Libo

臥相說

民国 · 陈公笃 · 第20巻 / 21

余考瞳人之部位,關人賢愚,及勤慎疎懈之關鍵。短見瞳人散大者,有大志而不勤,雖博學而不周,似乎疏懶輕視,而有偏性之浪漫行為。其瞳人合度者,作事有恆,堅忍耐勞,勤慎持久,而有遠見之積極進行。其瞳人縮小而收者,名曰聚瞳。余考聚瞳之人,聰慧異於尋常,凡讀書則過目不忘,又主有專長之技藝以鳴世,而享大名也,或為音樂琴棋書晝,或為雕篆醫卜星相,皆不學而成,方是聚瞳。余屢次試之不妄。今更名曰天真,即先天真竅之義而名之也。

我は瞳人のこ一處を考察するに、人の賢愚および勤謹か還是懶散かに關係する關鍵である。見識短淺して瞳孔散大の人は、大志あると雖も功夫を下すを肯んぜず、博學なると雖も周密ならず、看れば疎懶輕慢、行為は偏執の浪漫氣を帶ぶ。瞳孔の大小度に合する人は、事を做すに恆心あり、堅忍耐勞、勤謹持久、遠見ありて積極して做し往くを肯んず。瞳孔の收縮して小さく聚まるを、「聚瞳」と呼作す。我は聚瞳の人を考察するに、聰慧は常人に遠く過ぎ、書を讀みて目を過ぎれば忘れず。また身に一門の專長の技藝を懷きて名を一時に動かすを主る――あるいは音樂琴棋書畫に精し、あるいは雕刻篆刻・醫卜星相に擅長し、皆學ばずして會する、これこそ真の聚瞳と算す。我は屢次試驗す、皆虛妄ならず。ここは如今我は改名して「天真」と呼ぶ、先天の真竅の義を取る。瞳人を看るは大小美惡に在らず、而して收り得住るか收り得住らざるかに在り。收り得住る人は心力專一、收り得住らざる人は心思渙散、これは人の器を成すか否かを斷ずる要著である。

十二、大眼角之外眥而外,名曰中勾陳,下名曰淚堂,內屬肺管之通過繫。按鼻為四竅,兩直竅上人腦海,下督脈也;此即兩側竅,由大眼角之內眥而至會厭,以合咽喉,下接肺管也。此醫學家之謂鼻為肺金:若云側竅通肺則可,若云完全屬肺則不可。

第十二處、大眼角の外眥以外の處を「中勾陳」と呼び、それの下面を「淚堂」と呼び、内に肺管の通過系を配属す。前面に鼻に四竅あるを說き過ぐ。兩條の直竅は上に腦海に入り・下に督脈に連なり。ここに說くはすなわちあの兩條の側竅で、大眼角の内眥より會厭に通じ、咽喉と相合し、再び下に肺管に接す。醫家の所謂「鼻は肺金に属す」は、指すはすなわちこ個である。若し側竅が肺に通ずと說かば、それは說き過ぐべし。若し鼻子が完全に肺に属すと說かば、それは對せず。(按:原文の「上人腦海」、「人」は當に「入」と作るべし。)

其地有青滑浮膩之氣,則為傷陰之病,而有夜不安眠,神不守宅,多夢遊而有驚悸不安之象,失其常度也。如有紅絳浮光,則有哭泣人丁,於血統之瓜葛親戚,有損傷人口也。如有黑黯赤滯之氣,則有憂思鬱結,夙怨之顧忌,嫌疑之是非,以及作事多挫折反覆,條約不生效,而失信守,遺累既多,牽制尤大,故動憂愁思慮,而不決斷,亦有顛倒錯誤,而至危害。如有黃明紫潤之氣,則主人口平安,事實順遂,又無疾厄之糾纏,又無是非之障礙。原名中勾陳,今亦從舊也。

こ一處に若し青くして滑腻虛浮の氣を現ずれば、陰分傷を受くる病で、夜裏睡り安穩せず・神魂その舍を守らず・多夢游走・驚悸不寧の現象會有し、整個人は常態を失す。若し紅絳して浮光外露の色を現ずれば、家中有りて喪亡哭泣、あるいは血親姻親の一邊に人口を折損するを主る。若し黑黯赤滯の氣を現ずれば、心中の憂思鬱結・舊日の怨仇に對し顧忌ある・嫌疑是非を招來すを主る。事を做すに屢々挫を受け反復し、訂下の約定は生效せず、以致て信用を失す。拖累される處既に多く・牽制を受る分量さらに大、こに因って終日憂愁思慮して決斷を下さず、も顛倒錯亂に因って危害を招致す。若し黄明紫潤の氣を現ずれば、家中の人口平安・事情順遂、既に疾病纏身なく・も是非阻碍なきを主る。ここは原名中勾陳、如今仍舊旧名を沿用す、こ個の名目は本來それが糾纏牽制を主る意思に切合すればなり。

十三、小眼角即魚尾奸門之部位,因目尾之交而似魚尾以名也,內屬兩脅之連帶繫。按目之尾為魚尾,即象形取義而名之;眼眶骨之處為奸門,即因妻妾而名之,然皆屬妻妾宮之專部也。亦得肝臟之木氣、肺臟之金氣,長男少女而相化也。故丹經有云:金公木母,兩相配合,以成其乾坤之道。又云:東家之女,西家之郎,兩相交姤,以成其陰陽之偶。肺為金臟,肝為木臟,此為肺肝合作之餘氣,此屬兩脅之正氣也。

第十三處、小眼角はすなわち「魚尾」「奸門」のこ一帶で、眼尾の交合する處の形狀が魚の尾巴に象るに因って、ゆえに名を得。内に兩脅の連帶系を配属す。眼の尾梢を魚尾と呼ぶは、形狀に照りて義を取りて命名す。眼眶骨のあ一塊を奸門と呼ぶは、就ず妻妾の事に命名す――兩者は皆妻妾宮の專管部位に属す。ここは同時に肝臟の木氣と肺臟の金氣を禀受し、もすなわち長男と少女の兩象が相交りて化す。ゆえに丹經上に說く、金公木母、兩相配合して、以て乾坤の道を成す。また說く、東家の女兒・西家の郎君、兩相交合して、以て陰陽の配偶を成すと。肺は金臟、肝は木臟、こ一處は正しく肺肝合作の後の餘氣で、兩脅の正氣に属す。丹經上のあ兩句話は、講ずる皆金木相配・男女相合の道理、ゆえにここは專ら夫婦の一倫を主る。

某地以豐滿無痕紋為吉,而得妻妾賢淑,遵守婦道,及有操作之可能。其地破痕或紋,皆主刑剋妻妾;至於刑妻妾之多寡,則以破痕之深、破紋之長短為定論也。然其紋上仰者,妻宮偕老而強淑,又無刑剋也;其紋平沖者,主刑命妻而續絃;其紋下反者,主刑三妻而四配;如有十字紋,主生離而再配,或刑末婚之妻。可見其為妻妾之專部也。

こ一處は生ずる豐滿・傷痕紋路なきを以て吉と為し、娶り得る妻妾の賢淑・婦道を恪守し、且つ家務を操持し得るを主る。ここに若し破損傷痕あるいは紋路あれば、皆妻妾を刑克するを主る。要に幾個を克するに至っては、就ず傷痕の深淺・紋路の長短を看て以て定む。不過紋路の上に斜めに挑するは、夫婦白頭偕老を主り、妻子剛強賢淑にして、かえって刑克なし。紋路の橫平に衝過するは、元配を克して續弦せんことを要すを主る。紋路の下に反垂するは、三個の妻子を克して第四位を娶るを主る。若し十字紋を生成すれば、妻と生離して再娶し、あるいは未だ門を過ぎざる未婚妻を克掉するを主る。これに由りて見るべし、ここは確かに妻妾宮の專管部位である。(按:原文の「某地」、當に「其地」と作るべし。「末婚」、當に「未婚」と作るべし。)

其地有青浮滑膩之色,主妻妾憂愁,性情窄狹,而有疾病。如有枯慘絳之色,主妻族之哭泣。如有紅赤躁之色,主妻宮有官訟遺累,及性情偏僻剛躁而急,以及妯娌不睦而爭端。如有黑黯色,主妻宮死厄,次亦妻妾大病也。其色黃明,主妻妾平安,和睦守禮,而有大喜慶,必為子星;其色紫潤,主妻妾亨吉,賢淑持義,而有小喜慶,必為女星。如其有青有黃,則有喜慶疾厄夾雜,或因疾病而化為喜慶也。如有紫躁紅赤枯慘各色,相聚成斑點,此為雜花,則主妻妾邪行淫蕩,喪品私逃之例。原名魚尾,今更名曰元后,即后妃之義而名之也。

