達摩相法第四章・これは達摩の精藝の四なり
目光有三脫。無憂者以深分病死。有病者以動定別存亡。遇事者以左右分善惡。
眼光の走脱するに三種の看法あり。第一種は本より憂患なきの人忽然として眼光脱走すれば、即ち脱するの深きや深からざるやを看、これに据りて彼を分辨して生病なるかそれとも喪命なるか。第二種は本来即ち病あるの人、即ち脱し出づるの光の活動なるかそれとも凝定なるかを看、これに据りて彼を分辨して能く存するかそれとも亡ぶを要するか。第三種は正に大事に撞上り・身険境に陷るの人、即ち脱するは左眼なるか右眼なるかを看、これに据りて吉凶善惡を分辨す。ここの二十幾個の字は達摩相法の綱領、下文は陳公篤に由りて條を逐いて推闡す。
公篤曰:達摩五來相法之用神,以目神目光為主體,形質次之。此條分目光之脫有三類。余考無憂慮無患難之眼神,有臨時變脫者,以脫神深者死厄,脫神者病災,故以深二字操之。有病者,或久病痼疾,或暫病瘟疫,其神變脫,不如常度也,故其脫之深,皆為應有之脫。又有似脫非脫,故深不能別其存亡,而用動定二字操之。
陳公篤曰く:達摩のここの一路の相法の用神は、眼神眼光を以て主體と為し、形骨体質はなお其次に在り。ここの一条は眼光の「脱」を三類に分かつ。我考驗の所得:本来憂慮なき・患難なきの人も、眼神もまた一時変じて脱走す、脱する深きは死厄を主り、ただ脱して深からざるは病災を主る、ゆえに一個の「深」の字を用いてそれを拿捏す。すでに病あるの人に至っては、あるいは久病して痼疾と成り、あるいは一時瘟疫を染上す、眼神変脱は本来常度に合せず、脱する深きも亦た応有の事。その中になお脱に似て真の脱に非ざるあり、「深」の字は便ち彼の存亡を分かち出づる能わず、於是「動・定」の両字を改用して以て拿捏す。
蓋稱有病之人,固有愛於常度,而現脫光。以脫光動者,尚有活潑之生氣,故為疾厄而可存在;脫光定者,為模糊之死氣,故為疾厄而至死亡。又有人處凶危境中,環境惡劣,援助斷絕,自知已入危險現象,當時心亂身不寧,魄動思潮湧,其目光忽脫,又非深能區別、動定能限制,而以左右二字操之。
凡そ病あるの人は、眼光本来即ち平常の様子を偏離して脱相を現出す。脱し出づるの光なお活動するは、生気尚お流転する能うを説明し、ゆえにただ一場の疾厄、人はなお保住す得。脱し出づるの光凝定して動かざるは、それは一團の模糊の死氣、疾厄は即ち死亡に轉成せんとす。別に一種あり、身凶危の境に陷り、處境惡劣・外援断絶し、自ら亦た明らかにすでに険に入るを知り、当下心乱れて身安からず、魂魄浮動・思緒潮のごとく、眼光忽然として脱走す——ここの一種の脱は、既に「深」の字の分かち清むる所にあらず、亦た「動定」の二字の管住する所にあらず、好んで「左・右」の両字を用いて以て拿捏す。
按人在危險境中,心疑而不釋,神凝而不悅,意亂而不靜,多而不決,行坐不安,動臥不寧,其目之脫,當然深不一類,動定而常變,故分左右之法。如男子則左目光脫為凶,右目光脫可得生機而減免,按左目為男子本命故也。如左右皆脫,則宜易地千里而避之,可保無憂,當時不可以利益為念、俗累為懷、美色為累,毅然急去可也。
人危険の中に在りて、疑慮放下し得ず、精神凝住して舒展せず、心意紛乱して安静する能わず、思慮多しと雖も主意を拿定し得ず、坐立寧からず・睡卧安からず、彼の眼中の「脱」は当然深淺一ならず、動と定とまた時時変換す、ゆえに別に一套の左右を分かつの辦法を立つるを要す。相法は男子を以て陽に属し・左を以て陽位と為す、左目は即ち男子の「本命」、因りて男子の左目光脱は凶と為し、右目光脱はなお一線の生機を留めて災厄を減輕する能う。若し左右の両目皆脱せば、即ち千里之外に遷りて以て躲避すべく、方に无忧を保ち得。ここの時候は切に再び利益を念じ・俗務を挂り・美色を戀う可からず、要するに決然として速やかに去ればこそ好し。
如女子則左目光脫無大得,右目光脫為凶,按右目為女子本命故也。如左右皆脫,亦宜易地百里而避之,可保無虞,當時不可以兒女牽制、金珠遺累,以全身為大計可也。按此章僅二十七字,而立三大法,包括人事一切驚險災厄、疾病暗害,及個人之利害、連帶之安危,皆在其中矣。此達摩之精萃相法,亦他書所罕見也。
女子は恰好相反す:左目光脱は大害と算えず、右目光脱はこそ凶兆、女子は陰に属し・右を以て陰位と為し、右目は是れ女子の「本命」なるがゆえに。若し両目皆脱せば、亦た百里之外に遷りて躲避すべく、方に无虞を保ち得。ここの時候は兒女に歩を牽住せらるる可からず、金銀珠寶に拖累せらるる可からず、總じて性命を保全するを以て第一要務と為す。作者又た曰く:ここの一章は統共にただ二十七個の字、卻って三大の法則を立下せり、人事上の一切の驚険災厄・疾病暗害、および個人の利害・旁人の安危に牽連するまで、全てその裏頭に包めり。これは達摩相法の中の最も精粹の部分、亦た別の相書の裏の少見する所なり。
余考相學各書,為七十二家心法,流傳於市廛,不過十八種書籍而已,當推達摩為巨擘焉,即此二十七字,亦各家之精神所不能及也。餘見近世發現新相學各書,皆指定其人玉照而批評之曰:此某偉人之相也。又曰此某名伶之相也。又曰此某名妓之相也。既不能為法,又不通其理,名曰世界名人像形,或名人像譜,可矣;若謂為相法,或相理,均不可。既無綱領之法以為用,又無部位之分以區別,希圖眩眼惑目,而取漁利,此市檜也。茲特註明其法理,以待讀吾書者,評其然欺否欺。
我相學各家の著述を査考するに、相伝して共有七十二家の心法、真正に市面の上に流伝するは不過十八種の書、その中に当たりて達摩を以て第一と推す。單にここの二十七個の字の精神は、別家は即ち趕不上す。近来我新出の幾種の相學書を見るに、皆是れ某人の照片を指着して以て品評を加え、これは某位の偉人の相・あれは某名伶の相と言い、又たこれは某名妓の相と言う。既に法則と作り立つる能わず、またその中の道理を講じ通さず。ここの類の書は「世界名人像形」あるいは「名人像譜」と叫べばなお説き過ぎ得、若しそれを相法・相理と言わば、則ち皆不可以なり。それらは既に運用に供するの綱領なきのみならず、また分辨に供するの部位なし、ただ人の眼目を炫いて・中より利を漁らんと想うのみ、これは市井買賣人の手段。我はここに於て特にその中の法理を注明し出で、我がこの部の書を讀むの人に留めて以て評断せしめん:彼らのあれらの説法は究竟人を欺くか、それとも人を欺かざるか。
神色有三疑・これは達摩の精藝の五なり
疑於暫則小病立至。餘擬為疑於暫者病。疑於常則陰事不測。餘擬為疑於常者敗。疑於身則死亡災也。餘擬為疑於神者死。
