻,其人精神強健而有生機也;其脈動而緩急不常,其人精神虧損而有疾厄也;其脈定而細微,其人衰弱已極,而為將死之應候也。
第一處、「百會」は大腦と小腦との間の兩相交通する地方に通ず、すなわち頭頂の正中の凹陷・動脈の跳動を摸得着るあの一點。それは咽喉の正系で、同時にまた咽喉の應系、周身の諸陽の氣の聚會する點・百脈交會の地と為り、人身の第一等の氣機の所在で、も氣息通行の關口である。ここの動脈は寛さ約六分・長さ一寸多。驗法は、脈の跳る均匀有力なるは、こ人は精神強健して生機旺盛。脈の跳る時に快く時に慢く・緩急定まらざるは、こ人は精神虧損して疾病災厄あり。脈の跳る微弱して幾ほど動かざるは、こ人はすでに衰弱して極點に至り、將に死せんとする徵候である。(按:原文の「巔磺陷處」、「磺」は疑わくは「頂」の訛か。「其脈動而沽匀」、「沽」は當に「洽」と作るべし。)
此即下應咽喉,通達氣機者生,障礙氣機者病,閉塞氣機者死之類,而為明征之應候也。故列於最高之巔,百脈之源也。余每見醫家治危症,或脫陽症,先用手術而針炙此穴,亦即通氣機,而開咽喉之義也。今更名天大關。其地宜高聳有骨,即貴壽之格局也;宜動脈調勻,即強健之精神也。
これ便ち下に咽喉に應ずる道理である。氣機通暢の人は活き、氣機受阻の人は病み、氣機閉塞の人は死す、これは最も明白ならざるなき應驗である。ゆえにそれを頭頂の最高處に列し、百脈の源頭と看作す。我は常に醫家の危重の症あるいは脫陽の症を救治するを見るに、頭一件の事はすなわち鍼灸を施してこの穴位を刺す、用意も正しく氣機を打通し・咽喉を開利するに在り。如今我はそれを改名して「天大關」と呼ぶ。ここは高く聳起して骨あるに宜しく、便ちそれは貴くまた壽なる格局。また動脈の跳る調匀なるに宜しく、便ちそれは精神強健の證明である。
二、髮際之火星起,下即天中,次即天庭,又次即司空,其名曰層樓,即丹經所謂十二層樓之簡名也。內屬大腦海之正部,為督脈之通過繫。此地關係父母之強弱、祖業之有無,又關係其人賢智如何、愚拙如何,此為人靈根祖脈,亦為種因之慧根也。故髮際高者,其人聰明多才,而父母無刑傷;髮際低者,其人粗俗而愚,或為父母刑傷。又天庭豐隆凸突者,必為貴裔而有前業,亦主本身貴名而有驚人事業也;天庭削弱凹陷者,必為平常之家,前業蕭條,亦主本身貧賤,而有勞苦度日也。
第二處、髮際の「火星」より頭を起し、下に往きて依次に「天中」「天庭」「司空」、こ一整條の統名は「層樓」、すなわち丹經上の「十二層樓」の簡稱である。それは内に大腦海の正部を配属し、督脈の經過する處である。こ一帶は父母の強弱・祖業の有無に關係し、も一人が賢明か愚鈍かに關係す、人の靈根祖脈で、も宿世の種下した慧根の所在である。ゆえに髮際の生ずる高きは、こ人は聰明多才、父母もまた刑傷なし。髮際の生ずる低きは、こ人は粗俗愚鈍、あるいは父母と刑傷あり。さらに天庭を看れば、天庭の豐滿隆起して凸出するは、必定貴人の後裔・家に祖業あり、本人もまた貴名ありて驚人の事業を做出し得。天庭の削薄凹陷するは、必定平常人家より出で、祖業蕭條、本人もまた貧賤、ただ勞苦して日を度るのみ。髮際の管る所は先天の根器、天庭の管る所は家世と本身の成就、兩處は合わせて看るを要す。
故相法家名之曰高廣學堂。如層樓有黃紫明潤之氣,則主升官進職,常人亦主得財獲利;如有滯黯慘膩之氣,則主孝服刑人丁,及事實失敗,而有憂愁驚恐;如有赤黑枯慘之雜色,則主牢獄驚險,以及其人神經昏憒而亂,失其常度,喪其靈智,或主危險之疾厄。故層樓之部位,宜寬闊高突,凸廣有勢為合格。原名層樓,今更名日祖脈,即靈根之脈、元氣之義也。
