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《公篤相法》上篇巻一

民国 · 陈公笃 · 第3巻 / 21

余考石室賦相傳已久,錯訛尤多。壬戌年余初版之簡明相法,雖加詳註,然末盡善處尤多;壬申餘復加研究,又以刻下天道人事兩相比較,其驗者另注以證實,其不驗者另注以改正,文字更加推敲,事實尤擇應徵。故此次之原文稍有出入,繫餘或加或刪或改正,皆從經驗與天時人事相合而為用也。茲特錄此,以待後之高明而評其然歟否歟。

我《石室賦》の流伝已久しく、その中の錯訛特別に多きを考察す。壬戌の那一年、我が初版の《簡明相法》は、詳細の批注を加えたりと雖も、未だ盡せざる完善の地方仍旧少なからず。壬申年に到りて我また重新に一遍研究し、併せて当下の天道と人事と両々相比較す:応験するは別に批注を加えて以て証実し、応験せざるは別に批注を加えて以て改正し、文字上さらに推敲の工夫を下し、事例上尤も確かに応徴あるものを挑選す。ゆえにこの次錄出する原文は旧本と略有出入あり、それ皆我あるいは増しあるいは刪りあるいは改正したる所、一概に経験に本づき、併せて天時人事と相合して、以て実用を求む。今特にそれを抄録してここに置き、後来の高明の士が一評するを待つ:究竟是れ对なるか、それとも不对なるか。

麻衣金鎖賦

六害眉心親義絕,攙如秋水圓還缺,克妻刑子老不閒,作事弄巧反成拙。眉為文采之官,禮義所關之地,以清秀為合格,柔細為名貴。如順拂修長,主兄弟和睦而有輔助;弩曲主子多而貴;高起王壽。如粗濃主惹是招非,間斷散亂主損失駁雜,有內顧憂而外仇怨,故有六害之說。六害者,六親也,故有親義絕三字。人處社會中,甚麼有親,甚麼有義,而柳莊指為六種害,是其錯誤之點,閱相法者勿為其所誤也。

歌訣に言う:眉心「六害」を帯ぶるは、親情道義皆断絶す。眉毛秋水のごとく摻乱し、時に円く時に缺ゆ。妻を剋し子を刑し、老いて清閑を得ず。事を做し巧を取らんと想えばかえって拙を弄す。公篤の批注:眉は文采を主るの官にして、また礼義に関わるの處、清秀を以て合格と為し、柔細を以て名貴と為す。眉毛順拂して修長のは、兄弟和睦にして能く互相に幇襯するを主る。眉が弯弓のごときは、兒子多くして且つ貴を主る。眉毛高起のは、長寿を主る。もし粗濃ならば、則ち是を惹き非を招くを主る。もし中断散亂ならば、則ち損失駁雑を主り、家裏に憂心事あり・外頭に仇怨あり、ゆえにこそ「六害」の説法あり。いわゆる六害は、即ち六親、因りてこそ「親義絶」の三字あり。人生社会の裏、何をか親と叫び何をか義と叫ぶ、各々分際あり。柳荘却ってそれを六種の害と指作す、これ正に彼の錯處、相書を讀む人は彼に誤導せらるること勿れ。

山根斷為早虛花,祖業飄零必敗家,兄弟無緣離祖宅,老來轉見事如麻。山根斷為兩大項:一為祖業破敗,根者,根基之謂也;一為壽數夭亡,根者,命根之謂也。如兄弟忤逆、老來勞碌,皆不合原理,如以勞碌論之可也,其虛花飄零四字合法。

歌訣に言う:山根断ゆるは、早年一場の虚花。祖上の産業飄零し、必定家を敗す。兄弟と縁なきして祖宅を離れ、老いてなおさら事情の紛乱麻のごときを覚ゆ。公篤の批注:山根断は両大項に分かつべし:一は祖業破敗、ここの「根」は根基を指す。二は寿数早夭、ここの「根」は命根を指す。兄弟忤逆・老来労碌と言うに至っては、皆原理に合せず。もしただ労碌に按じて講ずればなお説き過ぎ得。「虚花飄零」の四字は却って法度に合す。

眉交神悴面如灰,愛管是非常掛懷,冷眼見人笑一面,不知毒從暗中來。雙眉鎖印為交,上下交叉亦為交,一主刑剋人丁而多累,一主駁雜爭端而多仇。神悴言其銳急而動氣憤,面灰言其枯暗而塵滯,皆一成一敗也。冷笑主陰險刻薄而毒,亦主聰敏而智,亂世貴者亦有之。

歌訣に言う:両眉交連し・神情憔悴・面色灰のごとき人は、是非を管することを好み・心裏老いて事を搁えり。冷眼を以て人を看て半辺の笑を挂く、毒計まさに暗處より来るを知らず。公篤の批注:両眉が印堂を鎖住するを「交」と叫び、眉毛上下交又するもまた「交」と叫ぶ:前者は家中の人口を刑剋して拖累多きを主り、後者は事情駁雑・争端多くして仇を結ぶ多きを主る。「神悴」は神気尖鋭急躁にして怒り動きやすきを言い、「面灰」は面色枯暗にして塵を蒙るを言う、皆一成して一敗するの相なり。冷笑は陰険刻薄にして毒を主り、同時に聡敏にして智謀あるをも主り、乱世の裏の貴人にもこの種の相を生ずるあり。

乍逢滿面有精神,久看原來色轉昏,似此之人終短壽,總然有壽亦孤貧。此言假精神之格也,每以凝神聚氣而不耐久,放久看而變為昏沉似脫,或浮淡無根,是為先天不足、後天虧損,故有短壽之評。若出孤貧之人,亦主不壽,何為孤壽之說耶。

歌訣に言う:乍ち面を見れば満臉精神、看る久しければ元来気色転じて昏し、このようの人は終に短寿、縱い長寿なりともまた孤苦貧寒。公篤の批注:これは「假精神」の格局を言う。この種の人は往々にして能く一時神を凝し気を聚む、されど久看に經えず。看ること久しければ即ち昏沉して脱せんと欲するに変わり、あるいは浮淡にして根なし、これは先天不足・後天虧損、ゆえに彼を短寿と断ず。もし孤苦貧寒の人の身に出ずれば、同様に長寿ならざるを主る。いずくんぞなお又孤く又寿の説法を談ぜんや。

讀盡詩書生得寒,文章千載不為官,平生縱有沖天志,怎奈鶯雛翼未乾。寒字為形容詞也,古法指為如雨中之雞、落水之貓。餘分別如下:雨中之雞為形寒,鼠食淋漓為口寒,不淚似淚為神寒,不愁似愁為氣寒,音破不收為聲寒,眉濃皺重為眉寒,搖頭抖足為身寒,塵垢浮膩為色寒,欲言而止、吞吐支吾為心寒,心亂常怯、恍憾憂慮為膽寒,得意反為失意、忘恩記怨為意寒。如有寒字之格局,雖有才智及文章可以傳世,皆無發達之期,猶如雛鳥之羽毛不豐,當然不能高飛。蓋相可勝文章,福可勝才智。孰謂千古以來成大功、立大業,豈皆有特殊才智耶?千古以來守困窮而埋沒山林,豈皆無特殊才智耶?

