雜説第一
孔子曰:視其所以,觀其所由,察其所安,人焉瘦哉。公篤曰:孔於為儒家之萬世師表,政教一分,儒學倡明,實由於刪詩定禮,作春秋,立褒貶,崇師教,一言而為天下之法也。號曰聖人者,對於國家興亡、社會紛爭無所不知也,故有識人賢愚、辨人邪正,貫通天理人情、法律社會,而為相法之精英。茲特詳註,為風鑑一助,其解擇如下。
孔子曰く:一個人の何をか做すを看、彼の何のためにこも做すを察し、さらに彼の何に安んずるを看れば、ここの人はなおどこに藏れ得ん。ここの三句は《論語・為政》に出づ。陳公篤曰く:孔子は儒家萬世の師表、政と教とは此より途を分かち・儒學の昌明を得たるは、實在是れ彼が《詩經》を刪定し・禮制を釐定し・《春秋》を作して褒貶を立て・師道教化を尊崇するに由り、一句の話便ち天下の準則と成れり。彼を聖人と称するは、彼の國家の興亡・社會の紛爭に知らざる無きに因る、ゆえに能く人の賢愚を識別し・人の邪正を辨明し、天理人情と法度世務とを一一併に貫通す、これは正に相法の中の最も精要の地方。我はここに於て特に詳注を加え、權に看相識人の一点の幇助と做さん、解説分列して下のごとし。
一.視其所以。視者,為神之注意也。先視其人之清濁如何,亦有似清而濁,似濁而清,外清內濁,外濁內清,清中有清,濁中有濁。故有顏貌修麗,風表閒雅,望之溢目,接之適意,口不能吐片奇,筆不能序半句,形與事反,貌與心違之類。次視其人賢愚如何,亦有似賢而愚,似愚而賢,內賢外愚,外賢內愚,亦有賢而不盡善,愚而有一能。故有顏貌樸,儀容鄙陋,聲氣雌暗,進止遲澀,然而含笑懷寶,經明行高,峻標邈俗,高亮純粹之類。
第一句「その所以を視る」。いわゆる「視」は、精神を集中して過ぎて打量す。先ずここの人の清なるか濁なるかを看るを要す:その中に看て清に似て其實濁なるあり、看て濁に似て其實清なるあり、外清にして内濁なるあり、外濁にして内清なるあり、亦有清裏更清・濁裏更濁あり。ゆえに世上に即ちあの一種あり、容貌修美・風度閑雅にして、遠く看れば人をして满目生輝せしめ、接談するもまた人を舒服ならしむ、しかるに嘴の裏一句の出色の話を説き出づる能わず、筆下に半句の様になる文字を寫し成す能わず——形貌と實事と相反し、外表と内心と相違す。其次にここの人の賢なるか愚なるかを看るを要す:亦た看て賢に似て其實愚なるあり、看て愚に似て其實賢なるあり、内賢にして外愚なるあり、外賢にして内愚なるあり、なお雖賢なれど盡善ならざる・雖愚なれど一技の長あるあり。ゆえにまたあの一種あり、相貌樸陋・儀容鄙俗にして、声氣低啞・挙止遲鈍、卻って才を懐きて露さず・笑を含みて自守し、經術精通・品行高潔にして、標格峻抜・流俗を超越し、人と為りて高朗純粹なり。
再視其厚薄如何,亦有厚而不實,薄而反堅,厚中有俗,薄中有威。故有體度動靜,清詳無侮,威容以肅,咬潔以守,然有奪而無厭,正而害直,言巧行違,履濁假清之類。冉視其穿根如何,亦有稟受厚而反薄,稟受濁而自清,智而妄行,愚而守道。故有擒銳藻以立言,甄墳索以窮理,機變清銳,巧言綺聚,然有長於識古,短於理今,詞不近理,筆不達意之類。
さらにここの人の厚きや薄きやを看るを要す:その中に看て厚實に似て其實實ならざるあり、看て単薄に似てかえって堅定なるあり、厚裏に俗氣を帯ぶるあり、薄裏に威厳を帯ぶるあり。ゆえにまたあの一種あり、挙止安詳・動靜清明にして人を輕侮せず、容貌威重にして肅穆し、操守潔淨にして自守す、しかるに取索し起こせば貪得厭まず、看て端正に似て卻って正直を妨害し、言辭巧飾して行事相違し、脚污濁を踩めて清白を假裝す。さらにここの人の根柢いかんを看るを要す:亦た禀賦本より厚くして後來薄に轉ずるあり、禀賦本より濁りて自ら能く澄清するあり、聡明ありて胡作非為するあり、愚鈍ありて卻って道を守り得住するあり。ゆえにまたあの一種あり、能く鋭筆藻思を操りて以て言を立て、能く《三墳》《八索》の古籍を考究して以て義理を窮究し、機變敏捷・言辭華美、しかるに古を識るに長じて今を理するに短く、措辭情理に合せず・筆を下して本意を達する能わざるなり。
終則視其器量如何,能容納幾許;形質如何,能達何程度;靜燥如何,能否樂天知命,安貧達道;枯潤如何,是否當之窮通,含有禍福性質。此為形容氣色上論。
最後にここの人の器量いかん、能く幾多を容れ得下るかを看るを要す。形骨体質いかん、能くいずれの一歩に到るか。性情は沈静なるかそれとも躁急なるか、能く天を樂しみ命を知り・清貧に安んじて大道に通達するや否や。氣色は枯るるか潤うか、彼の眼下の窮通に配するに足るや否や、裏面またいかなる禍福の消息を含着するか。以上のここの一段は、皆形貌と氣色との上より論を立てたるなり。
二.觀其所由。觀者,為目之審察也。觀其人之品行如何,是否溫恭謙讓,敦睦守禮,入孝出弟,揚明彪炳,有超凡入聖之品,窮理盡性之行。次觀其志向如何,是否猷淵送,術略入神,智周成敗,思洞幽元,窮則獨善其身,達則兼善天下。
第二句「その由るを觀る」。いわゆる「觀」は、眼睛を用いて細細と審察す。先ずここの人の品行いかんを觀る:温和恭敬・謙遜禮讓なるや否や、人を待ちて敦厚和睦にして禮を守り、家に在りて父母を孝順し・出でて兄長を敬愛し、名声光明显著にして、超凡入聖の品格・天理を窮究し人の本性を盡くすの操行を具備するや否や。其次に彼の志向いかんを觀る:謀略深遠なるや否や、方術精妙入神なるや否や、才智能く事情の成敗を周知するや否や、思慮能く幽微玄遠の處を洞見するや否や、能く志を得ざるの時は獨りその身を善くし・志を得るの時は兼ねて天下を善くするを做到するや否や——ここの両句は本より《孟子・盡心上》に出づ。
再觀其智識如何,是否志小大,力輕任重,見解有遠慮,預料有先決。見機不作,則所為無成;迀闊不達,則拘執失敗;持勇不慎,累國累家;怯處不學,誤人誤己。終觀其勤敏,是否推肩卸責,畏難苟安,風夜不懈而惜寸陰,盡瘁忘勞而盡天職;略如何,築基而不越正軌;進退如何,知足而不蔽聰明。此為天姿事實上論。
さらに彼の見識いかんを觀る:是れや否や才具小にして志氣大・力量輕くして担子重く。見解に長遠の顧慮あるや否や、預料に事先の決斷あるや否や。時機を見て手を動かさざれば、何を做すとも皆成らず。迂闊にして世務に通ぜざれば、即ち拘泥固執して以て失敗に致る。勇を恃みて謹慎ならざれば、國家を連累し・家族を連累す。胆怯にして肯んじて學ばざれば、人を誤りまた己を誤る。最後に彼の勤勉なるや否やを觀る:是れや否や責任を推卸し・難を怕れて苟且して安を偷むか、それとも能く夙夜不懈にして一寸の光陰を愛惜し、鞠躬盡瘁して労苦を忘却し・己の天職を盡くすか。謀劃いかん、能く根基を打ち好くして正軌を越出せざるや否や。進退いかん、能く足るを知りて欲望に聡明を蒙蔽せられざるや否や。以上のここの一段は、天賦資質と實際行事との上より論を立てたるなり。