こ一帶に若し青くして虛浮滑腻の色を現ずれば、妻妾の心中憂愁・性情狹窄、而且身上に病あるを主る。若し枯槁慘淡して絳を帶ぶる色を現ずれば、妻家の親族に喪亡あるを主る。若し紅赤して干躁の色を現ずれば、妻室のこ邊に官司拖累を惹上り、あるいは妻子の性情偏執剛躁して急切、以致て妯娌不和して爭端を起すを主る。若し黑黯の色を現ずれば、妻子に性命の厄あるを主り、退一步するもまた妻妾が大病を害する。ここの色が黄くして明亮なるは、妻妾平安・一家和睦して禮を守り、併びて大喜の門に臨み、必定男丁を添ゆるを主る。色が紫くして潤沢なるは、妻妾順遂吉利・賢淑して節義を守り、併びて小喜の門に臨み、必定女兒を添ゆるを主る。若し青・黄の兩色が併び現ずれば、便ちそれは喜事と病災と夾雜し、あるいは一場の病より喜事に轉成す。若し紫躁・紅赤・枯慘の幾種の顏色が聚まりて斑點と成れば、これを「雜花」と呼び、妻妾の行為邪僻淫蕩、甚至品行を敗壞し・私に出走するを主る。ここは原名魚尾、如今我は改名して「元后」と呼ぶ、后妃の位の意思を取り、以てそれが一面の中に專ら內室を主るを見ん。

十四、鼻樑之中段原名年壽宮,又名疾厄宮,內屬膽腑之應證繫,亦為膽腑之相通繫,而醫學謂之屬肝絡。按肝絡屬木,鼻部屬土,本位相差太遠。余考銅人圖,詳載於針炙大成中,謂人身之臟腑,肝氣由左而升,肺氣由右而降,中醫各書皆稱左肝右肺也;又考西醫之解剖經絡圖,則稱肺居於人之左半部,肝居於人之右半部,是為左肺右肝也。余考兩說,皆有至理,在氣化與定位之兩點耳。

第十四處、鼻梁の中段の原名は「年壽宮」、また「疾厄宮」と名づけ、内に膽腑の應證系を配属し、も膽腑の相通系である。而して醫書上は却ってそれを肝經に属すと說く。可是肝經は木に属し、鼻部は土に属し、兩者の本位相差るあまりに遠し。我は『鍼灸大成』の裏に詳載する銅人圖を考察するに、人身の臟腑の中に、肝氣は左邊より上昇し、肺氣は右邊より下降すと說く、ゆえに中醫の各書は皆「左肝右肺」と講ず。さらに西醫の解剖經絡圖を考れば、却って肺は人體の左半分に在り・肝は右半分に在りと說き、「左肺右肝」と成れり。我は兩說を皆考え過ぎたり、其實各々極めて正確の道理あり、分別はただ一個が氣化を講じ・一個が定位を講ずるのみ。中醫の說くは氣が何の邊より行くか、西醫の說くは臟が何の邊に長ずるか、本來衝突せず。

凡屬活人有生氣,則有氣輪常環轉,而沖動血輪,以用全身也。其肝之本位雖在右,而氣從左升;肺之本位雖在左,而氣從右降。如鐘錶之針,其機輪動,則可左可右也。凡屬人死無生氣,則氣輪不環轉而停滯,血輪不輸,其肝則定位於右,其肺則定位於左,不升不降。如鐘錶之針,其機停則不能左右也。

およそ活人の身上に生氣あれば、氣機の輪は不停地に循環轉動し、血液の輪を帶動し、全身の用を供給す。この時肝の本位は右邊に在ると雖も、氣は却って左邊より昇上去す。肺の本位は左邊に在ると雖も、氣は却って右邊より降り來る。これは好比鐘表の指針、機輪一たび轉ずれば、指針便ち左なり得右なり得。人の死し生氣没するを等到すれば、氣輪は再び循環せずして停住し、血輪もまた輸送せず、於是肝はすなわち右邊に定まり・肺はすなわち左邊に定まり、昇らずも降らず。これもまた好比鐘表の指針、機件一たび停まれば、便ち再び左右に移動する能わず。

余考黃帝內經、王叔和難經、針炙大成,以及醫學各書,皆言是左肝右肺;而解剖之地位,又為左肺右肝。餘思前人立法,決不至錯誤而相反至此,想繫氣化動機之關係,此中醫之勝過西醫處也。姑無論在左在右,皆在兩側之傍部,又何得在鼻樑之中段耶?

我は『黄帝内經』・王叔和の傳う『難經』・『鍼灸大成』および各家の醫書を考するに、皆左肝右肺と說く。而して解剖の見る所の位置は、また左肺右肝なり。我想うに前人の法を立つるは、決して事實と完全に相反する地步に錯るに至らざるべし、想来正しく氣化流動のこ一層の關係が裏頭に在るなり、これもまた中醫が西醫に勝る處である。不過肝肺が左に在るに論なく右に在るに論なく、總歸皆身子の兩側の旁位の上に在り、又怎麼鼻梁の正中のこ一段に應ずる會せんや。

余考人之消化飲食,完全在膽腑之力,因膽絡有水有火故也。古人認為脾胃消化飲食,則非事實,不過為一理想耳。按脾為分清別濁之煽動機,而胃為倉癝停聚之過地道,皆非消化之部,必藉膽腑之水火力,方能消化也。余考已死之人,其膽汗尚能化五金,而重量以三錢為標準,再重則化不完矣。據此鐵證,則知膽汁之力頗大。凡人之康強衰弱,以飲食為定論,故名疾厄宮也。

我は人の飲食を消化するを考察するに、全て膽腑の力量に靠る、なぜなら膽經の裏に既に水あり又火あればなり。古人は飲食を消化するは脾胃に靠ると以為す、其實併び事實に非ず、不過一種の設想のみ。知るべし脾は清を分かち濁を別つの鼓動機關、胃は儲存聚積の過路倉廩、皆真の消化する地方に非ず、必ず膽腑の水火の力を借りて初めて消化し了得。我はまた已死の人を考察し過ぎたり、彼の膽汁は還だ金屬を溶化し得、分量は三錢を以て限と為し、再び多ければ便ち化し完らず。こ個の鐵證に據れば、膽汁の力量は相當大なるを知るべし。人身の康健か衰弱かは、全て飲食を以て斷と為す、ゆえにこ一處こそ疾厄宮と呼ぶ。(按:原文の「膽汗」、當に「膽汁」と作るべし。「倉癝」、當に「倉廩」と作るべし。)年壽を膽に歸して肝に歸せざるは、正しく公篤の部位上の一處の改定である。

其地以勻厚有梁為吉,平生無病苦,亦旺人丁之子女也。如露節,或直有三曲,主刑子女,及挫折失敗也;如露節左右三曲,主刑子女,及惡病不壽也。如年壽有黃紫之氣,則平安而無病苦,亦主家庭順遂;如有青滑黯滯之色,則主飲食不健,而有脹瞞痞塞之疾;如有青膩浮枯之色,則有水溼上泛,而現痰飲咳哮之疾;如有紅赤之氣一點或一縷,皆主火災回祿之厄;如有黑慘之氣,主刑叔伯之冷退,本身亦主病疾宿病;如有躁絳之光,則主溫瘧瘟疫之溼熱症。

こ一處は生ずる匀厚して骨梁あるを以て吉と為し、一生に病痛なく・家中の人丁子女もまた興旺を主る。若し鼻梁が節骨を露出し、あるいは上下に三道の曲折あれば、子女を刑克し併びて挫折失敗を遭うを主る。若し既に節骨を露しまた左右三曲なれば、子女を刑克し、還お惡疾を害して長壽せざるを主る。年壽處に若し黄紫の氣を現ずれば、平安して病なく・家中もまた順遂を主る。若し青滑昏黯呆滯の色を現ずれば、飲食消受し能わず・脹滿痞塞の病を害するを主る。若し青腻虛浮枯槁の色を現ずれば、體内の水濕上泛し・痰飲・咳嗽・氣喘の病を現出するを主る。若し紅赤の氣を現ずれば、たとえただ一點あるいは一縷のみなるも、皆火災の厄を主る。若し黑くして慘淡の氣を現ずれば、叔伯の一輩に喪亡あり・家道冷落を主り、本人もまた病を生じあるいは舊疾再發を主る。若し干躁深絳の光沢を現ずれば、温瘧・瘟疫の類の濕熱の病を害するを主る。(按:原文の「脹瞞」、當に「脹滿」と作るべし。)