歌訣に言う:詩書を讀盡しども一副の寒相を生ぜり、文章千載を伝うとも官を做し上ぐることなし。平生縱い冲天の志あるも、无奈雛鶯の翅膀の上の毛未だ乾かず。公篤の批注:「寒」は個の形容詞、古法それを形容して雨裏の鶏・落水の猫と為す。我それを分辨して下のごとし:形貌が雨中の鶏に似たるは、「形寒」。吃相鼠のごとく湯水淋漓のは、「口寒」。涙を流さざれど涙を含むがごときは、「神寒」。憂愁なきども愁を帯ぶがごときは、「気寒」。声音破れて収め止まらざるは、「声寒」。眉毛濃くして眉頭緊皺のは、「眉寒」。頭を摇ぎ脚を抖るは、「身寒」。面色灰垢を蒙りて浮膩のごときは、「色寒」。言わんと欲してまた止み吞吐支吾のは、「心寒」。心裏慌亂常に怯え恍惚憂慮のは、「胆寒」。得意をかえって失意と作し・人の恩を忘れて人の怨を記るは、「意寒」。凡そ「寒」の字を帯ぶるの格局は、縱い才智あり・文章以て世を伝うに足るとも、発達するの日子なし、雛鳥の羽毛未だ豊ならざるがごとく、当然高く飛ぶ能わず。元来相は文章に勝るべく、福は才智に勝るべし。誰か言わん千古以来大功を成し大業を立つる人、個個皆特出の才智ありと。千古以来困窮を守り山林の裏に埋没する人、また個個皆特出の才智なからんや。

面有寒毛止秀才,唇掀齒露更多災,終朝腳跡忙忙走,富貴前生末代來。寒毛為濃格常有,亦有責而奇特,成盛譽事業,有出貧賤之家,逼迫勞碌以成功,驚險挫折以發達,亂世多武貴也;亦有富而壽祿,中有刑妻刑子,內顧多憂,六親有累,亂世多暴發也。餘恐毛字為寒滯之誤也。

歌訣に言う:臉上に寒毛を生ずるは、功名ただ秀才に至るを以て止めり。嘴唇掀起・牙歯外露のは、災禍なおさら多し。終日脚停まらずして奔走す。富貴は前生の事にして、ここの一世の末もまた未だ必ずしも来らず。公篤の批注:寒毛は毛髪濃きの格局の裏に常にあり、その中にも貴にして奇特なるあり、盛大の声譽の事業を成就する能う。あるいは貧賤の家に出身し、形勢に逼迫せられ労碌奔走して成功し、驚険挫折を経歴して発達し、乱世の裏に多く武職の貴人と成る。あるいは富みて寿禄を享くるもあり、その中に妻を刑し子を刑するを夾み、家裏に憂心事多く、六親に拖累あり、乱世の裏に多く暴發起家す。我この「毛」の字は「寒滞」の誤りなるを疑う。

上亭短兮下亭長,多成多敗道空亡,縱然管得成家計,猶如烈日照冰霜。上亭為天,下亭為地,凡格局皆注重天亭,占百分之四十五分也,故以天勝地之格為吉,地勝天之格不吉。亂世則有上亭弱而發達也,不過前業破敗,異鄉立業。餘以形神氣參看,方為合法。

歌訣に言う:上停短くして下停長きは、成すこと多くして敗るることも多く、到頭一場の空。縱い勉强して個の家業を撑起すとも、烈日の氷霜の上に照るがごとく、转眼にして即ち化す。公篤の批注:上停を天と為し、下停を地と為す。凡そ格局を看るに皆天停を注重し、それは四十五分の分量を占む。ゆえに天の地に勝つの格局を吉と為し、地の天に勝つの格局を不吉と為す。乱世の裏にも上停弱くして照様発達するあり、ただし總て前人の家業破敗し、外郷に到りてこそ業を立て得。我形・神・気の三様を合せて参看するを主張す、こそ算法に合す。

下亭短兮上亭長,必為宰輔侍君王,若是庶人生得此,金銀珠玉滿倉箱。按上亭高廣,主有貴名壽徵及餘蔭之世澤,坐享前人之厚福,父母亨吉而無刑剋,不過清閒居多,盛衰皆然也。其貴者,又以伏犀骨大小方圓為定也。

歌訣に言う:下停短くして上停長きは、必定宰輔を做して君王に侍奉す。もし是れ平民このように生成せば、亦是れ金銀珠玉倉箱に堆満す。公篤の批注:上停高くして寛廣のは、貴名あり・寿征あるを主り、なお祖上余蔭の世沢あり、前人の留下したる厚福を坐享する可く、父母安吉にして刑剋なし。ただし多く清閑に偏し、盛世も衰世も皆是れ此のごとし。貴のいずれの程度に至るかに至っては、なお伏犀骨の大小方円を看て以て定むを要す。

形愛恢宏又怕肥,恢宏榮華肥死期,二十以上肥定死,四十形恢定發時。宏者言大度安閒也,恢者言積極有為也,恢宏連貫,言其器量大而氛魄亦大,心安而定,貌和而潤,當然為發達之形格。凡少年皆忌肥浮不實,其原質肥者不忠,忽然發肥者最忌,故有二十發肥三十死、三十發肥四十亡之說。余考肥而實者多延十年:二十發肥四十死,三十發肥五十亡;肥而不實者,二十發肥三九死,三十發肥四九亡,尚不足十年之數也。蓋男以九數,女以八數,為定論故也。

歌訣に言う:形体は恢宏を喜ぶ、されど肥ゆるを怕る。恢宏は栄華を主り、肥胖は死期なり。二十歳以上にして胖を発すれば必ず死す、四十歳にして形体恢宏は正に発達の時。公篤の批注:「宏」は気度大にして安閑を言い、「恢」は積極にして作為あるを言う。「恢宏」の両字連なりて、器量大にして気魄もまた大・心安くして定まり、容貌和悦にして潤沢を言う、当然発達の形格なり。凡そ少年人は皆肥えて虚浮不實を忌む:本来体質即ち胖なるはなお壊れすぎず、忽然として胖を発するは最も忌む。ゆえに二十歳に胖を発し三十歳に死し、三十歳に胖を発し四十歳に亡ぶの説法あり。我考察し下るに、肥えて結實なるは多く十年を延長する能う:二十歳に胖を発し四十歳に至りて死し、三十歳に胖を発し五十歳に至りて亡ぶ。肥えて不實なるは、二十歳に胖を発し二十七歳に死し、三十歳に胖を発し三十六歳に亡ぶ、十年にも及ばず。これは男子は九を以て数と為し・女子は八を以て数と為し、定論と作すの縁故なり。

瘦自瘦兮寒自寒,寒瘦之人不一般,瘦有精神終必發,寒雖形彩亦孤單。瘦人以神為轉移,故瘦而有神者為神過於形,當然發達;瘦而無神則為夭亡之格。寒者詳上,雖有奇才終無發達。彩者,光彩也,寒者無彩,想彩字餘疑為厚字之誤,寒中何有彩來。按彩為光潤而異色也,寒為塵滯而枯垢也,故寒彩二字最相反而不相類也,何能誤於此?想繫後人翻印之訛耶。