三.察其所安。察者,為動靜之留心也。查其人之善惡如何,是否面惡心善,面善心惡,言善行惡,言惡行善,有心為惡,有心為善。至於前生善因,今生善果;前生善因,今生惡果;前生惡因,今生惡果;前生惡因,今生善果。故查其行之善惡,心之善惡,口之善惡,因潮流而趨為善惡,因知交而逼為善惡,因名利而惑為善惡,因氣憤而改為善惡。
第三句「その安んずるを察す」。いわゆる「察」は、彼の動静の間に於て心を留めて體會す。先ずここの人の善惡を査す:是れや否や面相凶惡にして心地慈善・面相和善にして心地凶惡・言語良善にして行為醜惡・言語粗惡にして行為良善・是れ意あるの惡を為すか、それとも意あるの善を為すか。さらに深處に往きて説けば、なお前生善因を種えて今生善果を結ぶあり、前生善因を種えて今生惡果を結ぶあり、前生惡因を種えて今生惡果を結ぶあり、前生惡因を種えて今生かえって善果を結ぶあり。ゆえに彼の行為上の善惡・心念上の善惡・言語上の善惡、および時勢潮流に隨いて趨向するの善惡・朋友に逼せられて出づるの善惡・名利に迷惑せられて生ずるの善惡・一時の氣憤に因りて改變するの善惡を査するを要す。
次查其富而無驕,及好禮否;貧而無諂,及自樂否;貴而有容量,及不淫亂否;賤而從吾所好,及不移志否。守其範圍而不越,純其準繩而不亂,俗語謂之人格,古人謂之德行。終查其居尊有無驕傲,而盡其職責否;處卑有無諂侫,而亂其常度否;作事有無信用,言語是否正直。此為學趾行為上論。
其次に彼の富貴の時能く驕らざるや否や・併せてなお能く禮を好むや否やを査す。貧寒の時能く諂媚せざるや否や・併せてなお能く自らその樂を得るや否や——ここの一層は《論語・學而》の「貧にして諂えず、富みて驕らず」および「貧にして樂しみ、富みて禮を好む」の義に本づく。又た彼の顯貴の時に人を容るるの度量あるや否や・淫乱に流るるや否やを査す。卑賤の時に能く自己の愛好に依りて做すや否や・志向動摇するや否や。本分を守りて越界せず・準繩を持定して錯乱せざるは、これは俗話に人格と叫び、古人に於ては徳行と叫ぶ。最後に彼の尊位に居るに驕傲の氣あるや否や・能く職責を盡くすや否やを査す。卑位に處するに諂媚の態あるや否や・常度を乱るや否や。做事に信用あるや否や・説話正直なるや否や。以上のここの一段は、挙止行為の上より論を立てたるなり。
雜説第二
子口:君子坦蕩蕩,小人長慼慼。公篤曰:社會之分別,即君子與小人二種,而包括富貴貧賤、九流三教、士農丁商矣。所謂君子,即容貌清奇秀正,威嚴和肅;聲音明亮韻長,清秀和藹;氣色明潤安閒,黃紫慈祥;性情耿直公平,和蘊慷慨,仁義為用,道德為懷。故坦然無驚,心無妄念,瀟灑融和,胸無俗累,故曰君子坦蕩蕩他,即雍容安和之貌也。
孔子曰く:君子は心地寛平舒坦、小人は終日憂愁局促。ここの両句は《論語・述而》に出づ。陳公篤曰く:社會上の人は分かちて分かちて、不過君子と小人との両種、富貴貧賤・九流三教・士農工商は全てその裏頭に包めり。いわゆる君子は、容貌清奇秀正・威厳の中に和肅を帯び、声音明亮にして余韻悠長・清秀にして和藹、氣色明潤安閑・黄紫慈祥の色を透出し、性情耿直公平・温和蘊藉にしてまた慷慨、事を做すは仁義を以て用と為し、胸中は道德を以て自持す。ゆえに彼は坦然として驚懼なく、心裏妄念なく、人と為りて瀟灑融和、胸中俗務の牽累を挂けず、因りて「君子坦荡荡」と言う、それは一副の雍容安和の氣象なり。
所謂小人,即容貌鄙陋濁俗,薄削歪斜;聲音急燥散漫,破斷濁浮;氣色浮光脂膩,塵滯枯緊;性情偏窄見小,私貪痴妄,見利忘義,肥私害公。故戚然鬱結,常有私慾,陰險讓諧,常多俗累,故曰小人長慼慼也,即鬱結惑亂之貌也。
いわゆる小人は、容貌鄙陋濁俗・骨肉薄削にして五官歪斜、声音急躁散漫・破碎渾濁にして虛浮、氣色浮光にして油腻・塵滞にして枯緊、性情偏狹にして見識短小・自私貪求・痴迷妄想にして、利を見れば即ち義を忘れ、己を肥やせば即ち公事を壞す。ゆえに彼は一副の愁苦鬱結の様子、心裏常に私欲を存し、行事陰険にして言語迎合し、身上常に俗務の牽累を挂け、因りて「小人長戚戚」と言う、それは一副の鬱結迷乱の氣象なり。
又有界於君子小人之間,類君子而不足,類小人而半非,則形質為清濁相兼,厚薄相等,雅俗相混,剛柔相用。小善立決而前,大善遲疑不為;積極勇進於名利,疎忽輕舉於道德。此等人謂之中人可也,非蕩蕩也,非慼慼也,執其兩端而常循循也,即勞慎持重之貌也。
なお一種の人ありて君子と小人との間に介す:彼を君子に似たりと言えばまた一截差あり、彼を小人に似たりと言えばまた一半是ならず。この種の人の形質は清濁相兼ね・厚薄相當たり・雅俗相混り・剛柔併用す。小さき善事に碰上れば彼は立刻に即ち做し、大きき善事に碰上ればかえって遲疑して手を動かすを肯んぜず。名利の上には一味積極勇進し、道德の上には卻って疏忽輕率なり。ここのようの人は「中人」と叫べば即ち可なり:既に坦荡荡にあらず、亦た長戚戚にあらず、而して両頭を抓住して常に循規蹈矩して中間路を走る、それは一副の操労謹慎・拘謹持重の氣象なり。
雜説第三
孟子曰:胸中正,則胖子瞭焉;胸中不正,則胖子托焉。公篤曰:聖人所謂於中,必形於外。蓋謂氣色為先天之動機,窮通動靜繫於此;目神為後天之代表,喜怒哀樂繫於此。二者含有性情行為、賢愚善惡之原則也。凡人含有天然之愛惡,孟子以眸子為比喻。心為五臟之君主,故醫家曰:心為君主之官,神明出焉。印堂為心之外表,為面部之主體,內應於心故也。
孟子曰く:胸中正なれば、眼珠便ち清明。胸中不正なれば、眼珠便ち昏濁。ここの両句は《孟子・離婁上》に出づ、底本は「眸子」を訛りて「胖子」と作し・「眊」を訛りて「托」と作せり。陳公篤曰く:聖人のいわゆる内に存するは必ず外に顕るるは、即ち氣色は先天の動機に属し、一個人の窮通動靜は皆ここの上に係るを説くなり。眼神は後天の代表に属し、一個人の喜怒哀樂は皆ここの上に係る。ここの両様の裏面は、性情行為・賢愚善惡の準則を含着す。人は本來即ち天然の好惡を帯びたり、孟子は便ち眼珠を拿りて以て比方と為す。心是れ五臟の君主、ゆえに醫家説く、「心は君主の官、神明ここより出づ」。印堂は是れ心の外在の標志、是れ面部の主體、それの内に於て心に応ずるに因る。
故曰胸中之心靜而正,則印堂之氣明而潤,則其神不驚不擾,和蘊而收。瞭者,安閒之常態也,以眸子動靜,可推常人也。又胸中之心不正,有偏向欹斜,或為名利之關鍵,或為事實之障礙,或為安危之所繫,或為連帶之所累。
ゆえに説く:胸中の心安くして端正なれば、印堂の氣色便ち明亮潤沢にして、眼神も亦た驚かず擾らず、温和含蓄にして収め得住せん。いわゆる「瞭」は、正にここの種の安閑の常態。眼珠の動静の上より、即ち一般人の心地を推知する能う。かえって之、胸中の心正ならず、偏倚歪斜する所有り、あるいは名利の關口に卡住せられ、あるいは實際の障碍に絆住せられ、あるいは自身の安危に關係し、あるいは牽連の人の拖累を受く。