ゆえに相家はこ一帶を「高廣學堂」と呼作す。層樓の一帶に若し黄紫して明淨潤沢の氣を現ずれば、官を升し職を進むを主り、平民もまた財を得利を獲るを主る。若し呆滯昏黯・慘淡黏腻の氣を現ずれば、孝を穿き・家中の人口を折損し、事情辦し成らず、且つ憂愁驚恐あるを主る。若し赤・黑・枯・慘の幾種の雜色を現ずれば、牢獄驚險、あるいはこの人の神志昏亂・常態を失い・靈智を喪うを主り、もまた危險の疾病の上に應ずる可能あり。ゆえに層樓のこ一部位は、寬闊高突・飽滿して勢あるに宜しく、初めて合格と算す。ここは原名層樓、如今我は改名して「祖脈」と呼ぶ、取るは靈根の脈・元氣の自ら出づる所の義である。(按:原文の「今更名日祖脈」、「日」は當に「曰」と作るべし。)
三、兩山林在鬢髮之大曲處,如山之林而得名也,下至福堂骨之上,內屬乳脈之連帶繫。其地原名天倉,關乎祖業之專部,亦驗父母之部位。凡人於初生,皆食乳而養成,而為父母之脈氣頗確實。余考其刑父母宮,每應孝服之時,其地有黑雲慘黯之滯氣,及孝服哭泣之後,其氣沉滯不散,有一生尚存者,有至九年多而方散盡者,有七年五年三年不等,而方散完者,至少亦以一年為標準,而方散完,化出明潤之氣。
第三處、兩「山林」は鬢髮の大彎曲する處に在り、形狀は山上の樹林のごとく、こに因って名を得。下に直に福堂骨の上に到り、内に乳脈の連帶系を配属す。こ一帶は原名「天倉」、祖業を專管する部位で、も父母を驗看する部位である。人は初生の時皆乳を喫して養い大と成るに靠る、ゆえにここは父母の脈氣に應ずる相當確實なり。我は刑克父母のこ一宮を考察するに、將に服喪せんとする時に逢う毎に、ここに便ち黑雲の一般の慘淡昏黯の滯氣を現出す。喪事の哭泣過ぎるを等到して、こ股の氣は仍舊沈滯して散ぜず、ある人は一輩子に還留あり、あるは九年多に到るを要して初めて散盡し、また七年・五年・三年不等にして初めて散完するあり。たとえ最少なるも、總じて一年を以て准と為し、初めて散じ乾淨して、明潤の氣を轉出す。こ股の滯氣の存留する久暫も、正しくかえってこの人の創を受けた輕重を看出し得。
蓋孝服為人生之第一大事,古人定禮,應守三年之孝,而不問事,故其氣久而不散也。此地又主天災之瘟疫流行,如有黑慘之氣色者死。故達摩名之曰天門,麻衣有三天黑黯扁鵲難醫之句,即兩天門與天庭也。今更名曰祖氣,所謂祖氣者,因食乳而養生故也,以祖氣名之宜矣。
これは服喪が人生の第一等の大事なればなり、古人は禮制を定下し、父母の喪は三年を守り・其の間外の事を問わざるを要す、ゆえにこ股の氣こそ久久として散ぜざるなり。こ一帶はまた天災瘟疫の流行を主る、ここに若し黑くして慘淡の氣色を現ずれば、人は活き成らず。ゆえに達磨はここを「天門」と呼作す。麻衣に「三天黑黯、扁鵲難醫」の句子あり、所謂「三天」は、すなわち左右の兩處の天門に天庭を加う。如今我はここを改名して「祖氣」と呼ぶ――祖氣と呼ぶ所以は、人が乳を喫するに靠りて性命を養活すればなり、「祖氣」を用いて命名するは恰當である。
某地方稜有骨,則稟受之先天必厚,所得之產業亦豐;其地陷弱而痕,則稟受之先天必薄,或所受之產業有限。今分為兩段:鬢至邊城之中段,上半節為祖氣;由邊城下至福堂骨,下半節為天門。並非天門即祖氣也。
こ一處は若し生ずる方棱して骨あれば、先天禀賦は必定厚實、繼承する所の産業もまた豐厚。若し生ずる凹陷單薄してまた傷痕を帶ぶれば、先天禀賦は必定單薄、繼承する所の産業もまた有限。如今我はそれを兩段に分作す。鬢角より「邊城」の中段に到る、上半節を「祖氣」と呼ぶ。邊城より下に往きて福堂骨に到る、下半節を「天門」と呼ぶ。見るべし天門と祖氣は併び一事に非ず、從前に兩者を混じて一談と為したは對せざるなり。(按:原文の「某地方棱有骨」、「某」は當に「其」と作るべし。)