歌訣に言う:瘦せるは瘦せるなり、寒は寒なり、寒と瘦との両種の人は一樣ならず。瘦せて精神あるは終に発達せんとす、寒なるは即ち形貌に光彩を帯ぶともなお孤単なり。公篤の批注:瘦人は神を以て転移と為す。ゆえに瘦せて神あるは、即ち神の形に勝るなり、当然発達せん。瘦せて神なきは、即ち夭亡の格局なり。「寒」の字は前にすでに詳説せり、この種の人は縱い奇才あるとも、終に発達の日なし。「彩」は即ち光彩、寒の人は光彩あることなし。我この「彩」の字は「厚」の字の誤りなるを疑う——寒の裏にいずこよりか光彩を来たさん。按ずるに「彩」は光潤にして異色を帯ぶ、「寒」は塵を蒙り滞暗にして枯垢、寒と彩の両字は最も相反して類を同じくせず、どうしてここに誤りを誤らん。想うに後人の翻印の時に抄錯せるか。

色怕嫩兮又怕嬌,氣嬌色嫩不相饒,老來色嫩招辛苦,少年色嫩命不牢。嫩字為浮艶而膩,氣嬌為浮麗而紅,故有辛苦夭亡之說。凡老人色嫩,主刑人丁而孤苦,如形局好者,有孫而無子;少年色嫩主夭亡,一主破產而後轉變也。火形不忌紅嫩,亦發達而多勞也。

歌訣に言う:気色は嫩を怕れ、また嬌を怕る。気嬌にして色嫩なれば、誰も誰を饒すこと能わず。老いて気色嫩なるは辛苦を招き、少年気色嫩なるは性命靠り牢ならず。公篤の批注:「嫩」は浮艶にして膩を帯ぶ、「気嬌」は浮麗にして紅を発す、ゆえにこそ辛苦夭亡の説法あり。凡そ老人の気色嫩なるは、家中の人口を刑剋して孤苦を主る。もし形局好ければ、即ち孫子ありて兒子なきを有す。少年気色嫩なるは早夭を主り、また一種は先に産を破りて後に転好するあり。火形人は紅嫩の色を忌まず、かえって発達す、ただ労碌多きを要す。

眉要由兮最忌直,曲直愚人不得知,曲者多男又聰俊,直者刑妻又克兒。麻衣之法,此段頗驗,當五代時與刻下天道相似耶。凡眉曲多子女,雖人中平、淚堂陷皆有子女也;凡眉直者少子女,雖人中洫深、淚堂豐滿亦少子女也。又眉曲者為文貴,雖出於武人而做文官,秉文權也;眉平者多為武貴,雖出於文人而兼武職,領武權也。如前平尾曲,則為武改支職;如前曲尾平,則為文改武職。其刑人丁與旺人丁,皆以曲直為一定法,而盛衰之世道、厚薄之氣候皆然。

歌訣に言う:眉毛は弯なるを要し、最も筆直を忌む。曲直の分別は、愚人は懂らざるなり。眉曲なるは兒子多くして且つ聡明俊秀、眉直なるは妻を刑しまた子を剋す。公篤の批注:麻衣のこの一段は甚だ応験す、大概五代のあの時の天道は眼下と相似たるか。凡そ眉毛弯曲なるは子女多く、即ち人中平坦・涙堂低陷なりとも、照様子女あり。凡そ眉毛筆直なるは子女少なく、即ち人中深長・涙堂豊満なりとも、子女少なし。再び眉曲なるは文貴に属し、縱い武人に出身すとも文官を做し文権を掌る。眉平なるは多く武貴に属し、縱い文人に出身すとも武職を兼ね兵権を領す。もし眉前段平にして眉尾弯曲なれば、即ち武職より文職に改まる。もし眉前段弯曲にして眉尾平直なれば、即ち文職より武職に改まる。人口を刑剋するかそれとも人口を興旺するかに至っては、皆眉の曲直を以て定法と為し、世道の盛衰・気候の厚薄を論ぜず、皆是れ此のごとし。

鬍鬚清疏又宜稀,依稀見肉始為奇,最忌濃濁焦黃色,父在東頭子在西。上為琵,承漿為髯,下為須,側為胡,皆以清疏根根見底為合格,蓄之以重威儀華表也。最忌濃濁焦黃枯雜六字,蓄之主危險破敗,刑妻克子,輕則勞碌駁雜,惹是招非,故不可蓄。按亂世之鬍鬚關係極重,敗多益少,故不可勉強蓄之,是為開門揖盜,養為患,輕者亦奴欺其主、下犯其上。此條亦麻衣之精粹法也,惟四濃格方可蓄之,乃髮濃、眉濃、髭濃、胡濃,上下相合,而不受其欺凌,此合格之論也。

歌訣に言う:胡鬚は清疏なるを要し、なお稀に宜し、稀にして隠約に皮肉を見得るこそ奇と算す。最も濃濁焦黄の色を忌む、それは父東の頭に在り子西の頭に在る骨肉離散の相。公篤の批注:唇の上のを「髭」と叫び、承漿の処のを「髯」と叫び、下巴のを「鬚」と叫び、両側のを「胡」と叫び、皆清疏・根根底を見得るを以て合格と為す。鬚を蓄うるは威儀を増重し体面の表徴と作るがため。最も「濃・濁・焦・黄・枯・雜」の六個の字を忌む、これらを犯してなお鬚を蓄うれば、則ち危険破敗・妻を刑し子を剋を主り、軽きもまた労碌駁雑・是を惹き非を招くを主る、ゆえに蓄うべからず。按ずるに乱世の裏の胡鬚の関係は極めて重く、壊處多く好處少なし、ゆえになおさら勉强して蓄留すべからず、それは門を開きて盗を揖し虎を養い患と為すに等しく、軽きもまた僕人主を欺き下上を犯さん。この一条もまた麻衣相法の精髓なり。ただ「四濃」の格局のみこそ鬚を蓄うべし、即ち髪濃・眉濃・髭濃・胡濃、上下相配し、こそ鬚髪に欺かるるに至らず——これこそ合格の論法。

公篤曰:余考麻衣法之金鎖賦為第二章,較石室賦之法倍高,亦麻衣之精神也。當麻衣處五代末,為割據亂世,其法亦從衰時而定之,故與刻下之天道頗合,其國家局勢亦相等,而應驗者頗多。餘此次考證詳註,亦以此法為現代可用故也。原文雖僅五十二句、三百六十四字,其包括之處太多,閱是書者不可輕視而忽也。

公篤曰く:我麻衣相法の中の《金鎖賦》は第二章なるを考察す、その法度は《石室賦》より一倍高く出でたり、また麻衣精神の所在なり。麻衣は五代末年に身を處し、正に割据の乱世、彼の法度もまた衰乱の時に照りて定下せり、ゆえに眼下の天道と相当吻合し、国家の局勢もまた相仿し、因りて応験するもの多し。我のこの次詳しく考証批注を加うるも、また正にこの套の法子の今天に用い得るに因る。原文はただ五十二句・三百六十四字のみなりと雖も、包含するの内容は却って多すぎ、ここの書を讀む人は千万軽視忽略すべからず。

《公篤相法》上篇巻三

麻衣銀匙歌

股肱無包最是凶,兩頭如軸一般同,雖有田澤並父蔭,終須破敗受貧窮。股肱俗名手肚足肚也,所謂肚者,大倍於兩頭也。凡屬富貴壽考各格,皆有手肚足肚方稱其格;如無而如軸,富者有奇禍而敗,貴者有危險而凶,夭亡寒苦之人方合。