如有怒氣之動而不正,則印堂見燥暗之色;有憂氣之動而不正,則印堂有青膩之光;有懼有哀而心動不正,則印堂有赤黑之氣;或動於愛之而不可得,或動於惡之而不可除,則印堂有浮膩之青暗;或動於惡念之已動,或動於危機之潛伏,則印堂有赤焰之枯慘。則眸子之心動神亂,有驚疑,有繁擾,故眊焉。眊者,烏珠上翻,睫毛宜豎,倉皇泯亂之態也,亦以眸子動靜,而可推常人也。
若是れ怒氣一たび動きて心正ならざれば、印堂は即ち乾燥晦暗の色を現出す。憂氣一たび動きて心正ならざれば、印堂は即ち青くして油腻の光を泛出す。恐懼・悲哀に因りて心動きて正ならざれば、印堂は即ち赤中帯黑の氣あり。あるいは愛する所に動きて求めて得ざり、あるいは厭う所に動きて除きて去らざれば、印堂は即ち浮膩の青暗を現出す。あるいは惡念已に發動し、あるいは危機後に潜伏すれば、印堂は即ち赤焔のごときの枯惨の色を現出す。ここの時候に到れば、眼珠の映ずる所の心は已に動き・神は已に乱れ、驚疑を帯び・煩擾を帯ぶ、ゆえに「眊」と叫ぶ。いわゆる「眊」は、即ち黒眼珠上に翻り・睫毛直に豎り、一副の倉皇錯乱の様子。同様に眼珠の動静の上より、一般人の心地を推知する能う。見るべし心一たび動けば、先に印堂の上に於て一種の顔色を換え、さらに眼珠の上に於て一副の神氣を換う、両處合せて看れば、人を瞞し過ぐる能わざるなり。
餘據事實考之,凡人有醜惡之行,其面帶愧;有殘毒之行,其神帶岔;有不平之行,其神帶憤;有陰險之舉,其面帶煞;有損失之事,其面帶愁;有死亡之災,其神似脫。試觀擾人演陰之時,必黑搽三陰;演危險之間,必紅點印堂;演慘禍之際,必滿面油垢而塗脂;演疾病之時,必滿面青黑而浮土。此亦於中而形於外也之表現,亦言形格,言氣色,而後決其事實也。
我實際を按じて験證せり:凡そ人醜惡の事を做せば、臉上便ち慚愧を帯ぶ。殘忍狠毒の事を做せば、神情便ち乖戻を帯ぶ。不平の事に遇えば、神情便ち憤懣を帯ぶ。陰険の擧動あれば、臉上便ち煞氣を帯ぶ。損失の事あれば、臉上便ち愁容を帯ぶ。死亡の災あれば、眼神便ち脱走せんと欲するがごとし。妨げず戲臺の上を看よ:伶人陰毒の角色を演ずる時は、一定要「三陰」の處に黑を抹す。危難の境を演ずる時は、一定要印堂に紅を點す。惨禍の時を演ずる時は、一定満臉油垢にして脂を塗す。疾病の時を演ずる時は、一定満臉青黑にして土色を浮かす。これも亦た「中に存するは必ず外に形る」の表現、見るべしなお先ず形格を講じ・氣色を講じ、然る後にこそ彼の實際の遭遇を斷定するなり。
雜説第四
公篤曰:髮為血之餘,色為氣之餘,亦為相法之一小部份。故束髮、辮髮、薙髮、革髮、剪髮,雖以國家政治為轉移,亦有形格之宜與不宜也。如木形必蓄髮為吉,否則多疾厄苦惱,而多羈畔之事實發生。其義者何?蓋木者,即樹木之義也,宜清秀明潤,而青色不忌也。如禾之有苗,如樹之有葉,故禾無苗則死,樹無葉則枯,此獨不利於木形之正義。其它水土火金各格,則無關係。如木形非蓄髮不可,至於長短形式,又在各人之愛耳。
陳公篤曰く:頭髮は是れ血の余氣、氣色は是れ氣の余象、これも亦た相法の裏の一小門類と算う。ゆえに束髮・結辮・剃頭・改制・剪短は、國家政令に隨いて變ずると雖も、しかるに個人の形格と仍旧相宜と不相宜との別あり。譬えば木形の人は必ず髮を蓄えてこそ吉、然らざれば即ち病痛煩惱多く、なお常に牽絆纏糾の事を出だす。これは何の道理ぞ。「木」の取るは樹木の義、清秀明潤に宜しく、青色を見るも亦た忌まず。頭髮の木形人に對するは、禾苗の莊稼に對する・枝葉の樹木に對するがごとし:禾は苗なければ即ち死し、樹は葉なければ即ち枯る、ただ木形人の身上に於てここの一層は説きて最も切なり。其余の水形・土形・火形・金形の各格は、即ちここの層の關係なし。木形人は髮を蓄うるに非ざれば可ならず、頭髮の留むることいかに長き・梳りて何の樣式と成すやに至っては、則ち各々各々の人の喜好に隨う。
辨正第一
公篤曰:古人常言相由心變,斯言封難為定論。老子雖有禍福無門、為人自招之說,此語為改造社會之風化,現正人心而設,並非事實也。凡人稟先天之靈氣而生,受後天之培養而成,或富或貧,或貴或賤,或壽或夭,或勞或逸,皆種前世之因,結今生之果。故以靈根為周,而後化出形質,方有清奇古怪嚴肅厚重,而為八大正格;薄削弱露歪濁俗寒,而為八大反格。其富貴貧賤、壽夭勞逸各類,特等上等中等下等常等層次,皆在有餘不足中區分也。
陳公篤曰く:古人常に講ず「相は心より變ず」、ここの句の話は其實甚だ定論と作り難し。老子は雖「禍福門なく、ただ人自ら召す」の説法あれど、ただそれは社會風氣を改造し・人心を端正せんがため立てたるの教言、併せて事實の本身にあらず。人は皆先天の靈氣を禀受して生じ・後天の培養を靠りて成る、あるいは富あるいは貧、あるいは貴あるいは賤、あるいは長寿あるいは短命、あるいは労碌あるいは安逸、皆是れ前世の種え下したるの因、結成して今生の果と為る。ゆえに先に靈根ありて以て本と為し、然る後に形骸體質を化出し、於是こそ清・奇・古・怪・嚴・肅・厚・重のここの八種の正格と、薄・削・弱・露・歪・濁・俗・寒のここの八種の反格とあり。富貴貧賤・寿夭労逸の各類、および特等・上等・中等・下等・常等のこらの層次に至っては、全て「有余」と「不足」との間に於て分かち出づ。換言して説けば、心の變じて相貌と為すにあらず、而して先にここの一副の禀受の形質ありて、こそあの樣の心思を生出す。
有此形質,然後有其心志。心有上進之思,志有不群之立,以國家為己任,以潮流為改造。有此心志,然後有其行為。行者,受教育而栽培成材;為者,乘時勢而促進為用;各尋出路之階梯,各結團體之發達。有此行為,然後有其際遇。或因利害而同舟共濟,或因時勢而冒險工作,或因交情而連代關係之進取,或因環境而逼迫臨險之成功。故種善因,結善果;種惡因,結惡果;種富貴貧賤因,結富貴貧賤果;種壽夭疾苦因,結壽夭疾苦果。此其定論也。
ここのようの形骸體質ありて、然る後にこそ相應の心思志向あり:心の裏に上進の念頭を生出し、志向は流俗に同じからざるの地方に立ち、國家を以て自己の責任と做し、時代潮流を以て改造の對象と做す。ここのようの心志ありて、然る後にこそ相應の行為あり:いわゆる「行」は、教育を受けて培養して材と成る。いわゆる「為」は、時勢に趁りて推進して用を致す。各々人自らの出路階梯を找り、各々人自ら團體を結成して發展を求む。ここのようの行為ありて、然る後にこそ相應の際遇あり:あるいは利害相關するに因りて舟を同じくして濟を共にし、あるいは時勢の迫る所に因りて冒険して事を行い、あるいは交情牽連するに因りて彼此提攜進取し、あるいは處境逼迫するに因りて険の中に於て成功を取得す。ゆえに善因を種えて善果を得、惡因を種えて惡果を得、富貴貧賤の因を種え下せば即ち富貴貧賤の果を結び、寿夭疾苦の因を種え下せば即ち寿夭疾苦の果を結ぶ——これはこそ定論なり。