四、司空至中正,在印堂之上,內屬心包絡之正繫,本為印堂之護衛部位,故相學各書有華蓋之名稱。所謂華蓋者,即護衛印堂君主之本意,不是醫學謂肺為華蓋也。其地豐滿凸突,則君主得賢臣之護衛,而為有用也,故為官祿之部位。所謂司空,即國家柱石之臣、六部之官名也。其地有骨高聳直者,為玉柱骨;橫者,為華蓋骨,皆為大貴之格局,而有驚人偉大之事業也。其地陷痕削弱,則無賢良柱石之臣,以護徫其君主,前業見挫折,離鄉而勞碌,無貴名之可能也。
第四處、「司空」より「中正」に到り、位置は印堂の上方に在り、内に心包絡の正系を配属す、本來印堂を護衛する部位で、ゆえに各家の相書の裏に「華蓋」のこ個の名稱あり。所謂華蓋は、本意は印堂のこ位の君主を護衛する、併び醫書上の肺を華蓋と呼ぶあの個の義に非ず。こ一帶の生ずる豐滿凸起は、すなわち君主が賢臣の護衛を得て作為ある能わしとし、ゆえにそれは官祿を主る部位である。「司空」のこ個の名字に至っては、本來國家の柱石の臣・六部の長官の官名である。ここに若し骨の高聳あれば、竪に長ずるを「玉柱骨」と呼び、横に長ずるを「華蓋骨」と呼び、皆大貴の格局で、驚人の偉大事業を做出し得るを主る。ここに若し凹陷して痕を帶び・削薄單弱なれば、それはすなわち賢良柱石の臣の來りて君主を護衛するなく、祖業は挫を受け、本人は鄉を離れて勞碌するを要し、顯貴の名声ある可能ならず。(按:原文の「護徫」、當に「護衛」と作るべし。)
如此地有黃紫明潤之色,主升遷進職,獲功得名,而有委任至,常人亦主進財得利,及得喜慶之音信也。如有赤黑枯慘之色,主罷官去職,牢獄拘留,而受處罰之兆;常人亦主挫折失敗,官訟牽連,是非連累;其最輕者,主脹滿痞塞之疾。如人君之失輔,而反受讒侫之蒙蔽也。原名華蓋,令則更名曰前衛,即護衛之義而名之也。
こ一帶に若し黄紫明潤の色を現ずれば、升遷進職・功を立て名を成し、併びて委任狀の下來あるを主る。平民もまた財を進め利を得、あるいは喜慶の音信を收到するを主る。若し赤・黑・枯・慘の色を現ずれば、官を罷め職を去り・拘押されて獄に入り・處罰を遭受する先兆を主る。平民もまた挫を受け失敗し、官司に牽連され、是非に拖累されるを主る。應ずる最も輕きも、もまた脹滿痞塞の類の病である。これすなわち好比如君主が輔佐を失去し、かえって奸佞讒言に蒙蔽せらるるがごとし。ここは原名華蓋、如今我は改名して「前衛」と呼ぶ、取るは正しく前に護衛するの義である。(按:原文の「令則更名」、「令」は當に「今」と作るべし。)ここの主る所は、全て「輔」の字に在り。輔あれば則ち成り、輔を失えば則ち敗る。
五、印堂在兩相對之中心點,是為全面部之君主,故號元首。以全面部測之,則居全部之中上地位。其地有骨高起上聳,即玉柱骨之連帶;有骨橫過,而至眉尾之福堂,名曰金城骨,皆主大貴之格局也。即金城湯池,而為帝王建都之所,故名金城骨也。內屬心部之正繫,為全身之主宰,故醫學曰:心為君主之官,神明出焉。其地以開闊方楞、豐隆高突為貴,如創業賢明之君;其地以窄弱陷痕為賤,如失業昏憒之君。
第五處、「印堂」は兩眉の相對する正中の一點に在り、全臉の君主で、ゆえに「元首」と稱作す。就ず整個の面部を量度すれば、それは全臉の中上の部位に居る。ここに若し骨の高高として上に聳起あれば、それは玉柱骨の連帶。若し骨の横貫して過ぎ・一直線に眉尾の福堂に連なれば、すなわち「金城骨」と呼び、皆大貴の格局を主る。所謂金城は、本來金城湯池・帝王の都を建つる所在を指す、ゆえに名を取りて金城骨とす。印堂は内に心の正系を配属し、全身の主宰で、ゆえに醫書上に說く「心は君主の官、神明ここより出づ」と。こ一處は生ずる開闊方正して棱あり・豐滿高突を以て貴しと為し、好比基業を開創する賢明の君。生ずる窄小單薄・凹陷して痕を帶ぶるを以て賤と為し、好比江山を丢了の昏聵の君。一面の上、衆處は皆ここに命を聽く、ゆえに印堂の斷ずる准ければ、全局もすなわち主腦有り。