歌訣に言う:手臂小腿に肌肉包裹なきは最も凶、頭より尾に至るまで一般粗細にして根の軸のごとし。縱い田産恩沢と父輩庇蔭あるとも、終に破敗して窮を受けん。公篤の批注:「股肱」の俗名は即ち手肚・脚肚、いわゆる「肚」は、中段の両頭より一倍粗きを指す。凡そ富貴寿考の各种の格局に属するは、皆手肚脚肚あるを要し、こそあの格に配し得。もしなきして根の軸のごとく上下一般粗きなれば、則ち富人は意外の禍に遭いて敗れ、貴人は危険に遇いて凶なり、ただ夭亡寒苦の人のみこそこの種の相に配す。

頭痕瘢剝最為刑,羅網之中有一名,若不刑妻並克子,更為家道主伶仃。頭痕者坑陷之痕也,瘢者近於瘢癩之例,剝者近於橫沖直削,應刑人丁及驚險成敗,故有家道伶仃之說,言人口日少、財產日耗耳。相中最忌郎君面,男子郎君命不長,女子郎君好淫慾,僧道孤獨卻無妨。郎君面即美麗紅豔之例,而有浮嫩之光,為相法所忌。老人犯此主孤苦而毒,男子犯此主淫亂夭亡,女子犯此主淫亂刑傷;惟有僧道無關,不以人丁為用,又於孤獨無關,木無人丁可克故也。

歌訣に言う:頭上に疤痕剥蝕あるは最も刑剋を主り、羅網の中に榜上名あり。もし妻を刑し子を剋せざれば、また家道伶仃を主る。公篤の批注:「頭痕」は塌陷の疤痕、「瘢」は瘢癞の一類に近く、「剥」は横冲直削の缺損に近し。これらは皆家中の人口を刑剋および驚険成敗に応ず、ゆえにこそ家道伶仃の説法あり、意思は人口日々に減少し財産日々に耗損すと言う。歌訣また言う:相の中に最も「郎君面」を忌む、男子この面を生ずれば命長からず、女子この面を生ずれば淫欲を好み、僧道孤独は却って妨げず。公篤の批注:「郎君面」は即ち美麗紅艶の一類、なお一層の浮嫩の光を帯ぶ、相法の忌む所と為す。老人この相を犯せば、孤苦にして心毒を主る。男子この相を犯せば、淫乱早夭を主る。女子この相を犯せば、淫乱刑傷を主る。ただ僧道のみ相干らず、彼らは本より子嗣を以て用と為さざるがゆえ、孤独は彼らに対しても亦た謂る所なし、本来刑す可き家人なし。

眉毛間斷下至顴,常為官非賣土田,克破妻兒三兩個,方教禍患不相纏。眉毛間斷,應駁雜而刑剋昆仲,及內患倍重於外患,故有官訟是非發生。又考眉斷之人,性貪而不忍小損,不容小惡,雖為多事之纏擾,亦為處置於輕重失當耳。

歌訣に言う:眉毛中断・断処直に顴骨に落つるは、常に官司を打つがため田を売り地を売る。妻児三両個を剋掉してこそ、禍患はじめて身に纏わらず。公篤の批注:眉毛中断は、諸事駁雑・兄弟を刑剋に応ず、しかも家裏の禍患は外頭より一倍重し、ゆえに官司是非の発生あり。再び眉断の人を考するに、性情偏貪、一点の小損失を受くること得ず、一点の小惡を容るること得ず、説くに多事身に纏わると雖も、其実は事情を處置する時の軽重失當のみ。

好色之人眼代花,莫教眼緊視人斜,有毒無毒但看眼,蛇眼之人子打爺。花字為形容美麗流光之謂,緊字為形容急視不定之謂。至於蛇眼,言烏珠圓露而黃浮四白,凸挺邪視而赤樓盤睛,主毒而狡貪,亦合法也。

歌訣に言う:色を好む人は眼中に「花」を帯ぶ、最もあの種の目光緊盯してまた斜めに人を看るを怕る。一個人の心毒なるか不毒なるかはただ眼睛を看るのみ。蛇眼を生ずる人は、兒子老子を打たん。公篤の批注:「花」の字は眼波美麗にして流転光を生ずるを形容し、「緊」の字は目光急促に盯視して安定せざるを形容す。「蛇眼」に至っては、黒眼珠円くして外露・四面に黄色の白睛を泛び、眼球凸挺して斜視し、赤色の血絲眼珠を盤繞し、心毒にして狡詐貪婪を主るを言い、これもまた法則に合するなり。

無家可住羊睛眼,封向他家借住場,更有禾倉高一寸,中年猶未有夫娘。羊睛為白多黑少,而四力浮白,故主刑剋人丁而冷退,女格倍凶。又考禾倉,一為眼胞之高而呆陷,一為兩顴之別名。余考古法有稱口尖而吹為禾倉,其食祿二倉在口角故也。

歌訣に言う:羊睛眼を生ずる人は住む可き家なし、好んで別人の家に向いて地方を借りて身を安んず。加うるに「禾倉」一寸高く出で、中年に到るもなお配偶なし。公篤の批注:「羊睛」は白多く黒少なく、四周に白を泛ぶ、ゆえに家中の人口を刑剋して家道冷落を主る、女相に生ずれば一倍凶なり。再び「禾倉」を考するに、一説は眼胞高起して呆滞凹陷するの處、一説は両顴の別名。我古法を査考するに、なお嘴を撮尖して火を吹くの様子を禾倉と称するあり、「食禄」の両倉は正に口角の上に在るがゆえに。

下劇尖了作凶殃,典卻田園賣卻塘,任是張良能計算,自然顛倒也狼當。下劇尖削,於木火二形局不忌,尖露是其本質故也;如其它形格則不宜,而晚年有失敗之冷退,故有顛倒事實之失敗也。眼珠暴出惡因緣,自主家時定賣田,更有白睛包一半,不能善死在床前。眼珠暴出,言其凸露也,目露神濁,當然敗家無疑。至於白色烏珠,此蜂睛窺睛之形,當然凶死無疑。

歌訣に言う:下巴尖削のは凶殃を主り、田園を典し池塘を売る。縱い張良のごとく籌算を善くすとも、亦た自然顛倒失措・狼狽不堪ならん。公篤の批注:下巴尖削は、木形・火形の両種の格局の裏に忌まず、尖りて外露するは本よりそれらの本質なるがゆえに。もし別の形格なれば則ち相宜ならず、晚年に失敗冷落あるを会せん、ゆえにこそ事情顛倒して失敗の説法あり。歌訣また言う:眼珠暴凸のは惡因縁、自ら家に當たる時は一定に田を売る。加うるに白睛が半の黒珠を包住せば、床上に安然として死する能わず。公篤の批注:眼珠暴出は、眼球凸露を言う。眼露して神濁るは、当然家を敗す疑いなし。白睛黒珠を包むに至っては、それは「蜂睛」「窺睛」の形狀、当然凶死疑いなし。