故格局主富貴,雖奢華淫佚,依然為富貴之人;格局貧賤,雖勤慎耐勞,依然為貧賤之輩。此命之格局使然,其任勞而盡其天職,乃完人道之本責,至於窮通,則聽天安命也。壽者酒色縱慾,依然多壽;夭者清心寡慾,亦是疾夭。此稟受之元氣使然,其修身而養其正氣,刀法聖人之規矩,至於壽夭,則聽其稟受也。
ゆえに格局本より富貴を主るの人は、即ち奢侈淫佚するも、依舊是れ富貴の中人。格局本より貧賤に属するの人は、即ち勤謹耐労するも、依舊是れ貧賤の輩。これは命中格局の定むる所。彼の肯んじて労を任じて己の天職を盡くすに至っては、それは人と為るの応に盡くすべきの本分、窮通得失に至っては、ただ天に聽きて命に安んずるのみ。長寿すべきの人は酒色を縱情するも、依舊寿多し。短命すべきの人は清心寡欲するも、仍然病夭す。これは禀受の元氣の定むる所。彼の身を修めて正氣を涵養するに至っては、それは聖人の規矩を效法するなり、寿数の長短に至っては、ただその禀賦に聽くのみ。作者こも言う、併せて人をして修為を放棄せしめんと叫ぶにあらず、而して「本分の做すべき」と「命裏の得る能う」とを分かちて両截として看るを要するなり。
經云:老人貪淫好色者為大壽。蓋稟受之氣太充足,而無消耗之地,須排洩其精,放縱其欲,方能調和陰陽,平氣安神,放心暢性。可見天地之造化,在於自然承受也。故不能勉強改移其富貧,顛倒其貴賤,何況壽夭之生死關係尤大,又豈能強勉改移耶。
相經の上に説く:老人なお淫欲好色を貪戀するは、かえって是れ大寿の徴。これは彼の禀受するの元氣太だ充足にして消耗するの地方なきに因り、必ずその精を泄し・その欲を縱りて、こそ陰陽を調和し・氣を平らげ神を安んじ・胸懐を放開して性情を舒展する能う。見るべし天地造化は、全て其自然に順いて承受するに在り。ゆえに一個人の貧富は勉强更改する能わず、貴賤は強行して顛倒する能わず。況んや寿夭は生死に牽涉し、關係なおさら大なり、又たどうして硬く更改せんと要すれば改め動かす得ん。
夫夭亡之相,稟受既薄,而形質輕浮,氣色枯膩,加以酒色過度,私慾自戕,亦不過多惡疾耳,壽亦定數也。惟懸樑自剔、投河服毒,不是稟受之氣弱而死,然亦有凶格以證之。如分尸紋、覆舟口、赤脈貫瞳、睛凸四白、結喉露痣、兩腋無毛、穀道無毛、印堂懸針、火焰紋、破錠聲之類,如無此類形格,萬無凶死之理由。
短命の相に説き到れば:禀受は本來即ち薄く、形骸體質軽浮にして、氣色枯れて膩く、加うるに酒色過度・私欲自傷すれば、亦た不過惡疾を幾場添えるのみ、寿数は仍お命中の定数。ただ上弔・投河・服毒のここの一類は、禀受の氣弱きに因りて死するにあらず、然るにもまた別に凶格ありて以て印證する能う。譬えば眉間の分尸紋・口角下垂して覆舟のごとし・赤脈瞳仁を貫穿す・眼珠凸出して四面白を露す・喉結突出して併せて痣を生ず・両腋毛なし・肛門毛なし・印堂に懸針紋を生ず・額上に火焔紋・声破器のごとしの等。若しここの一類の形格なければ、絶えて凶死の道理なし。
按聖門之顏淵,敏而好學,其非禮勿視,非禮勿聽,非禮勿動,非禮勿言,觀此可知其行為矣,何以已亡年三十二歲耶。又紀漢之管輅,神其技矣,其自斷云:神不守宅,目無守睛,恐四九之年,為我之厄。後果亡於三十六歲,而應四九之厄年矣。如能修改,則不驗其不守宅不守睛之格局。況管輅深通玄機,善測休咎,如此二子者,豈修身之道而未聞耶。
試みに孔門の弟子顔淵を看よ、聡敏にして學を好み、「禮に非ざれば視る勿れ、禮に非ざれば聽く勿れ、禮に非ざれば動く勿れ、禮に非ざれば言う勿れ」を奉行す——《論語・顔淵》の記する所の四勿——此に由りて彼の行為いかんを知る可し、しかるに彼は何のため三十二歳に活きるのみにして死せるや。さらに漢代の管輅を看よ、術數已に出神入化の地步に到れり、彼自らに斷語を下して曰く、精神その舍を守らず、眼中に守定の睛光なし、ただ四九の三十六歳のあの年は即ち我の大限ならんと怕る。後來果して三十六歳の上に死し、四九の厄に応ぜり。倘若修身真に能く命を改むれば、彼のあの「神宅を守らず、目守睛なし」の格局は即ち応験せざるべし。況んや管輅は玄機に深く通じ・吉凶を測るに善し、顔・管のここの両位は、まさか是れ修身の道を聞説せざりし無きや。
然吾國數千年,有性命學,即道家者流,而有不生不死之白日飛昇者,亦據有清奇之仙姿、古怪之道貌。如老子形如古柏,周身露筋骨而少肉,即純木純陽之格也;莊子氣息以踵;東陽碧眼方瞳;呂祖神含真彩,而有寒灼之光;關尹輔角插天,而有凌雲之氣;火龍真人玉柱上貫百會穴;三峰祖師山林骨插後腦海。按此數者,雖有神傅姿質,尚有良好際遇,故得真傳而修煉,又得金丹而證道,超凡入聖者有之,白日飛昇者亦有之,惟不易得仙品之姿質,以及真傳與秘訣耳。茲特證明惑人各術,為將來之智者考取焉。
不過我が國は幾千年來性命の學あり、即ち道家の一流、その中に確かに生せず死せず・白日飛昇の人あり、彼らは同様に清奇の仙姿・古怪の道貌に憑る。老子形貌古柏のごとく、渾身筋骨顕露にして肌肉多からざるがごとき、これは是れ純木純陽の格局。莊子は呼吸能く脚跟に深く至る。東陽生は一雙の碧眼方瞳。呂洞賓は神采内に真光を含み、而して一種の清冷灼人の光芒を帯ぶ。關尹子は輔角高聳して天に挿し、一股の凌雲の氣を帯ぶ。火龍真人の玉柱骨は上に百会穴を貫く。三峰祖師の山林骨は後腦に挿入す。ここの幾位は雖神授のごときの資質あり、なお良好の際遇を加えるを要して、こそ真傳を得て修煉に往き、また金丹を得て道を證す、因りて凡を超え聖に入るあり、白日飛昇するも亦たあり。ただ仙品の資質、および真傳と秘訣とは、皆容易に得る能わざるのみ。我はここに於て特にあれらの人を惑わすの方術を辨明し出で、將來の智慧あるの人に留めて以て考訂取捨せしむ。
辨正第二
公篤曰:天道淳厚,人物感受淳正之氣,其人厚;天道澆薄,人物感受不正之氣,分外聰明。古法與今法之相反,大體可知其梗概。故古人智化略遲,形質亦厚重,宗旨穩見,志向有定,處世堅忍耐勞,舉動操以規矩準繩,貪心不重,力量與責任相合,為與智識相等,故成功者多。蓋壯而冠,即操一定職業,可繩終身享用,其平穩而持久,其行厚而守信,憂思妄念不多,反覆阻礙尤少,先天充足,後天無虧,其有壽者居多,耋耄期頤者不奇矣。
陳公篤曰く:天道淳厚の時は、人の感受するは淳正の氣、人も亦た厚道なり。天道澆薄の時は、人の感受するは不正の氣、かえって格外機靈なり。古法と今法と何のため相反するや、ここより大致その端倪を看て出づる能う。古人は智を開くことやや遲く、形骸體質も亦た厚重、穏当を主張し、志向に定準あり、世に處して堅忍耐労、擧動皆規矩準繩を守る。貪心重からず、力量と擔當するの責任と相称し、作為と見識と相當たり、ゆえに成功するの人多し。彼らは壮年に冠禮を行い過ぎれば、便ち一門の職業を執定し、以て終身受用する能う。一生平穏にして能く持久し、行事厚道にして信用を守り、憂思妄念多からず、反復阻碍なおさら少なし。先天禀受充足にして、後天また虧損せず、因りて長寿のは多くに居り、八九十歳に活き乃至百歳に至るも亦た稀奇と算えず。