達摩原文に言う:憂疑ただ一時に在るは、小病立刻に到らん。憂疑常態と成れるは、暗中の事逆料し難し。憂疑身の上に深入するは、便ち死亡の災。作者はここの三句を各々一個の落脚處を改めり:一時の疑は病を主り、常態の疑は敗を主り、疑神に入れば則ち死を主る。「暫」と「常」と分かつは疑の久暫、「身」と「神」と分かつは疑の侵入する所の深淺。作者は原文の「身」の字は当に「神」の字の誤りと認む、改動の用意は下文に於て條を逐いて説明す。
公篤曰:上二十四字,為達摩三疑之原文;下十五字,為餘之刪改。其大略之義相同,進一步之推想,則有稍異耳,茲特分注如下。按疑字為事實之現象,虛中有實也;又為氣色動靜所發表,而不關乎形質也。
陳公篤曰く:上面のあの二十四個の字は達摩三疑の原文、下面のあの十五個の字は我の刪改したる所。両者の大意は相同じ、たださらに深處に往きて推想すれば、略有出入あり、ゆえに我はここに於て條を分かちて注を加えり。須くこの「疑」の字を知るべし、言う所は事情已に顕露し出でたるの現象、看似虚にして其中に實あり。それは氣色の動静の上より表現し出づる、骨相形質と併せて相干らず——ゆえに「疑」を論ずるは骨格の上に到りて找る能わず、ただ氣色の上に到りて看るのみ。
余考疑之貌,為兩眉焦亂而枯,即俗謂愁眉不展是也。余考《內經》云:眉為肺臟,肺主憂思,故有憂則傷肺之說;又有肺主皮毛,而眉出毛屬,其內應於肺宜矣。先有疑而後有憂。疑者,狐疑不決之態;憂者,慮有危害之客。故每有憂疑,面色灰溼而溼枯,眉頭皺急而焦亂,此憂疑之形質與氣色也。
我考察するに「疑」を帯ぶるの相貌は、两条の眉毛焦乱にして乾枯し、即ち俗説の愁眉展ばざるなり。《黄帝内經》に講ず、眉は肺臟に属し、肺は憂思を主る、ゆえに憂愁肺を傷るの説法あり。又た講ず、肺は皮毛を主る、眉毛は毛類に属し、それは内に於て肺に応ず、甚だ自然なり。人は總て先ず疑を起こし、然る後にこそ憂を生ず。いわゆる「疑」は、狐疑して決せざるの神態。いわゆる「憂」は、禍害の身に臨まんあるを顧慮す。ゆえに人一たび憂疑あれば、面色便ち灰暗濕滞にして枯象を帯び、眉頭便ち緊皺急蹙にして焦乱を顕す——これは即ち憂疑の人の形質と氣色との上の表現。
凡事實大小久暫,則又根據其氣色濃淡輕重而定之。凡事實不出乎危害驚險之所遇,名譽財源之所敗,個人連代之所累,義務交情之所羈,嗜好偏性之所陷害,田宅銀錢之所糾纏,知交至戚鄰里鄉黨之外憂,弟兄叔侄妻妾子女之內患。綜上種種,皆包括一疑字。外人固不察其詳細,既沽名釣譽之相法大家,尚不知此疑字含蘊有許多事貫。如《麻衣》《水鏡》《柳莊》《衡真》《鐵關刀》等,皆不解此疑字。此達摩之最深精藝,亦餘之最佩服者也。
事情の大小久暫に至っては、則ち氣色の濃淡軽重を看て以て判定するを要す。人間の事はここの幾類を出でず:危害驚険に遭遇し・名譽財源損を受け・個人および牽連する所の人累を受け・義務人情人を絆し・嗜好と偏執との性情自らを陥害し・田宅銀銭纏糾して清まらず・朋友至親鄰里郷黨の帯來するの外憂・兄弟叔姪妻妾子女の醸成するの内患。以上の種種は、全て一個の「疑」の字の裏面に収めり。外人は固然としてその中の細節を看て出でず、就中あれらの名を沽り譽を釣るの相法名家も、亦たこの「疑」の字の裏にこも多くの事情の脈絡を含着せるを知らず。《麻衣相法》《水鏡集》《柳莊相法》《衡真》《鐵關刀》のここの幾部の書のごときは、皆この「疑」の字を懂得せず。これは達摩相法の中の最深の一層の精藝、亦た我の最も佩服するの地方。見るべし「疑」は一個の空泛の字眼にあらず、それは一個人の内外交迫の全部の處境を皆その裏頭に収攏す、氣色の濃と淡とは、正にこらの事情の大と小・久と暫とに對應す。
按疑於暫者小病至,此言其事實之小者。陰陽失調,夜不安神而失眠,故謂小病立至之義。雖處環境惡劣,尚不致一敗不振,而無立身之地,故以暫字類別,尚有解除此疑字之處,僅以病災而止,可見其危害不大也。
先ず「暫に疑うは病なり」を説く。これは所疑の事情大ならざるを指す:心裏一時安からず、陰陽調和を失い、夜裏神魂寧からずして失眠す、ゆえに小病立刻に到ると言う。この種の人は處境惡劣なりと雖も、なお一敗塗地・立足の地を連ねる無きに至らず、ゆえに一個の「暫」の字を用いてそれを一類に帰す——ここの一類の疑はなお化解の餘地あり、最も壞くとも不過一個の病災に落つるのみ、見るべし危害は併せて大ならず。
疑於常者,常度俱憂疑也,其安危之關係較大,而顧忌更深。或畏人乘其隙而傾覆之,或遇人為勁敵而鉗制之;或彼失信於我,爭奪名利而為之;或我失信於彼,親情牽制而擾之;或受屈於勢力之逼迫,或受陷於機阱之詐欺。喪我名譽,危我身體,阻我財利,辱我妻妾,欺我子女,此等危害不平之經過,印人腦筋,痛心疾首,動魄驚魂。欲進行而中止,欲借力而不能,反覆驚疑,徘徊不決,一日一時,在在注意,故云陰專不測。
さらに「常に疑う」を説く。いわゆる常は、日常起居時として憂疑の中に在らざるなし、これは即ち安危大局に關係し、顧忌もまたなおさら深し。あるいは別人の隙に趁りて自己を扳倒せんとするを怕れ、あるいは強敵に遇上りて處處受制す。あるいは對方我に失信して、名を爭い利を奪わんがため下手す。あるいは我人に失信して、親情に牽住せられて擾攘を生ず。あるいは勢力に硬く壓せられて屈を受け、あるいは圈套の裏に落ちて騙を受く。名譽毀られ、身體危を受け、財利阻まれ、妻妾辱を受け、子女欺かる——ここの一類の不平の遭遇は腦中に刻され、人をして痛心疾首・驚魂動魄せしむ。前に往きて做さんと想えば中途に停下し、人の力を借らんと想えば借り得ず、反反復復して驚疑し、徘徊して定まらず、一天も一時も放下する能わず、ゆえに原文に「陰事測らず」と言う——暗處の事故は随時發作する可く、自己は卻って預料する由なし。ここの一層は「暫に疑う」と同じからず:あれはただ一場の病、これは卻って一個人の立身の根本を動搖す。
余曰失敗,不完全同意也。凡事有志之大小,力之輕重,合度則奏手收效,過量則轉瞬失敗,加以愈疑心愈亂,愈疑膽愈怯,若竟強勉而為之,此取敗之道也,故餘改用疑於常者敗,簡而明矣。按疑於身則死亡災也,餘恐身字為神字之誤,故下注疑於神者死。按身為外表,神為命根,故疑於身者,不過傷神損腦,以致飲食減少,神經錯亂,至此已為合度;如死亡之災,必至疑於神力應驗。