下頦趨天旺永年,邊城不破也無錢,數年荒旱不欠米,只因上下庫相連。下頦趨天繫地閣朝天,明太祖即此格,此為創業之帝王,故晚年亨吉。邊城破者,桑梓破敗而發他綁,比為亂世之合去,盛世則一敗不振也。上天倉下地庫也。

歌訣に言う:下巴上に向かい天に朝するは、晚年旺にして長久なり。額側「辺城」破れずとも未だ必ずしも銭あるにあらず。幾年を連ねて荒旱なるも彼は米を缺かず、ただ上下両庫相連なるに因るのみ。公篤の批注:下頦朝天は即ち地閣朝天、明太祖は正にこの格局、基業を開創するの帝王に属す、ゆえに晚年亨通吉利なり。辺城破るの人は、家郷の産業敗落して外地に到りて発達す、これは乱世の裏に却って合宜なり。太平の世に在っては、即ち一敗して再び振る能わず。いわゆる上下両庫は、上は天倉・下は地庫なり。

鼻樑露骨是反吟,曲轉些兒是伏吟,反吟相見是絕減,伏吟相見是漓淋。鼻樑直下三曲是為伏吟,左右三曲是為反吟。伏吟多失敗破家,尚有子孫成立;反吟多刑人丁,克妻刑子,前已詳言之矣。眼神清秀心中巧,不讀詩書也可人,手作百般皆可愛,總然弄假也成真。眼神清秀,固然靈巧聰明,雖出技藝亦有過人之處。如清秀過麗,則主淫亂而夭;如清秀而流,則主無用而賤。故以清秀沉靜有恨,方是閒福之格。

歌訣に言う:鼻梁露骨のを「反吟」と叫び、稍稍彎転するを「伏吟」と叫ぶ。反吟に碰上るは絶滅削減、伏吟に碰上るは淋漓不振。公篤の批注:鼻梁筆直にして下に向かい三処の彎節を帯ぶるを伏吟と叫び、左右に三処の彎節を帯ぶるを反吟と叫ぶ。伏吟は多く失敗破家を主る、子孫はなお立て上がる得。反吟は多く家中の人口を刑剋・妻を剋し子を刑を主る、前にすでに詳説し過ぎたり。歌訣また言う:眼神清秀の人は心思霊巧、詩書を讀まずとも人に喜ばる。一双の手は何を做すも皆人の愛を招き、縱い假を做すとも真を弄成す。公篤の批注:眼神清秀の人は固然として霊巧聡明、縱いただ技芸に從事するとも、また人に過ぎるの處あり。ただし清秀若く艷麗に過ぐれば、則ち淫乱にして早夭を主る。清秀にして神気流蕩なれば、則ち無用にして下賤を主る。ゆえに清秀の中に沈静にして含蓄あるを要し、こそ清閑の福を享くるの格局なり。

薄紗染皂出粟米,縱有妻時也無兒,倘見山根高更斷,五年三次路邊啼。薄紗染皂是晦暗之氣,而有塵點密密,此為冷退刑傷之兆,尚以各部位為定論:如在福堂主官訟,如在土星主破財,如在淚堂主損人丁,如在印堂主損壽及危險牢獄,如在魚尾主刑妻,如在國印主挫折及刑弟兄叔伯,此其大略也。

歌訣に言う:気色が薄紗に黒を染めて、また小米に似たる斑點を浮出するは、縱い妻を娶り上ぐるとも兒を生じ出す能わず。倘若山根高しと雖もまた中断せば、五年の内に三次路辺に哭泣せん。公篤の批注:「薄紗染皂」は一層の晦暗の気、上面になお密密の塵點を帯ぶ、これは家道冷落・刑傷を遭受するの先兆。具体いずれの一樁に応ずるかは、なお部位に按じて以て定むを要す。「福堂」に現ずれば官司を打つを主り、鼻子の上に現ずれば財を破るを主り、「涙堂」に現ずれば家中の人口を損傷を主り、印堂に現ずれば寿を損じおよび牢獄の険あるを主り、眼尾「魚尾」に現ずれば妻を刑を主り、「国印」に現ずれば挫折を遭いおよび兄弟叔伯を刑剋を主る。大略即ち此のごとし。

淚痕深處排一點,眼下額前起一星,左邊無男右無女,縱然稍有也相刑。此歷指刑剋之說。余考淚痕深處多刑子女,男格則左紋刑子,右紋刑女,女格則反此。至於顴前一骨,多出優伶娼妓之例,若有後嗣皆為女立,而子不立也。

歌訣に言う:涙痕の深處に一個の點を排し、眼下顴前にまた一顆の星を起す。左辺は兒子なきして右辺は女児なし、縱い稍稍幾個あるとも彼此刑剋す。公篤の批注:この一条の歴数するは皆刑剋の説。我考察し下るに、涙痕深きは多く子女を刑剋す:男相は左辺の紋は兒子を刑し右辺の紋は女児を刑し、女相は則ち正好相反す。顴骨前面に一塊の骨を凸起するに至っては、多く戲子娼妓の一類の人の身に出ず。この種の人もし後代あれば、亦た皆是れ女児立ち得住し、兒子立ち得住せず。

髮際低凹幼無父,寒毛生角幼無娘,右額高突母先死,不死不刑便自傷。髮低有曲岔者妨父,鬢突連眉尾者妨母,顴骨左高妨父,右高妨母,此皆男格之論也。女格反此而應驗也。刻下之女格,亦有順應而似男格者,豈非天道之變乎。

歌訣に言う:髪際低凹のは幼年に父なし。鬢角に寒毛を生じ角を成すは幼年に母なし。右額高凸のは母先に死す。死せず刑せざれば、便ち自身傷を受く。公篤の批注:髪際低くして彎曲の岔口を帯ぶるは父を妨げ、鬢角凸出して眉尾に連なるは母を妨ぐ。顴骨左辺高きは父を妨げ、右辺高きは母を妨ぐ——これらは皆男相に就いて言う、女相はこれと相反してこそ応験す。ただし眼下の女相は、また男相の規矩に順って応に往くあり、これ豈に正に天道の変ぜるにあらずや。

士人眇目陷文星,豹指尖頭定無名,任是文章高北斗,猶如竹木不安釘。文星即眼目也,眇陷者缺一也。凡士子文星陷,即功名之弱點。豹指言圓節尖爪也。頭尖。此三項均屬無功名之格。眉重無根陷破財,更憂三十二年災,土星隆大終須發,土星薄小去不回。此言眉濃重而山根陷弱也,故為前業挫折,亦主疾厄之災。如準頭隆大,尚可恢復而發達;否則有敗無成也。

歌訣に言う:讀書人一隻の眼を瞎れば、文星即ち陷る。手指豹のごとく頭顶尖のは、一定に功名なし。縱い文章北斗より高しとも、竹木の上に釘子を釘り得住せざるがごとし。公篤の批注:「文星」は即ち眼睛、「眇陷」は即ち一隻を缺く。凡そ讀書人の文星陷るは、即ち功名上の弱点。「豹指」は指節円くして指甲尖るを言う。加うるに頭尖、この三項は皆功名なきの格局に属す。歌訣また言う:眉毛濃重にして山根低陷のは財を破るを主り、さらに三十二歳のあの年の災を憂慮を要す。鼻子隆大は終に発せんとす、鼻子薄小は則ち一去して回らず。公篤の批注:これは眉濃重にして山根陷弱を言う、ゆえに前人の家業受挫を主り、また疾病災厄をも主る。もし鼻準隆大なれば、なお恢復して発達する能う。否らざれば則ちただ敗ありて成なし。