今人智化頗早,元氣先洩,形質亦薄露。其志向大而縱橫,其持科學而強進,本尚武之精神,以機巧為適用,貪心既重而越正軌,妄念尤多而慕虛榮。故壯年即遊歷歐美,考查科學,遍覽古今,其又駁雜不純;其行又機巧而貪,其氛又剛燥而焰,其性又複雜而亂,不達目的尤多,驚險挫折不少,氣質不舒而多憂,花天酒地而從欲。先天之稟受本薄,後天之形質又虧,其不壽者居多,四九六七者常見矣。
今人は智を開くこと甚だ早く、元氣先に已に外泄し、形骸體質も亦た薄くして外露す。彼らは志向大にして縦横四出し、科學を憑りて一味強く上進を求め、尚武の精神に本づきて、機巧を以て實用と做す。貪心既に重ければ即ち正軌を越出し、妄念また多くして虚榮を愛慕す。ゆえに壮年に即ち歐美を游歴し、科學を考察し、古今を遍覧す、しかるに學ぶ所は駁雜純ならず。行事機巧にして貪求し、氣焔剛躁にして張揚し、性情複雑にして紛乱す。目的に達せざるの時はなおさら多く、驚険挫折も亦た少なからず。氣質舒暢する能わずして憂愁多く、声色の場中に出入して情欲を放縱す。先天禀受本來即ち薄く、後天形質また虧損あり、ゆえに短寿のは多くに居り、三十六・四十二歳の上に死するは時々見る所なり。これは今人の天生古人に如かざるにあらず、而して氣数變じ・風氣變じて、人の感受するのあの股の氣も亦たそれに跟いて變じて薄くせるなり。
二者雖夭時之潮流所趨,而形格神氣必變更矣。古人清中氣厚者必多,今人清中氣薄者亦多;古人有才不露者尤多,今人有才浮露者亦多。故孔子曰:三十而立,剩下十八歲即立,而為階梯之初步;四十而不惑,刻下二十七成為不惑,爭名奪利之立功;五十而知天命,刻下為三十六歲,即能改造時勢,而有國家興亡之關係。
古今の両種の情形は、雖時代潮流の趨く所と説くと雖も、しかるに人の形格神氣は必定それに跟いて改變す。古人は清秀の中に氣厚きの一定に多く、今人は清秀の中に氣薄きのもまた多し。古人は才ありて外露せざるのなおさら多く、今人は才ありて外に浮露するのもまた多し。ゆえに孔子説く「三十にして立つ」、今天に放てば十八歳にして便ち立ち起これり、それは不過身に進むの第一步。孔子説く「四十にして惑わず」、如今二十七歳にして便ち惑わず、正に名を爭い利を奪い・事功を建立するの年紀。孔子説く「五十にして天命を知る」、如今三十六歳にして便ち到れり、ここの時已に能く時勢を改造し、國家の興亡と關係を發生す。
六十而耳順,刻下為四十五歲,即成功居多數,知時達世矣;七十而從心所欲,刻下為五十左右,即舉止安危,立言立法,從心所欲矣。故古今之情形不同,潮流之轉移各異,聖人之言,不足為定法矣。今之風鑑家,尤宜注意天道厚薄、時世盛衰、人事轉移、地形變通,與相法有連代之關繫焉。
孔子説く「六十にして耳順」、如今四十五歳にして便ち到れり、ここの時多半已に成あり、能く時務を識りて世事に通達す。孔子説く「七十にして心の欲する所に從う」、如今五十上下にして便ち到れり、ここの時は一擧一動大局の安危に關係し、言を立て法を立つる皆能く心に隨いて矩を踰えず。《論語・為政》の原本の年歳は、今天に到りてここのよう折算するを要す。見るべし古今の情形同じからず、潮流轉移各々異なり、聖人の話は已に以て一成不變の法則と作るに足らず。今天相を看るの人は、尤も応に天道の厚薄・時世の盛衰・人事の轉移・地域の差別に留意すべし——これらは皆相法と連帯の關係あり。
辨正第三
公篤曰:內相一說,由來久矣,前賢已略言之而不詳,似不注重於內相明矣。今人多惑於茲,而又誤會其說,茲特證之。聖人云,於中必形於外,有內相者,必有外相以應之,宜隱藏者惟痣耳。不能以身上之某處有一骨不同,某處有一痕奇異,則評為如何富,判為如何貴也。請觀達摩之測量法,即如其輕重矣:其全身由項而下,僅佔十分之三分耳,故手足之相尚不為重,不過形局之一小補助品耳,其它骨痣痕紋,又為補助品之附屬品而已,至於富貴貧賤,末敢以此為定論也。
陳公篤曰く:「内相」のここの説法は由來已久く、前輩の相家はただ略略と提えたるのみにして細かく講ぜず、見るべし彼らは併せて内相を看重せざるなり。今人は多くここの説法に迷惑せられ、而且それを誤解せり、我はここに於て特に辨明す。聖人説く「中に存するは必ず外に形る」、凡そ内相あるの人は、一定に外相ありてそれと相應す。真正に隱蔵に宜しいは、ただ痣のみ。身上の某處に一块の骨頭人と同じからざる・某處に一道の痕迹奇特あるに因りて、即ち彼のいかに富むかを断じ・彼のいかに貴きかを判ずる能わず。試みに達摩の測量法を看よ、軽重は自然分明なり:全身は頸項以下よりただ十分の三を占む、ゆえに手足の相はなお要緊と算え得ず、不過整个の形局の一件の小補助品。其余の骨・痣・痕・紋は、なおさらただ補助品の附属品のみ。これらを憑りて人の富貴貧賤を断ずるは、我は敢えて定論と作る能わず。分量既然ただこも一点のみ、即ち応に客をかえって主と為して、附属品を拿りて以て頭面のここの正主を壓倒すべからず。
假定有內相而無外相,則如美玉之埋山耳;有外相無內相,亦可超騰而發達也。內相外相相應,自然奇特,而非尋常之貴矣;單獨內相奇特,即前論為補助之附屬品,自然無關利害也。余每見形格清奇,無內相亦名成利就;又每見形格削陷,有內相亦家破身貧。此皆市檜惑人之說,不足為憑,而非正義明矣。
仮設一個人内相ありて外相なければ、それは即ち美玉の山の裏に埋れたるがごとく、白々搁け置かる。外相ありて内相なければ、照様以て騰達して發迹する能う。内相と外相と彼此相應するは、自然是れ奇特の格、それはこそ尋常の貴にあらざるなり。若し單に内相奇特なるは、前面の説く所に按ずるに、それはただ補助品の附属品、自然關係緊要ならず。我常に形格清奇の人を見るに、併せて何の内相もなし、一様に功成名就す。亦た常に形格削陷の人を見るに、縱い内相あるとも、仍旧家を破り身貧し。見るべし内相の説は皆是れ市井術士の拿りて以て人を惑わすの話、靠り住む能わず、是れ正理にあらず。
故經云:頭為諸陽之首,而佔全身十分之七;面為百部之全,而應五臟六肺之繫,方為正論也。按內相者,隱藏無質也。余考古之相法,以形格氣色為外相,有名有質故也;以精神聲音為內相,有名無質故也。此等論法,較為確實,而具正大之義論也。
ゆえに相經の上に説く:頭は是れ衆陽の首、全身の分量の十分の七を占む。面部は百般の部位を統攝し、内は五臟六腑の脈絡に応ず——これはこそ正論なり。いわゆる「内相」は、本は隱蔵にして指す可きの形質なきの東西。我古人の相法を考究するに、是れ形格と氣色とを算えて外相と為す、それらは名目ありて併せて實體あるがゆえに。精神と声音とを算えて内相と為す、それらは名目ありて實體なきがゆえに。こも立論するは比較的確實にして、亦た正大の道理に合す。