我それを改断して「敗」と為すは、完全に原來の説法に同意せざるに因る。凡そ事を做すには皆志向の大小と力量の軽重とを看るを要す:両下相称すれば即ち着手して効を見る能う、分量を超出せば便ち轉眼失敗す。加うるにいよいよ疑えば心裏いよいよ乱れ、いよいよ疑えば胆子いよいよ怯え、若しなお硬く撑りて以て做せば、それは正に失敗を招致するの路数。ゆえに我改めて「常に疑うは敗なり」と為す、既に簡単にしてまた明白なり。原文の「身に疑えば則ち死亡の災なり」の一句に至っては、我「身」の字は「神」の字の誤りなるを疑心す、ゆえに下面に於て改注して「神に疑うは死なり」と為す。身は是れ外表、神は是れ性命の根本。疑ただ身の上に到るは、不過神を傷り腦を損じ、以て飲食減少・神經錯乱に致る、ここの地步に到りて断ずる已に度に合す。若し死亡の災に応ぜんと欲せば、疑の神の裏に深入せざるを得ざればこそ験せん。
余考何謂疑於神者:凡人處極危險境遇,而又受極大打擊,其打擊之人,或出於最親最愛之人,或出於我有深思於彼之人,或出於互相利益而為至戚良友之輩;或因功名金錢、美色珠寶、玩物用品之類而生惡感,變出危險陷害。前日之極親極愛、深思深交、至戚良友,一變而為仇敵,加以手碗之暗害、勢力之詐欺,是非不得明,公理不得直,沉冤不得雪,大義不得伸。
我何をか「神に疑う」と叫ぶを説かん。これは人極めて危険の境遇の裏に處し、また極大の打撃を受くるを指し、而して手を下して彼を打撃するは、あるいは正に彼の最も親しき最も愛するの人、あるいは彼の曾て深く恩を施したるの人、あるいは彼此利益往來あるの至親好友。あるいはまた功名金銭・美色珠寶・古玩用品のここの一類の東西のために惡感を生じ、忽然として危険の陥害を變出す。從前の極親極愛・深情深交・至親良友の人は、一轉身して仇敵と成り、加うるに暗中の手段陥害・勢力上の詐騙欺壓し、是非辨じ明らかならず・公理伸ばし直らず・沉冤洗い清まらず・大義講じ出でざるを弄す。彼を傷るの人いよいよ親近なれば、ここの一層の疑は即ち扎るることいよいよ深し、受害するの人は誰を找りて理を論ぜんとするに言い起こす由なきに因る。
疑而鬱積於神,而不能出諸口,不能露於形,隱忍含垢,坐臥不忘,身疑心亂,心疑智昏,損其腦而傷其神,忘其形而厲其魄。至此為疑於神者,死亡無更改矣。且餘書尊重事實,不以文字而含本求末也,特注三疑原文,附帶修改,以嗣後之高明者鑑定耳。
疑ここの地步に到れば、即ち神の裏に鬱結し、口に説き出づる能わず、亦た臉の上に露すを肯んぜず、ただ隱忍含羞して、坐し卧するも忘るる能わず。身に疑あれば則ち心乱れ、心に疑あれば則ち智昏れ、腦力耗損して精神傷を受け、形骸顧みずして魂魄磨折を受く。ここの一歩に到れば、即ち「神に疑う」と叫ぶ、死亡は改め除く得ざるなり。さらに我がこの部の書は事實を以て重と為し、文字の好看のために本を舍てて末を逐うを肯んぜず、ゆえに特に三疑の原文を照録し、自己の修改を附上し、後来の高明の士に留めて以て鑑定せしむ。
巻四・これは達摩の精藝の六なり
形為心役者病。此為力有所不能,而又勉強從力輕任重上做去,故有事實牽制,患生肘腋,心理顧忌,化出鬱結,貪念不休,而又沽名,外傷其形,內損心血,此為病疾之例。專為心役者敗。此為因私慾而蒙蔽其聰明,持才而矜驕,仗勢而凌虐,貪多務得,以致事實顛倒,疑是疑非,以致親友怨望,而取失敗之道也。
第一句「形の心に役せらるるは病なり」:本領は原本足らず、卻って硬く己の力量を超出するの事を擔當せんと要す、於是處處事情に牽掣せられ、禍患は即ち近旁に生ず。心裏顧忌重々、鬱結は此に由りて生ず、貪念また停下する能わず、なお名声を顧るを要し、外は形体を傷り、内は心血を耗す、これは病を生ずるの路数。第二句「専ら心に役せらるるは敗なり」:私欲自己の聡明を蒙ふがゆえに、才幹あるを仗りて即ち驕矜し、勢力あるを仗りて即ち人を欺壓し、多くを貪りて全得を務め、結果事情を做して顛倒し、是非も亦た分かち清まらず、親友皆埋怨を弄せん、これは正に自ら失敗を取るの路数。
神為心役者亡。此為非法之動心,意外之舉動,全神注意,而事實反生障礙,偏重者而傾覆,溺愛者而惡感,是以含垢於心而如火焚,元神離舍而如觸電,以促其速亡之例。心為形役者貧。此為環境困乏,生活艱難,竭其心力,而其出路,牽制既多,遺累尤重,心血愈枯,而智計愈拙,生機日少,而漏巵日多,故為貧窮之例。
第三句「神の心に役せらるるは亡なり」:起こすは法度に合せざるの念頭、做すは人の意表を出づるの擧動、全副の精神皆それに撲上去し、事情はかえって處處障碍を生出す。一端に偏執するは終に傾覆に至り、愛する所に溺るるはかえって惡感を生ず、於是心裏垢を含み辱を忍んで火の燒くがごとく、元神軀殼を離れて電に触るるがごとし、これは人を催して速やかに死せしむるの路数。第四句「心の形に役せらるるは貧なり」:處境困乏、生活艱難、心力を耗盡して出路を找り、牽制既に多く・拖累なおさら重く、心血いよいよ熬えばいよいよ乾き、謀劃いよいよ想えばいよいよ拙く、生機は一天一天少なきがごとく、破漏は一天一天多きがごとし、これは貧窮の路数。
心為事役者夭。此為心有所欲,而出於邪行,或為美色愛情,或為奇珍玩品,既不能正式交涉,又無相當力量,事不能遂,志不能達,苦惱日增,精神日萎,故為夭壽之例。心為神役者死。此為神之所專,心之所使,既有離奇之阻礙,又有存亡之感慨,元神日枯,心血日衰,怨氣日動,景物日非,故為死亡之例。
第五句「心の事に役せらるるは夭なり」:心裏別に所欲する所有り、走るは卻って邪路、あるいは美色情愛に貪戀し、あるいは奇珍古玩に迷上す。既に光明正大を以て交涉に往く能わず、また相當の力量なくして以て支撑す、事情辦り成さず、心願達せられず、苦惱は一天多きがごとく一天に似、精神は一天萎れしがごとく一天に似、これは短寿の路数。第六句「心の神に役せらるるは死なり」:精神専注して一處に在り、心またそれに驅使せらる。既に離奇の阻碍に遇上り、また生死存亡の感慨を生じ、元神一天一天枯竭し、心血一天一天衰敗し、怨氣一天一天翻騰し、眼前景物一天一天變様す、これは死亡の路数。
公篤曰:余考達摩通篇精神,即此六句三十六字為第一,次則三疑之二十四字為第二,其三脫之二十七字為第三,又其次則相神之二十一字、測量之三十字,此皆達摩之精藝也。按六役之說,即佛家之貪嗔痴愛所種因,道家之喜怒愛惡之結果,常人之酒色財氣,而化出種種煩惱,以糾纒也。
陳公篤曰く:我達摩全書の精神の所在を考察するに、要するにここの六句三十六個の字を以て第一に居るを以てす、其次は三疑のあの二十四個の字、再び次は三脱のあの二十七個の字、再び下に往けば則ち相神の二十一個の字・測量の三十個の字——これら皆是れ達摩相法の精髓。いわゆる「六役」の説法は、其實は即ち佛家の講ずる所の貪・嗔・痴・愛の種下するの因、道家の講ずる所の喜・怒・愛・惡の結出するの果、即ち常人の身上の酒色財氣、此に由りて種種の煩惱を化出し、人を纏えて放さざるなり。三家の話頭は同じからずと雖も、指すは卻って同じ一件の事:人一たび念頭に驅使せられれば、形・事・神は便ち皆自己より作主せざるなり。