寒相之人肩過頸,享福之人耳壓眉,更有親情相不出,只因形似雨中推。此言寒賤之人肩聳過頸,福壽之格耳高壓眉。至於慈善詭詐,別有部位參合,故有性情合乎形質,在部位之兼配如何也。大量之人眉目取,眉高目定心自良,眉粗目小神不定,寅年吃了卯年糧。器量大小皆在眉目二部認定:眉高主量宏而壽,目定主略遠大,故良心自然發現;眉粗主性剛燥,目小主志奸貪,神不定主心亂不一,故有失敗而耗散也。

歌訣に言う:寒相の人は肩膀聳きて脖子より高く、福を享くる人は耳朵眉毛より高し。なお一種親情看て出でざるの相あり、ただ形貌が雨の裏に淋さるがごときに因るのみ。公篤の批注:これは寒賤の人の肩聳きて頸を過ぎ、福寿の格の耳高く眉を壓すを言う。慈善なるかそれとも詭詐なるかに至っては、別に別の部位配合して看るあり、ゆえに性情と形質と相合して、全て各部位のいかに相配するかを看ると言う。歌訣また言う:器量大なる人は眉眼の上より取る。眉高く眼定まれば、心地自然善良。眉粗く眼小さく神気定まらざるは、寅年にして卯年の粮を喫光す。公篤の批注:器量の大小は皆眉・眼の両処より認定す:眉高は器量宏大にして長寿を主り、目光安定は謀略深遠を主る、ゆえに良心自然顕現す。眉粗は性情剛躁を主り、眼小は心志奸貪を主り、神気不定は心思紛乱不一を主る、ゆえに失敗して家財を耗散せん。

倉庫接連反為災,鼻樑高露不安居,若是眉間容二指,此人開手覺便宜。食祿二倉接近地庫,非天倉也。鼻樑可高而不可露,前已詳言之矣。又云眉容二指,或指眉尾而言下垂二指耶?或為三陽之寬二指而言耶?蓋眼俗神濁之人方覺便宜也。

歌訣に言う:倉と庫と一片に連なればかえって災を成し、鼻梁高くして露骨のは住み安穏ならず。もし両眉の間に両指を容れ得れば、この人は一たび手を出せば便ち便宜を占む。公篤の批注:ここの「食禄」の両倉は地庫に近く、天倉にあらず。鼻梁は高くすること可なれど露骨すること不可なり、前にすでに詳説せり。眉容二指に至っては、眉尾下垂二指を指すか、それとも両眼上方の「三陽」の寛二指を指すか。大概は眼相俗・神気濁るの人、こそ便宜を占めたりと覚えん。

取人性命面上黑,換人骨髓眼中紅,見人歡喜心中毒,見人眉皺太陽空。面有青黑之慘色,主惡毒奸忍;眼有赤縷穿眼者,主陰險剛狡;冷眼多笑者,主無情量窄;眉皺上沖者,主憂愁多思。此皆最驗之法也。露井露灶不得全,那得浮生過晚年,不怕中年經官宦,只有衣祿無剩錢。井灶露孔,財不入庫,雖出貴格為官,亦為終年無田宅,只有衣祿二字而已,過迍邅生活,多逼迫環境,不能積蓄故也。

歌訣に言う:能く人の性命を取るは、臉上の黒を発するに在り。能く人の骨髓を換うるは、眼中の紅を発するに在り。人を見て一臉に歓喜のは、心裏最も毒なり。人を見て眉頭緊皺のは、太陽穴の処必定空陷す。公篤の批注:臉上に青黒惨淡の色を現ずるは、人と為って惡毒奸忍を主る。眼中に赤色の血絲穿過するは、陰険剛愎狡詐を主る。冷眼を以てして却って笑い多きは、寡情にして器量窄きを主る。眉頭皺めて上に向かい冲るは、憂愁多く思慮するを主る。これらは皆最も応験するの法則なり。歌訣また言う:鼻孔外露の人は家業を保全せず、浮生どうして安穏に晩年に過ぎ得ん。彼の中年に官を做したるを怕れずとも、亦たただ衣食俸禄ありて銭を剩し得ざるのみ。公篤の批注:鼻孔外露は即ち財の庫に入らざるなり、縱い貴格を生じて官を做すとも、亦た一生田宅なきして、ただ「衣禄」の両字を剩すのみ。過ぐるは困頓の日子、多く環境逼迫して、積蓄を攅め得ず。

公篤曰:風鑑各書為麻衣是正宗,其法以法理兼用,又處五代之亂世,故於今世相應者頗多。雖有擅長與玄妙,獨不如達摩精深,其故何哉?麻衣言法而兼理,中有虛設之處;達摩言法不言理,中有獨到之處,非有經驗研究者不明其原意。然舊書多錯落,字有魯魚,文有亥豕,茲特修改增注,以便閱者一目瞭然。其法亦有不驗者,如唇掀齒露、客死他州之說,如注為無故招非又最驗也,其它條文似此頗多。今猶錄之者,為將來智者考正,擇而用之,得心應手矣。

公篤曰く:相術の各書は麻衣を以て正宗と為す、彼の法門は法と理と兼用し、加うるに彼の五代乱世に身を處せり、ゆえに今天この世道と相応するの處多し。麻衣彼の擅長と玄妙あると雖も、唯だ達摩の精深に如かず、これ何の縁故ぞ。麻衣は法を講じて兼ねて理を講ずれば、中間就有些の懸空虚設の地方あるがゆえに。達摩はただ法を講じて理を講ぜず、中間自ら独到の處あり、経験あり肯んじて研究するの人にあらざれば、彼の本意を看て明らかならず。ただし旧書の訛脱甚だ多く、字に「魯」「魚」の相混するあり、文に「亥」「豕」の相訛するあり、今特に修改し併せて批注を增注を增補し、讀者をして一目了然ならしめんと欲す。その中にも応験せざるあり、たとえば唇掀き歯露し・他郷に客死するの説法、もし「故なく是非を招惹す」と改注せば、かえって最も応験す。其他の條文の類似するはなお多し。如今仍旧としてそれらを錄し下るは、将来の智慧ある人に留めて考正せしめ、挑んで用いれば、自然心と手と相応うべし。

達摩相法

達摩相法第一章

第一法 相目之神(これは達摩の精藝の一なり)

藏不晦。目神以收藏斂光為主要,故開始第一字,日藏。晦者,晦暗無光也,故以神藏光潤為合法。藏而不晦,言其人貴而不危,名而多壽;如藏而晦暗,雖貴亦夭亡或危險也,雖富亦挫折或疾苦也。安不愚。目神安者,安靜之謂,其人多閒福。安者,心氣和平之態也,不急不燥,發出慈愛之光,故神安之局多現呆滯,呆滯者即愚字之謂也,故以安而不愚為安閒多福之格也。