如有懸針,主凶死及刑人丁;如有紋痕,主破敗刑傷及勞碌。故達摩云:印堂光明眉不鎖,三十功名可。余考印堂黃紫明潤,主進權升官,常人則主喜慶進財;其它如有紅赤黑黯各氣色,皆主國亡家破,飛災橫禍,立見死亡也;其輕者亦主牢獄枷鎖,損人破財,憂愁疾苦之類也。如有浮膩青滯之色,則主冷退驚疑,及最不滿意之事,或失權罷職,連帶遺累之患也。今更名曰元首,即外應君主之尊也;又名曰靈合,即內應於心之義也。
印堂に若し懸針紋あれば、非命に死し併びて家中の人口を刑克するを主る。若し別の紋痕あれば、破敗・刑傷と勞碌を主る。ゆえに達磨說く、印堂光明・雙眉鎖せず、三十歳の上に功可期すと。我は印堂の氣色を考察す。黄紫明潤を現ずるは、權を得官を升るを主り、平民は則ち喜慶あり・財を進むを主る。若し紅・赤・黑・黯の幾種の氣色を現ずれば、皆國破れ家亡び・飛來の橫禍を主り、立時に便ち死亡を見る。應ずる輕些きも、もまた牢獄枷鎖・人を折り財を破り・憂愁病苦の類。若し浮腻青滯の色を現ずれば、家道冷落・心に驚疑を生じ、最不稱意の事に遇上り、あるいは權を失い職を罷め、併びて連帶拖累されるを主る。ここは如今我は改名して「元首」と呼ぶ、それが外に對し君主の尊に應ずるの義を取る。また「靈合」と呼ぶ、それが内に對し心に應ずるの義を取る。(按:原文の「三十功名可」の句の下に疑わくは脫字あり、通行本は「三十功名可立成」と作る。)
六、兩眉為文采之官,內屬肺臟之正繫。肺主憂思,故有不遂之事,先見於眉,而兩眉焦亂,謂之愁眉是也。醫學又有肺屬皮毛之說,眉為毛屬,是肺之正繫,故醫學又名曰華蓋,蓋形象衛心之義。余考肺張兩葉以衛心,針炙大成銅人圖之肺俞穴,在兩肘之扇骨中,可見與亶中繫平行式,此其為肺繫之鐵證,不如心包絡之為華蓋較確實也。
第六處、兩眉は文采を掌る官星で、内に肺臟の正系を配属す。肺は憂思を主る、ゆえに人に心に遂わざる事あれば、先ず眉頭の上に現出す――兩眉が焦枯散亂すれば、便ち「愁眉」と呼ぶ。醫書上にまた肺が皮毛を主るの說法あり、眉毛は毛髮の一類に属し、ゆえに肺の正系である。醫家もまたこに因って肺を「華蓋」と呼ぶ、取るは形狀が傘蓋に象り・心臟を護衛するの義である。我は肺が兩葉に分かれ張開して心臟を護るを考察し、『鍼灸大成』の銅人圖上の肺俞穴は兩肘扇骨の間に在り、見るべしそれと膻中の一系は平行相對、これすなわち眉の肺系に属する確證である。不過「華蓋」のこ個の名號を論ずれば、還は心包絡の上に用るをさらに確切と為す。
故相學有問名在眉客說。凡人深思不決,則皺眉不展。此地以修長清秀、上豎有威為貴名,多輔佐而有權,及有特智英明,不學而成;如短促粗濁、焦亂濃俗,主勞碌失輔,而多貧賤,及愚拙不堪,反覆無成。其下之三陽,則為肺肝相連之繫,每有喜怒之事,多見於眉目之間,故為文采之官,禮義出焉。凡有肺病者,其眉枯燥而無潤色。今更名曰輔弼,即左輔右弼之義,因接近印堂而名之也。
ゆえに相學の裏に「名を問うは眉に在り」の說法あり。およそ人の深思して決し難き時は、總じて眉頭を皺りて舒展して開かず。こ一處は生ずる修長清秀・上に竪起して威勢あるを以て佳と為し、貴名あり・幫手多く權柄を握有し、且つ天資特別聰明・怎麼學ばずとも事を成し得るを主る。若し生ずる短促粗濁・焦亂濃俗なれば、則ち勞碌して幫襯を失去し、多半貧賤、人と為りて愚鈍堪えず、事を做すに反反復復して一成する所なし。眉下の「三陽」は、肺と肝と相連の一系で、人は一たび喜怒あれば、多半先ず眉眼の間に現る、ゆえに眉は文采を掌る官星と說き、禮義ここに由りて顯現す。およそ肺病を害する人は、眉毛皆枯燥して潤沢の色なし。ここは如今我は改名して「輔弼」と呼ぶ、左輔右弼の意思を取る、それが緊く印堂に挨ればなり。(按:原文の「問名在眉客說」、「客」は當に「之」と作るべし。)