醫家見年壽發現各色,有病則指為胃病,其實即膽病也。原名年壽及疾厄宮,今更名曰命關,即性命關頭之義而名之也。十五、準頭原名中嶽,居五嶽之中而得名也。內屬脾臟之正繫,五行屬土,而為金氣之通過繫,即肺管之出口,金為土之子,而相生相依故也;又為腎水之應證繫,由百會入腦海,下督脈,又因金而生水也。其地位則完全屬土,故號土星。土生萬物,是為財源,此為財星之專部也。

醫家は年壽上に各種の顏色を現出し而して人また病あるを見れば、便ち一概に胃病と指す、其實それは膽病なり。ここは原名年壽・また疾厄宮と名づく、如今我は改名して「命關」と呼ぶ、性命關頭の意思を取る。第十五處、鼻准は原名「中岳」、五岳の中に居るに因って名を得、内に脾臟の正系を配属し、五行は土に属し、同時に金氣の經過する處――なぜならここは正しく肺管の出口、金は土の生ず所の兒子、母子相生して彼此依存すればなり。それはまた腎水の應證系である。氣は百會より腦海に入り・下行して督脈に至るも、も金より再生して水を出す。就ず位置を論ずれば、それは完全に土に属す、ゆえに「土星」と號稱す。土は萬物を生養し得、正しく財源の所在、ゆえにここは財星の專管部位である。一面の中、財を看るは先ずここを看、其餘の各處は皆ただそれの輔佐と算す。

其部位以豐隆圓厚,聳幹勻齊為大富特富,而連帶於貴名也。其地尖薄陷削,則財星不足而有挫折失敗,以至困窮也。故相學以土星為坐守之財庫,土主厚而藏聚也,蓋喜滋潤而惡枯燥。余每見有紅赤躁絳,主破敗失業,及損權利,而刑人丁之類,其最輕者,主痣漏酒病,及溼氣筋骨疼痛,手足拘擘也。如有青浮滑膩,主冷退失財,憂愁不遂。如有黑枯黯慘之色,均為大失敗。如有黃明紫潤之氣,主進財進祿,及有喜慶之事實也。

こ一處は生ずる豐滿隆起・圓厚して挺拔匀整を以て大富・特富の相と為し、還お連帶して貴名あるを主る。若し生ずる尖薄凹陷削瘦なれば、便ちそれは財星不足、挫折失敗を遭い、以至て窮困せんことを要す。ゆえに相學は土星を坐守の財庫と看作す――土の性情は厚重、收藏聚積し得。それは滋潤を喜びて干枯を怕る。我は常にここに紅赤干躁深絳の色を現ずるを見るに、破敗失業・權利損を受け、還お家中の人口を折損するを主る。應ずる最も輕きも、もまた痔漏・酒病、以及濕氣の引起す筋骨疼痛・手足拘攣。若し青くして虛浮滑腻の色を現ずれば、家道冷落・錢財を損失し・心中憂愁して事心に遂わざるを主る。若し黑枯昏黯慘淡の色を現ずれば、皆大失敗の兆。若し黄明紫潤の氣を現ずれば、財を進め祿を進め、併びて實實在在の喜慶の事あるを主る。(按:原文の「痣漏」は當に「痔漏」と作るべし、「拘擘」は當に「拘攣」と作るべし。)

如有紅赤氣色發現,反進財源而大發達,其人必死,蓋俗謂為棺財是也。故俗云火燒中堂,家破人亡,其義者何?按脾為陽土,以黃明為本位之正色;赤者火也,火為土之母,余考數學,皆以生我者死為定法,故土位現紅赤色,為不祥之氣色也。今更名曰寶闕,因財庫之義而名之也。

倘若ここに紅赤の氣色を現出せば、錢財かえって源源として來り・一時に大發す、こ人は却って必定死せんことを要す――俗話に「棺材財」と呼作す。ゆえに民間に「火燒中堂、家破人亡」の說法あり、これは什麼の道理か。按ずるに脾は陽土に属し、本位の正色は黄くして明亮。赤色は火に属し、火は土の母親。我は術數の法を考するに、皆「我を生ずる者は死す」を以て定例と為す、ゆえに土位の上に紅赤の色を現出するは、正しく不祥の氣色である。ここは如今我は改名して「寶闕」と呼ぶ、それが財庫の意思を取る。見るべし氣色で財を斷ずるは、ただ進項の多少を看る能わず、還須あの顏色と本位の氣とが相生するか相克するかを看るべし。

十六、兩鼻孔原名蘭臺廷尉,又名井灶,內屬膈膜之連帶繫,亦為膈膜之相通繫。膈膜者,障蔽邪穢之濁氣,保輔其通上利下之部位,醫學配之為胃腑,似為不宜。余考醫學有云:凡人之氣息,先天資生於腎而始於水也,後天資生於胃而始於士也,乃重要部位,何得在兩側之不關緊要之部耶?按相法以蘭臺為偏浮財、遊戲財之例,以廷尉為交際財、潛伏財之例,雖屬財庫,尚非正當範圍也。故人有不正之思想行為、不良之飲食異味,則蘭臺廷尉有黑塵細點凝滯也。

第十六處、兩個の鼻孔は原名「蘭台」「廷尉」、また「井灶」と呼び、内に膈膜の連帶系を配属し、も膈膜の相通系である。膈膜の作用は、穢濁の氣を遮擋し、上通下利の通道を護持する。醫家はそれを胃腑に配作す、似乎妥ならず。我は醫書上の說くを考す。人の氣息は、先天は腎に靠りて滋生し、水に起る。後天は胃に靠りて滋生し、土に起る。既に是のごとき緊要の部位、怎麼鼻子の兩側のこ種の不關緊要の地方に應ずる會せんや。相法に按ずれば、蘭台は偏財・浮財と玩樂の得來する財を主り、廷尉は交際の財と暗中積存の財を主る。雖說もまた財庫に属す、然れど正當の範圍に非ず。ゆえに人は若し不正の念頭を存し・不正の事を做し、あるいは不良の怪味飲食を貪喫せば、蘭台廷尉上に便ち黑塵の般の細點が凝滯して散ぜず。(按:原文の「始于士」、「士」は當に「土」と作るべし。)こ一層は最も留意す可し。心術飲食は一たび偏差あれば、先ず鼻孔の兩側に痕迹を現出す。

其地以豐厚勻收為吉,而財星入庫,可守而享受也;如薄削洩露,則財星虛浮,不可守而落空也。如有紋直破出準頭,主挫折失敗,而有危險之厄;如左紋破而右不破,主驚險損失,而不至己身,其重者不過受傷有殘痕耳;如右紋破而左不破,主驚恐而有小損失,則更輕一層而應之,其重者不過內無輔助、外有遺患耳。

こ一處は生ずる豐厚して收斂匀整なるを以て吉と為す、それは財星が庫に入り、守り得住り・享け得着る。若し生ずる薄削して氣泄外露なれば、財星は便ち浮いて實ならず、守り得住らず・終歸落空す。若し紋路の筆直に鼻准上に破出あれば、挫折失敗を遭い、還お危險の災厄あるを主る。若しただ左邊に紋破ありて右邊破れざれば、驚險を受け・損失あり、然れど自己に傷るに至らず、重きも不過傷を受けて殘痕を留下するのみ。若しただ右邊に紋破ありて左邊破れざれば、驚恐を受け・小損失あるを主り、前の一種に比してまた一層輕し、重きも不過家内に人の幫襯なく・外頭に些かの後患を留下するのみ。

此地有黃明紫潤之色,主進偏浮財、交際財,以及合而有利益。如有青浮膩滑,主遺累損失,牽制無功,略無效。如有紅黑赤黯之色,皆主損失,及義不容辭六親之患。原名蘭臺廷尉,今更名曰寶屏,一為倉庫之意,一為保障之義而名之也。