達摩以此三十六字,包括六根之魔、三昧之邪、因果之生勞病死苦、天機之玄妙、鬼神之幽冥、人事之蘊釀,不是他書自稱玄妙或秘訣,而一無所指也。蓋達摩以天機人事、潮流事實而言,如不貫澈儒釋道三家性命之旨、諸子百家玄妙之機,以及社會之研究、人情之趨向,萬不能指出心役形役、事役神役之層次。所不足者,蓋末指出何種形質之格,而有心役形役之發生;何種氣色之變,而有事役神役之應證。餘之詳註者,即補出形質氣色之根據也。
達摩はここの三十六個の字を用いて、六根の生ずる所の魔障・修定の中の邪見・因果輪廻の裏の生老病死の苦・天機の玄妙・鬼神の幽冥・人事の醞釀を、全てその中に包め入れたり。別の書の玄妙と自ら称し・秘訣と自ら称して、其實は何をも指實せざるに似ず。達摩は即ち天機人事・時勢事實に就きて論を立つるなり、若し儒・釋・道の三家の性命を講ずるの宗旨、諸子百家の玄妙の機括、および社会の研究・人情の趨向を皆貫通する能わざれば、絶えて心役・形役・事役・神役のここの幾層の次第を説き出づる能わず。彼の足らざるの地方は、いずれの一種の骨相形質か心役・形役を發生し、いずれの一種の氣色變化か事役・神役に應験するを指明せざるに在り。我がこの番の詳注は、正に形質と氣色との上の依據を補い出づる、讀者をして一张の臉を見れば即ちそれの六役の中のいずれの役に落つるを知らしめ、空に義理を談ずるにあらざらしめんと欲す。
蓋第一句,即形為心役者病。其事實則為智小大,力輕任重,明知其不能,而又勉強進行,漸次自誇自欺,以鼓勵之。中經飄搖挫折,勞碌無功,損失受怨,蛛網之牽纒,雀角之消耗,多方籌劃,而不能盡其善後,晝夜憂思,而不能完其解脫,故形為心役,而傷其形,轉成痼疾。余考上停雜紋間斷,印堂雙紋三紋,天倉陷而地庫弱,眉散亂而神緊急,此等形質皆應形為心役者病六字也。
先ず第一句「形の心に役せらるるは病なり」を説く。その實際の情形は:才智小にして志氣大、力量輕くして担子重く、辦り到らざるを明らかに知りて偏ねて勉强して做す、漸々自誇自欺を靠りて以て自己に気を打たしむ。中間に動盪挫折を経歴し、労碌一場として毫も成效なく、既に損失ありまた埋怨を招き、蛛網のごとく處處牽纏し、雀角の爭のごとく白々消耗す。多方籌劃すれど尾を収め得ず、日夜憂思すれど結を解き開かず、ゆえに形体は心思に役使せられ、形体を傷りて、痼疾に轉成す。我考驗の所得、額部上停に雜紋断續し、印堂に双紋あるいは三紋を生じ、天倉凹陷にして地庫虚弱し、眉毛散乱にして眼神��急——ここの一類の形質は、皆「形の心に役せらるるは病なり」のここの六個の字に応ず。
按第二句事為心役者敗。其事實則為私心自用,貪念不休,雖有才智而未受善教,雖有學識而未至純靜,驕氣日盈,遊蕩日怠,以致聰明蒙蔽,而反愚拙;驕傲凌虐,而反顛倒。一經挫折,則有疑是疑非;每有小過,而反謗上謂下。事未成而怨已深,身未立而禍將至,亂其常度,終為失敗。余考印破陷而逢沖,眉低陷而濃短,井灶薄而露孔,眼神愁而浮白,土星下墜而克水,口角下反而露齒,滿面浮光如豬脂,額準青光而浮膩,此等形質氣色,皆應事為心役者敗六字也。
さらに第二句「事の心に役せらるるは敗なり」を説く。その實際の情形は:一味私心自用、貪念肯んじて止息せず。才智あると雖も好き教養を受けたることなし、學識あると雖も純静に修め到らず、驕氣は一天一天漲満し、游蕩懈怠は一天一天加深し、聡明かえって蒙蔽せられて愚拙と顕れ、驕横して人を凌ぎかえって事情を做して顛倒するを弄せん。一たび挫折に遇えば便ち東を疑い西を疑い、稍く過失あれば、かえって上頭を謗怨し下頭に咎を遷す。事情未だ辦り成らざるに怨恨已に深く、自身未だ立て穩まらざるに災禍已に到り、常度一たび乱れば、終に失敗に帰す。我考驗の所得、印堂破陷してまた紋冲を受け、眉毛低陷して濃短、鼻孔「井竈」肉薄くして孔を露し、眼神愁を帯びて白多く、鼻は土星にして卻って下墜して水を剋し、口角下に反りて歯を露し、満臉浮光して猪油を抹したるがごとく、額頭と準頭と青を泛んで浮膩——ここの一類の形質氣色は、皆「事の心に役せらるるは敗なり」のここの六個の字に応ず。前の一役は身體の上に傷を受け、ここの一役は則ち事情の上に敗す、看るの部位も即ち上停より轉じて印堂・眉・鼻・口のここの幾處に到れり。
按第三句為神為心役者亡。其事實則為非法之妄想,過分之苛求,全神注重於其事,專心反覆籌其。或為資格之懸殊,或為才智之不逮,或為力量之有限,或為時事之障礙。加以陰而不可宣揚,穢行前猶憚鄙薄,隱忍含垢於心,而如火焚;沉默疑結於神,而如觸電。神昏智憒,精竭力絕,灰其心而不計輕重,迷其性而不計安危,盼其死之情急,希望生之念消,此外無路,惟其一死。
さらに第三句「神の心に役せらるるは亡なり」を説く。その實際の情形は:法度に合せざるの妄想を起こし、過分苛刻の要求を提し、全副の精神皆あの一件の事の上に壓し、翻來覆去して籌劃す。而して實際の上にはあるいは身份資格相差遠く、あるいは才智根本足らず、あるいは力量十分有限、あるいは時勢處處阻攔す。加うるに事情人に見る可からず・宣揚する能わず、穢行面前に擺れどなお人の鄙薄を怕れ、好んで屈辱を強く心の裏に忍び、火の燒くるがごとし。疑慮を沈默して神の裏に結び、電の撃つがごとし。於是神志昏乱・心智糊塗し、精力耗盡・氣力断絶す。心已に灰と成れば便ち再び軽重を計らず、性已に迷乱せば便ち再び安危を顧みず、死を盼むの念頭は一天急なるがごとく一天に似、生を求むの念頭は一天淡きがごとく一天に似。此外再び出路なく、ただ一死を剩すのみ。
余考烏珠凸露而浮四白,印堂懸針而至髮際,額骨破陷而聲音破散,赤縷貫瞳而口角覆舟,印堂赤黑,國印紅焰,三陽枯慘而無潤色,天門黑暗而無生氣,神變常度,而買光退脫;性反常度,而顛倒行為,滿面火焰桃花,上亭慘白枯骨,此皆死亡形質氣色,而應神為心役者亡六字也。
我考驗の所得、黒眼珠凸露して四周に白眼を浮出し、印堂に一条の懸針紋を生じて直に髪際に上り、額骨破陷して声音破散し、赤色の血絲瞳仁を貫穿して口角下垂して覆舟のごとく、印堂に赤中帯黒を現じ、「国印」部位に紅焔灼灼のごとき、「三陽」枯惨にして毫も潤色なく、「天門」黑暗にして毫も生氣なし。神情常度を失い、眼中の光退散走脱す。性情常度を反し、行事全然顛倒す。満臉火焔桃花の色、上停一片惨白して枯骨のごとし——これら皆是れ死亡を主るの形質氣色、正に「神の心に役せらるるは亡なり」のここの六個の字に応ず。