七、眉尾之稜骨,為三角形式,原名丘陵冢墓,蓋陵墓者,小山之義也。稍退一線,即為福堂,內屬兩腋之應繫,亦為兩腋之連帶繫。凡腋毛粗濃而多,其眉尾亦粗濃而多也;凡腋毛柔細而少,其眉尾亦柔細而少也。故眉尾有病,則腋之左右亦有痣,此上下相應之一鐵證也。其地以高起而有三角稜骨者,應進外財,及得流通之財源也,故西人名之曰蓄財骨,亦外財庫之同一義也;如陷弱不起,則主外庫無財而不聚也。
第七處、眉尾の棱骨は三角の形狀を呈し、原名は「丘陵」「冢墓」――所謂陵墓は、すなわち小山の義である。稍稍後に退きて一線、すなわち「福堂」で、内に兩腋の應系を配属し、もまた兩腋の連帶系である。およそ腋毛の粗濃して多き人は、眉尾もまた粗濃して多し。腋毛の柔細して少なき人は、眉尾もまた柔細して少なし。ゆえに眉尾上に痣あれば、左右の腋下もまた痣あり、これは上下相應の一個の確證である。こ一處は高く起って三角の棱骨あるを以て好しと為し、外財を賺り得・周轉流通の財源を得着るを主る、ゆえに西洋人はそれを「蓄財骨」と呼ぶ、相家の說く「外財庫」と一個の意思である。若しここに凹陷單薄して起らざれば、すなわち外庫空虛・財を聚め住まざるを主る。(按:原文の「眉尾有病」、「病」は當に「痣」と作るべし。)腋毛を以て眉尾を驗ずるは、就ず體表の毛髮が同一源より出づるに立說す、これは公篤が自ら驗看する多年得來の經驗である。
此地有黃明紫潤之氣,則主外交得利,而有集思廣益,同舟共濟也。如有青膩之色,則主憂愁之信至,亦主小口舌,及交際失信而不生效,及事實遲延而不結束也。如有紅赤黑黯之氣,則主損失外財,而有官訟之糾纏、託人不力之阻礙、交際生是非、事實吃暗虧,亦主癰痕之災厄。今更名之曰曲肢,是為曲折支節之義,而名之也。
こ一帶に若し黄くして明亮・紫くして潤沢の氣を現ずれば、外に對する交往に利を得・思を集め益を廣くし・人と同舟共濟し得を主る。若し青くして黏腻の色を現ずれば、憂を報ずる書信の到來あるを主り、もまた些小の口角を生じ、交際の中に信用を失して事を辦し成らず、あるいは事情が拖延して了結し得ざるを主る。若し紅・赤・黑・黯の氣を現ずれば、外財の損を受け、併びて官司纏身・人に托して事を辦する得力ならずして受阻し・交際の中に是非を生出し・暗地裏に喫虧したを主る。このほかにもまた癰瘡の類の災厄を生ずるを主る。ここは如今我は改名して「曲肢」と呼ぶ、取るは曲折支節の義で、も正しくそれが内に兩腋に應ずるこ一層の關係に合す。
八、三陽在上眼皮之地位,上半部屬肺臟之連帶繫,下半部屬肝臟之通過繫,故內屬肺肝相連之並係,亦曰相通之應繫。相學原名三陽:一分左右,即左為三陽,右為三陰,此流之用以推也;一分上為三陽,下為三陰,此氣色之用以定位也。其地豐滿高平者,主享盛名於當時,又主壽根,又主多子女而貴名也。
第八處、「三陽」は上眼皮のあ個の位置に在り、上半部は肺臟の連帶系に属し、下半部は肝臟の通過系に属す、ゆえに内に在っては肺肝相連の併系、も相通ずる應系と呼ぶ。相學は原來それを三陽と呼び、分法に兩種あり。一種は左右に按じて分かち、左邊を三陽・右邊を三陰と呼ぶ、これは流年を推す時に用る。一種は上下に按じて分かち、上面を三陽・下面を三陰と呼ぶ、これは氣色を斷ずる時に用いて定位と為す。こ一處の生ずる豐滿して高平なるは、當世に盛名を享有するを主り、また壽元に根あるを主り、還主子女衆多して自身に貴名あるを主る。左右と上下のこ兩種の分法は各々各々の用處あり、混用す可からず。