こ一帶に若し黄明紫潤の色を現ずれば、偏財・浮財と交際應酬の中の財を賺進し、合伙して事を做すも利を得る能くを主る。若し青くして虛浮腻滑の色を現ずれば、人に拖累されて損失を受け・處處牽制を受けて力氣を白費し・謀略する所は毫も成效なきを主る。若し紅・黑・赤・黯の色を現ずれば、皆損失を主り、還會六親のあ邊に義不容辭して管せざるを得ざる麻煩に遇上る。ここは原名蘭台廷尉、如今我は改名して「寶屏」と呼ぶ。一は倉庫の意思を取り、一は保障の意思を取る。

十七、兩顴骨原名國印,又名東西嶽,內屬三焦之連帶繫。古人則謂三焦有名無質,不過分上中下之義耳。果如此說,何不謂上段中段下段,又何得以三焦名之耶?余考新法及解剖學,謂臟腑中有連網油一物,上補正氣之不足,下逐濁穢之有餘,其關係之重要,與古人之論三焦相等,大體三焦即連網油之別名,唐宗海證實為三焦也,而在大小腸之上,曲折以掩護各臟也。

第十七處、兩顴骨は原名「國印」、また「東岳」「西岳」と呼び、内に三焦の連帶系を配属す。古人は三焦は名ありて實なしと說く、不過上中下の三段を分かつの意思のみ。若し真に此のごとくならば、何ぞ干脆に上段・中段・下段と呼ばざる、又何必「三焦」のこ個の名目を用いんや。我は西醫の新法と解剖の學を考するに、臟腑の間に「連網油」と呼ぶ一樣の東西あり、上に向かって正氣の不足を補い、下に向かって濁穢の有餘を排す、その重要の程度は古人の論ずる所の三焦と正しく相當す。大體上說けば、三焦はすなわち連網油の別名で、唐宗海はすでにこ一點を證實せり。それは大小腸の上に位し、曲曲折折として各個の臟器を包護す。三焦は既に實體指す可し、兩顴が三焦に配するこ一說も便ち再び空談に非ず。

其地位以高聳上插為權重,而貴名之事業非常,即國家之屏藩也;以抵小陷弱,主平常而不貴,其才智能為皆不足也。如隆大而地位不近目尾,此為假權,多應優伶界中人也;如淚堂下插而破顴骨,主患神經病而減智識。此地如有黃紫明潤之氣色,主進權祿而升遷,獲功進職也;如有青浮滑膩之氣色,主謪貶去權,憂愁驚恐,常人亦主障礙損失,冷退破財。

こ一處は生ずる高聳して上に插入するを以て權重の相と為し、顯貴の名声と非常の事業あるを主り、國家の屏障なり。若し生ずる低小凹陷單薄なれば、平平常常して貴ならざるを主り、才智と能力と皆够らず。若し顴骨雖隆起高大なるも、位置が眼尾に靠近せざれば、それは「假權」で、多く戲曲藝人の一流の身上に應ず。若し淚堂に紋の下に插して顴骨を衝破あれば、神經方面の病を患えて智力減退するを主る。こ一帶に若し黄紫明潤の氣色を現ずれば、權を得祿を得て升遷し・功を立て職を進むを主る。若し青くして虛浮滑腻の氣色を現ずれば、貶謫せられて權柄を丢掉し・心中憂愁驚恐し、平民もまた阻に遇い損を受け・家道冷落して財を破るを主る。(按:原文の「以抵小陷弱」、「抵」は當に「低」と作るべし。)

如有黑赤紅滯之氣色,主危險死亡,牢獄枷鎖,輕亦主孝服刑傷,大破敗之驚恐也。如紅絳浮光,則為酒溼痣漏之病;如紅豔浮光,則為情慾勞傷之疾。原名國印,今更名曰屏藩,即為國家屏藩重鎮而名之也。

こ一帶に若し黑・赤・紅して滯暗の氣色を現ずれば、險に遇い命を喪い、あるいは牢獄枷鎖の災あるを主る。應ずる輕些きも、も服喪・刑傷を受け、以及大破敗の帶來する驚恐を主る。若し紅絳して浮光外露すれば、それは酒濕の致す所の痔漏の病。若し紅艶して浮光外露すれば、それは情慾過度・身體を勞傷する病。ここは原名國印、如今我は改名して「屏藩」と呼ぶ、それが國家の屏障重鎮の意思を取る。(按:原文の「痣漏」、當に「痔漏」と作るべし。)

十八、聽宮之後有突肉高起,是為命門,內屬大腎之正繫,醫家則為頰車穴,又為聽宮穴。余考此部,為先天之正脈,即人之氣息脈絡,資生於腎也,故數學起推以坎卦,天一生水故也。余考命門不起者,必死於十二歲以前,萬無能過童年而成立;古人謂三十而立,如命門稍起者,必死於三十六歲以前,萬無能過眼。凡享壽能至六十以上,或享大壽,其命門必高起長突,高過耳欄也,余屢試之皆不妄。

第十八處、聽宮穴の後面に一塊の突起する高肉あり、これすなわち「命門」、内に大腎の正系を配属す。醫家は則ちここを頰車穴と稱し、また聽宮穴と稱す。我はこ一部位を考察するに、先天の正脈の所在、もすなわち人の氣息脈絡、全て腎に靠りて滋養す、ゆえに術數の推算は總じて坎卦より頭を起し、取るは「天一生水」の意思。我はまた考察す。命門の全然起らざる人は、必定十二歲以前に死す、絶して童年を熬過して立て住る能くするなし。古人は三十に立つと說く、命門ただ稍稍隆起する人は、必定三十六歲以前に死す、絶してこ一關を過ぐる能くするなし。およそ壽六十以上を享け、乃至大壽を享くる能くする人は、彼の命門は必定高く隆起し・長く突出し、耳欄に高き過ぐ。我は屢次驗證す、皆虛妄ならず。(按:原文の「萬無能過眼」、「眼」は疑わくは當に「限」と作るべし。)

故命門現黑滯如溼地之灰者,雖不病之人,亦主暴病而死;久病者,則為死期至,蓋腎氣已絕故也。此地有動脈可,其脈停而不動,其人不死,蓋腎脈已盡故也;其內下陷者不死,蓋腎竅閉塞,腎絡脫絕故也。如有紅赤滑膩各色,則為流連之病厄,關於腎火上浮、腎水上泛、腎脈虧損、腎絡凝滯之等類。如有青而浮光,主有憂愁不遂、情慾相思之疾厄。如有黃紫明潤之氣色,則身體強健,精神充足,而無病苦也。今依原名命門,即性命關鍵之義也。

ゆえに命門上に黑滯の色を現出し・濕地の裏の灰の一般なるは、たとえ本來病なき人なるも、も急症を害して暴亡するを主る。久病の人が此色を現ずれば、それは死期到來したり、腎氣すでに斷絶せればなり。こ一處は動脈の跳動を摸得着て初めて好し。若し脈の停住して跳らざれば、こ人は活き成らず、それは腎脈すでに盡きたり。若しここに内に向かって塌陷し下去れば、も活き成らず、それは腎竅閉塞・腎經脫絶。ここに若し紅赤滑腻の諸色を現ずれば、纏綿して去らざる病厄を主り、腎火上浮・腎水上泛・腎脈虧損・腎經凝滯のこ一類に属す。若し青色を現じて浮光を帶ぶれば、憂愁不遂・情慾相思に因って病を致すを主る。若し黄紫明潤の氣色を現ずれば、然れば身體強健・精神充足して病なく痛みなし。ここは仍舊「命門」の原名を沿用す、取るは性命關鍵の意思。(按:原文の「其人不死」「其內下陷者不死」、兩「不」字は併び衍、上下文に據りて當に「必死」と作るべし。)

十九、耳珠原名耳輪,又號智珠,內屬腎絡連脊之連帶繫,即醫書之由大椎而下,為第十四節背脊之陽關穴,君相二火之出脈是也。其地以大而圓厚如珠者為佳,主聰明而智慧,慈良而厚祿;以圓珠者為貴,以貼肉者為富。其地如短促薄小,皆為初年不吉,愚拙而少祿也。此地如有紋沖破,主刑弟兄姊妹於十四歲以前。如有黑病,主聰明異常,但多水驚之災。耳珠朝口者主貴,而享百世之盛名,甘羅與太公均有此格也,其發達之早遲,則又以各部參考為定論。故麻衣有明珠朝海、食祿萬鍾之句也。