按第四句,心為形役者貧。其事實則為前業蕭條,環境惡劣,生活日高,生齒日繁,既無一定財源,又無規定城業,家庭失其能力,親友失其輔助。始而聲東堆西,繼而支南吾北。交際則皇皇慎重,以掩飾其虛;談笑則津津有味,以混淆人聲。面興心異,與願奢,良心既知其不可,應付又苦於無方。於是竭其心力,困其形體,為家庭生計,為個人表面,牽制既多,遺累尤重,加以漏巵不塞而多靡費,鋪張虛設而暗吃虧,雖有智者而不能撐持,賢者而不能挽回,此為盈不補漏,得不償失,故稱心為形役者貧。
さらに第四句「心の形に役せらるるは貧なり」を説く。その實際の情形は:先前の家業已に凋零し、處境また惡劣、物價は一天高きがごとく一天に似、人口は一天多きがごとく一天に似。既に固定の財源なく、また確定の産業なし、家裏幇ぬるに上がらず、親友もまた援手を失去せり。起初はなお東に挪り西に凑え得、後来は即ち南に支え北に絀す。應酬する時は鄭重其事の様子を装出し、以て内裏の空虚を掩飾す。談笑する時は興致勃勃の様子を装出し、以て別人の耳目を混過す。臉上は熱鬧にして心裏両様、力量有限にして願望奢侈。良心明らかにこも成らざるを知りて、應付し起こせばまた苦しみて辦法なし。於是心力を耗盡し、形体を困住し、一半は家庭生計のため、一半は個人の体面のため、牽制既に多く・拖累なおさら重し。加うるに破漏堵住せずして多く耗費し、鋪張して様子を擺して暗中に虧を喫す、縱い智者あるとも支撑し得住せず、縱い賢者あるとも挽回し來たらず。これは即ち漏を補い上がらず・得は失に償わざるなり、ゆえに「心の形に役せらるるは貧なり」と叫ぶ。
余考耳珠圓厚而廓飛反,南嶽高超而上陷削,兩眉稀政而散亂不常,兩目流光而清潤似愁,井灶薄小而紋,鼻樑露削而曲,眉頭多紋而近印,土星多尖而壓蕩,聲音散漫而不收,精神萎縮而多怯。氣色則為青光汲汲,燥色溶溶,浮膩而如膏塗脂,塵滯而薄紗染皂,筋絡露痕而不藏肉,黯暗雜花而不合時,滯沉而似寒,滑終而如粉。此等形質與氣色,則應心為形役者貧六字也。
我考驗の所得、この種の人は耳垂圓厚なりと雖も耳廓外に飛び翻り反し、額は「南嶽」にして高聳すと雖も上部陷削し、両眉稀疏して散乱にして條理を成さず、両眼流光あると雖も清潤の中に愁色を帯び、鼻孔「井竈」薄小にして紋を帯び、鼻梁露骨削瘦して彎曲し、眉頭に紋多くして印堂に逼近し、鼻頭「土星」尖削して人中に壓し向い、声音散漫して収め得住せず、精神萎縮して怯懦多し。氣色の上は則ち青光急迫・燥色浮泛を見、油腻して脂膏を塗りたるがごとく、塵滞して薄紗の皂色を染めたるがごとく、筋絡顕痕にして肉蔵する能わず、暗淡雑色にして時令に合せず、沉滞して寒を受けたるがごとく、滑白して粉を敷きたるがごとし。ここの一類の形質と氣色とは、皆「心の形に役せらるるは貧なり」のここの六個の字に応ず。上面の幾項は骨肉の相、後面の幾項は氣色の變。骨肉はその一生の底子を定め、氣色はその眼下の處境を定む、両者皆缺ければ、貧は便ち躲れ掉る得ざるなり。
按第五句,為心為事役者夭。其事實則為嗜好之偏重,淫蕩之邪行,每有出奇之思想,常懷好勝之舉動。或為名利之非正路,或為美色之新創學,奇珍玩品可以動其心,狗馬彩禽自為移其志。既不能正式交涉,又無相當力量,外不能明自宣佈,內不能消減妄念,勉強積極進行,多方籌晝策,障礙之事實太多,反動之力量尤大。一經卷入漩渦,便為附骨之疽;每有倉猝失足,引為終身之恨。波外生波,一波末平,一波又起;禍中有禍,此禍末了,彼禍又興。既無切實解決之辦法,又無先預退步之計劃,事不能遂而飲恨吞聲,志不能達而驚魂動魄,精神受其限制,心性受其拘束,中痞臃塞,氣機不宣,骨消形瘦,慾火相爍,故心為事役,是為夭壽。
さらに第五句「心の事に役せらるるは夭なり」を説く。その實際の情形は:嗜好一處に偏し、行為淫蕩に流れ、動もすれば出奇の想頭あり、常に好勝の擧動を懐く。あるいは名を求め利を求めて走るは正路にあらず、あるいは美色に貪戀して別に一套の新説を立つ。奇珍古玩は能く彼の心を動かし、走狗跑馬・鬥禽賞鳥は能く彼の志を移す。既に光明正大を以て交涉に往く能わず、また相称の力量なくして以て支撑す。外は公開宣布する能わず、内はまたあの份の妄念を消し掉る能わず、好んで頭皮を硬くして前に往きて推し、多方籌謀策劃す。しかるに阻碍するの事實太だ多く、反彈の力量なおさら大なり:一旦渦に卷け入れば、便ち骨の上に附するの毒瘡と成る。往々にして一たび倉猝に足を失足せば、便ち終身の恨と成る。波の外にまた波起り、一波未だ平らがざるに一波また起る。禍の裏にまた禍を蔵し、此の禍未だ了せざるに彼の禍また興る。既に切實の解決の辦法なく、また預先に留下せる退路なし。事情辦り成らざればただ恨を飲み声を呑むの能うのみ、心願達せられざればただ驚魂動魄に落つるのみ。精神それに拘限せられ、心性それに捆束せられ、胸中痞塞して氣機宣暢する能わず、骨枯れて形瘦せ、欲火煎熬す——ゆえに心の事情に役使せらるるは、即ち短寿。ここの一役は「形の心に役せらるる」と同じからず:あれは力任に勝えずして積労して疾と成る、これは心邪路に陷りて自ら性命を傷る、ゆえに一個はただ一個の病に落ち、一個は卻って寿を折る。
余考心為事役,多以氣色為據。如福堂黑暗而雜花,印堂油膩而浮,滯三陰青枯而赤縷縱橫,兩額紅赤而黑影瀰漫,土星一點赤黑人命宮,人中一縷烏絡入水星,兩奸門黑赤青色混合,兩天門枯慘垢色雜聚,青黑之氣一縷,由口角而入命門;青赤之氣一棧,由外顴而插眉尾;三陽紅黑,混亂如珠;印堂青白,交聚如針。此皆凶氣,而應心為事役者夭六字也。
我考驗の所得、「心の事に役せらるる」のここの一条は多く氣色の上より據を取るを要す。譬えば「福堂」部位黑暗にして雑色斑駁し、印堂油腻浮泛し、「三陰」青枯して紅絲縦横交錯し、両側の額頭紅赤して黒影彌漫し、鼻頭「土星」一点の赤黒直に命宮に入り、人中に一缕の烏色脈絡直に口部「水星」に入り、両辺の奸門黒・赤・青の三色混雜し、両側の「天門」枯惨にして垢色雑聚す。一缕の青黒の氣口角より命門に侵入し、一道の青赤の氣外顴より眉尾に挿し向う。「三陽」の處に紅黒混乱して珠のごとく、印堂の處に青白交聚して針のごとし。これら皆是れ凶氣、正に「心の事に役せらるるは夭なり」のここの六個の字に応ず。ここの一役の専ら氣色を看るを要する所以は、それは私欲邪行より招来するに因り、来ること急にして去ることもまた快く、骨相の上に未だ必ずしも痕迹を留下せず、ただ色の上に於て先に消息を透すのみ。