其地上為肺氣而司下降,下為肝氣而司上升,一降一升,陰陽交姤。蓋肺金之氣而象兌之少女,肝之木氣而象震之長男,此部相連而相交,故能旺子女也。其地低窄,雖貴而無名;其地陷痕,子於女雖多而不立。故醫家以肝絡為厥陰傳陽之機樞也。其地黃青而潤,主生貴子之喜慶,是得長男之氣色也;其地紫紅而潤,主生貴女之喜慶,是得中女之氣色也,亦主得名而立善功,平安而享大壽。
こ一處の上半は肺氣に属し、下降を主管す。下半は肝氣に属し、上昇を主管す。一降一升、陰陽交合す。肺は金氣に属し、卦象上は兌卦の少女に應ず。肝は木氣に属し、卦象上は震卦の長男に應ず。こ兩處は相連にして相交る、ゆえに子女興旺を主り得。ここに生ずる低く窄きは、貴なりと雖も名声なし。ここに凹陷して痕を帶ぶるは、子女多しと雖もも立て住らず。ゆえに醫家は肝經を厥陰が陽經に傳變する樞紐と看作す。こ一帶の氣色が黄の中に青を帶びて潤沢なるは、貴子を生ずの喜事を主り、それは長男の氣を得たり。氣色が紫の中に紅を帶びて潤沢なるは、貴女を生ずの喜事を主り、それは中女の氣を得たり、同時にもまた名声を得・善功を立て・平安して大壽を享くるを主る。卦象を以て子女に配すれば、青は震木に属して男に應じ・紅は離火に属して女に應ず、これは氣色で子息を斷ずる取法である。
其地浮膩暗枯,多主憂愁不遂,結怨招非,牽制遺累,多見駁雜之事實也。其地黑滯如溼灰,其人主死亡之災,故麻衣云:黑掩三陽,盧醫莫救。蓋水為坎卦,先天為坤體,故生我者死氣也,我克者廢氣也,此半屬肝木之絕而廢也;坤土生金亦死氣,雖有坎水之旺,而土制之,是為孤陰,此半屬肺金之絕而孤也。
こ一帶に若し氣色の浮腻昏暗枯槁なれば、多く心中の憂愁・事情不遂・人と怨を結び是非を招惹し・牽制拖累され・遇上るは多く紛雜にして理り難き事を主る。若し氣色の黑を發して呆滯し濕灰の一般なれば、こ人は便ち死亡の災あり、ゆえに麻衣說く「黑掩三陽、盧醫莫救」――すなわち扁鵲のあの樣の名醫もも救い得ず。ここの道理は、黑色は水に属し・坎卦と為り、坎は先天方位上に本來坤位なれば、ゆえに我を生ずる一方はかえって死氣と成り、我の克つ一方は廢氣と成る、こ一半は肝木絶して廢と成るに應ず。而して坤土は金を生ずも本も死氣に属し、縱令坎水旺相あるも、却って土に制されて孤陰と成る、こ一半は肺金絶して孤と成るに應ず。
其地有赤慘之色,主損人丁,或主危險驚災,重病大敗之例:一為私德喪失,而種惡因之結仇;一為飛災瘟疫,而塞竅關之危機。蓋因不升不降之障礙,以應其事實也。原名三陽,今更名曰交關,即上升下降之地,而交通之義以名之也。
こ一帶に若し赤くして慘淡の色を現ずれば、家中の人口を折損し、あるいは凶險驚災・大病大敗の類の事に遭遇するを主る。こういう類の事の來路は兩種あり。一種は自ら私德に虧あり・惡因を種下して仇怨を結下す。一種は飛來の災禍と瘟疫、氣機の竅關を堵塞し住む。總歸皆該升するが升せず・該降するが降せず、氣機受阻すればなり、初めてこららの事を應出す。ここは原名三陽、如今我は改名して「交關」と呼ぶ、それが正しく氣機の一升一降の交會する地なればなり、相互交通の意思を取りて命名す。
九、山根在兩目相對之中心,鼻部之上接印堂處。醫學有稱為心臟者,有名之曰王宮者,其分經別絡,頗為不宜。相學原名曰命宮,而專司疾厄,先天之遺傳病,在此部位分別也。余考內屬亶中之連帶繫,乃心之後護衙,非心臟之本係;又為督脈之通過繫,直達腎絡也。如以之為王宮,尚可解說;如以之為心臟,則完全不符矣。