第十九處、耳垂は原名「耳輪」、また「智珠」と呼び、内に腎經が脊柱に連なる連帶系を配属す、すなわち醫書上の說く大椎より下に數え・脊柱の第十四節の陽關穴、君火相火の兩脈の出づる地方である。こ一處は生ずる大にして圓厚して珠のごときを以て佳と為し、人が聰明して智慧あり・心地慈良して厚祿を享くるを主る。生ずる圓にして垂珠のごときは貴を主り、生ずる面頰に貼着するは富を主る。若し生ずる短促薄小なれば、皆早年不吉を主り、人もまた愚鈍して祿少なし。ここに若し紋路の衝破あれば、十四歲以前に兄弟姊妹を刑克するを主る。若し耳垂上に黑痣を生ずれば、こ人の聰明は人に過ぐるを主り、ただ多く水上の驚を受くる災あり。耳垂が嘴に朝向するは貴を主り、百世の盛名を享け得、甘羅と姜太公は皆こ種の格局である。發達の早きか遲きかに至っては、仍須別處の部位を參看して初めて定め得。ゆえに麻衣に「明珠朝海、食祿萬鍾」の句子あり。(按:原文の「如有黑病」、「病」は當に「痣」と作るべし。)耳は腎の外候、ゆえに耳を看るは先ずその厚薄圓缺を看る。

故厚圓如珠者,主多才善辯,天姿英敏,而有慧根,衣祿豐足,而為貴裔;圓墜而直下者,主明敏而偏傲,任性恃才;薄削者,愚而無記憶力;方輪者,厚而無機心。如有赤黑慘黯之色,均主沉痾宿疾;如耳輪乾枯者,其人將死,腎繫不通也。其地以黃明紅活之色,為正氣之強健也。原名耳輪,今更名曰明珠,即腎繫之靈根關係,而尊貴以名之也。

ゆえに耳垂の厚圓して珠のごとき人は、多才して辯說に善し、天資英敏、慧根を帶び、衣食豐足、多半顯貴人家より出づ。耳垂の圓にして直直に下墜するは、人が聰敏なるも驕傲に偏し、任性して才氣を自恃するを主る。耳垂の薄削なるは、愚鈍して記性差なり。耳輪の方正なるは、人と為りて厚道して機心なし。ここに若し赤・黑・慘・黯の色を現ずれば、皆積久して愈え難き重病を害するを主る。若し耳輪干枯せば、こ人は便ち死に近し、それは腎のこ一系すでに通ぜざればなり。こ一處は黄明紅活の色を現ずるを以て好しと為す、それは正氣強健の表徴である。ここは原名耳輪、如今我は改名して「明珠」と呼ぶ、それが腎系のこ條の靈根に關涉すればなり、ゆえに尊貴の字眼を用いて命名す。

二十、人中原名溝洫之地,通達四瀆之區,是為交通之官,內屬胃腑之正繫。故醫學云:胃為倉廩之官,停聚之所,承上通下之部位,非人中別無重要部位相合。余考醫學,有以蘭臺廷尉而屬胃絡,又有以法令而屬胃絡,此二者均不合法,亦不合理。按人之後天形質,資生於胃土,其脈絡亦發於胃腑也。故人之將死,其人中必縮短,或青黑黯滯之氣色也,蓋後天胃土之脈氣已脫絕,其人無救,是為鐵證也。

第二十處、「人中」は原來溝渠の地の名稱で、それが四瀆に通達するの義を取り、交通を掌る官と為り、内に胃腑の正系を配属す。ゆえに醫書上に說く、胃は倉廩の官・停留聚積の所、上を承接し・下に通達すと。面上の部位を論ずれば、人中を除きて再び別處の配得上するなし。我は醫家の說を考察するに、蘭台・廷尉を胃經に配作するあり、も法令を胃經に配作するあり、こ兩種の說法は既に法度に合せず、も道理に合せず。知るべし人の後天の形質は胃土の滋養に靠り、胃の脈絡もまた胃腑より發出す。ゆえに人の將に死せんとする時、人中は必定縮短し、あるいは青黑昏黯呆滯の氣色を現出す――それは後天胃土の脈氣すでに脫絶し、こ人は救藥する可なし、これすなわち人中が胃腑に配する鐵證である。

故其部位關係子女,又關係壽數。如其地深洫而長,主多子女而有壽徵也;如上窄下寬者,先得女星成立,而後得子星也;如下窄上寬者,主先得子星成立,而後得女星也;如有直紋主刑子,如有橫紋主克女,如有十字紋主刑剋子女而孤絕也。如人中平滿,溝洫不通,主刑子女;如人中短促上掀,主不壽而多是非。

ゆえにこ一部位は既に子女に關係し、又壽數に關係す。人中の生ずる溝渠深くして長きは、子女衆多して且つ長壽の相あるを主る。上窄く下寬きは、先ず女兒を得て立て、而して後に初めて兒子を得。下窄く上寬きは、先ず兒子を得て立て、而して後に初めて女兒を得。人中の裏に直紋あるは兒子を刑克し、橫紋あるは女兒を刑克し、十字紋を生成するは兒女皆刑克し、以致て孤獨絶嗣す。若し人中平滿・溝渠通ぜざれば、子女を刑克するを主る。若し人中短促して上に掀翹すれば、壽數長からず且つ是非多きを主る。總之こ條の溝渠は深長して通ずるを貴しと為す、通ずれば子息旺え・壽元長く、塞がれば兩者俱に損ず。

其地以黃明紫潤,為胃氣強健而無病苦。如有青浮滑膩之氣色,主氣痛病,以及土不制水,而上泛為痰飲也,女子則為月經之痛疾、崩帶之症瑕也。如有赤紅之氣色,主瘟熱之病。如有黯暗枯慘之氣色,主死亡之病,胃氣絕脫,而谷氣已盡也。原名人中,今更名曰寶倉,即寶貴之倉廩而名之也。

こ一處は黄明紫潤の色を現ずるを以て好しと為す、それは胃氣強健・身上に病なく痛みなし。若し青くして虛浮滑腻の氣色を現ずれば、氣痛の病、以及脾土が水濕を制し得住らず・水氣上泛して痰飲と成るを主る。女子に在っては則ち月經作痛に應じ、あるいは崩漏帶下・腹内結塊の類の症候。若し赤紅の氣色を現ずれば、瘟疫熱病を主る。若し昏暗枯慘の氣色を現ずれば、命を要する病を主る――それは胃氣脫絶・水穀の氣すでに盡きたり。ここは原名人中、如今我は改名して「寶倉」と呼ぶ、それが寶貴倉廩の意思を取る。(按:原文の「症瑕」、當に「癥瘕」と作るべし。)

廿一、口為水星,而有上下唇之別,內屬丹田之正繫,亦屬丹田之連帶繫,而屬臍口之通過繫也。上唇則為氣海之外表,下唇則為血海之外表。余考人有病疾,每現於兩唇之上。故男子有通稱氣海之說,關乎人之真氣,即天一生水之義,每有氣弱上下不交、呃逆上噎,則其唇必慘黯不鮮也;女子有通稱血海之說,關乎其血輪,即地六成之義也,每有血弱凝滯疼痛、疤塊症瑕,則其唇必白枯不華,而無生育及不壽也。故女界短片胭脂塗唇,蓋表示血輪充足無病,而有生育也。

第二十一處、口は「水星」と稱し、また上唇下唇に分かつ、内に丹田の正系を配属し、も丹田の連帶系、還お臍口の通過系である。上唇は「氣海」の外に顯る表徴、下唇は「血海」の外に顯る表徴。我は人身に病あれば、往往先ず兩唇上に現るを考察す。ゆえに男子に在っては通稱氣海、人の真氣に關係し、すなわち「天一生水」の意思。およそ氣虛して上下交接し能わず・呃逆噎塞の人は、嘴唇必定慘淡昏黯して鮮潤ならず。女子に在っては通稱血海、血脉の運行に關係し、すなわち「地六成之」の意思。およそ血虧して氣血凝滯作痛・腹内結塊の人は、嘴唇必定蒼白干枯して光華なく、も生育有り難く・壽數長からず。ゆえに婦女界は一小片の胭脂を喜んで唇に塗るを用う、正しく血脉充足して病なく・生育し得の意思を顯さんと欲す。見るべし唇を看るは專ら形狀を看ず、唇上の血色こそ根本なり。