按第六句為心為神役者死。其事實則為才高而偏,性敏而傲,每有離奇之幻想,常存抱負之大志,憑空著手而飛越正軌,持強立足而推倒眾人,不避仇怨,不計輕重,達而任意驕橫,窮而違言忤戾。或為精神戀愛而結不解之緣,或為理想妄貪而作黃粱之夢。全神之所專,兩心之所使,寧為雞口勿為牛後之用氣,執其已意違其眾心之傷神。私慾壘壘如海潮,陰鬱鬱如閃電,別有佳境不能愜其意,另有生機不能如其願,注意者重過於存亡,凝神者不計其生死,以致元神日耗,精血日枯,怨氣日梟,慧根日減,此為致死之由。
さらに第六句「心の神に役せらるるは死なり」を説く。その實際の情形は:才氣高くして偏枯、性子敏鋭にして傲慢、動もすれば離奇の幻想を生じ、心裏常に過大の抱負を存す。空に憑りて手を動かして正軌を越出し、強を逞して脚を站め住めて衆人を推倒す。怨を結ぶを避けず、軽重を計らず。志を得る時は任意に驕横し、意を失う時は言を出して忤逆す。あるいはいわゆる精神戀愛に陷入して、解き開く能わざるの縁を結下す。あるいは妄想貪求を抱きて、一場の黄粱大夢を做す。全副の精神ただ一處に専し、心またそれに驅使せらる。「寧れ鶏口と為れ、牛後と為る勿れ」の一股の氣を抱定し、己見を固執して衆心に違逆す、最も神を傷る。私欲層層堆積して海潮のごとく、陰鬱の氣驟に發して閃電のごとし。別になお好き境地あるも彼は意に称うを肯んぜず、別に走る可き活路あるも彼は願に遂うを肯んぜず。所在意するは生死よりもなお重く、神を凝してその上に在れば便ち再び存亡を顧念せず。於是元神一天一天消耗し、精血一天一天枯竭し、怨氣一天一天張揚し、慧根一天一天減損す——これは即ち死を致すの縁由。
余考赤縷貫瞳而復纏烏珠,印堂十字而復破華蓋,凸睛而又三角之眼,破額而又破鑼之聲,三曲鼻而配吹火口,兩夾眉而配分尸紋,雙眉鎖印而加螣蛇鎖口,四白露神而加準尖露孔,聲濁氣寒而露煞,肉流皮緊而尸行。加以氣色黑暗而如油垢,枯白而如溼灰,紅而不潤,赤而沉滯。此等形質氣色,則應心為神役者死六字也。以上三十六字,可謂相法之經,不可粗心忽略,愈深思而愈有味,愈推想而愈有法,讀吾書者請從此處用功可也。
我考驗の所得、この種の人は紅絲瞳仁を貫穿してまた黒睛を纏住し、印堂に十字紋を生じてまた「華蓋」を冲破し、眼珠凸出して兼ねて三角眼、額骨破損して兼ねて破鑼のごときの声音、鼻梁三曲して一張の吹火口に配し、両眉相夾して分尸紋に配し、双眉印堂を鎖住してまた螣蛇紋の口を鎖するを加え、眼白四露して神光外泄しまた準頭尖削・鼻孔外露を加え、声音渾濁・氣息陰寒にして煞氣を露出し、肌肉松流・皮膚繃緊にして走路僵直して尸のごとし。加うるに氣色黑暗して油垢のごとく、枯白して濕灰のごとく、紅にして潤わず、赤にして沉滞す。ここの一類の形質氣色は、正に「心の神に役せらるるは死なり」のここの六個の字に応ず。以上の三十六個の字は、相法の經典と言う可し、粗心して放過す可からず。いよいよ深思すればいよいよ味あり、いよいよ推想すればいよいよ法度を見る、我がこの部の書を讀むの人は、請うここより工夫を下せ。
達摩相法第五章
火焰上炎,末笄而寡;水流滿洫,垂老而孤。日月高懸,三十六必孀慘;陵冢茂實,二十五定龍騰。火焰繫南嶽尖拱,二十以前刑夫,當以二十以後出閣,則減輕刑剋。水流者,人中平滿也,有子必刑,但眉曲者,有一二子也。日月角高,亦主中年刑夫。丘陵冢墓高超方吉,而興家也。按女格不重正部,而取六府之輔佐部位也。
女子の鼻火焔のごとく上炎するは、未だ及笄の年に到らざるに寡を守らんとす。人中水流に満ちて溝なきのごときは、老いて依るなし。日月角高く懸起するは、三十六歳の上に必ず孀居の凄惨に遭う。丘陵・塚墓の両部豊満結實のは、二十五歳の上に便ち騰達を得。作者の解説:いわゆる「火焔」は、鼻を南岳と為して尖峭拱起するを言い、この種の女子は二十歳以前に嫁せば即ち丈夫を刑剋す、応に二十歳以後に再び出閣すべく、以て刑剋を減輕する能う。いわゆる「水流」は、人中平満にして溝なきを言い、兒子あれば必定刑剋す、ただ眉毛彎曲して情あれば、なお一両個を保住する能う。日月角高きは、亦た中年に夫を刑するを主る。丘陵・塚墓の両處高聳してこそ吉と算え、能く家を興すを主る。須く女相は五官の正位を重んぜず、而して六府のこらの輔佐部位を取るを知るべし。
印堂常明,相夫登第;淚堂青黑,任意招淫;耳輪反覆,刑夫不一;眉稜斜散,破產非常。印堂常明黃,當然助夫而貴。淚堂青黑,其人多淫而刑剋人丁,子女夫星皆不旺。耳輪反覆,初年否,一主天姿愚拙。眉稜斜散,於女格頗輕,破產之說過重。
印堂常に明亮を保つのは、能く丈夫を助けて金榜に題名せしむ。下眼瞼「涙堂」青黑のは、放縱にして淫事を招く。耳輪外翻のは、夫を刑すること止まずして一次ならず。眉稜骨斜削にして眉毛散乱のは、家を破り産を敗ること小可に非ず。作者の按語:印堂常に明黄の色を現ずれば、自然丈夫を輔助して貴を得。涙堂青黑の女子は淫多く、併せて子嗣を刑剋し、子女宮と夫星と皆旺ならず。耳輪外翻のは、早年順ならず、亦た天資愚鈍を主る。眉稜斜削散乱に至っては、女相の中に於て分量は本より軽く、原文の破産に説き到るは、未免断じて太だ重し。
奸門不陷,多子又賢;淚堂平安,多女而貴。求妾問子,定須清穩而年壽豐隆;娶媳問德,只要澀重而髮膚香潤。奸門為夫星專部,不陷即夫旺。淚堂關係子女,左男右女也。年壽豐隆,少疾厄也。至於子女,尚以人中臥蠶眉曲印平為重。澀者,含羞之貌;重者,慎重之謂;香潤為女格之必要。
奸門塌陷せざるは、兒子多くして且つ賢なり。涙堂平満安穩のは、女児多くして且つ貴なり。妾を納るに若し彼女の子息あるや無きやを問わば、一定要相貌清正沈穩にして鼻梁の年上・寿上豊隆ならん。媳を娶るに若し彼女の徳行いかんを問わば、ただ挙止靦腆持重・頭髮肌膚香潤なれば即ち好し。作者の解説:奸門は是れ夫星の専属の部位、陷らざれば即ち夫運旺なり。涙堂は子女に關係し、左辺は兒子に応じ・右辺は女児に応ず。年上寿上豊隆の人は病少なく災少なし。子女の多寡に至っては、なお人中・臥蠶・眉毛彎曲・印堂平満のここの幾處を以て重と為すを要す。いわゆる「渋」は、羞を含むの神態。いわゆる「重」は、行事慎重。髮膚香潤は、則ち女相の少く可からざるの一条。
項強胸突,刑夫克子而惡終;目秀指尖,旺子順失而永壽;陰戶不封不樹,無子女而有私;頭面又黃又白,有福祿而無垢。女格項短而強,主刑賤而毒;胸突主子少而苦。目秀指尖,主閒福而有子女,壽則不驗。不對者,言挺露無肉,而有兩側骨斜插;不樹,無毛也。黃自之說,是否與形質合耶,或為天道驗此耶。