辨正第四
公篤曰:眉毫、真毫、耳毫,古人多稱為有壽,而袁柳莊與衡真尤極力發揮此項議論:其眉毫如何貴壽,鼻毫如何富壽,耳毫如何壽考康寧。可見其法多據單獨部位而論,乃一偏之見,純繫小家而不知大體故也。古人以毫毛為相法之附帶品,亦有部位之輕重、加減之乘除,以重要牲為用神故也。
陳公篤曰く:眉の上に毫を長じ・鼻の中に毫を長じ・耳の中に毫を長ずるは、古人は多く説きて長寿の徴と為す、而して袁柳莊と《衡真》の一書とはなおさらここの套の議論を極處に發揮せり:眉毫いかに貴にして寿を主るやを説き、鼻毫いかに富にして寿を主るやを説き、耳毫いかに寿考康寧を主るやを説く。見るべし彼らの法門は多半是單獨一個の部位を抓住して以て論斷す、一偏の見に属し、全是れ小家数にして大体を識らず。古人は本来ただ毫毛を以て相法の附帯の物と為す、その中になお部位軽重の別・加減乗除の算あり、總て最も要緊の地方を拿りて以て用神と作すを要す。
余考眉為肺絡之正繫,肺主憂思,按《內經》云,肺主皮毛,此憂愁發現於眉故也。查眉之常度,以柔細清疏修長潤澤為合格,以枯燥焦亂浪濁雜毫,皆為眉之反格,號曰愁眉不展之類是也。按余考查,左眉露毫,主外務糾紛而發生,亦有刑弟兄叔伯者;右眉露毫,主內務顧忌而發生,亦有刑妻妾子女者。又考兩眉前半節,多應弟兄姊妹之刑剋,次亦自相殘害之不睦;兩眉後半節,多應妻妾子女之刑傷,次亦意見紛爭之忤逆。故眉之露毫,亦因肺氣不舒,肺竅閉塞,由憂思鬱結而反其常度也。
我考究す:眉は是れ肺の經絡の繋ぐ所、肺は憂思を主る、《黄帝内經》に肺は皮毛を主ると説く、ゆえに憂愁は眉の上に顕れ出づ。眉の常態は、柔細・清疏・修長・潤沢を以て合格と為す。枯燥・焦乱・散浪・渾濁にして粗毫を雜生するは、皆是れ眉の反格、即ち俗説の愁眉展ばざるの一類。我が査考に据るに:左眉に長毫を露出するは、外面の事務糾紛に因りて起るを主り、亦有兄弟叔伯を刑剋するあり。右眉に長毫を露出するは、家内の事情顧忌に因りて起るを主り、亦有妻妾子女を刑剋するあり。又た両眉の前半段を考うるに、多く兄弟姉妹の刑剋の上に応じ、其次は彼此傷害して和睦せざるなり。両眉の後半段は、多く妻妾子女の刑傷の上に応じ、其次は意見紛爭して忤逆す。ゆえに眉の上に毫を露するも、亦た肺氣舒ならず・肺竅閉塞するに因り、憂思鬱結に由りて常態を反せり。既然たりその根子は憂思、則ち応に眉毫を一見すれば便ち人の長寿を賀すべからず、なお先ずそれの左眉に長ずるか右眉に長ずるか・前段なるか後段なるかを分かち清むるを要す。
鼻孔之竅,內通腎絡,側通肺管,此四竅之正屬偏屬也。外形屬土,中嶽之名始此也。鼻孔固有毫,但在收臧與露出為區分耳。大凡鼻毫以收藏柔細為吉,如粗多者,為聰明而勞碌;如細少者,為清閒而平安;如露出而長者,則家庭有刑剋人丁,及血系統之衰弱,六親無力而反遺累,雖主壽而非福,亦非壽之專部也。假定眉不高,耳不長,神不充,氣不聚,雖有鼻毫,亦不能為壽矣。可見鼻毫發露,為環境日勞,人丁日弱,子孫日見不力,皆非善相亦明矣。
鼻孔のここの幾竅は、内に向かいて腎の經絡に通じ、旁より肺の氣管に通ず、これは即ち四竅の正属と偏属。鼻子外形は土に属し、「中嶽」のここの名称は即ち此に由りて來たれり。鼻孔の裏には本来即ち毫毛あり、分別はただ蔵め得住るや露し出づるやに在り。大体鼻毫は収蔵して柔細を以て吉と為す:粗くして多きは、聡明なれど労碌を主る。細くして少なきは、清閑にして平安を主る。若し鼻孔を露出して且つ長きは、則ち家中に人丁刑剋あるあり、血脈一系も亦た衰弱し、六親は幇け上がらずかえって拖累と成る——ここの種の人は寿を主ると雖も福なし、況んや鼻子は本来亦た寿を主るの専属の部位にあらざるをや。仮使眉高からず・耳長からず・神充足せず・氣凝聚せざれば、縱い鼻毫あるとも亦た寿と算え得ず。見るべし鼻毫の外露は、正に處境一天一天労苦し・人丁一天一天単弱し・子孫一天一天得力せざるに応ず、皆是れ好き相にあらず。
按耳竅內屬腎絡,限則為初年。耳毫雖主壽,然有缺點:或主神經昏憒,或主人丁衰弱,或主眼失其明,或主耳失其聽。如耳毫愈多而愈長,其破敗愈大,此為勞苦寒賤之流,或為果滯憂愁之輩。此三者皆非善相,風鑑家勿為柳莊衡真所誤也。如有毫露出,可以拔之,用酒揉搽,久則可減其勢,而事實亦可減輕,今附錄於此,亦相法之小補也。
耳竅は内に於て腎の經絡に属し、主る所の年限は是れ早年。耳の中に毫を長ずるは雖寿を主ると説くと雖も、しかるにもまた缺陷を帯ぶ:あるいは神志昏憒を主り、あるいは人丁衰弱を主り、あるいは眼睛失明を主り、あるいは耳朵失聰を主る。耳毫いよいよ多くいよいよ長ければ、破敗は即ちいよいよ大、この種の人は多く労苦寒賤の流、あるいは滞塞憂愁の輩。眉毫・鼻毫・耳毫のここの三様は皆好き相にあらず、相を看るの人は千萬に柳莊・衡真の両家に誤導せらるる勿れ。倘若已に長毫を露出せば、以て拔き去る可く、再び酒を用いて揉搓塗擦し、日子久しければ以てその勢を減弱する能う、實際に應験するの事も亦たそれに隨いて減輕する能う。現在ここの方法をここに附記す、亦た相法上の一点の小補充と算う。
辨正第五
公篤曰:相法一說,由來已久,各因時代變遷,則用神亦為之一轉移。刻下萬國交通,世界風行,但各有地帶不同,國家法律各異,以致應徵亦有互相出入,分地而論之可也。余考新相法,有骨相學一冊,此為一偏見之說,或因少數人之應驗而設。按骨相始於周代之鬼谷子,即山之有玉璞寶石,以分貴賤也;淵之有明珠水晶,以別真偽也。骨相之學,本此而論,乃中國古法一知之過渡時代,漢唐已不全用矣。
陳公篤曰く:相法のここの一門の學問は由來已久く、時代變遷に隨いて、取る所の用神も亦たそれに跟いて轉移す。如今萬國通商往來、風氣全世界に流行す、しかるに各地帯の水土同じからず・各國の法律各々異なり、以て同一の相法各處の應験も亦た互いに出入あるに致る、地域を分かちて以て論斷してこそ對なり。我新出の相法を考察するに、一册の《骨相學》あり、それは一偏の見、あるいはただ少數の人の應験を憑りて即ち説を立てたるか。骨相の説は本より周代の鬼谷子に起り、山の裏に玉璞寶石を蔵め、以て貴賤を分別するに据るがごとし。深淵の裏に明珠水晶を蔵め、以て真偽を辨別するに据るがごとし。骨相の學は即ちここの道理より論を立つ、中國古法の其一を知るのみに属するの過渡階段、漢唐の時候に到れば已に全く用いざりき。
一經流入歐西,藻飾文詞,變更名稱,復流入中國也。如眉尾之福堂骨,中國為外財庫,西人為蓄財骨,同一意也。據此立法,尚為相學之枝葉部位,不如達摩之形神音氣合論為詳,而可靠也。西人得此為研究之初步、試驗之過程,不如達摩百分之五也。