其地以厚勻闊收,為享受厚祿而貴名也。如成口字形,或角弓形,或仰月形,或一字形,皆主大貴。如薄尖不勻不收,主勞碌而衣食不足;如兩角下反,主凶危死亡也。如上唇薄削有紋,或曲痕,主胃病之噎疾、脹瞞之哽病;下唇薄削有紋,或曲痕,主腎病之腰痛、陽萎之痰飲。以此二者考之,則上屬胃之連帶,下屬腎之連帶,而為鐵證也。醫家則有屬脾屬心之說,皆不知根據何種之法也。故以唇紅如塗昧者為吉,其人祿厚而有壽也。原名水星,今更名曰北海,即以其地居北如海而名之也。

こ一處は生ずる厚實勻稱・闊大して口角收斂するを以て好しと為し、厚祿を享けて貴名あるを主る。口形は若し「口」字形・角弓形・仰月形・一字形と成れば、皆大貴を主る。若し生ずる薄くして尖・勻ならず又收まらざれば、勞碌して衣食足らざるを主る。若し兩個の口角が下に反垂すれば、凶險して命を喪うを主る。上唇の薄削して紋路あるいは彎曲の痕あるは、胃病の致す所の噎塞・脹滿哽阻の症を主る。下唇の薄削して紋路あるいは彎痕あるは、腎病の致す所の腰痛・陽事不擧と痰飲を主る。就ずこ兩條を來看すれば、上唇は胃に連なり・下唇は腎に連なる、これ便ち確證である。醫家は却って唇が脾に属し・心に属すと說くあり、真に何の一種の法子に根據するかを知らず。ゆえに唇色の紅潤して朱色を塗りたるがごときを以て吉と為す、こういう人は俸祿豐厚して而且長壽なり。ここは原名水星、如今我は改名して「北海」と呼ぶ、それが面部の北に位居し・形狀もまた一片の海に象ればなり。(按:原文の「塗昧」、當に「塗朱」と作るべし。「脹瞞」は當に「脹滿」と作るべし。)

廿二、兩口角為食祿二倉,相法之原名也,內屬大小腸之應證繫:左為大腸之正部,右為小腸之正部。其地屬水,如長江之下流而入海。余考各部現黃明之氣皆吉,獨兩口角有黃明之氣色不吉,而反主沉痾之久病,或主臨時之時疾。如黃氣浮枯者,其病災尤重也。但於春夏秋三時,雖病不危;惟於冬令現黃氣浮枯,其人必死亡。按兩口角屬水,冬令亦為水令,黃色屬土,黃而浮枯,則為不正之土,土能克水,其克部位,已為不吉而病災矣,又克時令,故為死亡之厄。

第二十二處、兩個の口角は「食倉」「祿倉」、これは相法上の原有の名稱で、内に大小腸の應證系を配属す。左邊は大腸の本位、右邊は小腸の本位。こ一處の五行は水に属し、好比長江の下流が大海に注入す。我は面上の各處を考察するに、黄くして明亮の氣を現ずるは皆吉兆、唯獨兩個の口角に黄明の色を現ずるはかえって不吉、倒れて積久して愈え難き重病を害し、あるいは臨時に時令病に染上るを主る。若し黄氣浮いて枯槁せば、病災便ちさらに重し。不過春夏秋の三季に在っては、病むと雖も危險に至らず。唯獨冬令に浮枯の黄氣を現出せば、こ人は必定死亡す。原因は兩口角が水に属し、冬令もまた水に属し、黄色は土に属し、黄くして浮枯は便ち不正の土。土は能く水を克し、克してこ個の部位に到ればすでに不吉して病災を生じ、また克して當令の時節に到れば、兩重の相克が一處に疊なり、ゆえに致命の厄と成れり。これは全書の裏に唯一黄明を以て凶と為す部位で、學者は尤も須らく記え牢むべし。

凡溫熱之病,大小便閉塞,兩口角必焦爛脫皮,此為大小腸之鐵證。又口角有黑黯赤紅之氣色,主疾厄腸癱,及脫肛之例;如無此病者,主水上之驚災也。此為大小腸鐵證之二。原名食祿二倉,今從舊名命符也。

およそ温熱の病を害し・大小便閉塞不通の人は、兩個の口角は必定焦爛脫皮す、これは口角が大小腸に配する第一個の鐵證である。このほか口角に若し黑黯赤紅の氣色を現ずれば、腸瘫の類の病を害し、あるいは脫肛の上に應ずるを主る。若し身上併びこららの病なければ、然れば水上に驚を遭い災を受くるを主る。これは第二個の鐵證である。ここは原名食倉・祿倉、如今仍ほ旧名「命符」を沿用す。

廿三、承漿在口之下,有陷處生鬚之地,內屬膀胱之通過繫,而女子則屬子宮之應證繫。按承者,承上之義也;漿者,濁水之義也。水之濁者,當然沉下,故為膀胱之不宜矣。凡男子則為膀胱,女子則為子宮。此地以豐平拱突為吉,主晚年有厚福,子孫有發達,其部位接近地庫故也;此地坑陷削薄,則主晚年衣祿不足,子孫平常。如其紋痕平過,則無水上之驚恐;如其紋痕下反,則需多水上之驚災。

第二十三處、「承漿」は嘴の下方に在り、あの塊の凹陷して鬍鬚を生ずる處で、内に膀胱の通過系を配属す。女子に在っては則ち子宮の應證系に配属す。「承」は上を承接する意思、「漿」は濁水の意思。水濁れば自然に下に沈むを要す、ゆえに膀胱に配する是很に相宜なり。總之男子に在っては膀胱に應じ、女子に在っては子宮に應ず。こ一處は生ずる豐滿平正・微微として拱起するを以て吉と為し、晚年の福澤深厚・子孫發達を主る、それが緊く「地庫」に挨ればなり。若し生ずる坑陷削薄なれば、便ち晚年の衣祿不足・子孫平常を主る。ここの紋痕は若し橫平に過ぎれば、便ち水上の驚恐なし。紋痕は若し下に反垂すれば、然れば多く水上の驚災あり。ここは既に晚福を主り、又水厄を主る、看る時は須らく問うは晚運か還是行船かを分け清むべし。

余考承漿無鬚之人,則陽物之腎囊,其毛必稀而柔,一為不樹,此為內屬膀胱之鐵證第一。余考人患花柳瘍痗等毒之病,及魚口白濁之淋症,其承漿必現赤黑之氣斑如朵云,或為各色之雜花,如朵云,此為內屬膀胱之鐵證第二。

我は承漿處に鬍鬚を長ぜざる人を考察するに、下身の陰囊上の毛は必定稀疏して柔軟、甚至有りて全然生ぜざる、これは承漿が内に膀胱に配する第一個の鐵證である。我はまた考察す、およそ人の花柳瘡毒の類の病を害し、以及橫痃・白濁の等の淋症は、彼の承漿處に必定赤黑の氣斑を現出し、形は一朵朵の雲彩のごとく、あるいは各色相雜して落花のごとき斑點を現出し、もまた朵云の形狀――これは承漿が内に膀胱に配する第二個の鐵證である。

此地如有黃明紫潤之氣色,則利船行,而無水驚之災;如有黑慘之氣色,主船行落水而死亡,或為酒醉而暴死;如有黯滯浮膩之氣色,主水驚而不至危,或為船行之損失,或為邪行之疾厄,或為子女之災疾,或為子女之遺累。又因其人才智事實,而斷之可也。原名承漿,今更名曰生化關,因其為腎水膀胱之義,而屬子女之部以名之也。

こ一處に若し黄明紫潤の氣色を現ずれば、便ち船に乘りて出行するに宜しく、水上の驚險の災なし。若し黑くして慘淡の氣色を現ずれば、船を行きて水に落ちて命を喪い、あるいは醉酒して暴亡するを主る。若し昏黯呆滯・虛浮黏腻の氣色を現ずれば、水上に驚を受くるも性命を危うくするに至らず、あるいは船を行きて財貨を折損し、あるいは行為邪僻に因って病を得、あるいは子女が災に遭い病を生じ、あるいは子女に拖累されるを主る。斷ずる時は、還おこ人の才智と眼前の實際情形とを就けて合わせて看るを要す。ここは原名承漿、如今我は改名して「生化關」と呼ぶ、それが既に腎水膀胱の義を取り、又子女を主る部位に属すればなり、生化の二字は兼ねてこ兩層を攝す。