脖項粗強・胸骨凸出の女子は、夫を刑し子を剋して善終を得ず。眼目清秀・手指尖細の女子は、子息興旺にして長寿を享く。陰部合せず毛を生ぜざるは、子女なくして私情あり。頭臉兼ねて黄白の色を見るは、福あり禄ありて瑕疵なし。作者の按語:女相の脖子短くして強硬のは、刑剋・下賤にして心毒を主る。胸骨凸出のは、子女少なくして一生辛苦を主る。眼秀指尖のは、清閑の福ありて併せて子女あるを主る、長寿の一項に至っては則ち応験せず。いわゆる「不封」は、陰部挺露して肉なく両側にまた骨頭斜挿あるを説く。いわゆる「不樹」は、即ち毛なし。黄白の色のこの一説に至っては、究竟形質と相合するや否や、それとも天道別に応験あるや、作者は疑を存して未だ定まらず。
沉睛蕩足,掠鬢支頤,皆淫奔之婦;聲清色定,寡笑安步,皆貴壽之人。沉睛為注意之深思,蕩足為飄搖之不正,掠鬢支頤皆容易感動腦筋而慕虛榮,變更性情而生嫉妒,故有貪物品而淫奔。聲清主貴壽,色定主志堅,寡笑主謹慎,安步主正重,此數則均驗。
眼珠下沉して凝視し・脚停まらずして揺晃し、動もすれば鬢角を攏り・腮を托するは、ここの幾様皆是れ私奔淫蕩の婦の相。声音清亮・氣色安定、笑うこと少なくして步履安詳のは、ここの幾様皆是れ既に貴く且つ寿あるの人の相。作者の解説:「沉睛」は心裏別に深く盤算する所有り、「蕩足」は心神飄搖して正ならず、鬢を掠め・頤を支うは則ち皆この人の外物に打動せられ易くして虚榮を慕うを表示し、性情説けば變じて嫉妬を生ず、ゆえに財物を貪るがために私奔せん。声音清なれば則ち貴寿を主り、氣色定まれば則ち志向堅きを主り、笑うこと少なければ則ち謹慎を主り、步履安詳なれば則ち端正持重を主る——ここの幾条は皆甚だ靈験なり。
得意中向人顛倒,豈是賢良;失意後向人懊怒,終非遠器。得意而反顛倒,其中另有用意,非一奸貪,即陰毒,故曰非賢良之人也。失意而反怒罵,此為自殺理策,終為受制,故曰非遠器也。
正に意を得るの時候にかえって人に對して低声下気・顛三倒四するは、これはどうして賢良の輩ならんや。一旦失意すれば人に對して懊惱怒罵するは、終に能く大器と成るの人にあらず。作者の解説:意を得る時かえって人に對して卑屈周旋するは、それは心裏別に打算あり、奸貪に非ざれば即ち陰毒、ゆえに彼を賢良の人にあらずと言う。失意の時かえって口を破りて怒罵するは、これは自ら退路を断ち・自ら籌算を毀るに等しく、終に人に受制せん、ゆえに彼を遠大の器量あるの人にあらずと言う。
眉目上殺印堂,毒殺自罹羅網;顴準高稜年壽,妬凶獨守孤孀。眉目上殺,此為奴欺主之格也。印堂為全部之元首,亦女格之夫星,故有毒殺之惡刑。顴準過高,其人偏傲而驕,代夫之權,刑夫之格,自恃其才貌而任意兇悍也。
眉と眼との煞氣上に冲りて印堂を犯すは、毒を下して人を殺すに因りて自ら法網に投ずるを因る。顴骨と準頭と高聳して稜を帯び・年上寿上を欺壓するは、性情妬忌にして凶悍、独り孀居を守る。作者の解説:眉目の氣の上に冲りて印堂を犯すは、これは奴僕の主人を欺凌するの格局。印堂は全臉の元首の位、女相の裏に於てはまた夫星の所在、ゆえに丈夫を毒殺するのごときの惡刑あり。顴骨・準頭高きに過ぐるの女子は、性情偏執にして驕傲、是れ夫に代わりて権を掌り・夫を刑剋するの格局、彼女は才貌を自恃し、行事任性にして凶悍なり。
臨困窮而不貪者是德,處英年而寡慾者多子。困窮不負,男子亦是大英堆,女子則為節德可風之人矣。英年節慾,不惟旺子,而且少疾多壽。此二句可抵一篇格言也。
身困窮に處して貪心を起こさざるは、これは是れ徳。正に盛年に當たりて能く欲を寡くするは、ここのようの人は子息多し。作者の解説:困窮の中に苟くも取るを肯んぜざるは、男子に於ても大英雄と算え得、女子に於ては便ち節操徳行風範と為るに足るの人。年少力壮にして能く情欲を節制するは、不但子息興旺、而且病少なくして寿多し。ここの両句の話は、一篇の格言に抵り得。
相骨先額次鼻,不粗不露為上;相肉貴直賤橫,不浮不枯為佳。喜質為相法之一部份,但在頭部亦占重要點,故云額與鼻,又以不租不露為合法。粗者勞碌,露者刑剋,故也。內法雖為相學之一小部,不過含有氣質,故以不浮不枯為合法。浮者困窮,枯者夭亡,故也。
骨を相するは先ず額を看、其次は鼻を看る、粗糙ならず・外露せざるを以て上と為す。肉を相するは直を重んじて横を軽んず、浮泛せず・枯槁せざるを以て佳と為す。作者の解説:骨質はただ相法の一部分、ただ頭部に於ては卻って要緊の地位を占む、ゆえに専ら額と鼻とを提げ、併せて粗ならず露せざるを以て法度に合と為す——骨粗の人は労碌し、骨露の人は刑剋す、道理はここに在り。肉法はただ相學の中の一小門類なりと雖も、それは一個人の氣質を含着す、ゆえに浮せず枯れざるを以て法度に合と為す——肉浮の人は困窮し、肉枯の人は早夭す、道理もまたここに在り。
相形要軒昂,欹垂者為貧賤;相坐要強健,安穩者為富貴。形以軒昂二字為法,亦從氣魄上論之。歌者仰也,垂者伏也。欹者性偏而受奇窘,孤僻而貧;伏者愚魯而多冷退,賤相而夭。坐者亦相法之小補也,強健言稟受之氣厚也,安穩為吉。
形体を相するは轩昂なるや否やを看るを要す、歪斜低垂のは貧賤を主る。坐姿を相するは強健なるや否やを看るを要す、坐ること安穩のは富貴を主る。作者の解説:形を論ずるは「轩昂」の両字を以て法を立つ、亦た一個人の氣魄の上より看るなり。轩は是れ仰起、垂は是れ伏下。身形歪斜の人は性情偏執、出奇の窘困に遭遇し、孤僻にして貧寒なり。身形伏塌の人は愚鈍遲滞、處處退縮冷落し、相は既に下賤また短命を主る。坐相は則ち相法の中の小補充:坐ること強健は、彼の禀受するの元氣厚きを言い、坐ること安穩は、即ち吉なり。
喜時代怒,必是勞苦之人;怒時代喜,定為慳格之輩。喜怒二字,為性情之根據,則其豪慨慳格分於此。又內從心而發,則天性之善惡自見。故喜時代怒,其勞苦必應,亦從顧忌多而繼之;怒時代喜,其慳格必應,亦從險惡虛而斷之。
喜すべきの時にかえって怒容を現ずるは、一定是れ一生労苦の人。怒るべきの時にかえって笑容を現ずるは、必定是れ慳吝刻薄の一路。作者の解説:喜と怒との両個の字は、是れ性情の根據、一個人の豪爽慷慨なるかそれとも慳吝小氣なるかは、即ちここより分かち出づ。而且喜怒皆内心より發出し、天性の善惡は自然顕露す。ゆえに喜すべきにかえって怒るの人は、労苦必定應験す、それは彼の顧忌太多きのここの一点より接きて推斷するなり。怒るべきにかえって喜ぶの人は、慳吝必定應験す、それは彼の心地險惡にして外表虛假なるのここの一点より斷定するなり。
對人偷視,莫與交遊;無人自言,豈堪遠大。目以正視為合格,上視多驕,下視多險,側視多邪行。此云偷視,其行既不正,其心又不可測,故云莫與交遊,言其有毒也。無人自言,主愚拙,然亦有神經失用之例,心地窄狹故也。