第九處、「山根」は兩眼の相對する正中に在り、鼻部が上に向かって印堂に接連する處である。醫家にそれを心臟の應ずる所と稱するあり、もそれを「王宮」と呼ぶあり、こうして經を分かち絡を別する很に妥當ならず。相學は原來それを「命宮」と呼び、疾病災厄を專管し、先天の帶來する遺傳病は、すなわちこ一處に分辨す。我が考察に據れば、それは内に膻中の連帶系を配属し、心臟の後面の護衛で、併び心臟の本身の正系に非ず。同時にまた督脈の經過する處で、一直線に腎經に通ず。若しそれを王宮と呼ばば、還だ講じ通る。若しそれをすなわち心臟と說かば、それは完全に對い上げず。(按:原文の「亶中」、當に「膻中」と作るべし。「后護衙」、「衙」は當に「衛」と作るべし。)
蓋相學命名曰山根,即人之根基而關祖業也,或人之命根而關壽數也。此地為腎絡之通過繫。余考其部位,氣多血少,凡人之先天稟受弱者,必見青筋橫露以表示之,則有遺精腰痛骨酸之病以應之;如人之後天戕者,必見青黑橫露以表示之,亦有精枯冷滑、腦弱陽萎、腰痛智昏之病以應之。小兒有青黑橫于山根,則有腎氣之痛症,有云蟺氣者,或遺溺之疾厄,有應驚癎者,此其先天不足之證,而失護衛之權也。
相學はそれを「山根」と呼ぶ。一層はそれが人の根基・祖上産業に關係すると說く。一層はそれが人の性命の根・壽數の長短に關係すると說く。ここは腎經の通過する處である。我はこ一部位を考察するに、氣多く血少し。およそ先天禀賦弱の人は、ここに必ず青筋の横露を現じて標志と為し、應ずるは遺精・腰痛・骨節酸軟の類の病。およそ後天に身子を戕傷した人は、ここに必ず青黑の色の横露を現じて標志と為し、應ずるは精氣枯竭・滑泄畏寒・腦力衰弱・陽事不擧・腰痛神昏の類の病。小兒の山根上に青黑の橫紋を現ずるは、腎氣作痛の症あるを主り、もすなわち俗稱の疝氣、あるいは尿床、も驚風癇症の上に應ずるあり。これらは皆先天不足の證據で、こ一處が護衛の力を失去せるを說明す。(按:原文の「后天戕者」、「戕」の下に疑わくは「傷」字を脫す。「蟺氣」はすなわち「疝氣」。)
此地如高起有骨,即玉柱骨,主大貴而壽。如豐隆上貫,主享前人遺產豐富,及有壽徵也。如陷弱而低,主前人無遺產,或為不壽也。如山根黃明紫潤,有應進田宅,及本身強健,一歲平安也。如有赤黑之氣,主死厄之災。如有一點紅赤色如豆大,亦主湯火災,或焚燬房屋也。如有青浮滑膩枯慘各色,皆主病厄,不過以何時而現何色,主何類之病災也。今更名曰後衛,即護衛之義也。
こ一處は若し高く起って骨あれば、すなわち「玉柱骨」、大貴にして且つ長壽を主る。若し生ずる豐滿隆起・上に貫通すれば、前人の豐厚の産業を承受し得を主り、も長壽の相を帶ぶ。若し生ずる低陷單薄なれば、前人に産業の留下なし、あるいは本人が長壽せざるを主る。山根に若し黄くして明亮・紫くして潤沢の色を現ずれば、田宅を添置し、本人の身子強健・こ一年平安で事なしに應ず。若し赤黑の氣を現ずれば、致命の災厄あるを主る。若し一點の紅赤色・大小豆のごときを現ずれば、も燙傷火傷の災、あるいは房屋の焚毁さるるを主る。若し青浮・滑腻・枯慘の諸色を現ずれば、皆疾病災厄を主る、ただ何の時令に何の顏色を現ずるかを看て、これに據りて何の一類の病災かを斷ずべし。ここは如今我は改名して「後衛」と呼ぶ、取るは正しく後に護衛するの義である。
十、兩目原名監察官,內屬肝臟之正繫。目者木也,而肝屬木,即兩目之機樞也。醫家有五輪之說,而根據五臟之繫,似為理說家之理想耳。蓋兩目完全屬肝繫,肝為剛臟,有洩無補,何得稱五輪為五臟之繫耶?又何得以兩目為五臟之精華耶?想是八脈繫於肝腎之誤會耳。故醫學云:喜則傷心,怒則傷肝,憂則傷肺,思則傷脾。凡人逢盛怒之下,與極痛心之時,可以失明,而言其兩目也。