廿四、兩腮方突之處,原名奴僕宮,相學又名曰腮頤之部,內屬穀道肛門之應證繫,為奴僕下人之專部,故前章有下府,即下人之輔助也,為各部之最下點。此地以方突敦厚為吉,應得忠之奴僕為用;如削陷而弱,即得奸狡之奴僕,以相欺詐也。如有黃明紫潤之氣色,主奴僕下人有功,其操作盡職;如有青浮滑膩之氣色,則主奴僕下人不忠不動,而不可用也;如有紅赤躁絳之氣色,主奴僕官訟是非,輕者主脫肛便血之疾;如有黑黯慘色,主奴僕橫禍凶死,以及奴僕拐騙私逃走失,或死牛馬六畜之例。余考患花柳病之最重者,腮骨先陷,鼻樑後斷,此為穀道之鐵證,於醫學相學均有補益,茲特錄之。原名奴僕宮,今更名曰濁關,以其部位最低下而名之也。

第二十四處、兩腮の方正突起する處の原名は「奴僕宮」、相學はまた「腮頤」と呼び、内に穀道肛門の應證系を配属し、僕役下人を專管する部位である。ゆえに前面の章節の裏に「下府」の稱あり、すなわち下人輔助の意思、それもまた面上の各部位の中の最も下の一點である。こ一處は生ずる方正突出・敦實厚重を以て吉と為し、用る所の僕役の忠誠可靠を主る。若し生ずる削瘦凹陷して單薄なれば、用るに到るは便ち奸猾の僕人、かえって自己を欺騙す。ここに若し黄明紫潤の氣色を現ずれば、僕役下人の辦事に功あり・活を做して職を盡すを主る。若し青くして虛浮滑腻の氣色を現ずれば、僕役下人が既に忠心ならず又動手を肯んぜず、任用に堪えざるを主る。若し紅赤干躁深絳の氣色を現ずれば、僕役に因って官司是非を惹上るを主り、輕きもまた脫肛便血の類の病の上に應ず。若し黑黯慘淡の色を現ずれば、僕役が橫禍に遭い凶死し、あるいは僕役の行騙私逃・走失して歸らず、も牛馬六畜の死亡の例子あるを主る。我は花柳病を害する最も重き人を考察するに、總じて先ず腮骨の塌陷を見、而して後に鼻梁の斷折、これすなわち兩腮が内に穀道に應ずる鐵證である。こ一條は醫學・相學に補益あり、ゆえに特地にここに記す。ここは原名奴僕宮、如今我は改名して「濁關」と呼ぶ、それが面上の位置最も低く最も下・穢濁ここに由りて出づればなり。

公篤曰:上列二十四部位,繫餘歷年經驗,又經多書考證,以及事實應驗不妄,方選取錄之。按此二十四部,有從古人之晝選出而加註明者,有出新學之書摘錄而考究以證實者。故分其正當之總繫,或為連帶繫;又分其兩經之應繫,或為通過繫。其中有利害關係,同氣相應,異脈相通,是為分經別絡之重要點。

陳公篤が言う。上面の列する所の二十四個の部位は、我が歷年親身經驗し得る所、また許多の書籍の考證を經、併びて實事の上に屢々應驗して虛ならざりし、然る後に初めて挑選し出して記錄し下したる。こ二十四處は、あるは古人の圖より挑選し出して再加えて注說明したる、あるは新學書籍の中より摘錄し出して・我の考究印證し過ぎたる。ゆえに我は每一處に對しそれの正當の總系を分出し、あるいは連帶系。またそれの兩經の交涉する應系を分出し、あるいは通過系。こ裏頭に利害相關の道理あり。同一種の氣は彼此感應し、不同の脈絡もまた互相に貫通し得、これは正しく分經別絡の最も緊要の處である。(按:原文の「古人之晝」、「晝」は當に「書」と作るべし。)

故醫家第一注重望字,次則注重聞字,蓋望其氣色,如其病之輕重;察其部位,如其病之臟俯。於相學固為正當之要法,於醫學亦不無小補也。其部位之名稱,與古部位不同者十之七,有合古部位者十之三,非敢菲薄前人,蓋餘晝在求事實應徵,不在虛浮表面,以合其意義而更改之耳。

ゆえに醫家の病を診するは、第一に一個の「望」字を看重し、其の次に初めて「聞」字。彼の氣色を望めば、便ち病の輕重を知る。彼の部位を察すれば、便ち病が何の一臟腑に在るかを知る。こ一套を相學上に用うれば固然と正當の要法、醫學上に用うも不無小補なり。我の定める所のこれらの部位名稱は、古人の定むる所と不同なるは約十分の七を占め、古人と相合するは約十分の三を占む。これは併び我が敢えて前人を輕看するに非ず、實在は我が一意に事實上の應驗を求むるを要し、浮面の名目の上に敷衍せず、初めて各處の實際意義に按じて改定し過ぎ來りし。(按:原文の「如其病之輕重」「如其病之臟俯」、兩「如」字は當に「知」と作るべし、「俯」は當に「腑」と作るべし。「余晝在求」、「晝」は當に「意」と作るべし。)

新修考正部位第二圖

氣色摘錄詳解

公篤曰:上列部位,為余考正而命名,分經別絡,以證實某輕重關係。再分其氣色,自然明白其事實。又因其人程度如何,身分如何,強弱虛實又如何,而判斷其吉凶之輕重,以及其利益大小,其損失大小,此為合法之活法也。餘據醫學數學丹經,合併而摘錄之。

陳公篤が言う。上圖の列する所の各處の部位は、皆我が重新考訂核正した後に另行命名したる。命名する時は經脈に按じて區を分かち・絡脈に按じて支を分かち、用いて某一處の主る所の事情が究竟輕か重かを印證す。部位既に分け清まれば、再び往きてこ處の地方の上に浮現する「氣色」を分辨すれば、然ればこ人の當下の遇う所の事實は自然に一目瞭然たり。このほか還須こ人の程度の高低・身分の貴賤、以及體質の強弱虛實が到底如何かを看、これに據って初めて吉凶の輕重、以及得る所の利益の大小・受くる所の損失の大小を判定し得。これすなわち既に法度に合乎し又能く人に隨って變通する「活法」である。以下は我が醫學・數學・丹經の三家の說に依據し、合併して摘錄し出したる內容である。

其青色為肝,赤色為心,白色為肺,黃色為脾,黑色為腎,此為五色之合五臟大關係也。又云肝屬筋絡,心屬血脈,肺屬皮毛,脾屬肉腠,腎屬骨髓,此五臟之分類而生化也。又云筋絡屬肝木,血脈屬心火,皮毛屬肺金,肉腠屬脾土,骨髓屬腎水,此五臟之合五行氣化也。

面上の青色は「肝」に應じ、赤色は「心」に應じ、白色は「肺」に應じ、黄色は「脾」に應じ、黑色は「腎」に應ず、これすなわち五種の顏色と五臟と相配する大關係である。また說く、肝の主る所は筋絡、心の主る所は血脉、肺の主る所は皮毛、脾の主る所は肉腠すなわち肌肉紋理、腎の主る所は骨髓、これは五臟が各々一類の形質を分管して生化息まざる。また說く、筋絡は五行の中に「肝木」に属し、血脉は「心火」に属し、皮毛は「肺金」に属し、肉腠は「脾土」に属し、骨髓は「腎水」に属す、これは五臟と五行と相合して氣化を成す道理である。

又云肝木性直其味酸,怒氣過餘則傷之;心火性溫其味辣,喜笑過餘則傷之;肺金性堅其味辛,憂鬱過餘則傷之;脾土性厚其味甘,思慮過餘則傷之;腎水性柔其味減,恐懼過餘則傷之。此五臟之配五性,合五行之變五傷,而為自然之至理也。