人に對して偷偷として斜めに看るは、彼と來往する勿れ。人傍に在らざるに卻って自言自語するは、どうして遠大の事を擔當し得ん。作者の解説:眼睛は平正直視を以て合格と為し、上に看るは多く驕慢、下に看るは多く陰険、斜めに看るは多く邪行。ここに言う所の「偷視」は、行為既に端正ならず、心思また測度し難し、ゆえに彼と交游す可からずと言う、是れここの種の人の毒心を存するを言うなり。人なくして自ら語るに至っては、愚鈍笨拙を主る、不過亦有神經失常の例に属するあり、根子は皆心地狹窄に在り。
坐勿低頭方有壽,食多淋落必受貧。項為天柱,即醫家之大椎穴,故久病低頭者死,故平常低頭者不壽。食多淋落,即猴食鼠食之例,故主貧苦而無享福也。無痰常吐,吐而不收,先富後貧;有話欲言,言而不足,有頭無尾。無痰而此者氣衰,吐而不收者,其人恍憾無用,故為紈絝子弟而不受善教也。欲言不足主愚拙,又主妄貪,故有心亂無把握之舉動,其人寡情少義,故稱有頭無尾。
坐して頭を低えざればこそ寿数あり、喫飯の時飯菜多く洒落するは必定窮を受く。作者の解説:頸項は是れ人身の「天柱」、即ち醫家の説く所の大椎穴、ゆえに久病の人は一たび頭を低えれば即ち死せんとす、平日頭を低えるを習慣とするの人も亦た長寿ならず。喫飯洒落して地に満つるは、即ち相書の説く所の猴食・鼠食のあの一類、ゆえに貧苦にして福を享け到らざるを主る。又た、痰なきに常に口水を吐き、吐いてまた収め得住せざるは、先に富み後に貧なり。話言わんと欲して説き周全せざるは、做事頭ありて尾なし。作者の解説:痰なくして常に吐くは元氣已に衰えたり。吐いて収めざるは、この人恍惚無用・多く是好き教養を受けざるの紈袴子弟を説明す。話を想いて説き完整せざるは愚拙を主り、亦た妄想貪求を主る、ゆえに行事心乱れて把握なし。ここの種の人は寡情少義、ゆえに彼を有頭無尾と称す。
疾言口撮,破敗飄零;無事匆忙,離宗困頓。疾言者,不慎重之態;口撮者,吹火之態,故主損失而刑人丁。無事仁者,多成多敗,每出貧苦之家,而易地生,易成易敗也,一為有神經病也。
説話急促・嘴唇撮起のは、家業破敗して人生飄零す。事なきに總て匆匆忙忙のは、宗族を離れて困頓す。作者の解説:説話急促は、是れ行事慎重ならざるの様子。嘴唇撮起は、是れいわゆる吹火口の形状、ゆえに財を破り併せて家中の人丁を刑剋を主る。事なくして忙しく停まらざるの人は、一生成多くまた敗多く、多半出身貧苦人家、故郷を離れてこそ立身する能う、成ることも快く敗るることも快し。別に一種あり、則ち神經上の病症を患うなり。
紅絲纒眼,山根筋起者重刑;丹朱塗唇,滿面桃花者浮蕩。紅絲貫烏珠,主刑剋而驚險;山根青筋主疾,故曰重刑。唇如抹珠者,聰明而祿,加以桃花面,則明敏而邪蕩淫亂也,即俗謂飽暖而思淫慾故也。
紅絲眼の中に纏繞し・山根の上にまた青筋を起こすは、刑剋極めて重し。嘴唇紅くして朱砂を塗りたるがごとく・満臉また桃花色を泛ぶるは、人と為りて軽浮放蕩。作者の解説:紅絲黒眼珠に貫入するは、刑剋にして併せて驚険多きを主る。山根に青筋を現ずるは疾病を主る、両様併び見ゆ、ゆえに刑剣甚だ重しと言う。嘴唇朱紅を抹したるがごときの人は本より聡明にして禄あるを主る、しかるに加うるに一张の桃花面あれば、便ち聡明機敏なれど邪僻淫蕩と變成す、正に俗説の飽暖して淫欲を思うの縁故なり。
公篤曰:《麻衣相法》三章,《達摩相法》五章,此為真跡,而達摩之法,則百深過麻衣遠矣。故六役之心法,三疑之包括,三悅之取法,測量之見解,皆非他書所能望塵也。不但不解其法,而且不明其義,故世人只知有麻衣,亦千餘年之埋沒也。余按《四庫全書》選《柳莊相法》,而達摩麻衣皆不選。查柳莊為永樂時人,其書之傳,即永樂尊其人耳。其解麻衣之六眉害,多附邪說惑人,而不循正義;又解達摩之五露,亦錯訛妄語,而偏重異端。據此二者,可見其相法之精良與否。然其學識雖,而遇合頗佳;達摩之學識雖高,而遇合太否,此其書之傳與不傳者,亦幸與不幸者耳。
陳公篤曰く:《麻衣相法》の三章・《達摩相法》の五章は、皆是れ真本、而して達摩のここの一路の法度は、麻衣に比べて深きことなおさら多し。ゆえに六役の心法・三疑の包擧・三脱の取法・測量の見解は、皆別の相書の追い得上がる所にあらず。世人は不但その法を懂せず、而且その義を明らかにせず、因りてただ麻衣あるを知るのみ、これ亦た達摩相法の千餘年來埋沒せられたるの縁故なり。又た、我《四庫全書》を査するにただ《柳莊相法》を収むるのみ、達摩・麻衣の両家は皆収めず。柳莊相法の作者袁珙は明の永樂年間の人、彼の書の流伝し得るは、不過永樂皇帝のその人を看重するに因るのみ。彼の麻衣の六種の害眉を解するは、多く邪説を附會して人を惑わして正理を循ばず。彼の達摩の五露を解するも、亦た是れ錯訛妄語にして異端に偏重す。ここの両處に就きて看れば、彼の相法の精良なるや否やは便ち知る可し。然るに彼の學識は雖(ここに底本脱文あり)、際遇は卻って甚だ好し。達摩は學識高しと雖も、際遇は卻って太だ差なし——書の傳わり来たる能うや否やは、亦た不過運氣の好壞のみ。ゆえに一部の書の傳世するや否やは、併せて以てその高明を証明するに足らず、相書を讀むの人は切に名頭のみを認む可からず。
余考達摩之法,精粹頗多,其所不足者,即天道厚薄、時世衰盛,而無活法變法之分別也,其人事則詳言無遺矣。蓋天道厚,其人稟受厚,而壽者多;天道薄,其人稟受薄,而夭者多。時世盛則平安而持久,時世衰則暴發而易過。如盛世之格,眼神清潤黑自分明者貴;衰世則烏珠玄明而露黃光者貴,此盛衰相反處,大概不合居多數,達摩無變法之活法耳。其法有不驗者,即天道不合也。餘之全錄者,亦恐將來天道輪轉耳,又於研究相法者,多一層考驗,而容易進步耳。
我達摩のここの一路の相法を考察するに、精粹の處甚だ多く、それ足らざるの地方は、天道の厚薄・時世の盛衰を分かちて活法と變法と為さざるに在り。人事の一面に至っては、則ち已に講じ詳盡にして遺漏なし。天道厚きの時は、人の禀受するの元氣もまた厚く、長寿する多し。天道薄きの時は、人の禀受するの元氣もまた薄く、早夭する多し。時世興盛すれば、人多く平安にして能く持久す。時世衰乱すれば、人多く驟に起りて長保し難し。譬えば太平の世の格局は、眼神清潤・黑白分明を以て貴と為す。衰乱の世に到れば、かえって黒睛深沉にして黄光を透出するを以て貴と為す。これは即ち盛衰の間の相反するの地方、多半號に對せず、ただ達摩の時に隨いて變通するの活法を立下せざりしに因るのみ。彼の法の時に応験せざるあるは、正に天道の合せざるの致す所。我それを全文照録するは、一来は將來天道輪轉してなお用い得るを怕り、二来もまた相法を研究するの人をして一層の考驗の資料を多くせしめ、進境容易ならしめんがためなり。