ここの一套は歐西に流傳したる後、人に文辭を潤飾せられ・名目を換えられ、また倒に中國に流れ回來たり。譬えば眉尾の「福堂骨」は、中國は外財庫と叫び、西洋人は蓄財骨と叫ぶ、説くは其實同一回事。これを憑りて法を立つるは、仍旧ただ相學の裏の枝葉末節の部位、達摩の形・神・音・氣を合せて論を立つるがごときの詳備にして可靠なるに如かず。西洋人はそれを拿りて研究の第一步・試験の過程と作す、達摩に比ぶれば、百分之五にさえ到らず。
又有手相學一冊。余考手相之說,始於唐代之李淳風,以八卦方位而立中宮明堂,以紋縱橫成形,象形立義,而別貴賤也。按手足為四肢,肢者,枝葉之義也,而非正幹明矣。又割斷手足,尚不致命,此不如頭面之重亦明矣。故達摩之測量法,以頭面佔十分之七,全身佔十分之三,亦出輕重之分而定也。凡個人以一百分測量,兩手得三分,萬不能以三分而勝過九十七分也。假定二者偶有應驗,或與形神暗合,不足為定法也。
又た一册の《手相學》あり。我手相の説を考究するに、唐代の李淳風に起り、八卦方位を用いて掌心に中宮明堂を立出し、さらに掌紋縦横交錯して何の形状と成るを看、形に依りて義を取り、以て貴賤を分別するに据る。須く手足は是れ四肢、「肢」は即ち枝葉の意思、併せて主干にあらず。況んや手足を砍断するもなお命を致すに至らず、見るべしそれは頭面の要緊に比べ上がらざるをや。ゆえに達摩の測量法は、頭面を算えて十分の七と為し・頸以下の全身を算えて十分の三と為す、正に軽重に按じて定め出づるなり。一個人を一百分を以て測量すれば、両手はただ三分を占む、絶えてここの三分を拿りて以てあの九十七分を壓倒する能わず。就中手相・骨相偶か應験し、あるいは恰好形神と暗合するも、それも亦た碰巧に撞上る、以て定法と立つるに足らず。法を立てんと要せば、即ち分量を占むること最も重きの頭面より入手するを得。
近有相法大觀,採取清代名將名相之圖形,以及民國偉人、名流名伶名妓,無不盡量搜印,取以為證。按圖案驥,亦蹈《水鏡相法》引古作證之弊。按人生之形質神氣,各有不同,即同父母而先後生,或生,亦各有差異之點,何得有同樣之人而相比較乎。設有相同,先後之時代變更,窮通各異,又何得為同類之事業而定其限乎。如題為像譜大觀可矣,此非風鑑家所出之書也。凡讀吾書者,請注意後之測量五章,以及各種活法要訣,方是正宗,而不偏向也。
近来に一部の《相法大觀》あり、清代の名将名相の図像、および民國の偉人・名流・名伶・名妓を、統統蒐羅して印上し、拿りて以て憑證と作す。こも圖に按じて驥を索むは、亦た《水鏡相法》の古人を援引して以て証と作すの老毛病を犯せり。須く人の形質神氣は各々相同じからず、即ち同一の父母の先後の生ずる所・甚至同時の生ずる所も、亦た各々差別の處あり、どうして一模一樣の人ありて以て比照に供せん。就中相貌真に相同ずとも、處するの時代先後一たび變ぜば、窮通際遇便ち各々一樣ならず、又たどうして彼らの必ず同一類の事業を做し・必ず同樣の界限あるを斷定せん。ここのようの書は「像譜大觀」と題作ればなお説き過ぎ得、それは相を看るの行家の出ずべきの書にあらず。凡そ我がこの部の書を讀むの人は、請う後面の測量五章および各種の活法要訣に留意せよ、それはこそ正宗、こそ一辺に偏向せざるなり。圖を看て以て人を比照するは、永遠にただ一個の形似を得るのみ。法度を懂了して、こそ相を論ずるに談ずる得上がる。
辨正第六
公篤曰:近世風鑑家斷財帛官之富業,單據土星而論之,並且盲指而瞎吹,常有不近人情之說,又以土星一部而包括各項,是為相法之誤解。蓋財星之種類頗多:有正受之祖業,有坐守之自創,有官祿之致富,有承祧之偏受,有偏浮之發達,有交際之利益,有子孫之宏恢,有族戚之提拔,有知交之輔佐,有遠發之外業,有妻妾之暗助,有奴僕之勤勞,故非中嶽一部而可包括矣。茲特分類列後。
陳公篤曰く:近来相を看るの人の財帛宮の富業を断ずるを考察するに、單に鼻子のここの一處の「土星」を憑りて以て論斷し、而且乱りに指して一氣に・口に信じて誇説し、常に人情に近からざるの話を講じ出す。又た土星の一部を拿りて各項の財源を皆その中に包め入れたり、これは是れ相法の誤解。須く財星の種類甚だ多きを知るべし:正當に承受するの祖業あり、自己創立して守り得住するの家業あり、官禄を靠りて富を致すあり、宗祧を承継して偏りて一份を得るあり、偏門浮財にして發達するあり、交際を靠りて利を得るあり、子孫門第を光大するあり、族親の提攜あり、知交の扶助あり、他郷に遠走して外に於て業を立てるあり、妻妾暗中に相助するあり、奴僕勤労して力を出すあり。ここの許多の路数は、絶えて鼻子「中嶽」の一處の包め盡くす能う所にあらず。現在分かちて十三類と作して下面に列す。
一.正受祖業之財,以南嶽高超寬隆為重,山根有樑上實次之。有無祖業,當以二部考查之;如祖業之多寡,則以其部位之勢如何,及氣質之聚,以分別而定之。二.坐守自創之財,以土星豐隆圓齊為重,年壽樑柱捲筒次之。能否創立,當以二部考查之;如創立之多寡,則以其部位之雄突,及氣聚之厚薄,以分別而定之。
第一類、正當に祖業を承受するの財は、額を「南嶽」と為して高聳寬隆なるを以て主と為し、其次は山根に骨梁ありて上段結實なるを看る。祖業の承む可きあるや無きやは、即ちここの両處より考察す。祖業の多少は、則ちここの両處の氣勢いかん・氣質凝聚するや否やを看るを要し、これに据りて等第を分かちて以て定む。第二類、自己創業して能く守り得住するの財は、鼻頭「土星」豊隆圓整なるを以て主と為し、其次は年上・寿上の一段の鼻梁柱のごとく・鼻頭卷筒のごときを看る。創し起こる能うや否やは、即ちここの両處より考察す。創業の大小は、則ちここの両處の雄偉突起するや否や・氣の聚ること厚きか薄きかを看るを要し、これに据りて等第を分かちて以て定む。
三.官祿致富之財,以兩目清秀充藏為重,兩額上插厚輔次之。宦囊是否充裕,當以二部考查之;加進田宅之多寡,則以其部位之充分,及氣聚之久暫,以分別而定之。四.承祧偏受之財,以兩天倉豐隆雄突為重,土星敦厚圓隆次之。能否偏受產業,當以二部考查之;如偏受產業之多寡,則以其部位之厚薄,及其氣聚之旺弱,以分別而定之。
第三類、官禄を靠りて富を致すの財は、両眼清秀にして神光内に蔵するを以て主と為し、其次は両側の額角上に挿して辺輔厚實なるを看る。官を做して得る所の豊裕なるや否やは、即ちここの両處より考察す。田宅を置進するの多少は、則ちここの両處の充實飽満なるや否や・氣の聚ること久しきか暫きかを看るを要し、これに据りて等第を分かちて以て定む。第四類、宗祧を承継して偏りて一份を得るの財は、両側の「天倉」豊隆雄突なるを以て主と為し、其次は鼻頭土星敦厚圓隆なるを看る。偏りて一份の産業を得る能うや否やは、即ちここの両處より考察す。偏りて得る産業の多少は、則ちここの両處の厚薄・氣の聚るの旺弱を看るを要し、これに据りて等第を分かちて以て定む。前の一類の財は両眼両額に在りて、是れ自己の官位を靠りて掙り來たるなり。ここの一類の財は天倉と鼻頭とに在りて、是れ宗族の分派を靠りて得來るなり、來路同じからず、看るの部位も亦た即ち同じからず。