第十處、兩眼は原名「監察官」、内に肝臟の正系を配属す。眼睛は五行に木に属し、肝もまた木に属す、ゆえに肝は正しく兩眼の樞機である。醫家に「五輪」の說法あり、眼を分かちて五臟に属す、看來ただ理論を講ずる人の憑空に構想するのみ。知るべし兩眼は完全に肝のこ一系に属し、而して肝は剛臟、ただ宣泄し得て補益し得ず、怎麼五輪が分かちて五臟に属すと說かん、又怎麼兩眼が五臟の精華と說かん。我想るにこれは奇經八脈を肝腎に係るこ一層の意思を弄誤會したものである。ゆえに醫書上に說く、喜は心を傷り、怒は肝を傷り、憂は肺を傷り、思は脾を傷ると。人の盛怒の下にあるいは極度に心を傷る時は、會して失明するあり――こ說くは正しく兩眼が肝の管に歸する、怒氣一たび動けば、先に傷るはすなわちこ一處なり。
又醫家治目病,平肝第一法,疎肝第二法,洩肝第三法,此兩日為肝繫之鐵證。又另立補腎益水之一法,蓋腎為水而肝為木,水為木之母,本為水之子。古人立治療法,用處則補其母,實則洩其子,肝臟有洩無補,故用補水以濟其木耳,此兩目為肝繫之鐵證又一也。
さらに醫家の眼病を治するは、第一法は肝を平し、第二法は肝を疏し、第三法は肝を泄す、これすなわち兩眼が肝系に属する確證である。このほか別に一條の腎を補い水を益すの法を立つ。腎は水に属して肝は木に属し、水は木の母親、木は水の兒子。古人は治法を立て、虛證は則ちその母を補い・實證は則ちその子を泄す。肝臟はただ泄し得て補う可からず、ゆえに水を補うに藉りて木氣を滋養す。これはまた兩眼が肝系に属する一個の確證である。(按:原文の「此兩日為肝系」、「日」は當に「目」と作るべし。「本為水之子」、「本」は當に「木」と作るべし。「用處則補其母」、「用處」は當に「虛」と作るべし。)
余考情慾過度,其目之神黯而光淡,尚不至完全毀壞也;惟癖愛孌童,其目背光而無形,減少目力,亦不至完全毀壞也;惟盛怒之過度,傷痛之過餘,則先起血絲而光黯,次起蒙翳而烏珠壞,此兩目為肝繫之鐵證第三也。又八脈繫於肝腎,而為人之總樞紐,可見其重要也。
我はまた考察し過ぎたり。情慾過度の人は、眼神昏黯・目光淡薄、還だ完全に壞掉するに至らず。斷袖の癖ある人は、眼睛が光を怕れ・物を看て模糊・目力減退、も還だ完全に壞掉するに至らず。ただ大怒過度・傷痛過甚の人のみ、先ず眼裏に血絲を起し・目光轉暗し、接着翳障を生出して烏珠敗壞す。これは兩眼が肝系に属する第三個の確證である。さらに奇經八脈が肝腎に係るは、人身の總樞紐、見るべしこ一處の何等か緊要なるを。上に擧ぐる三證は、皆我が親自驗看した所で、憑空の推想に非ず。
故烏珠透黃,為奇貴之特權;烏珠玄黃,為上貴之重權。眼神清潤而充,亦主英明多才智,而有貴名之事業也。故其神忽孌、神忽脫、神忽退、神忽定,皆主凶亡之災厄也。原名監察官,今更名曰機樞,即因其地位重要,而有生死關係以名之也。
ゆえに烏珠の裏に黄光を透出するは、奇特の貴・特殊の權柄を握有するを主る。烏珠が深黄して玄黄の色のごときは、上等の貴・重權を握有するを主る。眼神が清朗潤沢して飽滿なるも、も人が聰明睿智・名望ある事業を成就し得るを主る。反るに、若し眼神が忽然樣を變え・忽然渙散し・忽然退縮し・忽然呆定して動かざれば、皆凶死の災厄あるを主る。ここは原名監察官、如今我は改名して「機樞」と呼ぶ、それが地位緊要・直に生死に關涉すればなり。(按:原文の「神忽孌」、「孌」は當に「變」と作るべし。)
十一、烏珠之內有瞳人一點,在靈晶垣之中心,為子賢之正繫,亦肝腎之連帶繫,為人真火真水之源本也。故修煉家以此為精靈之地,乃水火既濟之處,而合真氣慧劍也。如煉成方瞳,則是仙品有道之士也。本係通膀胱之子腎,不是督脈之腰腎也。
第十一處、烏珠の當中に瞳人の一點あり、位置は「靈晶垣」の正中に在り、子嗣の賢否の正系で、も肝腎の連帶系、人身の真火真水の本源と為る。ゆえに修煉する人はここを精靈の聚まる所の地と看作し、水火既濟の所在、真氣と慧劍とここに會合す。若し修煉して瞳孔が方形を現出するに到らば、便ちそれは仙品の一流の有道の士である。こ一系の通ずるは膀胱の連る所の子腎で、督脈の連る所の腰腎に非ず。