第一条:「蔵りて晦まらず」。公篤の批注:眼神は収蔵内斂にして、その光を外に泄らさざるを要と為す。ゆえに開頭第一個の字は即ち「蔵」なり。「晦」は晦暗無光なり。因りて神気内蔵にして潤沢を帯ぶるを以て合格と為す。蔵りて晦まらずは、ここの人の貴にして危あらず・名ありて寿多きを言う。もし蔵りて却って晦暗を帯ばば、則ち縱い貴なりとも早夭あるいは険に遇い、縱い富なりとも挫折に遭いあるいは病苦多からん。第二条:「安にして愚ならず」。公篤の批注:眼神の「安」は即ち安静、この種の人は多く清閑の福を享く。いわゆる安は、心気和平の状態にして、急がず躁せず、一股の慈愛の光を透出す。ただし神安の格局は往々にして呆滞と顕れ、呆滞は即ち「愚」なり。ゆえに安にして愚ならざるを要し、こそ安閑多福の格局なり。

發不露。神以活潑有威者為大貴,而有特權。發者,發動之謂也,故每有發動之時,其神不流不露為吉;如發動之時其神流露,雖貴而有凶災,雖智而有偏好,故以發而不露為貴而善後之格也。清不枯。神清主貴、主名、主智、主田宅,故十二宮以田宅名之。凡神清之格,務要考其有根無根:其神清而有根,享大名大壽及大富;其神清而無根,名而夭殂,富而挫折,或孤刑也。故以清而不枯為合法。

第三条:「發して露さず」。公篤の批注:眼神活潑にして威勢を帯ぶるは大貴を主り、しかも特殊の権柄あり。「發」は即ち發動、ゆえに每に神気發動の時に當たり、能く流蕩せず・外に露さざればこそ吉。もし一たび發動すれば神気即ち流露し出づれば、則ち縱い貴なりとも凶災あり、縱い聡明なりとも偏執の癖好あり。ゆえに發して露さざるを要し、こそ既に貴くまた能く善終するの格局なり。第四条:「清にして枯れず」。公篤の批注:神清は貴を主り・名を主り・智を主り・田宅を主る。ゆえに十二宮の裏「田宅」を用いて以てそれを称す。凡そ神清の格局は、務めてそれの根あるか無根なるかを考察するを要す:神清にして根あるは、大名・大寿および大富を享く。神清にして根なきは、名ありて早夭し、富ありて挫折に遭い、あるいは孤独刑剋す。ゆえに清にして枯れざるを要し、こそ法に合すと算えん。

和不弱。神和為慈愛和平之態,其人慈良公正,為臣必忠,為子必孝,待人必,守身必信。弱者,衰弱之謂,如神和而弱,則壽不足而德不堅,志不定而福不厚,故以和不弱為合法。怒不爭。怒神為正重豪慨之態,盛世主貴而有大權,亂世多操兵柄而有安危繫於其身。爭者,形容浮緊燥急,其人量窄器小,反招亡身破家之禍,故以怒而不爭為合格。剛不孤。神剛者為威嚴持重之態,多才智而勇毅,多出名將治世之材,主有開國拓地之功。如孤宇則為孤僻偏驕之態,神剛而孤,則有功虧一簣之不善後,故以剛而不孤為合法。

第五条:「和にして弱からず」。公篤の批注:神「和」は慈愛平和の様子、この種の人は慈善公正、臣子を為れば必定忠、兒子を為れば必定孝、人を待てば恩あり、身を守れば信あり。「弱」は衰弱なり。もし神和にして弱ければ、則ち寿数足らず・徳行堅からず、心志定まらず・福分厚からず。ゆえに和にして弱からざるを要し、こそ法に合すと算えん。第六条:「怒にして爭わず」。公篤の批注:怒神は端正凝重にして豪邁慷慨の様子、太平の世には貴にして大権を握るを主り、乱世には多く兵権を掌り、一方の安危彼の身に係る。「爭」は神気浮躁緊繃・急切好勝を形容す、この種の人は器量窄小にして、かえって喪身破家の禍を招来す。ゆえに怒にして爭わざるを要し、こそ合格と算えん。第七条:「剛にして孤ならず」。公篤の批注:神「剛」は威厳持重の様子、多く才智ありて且つ勇毅、多く名将と治世の材と出で、開国拓土の功あるを主る。「孤」に至っては、孤僻偏執驕傲の様子。神剛にして孤を帯ばば、即ち功を簣に虧きて善終を得ず。ゆえに剛にして孤ならざるを要し、こそ法に合すと算えん。

公篤曰:達摩為西域印度人,六朝時渡江,傳道東土。其人博學多材,深通幻術,故有一葦渡江之說;又精性命長生術及拳術,故至中國傳教,有分類而立門,各繫道統焉。至於相法,可謂中興之祖師。凡風鑑讀達摩五來法,即醫家讀黃帝內經,乃引經據典之根據;凡讀麻衣相法,如醫家讀仲景六經,此分經別緯之關鍵。

公篤曰く:達摩は西域印度の人、六朝の時に江を渡りて東より来たり、中土に道を伝う。彼は博學多才にして、深く幻術に通ず、ゆえに「一葦江を渡る」の伝説あり。彼また性命長生の術と拳術とに精し、ゆえに中国に到りて教を伝うるに、門を分かち類を別ちて法門を立下し、各々道統を形成せり。相法に至っては、彼は中興の祖師と称する可し。相術を學ぶの人達摩の「五来法」を讀むは、譬えば醫家の《黄帝内經》を讀むがごとく、それは經典を引き據を拠るの根本なり。麻衣相法を讀むは、譬えば醫家の張仲景の六經辨證を讀むがごとく、それは經を分かち緯を別つの關鍵なり。

余考相法雖出於軒轅氏之臣風后氏,此風鑑之名實因風后氏鑑定之意也。自秦代火焚各書以後,相學之書亦絕,故漢唐以來偶有談相之人而無書籍可考。故達摩初入中國為六朝時,尚無相法之書;至五代時,達摩復入中國,始得麻衣而傳其五來相法五篇。故達摩以前皆半枝半解,既無綱領之分,又無輕重之別,無書可閱讀,無法可研究;自達摩以後,相學可稽考,而法亦日益闡明,此嫡派之溯源也。

我考察するに相法は軒轅黄帝の臣子風后氏より出ずと雖も、「風鑑」のこの名目は其実即ち風后氏の人物を鑑別するの義より取れり。秦代の焚書以来自り、相學の書もまた断絶す、ゆえに漢唐以来偶に相を談ずるの人あるも、卻って査考すべき書籍なし。達摩第一次に中国に入るは六朝に在り、あの時はなお相法の書なし。五代に到りて、達摩再度中国に来たり、こそ麻衣に遇上り、「五来相法」の五篇を彼に伝えたり。ゆえに達摩以前の相術は皆一鱗半爪、綱領の劃分なきのみならず、また軽重の分別なし、讀むべき書なく究むべき法なし。達摩以来自り、相學こそ稽考あり、法門もまた日々に闡發明白す。これは即ち相法嫡派の源頭なり。

今觀其第一章之相神,僅二十一字,尚屬餘之增加下十四字,其原書僅上七字,而其中包括極深,又簡捷,又深奧,故非他書所能及也。麻衣之法雖是相法正宗,而兩相比較,則弱於達摩之處太多。訊以此二十一字深思,均含有最玄妙之處:上包括天道之盛衰厚薄,下包括人事之吉凶禍福。故餘另加傍注,以便閱者注意,不可模糊讀過去,方知達摩相法之高深精微,不愧為相法之祖師焉。