五.偏浮發達之財,以蘭臺圓厚勻收為重,又以蘭臺氣黃色紫定之。如意外之財,當以此部考查之;如得偏浮之多寡,則以其部位之大小,及其氣色之明潤濃淡,而合五行四時,以分別而定之。六.交際利益之財,則以廷尉圓厚勻收為重,又以廷尉氣黃色紫定之。如交際各項之財利,當以此部考查之;如得交際利益之多寡,則以其部位之大小,及其氣色之明潤濃淡,而合五行四時,以分別而定之。
第五類、偏門浮財にして發達するは、左鼻翼「蘭台」圓厚にして収めて勻稱なるを以て主と為し、再び蘭台の上に氣黄を呈し・色紫を呈するを以て判定す。凡そ意外の財に属するは、皆ここの一處より考察す。偏財を得るの多少は、則ちここの一處の大小・氣色の明潤濃淡を看るを要し、再び五行属性と四時節令とを配合し、これに据りて等第を分かちて以て定む。第六類、交際往來を靠りて利を得るの財は、右鼻翼「廷尉」圓厚にして収めて勻稱なるを以て主と為し、再び廷尉の上に氣黄を呈し・色紫を呈するを以て判定す。凡そ交際の得る所の各項の財利に属するは、皆ここの一處より考察す。利を得るの多少は、同樣にここの一處の大小・氣色の明潤濃淡を看るを要し、再び五行四時を配合し、これに据りて等第を分かちて以て定む。ここの両類の財は皆是れ活財、來去皆快し、ゆえにそれを断ずるは専ら氣色を重んじて専ら骨相を重んぜず。左蘭台は意外の得を管し、右廷尉は人事の得を管す、左右は混じて看る可からず。
七.子孫發達宏恢大業之財,則以地庫豐隆而朝拱為重,人中深長、土星圓起次之。子孫是否宏恢門第,當以此三部考查之;如子孫發達之多寡,則以其部位之勢如何,及其氣色潤澤之虛浮充實,以分別而定之。八.族戚六親提拔之財,則以口角上仰、食祿二倉收斂為重,井灶勻配次之。如得族戚六親之助,當以此二部考查之;如族戚提拔而發達之多寡,則以其部位之勢如何,及其氣色明潤之濃淡,以分別而定之。
第七類、子孫の發達して家業を光大するを靠るの財は、下巴の両側「地庫」豊隆にして朝拱して上に向かうを以て主と為し、其次は人中深長・鼻頭土星圓起を看る。子孫の能く門第を光大するや否やは、即ちここの三處より考察す。子孫發達の程度は、則ちここの幾處の氣勢いかん・氣色の潤沢の虛浮なるか充實なるかを看るを要し、これに据りて等第を分かちて以て定む。第八類、族親六親の提攜を靠るの財は、口角上仰・口旁「食禄」と両「倉」と収斂して散らざるを以て主と為し、其次は鼻孔「井竈」大小勻配を看る。族親六親の助を得る能うや否やは、即ちここの両處より考察す。提攜を受けて發達するの程度は、則ちここの両處の氣勢いかん・氣色明潤の濃淡を看るを要し、これに据りて等第を分かちて以て定む。前の一類の財は下一輩より來る、ゆえに下停の地庫・人中を取る。ここの一類の財は上一輩と旁支とより來る、ゆえに口角と食禄倉とを取る、一上一下、各々帰属あり。
九.弟兄平輩相輔而發之財,則以兩眉清秀修長為重,印堂豐滿平隆次之。如得兄弟平輩相輔而發之財,當以此二部考查之;如得輔助而發達之多寡,則以其部位之勢如何,及其氣色明潤之濃淡虛浮,以分別而定之。十.知交輔佐、友誼臂助而發達之財,則以兩顴高起上插玉堂為重,法令豐隆紋長次之。知交友誼是否輔佐臂助之發達,當以此二部考查之;如得外輔而發達之多寡,則以其部位之勢如何,及其氣色明潤之濃淡,以分別而定之。
第九類、兄弟同輩の相助を靠りて起るの財は、両眉清秀修長を以て主と為し、其次は印堂豊満平隆を看る。兄弟同輩の助を得る能うや否やは、即ちここの両處より考察す。助を受けて發達するの程度は、則ちここの両處の氣勢いかん・氣色明潤の濃きか淡きか・實なるか虛なるかを看るを要し、これに据りて等第を分かちて以て定む。第十類、知交朋友の扶助を靠りて發達するの財は、両顴高起して上に「玉堂」に挿するを以て主と為し、其次は法令紋豊隆にして紋路長きを看る。朋友の能く真に幇け上がるや否やは、即ちここの両處より考察す。外助を靠りて發達するの程度は、則ちここの両處の氣勢いかん・氣色明潤の濃淡を看るを要し、これに据りて等第を分かちて以て定む。ここの両類は皆是れ旁人相助の財、ただ一近一遠:兄弟同輩は眉と印堂とに在りて、自家骨肉に属す。朋友知交は両顴と法令とに在りて、外來の臂膀に属す。眉と印堂と管するは同氣連枝、顴と法令と管するは外人を駕馭す、断ずるの時は彼此挪用する可からず。
十一.破梓離鄉,遠發異地,立業於外者,則以眉尾之福堂骨高稜豐突為重,邊城上破而復上插次之。如異鄉是否立業,當以此二部考查之;至於發達之多寡,則以其部位之勢及突露,又以氣色之黃紫充足,以分別而定之。十二.妻妾暗助之財,則以奸門豎起上平玉堂、魚尾紋上仰為重,兩顴隆厚次之。有無內助之力及暗助之發,當以此三部考查之;至於發達之多寡,則以其部位之強弱,及其氣色之黃紫濃淡大小,以分別而定之。
第十一類、桑梓故郷を離れ・他方に遠走して外に於て業を立てるは、眉尾の「福堂骨」高起して稜を帯び・豊満突出するを以て主と為し、其次は「辺城」部位雖破損あると雖も仍然上に挿する能うを看る。異郷に於て能く業を立てるや否やは、即ちここの両處より考察す。發達の程度は、則ちここの両處の氣勢と突露するや否やとを看るを要し、さらに氣色の黄紫充足するや否やを看、これに据りて等第を分かちて以て定む。第十二類、妻妾暗中相助の財は、奸門豎起して上に「玉堂」と斉平・魚尾紋上仰するを以て主と為し、其次は両顴隆厚を看る。内助の力あるや無きや・暗助の發動する能うや否やは、即ちここの三處より考察す。發達の程度は、則ちここの幾處の強弱・氣色黄紫の濃淡と範圍の大小とを看るを要し、これに据りて等第を分かちて以て定む。一個は眉尾と辺城とに在りて、管するは鄉を離るるの運。一個は奸門と両顴とに在りて、管するは妻妾の助、一外一内、恰も對照を成す。
十三.奴僕勤勞,得力有用,而發達之財,則以腮頤力突重城為重,兩仙庫平厚豐起次之。有無奴僕可靠而得力,當以此二部考查之;至於發達之多寡,則以其部位之勢突與厚重,及氣色之明潤,以分別而定之。
第十三類、奴僕の勤労して力を出すを靠りて發達するの財は、腮頤有力にして突出し・「重城」を形成して相護するを以て主と為し、其次は両側「仙庫」平満厚實にして豊起を看る。手下の人の可靠なるや否や・得力するや否やは、即ちここの両處より考察す。此に由りて發達するの程度は、則ちここの両處の勢突にして厚重なるや否や・氣色明潤なるや否やを看るを要し、これに据りて等第を分かちて以て定む。以上の十三類は、こそ財星の全貌、是れ鼻子の一處の包め盡くす能う所にあらず。