また說く。「肝木」は性情剛直、配する所の味は酸、發怒太過すれば便ちそれを傷る。「心火」は性情溫熱、配する所の味は辣、喜笑太過すれば便ちそれを傷る。「肺金」は性情堅勁、配する所の味は辛、憂鬱太過すれば便ちそれを傷る。「脾土」は性情厚重、配する所の味は甘、思慮太過すれば便ちそれを傷る。「腎水」は性情柔順、配する所の味は底本に「減」と作るも、實は「鹹」字の訛、恐懼太過すれば便ちそれを傷る。これは五臟が五種の性情に配し、また五行に合して五種の損傷を變出す、乃是れ自然の至理である。

余考青色為春令之正色。其青而明潤,如翠雀之羽毛,此為青之正色,雖在重病時間,亦無妨礙,而不至危也。如其青而沾膩,似秋草之露滋,此為青之不正色,雖不病亦病,而久病必死,此肝氣已脫而將絕故也。

我は考究し過ぎたり。青色は春季の當令の正色である。青くして明亮潤沢し、翠鳥の羽毛のあの樣に光彩あるは、これすなわち青の正色、たとえ正しく重病の中に在るも妨碍なく、性命の危あるに至らず。如果青の中に黏腻を帶び、秋草の上に露水を沾りたるがごとく看れば滋潤するに似て其實滯を發するは、これすなわち青の不正の色、表面は病なくして其實すでに病あり、久病の人は見れば必ず死す、なぜなら「肝氣」すでに脫失し・將に斷絶せんとする緣故なればなり。

黃色為土令之正色,四時各占一月,即三六九全月屬土。黃而潤澤,如螃蟹之腹玄者,此為黃之正色,雖在久病時間,亦無妨礙,而不至危也。如黃而黯滯,似枳實之枯凝,此為黃之不正色,雖不痛亦病,而久病必危,此脾脈已脫而將絕故也。

黄色は「土」の當令の正色、土は四季の末に旺を寄せ、每季各々一個月を占め、底本は三月・六月・九月のこ幾個の整月が土に属すを擧出す。黄くして潤沢し、螃蟹の腹甲のあの樣に光あるは、これすなわち黄の正色、たとえ久病を身に有するも妨碍なく、危殆に至らず。如果黄くして昏暗停滯し、枳實の干枯凝結の色のごときは、これすなわち黄の不正の色、疼痛を覺えずと雖も其實すでに病あり、久病の人は見れば必然危險、なぜなら「脾脈」すでに脫失し・將に斷絶せんとすればなり。

黑色為冬令之正色。其黑而明潤,如烏鴉之翎羽,此為黑之正色,雖久病不危。如其黑而慘滯,加地灰之浸溼者,此為黑之不正色,雖不痛亦病,而久病者必死,此腎氣已脫而將盡故也。自色為秋令之正色。其白而瑩潔,如美玉之寶光,此為白之正色,雖久病時間,亦無妨礙,而不至危也。其自而枯慘,如枯骨之黯淡,此為白之不正色,雖不痛亦病,而久病者必死,此肺氣已脫而將絕故也。

黑色は冬季の當令の正色である。黑くして明亮潤沢し、烏鴉の翎羽のあの樣に黑の中に亮を透すは、これすなわち黑の正色、たとえ久病なるも危險ならず。如果黑くして慘淡停滯し、地上の灰土が水に浸濕さるる樣子のごときは、これすなわち黑の不正の色、疼痛を覺えずと雖も其實已に病み、久病の人は見れば必ず死す、なぜなら「腎氣」已に脫し・將に耗盡せんとすればなり。底本の「自色為秋令之正色」の「自」は「白」字の訛。白色は秋季の當令の正色である。白くして瑩潔し、美玉の寶光のごときは、これすなわち白の正色、久病の中もまた妨碍なく、危殆に至らず。若是白くして干枯慘淡し、枯骨の一般に黯然として光なきは、これすなわち白の不正の色、疼痛を覺えずと雖も其實已に病み、久病の人は見れば必ず死す、なぜなら「肺氣」已に脫し・將に斷絶せんとすればなり。

紅色為夏令之正色。其紅而鮮明,如炭火之燃燒者,是為暴病驟發之溼熱症,或為反陽症,其愈亦速,而不至危也。如紅而赤黯,如病豬之發痧血者,雖不病亦病,久病者必死,此為紅之不正色,其心脈發洩已盡而將絕,君相之火浮出不收故也。

紅色は夏季の當令の正色である。紅くして鮮明し、炭火の燃燒するに在るがごときは、これは多半急病の驟然發作する濕熱の症、あるいは陰證が陽に轉ずる「反陽症」、好き起るもまた快く、性命の憂あるに至らず。如果紅の中に暗赤を帶び、病猪の發痧出血するあの樣の顏色のごときは、看れば病なきに似て其實已に病み、久病の人は見れば必ず死す、これすなわち紅の不正の色、「心脈」の宣泄すでに盡き・將に斷絶せんとし、「君火」と「相火」とが浮越して外に在りて收回し來らざるを說明す。

按五色合五行,而應五臟之五氣也。然各部位,均能發現青黃白紅黑之氣色,可見其各種氣色,發於先天而不發於五臟也。持鑑者,當以何部位為何種五行之氣,何時令中發現何氣色,或生或克,以是其吉凶也。大體以克時令,又克部位者,為最凶;不克時令,而克部位者,次凶;克時令而不克部位者,又次凶也;其相同相生者,皆無害也,當從類推而判斷之可也。故為吉凶禍福之朕兆,不是單應病厄而已矣。

五色が五行に配するに按じて、用いて五臟の發する五種の氣に對應す。可是面上の如何なる一個の部位も、皆青・黄・白・紅・黑の五種の氣色を出現する可能あり、見るべし各種の氣色は其實先天の本源より發し、併び單に五臟より發し出るに非ず。鏡を執りて人を相する者は、應當に先ず某一部位が五行の中の何の一種の氣に属するかを弄清し、再び何の一個の時令の上に何の一種の氣色を現出するかを看、兩者の間は相生するか相克するか、これに據って吉凶を判定す。大致の規矩は、既に當令の氣を克し・又所在の部位を克するは、最凶。時令を克せずしてただ部位を克するは、其次。時令を克して部位を克せざるは、又其次。およそ氣色と部位と相同あるいは相生するは、皆妨害なく、こ個の次序に照りて類推して判斷すれば便ち可なり。ゆえに氣色は吉凶禍福の先兆で、併びただ疾病災厄のこ一端に應驗するのみに非ず。

余考醫書評論,拘泥者多,而無活法,又無如是之詳。此為餘增補過半,並且單論五臟,而未言及六腑也。豈心肝脾肺腎之五脈脫絕,方能死人,其胃氣絕,膽氣絕,三焦膀胱絕,大腸小腸絕,而不至死耶。此為數千年遺恨。

我は歷來の醫書上の議論を考察するに、大多數は成說に拘泥して變通を知らず、も上面のあの樣に詳細の地步に講到せず。以上の內容は一大半が我の增補し進れたる。而且旧說はただ五臟を談じ、完全に六腑に講到せず。豈に心・肝・脾・肺・腎のこ五條の脈氣の脫絶せるに非ざれば初めて人を死せしめ、「胃氣」の斷絶・「膽氣」の斷絶・「三焦」と「膀胱」の斷絶・大腸小腸の斷絶すれば、人は便ち死に至らざるか。これは幾千年來相術と醫家とが共同に留下した遺憾である。

余考究十餘年,始得各項證據。及上論各氣色發於先天,各色均可死亡,但以其人之五形,屬何種,其發現之時間為何時。故云五臟六腑,均有脫絕之脈氣。茲特繪專圖,而詳言疾厄之應徵,以免混淆故也。其圖如右,其詳論附之於後,以待後之高明,評論其然欺否欺。

我は前後して十幾年考究して、初めて各項の證據を一一に凑齊せり。前面の說く所を加えて、各種の氣色は皆先天より發し、如何なる一色も皆死亡を主り得、ただこ人が「五形」の中の何の一形に属するか、以及あ種の氣色は何の時間に顯現し出るかを看るを要す。ゆえに說く、五臟六腑は皆各々脫絶の脈氣の査す可きあり。これを為す我は特地に別に專圖を繪り、疾病災厄の應驗徵象を逐條に講明し、免得彼此混淆せん。圖は右邊に列し、詳細の論說は後面に附し、留めて後來の高明の士の評斷して我が說き對か不對かを待つ。底本の末句の「其然欺否欺」の兩個の「欺」字は、皆語助詞の「歟」の訛字である。

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