如今彼の第一章の相神を講ずるを看れば、一共にただ二十一個の字、その中の後の十四個の字はなお我の添えたる所、原書はただ上面の七個の字のみ、而して所含の意思極めて深く、既に簡捷にしてまた深奥、ゆえに別の書の比し得る所にあらず。麻衣の法門は相法正宗なりと雖も、両々下に比ぶれば、達摩に弱るの處實に多すぎたり。請うこの二十一個の字に就きて深思せん、每一句皆最も玄妙の道理を含着す:上には天道の盛衰厚薄を包括し、下には人事の吉凶禍福を包括す。ゆえに我別に旁注を加え、讀者をして留意せしめ、含糊して看て過ぐること勿らしめんと欲す、このようにしてこそ達摩相法の高深精微を知り、相法の祖師と為るに愧じざるなり。

第二法 相目之形七則

秀而正。目秀主聰明而多才智,即清秀之謂,然其形必端正,故以秀而正,方從正途上去:其行孝弟,其務清名,其才智從正面上用。如秀而不正,則才偏自用,智邪亂倫,為相法之忌也。細而長。目形細則收藏其神而不浮露也,長則為鳳目之形,主大貴,故麻衣有河日之說,此司馬宣王之自顧其耳而與普基。細而不長,雖貴亦屬小品,終非大器也,故以細而長為合格。

第一則:「秀にして正なり」。公篤の批注:眼秀は聡明にして才智多きを主り、即ち清秀の意思。ただしその形狀は必ず端正なるを要す、ゆえに秀にして且つ正ならば、こそ正路を走上る能う:行為上は父母に孝し・兄弟を友愛し、追求するは清白の名声、才智は正面に用う。もし秀にして正ならざれば、即ち才華偏に私に用いられ・智謀邪路を走りて倫常を敗壞す、これは相法の忌む所。第二則:「細にして長し」。公篤の批注:眼形細なれば、神気即ち収蔵して浮露せず。眼形長なれば、即ち鳳目を成し、大貴を主る。ゆえに麻衣に「河目」の説法あり——司馬懿の能く頭を回らして自らその耳を看るは、即ちこれに憑りて晋朝の基業を奠定せり。もし細にして長からざれば、貴なりと雖もただ小品、終に大器にあらず。ゆえに細にして且つ長なるを要し、こそ合格と算えん。

定而出。目定為聚光充足而能發揚也。凡目定者,有遠志大志之兆;充足者,有精神大壽之兆;加以發揚有威,則事業能達到,機會有遇合,故以定而出為合法。定而不出,雖有大志而終不遇合也。出而入。目出而揚威,人而斂神,此言有才智而不露於表面,以實際為用也。如出而不入,則有招嫉結怨之暗害以阻其事實,故以出而能入為合格,不浮蕩而無偏好之瑕也。

第三則:「定まりて出づ」。公篤の批注:眼「定」は聚光充足にしてまた能く發揚し出づるなり。凡そ眼神安定のは、遠志大志あるの徴兆。聚光充足のは、精神旺にして寿数長きの徴兆。加うるに能く發揚して威勢を帯ぶれば、事業は即ち做り成す得、機會もまた遇い得上ぐ。ゆえに定まりて能く出づるを要し、こそ法に合すと算えん。もし定まりて出でざれば、縱い大志あるとも、終に機縁に遇上がらず。第四則:「出でて入る」。公篤の批注:眼神發し出でる時は能く威勢を揚げ、収め回る時は能く神気を斂む、これは人の才智ありて表靣に顕露せず、ただ實際の用處を講求するを言う。もしただ出でて入らざれば、即ち人の嫉恨を招き怨を結び・暗中に害を受け、實際の事情を阻め住めん。ゆえに出でて行き得また収め回り得るを要し、こそ合格と算えん、このようにしてこそ浮蕩せず・偏執の毛病を帯びざるなり。

上下不白。目形以黑多白少為吉,白多黑少為凶,故以目浮四白主凶死而失敗,及刑人丁而孤苦。如上浮白而下不白,主心亂而奸貪;如下浮白而上不白,主驕傲而妄舉,故以上下不白為合法。視久不脫。目神以久視而神愈充為吉,愈久視而光咬潔有威,其稟受之氣厚,主壽而貴祿。如視久而脫,其光漸縮而怯,其人心性不持久,亦壽弱祿少,中道挫折,故以視久不脫為合法。

第五則:「上下白ならず」。公篤の批注:眼睛は黒多く白少なきを以て吉と為し、白多く黒少なきを以て凶と為す。ゆえに四面に白を露するは凶死失敗を主り、および家中の人口を刑剋して孤苦す。もし上辺白を露して下辺露さざれば、心思紛乱にして奸貪を主る。下辺白を露して上辺露さざれば、驕傲にして行事輕率を主る。ゆえに上下皆白を露さざるを要し、こそ法に合すと算えん。第六則:「視ること久しくして脱せず」。公篤の批注:眼神は看ること久しければ久しいほど神気足るを以て吉と為す。いよいよ久看すれば、眼光いよいよ皎潔にして威勢を帯ぶるを見る、これは禀受の気厚し、長寿にして貴禄あるを主る。もし看ること久しければ神即ち散脱し、眼光漸々収縮して怯意を現ずれば、この種の人は心性持久する能わず、また寿弱禄薄にして半途に受挫す。ゆえに久視して脱せざるを要し、こそ法に合すと算えん。

遇變不耗。人處憂患之時而其形必變,何況危險不耗其元神元氣乎。此王守仁不得時而遇虎,其形靜神定而如常態,不耗神,不變形,後為將相,兼享盛名。凡危險而不耗變者,大貴之格也。公篤曰:眼目之形其法頗多,尚不止此七則,而達摩以此七項為包括各法之綱目。其精微之處雖多,兼併者亦不少,此皆由個人推想,兩執用中可也。故其法僅二十四字,而富貴貧賤壽夭、吉凶禍福悔吝、正直公平、險惡陰毒皆全備之矣。此種相法可謂一字一珠,至於柳莊、衡真,當愧死無地矣。

第七則:「変に遇うて耗せず」。公篤の批注:人の身は憂患の中に處せば、形貌は一定に変わる、況んや危険に遇上るに於てをや、どうして元神元気を耗損せざるを得ん。王守仁当年志を得ざるの時に山中に虎に遇えども、仍旧形体安静・神気鎮定し、一として平常のごとく、神耗せず・形変わらず、後に将相に至りて做し、なお盛名を兼享せり。凡そ危険に遇いて神気耗せず変わらざるは、皆大貴の格局なり。公篤曰く:眼睛の形狀は、法門甚だ多く、遠くこの七則に止まらず。達摩はこの七項を用いて各家の法を統攝し、綱目と作す。その中の精微の處は固然として多く、彼此兼容重曡するも少なからず、これらは皆個人の推想に靠りて、両端を執りてその中を取れば即ち可なり。ゆえに彼の法門はただ二十四個の字を用いて、而して富貴貧賤寿夭・吉凶禍福悔吝・正直公平・險惡陰毒、全てその内に包括せり。この種の相法は一字一珠と言う可し。柳莊・《衡真》の一流に至っては、相形の下に真に羞愧して地に自ら容るる無かるべし。

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